フランス皇帝となり「余の辞書に不可能の文字は無い」との名言と共に知られるナポレオン・ボナパルトも、セント・ヘレナ島の幽閉先で過ごした後に、死に臨んでは「私ナポレオンは、力の上に帝国を築こうとして失敗した。イエス・キリストは、愛の上に彼の王国を打ち立てている。」と遺言に記している。
また、自らの生涯とキリストとを比較し「キリストは愛され、キリストは礼拝され、キリストへの信仰と献金は、全世界を包んでいる。 これを、死んでしまったキリストと呼ぶことができようか」と讃嘆している。聖書はまさにキリストが驚くべき超絶的指導者であったことを雄弁に語っている。


キリストの指導力は、地上に在った所謂「公生涯」の期間以上に、刑死後に復活してからの時期に於いてこそ大いに発揮されたのであり、信じる者は絶えることなく世界に広がっていったが、これは確かに、彼のナポレオンと雖も、また如何に優れた政治家たる者であっても及ぶところなく、キリストの前にその指導力もみな色褪せるのである。

それを物語る記述をひとつ見てみよう。
キリストが地上を去って後、彼が天から弟子たちの活動を導き続けるさまを明瞭に描きだす絵画のような記述が、ヨハネ福音書のひとつの例え話となっている。

その絵画の中には、キリストとバプテストのヨハネ、そして使徒や弟子(聖徒)らの姿が見られ、それらの全体を俯瞰できるという意味深い例え話なのである。

その「羊の囲い」に関するその例え話はヨハネ10章に描かれている。

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羊の群れは家屋の中庭のような囲いの中で保護されている。
(この例え話がされたのは冬季で、夜間には羊が野外から囲いや屋内に保護される時期であった)

しかし、設けられた入り口からではなく、どこかの壁をよじ登って羊のところにゆく者は盗賊である。

入り口を通って入る者は、これらの羊の本当の牧者であり、門番は彼に戸口を開き、羊らはこの羊飼いの声を知っているので彼にはついて行く。
しかし、彼以外のほかの者らにはその声*に聞き覚えがないのでついては行かない。
*(これが中東の羊飼い独特のヴィブラートの掛かった声を指すなら、真似ることは至難の業である)

牧者は、自分が羊にとってはある意味で「入り口」*であり、彼を通って出入りするものは豊かな牧草地を見出すという。*(恰も「入り口」の概念がだぶるようだが、これは以下に解決を見る)

羊飼いは自分の羊をすべて外に連れ出してその先頭を行く。
この羊飼いは羊のためであれば、その命をも投げ出す「良い羊飼い」である。

一方、雇われた牧者はそうではない、元々羊は自分のものではないので、狼がくると羊を見捨てて逃げ出してしまう。
イエスは良い牧者であって、羊のために命を投げ出すのである。

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 以上が、そのあらましである。

イエスは自身が「入り口」であり、それを通ってゆくものの幸いを言う。
そして、彼自身は「良い牧者」であるとも言っている。
これは、明らかにキリストと彼に従う人々との関係を示していよう。

キリスト・メシアはユダヤ人という囲まれた領域に現れ、その範囲内で活動している。
イエス自身、パウロのようではなく、キリストとしては主にガリラヤからユダヤまでで宣教しており外地のユダヤ人居留地も訪ねてはいない。

従って、「羊の囲い」とはユダヤ体制、もしくは律法契約の囲いとみてよいであろう。

つまり、モーセの時代から律法によって周囲の諸国民と異なり、神との契約にあったイスラエル=ユダヤの人々、殊にイエスの弟子になるユダヤの人々を「囲い」の「羊」と見る。

しかも、この例えに存在する「囲い」はひとつだけであり、それは当時、唯一つ神との契約関係にあったイスラエル民族の状況を指していると見てよいであろう。

このように解すれば、この後はスムーズに見通しが利いてくる。

さて、「入り口」を経ずに入ろうとする者は「賊」であって、もとより「羊」のことを大切にはしようと思わない。
彼らは「羊」を害し、損なうのであり、「雇われた牧者」も「羊」よりは自分を大切にする。

この「盗賊」*は、偽メシアが度々興ってその都度に鎮圧され、その度にユダヤ人が犠牲となっていた事態に良く符合する。

「雇われた者」
らは、当時ユダヤの宗教家であろう。彼らは平民を「地の民」と呼んで蔑み、優越感に浸っていたし、世の常として宗教家らしく自分たちは高一等であるべきとも思っていたであろう。(ヨハネ7:49)


このイエスの時代、モーセの律法体制の下にあったユダヤ=イスラエルの契約はすで破綻した状態にあったので、「新しい契約」の為の「契約の使者」が待たれていたのであり、それがメシア=キリストであった。(エレミヤ31:33/マラキ3:1)

メシアはユダヤ律法体制から羊を導き出し、「新しい契約」の下にある「豊かな牧草地」に連れ出す役割があった。そこは律法遵守の頚木から開放された牧草豊かな自由な広野であり、もちろんそこに囲いの必要はない。

そして、メシアはそれら羊のためならば、命をすら惜しまない愛着を示す。即ち、これらの羊が「新しい契約」に与るためには彼の血(魂)の犠牲が求められたが、この羊飼いはそれを見事に殉職によって差し出したのである。

この「良い羊飼い」は自分の「羊」が囲いからの出入りをしばらくは許したとしても、やがて律法契約という「囲い」から「すべてを外に出してしまう」べき理由があった。


なぜなら、律法契約が機能不全に陥って四百年以上が既に経過し、メシアの去った後にユダヤの体制はローマ軍によって崇拝の中心たる神殿もろとも完膚なきまでに破壊されようとしていたからである。それはユダヤ体制の壊滅であって、無数の命が失われ、その後ユダヤは流浪の民となる。


かつてイエスは、ユダヤの弟子たちに警告し、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たなら、ユダヤに居る者は山地に逃れ、都に居る者はそこを出て、外に居る者は入ってはならないと預言していたのである。
こうして、囲いにいた羊は囲いそのものの倒壊から逃れ出ることに成功する。その壊滅はイエスの刑死から四十年を経ない西暦70年に起こったことであった。


さて話を戻そう。
例え話には「門番」がいた。
彼は、メシアに対して扉を開く者である。
これは、「使者」としてメシアの前を行き、その道をまっすぐにせよと荒野で叫ぶ者の声であるザカリヤの子ヨハネ、つまりバプテストであろう。(ヨハネ1:23)

ヨルダン川でユダヤ人にバプテスマを施していたこのヨハネは、やがてナザレのイエスをメシアとして指し示す。(ヨハネ1:29-31)

こうして、「門番」からユダヤ人にメシアが紹介され、イエスを通って行くものは律法契約不履行の呪いの下にあるユダヤ体制から「新しい契約」へと「救われる」のである。

ここまでが、イエスが地上に在る間の活動の縮図となっている。
しかし、この例えはそれだけで終わらない。


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「わたしにはこの囲いのものではない、ほかにも羊があり、わたしはそれらをも連れてくる務めがあり、それらもわたしの声を聞き、そうしてひとつの群れにひとりの牧者となる。」
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「この囲い」が律法契約によるユダヤ体制を表すならば、その囲いの外にいる羊とは何だろうか?

つまり、ほかにもいる羊としてユダヤの宗教体制あるいは律法契約の外に居る者らのことを示唆している。言わば、野生のような羊であろう。
(ほかの羊らが入るような別の何かの囲いについては語られていない)


イエスは、これら外部の羊らも連れてくるというのであるが、ではユダヤ人の間でだけ働いたイエスが、これをどのように果したのだろうか?

そのことを考えるに際し、教祖としてのキリスト・イエスという人物に注目してみよう。
彼は、自らの活動を僅か四年以内に終えている。これは他の宗教教祖らと比較すれば余りに短い。
しかも、その直接に得た弟子らは、エリート階層に属しておらず漁師や収税人など無学な平民「地の民」であった。

イエスが去ったあと、これらの弟子らを中心にして今日の世界最大の宗教にまで発展してゆく基礎が出来上がったのであれば、まず驚きを感じよう。

そして、上記の「ほかの羊」に関するイエスの務めがどのように果たされたかを確認しようにも、聖書記述でイエスの地上の活動の部分には該当するようなところが無い。つまり、我々の知るキリストは、異邦諸国民に宣教を広げず、パレスチナを出て活動してはいないのである。

そうなると、我々はキリストが天に去った後に相当する使徒言行録以降の記述の部分を探らねばならない。


先の記事(「聖霊と聖徒」)でも書いたように、キリストは地上から去ったのちに、弟子らに「助け手」としての聖霊を与えた。(ヨハネ14:25)
この聖霊は、イエスがしていたような奇跡の業を弟子らに行わせ、異言を語らせ、知識を与えたが、それはユダヤ教徒を相手にした宣教に留まらず、パレスチナを越えて異邦諸国民に向かってゆき、それは新約聖書をギリシア語で編纂させる素地ともなったのである。(使徒4:30-31/コリント第一12:8-/ヨハネ14:12)

また、聖霊を通して弟子らを動かし、あるときは宣教に向かうべき方向を示し、あるときは迫害される者らのそばに立って励ました。初期キリスト教の資料から、聖霊の降下は西暦第二世紀の半ばまで存続していたように観察される。(使徒16:6-7/23:11)

その意味するところは、メシアによる『祭司の王国、聖なる民』即ち、人類全体を祝福する「アブラハムの裔」の集め出しであり、これはキリストが地上を去って後に聖霊の降下を以って開始されたのである。
 

即ち、律法契約がもたらせなかった『諸国民の光』となるべき本当の意味での神の選民『神のイスラエル』が、遂に歴史上初めて姿を現したのである。それはイエスの復活から50日後のペンテコステの日を以ってユダヤ人から始まり、次いでサマリア人、それから聖霊は異邦人にさえ『養子縁組』を得させるに至り、血統によらず、信仰によって『神の子』に迎え入れられたのである。(ガラテア6:16/ローマ8:14-15)


それゆえに、イエスは刑死の後も弟子らを聖霊によって指導し続けていたといえるのである。それは聖霊の途絶えるまでのおよそ百年ほどであろう。(記事「今日のキリストの不在、そして帰還」を参照)


いみじくもイエスは刑死する前の晩に、使徒たちに臨むことになる聖霊がご自分を証しすると伝えてから、『わたしと初めから行動を共にしてきたあなたがたが今後は証しを行うのだ』と命じていたのであった。(ヨハネ15:26-27/使徒2:43)⇒「聖霊という第三のもの」

そして聖霊は様々な活動を使徒たちに行わせてゆく。
天にいるイエスは、まずサマリア人にもペテロを介して聖霊を与え、明らかにヨッパにいた使徒ペテロに指示を与えて、無割礼のまったくの異邦人であるコルネリウスのところへ遣わし、その授けた「鍵」を用いて異邦人のために神の民への扉を開けさせている。(使徒10章/マタイ16:19)

そのようにして、「囲いのものではない」つまりユダヤの律法体制下にない異邦諸国民の「ほかの羊」がキリストという「戸口」を通って「新しい契約」の牧草地に入り始めたと見做すことができる。これはキリストの指導の下での弟子たちの使命であり、キリスト教の完成と共に成し遂げられるべき最重要事項であったと言える。

後に、強硬な迫害者であったパウロもイエスから選ばれて回心し、バルナバと共に取り分けられて、その「ほかの羊」を集め出す長途の伝道旅行を繰り返し、異邦人であってもユダヤ伝来の相続財産が継承されるという、その革新的な教理を与える役割(奥義の家令)を果たした。(コリント第一4:1)

聖霊に預かり「新しい契約」に参入してきた異邦人たちをパウロは「野生のオリーヴ」と呼んでおり、それはこの「羊の囲い」の例えのなかでの 『囲いのものでない羊』とすることは、自然な意味の整合性を持つものである。

こうして、キリストの弟子にはユダヤ人イエス派と、異邦人イエス派(ほかの羊)の「ふたつの群れ」が並存するに至ったのである。パウロは、これらを『ふたつの民』と呼んでいる。(エフェソス2:11-19)


これらの群れを隔てる障碍のとなっていたのは、モーセの律法に由来するユダヤの永い伝統であった。ユダヤ人はイエスを信じるようになった後も、神殿祭祀を重んじ律法に熱心であったので、パウロたち異邦人派に対しては懐疑的であった。そのため、この「異邦人への使徒」はエクレシア内外のユダヤ主義との戦いのうちにその残りの生涯を費やすことになる。(使徒21:20)

イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人であっても、それは「ユダヤ教の完成」の意味合いが強く、アブラハムの子孫として守ってきた律法の崇拝から離れるには彼らの良心がなかなか適応しなかった、というよりは、その必要さえ感じなかったであろう。

特にユダヤに住むイエス派信徒は依然ユダヤ古来の崇拝に格別熱心であり、パウロをはじめとする異邦人派とは衝突を回避するための調整をすら必要としたのである。そこに新旧の差はあるが、羊飼いにとっては双方が大事にされ、この微妙な問題上でどちらが正しいというようなものとはされなかったであろう。
(神もキリストもこれに裁定を下しているようには見えない。むしろ、互いの宗教的良心を並立させる意図さえ見える)⇒「エルサレム会議におけるキリストの弟ヤコブの寛容


それゆえ、これら二つの群れを導き出すという仕事において、ペテロは異邦人への扉を開き、パウロは外の羊を呼びに遣わされている。加えるなら、イエスの弟ヤコブがこれら双方の群れを共存させるために西暦49年のエルサレム使徒会議を司り尽力している。
これらのすべては、イエスのあとに残された使徒や直弟子らに与えられた極めて重要な役割、聖霊の指導の下に行われたキリストと初期の弟子らとの「一大事業」であったと言うことができるだろう。

したがって、この例え話の一幅の絵から、イエスは地上から去ってからも聖霊を介して弟子を指導しつづけて、ユダヤ民族に留まらず諸国民からも羊を集める業を成し遂げていった様がそこに見えないだろうか。

イエスは、地上にいるときに『わたしを信じる者はわたしと同じ活動を行い、しかもより多くを行う。わたしが父の許に行くからだ』。とまさしく述べていた。(ヨハネ14:12/同16:7)


このように『新しい契約』に関わる事柄を教導することなど、地上の単なる人間の誰かが果たして出来たろうか。

その契約はイエスの帰天後に、その犠牲に基づいて発効したものであるから、聖霊を用いるイエスこそが天から使徒や聖徒を導いて企図したことを成し遂げたに違いなく、この功はまったくキリストに属するものである。(ヨハネ15:5)

さて、使徒パウロは『ふたつの民』また『両方の民』という言葉を西暦60年代に入っても依然として用いており、それを隔てるのが律法であることを明らかにしている。(エフェソス2:15)

そして、この「羊の囲い」のような『隔ての壁』はユダヤ人の心を容易には去らなかった。


つまり、ユダヤ人の律法契約への誇りはイエスを受け入れてさえ容易には彼らの心を去らなかったのであり、それはエルサレム会議後も然程の変化を見せていなかったことは神殿の破壊の時にまで及んだ。実にパウロは残りの生涯でユダヤ優越主義を論駁した為に、批難され、逮捕され、裁かれていることに鮮明に表れている。(使徒21:28)

そのように当時のユダヤ人イエス派であっても引き続き律法遵守に熱心であった以上、パウロの言うように『ふたつのものがひとつになり、間の壁が除かれる』のは更に後のことになるに違いない。
今はそれら「ふたつの群れ」が眠りについているので、ひとつになる時というのはキリストの臨御(パルーシア)の以降であろう。(エフェソス2:14/マタイ24章)

西暦49年に行われたと言われる前述のエルサレム会議でのヤコブの裁定を以ってしても、千数百年続いたユダヤ優越主義はエクレシアの中から去ってゆかず、パウロは生涯の終りとされる西暦67年の直前までも、このユダヤ主義の頑固な抵抗と戦っていた様が書簡に滲み出ており、それは第二世紀の直前に書かれたとされる使徒ヨハネの手紙では、ユダヤ主義に加え、更に厄介なグノーシス主義に染まりつつあったユダヤ人らの影響と闘う様が色濃く表れている。


エルサレムを中心としていたユダヤ教イエス派の人々は、エルサレムと神殿の滅びに際し、主の言葉に従ってデカポリスであった東北の城市に逃れたという史料が伝えられているが、その後のイエス派はエビオン派やナザレ派などに分裂してゆき、第二世紀にはユダヤ教側から異端として排撃されるようになり、やがてパレスティナを追われ、消滅してしまったと言われる。

そしてこれらに前後して、西暦第二世紀半ばに聖霊が途絶え、キリストは「王権を得るための旅」に出立し、聖霊の降下が無くなって聖徒も眠りに就いてしまった。⇒「ミナの例え」
聖霊の降下のない現在まで、イエスの臨御の証拠はなく、新しい聖徒はまだ現れていないようだ。(ルカ19:12/マタイ10:19)

もし、「今日も聖霊は注がれている」と主張するなら、それはどのように証拠立てられるのだろうか。証明されるべきは「無い」ということか「有る」ということか。もし、「有る」なら、それは極めて明瞭なものであるに違いない。⇒「聖徒 聖霊の指し示す者たち」

それゆえ、ユダヤと諸国民というふたつの群れも眠りに就いたままであり、いまだひとつには束ねられるところまでは成就していないので、この「羊の囲い」の例え話は現在も途上にあると考えられる。(エゼキエル37:15-20)

彼らはキリストと共になる者らで、無酵母のパンを食して象徴的にイエスと体を同じくし、ブドウ酒を飲むことを通して「新しい契約」に与ることを示す者、つまり信徒の中でも格別な「聖徒たち」(ハギオイ)である。(エフェソス1:18)

自らの肉体を捨て、キリストと体を分け合い、霊の体となるからには、天において以前の肉体が持つ民族性も血統も意味を成さなくなり『ユダヤ人もギリシア人も男も女すらも関係がない』状態に入ることになる。(ガラテア3:28)


そうして「ふたつの群れ」の差異が無くなり、この囲いの例えに描かれるように、遂には『ひとつの群れ、ひとりの羊飼い』となるであろう。


選ばれ召される彼らは、その霊体のゆえに肉眼ではもはや見えることのないイエスを「天」にあって間近に見るとも言われている。(ヨハネ第一3:2)彼らはキリストの臨御(パルーシア)の際立った印であり、人類の中の『早い復活によって』『塵の中から目覚める』『初穂の霊を持つ』者たちであり、我々諸国民の祝福を可能ならしめる民となる。


統合されるふたつの群れが、天でひとつの民となる以上は、もはや律法契約下の呪いから完全に開放された真のイスラエルを意味する選民の具現、神が血統だけによらずに選んだ真のアブラハムの嫡流、『神のイスラエル』となって、聖霊を受けるとき、いきなりにひとつの国民となって登場するのであろう。(ガラテア6:16/イザヤ66:8/黙示7:1-8)


このようにイエスは、ユダヤの囲いから自分の羊を導き出し、そこに異邦の羊を加えて数を合わせた「ふたつの群れ」の先頭を歩んで、血統上のイスラエル民族のモーセへの踏み外しにも関わらず、神がアブラハムに約束した、血統だけによらない彼の真の子孫と言うべき(聖徒の国)真実の「イスラエル」、『神の王国』の繁栄と『諸国民の光』そして人類の『祝福』を確保したのである。(詩篇89:34)


これは、単なる朽ちる人間の思い致し、且つ為すところではけっしてない。(創世記12:1-3)

聖霊を用いるキリストが、天から弟子たちを導いて遣わさない限り、行えることではない。




                        新十四日派   © 林 義平

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*「賊」について:イエスが「私の前に来た者」と賊を呼ぶのはそのためであろう。イエス以後、キリストの羊はもう居ない。

実に、「ほかの羊」を連れてくるという業は、ふたつの群れがひとつになる事と共に、今後の展開を待っている部分が残っており、それはキリストの帰還を印付けるだけでなく、世の人々の裁きにも関わることになると思われる理由がある。

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