quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

2011年03月

主の晩餐とは何か



それはキリストの「最後の晩餐」としても知られる。
だが、単なる食事を意味しているのではない。

「主の晩餐」は記念の儀式であっても祝いや慶事ではない。
その主要な意義は「キリストの死を宣布」することにあると使徒パウロは言う。
(コリント第一11:26)

しかし、これがどのような事を将来に惹起させるのかについては未だ謎がある。
というのも、この儀礼は『新しい契約』に関わるものであり、聖霊注がれた格別な弟子らが、キリストの体を象徴する無酵母パンと、血を表す赤葡萄酒に与り、その『兄弟』となって共に『アブラハムの遺産』、即ち『神の王国』を継承する『キリストと共なる相続人となる』ことを意味しているからである。
しかも、最初の食事儀礼を共にした十二使徒らは、殊に格別の立場に在り、天界での二回目の聖餐をキリストと共にすることも示唆されているのである。

その夜、最後にエルサレムに上ったキリストは、自らの死が近づいたことを知り、弟子たち、それも十二人の使徒たちとの別れに際し、きわめて意義深い最後のひと時を過ごしたのである。(ルカ22:15)

春先のその晩は満月が出ていたであろう。
というのは、その夜がユダヤ教の律法で「過ぎ越し」(ペサハ)と呼ばれる祭りの日に入ったからである。(出エジプト13:3-)



-◆主の晩餐の原形である過越し

その日から遡ること千二百年以上も前のこと、イスラエル民族はエジプトでの奴隷状態からモーセの指導の下に、自分たちの父祖アブラハム、イサク、ヤコブの神によって受け戻され、「約束の地」を目指してエジプトを発つ。

エジプトを出発する晩は、ことに記念すべき夜となった。
イスラエルの神YHWHは、預言者モーセを通してエジプトを治める「神」ファラオに自分の民を連れ出すように勧告し十度に及んでいた。

神YHWHによってその頑なさが助長されていたファラオが否む間、エジプトには九度も次々に災いが降り掛かり、その都度神YHWHの力が示され、それによってエジプト人にもイスラエルにもYHWHがどのような神であるかが次第にはっきりと知らされていった。実際に事を成し遂げる力を持つ「生ける神」としてである。(出埃9:16)

そして満月の晩。イスラエルはYHWHからその夜がエジプトにおける最後の時となることを知らされる。(出埃12章)
イスラエルはそれぞれの家庭で、旅仕度のままエジプトでの最後の食事をする。だが、その食事は特別な儀礼を伴うものであった。

まず、一歳のオスの子羊(あるいはヤギ)を夕刻に屠り、その血を家の入り口の戸柱と鴨居につける。
そうして赤く染まった戸口の中にいるなら、その家族の長男、家畜の長子は死ぬことはない。
しかし、そうしていない家には十度目の災いが臨み、すべての長男の命が奪われるのである。


屠った羊は家庭に集うすべての者によって食され、残していけない。肉や内臓が残るようなら火にくべて燃やし尽くさねばならないが、骨だけは折ることもしてはならない。その焼肉に酵母を入れない急ごしらえのパン(マッツォート)に苦菜(メロリーム)を添えて食する。

この夜、ついに皇太子を失ったファラオから出国許可が下り、夜が明けると全イスラエルとそれに加えてYHWHに信仰をもったエジプト人がナイルデルタ地帯のゴシェンから出発を始めた。

陰暦は日没から始まるが、その特別な食事の晩から始まる日はアビブ(「緑穂」)*の月の十四日であったことが記されている。(レヴィ23:4)*(捕囚後にカルデアの「ニサン」に呼称が変更された)


この奴隷状態から出る民の大行進は、ギゼーのピラミッドに近い「ノフ」から始まったとの伝承を歴史家ヨセフスが伝えている。三大ピラミッドは建造されて既に千年ほどが経過していたであろう。エジプトを発つ人々の目にその三角の陰が印象的に映ったのかも知れない。行進は翌15日にラメセスを発ち、以降二度とピラミッドを見ることはなかったであろう。(民数記33:3)


それから二カ月して、イスラエルはシナイ山麓に集結し、ここでモーセを仲介者に神YHWHと律法契約を取り結ぶ。
その律法の中で、出エジプトの月を一年の始まりとし、その十四日に過ぎ越しの食事儀礼を行い、これを世々記念するように神は定められた。(出埃12:24)
これは、後にセデルと呼ばれる定式の食事となりパレスチナ定住後はぶどう酒も含まれるようになり、時代が下るとより儀式化されていった。



-◆セデルから主の晩餐へ------

それから千五百余という永い歳月が経過し、その満月の夜、ニサンの月の十四日に入ったキリストは、地上における最後の夜、古来の律法の規定に則り十二人とセデルの会食を共にしていたのである。

しかし、この最後のセデルの食事を機会に、イエスは新たな儀式を始める。
まず、感謝の祈りを捧げて一枚の薄い無酵母パン「マッツァ」を割り裂くとそれぞれ使徒たちに与え、それは「自分の体である」と食べさせる。

次いで、ひとつの杯のぶどう酒をやはり祈ってから同じように十二人*に回し、自分の血による「新しい契約」を表していると飲ませた。*(「イスカリオテのユダ、その価値観の変化」)

イエスは、これらによってセデルを改め、「自らの記念(アナムネーシス)」として世々行ってゆくように、そしてご自分はぶどうの産物を天で弟子らと共にするまでは口にしないと述べられた*。そしてこれは、後代「主の晩餐」(キュリアコン・デイプノン)と呼ばれるようになったのである。(コリント第一11:26)*(ナジル人の誓約を思わせる⇒「忘れられた二つの意義」)


こうして、十二使徒は象徴的ながら「イエスの肉を食し、その血を飲んだ」のであり、それは彼らが「新しい契約」によってイエスと結ばれ、人類全体に先立って「神の子」となり、仮の贖罪による義と永生を得たことを表すであろう。(ヨハネ6:54/ローマ8:1)

パウロによれば、主イエスはこの最後の晩餐で、使徒たちに自分の「死」を記念せよ、と命じたのであって、けっして復活や誕生を祝うように言ってはいない。

神においては「イエスの死」こそ際立って輝かしい栄光を放つ一事であり、「復活」が如何に奇蹟であっても、崇高さにおいてその「死」にはとても及ばない。(ヘブライ2:14)



-◆主の晩餐を巡る時のせめぎ合い

さて、ユダ・イスカリオテを通して、イエスを処刑する算段はこの間も進行している。すでにイエスは銀三十枚という大したものでない報酬で、イエスに好意を持つ群集の邪魔の入らない場所で祭司長派に引き渡されることになっていた。

しかし、イエスは使徒らと最後の晩餐をニサン14日に行うことを数年心待ちにしていたのである。
そのためユダが予定より早く行動を起こし、この大切な晩餐に捕縛隊を乱入させないため、セデルの行われる場所が直前までユダには分からぬよう、慎重に彼以外のふたりの弟子に「水甕を運ぶ男」を探させる。(マルコ14:14-)

しかし、それが晩餐が終わる頃になると、一転して「あなたのしようとしていることを早く果たせ」とイエスはユダを促すのであった。こうして神の子羊は定められた時を進んで行く。(ヨハネ13:7)


他方、永いイスラエル=ユダヤの歴史が経巡る間に、セデルをいつ行うかについて混乱をきたしていた。ユダヤ人の間でも内地では14日、外地居留民は15日に分かれた時期もあり、ユダヤの暦も統一が乱されてさえいたのであり、イエスの当時のユダヤ体制派については、現代のユダヤ人に同じく、「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」を一緒くたに「過越しの祭り」と称して、セデルをニサン15日に入った夜に行っていたのであろう。(今日のユダヤ教はヒレル・パリサイ派を基礎にしている)

このようなユダヤの混乱は、キリスト・イエスが出エジプトの子羊と同じ「世々記念すべき日」に屠られることを神によって諮られたように見える。この日付の一日の差によって、ユダヤの祭司長派は『神の子羊』をニサン14日に屠る者と相成り、出エジプトの時に違わずにキリストは自らの『定めの時』を粛々と進まれたと観ることができる。 ⇒ 「過ぎ越しの日付にみられるユダヤの混乱

もし、子羊イエスを屠る側の祭司長派が、イエスに同じくニサン14日の晩にセデルを記念していれば、その晩から祭りに入ってしまっており、イエスを裁判にかけたり処刑を実行させたりすることはユダヤの儀礼上まったく不可能となっていたであろう。

それに加えて祭司長派はこうも言い合っていたことが記録されている。
『祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない。』(ルカ14:2)
やはり、今日でもパリサイ派であるユダヤ教徒は、二千年前に同じくニサン15日に過越しの食事をとって祭りを始めるので、イエスが捕縛されたのニサン15日ではなくその前の晩ということは動かし難い。

そうであれば、やはりヨハネ福音書がイエスの刑死の日を、祭りの第一日の安息日前の『準備の日』としているように、祭司長派の一日の認識のズレが「世々記念すべき日」におけるキリストの死を可能にしたのである。(出埃12:1-14)
このように、人間の知恵の不完全さを以って、神が目的の達成に用いられることは聖書中に度々見られることである。

エレメントに無酵母パンが含まれ、また、キリストの犠牲がユダヤ人の祭りと深く関わって捧げられた以上、その日付けは、ユダヤ人が「ニサン14日」と呼んでいる日に行われるべきものであることに変わりはない。



-◆王なる祭司となる人々

そしてイエスは、そのニサン14日に入った夜に幾らかの時間を取り分けて弟子たちと過ごし、パンによって彼らが自らと同じ霊の体となり永生を得ること、ぶどう酒によって「新しい契約」の当事者となり「アブラハムの遺産」(神の王国)を受け継ぐことを象徴的に示した。

しかも、この儀礼が繰り返される度に、それを行う者らは「主の死をふれ告げる」ことになるという。
つまり、イエスは「神の子羊」として肉も血も捧げられなければならなかったのであり、主の死があってこそ神の意志は前進したのであり、これは出エジプトのセデルの食事以上に記念に値する。これが主の晩餐の意義である。

つまり、十二使徒を初めとしてふたつのエレメントに与る人々は、キリストと共に霊の体を持って天から全人類を治める王、全人類の贖罪を為す祭司となるべく特に「選ばれた」また「召された」者たちとなる。 (ローマ8:30)


出エジプトの「子羊の血」が、その家の初子を救ったが、それら救われた全イスラエルの初子たちの総数の命を代価にして、神はイスラエルの十三の支族の中からレヴィ族だけをそっくり買取り、自らに仕えさせる祭司の種族としたのであった。(民数3:40-)
同様に、新しい契約での「初子たち」とは、律法制度のイスラエルを超えて、全人類の祭司となるべく神に買い取られる人々である。⇒ 「聖霊と聖徒

「神の子羊」イエスの血は、まず「全人類の初子」と看做される人々に犠牲を仮適用させ(義と永世を備えさせて)初めに救った。

それゆえ「新しい契約」に入る彼らは、人類に対して「初子」また「初穂」とされるので、パウロは自分たち初代のキリスト教徒を指して「我々、霊の初穂である者」と呼んでいる。(ヘブル12:23/ローマ8:23)


出エジプトの子羊の血で祭司らが神に買取られたように、キリストの血はイスラエルの祭司職に勝る、全人類の祭司職に「初穂」たる人々を買取るのである。(ペテロ第一2:4-5)


この新しい祭司職については、キリストが天に去って十日目のシャヴオートの祭り(五旬節)に約百二十人の弟子に聖霊が降ったが、それが神の買取りのはじめであった。

こうして新しい祭司となるこの人々に対してキリストの血の犠牲が承認され、「律法契約」に代わる「新しい契約」が効力を発揮し始めたことが五旬節以来明らかになったのである。(使徒2章/ヨエル2:28-)

百二十人のうち使徒だけが「主の晩餐」に与っていたのだが、新しい契約へ買取られる者は、この日から聖霊の賜物を持つ人々の増加と共に広げられてゆくことになる。



-◆選ばれた一部の者のための主の晩餐

後にパウロは、この聖霊の賜物は「相続財産(≒新契約)への事前の保証(手形)である」と述べている。(エフェソス1:13-14/コリント第二1:22.5:5/ペテロ第一1:4/コロサイ1:12)

このように「主の晩餐」はユダヤ教のセデルの食事とは一線を画するべきものであった。

しかし、キリスト教徒において、この点が曖昧な事例のあったことをパウロの記述が知らせている。
それはコリントス市のエクレシア(集会)であり、ある人々(ユダヤ主義的な)は既に「晩餐」(セデルであろう)を済ませてから「主の死の記念」に与ろうと満腹で酔った状態であり、別の(非ユダヤ的な)者たちは敢えて何も「食事」をして来ず、まったくの空腹で集まるのであった*。(コリント第一11:20-)
*(コリントスのエクレシアではアレクサンドレイアからエフェソス経由で来たイエスを知らなかったユダヤ人アポロスの影響とパウロスの教えとが拮抗していた様子があり〈1Cor1:11/3:4-7〉、このことがユダヤと異邦人の派閥となってしまった蓋然性がある)

パウロは、これでは彼らの分裂的集まりは悪い結果になるだけであり、そのような「裁きのために集まる」ようなことしてはならないと書いている。(同11:17/11:34)
これについてパウロは、教派の対立を止め、皆が家で適度な食事をした上で「主の晩餐」を行うように指導した。場合によっては互いに待ち設けて和やかに事前の食事をするようにも奨めている。(同11:33-34)
そのようにして派閥的な両極端を避けるべきことを教えていたのである

また、その同じ章でパウロは、主の晩餐の表象物(エレメント)に与るか否かは自分の「体」をよく吟味しなければ「裁き」を食し且つ飲むことになるだろう、と警告している。(コリント第一11:27-32)

これは、過ぎ越しの食事にもセデルにも無割礼の異邦人の与ることが許されなかったことが敷衍されているように思われる。(出埃19:43/レヴィ22:10)

彼は「霊をもたない者はキリストに与る*ものでない」とも書いており、この点は注意を要する。(ローマ8:9)*(字義「彼に属す」)

つまり、聖霊の奇跡である「聖霊の賜物」を有しない「信徒」は「聖徒」ではなく、キリストと体を共にせず、新しい契約の当事者でもない

使徒パウロは、当時のコリントスのエクレシアの人々がその無分別の危険を犯しており、この点で「病みがち」であり相当数は更に進んで「眠りについて」(死を含意)しまっているほど(無感覚)であると指弾している。(コリント第一11:29-30)

したがって、西暦第二世紀半ばに聖霊の降下が終わって久しい今日、この晩餐を食する資格を持つ人は誰もいないであろう。
「主の晩餐」でエレメントの無酵母パンとぶどう酒に与る人々は聖霊の印を持っており、それは自他共に明瞭に認めうるものであった。(コリント第一12:7)


-◆十二使徒の先立ちを教える主の晩餐

さて、新しい契約で「契約に与る者」の中でも、キリストの十二使徒については更に別格である。
当時の時間の経過を考慮すると、十二使徒以外には聖霊の灌がれる以前に「主の晩餐」に与った者はないことになる。(ユダ・イスカリオテは落伍し、後に別の人物により補充された)
彼らだけは聖霊の証印を押される以前に、早くも「主の晩餐」に与るという稀なる立場にあったが、なぜだろう?

つまり、彼らはイエスに従い続け、親密で信頼の置ける者らであると既にイエスに認められていた。(ヨハネ15:16.27)そこでイエスは彼らと「王国の契約」*を特別に結び、それを通してイエスと十二人の関係は天でも格別なものにされたのである。(ルカ22:28*本文中「契約を結ぶ」との意で適切であろう

それはイエスの「あなたがたは天で十二の座に就き、イスラエルの十二部族を裁く」という言葉に表されているように読める。(マタイ19:28)

したがって、この(より早い復活を遂げる)十二の座から、残りの「新しい契約」に加入する者たちが吟味され最終的に立場を承認されるというように捉えることはけっして不自然ではないだろう。そうであれば、主に寄り添って来た十二使徒の「義」は、一人を除いてその後の聖霊注がれた他の聖徒に優って確定的だったことになろう。後にその一人の座は別の者の占めるものとなっている。(フィリピ3:11/黙示録21:14)(これは極めて稀なる高い権威ということができる)



-◆今日と将来の意義-----

ともあれ、ニサン14日の「主の晩餐」においてエレメントに与る理由があるとすれば、それは自分が「新しい契約」に与っているという誰にも明らかな証拠を伴っているべきであろう。彼らは天に召される者である。(ヘブル3:1)その証拠がないなら晩餐に与るものにはならぬ方がよほど良い。
パウロは『「裁き」を飲みまた食さないためである』と言っている。


つまり、聖霊の賜物の有無がそれを分けるのであって、イエスと一体になるという稀なる立場を弁えず、単に「天国に行きたい」であるとか、権威を身につけるための政治的方便であってもならないし、神の定めた救いの段階や、自分の身の程をわきまえぬ高慢や甘えが誘因であるとすれば、何を言うべきであろうか。(ヘブル5:4)

しかし、誰も食事に与らないからと言って「主の晩餐」を行わない理由も見出せない。
挙行することによって我々は「初穂」となる人々を忠節に待ち望むからである。
それはパウロが『創造物は切なる期待を抱いて神の子らが表し示されるのを待ち焦がれている』と書いたようにである。(ローマ8:19)


今日、参加者が誰も食べたり飲んだりしないとしても、「主の晩餐」の儀式のみをニサン14日に入ったとされる夜に挙行することによって、我々はその聖霊を持つ「聖徒」の到来に無関心でないばかりか、聖霊の再降下と彼らの現れを心底願っていることを神の前に示すという意義がある。
まさしく『求め続け、探し続けるなら』『父は聖霊を与えられる』と主は言われているのである。(ルカ11:9-13)

しかし、いつの日にか、真に聖霊を持つ人々が現れてエレメントに与るときに、それを喜べる一人となるなら真に幸いなことと思う。そこに人間によらない真の正義が到来することになり、我々は神の正義に信仰を示してそれを支持できるからである。(マタイ25:40/ゼカリヤ8:23)

今日、人類は誰が正義を持っているかを巡って政治や宗教の分野で争っているが、将来、聖霊を通し「神の正義」が現われることで、むなしい論争はひとつの論点に収束され、神か人の選択となるだろう。

そのときに主の晩餐がどのような働きをするのかは分からない。だが、古代エジプトでのペサハとキリストの最後の晩餐とのふたつを結ぶこの食事儀礼が徒ならぬものとなることは予感できる。
このふたつは共に民に隷属*からの開放をもたらす転換点であったし、祭司となる長子を贖っている。
*(エジプトの苦役と律法[罪]の頚木)

おそらく、将来においても「この世」への隷属の「虚無」からの民の開放へとつながるものとなるだろう。(創世記12:3/ローマ8:19)

キリストの流した罪のない血の中の魂は、まず聖なる者たち、それから人類全体の罪を贖い、神と人を結ぶ絆となって永遠に至る。それを理解する人々にとってニサン月14日は、今後もこの神の悠久の企図に深く思い致すべき、取り分けられ浄められた夜となろう。



                 新十四日派   © 林 義平


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その後の歴史
使徒ヨハネの晩年、小アジアにおいて年に一度、ニサン14日の晩餐は守られていたが*、周囲(特にシリア)はこれに異議を唱えた。それは反ユダヤ感情からくる非難であったが、ローマ教皇ウィクトルの時には小アジアの全体が排斥されるところまで進んだ。これはエイレナイオスの仲裁を得て和睦したが、後年のローマ国教化の後に姿を消してしまった。
(使徒ヨハネに従う小アジアのこれらの人々は十四日派「クアルトデキマーニ」と称された) ⇒ ウィクトルとポリュカルポス

今日、復活祭やイースターの聖餐の名で主日とされた日曜日に移動されたが、これは本来のものではない。
また、普遍教会において、ミサの秘蹟として平素パンのみの「聖体拝領」となったが、こちらも万人聖徒の謬見による不都合からのものである。 ⇒ コンスタンティヌスの裁定

日付の根拠
小アジアのポリュクラテスは、人々(ユダヤ人)が酵母を除くときを我々は守ってきた、と述べており、それはユダヤ人が「ハグ・ハマッツォート」(除酵祭)に入るニサン月の14日ブディーカト・ハメツの焼却を表していたと思われる。 ⇒ ポリュクラテスの反論


マッツォの作り方 -----
無酵母パンは全粒粉の小麦を用い、水を少しずつ含ませて捏ねてから数ミリの厚さに延ばすが、薄い方が焼きやすい。それから僅かのオリーヴ油をひいた鉄板で焦げない程度に焼く。ピザ生地のような小さい孔をあちこちに付ければ気泡で脹らむのを避けることもできる。⇒画像付き(エイレナイオスのブログ)

ぶどう酒はできるだけ混ぜたものでないものがよいだろうが、防腐剤の無いものも市販されている。

だが、それを食したり飲んだりすることは勧めない。
キリストの死を観想し一定の時を過ごしたら、エレメントの働きは象徴的に終わるので、パンは処分し、ぶどう酒は地に注ぐのがよいと思われる。

試食、試飲なさりたくば、晩餐を挙行する動機の純粋性のために、別のものを別の時に試されるがよろしかろう。
無酵母パンの味は「苦悩のパン」と呼ばれただけあって、けっして美味ではない。


ポリュカルポスとアニケトゥス
ディダケーに描かれる主の晩餐 
主の晩餐で忘れられてきた二つの意義
血の禁令を超える「主の晩餐」
無酵母パンから生じるエクレシア
据えられた隅の親石の完全さ


 ◆本ブログの記事一覧











主の記念 

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聖霊と火のバプテスマの異なり



聖霊と火とによるバプテスマとは何だろうか?


これら二種類はまるで正反対の結果をもたらしたが、この頁では「聖霊のバプテスマ」とその意義、そして、「火のバプテスマ」がそれぞれ何を意味するかを書き出してみよう。



さて、その言葉はマタイ3:11とルカ3:16にある。


では、バプテストのヨハネの述べた「わたしはあなた方(ユダヤ人)に水でバプテスマを施すが、わたしの後から来られる方はあなた方に聖霊と火でバプテスマを施すであろう」と言ったこの件の意味について記したい。

バプテストのヨハネが、モーセの律法契約にあったユダヤ体制の終わりを印付ける仕方で現れ、ヨルダン川の水を用いてユダヤ人のみに「悔い改めのバプテスマ」を施した意義について、およびキリストの水のバプテスマについては、以前の拙文「バプテスマの意義は・・」を参照されたい。


本稿ではヨハネによって予告された「聖霊と火とによるバプテスマ」の意味は何かを明らかにしたく思う。



-◆聖霊のバプテスマ--------


まず、「聖霊と火」の「聖霊のバプテスマ」の方の実体が何かということのはじまりを言えば、これはイエスが刑死を遂げて弟子らの見守る中、天に戻ってから十日後、ユダヤの祭礼である五旬節つまりペンテコステ(シャヴオート)の日の午前に起こった事柄を以って「聖霊」のバプテスマが開始されている。(初学の向きは使徒言行録2章を参照されたい)


そこで起こったことは百二十人ほどの弟子の頭の上に見える「火の舌のようなもの」がそれぞれに配られ、彼らは様々に異なった言語で「神の壮大な物事」を語り始めている。それは個人的な神秘体験という心理作用の範疇を超えて、誰の目にも明らかな奇跡であり、ナザレのイエスをメシアとして知らせる力強い布告の、世界に向けた開始であった。


即ち、モーセを仲介者としてイスラエル民族と結ばれた契約は、キリストを迎えて大きな転換点にあったのである。


そのとき、ペテロはその奇跡に見入るユダヤ教徒らに向かってこう言っている。

『イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。』(使徒2:33)



だが、バプテストの語っていた『聖霊と火とのバプテスマ』の『火』を、このときの『火のような舌』の『火』と同じく見做して良いものであろうか?

これについては以下に見るように、「聖霊のバプテスマ」にせよ、「火のバプテスマ」にせよ、バプテスマを施す人として現れたヨハネの真意を探ってゆくと、そこにはっきりと見えるものがある。 


さて、シャヴオートの日に聖霊が降下するに際し、非常に強い「大風が吹き付けるような轟音」が響き渡ったので、祭りのために都に登っていた外地からのユダヤ人たちが、何事かとイエスの弟子らの居る場所に大勢集まってきた。(ヨハネ3:8)


既にユダヤ内地の者らは、メシア殺害を通してその大方の態度を表しており、そこで神の福音は外地(離散)のユダヤ教徒に向かい、その注意を促してゆく。(使徒2:5)

彼らはそこにいる百二十人ほどのガリラヤ人たちが、自分たちのそれぞれの居留地の外国語で、神の事柄を話しているのを聞いて大いに驚いた。


これはその後「異言」(グロソラリア)と呼ばれる超自然の能力で、「聖霊の語らせるまま」に外国語を話す「賜物」である。

パウロの言から分かることは、この『異言』という賜物は没我のトランス状態や熱狂に入るものではなく、当人の制御できるところのものである。(コリント第一14:14-)


使徒言行録のこの日の事は本当に起こったことではないと断ずるなら、以後のキリスト教はもはや真正な存立をみることができないほど重要な事象なのである。

多くの人々が、この五旬節の出来事を以ってキリスト教の出発点と看做すほどである。(フランスのジャン・ダニエルーをはじめ、歴史・教父学者はグロソラリアが実際にあったと想定している)


これがバプテストのヨハネによって語られていたキリストによる「聖霊と火」の「聖霊」によるバプテスマである。



-◆聖霊のバプテスマの意義----------


聖霊降下の意味するところは、モーセの律法によってユダヤ=イスラエル民族の中に取り込まれていたヘブライの崇拝が、新たな契約によって諸国に向けて広げられる予兆、また神の意図であろう。(ルカ13:29/使徒10:35)


復活後の主イエスはこう言われている。

『聖霊があなたがたに降る時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまでわたしの証人となるであろう』(使徒1:8)


聖霊降下の出来事は、本来アブラハムの子孫であるイスラエル民族のためのものであり、キリストの世代が終わるまで、エルサレム神殿でが存在し、神への崇拝が行われてはいたが、その間に、キリストの犠牲が一度限り捧げられ、律法墨守のユダヤ体制に聖霊が降ることは遂に無かったのである。(ダニエル9:27/ヘブル7:27)


だが、ヨエルの預言が語るように、イスラエルの子孫は霊を受けることにより、祭司や預言者でなくとも平民も女も若い者から奴隷であれ霊を受けて預言をするという奇跡が、あのシャヴオートの日から成就した。それはイザヤも預言していたところであった。(ヨエル2章/イザヤ44:3)


そこで、あの五旬節の日から、新たな崇拝の方式が興されている。

そのときには、まずユダヤ人のためにこの新しい崇拝へと門戸が開かれていたので、神殿での古い崇拝も並行して存在してはいたが、その旧来の律法体制に聖霊が注がれることはなく、むしろ霊が示すように、新たな崇拝はイエス派の中に始まっていた。(使徒4:27-31/ヨハネ4:21-23)


それがユダヤ、サマリア、世界へと次第に広がったエクレシアの場を通し、聖霊の奇跡が行なわれる、より高度な崇拝方式で始まりであった。 即ち動物の犠牲によるモーセの神殿祭祀が終わる時期となる一方で、一度限り捧げられたキリストの犠牲は、『霊と真理をもって崇拝』する時代を到来させたのであった。(使徒1:8/ヘブル8:7)


即ち、キリストがサマリア人の女に語られた『この山(ゲリツィム)でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る』との言葉の通りとなったのである。


 

さて、エクレシアで聖霊のバプテスマを受けた者たちには非常に多くの恩寵がもたらされた。

彼らには、この異言の賜物ばかりでなく、その異言を「翻訳」する賜物、「預言」といって神からの言葉を授かり、将来に起こることを予告したり、人の秘密を知ったりする能力もあった。更に使徒らには強力な癒しの能力が与えられ、ペテロやパウロは死人を生き返らせてもいるのである。即ち、予告されたようにキリストの業は使徒や直弟子らの中に継承されたのである。(コリント第一12:7/14:24/ヨハネ1:47-)


また、「知識」の賜物を通しては、新たな教義に関する情報を得たのであろう。

こうした様々な能力はもちろん本人に属するものではなく、文字通りに「賜物」であり、まったく上から与えられたものである。『真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる』と主も予告されたようにである。(ヨハネ16:13)


この格別の『聖霊』の注ぎについては、以前から将来に起こる事としてヨエルやイザヤなど旧約の預言者らも「回復の預言」の中に指し示していたのであるが(ヨエル2章/イザヤ44章)、イエスは自らの弟子たちに与えられることになっていたこの『聖霊』を予告して、弟子たちの「助け手」(「パラクレートス」)と呼んでおり、これが彼らに師の業を続行させ、真理を教え、主の言われた言葉を思い出させるとも言っている。(ヨハネ14:16/26.14:26)


しかし、意義はさらに大きく、そのことをイエスはヨハネ福音書3章でこう言われる。

『水と霊から生まれなければ、だれも神の王国に入ることができない。肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれた者は霊である』(ヨハネ3:5)


この言葉は、コリント第一の手紙15:49に通じるものであり

このようにある『我々は塵で造られた者の様相であったように、天の者の様相を帯びるのである』


また、使徒のヨハネはその第一の手紙で『彼(イエス)が現されるときに、我々も彼の様になることを知っている』と言う。(3:2)


これに調和するように、ペテロの第一の手紙では『肉体における残された時を・・神の意志に従って生きる・・』ことを記している。(4:2)

聖霊を授かることはいずれ肉の体を後にし、霊者としての新たな命に入るというのであるから、これは徒ならぬことである。(コリント第一15:50-54/ペテロ第一1:23)


つまり、彼らは人間としては必ず「死」を経なければならない。・・このことを訝る方がおられるのは承知している。

言うまでも無く一般の常識では、人は必ず死ぬからである。


ではあるが、聖書では死を経験しないで済む人々が存在するのである。イエスは兄弟を亡くしたマリアにこう言った。『生きていてわたしに信仰を持つものはけっして死ぬことがない』(ヨハネ11:26)

これは終末の時に生きている人々のことを言うのであるが、人の世界では達し難い事ではあるけれども、人の常識がすべてなら神は無用であろう。(マルコ12:24)


一方で、聖霊を受けた弟子は霊の生命に移るに際し、肉体においてまさしく死を迎え、アダムからの命を必ず捨てなければならない。これをパウロは『キリストへの死のバプテスマ』と呼んだ。(ローマ6:3)

バプテスマにおいてキリストと共に『葬られた』のは、『水と霊から』キリストの復活された永遠の命によって『再び誕生』し『共に生きる』ためであり、この聖霊を受ける弟子たちが、将来に肉体から霊体へと移り変わる定めを受け入れたことの象徴表現と言える。(ローマ6:4) ⇒「無酵母パンから生じるエクレシア」


何ゆえ、このように人間であることを止めるべきかについては、神の「人類全体が、神の創造物(子)として立場の回復する」と定められた期間における、全人類の支配や贖罪の計画、即ちキリストの宣教の主題であった『神の王国』、それが聖霊のバプテスマを受け『新しい契約』に入る弟子らに関係しているのである。(ヨハネ1:12/エフェソス1:10/フィリピ2:10)⇒「キリスト教の目的」



-◆『天の王国』に召される聖なる者ら

 

この全人類の祝福となる人々は「アブラハムの子孫」と呼ばれる。

なぜなら、早くも創世記に於いて、神はアブラハムにこのように言われたからである。

『地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。』(創世記22:18)


即ち、アブラハムの子孫イスラエルが、他の諸国民の祝福する選民となるのであり、それこそが『諸国民よ!主の民と共に喜べ!』というよく知られた聖句の真意である。

彼らアブラハムの子孫は地上の神殿ではなく、キリストを隅石とする、聖霊を受けた『聖なる者ら』という石で構築される天界の新たな神殿となって、将来に人類全体の罪の赦しを備えるということである。(ペテロ第一2:4)


だが真実のイスラエルとは血統上のイスラエルを意味しないことはパウロが語るところであり、こう書いている。

『イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではない』(ローマ9:6)


このユダヤのメシア信仰の拒否が何をもたらすかについては、やはりキリスト自身も血統のイスラエルに警告していたことであった。
『多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする』(マタイ8:11-12)


その一方で、使徒パウロはまったくイスラエルでなかった異国の弟子らにこう書いている。

『あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族である』(エフェソス2:19/ペテロ第一2:10)


何が彼らのような非イスラエル人を、聖なる民としたのだろうか。パウロはこうも記す。

『あなたがたを聖なる者とする霊の力と、真理に対する信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。』(テサロニケ第二2:13)


つまり、聖霊を受けた彼らこそが真にイスラエル、全人類の祝福となるという「アブラハムの子孫」であり、律法によらず信仰によって神に選ばれた『神のイスラエル』という血統のユダヤとは異なる新しい神の選民、人類の中からの初穂として、人類より一足先に救いを得た、格別な役割を担う民となるというのである。(創世記22:18/ローマ4:12/ガラテア6:6:15-16)


神は、アダムが最初に享受していた創造者との自由な「子」の関係に全人類を復帰させるために、自らの創造の初めである「初子」を仲介者として立てた。この仲介者がまず人々の間に宿りキリストとしてユダヤに来られた。(ヨハネ1:12/コロサイ1:15-/テモテ第一2:5)


人類には神との間を隔てる「罪」(原罪)の壁がアダムの時から存在しているので、人は生きる限り無罪では済まず、神とは断絶状態にさえある。(ローマ6:7/イザヤ59:2)

そこで、キリストと共なる新しい選民『アブラハムの裔』が存在する意義がある。



-◆世の罪を除き去る祭司団 -----


モーセの律法が動物の犠牲を要求したのは、あらゆる人間には「罪」があり、犠牲を介さなければ神に近付き得ないことを教えるものではあったが、エルサレムの神殿の祭祀は人の罪を実際には浄めることはなかった。(ヘブル10:4)

だが、『罪』からの清め無くしては、世界の人々を祝福する『聖なる民』また「アブラハムの子孫」も現れないことになってしまう。


しかし、エルサレム神殿の崇拝方式が模型のように指し示していた真実な実体があり、それがキリストを大祭司とする天の祭司制度であって、即ち、実際に人の罪を浄め、『神の子』へと復帰させる『神の王国』という手段である。(ヘブル8:5)

そこで、聖霊を受けた聖徒らが『キリストを親石に』『神殿の石となる』といわれる理由が生じる。(ペテロ第一2:4-5)


これがまさしく、キリスト・イエスが『神と人との間の仲介者』と言われる所以である。(テモテ第一2:5)


神はキリストを任じ、千年続く『神の王国』を樹立して、これが生ける人々を罪から贖うための手段とされるのだが、この「王国」の、アダムからの人類の罪を赦すシステムは、モーセの律法の中、ユダヤの祭司制度の中に動物の犠牲を通して模型的に予告されていたのである。(黙示録20:6)


そして『新しい契約』に預かることで、『聖霊』のバプテスマを受け初めに清められた人々がいる。キリストの弟ヤコブは、彼らを『人類の初穂』であると記している。(ヤコブ1:18)

こうして彼らの天にゆく理由もはっきりと見えてこよう。即ち、彼らが天で大祭司キリストの下で祭司となって地上に残る全人類の贖罪に貢献するということである。使徒ペテロは、『聖霊に浄められた』弟子らを確かに『祭司』と呼んでいる。(ペテロ第一1:2・2:9)


キリストの地上での宣教も、ただ信者を募ったのではなく、これらの「祭司となるべき人々」を集めることにあったが、それこそは『地上のすべての支族が自らを祝福する』というアブラハムの末裔『神のイスラエル』『祭司の王国、聖なる国民』をまずキリストの宣教の業においてパレスチナのイスラエル民族から集め始めていたのであり、それは単に信者を集める宣教ではなかった。(使徒13:46-47)


しかし、血統上のユダヤはメシアと共にアブラハムの末裔を集めずに却って散らし、イエスを信じる充分な人数をユダヤ体制は出さなかったので、エルサレムは、このように主から指弾されている。

『めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。』(ルカ13:34)


ユダヤ教の体制派が、どのように集めるキリストを妨害したか、といえば、それは聖霊による奇跡を悪霊の頭の業だと誹謗し、信仰を働かせるユダヤ人が現れることを邪魔したことによる。

そこで主イエスはこう言われたのである。

『わたしの味方でない者は、わたしに反対するのであり、わたしと共に集めない者は、散らすのである。』(マタイ12:30)


聖霊が使徒らや初代の弟子らにもたらす奇跡の業が、まさしくユダヤ体制派の嫉妬を買っていた様は使徒言行録に明らかであり、使徒らが宣教に赴いた外地のユダヤ教徒らからさえも反対を受けたことが同じく記されている。


そこでキリストの業を受け継いだ使徒らは、ユダヤ教徒を後にして諸外国への宣教に向かうことになる。その宣教も、ただ信者を募るものではなく『アブラハムの末裔』を集め出すという意義深い目的があった。


それであるから、パウロはバルナバと共に宣教を妨害する外地のユダヤ人にこう言い放ったのである。

『神の言葉は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから向きをかえて、異邦人たちの方に行くのだ!』(使徒13:46)


そして「イスラエル」という本来人類の祝福となる民の不足する人数を満たすために『接木』が行われる。

即ち、初期の弟子らの宣教の目的は、異邦諸国民から信仰ある人々を『神のイスラエル』に集め召し出し、『諸国民の光』となる『神の王国』を目指すことにあった。(ローマ11章)

この点で、使徒ペテロは主から授かった『鍵』を用いて、異邦人にも聖霊が降るよう取り計らっている姿が使徒言行録に見える。(使徒1:8/8:14-16/10:44-47)


こうして天界の大祭司キリストが従属の祭司となるべき人々に天から聖霊を注ぎ、その人々は聖霊の奇跡の賜物によって浄められ、「罪」を許され、人類に先立って『神の子』と認知されるに至った過程はレヴィ記16章の『贖罪の日』の取決めの中に予型されている。


即ち、律法で定められた『贖罪の日』の儀式では、まず大祭司自らの罪を牛の血によって除き、次いで従属する祭司たちの罪が贖罪され、そうして後、これら祭司団の働きによって民の全体が贖罪に預り、こうしてすべてが神の御前に「罪」を許されるという図式があった。


つまり、『新しい契約』は、大祭司キリストと従属の祭司団を天に召して、聖霊を受けた人々で天界の神殿が構成される将来に『神の王国』という、全人類の贖罪を行うアブラハムに予告された一大事業に乗り出すことになるのである。その人類の祝福は、創世記で繰り返し神がアブラハムに言われていた通りである。(創世記22:18/コリント第二5:19)


そこで新約の民、聖霊を受ける人々こそが『選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民』と使徒ペテロが言うのである。つまり、モーセの律法契約が目指した『聖なる民』の出現は、キリストの『新しい契約』によって遂に実現し始めたことを使徒たちが知らせているのである。


使徒ペテロは、当時の聖霊を注がれた弟子たちについて、『あなたがたはサラの子になった』とも言っている。それはつまり、真実のアブラハムの子孫となったと述べているのである。(ペテロ第一3:6)


しかし、これは誰でも信仰を抱けばそうなるというわけではけっしてなく、それが契約である以上『多くを委ねられた者には多くが求められる』のであり『入ろうと努めながら入れない者は多い』とも主は言われている。(ルカ12:48/マタイ22:14)


したがって、キリスト教徒が聖霊を受けることは人類全体の『贖罪』の始まりに過ぎず、聖霊を受けることがけっして最終目的の「救い」なのではない。彼らは天でキリストと供なる祭司団また王たちとなるために(黙示録20:6)、人類に先立ってアダムからの罪をまったく贖われる必要があったが、肉体のままではその「罪」が消えることはない。地上に肉体で残る人類のために、聖霊を受ける者らの天での奉仕が必要なのである。(ヤコブ5:16/ヨハネ第一1:8)



-◆聖徒の立場と義務 ------


そこで『新しい契約』が、聖霊の印ある者についてのみ、地上での「義」と「救い」の仮の承認を彼らにもたらしたのである。その代価が貴重なキリストの血であった。(エフェソス1:13-14)

それゆえ、使徒ヨハネが『まだイエスは栄光を受けておられなかったので、霊はまだ下っていはなかった』と述べた理由は、聖霊の注ぎがキリストの犠牲の死の栄光を要したからに他ならない。(ヨハネ7:39)

確かに『水と霊から生まれる』『聖なる民』が、人類からの『初穂』と呼ばれるに相応しい。彼らは『キリストに在って生き』、イエスを『とこしえの父』とした。(ローマ8:23/ヤコブ1:18)


それで、聖霊を賜った「聖なる者ら」に『有罪宣告はなく』(ローマ8:1.30)、その『救い』も聖霊を通して既に開かれている。しかし、それは『聖なる者』として相応しく生涯を終えるという条件付きのものであり、「契約」とは常に不確定な事柄について締結されるものである。


そこで彼らは、『その召しに相応しく歩む』(エフェソス4:1)ことが求められており、一定の道徳規準を満たし、レヴィ族の祭司のように聖なる者であるべきで(コリント第一6:9-11)、『狭い戸口から入るように努める』べきである。(ルカ13:24)


その『新しい契約』は『聖なる者』らを天へと召すものであるから、当然に聖い状態で『染みも傷もなく、安らかな心で、神のみまえに出られるよう』に生涯を終えるべきであり、彼らは死に至るまでのキリストへの忠節を全うし、全人類を贖い、治めるに相応しいことを実証することが要求されている。(ペテロ第一3:14/黙示録2:10)


つまり、彼ら『聖徒』の務めは人類の贖罪と、その間の管理(支配)ということができる。彼らは主と共に『神の王国』で『千年の間支配する』のである。(コリント第一4:8/エフェソス1:10/黙示録20:6)


それに対して、バプテスマを受ければ誰でも「聖霊」を受け、キリストが内住してくれて、自分を幸福へと導いてくれるという教えは、根本において正反対である。なぜなら、関心の対象が神の全人類への救いの大志から、身近な自分たち自身の幸福に置き換えられるほどに異なってしまっている。つまり、利己心か、利他心かというほどに『聖霊』の見方ひとつで、その信仰の精紳は根本から異なるのである。



さて、信徒の中でも『聖霊』に与る選ばれた者は、大祭司キリストと共になる祭司となる人々であるから、キリストと霊の体を共にする象徴として『主の晩餐』でパン種のないパンを分け合い、誰よりも早く最初に罪(原罪)を相殺される象徴として、また『新しい契約』の発効させるために必要な『犠牲の血』を表すところの葡萄酒を飲み合うのである。(ヨハネ6:53-58/ヤコブ1:18/出埃24:8/ローマ8:1)


その『新しい契約』は、彼らが地上でアダムの命を持つ「肉」の状態である間から「義」を信用貸しされるためのものである。(コリント第二5:10)それゆえにも彼らは『聖なる者』(ハギオス)と聖書中で呼ばれるのである。

つまり、天に戻ったキリストは、自らの犠牲を携えた大祭司としての最初の贖罪を、従属の祭司となるべき彼らに行ったので、聖霊の賜物を受けた聖徒らは人類に先立って『義』を得て『救われた』状態に入れられるのである。(マルコ14:22/ヨハネ6:56)


彼らは『召された人々』(ヘブル9:15)アブラハムの『相続財産を受け継ぐ者』(ローマ8:17)『聖なる者』(あるいは『聖徒』)(エフェソス1:1)『キリストに与えられた者たち』(ヨハネ17:24)であり、ペテロが『あなたがたは王なる祭司、聖なる国民』と指摘したように、律法上のレヴィ族のような『神の特別な所有に帰する民』である。(申命記26:19/民数記3:12)

彼らの『神の子』としての身分の証しは注がれた『聖霊』であり、死後キリストと共になる事への事前の保証(手形)であると、パウロが異邦人に宛てたエフェソス書簡に明言されている。(エフェソス1:13-14)


終末に、キリストの「臨御」(パルーシア)が起こり、主が象徴的に地に帰還した後、聖徒として死んで眠っていた者らには天で霊の体に再生することを許される者があり、地上では聖霊を授かって生きている者らも(今は居ないようだ)、承認を受けた者は直接に肉の体を解いて天に行き、そこでイエスと共になるよう召されることになる。こうして集められる『アブラハムの裔』はキリストの許に集合し、いよいよ人類を贖罪する『神の王国』の千年支配の始まるを見るというのが、聖書全巻に亘る奥義となっている。(テサロニケ第一4:14-/ダニエル12:2)


キリスト教徒は終末になると、誰でも天に召されるということにはならないが、聖霊を受けなかったならとて、地に残されることを何も恐れる理由もない。やがて『神の国』の贖罪に与ることができるのである。しかし、聖霊があってなお地に残されることは「新しい契約」不履行の罪を恐れなければならない。(マタイ24:40-41)


天に召される聖霊ある人々は、肉体という『幕屋』を解いてキリストの御許に集められるが(コリント第二5:1-)、それは新たな誕生となり、霊の身体を得てキリストと共に生きる者となるという。(ローマ8:1-2/15-17) 


それゆえ彼らは『キリストの兄弟』であり『共同の相続人』であるとも言われる。(ヘブライ2:10-17)

だが、『神の子』 の立場は彼らだけでなく、神がアブラハムに告げられたように、最終的には『神の王国』の贖罪を通して全人類にも差し伸べられるものである。(ヨハネ1:12)


このように、「聖霊と火」の「聖霊」でバプテスマを受けるとは、「人類の贖罪」というキリスト教の根幹たる神の御旨に祭司として預かることを意味するのである。(ヘブル2:3-4)



-◆火のバプテスマ-----------


さて、聖霊に対する『火のバプテスマ』については、もう一度バプテスマのヨハネの言葉に戻り、その続き見てみよう。


『その方(イエス)の手には煽り分ける道具があり、ご自分の脱穀場をすっかり掃き清めると、小麦は蔵に納め、籾殻は消えない火で焼き払うであろう』(マタイ3:12)


これはユダヤ人に対する痛烈な警告である。

ヨハネはまたこうも言っている。

『 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。』

『斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。』(マタイ3:9-10)


アブラハムの嫡流子孫であるユダヤ人にこそ、正統に千年王国のキリストに伴う「王なる祭司」の「聖なる国民」となる機会が開かれていたが、当時のユダヤ体制の『ねじけた世代』は却ってイエスを退けることによって、血統上のユダヤ民族全体としてはこの類まれなアブラハムの遺産を遂に放棄するのである。(創世記12:3)

その原因は、アブラハムの子孫には不似合いな『不信仰』であった。(ルカ22:67)


もちろん、これらメシアを拒絶した多くのユダヤ人の上に聖霊の降下は無かった。

あのペンテコステの日に、ペテロが『バプテスマを受ければ聖霊に与る』と語った相手は信仰を抱いたユダヤ人であり、すでに律法契約にあり『契約の子ら』であるとペテロもそこで言っている。彼らこそはイスラエルであり、イエスをメシアとして信仰を持つことで、そのままに『新しい契約』に移行でき、『救われる』状態にあった。(使徒2:38-39)


だが、大半のユダヤ人はこれほどに有利な立場をアブラハムから相続していたにも関わらず、イエスをメシアとして信仰せず、水のバプテスマを経て聖霊のバプテスマに至った人々は僅かで、むしろ、体制としてのユダヤのその不信仰な『世代』には、『アベルから祭司ゼカリヤ*まで』の殉教者らの血の清算が求められたのである。(*歴代第二24:22/ルカ11:51)



-◆ユダヤ体制という籾殻に臨んだ火のバプテスマ


その世代のうちに起こった恐るべきこと・・

それはイエスの刑死から『この世代』の内に、即ち四十年を経ない西暦七十年に到来した。(マタイ24:34)


ユダヤとガリラヤ、そしてエルサレムがローマ軍に徹底的に蹂躙され、美麗なる聖都であったエルサレムは更地のように破壊され、神YHWHの神殿は火炎に包まれて以後再建されていない。ユダヤ人は『剣の刃に討たれ、奴隷となって諸国に売られ』、以後は流浪の民となってしまった。(ルカ21:22-24)


それまで存続していたモーセの律法制度による神殿での動物の犠牲を中心とした祭儀は、神殿の破壊と共に終了を余儀なくされたが、その以前にキリストの犠牲が、既に神殿の祭儀の意義を失わせていた。(ヨハネ4:21/ダニエル9:27)


そして、「バプティゾー」が「浸す」を意味するように、ユダヤの律法による千年以上の永きにわたった体制も、『火』に浸されたことになる。つまり、全き滅びを被ったのであった。


モーセの崇拝体制は神殿のないままに今日まで二千年を経ても未だ再興されていない。既にキリストによる『霊と真理による崇拝』に置き換えられたからであれば、今後も地上の神殿と動物の犠牲も再開はしないであろう。例えもし、神殿が再建されるような事があったとしても、キリストの犠牲の後に、今更に動物を捧げるどんな意味が残っていよう。(ルカ19:41-/23:28-/マタイ24:2/ヘブル10:1-4)


メシア殺害があって後、律法の警告の預言は成就し、遂に『約束の地』はこの民族を『吐き出す』に至ったのであった。(レビ20:22) 


それはバプテストの言う『籾殻が焼き尽くされ』たかのようにである。

こうして「火のバプテスマ」の方が理解される。

 

ユダヤ祭司体制の終焉は、モーセが命じた『繰り返し捧げられる動物の犠牲』を終わらせ、一方で、神は大祭司キリストに基づく天の神殿での贖罪を開始させていた。即ち聖霊を降下させ従属の祭司らを集め始めたのであった。キリストが「集めた」者、また「父から与えられた者」とは、真の意味での『アブラハムの子孫』であった。(ルカ19:9)


爾来、「火のバプテスマ」によって聖域を失ったユダヤは、律法の完全な履行が明らかに不可能となってしまった。ユダヤ教徒たちはその後もメシア=キリストを待ち続けているが、二千年後の今日までメシアは現れてはいないし、神殿も失われたままである。例え再建されたとしても、既にキリストの完全な血の犠牲が捧げられた以上、今更、動物の血の犠牲は「退行」にしかならず、キリストによって更新された天界の祭司制度に無益に抗うものにしかなり得ない。もはや、神は何者の血も求めることはない。(ヘブル9:25-26)


だが、ナザレのイエスをキリストと認め信じるユダヤからの人々は、キリストの預言の『山に逃れよ』との言葉に従い地上のエルサレムを見切って「山地」デカポリス地方に避難した記録があり、この神殿と律法体制の処断の「火」を免れている。(マタイ24:16)

そうしてユダヤ体制への神の決定的断罪と絶縁から逃れ出、その以前に「小麦」として「蔵」に納められるべきものとされていたのであった。(マタイ3:12)

穀粒と籾殻の違いには、まことに大きな差があるもので、エレミヤ書で神は『夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。もみ殻と穀物が比べものになろうか』と言われる。(エレミヤ23:28)
真実と偽りの預言者ほどに異なると言われているのである。


そして、その聖霊降下の始まった時期にはユダヤの体制の終わりが近付いていた。ユダヤはメシア拒絶により律法体制はその契約の辿り着くべき目標を見失ってしまった。それは聖霊の降るときに『日は暗く、月は血に変る』というヨエルの陰鬱な言葉に相当するであろう。(ヨエル2:30-31/使徒2:17-21)


しかし、その中からでもヨエルの言うように『シオンの山とエルサレムとに、逃れる者があるからである。その残った者のうちに、YHWH*のお召しになる者がある』。(ヨエル2:32)*発音不明の神の御名


この人々が前記の『聖霊と火』の「聖霊」でバプテスマを受けたユダヤの人々である。一方で『火のバプテスマ』を受けたユダヤの体制は、キリストが『三年世話をしても実を付けないイチジクの木』であり、イエスを通して示された「父の業」即ち聖霊による奇跡を三年半のキリストの公生涯のあいだに見ても、ユダヤ体制の全体がキリストに信仰を示して聖霊を受け『聖なる国民、祭司の王国』となることは遂になかった。(ルカ13:6-9/マタイ21:19)

もし、律法契約が『聖なる民』という目的に達していたなら、『もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかった』とも『神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言された。年を経て古びたものは、間もなく消えうせる』ともヘブル書筆者は言わなかったに違いない。(ヘブライ8:7・13)


律法に固執し続けた血統のイスラエルは、イエスをメシアとして認めなかったために『諸国民の光』となって『地のすべての民のすべてに祝福』をもたらすというアブラハムの相続財産を、体制としてまったく逸したのである。(創世記18:18)


やはり、ルカ福音書はユダヤ体制の滅びの原因をメシア拒絶に特定しており、『敵がおまえの周囲に柵を作り、攻囲して四方を閉じ込んでしまう日がやがてくる』というイエスの言葉を記している。それがキリスト後に現実の惨禍となったことをまさしく目撃したヨセフスがユダヤ戦記に詳細に述べている。(ルカ19:43)


そのルカ書にもマタイと同様に、メシアは『手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。』 とのバプテストの言葉を伝えているのであり、この「火のバプテスマ」が何を指すかは動かし難いことである。(マタイ3:12)


バプテストのヨハネの語った『その方は聖霊と火とによって、お前たちにバプテスマをお授けになる』というのが、本物の滅びの火ではなく聖霊が 火のように下ったことを表していると教えられる教会や宗派が多いのは承知している。

だが、バプテストの、聖霊か滅びかの予告と、あの五旬節の朝に『舌のようなものが、炎のように分れて現れた』という聖霊の降下の姿とを混同するなら、バプテストの語った当時の背景とユダヤへの意図を無視しなければならない。即ち、「そうではない」と言うなら、マタイやルカなどの新約聖書の筆者らの意図を無視しなければならなくなるではないか。

 

聖霊が火であったのは、あのペンテコステの日の百二十人以外には聖書に『炎ような』との記載はほかに無いのであり、『霊の火を絶やすな』というパウロは、『聖霊を嘆かせるころとのないように』とも訓戒しており、聖徒らに注がれた聖霊に相応しく行動することを促す言葉と捉えるのが自然といえよう。聖霊はむしろ『風』や『息』として描かれることがほとんどである。(テサロニケ第一5:19/エフェソス4:30/ヨハネ3:6-8/20:22)


マタイやルカにある「聖霊と火と」をペンテコステの『炎のような舌』と混同してしまえば、その「ただ、ありがたいばかりの教え」は、バプテストによるユダヤ人への重い警告という意義を欠くことになる。それは多くの「クリスチャン」方に在りがちな皮相的なご利益信仰というべきであろう。

(それでも「その方が良い」と思われる向きは、それが個人の倫理的決断であろう)


このバプテストの言葉によって、当時にユダヤ人らにはメシアの成し遂げる優れた祝福と、恐るべき裁きとをそのメシアを紹介するに当たり激しい言葉で強く警告されていたのであるが、大半のユダヤ人はイエスを退け、その後も体制としては真実なメシア信仰を欠いて、イエスの仲介する『新しい契約』への道に入ることなく、ユダヤは聖霊を受けた一民族『聖なる国民』『神のイスラエル』となるにも及ばなかったのである。(ガラテア3:24/6:16)


使徒ヨハネはこう書いている。

『神を信じない者は神を偽り者としているのだ。神が御子について証しされたのにそれを信じないからである。』(ヨハネ第一5:10)


つまり、メシアであるイエスに信仰を置かなかった当時のユダヤ体制は、モーセの律法順守による救いに固執し、旧約聖書を暗記してさえいながら、遂に救われなかったのであるが、その原因は、救いというものが、知識ではなく価値観を働かせ、現れたメシアに信仰を持つことであるとは理解しなかったからである。(ローマ9:32)


しかし、ヨエルの預言は、イスラエルの末孫に神の霊が注がれることだけではなく、『その日わたしは、わが霊を下僕ら下女らにも注ぐ。』とも付け加えていたが、それは、ユダヤの家の者ではない異邦人によく当てはまる。(ヨエル2:29)


そこで、キリストは地上に残った使徒らやパウロらを用いて、真実に選ばれた聖なる民、『神のイスラエル』の一員となる選びを、イスラエル民族だけでなく、聖霊降下を通してメシアへの信仰を働かせた異邦諸国民へと広げてゆくのであった。(ガラテア6:16)


主イエスはこれについて、ユダヤ人ではない『多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする』と言われる。(マタイ8:11)


また、復活の後の世界宣教を弟子らに命じるに当たっては『地の絶え果てるところまでが、わたしの証人となるであろう』とも言われたのである。(マタイ8:11-12 /使徒1:8)


そして、パウロはこの異邦人による流入を「接木」に例えている。(ローマ11章)

つまり、これらキリストの使徒らによる活動も、彼らの主の活動に同じく『神のイスラエル』である信仰深いアブラハムの内面の子孫を召し出すための諸国民への宣教であったのだ。(ガラテア6:16)


歴史に残された様々な資料は、奇跡の「聖霊の賜物」を持った諸国の人々が居たことを教えているが、アウグスティヌスの頃にはとうに過ぎ去った過去のことになっていた。その人々は「聖人」と呼ばれて今日に伝えられ、カトリックの伝承の中に、奇跡を行い殉教したという人々として痕跡を残している。


いや、この点で言えば、第三世紀のオリゲネスですら、聖霊を持つ人々を過去のものとして語っており、西暦第二世紀中頃までについて語る資料だけが、この格別の「賜物」を有する人々について告げるのである。




-◆聖霊を受ける者の現れを待つ-----------



そして今日、初期の人々のような姿で「聖霊のバプテスマ」を受けた人を筆者はやはり見ていない。

初期の奇跡を行う聖なる者らの痕跡であるカトリックの「聖人」、即ち、複数の奇跡を行い、その多くが殉教者であったこの人々が、自分の人生の導きや益を専らに求めるご利益信仰者であったと言えるだろうか?


そしてその奇跡の『賜物』はトランス状態に陥るものでなく理性的であり、自らの意識を保持し、霊の働きを制御できたことをコリント前書は描き出し、『神は無秩序ではない』ゆえに一人一人が順に話すよう訓戒している。(コリント第一14:26-33)

しかも、その聖霊の語らせる内容は、終末に於いて人類に重大論争が生じるようなものである以上、明確に理解されるべき音信が語られるに違いない。

即ち、その聖霊の発言は福音書が述べるように世の支配権に関わるもので、為政者との対立を生じさせるというのである。(マタイ10:17-)


だが、世界にそのように明白なものを未だ聞いていない。

聖霊を注がれる彼らはそこで聖霊によって語るのだが、宗教家ではなく政治家の前に立つからには、彼らの音信には『神の王国』の支配に関わる内容が込められるのであろう。(ルカ21:15)*(マルコ13:9-11/マタイ10:16-19などを参照、宗教的対立ではないようだ)



では、将来再び『聖霊か火か』のバプテスマを受ける人々が現れるだろうか?

つまり、キリスト教界が古代のユダヤの体制のように、「聖霊」か、あるいは「火」かの洗礼を浴びる日が来るのだろうか?そうかもしれない。いや、そのようになるのであろう。(マラキ4:1-/ヨハネ3:10/マタイ13:24-)


いずれにしても、聖書を読む限りはまず「聖霊」でバプテスマを受ける人々が現れなくてはならないが、そうして聖徒となることは神の選びであって人間の働きかけるところではない。それゆえ、初代からキリスト教徒の集まりが「エクレシア」(召しだされた者たち)と呼ばれたように、その集まる人々のほとんどが聖霊を有する『神の召しに与る人々』で構成されていたが、将来にもそのようになるのだろうか。(コリント第一14章)


聖書での呼称「エクレシア」(招し出されたもの)は、ローマ帝国の国教となった頃から「キュリアコン」(主のもの)を語源とする別名「教会」(キエザ、キルヒェ、チャーチ等)と呼ばれるようになっていったが、それは所謂「聖人」が過去のものとなり、もはや召された者たちのいない信徒だけの集団には相応しい名称であったと言えるかもしれない。(使徒2:38/ヨハネ第二1)


しかも、将来に起こる「それ」は、初めて「聖霊のバプテスマ」が弟子らに行われたあのペンテコステの日に、ユダヤ人たち対してその奇跡が『大風の轟音』によって広く明らかにされたように、個人のご利益信仰に属するような単なる個人の心理作用でないに違いない。


神はそれに加えて彼らの上に『火の舌』を一人ずつに置いて証しを立てたのであり、これは彼らの発言の内容と共に、『葡萄酒に酔っている』と反論する者らにも説明の付かない印となったに違いない。(使徒2:15-)

だからと言って今日の我々が、この火の印と火のバプテスマを取り違えるべきでないし、そうするなら聖書理解はほとんど諦めねばならない。これはキリスト教にとって基礎的な事ではないだろうか?

それまでひっそりと二階の部屋に隠棲していた弟子らは『聖霊によって力を受け』強力な宣教へと世界に足を踏み出したのであるから、聖霊は「神の威力」というべきものである。(使徒1:8)

まして、今日の「聖霊によるキリストの内住」などは、キリストが王権領受の旅に出立し、聖霊を通した「監臨」を終えた西暦第二世紀の半ば以降、聖霊の賜物が地上を去った為にキリスト教界が案出した実体の無い、「自分の人生イエスさまといっしょ」というような少女趣味的で大志なく脆弱な信徒に植え付けられた「ご利益信仰の思い込み」か「異教や悪霊の影響」であろう。

もっとも、今日までこのようなアニミズム的な聖霊信仰が「正統信仰」とされているのは嘆かわしいことではあるが、それも神不在の今は容認されるところであり、その教義についてだけは、今後も終末まで長らえるのであろう。(ヨハネ9:4/ルカ19:12)


だが、それは「自分に神は何をしてくれるのか」を求めるという利己心に基づく「信仰」であって、キリストや使徒、また初期の弟子らのような無私の精紳とは逆のものである。教会一般の教えるご利益は、個人の人生を幸福にしてくれて、自分が天国に召されることを夢見るというレベルの「キリスト教」である。(コリント第二5:15)


聖霊のバプテスマが自分にも行われたと思い込むのは自由だが、それが本来人に求めるものは、ご利益とは正反対の自己犠牲であり、聖霊を受けることは初期の弟子らのように、むしろ世の矢面に立つことであるからして、そのような迫害に至れば、「自分には聖霊などは無い」と本当のことを叫ぶようなことになるのであろうか。(ゼカリヤ13:3)


本稿の内容が、教会員に受け入れ難いことは承知している。

そこは筆者が教会生活を離れ去り、もともとキリスト教世界に属さない日本という自由な土壌でキリスト教の研究を進めたという背景あってはじめてこの観点に立ったものと思える。

あるいは、もし、閲覧の方からこのような「信者だけの救い」ではないキリスト教理解に賛意を頂戴できるなら幸いである。

やはり聖書中を見るなら、「聖霊の賜物」とは、神がその御力をもって御子イエスに証しを与え続けたように、公に対する明瞭な神の威力の堂々たる表明なのである。(ヨハネ5:36/ヨハネ第一5:10)


聖霊とは、それを見る他者の信仰をさえ惹起するもの、つまり自己欺瞞的で不鮮明なものでなく、反対者に対しては勿論、人類全体に対して神からのものであることが極めて明確な形で将来も示されなくてはならず、また、実際にそのようになるであろう。(マタイ10:17-20/マルコ13:9-10)

その将来、もし我々が「聖徒」(聖霊を受ける者)たちの現れと、彼らを通して「聖霊」の声を聞くときには、けっして心を頑なにするようなことをしてはなるまい。(ローマ2:5/ヘブル4:7)

ヘブル書が警告するように『語っている方を拒んではならない』。それは人による発言ではないとされている。そのとき、宗教界が聖霊の声に心を向けないなら、殊に宗教指導者が自分の正当さに固執すれば、神からの発言に色を失い、却って聖霊に逆らうことになるのではないか。(ヘブル3:14-15)⇒「聖徒 聖霊の指し示す者たち」


聖霊によるその発言は、為政者との対峙*によって「神か人かの」究極の論争に発展するであろう。これは共観福音書が揃ってイエスの言葉として預言するところであり、後の時代に弟子らは王や高官の前に引き出され、そのとき聖霊は彼らに『彼らが束になっても反駁できない言葉を語らせる』(ルカ21:15)。

それゆえ『何を話そうかと、気を揉む必要』(マルコ13:11)も『前もって練習しなくてよい』(ルカ21:14)と再三記している通りである。


これが『王の王、主の主』による「人類の裁き」に連なる「エデンの問い」に発展し、世界は聖霊の声に従うか否かの二択を迫られるであろう。(マタイ10:18)

キリストは『雲と共に来る』ので、人類はキリストを直接には見ず、聖霊の声を代弁する『聖なる者たち』の発言に信仰を働かせるか否かが、人類を分かつものとなる。『聖霊は裁きについて』『世に証拠を提出する』ことになることが知らされているように、イエス御自らが地上に姿を現すのが再臨であれば、「裁き」とは何と外面的で単純で幼稚なものであろう。(ヨハネ16:8)



それが聖徒たちという人間「土の器」を通すものであっても、聖霊が語らせる以上、それは論駁不能な神の義の顕現であり、その時までに、いかなる人間の義(宗派や党派)をも放棄すべきではなかろうか。『聖霊』が語るときに人間の作った宗派や党派などに何の意味があるのだろうか?(エゼキエル33:13/アモス3:8)


キリスト教徒のひとりであれば、自分が聖霊を受けた『聖徒』でなくとも何ら落胆する必要はない。むしろ、『聖徒ら』の天の祭司職による『贖罪』の益に与り、ついに『神の子』となって地上の千年王国で永生に至るべき『信徒』(ピストス)となり得るからである。


それこそは、神が 『あなたの子孫によって地のすべての国民は自らを祝福する』と、いにしえ創世記に繰り返し示された、あのアブラハムへの約束の成就を迎えることではないか。そこには神に倣う公共善と利他性の大志があり、まさしくキリスト教とはそのようなものであろう。(創世記12:3/18:18/22:18/26:4/コリント第二5:15)


必ずや神の悠久の歩みは、その目的を違えることなく、まったく成就することになるであろう。






 © 2011  林 義平

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 ⇒ 火のバプテスマに焼かれるユダヤ

 ⇒ 原始キリスト教と「キリスト教」の違い

 ⇒ キリスト教の救いとはご利益か    




ローマ国教化で失われたもの からしとパン種の例え


キリスト教が、ローマ帝国の国教化で差し引きされて失ったものがある。

それを契機にキリスト教は、個人の信仰から、コミュニティの宗教へと外面も大きく変化を観たのだが、それ以上に、処女性のような内面に変化をもたらすものがあった。


ローマ帝国最後の全土に及ぶ大迫害の勅令がディオクレティアヌス帝から発せられたのが303年2月であった。
それから10年を経た313年、ローマで対立皇帝となっていたマクセンティウスに勝利したコンスタンティヌスはメディオラヌム(現ミラノ)市で当時の同盟者リキニウスと共に勅令を発布し、迫害されていたキリスト教に「市民権」を与え、信徒を解放し、接収していた集会所を含む財産を返還させた。

これは政策の正反対への転換である。十年の年月は苛烈な迫害を受けていた信徒らからすれば長く感じられたかも知れないが、変化は突然に訪れた。
この事態の急変を見た信徒らがその後に経験することになるキリスト教自体の変質は、数世代をかけてよりゆっくりと、そして確実に進行してゆくことになるが、そのようにしてキリスト教の側も帝国の方針転換に伴い180度の針路変更を決することになる。その変化に伴い、キリスト教はその本来の相貌をすっかり変えてしまうのであった。

325年はコンスタンティヌス帝によるニカイア(ニケーア)会議の年であるが、キリスト教徒の母ヘレナ*の影響があったにしても帝自身の「信仰」はキリスト教というよりは太陽神崇拝に偏ったものであった。*(帝は、母の帰依より先にキリスト教徒を優遇し始めている)
帝自身の信仰とキリスト教とはどうやら異質だと本人が気付いたのは、晩年に入ってからのことである。実際に帝はニコメディアのエウセビオスから死の床で滴礼を受けるまでは正式な入信儀礼をしてはいないし、教理教育を受けた記録もないと言われる。

このような人物であるにも関わらずニカイア会議を招集し、自らヤコブよろしく議事を取りまとめるなど主導したのは、ローマ皇帝の威光によるものであり、また、当時のエピスコポイ(監督たち)がその権威に平身低頭したからであろう。

名目上ながら、歴代皇帝は帝国の宗教上の最高権威者を兼ねたせいか、帝自身も自分が(少なくとも)エピスポコスの一人であると思い込んでいたのだが、これを譴責するほどの勇気をもって異を唱える人物は無かったようである。その模様を伝えるカエサレアのエウセビオスの記した「コンスタンティヌスの生涯」には、彼の皇帝への阿りの言葉で満ちている。これと『わたしの王国はこの世のものではない』と、はっきり言い切ったイエスの言葉を整合させることには越え難い溝がある。

会議は参集者の交通費から滞在費までが国庫から支出されていたために、キリスト教の領袖たちは帝や国家の不利益になるような議決などできなかったであろう。
つまりは、キリスト教の領袖が会議に参加することで、既にキリスト教界は皇帝に買い上げられていたのである。

そこに見えるのは、敵意と過酷な迫害という猛攻撃のあとに、一転してローマの巨大権力から保護と善意をもって擦り寄られたときに、依然多数派ではなかったキリスト教徒の脆弱さである。

そして不思議なことに、このキリスト教の変質を企図し国教化の完成と教理の変更の全体を教導した一人の人物をこの皇帝を含めても挙げることができない。それは当時の社会全体が向かおうとする、何ものか抗い難い歴史の潮流のようなものであったと言える。


キリスト教化は当時の帝国を結束させる必要のために目論まれたもの、との解説を目にするのだが、確かにこの時期のキリスト教には争論があったにせよ、コンスタンティヌス帝個人にあって、それがどこまで理解されたかよく分からない。むしろ、キリスト教というものを自分なりに解釈し直し、それを本気で信じていたように歴史書は読めるのである。彼は、キリスト教に自ら関心を寄せたようだが、その以前には明らかに太陽神崇拝者であったことが知られている。

それでもコンスタンティヌス帝を、本人の宗教的嗜好によって然したる意図も持たずに、後のヨーロッパ宗教封建制の種を撒いた人物とすることは出来るだろう。彼が他ならぬ皇帝であったために、その議決を以ってキリスト教はヘレニズム的のものが正統とされ、欧州は「キリスト教化」という激しい波を蹴立て、その奔流は歴史上に渦を巻いて人々や社会を巻き込むことになってゆく。

議決は宗教上のというより皇帝による政治的判断であったが、結果的にその趨勢が近代まで継続し、今日の非キリスト教国までもが習慣や暦などを通して社会に様々に影響を受けているのである。

当時の帝国の国教化は、様々な人物が関わったところの、まさに十数世紀に亘る歴史の潮流の発端となったが、忘れてならないのは、国教化への変更で生じた「キリスト教」とは、「異邦人」つまり非ヘブライ的に形成された「新たなキリスト教」であっても、けっしてキリスト自身の教えに沿うものではないことである。

つまり、以後の「キリスト教」はまったく霊感のない異邦人の所有に帰したといえる。
ローマ皇帝によるキリスト教への介入は、やがて380年の「カトリック教令」に結実し、普遍教会はアレクサンドレイア=ローマ型のものが国家によって正統とされるに至るであろう。⇒アンブロジウス

そして当時の異邦人キリスト教徒も皇帝も、「主殺し」の張本人としてのユダヤ人を、この民族のパリサイ的文化傾向をも相当に嫌っていたのであるが、その結果、異邦人キリスト教徒らは、主イエスが、紛れもなくユダヤ教徒で在り続けたユダヤ人のメシアであったことさえ忘れるようになってゆく。

(この時代には、既にユダヤ人キリスト教徒は歴史の舞台から去っている)


ともあれ、キリスト教は「ローマ皇帝の宗教」となった。このことが意味することの大きさを信徒らは目の当たりにすることになる。

しばらく前には迫害に雄雄しく立ち向かって拷問台や闘技場での死に至るまで毅然たる信仰を見せたキリスト教は、すぐに甘やかしの誘惑に曝される、しかも、多くの人々はそれが罠になるとは気付いていなかったであろう。


闘技場での剣闘士の試合や動物の虐待はキリスト教的でないので行われなくなり、奴隷の顔に主人の印である焼印を入れることは「神の象りに作られた」人間を卑しめる事として禁止される。
広く行われていた磔刑も、主殺しの残酷な刑罰であるので不適切とされ禁止されてゆく。

これら帝国で一般的に行われてきた野蛮な風習はキリスト教の道徳性を通して洗練されるのだが、多くの信徒にとってそれは喜ばしいことに見えたであろう。人々には国教化が恩恵であるとさえ思えたことが容易に想像される。

加えて、コンスタンティヌス帝と母ヘレナは帝国のあちこちにキリスト教のための壮麗な建築を次々に始める。
ローマでもヴァチカノ、ラテラノなど多くのバジリカが市を囲むように建立され、ヘレナはエルサレムやベツレヘムなどに次々に聖堂を寄進した。それまで信徒が見たこともないような立派で印象的な空間は彼らを魅了したであろう。

しばらく前までは、キリスト教徒であることを告白することが命の危険を意味していたのが、いまや出世や特権を享受する手形と化する。
人々は集会所に波のように押しかけ、個人の家で行われていた集まりはパンクするほどになる。田舎の村ではいきなり村ごと「改宗」することもあったという。

エクレシアの指導者層には国庫から食い扶持があてがわれるようになり、彼らは僧職者を通り越して公務員に近い立場を占めるようになった。
宗教の教師というものはひとつの権威であって、政治家に似て人の上に立つ以上、その地位を得るのは出世である。この僧職碌を狙って多くの者が群がってきた。

この状況で思い起こされるのはキリスト・イエスの語っていた「からしの木の例え話」である。

からしの木の種は砂粒のように小さい。しかし、それが芽吹いて成長を始めるとするすると枝を伸ばし続け、ついには野菜の中で最大のものになる。
その枝は広く空に張り出すので、鳥たちがその枝に宿り場を見出すという。(マタイ13:31-/マルコ4:31-/ルカ13:19-)

当初、イエスの周辺に集まり始めた信者たちは大きな集団ではなく、ユダヤ人民は体制としてイエスに従うことはなく、却って刑死に追い込んだのである。
したがって、キリスト教の始まりはユダヤ人にとって単にイエス派というような内部の(メシア主義的)分派活動のように見なされ、早めに消し止めるべきボヤのようなものであった。

イエスの死に際しては使徒らも逃げ散ってしまい、イエスはあたかも一粒の種のように蒔かれたといえよう。
四年に満たない活動期間だけを持った教祖が刑死してしまった宗教の将来性というのはどれほどのものだろうか?
しかし、その砂粒のように小さな種が発芽し成長を始めると、その枝は空に向かって伸び続け、ユダヤ教の規模をはるかに超えて、ついに世界最大の宗教となるのであった。

そして、その大枝には多くの「鳥」が来て住み着きはじめたのである。もちろんこの鳥たちはからしの木そのものではない。その木から利益を得るものたちである。
共観福音書はそれぞれに、この「鳥」が「宿り場を見出す」としている。

これは僧職を生業にしようと群がり集まった者らではないと言い切れるものではあるまい。
驚くほどの信者の増加は、当然ながら信仰の俗化を招いたが、同時にそれらの信者を「指導」する要員が必要であり、俗化した「信仰」に見合った俄仕立ての「先生方」の糊口をしのぐ就職先が大きな口を空けたのである。

このように「からしの木」の例えを看做すべきもうひとつの理由は、続けて語られた「パン種」の例えの存在である。

「小麦粉を大舛に三杯(三サトン)」は22リットルにもなる量である。
調理をする「女」がその大量の小麦粉に中に、ほんのわずかな酵母(イースト菌)を「隠す」、そして熱すると「塊は大きく膨らんだ」(マタイ13:33-/ルカ13:20-)
これを語ったイエスは、神の王国もこのようになるという。

イエスは他の時に、弟子たちに「パリサイやサドカイのパン種に注意せよ」と語り、弟子たちはそれが「教え」に関わるものであることを悟った。
また、パウロは「少しの酵母が塊全体を発酵させる」ゆえに「古い酵母を捨てよ」とエクレシア内の悪行を例えている。(マタイ16:6/コリント第一5:6-8/ガラテア5:9)

コンスタンティヌスがその父以来、キリスト教徒に好意的であり、特に大帝となった息子が帝国内でキリスト教を擁護するようになったからといって、一般民衆がすぐに改宗してきたわけもなく、帝国域の各国の諸神の宗教がそれぞれに入り乱れている状態にあった。

それまでのローマの国策により、各地の諸神はローマの諸神と同じ神であることにされていったので、帝国の拡張は、この宗教合同による民心掌握もかなりの程度で役だっていた。これはギリシアの征服に際し、ゼウスをユピテル、アフロディーテをヴィーナス、メルクリウスをヘルメスというような、神を共にする姿勢を勝利者の側が示すことで、敵対から同朋意識へと転換させた例が観える。

そこで、コンスタンティヌス後、キリスト教が皇帝の宗教となって、次第に帝国民が教化される過程で起こったことは、かつてこの国が行ってきた通りとなった。

つまり、キリスト教にヘレニズム異教の様々な要素という「パン種を隠して」いったのである。
そこでヨーロッパのキリスト教がどのようなものになるかは、既にその時に動かし難い路線の上に乗せられてしまった。
その結果は、今日の一般的な教会での「キリスト教」に見られる通りのものとなっている。

コンスタンティヌス後、ローマ帝国の各所に千切れ雲のように散らばっていた、保護と励ましの必要なキリスト教徒という「小さな群れ」は、国教化に従い通勤ラッシュのような信者の増加を経験することになったのである。(教会史Ⅷ-i)
「パン種」は確実に作用したようだ。元々の麦粉が22リットルもあったのなら、その膨らんだ果ての姿はどのようなものであろう。今日、キリスト教は世界最大の宗教となっている。
この急激な膨張は隠された酵母の為せる業、また、からしの木の驚くべき成長に似たものである。

では、この「パン種」というもの、その「教え」とはなんであろう?
それはキリスト教を変質させる「強力な」大衆性であり、国教化に伴って取り入れられた異教であろう。

以前の拙文「ユダヤ教とキリスト教の歴然たる違い」で書いたように、ユダヤ教から脱皮して素晴らしい次元上昇を遂げたキリスト教に「酵母」が作用し、元居たユダヤ教のレベルかそれ以下に押し戻されたのである。

ユダヤに生まれてくる者はすべてモーセの律法契約に入り、男子が生後まもなく割礼を受けるように、キリスト教がローマの国教となるに伴い、自ずと幼児洗礼が確定的になってしまう。
パウロは、血統によるイスラエルが真にイスラエルなどではないと言ったが、それに反して血統主義のかつてのユダヤ教のように、国民がすべて生まれながらに信徒たるべき時代が再び訪れた。

イエス以来、迫害される宗教であった「キリスト教」が、旧約のイスラエルのように武力で異教を排除するものとなり、迫害を加える側となってゆく。
どうやら彼らは、残虐な拷問や処刑を次々に考案した帝国の官吏の「正統な」後継者のように見える。
後代の十字軍は、旧約に描かれたイスラエルの戦いのように正当化され、キリストの名の下にユダヤ人やアラブ人の許多の「犠牲」が捧げられもしたが、それもまた、この『パン種』の為せるところであろう。

ユダヤ教のように国家宗教となった以上、当然のことながら戦争を肯定する必要が生じ、兵役を避けてきたキリスト教徒は「信仰」を否認していることになってしまい、キリストの「剣を執る者は・・」の言葉をうやむやにするようにもなった。
わたしの王国は争い合うこの世のものではないと言ったイエスの言葉とは裏腹に、「正義の戦い」や「正しい戦い」に参加できるように信者は「進歩」した。それは国を背負った宗教の宿命である。

聖霊の賜物を有し、帝国のかつての迫害で忠節を保って死を受け入れた「聖徒」たちは「聖人」として崇められる副次的神の「糞像」と化した。

初代キリスト教徒が待ち続けた「神の国」は、「ローマ帝国」の存在によって現実化されてしまい、実際には到来しないもの、あるいは「教会」を通して徐々に実現されるようなものと教義を変えざるを得なくなった。

ローマの法はユダヤの律法の地位を得て、キリスト教徒はユダヤ教徒のように再び外からの力によって道徳的に拘束され、愛と良心を働かせるキリスト教の自律は失われ、再び現実の国家法にひざを屈めるようになったのである。

また、かつてエルサレムに神殿が存在し、地上の宗教的中心地があったように、この国家教の中心が次第に求められてゆく、それは権威付けのための、また末端まで精神的支配を行き渡らせるための道具であり、ローマ市がヒエラルキアの頂点に上ろうとしてくるのであった。
今日もそこには壮大な建造物が威容を誇り、十億の人々の総本山となっているが、ユダヤ人がエルサレムに登ったように、いまだ巡礼の地となっている。

多くの壮麗な教会堂が建立されるにつれ、初代キリスト教徒の励ましあう簡素で牧歌的な集会は、荘重な儀式の礼拝と化した。この点でもキリスト教はユダヤの「祭儀の宗教」に舞い戻っていたのである。そこに違いがあるとすれば、聖書の裏づけがあるかないかということくらいであろう。

それらの儀式は東方宗教やギリシア的神秘主義との渾融であって、秘蹟(サクラメントゥム)という形で神の介在が要請された。それは参列者に権威を示すものである。

やはり異教との交配がはっきりとしている分野として祭りが挙げられよう。
12月25日はローマ市民の楽しみな無礼講の祭日であった。その日は冬至を越した喜びの宴であり、冬至であたかも死んだかのようになった太陽の復活を祝う「ナタリス・インヴェクチ・ソリス」(敗北せぬ太陽の祭り)であって、冬も葉を保つ常緑樹が飾られ用いられた。

太陽の復活は農耕にとっても吉兆である。農耕神サトゥルヌスの祭り「サトゥルナリア」も同じ時期に行われ、それに加えてペルシア由来で冬至に死んで三日後に復活するという太陽神ミトラスの祭儀もこの日と深く関係していた。

こうして、イエスの誕生は明らかに冬ではないに関わらず、太陽神の再生はイエスの誕生と結び付けられ、以後伝承されている。

国家がキリスト教化されることにより、太陽神崇拝者であったコンスタンティヌスと、ユダヤ教徒を嫌悪し安息日を同じくせず*したい当時のキリスト教徒が都合よく一致して、ローマ曜の「太陽の日」(日曜日)を安息すべしと規定され、土曜安息を守る帝国内のユダヤ人は、以後肩身の狭い思いをすることになる。

「太陽の日」はキリストの「復活」した目出度い日であるから、以後もこれを祝うべしとなったが、帝国の権威によるこうした宗教合同がキリスト教徒に太陽神の祭日を祝わせたとしても、それは自然な成行きであったろう。
それまでのローマの宗教に似た「キリスト教」に人々は喜んで帰依したことであろう。
キリスト教そのものは安息日を求めていない。しかし、ローマ文明の伝播により、こうして日曜安息が今日世界に広まっているが、それはコンスタンティヌスの太陽神崇拝の痕跡でもある。

さて、こうして世俗と手を結び変質した「伝統的キリスト教」に、今日でも魅力を感じる人々もおられるに違いなく、筆者はそれを指弾しない。

見事な均整をもったラテン十字架のすっきりとした美しさ、宗教絵画に見られる静謐なまた動的な敬虔さの世界、カテドラルのステンドグラスの多彩な煌きやオルガンの荘重に屹立するパイプの列、また人を卒倒させるほど法悦の極致に至らしめる音楽に、それはそれとして価値がないなどとは到底言えないものであり、世界遺産のような観点から言って人類の高等な文化であることは言うまでもない。(文化というものはそれぞれの土壌で必ず生育するものであろう)

だが、キリスト教の本質について考える人、これらの変質した「グレコ=ローマン型キリスト教」以前の「源キリスト教」を求めようとする人々も必ずや居るであろうことも信じる。

その方々にお勧めしたいことは、これらの変質が16世紀の宗教改革を以っても、本質的には回復されなかったのであり、変質する以前のキリスト教を求めるなら最後の使徒ヨハネの居た西暦第2世紀前半の小アジアを考慮しなければならないと思われることである。
この二世紀初頭の小アジアのキリスト教について、今後も筆者は記事を書き加えてゆきたく考えている。


それにしても、キリスト教は何と大きな膨張を遂げたことであろう。今日では人口においてイスラームの追い上げを受けているが、それでも20億という依然として最大の信者数を誇る世界一の勢力を持っているのである。

それは、からしの木が空に向かって枝を広げているかのようであり、古代のパン種によるインフレーションがもたらした急膨張の余波をそこに見るかのようである。





 ⇒  初代キリスト教徒の様子  第二世紀初頭の小アジア
      聖なる者たちのエクレシア

 ⇒  「キリスト教」と「原始キリスト教」の違い
      どうして変わってしまったのか

 ⇒  アンブロジウス  俗世との岐路に立った男
      カトリックを捏造した人物 

                       ©  林 義平
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*ローマ帝国のキリスト教徒への迫害に乗じて熱心なユダヤ教徒たちが、当局へのキリスト教徒の告発を非常に執拗且つ陰険に行ったことを歴史が明かしている。
そのため、二世紀以降のキリスト教徒の多くにはユダヤ教との共通性を排除しようとする強いムーヴメントが働いていた。
そしてコンスタンティヌス帝自身もこの動きに賛同していた。ニケアーの議決は、それに神をユダヤと同じくせずとしたい欲求(三位一体説)を合わせたものとなった。


◆このブログの
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「天国」か?「天の王国」か?


これがキリストの宣教の中心主題であり、様々な例え話によって教示されたにも関わらず、これほど多くのキリスト教徒に曖昧であるのは驚くべき事である。

しかも、これを「天国」としてしまうキリスト教指導者の多さも驚かされる。ユダヤ人に向けて書かれたマタイ福音書では「天の王国」[βασιλεια τῶν οὐρανῶν]ヘー バシレイア ト~ン ウーラノ~ン,
異邦人向けのマルコ/ルカ両福音書の「神の王国」[ἡ βασιλεια τῶν θεοῦ(スェウ~)]は所謂、天国と地獄の「天国」とはまるでかけ離れたものである。(福音書の王国の違いについては拙著「神YHWHの経綸」を参照されたい)

そのように信じてこられた方々には幾らか衝撃を与えるかも知れないが、もし、ご関心あらば以下もご覧頂ければ幸いである。

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さて、この天国ではない「王国」が何を意味するのかについては、まず出エジプト記から説き起こすのが分かり易いものと思われる。

それは、イスラエル民族とそれに入り混じったエジプト人らの大集団が、神の保護によって紅海を渡り、シナイ山麓に集合した場面で語られている。
即ち、神YHWHとイスラエル民族との「律法契約」が締結されるところにおいて、神は「もし、あなた方がわたしに従い、契約を本当に守るなら」と前置きし「・・そうすれば、あなたがたはわたしの特別に所有する(宝のような)民、祭司の王国、聖なる国民となるであろう」(出エジプト19:5.6)とあるが、これが「神の国」「天の王国」へと発展してゆく萌芽であった。

この事を、神は遠くシュメール時代の人アブラハムに対し、「あなたの子孫(後のイスラエル)によって、すべての民族の人々は自らを祝福するであろう」(創世記12:2-3)と語っていた。つまり、「神の王国」は全人類を益する神の手立てなのである。

後代、使徒ペテロは出エジプトを引用し、「・・あなたがたは選ばれた民、王なる祭司、聖なる国民、特別な所有物たるべき民であり・・」(ペテロ第一2:9)とキリスト教徒の中の聖徒ら(ハギオイ)に適用する。
つまり、律法契約の遵守に失敗し、遣わされたメシアを退けた血統上のイスラエル民族によらない、別の「イスラエル」と呼ばれる民、「神のイスラエル」によって構成されるキリストの追随者による「王国」である。(ガラテア6:16)
こうして「王国」という奥義に関する数千年に亘る神の歩みが見て取れるのである。

つまり、キリスト教徒のすべてではなく、聖霊の賜物を得た選ばれた一定の人々が「初穂」として人類から刈り取られ(ローマ8:23/ヤコブ1:18/黙示録14:4)キリストと共に王国の支配を担当することで、神がアブラハムに明かしたように、その益が残りの人類全体に及ぶことになるのである。

しかし、モーセによる律法契約は、イスラエル=ユダヤ人に守られることが遂に無かったので、その後に、神が預言者エレミヤを通して予告していた「新しい契約」(エレミヤ31:32-33)に入れ替えられ、こうして「祭司の王国、聖なる国民」という本来の「イスラエル」を実現させる筋道を保ったことは聖書に明らかな通りである。

つまり、イスラエル=ユダヤ民族は「王国」の担い手、選民「イスラエル」となるはずであったのだが、律法契約違反の罪を負ってしまったまま、マーシァッハ(メシア=キリスト)という「王国」の主要な王の到来を迎えた。
そうして、血統上のイスラエルは「神の王国」となり得る機会を再び得たので、イエスは「神の王国はあなたがたのただ中にある」と言っている。(イザヤ9:7/ルカ17:21)

それにも関わらず、ユダヤの宗教体制派はナザレのイエスをメシアとしては認めず、これをまったく退けてローマの権力に渡して処刑させたのである。
イエスの頭上の罪名には、いみじくも「ユダヤの王」と掲げられた。

このため、ユダヤ民族全体としては「王国」を受け継ぐことから除外され、民の中のほんの「残りの者ら」だけがイエスをキリストとして受け入れ「神の王国」を構成する望みを繋いだのであった。(ローマ9:27/マタイ21:45)

そのため、王なる祭司、聖なる国民、特別な所有物たるべき王国、「イスラエル」の民には、イエスに信仰を持った残りのユダヤ人だけでなく、「王国」を構成するはずであったユダヤ人の不足を埋め合わせ、全体の人数の補充するためにイエスを受け入れた異邦人も『接木されて』含まれ、血統上のイスラエルに彼らが幾らか混じることになる。(ローマ9:24-27)
(ここに善人はだれでも行ける「天国」との混同の陥穽があった)

それゆえ、この異国民で元々イスラエルに属さない人々は、「血統によらずにアブラハムの遺産(王国)の相続人となった」とパウロは言う。(ガラテア3:29)

これらの選ばれた人々は、キリストが「あなたがたの場所を準備に行き、また戻ってきてあなたがたと迎える」と語られた当事者であり、ユダヤ人であってもなくても、共に信仰によって選ばれた『神のイスラエル』、つまり「新しい契約」に属する人々「聖なる者」である。(ヨハネ14:2-3/ガラテア6:16)

この契約に与る「神の特別な所有物である民」「聖なる国民」に属する人々、つまり「聖徒」には、イエスの復活後に聖霊が降下するようになり、特別な賜物が与えられたが、それは「王国」の一員として内定したことの印であったことをパウロは度々言及している。(エフェソス1:11-14-18/コリント第二5:5)

つまり聖霊の灌がれない人はけっして「神の王国」に入ることはないし、その必要もなったくない、むしろ「王国」の外に居て、聖なる人々からの優れた益に与れる言わば「客」なのである。
それこそは、聖霊ある人々で構成される「アブラハムの子孫」によって「地のすべての家族が自らを祝福する」という創世記で神がアブラハムに約束した通りである。

「王国」を受け継ぐ人々は、キリストが王権を得て戻る(ルカ19:11-27)時に、シミなく傷のない状態で(原罪はあっても)見出されるならば、キリストと共にその「王国」を受け継ぐことができることになっている。(ペテロ第二3:14) ⇒ 今日のキリストの不在

その将来の「終末」でのキリストの帰還のときには、再び幾らかの人々が選ばれ、聖霊が灌がれることになろう。それは将来における「神の王国」実現の序章となると預言されている。 ⇒ 聖霊と聖徒 

終末に至り、聖霊を受ける彼らは、キリストの帰還と王国の人類支配を宣告するために、「王や高官の前に引き出される」が「誰も論駁できない」聖霊の言葉を語ることになり、それは世界中の注目を集めることになるという。(マタイ10:17-20/ルカ21:12-15)

この人々は「聖徒」(ハギオス[ἁγίος])と呼ばれ、神からの聖霊の導きによって「神の王国」の到来を注目すべき仕方で世界中に告げ知らせた後、天に召されることになるという。(これが「携挙」と勘違いされている。テサロニケ第一4:17)

これらの人々の「王の王、主の主」はキリスト・イエスであり、この方は神の王国では大祭司でもあり、まず聖徒らの罪を除き、大祭司イエスは次いで(聖徒ら従属の祭司と共に)人類の罪を除くことになる。
(ヨム・キプルの祭儀;レヴィ記16:11.16)(黙示録19:16/ヘブライ7:26)


この王国の働きに注意を向けると、おおよそ以下のようになる。
伝統的解釈に慣れた方にはもう少しの衝撃を与えるかも知れないが、それでも宜しければ以下をお読みいただきたい。
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人類は今日まで、政治と宗教の分野で苦しんできたことは歴史に深く刻まれた事実であり、今後も倫理上の欠陥である「罪」(アダム由来の)が除かれない限り、この苦しみからけっして逃れることはできない。

ここに「救い」といわれるものが見えてくる。
王国は、人間によらないゆえに「真の正義」を持ちうるものである。

宗教であれ、政治であれ、すべての「人間の義」は「神の義」の前に途を空けねばならない。倫理上に欠陥を持つ人間は完全な正義を持ち得ないからである。そこに真正な政治も宗教も存立しえず、争いが絶えないのはそこに原因がある。

「天の王国」は、祭司また王となって人類を天から支配し、人々の倫理上の欠陥である罪(原罪)の贖罪を行って、最終的にすべて生ける人々に対して、神の創造物たる「神の子」の義ある姿に復する機会を提供することになる。(黙示録20:4/ローマ8:14/ヨハネ1:12)

「神のイスラエル」つまり、王国の民はキリストと共になる「王また祭司」であり、千年の間人類を導き、最終的に政治と宗教をまったく終わらせてしまうであろう。なぜなら、政治と宗教とは、人間の不倫理性(アダムからの罪)に対する応急処置に過ぎないからである。(黙示録20:6/コリント第一15:24) ⇒ なぜ人は傷つきながらも政治と宗教を存続させるのか


キリストが臨御(パルーシア)を始めるとき、聖霊は聖徒に再び語らせるという。
新たに選ばれる聖徒たちは、人類の支配権を巡って為政者と対峙し「神の義」の代弁者となる。
人間の支配が、太陽も月も一切の光を失ったかのようになるとの記述はこれに関連するのであろう。(マルコ13:24)

つまり将来、キリストが帰還して、まさにイエス自ら臨御するとき、それら己を正しいとする宗派も党派もまったく意味を成さなくなり、神の正義の前に溶解してしまう。

キリストによって地は平坦にされ、一切の権威も権力も伏すべきときが来るであろう。
こう書くことは簡単なことだが、その意味するところは恐るべきものである。

初期キリスト教徒が持っていたこの理解は、キリスト教がローマの国教となってこの世の権力との妥協が成立したときに、ローマ帝国の存在がキリストの王国を駆逐してしまい、キリスト教も大衆受けのよい平凡なご利益宗教に変じ、引き換えにキリストの支配する『神の王国』を失ったのである。

そこでは、キリスト・イエスが、その宣教で何度も語っていた『王国』(バシレイア)も、異教の「天国」にされ、善人が死後に行くという、大衆に分かり易く、ありがたいものに代えられてしまった。

しかし、人々に対する警告は充分に繰り返されると思われる。
神は悪人であってもその死を望まない。(エゼキエル33:11)
何度も警告が与えられる方法が神の仕方であることはエジプト以来、何度も示されてきたことである。

しかし、聖徒が如何にキリストの臨御を警告しようと、大半の宗教家も政治家も「王国」を非現実と看做すので、終末にキリストに従うことは難しいだろう。

そこが将来現れる「聖徒」の忍耐が求められるところであるが、彼らは自分の命をも惜しまず支配者の資質を証明し「世を征服」するという。(黙示録3:5/13:10/コロサイ2:15)

そのときキリストの姿は「雲」(不可視の象徴)と共にあり、為政者らは、目に見える自分たちこそが正しいという、人間の「正義」に自信をもってしまっているので「神の王国」を現実のものとは思わないか、あるいは何らかの動機のために思いたくもないであろう。
(出エジプト19:9/列王第一8:11/ルカ9:35)

そのときには、たとえ人々の中にキリストを罵倒していた者があっても聖徒を支持するなら「あらゆる冒涜や罪も許される」とキリストは言われる。そこに誤解があったからであろう。(マタイ12:13)(一般的道徳性の称揚はキリスト教の本質ではない)

しかし、聖徒らによる聖霊の発言に逆らうものが許されるだろうか?
神の聖霊に逆らうのは確信犯であり、どのような動機からであれ、そこに完全な選択がある。やはり、イエスは「霊に対する冒涜だけは許されない」とも言われるのである。
(マタイ12:13・25:31-46/ルカ12:10-12)


そして幾らかの時の後、試された聖徒たちの選びも確定して「王国」の国民が天に揃って完成し、御厳の大王たるキリストが神の王権の栄光を掲げて顕現(エピファネイア)するときに・・すべての者は象徴的に雲の中の大王の力をまざまざと思い知らされ、その臨御を認めざるを得なくなって、誰もが見えないキリストを「見る」ことになる。
(黙示録7:1-3/テサロニケ第一3:13/テサロニケ第二2:8)(マタイ24:30・26:64/黙示録1:7)

それは恐怖の時となるようだ。「高官たちや軍司令官ら」すらも山や岩に保護を求める様が聖書中に描かれている。(イザヤ2:10-/ホセア10:8/ルカ23:30/黙示録6:15-)宗教家はどこにいるのか?この以前に彼らは居なくなっている。聖徒が神の義を携えて現れるときから人間の宗教の一切は無意味であり、この畏怖すべき日の前に、既に権力によって処理されている。(黙示録17:16)


それで、「王国」の来る前にすべての宗派から逃れよ!党派を支持するな!というのは不適切なことにはならない。(黙示録18:4/エレミヤ25:31)
それらは人々の敵意を煽り、神の義を否認し、なお永遠に争い続けようとする道、イエスを葬った精神である。

国籍の違い、政治上の見解の衝突、宗派の教義の違いが人同士にあっても闘争を惹起するように、それら人間の権威や権力は神の王国に対しても戦いを挑むであろう。
だがそれらの相克し合う指導者らが人々に対して神のような絶対的福祉を提供できるというのだろうか?(イザヤ57:21/詩篇146:3-)

一方、王として処刑されたキリストと同様に、多くの聖徒たちは死に至るまで支配者としての資質を試されたうえ、キリストの血の犠牲の早い適用によって倫理的に(原罪を)浄められる者らであり、世間一般の為政者とは比較にもならぬほど支配を委ねるに相応しい。

そして彼らの王国は、人類に神の創造物(子)としての栄光を回復するものである。(マルコ8:35/ヨハネ16:33/黙示録2:26)

それゆえ、人間の政府ではなく「神の王国」を待ち、人間の義ではなく「神の義」を求めよ。これこそが「主の祈り」と「山上の垂訓」の意味するところである。(マタイ6:10/6:33)

これが、「神の王国」であり「世の救い」であり、すべての涙を拭うものである。
このように、不完全な人間の誰もが正しく描くことさえ出来なかった「理想郷」、いやその概念をさえ超える世界を作り上げるための手立てこそが「神の王国」である。

それは罪を持つどんな政治家や革命家やユートピストも企画も実現も出来なかった輝かしい人間社会であろう。
確かに黙示録21:3-4はこう述べている。
 「見よ!神の天幕が人の間に張られ、神は人と共に住まわれる。(人が神のところに行くのではなく)・・
神はすべての涙を残らず拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆息も辛苦もない。古い秩序(体制)は過ぎ去ったからである」。

神との関係を回復する人類はかつて経験したことのない栄光の時代に入り、「顔に汗してパンを食し、遂に地面にかえる」という、現在までの生き方をまったく虚しいものとして心の片隅に思い出すこともあるのだろうか。

神の王国は千年の期間に、「愛の掟」を社会原理に据えることで、人々の思いと行動を向上させ、倫理的完全性に近づけるのであろう。そうして人類から煩雑な法律の必要をなくしてしまい。自由な行為者となった人間はそのすべての行いにおいて倫理的失敗を恐れることを自他共に必要とはしなくなる。つまり、争いも欺きや悪意も過去のものとなるのである。

人体は病や老化のない「神の創造物」の輝くような様に変わり、「地の呪い」も解けて全地は「シャロンの輝き」のようになるという。(創世記3:14/イザヤ35:2)

「神は世を愛して、誰でも彼に信ずる者がひとりも滅ぼされることなく、永久の命を持つために自らの一人子を遣わした」。
このヨハネ3:16の有名な言葉も、「王国」という手立てを通してもたらされることを思えば、「天国」の至福とはまったく異なった、そしてより深い味わいがあろう。

このキリストを主とする「神の王国」に、国境や人種や党派や宗派に関わりなく、個々に支持を表明して、我々のすべてがそれに参与することのできる時代がやがてはっきりと到来するだろう。

唯一の問題は、そのとき我々がこの「王国」を支持するか否かということだけになろう。
しかし、少なくともそれは投票行動のようなものではないようだ。
それは多少なりとも身の危険を覚悟する必要があるかも知れない。

なぜなら、神からの警告は出エジプトのときのように充分に繰り返され、神の力と威光は世に充分に告知されるとしても、「王国」の反対者は少なくないだろうし、聖霊の声に従うか否かという、人類を二分する論争を伴うことになるからである。(マタイ25章)

それは「裁き」の時である。イエスがユダヤ人に現れ、奇跡を行ったことでメシアを受け入れた人々とそうしなかった人々が分かたれたように、将来も聖徒を通してそうなるのであろう。(ヨハネ15:26-27)

さて、人は己を神と対等にしてよいものだろうか?
つまり、この終末の裁きで、人類は各々「エデンの問い」を試されることになる。

今の時点で思うに、その裁きで我々の試されるところは「信仰」「希望」「愛」ではないか。
しかも、それらは裁きの問いに対する答えとして試される人の内面の資質であり、キリスト教徒であるか否かが「裁き」の結果保障になるとは到底思えない。

仏教の「極楽」のように「天国」での安逸を期待する事と、以上のように「神の王国」を捉える事との差は余りに大きい。
一方は、個人の救いの達成を願うことであり、ご利益信仰的「天国」願望では個人愛が支配するが、他方、「天の王国」では公共善への大志があり、その神と人への自己犠牲的な愛はまさしくキリスト・イエスに倣うものである。



                    林 義平

 『神の王国』 -新十四日派の綱領として-
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ユダヤ教とキリスト教の歴然たる違い


ユダヤ教とキリスト教の違いを一言でいえば、ナザレのイエスをメシア=キリストとして認めるか否かということになるだろう。だが、その意味するところは非常に大きい。両者は宗教の原理が正反対なほどに異なるのである。

イスラエル民族の父祖アブラハムに示され、モーセが予告したメシアの到来をユダヤ教は現在までも認めず、キリスト教のような世界宗教の自由さに脱皮することも、宗教上の価値観を上昇させることも経験していない。

ユダヤ教は、田舎ナザレ村から来たイエスのような「ガリラヤの私生児で、魔術師」*のようではないところの自分たちにとって望ましい超絶的大王メシアの到来をいまだに待ち望んでいるが、ヨム・キプル(正月の贖罪の日)からヨム・キプルへと神殿喪失から二千年の歳を重ねつつ忍耐を続けている。  *タルムード)

しかも、イエスの死後四十年を経ずに、つまりイエスを葬った世代の間にユダヤはローマ軍の攻撃を受け、以後ユダヤ人は流浪の民となり、崇拝の要であった神殿も失い、そのためモーセの律法の三分の一に当たる神殿祭祀は、以後履行不能となった。したがって、今日まで神殿を持たないゆえに、モーセを介して与えられた六百に及ぶ戒律である「律法」の完全な遵守はどうあっても不可能となっている。

そのうえ、神殿付属の書庫にあった系図も同時に失われ、神への祭祀を行う祭司たるべき者を文書で確認することもできなくなった。
加えて、ヨセフの長子イエスが、真にベツレヘム・エフラタに発するユダ族であることも今日からは分からない。ただ、マタイとルカの二系統の系図が新約聖書中に残されている。

それでもメシアには系図以上の価値ある証拠があった。
即ち、福音書の記述ではナザレ人イエスが奇跡を行う徒ならぬ人と描かれており、旧約の預言を数多く成就していることも後になって使徒らが気付いている。

では、あのナザレのイエスがメシアではなかったのだろうか? 
かつて彼を刑死に追い込んでしまったユダヤ教にとって、これは今日も恐るべき禁断の問いである。

イエスは北部ガリラヤの片田舎ナザレ出身で、ラビ式の宗教教育を受けておらず、レヴィ族でもないので神殿祭祀に関わる立場でもない。
その素のままの廉直な姿はエルサレムの宗教指導層から見ればみすぼらしい人物である。(イザヤ53:2-)
だが、この田舎者が語る力強い言葉と行う奇蹟を否定するにはかなりの困難を覚えていた。

彼らの念頭にあるのは、自分たちが納得でき、受け容れられるメシアの現れであって、ユダヤ宗教家階層の常識が通用し、且つ自分たちの身分を保証してくれるような、垢抜けた仲間らしいエリートのようなメシアでなくてはならなかった。
そのような優等生の「約束のメシア」なら、自分たちの崇拝の方式や体制や組織を是認してくれるに違いないと思い込んでいたであろう。

その理由は神よりも、自分たちの宗教方式を信じていたからである。
当時のユダヤ体制派の人々がそのように独善的であった証拠は福音書やユダヤの伝承の随所に散らばっていて、それらのすべてを「無かったこと」に回収するのは、もはやできない相談である。

彼らには残念だが、メシアは宗教領袖らの仲間とはならなかったし、聖典を熟知したはずの彼らの常識の外に現れてしまった。
イエスは宗教家が「地の民」と軽蔑するユダヤの民衆と共にあり、彼らを教え、労わり、癒す。しかも宗教家の味方をするような発言をしてくれないのだ。いや、むしろイエスはユダヤの宗教体制を糾弾する人であった。

彼の存在が都合の悪いユダヤの宗教領袖たちは、イエスが直接にはメシアの出身地とされるベツレヘム・エフラタの出身ではないので、まず、ここにイエスを拒否する口実を得る。

次いで、モーセによって不労働が固く命じられた安息日にイエスが奇蹟を行う事も否定できる条件となったが、一方でイエスは安息日の精神を教えようとしたのであった。

宗教家らの蔑む民の方はといえば、イエスの行う驚くべき奇蹟の業と直截的で不思議に権威を帯びる見事な言葉とを喜んで受け入れた。両者の観点が異なったのである。聖なる書に通じる宗教家らの正確な知識はほとんど逆に作用した。

そこでユダヤの宗教家たちは、イエスの奇蹟は悪魔の力に由来すると唱え始めるのだった。第一、彼らにとって民衆は律法の細目に通じていない「呪われた」群集に過ぎないのだ。

こうして、ナザレのイエスを否認する「正義」はよろしく整ったのである。


しかし、イエスはユダヤ人の中で虐げられた「アブラハムの裔」を集め出してゆくが、その弟子らの集団は、イエスの帰天後に、肉の「血統」によらず「信仰」によって構成される『神のイスラエル』となってゆく。(ガラテア6:15-16)

そのため、イエスの活動はアブラハムの子孫であるユダヤ人の間で、ユダヤ教の信仰されている只中で行われたのであり、イエス自身も幼児期に割礼を受け、祭りのときには神YHWHの神殿に詣で、その務めを果たしたユダヤ人の中のユダヤ人、イエスは生涯を通してまったくユダヤ教徒であった。


では、イエスをメシアとして受け入れた人々の中で、歴史上のどこからがキリスト教となったのだろうか?
ここでは、この時系列を踏まえつつ、ふたつの宗教の内容的相違を俯瞰してみたい。



さて、西暦七十年の神殿の喪失は、確かにユダヤ教の祭司制度の崩壊であったが、しかし、いつからがキリスト教かという、この点は厳密に何年の何時からと言うのは難しいことであろう。それでも、信仰する者にとっては聖書の文言においてある程度はっきりとさせておく必要がある。

何故かといえば、ユダヤ教とキリスト教の教義は根本的原理がまるで異なるからである。⇒愛の掟 
これを混ぜこぜにしてしまうと、理解の鍵は取り去られるに違いない。

「イエスがユダヤ教を改革した」との説明をよく目にするが、確かに彼がユダヤ教の真髄を語ることはあっても、ユダヤ教を改革ないし改善したというよりは、自らが死して後の時代に、残された弟子らを通して、ユダヤ教の彼岸、まったく新たな教えの次元の彼方に初代の弟子らを到達させたという方がよほどその意義に適うだろう。


つまり「キリストの死」が迎えられてはじめてキリスト教への道が拓かれたのであり、キリストの死後に「犠牲」が触媒として作用してはじめて新たなキリスト教教理の体系も創られる素地ができたのである。

特にユダヤ教とキリスト教の相違に重要な意味を帯びるのが、キリスト前後の時期である。というのも、キリストが到来し地上で活動している間も、「新しい契約」は発効しておらず、イエス自身モーセの「律法契約」に服するユダヤ教の立場を守り通したからである。
 

ゆえに、新約聖書に収められたキリスト・イエスの言葉には旧契約の中で律法に沿ってユダヤ人に語られたものがほとんどである。
例を挙げれば、「あなたがたの逃げるのが安息日にならぬよう」また「あなたがたの義が書士やパリサイらに勝らないなら」、また、癩病を癒した相手に「行って祭司に見せ、証しを立てよ」という発言などがある。
(したがって、福音書中で「あなた」と書かれているところを自分に向けて書かれたと思うのはまったく早計である)


しかし、彼が死に至るまで試され、その『血の犠牲』を携えた大祭司の権能を受ける、つまり刑死の51日後のペンテコステ(シャヴオート)において史上初めて「新しい契約」が効力を発し、旧い制度に対する新しい制度が現れて状況が一変する。これを以ってキリスト教の初めとされてもいる。しかし、当時はその教理のほとんどを依然ユダヤ教に負っていたことは変わらない。


そこで新たな教理へと導き助ける存在があった。それがキリスト最後の晩に約束された『聖霊』である。

その後もイエスは、弟子らに「助け手」である格別な『聖霊』を通して指導を続け、それらの新たな教えが所謂「キリスト教」へと道を開いたが、それは律法に囚われない新しい教えとなってゆく。 ⇒キリストは去ってなお


地上でのキリストの姿を見たことがなく、イエスを知らなかった「パリサイ人サウロ」は、、イエス派迫害の急先鋒であったにも関わらず、復活したキリストの臨在の現れを受けて使徒パウロとされ、「奥義の家令」としてそれまでにない革新的な教えを授けられ、非ユダヤ人に多くの時間を費やして宣教し、教義において最先端を走ってゆく。これは「パリサイ人サウロ」の180度の大転換である。


だが一方で、イエスをメシアとして受け入れた多くのユダヤのイエス派にとっては、このような概念の大変化はなかなか難しく、律法遵守する「熱心なユダヤ教徒」であることに満足してしまった。 ⇒ キリストの弟

しかし、パウロの説くように『キリストは律法の終わり』であり、使徒筆頭のペテロも律法を『我々も父祖も守り得なかった頚木』と呼んでいる。こうして使徒時代は、律法の「業」からキリストの「信仰」、「人の義」から「神の義」へと転換する途上となった。

その転換というものは、『罪』という人間に巣食う倫理上の欠陥についての認識が180度も変わることを求めるものであった。(ローマ3:9)
ユダヤ教の基本は、モーセを介して与えられた『律法』の条項を守ることによって、神の前に『義』を得る、というところにある。

生活の中でその掟に従い、また神殿での祭儀を行うことで、彼らは神との契約を守ってみせることにより、ほかのあらゆる民族に祝福をもたらす『諸国民の光』、『聖なる国民』となるはずであったのだ。(出埃19:5-6)
そこでユダヤ教は、いまだに律法の遵守による『義』を目指しているのだが、それはキリスト後に神殿を失っており、もはや律法全体の履行が不可能となっているにも関わらずのことである。(ローマ9:30-31)

他方でキリスト教での『義』とは、キリストを唯一の義人として認め、その犠牲の死によって人々の『罪』が相殺されたことで『義』が可能となったと理解する。(ローマ3:21-22)
それゆえ『キリストは律法の終り』であり、『律法』の役割は、人類全体には拭い難い『罪』があることを知らせ、罪の無いキリストを指し示すところにあったのである。(ローマ10:4/ガラテア3:19)

イエスがキリストであることを認め、個人として信仰を持つ者が『義』を得るのであり、ユダヤ教のように民族として神の契約に入る時代は終りを告げたと解釈するのがキリスト教である。(ガラテア3:10-14)

だが、この新たな教えに到達するには使徒たちの時代を待たねばならず、彼らに注がれた聖霊による理解は、第二世紀までに新約聖書にまとめられるのだが、それまでにユダヤ教からイエス派に転向した人々については、それまでの律法の生活様式や教理に従うことが専らであって、使徒らの告げる新たな教えについてゆく困難さがあった。

その結果、律法に従い続けたユダヤ人イエス派は異邦人のイエス派に遅れをとり、『最初の者は最後になる』と言われた事柄は成就してしまったのである。「賃金の例え話」


その後、ユダヤ教的イエスの信徒は西暦七十年の神殿を含むユダヤ宗教体制の壊滅と共に、その拠って立つものを失い、以降は『神の計らいによってクリスティアノイ』と呼ばれていた異邦人的イエス派が、ユダヤ教と袂を分かち「キリスト教」を先導してゆくことになる。

使徒言行録全体から見れば、この『神の計らい』とは、「クリスチャン」と呼ばれるのが神意だというのではなく、過去にしがみ付くユダヤ教と袂を分かち、新たな宗教「キリスト教」として出発することを指している。


ユダヤ教イエス派をキリスト教という新しい宗教に分かれさせたのは、イエスをメシアとして受け入れないユダヤ教側が律法主義や愛国主義に凝り固まって、イエス派を迫害し排除したところにあった。つまり、ユダヤ教は自らキリストとその弟子らを外に追い出し、新たなキリスト教を構成させる素地を自ら与えたのである。

それで、我々がキリスト教*と呼んでいるこの宗教が確立されたのは西暦第一世紀の後わりから第二世紀にかけてと言い得るだろう。

教理の完成については、エルサレムの破壊を逃れた使徒ヨハネが晩年を過ごした小アジア地方で結実したと言い得る理由がある。それは即ち、『聖霊』を通したキリストの監臨の最後の時であったろう。 ⇒ 小アジアのキリスト教


(*ここで言うのはヘブライ的(ユダヤというよりは)キリスト教であって、現代のほとんどのキリスト教が含まれる新興のグレコローマン型キリスト教を指していない。そちらの始まりはこの二百年以上後のニケーア会議からである)



さて、このようなわけで福音書中のイエスの言葉にはモーセの律法体制に従う教えがほとんどで、一方でイエスの去って後の使徒らの発言には、律法から解かれたものが多い。特にパウロは、自られっきとしたユダヤ人で律法墨守のパリサイ派であったが、キリストに召されて後は『自分は律法の下に居ない』と断言し、その先にある教えを指し示す。(コリント第一9:20-21)


そこで、新約聖書中の陳述の真意を知ろうとするなら、それがどちらに属するものかの判断を加えなければ双方が混濁してしまい、それは理解を助けるものとはならない。
つまり、語られた対象がユダヤ人なのか異邦人なのかの判断がそこに求められるのである。

この点で重要な事は、そのような判別を行う条件として、
ユダヤ教とキリスト教がどのように違うかを知っておくことである。

この両者を比較して大きく異なる事項を挙げてみると



◆律法契約下のユダヤ教
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◆まず、ユダヤ教は国家宗教であり、国民皆信徒制であったことが挙げられる。
ユダヤ人として生まれたならば、アブラハム契約によって誕生八日目に男子は全員が割礼を受けねばならず、律法契約では生まれながらに契約当事者であって、モーセを遵守することが義務付けられた、生まれながらのユダヤ教徒である。

イスラエルの血統にある者は常に一定の特権を享受し、アブラハムの相続者と見做され、「友」「同胞」「兄弟」といえば同族のイスラエル人崇拝者を意味した。同朋には金利をとって貸すことは許されていなかったが、異邦人に対しては金利を取って貸すことが許されるので、ユダヤ人は大いにこれを活用し、後代には世界各地で金融力を付けた。同様に、安息日の規定に縛られるので、安息日には自分らができない作業を非ユダヤ人には負わせ、食すことの禁じられた「汚れた」と見做される食物をも与えたのであった。

そこにはユダヤ優等主義が内にあり、それはトーラーにも認められた特権であったが、この点では、たとえユダヤ教徒であっても、イスラエルの血統にない異邦人改宗者には一定の制限があった。


ユダヤ人の受ける「割礼」は、アブラハムに約束された子孫繁栄に益するものであり、当然家族が大切にされ、子がいることは祝福であるから、独身者などは一人前とはみなされない。子らが多いことはその父の威力であった。

この点、結婚相手も原則的に国民内、同族内に規定され、兄弟が子孫を残さなかった場合には、未亡人を兄弟が娶り(レビレート婚)その家系を絶やさぬようと取り計らわれた。
しかし、不妊の妻は立場が悪く、主人が女奴隷から子を得たり、離婚される危険があった。

◆そのように、個人よりは集団が重視され、国家教として神と契約を結びこれを崇拝していたので、国家の体裁を保つために軍事力を持ち且つ行使する必要が生じるが、律法には軍法も含まれている。

コミュミティを保つことが重視されるので、子らは幼いうちから鞭で矯正され、不良少年は親の判断で処刑された。子らに宗教上に選択の自由はなく、ユダヤ教を離れることも、その神を呪うことも共に死を意味した。かつて処刑は官吏ではなく一般住民によって集団的になされていた。


国家であるからには法規を持ち秩序を維持しなければならないし、違反者を裁判にかけ、実際に処罰するシステムを持たねばならない。また国家である以上、他国の侵略に対抗しなければならないので、軍事力も保持する。

つまり、通常の国家として政治力を維持するための内外への権力(暴力)を必要としたのである。
この神権国家は、その権力を用いることを神から命ぜられ、エジプトからの入植時期には、城市を次々に攻略して異教の崇拝もろとも先住民を殲滅しているし、領域を守るため、また奪略に対処するために、イスラエルは何度も剣を振るっている。


◆加えてユダヤ教は祭儀の宗教であり、動物の犠牲による祭儀を行う場所を有し、常々浄めの儀式や犠牲を必要とし、生活上の仔細に踏み込むものであった。国民にはトーラーで年三回(ハヌッカーなど他の祭りもあるが)の祭りが定められ、エルサレムという宗教的地上の中央を与えられ、そこに集うべきであった。

殊に、エルサレムの神殿で行われる典礼は規模が大きく壮麗であり、大合唱と管弦楽による詩篇歌や、祭司の古着を灯心にした巨大なメノラー(燭台)の輝きはモリヤ山上から遠くまで届いたという。ヘロデ大王の建立した最後の神殿域はアテナイのアクロポリス神域の倍近い広さを持ち、金で覆われた聖所の姿と共に美麗なる聖都エルサレムはローマ帝国民にとっても誇らしい名所であった。

ユダヤ人の習慣では、安息日や新月などの節会を律法に応じて守ることで、労働や移動に制限があり、加えて、食物の規定があって律法で「汚れた」とされる生き物を採ることが許されなかった。これらはイスラエルを他の民族への同化吸収の消滅から決定的に守るものとなっていた。これらの規定はユダヤ人を彼らの居住区ゲットーへの集約を特に推進する。

服装や髪型にも幾らかの規定があり、それは外見においても「モーセの弟子」であることを明らかにしていた。彼らはそれを見る度に律法の遵守を思い起こしたという。
そこで、イエスの当時からパリサイ派は敬虔さを競って、タリットの房べりをこれ見よがしに長くし、揉み上げ*を伸ばしてきた。(今日のユダヤ教の大勢はヒレル系パリサイ派の延長線上にある)

これを基に敬虔さを外見で表すことが習慣となったので、宗教指導者は敢えて公共の場所で祈りなどの宗教的な行いをしたという。(荷車が来ても退かず、毒蛇に咬まれても祈りを止めない。「義」は律法の履行によって得られる)

*(古代のカナンには揉み上げを刈り込む部族があったようで、イスラエルがその風習に染まらないための規定が律法にあったが、後代の敬虔主義はこれを拡大解釈し、揉み上げをともかく切らないことでこの律法条項を完うしようとした結果、カールした異様に長い揉み上げを見ることになった)



-◆新契約下のキリスト教-----------------------
だが、こうした事柄はキリストの教えで変化し始める。


◆まずバプテスマは生まれながらのものではなかった。それはイエスをキリストととして受け入れる意志を持つ者が授かるものである。

もし、割礼のようにバプテスマが生まれながらのものであれば、そこにコミュニティの(皆信徒制)宗教が出来上がり、ひいてはキリストが地上に制度教、つまり本人の意志選択によらない「俗権」と融合した宗教を持つことになるが、これは国家・民族宗教たるユダヤ教への出戻りとなろう。


ユダヤでは子を設けることや家族の繁栄を祝福と看做したが、これはキリストにおいて独身の奨め、そして家族が必ずしも祝福とはならないような発言によってユダヤ人はその個人重視に驚愕したであろう。本来のキリスト教に於いては子に帰依が強要されるものではない。

従って、ユダヤ教はコミュニティの宗教であり、律法を営々と守り受け継いでゆくことで、周囲諸民族から隔たり、独特の文化を確立し維持してゆくことを目的としている。つまりイスラエル民族を周囲への同化吸収から保護し、ひとつの宗教を護持して行く制度がユダヤ教であった。

それに対し、キリスト教は個人の宗教であって、コミュニティの中に混じり込み目立たないものとなった。それは迫害からの保護でもあったのである。
もちろん、十字架など首から下げはしない。それでは逮捕してくださいというに等しい愚行でしかないし、十字架信仰そのものが第四世紀まで存在していなかった。
 


◆軍事力についてはどうだろうか?ペテロに発した有名な「剣を納めよ」、またピラトゥスの前で「わたしの王国は(戦い合う)世のものではない」とイエスは述べたが、それ以上の説明を要しまい。

この条件を満たそうとすれば、キリスト教ははっきりと政教を分離し、政治に関わらないことを意味する。政治に関われば、必ず何らかの争いに関わらずには済まない。 ⇒ 「人はなぜ政治と宗教を・・

ローマ国教化以後、キリスト教も政治権力と結んだときに、ユダヤ教のように武器を持ち、力で異端や異教徒を迫害や攻撃することのできる「世俗的な」宗教となったが、それはキリスト教のものではなく、初期のキリスト教徒は迫害されこそすれ、する側には立たなかった。後代、キリスト教徒同士であってさえ迫害しあうのは第五世紀のアウグスティヌスの関わったドナトゥス派迫害からである。


◆法秩序では、ユダヤ教において「律法」の存在は非常に大きく、モーセの時代から3500年近い時の流れを経て、既に現代生活と合わないところが目だってきたが、なおこれら律法中の規則を墨守することは、人間に巣食う「罪」(原罪)を認めていないことを示している。

つまり「律法」が人間に「罪」あることを知らせ、『キリストに導く教師』となったことを依然認めず、いまだに「律法」を守ろうとすることで、神の前に自らの「義」を示そうとしており、そこから先に進まないことを意味しているのである。(ガラテア3:24)

他方キリスト教では、神の規準である「律法」の規則が人間には守れないものであることを認め、人間の自己救済が不可能であることを謙虚に受入れ、神の遣わしたキリストの犠牲によって、人が初めて救われることを信じるのである。

人間の自力更生不能の原因が、アダムの子孫の誰の血にも流れる悪の傾向である「罪」にあることを理解するので、律法遵守の業では「義」を得られず、アダムの血統にないイエス・キリストの身代わりの死の犠牲無くして「義」を得られないことを一重に信仰する。これが即ち「キリスト教」である。

そこで求められるものは、自らの悪に傾く傾向(倫理上の欠陥)を認める謙虚さである。
つまり、キリスト教徒の求めるべきものは、実質も無く到達できるはずもない自らの言動による「人の義」ではなく、救世主キリストへの信仰による「神の義」である。



したがって、このことが両者の生活規準に違いをもたらす。
「信仰」に基づくキリスト教は個人的なものであり、元々地域社会向きのものではないので、何らかのコミュニティに対して一定の道徳性を要求する権力を持たないし、ユダヤ教のように集団に法規を定めて道徳的行動を要求するものではない。
キリスト教での道徳については、ただ「愛の掟」があるのみである。⇒ 「愛の掟」

「裁かれないために汝も裁くな」の言葉にみられるように、不行跡を指弾するのではなく、むしろ後悔するものを許すのがキリスト教に相応しい。悔いぬ者だけを個人的に極力避けるのみである。キリスト教徒の中では警察力の必要はなく、その恩恵を受けるにせよ、本来それは世俗という外のものである。(マタイ18章)

法規制についてキリスト教徒は良心の指示に逆らうものでない限り、世俗の権威や権力に従いその法を守るが、法秩序はやはり外部のものである。したがって、キリスト教徒は政権から独立して別の法を施行する必要がない。世俗の法規を二次的なものとして、ある程度取り込んでしまえるのである。(ローマ13章)

だが、律法を遵守しようとする国家宗教のユダヤ教ではこうはゆかず、自前の法律である「モーセの律法」が、彼らに自治や権力を求めさせ、他国の法律と衝突するところで、しばしば周辺民族や他国政府との軋轢をもたらしてきているのは今日もユダヤ教徒の有様に見る通りである。(イスラームの政教一致制度の「タウヒード」が同様)


◆崇拝では、キリスト教は本来は儀式宗教ではない*。ユダヤの定期的な牛や羊などの動物の犠牲はキリストの犠牲を模式的に示すものでしかなく、キリストの血の犠牲のように真に人の罪を贖うことはなかった。
*(ローマ国教化以後、キリスト教も儀式宗教に戻っていった)

キリスト教の儀式は聖餐とバプテスマのふたつのみとなり、必要なエレメントは、面倒な種々の動物や様々な収穫物から替えられて、少量の無酵母パンとぶどう酒、それにバプテスマの水という簡単に入手できるものに置き換えられたので、中東に留まらず世界に向けて広がりやすく整えられた。

また、キリストは天にあって初代の弟子らを聖霊で導く中央であり「天のエルサレム」であったから、神殿やサンヘドリンのような地上の中央は必要がなく、却ってあるべきではなかったといえよう。現在は「聖霊」が存在しないので、天の中央はない)


キリストの犠牲によって、かつてエルサレムの壮麗な神殿で行われたような厳粛な典礼はキリスト教の本質ではなくなった。
したがって、キリストの教えは大仰な「礼拝」ではなく、本質的には牧歌的な講話を主体とした「集会」の宗教といえよう。教会での聖体拝領や聖餐の儀式の度に、再びキリストの血が流されるという解釈は、無理なこじ付けであり、ユダヤ崇拝への後退でしかない。
そこに荘厳なバシリカなどの建造物は不似合いであり、それはむしろユダヤ教にこそ相応しい。



◆習慣については

ユダヤの祭りや節会、また聖書を見る限り、本来的に安息日もキリスト教徒を縛るものとはなっていない。(集まりのために日曜の不労働を決定したのは後代のローマである)(唯一の節会は「主の晩餐」)

ユダヤ教徒は外見や定式化された行動からすぐに判別されたが、キリスト教徒は浮世に対して付き合いが悪いほかは一般人と同じ服装をし、異教の神殿内は別にしても*同じように食事する生活様式であり、イエスは弟子らが外見ではなく「愛」によって知られると述べている。(*ギリシア社会では神殿の奉献物を崇拝の一部として食事する習慣が広く行き渡っていた)

初代キリスト教徒の中での指導的立場にある人々は、その立場ゆえの特別な服装をすることはなかっただろうが、これは護教家にして殉教者ユスティヌスが哲学者の黒い服装(パリウム)を着たままキリスト教徒となってから三世紀あたりにかけて、その黒服が僧服に連なることに定着していったようである。

しかし、こうした差別化が僧職者と平信徒の身分へと進む以前には、「父」や「師」と呼ばれることさえキリスト教徒の良心は許さなかったであろう。(マタイ23:8-12)

ローマ帝国が迫害するためにキリスト教徒を知る方法は、服装や習慣という外見に頼れないので、多くの場合「告白」やユダヤ教徒からの執拗な「密告」また「告発」によってであった。記録に残るように、ユダヤ人がキリスト教徒の火刑の薪を率先してせっせと運んだからには、無抵抗なキリスト教徒が火炎に絶命するのを宗教的正義感に浸って眺めたであろう。(ヨハネ16:2)

当然、これは双方の宗教の強烈な不和の原因となった。
やがて、キリスト教徒は度々ユダヤ教徒を惨く迫害したが、これは自分たちの「師」や古代の「聖人たち」の借りの意趣返しだったろうか。

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このようにキリスト教はユダヤ教からまったく別のものに脱皮を遂げていたのである。それ以前の「アブラハム契約」と「律法契約」はキリスト教に於いては「アブラハムへの約束」へと収斂した。

実際のアブラハムの血統がそのままに、それらの契約の成就を受けることは遂に無かったが、それらの契約はイエスの仲介した「新しい契約」に置き換えられることでその目的が保存され、アブラハムの遺産も「神の王国」へと継承され、神の企図はキリスト教へと移った。その移行を証ししたのが、あの五旬節での聖霊降下とイエスの奇跡の業の弟子らへの移譲であった。(ヨハネ14:12/15:26-27)

しかも、モーセの六百もある「条文遵守」が外面的であるのに反し、「愛の掟」の一カ条は人の内面が問われるものである。「義」は個人の行状では得られず、メシア=キリストはイエスであるとの信仰によって得る。
こうして、人の心に働きかける中心的原理も百八十度変えられている。

これは次元上昇と呼んでもよい程の昇華であった。
そうして「愛の掟」をもつキリスト教はかつて存在したことのない価値の高みに揚げられたのである。 ⇒ 愛の掟

これはアブラハムの宗教、そして律法契約から新しい契約へと段階を進む、数千年に亘る
神の歩みである。

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それで、イエスの犠牲の死が触媒のようになって、ユダヤ教からキリスト教への変化を司ったのであり、且つキリストの時代は転換途上にあったことを我々は理解する必要がある。


キリスト教が成立するためには、キリストの犠牲を受けてのち、数十年の時の経過を以って「聖霊」の指導を得て時の経過を待つ必要があったが、そうして「キリスト教」は使徒たち初代の弟子のうちに出来上がっていったのである。

この「聖霊」とは、キリストが去る以前に弟子らに与えると予告していた特有のものであり、当時の弟子らにも奇跡を行わせ、律法契約には無かった新たな段階の教えを知らせる神からの使いのような働きを行った超自然のものであった。この奇跡の「聖霊」なくしては、キリスト教は歴史に登場しなかったと言って過言ではない。

新約聖書には、キリストの直弟子ら、また初期の人々の必要を満たし、ユダヤ教からキリスト教を脱皮させる言葉の数々が記されているのである。聖霊を受けた初期の弟子の目的は人類全体の救いとなることであった。
したがって、これらの状況に基づき新約聖書中のキリストの言葉を判断することが求められているのである。

つまり、どのような状況で誰に対して述べられた言葉であるのかというような背景を考えに入れて読まれなくてはならない。
そのためには、聖書歴史のあらましを注意深く読んでおく必要がある。⇒推奨書籍

それに加えて、実のところキリスト教の記述部分にあっても、それが選ばれた聖霊の持ち主たる「聖徒」(聖なる者)に述べられた言葉か「信徒」に述べられたものかの区別も必要になってくる。(ルカ12:41)

聖書の大半の記述は人類の救いに関わるものであっても、直接にはその手立てとなる「聖徒」というキリスト教徒の中でも格別な人々に向けて大半が語られ、書かれているという事はどうしても見過ごすことができない。

つまり、キリスト教とは人類救済の準備段階の宗教なのであり、けっして信者を天国に召して終わるものなどでは断じてない。
そこで聖書という書物は、世の人類全体を救うための神の手立てとなる人々について書かれたものであり、けっして個人のための「人生のガイドブック」のようなものでも、「道徳の教科書」のようでも無いのである。⇒ 「聖霊と聖徒

「旧約聖書」というものは、古代メソポタミアのシュメール文明期の人、アブラハムに向けて語られた彼の子孫が人類の救いとなるという予告に始まり、モーセを通して神との律法契約と、それに預かったアブラハムの血統上の子孫「イスラエル民族」(ユダヤ人)について記述を続けたものである。

そして、遂に予告されていたキリストの到来によって、「血統」ではなくアブラハムのような「信仰」を示した人々と結ばれたキリストによる「新しい契約」による、人類救済の手立てとなる人々、つまり「聖なる者たち」の現れと、新たな教えの確立を語り継いできたものなのである。それゆえにも、聖書の新しい部分は「新約聖書」と呼ばれるにふさわしい。


それで、今日聖書を手にする人々が、聖書中で「あなた」と呼びかけられたからそれが自分だと思い込む前に、立ち止まってその言葉の背景を見回すべきである。そうしないなら、その意味を取り違える危険が常にある。それは途轍もなく大きな間違いを招くに違いない。(使徒時代にはエクレシア(集まり)の大半は聖霊を受けた聖徒であったが、以後減少し第二世紀中頃に消滅している)

もし一般の人が、その精神を敷衍されて教えられるならともかくも、何であれ聖書のそこにある言葉をそのまま自分に語られたものであると解すとしたら、それは何と云うべきであろう。

聖書は、人類救済の手立てとなる特別の人々に対して語り掛けているのがほとんどなのであり、個人の生活上の幸福をもたらすために書かれたものではなく、「この世」という、混乱し争い満ちる人類全体を覆う「罪」と呼ばれる悪の傾向から、あらゆる人々を救うというほどにダイナミックな内容が聖書に込められているのである。



だが、かくも優れた進歩をみせたキリスト教も、聖霊を通したイエスの指導(監臨)が終わり聖霊が去ると、やがてその本質をまったく理解しない為政者によって、元いたユダヤ教のスタイルに押し戻されてしまう事態が訪れる。

それが、今日の主要なキリスト教の伝統を作り上げたローマ国教化であり、これを通してキリスト教はコミュニティの宗教となり、帝国全体に国民の宗教として強力に押し広められていった。

このときにローマ皇帝の介入によって、不仲であったユダヤ教とキリスト教は、国法によってさらに分断され、ユダヤ教は約束されたメシアが未到来となって今日まで三千数百年に及び、律法の遵守による義に固執して「罪」を認めず、新約を読まないので、旧約の対型的意味を探らず、古代の掟をタルムードなどで修正しながら現代までしのいできた。

キリスト教の方は、帝国の法令によって新約で求められてもいない安息日を、ユダヤと異なる日曜に移したばかりか、他方ではヘブライの知識を嫌ってヘレニズム化を許し、ギリシア=ローマ型の教えを別に作り上げて、異教の天国や地獄の教えを混入し、三位一体や聖人崇拝によって多神教化させた。

イエスでさえエルサレム神殿での崇拝の対象としていた唯一神YHWHまでをも捨て去り、『父のほかに良い者はない』と神を尊ぶイエス自身を、その死に至るまで見事な忠誠を示して父の神性を立証したキリスト(「任じられた者」)を、却って三位一体の曖昧の中でいつの間にやら勝手に神に担ぎ挙げてしまい、ユダヤ人を「主殺しの民」と呼びつつ、ユダヤ教徒らとはその神YHWH*を同じくしたくなかったところを、今日に至るまでキリスト教徒は古代の反感と対立の故事を忘れて無頓着にそのまま歩んでいるのである。 *(今や発音が忘れ去られた至聖なる神の御名[יהוה]⇒「シェムハメフォラーシュ」)


こうして、ユダヤ教とキリスト教の古代からの不和は、聖書全巻に流れる一貫した新旧の教えを双方ともに失わせるものとなり、現在に及んでいる。
ユダヤ教とキリスト教のどちらも古代と中世のかび臭く暗い蒙昧の中でいまだに足踏みをしているというべきか。

それであるのに、何とも御目出度いことに、それぞれの信徒の多くはそれぞれの教えで満足しているようである。
おそらくそれは、悠久の神の意志ではなく、自分の「救い」という利害に関心が向いているからであろう。

だが将来、神はキリストに再臨を許し、聖霊が神の声を知らせることになるという。(マタイ10:18-20)
再び、聖霊を注がれる「聖なる者」を通し、世界はこれを聴くのであろう。(ヘブライ12:25-27)

そのときこそ、キリスト教は再興し、すべての人に真の信仰の求められる時となるのだろう。





                               新十四日派      ©2011  林 義平

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