キリスト教信仰とは、単に神やキリストの存在を信じることだろうか。

「悪霊までが神を信じて恐れ慄いている」と聖書にはある。(ヤコブ2:19)
そうなると、神が居て、それが人間以上の存在者であること、あるいは世界を創造したということを納得して信じたところで、何らの意味を持つものともなりそうにない。

あるいは、神を恐れる悪霊どもの方が、神の裁きを成し遂げる力をよほど承知しているのであれば、神を認めてもそれ以上には何ら意に介すところない人間より賢いとさえいえるのだろうか。

パウロは『神に近づく者は、神がおわすことと、神を求める者には報いて下さる方であることとを、信じなければならない』と言っている。
この言葉だけを眺めると、人が神に願を掛け、それが叶えられることを期待するのが「信仰」のようにも見える。だが、聖書に語られる信仰を表した人々は、そうした自分の利得を神に願っていたようには見えないのである。

アブラハムは、旧約聖書もシュメール時代の人物である。神は彼を選び、関わりを深めていった。
何故ならば、このアブラハムという人物の信仰の深さのためであったという。
神はこの人物の信仰のゆえに、彼を通して人類を救うという大事業を行うことを意図されるのであった。

創世記の中で、神はアブラハムの信仰の業を認めてから、こう述べている。
『地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
  あなたがわたしの声に聞き従ったからである。』(創世記22:18)

それは全人類の「救い」の神の計画(経綸)に、このアブラハムとその子孫が関わることを意味する。
その「救い」とは、「顔に汗してパンを食し、終には土に帰る」という虚しい現状に置かれた人類に、創造された本来の姿を回復させることにある。
 
その現状についてパウロはこう言っている。
『被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。それは即ち、被造物もいつの日か、滅びへの隷属から解放され、神の子供としての栄光に輝く自由を受けるということです。』(ローマ8:20-21)

ここで言われる『神の子』とは、創造された状態にある純粋な人間を表している。
しかし現状では、人間はアダムの堕罪によって『神の子』の立場を失い、創造された本来の『神の栄光に達しない』状態に留まっているからである。(ローマ3:23)

そこで人間の「罪」を担って犠牲となる、アダムの血統に由来しない、もう一人の始祖となる人物を人類は必要としたのであり、奇跡の処女懐妊を通して世に来たキリスト、つまりアダムの裔でなく『女の裔』として来られた方を信仰するべき理由が生じるのである。つまり『第二のアダム』、キリストである。(コリント第一15:45-)

使徒パウロはキリストについてこうも言っている。
『一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされる。』(ローマ5:19)

罪のないこのひとりの人物が世に現れる以前には、ユダヤ人は神から与えられた「律法」の指示に従って羊や牛などの動物の犠牲を神に捧げていたのだが、それらの血を伴う供物には、神と人の間に「罪」があり、それが血の犠牲を伴うほどに両者を隔てる大きな障害となっていることを繰り返し教えるものであった。(イザヤ59:2)

しかし、キリストが現れると、バプテストのヨハネは彼をユダヤ人たちに示して『見よ!世の罪を取り去る神の子羊である』と紹介する。(ヨハネ1:29)

それまでずっと繰り返されてきたユダヤ教の動物の犠牲は、キリストの犠牲を予め示すものであったのが、このキリストが世の罪を担って磔刑に処せられることによって、ユダヤ教の犠牲の儀式は完遂したことをパウロは告げる。即ち、神と人との間を隔てる「罪」を取り除くところの、貴重な仲介の犠牲の備えが据えられたのである。(ヘブライ10:11-13)

それであるから、「キリストを信じる」ということは、神の存在を信じることはもちろんのこと、ユダヤ人が『世の光』となることを目指す以上に進んで、神の人類救済という行動目的(経綸)をはっきりと視野に入れる事を意味するのである。

なぜなら、時代が進むに従いアブラハムからモーセへ、そしてメシアの登場へと、神の悠久の歩みに従い、その行動目的はいよいよ明瞭に啓示され、人々に一層その全容が明かされてきているからである。そこで「信仰」も前進しなければならない。

キリストとは即ちメシア、神から任命されたために「油注がれた者」を意味するのであり、そのキリストを信じるとは、神の目的に関して、彼がきわめて重要な役割りを担い、成し遂げ、また、将来に重ねて成し遂げる事が理解されるべきなのである。

「キリスト教」という言葉そのものが、もはや単純な神信仰に留まることを非とし、神の目的ある歩みに信仰の照準を合わせるべきことを示しているのである。

それはもちろん、神やキリストの存在をただ信じると言うレベルを遥かに超えており、また、信仰者個人にご利益や人生に導きを与えてくれるというようなロマンティックなものでもけっしてない。そこにあるのは人類全体の救済という、神の御子の犠牲を伴う偉大な公共善への大志ある目的なのである。

アブラハムもこの神との多年にわたる関わりを通して、自分の子孫による神の目的に感化を受け、独り子イサクの献供のときには、神の善性と人類への目的からしても、例えイサクを 捧げたにしても、神は復活させずにはおかないとの信仰の境地に到達している事を示し、もはや子孫が土地を得て繁栄することをただ願うことから脱却していたというべきである。さもなければ、『そなたの裔によって地のあらゆる民族が自らを祝福するであろう』との神の目的に価値を見出していなかったに違いない。

そこで、人類の『罪』を担ったキリストについてパウロはこう言っている。
『彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために、生きるためである。』(コリント第二5:15)

さて、ここに「ご利益信仰」の余地があるだろうか?
確かに聖書の中にはこうした大志ある信仰の例で満ちている。


聖書中の信仰の例

「信仰の人」と呼ばれようになったアブラハムについてもう一度述べるなら
パウロは彼について、『信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに従い、行き先も知らずに出発した』とその信仰の強さを説いている。
そればかりか、アブラハムは神の約束によって信じがたい高齢で息子イサクを授かったが、彼はその独り子をさえ犠牲にして神に差し出すことを厭わない信仰を示して見せたのである。

『アブラハムはイサクを犠牲にしたも同然であった』とも言うパウロは、アブラハムは、神が約束によってその子孫を海の砂粒のように増やすのであれば、神は必ずイサクを『復活させることができると考えた』と書いている。(ヘブライ11:17-19)

それでもアブラハムは約束の地を「足の幅ほども」受けることはなかったのである。彼は外国人寄留者として将来に子孫が受けるであろう「約束の地」に天幕生活を続けるばかりであったが、しかし、彼は神の約束についてそれが自分の子孫の繁栄だけを意味しないことを徐々に悟り、深い価値を見出し、それを深く信仰したのであった。それこそは神の側にもアブラハムとの約束を通しての目的があり、それが人類祝福の偉大な計画であることを繰り返し知らされるうちに、アブラハムと神の目的は融合を始め、遂にイサク献供の時には、双方の目的の故に、後代パウロが述べるように、彼はイサクを神が生き返らせて下さるものと信じられるに至ったのであろう。

また、パウロ曰く、彼は(出身地のウル近郊)に戻ろうと思えばいつでもできたが、神が基を据える都市を遥かな将来に見てそれを心から望んだという。それは後の「天に属する」「神の王国」、つまり人類に祝福となる「聖なるエルサレム」であったことであろう。(ヘブライ11:15-16)


また、預言者となったモーセはどうであろう。
モーセはファラオの娘の子と呼ばれるよりは、奴隷の民のひとりとなることを望み、その結果、宮廷の生活を後にしてシナイの砂漠で遊牧生活を営んだ。
そこでさえ、彼の価値観は実生活よりも重要なものを見出していた。しかし、齢八十で満ち足りて世を去ろうという歳になってから苦労の絶えない、民を導く役割をモーセは受け入れ、イスラエル民族の大集団を奴隷状態から導き出すことになる。

彼は『神と顔と顔を合わせて語った』と言われるほどの栄誉に預かりながらも、民の不信仰を忍ばねばならず、その苦しみが高じて『いっそわたしを殺してください』とさえ神に言ったものである。
そして、イスラエルの将来と自らのような預言者を望み見つつモアブの荒野で果て、遺体は消失し墓に葬られることもなかった。


預言者エリヤの信仰もまたご利益信仰とは縁遠いものである。
彼は、異教の横行する民の中にあってひとりYHWHを擁護しその名を担った。異教の祭司450人と対峙し、イスラエルの神は彼の祈りに応えて奇跡の業をはっきりと見せ、異教に圧倒的な勝利を飾ったにも関わらず、圧制者からの命の危険に曝され、同胞の民の不信仰から孤独を味わいつつも、身に迫る危険の中で神との交友を通して命を支えられ、多くの奇跡を行ってさえ本人は質素廉潔な生涯を送ったのであった。


そしてキリスト自身もまたその道を歩まれた。
イエスは経済的に裕福でない、いや貧しい大工の家庭に生まれた。
質素な身なりと『頭を横たえるところもない』という生活は、豪奢であったり、或いは敬虔さをひけらかす衣服をまとい、公の場での挨拶を好んだという当時の宗教指導者らと対照を成すものであった。(マタイ8:20)

イエスは「祈りの人」とも呼ばれるほど御父である神と密接に結ばれ、彼にとっては自分に敬意を集めることよりもよほど「父を尊ぶ」ことが重要な関心事であった。それは、あの神殿の場面でのみ、実力を行使してまで御父の住まいである神殿を清めようとされたその『熱心』において特に表されている。

しかも、その忠節な生き方の頂点は自らの刑死を以って犠牲の死を遂げることであったのだ。
キリストとして自らを差し出したその歩みは、旅を続けながら、ユダヤの人々と苦悩を共にし、疲れを忘れて累々と運ばれて来る病人をひとりひとり癒し、その信仰を励ましては福音を教える毎日であった。(フィリピ2:6-8)その奇跡の業を行いながら、『自分からは何一つ行うことができない』とまで言われるのである。
 

キリストに従った使徒たちもまたこうした信仰の型を示している。
彼らも与えられた使命を果たし、聖霊をもってキリストの業を続行し、教えを広めるために活動し、多大の労苦を忍んだ後に、ほとんどは遠方の布教の旅先で迫害に遭いそれぞれに殉教の死を遂げている。

パウロ自身がこうした労苦で言うべきことは止め処もない。
『わたしは気が狂ったようになって言う、彼ら以上にわたしはそうである。苦労したことはずっと多く、投獄されたことも更に多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したことさえしばしばであった。

ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭打ち刑を受けたことが五度、ローマ人に棒鞭で打たれたことが三度、石打の処刑が一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。

幾たびも旅をし、川の危険、盗賊の危険、同国民からの危険、異邦人からの危険、都会での危険、荒野での危険、海上での危険、にせ兄弟の危険に会い、労し苦しみ、たびたび眠れぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。

なお様々な事があったうえに、日々わたしに迫って来る各エクレシアへの心配がある。誰かが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。誰かが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。』(コリント第二11:23-29)

そのうえ、パウロにはエルサレムでの騒動から捕縛され、裁かれて上訴しローマに護送される途上でさらに難船し、ローマでの長い拘禁生活を耐えて、最後には大火から生じた迫害で処刑されるという、この後の顛末は上記の手紙が記された時点で含まれていない。
その激動の生涯の終わりが近付いたことを悟ると『私は自分の走路を走り終え、信仰を守り通した。今から後、義の冠が自分のために定められている』と語ることができたのである。(テモテ第二4:7)


そして使徒たちと同様に聖霊を注がれた聖徒たちがいる。
彼らも使徒に準じて聖霊の賜物を用いて活動し、多くが過酷な迫害に耐え、残酷な処刑を甘んじて受けている。彼らの「信仰」がこうして「世を征服する」力となった。彼らは受けた聖なる召しと「新しい契約」による過分の寵愛に相応しく生きようと努め、迫害や拷問に耐え、残酷な刑に処されて死に至るまで主イエスに従った。(ヨハネ第一5:4)

それは、自らの「救い」を達成することであったと同時に、人類の救いの実現させる礎となることであり、神と子への信仰、つまりその意志に倣うことを実証したのである。(フィリピ2:12-13)
彼らの信仰は、天でキリストと共になり、神殿を構成する成員となることに向かっており、それこそはアブラハムの遠く遥かに望み見た事柄であった。


さて、これらのうち誰が、自分のより良い快適な生活や個人の利得を願ったろうか。
その関心は自分が神の是認や救いを得て「人生で成功する」ことにあったろうか。
もちろん、そうではない。
彼らの共通点は神のなさろうとする事柄に価値を見出し、それに協働しようとしたところにある。その主役は神であって、自分が間違いの無い生涯を送るか否かは当面の問題外であった。

そこで彼らは、全人類の罪を除き、神の祝福の下に復帰させるという壮大な事業(経綸)に沿って働くことを願った。それは神の王国に『値のきわめて高い真珠を見出した旅商人』のような反応を示すことであり、『持ち物全部を売ってでも手に入れようと』するという例えが非常によく合致する。

彼らはひとしきり我慢をすることで、将来の幸福を買い取ったというわけでもさらさらない。
すでに、その困難の中にあっても神と共に歩むことにおいては幸福であったことであろう。

その関心は神と人々に向けられた大志にあったに違いない。
この点、今日のキリスト教は何と道を踏み外していることか。これら古代の人々が「自分がどうすれば救われるか」やら「何をすれば人生で成功できるか」など考えていたろうか。
古代の信仰の人々は自分の救いや成功を願って生きたわけではない。それよりも遥かに価値のあるものを見出し、それに邁進したのである。

それは「楽園」となった地上で暮らすというような目標でもない。それもやはり自分中心の願望であり、事の本質を捉えた見方ではない。事の本質とは、創造物の全体が神と忠節な愛によって固く結ばれて創造物として復帰し、こうして神の創造の意図が成し遂げられることにある。人にとって、神からの『忠節な愛は命に勝る』とダヴィデ王が言い得たのも、生涯に亘る神との関わりあってのことである。(詩篇63:3)

神からの忠節な愛の要を成すのがキリストであり、全創造物がキリストの下にまとめ上げられることを創造の神は意図されている。
そこでは、人類の幸福さえ神が神となることに比べればまったく些細なことである。これについては大半のキリスト教徒が神の前に正反対の態度をとっている。

真なる信仰を抱くなら、人に益があるから神に仕えるわけではない。神が神であることは何ものにも勝って第一でなければならない。そうでなければ創造界に倫理の基礎が据えられることはけっして無いからである。神が神で無ければ創造物は正しく存在する意義を持たない。

この本質が捉えられないのであれば、それは利己的な精神を宿すご利益信仰であり、それこそはサタンが勧める実を食らうことである。
他方、アブラハムの型に沿って信仰する者は恐れる必要はない。その道は必ず成し遂げられる神の意志たる悠久の経綸と共にあるからである。

神は自存者であられ、何事もできないことがない。しかし、ひとたび罪に陥った人類を救済する方法をとる場合には御子の犠牲を、そして現状の創造界を改善する場合には独り子の忠節の証しを必要とした。それらは共に倫理に関わる事柄であり、人の信仰も個人の倫理上の選択となる。その自由な選択によって神は自らの『象り』である人の自由意思を多大な犠牲を払っても担保したのであり、その御子を犠牲とし、その全知全能を抑制してまで行われた事の目的は、神が自らを尊重することでもあったのだ。

信仰を働かせるか否かは各個人の究極的倫理決定といえる。それゆえ、信仰を働かせるか否かが裁きに直結する。(ヨハネ3:36)それに対し行状や従順や道徳性は(仮贖罪された聖徒でなければ)ほとんど神の終末の裁きで意味を成さない。(ガラテア2:16/ルカ12:10)


利他心と利己心ほどに違う「信仰」

人が所謂「幸福になる」ことを目指してキリスト教に向かい、バプテスマを受けることで神の是認に入り(「聖徒」のような)義の立場を得ると教える宗派は数知れないが、そのほとんどが、それぞれに新約聖書中に書かれた通りに正しく教えられていると認識しているであろう。

例えれば、『悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。』(使徒2:38)という五旬節におけるペテロの言葉を根拠に、誰でもバプテスマを受ければ「罪」が許され「聖霊の賜物」も受けると教えられるだろうか?それは人の耳をくすぐるような快感を伴い、人寄せには効果的な教えではある。

だが、この日ペテロが語った相手がユダヤ人、例外なくペンテコステの祭りに来ていたユダヤ教徒であったことは見逃されるべきではない。ユダヤ人は既に神との間での律法契約に含まれており、その契約は目指すところは、アブラハムに約された『諸国民の祝福』となる選ばれた民『祭司の王国、聖なる国民』、『諸国民の光』、メシアを偉大な王とする『神の王国』となるところにあったのである。(創世記22:18/出埃19:6/ペテロ第一2:9)

したがって、イエスも言われたように『救いはイスラエルから興る』のであって、その民族に属する者が、メシアを信仰の目によってナザレのイエスに見出し、その名によってバプテスマを受けるなら、律法契約からメシアの仲介する「新しい契約」にそのまま移ることができたのである。(エレミヤ31:33)

当時のエルサレムでは神殿は祭司団によって崇拝が依然機能していた。しかし、この民族はこの律法契約に代わる「新しい契約」を待っていた。
それゆえ、彼らユダヤ人がイエスをメシアとして受け入れることは、律法不履行の罪と呪いから赦されて救いに入り、『祭司の王国、聖なる国民』のひとりとして神から受け入れられ、その身分は「聖霊の賜物」によって証しされたのであった。(コリント第二5:5)

その契約の転換によって律法不履行の咎めあるユダヤ人は「罪を許され」「救われる」状態に入ったのである。
彼らはアブラハムに予告され約束された『地のすべての家族が自らを祝福する』という真の彼の末裔「神のイスラエル」であり、そのメシアへの信仰によって『選ばれ召された』、『王なる祭司、聖なる国民』となったのである。

そればかりではない。彼らはユダヤ人としての律法契約不履行の責めを逃れるばかりか、キリストの血の犠牲の最初の適用を受け、アダムの罪さえも仮赦免されて「罪」という神との障壁が除かれることで『神の子』と認知されるに至ったのである。

それゆえパウロは『今や、キリストに属する者に有罪宣告は無い』と述べ、『誰が神の選んだ者を断罪するのか、神が義としているのに』と記したのは、その者たちがキリストと共に天に召され全人類を贖罪し救う民であるところの真のアブラハムの後裔となり、天から千年の間、『王また祭司と』なることを意味していたのである。(ローマ8:1.33/黙示録20:6)

加えてパウロは、『神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。』と言うのである。(ローマ8:29)

ヤコブも自分たちについて『神は私たちを被造物の初穂(アパルケー)とされるために御言葉によって生み出した』と述べている。つまり、彼らは被造物である人類の全体に対して、アダムの命の肉体に在る間からその「罪」を贖われ『聖なる者』となるに至ったことを言うのである。

それは創造の神の実に壮大な計画(経綸)であり、悠久の時を歩んで、歴史の黎明から今もなお推し進められている人類救済の偉大にして強固な意志である。
聖書中で「聖徒」(ハギオス)と呼ばれる彼らは、灯芯が炎の存在させるように、キリストと共に人類の救いの輝きの中心となるというまことに偉大な公共善の『世の光』に身を捧げる人々であり、そこに「ご利益信仰」の余地などはまるで無い。(イザヤ49:6)

この真のイスラエルの現れは、イエスが刑死を遂げて後の五旬節からのことであった。
天からの轟音と共に聖霊の賜物はまことに際立った仕方で、まずガリラヤ人の弟子たちの上に降り、次いで祭りに来ていたユダヤ教徒の上にも降り、そこでは奇跡によってはっきりと神の恩寵がメシアの弟子に移ったことが明らかにされたのである。そこには個人にだけ分かるような不明瞭なことは無い。(使徒4:31)

それから二十年を経てもパウロは『聖霊の顕現(ファネローシス)』について記し、それが不明瞭なものではなく、エクレシア全体に知識を与え導くものであったことを、様々な種類の奇跡の賜物を挙げて述べているのである。(コリント第一12:7)

彼はまた、エフェソスの異邦人の聖徒らに対して『あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押された』と書き、『この聖霊は、わたしたちが王国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光を讃えるのである』とも述べている。(エフェソス1:13-14

つまりパウロは、この「約束の聖霊」こそが大いなるアブラハムの遺産である全人類のための「聖なる選民イスラエル」に召されたことを証しする承認印であると言っているのである。

そして、ユダヤは体制全体としてキリスト教に転換することは無かった。彼らユダヤ人は今日までモーセの体制を維持しており、イエスがメシアであったことを認めていないし、今後変化があったとしても、神の恩寵は第一世紀以降ユダヤを明らかに去っている。彼らは今後も血統ゆえにも律法ゆえにも神の前に恩寵を得ることはけっして無いであろう。(マタイ22:8)

旧約の「預言者たち」が語る「回復」は、聖霊の再降下によるキリスト教の回復として顕著に成就するに違いない。(ヨハネ16:13)それは『雲と共に来る』キリストの、その臨御を示す最大の徴となるであろう。
では、『聖なる国民』がユダヤ民族をそのまま表さないとすれば、その実体はどのようであるのか?

それこそは、神の是認の臨むところに示されることであり、キリストは使徒ペテロに『王国の鍵』を与えて、コルネリウスを初めとする異邦人からも「アブラハムの後裔」に含まれる『養子縁組』の扉を開き、ユダヤ人が不信仰で『数を満たさなかった』ことへの対処としたのであり、パウロがそれを「接木の例え」で述べている通りである。(ローマ11)

こうして、ユダヤ人と異邦人から成る『ふたつの群れ』(エフェソス2:15-16)は共にイエスの述べた「約束の聖霊」を注がれ、使徒ペテロも彼らを指して『あなたがたは聖なる国民、王なる祭司』と記し、モーセもまた述べていた「聖なる民」を共に構成するに至ったのである。(ペテロ第一2:9-10)

こうした聖書全体を貫流する神の計画を推進する上で、聖霊の役割はまことに大きなものがある。
聖霊はキリストに宿り『父の業を』行い、それに信仰を働かせた人々がまず「アブラハムの裔」として選ばれていった。
それら選ばれた聖徒たちは、聖霊によりキリストと同じ業を行い、『しかも、それより大きな業』をパレスティナを越えて広げていったのであり、初期の彼らの宣教の目的は「アブラハムの裔」を集めるキリストの業の続行であり、『聖なる者』の残りを集め出すことであった。(ヨハネ14:12)

新約聖書はそのような状況で書かれたものであり、当時はエクレシアに集まる人々の大半が聖徒で、新約聖書のほとんどは彼らに向けて、また彼らのために書かれているのである。(パウロの書簡の冒頭の挨拶)

彼ら聖徒に与えられる優れた事柄の数々には、約束の聖霊を通して『新しい契約』に入り肉体で居る間から「仮の贖罪」を受けるので、神とキリストと結びついた深い交友が可能となっている。それは恰も、聖徒の中に聖霊を介して神とキリストが住んでいるかのようであるという。彼らはいずれ天に召され、神またキリストを見ることになる。(ヨハネ第一3:2)そうして彼らはキリストと共に神殿を構成する石となるのである。(ペテロ第一2:4-5)

こうした天に関わる事柄を、聖書に「あなた」と書いてあるからと自分に向けて書かれたと思い込み、聖書の全体に流れる偉大にして自己犠牲の精神溢れる神の計画を、自分への親切であると信じるところから「ご利益信仰」への逸脱がはっきりと見て取れるのではないか。

そこでは、単に聖書の言葉を適用する相手を間違えているというだけでは済まない。自己犠牲の精神が正反対の利己心へと完全な変質を遂げてしまっているのである。

つまり、信仰さえ抱けば聖霊が与えられて罪の許しがある、という聖なる者にだけ備わるメリットを自分のものと誤認し、死後は天に召されキリストと共になると信じることに、全人類への救いの要となるという大志は無く、自分が「極楽往生」することと然して変わらぬ「天国の至福」に与ることが信じるところとなってしまうのである。そうして、キリスト教は本質的にどこにでもあるような「普通の宗教」となってしまわなかったろうか。

確かに聖霊の賜物を持つ聖徒たちに「救いの確信」があって当然である。彼らを天に召しているのは他ならぬ神であり、彼らの罪はすべて赦されなくては天に存在することもできはしない。だからと云って、「信仰」さえも聖霊の為す業に挙げられているから、「信仰」が持てた以上、そのクリスチャンは聖霊を持っていると教えて良いだろうか?

それは、初期キリスト教徒の時代と共に「聖霊の賜物」が見られなくなり、今日まで千八百年を経過するうちに、引き上げられた「聖霊の賜物」の実体を知らず、己を二の次にして聖書を探るほどの謙虚さないゆえにも言えるような教理であって、現実に即した理性さえ無視した呪術的でアニミズムの影響ある蒙昧の産物であろう。

聖書の中で「あなた」と呼びかけられているのが「私」だと思い込むその厚顔さ、「聖徒」と「自分」の違いが僅かなものに思えるとしたら、その人は聖書またキリスト教の根幹を未だ味わい知ってはいない。
『神は義と公正を愛される方』であられ、利己主義や貪欲を容認されないからである。(詩篇33:5/詩篇52)

これでは、同じキリスト教の名を冠してはいても、内実は最も隔たったものとなってしまっている。つまり利他心と利己心ほど違うのである。


「罪」の意識による「ご利益信仰」

だが、「ご利益信仰」は自分の幸福を単に願うばかりのものでもなく、幾らか変形され偽装されたようなものがあり、それは少々捉え難いので一層の注意を要する。
それを一言で云い表すとすれば 、「恐れを動機とするご利益信仰」あるいは「恐怖の信仰」とも言えるであろう。

個人的安逸や成功を願う「幸福」を追求するご利益のほかに、キリスト教らしい「救い」を願い求めるものもご利益信仰の範疇に入らないと言い切れない。しかも、その「救い」が巧妙な形をとることがある。

それがどんなものかと言えば、人間は皆が原罪をどことなく意識しているので、肉体の制御によって神の是認を得ようと言う強迫観念を普遍的に持っているといえる。だが、実はそれは言動を制御できても内面の願望は別問題なのである。

しかし、それでも人は表面的な言動で徳を示し「善人」であることにより、自分が「救い」に値することを実感したいところがある。それは恐れの裏返しであり、人間以上の道徳的存在者を怒らせ、酬いとして罰を身に受けるという、ほとんど本能的な「潜在恐怖」のようなものから来る対処法でもあろう。

この「罰への恐怖」は幼児期から親の懲らしめによって与えられ、生涯に亘って保持し続けるもので、「天国と地獄」の概念が広く世界に見られるのも、背景には人間全般が持つこの「罪と罰」の意識と深く関わっているのであろう。
「裁く神」を怖れることは間違いではない。しかし、その恐れが高じてキリストの犠牲以外の代価を払おうとするところで、この種の信仰者はキリスト教を踏み外すのである。


人が自らの存在の覚束なさに恐れを抱くとしてもそれは無理もない。実際、「この世」では人間の存在は、いつとも知れず消え去るものである。そこでキリスト教徒は神との関係を強めて死を克服できるものなら是非そうしたいと思うことだろう。

しかし、我々を存在させた根源者は神であり、その自らの『象り』に造った人間を虚無の中に放置するのが創造の意図であったろうか?
もちろん、そうではない。我々は「多くのすずめより価値があり」「髪の毛までが数えられている」とキリストは言われた。創造の神は我々について、『すべての魂はわたしのものである』と云われ、そのすべての魂を存在させたゆえに勝手に取り去ることは許さない権利を持っている。

まして御子の貴重な犠牲まで以ってして人々の魂の存続を神が願われたのであれば、我々の方から死を克服するために神を宥めようとキリストの犠牲以外の代価を払らおうとすれば、それは神の意志とは正反対ではないのか? 聖書の述べるところは、御子の犠牲は無償のものであり、ただ一重に「信仰」だけが求められるのである。

だが、それに対して充分の信仰が持てないからこそ、さらに宥めの代価を支払おうとするのであろう。つまり、「救い」が余りに大きく、対価が無償と言われると、却って信じられないのである。それは実のところ不信仰であり、神に対して無礼な所作ではないか。
価の付けようのないほど高価な犠牲を賜ったのに、代価を払おうと財布に手を伸ばすかのようであり、それは感謝とは言えないばかりか、自分の「信仰」ではなく「業」で報いて、その犠牲を自分に対して確かな物にしておこうという貪欲ではないのか。

そこでは自己抹消の恐怖が支配し、御子までを捧げた神の愛を理解も信仰もしていないという、キリスト教徒としては病的な状態になってはいないだろうか?それが神が御子を賜ったことへの感謝なのだろうか?
 
そこで人は自らの倫理的不安定さを直感し、神に対して感じる罪悪感からの責めの解消と安堵を求めるのであろう。 それは良心の働きのひとつの結果であるとしても、マイナスの作用である。その人の中には自己存在を神の罰から救い出そうという意識が勝ってしまい、結果として却って心は神から離れ、只々、恐るべき滅ぼしの神を怒らせないよう宥めることに注意が向いてゆく。

それは親の仕置きを恐れる子供の発想で、罰を何とか免れようと懸命に従順にはしても、関心は自分に向いていて、心は神と向き合っていないのである。これは厳格な躾、幼い時期から体罰を繰り返し与えられて育った場合には特に注意を要することだろう。
子供の躾は、叩くより説き聞かせる方が大切であると言われるが、このようなところにまで影響しているのだろうか。

神の罰の対処法としては、人は禁止事項を守ること、厳格な教条や掟を負うこと、果てはバラモン僧の苦行のように、自らを痛めつけることが、自己にある肉の欲望を克己し、人間としての次元を向上させることになるとも考えるその背景を形成しているのは、やはり「罪」の意識であろう。

ヒンズー教ならともかく、キリスト教に於いてさえも、やはり神の厳しい命令を請い求め、それに従順を示すことによって安心感を得たいという内面の衝動が生じ、それは砂漠に退いて修行を始めたアントニウス以来、修道制度の中にも見られてきたものである。

そうした苦行主義は宗教の種類に関わり無く、歴史上の様々なところに見出すことができるので、それは人間普遍に取り付いた一種の病のように継続的に患ってきたかのようである。

我々は「この世」に生まれ育ったので、交換社会が身に染み付いている。そこでは返礼という感謝を越えて、何らかの代価を支払うことで酬いを手に入れる習慣はほとんど本能的な程である。そこで、人間に普遍的な罪の罰を恐れる潜在意識は何を行わせようとするだろうか。

それこそが「従順の業による救い」であり、人々は救いのために「業の代価」を支払って安心したいのである。
しかし、この「業による救い」は律法契約の破綻によって、神の前に相応しいものでないことが示され、そこにキリストの犠牲が備えられたのではなかったか?

人は「従順」によって救われ得るか?これは初期教父以来の提題である。
イエスもパウロも一貫して、救いの要諦は「信仰」にあることを明らかにしており、聖書に「信仰の従順」という言葉はあっても「従順の信仰」というものは見られない。当然ながら、人は信仰懐くゆえに従順たり得るが、従順ゆえに信仰を持つとすれば、他人頼みのその信仰は死んだものでまるで自発性も実質も無い。「従順ゆえの信仰」と言えば、これほど撞着した言葉もない。

そして、どちらが安易かといえば、もちろん「従順」による救いであって今すぐに支払可能であるが、「信仰」による救いは本人の判断力や勇気が「裁き」において試されるところで「高度なもの」と言える。

それゆえ、人は「裁き」を神への支持を表明できる喜ばしい機会とは見做さず、それを回避するか別の安易な方法を求めて「神の命令」を与えくれる教えなり教師なりを探し求める傾向があるといってよいようだ。その命令の厳格さが、人間の本能的欲望を克己したように見做され、恰も「罪」の傾向を抑えて、神とその是認に近付いたかのように覚えられるところがひとつの魅力となっているのであろう。

そうした「支払い」は、アントニウス以来連綿と続くカトリックや東方の修道制ばかりとはならず、やはり終わる事なく繰り返された。
新教の中からも、やがて厳格な宗規によって「崇拝のメソッド(方式)」を確立しようというメソジストのような、本質的には同質の厳格な信仰スタイルが登場してくる。いや、その点では、ジュネーヴ市を覆ったカルヴァンの禁欲的戒律が早かったとも云えよう。旧教との違いは、修道院に留まっていた「業の信仰」が一般社会にまで出てきたことである。

しかし、そこでは人間の「罪」の現実を軽視するために、どうしても無理が現れる。それが修道院の中だけならば追放されて済むが、宗派のコニュニティ全体に「業の信仰」を適用すれば、そこはユダヤ律法体制のような信仰スタイルを避け得ない。コミュニティの相互監視から信徒に逃げ場無く、戒律に背けば人間の裁きを逃れられないばかりか、余分な良心の咎めがその人に憑り付いてしまう。

しかし、戒律によって厳しく自らの「罪」に対処したり、本当に神の是認を得たり出来るものだろうか?
この点についてパウロはこう言っている。
『「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。これらは皆、用いられて尽きてしまうもの、人間の規定や教えによっているものである。これらは、独り善がりの崇拝とわざとらしい謙遜、身体の苦行とを伴うので、知恵のある業らしくも見えるが、実は、放縦な肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。』(コロサイ2:21)

古代の信仰の人々が労苦を甘受したからといって、それとこれらの「苦行」を同列に見做すことはできない。
また、「苦行」はパウロが『放縦な肉欲を防ぐのに、何の役にも立たない』と指摘したように、人に巣食う「罪」には何の影響も与えてはおらず、他の人々同様に苦行者もキリストの犠牲なくして罪を些かも変えることは出来ていないはずである。それともキリストの犠牲なくしても、自分の努力で道徳的になっていると思うだろうか。

確かに、きちんとした身なりで品行方正である人は、周囲からの敬意も得られよう。
だが、キリスト教とは自分を清くして周囲の人々から尊敬を得るためのものではないし、清さのゆえに神の是認を得るためのものでもない。そうでなければ神の判断基準は世間並ということになってしまう。

だが、特にピューリタニズムのように、自分の清さ(ピュア)にプライドを持つ人々に、或いは自分をきちんとしていたい人々にとって、「これをすれば救われる」という教条主義は罠となりかねない。

そこで人は、その罪悪感をきちんと処理しておくために、できもしない筈の「罪」の許しを請け負う同じ罪ある人間の存在を求めてしまい、そのようにして、「人間の命令を教える者」への隷従を許してしまうのである。 新教徒はカトリックのように巡礼や免罪符の購入では気が済まず、自分自身が裁きに有利になった証拠の実感をよりリアルに得たいのであろう。

しかし、これら新旧のどちらも原罪意識に付け込まれた詐欺であり、この種の信仰は良心の呵責を利用され、神無き無法者に人の尊厳を自ら差し出してしまう事ではないか。
そのような教師は信者に「あなたはこれが出来ているか?」と、人が感じるであろう日常的で卑近な事柄まで用いて行き届かぬところを責めたてるとしても不思議はない。そうして人数の囲い込みと、信者への教師の優位を確保するためである。
したがって、こうした教えに接する人は罪意識を強めさせられるばかりか、誤った対処法に追い込まれ、また依存し始めるのである。

人々の罪意識に乗じて与えられたキリスト教の信仰方式にはそろって律法主義的後退が見られ、規則とそれを遵守するときの報酬と、違反したときの審理と罰則を特色とし、本来のキリスト教から遠く流されてゆくのも理の当然である。


ピューリタニズムの信仰

この点で着目されるべきは、元来がピューリタンが建国したアメリカ発祥のキリスト教の諸教派である。
元々、17世紀にメイフラワー号で清教徒たちが現ボストン近郊に入植して以来、彼らは旧約のパレスティナ入植を意識しており、規則を重んじることで秩序を保ってきたが、歴史を紐解けば、行過ぎるところも散見される。

清廉潔白を旨とし、ピュアであることをどれほど目指しても、やはり人間の「罪」を逃れるわけではないから、そこでも清教徒が驚くような犯罪の発生もまったく防ぐことはできなかったが、そこで旧約の律法に則り処罰を課して対処を始めたのであった。

そこにキリスト教は本来「コニュニティ全体が信仰する宗教」ではない、という概念はない。
社会に一定の秩序を与えたり、社会そのものを向上させることがキリスト教の目的ではなく、それは次元の劣るユダヤ教に近い発想であることに気付かなかったのだろうか。キリストの「王国はこの世のものではない」のである。

人間社会は「罪」のために、どこでも常に「法」と「権力」を必要としており、アガペーですべてを解決できるほど人類はいまだ高尚ではない。
そこで、旧約の律法を持ち出すことは、実はキリスト教の高度な「愛の掟」を去って、パウロが『隷属』と呼ぶ業の崇拝へと後退することになるのだが、多くの人々はそれに気付いてはこなかった。

それでも、ロジャー・ウイリアムズ(Roger Williams 1603-1683)のような人物は、入植地での政教は分離されるべきだと唱え、結果としてアメリカ史の趨勢は彼の主張に従ってゆくことになるが、当時の彼は体制派の理解を得られず迫害や追放を受けている。

他方で、信仰の理想に燃えたマサチューセッツ植民地の指導層の人々は、植民地での選挙権を各世帯主に与えるとはしたものの、正しく世帯主であるためには教会員でなくてはならないとし、しかも「回心」と呼ばれる信仰に至る決定的な機会をどのように経験したかを教会員の会衆の前で証しすることを要求したのである。つまりは、統治と裁きを有する「神権政体」の実現を目指したのである。

これでは、ヨーロッパの宗教的圧制を逃れて大陸に渡ったにも関わらず、更なる圧迫が待っていたとしか言いようがない。この点で問題となっていたのは政教の非分離であった。そこで起こる偏狭さを指摘したウイリアムズを追放に処したジョン・コトン(John Cotton1585-1652)にはひとつの確信があった。それは、「神の国」が1655年から支配を始めることが黙示録研究から明らかであり、それが治めるのが彼らの植民地に違いないという「信仰」であった。
つまり、「神の国」は彼らの狭いコミュニティーに成就するという信仰である。だが、それこそは国教(ユダヤ的神権国家)への後退という以外ない。

それは「新しいブドウ酒を古い革袋に入れる」ようなものであり、必ず無理が祟って成功しないことは歴史も証明したが、せっかくにウイリアムズのように先見の明ある人物が登場していたのに、往時の指導者にその声に耳を傾けるほどの信仰の広さは無かったのだろうか。

そこでは、罪ある人間という実態を無視した政教一致制が、実のところ旧約の律法遵守の精神への退歩になるとの意識は働かず、その観念ではキリスト教の真に優れたところはどこにあるのかも認識されていなかったであろう。キリスト教が政治を通して「世」を操ることはできないし、それはキリスト教そのものを汚してしまう。

つまるところ、マサチューセッツで「千年王国」を目指したコトンは、独りよがりの信仰世界を築こうとして、「罪ある人間」という現実に阻まれたというべきだろう。
このような宗教モデルは後にもアメリカで繰り返されることになる。
つまり、規則を定めてその下にコミュニティーを「閉じて」しまう、ユダヤ教型のキリスト教モデルである。
そこでは、どこまでがキリスト教の役割で、どこからが世俗の法権威に委ねるべきかの境界線がはっきりしない。

そこで、この宗教モデルにはある問題がどうしても付きまとうことになる。
それは終わったはずの律法の条項を持ち出してメンバーの言動を規制することが旧約的であるという、宗教教理上の問題ばかりでは済まない。

即ち、現にある政府の統治下にありながら、古代イスラエルの法体系を用いてもうひとつの統治を小規模とはいえ作り出すことにより、現行の政府の統治とは別の支配を行おうとすることであり、それは現政府の統治を遮ることに他ならない。

それは結果的にパウロが『上なる権威に従う』ように求めたのに対して、独自の審判制度と処罰を下すことにおいて、逆らうことになるのである。
しかし、人権の概念が明確に打ち出されていなかった過去にはそれが許されていたのであろう。
 
以後、フランス革命や科学主義や共産主義の洗礼を受けた欧州では、近世以降キリスト教は古臭いものとなってしまい衰退を始めていた一方で、アメリカ合衆国ではむしろいよいよキリスト教は栄えていった。それは今日でもそうであり、この国は依然宗教的な国家と言えるであろう。

殊に象徴的なのが「覚醒運動」と呼ばれる英米で興隆したキリスト教リヴァイヴァルの潮流であった。
それは、旧来のキリスト教に新たな解釈なり要素なりを加え、そこから信仰心の新しい次元を造るものであった。
教会堂も整備されていない新大陸の奥地に巡回教師が 説教して回り、その中から非常な人気を博す教師が現れてきた。熱狂的な雰囲気をかもし出し、地獄の苦しみを臨場感あふれる仕方で語ったというこれらの説教師たちによって、民衆の間に宗教的潮流が見られるようになったという。

19世紀になると、信仰の形態はさらに「進化」を見せ、聖書の研究と一般の科学を融合したような新たな展開に人々は胸を躍らせたであろう。
ひとつには、考古学の進展による年代計算があり、キリストの再臨の時期を算定できるというキリスト教徒の想像力を掻き立てるような新説が登場し、英米の多くの人々を虜にしている。これは欧州で科学がキリスト教を駆逐し始めた一方での、歪んだ科学信仰、擬似科学信仰とも云うべきだろうか。

だが、「科学」というものを幾らか長いスパンで見ると、そう安定した不変の土台とはいえない。聖書の本質は倫理問題にあるのであって、科学を云々するためのものではないから、科学を土台として聖書を説けば、論旨がずれて畑違いの議論を止む無くされたうえ、いつか裏切られ、いずれは科学の方から絶縁状を突きつけられるであろう。

また、考古学的興味が進んだこともあってか、聖書の謎解きに科学のメスを入れるかのように年代計算を試みたり、何とアメリカ大陸に隠されていた聖書以外の聖典が明らかにされたと唱える宗派も現れる。
これらの新しい教えは21世紀の今日も未だ健在であり、セヴンスデイ・アドヴェンティストやエホバの証人、モルモン教会としてそれぞれ一千万人前後の信者を抱え、この日本でもそれなりに勢力を有している次第である。

もちろん、それぞれの教理に違いがあり、その教祖たちは「天に挙げられて十戒の石版を見たが、安息日の条項が光っていた」とか「金板に記された聖書以外の聖典をある丘から掘り出した」或いは「七つの時は異邦人の時で2520年であることが分かった」と主張していたのだが、それぞれが間違いであったとなれば一体何が残るだろうか?
それぞれの信者にとって、それら各々の教理はまったく大きく異なると認識されているに違いなく、一緒に論じられたくもないことであろう。

だが、ある観点から見ると、これらは互いに拒否しあう必要もないほどに、やはり19世紀北米という土壌にそだった兄弟のようにその争えない血統のようなものが厳然として流れているのである。
実際にそれぞれの信者に接してみると、まるでひとつの宗派でもあるかのように生活面でよく訓練されており、その折り目正しく、清楚で礼儀あり親切な雰囲気だけみると判別が難しいほどである。

このような人々が互いを受け入れるなら、どれほど大きな運動になることだろう。現状でも三千万をも超える人々の連帯となり得る。
しかし、それぞれの良質な道徳性をもたらしているものは、その教理に潜む根源的な信者の動機である「自分の正しさ」(人の義)にあるゆえに、その親切な相貌のままでの融合は不可能なのであろう。しかし、アメリカ人の誰かが天に行ったり、先住民族がユダヤ系だったり、1914年から数世代で終わりが来る、など、これらは神からのものか、人からのものか?
これらの宗派が知恵を寄せ合って互いの教理を考慮する会合など考えられるだろうか?
それは無理な話で、それぞれの教理の欠陥や信者に知らせたくない恥部が互いに露わにされるばかりであろう。
指導層のメンバーがにこやかにしていられるのも、宣伝用の写真に納まるときばかりで、互いが論議を始めた場面にどんなことになるかは、それは想像もしたくない。人の表情とは移ろうものである。

これらの宗派の信者方は否定するかもしれないが、教理については安息日や十戒、また十一や血の禁令が律法からの延長、またはそれ以前からの掟であると見做すなど、ヘブライ的なニュアンスを基調とし、律法契約と新しい契約の異なりがはっきりしていないところは、逆に19世紀のアメリカンテイストの芬々と香る折衷的キリスト教というべきか。

そういえば英米での19世紀的子供の躾の厳しさはよく知られ、体罰を伴うものであって、明治期に彼らは日本人一般が子供に寛容に接するのを見て驚いている。これは戦国時代のカトリックの宣教者フロイスも注目するところであったからには、日本人の善き伝統であったというべきであろう。フロイスは、日本人は子供を叩くことはほとんど行わず、まるで老人に対するかのように理を尽くして諭告するとイエズス会に知らせている。

加えて、これらの宗派では道徳観念や雰囲気は非常に近いもので、この諸派のサイトを比較すると錯覚するほど似ており、教理や主張はそれぞれ違えども、信仰者の一定の道徳性の保持、禁忌摂取物の存在、規則遵守、組織中央への恭順、伝道活動の強調、元信者への忌避など、本質的な行動規則は極めて近似していて、同じ時代と地域のエピステーメー(思想潮流)であったことがよくよく窺えるものである。

米国人は自分たちのキリスト教に自信を持つせいか、同じ崇拝方式を他国の信者にも求め、それが当然と思うらしい。またそうされることを諸国の信者も願うのだろうか。その画一性や、自由な発想を許さないところで、自発的な信仰や愛に関わる決定をさせず、キリスト教徒らしさを雰囲気だけに作ってしまうきらいが無いとは言えない。結果として自己の考えを自由に決定する権限を行使することさえ慄くような他人任せの惰弱で価値の低い崇拝の徒を量産しているのではないだろうか。

信者たちは、聖書ではほとんど用いられない「クリスチャン」の語で専ら総括され、聖徒と信徒の区別も明確ではないようであるから、新しい契約と聖霊の関連も明瞭ではないのであろう。また、聖霊を注がれることがどれほどのことを意味するのか、「聖霊の賜物」そのものについても、その理解が曖昧であるところは伝統的教派ゆずりというべきだろうか。 ⇒「聖霊と聖徒」

つまり、19世紀当時のピューリタン的WASPの一般庶民に受け容れ易い教えが為されたので、その後の北米でのこれらの人間の教えが隆盛を見たといってよいであろう。その共通点は「どうすれば救われるか」という英語表現の"How to"に原型があるようだ。そこでは自分が主体者で、何かを行えるという仮定の是非は問われず、神に向かって自ら行動を起こして、何かを得ようとする厚顔とも言うべき着想である。

これは、それぞれの派によって幾らかずつその方法、"How to"が異なるばかりのことだけで、「どうすれば救われますか?」と問うそれぞれの信者の関心の在り処は見事に一致しており、主人公は間違いなく神ではなく自分であり、根底に鞭を振う父親像としての神への恐怖がある。

また、指導的立場にある人を重視し、その人間臭い判断に人々を合わせようとするところも19世紀アメリカで起こったこれらの教派に共通するところで、当時のその強い傾向が依然として尾を引いているかのように見受けられる。やはりアメリカ人はヒーロー好きなのだろうか。

先に述べたように、「罪」の影響から人はどこかしらで規則に縛られて安心したいところがある。これらの宗派の人々は「戒め」や「指導」がたいそうお気に入りのようであるが、それも「罪」意識の為せる業なのであろう。その性向なくしてこれらの宗派は成り立たなかったのではないだろうか。ストイックなピューリタンの土壌も作用したのであろう。

それぞれの宗派は、正しい安息日を、また新たな経典を、或いは年代計算を唱導してきたという外見は異なるのだが、総じた結果としては、19世紀の一般的な道徳者を21世紀の今日的に仕立て上げ、それぞれ掲げられる看板には同じく「幸福な家族生活」が爽やかに描かれ、カメラのレンズに向かってそれぞれ微笑んでいるが、それはまるでハリウッド映画の家族愛のハッピーエンドそのものではないか。但し、その幸福の原資は規則遵守による「神の是認」なのである。

これほど信仰の最終目的がはっきりと同じ方向にあるのなら、それは山の頂上に至るそれぞれ別のルートのようであり、登り切ったところでこれらの信者は出会うことにならないのだろうか?それは同じ「ご利益」という頂上ではないのだろうか?

それゆえ神の是認なり幸福な生活なりが達成されると教えるところは、同じくご利益信仰と呼ぶべきだろう。
「もちろん、終末の「神の裁き」は無視してはいない」ということながら、やはり自分たちには「救い」があるとそれぞれ考えている。先に述べたところの、この人々に道徳性をもたらしている原動力となっている「動機」は、やはりこの「恐れからの救い」にあるようだ。

しかし、これらのロマンテイックで人間主義的な「義」の世界には、神意が眼中に無いかのように観察される。なぜなら、その眼目がそれぞれ「自分の義」に置かれているからである。つまり、他と異なるところを超然と誇っており、それは「パリサイ」が「分けられた」を意味したところにたいへんよく合致する。

もちろん、他のさまざまな宗派にもそうした傾向はあるだろうが、 殊にピューリタン(清教徒)の「罪」への見方や(お仕置き好きな)対処法は、今日なお、これらアメリカ由来の宗派に脈々と受け継がれているというべきであろう。


キリストを捨てさせる「恐怖の信仰」

しかし、聖書を貫流する信仰は、上記の古代の人々に共通するように「ご利益信仰」と称することはけっしてできないものであり、ピューリタニズムには似てはいても正反対のものを見るばかりである。

さらに言えば、キリスト教を通して規則に縛られ、道徳性を保とうとすることは、実はモーセの律法的段階に後退することであるゆえに、「新しい契約」へと次元が上昇したキリストの自由の意義もその目的を知ることも眼中にないのであろう。己の救いに目がいっているからである。

そこではパウロが宣したような『あなたがたは愛し合うことのほかには、何をも負ってはならない』という画期的なキリスト教の自存自由さが、いつの間にか律法やタルムードなどのような多くの規則を墨守するようなパリサイ的安易な隷属にこっそりと置き換えられているのである。その動機は自分の「救い」を確定しておき安心したいという利己心以外の何があるのだろうか。

この人々にとっては「終末の裁き」を非常に恐れている事が主要な信仰の要諦となっていないだろうか。

使徒ヨハネは『恐れる者には、愛が全うされていない。わたしたちが愛し合うのは、彼がまずわたしたちを愛して下さったからである。』と語ったからには、神を過酷な裁き手として恐れる感情を基盤として、その上に信仰を築くなら、その過酷な神を宥める方法を探ることに邁進するとしても理の当然であろう。

そのような「恐れ」の教えは、神を中心にして信仰しているようでいながらそうではない。その主要な関心は「自分の」存在を保つところにある。この人々がこれらの宗教のために費やす多くの時間を振替えて、聖書を熟読することに向けるなら、数年で並の教師を追い抜き、十年もすれば宗派の指導者にも勝るのではないだろうか。しかし、上層部はそれをさせては大変なことになると思うらしく、読む箇所を指定して自分の解釈を押し付け、通読を奨励して深く読むことを阻む、あるいは多くの課題を与えたり、宣教に大半の時間を費やさせる手段もあるだろうか。

こうして神と自分の間に壁を築いてしまった人々は、自分の判断力を放棄してまで「神の喜ばれることを行い、神が憎まれることを憎む」などと云うのである。また聖句の解釈を捻じ曲げて「自分には不可解に思える教えにも従え」と命じられることも、然程の抵抗を受けないのではないか。恐れ慄く信者の生存権がそこに担保されているからである。恐れとは何と大きな力を産み出すことであろう。

もちろん、それは自分の知覚力を超えた善悪の判断に怯えることであり、恰も圧制国家で権力者の気まぐれに戦々兢々と従順に始勤しむようであり、却ってその人は聖書の愛の神を信仰していることにはならないであろう。

なぜなら、イエスのときに示されたように、信仰とは自らの価値観を用いて自ら判断を下すことだからである。イエスの業に信仰働かせた古代の人々の例を見ても、神は人の「業」ではなく、「信仰」という各個人の「価値判断」を、そして信仰という勇気ある自己判断を続けることを喜ばれ、また望まれたのではないだろうか。

それこそが真実に神の素晴らしさに感銘を受け続けることだからではないだろうか。つまり、信仰の本質は自発心であって、自分可愛さに盲従することはその反対側に位置するパリサイの業となってしまう。

自己理性の放棄は、容易に信ずる者を人間の圧制に曝すに違いないだけでなく、我々人間に対して『神がご自身を知ることができるようにと知的能力を与えて下さった』ことを否認することでもあり(ヘブライ5:14/ヨハネ第一5:20)、また神を「過酷な方」また「圧制者」として信じていることになるからである。それこそはシナイ山が震え、律法を守らせるための恐れを抱かせる必要のあった、規則遵守の古い契約の特徴であったではないか。

いや、その律法下にあってさえ多くの信仰の人々が現れてきたではないか。
まして、キリストの犠牲が捧げられ、「罪」の赦しが始められたキリスト教において、規則と恐れが支配する信仰の型が相応しいだろうか。

確かに信徒は聖徒のように『アッバ』と父なる神に呼びかけることが今はできるわけではない。
しかし、人類救済の要は贖罪に、つまり「罪」の赦しにある以上、律法的な規則重視の信仰は、過ぎ去った信仰過程へと出戻ることであり、キリストの贖罪というこの上なく貴重なキリスト教信仰の基盤さえをも振り捨てることにならないものか。
それこそはメシアを前にして大半のユダヤ人が犯した不信仰とどのように異なることだろう。


神の業に協働しようとする価値観

「人は業によらず、信仰によって義とされる」、というのがパウロの主張であり、その信仰は、イエスという、エデンの園で語られた『女の裔』、そしてアブラハムの裔であるイスラエルと、そこから現れる大いなるダヴィデ王であるキリストを認め、人類史の初めから計画され進められてきたアダムの子孫の救済という大事業に深い価値を認めるか否かにかかっている。

それであるから、今日の我々が信仰のあるべき姿を模索しようとするときに、何の前例も、先達も無いわけではなく、聖書中の人物が今日生きていたなら、どのように考え、行動するだろうか?と推察するだけで、実に多くの教訓が得られるのである。

それは、利己的願望の成就を期待するものではないし、神の裁きを恐れ、自分の保護と幸福を内定しておくことでもない。それらはいずれも神から離れた「自分の道」であろう。

他方で、自発的な信仰には、価値観からの神への深い共感があり、自分の欲望や神への恐怖から逃れた自由さがある。
古代の信仰者たちの生き方を見るに、そこにはいずれも利己心を離れ「神の道」を歩もうとする姿勢が無いだろうか?彼らはそこに自分の幸福を超える幸福を見出していたであろう。

詩篇63篇においてダヴィデはこのように詠う。

『あなたの不変の愛は、命にさえも優るもので、私の唇は、あなたを賛美します。
 それゆえ私は生きる限り、あなたを誉め称え、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。私の魂は脂肪と髄に満ち足りているかのように、私の唇は喜びに溢れ賛美します。』


コリント人への第二の手紙でパウロはこのように書いている。

『キリストの愛がわたしたちに強く促すからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んでいたのである。
 そして、彼がすべての人のために死んでくださったのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んで生き返った方のために生きるためである。』

こうして、キリスト教の信仰が視界に入ってくるのである。
それは、神自身の意図するところは何かを知り、その意志に深く賛同し、己を二の次にして神と共に歩むことであろう。


しかし、イエスは祈り求めることに関連してこう言われたことがある。
『しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見い出すだろうか。』(ルカ18:8/詩篇53:2)

二十億ものキリスト教徒が居るという現在、このイエスの問いは意外に思えるかも知れない。
だが、以上のような観点から再びキリスト教徒の信仰を見直すなら、どういうことになるだろうか。



                                    © 林 義平