『神は敵であるかのようにその弓を(弦を張る為に)踏み、右手(に矢)を構えた・・シオンの娘の天幕の中に火のように激しい怒りを放った。・・神は敵と変じてイスラエルを呑み込まれた。』(哀歌2:4)
エレミヤが、律法不履行のユダとエルサレムの滅びをこう嘆いてから50年を経る頃
捕囚の民に変化が訪れる。

『バビロンで七十年が満ちるに従いわたしはあなたがたに心を向ける。わたしはあなたがたをこの場所に連れ戻して、わたしの善い言葉(イスラエルの回復の預言)の証を立てる』(エレミヤ29:10)
そして、この預言を実現するための具体的な大変化が訪れた。

それがキュロス二世の攻撃による前539年のバビロン城市の陥落であった。
だが、ユダヤ人の帰還と神殿の再建は、新バビロニア帝国からの解放だけで自動的に進んだ訳ではけっしてない。イザヤやエレミヤに見られるような「回復の預言」、シオンへの街道が造られたり、諸国民がシオンの子らを懐に抱いて運んで来たり、というような言葉とは不釣り合いなほどに、それは栄光に溢れたものでも、順調に進んだものでもない。

その歴史上の現実と、預言の言葉の違いには、どんな理由があるのだろうか。
また、それは何の予告をしていたのだろうか。
それをここで幾らか探り出してみよう。


さて、ユダヤ人が捕囚となっていたバビロンが陥落して後、翌キュロスの第一年に、この新王は自らとペルシア帝国の安寧を願って、被占領民の神々を畏敬し、その崇拝を奨励したのであった。
殊に、ユダの地の神については、その神殿が先のバビロニア王朝によって破壊され、その祭祀を途絶えさせたことは、キュロスの王朝がその轍を踏んで短命な帝国に終わらせぬ為にも、ユダの神の祭祀を再興させることに価値を見たことであろう。確かに新バビロニア帝国が百年にも届かない寿命であったのに対し、アケメネス朝ペルシアは220年の間、オリエントの主人として君臨し続けたのであった。

キュロス大王はその統治の初めの年に、ユダの地にあったイスラエルの神YHWHの神殿を再建し、その祭祀を復興させるべく、その民に属する者らがパレスチナに戻り、これらの事業に従事するようにとの勅令を発した。
加えて、バビロンに保管されていた神殿の五千四百を数える大小の什器をすべて確認してユダヤ人側に返還する念の入れようであった。

こうしたペルシア側の動きは、先のバビロニアやアッシリアなどの諸国家がイスラエルの神に示した敵対的な行動の多くの中で際立った善意を見せる。
イザヤはこの事の起こる150年以上も前に、「油注がれた者キュロス」(リ マシホー  レ コレシュ[לִמְשִׁיחֹו֮ לְכֹ֣ורֶשׁ]について名指しで予告し、彼がバビロンの二重の城門を開いて神の民を解放する様を「王たちの帯を解き、彼の前に二枚扉を開いて閉じられることのないようにする」と記していたのであった。(イザヤ45:1)

バビロンは、ペルシア王キュロスと連合国という「陽の昇る方角から来る王たち」の前に滅亡したが、キュロスの戦法は正に「大河ユーフラテスを干上がらせる」バイパス水路構築によるものであった。(イザヤ44:27/クセノフォン「キュロスの教育」第七巻第五章)

即ちキュロスという人物は『「彼は我が牧者、我が目的を尽く成し遂げる」と言い、エルサレムについては、「再び建てられる」と言い、神殿については、「あなたを通して基礎が据えられる」と言う』神の言葉を実現させる者として指名された格別な存在であった。そこでの神の予知力行使は、それが必ず成し遂げられるものであることを強調していたのであろう。(イザヤ44:28)

ゆえにこれらの出来事すべてに関するユダヤ人の認識は、『キュロスの右手を導く』神YHWHの神殿祭祀復興の意図を実現するための神ご自身の起こした時代の潮流であり、律法契約の違犯の為に一度は神の激しい怒りに触れ、捕囚の憂き目を見たイスラエルも『その刑期を終えて』、『慰め』(ナハムー)の時を迎えたのである。(イザヤ40:1-2)

シオン山上の城市エルサレムをはじめ、ユダの諸都市が神の業として建てられることは、遠くダヴィデ王の詩篇にも予告されており、このようにある。
『神はシオンを救い、ユダの町々を建て直されるからである。その下僕らはそこに住んでこれを所有し、その下僕らの子孫はこれを継ぎ、み名を愛する者はその中に住むであろう。』詩篇69:35-36



-◆「残りの者だけが」


ユダの地にその民によって神YHWHの神殿を再建し、その祭祀を復興させるというキュロスの勅令に対し、ユダヤ人の有志はすぐに反応した。

しかし、これはバビロンに囚人のようにされていたユダヤ人らが「解放」されて、皆が皆よろこびの表情を浮かべて故郷への帰途に就いたとするなら大きな間違いである。

既に神殿の破壊から50年が経過し、最初の捕囚からは70年以上の年月が流れていたので、ユダヤ人はそれぞれにバビロンで生計を立てる術を学び、多くは生業を確立していたのである。

その一方で、故郷は荒れ果てた土地となっており、たとえ建物が幾らか残されていたとしても廃屋であるに違いなく、あらゆることを一から始めなければならなかった。それに加えて神殿祭祀復興という至上命令が帝国から課せられている。
この帰還事業では、そうしようとするユダヤ人の生活に見かけ上は何の保証も無い。ユダヤ人も捕囚二世、三世ともなれば、もはやバビロンは慣れ親しんだ故郷のようであり、かつてのユダの地を知る者は齢六十には達していたであろう。

つまり、シオンに帰還する(アリヤー「上る」)ということは、未開の地に向かう開拓民となる覚悟が必要であったし、ユダに到着するまでの道中の盗賊や野獣などの危険や長途旅程の困難さも当然忍ばねばならない。およそ1500kmの旅程は東京から鹿児島の鉄道距離にほぼ相当し、ユーフラテスに沿って北上するとしても、そこはやはり不毛な砂埃舞い立つ砂漠地帯であり、獰猛な砂漠の民や無理解な諸国民の狭間を抜けて家畜財産の他に、貴重な金銀の崇拝什器や寄付や下賜された資金を運ぶというのである。

これに対し、大多数のユダヤ人はバビロンに留まることを選ぶ。
資金や物資の援助を帰還の有志には与えても、生業のため、また女子供や老人のためか、あるいは熱意の不足か、自ら危険や困難に直面してまで自分たちの神に熱心を示すことに躊躇した。
大多数のユダヤ人にとって「バビロンを出る」とは、敢えて安住の地を去ることを意味し、決して容易なことではなかったのである。

そのためであろう、帰還を申し出たユダヤ人の多くが男性であったようで、これは後に雑婚という大きな問題の誘因となる。

ともあれ、ユダヤ人の中からまるで帰還者が出ないという事態には至らなかったが、その数は関係者を含めてようやくに五万というところであった。
有事には50万の兵力を集めることができた頃のユダ(及びシメオン)とベニヤミンの国家は、おそらくレヴィを含めて150~200万近い人口を擁していたのであろう。ユダヤ人の多くが留まったバビロンは、その後、東方ディアスポラの一大拠点となり、最盛期には百万ものユダヤ人がこの地域に暮らし、そのユダヤ教は中世期に「バビロニアン・タルムード」を生み出すことになる。

一方、帰還を志願した彼ら五万弱には、神への熱意とそれに伴う信仰や勇気が求められなかったろうか。
つまり、彼らはその意味において「篩にかけられ」「選ばれた者」ということができるであろう。即ち「イスラエルの残りの者」と呼ばれる集団である。

イザヤはこうも云っていたものである。
『あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。』(イザヤ10:22

したがって、国家を形成するには余りにも少ない帰還民はまったく「産み落とされた赤子」のように弱体であり、周辺諸民族が存在することすら大きな脅威であったし、それは後に、彼らの面前で山のように聳え立ち、越え難い実際の障碍となるのであった。
それに加えて前述のように、まずは家屋の確保や地を耕し種を撒き、放牧地を見つけて、農耕牧畜の生計を立てなくてはならない。

それでも、彼らには帝国からの法的後ろ盾と、同胞から寄せられた資金には恵まれていた。これらが無かったなら、この帰還復興事業も起こらず、仮に自発的に行われたにせよ、成功はとても覚束なかったに違いない。

まさにイスラエルの神YHWHはキュロス大王の右手を執り、事態を導いたのである。


-◆ 油注がれたふたりの者

この第一次帰還を現場で導く者となったふたりの特筆するべき人物がいる。
一人は、帝国からユダの地の総督の権を委ねられてもいたユダ族のゼルバベルである。その名「バビロンの胤」(ゼルブバベル)の意味するところからして、捕囚としての生まれが知れる。
福音書の系図は彼がユダ族でもダヴィデの王統に属するものであることを明らかにしている。彼は第一次捕囚でバビロンに来ていたエホヤキン王の第一子、あるいはその兄弟の子である可能性も指摘されているそうである。聖書中の系図によれば、彼はエホヤキンの第四子シャルティエルの子に当たる。
またおそらくは、ペルシアの宮廷ではセシバッツァルと呼ばれていたのであろう。このセシバッツァルがユダヤ人総督ゼルバベルである蓋然性は低くないらしい。このようにバビロンに囚われたユダヤ人に別名を与えられた例は聖書のあちこちにあり、それがごく当たり前の習慣であったことが窺える。

ペルシアの行政府からセシバッツァルと呼ばれていたのがゼルバベルであれば、バビロンに収奪されていた神殿の什器や食器をペルシア側から受け取ったのはこのユダヤ王エホヤキンの子シャルティエルの子ゼルバベルであり、彼はその血統のゆえにもユダヤ人の敬意に値したであろうから、キュロス大王の勅令を果たす総督の任を委ねるについては申し分なかったのであろう。
実際、彼が帰還事業において重要な判断を妥協なく適切に果たす場面を我々は聖書に見出すことになる。


そしてもうひとりは、大祭司アロンに連なるエレアザルの、そしてザドクの流れを汲んで堂々と大祭司の資格を主張できた、セラヤの子、イェホツァダクの子、イェシュア(イェホシュア)である。

このように申し分なくレヴィ族の中のレヴィ族である者が、帰還民の中に居ないとすれば、たとえソロモンの壮麗な神殿を凌ぐほどの建造物を奉献したところで、祭祀の再開はまったく不可能となってしまい、その努力は無に帰するのである。

もちろん、レヴィに属する下位の祭司団やレヴィ人、ネティニムに属する古来の外国人専任者をも神殿祭祀は必要としているが、大祭司なくしてはその集団も意味を成さない。

このふたりが居てはじめて帰還民団の目的、またキュロス王の勅令が果たされ得るのであり、彼らの正統な権威と指導は今やイスラエルの神の崇拝の復興とイスラエルの回復の預言の成就に欠かせないものとなっていたのである。

預言者ゼカリヤは、このふたりをそれぞれに取り上げて言及したのち、真の神の崇拝を支える者となることを預言して、燭台の上にある受け皿に油を供給し続ける『二本のオリーヴの木』に象徴し、彼らは『全地の主の傍らに立つ二人の油注がれた者である』との神の言葉を記している。(ゼカリヤ3-4章)
これらは神の崇拝の復興に必要な統治権と祭祀権を表しており、これは後にキリスト・イエスとその聖なる者らの立場を象徴するものとなってゆく。

だがその前に、この時代の帰還民に起こった事柄を一瞥しておく必要がある。
なぜなら、それはイザヤなどの「預言者たち」の語る回復の預言の第一の成就であり、その意義はけっして軽いものではない。殊に、民の帰還と神殿祭祀の復興は、黙示録が示唆する将来のキリスト教の回復をも指し示すのであり、それを待ち望む者にとっては重要な教訓を得る場面だからである。



-◆守られるべき純粋性


先に見た通り、キュロスの勅令に応じたユダヤ人は五万に満たなかった。彼らは秋の第七の月に到着したが、そこで仮庵の祭りを行ったことは彼らの必要にも適っていたかも知れない。それぞれの家族やグル-プは小屋(スカ)を作り、屋根を木々の枝葉で葺いて八日を過ごす。それから二か月の内に、季節が変わる前に雨漏りのしない住居を用意しなくてはならない。

一方、神殿の定礎の方は、その翌年になってしまった。そこでは悴むような冬の雨や雪、自らの生計を立てることへの煩いがあったことであろう。
しかし、十分な資金を用いて石工を雇い、準備を始めることはできていた。

彼らの脅威といえば、近隣の数の多い諸国民の反応であり、帰還民の耳には不穏な情報が入りつつあったので、イェシュアは神殿の再建も、定礎も待たずに銅の覆いもない自然石の祭壇を以前の跡地に築いて焼燔の犠牲や、常供の捧げものを始めたのであった。


神殿の礎石が据えられたのは到着の翌年(前536)、冬の雨の去った春爛漫の二月(イッヤール)の時期であった。
レヴィの祭司らは白い亜麻布で正装し、奪略から返還された輝く銀製の高音ラッパ(ハツォツェロット)を吹奏する。また、アサフの子孫らは小型のシンバル(メツィルタイム)をもってハレル詩編を詠唱し、新たな神殿の定礎を慶祝した。それはかつてダヴィデ王が命じて行った古式に則るものであったが、イッヤールの月の春郁のシオンの空に、長い年月を経て、再びその晴れやかな音が鳴り響く。

帰還民の多くは、その慶事に大きな喜びの叫びを上げたが、一方で年寄らも大声で泣いていた。それは感動の涙ではなかったのである。
老いた者らは、以前のソロモン神殿の壮麗さを知っていたが為に、自分たちの前に置かれた礎石の小さいことに意気を挫かれ落胆して涙していたのであった。失われたものは何と大きかったことか。その後、神殿が完成しても、契約の証しの箱も聖籤ウリム ヴェ  トンミムも遂に戻っては来なかった。

しかし、それでも神の崇拝の為の礎は確かにそこに置かれた以上は、この困難で労苦満ちるとはいえ成し遂げるに大いに価値ある業に彼らは着手したのである。

さてそこで、彼ら帰還した民が、神殿の再建を始めた事に気付いた周囲の民族、殊に割礼ある民モアブとサマリアはその神殿建立の業に預かることを望んで、ゼルバベルに作業への協力と参加を申し出てきた。

殊にサマリアの民は、アッシリア王エサル=ハドンの時代から、トーラーを受け入れ、その規定を守ってきたのであるから、イスラエルとの混血民族でもあり、神を同じくする者という意識が強くあって、その敬神の念が神殿再建に関わることで報われるばかりか、再興する神殿祭祀においても、一括りに「その他諸国民」に扱われる以上の立場を望んでいなかったわけではなさそうであった。

それが証拠に、神殿を再建する業から彼ら近隣の異邦人がはっきり除外されると、つぎには神殿建立を妨害する側に回ったのであった。

そこで彼らの「敬神の念」は篩いにかけられたと言えよう。
彼らからしてみれば、あのユダヤ人らは数も少ないのに不合理に狭量で、「神を独占」するかのような崇拝への閉鎖的独善性に納得がゆかなかったことであろう。

だが、神への崇拝に関して、これらの諸国民には「神からの観点」が欠けていた。つまり、彼らがどうかと云うことではなく、神は何を望んでいるのかという点に配慮が到るほどの敬虔さまでは持ち合わせていなかったのである。そこでは「契約の民」への知識も敬意も足りてはいないことを、神殿再建への反対者と変じたことそのものが暴露していよう。そうして彼らは「神を崇拝すると唱えながら、その実質において無益な者」であることを現してしまった。

神が人類の全体を救うために選んだ「諸国民の光」となる器はアブラハムの裔であるイスラエルであってほかにない。それは、後代キリストがサマリア人の女に語られた「救いはイスラエルから興る」の言葉の通りである。この混血の民には、およそ五百年後にメシアの使徒、ガリラヤの漁師シメオン・キーファを通して聖霊による神のイスラエルへの統合が起こるのであり、その救いの時はまだ来ていなかった。
これら聖なる崇拝に近い諸国民は、却って神の選びを混濁させることで神慮に逆らい兼ねなかった。その理由は崇拝意識において神よりも自分を優先させていたからである。

それゆえ、ゼルバベルが彼ら異邦人を神殿再建の業から遠ざけたことは、キュロス王の勅令に沿うものであったが、それ以上に「イスラエルの回復」の預言を正しくイスラエル民族の上に成就させる道を拓くものとなった。

確かに帰還したユダヤ人は僅かではあっても、彼らこそが選ばれた契約の民であり崇拝の再興は彼らを通して為されなくてはならない。神は『再びエルサレムを選びとられ』るのであり、そこには御名を置かれる『神の家』たる神殿がなければならないし、その祭祀はイスラエルから更に聖別されたレヴィ族のアロン=ザドク系大祭司を頂点に戴く祭司団によって執り行われるべきものであった。それを補佐するのは同族のレヴィに属する者たちと、ネティニムと呼ばれる専任の献身者らでなくてはならない。

神殿を再建し、その祭祀の復興を目指した帰還ユダヤ人にとって、こうした条件が満たされないなら、それは「イスラエルの回復」とは言い難い。この状況下ではむしろ、第一神殿建立のときに勝って異物の混入によほど注意深くする必要があったに違いない。

こうして帰還ユダヤ人が初期に遭遇した試練は、少数者であることもあって、諸国民から神殿祭祀の純粋性を守るものとなった。
他方、神殿再建の業から除外された近隣諸民族は、イスラエルの神への請け分がないと知るや、手のひらを返したようにユダヤ人による神殿再建立を妨害し始めたが、この異邦人らは、ゼルバベルと民が神殿再建の業を続行するのを見て嫉妬を覚えるようになり、中傷に走り「総督ゼルバベルには野心あり、王となることを望み、既に民にはそう呼ばせている」と吹聴する。
だが、これに効果がないと分かると、次に帝国に対し、「ユダの民の独立性の危険は歴史が証明している」と訴え、これがペルシア王の益を損ねると主張した。(この件についてのエズラ記の記述は、後代アルタクセルクセスの時期にものと共に述べられているが、同様の訴えが神殿再建の時期から継続していたのであろう。エズラ4:4-24)

こうした反対運動は早くもキュロス王の治世中(B.C 550-530)に始まり、その為か工事は一向に捗る様子も見せず、遂にカンビュセスの治世中(530-522)に、近隣の諸国民は帝国の威力をもって工事を中断させることに成功したのであった。

しかし、カンビュセス王がエジプト遠征の帰りに自傷(暗殺?)したことが原因で死去したあと、王位簒奪者とされるガウマタを倒した高官の子ダレイオスがペルシアの王として即位した。この新しい王は翌年から新都ペルセポリスの造営を始めるのだが、その頃までに、神殿再建工事は中断して以来すでに15年にもなっていた。しかし、イスラエルの神はこの期にゼルバベルとイェシュアに再建の業を再開させるべく、二人の預言者を遣わすのであった。ハガイとゼカリヤである。
 

ハガイは、神殿再建が中断していた間に、帰還民には十分な収穫がなく、糧秣に事欠いたことに注意を向ける。神の家が荒れているにも関わらず、民は鏡板を張った贅沢な住居を設え、それでいて生活に満足することは無かったと言う。
雇われ人も『穴の開いた財布(袋)の為に働く』かのようであると評する。

それらの原因は『わたしの家が荒れているためであり、あなた方がそれぞれ自分の家のために走り回っているからである』と指控する。(ハガイ1章)
つまり、帰還民はシオン山上に神殿を築くという最大の目的を諦めてしまい、いくらも心を向けなくなっていたのであり、それは神の喜ぶところであるわけもなく、天からの祝福は閉ざされていたのであった。

祭祀再興のイニシアティヴはキュロス大王にあったので、大王亡きあと アリヤーの途に就いたはずの帰還民団はこの点で試され、そのアリヤーも成り行き任せで受動的であったことがここに表れている。

しかし、機は熟しつつあった。
ペルシアの政変もダレイオスの登壇によって終息し、キュロス大王の意を継ぐ新王が即位していたのである。

ハガイが預言を終えて数か月の後に、もうひとりの年若い預言者ゼカリヤに神の霊が臨む。
ゼカリヤの預言はゼルバベルにこう言った。『「これは勢力によらず、能力によらず、我が霊による」と万軍のYHWHは仰せられる。「大いなる山よ、お前はいったい何者か。ゼルバベルの前にあっては平地となるであろう」。』*
これを聴いたゼルバベルとイェシュア、そしてすべての帰還民は神にその霊を奮い立たせられ主体性をもって本来の帰還の目的を果たすことに心を向けたのであった。

ゼルバベルはダレイオスの宮廷に書簡を送り、キュロスの勅令があったことを訴える。
すると、その勅書は旧都エクバタナから発見され、18年前に示された様々な善意は、今やダレイオスを通して再び履行され、必要物が供給され、反対者は覆されることが「速やかに為されるように」との命が下った。
こうしてゼルバベルの前に立ちはだかる「山」は「平地」となるのであった。

この神からの奮い起こしが生じたのは、神殿の基礎が置かれてなお17年の歳月が経過したダレイオスの治世の第二年(520)のことであったとゼカリヤが記している。(ゼカリヤ4:6-7)



-◆余りに現実離れした預言

『エルサレムは人と家畜で溢れ、開かれた(城壁の無い)街となるであろう』。(ゼカリヤ2:8)

これが希望をもたらす預言であったのは、五万ほどの帰還民が皆エルサレム市内に住んでいたわけではなく、ネゲブのベエルシェバからベニヤミンの領域までの南北60kmにも及ぶ範囲にそれぞれの相続地に戻って点々と住んでいたのであるから、エルサレムには一万もいたかどうかも疑われるほどで、非常に広い廃墟のようであったことは後代のネヘミヤの記述からさえ知られるところである。

一世紀後、首都が城壁を備えたネヘミヤの総督時代(B.C444-432)の帰還があっても、エルサレムに住もうとする者を祝し、都外に住む者らの十人に一人を籤で選び、またレヴィ族が畑を耕すことのないよう生活を保障し、エルサレムに住まわせるよう取り計らったが、それでも首都は閑散たるものであったようである。(ネヘミヤ7:4/11章/13:10)


では、エルサレムが以前のような活況を呈して、預言の通りになったのはいつのことであろうか。
だが、この時期のふたりの預言者の語る内容がいったい何時成就したのかと疑問に思わせるところは非常に多い、というよりは、ほとんど預言の全体がそのようである。

ハガイの預言の中で、神は『わたしはもう一度天地を激動させる。また、あらゆる国民をも激しく揺する。するとあらゆる国民の中から望ましい(貴重な)者(たち)が入ってきて、この家(神殿)を私は栄光で満たす』。


また『この家の栄光は先の家のものに勝る』とも言われるが、この言葉は何時成就を見ただろうか。

確かにヘロデ大王は、この時に再建された第二神殿を建て直し、大いに拡張してアテナイのアクロポリスにも、エフェソスのアルテミス神殿にも負けない規模にし、そこにイエス・キリストが現れることにもなったわけだが、天地や人類全体が激しく揺り動かされるというような事態をそこに見出すことはできず、却って、キリスト後ひと世代の内に、この美麗荘重な神の家も二度目に焼け落ち破壊され尽くして、21世紀の今日まで二千年も存在していないというのが地上の実情なのである。


それはゼカリヤの内容も同じく、黙示のように不思議な内容が続くのである。
エルサレムの「邪悪」は、エファ升の中にひとりの女として封じ込められ、シナルの方角へ、つまりバビロンという「相応しい場所」に運ばれてしまう。これはエルサレムの贖罪を表すのであろう。


また「新芽」という者がいる。
この者は、自ら新芽を出して神殿を築くというのである。
しかも、この「新芽」は『王座にあって祭司となる』という。加えて『遠く離れた者らが来て』神殿を築く、というのである。
そこで神は金銀を使った光輝ある王冠を造らせるが、それをゼルバベルの上には置かない。そんなことをすれば彼は大逆罪で死刑になるであろう。神はそれを大祭司エシュアの上に置き、以後はその家で保管されることになるが、これは明らかに「新芽」という「王なる祭司」に対する記念である。そしてそれがキリスト・イエスを指すことは、ユダヤ教徒でなくキリスト教徒であれば自明の理であろう。(ゼカリヤ6:12-15)

しかも、キリストが帰天の後に大祭司としての職務を始めて、聖徒らを『新しい契約』によって聖別し、その後の永い時を経てから王冠を受けることがそこに前表されてもいる。(詩篇110:1/ヘブライ8:1-2)


ゼカリヤ書の黙示的宣告はその後も留まるところがない。既に神殿の基礎が据えられて19年が経過している(当時ダレイオスの第4年)にも関わらず、神自らがその石に「七つの目の彫り込みを行い」「ゼルバベルが礎石を携えて来る」「それに対して、麗しいかな!との叫びが上がる」とも言っている。その時には(イスラエルの)その地の咎が一日のうちに取り去られるのである。(ゼカリヤ3:8-9)

これらは、もはや当時の実際の出来事を超越しており、当のゼルバベルやイェシュアでさえ、その全容を把握したとは考えられないほどのものである。

そして、ヘロデ大王の神殿の火災と破壊を以って、その時以来、神YHWHの神殿が存在していない以上、その成就はなお「将来の神殿」に関するものであるに違いない。

なぜなら、その「神殿が栄光に満ちる」前に、人類は神によって激しく揺り動かされるからである。

その神殿の礎石が「ゼルバベル」で予表される何者かによって置かれる日、歓呼の声が上がり、「イスラエル」の罪はすぐに除かれて浄められ、その邪悪さはバビロンに移される。
そして「新芽」と呼ばれる者が神殿を築き始め、彼はその王座にあって祭司となり、「平和の君」のような諭しを民に教える。そのようなことが歴史上一度でも起こったことがあるだろうか。

これらを、あのペンテコステの聖霊降臨による「新しい契約」の発効での「神のイスラエル」の贖罪に当てはめるにも無理がある。

確かに、キリストと共に神殿を構成するべき人々は現れたが、その後二千年が経過しても、諸国民が激動を経験したことを歴史上に挙げることが一度もできない。


この天地の激動がシナイ山麓でのイスラエルとの律法契約締結の際の山の恐るべき揺れを表していることを明かしたのはパウロであり、それはヘブライ人への手紙の12章の後半で述べられている。

そこでは、キリストと共に神殿を構成することになる「聖なる者たち」が近づいたのは天のシオン山であり、それは揺ぎ無いものであって激動によって消滅してしまうものではないともパウロは書いている。つまり「新しい契約」はシナイからシオンへと移り、その山は揺らぐことのないもので、贖罪された初子の集団に恐れを抱かせる必要もない。

しかし、この世の天地はそうではない。
「罪」あるそれは、神によって除き去られるべきものであることが暴露され、それを知らされる人類はその振動によって振るわれ、神の目に望ましい者と、そうでない者とが分けられ、望ましい者らはシオン山上の神の家に向かうということであろう。

なぜなら、イザヤはこう言っている。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、諸々の山の上に堅く立ち、諸々の峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに向かって流れ行き
 多くの民は来て言う、「さあ、我らは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼は我らにその道を教えられる、我らはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ2:2-3)

この神殿とは、もちろん地上に現実に存在するものではないに違いないが、だからと言って、既に天に存在しているとも言えない理由が「激動」の未経験にある。

その神殿の定礎で「叫びが上がる」のであれば、人の世にも明らかなものなのであろう。それは聖霊の再降下の始まりを画する出来事を表しているようにも思える。
そして、「神殿」の構成員となる「神のイスラエル」は聖霊によって更に明瞭にしめされ、『その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダヤ人の裾をつかんで言う。「あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ」。』と言い、『あらゆる国民の中から望ましい者が入ってきて、この家を私は栄光で満たす』の言葉に連なるであろう。(ゼカリヤ8:23/ハガイ2:7)

そのためには、「あらゆる言語を話す国々の民」が、この「ユダヤ人」が誰であるかを識別し、しかもそこに無上の価値を認めなくてはならない。
そこでは出エジプトの時に、十度示された神YHWHの奇跡の力の大きさに信仰を湧き起こし、イスラエルに同行して荒野に出るに至ったエジプトの異邦人のような帰依のきっかけも必要であろう。


-◆ふたりの油注がれた者

しかし、こうしたことの起こるその前に、『神は再びシオンを選び取る』ことが行われなくてはならない。(ゼカリヤ1:17)
つまり、人が住まず、荒れた廃墟を目指す者、「イスラエルの残りの者」が現れなくてはならない。将来の対型的ゼルバベルやイェシュアは何者となるのであろう。

黙示録はこれに答えて、それは『ふたりの証人』であるという。(黙示録11:4/ゼカリヤ4:12.14)

彼らは『粗布をまとって(キリストのように)1260日の間預言する』者たち、(モーセとアロンのように)「地を何度でも打ち」、その権威を示す者である。

正当な立場のゆえに任命されたのでなければ、誰がこのような預言をするだろうか。真に聖霊が注がれるのでなければ、誰が地を打つことなどできようか。


それでも、黙示録のこの段階でも依然、神殿は完成していないとみるべきように思える。

と言うのも、イェシュアは定礎に先立って常供の犠牲を捧げ始めていたことからすれば、聖徒らの登場が神殿の建立は勿論、定礎さえそれを示すのかは分からない。
聖霊を受けることで任命された人々がすべて集められて神殿の完成とみてよいならば、彼らは1260日の間に試練に遭わねばならず、彼らが地上にいる間は神殿の完成はないことになろう。つまり、「殉教する者の数が満ち」、聖なる死者が天に復活し、生き残った聖徒らが死を経ずに天に昇る時を待たねば神殿の完成はない。(テサロニケ第一4:15-17)

つまり、聖霊を受けた「聖なる者たち」がまったく地上から去ってしまうまで、神殿の完成を見ないということになる。

その後、天に出来上がった神殿、つまりその崇拝方式には、諸国の「貴重な者ら」が入ってきて、神YHWHの家は栄光で満たされるのであろう。この者らは黙示録7章に描かれる「数えきれない程の多くの群衆」であり、「大いなる患難を通過してきた者たち」であろう。神殿の完成はこれらの無数の「激動」から選別された者たちの幸福な受け皿となるであろう。そして、彼らが待ち望むのは、既に大祭司として活動している「新芽」が、いよいよ王権をもって顕現する時であり、そこでシオンは遂に救いの王を迎えることになろう。

それはエルサレムに対する世界連合軍の攻撃を退ける無敵の王、大いなるダヴィデの到来であり、それゆえにも、黙示録の「群衆」は手に手にナツメヤシの枝を持っているところは、イエスの王としてのエルサレム入場を讃えたあのニサン11日の出来事を彷彿とさせているのではないか。

こうしたことが起こるまでは、神殿は礎石が置かれたまま一定の期間、少なくとも1260日の間は、かつての第一次帰還民の遭遇した困難の時期となるのだろうか。

つまり、「帰って来る」「イスラエルの残りの者」で表されたゼルバベル一行の五万人という僅かな民が受けた、諸国民からの圧力、生活の困難さ、脅かされる純粋性といった障碍は、同じように将来に聖霊を受けるキリストに属する「聖なる者たち」を試すものとなるとも考えられる。


そこでは既に、常供の犠牲が捧げられていて、そこに礎石が据えられる。しかし、神殿の再建の計画、即ち、イエスが王権拝受の旅に出て以来の、真のキリスト教の再興が始められた噂を聞きつけた周囲の諸民族で表されるところの、おそらくはキリスト教諸派の干渉と反対、レヴィの純粋性で表される聖徒の聖霊による身分を保つための決然たる努力などを、この帰還民の上に起こったことから学ぶべきなのであろう。

それは想像するだけでもたいへんな困難である。
今日のキリスト教が如何に初代のものと異なってしまっていることだろうか。現状のキリスト教徒は、まず「バビロンから出る」ことさえ困難で、自分の救いを第一にするご利益信仰の安住の地から、誰が敢えてそこを後にしようか。

しかも、神に心が向いていないので、神殿を築く少数の「聖なる者たち」をも見くびり、利己心から聖霊にさえ逆らうであろうことは、現在この人々が見せている頑なさが十分に語ってはいないだろうか。神の正しさよりも、自分が正しいか否かがこの人々の主要な関心であるようにしか見えず、聖霊を下賜されもしない彼らがキリスト教の回復を手伝おうとしても、それ即ち、レヴィを汚す以外の何であろう。
このことの結末は果たしてどうなるのであろうか。

さて、古代に視点を戻せば、ゼルバベルと帰還民団の努力は実を結び、ハガイとゼカリヤの預言が始まってから4年目(ダレイオスの第6年B.C516)の終わりの月に、遂に神殿の完成を見ることができた。翌年正月には『過越し』と『除酵祭』が行われ、次いでレヴィの祭司は組に分かれ、その務めに就く。
それは、定礎から難儀を重ねて実に22年、第一神殿の破壊から70年の歳月を経たの後のことであった。


-◆血統のイスラエルから神のイスラエルへ


伝承ではゼルバベルは務めを果たしてペルシアの宮廷に戻り、イェシュアは大祭司の職を息子に残して生涯を終えたという。
だが、諸国民がこぞって流れのように向かう姿は西暦七十年の第二神殿の終焉まで遂に見られることはなかった。

また、この再建によってもイザヤやエレミヤの預言したような「イスラエルの回復」には程遠く、民は律法を忘れており、エルサレムは引き続き人口不足であったし、城壁は崩されたまま石はあちこちに転がっていた。
これらが正されるには、総督ネヘミヤと写字生エズラという次なる活躍の世代を更に七十年待たねばならなかった。

そして、最後の預言者マラキを以って神は四百年にも亘る長い沈黙の時代に入る。
それは恰も後の時代に、キリストが不在で、その聖霊を真に受けた際立った弟子の絶えて久しい現在までのような状態であり、パリサイのように、神を崇拝すると唱えながら、勝手な人間の命令を教える宗教家と、それに喜んで従う信者がキリスト教を唱えるという、異邦人主導の「夜の時代」であるかのようである。

我々はペテロの言う「明けの明星が上がるまで、暗い処で輝く灯火のように」、こうして預言の言葉に注意を払いつつ過ごすべきなのであろう。(ペテロ第二1:19)


イザヤ、エレミヤの預言したイスラエルの回復も、ハガイやゼカリヤの霊感の言葉も、第二神殿の時代中には成就しきれていないことは明らかに見える。(イザヤ51:11)
二十世紀に勃興を見たシオニズム、またパレスチナでのイスラエル共和国の建国で、何か預言に相応しい事柄があったろうか。
パレスチナに向かったユダヤ民族の帰還(アリヤー)は、イスラームの岩のドームが在るモリヤの地所に神YHWHの神殿をもたらしてはいないし、ゼルバベルは闘争をもって先住民を追い出したりしたろうか。
今日、誰がダヴィデの血統を証明し、誰がザドクの系統を証しすることができるだろうか。
大祭司であり、やがて王ともなる「新芽」とは自分だという者が地上から現れるだろうか。

西暦七十年に起こった第二神殿の炎上と破壊は、ユダヤ人から血統の記録など、民族の貴重な資料をもろともに奪い去った。それは恰もキリストと聖徒らのための封印のようでもある。
しかし、それまで続いたモーセの体制を実質的に終わらせたのはローマ軍であったと云うよりは、そのモーセが予告し、「その者の言葉を聴かねばならない」と警告していたメシアを、不信仰から退けてしまった当のユダヤ人の世代であったのだ。(申命記18:15)

キリストはいみじくもエルサレムについて、『敵が周囲に柵(カラクス)を設けて、四方から攻め』られる日がくること、城市の石は崩されてしまい、ひとつも残されない。
その原因は彼らが神と『和することから目から隠され』ていて、自分たちが『査察(エピスコネース)を受けている時期であることを悟らなかったからである』。と預言していたのであった。
また、三年世話しても実を結ばず、「もう二度と実をならせないように」と定められたいちじくの木によって、ユダヤ体制が捨てられたことが象徴されたのである。(ルカ13:6-9/マタイ21:18-19)

結果として、当時のイエスを除き去った者ら、『世の初めから流されてきたすべての預言者の血の責任が問われる世代』は、待望のメシアを拒絶したために、自らモーセ以来の体制に終止符を打ってしまったことを福音書は明かしているのである。それは神の敵意において一度目を上回っていないだろうか。(ルカ19:41-44/11:50)

では、イザヤ、エレミヤが語ったような「イスラエルの回復」や、ハガイやゼカリヤの「諸国民の激動」や「新芽」の預言はどこで成就するのか?
そこで思い出されるのは、キリストを基礎として積み上げられ「神殿となる人々」の存在である。(エフェソス2:20)
キリスト教徒であるなら、モーセの体制の終わりからキリストの「新しい契約」がイスラエルを救い出し、キリスト自身を礎石とする彼らの天の神殿によって、将来の定礎と再建の内にすべての預言が成就することを知るべきであろう。
それらの神殿の石となる人々は聖霊という身分の証しを持つ聖なる弟子らである。(エフェソス1:14)

こうして、かつて地上に存在した第二神殿の意味するところを一望すると、それは再建から五百年後に『神殿に突然に来る』メシアと「新しい契約」へとイスラエルを導くための場であり(マラキ3:1)、また、預言の言葉は更にそれを超えて、将来の「聖なる者たち」の現れ、つまりシオンに上ってくる選ばれた「イスラエルの残りの者」の困難や試練と向き合う活動を指し示しているように見える。黙示録はその期間を三年半、1260の苦難の日々であると記す。(黙示録11:3)

その期間に、キリストは『レヴィの末孫を浄め』、聖霊が無いにも関わらず自らを正しいとするあらゆる者らを退けるに違いないが、それは古代の第二神殿の定礎の後に近隣民族の参与を退けたようになるのであろう。どれほど「神を同じくする」と主張しようとも、彼らには正当な資格が無いのであり、それを定めたのは神ご自身である。(マラキ3:2-4)

この『レヴィの浄め』は聖霊を注がれないキリスト教界だけのことではなく、血統上のユダヤ人、メシアニック・ジューにも云えることである。

あのメシアを退けた世代と共に神の恩寵も契約も過ぎ去った肉のユダヤ民族の為に、今日キリスト教徒が特に祈りを捧げる必要があるものだろうか。聖霊降下という明白な証拠を以て神の歩みは律法契約から先に歩を進め、既に新しい契約に入ったというのに、どうしてキリスト教徒までがモーセの崇拝方式に何か意味が残っているかのように後戻りするべきだろうか。

血統上のイスラエルには既に神の契約も無く、ヒレル・パリサイ派ユダヤ教を今も信奉する民族に、神の言葉も恩寵も、まして地上でいまだ異邦人と血肉の戦いを為す体制に聖霊が臨むことがあるだろうか。
神の恩寵はキリストの仲介する「新しい契約」によって、血統によらず信仰による高次な『神のイスラエル』に移行しており、諸国民はこの『神の民と共に喜ぶ』必要があるのであって、彼ら真実の神の民を見分ける必要があるが、神は彼らに聖霊の賜物をはっきりと与えるので見紛うことはない。ただ聖霊に対する信仰が求められるばかりとなろう。(ガラテア6:15/ローマ15:10-12/コリント第二5:5)


その天の神殿の定礎も、『麗しき哉!と叫びが上がる』なお将来のことであり、それはキリストの帰還の臨在を印付けるであろう聖霊の再降下があってこそ世に示されることなのであろう。しかし、神殿の建立の時はまだ到来しない。


しかし、聖霊注がれるその時は、キリスト教の回復となり、聖霊の霊感のゆえにこそ、神の正義、また真に正しい教えの現れとなるに違いない。(ヨハネ16:13)
聖徒らの現れにより、まさにこの地上で象徴的な意味に於いて仮の祭壇が機能し、彼らが聖霊によって世に語ることにより常供の犠牲も捧げられ始めることになろう。それが象徴的定礎であり、『七つの目』で表された聖霊は、あまねく世を探り、また裁くものともなるのであろう。


我々は、「切なる期待をもって」この「シオンに上る残りの者たち」を待ち望む。(ローマ8:19)
真に聖霊によって油注がれる「聖なる者」、「アリアー・ツィオンの残りの者ら」の中に、対型のゼルバベルとエシュアが正統性をもってそこに現れるからである。







           新十四日派   © 林 義平
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