科学で神を探求するべきか?



神といえば、信仰という主観でのみ人に把握されるものというのは、当然の事となっている。だが、もし客観で捉えられ、何らかのセンサーが神を捕捉するとしよう。それは自然を観察して知る科学の領域で神を知ることになる。そこで捕捉されたとなれば、神存在は動かせない事実となるのである。

さて、18世紀のプロイセン、「神の存在は証明できるものか?」と、ポツダム宮で家臣らに向かいフリードリヒ大王(位1740-86)は尋ねた。この君主はヴォルテールの啓蒙主義の影響を受けて否定的に質問したのである。
そこで侍医であったツィメルマンが 「陛下、ユダヤ人をご覧ください」 と一言答えたという。

ユダヤ人がオリエント文明も黎明期という太古の人アブラハムの末裔で、永く歴史の上に神と人との交渉を経た民族であり、その民が故国を追われてなお、紀元前千数百年も以前からのトーラーを守って同化もされずに欧州各地に存在し続けてきたこと、また彼らが聖なる奇跡の書を護持し続けてきたこと、神ともメシアとも交渉を持ったことの生き証人でもあり、これらすべてを重ね持つ眼前のその存在は紛れもない現実そのものであった。

だが、ユダヤ人がそうであっても、人間がおしなべて持つ道徳性の不備からの要請に迫られて「神がいないのなら神を造るべきだ」と唱えたヴォルテールの啓蒙主義の視座から擁護的に見たとしても、やはり科学的に神を証明することは不可能であるし、人間の作った神であれば、人はどれほどの信をその「神」におけるのだろう。それは仮想のものであって、真実には「上なるもの」ではない。まして聖書は『人は神でないものを神として作って良いか』という神の預言を以って警告しているのである。(エレミヤ16:20)

しかし、「人が神を存在させた」とは後のベルリン大学のヘーゲル左派の主張となってゆく。このキリスト教の中からのキリスト教への反発者らが唱えるところは、人間は自らの影として神を造ってきたという。 この主張が即ち19世紀に顕在するようになった無神論への道であり、その時期に西欧は科学を応用した技術を着々と発展させる。生活は便利になりつつ人間主義が進むところにチャールズ・ダーウィンの著作も現れ、これは伝統的な宗教信念の払拭に大いに利用された。その影響は今日の「自由主義神学」とやらに継承されているらしい。

「神などはいない」という近代の叫びは、早くもルターがヴォルムス国会の審理(1521)で聖書絶対主義を打ち出したときに、後に言われるように無神論の基礎がそこに据えられたというべきであろう。 つまりは専らに人間理性から神を探索しようとする試みの当然の帰結である。それは聖書を崇め奉る一方で、神を文章の中にだけ押し込めてしまい、意図せず過去に語り終えた存在、即ち、神をもはや奇跡を行なわない死んだものとすることで、専ら人間の知性の活躍の場を重視するものとなった。なぜか人には、自ら神を捜し出して見せるに心地よいところがあるようだ。

キリスト教の指導者らは、聖書の文言を根拠に自論を振り翳して神を語るが、ほとんどの場合でそこに神の介入を想定せず、神は自分の唱える通りだと請合うのだが、それは神を聖書の文言に閉じ込めたつもりになって、神は死んでいると唱えるようなものではないか。欠けているのは生ける動的な神への畏敬なのだ。

また、それが聖書偶像化の盲点でもある。だが所詮、その書を誰も理解し尽すこともできないのであるなら、「聖書全体を理解する」、或いは「厳密に聖書に従う」ことなど誰にできようか。誰が神の意志に充分に従ってみせ、その是認を勝ち得られるものだろうか。そこには自己義認の傲慢の罠が大きな口を開けてはいないものか。人にできる精々が、それぞれに「いまのところ分かった」と思えるところを知り、且つ行いを試みるばかりではないか。 ⇒「ヨブ記の結論」


さて、「神は見えないのだから存在しない」という論議はまったく愚かしいのだが、他方で「神は見えないが、見えないものはほかにも存在しているではないか」という論議もまた誤謬そのものの空しいものである。

自然界を創った神という存在は自然界の外に在り、どのような機器を用いても測定はおろか検知もできない。
つまり、神存在について客観的判断を下すことはできない。 これが厳然たる事実であって、ほかに付け加える言葉もない。
だが、これを認めようとしない信仰者が殊にキリスト教徒の中に少なくはない。

この人々は、聖書が科学的であることを証拠立てようと目を皿のようにしてその記述の中を行き巡り、様々な事柄を科学の実証したことに結び付けようと躍起になっている。
そうして聖書の文脈は軽視され始め、本来の記述の理解からは遠ざかることになる。そもそも、世界の創造者が人に霊感を与えて書かせたのが聖書であるなら、科学的整合性があって当然ではないか。だが、聖書は 科学の本なのだろうか。

加えて、「進化論」が依然として学説である弱点に噛み付いて、自然科学の領域にまで主張を広げている信者も少なくはない。それが創造の神を擁護することになると思ってのことなのであろう。

だが、客観である科学の目を通して「神」というものを証明することができると云うのだろうか?それが相応しいことか?また、神は人間の叡智によって存在を助けられる必要があるのだろうか?

全能とされる「神」が、もし自ら科学という名の本来的に主観を排した観察によって人間に検知されることを望んでいないとすれば、その努力はまったく実を結ばず、間違いなく徒労となるはずである。

ガリレオ・ガリレイを裁いた教皇ウルバヌスⅧ世は、様々な天体の運行は神が自ら動かしているものと考えていたという。そのように考える人々が晴れた夜空を見上げるときには、奇跡の力で天空を支配する神を身近に感じられたのであろう。即ち、かつての人々には、日々天体の運行そのものに神存在の証しを見ていたのである。
このような人々は、神が天体を動かすという旧来の天動説を擁護する一方で、コペルニクスによって説かれていた地動説をなんとか駆逐しようと権威に訴えて閲読禁止令の圧力をかけていた。然もなければ、創造界は法則に自動化され、神は不在となってしまう危機があると思い込んだのである。この時点で宗教は科学をどう扱うべきかに戸惑っているが、両者が未分化な蒙昧な時代であった。

そこに教皇が枢機卿であった頃から身近で交友のあった科学者ガリレイまで異説を唱え始めることに教皇ウルバヌスは我慢がならなかった。
ヴァチカン直属の検邪聖省は「天文対話」(1632年刊)の内容を検閲し、地動説を唱えたことでガリレイを有罪としたが、ガリレイは敬虔なカトリック信徒であり、彼の主張の要諦はキリスト教を論駁することではなく、宗教と科学を分離する方が良いという提言にあったという。

しかし、そこでは「法則が支配する宇宙の概念」と「神が常に天体を押して動かす宇宙概念」との衝突が起こっていたのであるが、これについては自然科学が答えを出すべきことは、今日の我々からすれば至極当然ではあるけれども、この時代には、ガリレイに拷問の脅しを行った教皇側が正しいとされた。宗教家が科学者を威圧して終わったのである。無論、このつけは20世紀に教皇自ら誤りを認めるという後果をもたらすことになった。

しかし今日の誰が、地球は動かずに天体を神が直接に動かしているなどと思うだろうか。ガリレオ裁判の件の最大の教訓は、科学と宗教の棲み分けに失敗したところにある。
だが、これを宗教の方が一方的に非論理性を曝されただけの敗北と見做す風潮は科学でも宗教でも根強いようだ。 

しかし、法則に支配された宇宙が我々の生きるところであって、そこは「自動化された世界」なのである。
科学の見出したこの世界に造り手の確たる証拠はなく、その姿もまるでない。

森羅万象を創った主はそれを置いたままで、今日は物質界に居ないというべきではないか。 
もし、神が意志のままにこの世を動かしているというなら、非情なこの世界に表れているその性格はサディスティックでさえある。 この世の苛酷な導き手が果たして人の崇めるべき本当の神なのだろうか?

それでも、ユダヤ人は今日まで存在しており、その聖典タナハ(旧約聖書)はシュメール人の王朝の時代からの一系の民族によって書き継がれ、その神との交渉の歴史は考古学によって裏付けられている。
現実という名の冷たく精緻で非情な世界と、ユダヤ民族を介しての神の痕跡という、このふたつの世界の異なりはどこからくるものだろうか。 

では、どうなのか?
「神」というものは自然界にも存在の証しを留めているので、それを科学を通して人は認めるべきなのか?

1708年、鎖国中の日本を訪れた伝道師シドッティ(Sidotti)は儒学者の新井白石に、聖書からノアの日の大洪水について説き、山の上に箱舟の残骸や断崖に貝殻など痕跡が当地にあると注意を促した。
しかし、これは相手にされなかった。白石には船の形をした岩などどこにでもあり、山の断崖の貝殻など日本にもあると云われてしまった。せめて、もうすこし良い宣教のアプローチはなかったものか。

そして今日の宇宙物理学は所謂「ビックバン」による宇宙開闢を論じる。
時間も空間も何も無いところから130億年ほど前に無限大のエネルギーが現れて宇宙が生成され、その爆発的膨張はいまだに広がりを見せているという。
このような目を見張るほどの科学の探求成果は、専門家ならずとも驚きと興奮を誘い、多くの創造神の信仰者にとっては更に喜ばしいもので、殊にキリスト教徒に希望を与えるものではあろう。そこに、天体の運行を見ては星々を動かす神の存在証拠と思い込んだかつての人々が重なる。

それにしても、ここで冷静になる必要はないだろうか。
というのも、キリスト教徒が神による世界の創造を掲げるのは当然としても、その根拠を科学に置いていて良いか?

現代という時代に、人々が最も信を置く宗教は、最大の信者数を持つキリスト教でもなく、実にこの「科学」と称する強力な宗教なのである。それも純粋な自然科学ではなく、身の回りを便利にしている様々な技術によって「科学教」の奇跡の数々に驚嘆するという間断ない「伝道」を受けてのことである。

それであるから、宗教を信じる人々は自分たちの宗教が如何に科学的であるか、あるいは科学と整合しているかを説こうとするのであろう。もとより、「科学教」に敗北しているからと言う他あるまい。この人々には非常に重要な観点が欠落している。それが聖書の本旨なのだが。
 
こうして、科学への信仰が主流となっている今日、「科学」との関連においてだけ「宗教」はその地歩を何とか得るかのようにすら見える。 だが、これに同調しているなら、いくら旧来の宗教を説こうと「科学教」の信者を作らないものだろうか。

科学というものは常に途上にあるばかりか、実証されたものとそうでない学説もあり、そこは推論が間断なくなされる場で、必ずしも完全なる客観が支配するばかりでもない。常に論議をせねばならないうえに、新発見でそれまでの常識がいつ覆るかも知れないということでは、そう安定したものとも言えないので、そこに「宗教」というめったに動かすことのできない人の主義主張の基礎を置いてしまうとすれば、その「宗教」は「科学」の進歩の揺れに伴ってグラグラとしたものと成らざるを得ない。
実に科学と宗教は、下からの観るか上から観るかの異なりであるばかりか、動と静、パトスとエートスほどに異質なものである。

そして以上の論議の全体も、詰まる所、人間の視点から神を見ようとする、その仕方に関するものである。

しかし、神はどうなのか?

フリードリヒ大王治下のケーニヒスベルクで大学の哲学教授であったインマヌエル・カントは、人間の側から絶対の存在者を理性によって認識できるか否かを四つのアンチノミーを用いて証明を行ったが、その結果はいずれも「否」と出た。
「叡智」という人間最高の能力を用いても、絶対存在には辿り着けないというのである。
即ち、彼は絶対存在と人間の間には越え難い渓谷が有ると証明する。
 
カントの述べるには、絶対存在に対しては『人間理性が戦々兢々として臨まざるを得ぬ深淵』に目をくるめかす。絶対者を理性で捕えようにも『一切のものは我々の脚下から崩れ去る』とまで言うのである。<「純粋理性批判」1781  篠田英雄訳 岩波文庫 中巻p278>

カント以前にもジョン・ロックが「人間悟性論」(1690年刊)の中で、人は共通の神認識を懐けるようには生まれて来ないことに注意を向けている。
つまり、人はアプリオリに、つまり生まれながらに共通の神認識をしないのである。
そこで、それは無神論正当の証拠だとさえ結論する人もいることだろう。だが、ロックもカントも神探求が生来的にも叡智によっても捉えられないと言っているのであり、そこで神存在云々の論議にまで飛躍してはいない。

ただ、人間一般には漠然と「上なるもの」への畏敬が普遍的に見られてきたのである。 それゆえ、人間には様々な宗教があるものの、それぞれが独立して和することはなく、また融和しないからこそ神に至る道であると主張もしてきたのであろう。それぞれが主観で神を捉えるからである。

だが、こうなると神と人という両者は隔絶されていると云う他なくなる。
創造の神が全能であるというのであれば、その全能神は人に自らへの認識を敢えて残さなかったのではないのか?
即ち、それを意図していないということである。

では、神は人間から客観的に認知されることを拒んでいるのだろうか?



-◆アダムに生じた社会性--

アダムに神は親しく話しかけ顕現していたので、彼には創造神の存在を信ずる謂れもなかった。神存在は眼前の事実だった。しかし、ひとつの命題が与えられていたのである。
それが、善悪を知るの木への禁令であった。そこで試されたのは、創造者との関わり方であり、信仰ではなく忠節な愛であったとみることができる。

この禁令が示すことは、創造の神はアダムを何としても永続させようとはしなかったのであり、そこに忠節な愛という絆が望まれたということであろう。
その理由は人が『神の象り』であり、神のように自由に決定し振る舞うことができるものとして創られていたからである。 

神はこの禁令に関してアダムを見張ることをしなかった。もちろん強制することもできたはずが、そうはしなかった。人は『神の象り』に創られたのであれば、その自由な意思を阻害しないことは、神が自らを尊重することに関わってもくるであろう。
 そこでやはり、創造者はアダムに自由な決定権を与えていたのではないか。然もなければ禁令を与えた意味が無い。それは確かに『してはならない』と命じてはいるが、『死ぬことのないためだ』と理由が語られ、禁令というよりは勧告というべき内容なのである。

禁令を課したうえで監視をしなかった理由は何か?
それは、アダムの自発心からの忠節でなければ、その忠節も真実のものとはなり得ないからであろう。
その特質はタナハ中で『忠節な愛』(ヘセド)*と呼ばれ、神をはじめとする他者とどう関わって生きてゆくかという「倫理」の問題を明らかに含んでいた。 *(或いは「不変の愛」)

そして我々は創世記からその試みの結果を知っている。
アダムの夫婦は神との関わりに忠節な愛を示さず、他者との関係性を敵対的なものとしてしまい、エデンの園という神の是認と恩寵から排除され、『永遠の命の木からも食すことのないよう』遠ざけられたのである。
もちろん、『永遠の命の木』というものはもう一本の木と共に、その時にはそれらは象徴的存在物であったことであろうが、象徴とはゆえ神は残った木をアダムたちから守る必要性が生じたのであろう。

そこで『燃えて回転する剣』という最初の「権力」が現れている。即ち「強制」の初めであり、それは人が神からの信用を失い監視されるべき対象に堕した。「権力」を要する倫理問題を負った証拠である。⇒「人はなぜ政治と宗教を存続させるのか」
『善悪を知るようになる』とは、それまでに悪が無いゆえに善もなく、悪が入ることによって善と悪との相違が生じ、そこで人は善悪を仮定的にも定めなくては社会生活を営むことすら困難を覚えることになったのを指すのであろう。

もしそうなら、善悪を定める「法」とその強制力である「権力」なくして存立できない『この世』の有様は、まさしく『善悪を知る』という形容に合致するものに観える。
そこで神の『人は善悪を知る点で我々のひとりのようになった』との発言は、神と共通する何かに人が達したかの観がある。その共通するものとは、サタンに対する意識が基になったものであると推論することも可能であろう。

即ち、サタンを通して創造界に悪が既に入り込んでおり、その問題についてふたつの要素が生じたと言える。
それは創造者とその意図に忠節な愛を以って支持する「善」と呼ばれるものと、創造者よりも自分を愛して他を省みない破滅的な「悪」と呼ばれるものである。

アダムは『善悪を知るの木』を介してこの二項対立に巻き込まれたが、その際に悪を以って参与したと言うべきであろう。ここに新井白石が言うような「単に誤った食事を一度したということ」では済まない理由がある。
サタンが云うところの禁令を破って『神のようになる』とは、この対立の中でいずれか一方の側に付くことを意味していたのであり、何か目覚ましい優れた状態に入ったということにはならない。

むしろサタンは『目が開けて神のようになる』との騙りで自分の側に人を付けようとする詐欺を行い、エヴァは『欺かれて』それを信じ込み、アダムは既にその道に入ってしまった美の極みであったろう愛しい伴侶を失うまいとして、自己の欲から善を捨て、その後を追ったと見るべきように思える。単に一本の木から食べてはならないとの難しくもない禁止事項が、猛烈な試みと変じさせることに於いて『蛇』を操った者の狡猾さは驚くべきものである。

エヴァに死ぬことは直ちに起こらなかったので、それが彼女には蛇の正しさの証拠にようにも感じられたのであろう。何らの変化も感じないからこそ夫にその実を差し出したに違いなく、その動機はただ『食物として好ましい』からというばかりのことで神を差し置いた。食すべきではないという理由は神との関係、倫理に関わるものであったのが、エヴァに在っては、食物としてどうかに入れ替えられてしまった。そこまで神は軽視されたものである。

そこでアダムがどう対処するかでまだ打開の道はあったろうか?
すくなくともアダム自身についてはその道は残されていたに違いない。悪魔の誘惑を退けたなら、そこで一つの決着がついて裁きは終了したかも知れず、以後は判例のように悪の余地が無くなっていたのかも知れない。
しかし、彼はそうはしなかった。
パウロが言うように、『アダムは欺かれなかった』のであれば、エヴァの差し出す木の実を食することが死を意味することも、神との関係を壊すことも理解していたにも関わらずのことを敢えて行っている。

それは何よりも、創造者に背を向けエヴァを選んだことにおいて倫理上で本末転倒しており、パウロはそれによって『悪が世に入った』とも述べている。
こうして人は、『罪』を負う事となったが、その不倫理性はこの世を一瞥するだけで充分に見て取れる。即ち、人間は他者とどう生きてゆくべきかということを弁えていないので争わずには済まない。その第一の他者が神であったのである。

また、エデンの顛末として、自分たちが裸であるという事が見えるようになったという、これは社会的視点が生じたということではないだろうか。

つまり、ふたりだけのように見えるエデンの園にあっても、そこが善者と悪者の両者の駆け引きの舞台であることが分かるようになり、創造者から精神的に距離を置くようになったところで、或いは第三者の存在が認められ始めて社会性が生じ、公私の違いが意識されるようになったということになる。そこで『善悪を知るの木』から取って食すことは明らかに第三者を絡めた倫理問題となった。「エデンの園の二本の木」

アダムらにとって創造者との関係だけで過ごすことのできた日々は終わり、そこに第三の者が現れたが、そのサタンは創造者との関係を変えるように唆した。こうして云わば親だけとの関係から社会を知る存在へとアダムは成長したといえる。しかし、その結果は昇華ではなく堕落となってしまった。また、親である創造者をも自ら第三者としてしまった。

倫理が、如何にして他者と生きてゆくかを問うものであれば、アダムらが無垢であったゆえにこそ創造者の関係性は禁令を破ったことで破綻しており、 その絆は永遠の関係に至るものからは一度限り堕ちてしまい。もう一方の木から食することが禁じられ、寿命の内に、労苦にまとわれ、病と老化を知って命から去りゆくものとされたのであった。即ち、永遠に存在を続けるからには、他者とどう生きてゆくかという関係性が問われるのは理の当然である。

そして彼らは、それまでになく創造者にさえ裸を見られることを嫌った。これは罰や酬いとしてではなく、以前から裸であったのを「裸」と意識するようになったという意識上の変化であろうし、人間が社会を営むようになり公私の区別を必要とする状況に至れば被服はいずれ必要不可欠となるべきものであったろう。ただ、それが人間社会が登場する前に意識が先に起こることになったと考えられる。
 
これをもたらしたのが、それまで創造者とだけの交わりであったのが、彼らにとっては新たな存在者であるサタンとの関わりが生じてきたことであろう。もちろんサタンとその後も彼らが交渉を持ったという記述があるわけでもないのだが、ひとたびその唆しに乗った以上は神とサタンとの駆け引きの中に身を置いたのであり、その存在を意識しないでは済まされなかったに違いない。しかも、彼らはいまや神の側には立って居なかった。

ふたりには明らかに自我意識が臨み、隠すべき事柄が生じていた。
神はできれば避けたい他者となってしまったことは、彼らが隠れたところにも表れている。(創世記3:10)
それは良い仕方ではなかったが、ともあれ社会性の始まりでもあり、倫理に関わる存在としての門出ではあった。(創世記3:22)

できるなら神を避けたいという態度は、この世に蔓延しており、人々は神を崇めていながらであってさえ、自分の不倫理性を隠したいものである。しかし一方で隠れたアダムを捜して『あなたはどこにいるのか』と繰り返す全知全能の神は、アダムという『神の象り』を尊重し、そのプライヴァシーを守る創造の父である。



-◆神探求に求められる人格性----

さて今日までの人類社会を顧みるに、アダムの行為は何という惨禍となってきたことであろうか。
だが、神は人の行動を予知さえしなかったと言える。むしろ全知全能性を自ら制して、たとえ害悪が生じるとしても、人間の自由意思を守ったのである。 

そこで人間が神を客観的に知る手立てを持たないのは、まさに神が顕現しないからであり、その意味においてもカントの云うように、人と絶対者との間には深い隔ての渓谷があり、その障碍を設けたのは創世記からしても神自身と言えるのである。

こうして、人は自らを超える「上なる領域」については上からだけ知らされるばかりで、抽象領域である「上から」の啓示無くして神を知り得ない。 
また、その啓示というものも客観的、科学的に正誤を判断できるものではなく、人格的に判断されるものだけとなっている。 まさに聖書とはそのようなものであり、考古学上の発見がどれほど積み重なってゆくとしても、最終的に何が「上からの啓示」であるのかを決めるのは機器ではなく人、それも個々の人でなければならない。

例え、衆人にも明らかなエリヤの見せた奇跡であっても、そこに科学の目を持ち込むことは的外れなことである。奇跡とは自然を超える事柄であり、それを奇跡と判断していたのは人格的判断あってこそのものであり、どこからどのように火が降ってきたかを科学的に確認できたところで、その出来事の意義や価値を捉えることはない。 いや、却って邪魔なものである。

それはキリストの行った癒しの奇跡や、使徒らの聖霊の賜物による超自然の出来事にしてもそうである。 
ある人には「復活」が信じられなかったが、それが科学的に起こり得る、あるいは起こし得ると証明されたなら、その人は「神を信仰する」ようになるのだろうか? 
だが、それでは静的な自然現象のままに何かが生じ得ることを納得しただけで、創造界を超える創造神の奇跡の力の領域を何ら認めることにはならない。

もし、そのような「科学的認識」を信仰と呼ぶのなら、当たり前の日常の延長線上を信じているばかりで、創造者の超越性を一向に認めたことにならないではないか。その「神」とは「科学」であり、その「偶像」はやはり「法則」となっている。そして「科学者」は「祭司」なのか?だが、そこでは神との人格的紐帯も、また倫理的問題も何ら発生してはいない。

しかし、科学を超えた人格的判断の要請は、パウロの次の言葉にも当てはまるであろう。
『神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。』(ローマ1:20)
この言葉は非人格的で無機的な観察や測定で被造物から神を割り出せることを保障しているわけではない。この使徒がここで強調するのは、『神の性質』を主観で捉えることであろう。

同じくパウロは探求心旺盛なアテナイの市民に向けてこうも言っている。
『人々が熱心に追い求めて捜し*さえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神は我々ひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。』(使徒17:27)
*([γε ψηλαφήσειαν]「本当に、探って(「触れて」・暗喩として「人格的に探求する」<mentally to seek>)」)

パウロはアテナイ市民にギリシアの知恵を用いて神を説明せず、却ってキリストの復活を語り、そこで一半の人々は復活が起こったと話されたところで聴くのを止めている。彼らは人間の狭い見聞の常識の限界から出なかったと同時に、畏怖すべき創造者の概念を真に捕えなかった。なぜなら『この世界とその中の万物とを造った神』というパウロの話す創造神にあって、どうして人の復活が不可能だろうか。

パウロはコリントスの人々にはこう書いている。
『知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うことをよしとされたのだ』
『ユダヤ人は印(セーメイア)を請い、ギリシヤ人は知恵(ソフィア)を求める。だが、わたしたちは刑木に磔されたキリストを宣べ伝える。このキリストはユダヤ人には躓かせるもの、諸国民には愚かなものである』(コリント第一1:20-23)
即ち、神を思考する方法からして異なっているのである。

また、リュカオニアで彼は神についてこうも言った。
『(神は)ご自分のことを証しをしないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、様々な恵みをお与えになっているのである』(使徒14:17)

ここで彼は、異邦人に対して自然の恵みへの感謝を通して神が存在の証しを立てていることに注意を向けている。
感謝とは人格的な接触の結果であるからして、ここでも神探求に無機的観察や機器によるような測定ではない「神の知り方」を訴えているのである。

即ち、大自然は無人格な必然の積み重ねだけでは存在しないという受け止め方であり、これが今日ほど、科学の進歩にゆえに難しい時代もないのではなかろうか。そして「神はいない」という観念を好む本能的で根源的な欲望を人類は強めて来たが、その背後にある利己的精神を、古代のこれらの言葉が気付かせるものとなっている。その精神には存在しているものへの感謝は無く、偶然があるばかりなのであるから。

そして、それは何時の日にか最大の論争に発展することになろう。古代から預言者はこう述べている。
『造られた物はそれを造った者について、「彼はわたしを造らなかった」と言い、形造られた物は形造った者について、「彼は知恵がない」と言うことができようか。』(イザヤ29:16)

そこでローマへの書簡の以下の言葉もこの背景を以って読まれるべきことになろう。
『神の怒りは、不義をもって真理を阻もうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。
 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。』 (ローマ1:18-19)
これらの言葉は、客観で神が捉えられると言っているのではない。

したがって聖書を科学の視座から読んだところで、その意味は極めて薄いというべきであろう。もともと科学の書ではないからであり、そこに述べられる事柄は専らに倫理に関わる事柄ではないか。
倫理とは、他者とどう関わりながら生きてゆくかという問題であり、それには当然ながら神との関係が含まれる。この点においてこそアダムは永遠に生きるのには失格したのである。では、『アダムと同じ罪を犯したわけでない』我々はどうか?(ローマ5:14)

そこで神との関わりが科学にあると言うなら、それは大いに的外れという他ない。現代とはそこまで科学信仰が蔓延しているというべきであろう。神存在を信じることが科学的なら信じても良いと条件づけるのなら、その人はいったい何を「信仰」するのだろうか?
 
『神の栄光は創造以来見える』と言ったパウロの言葉も、科学によって神を見出そうとする様々な試みとは次元を異にするものである。即ち、彼の述べるところは、創られた物を通して『見える』神の側の善意のようなものであり、それは中立的な視点でただ『見える』ものではなく、更には自然の壮大さや緻密さに畏敬を抱くだけのことでもなく、より神に近付いた観点、精神的、倫理的な視座に就かねば見えないものである。
 
例えれば20世紀から「創造科学」[creation science]と呼ばれる主張が存在するようになった。これはダーウィン以来の生物進化説への反撃と言える。そこでは進化論が学説のひとつに過ぎないことが強張され、聖書にある創造の順序など創世記の記述は科学的であるとしている。

つまり、聖書教は科学と一体となることが可能で、科学は信仰の基礎となり得るという主張でもある。その中では旧約聖書原初史に含まれる「ノアの大洪水」が起こり得た理由も挙げられ、地球大気上層部の温度の高くなる「温度圏」に膨大量の水分が保存されていた可能性を論じてもいる。降り注いで最も高い山をも覆った水は、やがて地殻で生じたプレート・テクトニクスが地表に著しい高低を造り出して陸地が海から現れたとも論じたのであった。
 
だが、科学者の多くは「創造科学」が進化説に比肩できるほど検証に耐えられず、科学として認められないとの立場にあると云われる。「創造科学」の唱道者らは、それが公教育の場で教えられることを目指したが、米国連邦裁判所は1987年にこれを認めない判決を下している。そこでは公立学校で「創造科学」が教えられるよう制定されたルイジアナ州の法を違憲と判定している。しかし、「創造科学」は米国の多くの新教系教会で恰も「教理」のように流行したのであった。

また、20世紀の最後の十年には「インテリジェント・デザイン」[Intelligent design]と呼ばれる説が登場している。
これは自然界の事象には、単なる法則性などの機械的な要因だけでは説明できない事柄が存在しており、そこに設計や構想などのデザインがなくてはならないとするものである。
 
この唱道者たちは、聖書的創造説の影響を保ちながらも「創造科学」から宇宙そのものや生物を設計造作した者を「神」とはせずに「偉大な知性」と呼び生物進化の過程を一部認め、そこでキリスト教だけでなくイスラム教やヒンドゥー教からの支持も得る道を拓いた。
「インテリジェント・デザイン」はキリスト教原理主義の強い米国中西部の人々と南部出身の大統領G.W.ブッシュの支持も得たが、こちらも2005年に裁判所から学校で教えるべき科学的妥当性がないと判断されている。

これらに加え、宇宙物理学の同系列上に「人間原理」[Anthropic principle]もある。
「人間原理」の萌芽はやや古く、物理学者ロバート・ディッケ[Robert Henry Dicke]の研究などにより1960年代からの宇宙観の進展に伴う中からこれは現れてきた。そして「人間原理」としての概念の創唱者は天体物理学者ブランドン・カーター[Brandon Carter]で1973年からのことであるという。
「人間原理」とは、自然法則や宇宙定数が生物、わけても人間を登場させるためには奇跡的なほどに極めて僅かな範囲に法則は数値をとらなければならないことから導き出された思想である。その稀なる条件を彼らは「ファイン・チューニング」[fine tuning]と呼んでいる。
 
つまり、宇宙を観察できるほどの知的生命を存在させるために宇宙は絶妙に出来ている。または、宇宙は人間を存在させる目的のために厳密に企画され、特別オーダーされたと云うのである。しかし、この思想は科学に立脚するものではあるが、やはり主観的であり科学として裏付けの証明をすることができないので科学とするには至らないと見做されている。
これはつまり、「そうかも知れない」にしても、それは客観性について問題があるということである。
この否定的判断に、無神論者の策謀を感じとったり、反発を抱いたりする「クリスチャン」も少なくもないのであろう。
だが、もしこれらの「聖書的科学」の主観性を認めるよう求めるのであれば、無神論の主観性も許さねばならないことになる。 

そこで、人は神存在を科学的に証明することが不可能であることを認めなければならない。 
神が存在するか否かという論議は、神が顕在しない限り無くなることはない。 
同時に、そこには人の側に投げかけられたひとつの命題がある。



-◆信仰という倫理的決定-- 

前述の20世紀後半からの科学的な神探求がなぜこれほどまでに行われたのであろうか。
この背景には、19世紀中葉からのダーウィンの著作に関する宗教全般の敗北が挙げられよう。

以降は、神探求そのものが愚かであるかのような風潮が広がり、かつてヴォルテールが危惧したような、道徳の警護者としての神を振り払ったような堕落した生活態度の蔓延がキリスト教欧州に無神論的同調者の間に見られている。キリスト教は名目化、形骸化し、実質的に人々は自らよしとする生き方を行っているように見える。そこで人々は信仰と無神論との間を都合よく行き来する。

欧州ではキリスト教の見直しが進み、フランスでは政治的に、ドイツでは哲学的に激しい攻撃が加えられ、やがて共産主義へと進んでいった。

科学の進歩に伴う技術の急速な発展と生物進化説の登場をみた19世紀という、欧米を中心に人間が神の代えて科学を信奉する時代を迎えたとき、人々は中世の蒙昧を想い見、十字軍や異端審問や魔女狩りを回想したことであろう。
そして、あのガリレオ裁判を心に再審し、宗教に対する科学の叡智の勝利を必ずや意識したに違いない。 

しかし、科学とは時代によってその主張も様相も異なってきたのであり、純粋な科学は必ずしも反宗教ではないことが表される時代が到来し、極端な無神論への政治的反省もそこに加わっている。ソビエト・ロシアに対するロシア正教の勝利は、その典型的な判断材料を提供していると言えよう。

だが、それにしても科学的な神探求の方法が、聖書教本来が求める神探求の方法と整合し得るものであろうか。

頭書のフリードリヒ大王のように神の存在の証明を求めたとして、そこで納得のできる解答を得られたなら、その人はそれから神を「信仰する」のだろうか?また、それは「信仰」と言えるのだろうか?
 
しかし、冷静に考えれば、自然を中立的に観察することによる科学が創造の神の存在を証明するとしたなら、神を「信仰する」余地が残るだろうか、との質問も不合理ではないであろう。
 なぜなら、科学が神は存在すると証しする場合、それは客観的に神存在は動かし難いものとなっており、それが常識ともなってしまい、信じるという行為そのものを意味の無いものとしてしまうに違いない。

たとえそこで神を認めても、それはただ事実を受け入れているだけであり、何ら格別のことを為すわけでもない。そこには何か大きな意義が欠けているのである。
ヤコヴが述べるように『悪霊たちでさえ神を信じて慄いている』のであれば、神をただ認知したからとて、どれほどの意義があるのだろうか。 (ヤコブ2:19)

そこで欠落しているものとは何であろうか。
それは神と人との間の関係性ではないのだろうか。
存在の事実を受け容れるというのと、人格的に近付くのとでは大きな違いがある。

例えれば、我々は隣人の存在を認める。その認めるというのは、そこに他者が存在するという事実を認識することである。
もちろん、隣人を慮って様々な配慮もするだろう。しかし、単なる隣りの住人なら普通はそれ以上のものとはならない。
もし、中傷者が現れて、その隣人を誹謗すればその件についてどうこう言う立場になく、ただ悪い評判を耳にするばかりである。

しかし、その隣人と人格的に接触していて、その批難が的外れであると強く感じれば、その人を擁護しようと思うであろう。まして、愛着や友愛を持っていればなおのことである。

さて、知的で神を認識できる創造物をその『象り』に神は創った。
アダムもまたそのように神との人格的接触の可能な存在者となったわけであるが、神はそのような存在者との関係を非常に重視したというべきであろう。そうでなく意思の自由を与えずにロボットのように作っていれば、アダムが受けることになったあのような断絶も、子孫が経験することが避けられなくなった膨大な諸悪も、このうえなく貴重な御子の犠牲も必要が生じなかったに違いない。だが、そこは空虚な服従の世界である。

そして神も創造の意図に反した多くの悪が生じるのを許す必要もなかったのである。
それゆえにも、神は人との関わりにおいて人格的接触を望む、いや、これは必須なのであろう。そこで二本の木はエデンの園も中央に置かれ、それが如何に重要であるか、その選択こそが永遠の命に入り神との永遠の関係にも入り得るものとなることが示されたと言えよう。そして明らかに創造者は人にそれを望んでいたのであった。

サタンが人を誘惑したからには、神との関係性とは、中傷者に打ち勝つほどのものが求められていたに違いない。即ち、試みられたのは「忠節さ」また「不変さ」である。
その関係性は天使らにせよ、御子にしても神に対して同様であったであろう。

御子は創造物の初子であり、創られた者の頂点に立つ者として御父である神への「忠節な愛」[חסד](ヘセド)*を公生涯に亘って示し続け、遂に自らの命を渡すところにまで至った。
その結果は『自らの死を通し、死をもたらす力を持つサタンを無に帰せしめる』ことを確定させたとパウロは言う。(ヘブライ2:15)*<または「不変の愛」>

その第二の位に在る者の忠節はすべての創造物に在るべき姿を求めたのであろう。(フィリピ2:9-11)
即ち、自由意思からの忠節な愛を創造者に対して保つ姿勢である。

そこで、全能の神が自らを顕わそうとするのであれば、どうしてそのようにできないことがあるだろう。
この論題に関する結論は、神認識には人格的接触と中傷に耐え得るほどに神を擁護する「忠節な愛」が求められているということである。神がそれを望まれるのであり、それは単なる隣りの存在のような関係ではない。また、17世紀にパスカルが、神を信じると賭ける方が受ける幸福の可能性がある、と記したような打算からくるものでもない。

即ち、何かを選び、何かを捨てるという、倫理的決定であるところの「信仰」が不可欠となるのであり、それも聖書の創造神のような絶対的神の場合にはその信仰は妖精信仰のような生半可なものとはならない。なぜなら相手は世界の創造者であり、人間存在の由来だからである。そこにあるのは「愛」また「忠節」という関係性が関わる最も基本的な倫理上の問いであり、まさしく「信仰」とはどちらかの選択を行う重大な決定というべきであろう。

まして全知全能の神は、そのままに圧倒的主権者と成る意図が無い。支配と服従が望みであれば、エデンの二本の木は必要が無く、サタンもアダムも裁かれる以前に造られもしなかったに相違ない。 

旧約聖書の中から神は自らを顕わしてきた記録がある。しかし、それはけっして科学的また不可避的な事実としてではなかったので、イスラエル人も度々に「神を試した」のであった。神が自ら顕現したのは、むしろ人の価値観や倫理性を試みるような超自然の事象を通してであり、それは神自身ではなく「奇跡」と呼ばれるものである。そこに人は何を「見出す」のであろうか?

神は自然の中に自らのすべてを余すことなく顕現せず、自然を超える事柄、即ち超自然の奇跡のような物事、または自然の中であっても恵みと感謝のような人格的観点からの意義によって自らを示されてきたのである。
 
そこでパウロの言葉をもう一度見よう。
『人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神は我々ひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。』(使徒17:27)

ここでは単なる自然観察で眼前に神が見つかると言ってはいない。捜そうとの個々の意志が求められており、科学の発展の途上で偶然に神が見つかるということを意味しているようには読めない。また、数式のようにして信仰が導かれることはけっしてないであろう。

自然界の驚異に神を感じ取る人もあれば、そうでない人もいる。
それは人それぞれであって、どちらにしても、科学そのものがある人には神を知らしめ、ある人にはそうしないということはなく、自然に神を見い出すか否かは別の問題というべきで、それはパウロの時代も今日も変わらないであろうし、今後、科学がどれほど進歩しようとも、神の認知が科学によるものとはけっしてなるまい。それは常に、その人の個人的な心の選択となるに違いない。

エデンの二本の木に表されたように、神は個々人に「忠節な愛」を求められるので、神は自然界に自らの姿を顕現してはいない。従って科学が神を捜し出すことはけっしてないであろう。なぜなら『神が御顔を隠されるときに誰がそれを眺め得よう』と言ったヨブ記のエリフの発言にあるように、自らを単に人に観察させることを避け、むしろ人格的に探究させる一方、全能の神は御子の犠牲を以ってまで創造物と愛によって結ばれることを望まれたのであり、創造物同士の間にもそれを望んだといえる。

『愛する者は神と結ばれている』と述べた使徒ヨハネはこうも言っている。 
『主(イエス)はわたしたちのために魂を捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛[ἀγάπη](アガペー)というものを知った。それゆえに、わたしたちもまた兄弟のために魂を捨てるべきである。』そしてこうも言う。『わたしたちは兄弟を愛するので、死から命へ移ってきたことを知っている。愛さない者は死の内に留まっている。』(ヨハネ第一3:16/14)

では、人は神に対して「中立的立場」に在りながら、神を見出すものだろうか?
また、そうすることを神は望むだろうか? 



-◆科学と宗教の純粋を保つために--

こうして神存在の探求の仕方を考慮すると、キリスト教徒と雖も科学信仰に傾いていることが見えてくる。
今日の宗教家の多くは、人々が「聖書は科学的にも信頼できます」と説明を受けて納得する姿に安心したいのだ。 

それゆえ如何に宗教家たちが科学の領域に口を挟んでくることか。
確かに聖書中に科学的にも妥当とされる記述もあるだろう。創造者が霊感を与えた書であればそれも当然のことではないか。
だが、聖書の内容はそれを明かす事を目的としているのだろうか?

宗教を信奉する者が科学を通して神を宣明するのであれば、今日最も普遍的に宗教化して信じられている「科学という名の宗教」への敗北であり、今日に於けるその「宗教の最高峰」を調略することによって一気に自派の優位を確立しようと画策することである。
もちろんこれが十分な成功を見ることは無い。『神が御顔を隠されるときに誰がそれを見得るか』のヨブ記の古代の言葉は今日依然として覆すことは不可能なのである。

しかし、そこに在るのはなりふり構わぬ信者獲得に血道を上げる宗教家の見苦しい姿であろう。彼らが目指すのは神も意図しない「神の客観的存在事実」を提示しようとする論理の圧制ではないか。そのようにして世界に自派の正統を唱えると引き換えに、神が人間の自由意思による信仰を確保し、その為に膨大な犠牲を払ってきたことを無視するのである。
『信仰はすべての者が持つわけではない』のであり、それもまた倫理上の決定である以上、神が居て欲しくない無神論や不可知論の人々は「科学教」の中に放っておけば良いのではなかろうか。そこが彼らの神からの「エデンの隠れ場」なのだから。終末に彼らを捜して『あなたはどこに居るのか?』と、プライヴァシーを尊重しつつ呼ばわるのは創造神ご自身となろう。(テサロニケ第二3:2/創世記3:9)

ゆえに、神の偉大な意志と悠久の歩みを前にして、キリスト教の宗教家が進化論に足を踏み入れて論駁しているべきだろうか。また、科学者が神の存在を云々しているべきだろうか。

これはガリレイの宗教と科学の分離の提言に対し、21世紀のキリスト教徒が、科学時代に乗り遅れた往時のカトリックの轍を踏み、いまだ宗教と科学の混淆を願い求めているに等しく、そこから何も学んでいないではないのか。その点、宮廷医ツィメルマンが理系の人物でありつつもユダヤ人を証拠に挙げたところは達見であったというべきではないだろうか。

科学が神の存在を証明しているかのように思えるとき、人は大きな問題が生じかねない岐路に居る。
その人は科学の合理性によって神を「信仰する」のだろうか? 創造者が存在する蓋然性をそこにどんなに見出したにせよ、それを本当に「信仰」と呼ぶべきだろうか。また、それがキリスト教なのだろうか。

もし、宗教家が「科学」を自らに利用しようと画策するなら、既に彼らが科学に対して客観性も中立性も失わせてしまっており、それはもう科学ではなく宗教の僕となってしまった疑似科学に過ぎない。そのように科学を従僕にしておきたい宗派というものは、何かと科学の領域に口を出し、その資料を都合よく取捨選択し、自らを科学者の一人、否、科学者たちを総括する偉大な判断者に仕立て上げるほどである。

それではガリレイを裁いた検邪聖省やウルバヌスⅧ世とどう異なるのだろうか?
科学の領域に口を挟み、自分の信仰に合致したことを唱えさせ、都合の悪いことは黙らせようという、その姿勢は当時のままではないのか?

宗教の信奉者には「自分の信仰は宗教と云うよりは真理だ」と唱えようとすることが多いのだが、その背景には、「宗教」という言葉が受ける今日的蔑視を避け、また「自分の信仰は理性的である」 とアピールしたいのであろう。だが、それは逆のことになる。

その人の「科学」は客観的なものでなくなり、結果的に もう一度ガリレオ裁判を行うことを厭わないと言っているではないか。
科学を純粋に保つなら、それを全ての主観的概念から解き放ち、放っておく必要がある。それが出来ないなら、何時までもガリレオ裁判の失敗から学べずに居るのである。

他方、科学であっても、宗教を否定する武具として用いられたときに、それは科学という純粋中立な領域を踏み越えており、人間の倫理という極めて主観的で罪の腐臭漂う場にそのクリスタルのような中立の美を汚すことになろう。自然科学が自然を超えることがないものなら、「無神論」もまた科学を外れてまたひとつの宗教になっていることになる。その立証法では科学による「有神論」と何ら変わらない。

科学信仰に依り頼もうとする宗教は、自らの役割を弁えてはいないかのようだ。
もし、科学上に何かの新たな発見があって有神論がほとんど否定され得るような事態が起こり、科学の側から有神論に離縁状が叩き付けられるような事態に立ち至ったりすれば、科学信仰の基礎の上に築かれたその信仰は行き場を失うようなことになるに違いない。その「信仰」とはそれほど脆弱なものである。
 
それでは、創造の神が如何に人との関係を重視しているか、そしてそれが倫理という科学よりも遥かに難しく扱い辛い分野を包含しながら、どれほど見事に神自身が啓示しているかを宗教家は教えず、また自らも知らないかのようではないか。 

このように宗教が科学の助けを求めていた構図は、2~3世紀のキリスト教史の再来のようでもある。
当時は世界にヘレニズムが溢れ、ヘブライ由来の宗教はギリシア哲学と科学の前に何ら誇るべきものを持たなかった。

そこでヘレニズムに同化しようとする動きが護教家を生み出し、ギリシア哲学の論法でキリスト教を説明しているうちに、信者は増えたが教理は後退し、キリスト教らしい奇跡の力強さは失われ、異教文化と哲学主義の理屈の惰弱に罹患したのであったが、「今日の護教論」というべきはキリスト教を科学で信仰させようとするこの混淆にあると言えよう。

それは無機的疑似信仰を生むだけのことであり、科学で神を信仰できたからと言って、それはやはり「科学教徒」を増長させているだけではないか。 「今日のヘレニズムの護教論」もやはりキリスト教をますます堕落させ、キリスト教信仰の本質から離れた科学の論議に足を取られることであろう。

ウルバヌスⅧ世が宗教家の立場を踏み外しつつも思い込んでいたようなことは現実ではなく、今日でも宗教の側から科学を云々し進化論などをどうこう云うなら同じ間違いを避けられない。教皇の「信仰」とは裏腹に神は自ら宇宙を動かし続けてはいない。かつてD.ヒュームが指摘したように、この創造界は法則に支配されており、神自身を自然界に探っても客観的にその証拠を見出すことはできない。宗教の側から言っても、神がそれを望んではいないのであれば当然の事であり、それは自然界ではなく聖書を読み込むことによって、その意図も動機も我々人間が知り得るように既にその中で啓示されているからである。

明らかに宗教と科学は別の領域に属するのであって、神探求の成否はまさしく、「人格的に捜し出し見出すならば」ということに掛かっているであろう。人を創造した神は、人格的交友を望まれる。
「信仰」において、人は価値観と人格的接触を必要不可欠とするところの「倫理的決定」を神に対して行うことになるのである。
 
それは神を見出して「忠節な愛」を懐くか否かという決定であり、この愛なくして神を知る意味もない。
これを指して聖書は『信仰』と云うのであろう。

ある「クリスチャン」が科学的蓋然性によって神への「信仰」を抱いているのであれば、その「信仰」に畏敬はあっても忠節はない。従順があっても自発的愛はない。即ち、相互的関係性には至らないのであり、ただ神に支配してされていると云うに等しい。それは『信じて慄く』悪霊にどれほど異なるだろうか。

人が真に信仰を表すか否かは「選択」であって意思の自由を必須とするのであり、科学が神の存在を証しすることはけっして無いに違いない。それはエデンの二本の木以来の選択の自由を奪うからである。そこでエデンの二本の木が人に求めるものが見えてくる。そこでは神との関係性、「忠節な愛」が求められている。もし「信じる」ということにこれが込められていなければ、それにどれほどの意味があるだろうか。

そうでなければ、歴史上にこれほどの無数の犠牲を払い、またキリストの犠牲の死までも費やした意味があったろうか。しかし、神は「忠節な愛」をその代価に相応しいと判断されたのではないのか。ならば、その愛の価は何と大きなものであろうか。加えて、神はその全知全能を抑制されている。それは即ち、人との人格的接触を保つためであり、『象り』である自らの神性を尊重することでもある。


そうであるならば、神は『御顔を隠される』に違いない。(ヨブ34:29)







          2015 ©  林 義平