それはキリストの「最後の晩餐」としても知られる。
だが、単なる食事を意味しているのではない。

「主の晩餐」は記念の儀式であっても祝いや慶事ではない。
その主要な意義は「キリストの死を宣布」することにあると使徒パウロは言う。
(コリント第一11:26)

しかし、これがどのような事を将来に惹起させるのかについては未だ謎がある。
というのも、この儀礼は『新しい契約』に関わるものであり、聖霊注がれた格別な弟子らが、キリストの体を象徴する無酵母パンと、血を表す赤葡萄酒に与り、その『兄弟』となって共に『アブラハムの遺産』、即ち『神の王国』を継承する『キリストと共なる相続人となる』ことを意味しているからである。
しかも、最初の食事儀礼を共にした十二使徒らは、殊に格別の立場に在り、天界での二回目の聖餐をキリストと共にすることも示唆されているのである。

その夜、最後にエルサレムに上ったキリストは、自らの死が近づいたことを知り、弟子たち、それも十二人の使徒たちとの別れに際し、きわめて意義深い最後のひと時を過ごしたのである。(ルカ22:15)

春先のその晩は満月が出ていたであろう。
というのは、その夜がユダヤ教の律法で「過ぎ越し」(ペサハ)と呼ばれる祭りの日に入ったからである。(出エジプト13:3-)



-◆主の晩餐の原形である過越し

その日から遡ること千二百年以上も前のこと、イスラエル民族はエジプトでの奴隷状態からモーセの指導の下に、自分たちの父祖アブラハム、イサク、ヤコブの神によって受け戻され、「約束の地」を目指してエジプトを発つ。

エジプトを出発する晩は、ことに記念すべき夜となった。
イスラエルの神YHWHは、預言者モーセを通してエジプトを治める「神」ファラオに自分の民を連れ出すように勧告し十度に及んでいた。

神YHWHによってその頑なさが助長されていたファラオが否む間、エジプトには九度も次々に災いが降り掛かり、その都度神YHWHの力が示され、それによってエジプト人にもイスラエルにもYHWHがどのような神であるかが次第にはっきりと知らされていった。実際に事を成し遂げる力を持つ「生ける神」としてである。(出埃9:16)

そして満月の晩。イスラエルはYHWHからその夜がエジプトにおける最後の時となることを知らされる。(出埃12章)
イスラエルはそれぞれの家庭で、旅仕度のままエジプトでの最後の食事をする。だが、その食事は特別な儀礼を伴うものであった。

まず、一歳のオスの子羊(あるいはヤギ)を夕刻に屠り、その血を家の入り口の戸柱と鴨居につける。
そうして赤く染まった戸口の中にいるなら、その家族の長男、家畜の長子は死ぬことはない。
しかし、そうしていない家には十度目の災いが臨み、すべての長男の命が奪われるのである。


屠った羊は家庭に集うすべての者によって食され、残していけない。肉や内臓が残るようなら火にくべて燃やし尽くさねばならないが、骨だけは折ることもしてはならない。その焼肉に酵母を入れない急ごしらえのパン(マッツォート)に苦菜(メロリーム)を添えて食する。

この夜、ついに皇太子を失ったファラオから出国許可が下り、夜が明けると全イスラエルとそれに加えてYHWHに信仰をもったエジプト人がナイルデルタ地帯のゴシェンから出発を始めた。

陰暦は日没から始まるが、その特別な食事の晩から始まる日はアビブ(「緑穂」)*の月の十四日であったことが記されている。(レヴィ23:4)*(捕囚後にカルデアの「ニサン」に呼称が変更された)


この奴隷状態から出る民の大行進は、ギゼーのピラミッドに近い「ノフ」から始まったとの伝承を歴史家ヨセフスが伝えている。三大ピラミッドは建造されて既に千年ほどが経過していたであろう。エジプトを発つ人々の目にその三角の陰が印象的に映ったのかも知れない。行進は翌15日にラメセスを発ち、以降二度とピラミッドを見ることはなかったであろう。(民数記33:3)


それから二カ月して、イスラエルはシナイ山麓に集結し、ここでモーセを仲介者に神YHWHと律法契約を取り結ぶ。
その律法の中で、出エジプトの月を一年の始まりとし、その十四日に過ぎ越しの食事儀礼を行い、これを世々記念するように神は定められた。(出埃12:24)
これは、後にセデルと呼ばれる定式の食事となりパレスチナ定住後はぶどう酒も含まれるようになり、時代が下るとより儀式化されていった。



-◆セデルから主の晩餐へ------

それから千五百余という永い歳月が経過し、その満月の夜、ニサンの月の十四日に入ったキリストは、地上における最後の夜、古来の律法の規定に則り十二人とセデルの会食を共にしていたのである。

しかし、この最後のセデルの食事を機会に、イエスは新たな儀式を始める。
まず、感謝の祈りを捧げて一枚の薄い無酵母パン「マッツァ」を割り裂くとそれぞれ使徒たちに与え、それは「自分の体である」と食べさせる。

次いで、ひとつの杯のぶどう酒をやはり祈ってから同じように十二人*に回し、自分の血による「新しい契約」を表していると飲ませた。*(「イスカリオテのユダ、その価値観の変化」)

イエスは、これらによってセデルを改め、「自らの記念(アナムネーシス)」として世々行ってゆくように、そしてご自分はぶどうの産物を天で弟子らと共にするまでは口にしないと述べられた*。そしてこれは、後代「主の晩餐」(キュリアコン・デイプノン)と呼ばれるようになったのである。(コリント第一11:26)*(ナジル人の誓約を思わせる⇒「忘れられた二つの意義」)


こうして、十二使徒は象徴的ながら「イエスの肉を食し、その血を飲んだ」のであり、それは彼らが「新しい契約」によってイエスと結ばれ、人類全体に先立って「神の子」となり、仮の贖罪による義と永生を得たことを表すであろう。(ヨハネ6:54/ローマ8:1)

パウロによれば、主イエスはこの最後の晩餐で、使徒たちに自分の「死」を記念せよ、と命じたのであって、けっして復活や誕生を祝うように言ってはいない。

神においては「イエスの死」こそ際立って輝かしい栄光を放つ一事であり、「復活」が如何に奇蹟であっても、崇高さにおいてその「死」にはとても及ばない。(ヘブライ2:14)



-◆主の晩餐を巡る時のせめぎ合い

さて、ユダ・イスカリオテを通して、イエスを処刑する算段はこの間も進行している。すでにイエスは銀三十枚という大したものでない報酬で、イエスに好意を持つ群集の邪魔の入らない場所で祭司長派に引き渡されることになっていた。

しかし、イエスは使徒らと最後の晩餐をニサン14日に行うことを数年心待ちにしていたのである。
そのためユダが予定より早く行動を起こし、この大切な晩餐に捕縛隊を乱入させないため、セデルの行われる場所が直前までユダには分からぬよう、慎重に彼以外のふたりの弟子に「水甕を運ぶ男」を探させる。(マルコ14:14-)

しかし、それが晩餐が終わる頃になると、一転して「あなたのしようとしていることを早く果たせ」とイエスはユダを促すのであった。こうして神の子羊は定められた時を進んで行く。(ヨハネ13:7)


他方、永いイスラエル=ユダヤの歴史が経巡る間に、セデルをいつ行うかについて混乱をきたしていた。ユダヤ人の間でも内地では14日、外地居留民は15日に分かれた時期もあり、ユダヤの暦も統一が乱されてさえいたのであり、イエスの当時のユダヤ体制派については、現代のユダヤ人に同じく、「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」を一緒くたに「過越しの祭り」と称して、セデルをニサン15日に入った夜に行っていたのであろう。(今日のユダヤ教はヒレル・パリサイ派を基礎にしている)

このようなユダヤの混乱は、キリスト・イエスが出エジプトの子羊と同じ「世々記念すべき日」に屠られることを神によって諮られたように見える。この日付の一日の差によって、ユダヤの祭司長派は『神の子羊』をニサン14日に屠る者と相成り、出エジプトの時に違わずにキリストは自らの『定めの時』を粛々と進まれたと観ることができる。 ⇒ 「過ぎ越しの日付にみられるユダヤの混乱

もし、子羊イエスを屠る側の祭司長派が、イエスに同じくニサン14日の晩にセデルを記念していれば、その晩から祭りに入ってしまっており、イエスを裁判にかけたり処刑を実行させたりすることはユダヤの儀礼上まったく不可能となっていたであろう。

それに加えて祭司長派はこうも言い合っていたことが記録されている。
『祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない。』(ルカ14:2)
やはり、今日でもパリサイ派であるユダヤ教徒は、二千年前に同じくニサン15日に過越しの食事をとって祭りを始めるので、イエスが捕縛されたのニサン15日ではなくその前の晩ということは動かし難い。

そうであれば、やはりヨハネ福音書がイエスの刑死の日を、祭りの第一日の安息日前の『準備の日』としているように、祭司長派の一日の認識のズレが「世々記念すべき日」におけるキリストの死を可能にしたのである。(出埃12:1-14)
このように、人間の知恵の不完全さを以って、神が目的の達成に用いられることは聖書中に度々見られることである。

エレメントに無酵母パンが含まれ、また、キリストの犠牲がユダヤ人の祭りと深く関わって捧げられた以上、その日付けは、ユダヤ人が「ニサン14日」と呼んでいる日に行われるべきものであることに変わりはない。



-◆王なる祭司となる人々

そしてイエスは、そのニサン14日に入った夜に幾らかの時間を取り分けて弟子たちと過ごし、パンによって彼らが自らと同じ霊の体となり永生を得ること、ぶどう酒によって「新しい契約」の当事者となり「アブラハムの遺産」(神の王国)を受け継ぐことを象徴的に示した。

しかも、この儀礼が繰り返される度に、それを行う者らは「主の死をふれ告げる」ことになるという。
つまり、イエスは「神の子羊」として肉も血も捧げられなければならなかったのであり、主の死があってこそ神の意志は前進したのであり、これは出エジプトのセデルの食事以上に記念に値する。これが主の晩餐の意義である。

つまり、十二使徒を初めとしてふたつのエレメントに与る人々は、キリストと共に霊の体を持って天から全人類を治める王、全人類の贖罪を為す祭司となるべく特に「選ばれた」また「召された」者たちとなる。 (ローマ8:30)


出エジプトの「子羊の血」が、その家の初子を救ったが、それら救われた全イスラエルの初子たちの総数の命を代価にして、神はイスラエルの十三の支族の中からレヴィ族だけをそっくり買取り、自らに仕えさせる祭司の種族としたのであった。(民数3:40-)
同様に、新しい契約での「初子たち」とは、律法制度のイスラエルを超えて、全人類の祭司となるべく神に買い取られる人々である。⇒ 「聖霊と聖徒

「神の子羊」イエスの血は、まず「全人類の初子」と看做される人々に犠牲を仮適用させ(義と永世を備えさせて)初めに救った。

それゆえ「新しい契約」に入る彼らは、人類に対して「初子」また「初穂」とされるので、パウロは自分たち初代のキリスト教徒を指して「我々、霊の初穂である者」と呼んでいる。(ヘブル12:23/ローマ8:23)


出エジプトの子羊の血で祭司らが神に買取られたように、キリストの血はイスラエルの祭司職に勝る、全人類の祭司職に「初穂」たる人々を買取るのである。(ペテロ第一2:4-5)


この新しい祭司職については、キリストが天に去って十日目のシャヴオートの祭り(五旬節)に約百二十人の弟子に聖霊が降ったが、それが神の買取りのはじめであった。

こうして新しい祭司となるこの人々に対してキリストの血の犠牲が承認され、「律法契約」に代わる「新しい契約」が効力を発揮し始めたことが五旬節以来明らかになったのである。(使徒2章/ヨエル2:28-)

百二十人のうち使徒だけが「主の晩餐」に与っていたのだが、新しい契約へ買取られる者は、この日から聖霊の賜物を持つ人々の増加と共に広げられてゆくことになる。



-◆選ばれた一部の者のための主の晩餐

後にパウロは、この聖霊の賜物は「相続財産(≒新契約)への事前の保証(手形)である」と述べている。(エフェソス1:13-14/コリント第二1:22.5:5/ペテロ第一1:4/コロサイ1:12)

このように「主の晩餐」はユダヤ教のセデルの食事とは一線を画するべきものであった。

しかし、キリスト教徒において、この点が曖昧な事例のあったことをパウロの記述が知らせている。
それはコリントス市のエクレシア(集会)であり、ある人々(ユダヤ主義的な)は既に「晩餐」(セデルであろう)を済ませてから「主の死の記念」に与ろうと満腹で酔った状態であり、別の(非ユダヤ的な)者たちは敢えて何も「食事」をして来ず、まったくの空腹で集まるのであった*。(コリント第一11:20-)
*(コリントスのエクレシアではアレクサンドレイアからエフェソス経由で来たイエスを知らなかったユダヤ人アポロスの影響とパウロスの教えとが拮抗していた様子があり〈1Cor1:11/3:4-7〉、このことがユダヤと異邦人の派閥となってしまった蓋然性がある)

パウロは、これでは彼らの分裂的集まりは悪い結果になるだけであり、そのような「裁きのために集まる」ようなことしてはならないと書いている。(同11:17/11:34)
これについてパウロは、教派の対立を止め、皆が家で適度な食事をした上で「主の晩餐」を行うように指導した。場合によっては互いに待ち設けて和やかに事前の食事をするようにも奨めている。(同11:33-34)
そのようにして派閥的な両極端を避けるべきことを教えていたのである

また、その同じ章でパウロは、主の晩餐の表象物(エレメント)に与るか否かは自分の「体」をよく吟味しなければ「裁き」を食し且つ飲むことになるだろう、と警告している。(コリント第一11:27-32)

これは、過ぎ越しの食事にもセデルにも無割礼の異邦人の与ることが許されなかったことが敷衍されているように思われる。(出埃19:43/レヴィ22:10)

彼は「霊をもたない者はキリストに与る*ものでない」とも書いており、この点は注意を要する。(ローマ8:9)*(字義「彼に属す」)

つまり、聖霊の奇跡である「聖霊の賜物」を有しない「信徒」は「聖徒」ではなく、キリストと体を共にせず、新しい契約の当事者でもない

使徒パウロは、当時のコリントスのエクレシアの人々がその無分別の危険を犯しており、この点で「病みがち」であり相当数は更に進んで「眠りについて」(死を含意)しまっているほど(無感覚)であると指弾している。(コリント第一11:29-30)

したがって、西暦第二世紀半ばに聖霊の降下が終わって久しい今日、この晩餐を食する資格を持つ人は誰もいないであろう。
「主の晩餐」でエレメントの無酵母パンとぶどう酒に与る人々は聖霊の印を持っており、それは自他共に明瞭に認めうるものであった。(コリント第一12:7)


-◆十二使徒の先立ちを教える主の晩餐

さて、新しい契約で「契約に与る者」の中でも、キリストの十二使徒については更に別格である。
当時の時間の経過を考慮すると、十二使徒以外には聖霊の灌がれる以前に「主の晩餐」に与った者はないことになる。(ユダ・イスカリオテは落伍し、後に別の人物により補充された)
彼らだけは聖霊の証印を押される以前に、早くも「主の晩餐」に与るという稀なる立場にあったが、なぜだろう?

つまり、彼らはイエスに従い続け、親密で信頼の置ける者らであると既にイエスに認められていた。(ヨハネ15:16.27)そこでイエスは彼らと「王国の契約」*を特別に結び、それを通してイエスと十二人の関係は天でも格別なものにされたのである。(ルカ22:28*本文中「契約を結ぶ」との意で適切であろう

それはイエスの「あなたがたは天で十二の座に就き、イスラエルの十二部族を裁く」という言葉に表されているように読める。(マタイ19:28)

したがって、この(より早い復活を遂げる)十二の座から、残りの「新しい契約」に加入する者たちが吟味され最終的に立場を承認されるというように捉えることはけっして不自然ではないだろう。そうであれば、主に寄り添って来た十二使徒の「義」は、一人を除いてその後の聖霊注がれた他の聖徒に優って確定的だったことになろう。後にその一人の座は別の者の占めるものとなっている。(フィリピ3:11/黙示録21:14)(これは極めて稀なる高い権威ということができる)



-◆今日と将来の意義-----

ともあれ、ニサン14日の「主の晩餐」においてエレメントに与る理由があるとすれば、それは自分が「新しい契約」に与っているという誰にも明らかな証拠を伴っているべきであろう。彼らは天に召される者である。(ヘブル3:1)その証拠がないなら晩餐に与るものにはならぬ方がよほど良い。
パウロは『「裁き」を飲みまた食さないためである』と言っている。


つまり、聖霊の賜物の有無がそれを分けるのであって、イエスと一体になるという稀なる立場を弁えず、単に「天国に行きたい」であるとか、権威を身につけるための政治的方便であってもならないし、神の定めた救いの段階や、自分の身の程をわきまえぬ高慢や甘えが誘因であるとすれば、何を言うべきであろうか。(ヘブル5:4)

しかし、誰も食事に与らないからと言って「主の晩餐」を行わない理由も見出せない。
挙行することによって我々は「初穂」となる人々を忠節に待ち望むからである。
それはパウロが『創造物は切なる期待を抱いて神の子らが表し示されるのを待ち焦がれている』と書いたようにである。(ローマ8:19)


今日、参加者が誰も食べたり飲んだりしないとしても、「主の晩餐」の儀式のみをニサン14日に入ったとされる夜に挙行することによって、我々はその聖霊を持つ「聖徒」の到来に無関心でないばかりか、聖霊の再降下と彼らの現れを心底願っていることを神の前に示すという意義がある。
まさしく『求め続け、探し続けるなら』『父は聖霊を与えられる』と主は言われているのである。(ルカ11:9-13)

しかし、いつの日にか、真に聖霊を持つ人々が現れてエレメントに与るときに、それを喜べる一人となるなら真に幸いなことと思う。そこに人間によらない真の正義が到来することになり、我々は神の正義に信仰を示してそれを支持できるからである。(マタイ25:40/ゼカリヤ8:23)

今日、人類は誰が正義を持っているかを巡って政治や宗教の分野で争っているが、将来、聖霊を通し「神の正義」が現われることで、むなしい論争はひとつの論点に収束され、神か人の選択となるだろう。

そのときに主の晩餐がどのような働きをするのかは分からない。だが、古代エジプトでのペサハとキリストの最後の晩餐とのふたつを結ぶこの食事儀礼が徒ならぬものとなることは予感できる。
このふたつは共に民に隷属*からの開放をもたらす転換点であったし、祭司となる長子を贖っている。
*(エジプトの苦役と律法[罪]の頚木)

おそらく、将来においても「この世」への隷属の「虚無」からの民の開放へとつながるものとなるだろう。(創世記12:3/ローマ8:19)

キリストの流した罪のない血の中の魂は、まず聖なる者たち、それから人類全体の罪を贖い、神と人を結ぶ絆となって永遠に至る。それを理解する人々にとってニサン月14日は、今後もこの神の悠久の企図に深く思い致すべき、取り分けられ浄められた夜となろう。



                 新十四日派   © 林 義平


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その後の歴史
使徒ヨハネの晩年、小アジアにおいて年に一度、ニサン14日の晩餐は守られていたが*、周囲(特にシリア)はこれに異議を唱えた。それは反ユダヤ感情からくる非難であったが、ローマ教皇ウィクトルの時には小アジアの全体が排斥されるところまで進んだ。これはエイレナイオスの仲裁を得て和睦したが、後年のローマ国教化の後に姿を消してしまった。
(使徒ヨハネに従う小アジアのこれらの人々は十四日派「クアルトデキマーニ」と称された) ⇒ ウィクトルとポリュカルポス

今日、復活祭やイースターの聖餐の名で主日とされた日曜日に移動されたが、これは本来のものではない。
また、普遍教会において、ミサの秘蹟として平素パンのみの「聖体拝領」となったが、こちらも万人聖徒の謬見による不都合からのものである。 ⇒ コンスタンティヌスの裁定

日付の根拠
小アジアのポリュクラテスは、人々(ユダヤ人)が酵母を除くときを我々は守ってきた、と述べており、それはユダヤ人が「ハグ・ハマッツォート」(除酵祭)に入るニサン月の14日ブディーカト・ハメツの焼却を表していたと思われる。 ⇒ ポリュクラテスの反論


マッツォの作り方 -----
無酵母パンは全粒粉の小麦を用い、水を少しずつ含ませて捏ねてから数ミリの厚さに延ばすが、薄い方が焼きやすい。それから僅かのオリーヴ油をひいた鉄板で焦げない程度に焼く。ピザ生地のような小さい孔をあちこちに付ければ気泡で脹らむのを避けることもできる。⇒画像付き(エイレナイオスのブログ)

ぶどう酒はできるだけ混ぜたものでないものがよいだろうが、防腐剤の無いものも市販されている。

だが、それを食したり飲んだりすることは勧めない。
キリストの死を観想し一定の時を過ごしたら、エレメントの働きは象徴的に終わるので、パンは処分し、ぶどう酒は地に注ぐのがよいと思われる。

試食、試飲なさりたくば、晩餐を挙行する動機の純粋性のために、別のものを別の時に試されるがよろしかろう。
無酵母パンの味は「苦悩のパン」と呼ばれただけあって、けっして美味ではない。


ポリュカルポスとアニケトゥス
ディダケーに描かれる主の晩餐 
主の晩餐で忘れられてきた二つの意義
血の禁令を超える「主の晩餐」
無酵母パンから生じるエクレシア
据えられた隅の親石の完全さ


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