イスラエルの初代の王サウルが戦没し、その子イシボセテも王座を追われると、ユダ族から王として油注がれヘブロンにいたダヴィデに対して、十部族とベニヤミンが全イスラエルの王となるよう求めてきた。
こうして名実共にイスラエルを治めるものとなったダヴィデは、ベニヤミン領のユダとの境の山地にあるカナン系エブス人のひとつの城市を攻め取ろうとするのであった。

ユダの只中にあるヘブロンよりは30km北に位置し、イスラエル中央に近いこの地から治めることをベツレヘム・エフラタ出身のエッサイの子は思い定めたのであろう。そこは古、エラムの王たちに勝利したアブラハムを祝福するために出て行った王なる祭司メルキゼデクがかつて治めた城市サレムであった。


急峻な崖を天然の要害とするこの土地はダヴィデたち攻め手を容易には近づけなかったが、それゆえにもダヴィデはこの場所を欲したであろう。

ここのエブス人は、かつてモーセの後継者のエホシュアが、アヤロンの平原の戦いで打ち破ったカナン五王同盟の盟主であった。この戦いでは、神が空から石を投下し、太陽を留めて丸一日ほども昼を長くしたことで知られるものである。
エホシュアに率いられるイスラエル軍はこの五王を打ち破った後、それぞれの城市を占領してゆくのだが、そのなかにあってエルサレムについてはシオン山上の要害にあったためか占領を免れており、ダヴィデの日まで存続していたのであった。(ヨシュア10:3/士師記1:21)

ダヴィデに向かってアモリ人たちは、『お前はここには来られない』とも「足萎えや盲目でさえ街からダヴィデを追い払う」と急峻な坂の高所から罵声を浴びせたのであった。
しかし、この小山は水利のために地下水道を引いており、ダヴィデらはこれを辿って城内に至りこれを易々と抜いた。そこでダヴィデは『エブス人を撃つ者は、誰もが地下水道の中で足萎えや盲人(のような敵兵)に出会うのだ』と言い返すのであった。


こうしてダヴィデはユダで王として七年を過ごしたヘブロンを後にして、家族、家臣、軍隊など同行する者らを率いてイスラエル国土の中心に近いシオン山上の城市、母なるエルサレム(女性名詞)に棲むのであった。
フェニキアの商人にして王であるヒラムは直ちに建築資材を提供し、シオンの山は堅固な塚を、やがては城壁を持つゆるぎないイスラエルの首都として築き上げられてゆく。そこはまさしくダヴィデに由来する『ダヴィデの城市』となったのである。

ダヴィデ自身、この成り行きに神の助力を感じ取っていたという。王はこの地からフェリスティアを打ち砕き、北はダマスカスを越えて遂に神がアブラハムに約した全土を手中に収めるのであった。

やがて王宮が完成し、ダヴィデはいよいよイスラエルの王として整えられ、エルサレムは勢いに乗る権力の座としての首都の風格を備えていった。

だが、彼にはひとつの懸念があった。自分は首都にあってレバノン杉の王宮に住んでいながら、彼の崇敬するイスラエルの聖なる方YHWHは田舎を転々として定住の住まいなく、民の間に遊牧者のような天幕暮らしを続けていたことである。

そこでダヴィデは、YHWHへ『神の家』である神殿を献納したいと申し出るのであった。
これに対して、神は天幕暮らしに一度として不満をもったことはないと応えはしたが、ダヴィデのこの申し出を悦納するのであった。

そこで神は、ダヴィデのために家を建てようというのである。もちろんそれは既に在る王宮を建てるというのではなく、王朝、つまりダヴィデから始まる王統を建て、それが『定めない時に及ぶ』ものとすると約束するのであった。
但し、ダヴィデ自身は多くの戦いで許多の血を流してきたので、神の家を建立するには相応しくなく、その息子がその建設に預かることが知らされる。


それでも、ダヴィデは失意も見せず、息子の建築事業のための資金や資材を集め始めるのであった。
こうしてダヴィデと神YHWHとは、ますます強い善意の絆で結ばれてゆく。
後にダヴィデは何度かの失敗を犯し、そのたびに神の不興を買うことになるが、それであっても人は誰も『アダムの懲らしめ』を免れない。YHWHにとってのダヴィデという人物の『我が心を完く行う者』という評価は変わらなかったのである。


神とイスラエルの契約の証である聖なる箱をエルサレムに迎えるときに、ダヴィデは全身でその喜びを表し、その前で跳ね踊ったことは、彼の中でYHWHがどれほどの座を占めていたかを物語っていよう。それは妃をしてあまりの醜態と見えたほどに尋常なものではなかったようだ。


契約の箱がエルサレムに入って以来、この城市は『神がその名を置く処』となり政祭の頂点に登った。イスラエルのすべての部族の詣でる聖都、そして強力な王の御座所となったのである。
それは将来の対型的、そして天からの『新しいエルサレム』が『王なる祭司ら』の政祭の首都となることを示しており、その強大な王の王は『大いなるダヴィデ』メシア=キリストとなる。その版図は全世界となるであろう。



-◆シオンの危機------------------
 

こうしてダヴィデによって華々しいスタートを切ったエルサレムは、ソロモンという賢い後継者の下で神殿が建立され、エルサレムとイスラエルの全体は空前の繁栄を謳歌するところとなった。
ふんだんなレバノンの杉材、遠い異国から流入する宝物、金は夥しく、銀はまるで石ほどにしか見なされなかったという。

砂漠の向こう側から遥かな旅路を厭わずに、ソロモンの富と知恵を見るためにシェバの女王はエルサレムに客となり、その栄華の輝きを賛嘆して帰途に就いたのであった。
しかし、その栄えも僅かな年月の事となってしまう。

ソロモンが崩御すると愚昧な皇太子が王座に就き、イスラエルはふたつの国家に分裂してしまい、あまつさえ、エジプトのファラオの侵略に耐えられず、ソロモン時代に蓄えた多くの宝物を失ってしまうのであった。
これは、繁栄が神からもたらされていたことを証しするものである。モーセが警告していたように、イスラエルはシナイ山麓で授与された律法に従うときに繁栄し、抗うときに窮境に陥るのである。


ダヴィデやソロモンがYHWHの是認の下にあるときに、エルサレムとイスラエルには安寧と栄えがあったが、神の不興を買うときには首都も民も苦しむのであった。

しかし、王や民が自らを省み、思いと行いを正そうとするなら窮地に立つ彼らをYHWHは速やかに助けたが、それはモーセの律法の約す通りであった。


そのように王と民が神の是認に入っているときのエルサレムであっても注目すべき二度の危機があったが、それはまさしくエルサレム存亡の危機である。

一度はエホシャファト王の時代にアンモン、モアブ、アラブという近隣諸国の雲霞のような大連合軍の攻撃に曝された時であり

もう一度は、大帝国に台頭してきたアッシリアの大王セナケリブの苛烈な侵略の前にヒゼキヤ王率いるユダ王国が風前の灯のようにされたことである。

ここではヒゼキヤ王のときにイスラエルの残された二部族の小国ユダとエルサレムがどのように飛ぶ鳥落とす勢いの強国アッシリアの腕から逃れたかを見てみよう。


ヒゼキヤ王は25歳で父王アハズの薨去によって王権を継承したが、彼は直ちに父祖ダヴィデのようにYHWHを求めて廃れていた神殿を修復し、レヴィ族を組織して神殿祭祀を再び機能させる。
神殿での管弦楽を伴う合唱隊の賛美は真に見事であったので、セナケリブがこれらの合唱隊を朝貢するよう所望するほどであったという。

彼は王位に就くなり、直ちに神殿を浄めたが過ぎ越しを行うべきアビブ14日を越えてしまったため、律法に則り月遅れの過ぎ越し(ペサハ・シェニー)を行い、これをユダ王国と分離してその時までは存続していた北のイスラエル王国の民にも呼びかけまでしたのである。


その後、ヒゼキヤが王となって四年目に、同じ民族ながら分離していたイスラエル十部族でなる北の王国がアッシリア帝国に滅ぼされ、その民は遠くユーフラテスの向こう側に連れ去られていった。
これは残された南のユダ王国に恐ろしい圧力を与えるものとなったが、この侵略軍を率いたサルゴンⅡ世が没するとヒゼキヤはアッシリアへの朝貢を見合わせる。アッシリアに衰退の兆しを見たのであろう。
 

だが、アッシリアの権勢は衰えることなく再び海沿いの地域に覇権を唱えてきた。
そしてやはり、アッシリアの大軍はユダ王国への侵略を再開するのであった。時の王はセナケリブであり、その名はアッカド語で「シン・アヘ・エリバ」即ち「月の神は兄弟の代わりを下さった」というバビロニア=アッシリアの主要な神「シン」を讃える意味を持つ。その意からすれば、彼は嫡流ではなかったのであろう。

では、自らの神を心から奉じるヒゼキヤ(「YHWHは強めて下さる」の意)を、その神は異国の神の前に倒れるのを許すであろうか?それは西暦前701年の事とされている。




-◆脅す大王の一夜の失墜---------------
 

このヒゼキヤとユダ王国の危難に応じ、まずYHWHは王家の家令を整える。それまでの家令シェブナは欲得に目がくらみ、自分の飾り立てた墓までを用意していたのである。それは公の危難に相応しいものであるわけもない。
預言者イザヤはこの国難に当たって、この家令の交代を預言し、より相応しい人物エリヤキムをその職に就かせるのであった。

ヒゼキヤはシオンの山の麓にある水源に蓋をしたうえに、ギホンの泉からは城内に地下水道を敷設し、攻囲軍の水供給を断ちつつ、エルサレム城内の水源を確保する工事を行った。今日も見ることのできるこの地下道に大国の攻撃を予期しての緊張感が伝わってくるものがある。

そしてアッシリア軍は、アッコンからアゾルへとユダの諸都市を侵略して地中海沿いの「海の道」を南に進む。

そこに於いてエジプトのファラオは、ユダを救援しつつ北からの脅威を除こうと、南から海の道を北上してアシュトド近くのエルテケで強力なアッシリア軍に立ち向ったのだが、日の出の勢いのアッシリアの敵ではなく、敢無く敗れ去ってしまった。


アッシリアの兵は獰猛であるだけでなく被占領民を過酷に扱い、『ライオンが獲物を噛み裂くように』捕虜をまったく哀れまずそれ以上ないほどの仕方で惨殺することで知られ、諸国を震え上がらせていたので、シドン、ティルスのようなフェニキアの諸都市はアッシリア軍が近づくだけで降伏してしまった事もある。


エジプト軍を片付けたセナケリブはフィリスティアを服属させると、海岸沿いの低地からエルサレムのあるユダの山地を目指して、その間に南北に広がるシェフェラと呼ばれる台地に上り、そこに全軍の陣容を整える。

そこでシェフェラ台地にあるユダ王国の重要な要塞城市ラキシュは、大王セナケリブ自身の指揮するアッシリアと、それに追従する諸国の諸軍の厚い包囲に囲まれてしまう。城市の周囲には敵陣に無数の天幕が張られたであろう。

そこはエルサレムよりも南に位置しており、北から侵入したアッシリアの軍勢は既にエルサレムを孤立させ得る位置にまで侵攻してきていたのである。

城市ラキシュは近隣の城市アゼカと共にレハベアム王の時代に整備され難攻不落と見なされた城塞都市であった。

だが、アッシリアの攻城兵器と大楯を伴う弓兵、投石具の猛烈な攻撃があったことがアッシリアの首都ニネヴェ王宮のレリーフから知ることができる。

その間に、セナケリブはヘブライ語を使う使者ラブシャケをヒゼキヤ王の籠るエルサレムに派遣する。

もはや、ユダは滅んだに等しく抗いは無益である。アッシリアに屈服せよ、さすれば命は容赦しても良いと。

だが、この要求は単に支配下に入れと勧告するものではなかったのである。そこにこそ大きな争点があった。

ラブシャケがエルサレムの城壁の外に現れると、ヒゼキヤ王は家令エリヤキムと書記に降格したシェブナ、そして参議官ヨアフを相対させる。

彼らはラブシャケにアラム語で話すことを求めるが、却ってラブシャケは城壁の上で聞くユダの兵士らにも脅しが達するようにヘブライ語で話す。(当時は捕囚前でユダヤ人はアラム語に通じていなかったのであろう)

加えて、この敵軍の使節は城壁の兵士らに向けて彼らを意気阻喪させようと更に大声を出し、ヘブライ語を用いてこう呼ばわるのであった。
『ヒゼキヤが、「YHWHが救い出して下さる」と言ったからとて、お前たちは唆されないようにせよ。諸国の神々のいったい誰が自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。』
『ハマトやアルパドの神々は今どこにいるのか。セファルワイムの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。
 これらの国々のすべての神々のうち、いったい誰が自分たちの国を私の手から救い出したのか。YHWHがエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。』(イザヤ36:18-20)

これは単なる降伏勧告ではない、神を愚弄する言葉を聴いた家令エリヤキムと供の者は衣を裂いた。そしてこれを王に知らせたが、王は神の言葉を伺わせるために、預言者イザヤの許へと彼らを遣わすのであった。


ヒゼキヤとエルサレムの神を嘲弄したラブシャケが本陣に戻ろうとすると、既に戦いはラキシュからアゼカとの間に位置する城市リブナに移っていた。
既にラキシュの二重の城壁も破られ、セナケリブ大王の大いに自慢する戦果となってしまっていたのである。


だが、セナケリブにひとつの知らせが入る。それはエチオピアの王ティルハカがアッシリアをくい止めようと南から進軍してくるとのことであった。彼は南方の備えをイスラエル民族の仇敵フィリスティアの諸王に任せてユダ攻略戦を行っていたが、エチオピアはエジプトと共に大国であり、思わぬ強敵の出現に、南の防衛線が破られることでの挟み撃ちにされる危険を察知し、エルサレムを早く処置してしまうべき必要に迫られセナケリブの心はかき乱されたのであろう。
 

そこでセナケリブはヒゼキヤを屈服させるためにあらん限りの脅し文句を並べた書簡を書いてエルサレムに送りつけた。

それを受け取ったヒゼキヤ王はその内容の激烈さに驚き、悲嘆のうちに聖なる神殿に入ってその脅迫状をイスラエルの神YHWHの前に広げて祈るのであった。

『「YHWHよ! アッシリアの王たちは確かにすべての国々と、その国土とを廃墟としました。
 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神でもなく、ただの人の手の技、木や石に過ぎなかったので、滅ぼされたのです。
 我らの神YHWHよ! 今、彼の手より我らをお救いください。そうすれば、地のすべての王国は、あなたのみがYHWHであることを知るに至るのです。」』

真に神を畏れるヒゼキヤがこのように大きな窮境に陥って一心に祈った言葉はけっして無駄にはならなかった。(イザヤ37:18-20)

YHWHは預言者イザヤにヒゼキヤの祈りに対する返答として、イスラエルの聖なる神を嘲弄したセナケリブへの言葉を与えて遣わしたのであった。

『お前はいったい誰を罵り、何者を侮ったのか。いったいどんな者に向かって大声で叫び、その目を上げたのか。それはイスラエルの聖なる者に向かってではないか!』
『シオンの処女がお前を蔑み、彼女がお前を嘲笑った。お前の後ろでエルサレムの娘が(馬鹿にして)頭を振った』
『お前はわたしに向かっていきり立ち、お前の高ぶりは我が耳に達した。そこでわたしはお前の鼻に鉤を、口にはくつわをはめ、お前を来た道に連れ戻す。』(37:22-29)


預言者の語るYHWHから出た言葉が実現せずに虚しくなることはない。
世界強国の大王といえども、天地の創造者を相手に奢り高ぶって無傷で済むわけもない。
そして万軍のYHWHはその力の一端を見せることになるのであった。



-◆シオンのために立つひとりの天使---
 

YHWHはヒゼキヤのための言葉をも伝えさせる。
『(アッシリアの王は)この城市に入ることも、矢を射ることも、盾を持ってこちらに向き合うことも、攻囲の塚を築くことさえもない。』(イザヤ37:33)

『わたしは自らのために、そして我が僕ダヴィデのためにこの城市を必ず守ってこれを救う』(イザヤ37:35)

この言葉は一夜のうちに成就し、まったくあっけない幕切れとなるのであった。


それはリブラの郊外のことであったろうか。
夜にアッシリア帝国の全軍が宿営していたところをひとりの天使が通過したのである。
生きていて翌朝を迎えた者らが見たものは、累々と屍の広がる驚くべき光景であった。
これをイザヤはこのようにも預言していたのである。『鳥が翼を広げひなを守るように、万軍の主YHWHはエルサレムを守って救い、これを惜しんで助けられる」。』
『アッシリアは人間のものでない剣に倒れ、地の人のものではない剣が彼らを食い尽くす。アッシリアは剣の前から逃げ、若い男たちは奴隷の苦役につく。』(イザヤ31:5.8)


セナケリブ王は恥のうちに来た道を戻らざるを得なかった。それは恰も『鼻に鉤を掛けられ、口に轡を咬まされた』かのように強制的に帰らされたと言ってよいだろう。
この王は、諸国の偶像の神々とイスラエルの聖なる方、生ける御神YHWHを同列に看做したところが大きな仇となったのである。


もちろん尊大な彼はこの敗北を認めるような碑文を残してはいない。
セナケリブの角柱碑文に、『わたしはヒゼキヤをさながら籠の鳥のようにした。彼は貢物を贈ってきた』とは刻んだが、ラキシュを攻め取りながらエルサレムを無傷で残した理由をヒゼキヤの朝貢であるかのように記していながら、実際にはこの捧げものはパレスチナ攻撃に着手する前のものであった。
そこに書かれていないのは、周辺諸国を平らげユダ王国の首都もあと一歩のところでなぜそこを残したかの理由である。
きわめて尊大な文面を碑文にする習慣のあるオリエントの歴代の王であれば、「実は十八万を越える軍勢を一晩で失いました」と書くわけもない。

ニネヴェの王宮にはユダの王都エルサレムではなく、それより小さな城塞ラキシュの奪取をレリーフにするのがパレスチナ侵攻の自慢の精々であったろう。

しばらくすると、自分の神ニスロクを崇拝しているところを、セナケリブは王位継承に不満を宿した息子たちに暗殺されるという不名誉な最期を遂げるが、その神は彼の命を全うさせなかったのである。
一方で、ヒゼキヤはひとたび病気で命を落としかけているが、神YHWHは彼の寿命を十五年延ばすのであった。


こうしてダヴィデ王朝を戴くユダ王国は存亡の危機を脱した。
そこには至高の神を愚弄することの結果を、またYHWHのダヴィデに対する変わらぬ愛を、そして御自ら名を守ってシオンを助ける神の姿勢を確かに見出すことができるのである。

しかも、これは単なるユダヤの故事で終わることはない。
この事跡は、将来に成就する事柄の影であり、そのときに神YHWHはかつてのシオン、地上の一点を占めるエルサレムではなく、全地に関わる象徴的シオンを北から来る猛悪な王から保護されるであろう。



-◆終末に保護されるシオン---------

将来の「シオン」とは何かを、結論から言えば、キリストによる新しい契約に預かる者ら「聖徒」を産み出す母体となる信徒の集団であり、終末には聖なる者による聖霊の声に信仰を働かせる支持者の大群がそこに加わる。
イザヤとミカがその預言で述べるように、その大群は終末にあって聖霊が語らせる言葉を信仰によって迎え入れ、『共にYHWHの山に登ろう』と声を掛け合い、流れのように象徴的場所であるシオンに向かう人々となろう。(イザヤ2:2-4/ミカ4:1-4)

終末の神の裁きに在って、その『シオン』と共に救いを得るために、人々はこの『シオン』が何であるかを知る必要がある。 それは分け隔てなく、自分の行くべき場所がどこかを見分ける人であれば、誰であれそれぞれの過去に関わりなく益を得ることができる。

神を理解する知識はかの人々を照らし、もはや蒙昧のうちにその信仰を虚しくすることはない。世で『暗きは地を覆い、闇が諸々の国民に臨む』としても、この人々の目指す場所は太陽と月と星々という神の光明によって明さをまとう『女』となっている。即ち、黙示録の『女』がイザヤの預言の終末の『シオン』であることが示唆されているのである。(黙示録12:1/イザヤ60:1-2)


この黙示録の『女』は幻では天に現れるが、地上の人間界に落とされた悪魔である龍が攻撃を加えようとするのであるから、天のものではない。
また、この『女』から産み出された聖なる者つまり「聖徒」たちによる世界への聖霊の言葉の代弁は『天地を激動させる』ものとなる。これら「聖徒」を生み出すことによって、この女『シオン』は神のものであることを示す。
悪魔である『龍』は現状の社会の保持者であるので、これに強く反対して『女』を攻撃しようとするが、これは『地』の防御に遭って成功しない。それはこの『女』に含まれ、あるいは集まる人々の数が多く、また人権に敏感な社会の分子の反論を受けることを表しているのであろうか。

この『女』の攻撃に失敗した『龍』は、攻撃目標を「聖徒」に絞り込む、そして攻撃のための武具を用意する段に進むことを黙示録は明かしている。

だが、このように黙示録の『女』が旧約の女『シオン』なら、その子らである「聖徒ら」への龍の攻撃は成功してしまい、おそらくは『大いなるバビロン』も滅ぼされた後の時点で、この女『シオン』も龍に教唆されたダニエル書の『北の王』の恫喝を受けることが考えられる。

それはダニエル書11章の終わり近くに予告されている『北の王が南の王を攻める』の後のことである。『北の王』は『戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼(南の王)を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。』そこでかの王は、遂に『飾りの地』にその圧力を加えはじめる。

『飾りの地』という表現はエレミヤ3章19節で用いられており、その意味するところは『望ましい土地』であり、エゼキエル20章6節では『乳と蜜の流れる地』つまりイスラエルに与えられたカナンの地を意味している。
そこで『北の王が南の王と戦う』に当たって『飾りの地にも入る』とは、象徴的な約束の地、その中心としての聖徒らが構成する象徴的『神殿』を戴く『シオンの山』に向かってその武力を誇示することを云うのであろう。従って『シオン』という語も、また『北』という語も、実際の地上を表しはしないといえる。

『北の王』には聖徒らを滅ぼすことが『許されて』おり(ダニエル8:42)、その攻撃は成功してしまい、いよいよシオンという信徒たちの集団にもその武力が迫ってくるのであろう。

これについては黙示録の第12章の『女』が『一時と二時と半時の間』荒野の場所で守られるという記述が、聖徒ではない信徒への安全を示唆しており、イエスの終末預言に於いても『戦争や争いの知らせを聞いても恐れるな、終局はまだなのだから』という言葉にこの場面の意義が語られているのであろう。


終末に於ける『北の王』のシオン攻撃については、アッシリア王との共通点が散見される。
まず、アッシリアはカナン攻略に際し、一度は「海の民」のシリア上陸によって妨げられており、それは終末を語るダニエル書の『キッテムの船が押し寄せ、失意させられる』事態として既に歴史の上で味わっている。
さらにセナケリブの『飾りの地』攻略では、「大海」(地中海)とユダの山地の間、まさしくシェフェラの台地を本陣としているのである。その理由からか将来を予告するダニエル書でも東に位置した『エドム、モアブ、アンモン』は地理上攻撃目標とならず逃れているし、南のエジプトは既にアッシリアの打ち砕いたところであった。(ダニエル11:41-42)

次にダニエルは、この王が『大海と聖なる(飾りの地の)麗しい山との間に、本営の天幕を張る』ことを知らせる。(11:45)これはダニエルの二世紀前に、エルサレムを前にしたシェフェラの城塞都市ラキシュに陣を構え、帝国の全軍をそこに集めたセナケリブの姿を彷彿とさせるものではないだろうか。


そうであれば、終末の『北の王』も諸国を平らげつつ、象徴の『シェフェラの台地』に登り、壮大な天幕を張るのであろう。そこは『麗しい』シオン山を窺う距離にある。
つまりダニエル書の『北の王』が、聖霊の声に信仰を抱いた人々の集団『シオン』を恐れさせ、圧力をかけ得る何らかの状況を表すのであろうか。


もし、このダニエル書の『北の王』がセナケリブの対型なら、同じ結果を身に受けるであろうが、まさしくダニエル書は次のように締め括っている。
『しかし、彼は遂にその終りに至り、彼を助ける者はない。』
この簡潔で、そっけないほどの幕切れの描写は、『北の王』の終局のセナケリブがそうであったような忽然たる瓦解を示唆しているようにも感じられのである。

この王はダニエル書8章でも語られる『その顔は猛悪で、彼はなぞを解く』という悪に極まる者なのであろう。彼は聖徒である民を(おそらく間接的に)滅ぼす』、しかし『君の君たる者に敵するが、遂に彼は人手によらずに滅ぼされてしまう』のである。
即ち、人間の同士討ちとなる最終戦争『ハルマゲドン』の特徴をそこに見出すことはなく、その以前に起る別の出来事となることを示唆しているのである。


この王が実際に誰であるのかを知るには、歴史の進むのを待つ必要があるようだが、それを知ることはけっして喜ばしいことにはならないだろう。だが、我々は『北の王』の実体を既に目にしているのかも知れない。

では、この『北の王』もシオンに対して恫喝を行い、『シオンを守る』聖なる方を嘲弄するのであろうか? ヒゼキヤ王がこれに備えて家令をエリヤキムに交代したように、『アッシリアがこの地に入るとき・・七人の牧者、八人の君侯を興す』と神は、イザヤと同時代の預言者ミカを通して言われる。

それ『君侯』(ナスィーム「君子らi.e王子ら」)は、終末で聖霊の賜物によって語るであろう『聖徒』らを表しているのではないようだ。黙示録による預言の前後関係からすると、聖徒らは既に『北の王』または『野獣』の攻撃に遭って『死んで』おり、その僅か三日半の後に既に天界のメシアの許に揃っていることを黙示録は示唆している。(黙示録11:11-12)

そうなれば、聖徒が去った『シオン』を誰が導くのだろうか。そこで天界に聖徒の去ったあとを指導する者らを指して『君侯』と呼んでいると考えられよう。


また、ミカエルが立ち上がってから聖徒の復活と審判があるとのダニエルの記述からすると、この北王の脅迫の為される時は、聖徒攻撃と非常に近いことになろう。 そうなると、『北の王』または『野獣』が、聖徒らへ攻撃に成功して後、そのまま『シオン』に危機が襲うことになる。

しかし、この『野獣』の存続期間は『42ヶ月』であり、それは聖徒が迫害されながらも宣教を行う期間と同じである以上、その『野獣』の寿命はまさに尽きる寸前に至っていることになろう。


そして、そのときは突然に訪れる、それは黙示録も『野獣』について『去って滅びに至る』と述べ、ダニエルも北の王について、『人手によらずに砕かれる』と記される通りであろう。それはまさしくセナケリブの大軍を見舞った惨禍であった。(黙示録17:11/ダニエル8:25)


やはり、神が新たに『君侯を興さねばならなくなる』(ミカ5:5)のであれば、聖徒ではなく、シオンを代表するような誰か別の者ら、将来に『諸国民の王たち』と呼ばれる者らを指している蓋然性の方が高いようだ。
『君侯を興す』というからには、エリヤキムに対するシェブナのような前任者 の存在があるかどうかは分からないが、いずれにせよ、『北の王』の生ける神への傲慢な高ぶりの無法さを、その場に姿を表さぬ王に知らせるのは、彼ら『君侯』の務めとなろう。


他方、聖霊の声を信じ、聖徒たちへの支持を表して神の山シオンに集まってきた許多の人々は、『ヒゼキヤ王』に励まされて後、セナケリブの使者『ラブシャケ』に相当する者の愚弄の言葉を聞くことを経験するのだろうか。それらの暴言に直接に対処するのは、そのために興された複数の『君侯』である。 

その脅しはすなわち、聖霊の言葉を信じて神を崇拝することも、キリストの王国であっても、強大な北の王の前に何の保護にもならないと宣し、見えないキリストの臨在を信ずる人々を揺さぶるだろうから、それは真に信仰の試される時となるだろう。

セナケリブのときと同様に、北の王もその使者も、真実に生ける神YHWHを知らず、その全能性を一顧だにしないのだろうか。『聖徒たち』は既に過ぎ去っており、この軍勢の鼻息はさぞ荒かろう。

だが、この脅迫もこけおどしとなるに違いない。ひとりの天使が遣わされ、アッシリアの大軍が一夜にして壊滅したように、ダニエル書では『天使の頭ミカエル』が立ち上がる。(ダニエル11:44-12:2)
そこで『苦難の時』が始まり、『塵の中に眠っていた者たちの起こされる』ときとなり、殉教の聖徒たちの復活、そして天のキリストの許にすべての聖徒たちが招集されるときとなる。それによって偉大な王の『神の王国』が遂に実現する。

こうして『飾りの山』に向かって更なる第二の攻撃、全人類と神の王国との決戦『ハルマゲドン』が誘発されることとなるだろう。『シオンの娘』である聖徒らは『王の王』と共に『脱穀機』のように諸国民を打ち砕く復讐に臨む。(イザヤ41:15-)

この女シオンへの二度目の攻撃ハルマゲドンの戦いも神は許さない。それはセナケリブで表される第一の攻撃を遥かに勝る規模で行われる人類連合軍によるシオンへの総攻撃となるが、YHWHは言われる『シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのためにけっして黙り込まない。その義が朝日のように光を放ち、その救いがたいまつのように燃えあがるまでは。』 諸国の王や高官らが敵意を燃やす中にあってYHWHはシオンに不敗の王キリストを立てられ「征服せよ」との号令を下される。
こうして『シオン』はこのふたつの攻撃から守られ、イスラエルの聖なる神YHWHの名は全地にあっても至高の座に上げられる。

そのときにYHWHはシオンの民に言うであろう。『さあ、わが民よ、あなたの奥の間に入り、あなたの後ろので扉を閉じよ。憤りの過ぎ去るまで、しばし隠れよ。 見よ、YHWHはそのおわす所を出て、地に住む者の不義を罰せられる。地はその上に流された血を露にし、殺された者をもはや覆うことがない。』(イザヤ26:20-21)


こうして俯瞰すると、セナケリブとアッシリア軍のエルサレム攻撃の失敗は、ダニエル書中の猛悪な『北の王』の『シオン』攻撃の敗退という、人と神の『ハルマゲドン』の戦いの前哨戦を予告したものであったろう。

この戦いはミカエルの立つことを招来させ、おそらく時を置かずに神の王国が権力を得て神に敵する勢力が如何に大きくともこれを一掃することになるだろう。それはシオンを救い悪を砕く神の裁きとなる。

だが、その前の第一撃では、『北の王』の強大な権力を背景にした恫喝がなされ、信仰によって象徴的にシオンに住む人々の信仰は試される。
しかし、ヒゼキヤ王のように動じずに神を待つならば、大いなる救いを見るに違いない。YHWHが「火の城壁」となられエルサレムを守ると言われるのである。人はこれを信じるだろうか?(ゼカリヤ2:4-5/詩篇125)

保護を受ける者に求められるのは、自らを捨てて神を第一とし、人間の不確かな「正義」を捨てて「神の義」を求め、将来の聖霊の声に心を頑なにせず、それに信仰を働かせることであろう。

預言者ゼパニヤはこう言っている。『YHWHを求め、義を求め、謙遜(柔和)を求めよ、そうすれば、あるいは怒りの日に隠されるであろう』。(ゼパニヤ2:1-3)
そのとき、今は伏せられ謎とされている神名、それを聖霊を通して知らされる発音のままに、生ける神の至聖の御名を信仰のうちに頼り求める者は、誰もその願いを虚しくはされない。

ヨエルはこう書いた。『すべてYHWHの名を呼ぶ者は救われる。それはYHWHが言われたように、シオンの山とエルサレムに、逃れる者がいるからである。』(ヨエル2:32)





            新十四日派     © 林 義平 
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*新世界訳日本語版独自の意訳

終末の事象を新旧の聖書から総合し、進行順を追った
キリスト再臨の時期を想定する書


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