quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

2012年03月

2012年 「主の晩餐」の挙行の案内


2012年4月5日の日、その日没後はユダヤ陰暦のニサン月14日に入り、キリストが磔刑で死を迎える直前の最後の晩に相当する夜となった。

キリストの命じたところに従い、その死を記念し、かつ宣らるべきところの、無酵母パンとぶどう酒を用いた儀式がこの晩に行われた。

それは、多くの教派で「復活祭」(イースター)とされ、日曜日に行われている行事に当たるが、これに対して最後の使徒ヨハネを擁した小アジアでは、西暦第二世紀までユダヤ人の「無酵母パンの祭り」の始まる前日であるニサン月14日の夜にキリストの最後の晩餐を記念するこの儀式「主の晩餐」(パスカとも)を行っていたことが知られている。 ⇒ パスカ日付について

そのため、小アジア地方のキリスト教徒は「十四日派」と呼ばれていたが、その名称そのものが、既に別の地方にあっては、パスカがその日に行われなくなっていたことを知らせるものとなっている。
それでも、「十四日派」は初代キリスト教の完成者と目される最後の使徒ヨハネの伝統を残すものであったといえる。

第二世紀の日々が彼方に過ぎ去った第四世紀以降ともなると、以前から犬猿の仲であったユダヤ教徒とキリスト教徒の不和はローマ帝国国教化で動かし難いものとなってしまい、今日広く見られる「復活祭」を行わせようとする国教側の圧力によって、小アジアの「十四日派」は周囲のキリスト教派からユダヤ的であると批難され追いやられ、ついには姿を消してゆく。


使徒ヨハネについて云えば、イエスの最後の晩餐において、まさに主のふところで過しており、十二使徒の中ではおそらく最年少であるとこからか、イエスから特に「愛された弟子」であったと自分について書いている。

彼にとってイエスこそ、その肌で感じるほど御傍で仕えた主であり、第二世紀に入ろうかという老齢に至ってなお、65年以上前のキリストと過したニサン14日の晩を心に深く刻んでいたことは、その名を冠する福音書が五つの章にも渉ってその時のイエスの言葉を収録している事が示していよう。

かつて、彼は主の帰天後の日々、使徒ペテロや主の弟ヤコヴと共にエルサレムの「柱と思える」主要な立場にあって、ユダヤ人への宣教と世話に従事していたであろう。

しかし、ユダヤ体制の処罰の滅びが降るに以前に、おそらくはデカポリス方面に移住して難を逃れ、磔刑の場で主イエスから依託された主の母マリアの扶養をしつつ、後に小アジアの主要都市エフェソスに腰を落ち着けたと伝えられている。

使徒ヨハネはこの地方のキリスト教徒を指導しつつ、黙示録や福音書などを記して新約聖書を封じることになった。
それは黙示録で「七つのエクレシア」として象徴もされた、往時の小アジアの人々によって「純粋な時代」と呼ばれた初代キリスト教の完成期といってよいであろう。そのときに主は依然、聖霊を介して彼らに監臨を続けていたであろう。  ⇒ 「純粋な時代」 ⇒ 小アジアのキリスト教


その使徒ヨハネの弟子たちが築いた小アジアのキリスト教の特徴のひとつに、ユダヤ人が「パン酵母を除く日」すなわちニサン14日に「主の晩餐」を挙行する伝統があったのである。


そして近代以降、「純粋な時代」の伝統に沿うかのように「主の記念式」と銘打って、ニサン月14日の晩(またはその前後)にパスカを行おうとする宗派も現れてきているのは喜ばしい事と言ってよいだろう。

この状況で筆者も、使徒ヨハネの伝統に密接に従うことを目指し、「十四日派」の再興を期して「主の晩餐」を挙行した。これは原点回帰を目指す意義を持つだろう。

パン種を入れないパンを食すことは、それに与る「聖徒」らが、罪なく汚れないキリストの体を共にして義と永生を得ることを、赤ぶどう酒の杯を共にすることは、アブラハムの遺産を相続するキリストの血(血統)に彼ら「聖徒」が共に連なって「神のイスラエル」を構成し、且つその遺産たる諸国民の光、「神の王国」を受領すべき「新しい契約」に参与し、またキリストの犠牲を以って契約が発効することを象徴するものとなる。(Joh6:58/Rom8:1/Eph2:13)

これらの意義は、人類最大の問題点の解決を意味するだけでなく、神の神たることの立証に関わる事柄である。(ヨハネ13:31)  ⇒ キリスト教の究極の目的

これらの表象のエレメントを前にして、できることなら有志が集まって、ヨハネ福音書の13章から17章を朗読なさるのが良いと思われる。
その箇所を通して、天に戻るイエスが地上に残す弟子たちへ深い愛のうちに与えた訓戒と、励ましの優れた言葉とを、その晩への様々な観想を伴って、またキリスト帰天後の聖霊の役割の重さも含めて深く再認識できるものと思う。


筆者は、今年は東京都内(神田)で場所を借りてこれを行った。
予想外の反響を呼んだことにいくらか驚かされた。


 ⇒ 2013年「主の晩餐」 小アジアの使徒伝統                                


                 新十四日派   林 義平
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以下のリンク先では、この儀式に関してより丁寧に説明しておいた。
 ⇒ 「主の晩餐とは何か」


 
   「主の晩餐」とは何か

   ポリュカルポスとアニケトゥス

   ディダケーの描く「主の晩餐」

   主の晩餐で忘れられてきた二つの意義

   血の禁令を超える『主の晩餐』







主の記念式2012年

『この世代は過ぎ去らない』 理由




人というものは「自分が裁かれる」という漠然とした心配を懐く傾向を持っている。
それはキリスト教に限ったことでもなく、人間存在の危うさの自覚からか、様々な宗教、また民族に広く見られるところからすると、よほど鈍感であるか、サイコパスでもなければ、これは人に普遍的な恐れなのであろう。

人は、自らの行いについて、自分自身の良心の咎めを感じずに生涯を終えることはまず無理である。我々に備わった善悪判断を行う「良心」というものが、自分自身について疑念の警告を、あるいは罪を宣告するようなことをしばしば経験するからこそ、人間の社会はある程度の秩序を保っていられるに違いない。

やはり、この世に悪が横溢する一方で、勧善懲悪の物語が人々を安堵させるのも、我々の「良心」が何らかの安住の地を求めている証左ではないか。

その「良心」というものに照らして自分を省みるなら、人は自分の生きて来た軌跡の上で、「本当に正しかったか」という問いについて、多少とも誰もが不安を感じるものであるし、或いは、取り返しのつかないことをしたものだとの、深い自責の念に捕われる辛さを味わうこともあろう。

さて、聖書に於いては、「終末」と呼ばれる「この世の終わり」を意味する概念が存在していることはよく知られたことである。
イエス・キリストも福音書の中でそれを語っており、キリスト教を信奉する以上は「終末」という概念から逃れることはまずできない。

だが「この世」が終わり、キリストの支配する「新しい世」が始まる前に、人類世界が『神の裁き』に直面すると云うそのことは、人をして恐れを抱かせるものでもあり、できることなら裁きを逃れ、あるいは裁きで無罪放免を勝ち取ることを願わせるものともなり得る。

そこで、いくつかのキリスト教宗派は、その恐れを相殺するかのように、信者たちが「神の裁き」を通過できるものと教えているが、それが即ち、それぞれの宗派に属し、それぞれの教理を信じることで裁かれる恐怖を打ち消すメリットとなっているのである。それだけ大抵の人は、自分の倫理性に自信が持てないということであろう。確かに、聖書は人には皆『罪』があるとしているのである。

また、信者の天国行きを請け合う、諸教会の中には「終末」を説くのは異端とまで口にするところもあるようだが、実はこれもその漠然とした恐怖の裏返しであり、自分は救われたと言い聞かせながらも、逆に内心では「終末」での危うい神の裁きを意識させてしまうことではないだろうか。

それにしても、なぜ神は裁きを下すのか、人の何に対してそうするのか、その判断基準は何か、というような根本的なところについて、当の怖がっている信者らからは然して問われないように見えるのは何故だろう。それでは恐怖を抱いているばかりで、そこを宗教家に利用されてしまわないものだろうか。

やはり、聖書には間違いなく神の裁きが行われる「終末」が書かれており、他ならぬイエス・キリスト自身が語った「この世の終わり」についての預言の中には、世の「終末」が始まってからその期間の苦難が終わるまで、「(特定の)世代が過ぎ去ることはない」との言葉がある。

そこで「この世代」というキリストの言葉に根拠を置いて、「終末」の時期を「自分たちの世代」に想定し、それを信じてきたキリスト教徒たちもいるのである。
つまり、自分たちの世代が『過ぎ去ることはない』とのキリストの言葉に保証されており、自己存在が「過ぎ去らず」「保たれる」という願望への保証のニュアンスを感じ取り、大きな希望をこの言葉に懸ける信仰である。


ではまず、三福音書それぞれに記された、そのイエスの言葉を見てみよう。
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マタイ書24:34
まことに。あなたがたに告げる。これらのこと(終末の災い)の全てが生じるまでは、この世代(ホゲネア)は決して(アメン)過ぎ去る(パレルセー)ことはない』。

マルコ書13:30
まことに。あなたがたに告げる。これらのことが全て生じなければ、この世代(ホ ゲネア)は決して(アメン)過ぎ去ら(パレルセー)ない』。

ルカ書21:32
まことに。あなたがたに告げる。すべてのことが生じるまでは、この世代(ホ ゲネア)は決して(アメン)過ぎ去る(パレルセー)ことはない』。

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このように、どの福音書もほとんど同じ内容であり、しかもイエスが『この世代』が『過ぎ去らない』ことを『決して』と強調しているのが分かる。これが何を意味するかが気にならぬわけもない。


そこで、そのひとつの「世代」のうちに「この世の終わり」が完了し、世界がキリストの支配する「楽園」になると教えてきた宗派もあるのだが

それを信じた人々は、自分たちがその「世代」であると教えられ、恰も、神の新しい世に死ぬことなく入ることのできる「黄金世代」のように、自分たちが幸運で目出度く選ばれた時代に生まれたとの喜びに大いに沸き、信仰の流行ともなった。

この人々は「神の裁き」を事前にパスしているかのように、既にその先にある神のパラダイスに希望を託してもいるのである。だが、それは本当にキリストの語った「世代」という言葉の真意に沿った理解なのだろうか。

もしそうなら、それがどの世代かを知ることで、世の終わりの詳細な月日はともかく、大よその時期が把握でき、まさに「黄金世代」に選ばれたような興奮があり、その期待と喜びがその人々の崇拝の原動力ともなっているであろう。そこでは死への恐れすらもが忘れ去られているのである。
つまり神の裁きについては、既に信者になった時点で赦されており、信者であるという状況を保持することの自力本願で、その赦しの条件を保てば良いということになろう。

これらの人々の思考の中心は、終末に行なわれる「裁き」で何が問われるのか?また「苦難」をどう通過するのかと云うところは飛び越して、裁きの規準を自分たちで定め、その先の「良い生活」の方について、自分なりの妄想を膨らませてしまっているようにさえ観察されるのだが、それほどの自己への確信はどこから来るのだろう?

しかし、その前に、本当にそれが聖書の語る真意だろうか?
つまり、キリストは終末で起こる事象のすべてが「この世代のうちに訪れるので、幸福な良い生活は目前だ」と言って、間近な「楽園」の到来というご利益信仰を励ましていたのだろうか? では神の裁きの要諦は何であるのかは考えなくてよいのだろうか?ただ生き残ることを願い、一定の道徳基準に達していれば良いのだろうか?
しかも、それは本当に幸運な「黄金世代」のようなものだろうか?


そこで本頁では、キリストの終末預言で強調された、この世の体制の終りに臨む『この世代』(ホ ゲネア[ὅ γενεὰ])という言葉に着目し、その意味を探ってみよう。

この頁でまず探るところは、ユダヤ人の弟子らの見方である。ユダヤ人であった弟子らにイエスの言葉が語られていたからには、当時のまさに『この世代』のユダヤ人の背景による理解の仕方をまず追うことが言葉の真意を捜す出発点として相応しい。

当時の「世代」に属した弟子たち、またルカがはっきりとその認識を示すところの観点、他にペテロやヘブル書の筆者が示す理解のそれぞれが指し示す方向に目を向けると、『この世代』発言のイエスの意図について明瞭に見えるものがある。

では、この終末預言において、その「(特定の)世代が過ぎ去らない」とのイエスの言葉は何を意味していたのか?
ユダヤ人であれば、またイエスと三年ほど行動を共にし、その言葉を聴いてきた使徒らであれば、これをどう聴いたのだろうか?

また、師イエスから『彼(人の子)はまず、多くの苦しみを受け、この世代から捨て去られなければならない』との言葉を聴いていた使徒たちは、その『世代』をどのように理解しただろうか。(ルカ17:25)

これらを知ることが、この言葉を理解する重要で第一の手掛かりとなる十分な理由があり、その観点から見る場合、とても「黄金世代」のような夢を描けるものでは無いことがはっきりと見えてくるのである。


-◆かつて特定された「世代」----------

さて、イスラエルの歴史上、特に注目された「世代」がある。
最も顕著な例といえば、モーセに率いられてエジプトを出た、その「世代」であろう。

この事例は、以下に見るように旧約でも新約でも繰り返されるテーゼであり、エレミヤの頃の滅びに定められた「世代」の例もあるが、「世代」に関して荒野のイスラエル以上に注目されるべき型もないであろう。

さて、イスラエル民族はエジプトに居る間にも、大いなる神の奇跡の業を目撃して十度に及んだ。
それから、神がイスラエルの大集団をどう救い、エジプト軍をどのように打ち破ったかを紅海で大きな驚きと感動と共に目撃することにもなった。

荒野を進む数百万を雲と火の柱で導き、天からのパンで養ったことも自ら経験したことである。
それらすべては、彼らを約束のカナンの地に導き移住させるという、神がアブラハムに示して以来の不変の意志であったことをその度に思い起こされたであろう。

そしてエジプトを出て二年目に、モーセがカデシュ・バルネアから12名の斥候を移住先の土地に放ち、そこを探らせたときに彼らは大きく躓くことになる。

斥候は皆、そこが豊かな土地であることを認めたものの、十二人のうちの二人を除いては、そこの住民らの背が高く強いこと、また城市の壁が非常に高大で征服は出来ないと言い張ったのである。

しかし残った二人、エホシュアとカレヴだけは、神は必ずこの地を与えてくれるとの信仰を言い表し、皆を説得しようと奔走した。
それでも、イスラエル民族は「約束の地」への希望をすっかり失ってしまい、宿営全体が喪に服すかのように声を上げて泣き悲しんだのであった。

ここに至って、神の怒りは燃え上がった。
いつまでこの民はわたしに敬意の欠けた振る舞いをするのか!わたしが彼らの中に行った印の業を見ながら、いつまでわたしに信仰を置かないのか!』(民数14:11)

彼らの神に対する敬意の無さは、このときに始まったものではない。
エジプトや紅海の奇跡を目の当たりにし、神を賛美して歌ったその同じ者たちが、荒野で水に困っては不平を言い、天からの奇跡のパンを食しながらも肉を欲したのであった。

神はその都度、彼らの必要やわがままを満たしてさえしてきたのだが、遂に、彼らはエジプトの苦役から救った本来の神の目的である「約束の地」への入植を不可能とし、エジプトに戻ることを考えるところまで進んでしまったのであった。

遂に、神はこの民族を滅ぼすとモーセに告げた。
しかし、仲介者モーセは神の聖なる名を汚すことになるからと、神を制するのであった。
確かに、滅ぼしてしまってはアブラハムへの約束は立たず、諸国民はYHWHを嘲弄することにもなろう。

そこで神はモーセの言葉を容れ、イスラエルを滅ぼすことはしないが、エホシュアとカレヴ以外の二十歳以上のすべての者、つまり「世代」に属する者全員には約束の地を踏ませないと宣言する。神は彼らをはっきりと『邪まな世代』(ハドル ハラ[הַדֹּ֥ור הָרָ֖ע ])と呼んでいる。(申命記1:35)

人格が固まり、その人がどのような人であるのかが決まるのが二十歳であると今日では言われ、それ以上の年齢に達した人々が基本的な信念を変えることは難しいらしい。
特に十代の後半は身体だけでなく、人格を造り上げるうえで重要な時期と言えよう。
神は、青少年の世代が年長者らの不信仰から教訓を学び、新たな民の礎となることに望みを繋いだとも言えるようだ。

こうして出エジプトの「世代」が寿命を終えるまで、イスラエルはセイルの荒野をさまよいエジプトから四十年を経過するに至るのであった。それは神が、ひとつの「世代が過ぎ去る」のに費やした四十年であった。

やがて、その邪悪な世代が絶えると、この集団はカナンの地に向かい、遂に目的を達して入植を始めることになる。
しかし、神の業を目撃しその恩恵に与りながらも、神に信仰を持てず、その意図を汲むことの出来なかった「世代」は、『乳と蜜の流れる』「約束の地」に入ることはなかった。宣告の通り、ふたりの例外を除いて「世代」のすべての者が尽く荒野に倒れたのであった。

後代、ヘブル書はこれを次のように評している。
聞いていながら、御怒りを惹き起こしたのは誰であったか。モーセに率いられてエジプトを出た全部の者らではなかったか。


四十年の間、神の憤ったのは誰に対してであったのか。罪を犯して屍を荒野にさらした、あれらの者たちではなかったか。


また神が、ご自分の安息には入れないと誓われたのは、従おうとしなかった者たちに他ならない。それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のゆえであったと我らは知る』。

(ヘブル3:16-19)


-◆邪悪でねじけた「世代」------------

では、時代は降ってイエスの預言で語られた「世代」はどうなるだろうか。
イエス自身、その当時のユダヤ人の「世代」について度々言及しており、その評価を知ることができる。

マタイでは、その「世代」は邪悪で、異邦人すらもが彼らを罪に定めると暴露される。(12章)

また不信仰でねじけており(17章)

創世記のアベルから始めて、ずっと後代の祭司ゼカリヤの犠牲の血の罪までが、すべてまとめてこの「世代」に求められるという。(23章)

それはマルコやルカの書でも変わらない。
この「世代」はしきりに印を求めるが、与えられず(マルコ8章)
約束のメシアは「この世代」から退けられることになる(ルカ17章)

ユダヤ体制の来るべき処断の滅びの原因は、そのユダヤの世代が『自分たちが査察されている時期を見分けなかった』からであるとイエスは指摘する。

その「査察」(エピスコネース)とは、「契約の使者」メシアたるイエスの到来であり、彼に対してユダヤの全体としては信仰を見せなかった。彼らは律法に固執し、新しい契約を携えたメシアを明らかに退けた。それはローマの権力に渡して処刑を迫ったところに、また、使徒らの活動に反対し弟子らを迫害したところに否定のしようもなく表れている。

実は、ユダヤ人はマラキ書に描かれる『契約の使者』を非常に恐れていたことが、ラビ文学に記されていたのである。
ラビたちの中には、「ゲーヒンノムの裁き」と「マゴグのゴグの攻撃」と「メシアの艱難」から逃れるためには、安息日に必ず食事を三度採るべしという、まじないのような教えをする者さえあった。(ラビ、ベン・パズィ)

「メシアの艱難」とは、実にルカ書の『査察』に通じるものがある。
マラキの預言にはこうあったからである。
その来る日には、だれが耐え得よう。その現れる時に、だれが立ち得よう。彼は金を吹き分ける者の火のようであり、布晒しの灰汁のようである。』(マラキ3:2)

そして、やはりマラキの預言は避けられなかった。
ユダヤの体制は、イエスの奇跡の業にも信仰を持つことなく、「三年世話をしても」「二度と実を付けることのないいちじく」と評価されたのであった。(マラキ3:1/ルカ13:6-9/マルコ11:13)

そして、イエス・キリストが刑場に引っ立てられる途上で、彼の姿を見て泣く女たちに向かって語っていた言葉がルカにある。

エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。あなたがたと子供たちのために泣け。「不妊の女と孕まなかった胎、乳で養わなかった乳房は幸いだ」と言う日がやがて来る人々は山に向かって、また丘に向かって、我らを覆えと言い出すであろう』。

即ち、約束のメシアを退けて以後、その悪行の酬いはそのユダヤの世代の内に執行されなくてはならない

そして、その裁きの処断は、「イエスと同じ『その
世代』が過ぎ去る前に間違いなく到来した」ということができるのである。即ち、西暦七十年に起こったローマ軍によるユダヤとエルサレムの荒廃と神殿の完膚なきまでの破壊を指している。

この件では、既にバプテストのヨハネが現れたときに、キリストが『聖霊と火とでバプテスマを施す』と述べており、『小麦は蔵に』『籾殻は火で』という言葉にユダヤのその世代が受けた選別が明瞭にされている。メシア信仰に至った者には聖霊が、退けた者には戦火が臨んだのである。

『籾殻の焼却』は、ユダヤ人からの収穫が終わったことを表しており、ユダヤ体制は神との格別な関係も、赦しと
恩寵を享受した時代も終わったことを意味し、ローマ軍の攻囲の後に神殿祭祀も神名も、自分たちの家系図も失い、流浪する民となっていったところにそれが明瞭に見えている。

そこにおいて、神YHWHは律法体制をまったく終わらせたというべきであろう。神殿無きユダヤ体制には、以後二千年が経過しようとしており、もはや完全な律法遵守の見込みが絶え果てたのである。もはやイザヤの預言したような「回復」は彼らに約束されておらず、今日まで神殿は地上に戻ってはいない。(ルカ23:28-31/ルカ19:42-44/マラキ3:1-3)⇒「アリヤー・ツィオンの残りの者」

『その世代』のユダヤ体制は予告されてきた貴重なメシアであるイエスを退けたのであり、それは明らかに神の意図からの逸脱であった。
パウロが言うように『律法はキリストに導く養育係』であったなら、当代のユダヤ民族はそのキリストを拒絶することにおいて、律法契約の最重要にして辿り着くべき目的を逸していたという以外ない。やはり彼らはイスラエルの目的地に入ることを拒んだのである。(ガラテア3:24-25)

その一方で、イエスの弟子たちへの聖霊の注ぎは、神の恩寵がメシア信仰を見出した人々に移った証しであり、イエスの奇跡の業は使徒らを中心に継続されていったばかりか、世界に向けて広がり始めたのであり、そこに神の意図をユダヤは見るべきであったが、彼らはキリストだけでなく、その弟子らの聖霊の働きをさえ否認したのである。(サムエル第一8:8/使徒7:52)

イエスはユダヤの宗教家に対してこう語っていた。『
アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたゼカリヤの血に至るまで、世の初めから流されたすべての預言者の血の咎がこの世代に問われるためである。』(ルカ11:50)

ヘブライ人とされるキリスト教徒ヘゲシッポスもこの言葉と同様の見解をもっていたが、それ以前に、ルカが他ならぬメシアの言葉としてユダヤ懲罰滅亡論を記録している以上、それがユダヤ教徒に極めて受け入れ難い内容であっても、キリスト教徒がこれを否定するわけにはゆかないのである。

つまり、ユダヤ民族がその神YHWHに示してきた不信仰と、遣わされた預言者らを迫害することによって示した反抗との総決算がメシアとその弟子らへの殺害を以ってまとめられ、その報いがメシアの世代に臨むということのこれ以上ない証しの言葉といえよう。

これについてはキリスト教徒ではないフラヴィウス・ヨセフスですら以下のように記している。
『創建のときのような繁栄を享受していたならば、まちがいなく羨望の的になっていた都、
破壊をもたらす世代を生んだというだけの理由でかくも大きな不幸をなめることになった都、その都が今こうして焼け落ちたのである』(戦記Ⅵ・8:5 秦剛平訳・下線筆者)


だが、それは『この世代』への断罪であって、キリスト教徒への迫害を行わなくなった後のユダヤ民族が神から糾弾されているのではない保証も与えているというべきであろう。彼らから『選ばれた民』としての恩寵は聖霊によって召された『神のイスラエル』へと移ったが、今日のユダヤ人は神の御前に他の民族と立場は変わらない。ただ、彼らの歴史や言語、伝統文化から学ぶところが多く、この民族は今でも神との邂逅の証言者といわれるべき立場にある。


以上を概観すると、キリストは患難がどれくらいの期間に及ぶかという「期間の長さ」などを知らせ「もうすぐだ」と希望を与えようとしていたのではないことが見えている。まして、イエスの言葉を聴いた四人の使徒の内の二人は、早くも神殿の破壊される以前に迫害に遭って殉教し過ぎ去っているのである。

そこでユダヤ体制の「処罰」であるゆえに遅れることがないという意味で、『すべてのことが起こるまで、この世代は過ぎ去らない』とイエスは言われていることは、事態を見たであろうそのユダヤ人の世代の観点からすればまったく明らかなことに違いない。

メシアを退けた『世代』はその酬いとしての「すべてのことが起こって」その災禍を味わい尽くすべきであったのであり、それは間違いなく「ひとつの世代」への決然たる糾弾の言葉であったのだ。

メシアの当時のユダヤにはいまだ幾らかのイエスを受容れる者たちがおり、その後もイエスを信じる者が出るという幾分かの水分を含んだ『生木』の状態にあったが、弟子になり得る者らも絶え、乾き切るなら、どれほどの処罰が待っていよう。
実際の歴史で、ユダヤは二つのパリサイ派の下で愛国主義を極度に高めてゆき、その途上で、ローマに処刑されたようなナザレのイエスなど、到底メシアには程遠いと、イエス派の排除が進んでいった。そうしてユダヤは神の御前に水気を失っていったと云えよう。(ルカ23:31)

神の処断を恐れる者らが、山や丘に保護を求めて自分たちを覆ってくれるように言う場面は「終末預言」や黙示録に見られ、元来は旧約の預言者たちの「神の処断」を表す言葉であった。
したがって、その預言の言葉は、イエスと同じ『
世代』に臨む事柄も処罰としての滅ぼしであることを物語っている。


そこには「ふたつの世代にまたがる」と云うような意味の余地はなく、イエスが預言の言葉で「患難がいつ終わるか」を予告していたというなら、それは主の意図に目を留めないことにおいて的外れであるばかりか、そこからご利益に預かろうとする浅ましさまでもが透けて見えるほどである。

即ち、自分の世代が「黄金世代」であると信じ込むところにおいて、その人々の関心は主なるイエスの意向ではなく、専ら自分の利益に向いているのである。終末の裁きに関する神の意志を探るよりは、自分がどうなるのかの方が余程重要なのであろう。

『この世代は過ぎ去らない』との言葉が、単なる時間の長さを語っていたのではない証拠に、五旬節では集まってくるユダヤ教徒の群集に向かって、多くの言葉をもって『この曲がった世代から救われよ』と熱心に説き勧めていた使徒ペテロの姿が見出されるのである。(使徒2:40)

ペテロの『あなたがたはこの方(イエス)を磔にして除いたが、神はこの方を主ともキリストともされたことを知れ!』という指弾の言葉に、集まった「この世代」のユダヤ群衆は心を痛めた。「かつてなく罪の重い世代」とされたからである。

つまり、メシアというこのうえもなく重要な人物を拒絶したところの、不信仰で邪悪なユダヤの「曲がった世代」から離れ、『救われる』ようにとペテロは繰り返し「この世代」のユダヤ人に勧告していたのであり、彼をはじめ終末預言を聴いた使徒らが「この世代」という言葉をどう理解していたかは明白といえる。

そこでペテロは「ひと世代」という時間の区切りの迫っていることを言わなかった。
むしろ重要な事は、時がどうかではなく、神の意志に共感し、その五旬節の日から聖霊によって救われることであり、メシアを殺害するほどに不信仰なユダヤの「悲劇の世代」に巻き込まれないよう行動するべきであったのだ。

後にヘブル書もユダヤ人に説き勧めるために、彼らのよく知るであろう詩篇95篇を引用する。

それゆえ聖霊が述べる通り、「今日、もしこの方の声を聞いたなら、苦々しさを惹き起した(かつての)時期のように、荒野で(神を)試したように心を頑なにしてはいけない。

あなたがたの父祖はそこでわたしを試した。それも四十年の間わたしの業を見たうえでのことであった。

それで、わたしはこの世代を嫌悪し、“彼らは恒に心をさ迷わせ、わたしの道を知るに至らなかった”と宣した。また誓って言った“彼らにはわたしの安息に入らせない”」。

(ユダヤの)兄弟たちよ!あなたらの中からも生ける神から離れた邪悪で信仰の欠けた心を、誰もが抱かないように注意しようではないか。
』(ヘブル3:7-12)

このヘブライ人宛ての書簡が記されたときにはおそらくイエスの弟ヤコヴは既に世を去り、西暦66年のユダヤ戦争勃発までは僅か年月のことであったろう。
従って、彼らイエスに信仰を抱いたユダヤ人が荒野のイスラエル人のようになってしまうことは極めて危険なことであった。

つまり、多くの奇跡を見ながらも不信仰のままで、神の目的を見分けず理解せず、遂に神の是認を失って神の憤怒を受けるユダヤの「世代」に含まれてしまう危険である。

やはり、ユダヤとエルサレムそして神殿の滅びは断罪であり、処罰であり、律法体制の清算となるものであったことはとても否定できるものではない。

したがって、イエスを葬った邪悪な世代が尽きる前でなければ処罰の意味を成さない

彼らこそ、歴代の預言者たちの「義の血」を流し、遂にメシアをすら除き去った『すべての義なる血の清算』が求められる『世代』に他ならないからである。(ルカ11:51)


-◆神はユダヤ人の悔い改めを待つ-------

しかし、ユダヤ人は永い間律法体制の中に歴史を過ごして来たので、その宗教的良心をすぐにキリストに合わせることが易しかったとは言えない。

それゆえ、神はイエスの弟子たちに聖霊を与え、その著しい奇跡の賜物を以ってユダヤ人への徴とし、イエスの業が続行されるよう取り計らった。エルサレムのエクレシアでは、ユダヤ人一般からも深い尊敬を受けた義人ヤコヴがユダヤの民衆からの帰依者を集めていた。

パウロが逮捕される頃、またヤコヴの生涯の終わり近くには、弟子の数はユダヤで数万に達していた。これらの帰依者たちは、まさに神の「善意の年」の期間をよくよく活用したといえよう。だが、それもユダヤの民全体からすればほんの一部に過ぎなかった。(使徒21:20)

その一方で、メシア拒絶の処罰は大多数の「この世代」に対して遅れることなく執行されねばならない。イエスが言われるように『けっして過ぎ去らない』、いや処罰であるために過ぎ去ってはならないのである。

約束の地を拒否した荒野のイスラエルに神の怒りが臨んだのであれば、神の「御子」を退けて殺害した民に、それ以上の神の憤怒の「世代」に臨むは当然であろう。

イエスの刑死を西暦33年とすれば、ユダヤ戦争の勃発する西暦66年の時点で、既に33年、決定的処断の行われた西暦70年までは37年となる。

荒野で神が「ひと世代」を待った期間が40年。その内のカデシュ・バルネアから彷徨を続けた後、セイルとモアブの国境にあるゼレド渓谷を下りヨルダン川に至るまでが38年。(申命記2:14)
同様にメシアを拒絶したユダヤへの処罰も、やはり神が荒野で待った「ひと世代」の期間内の出来事であったのだ。

イエスの刑死から37年目にしてユダヤに下った滅びが、まさにそれがメシア殺害という、神のきわめて重要な目的を踏み躙る不信仰な暴挙に対する処罰を意味することは、ルカの伝えるエルサレムの女たちへの『自分のために泣け』というイエスの言葉に沿うものであることも論議を補強する。

それは同時に、弟子らを時代の苦難に備えさせ、その「世代」と共に処断されぬよう注意させるものとなったであろう。
したがって、先のヘブル書の記述は、その「世代」の処罰の始まりを数年(四年か)の間近に控えた、まさに当時のヘブライ人に向けられた適時にして極めて貴重な「世代」に関わる勧告であったに相違ない。

エルサレムの滅びは神殿祭祀制度を終わらせ、律法の全体の履行を不可能としたばかりか、神殿でのみ発音されてきた神の御名は、神殿が存在しなくなったことで地上から発音する機会をまったく失わせ、その世代が過ぎ去るに従い、神名は何と云われるのかも今日まで人類の知るところではなくなってしまった。

明らかにそれは、ユダヤへの神の恩寵の終焉する世代となったのである。
無数のユダヤ人が命を落とし、剣闘士や奴隷や処刑される捕虜として諸国に引いてゆかれ、以後ユダヤ人は祖国を持たない民となってゆく。

他方、その「世代」の期間の終わりまでにイエスをメシアと受け入れたユダヤの人々は、事前にユダヤとエルサレムを後にしていたので命を保ち、そればかりか聖霊の賜物に与って「新しい契約」という「神の安息」に入ったであろう。そこが象徴的な『約束の地』である。

このように、メシアが『この世代はけっして過ぎ去らない』と語って以来、その後の37年という期間は、ユダヤに住む人々、またユダヤ体制への「許し」と「処断」という、相反するふたつの事柄のバランスがとられた結果の長さであったわけである。
あるいは、その以前のイエスの公生涯を含めて40年なのかもしれない。

出エジプトの「二十歳以上の世代」が過ぎ去る長さが四十年とすれば、その六十歳弱という「荒野の世代」の最短寿命はかなり短めである。
例えれば、この世代と共に生きたモーセは120歳まで生きたとされている。

それゆえにこそ、それは狭く特定された「世代」と云うことができ、ぼんやりとしたものではない。やはりイエスの終末預言においても荒野でのあの四十年が意図され、敷衍されていると見ることができよう。


-◆「この世代」に対型があるのか?-------

こうして、イエスが終末の預言で語った「過ぎ去ることのない世代」を考慮してみると、次には、それが語られた将来に関わる事柄が関心を呼び起こすであろう。

つまり、「この世代」の将来の対型はあるのか?という問いである。
イエスが使徒らに明かした神殿の倒壊の予告は、単に西暦七十年の「ユダヤ体制の終わり」を越えて、「この世の終末」の予告を含んでいるであろうことは、まず間違いないことである。

メシア拒絶の代償として「この世代」にユダヤ代々の血の罪までが求められたのであるが、将来においてもやはり「この世代」は存在するであろう。

例えれば、マルコ福音書でイエスはこう言われる。
邪悪で罪深いこの世代(ゲネア)にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。』(マルコ8:38)

これは後のキリストの臨御のときについて敷衍して述べているのであろう。
つまり、キリストの当時の世代と同じく『邪悪で罪深いこの世代』が存在することになるのであり、その時に弟子らが、周囲の世代と共に不信仰に流される危険を言うのである。

それはイエスの当時のように、再び聖霊注がれる終末の『聖なる者たち』の行う多くの奇跡を目撃しながらも、不信仰で神の目的を見誤り、その是認に入らない「世代」となるだろう。それは『許されることのない』という『聖霊を冒涜すること』である。

それがすなわち、イエスの地への帰還、「パルーシア」(臨御)を迎える「世代」となろう。
但し、それは「聖霊の賜物」の到来を待ってのことであり、それが人類世界に見られない限りは到来することはない。

福音書に繰り返し記されているように、神はイエスの弟子の中に聖霊を注ぎ、その選ばれた『聖なる者』らは賜物を得て為政者と対峙し、誰も論駁できないような聖霊の言葉を語るという。これこそが『諸国民への証し』となって世界への宣明になるとマタイも言う。(ルカ21:15/マタイ10:18)

即ち、聖霊の働きによる世界宣教であり、世界は動揺し『揺り動かされ』神にとって『望ましい者らが(神殿に)入ってくる』ことになることをハガイは告げる。(ハガイ2:7)

『聖徒』らは多くの徴となる奇跡をも示し、不可視の雲の中にあるキリストの代弁者また大使となって、世が神と和解するように再三促すであろう。「邪悪な世代から救われよ」と説き勧めたペテロのような姿がそこにあるのではないだろうか。
そこで諸国から『我らも共に行く』とイスラエル人の裾を掴む人々も現れる。しかし、世の大部分は聖霊の言葉を語る「聖なる者ら」を退け「邪悪な世代」であることを示すことになる。

では、その期間は「ひと世代」、あるいは四十年というほどの長さになるのだろうか?

ところが、黙示録やダニエル書の挙げる数字は、そう長いものではないのである。
聖霊を受ける弟子たちが活動する期間は42ヶ月、または1260日とされている。
ダニエル書で長い数字を探しても「2300の夕と朝」が精精の長いところであろう。

ヨハネ福音書が示唆するように、イエスの公生涯も四年に満たず、おそらくはヨハネ黙示録が示唆する42ヶ月であったことが考えられる。

聖霊を注がれる将来の『聖なる者』たちが奇跡の徴を示す期間が同様であるとしても、彼らが攻撃を受けて殺された後、その奇跡を引き継ぐ者が聖書にもはや登場していないことからすれば、聖なる弟子たちに臨む患難の後、千年期前の世の裁きは「世代」というほどの長さでなく、始まってしまえば数年という意外なほど短期に決着がつくようだ。(マタイ24:22/ローマ9:23)

となれば、それほど聖霊注がれる聖徒の活動とは、世に在って極めて顕著なものとなることが予想される。(マタイ10:18/黙示録11:6)

もし聖霊によって語る聖徒らの発言を拒絶し、その聖徒たちを迫害し処刑するなら、終末での滅びに値する人類の罪が生じる。即ち、キリストを屠ったユダヤの『世代』のようにである。 ⇒「大いなるバビロンの滅び」
それが行われてから「終局」に至るまでの時間は「三時半」に比べてさえも更に短いことを、『聖なる民の力を打ち砕くことが為されると、すべてのことが直ちに終局に至る』とダニエルがはっきりと告げている。(ダニエル12:7)

それでも、将来にも断罪される「世代」が同じように存在することには変わりはなく、彼らも終末預言のすべてを味わうことになろう。それが『この世の終わり』の世代とも言えよう。ただ、その期間だけはモーセがファラオに対峙した時のように、「世代」といわれるほど長さよりはずっと短くなりそうなのである。

現時点での筆者の理解から推論すると、おそらくは聖徒らの現れから艱難の終わりまで七年未満のように思える。終末の世界は数年の内に裁かれるように預言は読めるのであるのであるが、その間に聖徒に迫害の犠牲となる人々は少なくないのであろう。

その理由として考えられるのは、この度はエデン以来の最終局面となるので「時の短いことを知る」サタンの圧制的また背教的攻撃が苛烈となることが予想されることである。
聖なる者らを攻撃して勝利するこの世の体制は、当然ながら聖徒の支持者にも過酷に当たろうとするであろう。

聖徒らは地上の生涯を終えることになっても、地上に残るその支持者で信仰を示した人々がナチスやスターリンの思想浄化のような目に遭えば、長い期間を耐えられないのではないかとも思える。

「終末」は危急の事態であり、天の聖なる弟子らは地上の支持者(大群衆)を救うために、神に患難を短くするように願い出るかも知れない。さもなければ、肉なる者が残されなくなってしまい、聖なる者らの栄光ある千年の統治と贖罪に与るべき地上の民が存在しなくなってしまう。(マタイ24:22)

それゆえ、ある時点で敵たちを駆逐するためにキリストの戴冠する必要があり、終局までの時の短さは、その理由から「聖徒たちの要請」であっても不自然ではないであろう。つまり、この世の公権力による「聖徒攻撃」の時期から、信仰を持った者らへの攻撃から誘発される「ハルマゲドン」までの期間は長くはならず、むしろ聖霊を注がれる「聖徒」の現れから数年というほどの、非常に短い期間に違いない。

そうなれば、この世の「終末」と呼ばれる時期は弛むことなく突き進むもので、新しい世への転換はイエスの「世代」に与えられたほどの猶予もないほど短いことを予期するべきものとなろう。

また逆にもし長ければ、「終末」とされる期間に然したるこの世の変化無く、しかも「世代が重なる」ほどに、人にとって余りに長いのなら、全人類の魂に関わるほどの神の裁きは、冗長に堕して「しるし」の意義を薄めてしまい、それは以前の他の時代とどこも変わりないものになってしまう。つまり、神の裁きの要点がぼけてしまうのである。⇒「黙示録の四騎士」

結論として「世代」の「対型」については、信徒が待つべき「過ぎ去ることのない世代」のような長めの期間に相当するような、ぴったりとした対型らしきものを複数の聖書陳述からはっきりと導くことはどうにも難しいようである。

だが、イエスの終末預言のすべての部分に何が何でも対型が伴わなければならないと規定してしまうと、将来に起こる事柄の独自性が損なわれ、「そのときまで起きた事がない」程の将来の事態をすべて過去のこじんまりとした型に押し込むような無理がないだろうか。

また、予型と対型は人が定めるべきものか、という問題もそこに在るだろう。
キリストのユダヤとエルサレムの滅びの預言をこの世の「終末」の予型にすべて細々と読み込むことには無理がある。



-◆「世代」の捉え方---------

出エジプトの例からすると聖書中の「世代」には、その時代の人々の性向を指す意味が強いようだ。神に逆らう「処断の世代」を「黄金世代」というわけにもゆくまい。

しかし、人はつい時間の長さを探る方に注意が行き易いのかも知れない。
そこには「自分」への益の強い願望が働くのかもしれないが、事は世の終局に関わる「神の」裁きなのである。

ある人々が言うように、この世の「終わりの日」がスタートしてから終局までが「世代」の長さであることをイエスがその預言で強調したというのであれば、その先見の明から神の裁きにうまく対処でき、安心と豊かな将来像を描け、まして、それに死を経験せずに与れるとなれば、それを信じさせようとする誘惑は相当に強いであろう。

そのような希望を抱いて、日々明るく生活している人々にどうこう言おうとも思わない。
ご自分の信じたいもの、また事情や立場のゆえに今は信じるべきを信仰なされば宜しかろう。
ただそれは、紛うことなく「ご利益信仰」である。

今日、完全な人間は居ないように、完全な宗教もないであろう。 ⇒ 「ヨブ記の結論」
自分の信頼していたことに反して、予期しない方向に事態が今後進展したとしても、動揺せぬよう心がけるのはすべての人に有益であろうと思えるので、一言そのようにはお薦めしたいし、筆者もそう努めたい。

宗教の教理を含め、人間の関わるあらゆることは不確実だからである。それが証拠に間違いを免れる者はいない。
もし、いるとすれば、それは真に聖霊を注がれた「聖徒」であろう。為政者と対峙し命がけで聖霊の言葉を語る彼らはまだ現れていない。

それであるから今日、人間の関わる不安定な宗教解釈に対し、完全には信を置かぬことは少しも信仰の不足ではなく、神というものが、我々人間には啓示された範囲を超えては知ることのできない存在者であることを認めることであるゆえに、それは神を高めるところのより強固な「信仰」であると思える。

現状で、我々が神に関してはもとより、終末についても知りうることはどうしても限られており、間違いのない知識は聖霊(聖書ではなく)を通さなければ人間には分からないという現実、それはどのようにしても揺らぐまい。

これは何にしても言えることだが、背景を考慮せず、キリストの語った「過ぎ去らない世代」が終末までの苦難の時間の長さを知らせるものであったと請合うことは非常な責任と危険を背負い込んでしまわないだろうか。
当時のユダヤ人の弟子らの観点から見る場合、主イエスは時間の長さを知らせようとしていたのではないなら、これは事情に疎い近代アメリカ人クリスチャンの「願望的憶測」というほかない。イスラエルに同じアジア人である我々までが、なぜ同じ轍を踏むべきか。

キリストを葬り去った『この世代』に含まれるユダヤ人の中には、イエス派でなくても律法体制が終わりを迎えつつあることに気付き、賢くエルサレムを脱出した人々もいたことをヨセフスが伝えているが、その人々はユダヤに起こりつつある情勢から将来を見通していた。

だが、その人々は律法中心の宗教意義の崩壊から救われたことにはならない。ただ、機敏に対処して命を長らえたのである。彼らがデカポリス方面に逃れたのかは分からない。もしアレクサンドレイアなどに向かえば、民族紛争の渦中に身を投じることになってしまい。せっかくのユダヤ脱出も無駄に終わっていたであろう。

同様に、『この世代』という言葉に命を長らえるべく「時代の切迫感」を感じるのであれば、神の意志への共感よりは、命を保とうという願望が先に立ち、内面では神から離れた利己心によって行動することになって、その目的が却って果たされないという結果にはならないものだろうか。 また、時への緊急感を懐くことがキリスト教の要旨なのだろうか。

人の作った教理は、純粋にすべてを信じる人ほどに害するものである。
大多数のキリスト教の宗派は、自分たちは聖書の正しい解釈者であることを自認しているであろう。しかし、人間の中に誰か「正しい解釈者」を見出せるものだろうか? 真理を伝える神からの聖霊がない限り、無謬な者は存在し得ないはずではないか。

我々に出来ることは、むしろ油断せず、神を信ずるつもりでいて人に欺かれぬよう注意することではないだろうか。聖書は『人はだれも後に起ることを知らない。だれがその身の後に起る事を告げることができようか。』と言う。(伝道の書10:14)

主イエスは同じ終末預言の中で、「その時が近付いた」という者たちに『付いて行ってはならない』と端的な一言が命じられている。(ルカ21:8)

では、神が行動を始める年代や世代を信者らが予想することは神やキリストの意志だろうか、またその意義には自分たちの利益願望以外の何があるのだろうか? それは神の意志を尊重しつつ信じるのではなく、預言の言葉の表層に自分の願望を読み込んだだけの事ではないのか?




                                  新十四日派      © 林 義平    

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