さて、過越しの子羊の対型がキリストであることは別にしても「お前はいったいどこから来ているのか?」と訊ねたローマ人ピラトゥスの質問への答えが残っている。イエスとは何者か?(ヨハネ19:9)

ガリラヤ地方のナザレ村で大工をしていたヨセフが、ダヴィデ王族の血を引く者であったことは既に述べた。
このヨセフがどのようにして長男を得たかについては、これはあまりにも知られたことではあるので、ここでは、むしろイエスが普通の人ではないことが異国人にさえも知られる様子を聖書中の記述から明らかにしておこう。

ヨセフは元々ユダ族のエッサイつまりダヴィデ王の家系に属する地域のベツレヘム・エフラタの出身であったが、エホシュア(エシュア=イエスース)と名付けた長男をヘロデ大王の手から保護するため、エジプトに逃避し、大王の死後になっても相続地の故郷に戻ることなく、大王の後継となったアルケラオスの野心を恐れてガリラヤ州、田舎のナザレに移り住んで大工の仕事に精を出す。


そこはユダヤ性が薄く、古来「諸国民のガリラヤ」とさえ呼ばれ、ヨセフの当時の住民からギリシア語さえ聞かれるような土地であった。ガリラヤとは、まさしく「異教徒の土地」を意味するのであるから、ユダヤ人は当地の出身者を見下す傾向を助長していたことであろう。
そこで育ったヨセフの長男は「ナザレのイエス」と呼ばれる。

しかし、信じるものにとって彼はイスラエルに約束されたダヴィデ王統のメシアであった。
預言者イザヤはそのメシアを次のように描いている。

『ひとりの嬰児がわれらのために生まれ、ひとりの男子が我らに与えられたからである。支配者としての統治がその肩に置かれる。そしてその名は、驚くべき導き手、大能の神*1 、永遠の父、平和の王、と唱えられる。

ダヴィデの王座に着いてその王国に君臨し、支配者としての豊かな統治は増し加わり、その平和に終わりはない。それは、今より定めのない時に至るまで、公正と正義とによってこれを強固にうち立て、支えるためである。実に万軍のYHWHの熱意がこれを行なう。』(イザヤ9:6~7)

キリスト教徒にとってイエスがメシア=キリストであることはまったく明白である。
ではユダヤ人にとってはどうだったのだろう。



-◆「ホクマ」の謎------------

神の創造の手助けをしたという何者かが存在したことについてはユダヤ人も旧約聖書から知ってはいた。
それが箴言の八章一節で自らを『知恵』(ホクマהכמהと名乗る何者かであった。しかし、それが何をまた誰を意味するのかは箴言に十分には語られていないので、それはユダヤ教徒には謎となった。

箴言では『知恵』(ホクマ)は自分について次のように言う。
『YHWH*が昔その道の初めのときに生み出した。その偉業の初めとして、わたしを造られた』。(箴言8:22~)(*現在発音不明の創造神の至聖なる固有名)

この箴言の句の続きによれば、ホクマは神と共に様々な創造に関り、神の傍らにあって『名匠』([口語訳])となり、創造の日々を愉しんだという。したがって、ホクマは神による他の創造物に先立って存在していたことになる。しかも、これを見出す者は命を見出し、これを憎む者は死を愛するとまで云うのであるが、このホクマが何者であるのかは箴言の書が編纂されて以降、ユダヤ人の謎であり続けていたのである。

では、このホクマがイエスとなったのだろうか?

使徒ヨハネはこの大権を持つことになるメシアを「ことば」と関連付ける。
『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神*2であった。それは初めに神と共にあった。すべてのものは、それ(「言葉」ギリシア語“ロゴス”)によって生じた。それを離れて生じたものは一つとしてなかった。』(ヨハネ1:1~3)

使徒に召されたパウロは、この件について更に疑いようのない証言を加えている。
『彼(イエス)は、見えない神の像であって、全創造物の初子である。すべての物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、みな彼によって造られた。すべての物は彼を通じて、彼のために創造されたのである。』(コロサイ1:15・16)
このように記したとき、元は優れたパリサイ人であったパウロの脳裏に、ソロモンの箴言に記されたあのホクマがあったに違いあるまい。

だが、このように神の創造を助ける存在があるからといって、神の至高性が損なわれるわけではない。却ってその第二位の存在者が根源者たる第一者を尊崇するならば、彼より下に在るところの第三位以下の被造物一切が至高者に栄光を帰すべき道理が生じ、ホクマは至高神たるものが崇められるべき要となる。

そうしてホクマの従順の死を通して、神の神たることが疑いなく打ち立てられ、サタンはまったく敗北するのである。(ヘブライ2:14)

そのために「ホクマ」(知恵)は地上に来たのであるが、それを言葉「ロゴス」に明かした使徒ヨハネは、「ホクマ」の先在性を示し、更に続けてこう述べる。
『こうして言葉は肉体となって我らの間に宿った。我らはその栄光を目にした。それは父のひとり子の栄光であり、まさに慈愛と真実とに満ちていた。』(ヨハネ1:14)

こうして、ユダヤ人の「ホクマの謎」はキリストの使徒たちによって解き明かされたのである。
キリストが人々の罪を浄めるなら、キリスト自身は人の罪をもたない者でなくてはならぬゆえに、アダムの血を受け継いではいないという前提が必要になる。そうでなければ、イエスも我々と変わらない罪ある人でしかない。
したがって、そのことが奇蹟か否かという前に、処女からの誕生、天界からの魂の移動を要請するのである。

古代説話に特別な妊娠がいろいろあったとしても、イエスの場合の、この贖罪の必要から導き出される処女懐胎は意義で際立っており、単に誕生してくる者の特殊性、また偉大さや侵し難さを外面的に印象付けるものでなく、人間の罪からの救済に関わる重要な論理に裏付けられるものである。

そしてメシアの優越性と特殊性は、イエスが地上にあったときに謙虚な人々には明らかであったと同時に、認めようとしない者たちには逃げ道を設けるような素朴な姿もなくてはいけなかった。そうでなければメシアへの「信仰」が試されないからである。


-◆ユダヤ人はホクマを認めず-----------

イエスが神殿の宝物庫の近辺でユダヤ人らと緊迫した論議を展開した場面がヨハネ八章に記されているが、その終わりの方で、いきり立ったユダヤ人らがイエスに「お前は五十にもなっていないのにアブラハムを見たというのか?」と詰め寄ると、イエスは「アブラハムの前からわたしは存在していた」と答えたのだが、三十歳ほどのナザレのイエスを前に激昂しているユダヤ人にホクマを推論することなど到底できぬことであったろう。彼らはその場でイエスを処刑すべく石を拾った。

また、「もし、お前がメシアならはっきりそう言え!」(ヨハネ10:24)と迫ったときのユダヤ人に、パリサイの仰々しい服装にテフィリンに房の長いタリットを身に付けた恰幅の良い姿でベツレヘムから来たうえで、ダヴィデの家系図と幾らかの奇跡(これは形ばかりでよかろう)を見せてから「我こそはホクマなり」と厳かに言い放ったのなら、それらのユダヤ人もイエス様様と崇め奉ったであろう。

しかし、それではユダヤ人の信仰の有無も、内奥にある心の傾向もさらけ出すことにはならなかったであろう。

しかし、逆に質素な身なりをしたイエスは廉潔に「わたしは自分のために栄光を求めず」と言い「父を尊んでいる」とも言われる。これに違わず、聖書中に示されるイエスの「父」に対する尊崇の熱意は極めて厚い。(ヨハネ8:49-50)

祭りでエルサレムの神殿に上ったときなど、父YHWHの神殿で暴利を貪る者たちの商売を覆して追い出し、聖域を近道の通路にして畜獣を通行させる認識の薄い者らを縄の鞭をもって駆逐する勢いには弟子らも息を飲むほどであったようだ。
イエスにとって神殿は「父の家」であり、清くあるべき「諸国民の祈りの家」を汚すことなどけっして許さず、父に対する敬愛の情熱に燃え上がったのである。
弟子らは「父の家に対する熱心がわたしを食らい尽くす」の詩篇の句を、そこで目の当たりにしたのであった。(ヨハネ2:17/詩篇69)

イエスが、これほどまでに激しい「実力行使」に及んだのも、神殿での義憤に満ちたこの浄めの業だけであろう。
しかし、自分自身については「わたしを信じずとも、父がわたしに行わせる業は信じよ」、また「人の子を罵倒する者も許される」という。(ヨハネ10:38/ルカ12:10)
すなわち、自らを捨て置いても「父」の名誉を高め、その意志を遂行する熱意を感じないわけにはゆかない。

そこには創造者と創造物という究極の父子の絆が見える。
子は父を愛して、その父性と神性を熱烈に擁護してやまないのである。

イエスは自らの「父」について事ある毎に言及したうえで「子は自分からは何事も行うことはできず、父のなさることを見て行う以外にない。父のなさることすべてを、子もその通りに行うのである。」という。(ヨハネ5:19)

これは父から委ねられたという裁きについても同様である。
「わたしは、自分から(独自に)は何事もすることができない。ただ聞いた通りに裁くのである。そして、わたしの裁きは正しい(公正である)。わたし自身の考え(意向)でするのではなく、わたしを遣わした方のみ旨を求め(探し出し)ているからである。」(ヨハネ5:30)

このように父を高めるイエスの意志は非常に強固である。
他方、今日では大半の人間が神を擁護せず「父」ともしない理由は至って簡単であって「子」ではないからである。アダムの時以来、自ら人間は神の「子」ではなくなり、神も認知していない。(ヨハネ1:12)

しかし、イエスはまさしく「子」であり人間となったゆえに自ら「人の子」を称した。
この長子は「父」の神性を立証してすべての上に高め、神から離れた人間たちを再び神の「子」に復帰させようとする強い意志を持っている。そうでなければ、罪の贖いの犠牲の死を自ら遂げたりするだろうか。(フィリピ2:10-11)

すなわち、神と人の両者に対しての仲介者であり、双方への深く熱烈な無私の愛情に満ちている。(テモテ第二2:5)
我々はこのような人物を他に知ることがあるだろうか?
そしてイエスは明言する「父はわたしより偉大である」と。(ヨハネ14:28)

しかし、こうしたイエスの廉直な熱意は、近視眼的で事の全体を見通せない「敬虔な」ユダヤ人にとっては大きなつまずきとなってゆく。
その理由とは、父への熱意に燃えるイエスの意向とは正反対の「神を父と呼んで、自分と神を同等にした」というものである。それはこの人物の望む筈もないことではないか。(ヨハネ5:18)

それはイエスの審判での罪状ともなった。
時の大祭司カヤファはイエスを詰問して言った「お前は神の子キリストか?」
そして、イエスはここで敵意を抱くユダヤ人に対して初めて明言する「然り!」と。

それは本来恐るべき一言であるにも関わらず、カヤファはこれ見よがしに上衣を裂いて「これは冒涜だ!」と叫んだ。「諸君は今、その冒涜の言葉を聞いたのだ!このうえ証人の必要もない!」とたたみ掛ける語勢には何かをかき消そうとするかの響きがないだろうか。(マタイ26:63-65)

こうしてイエスは神YHWHの「子」であると認めたために断罪されたのだが、イエスがホクマという別名を有する神の初子であることはまさしく覆しようのない真実である。その事はイエスの行う業そのものが充分に証していたのだが、ユダヤの宗教領袖たちはそこに奇跡の歓びを見出さず、却って「悪魔の仕業」と言って蔑みさえした。

その一方で、民から尊敬されるこれら宗教家らが、総督ピラトゥスに対して訴え易くするために税金の件を本来の罪状とすり変えることまでやってのけたが、これは手段を選ばぬ卑怯な不正の上塗りである。

使徒ヨハネは後にこう語る。
『神を信じない者は神を偽り者としている。神が御子について証しせられたその証拠を信じないからだ』。(ヨハネ第一5:10)

加えて、宗教家らがあらゆる努力を尽くして守ろうとしていたモーセの律法には、このようにも書かれていたのであった。
『わたしは彼らの同胞の中からあなた(モーセ)のような預言者を立て、その口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じるあらゆることを彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、これに聞き従わない者がいるなら、わたしはその者に言い開きを求めることになる』。(申命記18:18-19)

さらに旧約聖書での最後の預言者マラキに至っては、ユダヤに到来するメシアが彼らの幸いにはならない警告を次のように告げていた。
『彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れる時に誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ』。(マラキ4:2)

まさしく、ユダヤの宗教体制はその懐いていた邪悪を表してナザレ人イエスの現れから身に裁きを受け、メシアを『つまずきの石』としてしまったのであった。(ローマ9:32)



さて、ローマ総督という当然に「ホクマ」を知らないユダヤ教の外の異邦人である第三者の視座からナザレのイエスを審査すると、ピラトゥスには、この奇跡を行う人への嫉妬に狂ったユダヤの宗教領袖らの主張とは異なるものが観えていた。

それは、何度も釈放しようと繰り返し努めたピラトゥスの姿に現れている。
だが、それはユダヤの宗教家らに属する群衆によって釈放の意図は毎回尽く退けられてゆく。この群衆は確かにこう言った『この輩の血の罪は、我々と子らに降り掛かっても良いのだ!』。その後この言葉はその通りになってゆく。

ピラトゥスは、祭りのときに決まって恩赦を与えることを思いつき、イエスをそうしようとしたが、これは却って凶悪な強盗を解放することになってしまう。
次いで、イエスがガリラヤの出と知って、そこを治めるヘロデ・アンティパス王の許に護送させたが、罪に裁かれるでもなく送り返されたのであった。


やがてピラトゥスも、ますますイエスの罪状がはっきりせず、自分が何やらとてつもない審判に首を突っ込んだことに気付いてゆくのだが、その潮流の大きな渦の中心へと次第に巻き込まれ、抗うことはできなくなってゆく。

総督の妻はわざわざ彼に使いをよこしてまで、夢見が悪いので「その義人に関わらないでください」と言ってきた。

古代人にあった神への迷信的畏怖も働いていたとはいえ、ローマ人ピラトゥスは神というものへの畏敬において、この時ユダヤの宗教領袖らに勝るものがあったというべきであろう。
「この男は死に処されるべきなのだ、自分を神の子だと言ったのだから。」
というユダヤ人の発言を耳にしたときのピラトゥスの動揺する心境は、もはや質問の意味も成さないイエスへの一言に表れていよう。

「お前はいったいどこから来ているのだ!」








          新十四日派    林 義平

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*1『大能の神』(エル・ギッボール):『全能の神』(エル・シャダイ)と区別されるが、イエスも従属的ながら「神」である
*2ヨハネもイエスについて、冠詞を付けない「神」と書いてイザヤ書と一致する扱いをしている

この事件をローマの元老院議員にして歴史家のタキトゥスはその「年代記」でこう記している。
『その名称の起こりとなったクリストゥスは、ティベリウスの治世中に我々の行政長官の一人、ポンティウス・ピラトゥスの手で、極刑に処せられた』

その後ユダヤ人が編纂した「タルムード」はナザレのイエスについて述べ「ガリラヤの私生児で魔術を行い民を惑わした」という。



 以上は、
「神YHWHの経綸」上巻からのダイジェスト


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