2012年4月5日の日、その日没後はユダヤ陰暦のニサン月14日に入り、キリストが磔刑で死を迎える直前の最後の晩に相当する夜となった。

キリストの命じたところに従い、その死を記念し、かつ宣らるべきところの、無酵母パンとぶどう酒を用いた儀式がこの晩に行われた。

それは、多くの教派で「復活祭」(イースター)とされ、日曜日に行われている行事に当たるが、これに対して最後の使徒ヨハネを擁した小アジアでは、西暦第二世紀までユダヤ人の「無酵母パンの祭り」の始まる前日であるニサン月14日の夜にキリストの最後の晩餐を記念するこの儀式「主の晩餐」(パスカとも)を行っていたことが知られている。 ⇒ パスカ日付について

そのため、小アジア地方のキリスト教徒は「十四日派」と呼ばれていたが、その名称そのものが、既に別の地方にあっては、パスカがその日に行われなくなっていたことを知らせるものとなっている。
それでも、「十四日派」は初代キリスト教の完成者と目される最後の使徒ヨハネの伝統を残すものであったといえる。

第二世紀の日々が彼方に過ぎ去った第四世紀以降ともなると、以前から犬猿の仲であったユダヤ教徒とキリスト教徒の不和はローマ帝国国教化で動かし難いものとなってしまい、今日広く見られる「復活祭」を行わせようとする国教側の圧力によって、小アジアの「十四日派」は周囲のキリスト教派からユダヤ的であると批難され追いやられ、ついには姿を消してゆく。


使徒ヨハネについて云えば、イエスの最後の晩餐において、まさに主のふところで過しており、十二使徒の中ではおそらく最年少であるとこからか、イエスから特に「愛された弟子」であったと自分について書いている。

彼にとってイエスこそ、その肌で感じるほど御傍で仕えた主であり、第二世紀に入ろうかという老齢に至ってなお、65年以上前のキリストと過したニサン14日の晩を心に深く刻んでいたことは、その名を冠する福音書が五つの章にも渉ってその時のイエスの言葉を収録している事が示していよう。

かつて、彼は主の帰天後の日々、使徒ペテロや主の弟ヤコヴと共にエルサレムの「柱と思える」主要な立場にあって、ユダヤ人への宣教と世話に従事していたであろう。

しかし、ユダヤ体制の処罰の滅びが降るに以前に、おそらくはデカポリス方面に移住して難を逃れ、磔刑の場で主イエスから依託された主の母マリアの扶養をしつつ、後に小アジアの主要都市エフェソスに腰を落ち着けたと伝えられている。

使徒ヨハネはこの地方のキリスト教徒を指導しつつ、黙示録や福音書などを記して新約聖書を封じることになった。
それは黙示録で「七つのエクレシア」として象徴もされた、往時の小アジアの人々によって「純粋な時代」と呼ばれた初代キリスト教の完成期といってよいであろう。そのときに主は依然、聖霊を介して彼らに監臨を続けていたであろう。  ⇒ 「純粋な時代」 ⇒ 小アジアのキリスト教


その使徒ヨハネの弟子たちが築いた小アジアのキリスト教の特徴のひとつに、ユダヤ人が「パン酵母を除く日」すなわちニサン14日に「主の晩餐」を挙行する伝統があったのである。


そして近代以降、「純粋な時代」の伝統に沿うかのように「主の記念式」と銘打って、ニサン月14日の晩(またはその前後)にパスカを行おうとする宗派も現れてきているのは喜ばしい事と言ってよいだろう。

この状況で筆者も、使徒ヨハネの伝統に密接に従うことを目指し、「十四日派」の再興を期して「主の晩餐」を挙行した。これは原点回帰を目指す意義を持つだろう。

パン種を入れないパンを食すことは、それに与る「聖徒」らが、罪なく汚れないキリストの体を共にして義と永生を得ることを、赤ぶどう酒の杯を共にすることは、アブラハムの遺産を相続するキリストの血(血統)に彼ら「聖徒」が共に連なって「神のイスラエル」を構成し、且つその遺産たる諸国民の光、「神の王国」を受領すべき「新しい契約」に参与し、またキリストの犠牲を以って契約が発効することを象徴するものとなる。(Joh6:58/Rom8:1/Eph2:13)

これらの意義は、人類最大の問題点の解決を意味するだけでなく、神の神たることの立証に関わる事柄である。(ヨハネ13:31)  ⇒ キリスト教の究極の目的

これらの表象のエレメントを前にして、できることなら有志が集まって、ヨハネ福音書の13章から17章を朗読なさるのが良いと思われる。
その箇所を通して、天に戻るイエスが地上に残す弟子たちへ深い愛のうちに与えた訓戒と、励ましの優れた言葉とを、その晩への様々な観想を伴って、またキリスト帰天後の聖霊の役割の重さも含めて深く再認識できるものと思う。


筆者は、今年は東京都内(神田)で場所を借りてこれを行った。
予想外の反響を呼んだことにいくらか驚かされた。


 ⇒ 2013年「主の晩餐」 小アジアの使徒伝統                                


                 新十四日派   林 義平
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以下のリンク先では、この儀式に関してより丁寧に説明しておいた。
 ⇒ 「主の晩餐とは何か」


 
   「主の晩餐」とは何か

   ポリュカルポスとアニケトゥス

   ディダケーの描く「主の晩餐」

   主の晩餐で忘れられてきた二つの意義

   血の禁令を超える『主の晩餐』







主の記念式2012年