quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

聖書理解

神は確かにエサウを憎む


難易度 前半☆☆☆☆ 
双子の兄弟エサウとヤコブはアブラハムの裔としての究極的な選びをもたらしたが、それはただ二人の対照的な価値観の違いに終わるものでない。「イスラエル」の名に相応しい真のアブラハムの裔がどのようにメシアの伴として同じ磔刑の木を荷い精錬されてゆくかを教える重い意義を未だに有している。その教訓は神の業に対する価値をどこまで認めるのかという普遍的な命題を含み、その精神は神の聖なる民だけのものに収まらない。






◆相続の競合

『エサウはヤコブの兄ではないか。しかしわたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ。』と神は宣いつつ旧約聖書最後の預言がマラキによって語られてゆく。それはユダヤ体制を裁くメシアの到来の預言書であったが、それはたとえアブラハム嫡流の民であったとしてもエサウの轍を踏まぬために警鐘を打ち鳴らす言葉であった。(マラキ1:2)
それにしても、この双子の兄弟に対し、このように愛と憎しみにまで言及されるのは、公正とされる神にしては随分と不適切で、普通の親でさえ子供らを贔屓しないよう気を付けるではないかとの反発を買うかもしれない。

確かにこの句はマラキの預言書の冒頭にあり、そこで神はエサウの民について『わたしは彼の山地を荒廃に帰し、その嗣業を荒野の山犬に与えた』とまでも言われる。(マラキ3:2-3)
そこまで神がエサウの子孫にしなければならない理由が何かあっただろうか。

間違いなくこの預言でエサウを祖とするエドムの民は滅亡を定められている。
もとよりエサウはアブラハムの孫であり、双子で生まれたヤコブの兄であったが、この双子は似てはいなかった。の母の胎内に居るときからこの双子は争っており、出産の時にもエサウが先に生まれ出るところをヤコブはその踵を掴んで出て来たというところからこの二人の争いの人生が始まっている。(創世記25:23)

後代、キリストの使徒パウロは以上の句を引用して、神の選びは肉の生まれによらないことを、そのローマ人への手紙の第九章で論じてはいるのだが、この双子が生まれる以前から神は『上の者が下の者に仕えるものとなる』と予告していたのであるから、肉の生まれ、即ち血統によって神の是認があるのではなく、神の選びによるものだと論じている。(ローマ9:10-15)

しかし、選ばれない兄として生まれたというだけでその民族に滅びが定められるというのは随分と苛酷な運命ではないか。
そのマラキの預言の背後には何か重大な理由がないものか。

エサウとヤコブのふたりが対照的であった事柄に、家督をどう見做していたかという事があるのは有名なところで、猟師となっていたエサウが有る日に疲れ果て空腹で帰宅すると、ヤコブは豆の煮ものを作っているところであったので、エサウはその煮物を自分に与えるよう弟に願うと、ヤコブは『長子の権をわたしに譲れ』と応じた。するとエサウは『長子の権なぞ何になる』と言い、アブラハム伝来の神からの約束を伴った権威を軽んじたのであった。ヤコブは兄に誓うように求め、それから自分の料理を差し出した。この一件は後々言い習わしになるほど知られたものであり、パウロは『一杯の食事のために長子の権利を売ったエサウのようにならぬように』とキリストの弟子たちに訓戒している。(ヘブライ12:16)

やはり似ていないところは結婚にまで及ぶ。エサウはヤコブより早くに妻を娶ったのだが、当時の遊牧民の習慣に従ってか二人の妻を娶った。だがその相手というのはヒッタイト人とヒビ人、つまりは近所に居たであろうカナン人であった。
アブラハムは息子イサクの嫁取りのために、わざわざ家令の頭を実家のあるハラン(クァラン)に遣わし、弟ナホルの孫娘を息子に嫁がせたのも、カナン人の宗教や価値観や風習を避けてのことであり、ましてカナンの地を与えると神が約束されたからには、いずれはカナン人との対立が避けられない道理もあった。ただ、当時のアブラハムとその家族には、力ある神の預言者として周囲からの尊敬が有って、それが本来よそ者であるこのセム系一家の保護となっていた。

そして実際にエサウがその地の娘らを妻にしてみると、それはその両親、特にリベカにとっては『生きていても良いことがない』と言わしめるほどの辛さの元となった。その原因にはカナン人の俗な価値観や偶像崇拝的な風習もあったことであろう。
双子の母たるリベカはアブラハムからの家督を継がせるにはヤコブが相応わしいとしていたことは間違いなく、それは後の相続の儀式で全く明らかになる。そこでカナンとの通婚を戒めたアブラハムの家訓はまさに正しかったのである。エサウは家督を軽んじるところがあるばかりか、カナン人とアブラハムの精神との違いに気付かないほど放漫で、後のパウロは、それを指して淫らで低俗な者と言うのであろう。加えて、相続が生まれに拠らず神の選びに拠ると述べ、血統のイスラエルがその道を踏み外したところで、信仰に拠るイスラエルの民の相続を教えている。(ヘブライ12:16)

とはいえ、エサウが一度の食事で家督を弟に譲り渡したつもりはないことが、後になって実際に父イサクからの家督譲渡の儀礼の際に明らかであって、母親のリベカとヤコブの仕組んだ偽りによってすっかり老いて視力のないイサクを騙し、その儀礼を兄に代わってヤコブが受けることに成功したのだが、これを烈火の如くに怒ったエサウはヤコブ殺害を決意する。やはり正当な相続人はエサウにあり、ヤコブはそれを奪う他それを得る方法がない。

危機を悟ったリベカは下の息子の安全のため、ハランの実家に逃れるように命じ、ヤコブもそれに従ってアブラハムが二度と戻らぬ覚悟を胸に渡った大河ユーフラテスの東を目指して慌ただしく逃避行に旅立った。それは父祖に神が約束されたカナンの地から追い出されるようであり、見たこともない新天地に親戚とはいえ住み込みの仕事が待っていた。

しかし、神は旅路のヤコブが一晩休むために石を枕に横になったところで幻を見せ、天使たちが階梯を上り下りする様を彼は見る。そして神は曰く『わたしはこの地を与える・・わたしは話したことを成し遂げるまであなたを離れない』と言われるのであった。(創世記28:13-15)
その言葉に違わず、ヤコブは実家の主人となっていた伯父ラバンの許にあって神の善意を受け、恵まれて過ごすことになり、その家のレアとラケルを妻に迎え多くの子らと多くの財産をも得る。

こうした経緯があって後、ヤコブはやがて約束の地に戻りエサウと再会することになるのだが、ヤコブの方はエサウを大いに恐れていた。だが、意外にもエサウはヤコブを許しており、ヤコブからの多くの贈り物も受け取ろうとせず、自分は既に多くを持っていると言っている。ふたりは首を抱き涙を流して泣いた。そこは家督を争ったとはいえ、やはり共に生まれ育った仲である。ふたりの離別に二十年の年月が過ぎていた。

だが、この再会の直前にもヤコブは再び神の祝福への強烈な願望を示すことがあった。
彼は天使がいることに気付き、誰かを祝福するために歩いていたのだが、そこで近くにいるエサウの方に行ってしまわないようにと、『まず、わたしを祝福するのでなければ行かせません』と言い出して、天使と格闘を始めてしまったというのである。
しかも、その格闘は夜明かしで数時間続き、遂に天使はヤコブの腰の関節を外して彼を動けなくしてこう言った。『あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったから』。(創世記32:28)
そうしてヤコブは片足を引きずりながらエサウに遭うのであった。

やはり、神が『ヤコブを愛した』ということがただの贔屓ではなかった。ヤコブはアブラハムの家系に在って双子として生まれ出たために、独り子であった父イサクとは異なり、家督継承に初めて競合が起り、そこで神のアブラハムへの約束をどう見做すかというところでその価値感が問われたのであり、そこに無頓着であった長男に遥かに勝る資質を次男が見せ、それは生涯変わらなかった。その願いは神をも圧倒するほどであったのでイスラエルとの別名は以後のアブラハム嫡流のあるべき姿を表すものと言える。

それでも、神が『エサウを憎んだ』というのは行き過ぎた差別のように感じられるとしても仕方のないことであろう。ましてこの句が語られた預言者マラキの時代のユダヤといえば、とてもイスラエルの名を受けるに値しないほどに乱れ俗化していたのである。
そこで、やはりエサウ子孫で成るエドム民族が根絶やしにされ、その住む土地までが荒廃に帰するというのは少々厳しすぎる印象は拭えない。出エジプトの時に、アマレクという一部の過激派によりイスラエルから落伍しかけていた末尾が冷酷に攻撃されたとはいえ、イスラエルはエドム人全体を身内扱いにして、その地をわざわざ苦労して大きく迂回しているのであるから、エドムの全体が殲滅されなければならないとはどういうことか。まして、エドムと言えばモアブやアンモンのようなロトの裔でもなく、同じアブラハムの子民ではないか。加えてエドムはヨブ記の主人公であるヨバブを排出している。あの世に並ぶ者なき道徳者のヨブである。

だが、旧約聖書の中を探ってゆくと、やはり憎しみに値するような記述に出くわす。
それもユダが捕囚の処罰を受けるに際してその原因を作っているのである。


◆オバデヤ預言の秘儀

エドムの咎を専らに語る預言書が一巻ネヴィイームの中に座を占めており、オバデヤがその名である。預言者オバデヤ自身についての情報はほぼ無いに等しく、ユダヤの伝承ではアハブ王の家臣で預言者らを匿っていたあのオバデヤだというのだが、預言の内容からするとエドムが件の悪行を為さない内から預言したにしてはその悪行が酷いだけでなく現実的描写を行った上での罪の糾弾であるので、実際にエドムの悪行が犯された後、即ち、ユダ王国滅亡後に書かれたとみるのが順当であり、サマリア王朝が健在な時期にこのオバデヤ書の成立を想定するには無理がある。
この旧約聖書中で最も短い書の存在意義は何かといえば、まさしくエドムの悪行の糾弾と神の処罰の宣告となっており、オバデヤを読めば「エドムの咎」が何かが明確に記されている。それは目撃者の言葉であり、明らかに事後のものに違いない。

曰く『あなたは自分の兄弟の日、すなわちその災いの日を眺めていてはならなかった。あなたはユダの人々の滅びの日にこれを喜んではならず、その悩みの日に誇ってはならなかった。
あなたはわが民の災いの日に、その門に入ってはならず、その災厄の日にその苦しみを眺めてはならなかった。またその災いの日に、その財宝に手をかけてはならなかった。
あなたは分れ道に立って、その逃れる者を切り捨ててはならなかった。あなたは彼らの苦悩の日にその残った者を敵に渡してはならなかった。』(オバデヤ12-14)

ここで責められるエドムの姿と言えば、イスラエルの災難の日にそれを喜び、門の内に入り込んで掠め取り、悲痛な想いで逃げて来る者を切り殺して持ち物を奪い、あるいはその敵に捕縛させ、恰も勝ち誇ったかのように兄弟の民を良いようにあしらっている。

バビロニアにユダが荒廃させられ、その以前にはアッシリアにイスラエルが滅ぼされていたところでエドムが何を喜んだかはエゼキエルがその預言書の数か所で糾弾している。特に第35章の全体はオバデヤのようにエドムへの糾弾で一つの章が満ちている。
曰く『お前は限りない敵意を懐いて、イスラエルの人々をその災いの時、終りの刑罰の時に剣の手に渡した。』『お前は言う、「これら二つの国民、二つの国はわたしのもの、我らはこれを獲よう」と』。(エゼキエル35:5.10)

歴史はエドムに関してやはりユダの滅亡に乗じてこの民族がセイルからネゲブに移動し、ユダ王国の領域の南の部分を得たことを示しているという。やはり、ヤコブの民の没落をエサウの子孫は喜び、そこに自分の利得の機会を見出していたのである。これは兄弟としてあるべき行いではなく、ヤコブを許したエサウであれば行わなかった卑劣ではないか。



◆「慰めの預言」の中でのエドム


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預言者ヨナは赦せるか


人の復讐心というものは根深くその人の内面に刻まれるものである。 特に肉親の命を奪われた場合の憤りは激しいもので、またその激しさは故人への愛情の裏返しであり、人の死が故意によるか過失によるかは憤る人にとってあまり意味を持たない。 しかし、殺意も不注意もなく人を殺めてしまった者であれば、故人への悪意無い想いは近親者と然程変わらない悼みを感じるかも知れず、その復讐を受けるのは過酷な荷を負うことである。それを慮って神は律法にある条項を設けている。

この規定によれば、平素からの怠慢的不注意でもなく、予期し得ない偶然の事故を起こして人の命を奪ってしまった場合に限り、イスラエルの国内に六ヶ所定められた祭司の城市に逃げ込んだなら、復讐心に燃える故人の近親者から匿わられ、その街から出ない限り『魂には魂』の原則からの例外が適用されるのであった。

この制度は「逃れの城市」と呼ばれ、その城市にその者が留まり続けて復讐を逃れ、以後は外に出られないにしても、もし大祭司の死が起こるなら、その隠れ住まいを終えることが出来た。たいてい大祭司に就任するのは老齢者であったから、その拘束が生きている内に解かれる可能性も低くはなかった。その時間経過によっては復讐心を冷ます効果があったかも知れない。
この定めを通し、本来『魂には魂』とあるように、実害が生じた事への報復があるべきながら、本人に避けられなかった行いについては情状酌量されるべきとの基本的な裁きの精神を神は表しており、それは創造物としての永生に値しない「アダムの罪人」であるすべての子孫の中から、その「罪」を悔いる者にキリストの贖いを適用させるという、神の大いなる意志を前表するものであったと言えよう。

確かに、その復讐を行おうとする近親者は「ゴーエール」と呼ばれたが、これは「買い戻し」(ガーアル)からの言葉であるが、これは後にキリストによる魂の買い戻しに関わるものでもあり、本来あらゆる人は大祭司キリストの死を待つべき死罪に在って、この世の中に囚われているかのようではある。

さて、人が誰かに怒り立ってそれが長く続いていると、その継続的な憎しみが怒った本人の内面にすっかり根を下ろして頑なな人格を形造ってしまうのは避けられない。
旧約聖書の預言書の中に在って、 預言書らしからぬ独特の一書があり、それはヨナ書と呼ばれている。
その書を特異なものとしているのは、それが預言される対象者ではなく、当の預言者に向かって本論が語られるというところにあり、そのため預言書の中にさえ分類されるべきかさえ判断しかねるほどである。

その著者はアミタイの子ヨナという以上の情報は書かれていない。
だが、後代の預言者エレミヤが編纂したと伝承される列王記には、アミタイの子ヨナなる預言者に関する記述が僅かに有り、それによると、この預言者はゼブルン族に属するガト・ヘフェルの出身で、そこはナザレから5kmも離れておらず、周囲には街々の点在する比較的に人口の多い高地の地域であった。(列王記第二14:23-27)

列王記の語る当時、十部族の北イスラエル王国が、北はシリアのハマトから、南は塩の海から紅海に臨むアラバに至るまでの領域を回復することになるとアミタイの子ヨナによって預言されていたとある。その言葉は、エフー王の王統の第四代ヤロベアムⅡ世によって成し遂げられるところとなった。
したがって預言者ヨナは、それ以前の人物であることになり、ヤロベアムⅡ世の没年が一般に前748年とされているので、遅くともその没年以前に預言していたことになる。
その預言がなされた時期については、おそらくヤロベアムⅡ世の治世中に入ってからの蓋然性が高いように思われるが、その時期にアッシリア王であったのは、105代シャルマネセルⅣ世(782-773)、106代アッシュール・ダンⅢ世 (772-755)、107代アッシュール・ニラリⅢ世 (754-745)が挙げられる。
あるいは、当時までニネヴェが大都市であるとはいえ首都ではなかったことからすると、ニネヴェの王とはその城市固有の市王を指していて、アッシリアの全体的行動の中でも特に罪が有ったのかもしれないが、ニムロデの創建になるこの城市がアッシリアの罪の象徴であったと見ることもできよう。預言者ミカはアッシリアを『ニムロデの地の入り口』と呼んでいる。(ミカ5:6)

ともあれ、ヨナ書には彼が預言したというイスラエル王国による失地回復の記述はなく、現状で伝えられている聖書中にその預言そのものを読むことはできない。
この事実は、このヨナ書の特異性をより強調するものとなっている。何となれば、この預言書としては、ただアッシリアへの預言が有ったというだけの意味が残り、この書の意義はむしろヨナ個人に焦点を合わせているからである。(列王記第二14:25)
その意味に於いて、このヨナ書は預言者ら(ネヴィイーム)に含むよりは、エステル記やルツ記のような諸書(ケツゥヴィーム)に含んでも良さそうな不思議な出来事を含む内容ではある。
あるいは、ヨナが預言書の中でも古い時代のもので、エリヤやエリシャに近いほどであるから、彼は預言書を著したイザヤ型の預言者ではなく、もとより文書を残さなかったが、彼の神とのやりとりが特異なものであるので、それを記念して文書にされたとも思われる。

他方、アッシリアについては、前800年頃には104代王アダド・ニラリⅢ世(806-783)の下に強勢で、シリアと「島々」と呼ぶ地中海沿海部の国々から朝貢を得ていたが、ヨナ自身がアッシリアについて何らかの遺恨を持った原因がこのあたりにあったのかも知れない。ともあれ、ヨナの預言時期については、やはり、この強勢を誇った王の後から107代アッシュール・ニラリⅢ (754-745)までが考えられよう。この当時のアッシリアの盛衰が繰り返されており、一時はアッシリアも国力を弱めた時期であれば、諸国に圧制を敷いた後果として王をはじめ一国民が報復の危機を感じたことも有り得ると思えるところではある。
他方でヨナが予告したというヤロベアムⅡ世の治世でのイスラエル王国は、シリアからアンモン、モアブと支配領域を広げ、王国としての最後の輝きを放っていた。

だが、ヨナの預言の糾弾を受けたのがその後の時期のティグラート・ピレセルⅢ世(744-727)の時代であったとは考えられない。もちろんこの世代ならヤロベアムⅡ世の没した後になるだけでなく、このアッシリア王はバビロニアを掌握して非常に強勢で、しかもシリアと北のイスラエル王国への対策に困ったユダ王が寄進を以って同盟を持ちかけ、シリアとイスラエルを挟み撃ちにすることを持ちかけたところ、アッシリアはこれを受諾してシリアを平定しダマスコスを手中に収め、イスラエルからもエズレエルやギレアドなどをもぎ取っているのだが、ヨナが糾弾したアッシリアは、このイザヤ書も語るこのユダのアハズ王によるアッシリアとの盟約のずっと以前がヨナの時代であったに違いない。もし、この事や、将来にアッシリアがまったくイスラエルのサマリアを滅ぼす事を知っていたなら、ヨナの憤りの火には油が注がれるような事になっていたであろう。

さて、ヨナ書の主要な論点を成す件の預言者ヨナ個人の抱えていた問題は、このようにアッシリア人への著しい嫌気であったが、当時までにアッシリアの軍隊は無慈悲で獰猛であり、反抗した諸国への制裁は人を杭に架けて皮を剥ぐなどの凄惨を極めていたという。
その狂暴性は第100代王のアッシュール・ナツィルパルから特に顕著になったとされ。フェニキア諸都市はアッシリア軍が近付くだけで怯えて降伏したという。当時の実情を目にした人であれば、その残虐性に血の通った人間の範囲を越えてしまったような「鬼畜の仕業」を感じ取り、強烈な恐怖と義憤を募らせたのであろう。ヨナもそのような一人であったのであれば、彼のアッシリア嫌いも無理はない。

このようなアッシリアの残虐傾向は聖書の中にも痕跡を残しており、主にニネヴェとアッシリアの滅亡の様を預言したナホム書の中では『 雄獅子は子獅子のために獲物を引き裂き、雌獅子のために絞め殺し、洞穴を獲物で、その住みかを引き裂いた肉で満たした』とアッシリアの蛮行をライオンの肉食に例えてもいる。(ナホム2:12)
それであるから、ナホムはニネヴェに向かっては『「この女は奪略された!だが、誰がそれに同情するものか」とすべて見る者らは言い、さて、わたしはどこに慰め手(ナホム)を見出すべきなのか』と預言し、アッシリアに向かって「お前の没落に手を叩いて喜ばない諸国民が果たして居るか」とまで言っている。

当然のその噂は諸国で聞かれており、イスラエルにも野蛮な民族として知られていたに違いない。預言者ヨナは、特にこの民を嫌う理由があったのだが、それは親しい誰かが犠牲になっていたのか、神YHWHの律法が教える異国人への慈愛ある配慮とは余りに対照的であるところに嫌悪を持っていたのか、その真意は聖書からは分からない。アッシリアの方には諸国の個人からの怨みを買うには十分過ぎるほどの前科が有ったので、おそらくヨナには身を切られるほどの経験があり、断じて許すことのできない想いが心の底に固まっていたようである。

そしてヨナがニネヴェに行って預言することを避けようとしたのには、この民族の野蛮な残虐性を嫌っていた可能性は小さくはなさそうで、或いは身近な者をその手に掛けられていたということも考えられるが、それならば、ヨナのニネヴェ人への強硬な敵意も無理はない。聖書はヨナの強烈なニネヴェへの悪感情の原因を語ってはいないので、このあたりの断言はできないのだが、ともあれ重要なことは、ヨナ書が預言者が懐く感情の方を主題としていることはまったく明らかな事であり、他にこのような預言書は聖書中に例がない。

ヨナが凶暴で知られるアッシリアのニネベに携える預言も、彼らの悔い改めを目的とするものであることはヨナも良く承知していた。
『わたしはあなたが恵み深い神、憐れみあり、怒ること遅く、慈しみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたから』『それでこそわたしは、急いでタルシュシュ*に逃がれようとしたのです』とさえ言うヨナは、ニネヴェが赦されてしまうことを危惧していたのであり、神の意志を知った上で預言することを拒んでいるのである。(ヨナ4:2)*スペイン

預言者といえば、その責任は非常に重く、また命の危険も冒さねばならず、聖書中に預言者として様々に命を落した例もある。そこで預言者には信仰や勇気が求められた。
だが、ヨナについては逆の仕方で命の危険を冒すことになっている。即ち、預言を拒否することに於いてであった。彼はニネヴェが悔いるようなことなら『どうぞ今すぐにわたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましなのです』との言葉に彼のニネヴェへの憎しみが一方ならぬものであることが示されている。(ヨナ4:3)

そこまでの強い憎しみ懐く預言者に対して、神はヨナを不適格であるからと解任せず滅ぼさず、却って異例な大嵐を起こしてはその進路を妨げ、更に異例にも大きな魚に預言者を飲み込ませてまでヨナに辛抱強く接し、ヨナ個人の正義感そのものを議論の俎上に上げるのであった。
そのため、もはやニネヴェの罪科が何であったかも語られず、ただ、王から庶民や奴隷また家畜に至るまで悔いて断食したという結果だけが語られているばかりである。(ヨナ3:5-9)

ここに於いてヨナ個人は既に大敗北を喫していたのだが、彼としてはニネヴェが悔い改めず、神の呪いのうちに滅びるところを是非とも見たかったのであろう。そのことは、彼が市外に出て街が滅び去るのを見ようとしている様に表れている。
既にヨナは預言者としての仕事は終えたのであり、そこに居なければならない義務があったとは書かれていないし、ニネヴェの全体が悔いを示したのであれば、それを喜んで市中に留まり、人々の悔いを見て愉しみ、また神の赦しを伝えて励みを与えることも行えたかもしれない。以前の罪を意識してこそニネヴェ市民はヨナが思いの中で決めつけていた人々ではなくなっていたのであり、警告を伝えに来てくれた預言者を丁重に扱ったことさえ有り得ないことではない。

しかし、彼は炎天の市外に仮小屋を設け、万に一つの滅びを待ちわびたというべきであろう。ここまでで明らかになった事は、彼にとってニネヴェが悔い改めることは苦々しい事態であり、自分の神もそれを赦すであろうことも予見され、神と罪人との狭間に在って、彼は双方の関係の好転を喜べず、なお神の怒りが自分の怒りと同様にこの街に臨むことを求めたのであった。

もはやヨナ書の目的は、この預言者の精神態度の一点に焦点が絞られている。彼の正義感は死んでも変わらぬほどに強硬であり、アミタイの子ヨナとは、ヘブライ語では「真理の子の鳩」を意味するが、ノアの放った鳩の如く、水の中の大魚から陸に生還させられて預言に赴く妥協はしたものの、やはり彼はその生まれに於いても「憐れみの子」でも「慰めの子」でも、オリーヴを咥えた平和の鳩でもなく、義なる「真理の子」であったのである。

そして神は事の本質を一言で提起していう。
『お前が怒り立ったことは正しいのか?』(ヨナ4:4)
ヨナは即座に答えたのであろうが、その返答は書かれず、神は一つの事象を以ってヨナを教える策を立てる。

一本のつる植物にヨナの仮小屋に蔦を伸ばすようにさせ、それは一夜のうちに日中の厳しい日差しから彼を守る日陰を与えたのであった。
ヨナがそれを大いに喜んだのは当然のことであったが、それから神は虫に命じて、その瓢箪の木を咬ませたので植物は枯れてしまい、翌日の日差しを遮ってくれる陰は奪われ、そこに神は東の砂漠からの熱風を送り込んだ。

厳しい状況に置かれたヨナはしきりに死にたいと言い始めるのだが、神の赦しに反対する不届き者とはいえ、「死にたい、死にたい」と大魚の腹から生還させられてもしきりに死を求める者を滅ぼしたところで何の意味もない。 そこで神はヨナの問題を指摘する。
『「お前は植物のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」』
ここに於いて神の説得の論理は完成された。

ヨナは一方でニネヴェが滅び去らないことを見ては『死にたい』と嘆き、一方でつる植物一本が失われては『死にたい』と嘆くこの預言者の大矛盾が指摘される。彼は大城市たるニネヴェの十二万と数多くの家畜らの滅びを願っていたにも関わらず、一本の草を失ったことも死ぬほど嘆いたからである。竹を割るように論議の勝負はついた。

もはや、彼の返答も書かれておらず、ヨナ書はここでぷっつりと終わる。
余りにも論議の結末は明白だからであり、それ以外の言葉は蛇足になるばかりであったから、ヨナ書はここできっぱりと終わるところで論議の明瞭さが強調されているとみるべきであろう。
だが、ひとつの問題は残されている。即ち、ヨナの感情であり、それが論理の想いと感じる心の分かれ目である。彼は照り付ける太陽と砂漠の熱波を味わい、一本の草のありがたみを身に染みて感じたに違いなく、そうであれば一層ニネヴェの重さを感覚で捉える助けは得たはずではあるのだが、それがどこまでヨナを動かしたろうか。
ヨナ書が預言書の一角を占めるからには、この特異な経験に価値を見出した者が記したのであろう。ただ、文章からすると本人が書いたのではないようで、ヨナの反応がどうであったかは読者には依然隠されている。それはやはり読む者が自分に問うべきことを暗示しているのかも知れない。

さて、人は他者を赦すということでは難しいところがあるものであり、それは必ずしも強く責められるべき悪と言えない側面があり、それが正義感というものであろう。命の重さ大切さは人の正義感によって支えられてもいるであろうから、それゆえ逃避城市の規定が律法に含まれ、神は、復讐者と悪意ない加害者との仲裁に入ったのであった。

だが、人の正義感は神の寛容に道を譲らなくてはならない。そうでなければ、人の罪つまり原罪に含まれるすべての罪を赦すか否かの裁きは人に属す事になってしまい、それはキリストの例え話の仲間を赦さなかった奴隷のように自分の立場を弁えず、ただ正義感の貪欲の赴くまま、恥ずべき姿を晒すことになる。
その例え話もヨナ書も共に人が人を裁けないという事を教えており、ニネヴェの罪を語るでもないこの特異な預言書の存在は、罪を宣告する者であっても、神の赦しに心を置くべきことにその注意を促している。

だが、考えて見れば、人というものは一人残らず「アダムの罪人」であるから、いつかは死ぬのであり、しかもその理由が『罪の酬い』であるのだから、我々は監獄には居ないだけの死刑囚とも言える。起こした悪行の程度に関わらず、何時かは死ぬことは同じである。
神の観点から見るなら、人類みな同じく『神の栄光に達しない』のであり、ただキリストの犠牲に一条の救いを仰ぎ見るばかりの身の上であるところは何一つ変わらない。

そこでヨナの話は終わったことにはならず、終末に於いてはアッシリアの残虐性をも超える暴挙、聖徒を残忍で邪悪な策略を以って迫害し、ユダヤの祭司長派が先導してメシアを屠ったような行動に加担する者も続々と出ることであろう。やはりアッシリアの末路を語るナホムは、アッシリアによって『皆がその身に害を受けたから』、その滅び去る時にこの悪行を尽くした帝国が終末にまったく孤立することを示唆している。
それでも、その残忍な迫害者の内の誰かが悔いるのであれば、黙示録のヨハネが異邦人の中庭を測ることを禁じられたように、例え聖なる都を踏み躙ったとしても、赦しが与えられるべきであり、その神の寛容さには人数の限りがないのである。(黙示録11:1-2)

それこそは、キリストが『人が犯すあらゆる罪も冒涜も赦される』という、その犠牲の価値の高さに基く神の寛容の表れに違いなく、人がどれほどの正義感を持とうと、その偉大な意志の前に服さねばならない。それがどれほど難しくとものことであろう。(マタイ12:31)
やはり旧約預言ではアッシリアに前表される終末の『北の王』の残忍さを赦し難いと感じるのはもっともの事となるであろう。
だが、その権力が崩壊した後に、その領域の人々が悔悟を見せるとすればどうであろうか。

そこでヨナ書は、人が自らの正義感の余りに終末の神の赦しに逆らうことを押し留めることに於いて、依然として有用さを秘めているのであり、自らの正義感のために神の善意に同意できずに却って悪に落ち込むという悲惨な結末を迎えることのないよう、人の心を備えさせていると言える。これは重い教訓となろう。終末では神ではなく人の赦しこそ試されるだろうからである。実際、「悪を憎んで人を憎まず」とは生やさしいことではないに違いない。かつて歴史上に繰り広げられた争いと憎しみの数々が、千年期に、また諸世紀の人々の復活と共に再燃するのであれば、復活に伴う神の赦しに人々は値するだろうか。そのとき人は親しい者の死を知っては「死にたい」と言い、憎む者の生きるなのを見ては「死にたい」と言うとすれば、その狭い見方に創造者の観点はない。永遠に生きるからには、それなりの視野を人はもたなくてはならないに違いない。
















“70 years of Jeremiah” Exploring the truth


Japanese version 2015/12/30 16:15
Exploring the starting point from the end point of Jeremiah's seventy years
Seventy years of Jeremiah involved in the temple ritual

<Difficulty ☆ ☆ ☆ ☆ Medium> Preliminary knowledge ⇒ "Remnant of Aliya Zion" "Nominated Messiah Cyrus



That night, Babylon City was drunk with the rituals of the all-night festival and celebratory drinking. 
It was the autumn of 539 BCE. 
However, during the uproar, Media and Persia and the soldiers of the military of the countries that are associated with them are confused in the darkness of the night from the riverbed of the Euphrates flowing through the city quietly while descending in the evening book It comes in. It was Cyrus II of Emerging Persian who leads the entire army.

The river width of the big river is 2 studias (about 360 m), and the water depth said that even if a soldier got another person to stand on the shoulder, he could not appear on the surface of the water, Xenophon said.
Although it was in Babylon castle which was protected also by this huge amount of water, if this water is dry up, it can also serve as an invasion route for attacking the center of the big capital strongly protected by the wall. It is an idea of a great reversal to compare with the Trojan horse tactic that the wall which boasts impregnable is not opposed at all.

Persian Cyrus led by the Allied Army said that that night, the water of the river was poured into another waterway that had been excavated, which was absorbed by the swampy land. The water volume in the Babylon watershed was reduced to the soldier's thigh.
Soldiers and others invade from the open castle gate facing the river by the festival noises and advance towards the royal palace. However, the city is still in the middle of the festival and they do not yet know what is going on.

That night, Belshazzar, king of Babylonian co-reign, held a banquet-filled banquet, but let me investigate the reasons for the noisiness outside the gate of the palace to see what the open gate An enemy soldier began to pour in.

Babylon was captured in a raid by Media and Persia, that night, on the night of the Tishrei-Month 16th BC 539, it was conquered to be convincing.

Then, after a lunar calendar month, Cyrus travels along the path covered with green twigs, fulfils the entrance into Babylon and returns what was captured even to the idols of the countries occupied as Babylonian custom until then Start implementing policies. (Babylonian age magazine / H. Crawford)

According to the Old Testament Daniel, the Babylonian ruler was not the Persian Cyrus at this time, but the Darius of the country's media.
But this king was already 62 years old, was the lifetime soon, or two years later BC537 is the first year of the reign of King Cyrus.

As a captive citizen of Judah, the prophet Daniel was in a high position by dreaming of Nebuchadnezzar once, but in that year he was forgotten in the reign of Nabonidos with different lineage. However, as this situation changed, Daniel dismissed the Magoyes who are priests of the media under Darius, and climbed to the position that once again appeared. 
Daniel also perceived a change in the victory and conquest of Persia. In that year, for the people of Israel, we asked for repentance and recovery and devoted our sincere prayers.

He also said that he read the prophecy left by the prophet Jeremiah of Somewhere since that same year and he said that he saw that the period of devastation of Jerusalem would be seventy years.

Jeremiah condemned the people of Judah and had foretold it.
"This land is exhausted and destroyed, and it will be an astonishing wasteland. And the nations will serve the king of Babylon for seventy years.
According to YHWH, after seventy years I will punish the king of Babylon, his people and the land of the Chaldeans for the sake of his sin, making it an everlasting wilderness. "(Jeremiah 25: 11 - 12)

But the Babylonian dynasty, which captured the idols of the gods with the people of the nations in Babylon, caught hard at the back of the double gate of the castle gate by the reign of Nabonidos and its crown Prince Belshazzar. There was no sign of liberating the gods. 
In Assyria and Babylonia, as part of the occupation policy, we changed the place of residence in order to prevent the rebellion and independence of the occupied people, put themselves in prison for their idols. 
In order for this to be released, we had to wait for the rise of the Caucasian empire, Persia. 

Even though the Allied Forces of Cyrus siege Babylon City, it is said that the city is not troubled with food for 20 years, and the passage on the rising double wall is a four horse carriage It was surrounded by a thick defense which is said to be wide enough to change direction. Moreover, since the length of the city area was huge to be said to have exceeded 20 km, the Cyrus army which surrounded once surroundings became a thin enclosing net like ants' s matrix, it is a mockery of Babylonian soldiers There was only one thing.

However, now that the protection of the steel wall is meaningless, Belshazzar fell to the Persian soldier's sword and his father King Nabonidos became a prisoner.
And then the occupation policy of Cyrus, contrary to the measures of the Semi Empire of Assyria and Babylonia, releasing the people of the countries from the detention ground, returning them to the temple where each idol god should also be.

The god of Judah YHWH was not a god of idols, but the gold decoration of the Temple of Jerusalem was stripped off, and sacred instruments and fixtures made of gold and silver copper remained in Babylon. The ritual in the sanctuary prescribed by the law was left uninterrupted, but the preservation of the equipment of rituals would be a rather fortunate result to be called.

And in that year when the Babylonian dynasty passed by the conquest of Cyrus, Daniel prayed, expressing many of his opposition to YHWH and his iniquities that the people had shown, and asked for forgiveness of Jerusalem to ask for their forgiveness Respectively. That is, in the first year of the mediaian Darius, in 66 years since the third year of King Jehoiachin (BC605) Daniel was captured by Babylon as an exiler, 47 years since the temple of Jerusalem was destroyed And he would have reached eighty age. (Daniel 1: 1/9: 1)



◆ "The Seventy Years" of Jeremiah

In the days when Daniel was a youth, the temple was alive in Jerusalem, but the crisis of its loss was tight. The prophets of Jeremiah and Ezekiel, etc, were talking about the danger of it being approaching. 
At that time, the famous Prophet Jeremiah in the Old Testament, that is, at the end of the first temple period, continues to condemn the lifetime breach of the failure of the Kingdom of Judah to the law contract. 

Jeremiah the priest of the castle city Anatote belonging to the land of the Benjamin tribe was called as a prophet in God YHWH since he was young, but he prophesies in Jerusalem and Judah 's devastated "seventy years" in two places. 
At first it was chapter 25, also noted above, where Judas and neighboring countries served the king of Babylon for seventy years, and after seventy years he punished the king and the people of Babylon, and Caldea It is said to make the eternal wilderness.
Another part is chapter 29, and it is said that "When seventy years pass, I will turn my heart to you, run a good word to you, you will come back to this place "I am informing the word of God YHWH". (29: 10)

According to Jeremiah's document that Daniel who had reached an old-fashioned boundary to Babylon who would have read these, realized that the number of years that must pass by the end of the devastation of Jerusalem is seventy years I am writing. (9: 2)

Taking the prophecies together, the meaning of "seventy years" that Jeremiah said has said that when the people of Judah are unraveled from the tyranny of Babylon and come to live again in Judah and Jerusalem, the period of that devastation ends It will be.

However, the true meaning of “70 years” as told to Jeremiah is not only that, but includes more important things.

Because, As I wrote below, the Jews at the time explained that it was not enough to return to the promised land and the beginning of settlement, even if each had a specific recognition. It has been repeatedly shown that "70 years" is not considered to be over.


So we should not be able to realize the meaning unless we read Jeremiya's "Seventy Years" from common recognition with them. 

Let's go through the ancient Jewish descriptions and explore the meaning of "seventy years" that they understood.


First of all, when Daniel expressed deep regret, he returned to the people of Israel in the first year of Cyrus two years after he pleaded with God and asked for forgiveness and recovery of the people, that decree The aim was not the return of Israel, but the restoration of the worship of the God of Judah .

About fifty thousand people accompanied by the volunteers of the people of Judah during the year arrived in Jerusalem and are doing the festival of Sukkot and in the same year they built an altar at once and burned Although it resumed the sacrifice of burnt offering, they do not regard it as having done the decree of King Cyrus.

Besides that, afterwards, we encounter the obstruction of the rebuilding of the temple from the surrounding ethnic groups, and the work to build is not going to be done year after year.
However, when Darius who was the son of one satrap was throne by defeating the Gaumata of the throne, who was king of King Cubuses II who was killed in Syria and was a priest-oriented Magos tribe, this new King We adopt the principle of Daio Cyrus and promote the revival of the worship of various peoples.



◆ Ezra's record

For Jeremiah's "Seventy Year", as a witness to the later generation from Daniel, the time when it was accomplished, you can read the record of Ezra, the most prominent person in the scripture guardian sofa, in the Bible.

"So the Lord caused the king of the Chaldeans to attack them, so he killed the young people of the people with a sword at the house of the sanctuary, and the young man, the virgin, the old man, the old man He did not mercy. The Lord handed them over to his hand.
He took all this to Babylon, such as the large and small pieces of the house of the house of the gods, the money of the house of YHWH, the money of the king and his senior officials, burning the house of God, breaking the walls of Jerusalem, I burned out the palace with all the fire and destroyed all of the precious equipment I had in it.
He also caught those who escaped the sword into Babylon, making him and the slaves of his sons, and so on until the Persian kingdom emerged.
This was to fulfill the word of YHWH conveyed by Jeremiah's mouth. Thus the country finally got the rest. In other words, it rested during the devastation, for seventy years was finally full. "(Chronicles Journal 36: 17-21 / Levy 26: 34)
In the above description, it can be read that the land was rough due to the absence of the people, but it was also during the seventy years.
But after that, Ezra writes about Cyrus's edict:
"It is the first year of Cyrus king of Persia. In order to fulfill what promised through the mouth of Jeremiah, YHWH was moved by Cyrus king of Persia. Cyrus also wrote in the document and let the following declaration spread throughout the country.
"Cyrus king of Persia says: The god YHWH in heaven gave me the land of the nations, and he commanded me to build his own shrine in Jerusalem in Judah. Go up anyone who belongs to the Lord's people in God YHWH be with him "(Chronicles Journal 36: 22-23) 

Also before this century ago, Isaiah's prophecy recorded the word of God YHWH about the role of Cyrus the Great. 
"About Cyrus," He is my shepherd, I will make everything to do with joy. "And about Jerusalem," she is rebuilt ", about the temple" he sets the foundation Wow. "(Isaiah 44: 28)

The intention of Cyrus was to consecrate and respect the gods that brought him world hegemony and to Judah to rebuild the temple to Jerusalem.



◆ Perspective of returnees

In the progeny of Cyrus, when the Gaumata was overthrown and the king 's lineage changed, it seemed that the rebuilding of the temple further increased to the people of Judah. 
But at this time the Israeli god YHWH urged the prophets Haggai and Zechariah to send to the governor, Zerubbabel, Eschua the high priest and returnees to work on rebuilding the temple.
So, were they thinking that Jeremiah's "Seventy Years" had ended under this circumstance?

It is the question of the people of Zechariah 7: 2, that the emotions of the returnees at that time are clearly shown.
Then Bethel's people in the north of Benjamin * came up and asked the priests and the prophets to serve in the temple.
"" As I have done so many years ago, should we cry and cry in May and fast? " "* (From the area, they may have returned to the North Kingdom) 

However, in that heart mind itself, there is no enthusiasm for the house of God like Zerubbabel et al. 
It should be said that they did not have a sincere and intense quiet about God like Daniel. However, I just asked if the time is now full. It is already about 20 years since the prisoner was unraveled, and it seems as if he wanted to finish troublesome fasting if he could do it already.

So the word of YHWH flew into Zechariah immediately and said like this.
"Did you fast for me for seventy years when you fasted and cried in May and July?" 

In other words, Fasting in May is the custom of Tishabeave that continues to date, commemorating the destruction of Abu's 9th temple, which is extremely sad for the Jews, and the one in July written here, It is presumed to be involved in the subsequent devastation of Jerusalem.

So the people asked the people involved in worship what to do with fasting in situations where some of the rituals were resuming, but they still do not see the completion of the temple.
The fact that each fast had spanned seventy times or nearby numbers, as the prophecy that marked this was in the words of God's inspiration, I could not move. These people have probably heard about "Seventy Years" and have asked the priests and the prophets to see if it was good to see that it was over. That is, if the "seventy years" to end fasting has gone by, it should be said that there was a confusion in the fact that the construction of the temple is halfway. 

So God's further answer is this. 
" I will return to Zion and live in Jerusalem, Jerusalem is honored as a loyal city and the mountain of YHWH of all the army is honored as a sacred mountain."
Not only that, "On the streets of Jerusalem again an old man, an old woman will sit down. Everyone is a good old man, each with his own cane. In addition, the town is full of boys and girls and plays to play on the streets "(8: 3-4)

In other words, this can not be read except that devastation is not over. This is said to be the fourth year of Darius, that is, September Kiss Riu in 518 BC.
Besides, in November, Chebat, the second year of Darius two years ago, "Yahweh of hosts, do not you mercy on the cities of Jerusalem and Judah? You have become angry, it will be seventy years already, "the angel said. (1: 12)

Thus, in the "Seventy Years" of the Jews, is not there something that will not be solved by mere time lapse after returning? 

The temple is told that the Holy God of Israel is "the place to put its name" and that God, her husband, will be returned to Zion, widow as Isaiah said, at that time the sons of Zion also returned It is prophesied that it is. (Isaiah 62: 4/49: 21)

But before the rebuilding of the temple, Judea could not say that people came back to the cities, and it was even more visible from Nehemiah after 50 years later that what was very quiet. 

At the end of Psalm 53 by David "When God brings His people, captives, Jacob is a joy and Israel will celebrate delight. "The phrase including the prophecy should be said to be exaggerated to describe the state of the returnees at the time.

So, why is Jerusalem's devastation finished and Jeremiah's 'seventy years' filled in the true sense?



◆ How to view from YHWH grabbing the right hand of Cyrus

The prophet Isaiah had foretold its work as a liberator of Israel by the name "Cyrus" for the past two centuries when that person came. In other words, Cyrus the Great was the "Messiah" of the Israeli god YHWH, "the one who received" appointment. "
YHWH announced forever before Cyrus was born. 

"Grab his right hand, let the nations follow him and let the kings disarm their arms. Open the door in front of him and keep it from closing. I have called your name for Israel, whom I have chosen. Even though you do not know me, I have given you a name. I am YHWH. There is no god besides me, there is none. Even if you do not know me, I will strengthen you. "(Isaiah 45: 1-5)

The Israeli god YHWH has expressed a strong will to return its people Israel to the promised land. That is not what was foretold through Isaiah alone. Jeremiah wrote about devastation and recovery like this. 
"Indeed the Israeli god YHWH says about the houses of this town pulled down by the bases and swords and the houses of the kings of Judah.
They are going to fight to fight the Chaldeans, but they fill their houses with the dead that was stoned by my anger and resentment. It is because of all their evil, because I hid my face from this city.

Behold. I heal and cure this wound in the town, I will restore them and show peace and truth to them richly.
I will restore the prosperity of Judah and Israel and restructure them like the beginning.
I will cleanse them from all the iniquities they have committed, and they will commit them and forgive all the iniquities that I have turned against me. "(Jeremiah 33: 1-8)

These prophets that Israel will return and prosper after Babylon captivity are called prophecy of "recovery" or "consolation".
When you look at the contents of them, there is more content than simply that the tribes of Israel return home to their promised land.

That can be said from the content of the decree issued by Cyrus. 
"" Cyrus king of Persia, like this, the heavenly god, YHWH gave me all over the earth the land that He told me to build his house in Jerusalem in Judah.
Whosoever is among you will get their help from God, go up to Jerusalem in Judah, rebuild the house of YHWH, the God of Israel. He is in Jerusalem, he is God.
Everything surviving, wherever you are, help everyone in the land with gold, silver, cargo, livestock, and sacrifice more than others from the heart for the house of God in Jerusalem. " (Ezra 1: 2-4)

As in Isaiah, if Cyrus the Great is the Messiah of YHWH, the intention of God in that work must be reflected in that decree. Not to mention Ezra, "In order to realize the word of YHWH as taught by Jeremiah, YHWH inspired the spirit of Cyrus king of Persia, so the king issued an imperial decree to the entire control area and stated as follows. It is said that it is. (Ezra 1: 1)

Then, increasingly Jeremiah's meaning of "seventy years" does not mean mere return.

As for this, Daniel himself, who knew about the seventy years of Jeremiah in that book, also expresses its recognition in prayer, but let's confirm it next.



From the viewpoint of Daniel

As mentioned earlier, in the first year of Darius's rule of Babylon that Daniel was the son of Xerxeses of the media king, as the year from the prophecy of Jeremiah to the end of the devastation of Jerusalem is seventy years He said he knew it. (Daniel 9: 1)
By Cyrus's conquest of Babylon, it seemed that the circumstances seemed to be able to change considerably also to Judah captive people.
But at this time the Royal Decree allowing for return to Palestine had to wait for the first year of Cyrus.

Elderly Daniel wears sackcloth, fasts, puts ash on his head and afflicts his soul, and speaks to Jerusalem a prayer asking for regret and forgiveness to Israeli god YHWH.
For a long time Israel did not keep the law, did not keep the law, persecuted the prophets who sent them, did not listen to God's recommendation, and finally reaped Moses' warnings as he warned, Israel is also prisoned by other countries, and its temple is destroyed and the holy city Jerusalem is a ruined and abandoned place where no man lives, and as for the fact that he was accompanied by people's reproach, he describes the correctness of God's treatment.

But since the name of God is honored above Jerusalem and his people, Daniel asked for his light again to illuminate because of God's own name.
At that time he asked for " Please do not delay for your name." (Daniel 9: 19) 

From these contents, in order that the seventy years declared himself will not be rebounded, Daniel happened when the release from Babylon was as predictable, pleaded for the return of the captive people to be realized It might be able to be read aloud.

But what Daniel had in mind was more than the return of the people, as shown in the words of this prayer, which was the benefit of God over profitable people.

He wishes in the same prayer like this.
"Turn your anger and resentment from thy city, holy mountain Jerusalem ." "For yourself, please shine your face only in thy royal sanctuary . "(Daniel 9: 16-17)

What is expressed here should be an enthusiastic request to the holy mountain Zion and the sacred shrine temple. Again, it is hard to say that people will be forgiven and return home after seventy years, people will live peacefully in Palestine. Daniel has not said anything about the hope that the new Babylonian empire is over and the liberation is close.

In addition to this, Daniel, who had stayed in Babylon even after the Royal Decree, wrote his book Daniel in Babylon until the third year of Cyrus, but by the end of his writing Jeremiah's "Seventy Years I have not told a single word about what happened. It is impossible to think that he received a ritual at the temporary altar in Jerusalem and that the news that the cornerstone of the temple was placed the following year has not arrived. If the citizens returned home in the first year of Cyrus, and that what we prayed so wishfully was fulfilled, did not you greatly praise God? 

However, four years after Aliya, Daniel said, "Go on your way, Daniel! "Go to that way till the end, enter the day off, stand at the end of the prescribed day, receive yourself! "The end of the revelation has been put down with the word. The matter of "seventy years" in Daniel's book will never come forth after that prayer. It is the new Ezra who speaks the end of the "Seventy Year", rather Rather, Daniel entrusts a larger mystery than "Seventh Week" via an angel. So if Daniel's book is being written, after the third year of Cyrus, sooner or later Daniel's life would have ended in Babylon. (Daniel 12: 9.13) 

In other words, where the matter is not told in his account four years after that enthusiastic prayer, reinforce the view that the end of the "seventy years" does not mean only the return of the people We do. The word of Daniel's prayers was certainly about the rebuilding of the temple on the mountain of Sion. 



◆ Facts of Aliya

Two years after this prayer, the royal cup moves from Darius to Cyrus, and finally a decree is issued against Judah and the people of Israel. That is 537 years ago.
For some reason, there is no reference to this edition of Cyrus in the Daniel book, but you can find out the contents of the Ezra mentioned above and the last sentence of the past magazines that will also be handed by Ezra.

There is no "liberation of the people" in the meaning of the edict. In other words, it does not mean "to allow your return." Rather, the interest of Cyrus is more advanced, it is in the revival of the worship of God YHWH, it is the reconstruction of the temple for that.
Then, with this promulgation, labor and welfare over 22 years after the high priest Eshua and Governor Zel Babel begin.

The number of volunteers who volunteered to Zion was less than 50,000, most Judah captured people chose to stay in familiar Babylon. Among the people who did not move include Daniel who reached the elderly. Because the revelation given to Daniel is the last year of Cyrus, he did not live long until the reconstruction of the temple.
That is it, not everyone in the captivity came back to Palestine, as Isaiah prophesied and said, "Even if Israel is like the sand of the sea, only the rest of them I will come home ". (Isaiah 10: 22)

A few people who are prophesied as "rest of the people" who actually returned home were able to celebrate the festival of the fall of that year in Jerusalem in response to the first edict of Cyrus.
Then, there were signs of disturbance in the surrounding ethnic groups, and Eshua built an altar within that year and started sacrificing burnt-out. In other words, part of the ritual was able to start.

However, we can not offer daily, weekly, new moon offerings in the sanctuary and no holy place, so we can not make yearly atonement. Then we did not do rituals according to the provisions of the law, nor did we follow the life of Cyrus.

"The rest of us" were able to do the foundation as the beginning of the rebuilding of the temple in the spring following the arrival of Palestine, but the opposition movement of the surrounding nation began, and eight years after the Edict declared the greatness of Cyrus There, the work of rebuilding was torn down, and the people eventually became indifferent to the original meaning of returning. 
The initiative to revitalize religion was in Cyrus the Great, and it is shown here that the return squad which should have been in the middle of Aliyah was passive in this respect.

Prophet Haggai wrote about the consciousness of the people of the time.
"This people are saying that we will not come yet when we build the house of YHWH" "This house is desolated, but are you living in a house with a specular plate? "(Haggai 1: 2.4)

This prophecy was said to have been spoken in the second year of the reign of Darius, the son of Hystaspes who reigned Gaumata in the previous 522 years and became king, that is, in the previous 520 years. (Haggai 1: 1) Therefore, despite the fact that 16 years have passed since 17th year since the Edict of King Cyrus, even from the foundation of the 2nd temple, the construction was thrown in the middle and the sanctuary was left untamed What has been revealed.
But Zerubbabel and Aliyah's people, who were moved by the appearance of the two prophets, have begun to rebuild while being opposed to it, but Ezra said that it was that year, the second year of Darius did. (Ezra 4:24)

It was about two years later (518 years ago) that the above-mentioned Bethel folks inquired in passive attitude about how long they continued fasting. (Zechariah 7: 1)

In view of these, for the returnees who should have had Aliya of those days, the end of the term "seventy years" means that the temple was rebuilt and the ritual was restored, and YHWH, the female Zion's "husband" It can be said that having an awareness that putting the holy name there is its point of arrival. 

From this point of view, Jeremiah 's Jeremiah to the people of Judea who was secondarily captured by Jehoiachin, "YHWH says: "When the seventy years in Babylon is full, the word of the prophecy that I will look upon you and fulfill my happy promise to you and let you go back to this place" It is a comfort to those who are unable to see in the future, they are comfort to those who are upset, they are increased in the penal colony and pray for the castle city, preparing for the prolonged prison, which is "seventy Notice that there was a purpose to relieve them by notifying them that they span the period of year "(Jeremiah 29: 10). 

It was recorded in history as to how the period "seventy years in Babylon" elapsed, but as it is like a person follows the letter, the period from simply captivity to return It was not meant to point to. The true meaning of God's word "Seventy Years" must be understood according to the intent of God as well.


End point and starting point of seventy years

In the fourth year of Darius (518 years ago), Zerubbabel, which was inspired by Haggai and Zechariah's prophecy and actively started rebuilding the temple again, sends a letter of petition to the new King Darius which follows Cyrus's tolerance policy . It was to break the opposition of neighboring ethnic groups.
Then, the record of the edict of 19 years ago from the capital of the media was discovered, and DARIUS who was weak in the foundation of the administration has the significance of seeking support for the people in succeeding the edict of Cyrus the Great, Like Cyrus to pretend to rebuild the temple of Jerusalem. (Ezra 4: 23 - 6: 12)

The opposition of countries like 'mountain' standing in front of Zerubbabel is also "flattened" by the Dalai's letter. That is, as the rebuilding of the temple became a purport of the king of Persia, refutation of neighboring ethnic groups was forbidden. (Zechariah 4: 7)

In this way, it could be said that the light which was shaken by the wind and weakened, which had just disappeared into the core, was supplied again with olive oil, burning the flame brightly, regaining the rich shine. It is incomprehensible that people who are leading the reconstruction of the temple by leading people and circumstances, no longer benefit human beings. 

God YHWH says through Zechariah: 
"This is not by force but by myself, by my spirit" 
"Zerubbabel's hand, setting up the foundation of this house, his hand, finished making it. " 
(Zechariah 4: 6 · 8) 

After that, the rebuilding work on Moriya mountain seems to have progressed smoothly, Ezra wrote that the temple finally saw completion on Adal 3rd day * in the sixth year of Darius. It will be the fourth year since the construction resumed.
It would be equivalent to the last month of the previous 516 year if it was the lunar calendar, which would be correctly 70 years from 586 before actually lost the first temple by Nebuchadnezzar. * (Gregorian calendar; February 3, 515 <Wed>)

Next day, the temple was dedicated to New Year 's Nisan of 515 BC, then Passover was carried out on the 14th, followed by the festival of no - yeast bread for seven days from the next day. (Dust removal 40: 1-2) 
Thus all the rituals of Levi prescribed in the law see recovery. Cyrus' edict was finally accomplished, and it was able to fulfill the heavy responsibility of the big business that the sanctity of Zarubbabel, who was the son of Charlotte, who drew blood of David, finally dedicated his half-life It was. Only in here it should be said that Cyrus the Great was "Messiah". (Ezra 6: 14-22)
There is a sanctuary and a sanctuary, as it used to be, sacred daily, weekly, new moon offerings are possible, rituals of the Day of Atonement can also be done, so that the atonement of the high priests, the priests, the people The ceremony was also possible. After the festival at the beginning of the year, 24 pairs of Levi's priests would have taken charge in accordance with the appropriate order. 
Indeed, that worship was resumed as the prophecy with 70 years of whitespace. 
Can not you see the power of God YHWH here to eliminate the words and to achieve the power to accomplish all excuses? The resumption of the Law of the Law came about 71 years after the destruction of the temple.

Although the prosperity of Judea was still in the future, in this way Zion could rejoin the Holy God of Israel YHWH again, revitalized as a holy city, that the shining brilliant Jelushimae regained sacred light You can do. In that place the existence of a temple enabled the law of Moses to be enforced from the lives of people to rituals and Israel had been forced to interrupt the official worship of God for seventy years due to their guilt It was a splendid contractual recovery as per the word of YHWH. (Levi 26: 44 - 45)

In this way, they could find the original owner to serve again. It is this time to say that it is no longer the king of Babylon that they will succumb to the knees in departing the influence of the foreign nation. The obstacle brought by Babylon has become a thing of the past. 

In the same prophecy of Jeremiah who foretold the "seventy years", God is told like this. 
"As you abandoned me and served the different gods in your own land, you will serve a foreigner in a land that is not your own" (Jeremiah 5: 19) 
This word supplements the words of "just serve the king of Babylon for seventy years" that Jeremiah prophesied, and the relationship between political control and controlled merely occurred in the seventy years of Jeremiah It is pointed out that it was not included. 

Therefore, you can see that the God of Israel as in Jeremiah's prophecy "has asked the king of Babylon to open up the message" was accomplished with this reconstruction and revival of the ritual. It does not require anything to happen at that time the destruction of the dynasty of Babylon. Rather, it would be possible to read the prophecy that the destruction of the temple carried out by the king of Babylon was condemned by this reconstruction, suggesting that it would be reduced to a notable criticism. * 

In Jeremiah 's prophetic words, there is something that illustrates this point. 
"Escaping the country of Babylon, the voices of people who escaped. Tell us the revenge of our God, YHWH, the retaliation for that temple in Zion. "(Jeremiah 50: 28) 

In other words, even though the Babylonian Empire has already left, the meaning that truly the destruction and destruction of the temple is questioned with its reconstruction is seen in the word "retribution to the temple" "Would be reasonable to capture that the Temple of Jerusalem is revealed again on the other side of Sion Mountain, so that the iniquity of Nebuchadnezzar is finally blamed.

Thus, when reviewing the seventy years of Jeremiah, it does not simply refer to the period during which Israel was dominated by the king of another country, rejoicing God YHWH as a master of the people by the rebuilding of the temple, and before that by the Liturgy Ritual Can not you see that he painted until he worshiped?
If you follow the words of prophecy short-sightedly and following the phrase, this probably will not come into a one-sided vision.

Just to Israel, the box of the covenant and Ulim Venton Mim did not return, but according to Edersheim, the rock was called "corner stone" in the place of the box in the most holy place, and a rock different from the cornerstone of the temple was placed That is. On the Day of Atonement, the High Priest will offer the blood of a cow before this rock. 
The disappearance of the box of contract is to go beyond personnel affairs, anyone, it would have been faithful to make it once again. However, the loss was also directed toward bringing a prospect to a "new contract" foretold by Jews to Jeremiah. (Jeremiah 3: 16/31: 31) ⇒ "Ark of Contract Aaron Hubertte "

Of course, it can not be said that there is absolutely no mistake in the archeology which is the observation result by human beings, but materials of this age of Orient history are excavated for each year, and not to mention BEROSSOS and Ptolemy As many clay boards reveal common age recognition one after another, the record of the monthly diet which is hard to move is also attached, which will be consistent with the analysis of the Saros cycle. This era is said to be an era that is considerably clarified among the Orient archeology

As the historical material increases, if it comes to supporting it, even if it does not form "faith", it is natural that if anyone disputes anyone with a strong consensus on those arguments, that burden of proof will arise That is. If we say that the reason for opposing the archeology with the evidence is "faith", we reexamine the grounds of that person's "faith" one by one from the beginning, so that we can make blind belief Avoid confirming self judgment based on reason. 

So in the sixth year of Darius, that is, back from the preceding 516 to the seventy years, it is again the age of 586 years ago, but archeology points that it was the year when Jerusalem and the temple were destroyed by the new Babylonian empire. In other words, as the Bible also witnessed, it was the year of destruction of the summer temple in May, which is regarded as the 19th year of the reign of Nebuchadnezzar II. (King 2 5: 8-10) 

This precise seventy year ritual's space will be the answer of the omnipotent YHWH to the sincereness of Daniel's prayers who wished for "to be late for the name." It surely was "seventy years". Two prophets Haggai and Zechariah, who were sent by time, have helped to satisfy "seventy years" as they urged the work of the last reconstruction. However, because that true merit was not attributable to anyone, including Cyrus II, it was guided by the will of God YHWH, no one could lead and regulate that time.

In this way, YHWH pushed everything according to "seventy years", and after 22 years from the Persian 's renminbi, he made the Jewish people rebuild the temple celebration and also accomplished the role of Cyrus the Great, the nominated Messiah You can see.
God YHWH certainly takes the right hand of Cyrus, and it can be said that Israel as the people of God has recovered both in name and reality. 

Therefore, if we try to apply Jeremiah's "seventy years" to the return and settlement of the people unbound from the crown of King Babylon, with the words of the part told, "That seventy years "The piece of the puzzle never finds a place to put perfectly anywhere. 
If you try to forcibly force the starting point of "seventy years" like a certain denomination to be 607 years ago, you must confuse the whole puzzle by pushing out pieces of other puzzles that are in order It is painful that there are people who are trying to believe by their "faith" without being confirmed by deeply depriving the word of God in fact as the teacher's compliance. Moreover, where is the motive? (John 7: 16-18)

In any case, this case is also a preform, and in the "seventy years" which Jeremiah prophesied, the sanctuary and the sanctuary were to be rebuilt in Jerusalem, but further to Daniel In the newly announced "Seventh Week", the place of fulfillment becomes the area of heaven that is not spiritual to humans, and it is said to "pour oil" to the holy place of "holy holy place", the heavenly world, beyond Jeremiah , Seven times as important as points are pointed out. 

By having Jeremiah and Daniel the prophets of both of these, we will stand at the entrance to finally realize the outline of God YHWH's great mystery. 




© 2015 Yosihira Hayashi 




* Indeed, Jeremiah 25 says that not only Judas, but also the surrounding "people of the nations will serve the king of Babylon for seventy years", this is "after the seventy years, We will punish people's land for their iniquities and make it land that has been desolated forever ", so since Babylon continues to flourish after this time, this is the end of the" Great Babylon " It will contain the dual meaning to. It is thought that neither saints nor even believers are solved from "the great Babylon ".  




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聖書に仕掛けられた罠


予備知識:ローマ9章
憤りの器を用いる神は不正か?
聖書のすべての語句が人への神の意志か?





◆マクベスの陥った罠

イングランドはエリザベス朝の時代に、彼のシェイクスピアが見事な戯曲を残したことでは言を俟たない。その四大悲劇に数えられるひとつに「マクベス」がある。

その筋立ては、書かれた当時を遡ること六百年まえの11世紀スコットランド、王位簒奪者マクベスという実在した人物に着想を得ている。

劇中で、この人物は元々特に邪悪というわけでもなかったのが、「王になる」という魔女らの予言によって王権への欲を引き出され、王の暗殺までは躊躇していたのだが、気の強い妻に引きずられて、暗殺に手に染め予言を自ら実行してしまう。そこから始まる物語の展開には鬼気迫るものがあり、聴衆を強いて引き込んでゆくが、その手腕が稀代の劇作家シェイクスピアの真骨頂である。

この主人公を終始導くのは三人の魔女であり、『清いは汚れ、汚れは清い』と、明らかにイザヤ書五章二十節の引用を作者は語らせる。
聴衆は、いつの間にやら極悪人のはずのマクベスに自ら共感を持ち始め、悪行を重ねる果てに不名誉な汚れの死に堕ちて行く主人公を哀れに感じてゆくのである。

この悲劇の筋立ては、マクベスが将軍として王と共に戦い、大きな戦功を挙げたところで出会った三人の魔女の予告がその通りに実現し、その場で彼が褒賞を得て分封の領主とされたとの知らせが入るところから始まる。

だが、魔女らは、上り坂で意気も上がるマクベスに向かって『王になる」とも予告するのだが、その言葉が誘惑となって、その欲を煽られてしまい、自分が王となることが何かと気になり始め、謂わば「信仰」を煽られてゆくところが彼の転落を描くこの悲劇の幕開けなのである。

夫への予言を知った妻は、王を弑する機会が目の前にあり、妻は夫に優しいところがあることを心配すらし、この機を逃すまいぞと及び腰の夫を叱り付け、遂に二人は不法の血に手を汚すのであった。これが妻に守るべき秘密を守れない男の弱さでもあろう。その先にあるのは共倒れではないか。

王の一族は国外に逃げ去り、マクベスは強引に権力を確立しようと粛清を続け、ひとつの悪事は更なる悪事を呼んでゆき、親しいバンクォーまでをも殺させる。圧政者と成り果てた彼の統治は過酷なものとなり、やがて、王殺害の凶行に誘った妻も、もはや抗うこともできない邪悪の渦の中で良心の責めから気が振れてしまい、城壁から身を投げて果ててしまう。

魔女らは、悪の道を孤独に歩むマクベスを慰めるかのように、遥かに見えるバーナムの森が居城に来るまで彼は安泰であると請合い、それを聞いた彼は森が移動するなど、どれほどの年月が掛かるものかと安堵する。

だが、やがて城の物見がバーナムの森が動いて来ると叫ぶのを彼は聞くことになる。
マクベスに復讐するべく進むイングランド・ノーザンブリアの軍勢が敵の目を欺くために、各兵士に森の樹々の枝を切り取らせ、それを掲げて行軍を始めていたのであった。

だが、魔女らは、マクベスを倒すことが出来る者など「おおよそ女から生まれた者には居ない」とも言っていた。この「女から生まれた者」*という言葉は、聖書中ではバプテストのヨハネについて「あらゆる人」の意味で用いられている。* ("one of woman borne" McBeth Act4 <1603> /  "among the that are borne of women"  Great Bible Mt11:11 <1540>  )

この言葉を頼ってマクベスは最後の奮戦に猛り狂い、次々に敵をなぎ倒して行くのだが、彼に家族を殺されていたマクダフという男と対戦しながら、自分には負けることのない保証があると豪語する。

するとマクダフは、剣を交えつつ自分の出生について知らせ、彼は母が出産したのではなく、その腹を切って取り出されたと言うのであった。この女が生んでいない男と絶望の死闘を続けるマクベスにはどれほどの落胆が襲い掛かったことか。

こうして、魔女らの言葉を信じて従ったマクベスも遂に哀れな最期を迎えるのであった。
魔女らの言葉にはマクベスを陥れる罠が有ったのだが、ひとつとして嘘は無かったのである。

ただ、マクベス次第で悲劇の全体を決然と避けられた一言があった。それが彼が「王になる」という欲をくすぐる悲劇の門口となった一言であったのだ。これについては、やはり彼自らに悪がある。
だが誰であってもふと思い浮かぶような強欲がひとたび心に呼び起こされてしまうように、彼も気の強い連れ合いに引きずられ、王位簒奪の殺人を自ら実行してしまうのである。このひとつの殺人のために、その後の彼はまったくの汚れの淵に追い込まれていったのであるが、まさにここが悲劇たるところである。

 (史実のマクベスの生涯では17年在位しており、この悲劇の描くようなものではなかったという)


◆神は悪しき者らを用いる

さて、ここで「魔女」なる聖書を語るに相応しからぬような陰気な存在に、この後を読む気を失せさせることの無いように願いたい。
なぜなら、何と聖なる書物に、神が人を騙すところがあるのを御存じだったろうか。

現にそれは存在し、このように書かれている。
『YHWHは「だれがアハブを騙してラモト・ギレアデに上らせ、彼を倒れさせるか」と言われました。』『するとある霊が進み出て、YHWHの御前に立ち、「わたしが彼を騙します」と申し出たのです。』(列王第一22:20-22)

そこで神は、相手が邪悪な者ながら、その人物を騙す計画を天使らに練らせており、この句のアハブ王は、まさに神の策に嵌まり死んでゆくのである。それも、その神の策略が預言者を通して本人に知らされたので、変装して戦いに赴き、自分がアハブ王であることを隠していたために、遂に敵の誰にも気付かれることもなく、そうして死を免れようとさえいたにも関わらずのことであった。しかも、預言に違わず、彼が死んで後、犬がその血をなめている。

また別の場面では、預言者エリシャが、その許を訪れていたシリア王の使者に、彼自身が王になることを預言すると、その使者ハザエルは王宮に戻るが早いか病床に在った王の顔に水を浸した布をかけて弑しているのであるから、これはまるでマクベスの筋立ではないか。エリシャの預言が無かったなら、ただの使者が王とはならなかったようにさえ読める。(列王第二8:7-15)


しかし、聖書は一方で、神を『 主は岩、その御業は完全で、その道は尽く正しい。真実の神で偽りなく正しくて清廉な方。』と述べている。(申命記32:4)

では、どうなのか?
聖書の神は、戯曲マクベスの魔女らのように人を悪の道に陥らせるようなことをなさるのだろうか?

そこで気になる聖句として、出エジプトに際して神がファラオに語った言葉も思い起こされる。

『わたしがもし、手をさし伸べ、疫病をもって、あなたと、あなたの民を打っていたならば、あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう。
しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見させるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない。』(出埃9:15-16)

ファラオは神の意志に逆らう事に於いて、自分の意志のままに行動したであろうけれども、神はエジプトの統治者である彼を使役し、自らの力を示し、その名を上げていたと言われる。このファラオも、紅海の水を分けるという神の御業の中に自軍を進撃させて滅ぼしており、最後まで頑なに神YHWHへの抵抗を続けたこのファラオ自身もその日に生涯を終えたのかも知れない。

後代の使徒パウロはローマ書簡の9章で更に踏み込み、神がファラオを『頑なにならせた』と述べている。(ローマ9:18)

これは、神の意志に従うも逆らうも中立的であったファラオを、神の反対者に仕立てたということにはなるまい。
元来、ヘブライ人を奴隷に酷使していた国の支配者であれば、モーセを通しての勧告にファラオが中立的であったとはまず思えない。

しかし、モーセとアロンを通して行われた災いの規模からすれば、このファラオの奇跡への否認の多さは偏執的であり、臣下が既に『エジプトが滅んでしまっていることをお考え下さい』と嘆願しているところに、パウロの引用した預言の云う『頑なにならせた』との言葉には同意を促すものがある。

神YHWHは既に敵対的なファラオを更に頑なにならせて自らの力を誇示し、大いに名を上げられたために、エジプト人も信仰を抱いてヘブライ人と行動を共にする者らも現れ、奇跡の数々を聞き及んだ諸国の人々もイスラエルを畏れるようになったのであった。
即ち、神はファラオの悪さを用いてその名を諸国に轟かせるという目的を果たされたのである。

したがって、神は自らに対して忠節を示し、その意志に倣おうとする者だけでなく、邪悪で、頑なである者らをもその経綸に用いるのであり、聖書の中にこうした例は少なくもない。


◆神はユダ・イスカリオテを使役する

端的な例として、ユダ・イスカリオテが挙げられる。
キリストの御傍に仕えた十二人の一人であったが、『わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえも、わたしに背いてくびすをあげた』と千年以上も前から予告されていた。(詩篇41:9)
また、イエス自身も『人の子は人々の手に渡され*、彼らに殺される』ことを使徒らに予め告げられていた。(マタイ17:22-23)*([パラディドウミ]裏切りを含意)
即ち、その悪行は折り込み済みであったのだ。

イエスは、遅くとも亡くなる一年ほど前には、誰が裏切る者となるかを知っていたことをヨハネ福音書が記しているが、イエスは周囲にはそれが誰かを一切言わず、知っている素振りすら見せなかったのであろう。ヨハネとペテロ以外の使徒らは最後の晩餐の席に在っても裏切る者が誰であるかを知らず、イスカリオテのユダが晩餐の席を立って、夜の闇に去ってゆくのを使徒らはユダが貧しい者らへの施しに行くのであろうと思ったとも使徒ヨハネは記している。(ヨハネ6:70/13:29)

その一年ほど前のこと、奇跡の給食を行ったイエスに対して、群衆は日毎の食事を求める動機を持ってしまい、イエスを追ってカペルナウムに集まってきたことがあった。
ここで、イエスはこの群衆を敢えて躓かせているのである。

即ち、『人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』との言葉が、律法によって「訓練された良心」が彼らを大いに失望させたのである。

血を飲むことは重罪とされ、食物にも様々な規定があった律法に背かせるかのような過激な発言ではあったのだが、イエスは何も不真実なことは言っていない。この一年後に十二使徒は象徴的にそれらに与ることになる。その言葉には、ただ日毎の糧で命を支え、生きるために生きる以上の遥かに高度な次元の糧食が示唆されていたのであるが、その時点では誰も悟らず、ユダは自らの師が現世的な高い地位も利得も得ず、一向、王位への執着も見せない主人にはもどかしさを感じていたことであろう。(ヨハネ6章)

イエスがユダ・イスカリオテの背信に密かに言及するのはこの群衆を去らせた時であった。既にユダの心には利得への思いが勝っていたのだろうか。イスラエルの王となるべき方は一向にその様子も見せないため、仕え続ける意欲を失っていたということは考えられるところであろう。
霧散した群衆の後に残ったほかの11人は気付かなかったであろうが、これを書いたヨハネもその一年後の最後の晩餐の席で自らの主にそり返って、裏切る者が誰かと尋ねている。

しかし、もちろんイエスは油断はしていない。
最後の晩餐、即ち律法契約から新しい契約へとアブラハムの裔を最初に導き出すべき、キリストの宣教の総仕上げとなる過越しの聖なる晩餐の席が乱されることを防ぐべく、イスカリオテのユダにはその場が知られぬよう、ペテロとヨハネだけを宴席に先に遣わしている。これには「水瓶を運ぶ男」に逢わせるという神の導きも働いた。これなら、その重要な場所がどこかもその時が来るまで分かるまい。

ニサン14日の始まる夜は、モーセの遠い昔から『代々に記念するべき格別の夜』であり、その子羊はレヴィの祭司を買い取り、今やキリストは天界の祭司団を買い取ろうと、出エジプトの子羊の対型であることが示されようとしていた。
その事については、ユダの裏切りはユダヤ体制派が「過越し」の七日間の祭りに入るニサン15日の二日前に祭司長派から委嘱されたので、『祭りの間はよろしくない』という都合のある宗教家らにとって、売り渡す者を募ったのが二日前であったから、その直前の14日をおいてほかにイエスを処刑させる日がなくなっていたのである。

ユダが祭司長派と接触を果たした夜も明け、翌日の日中はいまだニサン13日であったが、イエスの一行は過越の食事を前にして、その日は珍しくベタニヤ村に留まってエルサレムに登らないでいた。他方のユダにも「ほかに大切な用事」があって双方のせめぎ合う一日である。彼はイエスを逮捕させる隙を窺っていたであろう。

だが、夕刻になり、14日が始まる最後の晩餐に至って一行はそれまで知られる事もなかったエルサレム市内のある家の二階に入った。ユダは主の隙を捉えることを諦めかけていたのだろうか。(マルコ14章)

一方でイエスは、ユダ・イスカリオテを譴責せず背くままにしておいた。
彼にはその悪いなりに重要な果たすべき役割があったからであり、一度堕ちた使徒の立場に戻ることは無かったであろう。

最後の晩餐に於いて、イエスは彼の裏切りに苦悩しつつも、聖餐を終わると『あなたのしようとしている事を直ちに行え』とすら命じている。即ち、「今から裏切りを始めよ」という下令である。ここでユダの内心に銀三十枚を誘因とする、あの謀略が再び頭をもたげ、それを遂げる機会が目の前に在ることに思いが急いたことであろう。彼の汚れた信仰と云えば、奇跡を行う主なら自ら逃れるだろうというところであったので、後で悔いたのかも知れない。

しかも、裏切りが自分の主には察知されていることは『わたしではありませんね?』と尋ねたときの『あなただ』という返答からも分かっていてのことであったろうが、欲得への願望がそれを霞ませていたのだろうか。そのユダも翌朝には悔いて『わたしは義の血を売り渡してしまった』と祭司長派のところで言った。しかし、宗教家らの返答は『我々の知ったことか!』であり、もはや取り返しはつかなかった。

ユダが師を売り渡している間に、『サタンが入った』という彼の良心や価値観は働きを止めていたのだろうか。それは、信じるべき教理を間違えたというようなことではない。彼は、敢えて決定的な何かを選び取っていたに違いない。後になって悔いたにせよ、それはメシア信仰に立ち戻ったとは言えまい。イエスが最後の晩餐の席で、使徒らが共に試練を乗り越えたことを誉めているが、ユダ・イスカリオテだけは、選別の篩いから落ちていたということであろう。

しかし、その働きによってニサン15日にユダヤ人一般の過越しを含んだ無酵母パンの祭りが始まる前日の14日の内に、神はイエスが『主の晩餐』を制定する時間を取った上で、出エジプトの対型の『世の罪を取り去る、神の子羊』として屠られるべき残りのその日の時間と状況をユダを通して間違いなく設けたのであった。(ヨハネ19:14/1:29)
この目的は、邪悪な者をその邪悪さのゆえに活用するということになる。

このメシアを退ける策動ではもちろん当時の宗教家たち、特に祭司長派の動きも神に使役させられている。
彼らの性向は捻じ曲がっており、彼らからすれば魔術のような不思議を行って民を従え、妙に雄弁で論駁できないこのイエスを殺害することで、自分たちの面子の関わるその願いは満たされるばかりとなっていた。

彼らは、聖なる書物の知識がないために、それを行ったのではない。
奇跡を行う人イエスをメシアと崇める民衆と異なり、むしろ彼らは律法にも聖書全体にも精通しており、自分たちで定めた生活上の適用方法にも熟達し身を清く保っていた。トーラーは全文を暗唱していたのでもあろう。
彼らのようにキリストに歯向かったようなユダヤの上流層は、必ずしも見るからに頑迷で邪悪そうな風貌をしていたわけではない。ヨセフスの著作にもあるように、外見は服装も物腰も洗練されており、その何人もが良識ある人士として諸国民からも覚え目出度い存在であった。
その一方で、当時のユダヤ教の清めの伝統に与るにはある程度の資産が必要となっており、貧しい「地の民」にはその余裕もなかったという状況であった。

その宗教家らは、到来するべきメシアがガリラヤでもナザレでもなく、ベツレヘム・エフラタの出身であるべきことも承知していたのだが、その正しい知識は却ってメシアを見過ごさせる原因となってゆく。彼らにとってナザレ人イエスがメシアなどであるわけもなく、ただのガリラヤの騙り者でしかない。

それでも確かに『預言者はナザレからは来ないのを読んだことがないのか!』とその聖句に確信を置いていた大祭司の知識に間違いはなかった。(ミカ5:2)

だが、ベツレヘム・エフラタで生まれたメシアが、田舎ガリラヤに引っ越すところまでは預言にも書かれていなかった。そのうえ『異邦人のガラリヤ』といえば、宗教の中心であるユダヤでもエルサレムでもない。ましてナザレ村にどんな栄光が考えられたろう。

それでも、まるで預言が無いわけでもなかった。イザヤの9章では『ひとりの嬰児が我らのために生まれたり』とメシアを描写することでよく知られる。そこは世界を統治する偉大なダヴィドの裔を描写しているのであるから、イザヤ53章の『見るべき姿もない』「哀しみのメシア」は彼らの判断力を超えていた。この双方をうまく一致させるべき理解を彼らは得なかったのである。

タナイームの中には、民が律法に従えば栄光のメシアが、そうでなければ哀しみのメシアが与えられるという折衷案を唱える者も居たが、キリスト教徒から見ればそのどちらもがかつて成就し、また終末に成就することは明らかである。

だが、イザヤの栄光のメシアの記述の直前に在るところの『苦しみにあった地から闇は去る。以前にはゼブルンの地、ナフタリの地は恥辱を与えられたが、後には見よ!海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗き闇を歩んでいた民は大いなる輝きを見た。暗黒の地に住んでいた者らの上には光が差し込む。』との句は然程に注意を喚起されていなかった。それがどのようにメシアを描いたのかは隠されていたからである。(イザヤ9:1-6)

だが、マタイがこれを引用して、『ガリラヤからイエスは「悔いよ、天の王国は近づいた」と伝道を始めた』と記す。(マタイ4:16-17)

その一方で、ナザレのイエスの「言う事を聴き、何を行っているかを見るべきだ」、つまり「実によって見分けよう」というサンヘドリン議員のニコデモスに向かって『「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かるはずだ」』と祭司長派やパリサイ人らは言っているが、そこには人の価値観と聖書の知識との鋭い対立がある。(ヨハネ7:50-52)

使徒ヨハネはこうも述べている。
『神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまった』(ヨハネ第一5:10)
ラザロを生き返らせるほどの霊の証しを知っていながら、サンヘドリン議員の大多数は聖書の「正しい知識」を選び取り、イエスの奇跡には遂に神を見なかったのである。さて、当時の人々は価値と知識のどちらをとるべきであったろうか。

確かに、ナザレからもガラリヤからもメシアが現れるとは書いていない。だがイエスの父となったヨセフについてマタイは『夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。』と記しているのである。(マタイ2:23)
だが、どこにそのような句があるだろうか?

後のキリスト教著述家らが、イザヤやエレミヤらの度々述べていた『新芽』(ネーツェル)という語に「ナザレ」を当てはめて読み込むばかりである。(イザヤ11:1/エレミヤ23:5)
これをマタイは事も無げに預言の成就と言うのだが、この僅かな痕跡を見分けることは当時の学者であっても無理であったに違いない。

その以前に、ヘロデ大王からの危機が嬰児イエスに迫ったときに、ヨセフの一家がベツレヘム・エフラタを後にしてエジプトに逃れ、その後ナザレ村に定住したことそのものが、ヘロデ家から逃れるために目立つことのないようにする目的であったなら、預言書がはっきりと「ガリラヤのナザレからメシアが来る」など書けるわけもないし、学者であっても悟らせるわけにはゆくまい。むしろ、宗教家らもイエスがナザレ出身であることを知っていたゆえに、彼に躓いているのである。(ヨハネ7:27) 

だが、その移動は、成長するイエスを危険から遠ざけただけでなく、結果的にイスラエルの全体にメシア信仰を求めるものともなっている。メシア信仰こそは『新しい契約』に必須の条件となるからである。
即ち、ヘロデ王家のメシアの命を狙う目論見さえ、却ってキリスト教に信仰という特長を備えさせる結果となって神に用いられたとさえ言えるであろう。

実に、全身を耳のようにして聖典に聴き入り、それを知り尽くした宗教家らは、「聖なる書物」の知識にすっかり安住し、他方でその知識に疎い『地の民ら』はナザレのイエスの行う奇跡にメシアを見出していった。しかし、宗教家らはその殺害に携わることになってゆく。問題となったのは、彼らの知識ではなく、その心の有様であったのだ。

そのうえ、イエスは彼らの正義感を増し加えるようなことまで言うのであった。
汚されていた神殿を実力を以って清めるイエスに『こうしたことをするからには、どんな徴を見せるというのか?』と詰め寄るユダヤ人らに向かって『この神殿を(汚す以上に)壊すものなら、三日で建て直す』とイエスは答えたのだが、弟子らはこれがイエス自身の身体の事であり、死して三日目に復活する奇跡のことであったことを悟る。
だが、ユダヤ人らには馬鹿げた大言壮語としか思われない。

もちろん、そこはイエスも承知の上のことであり、まともに『この神殿は46年も掛かって建てられた』などと目に見える実際に拘るユダヤ人はイエスをよいよい嘲笑し、果たせるかな、裁きでもこの点を論っており、宗教家らはイエスを大法螺吹きの騙り者と見做しその正義感はいよいよ燃え上がった。イエスはそれに言い返すこともしなかった。むしろ、それが狙った効果なのである。

だが、この『三日で建て直す』という聞く者を躓かせる言葉は、まことに無駄が無く実に見事な一言である。一方で、宗教家らを大いに躓かせて煽り、自身を殺害に仕向けておきながら、他方で、復活の予告を行ってひとつの嘘もない。つまりは自分を殺しても、その害など三日限りで無に帰するという高らかな宣言であったのだが、宗教家らにそれを悟ることなど無理なことである。
これは余程に、キリストに善意をもった者でもなければ、ニュートラルな立場を保てまい。
イエスの現れにどっち付かずで居た者らも表面上は有り得ないこの一言を聞くなり、なだれを打って反対する側にまわったことであろう。

実際に彼らはますますイエスを侮る理由を得、それは二度と引き返すことのできない道へと彼らを踏み込ませる、いや、追い立てるものとなってゆく。彼らの敵意を煽ってさえいるイエスの姿がそこにある。ナザレのイエスは、宗教家らに向かって「さあ、わたしを殺して見よ!」と挑発しているのも同じであったのだ。(箴言5:22)

イエスの挑発は大祭司カイヤファの審議の中でも鮮烈であり、『お前は神の子キリストか』と尋問されたときに、肯定するばかりか『人の子が雲に乗って来るのを見るだろう』とまで付け加えたのであった。これによって裁いていた祭司長派の面々の怒りを激しく燃え上がらせ、遂に『もう証人などの必要もない、今、冒涜の言葉を聞いたのだ』という犠牲を屠る最高責任者たる大祭司の裁決を引き出している。

そこでイエスの刑死は、事の成り行きで望まれずに偶然にそうなったのではなく、それこそは神の経綸、明確に意図されたものであり、周囲の人々、殊に邪悪な者らがそれに徴用されているのである。
では、宗教家らの「正しい知識」は、彼らの益になったろうか? 
だが、メシアは誰かが屠らねばならなかったのであり、その役回りに相応しい者らが確かにそこに存在したのである。


イエスに詰め寄ったユダヤ人の中には、やはりメシアについて書かれた事柄に通じていたために却ってメシアを見失っていた他の者らがいたことについても福音書は明らかにしている。
ヨハネ福音書中では、イエスが祈ると天からの応答があったことさえ書かれているのだが、その同じ場面で、あるユダヤ人らは、イエスが自身が『挙げられる』つまりエリヤのように地から取り去られると言っていること、それはつまり刑死を遂げて霊に復活し、帰天することを意味していたのだが、このことに噛みついている。
『わたしたちは律法によって、メシアは永遠に留まられると聞いてきました。それなのに、人の子は上げられなければならない、と言われるのはなぜですか。その『人の子』とはだれのことなのですか』。
イエスは、『光はもうしばらくあなたがたと共にある、光の内を歩め・・信仰を働かせよ』と言っただけで、もはや公けに話すことを終えたのであった。(ヨハネ12:23-36)
この質問をした者らはその後どうなったかは分からない。
聖書に書かれた文字に拘れば信仰には到達しなかったことであろう。


またヨハネは当時の大祭司のひとりであったカイヤファの発言を次のように記している。
『「あなたがたは何も分かっていない。 一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」。』(ヨハネ11:49-53)

この場面の前にイエスはラザロを生き返らせており、そのためイエスの評判は非常に高まっていた。祭りのためにエルサレムに集って来た人々は、驢馬に乗って城内に入るイエスに大きな歓迎の意を示したものであるから、パリサイ人たちは『「何をしても無駄だ。皆が皆、世をあげて彼のあとに追って行ってしまったではないか」。』と互いに言ったという。(ヨハネ12:14-19)

そこで祭司長派は、密かなところでイエスを渡す者を募り始め、それは彼らが祭りに入る(ニサン15日)の二日前のことであったとマルコは書いている。
加えて、彼らは『祭りの間ではいけない。民が騒擾を起こすかも知れない。』とも言っていたともあるので、イエスを捕縛できるのはニサン13日から14日に限られる。(マルコ14:1-2)

既に前からメシア信仰から逸脱していたユダが、早くも13日の夜に祭司長派に接触し、こうして両者はメシアに古来定められた日に犠牲の死をもたらすことになる。
カイヤファの『 一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が良い』との発言について、後に使徒ヨハネはこう述べている。
『これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。
国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである』。(11:51-52)

この理解は超絶的であり、カイヤファもユダも到底想い致すことのできない神の経綸の高みに達する内容である。確かにカイヤファは『大祭司』としての職責であるかのように『世を救う神の子羊』に手をかけで屠ったのである。(ローマ11:25-26)

即ち、カイヤファにはまったくその意が無かったものの、メシアであるナザレ人イエスを子羊として屠り、その犠牲を以ってイスラエルの全体が贖われ、真実のアブラハムの子孫である『神の子ら』が贖われて出現し、ひとつに集められて『神の王国』としての選民イスラエルがイエスの許に集められるという、偉大な神の経綸が成し遂げられることを、その悪意の内に預言していたというのである。
こうしてサンヘドリンの意志はメシア殺害にはっきりと舵を切ったが、それは過越と無酵母パンの祭りが、いよいよ始まるニサン14日の事であった。神の何という全能性であることか。


◆安息日の捉え方

しかし、それらの神の罠に掛らずにいるためには、相当に心がニュートラルでなくてはならず、聖書の記述を鵜呑みにして凝り固まるなら、かつて聖書からメシアを見分け損ねたことに於いても、将来の終末にメシアたちを見分けるに於いても非常に難しいに違いない。

ナザレのイエスを退けたサンヘドリンには、まだほかにも強固にイエスを拒む理由があった。
それが律法に規定され、彼らがその扱いに深く注意を払った安息日である。
安息の名に相応しく、一切の仕事を行わないというところに彼らの正義が存立していたので、安息日に奇跡の癒しを行うイエスは、律法を正しく行う者ではなく、汚す者に見えていた。

イエスについて『あるパリサイ人たちが言った「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。』(ヨハネ9:16)
この言葉を現代から見ると偏狭にも感じられるのだが、安息日についてはユダヤ人が捕囚からの帰還以来、それを守ることに相当な苦労を重ねてきたのであり、それはネヘミヤ記にもよく表れている。

イエスの登場が近付いた前一世紀からは、ディアスポラの民から来たヒレルという苦学生が、エルサレムの教学院に学び、当時にはヘレニズム文化に曝されて実際の生活との齟齬をきたしていた律法を時代に即応させるための言わば附則をミシュナーに体系化しようと精密な努力を傾けてきたところであり、それは後のヒレル系パリサイ派に結実してゆく。
12歳のイエスの理解に驚いた律法学者(タナイーム)の中に、このヒレルの子や孫がいて少年イエスに驚嘆していたのかも知れない。(使徒言行録のガマリエルⅠ世は孫に当たる)

だが、三十歳に達したイエスを識る者はいなかったに違いなく、後に現れたナザレ人を指導者層は彼の強靭で廉直な言葉と、奇跡の行いは認めないわけにゆかないものの、自分たちの宗教的正義が通用しない部分ではけっして譲れないものがあった。

そこに安息日の扱いもあったのである。
彼らが、捕囚以後に築いてきた安息日遵守の習慣は慣例を超えてユダヤ教徒の守るべき法に制度化されており、その先頭を走るのがタナイーム(律法学者ら)であれば、それを率先して民に守らせたのがパリシーム(パリサイ派)とソフェリーム(書士)であり、そこに祭司長派が代表を務めるサンヘドリンが最高権威としてユダヤ人の上に君臨し、ローマ総督と守備隊は統治すれども汚れた異邦人という意識が民に共有されていた。

また、ヘロデの王家は元々がディアスポラの民であると言い張っていたが、それが本当でないことは公然の秘密でありつつも、ユダヤの習慣を守る素振りをし、またヘロデ大王の神殿の建設や様々な人気取りの施策や寄進によって、またハスモン家との婚姻により、その危うい立場がなんとか補強されていた。

ここに於いて、安息日はユダヤ人の中で更に規則が加えられ、39か条もの条項と無数の附則でユダヤ教徒を縛り上げ、周囲の諸国民との著しい差別化を図って自己義認の格好の理由付けにもされてゆく途上に在った。

つまり、安息日を守る自分たちが神の命に従っているので是認されており、諸国民とは違って清いという高慢な精神を自ら煽り、安息日の条件をあれやこれや加えて、安息を労働のような義務に仕立て上げてしまっていたのだが、『顔に汗してパンを食する』という『罪』ある人間の生業の手を止めて、創造の当初に想いを馳せる安らぎの機会も、却って、自己義認を追い求める空しい労役を行うような束縛の日としてしまっていたのである。

長年に亘って培われたその強い正義感は揺るぎなく、彼らの方式で安息日を過ごさないイエスを体制派は奇異で厭うべきものであるかのように見た。
それは特に癒しを安息日に行うナザレ人イエスの姿にエリート層は拒否感を免れなかった。そこで、奇跡を安息日に行ったという理由でイエスへの殺意を固めてゆく。

つまり、自分たちは聖書に精通し、その求めに正しく従っているゆえに正義があり、それが即ち『神の義』であると判断していたのだが、実際には史上最悪の殺害に手を染めることになってゆく。(箴言21:2)

彼らはよもや自分たちが、神の言葉を伝える預言者らに石を投げつけ殺害してきた父祖らと同じ悪業の総仕上げをしようとしているなど露も思わなかったであろう。

むしろ『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と嘯きつつ、預言者の墓を飾りたてていたのであるが、これはイエスに暴かれるところとなったうえ、『義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう』とまで断罪されたのは『この世代』に対してであったのだ。(マタイ23:29-36)

明らかに宗教家たちには正義感があったのだが、この安息日の扱いにもはっきりとそれが見えている。即ち『神の義』ではなく「人の義」であったのだ。
パウロは、彼らについてこう言っている。『イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しなかった』。また、『神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかった』とも(ローマ9:31-10:3)

彼らにとって律法とは厳密に守り行うものではあっても、神の意図や精神を探るものではなかった。
即ち、行ったか否かが重要視されたのであり、求められたのは判で押したかのような行動基準であったのだ。そこで神意は無視されてゆく。
その結果といえば、遣わされたメシアをガリラヤの私生児で、悪霊に憑かれた魔術師と判断し、重罪人として処刑させるという「蛇の業」であったのだ。(創世記3:15/ヨハネ8:44)

だが、彼らの内では、律法を行う業こそが神の是認を勝ち得て神を喜ばせ、その恩寵に入るものとさえ考えていたに違いなく、それはパリサイ人と収税人の祈りの例え、また、『律法を知らないこの群衆は、呪われているのだ』という祭司長らとパリサイ派の言動に表れている。(ルカ18:9-14/ヨハネ7:48-49)

彼らの正義への確信は揺るぎなく、イエスについて『この者の血は、我らと我らの子らに降りかかっても良い』とローマ総督に請合って叫ぶ。彼らの確信の強さは如何ほどか。(マタイ27:25)
そして、その言葉はその通りに違わず成就する。ユダヤのその世代はキリストの血の清算を求められ、処置を執行するのがローマの権力となってゆくのであった。



◆モーセの罠

そのうえ、あの出エジプトの前夜に屠られ食された子羊と同じく、ニサン月14日に『世の罪を取り去る神の子羊』が屠られたことについては、イエスの当時までに宗教家らが聖書に厳密に従おうとして、これを可能にしたのである。

というのも、律法の書かれたところでは、無酵母パンの祭りについてモーセはこう言っているのである。
『七日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。その初めの日に家からパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までに、種を入れたパンを食べる人はみなイスラエルから断たれるであろう。』モーセはこのように記した後でこうも言う。

『正月に、その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。七日の間、家にパン種を置いてはならない。種を入れたものを食べる者は、寄留の他国人であれ、国に生れた者であれ、すべて、イスラエルの会衆から断たれるであろう。』(出埃12:15・18-19)

日没から始まる14日の丸一日から数え始めると、丸七日は20日が終わる日没で満了することになる。だが、モーセは15日から21日が七日間であることを別のレヴィ26章6節で明言しているにも関わらず、上記の箇所で彼は14日から21日の夕方までを『七日間』としているかのように記した。しかし、これは実際には八日間ではないか!これは単なる記述の誤りなのだろうか?

そこでバビロン捕囚後の宗教指導者らは、律法条項への厳格な履行による義を目指して、いつからとは知られないが、無酵母パンを食する日数を何としても『七日間』にするべく、ニサン14日は子羊を屠る準備の日としたのであろう。(マルコ14:12)
そうすれば、15日に入った夜に過越しのセデルを食し、21日までの日数はモーセの言う『七日間』に準拠させることができる。しかも、過ぎ越しの食事儀礼であるセデルもその七日間に失われずに収まっている。これほどユダヤの宗教家らの正義感を満たす方法もなかったことであろう。

こうして、キリストが近付く時代のうちに、『過越し』は『無酵母パンの祭り』の中に吸収され、「ユダヤ正統派」の中ではふたつの祭りは合体して15日から始められるものとされてゆき、こうして『神の子羊』がニサン14日に屠られる用意はいつの間にかに整っていた。

それゆえ、マタイもマルコもルカもイエスと使徒らの最後の晩餐について『無酵母パンの最初の日』と呼んでいる。これは『無酵母パンの祭り』が始まったという意味ではない。なぜなら、その日は『習わしとして、子羊が犠牲にされる日であり』(マルコ14:12)『過越しに犠牲が備えられる日』(ルカ22:7)とされている。パレスチナでは、当時ニサン14日の昼に神殿で子羊が屠られる習慣となっており、今日のユダヤ人のように、多くの家庭では15日に入る直前の夕方に羊が屠られ、そのまま夜を迎えてセデルの食事をとったという。

したがって、本来なら、イエスの一行のように14日に子羊の肉と無酵母パンが食される過越しの食事儀礼の日付も、当時までにはユダヤ人の間でも派閥によって曖昧になっており、メシアの到来までにパレスチナの体制派のセデルは15日の夜に移されていたので、祭司長派に親しい使徒ヨハネは、イエスの捕縛と処刑が行われたのは『準備の日のことであった』と言うのである。

しかし、体制派が14日の夜に過越しの食事をして祭りを始めていれば、イエスの逮捕が『祭りの時はよくない』と言っていた彼らは、その可能な一日の機会を失っていたことになる。

つまり、キリストの屠られた日は、無酵母パン初日の15日の聖会(アツェレト)の前の『準備の日』であり、それゆえに体制派はイエスの一行より一日遅いセデルの食事を身の清い状態で与ろうと、ピラトゥスの館に入らなかったとヨハネは書いているのである。律法は汚れたと見做される状態に在る者が過越しの食事儀礼に与ることを禁じていたからである。
福音書はそれに加えて、その翌15日が安息日と、無酵母パン祭りの初日の聖会の重なる『大安息日』となったことを記しており、イエスの遺骸を急いで葬る必要があったのである。

以後、今日までユダヤ教はパリサイ派であり、この15日から祭りを始める習慣を当時からそのままに保存しているのは今日見る通りのことであり、それはキリストの処刑がニサン14日であったことの今日まで確認できる証拠となっている。


こうしてユダヤの体制派が『神の子羊』を古代の習慣通りにニサン14日に屠る道は拓かれた。それは出エジプトの子羊とイエスを対型付けるためだけでなく、終末のその日付けに何かの重い意義を持たせることになるのであろう。天界での使徒らとの二度目の聖なる晩餐まで、イエスはナジル人の専心のように、それまでセデルをとらず、葡萄の樹からのものを摂らないとまで言われた。

これらの事は『七日間』というモーセの言葉に込められた罠というべきものではないか。
なぜ、八日間を七日間と記したのだろうか?
それは遠い将来に起るメシアという子羊の屠りに備えた罠となってはいないだろうか。後代の子羊の屠り手を誘う奇跡の一言というべきであろう。

律法の言葉の一字一句に神経質なまでに従おうとすることに、宗教家らが神への崇敬の念を込めていたとすれば、聖書とは実に恐るべき書物という以外にない。ここにも、神の求めるものが忠実ではなく忠節であることが見えている。

やはり律法に通じた使徒パウロがこう言っている。
『今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっている』『キリストにあってはじめて取り除かれるものである』(コリント第二8:14-15)

律法に固執し、メシア信仰を見出さなかったユダヤ人らが聖書に従った以上は、いくらか良い処遇が与えられたかといえば、むしろ逆に邪悪に極まる役を演じることであったのだ。
この例は、将来の終末に於いても、聖書の通りにと凝り固まる人々によって再演されることになるのだろうか。

そもそもモーセの律法体制は、エジプトを逃れて来た数百万もいたとされるイスラエル民族に、パレスチナ入植を前にして国家としての秩序を与える役割を持っていたが、律法を守る動機として『もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。・・あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となる』という希望が与えられていたのであった。(出埃19:5-6)

確かに『モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている』。(ローマ10:5/レヴィ18:5)
だが、メシア後の新約聖書で、キリストの使徒ペテロは律法を『先祖もわたしたちも負いきれなかった軛』と呼んでいる。(使徒15:10)
もちろん、神はイスラエル民族が律法を守って神の前に『義』を得るに至ることがないことは契約を結んだ当初から見通していたに違いない。

そこで使徒パウロはこう述べるのである。
『律法は、約束を与えられたあの裔が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたものである。』(ガラテア3:19)
即ち、律法はイスラエル民族を通して、人類の不道徳性を焙り出しており、それが指し示したのは『罪』のない約束のメシアであり、その人物が『律法を成就』して『義』を示すことにより『完全な犠牲を捧げる』『神の子羊』であることを証ししたというのである。

したがって、律法がメシアに成就されると同時に、イスラエルを糾弾するものとなったと言えるのであり、実際にそうなったことを後代の人々は新約聖書を通して知る。その神意は、キリストの清さを証し、同時に人が罪を認めることであったのだ。

だが、メシアが到来したときにこの点を悟る者は皆無であったといえる。
そこで試されたのが、律法への服従ではなく『信仰』であったとキリストの去って後のパウロは訴えている。(ローマ3:21-22)
それであるから、恐るべきことに「律法の授与」そのものも一つの罠のように作用しているのである。

ただ、モーセは『わたしは彼らの同胞のうちから、おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、わたしの言葉をその口に授けよう。彼はわたしが命じることを、ことごとく彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によって、わたしの言葉を語るのに、もしこれに聞き従わない者があるならば、わたしはそれを罰するであろう』との僅かな警告の言葉を残してはいたのであるが。(申命18:18-19)

後にメシアが到来した時、『信仰による義』を知らされていなかった律法体制下に在ったユダヤ人は、まったく試されたのであった。そしてやはり、律法に書かれている事柄に固執する者らは、自らの内にある『罪』を認めず、律法遵守の『業』を通して自己の『義』を主張し続け、遂に『神の義』であるメシアを屠る悪行に手を染めるに至ったのである。

それにしても邪悪な者らをさえ自在に動かし、その経綸を運ぶとは、聖書の神YHWHとは単なる全能者という意味も超えている。しかも、その邪悪な者らというのは、まさしく神の崇拝を行う者ら、また聖典に最も通じていた宗教家であったのである。

そこで律法にある次のモーセの言葉には深い含蓄がある。
『 秘められた事は我らの神、YHWHに属する。しかし表わされたことは、長く我らと我らの子孫に属し、この律法のすべての言葉を行わせるのである。』(申命記29:29)
人に対しては秘められた事があり、神の語られた事がすべてではなく、人はその限界を弁えなくてはならないのである。

そこで今日、自分たちこそ「正しく聖書に従っている」とするキリスト教の宗派は少なくもないのだが、聖書の細目に従えば、神の是認をも受けるという前提に問題はないものだろうか。また、死すべきただの人が神の是認を受けたと言える理由は何なのか。神の言われる通りにしているからか。では神はその人に何を、またなぜ秘めるのだろうか。そこにあるのは各人がどのような者であるかを暴くことではないか。
まして、いったい誰が聖書全巻を知り尽せるだろうか。

ユダヤ人学者モリス・アドラーは、その難しさをその著にこう語る。
聖書は、本来が神の手になるものであったにもかかわらず、あいまいな箇所がいくつかあった。・・それを遵守する方法がわからないこともしばしばあった。何度も繰り返し出て来て、なぜそのように頻繁に出て来るのか理由が説明されていない場合もあった。またあきらかな矛盾がまったくないというわけでもなかった。  Morris Adler ”The World of the Talmud” 


◆神の意図を成し遂げる邪悪さ

こうしてキリストを巡って、聖書の知識が必ずしもその人を益さないことが明らかであるのだが、これは多くの「クリスチャン」方にとって受けの良いものとはならないのであろう。

キリスト教、特に新教系の宗派では、まさに他の宗派との差別化がその拠って立つ正統の根拠となっており、それぞれに聖書の句に根拠を見つけては行動や道徳の基準を設けて、そこに正義や救いを見出しているからである。その精神には独善と排他主義を避けられない。
(「マクベス」のようなエリザベス朝期の演劇を上演禁止にしたのも清教徒らであった)

自分の宗派こそが正しい聖書理解に達しており、それを神が悦納し、是認を与えているのであるから、「救い」は自分たちにあると思い込むことが「信仰」の姿とはなっていないものか?
さて、人に宿る『罪』とは、そのような正義感で相殺されるようなものなのであろうか。また、キリストの犠牲とは、そのような条件が付されたものなのであろうか。

もちろん、そのようなことはない。
問題なのは、神の意向も裁きも無視し、他者を踏み台にしつつ自分は救われようとする、その利己心であろう。(ローマ3:10-18)

聖書の知識に秀出て、生活に適用していると誇るのも、自分のステータスと救いの保証に神の言葉を利用しているのであり、その邪悪な動機は他ならぬ聖書によって濾し取られる結果となり、メシアを見出して、その信仰に達したのはこのエリート層が蔑視する平民たちであったとは、何と深い教訓であることか。

神は、『すべての人の贖いとして』御子の犠牲を備えられたのであり、『義者も不義者も』分け隔てなく復活させる神の寛容さを信じず、未だキリストの犠牲が捧げられる遥か以前のノアの大洪水や、ソドムの滅びのように、神に気に入られる善人を演じようとするその生存願望から、勝手に神に受け入れられる「正義」を捏造し、悦に入ったその高慢さこそ神が『怒りの器』として用いられた者らの特性ではなかったか?

所謂「クリスチャン」と称する人々の殆どが「聖書は間違いのない神の言葉で、その教えには絶対的な権威がある」と思い込んでいる。
そこで、様々な宗派が、聖句のいくつかを根拠にして神の是認や救いの条件をあれやこれや唱え、その宗派に帰依する必要を説く。

そこにあるのは、自分が神をどう描きたいかという結論が先に立つところの、人間本位の神理解であり、自分の都合や願望や理想に適った神を粘土で形造ろうとする謂わば偶像崇拝であろう。

それは、聖書の中から引っ張って来たそれぞれの言葉を根拠に他の宗教や宗派との差別化を行い、自分たちの正しさを他と比べて誇っている、という以外にない。だが、キリスト・イエスでさえ悪魔から聖句を誤用した誘惑を受けている。それであればただの人が同じ誘惑に遭わないと言えるだろうか。

例えれば、伝道していること、安息日を守ること、ユダヤ人に阿ること、兵役を拒否すること、イエスが到来していること、現に預言者が居て語っていること、神の名を語ること、聖霊を受け霊験をすること、アルコールや刺激物の禁忌、輸血謝絶など挙げてゆけば切りがないのだが、いずれもが神の是認や救いを請合うところは似通っている。
つまりは保身の動機はイエスの世代のユダヤの宗教家らと大差なく、その保証の言葉として聖書の何かの句を金科玉条のように繰り返すこの聖書偶像化はどういうことか。

だが、キリスト初臨の当時の宗教家が自分の聖書の字面の解釈に拘り、自分が神に是認されていると思い込む傲慢から文字を超える事柄を許容できず、却って神からまったく見捨てられたように、再臨のキリストを迎える終末のキリスト教徒がその同じ轍を踏まないと云えるだろうか。

『神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の意向と考えを見分けることができる』というこの言葉には、聖なる書の恐るべき実態が込められているというべきではなかろうか。
キリスト教界の歴史を俯瞰すれば、実に多くの人々が良いつもりで聖書に関わり、試みの結果として自己の内に潜む悪を引き出されてきたというべきであろう。(ヘブライ4:12)

かつてユダヤで聖典に通暁した宗教家らは、その知識ゆえにナザレのイエスについてこう言い放った。
『我らは神がモーセに語られたことは知っている。だが、この輩についてはどこからの者か知れたものでない』。(ヨハネ9:29)

聖なる書とは、すべてが親切に書き出され、正しい崇拝の設計図になるような単純なものとは到底言えない。聖書に従ったからとて、罪にまとわれた『死すべき人』がどうして正しい崇拝など興せるものか。キリスト教徒を自称する人々の根本的な問題は、自分が「裁かれる前の罪人である」という認識が欠けたところにある。
聖書は神の歩みの道筋を知らせる書物ではあっても、誰か只の人間に裁きを許して回避させ、まして正統な崇拝を興させる保証などけっして行ってはいない。それは人間を超えたことではないか。

この点に於いて、『イエス・キリストを信じる信仰による神の義』という考えが、律法下にあったユダヤ人の信仰に付け加えられるべき「メシア信仰」を得た「聖徒」という背景の理解を欠いて、キリストへの信仰は『すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない』とのところを「自分もそうだ」と思うなら、これは大きな罠であり、これに欧米キリスト教界が丸ごと掛かってきたのである。(ローマ3:22)

かつてナザレのイエスが現れたとき、神の悪人をも使役する力はメシアを神の経綸に則して屠らせることに於いて極めて有効に作用した。
即ち、邪悪で最も神から離れた者たちを用いてのことであり、彼らには聖書の知識が無かったのではなく、却って、神崇拝の中枢に居た者らなのである。祭司長派は神殿祭祀の要職に在り、イスカリオテのユダは十二使徒であった。

聖書とは実に驚嘆すべき書物である。その同じ記述を読みながら、人々は聖い信仰に至りもすれば、善いつもりで最悪の邪悪を行う者ともなり、あるいはまったく意味を悟らないことにもなってしまう。

そこで『神は、憐れみを示そうと思う者を憐れみ、頑なにしようと思う者を頑なになさる』とパウロは明言するのである。(ローマ9:18)どんな人であれ、どれほど聖書に従っていようと神に善意を懐こうと、是認の内に選ぶのは神の意志次第という以外にない。

今日のキリスト教界には、聖句に基く様々な教理がある。
主なものを上げると
・『神と子と聖霊の名によってバプテスマを施す』のであるから、神は三位一体なのだろうか?

・終末のイエスは、『雲に乗って来る』と言われるのだから、肉眼で見えるのだろうか? そのうえ、地上に現れては信者を喜ばせるのか?

・『父とわたしとは、わたしの言葉を守る人のところに行き一緒に住む』とあるので、神が信者には内住してくれるのか?

・『二人か三人がいるところにわたしもいる』ので、信者が集まればキリストが臨在するのか?

・もうすでに終末に入っていて、聖霊を注がれた者が現れているのだろうか? それが年代計算で裏付けられるのか?

・『雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い』とあるから信者には突然の携挙があるのか?

・ユダヤ民族は神の時間表だとしたうえで、その帰還は預言の成就で、やがて大量改宗を起こすのか?

・『御子を信じる人は永遠の命を持つ』とあるから、信じたクリスチャンは救われるのか?

・十戒は、神が直接岩に書かれたものであるから、すべての人に求められた戒律か?

・新約聖書にある道徳規約は『新しい契約』に関わり無く、すべての信徒に求められたものか?

・『異言は絶えた』のだから、聖霊はもはや奇跡を起こす力は失われたが、いまも信じる者に働くのか?

本当にそれでよいのか?
聖書の文言には罠があり、誤解を煽るようなところが、なお終末に向けてあちこち備えられていないと請合えるだろうか?
ユダヤの教師らは「ベツレヘム」や「安息日」などと容易にその罠に掛かっていたではないか。

やはりキリスト自身に対してさえ悪魔が聖書の句を用いて誘惑を仕掛けたことも忘れるべきでない。悪魔はキリストを運んで場所もあろうに、神殿の高い屋根の端に置き飛び降りるようにと勧めた。その理由として『これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたを支え、石に足を打ちつけることのないようにする』という詩編第91を根拠にした。(91:11-12)

これは危急の場面で神が保護を与えることを告げる句ではあるが、神の御子であるから恣意的に自ら作った危険からも神は守らざるを得ないという意味にはならない。そこでイエスは申命記第六章のマッサでのイスラエルの不信仰を諫める句から引用し『「あなたの神たる主を試みてはならない」とも書いてある』と悪魔の句の適用を退けた。(申命記6:16)
だが、キリストでない人間がこのように聖書の言葉を適切に判断できるものだろうか。むしろ、キリスト教の指導者らは、多くの箇所で自らの都合や欲から、同じような罠に嵌りこんではいないだろうか。

聖書はいつもそこに在り、その文言は今日までほとんど不動であるのに対して、教理は常に人間の案出するところとなってきた。
『だれかに自分を差し出して従えば、その従っている人の奴隷となる。死に至る罪の奴隷ともなり、あるいは、義にいたる従順の奴隷ともなるのである。』(ローマ6:16)

自分では聖書の神に自分を差し出しているつもりでありながら、実は人の奴隷となることは簡単なことであり、判断力を抑え、疑念を振り払って大衆化していればそれで良い。

もちろん、聖書にその言葉があるから、その通りのことが起こるのだ、ということがまるで否定されるということではないに違いない。
だが、聖書は、誰にでも善意をもってすべてをさらけ出しているとは言えない。裁かれるべき人をふるいにかける文言が潜ませてあるのは明白で、信仰を表せば誰にでも神は是認を与えるというなら、どうしてキリストを屠る者らが聖書の教えの中から現れたのであろう。

聖書の言葉に厳密に従うことで、周囲との差別化を図っていたパリサイ派がキリストと対立したことから、どんな教訓が導かれるか?

彼らの視野は知識によって狭められており、キリストの現れも、奇跡も、その発言も、彼らには想定外の事態となってしまい、そこに神の意図を見なかったのである。 宗教家らにとって、ナザレ人イエスを退けることが、内心で願わしいことであったに違いない。その願望をイエスは見抜き、煽りたてる。人は自らの欲に誘われ信じたい教えを信じるものであるので、何を信じるかは、その人の倫理観そのものとなり、世の宗教にはそれぞれの欲望に合わせて無数の教理が揃っているものである。

やはり、己を捨て、神の意志を探り続けるような意志を持たないなら、どこかで利己心に絆され、幾つかの言葉を自分に都合よく解釈して固執してしまう。それが人間の浅ましさではないだろうか。

神の言葉とは、そう易々と書かれたままの意味を持つわけではないことがあちこちにあり、それはとりわけ知識を持つ人々に罠となって降りかかってきたのである。
彼らには、自分たちが悪を行っているという感覚も無かったことであろう。逆に、正義感に動かされてもいたというのが実際のところではないか。人の正義感なぞ何と当てにならないものか。 求めるべき『神の義』は、むしろ自分の義を立てないところに在るのではないか?

思い返せば、神は律法契約を与えながら、それが守られないことを予見しなかったとは言えない。そこでイエスが『わたしが律法を廃棄するために来たと思うな』と言われるのであろう。律法の言葉は完全性を求めることに於いては不動であったが、それゆえにも、人の守れるようなものではなかったのである。

加えて、パウロが言うように、律法が最初から『違犯を明らかにするために付け加えられた*もの』であったなら、その目的であるアブラハムの裔『聖なる国民、王なる祭司』は、唯一人キリストの外にはモーセの律法からは誰も到来しないということを神は承知であり、かつて分からなかったのは人間の方である。いや、ユダヤ教徒はいまだにそれを認めない。

後になってパウロから明かされるように、旧約の律法が新約のメシアへと『導く養育係』であったなら、それは、新約聖書の文言に対しても一歩も二歩も引いた謙りを読む者に求めるものとならないだろうか? (ガラテア3章)*(アブラハムへの約束に対して)



◆悪を利用する神に不正があるのか?

そして、この邪悪な者らを用いるという神の目的は、終末に更なる佳境を迎えることになろう。ユダヤ体制の裁きとキリストの犠牲を供えることを成し遂げたことに於いて、聖書に隠された意図があったのであれば、どうして終末の世界の裁きに於いて、聖なる書物にそれが無いと言えるだろうか。

ユダ・イスカリオテが『滅びの子』と呼ばれたように、もう一人、そう呼ばれる終末の『不法の人』は、より規模の大きい『背教』によって、この世の全体に滅びを呼び込むことになるのであろう。

最終的には、悪魔そのものも、創造された価値を発揮し尽して終わりを迎えることになる。即ち、永生を得る者らを誘惑して試し、倫理上『完全な者』としてしまう事に於いてである。

この点でパウロは、ローマ書簡の9章で『神に不正があるのか』を問い、『怒りの器』と『慰めの器』について述べる。
曰く『作られた物が作った者に向かって、「どうして自分をこのように作ったのか」と言うだろうか?』と問いかけるのである。(ローマ9:20)

もちろん、神はサタンと雖も、初めからそのように創ったわけではない。元々は優れたケルヴであったことがエゼキエルに示唆されている。(エゼキエル28:11-17)
しかし、神は理知ある創造物に自らの『象り』とし、自由な意思を与えた以上、予め悪を選ぶ者が現れることは承知の上であったに違いない。そうでなければ、エデンの二本の木の選択には意味がない。それらは創造物を分け、生きるべきものとそうでないものとの分かれを生じさせた。

それでも、陶器師がはじめからどんな器を作るか決めているように、創造の神YHWHは、誰であるかはべつにしても、悪を為す人の登場を予め予見していることにおいて、やはり陶器師のようである。それは遠い過去から書かれていた神の意志であるから、『なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意志に逆らい得ようか』という発言も無理はない。(ローマ9:19)

ではそこで、創造物である誰かが、自由な意志を行使して敢えて悪の道に入り、その役割を担うのであれば、創造主がその誰かを活用してはいけないのだろうか?

だが、その悪しき者の到来を予見し、その者らさえも用いて『悪者が正しい人のための身代金の代価となり、裏切り者が廉直な者の身代わりの犠牲となる。』との言葉のように自在に活用することは、創造の神にしてはじめて正当なことではないか。(箴言21:18)

確かに、神もイエスも邪悪な者らを挑発して煽り、いよいよ誉れない用途に用いる器として轆轤を回すかのように粘土を整形していたのである。

邪悪な者、つまり『滅びの器』を忍ぶ神は、『憐れみの器』への『ご自身の栄光の富を知らせようとされた』と言うパウロの言葉は、悪しき者らの犠牲の上に築き上げられる栄光であり、邪悪な者がなければ、キリストの殺害など到底行えることではない。

だが、そこに邪悪な行いを実行する者が居る以上、『善い事が来るように、悪い事をしよう』と態々しなくても良いのであり、実は、その難役をこなす役者には事欠かないのである。(ローマ3:1-17)
その者らは「善い事をしようとして邪悪を行える」。神への敬虔な想いさえ懐いて、それが出来る。ただ、その者の動機や価値観が少々異なるだけのことになろう。(マタイ6:23)

そこで、神の言葉に忠実であるゆえに悪者となり兼ねないとは、実に恐るべきことである。我々はだれも、それら神の言葉を知り尽くすことができないのであれば、けっして僅かな言葉に固執したり、聖句に自己の義を立てたりするべきではない。

忠実とは、他者に従うことであり己の想いも捨てて従うが、忠節は、自発的に考え共感しつつ想う処を行うものである。
忠実には、厳密に従うことで命じた者に責を求めるが、忠節は自分自身の善意に発する自由な判断がある。

聖書の言葉に逐一従うことで神の義に達すると思うなら、その人は己の罪を無視しようとしているであろう。
神は『清い人には清くふるまい、心のねじけた者にはご自分をねじけた者とされる』のであれば、問題があるのは御言葉ではなく、その人そのものではないか。(詩篇18:26)
何という恐ろしさか!

神の言葉にただ従う信者らには、それによって神に責任を求める動機が働いており、一重に従う者は、自らがどのような者であるのか、という裁きに関わる問いを回避しようとする意図もいつの間にか働いていることであろう。
その態度を神は御言葉を用いて退けられるのであれば、その意味に於いて『神の道は完全、YHWHの御言葉は精錬されている』と云えることになる。(詩篇18:30)

それであるのに、自分可愛さに神へのひたすらな従順を示そうとする信者らは、その従順のゆえに差別化を図り、内心ではそうしない人々を裁く以外にない。
そこにあるのは利己心ではないか?

人は皆、押しなべて贖いを必要とする『罪人』であり、他者を裁くことは出来ないという、このキリストの教える「真理の内の真理」というべき基礎を退ける理由が何か聖書にあるだろうか? 「聖書を知らない民は呪われている」などと考えれば、まさしくパリサイ人と同じではないか?そのように裁いていた宗教家らの末路を考えると、神の、人の内面を観るという言葉の重さが読み取れる。(サムエル第一16:7/詩篇17:3/ヨハネ7:49)

実に、ほとんどのキリスト教徒にせよユダヤ教徒にせよ、自分は是認されていると妄想することに於いて、神と自分の関係を過大評価して甘えているのであり、自分が裁かれる前の『罪人』である意識が余りにも欠けている。依然として誰も御前に近付けないその身の実情を弁えない様は、余りに神に無礼であろう。

そこで『 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である』との句は、人に何かを保証するものとはならない。この句に聖書の絶対的善意を見るなら、それは危険なことになる。
理解できないことが数多くあり、敢えて書かれていないこともあろう。
むしろ読む者を篩いに掛ける言葉がこれまでにも在ったし、まだほかにも仕組まれているに違いない。読む人間に悪があるからである。(テモテ第二3:16)

『焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか』とパウロが言うのは、最初から悪くなるように神がその人を形づくったというのではなく、自ら悪に向かった者らを、神が器として用いることが不当か否かを述べている。それは提出され易い反論だからであろう。

しかも、神はサタンをはじめとして、そのような者の到来を見越して様々な策を講じているということが、聖書の知らせる故事にいくつも見えているのである。
あるときは頑なにならせ、あるときは躓かせ、またあるときは偽りの預言までさせ、ご自分の計画を進めてこられたではないか。それも常に神との関わりのある中から、最も邪悪な行いを行う者らが現れてきたのである。

そこで問題は、倫理上の価値観ではなかろうか?
誰かが、神や聖書に関する知識が深いとしても、人としてはどうなのか。
これが問われないとするなら、博識を持つにしても確信を懐くにしても、それに何の意味が残るものか。(コリント第一8:1-2)

終末の裁きには、この同じ事が起こるのではないだろうか?
やはり、起こるのであろう。
この件の異議申し立てについては、準備万端、こうしてパウロが語っているのである。

神の言葉に近付けば、その分でも神に喜ばれる者になるのだろうか?
実は、そうとは限らない。
却って、離れるということが起きるのである。

それであるから、神の言葉のすべては、善も悪もあらゆる者を意のままに用いる全能者の経綸の通りに、終末と千年期の後に、創造の業を有終の美で飾ることになろう。どんな邪悪が起ころうとも、神の全能性によってそれすらも創造の業として最終的に収束させてしまうに違いない。

ゆえに、悪しき者らの滅びの『煙は永久に立ち上る』のであろう。これらの者らもやはり創造物としての役割を果たしたと言えるのであろうから、それが彼らの永遠に亘る「業績」と云えよう。

是非、そのような者にはならぬよう心を神に向かって整えておきたいものである。
聖なる書には、記された処と、未だ記されていない処の、ふたつが存在することに於いて、神は人を様々な器に形造った故事があるのだから。

ゆえに、聖書は書き終えられたなどといったい誰が言えるだろう。
神YHWHは生きている。聖書の言葉の中に閉じこもってはいない。終末に至れば『その腕は目ざめる』という。

聖なる書の記述に躓くにせよ、固執するにせよ、そこで人は形作られてゆく。
自分が何を信じたいのか、主張したいかではなく、神への畏敬の内に一歩引くことは易しいことではない。‪‪知識に優るもの、それが価値観ではないだろうか。

聖書に仕掛けられた罠に嵌まった者らは、聖書を偶像に仕立てた偶像崇拝者だったのであろう。




  ©2017 新十四日派 林 義平





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エレミヤの七十年の終点から起点を探る

神殿祭祀に関わるエレミヤの七十年
 <難易度 ☆☆☆☆ 中> 予備知識⇒「アリヤー・ツィオンの残りの者」/「指名されたメシア キュロス」



その夜、バビロン市は収穫の徹夜祭で乱痴気騒ぎと祝いの酒に酔いしれていた。
それは西暦前539年の秋のことであったという。
 
だがその騒ぎの間にも、メディア・ペルシアとそれに連合する諸国の軍の兵士らは、夜の帳の下りた後、粛々と市を貫流するユーフラテスの川床から夜の闇に紛れて市内に入り込んでくる。全軍を率いるのは、新興ペルシアのキュロスⅡ世であった。

その大河の川幅は2スタディオン(約360m)あり、水深は兵士がもうひとりを肩に担いで立たせても水面に顔を出せないほどであったとクセノフォンが伝えている。
この膨大量の水によっても守られたバビロン城市ではあったが、もし、この水が干上がりでもすれば、城壁で強固に守られた大都の中枢に攻め上るための侵入路ともなり兼ねない。それは難攻不落を誇る城壁のほうはまったく相手にしないというトロイの木馬の戦法に比すべき大逆転の発想である。

連合軍を率いるペルシアのキュロス王はその夜、大河の水を掘削しておいた別の水路に流し込み、それは沼沢地に吸収されていったという。そこでバビロンの流域の水嵩は兵士の腿の低さにまで減っていった。
兵士らは、川に面する開かれた城門から祭りの騒ぎに乗じて侵入し、王宮を目指して進む。だが、市内は祭りの最中にあって何が起こりつつあるのかをまだ知らない。豊穣を祝う徹夜の秋祭りに騒ぐ市民らの誰もが、川幅三百メートルを越える滔々たる大河の流れが、祭りの一夜の間に水溜まりの程度にまで減っているなど思いもしないことであったに違いない。糧食に困ることのないバビロンの住民にしてみれば、ペルシア軍などいずれは撤退を余儀なくされるとの予想に安堵しきっていたことであろう。

その夜、バビロニアの共同統治の王ベルシャッツァルは、油断しきって宴会を催していたのだが、宮殿の門の外の騒がしさの理由を何事かと近衛兵に調べさせると、何と開かれた門から敵兵がなだれ込んできた。

紀元前539年秋のティシュリ月16日*のその夜、バビロンはメディア・ペルシアにまさかの攻略を受け、あっけなく征服されるのであった。*(グレゴリオ暦10月5日・日曜の未明)

それから陰暦一か月の後、キュロスは緑の小枝の敷き詰められた道を進んでバビロンに入城を果たし、それまでのバビロニアの習慣として占領した諸国の偶像と共に捕え置かれた民を、神々共々すべて故地に戻す政策を実施し始める。(バビロニア年代誌/H. Crawford)

旧約聖書のダニエル書によれば、このときバビロンの支配者となったのはペルシアのキュロスではなく宗主国メディアのダレイオスであった。
だがこの王は、既に62歳であって、寿命をすぐに迎えたのか、二年後の前537年にはキュロス王の治世の第一年とされている。

ユダの捕囚民にして預言者ダニエルは、かつてネブカドネッツァルへの夢解きによって高い地位にあったのだが、その年には血統の異なるナボニドスの治世になって忘れられていた。しかし、メディア・ペルシアの支配へと情勢の変化するに及び、ダニエルはダレイオス王の下でメディアの祭司であるマゴイ族らを退け、再び重んじらる地位に登るのであった。
そのダニエルもメディア・ペルシアの勝利と征服に変化を悟ったのであろう。その年、イスラエルの民のために悔悟と回復を願って真摯な祈りを捧げるのであった。

また彼は、その同じ年になってから同朋の預言者エレミヤのかつて残した預言書を読み、エルサレムの荒廃の期間が七十年となることを知ったと言っている。

エレミヤはユダの民を糾弾し、こう予告していたのである。
『この地は尽く滅ぼされ、驚愕の荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕えるであろう。
YHWHは言われる、七十年が終わるとわたしはバビロンの王と、その民と、カルデア人の土地を、その罪の故に罰して永遠の荒野とする。』(エレミヤ25:11-12)

だが、諸国の民と共に神々の偶像までをバビロンに捕え置いてきたバビロニア王朝は、ナボニドスとその皇太子ベルシャッツァルの統治により、城門の二重扉の奥に固く捕えて、一向に諸国民もその神々も解放する気配が無かった。
アッシリアやバビロニアでは、占領政策の一環として、被占領民の反乱や独立を妨げるために、居住地を変更させ、彼らの神々の偶像を囚われにして自分たちの元に置いていた。
これが解放されるには、コーカソイドの帝国、ペルシアの勃興を待たねばならなかったのである。

キュロスの連合軍がバビロン市を攻囲してもなお、この巨大城市には20年もの間は糧食に困らないと言われており、聳え立つ二重の城壁の上の通路は四頭立ての馬車が方向転換できるほどに広いと言われる分厚い守りに囲まれていた。しかも、市域の長さは20kmも越えていたとさえ言われる巨大さであったから、周囲を一度囲んでみたキュロス軍も蟻の行列のように薄い包囲網となってしまい、それはバビロニア兵の嘲笑するところでしかなかった。

しかし、いまやその鉄壁の守りも無意味なものとされて、ベルシャッツァルはペルシア兵の剣に倒れ、父王ナボニドスも囚われの身となった。
そして、その後キュロスの占領政策は、アッシリアやバビロニアのセム系帝国の施策とは正反対に、諸国の民を抑留地から解放し、それぞれの偶像の神々も在るべき神殿に戻して手厚く崇敬するところにあった。

ユダの神YHWHは偶像の神ではなかったが、エルサレム神殿の金の装飾は剥ぎ取られ、金銀銅で作られた聖なる器具や什器類がバビロンに留め置かれたままとなっていた。律法が規定した聖所での祭祀は中断したままであったが、祭祀に用いるための五千四百に上るほどの器具が保存されていたことは却って幸いな結果を呼ぶことになる。それらを運ぶ『街道』は預言されていたように神により守られ、貴金属の器具類は無事の帰還を果たすことになる。

そして、キュロスの征服によってバビロニアの王朝が過ぎ去ったその年に、ダニエルは自国民が示してきたYHWHへの多くの反抗と咎を言い表して祈り、その赦しを、加えてエルサレムの回復を願い求めたのであった。それは即ちメディア人ダレイオスの第一年のことで、ダニエルが捕囚としてバビロンに捕え移されたエホヤキン王の第三年(前605)から66年、エルサレムの神殿が破壊されてから47年が経過し、彼も齢八十には達していたことであろう。(ダニエル1:1/9:1)



◆エレミヤの七十年

ダニエルが青年期からバビロニアで祭司の長官を務めた時代、依然エルサレムには神殿が健在であったが、その喪失の危機は逼迫していた。その頃、エレミヤやエゼキエルらの預言者たちが、その危険が迫っていることを語り出していたのであるが、もはやその流れは変わらなかった。
その頃、旧約聖書中でも著名な預言者エレミヤは、即ち第一神殿の末期に、ユダ王国のただ中で不実な民の律法契約に対する不履行を生涯をかけて糾弾し続けていた。

このベニヤミン族の土地に属する城市アナトテの祭司エレミヤは、若いときから神YHWHに預言者として召され、その預言書を記したが、エルサレムとユダの荒廃する『七十年』については二か所で語っている。
まず最初は上にも記した第25章であり、そこではユダと近隣の国々が七十年バビロンの王に仕えること、また、七十年の後にバビロンの王と民を罰して、カルデアを永遠の荒野にするという。
もう一か所は、第29章であり、こちらでは『七十年が経るとき、あなたに我が心を向け、あなたへの良い言葉を実行し、あなたはこの地に戻ってくることになる』との神YHWHの言葉を知らせている。(29:10)

エレミヤ亡きあと、これらを読んだであろうバビロンにて老境に達していたダニエルはエルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、エレミヤの文書によって悟ったと記している。(9:2)

預言を総合すると、エレミヤの語った『七十年』の意味は、ユダの民がバビロンの圧制から解かれ、ユダとエルサレムに再び住むようになるときに、その荒廃の期間が終わることを述べていたことにはなる。

だが、エレミヤに語られたその『七十年』の真意はどうやらそれだけのことではなさそうなのである。

というのも、以下に書き出すように、当時のユダヤ人の語るところ記すところはそれぞれではあっても、彼らはある一つの共通認識を有しており、単に約束の地への帰還と定住の始まりによって『七十年』が終わったとは見做していないことを繰り返し示しているのである。

そこで今日の我々も、彼らと共通の認識からエレミヤの『七十年』を読まねば、その意味を悟ることはできないというべきことになる。

では、それら往時の記述を追って彼らが理解した『七十年』の意味を探ってみよう。


まず、ダニエルが深い悔恨を言い表し、神に謙って民の赦しと回復を願ってから二年後のキュロスの第一年に、イスラエルの民への帰還が許されたわけだが、その勅令の趣旨はイスラエルの帰還そのものではなく、ユダの神の崇拝の復興であった。

その年の内にユダの民の有志たちと随行する者ら五万人ほどが、第七の月の一日(ヨム テルア)にはエルサレムに到着し、スッコートの祭りを行っているし、仮のものながら早速に祭壇を組んで、焼燔の犠牲を再開したのではあるが、以下に見るように、それらを以って彼らはキュロス王の勅令を行ったとは見做していないのである。

そればかりか、翌年に神殿の基礎は据えたものの、その後は周辺の諸民族からの神殿再建の妨害に遭い、来る年々、建てる業は行われなくなってゆく。
しかし、キュロスの子カンビュセス二世王がシリアで崩御し、祭司系のマゴス族で王位簒奪者であったというガウマタ*を倒して、ひとりのサトラップの息子であったダレイオスが即位すると、この新王は大王キュロスの方針を採り、諸民族の崇拝再興を促進させてゆく。
*(実際には、正統な王位継承者のスメルディスであった可能性があるとも)



◆エズラの記録

エレミヤの『七十年』については、ダニエルより更に後の世代、それが成し遂げられた時代の証人として、聖典警護のソフェリームの中でも最も著名な人物、エズラの記録を聖書中に読むことができる。

『そこで主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め寄せさせたので、彼はその聖所の家で剣をもって民の若い者らを殺し、若者も、処女も、老人も、老いさらばえた者をも憐れみはしなかった。主は彼らを尽く彼の手に渡された。
 彼は神の家のもろもろの大小の器物、YHWHの家の貨財、王とその高官らの貨財など、すべてこれをバビロンに奪って行き、神の家を燃やし、エルサレムの城壁を崩し、宮殿を尽く火で焼き払い、そのうちにあった貴重な設備のすべてを破壊した。
 彼はまた、剣を逃れた者らをバビロンに捕え移し、彼とその子らの奴隷となし、ペルシアの王国の興るまでそうしておいた。
 これはエレミヤの口によって伝えられたYHWHの言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息を得た。即ち、その荒廃の間安息して、ついに七十年が満ちたのである。』(歴代誌第二36:17-21/レヴィ26:34)
 
 以上の記述では、民の不在によって国土が荒れたが、それも七十年の間であったと読むことができる。
 だが、そのあとに続けて、エズラはキュロスの勅令についてこう書くのである。
 
『ペルシアの王キュロスの第一年のことである。かつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、YHWHはペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神YHWHは、地上の国を尽くわたしに賜った。この方がユダのエルサレムにご自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたがたの中で主の民に属する者は誰であれ上って行くがよい。神YHWHがその者と共に在られるように。」』(歴代誌第二36:22-23)

また、この二世紀も以前に、イザヤの預言もキュロス大王の役割について神YHWHの言葉をこう記録していた。
『キュロスについて、「彼は我が牧者、我が喜びとするところを尽く為すであろう。」またエルサレムについては「彼女は再建される」、神殿については「彼はその礎を据えるであろう。」』(イザヤ44:28)

キュロスの意図は、彼に世界覇権をもたらした神々を奉り尊崇することであり、ユダについては明らかにエルサレムに神殿を再建することにあった。従って、キュロスの勅令はイスラエルにパレスチナへの帰還を許すというものであったとするのは勅令の目的を無視していることになる。
イザヤによってキュロス大王がメシアとされるのも、神殿祭祀の再興の命を下してのことに違いなく、それは無効化できないペルシアの勅令そのものに拭い難く刻まれている通りである。



◆帰還民の観点

キュロスの後代に、ガウマタが倒され王の系統が替わると、ユダの民には神殿再建もますます遠ざかったかに見えたであろう。
しかし、この時節にイスラエルの神YHWHは、預言者ハガイとゼカリヤのふたりを総督ゼルバベルと大祭司エシュアと帰還民に遣わして神殿再建の業に取り掛かるよう促すのであった。
では、この情況下でエレミヤの『七十年』が終わっていたと彼らは見做していたろうか?

当時の帰還民らの心情が如実に表れているのがゼカリヤ7章2節の民の問いかけである。
そこではベニヤミンの北のベテルの民衆*が上って来て、神殿で仕えるべき祭司らや預言者にこう尋ねた。
『「わたしは今まで、多年おこなってきたように、五月に泣き悲しみ、かつ断食すべきでしょうか」。』*(地域からすれば、彼らが北王国への帰還者であった可能性がある)

だが、その心の迷いそのものに、ゼルバベルらのような神の家に対する熱心は見られない。
彼らにはダニエルのように神に対する真摯で篤い気概も無かったというべきであろう。ただ、時はもう満ちたかと訊いているばかりである。捕囚を解かれてから既に20年になろうとしており、もう出来ることなら面倒な断食も終わりにしたかったようにも聞こえる言葉である。

そこで即座にゼカリヤにYHWHの言葉が臨み、こう言われる。
『あなたがたが七十年の間、五月と七月とに断食し、かつ泣き悲しんだ時、それは本当に、わたしのために断食したのか』

つまり、五月の断食とは、ユダヤ人にとって極めて悲しむべきアブの9日の神殿の破壊を記念して、今日までも続くティシャ ヴェ アヴの習慣であり、ここに書かれた七月のものは、それに続くエルサレムの荒廃に関わるものと推定されているという。

そこで民は、祭祀の一部が再開はしていても、いまだ神殿の落成を見ない状況で断食をどうするべきかを崇拝に関わる人々に問い尋ねてきたのである。
断食はそれぞれ七十回かその近くの数字に及んでいたことは、このことを記した預言書が神の霊感の言葉にある以上、動かしようもない。この民は『七十年』についておそらく聞き及んでおり、それが終わったと観てよいものかどうかを、祭司や預言者らのところに尋ねてきたのであろう。即ち、断食を終えるべき『七十年』が過ぎ去ったにしては、神殿の工事が中途にあることに戸惑いがあったというべきか。

そこで、神の更なる答えはこうである。
『「わたしはシオンに帰り、エルサレムの中に住む。エルサレムは忠信な町と称えられ、万軍のYHWHの山は聖なる山と称えられる」』
それだけではない
『エルサレムの街路には再び老いた男、老いた女が座するようになる。皆よい年寄で、おのおの杖を手に持つ。またその町には、男児、女児が満ち、街路に遊び戯れる』(8:3-4)

つまり、荒廃は終わってはいないという以外にこれは読みようが無い。これはダレイオスの第四年、即ち紀元前518年の9月キスリュウの事とされている。
そのうえ、この二年前のダレイオスの第二年11月シェバトにも、『万軍のYHWHよ、あなたは、いつまでエルサレムとユダの町々とを、あわれんで下さらないのですか。あなたはお怒りになって、すでに七十年になります』と天使が語っているのである。(1:12)

このように、ユダヤ人らの『七十年』には、帰還後の単なる時間経過だけでは解決することのない何事かが込められてはいないだろうか。

神殿はイスラエルの聖なる神が『その名を置く場所』であり、イザヤが語ったように寡婦であるシオンに夫たる神が戻られると云われ、『その時』にはシオンの子らも帰還していると預言されているのである。(イザヤ62:4/49:21)

だが、神殿再建以前の時代、ユダヤは街々に人が戻ってきたと言えるほどではなく、非常に閑散としていたことはさらに60年後のネヘミヤ記からさえ窺えるのである。

ダヴィドによる詩篇53番の最後にある『神が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜び祝うであろう。』の預言を含んだ句は、当時の帰還民の様子を描写するには大袈裟というべきであろう。

では、何を以ってエルサレムの荒廃が終わり、真の意味でエレミヤの『七十年』が満ちるのだろうか?



◆キュロスを右手を掴むYHWHからの観方

預言者イザヤは、その人物の起こる二世紀も前から「キュロス」と名指しでイスラエルの解放者としての働きを予告していた。つまり、キュロス大王はイスラエルの神YHWHの「メシア」、即ち「任命を受けた者」であった。
YHWHはキュロスの生まれる遥か以前にこう予告した。

『彼の右手を掴み、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする・・わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。わたしはYHWHである。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。』(イザヤ45:1-5)

イスラエルの神YHWHは、その民イスラエルを約束の地に戻す強い意志を表明されている。それはイザヤだけを通して予告されたことではない。エレミヤは荒廃と回復についてこう記している。
 
『まことにイスラエルの神YHWHは、塁と剣で引き倒されるこの町の家々と、ユダの王たちの家々について、こう仰せられる。
彼らはカルデア人と戦おうとして出て行くが、彼らはわたしの怒りと憤りによって打ち殺された屍をその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のために、わたしがこの町から顔を隠したからだ。

見よ。わたしはこの街の傷を癒して治し、彼らを回復させて彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルの繁栄を元どおりにし、初めのように彼らを建て直す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らを浄め、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。』(エレミヤ33:1-8)

バビロン捕囚後にイスラエルが帰国し繁栄するというこれらの預言は「回復」また「慰め」の預言と呼ばれる。
それらの内容を観ると、そこには単にイスラエル諸部族が約束の地に帰還して住まうという以上の内容が込められているのである。

それはキュロスの出した勅令の内容からもそう言える。
 
『「ペルシアの王キュロスはこのように言う、天の神、YHWHは地上の国々を尽くわたしに賜り、ご自分の家をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。
あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、YHWHの家を復興せよ。この方はエルサレムにいます神であらせられる。
すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その地の者は皆、金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにもエルサレムにある神の家のために真心より供え物を捧げるように」』(エズラ1:2-4)

イザヤにあるように、キュロス大王がYHWHのメシアであるなら、その働きに込められた神の意図はその勅令に反映されているに違いない。ましてエズラは『エレミヤにより告げられたYHWHの言葉を実現するために、YHWHはペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせたので、王は支配地域全体に勅令を出し、詔書にしてこう述べた。』としているのである。(エズラ1:1)

そうなると、ますますエレミヤの『七十年』の意味は単なる帰還を意味しないのである。

これについては、エレミヤの七十年をその書で知ったというダニエル自身もその認識を祈りの中で表しているが、次にそれを確認しよう。



◆ダニエルの観点

前述のように、ダニエルはメディア王統の方のクセルクセスの子であったというダレイオスのバビロン支配の第一年に、エレミヤの預言からエルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを知ったという。(ダニエル9:1)
キュロスによるバビロン征服がなされたことで、ユダ捕囚民にも状況も大きく変わり得るように見えたことであろう。
だが、この時にはパレスチナへの帰還を許す勅令はキュロスの第一年を待たねばならなかった。

高齢のダニエルは荒布をまとい、断食をして、頭には灰をかぶって魂を苦しめつつ、イスラエルの神YHWHに悔恨と赦しを乞う祈りをエルサレムに向かって申し述べる。
イスラエルが永きに亘り、律法を守らず、遣わされた預言者らを迫害し、神の勧告にも耳を傾けず、遂にモーセの警告した通りの酬いを刈り取ることになり、民はユダもイスラエルも他国に囚われとなり、その神殿は破壊され聖都エルサレムは人の住まない荒れ廃れたところとなり果て、人々のそしりともなったことについて、彼は神の処置の正しさを述べる。

しかし、そのエルサレムとその民との上には神の御名が称えられるので、ダニエルは神自らの名のゆえに再び御顔の光が照らすようにと願い出た。
そのとき彼は『あなたの御名のために遅らせないでください』とまで願い出ているのである。(ダニエル9:19)

これらの内容からすると、神自ら宣告された七十年が反故になってしまうことのないよう、ダニエルはバビロンからの解放が予告通りの時に起こり、捕囚民の帰還が実現するよう嘆願しているかに読めるかもしれない。

だが、ダニエルが念頭に置いていたのは、この祈りの言葉に示されているように、やはり民の帰還以上のもので、それは民を益することに勝る神の益であった。

彼は同じ祈りの中でこう願うのである。
『あなたの都、聖なる山エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください』『あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください。』(ダニエル9:16-17)

ここに言い表されているのは、聖なる山シオンと聖なる処である神殿への熱烈な願いというほかない。やはり、七十年が経過さえすれば民が赦されて帰還し、民らが平和にパレスチナでの生活をするというようなものとは言い難い。新バビロニア帝国が終わったと喜び、解放が近い、などという希望もダニエルはまったく語ってはいない。

これに加えて、勅令の後にもバビロンに留まっていたダニエルは、キュロスの第三年までの間に自著ダニエル書をバビロン側で記しているのだが、書き終えるまでにエレミヤの『七十年』がどうなったかを一言さえ語っていない。
彼にエルサレムで仮の祭壇での祭祀が始まり、その翌年に神殿の礎石が置かれたという知らせが届いていないとはまず考えられない。もし、キュロスの第一年に民が帰還したことで、あれほど切実に祈ったことが叶えられたのであれば、大いに神を賛美しなかったろうか。

この点で傍証を与えているのが使徒時代の歴史家ヨセフスであり、その「アピオーンへの反駁」で『ネブカドネッツアルの統治十八年目[587]に我々の神殿は荒廃させられ(エレミヤは十九年[586]とする*)、五十年の間、忘れ去られた状態に置かれた』と記しており、キュロスによるバビロン征服で、シオン山上への神殿の再建の道が拓かれた時点が、神殿破壊から50年としているので、そこでダニエルの祈りの時期であり、キュロスの勅令があった前537年が里程標となっていることに注意を引いて、更に20年を要する。(アピオーン反駁1:21)*(列王二25:8/エレミヤ52:12)

しかし、ダニエルには、アリヤー開始の四年後『そなたの道を行け、ダニエルよ!』『終わりまでその道を行って休みに入り、定められた日の終りには立ち上って、自らの分を受けよ!』との言葉をもって終末の啓示が締め括られている。ダニエル書に『七十年』の件は、あの祈り以降は二度と出て来ない。『七十年』の終わりを語るのはより後代のエズラであり、むしろ、ダニエルには天使を介して『七十週』というより大規模な奥義が託されている。こうしてダニエル書が擱筆されているのであれば、キュロスの第三年の後、ほどなくしてダニエルの人生はバビロンで終わったであろう。(ダニエル12:9.13)

即ち、あの熱烈な祈りの四年後の彼の記述にその件が何も語られていないところには、『七十年』の終了が、やはり民の帰還だけを意味しないという観方を補強するのである。ダニエルの祈願の言葉は、確かにシオン山上の神殿の再建に関するものであったのだ。



◆アリヤーの実情

この祈りの二年後、王権はダレイオスからキュロスに移り、遂にユダとイスラエルの民に対して勅令が発せられることになる。それが前537年である。
なぜか、ダニエル書にはこのキュロスの勅令への言及がどこにもないのだが、前述のエズラ記、また同じくエズラの手になる歴代誌の最後の文章によってその内容を窺い知ることができる。

その勅令の趣旨に「民の解放」はない。つまり「お前たちの帰還を許す」ということではないのである。むしろメシアと予告されたキュロスの関心は更に高度であって、神YHWHの崇拝の復興にあり、そのための神殿再建なのである。
そうして、この勅令の発布により、大祭司エシュアと総督ゼルバベルの以後22年に亘る労苦が始まるのである。

シオンに上った有志の民は五万弱であり、大半のユダ捕囚民は住み慣れたバビロンに留まることを選んだ。移動しなかった民の中には高齢に達したダニエルも含まれる。ダニエルに与えられた啓示はキュロスの第三年を最後としているので、彼は神殿の再建までは生き長らえなかった。
それであるから、捕囚の民の皆がパレスチナを目指して帰還したわけではなく、イザヤが預言して言ったように『イスラエルが海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る』のであった。(イザヤ10:22)

実際に帰還した『残りの者』と預言されていた僅かな人々は、キュロスの第一年の勅令に応じてその年の秋のスッコートの祭りをエルサレムで祝うことができた。
すると、周囲の諸民族に不穏な気配があり、エシュアはその年の内に祭壇を築いて焼燔の犠牲を捧げ始めた。つまり、祭祀の一部である『常供の犠牲』は始めることができたのである。

しかし、聖所の香の祭壇や机での日毎、週毎、新月の捧げ物はできず、至聖所もないため年毎の贖罪を行うこともできないし行うべき年に三つの祭りも正しくは行えない。それでは律法の規定に従った祭祀を行ってはおらず、キュロスの命にも従えてはいないのである。

『残りの者』たちは、パレスチナ到着の翌春には神殿再建の手始めとして、定礎を行うことはできたのだが、周辺民族の反対運動が始まり、勅令から八年後にキュロス大王の崩御もあって、再建の業は頓挫し、やがて民も帰還本来の意義に無頓着となっていった。
祭祀再興のイニシアティヴはやはりキュロス大王にあったのであり、 アリヤーの途に就いたはずの帰還民団はこの点で受動的であったことがここに表れている。

預言者ハガイは往時の民の意識についてこう記している。
『この民はYHWHの家を建てる時はまだ来ない、と言っている』『この家が荒れ廃れているのに、あなたがたは鏡板を張った家に住んでいる時なのか。』(ハガイ1:2.4)

この預言が語られたのが、前522年にガウマタを退けて王となったヒュスペスタスの息子ダレイオスの治世第二年、即ち前520年の事とされている。(ハガイ1:1)従ってキュロス王の勅令から17年、第二神殿の定礎からも16年が経過しているにも関わらず、工事は途中で投げ出され、聖域は荒れるままに放置されていたことが暴露されている。
だが、二人の預言者の現れに動かされたゼルバベルとアリヤーの民は、諸国民に反対されながらも建てる業を再開しているが、それはやはりその年、ダレイオスの第二年であったことをエズラは記した。(エズラ4:24)

前述のベテルの民らが断食をいつまで続けたものかと受動的な態度で尋ねてきたのは、この二年後(前518年)のことになる。(ゼカリヤ7:1)

これらに鑑みるに、当時のアリヤーを行ったはずの帰還民にとって、『七十年』という期間の終りとは、神殿が再建されて祭祀が復興し、女シオンの『夫』たるYHWHが再びその聖なる御名をそこに置くことがその到達点であるという認識を有していたと云うことができるのである。

この観点から、エホヤキンら第二次捕囚となったユダの民へのエレミヤの、『YHWHはこう仰せられる。「バビロンでの七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』という預言の言葉は、 流刑民たちの将来がまるで見えず、動揺している彼らへの慰めであり、彼らが流刑地で増え、その城市のために祈れという、囚われの長期化に備えさせるものでもあり、それが『七十年』という期間に亘ることを知らせて、彼らを安堵させる目的があったことが分かる。(エレミヤ29:10)

その『バビロンでの七十年』という期間が、どのように経過したかは歴史に記されるものとなってはいったが、それは人が字面を追うように、単に捕囚から帰還までの期間を指していたわけではなかったのである。神の言葉である『七十年』の真意は、やはり神の意図に従って理解されなくてはなるまい。

 

◆七十年の終点と起点

ダレイオスの第四年(前518年)、ハガイとゼカリヤの預言に鼓舞され、再び神殿再建に積極的に着手していたゼルバベルは、キュロスの寛容政策を踏襲する新王ダレイオスから承認の書簡を受ける。それは周辺諸民族の反対を打ち破るものであった。
反対する諸族が宮廷に問い合わせると、却ってメディアの都エクバタナから十九年前の勅令の記録が発見され、政権基盤の弱かったダレイオスは大王キュロスの勅令を継ぐことに国民への支持を求める意義を持つこともあってか、キュロスのようにエルサレム神殿の再建を認定する。(エズラ4:23-6:12)

ゼルバベルの前に立ちはだかった『山』のような諸国の反対も、ダレイオスの勅書によって『平坦にされる』。即ち、神殿再建がペルシアの王の旨となった以上、近隣諸民族の反論は許されなくなったのである。(ゼカリヤ4:7)

こうして、風に揺らいで弱り果て、芯にすがるばかりに消えかけていた燈火は、再びオリーヴ油を供給されてその炎を明るく燃え立たせ、豊かな輝きを取り戻したかのようになったといえよう。人々や状況を導いて神殿の再建に向かわせたのは、ここに於いて、もはや人間に功を帰するのは的外れである。

神YHWHは、ゼカリヤを通してこう言われる。
『此は、力によらず、勢いによらず、我が霊による也』
『ゼルバベルの手、この家の礎を据えたり、彼の手、是を成し終えん。』
(ゼカリヤ4:6・8)

その後、モリヤ山上の再建工事は順調に進んだらしく、ダレイオスの第六年のアダル3日*に遂に神殿は完成を見たとエズラは記す。工事の再開から4年目ということになる。
それはユダヤの陰暦であれば前516年の最後の月に相当することになるが、それならば、実にネブカドネッツァルによって第一の神殿を喪失した前586年から正しく70年目になる。*(グレゴリウス暦;前515年2月3日<水>)

明けて翌、紀元前515年の正月ニサンには神殿が献納され、次いで過越しが十四日に挙行され、続いて翌日から無酵母パンの祭りが七日間行われている。(出埃40:1-2/エズラ6:14-22)

こうして、律法に規定されたレヴィのすべての祭祀が復興をみる。ここにキュロスの勅令も遂に成し遂げられ、晴れがましくもダヴィドの血を引くシャルティエルの子にして総督のゼルバベルが、その半生を捧げた一大事業の重責をこうして果たすことができたのであった。ここに於いてこそ、キュロス大王はまさしく「メシア」であったというべきであろう。
 
そこにはかつてのように、聖所と至聖所が存在し、聖なる日毎、週毎、新月の捧げ物が可能となり、贖罪の日の儀式も行えるので、大祭司、祭司、民の贖罪の儀式も可能となった。年初の祭りの後、レヴィの祭司団24組がその相応しい順に従い担当に就いたことであろう。
まさに、その崇拝は70年の空白をもって預言の通りに再開されたのである。
ここに神YHWHの、その言葉を反故にせず万難を排して成し遂げる力を観ることができないだろうか。その律法祭儀の再開は、神殿の破壊から71年目のことであった。

ユダヤの繁栄は依然としてなお将来のことではあったが、こうしてシオンはイスラエルの聖なる神YHWHを再び迎えることができ、聖都として復興を遂げ、ダニエルが切に祈り求めてやまなかった昔日の輝けるイェルシャライムは聖なる光を取り戻したということができる。そこでは神殿の存在によって、遂にモーセの律法が民の生活から祭祀に至るまで施行可能となったのであり、イスラエルは神への正式な崇拝を七十年間、彼らの罪科のゆえに中断を余儀なくされたが、YHWHの言葉の通りに見事に契約として回復したのであった。(レヴィ26:44-45)

こうして彼らは仕えるべき本来の主人を再び見出すことができたのである。異邦の影響を脱することにおいて、彼らが膝を屈するのはもはやバビロンの王ではなくなったと言えるのはこの時なのであろう。まさしくユダの民について、歴代史略第二が他国に支配されることにより『彼らがわたしに仕えることと、地の諸王に仕えることとの違いを知るためである』との預言者の言葉を記す通りである。(12:8)

確かに、他ならぬエレミヤ自身が預言してこう述べているのである。
『あなたがたがわたしを捨てて、自分の地で異なる神々に仕えたように、あなたがたは自分のものでない地で異邦の人に仕えるようになる』 (エレミヤ5:19)
この言葉は、まさしくエレミヤの預言した『七十年の間バビロンの王に仕える』* との件の言葉を補足しており、単に政治上の支配と被支配の関係がエレミヤの七十年に込められていたのではないことを指し示しているのである。まして、イスラエルはその後もペルシアの宗主権の内にあり、独立を得たわけでもない。むしろ、神殿祭祀の復興によってこそ、バビロンからもたらされた障碍は初めて過去のものとなったのである。

ゆえに、エレミヤの預言にあるようなイスラエルの神が『バビロンの王に言い開きを求める』 とは、この再建と祭祀の再興を以って、成し遂げられたと観ることができよう。それは何もバビロンの王朝の瓦解がその時に起こることを必要とするわけではない。むしろ、バビロンの王が行った神殿破壊が、この復興によって責めを負い、著しい悪評に貶められることを示唆していたと預言を読むことができるであろう。*

エレミヤの預言の言葉の中に、この点を例証するものがある。
『バビロンの国を逃れ、脱出した人々の声がする。我々の神、YHWHの復讐を、その神殿への報復を彼らはシオンでふれ告げる。』(エレミヤ50:28)

即ち、バビロニア帝国が既に去っていたとは言え、真に神殿の破壊と蹂躙への責めは、その再建を以って問われるという意味が『神殿への報復』という言葉に見られ、その『報復』はエルサレム神殿が他ならぬシオン山上に於いて再び現れることにより、ネブカドネッツァルの咎がいよいよ責められると捉えることは充分に理に適ったことであろう。

こうしてエレミヤの七十年を見直すと、それは単にイスラエルが他国の王に支配されていた期間を指してはおらず、神殿の再建によって神YHWHを民の主人として再び迎え入れ、律法祭祀によってその前に跪拝するまでを描いていたことが見て取れるではないか。更に捕囚以前のレハベアムの時代に、預言者シェマヤを通して神はユダ民族がエジプトのファラオ、シシャクの覇権に屈することになることを予告し、『これは彼らがわたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを知るためである』と語らせている。(歴代第二12:8)
まして、独立を失い約束の地を追われた民であれば、その教訓は長く続く痛みとなって以後彼らを苛んだに違いない。

この点では、ユダ王国周辺の諸族についても同じように当てはまる。
なぜなら、七十年を告げたその同じエレミヤ書の中で、モアブの神ケモシュとアンモンの神マルコムもそれぞれに『流刑になる』と確かに記しているのであり、これら神々は偶像をバビロンに持ち去られてエルサレム神殿の什器類と同じようにバビロンに囚われていたのだが、共にキュロスの宗教政策の寛容さに与っていたであろう。彼は各国の神々をその在るべき場所に戻したことが知られているからである。(エレミヤ48:7/49:3)

預言の言葉の表面を近視眼的に字句通りに追っていれば、こうした事情は一向視野に入ってはこないであろう。 
ただイスラエルには、契約の箱とウリム ヴェ トンミムが戻らなかったが、エダーシェイムによると、至聖所には箱の場所に『礎石』と呼ばれ、神殿の礎石とは異なる岩が置かれていたとのことである。贖罪の日に、大祭司はこの岩の前に牛の血を捧げることになった。
契約の箱の消失は人事を超えることであり、誰であれ、もう一度作ることは憚られたことであろう。だが、その喪失は、ユダヤ人をしてエレミヤに予告された『新しい契約』への展望をもたらすことに向けられてもいった。 (エレミヤ3:16/31:31)⇒「契約の箱 アーロン ハ ヴェリート」

もちろん、人間による観察結果である考古学にまったく間違いがないとはいえないが、オリエント史のこの時代の資料は、それぞれの年毎のものが出土しており、ベロッソスやプトレマイオスなどは言うに及ばず、多数の粘土板が次々に共通の年代認識を明らかにする中で、更に動かし難い日月食の記録も添えられ、それはサロス周期の分析と合致するのであろう。この時代は、オリエント考古学の中でも相当に明解にされている時代であるという。

歴史資料が増えるに従い、裏付けが進む場合、それが「信仰」を形作るわけではないにしても、それらの強固な論拠を前にして誰であれ異論を唱える場合、その挙証責任が生じるのは当然のことである。もし、証拠の揃っている考古学に抗う理由が「信仰」だと云うなら、その人の「信仰」というものの根拠を初めから一つ一つ検証し直すことで、有無を言わせぬ盲信を避け、理性に基いた自己の判断を確認できるであろう。

そこでダレイオスの第6年、即ち前516年から七十年を逆算すると、やはり前586年という年代になるが、それがエルサレムと神殿が新バビロニア帝国によって破壊された年であると考古学は指し示す。即ち、聖書も証しするように、ネブカドネッザルⅡ世の治世の第19年目とされている五月の夏に神殿破壊の起こった年であったのだ。(列王第二25:8-10)

この正確な七十年の祭祀の空白は、『御名のために遅れないように』と願ったダニエルの祈りの誠実さ真摯さへの全能者YHWHの見事な回答ということなのであろう。それは確かに『七十年』であったことになる。時至って遣わされた二人の預言者ハガイとゼカリヤが、最後の再建の業を促したので『七十年』に間に合うことを助けている。 しかし、その真の功は、キュロスⅡ世を含めてどんな人に帰せられるものでもなく、神YHWHの御旨に導かれるものであったからこそ、その時をだれも導き規定することはできなかったと言える。

こうしてYHWHは『七十年』に則してあらゆる事を推し進め、ペルシアの勅命から22年後、ユダヤの民に神殿祭祀を復興させて、指名されたメシアとしてのキュロス大王の役割も成し遂げさせたとみることができる。
神YHWHは確かにキュロスの右手を執られ、神の民としてのイスラエルを名実ともに取り戻したと言えるのである。新たな神殿が以前のものに見劣りするにせよ、それはユダヤ人への教訓ともなり、以後は七十年の間に忘れられた律法の再教育から始めて、民の間で神との契約が重視されてゆく。
そこで率先したのがまずエズラのような書士であり、やがて律法学者らとそれに従うパリサイ派も現れて、律法遵守がユダヤ人の良識を形作ってゆくことになる。このように神殿祭祀の再開があってこそ律法の全てが守られる条件を満たしたのであり、そこでメシアも完全無欠のユダヤ教徒として『律法を成就する』環境が与えられることになる。もちろん捕囚からの帰還だけがこれらの回復をもたらしたわけではない。

従って、エレミヤの語った『七十年』をその語られた言葉のままに、バビロン王の頸木を解かれた民の帰還と定住だけに当てはめようとすれば、その『七十年』というパズルのピースはどこにもぴったりと置く場所を見出さないことであろう。
 
ある宗派のように『七十年』の起点を、前607年であると言い張って強引に押し込めようとすれば、整然と収まっているほかのパズルのピースを押し退けて全体を混乱させるに違いないが、教導者の言いなりになって実際には神の言葉を深く省みて確認することもなく、その「信仰」によって無理に信じようと努める人々がいるのは心が痛む。しかも、その動機はどこにあるのだろうか。自分の利益か、神の意志か?(ヨハネ7:16-18)

いずれにせよ、この件もひとつの予型であり、エレミヤの預言した『七十年』に於いては、エルサレムに聖所と至聖所が再建されることになったのだが、更にダニエルに新たに告げられた『七十週』では、その成就の場は人の及ばぬ天の領域となり、『聖の聖なる処』即ち天界の至聖所に『油を注ぐ』という、地上の至聖所について予告したエレミヤを超えて、謂わば七倍も重要な事柄を指し示している。

それは恰もキリストの初臨が再臨の予型、即ち模型であるように、エレミヤとダニエルという、この両者の預言が揃うことで、神YHWHの終末に関わる偉大な奥義の概要、地上の神殿祭祀を遥かに超える天界の祭司制度の開始をいよいよ悟る入口に我々は立つことになるのである。





   ©2015 林 義平



 ⇒ 「バビロン捕囚期の年表」 
 ⇒ 「指名されたメシア キュロス
 ⇒ 「アリヤー・ツィオンの残りの者
 ⇒ 「ダニエルの『七十週』 全能者の描く巨大構造


*確かに、エレミヤ25章にはユダだけでなく、周辺の『諸国の民も七十年の間バビロンの王に仕える』と預言しているのだが、これは『七十年の後、カルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする』と続くことからすると、この時代以降もバビロンは栄えを続けているので、これは終末の『大いなるバビロン』への二重の意味を含んでいるのであろう。『大いなるバビロン』から解かれるのは、聖徒だけでも信徒だけでもないと思われる。新たに『わたしの民』と神に呼び掛けれれる終末の人々であろう。

なお、天の神殿の建立に関わるダニエルの『七十週』は、新しい『契約の使者』であるキリストの再臨を待っており、依然として最後の半週が終了してはいない。キリストは律法契約の使者ではなく、『新しい契約』に預かる聖徒を、終末に再び聖霊の注ぎによって出現させるからである。



この記事はこの書籍に採録
電子版 ¥480 
紙媒体 ¥1620   四六判 177頁






「シオンの娘」の謎を解く

シオンの娘とは誰を指しているのか

 約1万字  <難易度 ☆☆☆☆☆ 高> 
予備知識⇒「聖徒 聖霊の指し示す者」 関連記事⇒「二度救われるシオンという女」




ダヴィデ王によってイスラエルの首都と定められたエルサレムは小山の上にある。 
「シオン」とは、この聖都の古い部分を戴せる小山の名である。

しかし、イスラエルの父祖アブラハムの時代に、そこは『サレム』とだけ呼ばれ、既にアブラハムの四百年前から存在していた証拠が出土しているという、創世記によれば、その城市では異邦人の祭司が王を務めていたことが記録されており、アブラハム当時の祭司なる王はメルキゼデクという人物であったと創世記は告げている。

アブラハムがいまだアブラムという名であった時分に、彼には子が無く、後のレヴィ族の祭司たちも存在さえしていなかったそのときに、このサレムの王にして祭司なる人物は、エラムの王たちに勝利して帰るアブラムを至高の神によって祝し、その後裔イスラエル民族もその父祖を通して益に預かるところとなっていた。即ち、メルキゼデクはアブラムの世代にあって、後代のモーセの律法祭司とは別に、シオン山上の王を兼ねる祭司であった。

そしてダヴィデの時代、彼がエルサレムを占領する以前には、そこはカナン系*エブス人の城市であった。
(エブス人はヒッタイト系であるとの研究もある) 

イスラエルが『約束の地』パレスティナに入植を始めてから数百年後のダヴィデの時代まで、この城市がヘブライ民族に占領されていなかった理由には、この城市の置かれた山『シオン』の地形がある。

そこは北側を除いて100mほどさらに高い峰々で囲まれていて発見され難く、東側のオリーヴ山は特に高く、その西側斜面に入ってはじめてエルサレムを眺望することができる。
またシオン山の周囲三方には深い谷が刻まれている。エルサレムは、それらの谷からの急斜面に守られた上、水源も幾つかが近くにあって、難攻不落の要害であった。

しかしダヴィデは、この水汲み用の井戸穴から市内に侵攻することに成功し、この城市を得ることができたのである。

やがて、ダヴィデ王はイスラエルの聖なる神YHWH*の崇拝の中心たるべきモーセ以来の『会見の天幕』を、このシオン山上のエルサレムに移し、息子ソロモンの時代に会見の天幕という崇拝の場も、新築されたエルサレム神殿へと移されるに及び、シオンに座する聖都はいよいよ不動のものとされた。 *(発音不明となっている神の至聖なる固有名)

こうして、十二部族の入植地の程よい中央地域に位置するエルサレムは、王の御座所であるばかりか、『神の家』の所在地ともなってイスラエル民族の祭政の中心地へと高められた。
十二の部族の緩やかな同盟で成り立っていた一国民イスラエルは、シオンの山の上に王権と祭祀権を荷う中心たる王都を持つ中央集権国家となったのである。

そこで、『シオン』また『シオンの山』はイスラエルにとって格別な意味を持つようになっていった。
殊に、バビロン捕囚を経験した後には、『シオン』とは単なる山や場所の呼び名を超えて、イスラエルのあるべき崇拝の姿を象徴する言葉となり、より深い意義がこの呼び名に加えられたのであった。

捕囚後の『回復の預言』の中では、特に意義ある名として『シオン』が度々言及されてきた。
また、キリスト後にエルサレム居住を妨げられ流浪の民となってきたユダヤ人にとっては、『シオン』という言葉は更に深い感情を伴うものとなっていった。
近代以降の所謂「シオニズム」は、神からの『約束の地』への帰還の悲願と、かつてシオンの小山に神殿が存在していた時代への憧憬が込められているであろう。

一方で、イザヤなどの「回復の預言」を紐解くユダヤ人らにとって、『シオン』についてはともかくも、聖なる書の中でもうひとつ腑に落ちない名称で呼ばれるものがあるという。
それこそが『シオンの子ら』または『シオンの娘』であり、『シオン』がエルサレムを象徴するとしても、これら「子」や「娘」が何を意味するのかがユダヤの謎の一つとされているという。

『シオンの娘』はイザヤ、エレミヤと哀歌においては、神から裁かれ、以前は美しく装ったものが、神の糾弾を受け零落するものとして描かれる。それらの子らがバビロン捕囚を受けるのである。

これらの言葉を、キリスト教側では、『シオンの子ら』や『シオンの娘』について、いとも単純に「エルサレムの住民を指す」として納得してしまっているような説明を目にするが、この程度のことであれば、何もユダヤ人が謎に思うほどのことがあるだろうか。

そこで、イザヤなどの「回復の預言」を検討してみると、やはり、『シオンの娘』は徒ならぬ扱いを受けている。 

それらの記述のように、王たちが『シオンの子らを懐に抱いて』集めてくるだろうか。そのために街道が造られたりするだろうか。
単なるエルサレムの住民が『諸国民を脱穀する脱穀ソリ』と変じるだろうか。(イザヤ41:15)
いったい誰が、『シオンの子ら』である『ユダを(弓として)張り、エフライムを(矢として)つがえ、ギリシアを攻める』だろうか。(ゼカリヤ9:13)
 
神の怒りを買っていたはずのシオンの娘にこうした描写の転換が起こる点でミカ書の第四章が特に際立っている。そこではバビロンに移されるために苦痛にうめく囚われの姿と『強大な国民となり』『その王国が到来する』こととが並んで記されているからである。 

これらは、何か容易ならぬ事態の発生に『シオンの子ら』が関わることを予告しているに違いない。しかも、それらのすべてが歴史上に成就を見たとも思えない。イスラエルといえば忍従の民として知られはしても、歴史上に世界に冠たる覇権を有する支配者となったとは言い難い。

歴史上のバビロンからの帰還も、イザヤの預言の述べるような輝かしいものとはならなかった、実際には神殿の再建も遅々として進まず、エルサレムが以前の繁栄を取り戻すには百年以上を要していた。帰還当初、シオンを目指す人々はわずかに五万弱、しかもエルサレムに住んだのはその一部である。

その後も万を超える帰還者の記録はネヘミヤの時代に至ってさえ見られない。エルサレムは人々が戻ってすら、廃墟のように閑散としており、ゼカリヤの予告した「公共広場に子らの歓声が響き、老人たちが腰を下ろす」ような回復が実現するのは、随分と時間を要したのであった。

帰還の当時、キュロス大王の肝いりはあったものの、「王たちがシオンの子らを懐にして運んだ」というには大げさに過ぎる。また、彼らのために「街道が造られ」たりしたろうか。これらが単にイザヤの預言が大げさであっただけというなら、聖書預言も高が知れたものになってしまう。
他方で、俗なユダヤ男に聞けば、今日での『シオンの娘』(バット ツィヨン)といえば、ただ「小町のことだ」と嬉しそうに言う。それなら預言されるほどの意味があるだろうか。

人間的な観点から、イザヤも只の人であり希望を言い表しただけである、あるいは、イザヤを騙る何者かによって、全ては事後に書かれた歴史に過ぎないと「高等批評」のように見做すのなら、それで納得できる人も居るかもしれない。だが、それは神を知らぬ者の推論であり、預言の超越性は聖書の随所で既に明らかではないか。

では、預言の『シオンの子ら』の意味するところは何であろうか。
これを検討するに当たり、『シオン』そのものも一人の女として預言が語っているところから観て行かねばならない。
何故なら、『シオン』という女は『シオンの子ら』の母であるからである。



◆不妊の女

エルサレムの町がその上に座するシオンの山は、しばしば擬人化されて語られてきた。
イザヤの預言の中で、イスラエルの聖なる神は「シオン」をひとりの女として呼び掛ける。

それは単に、偉大なダヴィデ王の御座所としての言及に留まるものではなく(列王第一8:1)、神殿の置かれる場所としての神YHWH*の『名を置くところ』であり(列王第二21:7)、また、象徴的に『神の住まわれる』崇拝の聖なる場所(詩編132:13-14)、加えてイスラエル民族の心の中心地を象徴して語られてもきた。(イザヤ30:19/エレミヤ51:10)*(発音不明となっている至聖の神名[יהוה]

『わたしは、あなたの神YHWHであって、海をかき立て、波を轟かせる。その名は万軍のYHWH。わたしは自らの言葉をあなたの口におき、我が手の陰にあなたを隠した。こうして、わたしが天を引き延ばし、地の基を据え、シオンに向かい、あなたは我が民であると言うためである。』(イザヤ51:15-16)

この擬人化された女「シオン」という呼び名の例を挙げれば、以下のようにバビロン捕囚によって、その民を失ったシオンの山、人の住まない廃墟となっていたその有り様を述べる。
加えて『シオン』は、子らを失った女であるばかりか、元々が石女であることさえ暗示されている。

そしてイザヤの預言は明確にこう言う。
『不妊の女よ、喜び歌え!子を産まなかった女よ。歓声をあげ、喜び歌え、産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは、夫ある女の子供らよりも数多くなるとYHWHは言われる。』(イザヤ54:1)

何が起こったのか?
これがシオン、即ち、エルサレムへのイスラエルの民の帰還を予告していたのであった。これは『回復』(ナハムー*)の預言と呼ばれ、旧約預言書にあってバビロン捕囚からの解放と帰還が起こることを指し示す予告であった。*(または「慰め」cf;使徒3:19

抽象的に言えば、ネブカドネッツァルの征服によって神殿を失うことになった『シオン』は、神YHWHという夫に捨てられた妻のようであり、ナハムーの預言には、子らにも恵まれずにひっそりと貧しく過ごしてきた寡婦として描かれている。

したがって、『シオン』はバビロン捕囚の間に子を持っていなかったのである。
その子らとは『アブラハムの裔』であり、律法契約は相続権ある『子』を遂に生み出すことがなかった。その相続物とは、アブラハムの子孫に約束された『地のすべての氏族が自ら祝福する』という『世の光』の立場に就くことである。(創世18:18)
この点で、今日のユダヤ教の目的をユダヤ人に尋ねても「『諸国民の光』となることだ」と答えることであろう。(イザヤ49:6)

それであるから、シオンは象徴としてアブラハムの妻サラを暗喩し、長い間に子を得なかったその憂いを、バビロン捕囚からの子らの帰還を以って喜びに代える理由を得るというのである。

その理由を預言はこう指摘する。
『シオンは産みの苦しみをなす前に産み、その苦しみの来ない前に男子を産んだ。
誰がこのような事を聞いたか、誰がこのような事などを見たか。
 一つの国は一日の苦しみで生れるだろうか。一つの国民はひと時に生れるだろうか。しかし、シオンは産みの苦しみをするや否や、すぐにその子らを産んだのだ。』(イザヤ66:7-8)

この出産は奇跡的である。
陣痛が起こるかどうかというあっという間にシオンは国民を生み出している。
これはイスラエルの短時間での回復、また境遇の大きな変化を指しているのであろう。
それは不妊の女としての境遇を忍んでいたアブラハムの正妻サラに例えられるべきものであると明示される。

『あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラとを思いみよ。わたしは彼をただひとりであったときに召し、彼を祝福してその子孫を増し加えた。

 YHWHはシオンを慰め、またそのすべて荒れた所を慰めて、その荒野をエデンのように、その砂漠を主の園のようにされる。こうして、その中に喜びと楽しみとがあり、感謝と歌の声とがある。

 わが民よ、わたしに聞け、わが国びとよ、わたしに耳を傾けよ。律法はわたしから出て、わが道は諸国民の光となるのである。』(イザヤ51:2-4)

確かに、イスラエルはモーセの日に契約を結ぶ民として現れていた。そして、その律法契約の目指すところはイスラエルを『祭司の王国、聖なる国民』とすることであり、その益は人類の全体に及ぶはずであった。(出埃19:5-6/創世記22:18)
しかし、今日でもユダヤ人が自ら成るべきものとして目指すという『諸国民の光』(オール ラゴイーム)となることが、これらの預言でもやはり未達成なものとして描かれているのである。

ここに女シオンについても不思議がある。
つまり、イザヤの預言では、恰もその子らの帰還によって初めて子らを得た、また、奇妙な出産をしたかのように描かれている。

これは即ち、律法契約下での『シオン』は、やはり不妊の女であったということであろう。
律法契約は世界を祝福する『祭司の王国、聖なる国民』を遂に生み出さなかった。
バビロン捕囚は契約不履行の酬いであり、預言が描く通りに、女シオンは夫も子らも失った寡婦となった。その原因はその民族の律法に対する不行跡である。

シオンが夫を失った理由をイザヤは紛うことなく次のように指摘している。
『YHWHはこう言われる。お前たちの母親を追い出したときのわたしの離縁状はどこか。お前たちを売り渡した時の債権者は誰か。お前たちの罪によってお前たちは売り渡され、お前たちの背きのために母親は追い出されたのだ。』(イザヤ50:1)

したがって、母親である『シオン』を寡婦としたのは、その『子ら』の罪科であり、それこそは、その民の律法契約への違反であった。エレミヤは彼らを『背信の子ら』と呼んでいる。(エレミヤ3:14)

イザヤでは、『シオンの娘ら』の傲慢が描写され、『シオンの娘らは高ぶり、首をのばしてあるき、目で媚をおくり、その行くときには気どって歩き、その足飾りをりんりんと鳴り響かす。』と不忠節な罪ある様が描かれる。

これらは、律法契約と神への忠節からの逸脱であり、異国の神々への恋慕の不忠誠を暴露する描写であるので、遂に神はこの傲慢さを戒める。
『芳香はかわって悪臭となり、帯はかわって縄となり、よく編んだ髪はかわって禿となり、華美な衣はかわって粗布の衣となり、美しい顔はかわって焼き印された顔*となる。』(イザヤ3:16.24)*<奴隷の刻印>

こうして、その民はバビロンに捕囚となって消え去り、神殿を失ったエルサレムとユダの土地は、住む民の悪行から逃れて安息に入る一方で、女シオンの許には夫である神も、子らである民もない零落の歳月が経過していった。諸国民は『あれがシオンだ』と言っては、晒し者のようにかつて繁栄を享受した跡地を侮蔑する。(エレミヤ30:17)

しかし、シオンの子らの『刑期が終わり』、神からの「回復の時期」が到来すると、それはまったく人の能力を超えた時代の潮流が起こるのであった。(イザヤ40:2/使徒3:19/エレミヤ30:17)
 
即ち、実際の世界史に登場する二世紀も前から「クルシュ」と神から名指しされたメシア(任命された者)、また『東からの人』とも語られた、新興ペルシアのキュロス大王によってバビロン捕囚も終わりを迎え、『イスラエルの残りの者が戻ってくる』という預言が成就する道が拓かれる。(イザヤ10:21)⇒「アリヤーツィオンの残りの者」

そこに女シオンの『離縁状』はもはや無く、子らを売買した『権利証書』も存在しない。シオンにはいきなりに多くの子らが現れ出るというのである。それであるから、この『シオン』はやはり自ら子を産んではいないことになる。当時、シオンにもユダにも人は住まず、バビロンの流刑民において悔い改めの民が生じ、その『残りの者』が戻ってきたのである。それが、まともな生みの苦しみも無い出産に例えられたのであろう。

『その時あなたは心のうちに言う、「だれがわたしのためにこれらの者を産んだのか。わたしは子を失って、子をもたない。わたしは捕われ、かつ追いやられた。だれがこれらの者を育てたのか。見よ、わたしはひとり残された。これらの者はどこから来たのか」と。』(イザヤ49:21)

これは、諦めの寡婦の許に、恰も不意に戻ってきた悔い改めの子ら、即ち、捕囚後に帰還したイスラエルの民を得た女シオンを指している。
その子らは、やがて神殿も再建し祭祀を復興することになる。その家に夫たる神YHWHが再び『名を置き』戻るためである。そうして母たるシオンは『ヘフツィヴァ』また『ベエラ』と呼ばれるに至るのであるが、その意は「我が喜びはその女に」また「配偶を得ている女」の意であり、『夫たる主人YHWH』が『シオンを再び選び取る』のである。

ここまでの内容であれば、ユダヤ人が然程の謎を感じることもないであろう。
それは、神のメシア=キュロス大王によってバビロンの『二重の扉が開かれ』悔い改めた民の帰還とシオンに起こる思いがけない回復の喜びを知らせていたのである。 

だが旧約預言は、実際のバビロン捕囚からの帰還を超えて、更なる将来にその子らを得る預言の成就を期待させている。ここに謎が生じる原因がある。
これは、どうしても新約聖書の領域に通じなければ、ユダヤ教徒にこれを理解することは不可能であろう。 だが、ユダヤ教はナザレ人イエスを21世紀の今に至るまでメシアと思わず受け容れず、当然に新約聖書もまったく認めない。



◆『シオンの娘』の特異性

確かに『シオンの娘』に関するネヴィイームの語るところには、バビロンからの帰還に収まり切らないところがあって、それがユダヤ人を悩ませてきた。歴史上の実際からすればシオン帰還ではとても実現したと言えないような「回復の預言」の記述が多いのである。
では、それは大げさな言葉を用いて預言を外したというだけのことだろうか?

例を挙げれば、ミカはこう預言する。
『シオンの娘よ、立って脱穀せよ。わたしはあなたの角を鉄となし、あなたのひずめを青銅としよう。あなたは多くの民を打ち砕き、彼らの分捕り物をYHWHに捧げ、彼らの富を全地の主にささげる。』(ミカ4:13)

また前述のように、イザヤは『虫のような』弱体のヤコブ、即ち『買い戻されるイスラエル』について、こう書いている。
『見よ、わたしはあなたを新しい鋭い刃を付けた打穀そりとする。あなたは山を磨り潰して粉々にし、岡も籾殻のようにしてしまう。』(イザヤ41:15)

これは、ひとつ間違えればイスラエル共和国の対外強硬主義を助長させ兼ねない記述というべきだろうか。
『山』や『岡』とは、地表から飛び出したところ、つまり、政治的な人間の権力や権威を表していよう。
これらの世俗の権力を『シオンの娘』が超克し粉砕するのだろうか?

この点で思い起こされるのは、新約聖書中で、当時のエクレシア内の人々について何度か指摘された事柄である。
使徒パウロはその書簡の中で、彼らが『いずれは王として支配することになる』とナザレ人イエスをメシア=キリストとして信奉するクリスティアノイに向けて書いている。(コリント第一4:8/テモテ第二2:12)

黙示録ではより明解に、『屠られた子羊』がその血によって『諸国から買い取った人々』を『彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったから。彼らは地上を統治』すると知らせている。(黙示録5:9-10)

旧約に翻ってミカの預言を見れば、確かに『シオンの娘に帰する王権』があることも記されている。(ミカ4:8)

これはダニエル書にも見出されるものであり、『国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』(ダニエル7:27)

また、ネブガドネッツァルの見た夢では歴代世界覇権の象徴たる巨大な像の足、即ち終末の部分を『人手によらず切り出された岩が打ち砕き』世界覇権を完膚なきまでに破壊し尽し、その岩そのものが『山となって全地に満ちる』という夢もまた、キリストと『聖なる者ら』の支配の開始を教えるものである。そこでこの人々が、終末に至って諸国を『脱穀する』ほどの王権を発揮するのである。(ダニエル2章/ゼカリヤ14:5) 

このように「全地を支配する者」となる者がイスラエルの聖なる民として現れることは、もとよりモーセの律法の授けられた目的でもあった。
太古にシナイ山麓でイスラエルと契約を結ぶに際し、神はこう言われたのである。
『もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の王国となり、また聖なる民となるであろう』(出埃19:5-6)

では、イスラエル民族が律法遵守によって、世界支配を行うこの『聖なる民』となったかといえば、律法契約の顛末はそれを表していない。
先にみたように『シオンの娘』は傲慢になり契約を守らなかったので、神はこれを最終的にバビロンに渡し、その後は律法契約を証しする奇跡的な『契約の箱』も、神の意志を測る聖籤「ウリム ヴェ  トンミム」もイスラエル民族の許には二度と戻らなかったのである。

帰還したユダヤ・イスラエルはその後の五百年ほどを契約については不安定な状況で過ごし、やがて荒野のバプテストとナザレ人イエスの到来を受けることになる。
即ち、最後の預言者マラキの語っていた『使者』と『契約の使者』の裁きを伴うユダヤ民族への査察であった。こうしてモーセの律法契約に勝る『新しい契約』がキリストの仲介の下で発効されるに至るのである。(エレミヤ31:31-33)

そこで、使徒ペテロは諸国民の信者が含まれる各地のエクレシアに宛て、モーセを引用してこのように書いている。
『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の王国、聖なる国民、神に属する民である。それは、暗闇から驚くべきみ光に招き入れて下さった方の御業を、あなたがたが語り伝えるためである。』(ペテロ第一2:9/出埃19:5-6)
即ち、ナザレのイエスにメシア信仰を見出した人々の上にかつてシナイ山で語られた律法契約の目的が成就しているというのである。 だが、それはユダヤの体制が自動的に『新しい契約』に移行されるものではなく『聖霊と火との』両極端の裁きをもたらした。

これについてはパウロがこう記す。
『イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならない』またイザヤ書を引用して『たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、戻るのは残りの者だけである』とも書く。(ローマ9:6/9:27)
 
したがって、律法契約によってはイスラエルが体制として聖なる民となることは遂になかったが、キリスト教の時代『新しい契約』に預かったエクレシアの中において、ユダヤ人の一部での『聖なる民』の登場が指摘されているのである。
では、血統に属するイスラエル民族と、ペテロが指摘したエクレシアの人々との違いはどこにあるだろうか。

それこそが、キリストの血の犠牲によって天から下賜された『聖霊』の有無であったと観ることはまず間違いがないであろう。(ヨハネ16:7)
 
即ち、恐るべき神YHWHの御璽とも言える奇跡の臨御光を放つ『契約の箱』と、やはり、神の意志を伝えるウリム ヴェ  トンミムがユダヤ律法体制から失われて後、あの五旬節の日を境に神は新たな「契約の証し」の奇跡を地上にもたらしたと言えるのである。(使徒4:30-31)

キリスト後の、あのシャヴオートの朝から注がれ始めた『約束の聖霊』は、イエスの弟子らへの紛うことのない奇跡の威力による神との関わりの証明であり、『契約の箱』や「聖なる籤」を超える働きを成したのである。
即ち、キリスト・イエスの行った奇跡の業をその弟子らに続行させて、さらに信仰を懐いて『聖霊』が注がれるべき人々を異邦諸国からも集め出したのであった。これは即ち、キリストの死を契機に、アブラハムの裔を集め出す神の計画は大きく諸国に向けて動き始めたというべきであろう。

それこそはアブラハムの裔をユダヤ・パレスチナを越えて異邦諸国からも集め出す一大事業であり、血統上の『肉のイスラエル』はメシアを拒絶して死に渡すほどの不信仰を示したことにより、神の選民への召しは異邦諸国を対象とする『神のイスラエル』へと移行したのであった。(ヨハネ14:12/ガラテア4:21-31)

使徒ペテロは、当時の非イスラエルの諸国民で成るキリスト教徒らに語り掛けてこう云う。
『あなたがたも、何事にも恐れることなく善を行えば、サラの娘たちとなるのだ』(ペテロ第一3:6)

では、血統上のイスラエルはどうなったかと言えば、キリスト後の西暦七十年のローマ軍によるエルサレム神殿の徹底的な破壊を経て、その後の神の座の不在は反駁しようもない目に見える証拠であろう。 (ルカ19:41-48)
メシアを退けた彼らの上に聖霊が降ることは遂に無く、むしろバプテストが予告した『火の浸礼』がユダヤ体制に臨んでいる。 これほど明確なことがあろうか?神の選民は血統のイスラエルを去り、古い契約の制度は廃れたと言う以外にない。(ヘブライ8:13)

この事態はバプテストばかりでなく、最後の預言者マラキも警告していたことである。
即ち、『見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍のYHWHが言われる。
だが、その来る日にだれが耐え得よう。その現れる時には、だれが立ち得よう。』(3.1-2)
これをラビの中には「メシアの害」と呼び、それを避けるまじないのようなミドラシュまで語っている。だが、やはりユダヤ教徒にとってのメシアの来臨は、まったく恐るべき結果をもたらしてしまったのである。(ルカ19:41-44)

一方で、聖霊の降ったキリストの弟子らで構成される『聖なる民』が、イスラエルばかりでなく諸国民からも採られることは、使徒パウロの「接木」の例えだけではなく、旧約の記述によっても予告されている。これが『憐れみの器』と『憤りの器』との分かれ目であったというべきなのであろう。

例えればイザヤはメシアについてこう書いている。
『見よ、あなたは知らない国民を招く、あなたを知らない国民があなたのもとに走ってくる。これはあなたの神YHWH、イスラエルの聖なる方のゆえであり、YHWHがあなたに光栄を与えられたからである。』(イザヤ55:5)

そしてイエス自身もこう言われた。
『多くの人が東から西からきて、天の王国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』(マタイ8:11-12)

これらイスラエルと諸国民の混成の『聖なる者ら』を使徒パウロは『ふたつの(民)』と呼んでおり、『肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。』とも語り、この混成の民全体を『神のイスラエル』と呼んでいる。(エフェソス2:15/ローマ9:8/ガラテア6:16)

『(肉の)イスラエル』の母が「地のエルサレム」なら、『神のイスラエル』の母は『上なるエルサレム』であるとも言うのである。(ガラテア4:21-31) 

このようにパウロが指摘するエクレシアに集め出された人々をペテロが『聖なる国民、王なる祭司』と呼んだように、『シオンの子ら』はキリスト以後になって、神に選別された格別の人々となった。それを生み出したのは、『上なるエルサレム』、これは天界のエルサレムではなく、天から降るという『新しいエルサレム』でもないであろう。

おそらくは『シオンの子ら』の母体となっている女『シオン』とは、即ち、ナザレのイエスにメシア信仰を抱いた信徒の集団ではないのだろうか。

それこそは『上なる』次元ではあっても、地上の女、黙示録で日と月と星の光を纏うとされる『妊娠した女』であることは、旧約の預言が暗示を加えていたところに見えている。(黙示録12:1-2)

イザヤもこう言っている。
『女よ覚めよ、光を放て! ・・・ 見よ!暗きは地を覆い、濃い闇は諸国民に臨まん、なれど、そなたの上にはYHWHが輝き出で給いて、その栄光輝きわたらん。』 (イザヤ60:1-2)

このメシア信仰を抱く『女』から聖霊を得て生み出された『シオンの子ら』とは、格別の存在である。
黙示録第12章の天界の光を着けた女の生む男児は、誕生するなり直ちに神の許へと預けられる。
 
他方、使徒ヨハネの福音では、『水と霊から生まれなければ神の王国には入らない』ことが知らされている。 
そして使徒パウロはローマ8章の全体を用いて指摘するように、生み出された彼らは、奇跡を行わせる『聖霊』によって『神の子』として受け入れられたのである。そのような『神の子』とされた人々は、創造の初め以来キリスト・イエスを除いては堕罪前のアダムとエヴァ以外に存在したことがない。

なぜなら、女が産んだ『子ら』には『新しい契約』を通し、キリストの血の犠牲によって、アダム由来の『罪』までもが仮赦免された状態に入っていたからである。(ローマ8:10)
この点をパウロは『今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからである。』と書いている。(ローマ8:1)(ローマ8:14/8:16)

そうでなければ、彼らが『アッバ!』と父なる神に憚ることなく呼びかけることは叶わない。(ローマ8:15)
神との深い親密さは、彼らが天に召される者である証拠であり、彼らこそが神とキリストに結びついているのであり、その葡萄のつるを成すものが『聖霊』の絆といえよう。 だが、それは『新しい契約』という条件付きのものであり、彼らにはキリストの掟を守ることが生涯にわたって要求されている。(エレミヤ31:33/ヨハネ14章/エゼキエル36:26-27)

この人々が、聖い行状を示して『新しい契約』を全うし、キリストがそうであったように『神の子』としての立場を得、『天の王国』を相続し、地上への人類支配を行うことになるのである。(コリント第一5:11-13)
ここに於いて『アブラハムの裔』また『諸国民の光』、そして『シオンの娘』という言葉の意味に見えるものがある。 

それゆえ、黙示録はこう言う。
『第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。』(黙示録20:6)
祭司となって人類を祝福し、千年支配を行う彼らは、諸世紀の大多数の死者に先立って今の世の終末に復活し、天界のキリストと共になるという。 ヘブライ書が彼らをキリストの『兄弟たち』と呼ぶのはそのためであり、やはりアブラハムの遺産への『共同相続者』なのである。(ヘブライ2:17/ローマ8:17)

これほどの高大な立場を得たからには、律法契約以上の『契約の証し』があって然るべきだが、まさしく、それが神の奇跡の威力たる『聖霊の賜物』であることをパウロはこう書いている。
『この聖霊は、わたしたちが王国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光を讃えることになる』(エフェソス1:14)

そして、確かにキリスト教初期には、奇跡を行い殉教に散った弟子たちの姿が「聖人」として伝承されている。彼らは、キリストの業を継承し、その道を同じくしたのであった。


◆子らの居ない『シオン』

さて、今日『聖なる者』がどこかに存在するだろうか?
キリスト教界のほとんどは、自分たちに聖霊が注がれていると考える。
だが、そこにキリストの奇跡の業を受け継いでいるような人々を見出すことはない。即ちアブラハムの裔を信仰を奮い起こさせて集め出すために、奇跡を確かな印とするキリストから受け継ぐ聖霊の業である。

ある宗派は『愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。』というコリント第一13章8節の言葉を援用して、奇跡的な聖霊の賜物は過去のものとなったと主張するかも知れない。

だが、この聖霊は『聖なる者』に注がれていなければならず、例え奇跡を起こさないとしても、『真理の霊』としてその人々にキリスト教の奥義をあまねく教えているはずであり、それは天からのものであるゆえに、真理であって、訂正の必要のない知識を携えているはずである。(ヨハネ16:13/イザヤ44:26)

つまり、そこではキリスト教の浄化が起こっており、様々な異教にまつわる誤謬から解かれ、しかもイザヤも言ったように『神の栄光』を顕わしているはずなのである。(イザヤ43:21)

福音書によれば、彼らは為政者らの前に引き出されながらも、誰も論駁できない聖霊の言葉を語ると予告されていたが、人類史はそのような誰かの姿を記録していたろうか。 やはり、それは将来の「終末」に起こることであろう。(ルカ21:12-15)

まして奇跡によって『聖霊の顕現』(ファネローシス)を持つような神から召された人、我々は、そのような人々を見てはいない。(コリント第一12:7-9)
そこで、キリスト教界の教師らが「クリスチャン」が『シオンの娘』なのです!と言い張ったにせよ、滑稽なばかりで、預言された事の重大さがそんな暢気を許しはしない。(イザヤ43:9)

キリスト教界は、相変わらず古代から中世にかけて取り込んだ異教という悪霊の汚れの中に耽溺して居り、幾らか原始キリスト教を目指した宗派が起こったからといって、あの五旬節のような明確て画期的な事態の発生と広がりを世界のどこにも見てはいないのである。もちろん、宗教改革も効果はなく、幾つかの教理を変更したばかりで、初代キリスト教の回復とはとても言い難い。 

このような状況は、聖書の歴史においてバビロン捕囚に比すべきものではないだろうか。
悪霊の教えのはびこるバビロンに囚われた契約の民は、崇拝する神殿を失い、もはや律法に定められた規定を行うことは不可能であった。いや、捕囚民は「契約の民」とも言うことも憚られる。律法条項の三分の一は『幕屋』乃至『神殿』を必須としていたからである。

捕囚の間、シオンの山には神殿は無く、城壁は崩され、人影も無かった。
これこそが、今日のキリスト教世界の実情ではないのだろうか。
イエスは『誰も働くことのできない夜が来る』と予告し、ペテロはイエスの再臨が『明けの明星として昇るまで預言の言葉を思いに留めよ』と言っている。(ヨハネ9:4/ペテロ第二1:19)

今日、キリストを親石として神殿となるべき人は絶えて無く、「クリスチャン」は「天国」や「地獄」などのカルデアの教理、異教バビロンの死後の世界を教えられている。
神とキリストの関係も贖いも、聖霊の意義深さも、単なる蒙昧主義でしかない「三位一体の玄義」に阻害され、十字架という刑具に向かって祈りを捧げさせられるというキリストの反対者サタンの喜ぶような崇拝を行ってはいないだろうか。



◆子らの帰還

だが、それは正されねばならない。
「回復の預言」の中でイザヤは言う。『YHWHは必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる。YHWHは、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。』(イザヤ4:4-5)

これは何を意味するだろうか?単にかつて起こったバビロン捕囚からの解放を言うのか?
いや、ここに述べるのは『聖なる者』の浄めであり、『聖霊』による回復であろう。その『聖霊』が注がれる人々が現れるとき、それは将来に於けるあのシャブオートの日の聖霊降下の再現であり、対型的バビロン捕囚からの久しく待たれた大いなる解放、『慰めの時』となろう。(使徒3:19)

そこで彼らは、バビロンの汚れを捨て去り、シオンに向かって歩を進めねばならない。その再び聖霊が降る日に、メシアは『新しい契約』を未だ残されている契約の子らと結ばれるために再臨を果たしているであろう。その期間とは、イエスの公生涯の三年半の残りの三年半を残すダニエルの『第七十週』であり、黙示録が告げる『42ヶ月』また『1260日』のことであろう。(ダニエル9:27/黙示11:2-3.7)

黙示録によれば、終末に聖霊を得たその人々は『この世』を糾弾し『荒布をまとって預言する』ので、『王や総督の前に引き出され』『聖霊によって語る』とされている。ヨハネの福音によれば『そのもの(約束の霊)が到来するとき、それはこの世を罪と義と裁きについて問い詰める』という。(ヨハネ16:8)
また、イザヤはメシアについて『それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。』と予告するのである。(イザヤ52:15)

ここに、聖霊は自分たちが既に持っていると唱えるキリスト教界に出番があるものだろうか? 信者だけの救いの「ご利益信仰」に凝り固まる「クリスチャン」に悠久の時に亘る偉大な神の経綸に預かる余地があるものだろうか?

キリスト教界は三位一体説を唱えることで、イスラエルの聖なる方YHWHを神の座から外したが、シオンに神YHWHも再び戻られるとき、それはシオン全体にとって、それ以上ない感動と歓喜をもたらすことであろう。 

イザヤはこう言う。
『聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、YHWHがシオンに帰られるのを、目のあたりに見るからだ。エルサレムの廃墟よ。共に大声をあげて喜び歌え。YHWHがその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。YHWHはすべての国々の目の前に、聖なる御腕(の働き)を現した。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。

去れよ。去れよ。そこを出よ。(バビロンの)汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。YHWHの器を荷う者たち。あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。YHWHがあなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。』(イザヤ52:8-12)

これは人間が計画するところのものではないし、その時をさえ知るところとはならない。
『主なる神はこう言われる。見よ、わたしが国々に向かって手を上げ、諸国の民に向かって旗を揚げると、彼らはあなたの息子たちをふところに抱き、あなたの娘たちを肩に背負って連れて来る。』(イザヤ49:22)

即ち、その時に至れば、神は自ら合図をすると言われるのである。
『わたしが、最初にシオンに、「見よ。これを見よ」と言い、わたしが、エルサレムに、良い知らせを伝える者を与えよう。』(イザヤ41:27)

これらの句に明らかなように、神自身が『シオンの子ら』の回復を主導されるのであり、そこでは神でなければできない事柄が起きなければならないのである。シオンに「これを見よ」というのは聖霊の奇跡に関わる事柄であろう。それが始まるときに、シオンには大きな喜びがあるに違いない。待ち望んだ神からの印である聖霊の働きを目撃することになるからである。そこではキリスト教は聖霊によって浄められ、真正なものに磨き上げられる。

そして、彼らのシオンへの清い街道がバビロンから整備され確立されるのである。
『そこに街道が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。』(イザヤ35:8-10)


このシオンへと向かう『街道』は、既に一度拓かれたことがある。
それを教えるのがエレミヤの預言の言葉である。
『 あなたは自分のために標柱を立て、道しるべを置き、あなたの歩んだ街道の大路に心を向けよ。 帰れ!あなたの町々に帰れ。イスラエルの処女らよ。』(エレミヤ31:21)

このエレミヤ31章は、これに続けて『新しい契約』について宣告するのである。
したがって、あのシャブオートの日に聖霊降下が起こったときに、一度イスラエルの処女らは、その街道を通って『帰った』ということができる。(イザヤ10:22/35:10/ローマ9:27)

まさしく、バプテストが自らを指して『道筋を直くせよ』と注意を促した「道筋」とは、この『街道』であり、彼はイザヤの言葉(40:3)に拠って、その『悔い改めのバプテスマ』をユダヤ人に呼びかけていたのであり、(ヨハネ1:23)このヨハネの活動が即ち、あの聖霊の降るシャブオートの日へとユダヤの『民を整え』たのであった。(ルカ1:17)

他方、律法契約は遂に不妊の女であった。それは『真実のアブラハムの子ら』、即ち『王なる祭司、聖なる国民』を生み出さなかったからである。それこそが律法契約の目的であったことはシナイ山麓でイスラエルの聴いた言葉から明らかである。(出埃19:5-6)

しかし、メシアの現れはエレミヤの予告した『新しい契約』を拓き、『イスラエルの残りの者ら』が聖霊降下と共に生み出され、律法の業によらず、メシア信仰によってサラの子らの誕生の始まりを見るに至った。それゆえ使徒ペテロも、当時の聖霊を受けた『聖徒』らに向かって『あなたがたはサラの子となった』と言っている。(ペテロ第一3:6/ダニエル9:27)

この聖霊降下の奇跡が、初代のキリストの弟子らだけでなく、更なる成就を終末に期待すべき理由は、上記のように、未だ成就を満たしてはいない数々の言葉が残されているからである。

まさしく『聖霊』を注がれた『シオンの子ら』が戻る擬人化された山『シオン』とは、終末において、その子らの帰還を待ちわびる人々を指していよう。それは子のない寡婦にいきなりに多くの子らが与えられ、そこに夫たる神も戻られるほどの栄光ある酬いを得ることになるのである。これがキリスト教の回復であり、シオンの山に聖徒が現れることを意味するに違いない。

そして、その子らを見るときの大きな喜びがこう描写されている。
『 それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。その日、「ここにわたしがいる」と告げる者がわたしであることを知るようになる。

良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は。
聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、YHWHがシオンに帰られるのを、目のあたりに見るからだ。』

シオンの神が王となることを知らせる者の足は、重い足取りではなく、『山々の上』を越えてゆくほどに、軽やかな印象を受ける。それは遅々として進まない物事ではなく、短期間に実現するものなのであろう。聖書中の黙示の内容からしても、「この世の終末」は世代に亘るほどに長いものではなく、数年で終わるものであるらしい。

そして『YHWHが帰られる』とは即ち、今日まで神はキリストと共に不在だからであり、世界のどこにも神の正統な崇拝が存在していないからである。⇒「ミナの例え」 
そのときこそ『YHWHはあなたがたの神となった』という知らせに意味がある。その日には、もはや神の名を「YHWH」と記す必要もなくなるのである。(イザヤ40:9/エレミヤ30:12)


だが、再び『聖霊』が注がれるとき、それを喜べる人々がいるだろうか。(ルカ18:8)
その人々こそが『シオン』であろう。その人々は、真理を自分たちが所有しているなどと慢心することなく、『求め続け、敲き続ける』人々であり、それゆえにも、その中の人々に『聖霊を与えられる』ことになろう。(ルカ11:9-13)

その人々は、神とキリストと聖霊への信仰を抱いており、『聖霊』が降る意義も弁えていなければ、それを相応しく喜ぶことはできないに違いない。即ち『シオンのゆえに嘆き悲しむ者ら』でなくてはならず、『彼らはとこしえの廃虚を建て直し、いにしえの荒廃の跡を興す。廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。』とイザヤは語る。(イザヤ61:3-5)

その女『シオン』には『子ら』や『娘ら』が戻ってくるばかりか、夫である神が、その家をその『シオン』の上に建てるであろう。そこには神YHWHの『御名が置かれる』ので、その人々は回復の時期に神の名を正しく知るに至るであろう。それは地上のエルサレムをもはや意味しない。キリストを隅石として『シオンの子ら』が積み上げられて建立される天界の神殿こそが、神の住まいであり、『彼らの中にわたしは住まう』と神自ら言われるのである。(コリント第二6:16)

詩篇も次のように言う。
神は『捕われ人の嘆きを聞き、死に定められた者を解き放たれる。人々がシオンでYHWHの御名を知らせ[לספר(レサフェル)*]、エルサレムでその誉れを言い表すために。』(詩篇120:20-21)*(「教える」「宣布する」)

その至聖の神名を唱えるものは失望に至ることはない。
神の御名が救いに関わることは、新旧の聖書の繰り返すところである。(詩篇79篇/使徒2:21)

終末について預言された、キリストの『兄弟に親切を示す』とはこのようなことであったのだ。(マタイ25:31-46)
即ち、聖霊を注がれる者らには、大祭司キリストの血の犠牲の価値が適用されて贖われるので、彼らはキリストの兄弟となる。その彼らの語る聖霊の言葉や、知らされる神の名に信仰を働かせる人々は、彼らに親切を施すような支持を与えるであろう。
その親切を『シオンの娘』に示すか否かが人々をキリストの左右に分けるものとなる。
それは即ち、『聖なる者』を迎え、その聖霊の宣教のゆえの苦難の日に『粗布をまとって預言する』彼らを支持することである。(黙示録11:3)

この事が起こる終末の「より大いなる帰還」の時には、特に『聖なる者たち』を生み出す母である『シオン』に栄光がもたらされる。
その『子ら』となる聖徒(ハギオス)は皆、世界の各地から象徴的に『シオン』という信徒(ピストス)の集団に集められて来るからである。この人々は流れのようにシオンの山を目指して進むと預言されている。

イザヤは終末のシオンに人々の集まる様を予告してこう言っている。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、諸々の山のかしらとして堅く立ち、諸々の峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れ、多くの民は来て言う、「さあ、われわれはYHWHの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ2:2-3)


そこは神の義によって唯一の正統な宗教の場となり、『シオンに救い、イスラエルには美が』与えられる 。(イザヤ46:13)つまり、神の『イスラエル』の聖なる者たちは試みに遭い練り浄められるが、その一方で信じる者たちの『シオン』は、『神の救いを見る』ことになるのである。

これによってイザヤ62章5節の観方も変わるであろう。(新共同訳のような手加減も意味を失う) 
『 若い者が処女をめとるように、あなたの子らはあなたを娶り』という、この近親相姦のような句も間違いではないことになる。
つまり、『神のイスラエル』である『シオンの子ら』は天からその母を支配するものとなるのであって、それは恰も婚姻を結んだかのように天から支配する『シオンの子ら』との強い結びつきをもつことを言うのであろう。(ヨハネ17:20:-22)

その時には『シオン』は地に於いてキリストとその聖なる者らとの支配の中核を成すことであろう。
そして神はこれを『新たな名で呼ばれる』ことになるという。(イザヤ62:2-3) 

そこではシオンそのものも、その子らとの関係により、地上で副次的な誉れに預かるようである。
『シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現すYHWHの植えたものと呼ばれる』(イザヤ61:3)

そして女『シオン』は、『光を放て』と呼びかけられる。(イザヤ60:1) この女は神の栄光をまとうことになり、もはや太陽の光も月の光も必要とはしない。『YHWHが永久に続く光となる』からである。(イザヤ60:20)

その輝きによって寡婦のシオンは『嘆きの日々を終える』ことになり、『子らを産む』ことで、このシオンは『暗きが地を覆う』とも『YHWHが照り輝き』始める。やはり、この女のことを黙示録は『太陽をまとい、月がその足の下にあり、十二の星々でできた冠がある』と述べているのであろう。それゆえ、その女は子を生み出し、その嬰児は神のものとなっている。(イザヤ60:1-3/60:19/黙示録12:1-5)

女『シオン』は黙示録12章に描かれるように、明らかに地上のものであるので地に落ちたサタンの攻撃対象となり、また『地の救助』も受けるのである。

そこで、この母の栄光は地の諸国民にも明らかになる。
『あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来る。あなたを侮った者らも尽く、あなたの足元にひれ伏し、あなたをYHWHの城市、イスラエルの聖なる方のシオンと呼ぶ。』 (イザヤ60:14)

したがって、『シオン』が単なる信者の集団であるというよりは、地上で千年支配を受ける人々の中でも非常に積極的な部分となるようであり、終わりの日に信仰を抱いた諸国民が流れのように向かう先が『シオン』であり、その多数の人々は『律法はシオンから・・出る』ことを認識しているに違いなく、その指導を受けようとする姿が描かれてもいるのである。(イザヤ2:3-) 

即ち、『シオン』の役割は、『娘』である『聖なる者ら』を生み出すだけではなく、聖徒らが天に去った後に、地を受け継ぐ無数の信仰の人々のよりどころとなるところまでもが、イザヤに予告されているかのようである。 (イザヤ2:2-3)
 

 
◆将来のシオンが子らを生む日に

以上のような理解を受け入れられる人は、個人のご利益を望むキリスト教界からは多くは出ないだろうが、それでも諸国民の富がシオンに集まってくるという。つまりは、キリスト教徒ではない人々の方に受け入れやすいものとなるのであろう。そこではユダヤ教徒の大半がメシアを受け入れなかった故事が彷彿とされる。(イザヤ60:5) 

しかし、そこで神の家はかつてないほどに美しくされ、王たちは資産を携えてくるというのである。(イザヤ60:11)
それは『シオンの子ら』が解放されることをきっかけとして、『大いなるバビロン』の水が枯れ、王たちがバビロンを征服する結末を表しているようにも読める。(黙示録16:12)

シオンに栄光が付与され、その女は『太陽と月の必要もない』ほどの輝きを得る。その女シオンが子を「生む」のである。それゆえ十四万四千人の『神のイスラエル』が子羊と共に『シオンの山の上に立つ』のであろう。(イザヤ60:14.19/黙示録12:1-2/14:1)

それはキリスト教が究極の宗教として高められる日であり、『神の義』の内に真理を語り、 どのような宗教も思想もそれを論駁することはできないであろう。新約聖書福音は揃ってシオンの子らが諸権力と対峙し、有罪の宣告を下すさまを描き出している。(イザヤ54:17/ルカ21:15)

そして『子ら』を生み出した『シオン』そのものは天に達しないものの、千年の新しい地の中核を成す部分として高められ、定めない時に至る誉れに預かことになる。(イザヤ60:15) 
 
かつて、ダヴィデが支配権を置いたシオン山は象徴的に再びダヴィデ王朝、即ち『神の王国』の権威の座所となるのであろう。そこは再び聖なる都エルサレムを戴くからである。だが、それは地上の一か所を占めるものではなく、天界のエルサレムの受け台としてのシオン山であるに違いない。(イザヤ60:13)

そこには聖霊によって磨き上げられた純良なキリスト教が存在し、それは神の栄光を繁栄する間違いのないものとなり、今日のどこにも存在していないものである。そこには世界にも明らかな神の栄光が見られることであろう。それがキリストの花嫁、聖なる乙女らで構成される『シオンの娘』なのである。

それこそは、歴史上にキリスト教の純化をもたらす回復を願った人々の理想の姿であり、それはけっして人からはもたらされないのである。

それゆえ、イザヤが呼びかける『シオンよ覚めよ!』の句は、今日に非常に重い意義をもっている。(イザヤ52:1-2)
聖霊によってその娘らを受け入れる前に、黎明の母シオンは薄明りの中、いち早く目覚めているからである。(ルカ11:10-13)

だが、そのように目覚めた人々が現れるのはいつのことだろうか?

それは即ち、聖霊についてキリスト教界が誤解し、それをご利益信仰の聖霊の内在などという惰弱な思い込みに置き換えている中から脱し、世の光として輝く子らの母と成る『シオン』に相当する人々、聖霊の再降下がどれほどの重い価値を持つのかを認識する人々の現れであろう。

この世も終末に入ると、「大いなるキュロス」はバビロン河畔から『シオンの娘』を解き放つことになろう。
その幾らかの人々は自由を得て後、直ちにシオンに向けて旅立ち、シオン山上に神殿の礎石を据え、神殿は無いまでも祭壇を跡地に興し、再び常供の犠牲を捧げ始めるに違いない。それはかつて、キュロスⅡ世の勅令によって実際に起こったことでもあったのだ。⇒ アリアー・ツィオンの残りの者


だが、それはいつか?(黙示録9:14-15)
キリスト・イエスは『つねに目覚めておれ、その時がいつかを知らないのであるから』と言われる。(マタイ25:13)


遠い過去からイザヤは不定の将来に向けてこう呼び掛けている
『シオンよ!醒めよ、醒めよ、そなたの力を衣としてまとえ』

また、こう言う
『囚われのエルサレムよ!その身から塵を掃い捨てよ
 立ち上がれ!囚われのシオンの娘よ、そなたの首の縄を振り捨てよ!』

 

 
           新十四日派   © 林 義平
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「天に建てられる神の王国」

「アブラハムの裔を集めるキリストの業」

「二度救われるシオンという女」

「神のシャファト 壊滅する巨万の軍勢」

新旧の聖書の記述を精査総合し
この世の終りに進行する事柄の数々をおおよそに時間の流れに沿って説く
(研究対象が宗教であるため主観による考察)

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指名されたメシア キュロス


指名されたメシア キュロス
〈一万八千字超


キュロスⅡ世は古代のペルシア帝国をオリエントの大覇権国に押し上げる偉業を成し遂げた傑出した王である。

現在のイラン高原の山がちな西の一部を領地とするだけの小国ペルシアから、メディア王国の首都エクバタナを制圧し、自国よりよほど大きく、現在のトルコのあるアナトリア半島の中部までをも版図としていた宗主国メディアの全域を併合し、やがて中近東の覇権を彼は手に入れる。

その版図を急激に広げる飛ぶ鳥を落とすような勢いに、オリエントの覇権を継承していた新バビロニアやナイルに抱かれた悠久のエジプト、またアナトリア半島の西部で繁栄を謳歌し始めた新興リュディア王国にも脅威となり、ペルシアといえば他国に精神的圧力を感じさせる新興の大勢力となっていった。

そしてキュロスⅡ世の人物像を追ってゆくと、そこには徒ならぬものがある。
彼の数奇な生まれと危機からの救い、その幼年時代、そして大国メディアを包摂するに有利であった血筋。そして驚くべき仕方で展開した様々な事の成り行きが挙げられる。

そして何よりも、イスラエルの聖なる神YHWHが、預言者イザヤを通して百五十年以上も前からこの人物の到来を名指しで予告していたという事が、そもそも彼を奇跡的な人生を送る存在として、初めから定めていたという理解に到達するのである。(イザヤ45:1-7)

つまり、彼は生まれるずっと以前から、神YHWHの目的を成し遂げるために「任命された者」、即ち神の民イスラエルを救う器として当時の「メシア」となるべく備えられ、またその救出とYHWHの祭祀の再興を成さしめたのである。

この頁では、神YHWHが与えたその役割を果たしてゆく彼の生涯を辿る。
そうすることで、彼の働きが21世紀という我々の時代を越えて、世界が終末を迎える時代に「もうひとりのメシア」、即ち世の終わりに臨御し、その時代の趨勢を左右する王なるイエス・キリストに委ねられる神からの務めを、その相似点から探る材料とする道も拓くであろう。

これが意味するところは、二人のメシアの単なる共通点を論うことでは終わらない。
なぜなら、そこには人の目に映らざる生ける神YHWHの不朽の意志と、それに抗おうとする目に見えぬ勢力との駆け引き、そして困難を排して遂に神の意図が実現されていったこの古代の例を通して、我々は「終末」という将来においても、反対者マゴグを排しメシア=キリストが必ず成し遂げるであろう業への期待を高め、それを信ずるに至るからである。

では、彼の生涯を俯瞰する前に、その出生の以前までのメディア王国と当時のオリエント諸国の趨勢を一瞥することにしよう。


◆覇権国アッシリアの終焉

メディア人とは、現在のイラン西北部の高原に定住する以前には、コーカサス山脈の北、現在のロシア方面いた遊牧民の一支族であったという。系統の近いペルシア人は、メディアの定住地より南方の山地パールサに棲んだところからペルシアの名を得た民族であるという。

この両種族はコーカソイド、つまりメソポタミアを広く占めていたセム系人種とは異なって、ノアの三人の息子のヤペテに発する、今日で云うところのインド=ヨーロッパ語族に含まれる。
メディアやペルシアの人々は、自らを「アーリア」つまり「高貴な者」と呼んでいたが、古代ギリシア系の人々もこの呼称で「アリアナ」と彼らを呼んでいたとされる。
 
この民族は、現在でもアーリアを名乗っており、「イラン」という国名には「アーリア人の国」 の意があるとのことである。
彼らの宗教は、古代においては、現在のイスラームとは異なり、善悪二元論のゾロアスター教を信奉していたのだが、この偶像を持たない拝火教はキュロス大王以降のペルシア帝国で非常な発展を遂げている。その神、アフラ・マツダの由来は古く、早くも古代ヒッタイトやミタンニでヴァルナ神として尊崇されていたという。

それでも、メディア王国の歴史は、ハム系のエジプトやセム系のアッシリアからすれば然程のものではなく、紀元前700年代からエクバタナに都して始められた王朝と云われる。
だが、この王国は当時の覇権国家アッシリアの威勢の前には色褪せ、何度も征服され、属国の地位に甘んじてきた。

強壮なアッシリアは、獰猛で残虐な軍隊を擁し、その主神アッシュールは造られた偶像ではなく、同名の首都の土地そのものであった。それは神道の神体のようでもある。
それゆえ、他の神々と異なり、偶像を毀損されることもなく、その神が永く命脈を保ったところでアッシリアの権力を強靭なものとしていたとも言われる。

この帝国アッシリアの覇権拡大には、青銅器に換えてヒッタイトから学んだ硬い鉄器に、驢馬から速度の速い馬に換えて戦車に用い、円盤状であった重い車輪をスポーク(輻「や」)状にして速度を格段に上げ、その戦車上から弓を射る戦法を用いたところにあると云われる。即ち、戦闘方法のイノヴェーションを起こして、周囲を屈服させていたということである。
 
アッシリアは、その発展の過程で首都をアッシュールからニネヴェに移していたが、この強みを維持し続け、覇権大国として周辺の諸国を征服しては、その地の反乱を防止する目的で、征服民を別の土地に移す強制移住を強要したのである。

その為、イスラエル十部族とされるイスラエル王国もアッシリア王サルゴンⅡ世によって前732年に侵攻されて滅ぼされ、その「十部族」も各地に散らされたが、その移住の割当地のひとつが属国メディアでもあった。
そしてイスラエル王国の領土であったパレスティナ北部にはバビロニアの地域から植民が行われ、当地に幾らか残っていたイスラエル人とやがて混血し、サマリア人と呼ばれるに至る。

アッシリアが占める北メソポタミアは、南に比べて降雨に恵まれ、バビロニアほど膨大な収穫量は獲られないにせよ、灌漑を行わなくても小麦などの収穫が出来、この帝国の繁栄に寄与していた。
他方で、南メソポタミアに位置するバビロニアは世界文明発祥の地であったが、アッシリアに圧迫されて独立を奪われ、属州の地位に貶められていた。それでも、かつての文明の中心地としての威光を忘れずにおり、バビロニアのアッシリアに対する反抗が度々起こっていたので、アッシリアにとってバビロニア支配は常に懸念されるものであったという。
やがて、そのバビロニアの宿願も果たされる時が訪れることになる。

アッシュール・バニパル王の帝国の最盛期には、エジプトからエラムに至るまでがアッシリアの版図であり、周辺には多くの朝貢国が点在しており、メディアやペルシアもそれらの中に数えられた。
しかし、アッシリアの専横で高圧的な支配は周辺国の反乱を度々招く原因を作っていたので、バビロニアに限らず領内の異民族や属州も周辺国もアッシリアが衰退するようなことがあればと、独立や攻撃の機会を虎視眈々と窺っていたのが実情であった。

アッシリア帝国はバビロニア南部のカルデアにも総督を置いていたのだが、その最後の総督はアッシリア人と同じセム系のアラム人で、その名をナボポラッサルといった。
この人物は、平素アッシリアからバビロニアを奪おうと目論んでいたが好機が到来する。自らが仕えるアッシリア王アッシュール・バニパルの治世の末期に混乱が生じたのである。これに乗じて、ナボポラッサルはバビロンに入城し、自らバビロニア王を唱えてアッシリアからの独立を宣した。それは紀元前625年のことであったという。

そして、アッシリアの東方の高原に位置するメディア王国もその好機を逃さず、アッシリア攻撃を始めるのであった。この両国の連携があって覇権国アッシリアの打倒も可能性を高めたであろう。

その時のメディア王はキュアクサレースⅡ世といったが、彼の父フラオルテスの時にメディアは南に位置するアーリア同族の隣国ペルシアを支配下に置くことに成功している。
しかし、このフラオルテス王のときにメディアはアッシリアに抗って乾坤一擲の戦を起こしたのだが、やはり相手は強壮な大国、これには大敗北を喫し、王も殺されてしまった。 爾来28年間、メディアはアッシリアの同盟国スキタイの支配下に置かれ忍従を強いられるが、その間にメディアはスキタイの騎兵術を習得し、軍制を改革し歩兵と弓兵とを分離して、歩兵に長槍を、騎馬兵にも弓を持たせ、それぞれの長所を伸ばすなど、臥薪嘗胆を続けて軍事力の育成に此れ力を注いでいたのであった。

そのフラオルテスの息子であるキュアクサレースは父の意を継ぎ、アッシリアの衰退とバビロニアのクーデターに期を見て呼応し、東側の要衝ダルビッシュから攻略を着手し、北進してくるナボポラッサルのバビロニア軍と共同戦線を張り、アッシリアの首都ニネヴェに向かって西に進軍を続ける。しかし、北に位置するスキタイがアッシリアに加勢するに及んでメディア軍は一度ニネヴェ攻略を断念せざるを得なくなるが、キュアクサレースはスキタイの要人たちを酒宴に招いておいて謀殺し、スキタイに勝利する。

アッシリア討伐に際して、メディアはバビロニアと抜け目なく同盟を結ぶ。メディア王キュアクサレースは娘をバビロニア王ナボポラッサルの王子に娶らせたが、その王子こそ誰あろう、かの大王と成るべきネブカドネッツァルであった。
彼に嫁いだメディア育ちの娘はバビロンの平坦で変化の乏しい風景に、故郷の山々を恋しがるので、この王子が王となって後、多くの建造物をバビロンに建てるに当たり、あの七不思議に数えられた「空中庭園」が誕生することになったという。

かくて、双方の連合軍が遂にアッシリア王の籠るニネヴェを包囲するに及び、エジプトからエラムまでをも支配した空前の大帝国にも、その滅亡の時が迫る。
およそ二か月の攻城戦の後、西暦前612年の7月にニネヴェは陥落し、最後のアッシリア王アッシュール・ウバリトⅡ世となるべき貴族はハラン(現トルコ南東の端)に脱出する。

ナホムの預言では、アッシリアの戦車は焼かれ、彼らがニネヴェから逃げ出してゆく様が描かれている。さらには城壁は隣接する川の増水に耐えらなかった事が防備の決壊ともなったとも示唆されている。増水期と重なったことが、攻囲側に有利に働き、ニネヴェも予想外の短期戦で陥落したのであろう。(ナホム2:13/1:6-8)

さて、先のアッシリア王アッシュール・バニパルに擁立されていたエジプトのファラオ・ネコは、義理立てもあってかハランに逃れた最後のアッシリア王に加勢しようとエジプトを発ったのだが、その途中のメギドの近くでユダ王国のヨシヤ王の思わぬ挑戦を受けることになり、これはハランに赴く足手まといとなった。
結果、エジプト救援軍も甲斐なく、ハランもバビロニア軍に攻撃され、大帝国アッシリアも遂に終焉を迎えたのであった。

しかし、この歴史の大きな大渦の中でユダ王国も巻き込まれてゆく。
エジプトはユダ王国の挑戦を難なく退け、戦死したヨシヤ王に代り傀儡のエホヤキム王をユダに立てて貢納国として、遅ればせながら北進しバビロニア軍との雌雄を決する戦いに赴いていった。

やはりユダもイスラエルも小国であり、この時代の趨勢からして「全能者の主権が表明されていた」という見方をこれらの弱小国にしたのでは、却って神への非礼を免れないのではないだろうか。もちろん、イスラエルは神との契約関係にあったのだが、この関係はイスラエル民族の不実さや怠慢に左右され続けたのであり、そこに神が「主権を置いた」と現代的な評価を下すことは、やはり人間の愚劣によって全能者を卑しめ兼ねないことである。
むしろ、神YHWHは以下に見るように「王たちを教え」、大覇権国家さえも自在に動かす神々の神というべきである。(イザヤ41:2) 

さて、ユダ王国を処置して進軍してくるエジプト軍に対して、バビロニアのナボポラッサルは皇太子であったネブカドネッツァルに軍を託してユーフラテス上流に向かわせる。そして前606年のカルケミシュの戦いでエジプト軍は大敗を喫し、以後エジプトは西アジアの支配権も失い、母なるナイルに抱かれた自国に引き戻されていった。

こうして俯瞰すると、ヨシア王の無益に見えるファラオへの挑戦も、エジプト軍の進軍を遅らせることになっており、新バビロニア帝国という新たな覇権国家を登場させる役割の一端を担ったかの観がある。だが、その新帝国も、結果的にユダ王国の保護とはならないことになる。

預言者イザヤは、ユダ王国が律法を守らず、不信仰で多くの罪を重ねた国民への処罰として、バビロンへの捕囚を再三予告していたのだが、新バビロニア帝国がアッシリアとエジプトに勝利して世界覇権を手にすることにより、その神の企図が成就に向かい進んでゆくさまをそこに見るが、それは、誰がどのように行動しようとも、必ず神の企図に沿った方向に流れる時代の潮流であったということができる。


◆エルサレムの滅び

さて、バビロニアとの雌雄を決する戦いに挑んだエジプトのファラオ・ネコもカルケミシュで大敗すると、勢いに乗ったバビロニアはシリアやヒッタイトを攻めてキリキアまでを得て、エルサレムも一度征服し、最初の捕虜を取るが、その中にダニエル書を著したダニエルと三人の友が含まれていたことであろう。しかし、ここに至って父ナボポラッサルの訃報を受けたので、歴戦の王子もパレスチナからひとたび王都バビロンに戻り、王位を継承してネブカドネッツァルⅡ世としての強大な新バビロニア帝国の建設に名乗りを上げることになる。この即位が前605年とされている。

その後、ネブカドネッツァルという英傑王を得たバビロニア軍は、再び反乱を起こしていたシリア方面に軍を向け、そこから南に転じてフェニキアやパレスティナへと再び侵攻するのであった。

当時のユダ王国はエジプト軍に打って出て戦死したヨシヤ王の亡き後、前述のように、その子エリヤキムが名をエホヤキムと改められ、エジプト傀儡の王として弱々しく何とか国を保っている状態にあった。
エホヤキムはファラオ・ネコに課せられた重い貢納を支払うために自国民には重税を課す一方で、自分は豪勢な暮らしを望んで、民の生活を顧みず、国土は周囲の奪略に喘ぐ有様であった。

このエホヤキムの悪政を糾弾する預言、そして来るべきバビロニアによる滅びを生涯を懸けて宣告したのが、このころに、神YHWHから遣わされた預言者エレミヤである。

しかしエホヤキム王は、却って、自分を責めるエレミヤの預言の書を切り裂いて燃やしまでしたのであった。そのときにはバビロニアの勢力は未だパレスティナに臨んでいなかったため、この愚王にとってはエレミヤの預言に切迫感を持たなかったのであろう。

しかし、バビロニアが新王ネブカドネッツァルⅡ世と共に再びシリア・パレスティナ方面に遠征に乗り出す中、エホヤキムは没し、この悪政を成した王の遺体は、民の怨みを買っていて、まともに葬られることもなかったという。

バビロニア軍がエルサレムを包囲すると、ユダはこれに降り、ネブカドネッツァルはエホヤキムに代って王位にあったエホヤキンを捕虜としてバビロンに連れ帰ることとし、エホヤキンの叔父のマッタニヤをゼデキヤと改称させてユダに傀儡王として据えた。この時期にネブカドネッツァルはユダの有能な人材を集め、約一万人をバビロンに送るが、これが第一次のバビロン捕囚とされている。

その中には後に預言者となるエゼキエルが含まれていたであろう。(列王第二24:15)
こうして傀儡王ゼデキヤによってユダ王国は再び命脈を保ったものの、エジプトの次にはバビロニアの貢納国として従属関係に入ったのであった。しかし、世界情勢は不安定であり、ユダ王室でもその後の対処についての意見は分かれていた。

その後、エレミヤは預言してゼデキヤとユダ王統のためにもバビロンへの恭順を再三促すのだが、王の近臣たちはこれに異を唱えてエジプトを頼るようにと説得を続けた。
そうしてゼデキヤの治世の間にエジプトではファラオがネコⅡ世からプサムティコスⅡ世へと代替わりし、ユダとの仲が親密になってゆく。
しかし、ゼデキヤは治世の第八年に貢納品を携えてバビロンに赴き、服属を誓うのであった。

それにも関わらず、ゼデキヤの近臣はエレミヤを王から遠避けて、エジプトを頼ってバビロンの頸木から脱することを唱え続ける。
エジプトではファラオが更に代り、好戦的な姿勢を見せるアプリエスが即位した。このファラオはバビロニアへの挑戦を見せ、エドム、モアブ、アンモン、テュロス、シドンにバビロニアへの反抗を教唆する。
この影響も受けて、遂にゼデキヤはエレミヤの預言に反して近臣の意見に屈し、遂にバビロニアへの従属関係の破棄を宣言してしまった。

エレミヤの預言では、バビロンに服属している限りユダは国を保てたのであったが、ゼデキヤは越えてはならない一線を踏み越え自国を滅ぼす道を選び取ってしまったのである。
 
翌年、ネブカドネッツァルの軍はエルサレムを包囲し、市内には窮乏が襲う。しかし、一度エジプトが大軍を率いてユダ救援に向かい、一度バビロニア軍の包囲網を解いたのだが、それはゼデキヤとその取り巻きに徹底抗戦を決意させてしまい、エレミヤはいよいよ立場を悪くして捕えられ、空腹感が常に持続する減らされたパンで日々を送らされるのであった。しかし、バビロニア軍は再来し、更に翌年になるとタンムズの月の9日*には遂にエルサレムの城壁が破られ、バビロニア軍が続々と市内に侵攻してくるのであった。ここにダヴィデから四百年続いたエッサイの王朝も遂に途絶えることになる。

次いで翌アヴの月には、神YHWHの神殿も市街と共に破壊されるに至るのであった。こうしてモーセから九百年も続いた律法祭祀制度も一度終りを迎えるのであった。(列王第二25:3-4)

これは前586年の夏の事とされており、このヨシア王以後の騒乱の時期から「契約の箱」が歴史資料から姿を消しているが、他国に捕われてさえ、周囲を動かし自力で戻る奇跡の箱がそれ以来二度と戻らなかったからには、そこに律法契約から後の『新しい契約』への神の意志を見るかのようである。預言者エレミヤは、人々が契約の箱について語らず、もはや作られることもなくなる時期の到来について、依然神殿の至聖所に契約の箱が安置されている時期から予告していたのであり、エルサレム陥落後のバビロニア側にもペルシア側にも、神殿什器の詳細に契約の箱が見当たらない。やはり、神がその名を置く象徴であり、人の命さえ奪うという神秘の臨御光が宿ったという証しの箱の行方は、人の辿り出せるものではなかったのであろう。

他方で、生き残ったユダ国民は多くがバビロンに捕え移され、結果的に僅かに残されたユダの農民らも、エレミアの預言に従わず、バビロニアに任命された同朋の総督を殺してしまい。その報復を恐れて、エジプトに去ってしまった。こうしてユダの地は人が住まず荒れるに任される。
だが、神YHWHは、再三にわたってイザヤやエレミヤのような預言者らを通し、ユダとイスラエルの民の『約束の地』パレスティナへの帰還を予告させていたのであった。

こうした人の目には到底起こり得ないようにみえるイスラエルの帰還とその神YHWHの祭祀の復興という大業を成し遂げる器として任命される者(メシア)を、神はイザヤを通し「キュロス」と名を挙げて指し示していたのであった。
イスラエルの聖なる神YHWHには、ユダ=イスラエルの父祖アブラハムへの約束を反故にすることなど、その全能性が許さなかったであろう。アブラハムの裔イスラエルは人類の祝福となる『諸国民の光』となることが神の意志であったからであり、この民族はこのまま終わってしまってはいけなかったのである。
 


◆小アジアのリュディアの勃興

この時代のオリエント諸国は躍動期に入っており、世界はその趨勢を大きく変えようとしていた。

そしてアナトリア半島西部地域でも、ギリシア系の諸都市を束ねる国家が成立していた。
それが、小アジアのサルディスを王都とするリュディア王国であるが、この国もキュロスの登場を語るに際して欠くことのできない要素を成している。

この地域のギリシア系諸都市は、イオニアやアイオリスなどの民族毎に緩やかな連合を結ぶものの、それぞれが独立した都市国家であった。
しかし、その中からサルディスを首都とするリュディア王国が頭角を現し、優勢なスミュルナを始め周辺のポリスを支配下に置き始めていた。

富裕なことでリュディア王クロイソスは有名となったが、その父王アリュアッテスのときには、それまではリュディアもメディアと同様に、アッシリアが強勢覇権国であった間は雌伏の貢納国であったものを、その衰亡に乗じてメディアがアナトリア半島東部まで勢力を伸ばしてきたところで、リュディア王アリュアッテスはメディア王キュアクサレースⅡ世を相手に、西側のポントス地方からカッパドキアを争って五年も戦っていた。「カッパドキア」とは、美しい馬の地の意とのことで、それまでは西のポントスと同じ地域であったという。

打ち続く戦の日々が進み、カッパドキアからシノペ方面をに向かって黒海に注ぐハリュス川の近くのポントスとの境付近で双方が激しく戦闘を行っていたところ、突然に昼が夜になってしまい、両軍はそれを不吉な兆しと見るなり、恐れをなして戦うのを止めたのであった。これは前585年5月28日に起こった皆既日食であろうと今日では想定されているものである。

ヘロドトスは、その日食は最初期の哲学者ミレトスのタレスにかなり前から予告されていたと言っているのだが、もちろん両軍にそれは知られていなかったに違いない。
ともあれ、この日蝕をきっかけにして、リュディアとメディアの両国は、バビロニア王となっていたネブカドネッツァルの仲介を得て和睦し、リュディア王アリュアッテスは娘のアリュエニスをメディア王子アステュアゲスに娶らせた。
こうしてメディア王家にはリュディアの血が流れることになるが、やがて、このアリュエニスは娘マンダネを産む。

他方で、リュディア王アリュアッテスが前561年に亡くなるとその王子クロイソスが35歳で即位し、リュディア王国は版図をカッパドキアとキリキアを除くアナトリア半島に広げ、同地からの砂金の産出も得て貨幣を鋳造し、エーゲ海を挟んでギリシア本土とも交易が盛んで、いよいよ富と繁栄を極める。クロイソスと云えば富裕王の代名詞ともなっていった。
こうして、覇権国家アッシリアの去った後には、メディア、バビロニア、エジプト、そしてこのリュディアの四強が現れた。

この時代の詳細についてはヘロドトスやクセノフォンが詳述しているが、それぞれに矛盾もあり、正確さには異議が唱えられているものの、それらを基にして当時の出来事を幾らか描き出してみると、そろそろ、この辺りからがイザヤの預言したキュロスの登場の場面に光が当たるかのように背景が見えて来る。


◆狙われた命

前述のように、ハリュス川での戦いが日蝕によって遮られ、リュディアの王女がメディアの王子アステュアゲスに嫁いだあと、マンダネという娘が生まれたのだが、王位を継いでいたアステュアゲスは不可解な夢を二度見たのであった。
一度目は、娘のマンダネが小水でエクバタナの都を水浸しにしてしまい、それがアジア全体に広がってしまう夢であった。

さて、メディアに知られる六部族の中にギリシア語で「マゴイ族」(アヴェスター語では「マグ」)と呼ばれる支族があり、この部族は他に無い生業によってメディアの民の中で過ごしてきたのであるが、その生業とは祭司であり、様々な卜占を行い王家にも少なからぬ専門家を置いて神々からの吉凶の知恵と恩恵とを与えていたという。(伝道10:14)

日蝕や月食の周期を唱えた「サロス周期」が広く知られるようになる以前のこの時代の人々は、天文を読み、後に起こることの吉凶を知ろうとすることに敏感であったればこそ、戦争を仕掛けるにも神に覗いをたて、日蝕に怯えて軍を引き、また同盟を結んで血縁関係にも入ったのである。

さて、自分の夢が気になったアステュアゲスはマゴイに夢解きを依頼したが、その答えというものはこうであった。
即ち、マンダネから生まれる男子が王となれば、メディアを滅ぼし、アジアの全体を手に入れるというのである。
アステュアゲスはマンダネがいずれは産む子供を怖れた。自分の王位を脅かしはしないかという専制君主には共通する恐れというべきであろう。しかもヘロドトスによればアステュアゲスには男子がなかったのである。

そこで、アステュアゲス王はマンダネを自国メディアの高貴な家柄に嫁がせることは避け、属国であった小国ペルシアの王カンビュセスに嫁がせたのであった。
しかし、はたしてマンダネがペルシアに嫁いだその年に、アステュアゲスは二度目にマンダネの夢を見た。やはりマンダネから葡萄の蔓が伸びてゆき、遂にアジアを覆い尽くしてしまうという夢であった。

王はマゴイを呼び、この夢も解かせるのだが、やはり、マンダネから生まれる子はアステュアゲスに代って王となると言うのである。
娘の妊娠を知ったアステュアゲスは、ペルシアからマンダネを呼び出し、厳重な監視下に娘を置いた上で、忠臣で信頼を置くメディア貴族ハルパゴスに命じて、子が生まれたなら直ちに自分の家に連れて行って殺すよう命じたのであった。

しかし、ハルパゴスは無慈悲な殺害を行う気にはなれず、自分に仕える牛飼いに委ねて、この嬰児を野獣の棲む北方の山地に放置して死ぬに任せるようにと命じた。
牛飼いは道々ハルパゴスの召使いから事情を打ち明けられ、その意味するところをすっかり知ってしまったのであった。

しかし、そこでまことに偶然な事ながら、その牛飼いの妻も妊娠していたのが、男児を死産したばかりであったという。
そこで、この牛飼いのスパコと言う名の妻は夫に強くせがんで、その子を生かしてやって欲しい、その代わりに自分が死産した子の方をハルパゴス様にお見せして欲しいと言うのであった。
牛飼いも、それはもっともな事と思い、自分たちの嬰児の亡骸を山中に運び、ハルパゴスの使いにそれを見せておき、マンダネの産んだ王子の方は自分たちで引き取って育てたという。

こうしてこの嬰児は、牛飼い夫婦によって辛くも命の危機を脱することができた。なんとも始まりからして数奇な人生となったのだ。
この嬰児こそ誰あろう、後の大王キュロス(古ペルシア語「クルシュ」)なのである。

この嬰児は生きなければならなかった。この二世紀前のイザヤの預言はこうなっている。

『YHWHが油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。わたしは彼の右の手を導き、国々を彼に従わせ、王たちの武装の帯を解かせる。彼の前に二重の扉は開かれ、どの城門も閉ざされることはない。
わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を粉砕し、鉄の閂をへし折り、わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。

それであなたは、わたしがYHWHであり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることを知ることになる。
わたしの僕ヤコブ、わたしの選んだイスラエルのために
あなたは知らなかったが、わたしがあなたの名を呼び、栄誉ある名を与えたのだ』。
(イザヤ45:1-5)

ここにはバビロン捕囚を経験することになるユダヤ人と既にアッシリアの各地に散らされているイスラエルを解放させ、パレスティナへの帰還を実現させるための器としての働きが予告されているのである。
それも、この予告が実現する150年以上も前に神YHWHは預言者イザヤによって語り、確かにキュロスを「リ マシホー、レ コレシュ」[לִמְשִׁיחֹו֮ לְכֹ֣ורֶשׁ] 即ち「メシア(任命された者)キュロス」とヘブライ語で名指ししたのであった。 彼自身はそれを意識しなかっただろうが、神はかつてダヴィデ王にそうしたように、生まれる前から彼を予見し、更に名指しで召していたのである。
しかも、上記のように歴史書を紐解くと、王に命を狙われ死にかけ、牛飼い夫婦に救われた嬰児がそのメシアであるというのである。

さて、ここまでくれば、キリスト教に通じた読者諸氏ならば、もう一人の王に命を狙われたメシアとなるべき嬰児が思い浮かぶことであろう。
それこそは、イエス・キリストに他ならない。


◆目に見えぬ世界の戦い

嬰児であったキュロスの上にもたらされた命を奪う策略と、幼子イエスの身の上にも生じた危機とには共通する介在者が居る。
それが卜占を生業とする者、メディアの一支族「マゴイ」(ギリシア語・複数)である。彼らは六百年も後の時代に依然存在していたことを新約聖書から我々は知る。

即ち、『ユダヤ人の王として生まれた方はどちらにおわしますか?』と、権力欲に溢れ、猜疑心と嫉妬心の塊であるかのような晩年のヘロデ大王の許をわざわざ訪れてメシアとなる赤子の所在に注意を向けさせた三人の占星術者らのことであり、マタイ2章では紛れもなく彼らをギリシア語で「マゴイ」[μάγοι]と呼んでいる。
彼らがヘロデを訪ねることが無ければ、幼子イエスは狙われず、ベツレヘム・エフラタの幼子たちの命も奪われなかったであろう。

それこそは、三人のマゴイが悪霊によって『星を観て』、つまり自らの占星術に導かれた結果なのである。
即ち、神のメシアの現れを除くべく、その生み出されるところで命を奪い、そうして神の御旨を阻止しようとする者とは、かの「反抗する者」サタンとその一党に違いない。

イエスの場合には、天使がヨセフに警告を与えて、エジプトに一家を逃れさせてメシアとなる幼児の命は守られたが、その約六百年前にも、やはりマゴイを介してメシアとなる嬰児の命が狙われ、それを牛飼い夫婦が救っていたのであった。
そこでは、人には見えない世界での神とサタンの闘争があることが示されている。

こうした見えない霊界の闘争があることは、ダニエル書中でも示唆されている。
ダニエルの祈りに対して、神から遣わされた有力な天使であってすら、『ペルシアの君』と呼ばれる何者かの霊者に行く手を阻まれて21日に及び、そこで天使長ミカエルの助けを必要としたのである。

その『ペルシアの君』とはおそらくは、サタンもしくは有力な悪霊のひとりなのであろう。ダニエルに現れた有力な天使は、『ペルシアの君』の他に『ギリシアの君』と呼ばれる何者かが居ることも明かしている。(ダニエル9章-10章)
こうしたサタンの霊の勢力に用いられて、メシアの誕生したところを殺してしまうために用いられていたのが、地上の卜占業者らであり、メディアの「マゴイ」であった。

他方、多くのキリスト教徒はマゴイを「マギ」と呼び、イエスの誕生を祝いに来た東方の三博士などとありがたがり、それもイエスが生まれた訳でもないクリスマスの時飾り付けているのだが、それは恐るべき無理解と云う他ない。この「マギ」が「マジック」つまりは「魔術」の語源となってもいる。
実に、マゴイはサタンに遣わされた刺客に等しかったのである。
しかし、その企図は二回とも挫かれ、神の御旨が成就するに至っていることの方がどれほど有り難いことであろう。

そしてキュロス大王となるべき嬰児も、マゴイとその背後に控える霊の勢力からの攻撃をかわして、質素で目立たぬ牛飼いの家で成長を遂げてゆく。それは後にナザレ村の大工の息子として育つことになるダヴィデ王統を引き継ぐもう一人のメシアの先例のようでさえある。
その牛飼いの子には初めからキュロスの名が与えられたのではなく、キュロスと呼ばれるのは後にペルシアの宮廷に戻ってからのことである。 したがって、イザヤのヘブライ語の預言で「コレシュ」に相当する「ペルシア語「クルシュ」と名付けられるに至ったのは十歳を過ぎたころであったろう。

この点、後にキュロス大王が「犬に育てられていた」と噂されたのも、牛飼い夫婦にしてみれば自分たちが大王様の里であったとはまことに畏れ多いと思われたのであろう。
養母となった牛飼いの妻は名をスパコと云ったが、ペルシア語でスパカは犬を意味するところから来たものと謂われているそうである。

確かに、スパコなる女が文字通りの授かりものであるその子に、よくよく愛情を注いだことが窺える。カンビュセスとマンダネの宮廷に戻った少年キュロスは、養母を褒めちぎって憚らなかったとヘロドトスは書いている。しかし、それは宮廷には都合が宜しくもなかったことであろう。その件は表向きでは隠されていたようで、それゆえにも「犬に育てられた」とのローマの建国者ロルムスとレムスのような英雄伝説が語られもしたようである。


しかし、どのようにしてキュロスは王家に戻ることになったのだろうか。


◆頭角を現す少年

キュロスの少年時代からの成長ぶりについては、ギリシア人でペルシアの傭兵にもなっていたことのあるクセノフォンがその著「キュロスの教育」に詳しく書いている。
しかし、クセノフォンがこの書を記した目的は、歴史を忠実に追うことよりも、ペルシアの教育がどれほど廉直で優れているかをギリシア語を話す人々に知らしめるところにあったが為に、史実に忠実ではないとの批判はどうやらその通りらしい。

しかし、クセノフォンの経歴からして、すべてが間違いとは言えず、おそらくは、メディア・ペルシアでの年齢別にグループを作ってそれぞれに指導を受け、正義と困苦を学ぶというところはその通りであったように読める。つまりは、今日の学校、あるいはボーイスカウトや青年団のようなものだったのだろう。年若いキュロスもこの制度に従い、王室に籠って庶民の暮らしぶりも困苦のほども知らずに育ったような軟弱で官僚的な王子とはならなかった。

またヘロドトスもキュロスの少年時代について述べている。そこでは特に、正義感や職務への忠実さについては、キュロスの素性が殺害を命じた当のメディア王アステュアゲスに明らかになる場面で、意味を持ってくる。

それは少年が10歳のときであったという。少年のグループに属して「王様ごっこ」をして遊んでいるときのこと、キュロスが(少年時代の名は分かっていないが)王様に選ばれたので、家臣役の子供が職務を怠ったのを咎め、鞭打ったのだが、それは名士の子であった。

そのアルテムバレスという名の貴族は、遊びの中で為された罰により、自分の息子が傷を負ったことを王に訴えた。
そこでアステュアゲス王は、牛飼いとその息子を呼んでその件を質したところ、牛飼いの息子らしからぬ臆さぬ話しぶりと、その正義を弁明するさまに何やら格別のものを感じたうえ、自分にも似た容貌が非常に気になった。もし、殺害を命じた孫が生きていればこのくらいの年齢にはなっているだろうと思うところもあって、気が動転するほどであったという。

事の真相を知ろうとして、訴えた親子は早々に帰し、牛飼いだけにさせて事の次第を尋ねるが、牛飼いは自分の子だと言う。そこで拷問の用意をさせると、遂に牛飼いも真実を話し出した。
アステュアゲスは、牛飼いはともかくも、忠臣と信じて必ず殺せと託した筈のハルパゴスの方に強い憤懣を抱く。

王はハルパゴスを呼びつけて真相を話したが、自分の懐く怒りは顔に出さずに、孫の生存を喜んでいると言う。
そして、ハルパゴスの息子を自分の孫のところに与えるように、その上で祝いの食事に来るようにとも命じた。
 
ハルパゴスには13歳の一人息子がいたのだが、これを王宮に送り、自分も王の饗宴に与るために喜んで王を訪れた。しかし、これは王の激怒の籠った策略であり、彼に供された料理は、その息子の肉であった。
宴会が終わり、肉のことが明かされてもハルパゴスは表情を変えずに、息子の残った遺体を携えて家に戻ったというが、もちろん、一人息子とその親をこのように過酷で無慈悲に扱ったからには、ハルパゴスの中に主君への怨念の宿ったことは想像するまでもない。そして、この復讐はやがて遂げられることになる。

次いで王は夢解きを行ったマゴイを呼びつけて、死んだと思っていた孫が生きていたがどうするべきかと問う。
すると、マゴイは自分たちへも災難の及ばぬように王の機嫌をとるかのようにして、その子が既に「王様ごっこ」で一度王になっていたのであれば、もう心配はないと言い訳を述べるのであった。
「夢とは他愛もない事の上に成就してしまうこともあるものだ」とも言い立てるマゴイは、ここで明らかに危険な劣勢に立っており、それはやがて訪れる決定的な断罪と彼らの刑死の前兆でもあった。

さて、孫が生きていたことをペルシア宮廷と娘のマンダネに知らせると、キュロスの両親は大いに喜んで少年を引き取った。キュロスの名を得たのはこのときのことであろう。
しかし、その後も少年キュロスは祖父アステュアゲスをメディアの宮廷に尋ね、賢くて活発な上、周囲の人々に身分の隔たりなく優しい性質を見せていた。これが、少年キュロスの培った正義と、身分を越えた親密の情などの誉めるべき特質が、メディア・ペルシアの年齢層別の訓練に由来するとクセノフォンが自著「キュロスの教育」を通して強調したかったところのひとつであろう。
 
そのように優れた彼の特質は無数の兵士を束ねる上でも、敵をさえ心服させる度量の大きさとなっていったことが窺える。だが、イザヤの預言を知る者からすれば、そこに将来の神YHWHに用いられるメシアとしての相応しい優れた資質を感じさせるものである。

彼は、山地が多く騎乗の難しいペルシア*よりは、高原平野のメディアで騎乗を存分に学ぶことを楽しみ、ほどなくして同年輩の誰にも負けない乗り手に成長したという。*(「パールサ」は「辺境」の意であるという)
また、自分の不得手な分野に一層の努力を傾け、あらゆる分野で優れた者に成長を遂げていったともクセノフォンは言う。
メディア・ペルシアでの教育は、正義を学びつつ身体を鍛えるばかりでなく節制も身に着ける、それは、飲食を少なくして困苦にも耐え、睡眠を削ってでも注意を払い続ける忍耐力を培うことであったという。

キュロスを自らの許に得たカンビュセスⅠ世は、さらにキュロスに軍を率いる者の資質について教え、狩りでの実習も積んでいたようであるし、クセノフォンはキュロスが青年期にバビロニア軍との会戦を経験したことを記している。
こうして、生き長らえた命は見事に成長し、その実を結ぶときが近付いていた。


◆キュロスの立つ日

さて、息子を料理されたメディア貴族ハルパゴスは復讐の機会を窺っていたが、アステュアゲス王の暴虐ぶりには、他の多くの貴族も憂慮させ、また恨みを抱かせていた。
そこでハルパゴスは、陰で仲間を増やしつつあったし、利発で活発な少年キュロスも寡黙で思慮深い青年に成長しておりアンシャン分封の王となっていたので、もはや気も熟したようであった。
彼は、キュロスに決起を促そうと、一匹のうさぎを贈った。その中には密書が仕込まれており、もしキュロスが立つなら、メディア貴族はこれを迎えると書き送ったのであった。

キュロスは祖父の悪政ぶりを勘案熟慮の上で、ペルシアの将兵を束ねるために各地に通達を発し、自分はアステュアゲス王からペルシア軍の司令官に任じられたと偽った。
その上で、将兵を集めるに当たり、一日目には鎌を持参させて、一面に刺ある茨の生えた野原を開墾させ、次の日には父カンビュセス王の家畜を集めて屠り、兵を饗応したのであった。
そして、昨日と今日とではどちらが良いか?と尋ねる。もちろん答えは辛い労働よりは肥えた肉を食らうことである。

そこでキュロスは『私の言う通りにすれば、今日のような目にいくらでも遭えるが、その気を起こさねば昨日のように辛い毎日が続くぞ・・自分は神意によってこの世に生を受けこの大業を任されたと思っている。そして皆は戦いでも他の事でもメディア人に引けを取らぬと思っている。・・いまこそアステュアゲスに謀反を起こすべきなのだ』と将兵の心を掴み、決起を促したのであった。

軍は勇み立ちエクバタナに向かって進軍を始めた。
前552年、緒戦はヒルバという城市での戦いとなったが、キュロスの軍は数が少ないので、彼は父カンビュセスに数千の兵を嘆願し、なおそれがメディア王の指令であるかのように装うことも付け加えていた。そこでカンビュセスは可能な限りの兵を息子に託したという。

戦闘が始まると、ハルパゴスは王アステュアゲスを欺いてキュロスの反乱を過少評価させたが、ペルシア軍が迫ると王は、迎え撃つメディア軍をあのハルパゴスに委ねてしまったのであった。
ハルパゴスは軍を率いて進み、ペルシア軍と開戦はしたのだが、ハルパゴスを筆頭に謀反を起こそうとしていた貴族とその軍はペルシア側に寝返ったり、戦闘を放棄したりしてしまいメディアの軍は敵を前に崩壊してしまった。

これを聞いたアステュアゲス王は、「王様ごっこ」で一度王になっていたからもう安心で、「夢など他愛も無い成就もある」と言い訳していたマゴイどもを串刺しにして処刑するや、残りの兵を率いて自らキュロスの軍に立ち向かったが、人望のないメディア王ではもはやキュロスに抗うことは出来ず、敢無くアステュアゲスも囚われの身と相成ったのである。

アステュアゲスはハルパゴスを見て、王権をメディアに保たずペルシアに渡してしまったと罵ったが、キュロスの前に専制君主の陥りがちな暴君でしかないアステュアゲスは、もはや大国を導く器ではなく、この以前から親族やメディアの重臣の信任を得たキュロスに趨勢は決していたというべきであろう。しかし、キュロスは祖父アステュアゲスを殺すことも何の害も加えることもなく、死ぬまで養ったという。

こうしてマゴイの夢解きは実現し、キュロスはエクバタナに迎えられるように入城し、ふたつの国メディア・ペルシアの実質的な主となったのであった。メディアの貴族たちもキュロスを受け入れて従い、こうして双方の血を引くキュロスの下で、メディアとペルシアは断ちがたい二重国家となって更に強固な王国となっていった。これは西暦前550年のことであったと云う。(異説はあるが、このときアステュアゲスには定めた王位継承者がいたらしい。そのためキュロスがメディアとペルシアの名目上でも統治権を得るのは後のことになったらしい)

この結末はといえば、マゴイの裏で糸を引いていたサタンは、マンダネをわざわざペルシアに嫁がさせ、次いで、嬰児殺害にも失敗し、分け隔てなく人を扱う人徳をキュロスに与えてしまい、こうして却って神の預言を成就させることをしてしまったことになる。


◆日の出の勢いのペルシア

さて、アッシリア亡き後に現れた四強国家の中で、小アシアのリュディア王国は、前560年以後、優れた新王クロイソスを戴き、版図を広げつつ領内から産出する砂金もあって、富み栄え意気軒昂であった。
エーゲ海側の小アシア商業港湾都市の数々が手に入ると、クロイソスは東に目を向けてメディア・ペルシアを攻めたものかと思案し、神託に伺いを立てようとしたが、その前に、どの神の託宣が信頼できるのかを試すことにした。
彼は、ギリシア諸国の神々の託宣所に自分が指定した日に何を行っているのかを言い当てさせたのであったが、その結果、特にアカイアのパルナッソス山近くにあるデルフォイのアポロン神殿の託宣の正確性を確認した。

そこで、デルフォイの巫女に伺いを立て、自分がメディアと戦端を開くべきかを問わせたところ、「メディアで騾馬が王になったならば・・ヘルモス川に沿って逃げろ」との託宣を得たが、彼はこれを喜んでしまった。なぜなら、騾馬が王になることなど有り得ないと思えたからであった。また、デルフォイとアンフィアラオスの双方が「クロイソスがペルシアに出兵すれば大国を滅ぼすことになる」と託宣を伝えてきたことも、その滅ぼされる国が自国ではなくペルシアの方だと思い込んで喜んで戦の用意にかかり、ギリシア最強の都市国家スパルタと同盟を結び、キュロスとの戦いに万全に備えたのであった。

クロイソスは、かつて先代が日蝕でメディアと和解した停戦ラインのハリュス川を渡河して侵攻し、カッパドキアのプテリアに着陣し、周囲を占領した。
一方で、キュロスも道々兵を集めて進軍しカッパドキアに入った。前547年秋の事であったという。

両軍はプテリアで激突し、非常に激しい戦いとなったが、一日では形勢は分かれず勝敗が付かなかった。
翌日、クロイソスはペルシア軍が一向に攻撃を仕掛けて来ないので、キュロスは激戦で戦意を失ったと解し、ならばカッパドキア侵攻は、精強なスパルタ軍などの到着を待ってから仕切り直しをしようと思い立ち、戦場を後にして自国に引き上げ、連合軍は各国に返し、サルディスの都でバビロニアにも使いを送り助勢を依頼し、翌年の侵攻の準備をし始めたのであった。

キュロスは、その行動を読んで、クロイソスが一度軍役を解くであろうことを悟り、そこを急襲する作戦を取り、リュディア軍を密かに追うようにしてサルディスを目指したのであった。
やがてペルシア軍が近付いていることを知ったクロイソスは大いに狼狽したが、そこは覚悟を決めて果敢に打って出た。
しかし多勢に無勢。頼みの優秀な騎兵もペルシアの駱駝隊に蹴散らされ*、クロイソスは一族共々ペルシア軍に捕えられてしまった。*(馬は駱駝が大の苦手という)

当初、キュロスはクロイソスとその一族を処刑して神に初穂として捧げようと、薪を積み上げ着火したのだが、それまで黙っていたクロイソスが、富が人をいつまでも幸福にはしないと彼の運命の不確かさを指摘したアテナイの立法者にして哲人のソロンや、デルフォイの託宣を得たアポロン神の名を呼ばわり始めたので、キュロスが通訳を介してその意味を聞くと、自分と同じ人間でありながら富み栄えたもうひとりの人間を火刑に処すことの無常さに想い至り、急いで火を消すようにと命じたという。ましてクロイソスは、キュロスの祖母の兄弟の立場にあり、まるで他人ではない。

だが時遅く、火勢はすっかり強くなって濛々たる煙を噴き上げ、もはや人の手には負えない状態になってしまっていた。
しかし、そこに突如として黒雲が現れ沛然たる雷雨が降り注ぐや、火のついた薪のうえに水しぶきを上げて打ち付け、強力な火勢をも消してしまったとヘロドドスは伝えている。
この件もあって、クロイソスは以後衆人の尊敬されるところとなり、早速に彼は見事な一計を献じて、キュロスにペルシア兵からのサルディスの全き奪略を回避させ、クロイソスは以後、キュロスの下で知略に優れた参謀として従うことになる。

キュロスは、クロイソスを鄭重に扱い、どうしてペルシアと闘おうというつもりになったかを問う。そこには、もはや敵としてではなく、共感する友としての意識を感じさせる語らいの風情がある。そこでクロイソスはギリシアの神々がそうさせたと答え、「平和より戦争を選ぶ無分別な者がどこにあろうか」と言った。デルフォイの託宣の「王になる騾馬」とは、キュロスのことであり、彼の中にはペルシアだけでなく祖母を通してメディアとリュディアの血も流れている点で騾馬のような混合種ということであったのだろうが、ギリシアの神々はこのように人のどちらともとれる託宣を与える意地の悪さを見せていたのであり、後世、デルフォイの神託所に入る前に強引に捕らえた巫女の述べた依頼主への苦情、「さてさて、あなたは負けないお方だ」の一言で十分だと引き上げてしまった二世紀後のマケドニアのアレクサンドロスは、ギリシアの神々に惑わされなかった点では賢かったのであろう。

その後、キュロスは信頼するハルパゴスを小アジアの総督に任じ、智将クロイソスを伴ってその地を後にした。
こうして、キュロスはエクバタナ占領から三年という短期間のうちに四強のメディアとリュディアを加え、後には南にあるエラムも征して、その勢いは残るエジプトとバビロニアに大きな脅威を与えるまでになったのであった。


◆バビロンの衰退とペルシアの侵攻

新バビロニア帝国というものは、多くをネブカドネッツァルⅡ世に負っているということができる。
彼は皇太子の時期からエジプトを退散させ、ヒッタイトを支配下に収めた。

即位してからの権勢も目覚ましく、シリア方面からパレスティナに侵攻し、エルサレムを神殿諸共に破壊し、民をバビロンに捕囚に処した。
それに加えて、バビロンは遂にエジプトを占領し服属させるまでになった。これはかつてのアッシリアのような世界覇権国家となったことを意味している。
バビロンでは、市の領域を倍に増やし、空中庭園を始め美しく大きな建設を次々に行い、バビロンは当代随一の洗練された都会となったと言われている。

しかし、この大王の死後と言えば見るべき傑出した王を持たなかった。
ネブカドネッツァルⅡ世の王権を前562年に継承したアメル・マルドゥク(エヴィル・メロダク)は、治世僅か二年にして義理の弟のネルガル・シャレゼル(ネリグリッサル)に暗殺されてしまう。
そのネリグリッサルの四年の治世を持つのみで没し、余りにも幼いラバシ・マルドゥクが九か月王座にあったところで、やはり暗殺される。
こうなると、バビロニア王朝の凋落は目に見えている。その背後にはバビロニアの主神マルドゥクの神官らがこの混乱に関わっていたようである。

というのも、その混乱を鎮めて次の王となったナボニドゥスは、神官らを監督し、その人事を掌握してその勢力を削ぐところに注力したからである。そして自身はマルドゥクではなく、月の神シンを崇拝していた。
ナボニドゥスがバビロン王として即位したのは前555年、それはキュロスがエクバタナに迎えられてメディアの王権を手にする5年前のことであった。ナボニドゥスは西方の反乱を鎮めるためにシリアに赴き、バビロニアについては息子のベルシャッツァルに委ね、シリアに十年(ca前553-543)も長期滞在をしていたのであるが、その間にキュロスの方は、前述のようにリュディアを破り(前547)、更に7年後(前540)にはエラムを征服して、着々とバビロニア侵攻の機が熟しつつあった。世界の覇権国家バビロニアには、キュロス大王を戴いたペルシアという好敵手が急速に台頭しつつあった。

さてネブカドネッツァルⅡ世は同盟関係にあった時代からメディアへの備えを怠らず、大河の河口方面からオピス(現バクダッド北80km)まで続く長い壁を構築していた。
そのためキュロスは北方からバビロニアへの侵攻を始め、メディアとペルシアばかりか上下のフリュギア軍などアナトリアの兵までもを加え、チグリス上流のアルベラ方面から侵入したところ、同地ではバビロンへの反乱が起こり、ペルシア軍は戦わず投降した軍勢も加えてそのまま南下し、オピスでナボニドゥス率いるバビロニア軍を会戦する。そこにはティグリス川に架かる橋があったとクセノフォンは云う。(前539年)

しかし、バビロニア軍は敗退しナボニドスはボルシッパに落ち延びたと「ナボニドス年代記」は記す。
こうして勢いを増すキュロスの連合軍は遂にバビロン城市を攻めることとなるのであった。


◆バビロン攻城戦

キュロスが都市バビロンを目にしたのはこのときが初めてのことであったろう。
彼はバビロンの広大さ、隙無く高くて分厚い二重の城壁を眺め、「これを攻略する方策など思い浮かばぬ」と軍議でもらしたとクセノフォンは記している。
バビロン城市は方形でヘロドトスによれば各辺が120スタディオン(21.6km)*もあったという。その中央をユーフラテスが流れ、その両岸に城市が広がっていた。*(ヘロドトスの数字には時に誇張もあるという)

左岸には王宮やマルドゥク神殿の八層ジッグラトが聳える行政区があり、右岸側には広大な耕地があって、この土地の驚異的な小麦の収穫率からしても、兵糧攻めをしたところで攻守どちらが先に干上がるか知れたものではない。城内には20年分の食料の蓄えがあったと云われたが、どんな軍隊であれ、それほど長い攻囲を続けられないことは目に見えており、しかもキュロスの同盟軍の内のカッパドキア、フリュギア、リュディアなどのアナトリア勢が、攻囲が長引きペルシアが劣勢に立った場合には、ペルシア側に投降している自軍も合わせて自分たちに寝返ることも期待できたのであるから、敗退を続けたバビロニア軍と雖も、首都の防備にはけっして負けない自信があった。

しかし、イザヤ書はペルシア軍の採用することになる戦法をも数世代前から予告していたのであった。
『深い淵にむかって「乾け、わたしはあなたのすべての川を干す」。またキュロスについては、「彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる」と言い、エルサレムについては、「ふたたび建てられる」と言い、神殿については、『その基が据えられる」と言う」。』(イザヤ44:27-28)

クセノフォンによる軍議の様子では、キュロスは攻囲を続けることを提案したところ、臣下のペルシア貴族クリュサンタスと同盟メディア軍にいたバビロニアのグティウムのサトラップ(総督)であったゴブリュアスは、バビロンが城壁よりも大河ユーフラテスに守られていると指摘する。
そこでキュロスは、ユーフラテス川の水流を別に造る水路に向けてしまい、市内に向かう水を枯らして、川床から侵入する策を思いついたのであった。それでなくても秋に水位は最も低くなっている。この作戦なら、城壁に妨げられることなく、内部にいきなりに侵攻できる。
キュロスに耳には、バビロニア人が徹夜で乱痴気騒ぎを行うという秋の祭りがあることが入っていたので、水流を別の水路に流してしまう時をその夜とする。

水路掘削の間にバビロニアの兵が出て来ないように、城市の周囲には監視の塔と支城が設けられ、ペルシア軍が何を画策しているかを秘密に保つ。

大河の上流で堰が切られた侵攻の晩、満月に近い月明かりの中、ペルシアの大隊は目立たぬよう二列縦隊で密かにバビロンに向かい、同盟軍もその後に続いた。
近衛兵に川の様子を確かめさせると、二人分の背丈以上あった水位も、腿の半ばまでの深さになっていると報告された。
キュロスは全軍の将を鼓舞し、猶予を置かずに態勢の整っていない敵を捕らえるように指示し、川床を進んでいった。
 
川に面する城壁の扉は、警戒心薄く開け放たれており、侵入したペルシア兵は祭りの騒ぎの中に紛れ込むかのようにして門衛を突き刺し、自分たちも祭りを祝っているかのような大声を上げつつ王宮に向かっていった。こうなると「祭り」もまったくバビロンの敵となってしまう。

キュロスは戸外で出会った者は殺害し、屋内にいる者には外に出ぬように言えとバビロニアの言語を話す騎兵たちに言い含めておいた。それはまさに、ユダの捕囚民の命を救うものとなったに違いない。

さて、この間に王宮で起こっていたことについては、ダニエル書から知ることができる。
その晩、ナボニドゥスの子でバビロンの統治を任されていたベルシャッツァルは、王宮で盛大な宴を催していた。そこに居並ぶ高官らは千人を数えるという、攻囲されている最中とは思えない程の規模の大宴会である。つまりは、まったく油断していたのであった。

ぶどう酒で酔いのまわったベルシャッツァルは、かつて父祖がエルサレム神殿から奪ってきた金銀の聖なる器を持ち出して飲食し、一興としようとした。
それらの器で飲み、自分たちの神々を讃えていたそのとき、空中に手だけが現れ、部屋の壁に文字を記していったのである。しかし、その文字が何を意味するかは分からなかった。

上機嫌のベルシャッツァルの心は一転し戦慄が走った。ダニエル書では『その膝は打ち合った』という。
すぐに卜占師やらが呼ばれるが、誰も書かれた文字を読むことも解き明かすことも出来ずにいた。そこへ妃(皇太后)がそこに入ってきて、かつて父祖ネブカドネッツァルが宗教の長として立てたユダの捕囚民にベルテシャッツァルと呼ばれていた人物、即ち預言者ダニエルを召し出すようにと勧める。王権簒奪者であるナボニドス王は、自らの王位の正当化のためにネブカドネッツッァルの妻をも娶っていたのであり、その妃はかつての宮廷で宗務長官として何者に勝って突出した解き明かしの霊力を示したベルテシャッツァル、即ちダニエルの存在を印象深く覚えていたのであろう。

王統が代って以来忘れられていた智者ダニエルが召しに応じて宴会場に姿を現すと、その謎の文字を読む。即ち『メネ、メネ、テケル、ウ パルシン』。
ダニエルは更にこれらの短文から解き明かして『メネとは、神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことを、テケルは、あなたが秤で量られて、その量の足りないことが示されたことを、そしてペレスは、あなたの国が分かたれて、メディアとペルシアの人々に与えられることを意味いたします」。』(ダニエル5:26-28)

ベルシャッツァルは、それを聞くとダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖をその首にかけるように命じ、王国を治める者のうち第三の位を彼に与えるという布告を出した。
しかし、その間にもペルシアの尖兵は王宮に迫っていたであろうから、今更ダニエルに地位を授けたところでベルシャッツァルには何の益も残っていなかった。

こうしてエレミヤの預言も成就する。
『バビロンの勇者らは戦うことをやめた。彼らは砦にただ座りつづけ、その強さは朽ちた。彼らは女になった。建物には火が放たれ、その閂は折られた。斥候は走って他の斥候に会い、伝令は別の伝令に会い、バビロンの王に告げる。「王の都市はあちこちで占拠され、 渡し場は奪い取られてパピルスの舟は燃やされ、兵士らは慄いておりますと」。』(エレミヤ51:30~32)

クセノフォンの記述に戻ると、キュロスの同盟軍のゴブリュアスは王宮の扉を見つけたがそれは閉じられており、その外側で王宮の門衛たちとの戦いになった。
門衛たちの打ち合う音を聞いたベルシャッツァルが何事かと、外の様子を見させに衛兵を遣わし扉が開いたところに勝手知ったるゴブリュアスの手勢と、共にいたキュロス麾下のガダタスとその一隊が共に中になだれ込み、近衛兵をなぎ倒して王のところに迫ると、ベルシャッツァルは抜き身の剣を手に、護衛なくただひとりで立ちつくしていたという。
これがこの王の最期であった。前539年の秋のタシュリツの月16日の深夜*のことであったと云われる。*(ユダヤ人の「ティシュリの月16日」グレゴリオ暦10月5日とされている)

こうして、ペルシア王キュロスは、ユダとイスラエルを流刑に処してけっして手離すことの無かった覇権国バビロニアの首都を、大河ユーフラテスの水を引かせて破ったのであった。
(ダニエル書では、この時にバビロニアを得た王の名をダレイオスとしているが、この人物についてはよく分かっていない。一説にはアステュアゲスの王位継承者がいたが、高齢に達していたのですぐにキュロスに王権が移ったことをクセノフォンやベロッソスは伝えているのだがヘロドトスはそうしていない)

この事のあって後、ダニエルは自らの神YHWHに祈り、イスラエルの咎が許され、約束の地パレスティナに戻って、その崇拝が復興されることを切に願う。
エルサレムの神殿が破壊されてから、47年目となっていた。彼はエレミヤの預言から、エルサレムの荒廃が七十年続くことを知ったが、そのエレミヤ書には『バビロンで七十年が満ちるにつれ、わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して、わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する』とも述べており、70年間の途中で行動を起こすことを示唆している。(エレミヤ29:10)
即ち、キュロスのバビロン征服も、エルサレムの荒廃を終わらせるには未だ道半ばであったというべきであろう。

そして、キュロスは全王権を得た第一年に捕囚民に目を向け、諸民族の神々への崇拝に寛容な政策を施行した。
殊に、バビロニアに蹂躙されていたエルサレムの神殿の再建には、奪われていた聖なる什器類を返還し、ユダの地には、エホヤキン王の第四子のシャルティエルの更に子であるゼルバベルを総督に任命し、領域内の該当する民に神殿再建のための帰国を命じたのであった。その勅令は22年後に果たされ、神殿祭祀はエレミヤの予告の通り七十年の中断を経て、西暦前515年に再興した。それは神殿破壊の前586年から71年目のことであった。⇒「アリヤー・ツィオンの残りの者」 


こうしてキュロスは、神YHWHのメシアとしての大事業を成し遂げることができた。
彼自身は、この十年後に北方の戦線で、有能な参謀クロイソスを戦場から下げていた隙を突かれたかのように戦死を遂げてしまったが、既に世界覇権国ペルシアは揺るぎないものとなっており、その寛容な支配の恩恵によってユダヤとその崇拝は復興を見ることができたのである。

まさしく、神YHWHはこの人物の出生と成長を見守り、その進路を揺るぎないものとして、遂にバビロンの支配を降し、囚われのイスラエルへの善意を表明させている。確かに神は、キュロスの『その右手を導き』 その御旨を成し遂げるに至ったのであった。

神YHWHは、メディアのマゴイやギリシアやバビロニアの神々のようではなく、 人を欺くような神託などは与えない。いや、神YHWHは邪悪な者らには預言を正しく理解できないようにさせることがある。
預言の言葉に固執するあまり、後のメシアが必ずベツレヘムから来るものと決め付け、ベツレヘムで生まれたものの、北方の田舎ナザレから来た大工の息子イエスを見誤ったことがそのひとつである。預言の言葉は彼らの信仰を試すものとなったのである。そこでペルシアの名が「パールサ」、即ち「辺境」の意であった事を思い見るなら、ナザレのイエスにはペルシアのキュロスに重なるものが感じられないだろうか。

しかし、神YHWHの預言の言葉は真実であり虚しくはならず、悪霊らの妨害を排し、必ず実現に向かってゆくものである。
イザヤに示された預言はその通りに成就し、ユダとイスラエルとは再び故国を得ることになったのである。 

それであるから、このキュロスというメシア無くしては、神殿祭祀による律法体制は再興できず、後に到来するメシア、即ちキリスト・イエスの舞台も整うことはなかったであろう。したがって、キリスト教も多くをこのキュロスに負っているのである。

イザヤはこう言う。『誰が東から人を興したか。誰がその者を義によって呼び寄せたか』。それはキュロスを予告し、その名を以って生まれる前から呼び続けたイスラエルの神に他ならない。その神への崇拝は万難を排して再興され、その第二の神殿は次なるメシアを迎えることになった。

そして、キュロスの姿が更なる終末において繰り返し意味を持つことをヨハネ黙示録が記している。即ち、象徴の女が産むことになる『男児』を赤龍が貪り食おうと断ち構えるの図である。
それはキリスト教をはじめ、あらゆる宗教、宗派を震撼させるものとなるであろうし、「終末のマゴイ」らは、新たなメシアの来臨を表す聖霊注がれて語る聖徒らの登場を阻止しようと働くことにもなろう。(黙示録12:3-4)

そのうえ「終末のマゴイ」は、最後の『背教』となる究極的な偶像礼拝を興し、臨御するメシアに対しては諸国の権力を慫慂し、『偽預言者』となって神と人との戦いへと人類を誘うことにもなろう。その『偽預言者』とは、聖霊を受けながらも脱落する聖なる者たちを指しているのであろう。(黙示録16:13-14)

だが預言によれば、その最終的で究極的な「超宗教」が栄える前に、旧来の組織宗教で構成されるであろう「国連の宗教版」のような姿で登場してくる『大いなるバビロン』も倒されねばならず、その信者数を表す膨大な大河の水も気付かぬ内にすっかり引いてしまい、行く末は全き滅びとなると予告されている。それがあらゆる王にも神々にも超越する「イスラエルの聖なる神YHWH*」の御旨であるからである。(黙示録17章)*(「神名”シェム ハ メフォラーシュ”」)

終末のメシア、この世界に臨御するイエスは、再び聖霊を注ぎ出すことによって聖徒らを再び世に登場させ、その影響はまさしく世界全体に及び、世の終りには余りにも異例な事柄の起こることを人類は見ると、聖書が知らせているのである。その結果、今日まで栄えるそれぞれの宗教も神の奇跡の前にしてほとんどの信者を失い、遂に公権力の前に解体を余儀なくされるというシナリオが黙示録にある。(黙示録11:3-6・16:12)

即ち、キュロス大王を巡って起こった古代の事跡は、一度限りの歴史の一コマで終わることなく、更なる意義を以って将来に繰り返されることを聖書は予告しているのである。





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パサルダガエにあるキュロスⅡ世の陵墓



⇒ キュロスⅡ世当時に関する追加情報
   「キュロス大王の意義」 

⇒ キュロスの勅令によるユダヤの帰還事業のゆくえ 
   「アリヤー・ツィオンの残りの者

⇒ エレミヤの予告した七十年の終りが前537年ではない理由
   「エレミヤの七十年の終点から起点を探る




 

アリヤー・ツィオンの残りの者



『神は敵であるかのようにその弓を(弦を張る為に)踏み、右手(に矢)を構えた・・シオンの娘の天幕の中に火のように激しい怒りを放った。・・神は敵と変じてイスラエルを呑み込まれた。』(哀歌2:4)
これほどの悲痛な言葉を用いたエレミヤが、目撃した律法不履行のユダとエルサレムの滅びをこう嘆いてから50年になろうとする頃
捕囚に処された不忠の民にも大きな変化の時期が訪れる。

『バビロンで七十年が満ちるに従いわたしはあなたがたに心を向ける。わたしはあなたがたをこの場所に連れ戻して、わたしの善い言葉(イスラエルの回復の預言)の証を立てる』(エレミヤ29:10)
そして、この預言を実現するための具体的な大変化が訪れた。

それがキュロス二世の攻撃による前539年のバビロン城市の陥落であった。
だが、ユダヤ人の帰還と神殿の再建は、新バビロニア帝国からの解放だけで自動的に進んだ訳ではけっしてない。イザヤやエレミヤに見られるような「回復の預言」、シオンへの街道が造られたり、諸国民がシオンの子らを懐に抱いて運んで来たり、というような言葉とは不釣り合いなほどに、現実は栄光に溢れたものでも、順調に進んだものでもなかった。

では、その歴史上の現実と、預言の言葉の違いには何か理由があるのだろうか。
また、「回復」とは具体的に何を予告をしていたのか。
それをここで幾らか探り出してみよう。


さて、ユダヤ人が捕囚となっていたバビロンが陥落して後、翌キュロスの第一年に、この新王は自らとペルシア帝国の安寧を願って、被占領民の神々を畏敬し、各地に捕囚民を偶像と共に返還し、それぞれの崇拝を奨励したのであった。
殊に、ユダの地の神については、その神殿を先のバビロニア王朝が破壊し、その祭祀を途絶えさせたことは、新たなキュロスの王朝がその轍を踏んで短命な帝国に終わらせぬ為にも、ユダの神の祭祀を再興させることに価値を見たことであろう。確かに新バビロニア帝国が百年にも届かない寿命であったのに対し、アケメネス朝ペルシアは以後220年の間、オリエントの主人として君臨し続けたのであった。

キュロス大王はその統治の初めの年に、ユダの地にあったイスラエルの神YHWHの神殿を再建し、その祭祀を復興させるべく、その民に属する者らがパレスチナに戻り、これらの事業に従事するようにとの勅令を発した。
加えて、バビロンに保管されていた神殿の五千四百を数えたという大小の聖なる什器をすべて確認してユダヤ人側に返還する念の入れようであった。

こうしたペルシア側の動きは、先のバビロニアやアッシリアなどの諸国家がイスラエルの神に示した敵対的な行動の多くの中で際立った善意を見せる。
イザヤはこの事の起こる150年以上も前に、「油注がれた者キュロス」(リ マシホー  レ コレシュ[לִמְשִׁיחֹו֮ לְכֹ֣ורֶשׁ]と捕囚が起こる前から名指しで予告し、彼がバビロンの二重の城門を開いて神の民を解放する様を「王たちの帯を解き、彼の前に二枚扉を開いて閉じられることのないようにする」と記していたのであった。(イザヤ45:1)

バビロンは、ペルシア王キュロスと連合国という「陽の昇る方角から来る王たち」の前に滅亡したが、キュロスの戦法は正に「大河ユーフラテスを干上がらせる」バイパス水路構築によるものであった。(イザヤ44:27/クセノフォン「キュロスの教育」第七巻第五章)

即ちキュロスという人物は『「彼は我が牧者、我が目的を尽く成し遂げる」と言い、エルサレムについては、「再び建てられる」と言い、神殿については、「そなたを通して基礎が据えられる」と言う』神の言葉を実現させる者として指名された格別な存在であった。そこでの神の予知力行使は、それが必ず成し遂げられるものであることを強調していたのであろう。(イザヤ44:28)

ゆえにこれらの出来事すべてに関するユダヤ人の認識は、『キュロスの右手を導く』神YHWHの神殿祭祀復興の意図を実現するための神ご自身の起こした時代の潮流であり、律法契約の違犯の為に一度は神の激しい怒りに触れ、捕囚の憂き目を見たイスラエルも『その刑期を終えて』、『慰め』(ナハムー)の時を迎えたのである。(イザヤ40:1-2)

シオン山上の城市エルサレムをはじめ、ユダの諸都市が神の業として建てられることは、遠くダヴィデ王の詩篇にも予告されており、このようにある。
『神はシオンを救い、ユダの町々を建て直されるからである。その下僕らはそこに住んでこれを所有し、その下僕らの子孫はこれを継ぎ、み名を愛する者はその中に住むであろう。』詩篇69:35-36



-◆「残りの者だけが」


ユダの地にその民によって神YHWHの神殿を再建し、その祭祀を復興させるというキュロスの勅令に対し、ユダヤ人の有志はすぐに反応した。

しかし、これはバビロンに囚人のようにされていたユダヤ人らが「解放」されて、皆が皆よろこびの表情を浮かべて故郷への帰途に就いたとするなら大きな間違いである。

既に神殿の破壊から50年が経過し、最初の捕囚からは70年以上の年月が流れていたので、ユダヤ人はそれぞれにバビロンで生計を立てる術を学び、多くは生業を確立していたのである。

その一方で、故郷は荒れ果てた土地となっており、たとえ建物が幾らか残されていたとしても廃屋であるに違いなく、あらゆることを一から始めなければならなかった。それに加えて神殿祭祀復興という至上命令が帝国から課せられている。
この帰還事業では、そうしようとするユダヤ人の生活に見かけ上は何の保証も無い。ユダヤ人も捕囚二世、三世ともなれば、もはやバビロンは慣れ親しんだ故郷のようであり、かつてのユダの地を知る者は齢六十には達していたであろう。

つまり、シオンに帰還する(アリヤー「上る」)ということは、未開の地に向かう開拓民となる覚悟が必要であったし、ユダに到着するまでの道中の盗賊や野獣などの危険や長途旅程の困難さも当然忍ばねばならない。およそ1500kmの旅程は東京から鹿児島の鉄道距離にほぼ相当し、ユーフラテスに沿って北上するとしても、そこはやはり不毛な砂埃舞い立つ砂漠地帯であり、獰猛な砂漠の民や無理解な諸国民の狭間を抜けて家畜財産の他に、貴重な金銀の崇拝什器や寄付や下賜された資金を運ぶというのである。

これに対し、大多数のユダヤ人はバビロンや流刑地に留まることを選ぶ。
資金や物資の援助を帰還の有志には与えても、生業のため、また女子供や老人のためか、あるいは熱意の不足か、自ら危険や困難に直面してまで自分たちの神に熱心を示すことに躊躇した。
大多数のユダヤ人にとって「バビロンを出る」とは、敢えて安住の地を去ることを意味し、決して容易なことではなかったのである。

そのためであろう、帰還を申し出たユダヤ人の多くが男性であったようで、これは後に雑婚という大きな問題の誘因となる。

ともあれ、ユダヤ人の中からまるで帰還者が出ないという事態には至らなかったが、その数は関係者を含めてようやくに五万というところであった。
有事には50万の兵力を集めることができた頃のユダ(及びシメオン)とベニヤミンの国家は、おそらくレヴィを含めて150~200万近い人口を擁していたのであろう。ユダヤ人の多くが留まったバビロンは、その後、東方ディアスポラの一大拠点となり、最盛期には百万ものユダヤ人がこの地域に暮らし、そのユダヤ教は中世期に「バビロニアン・タルムード」を生み出すことになる。

一方、帰還を志願した彼ら五万弱には、神への熱意とそれに伴う信仰や勇気が求められなかったろうか。
つまり、彼らはその意味において「篩にかけられ」「選ばれた者」ということができるであろう。即ち「イスラエルの残りの者」と呼ばれる集団である。

イザヤはこうも云っていたものである。
『あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。』(イザヤ10:22

したがって、国家を形成するには余りにも少ない帰還民はまったく「産み落とされた赤子」のように弱体であり、周辺諸民族が存在することすら大きな脅威であったし、それは後に、彼らの面前で山のように聳え立ち、越え難い実際の障碍となるのであった。
それに加えて前述のように、まずは家屋の確保や地を耕し種を撒き、放牧地を見つけて、農耕牧畜の生計を立てなくてはならない。

それでも、彼らには帝国からの法的後ろ盾と、同胞から寄せられた資金には恵まれていた。これらが無かったなら、この帰還復興事業も起こらず、仮に自発的に行われたにせよ、成功はとても覚束なかったに違いない。

まさにイスラエルの神YHWHはキュロス大王の右手を執り、事態を導いたのである。


-◆ 油注がれたふたりの者

この第一次帰還を現場で導く者となったふたりの特筆するべき人物がいる。
一人は、帝国からユダの地の総督の権を委ねられてもいたユダ族のゼルバベルである。その名「バビロンの胤」(ゼルブバベル)の意味するところからして、捕囚としての生まれが知れる。
福音書の系図は彼がユダ族でもダヴィデの王統に属するものであることを明らかにしている。彼は第一次捕囚でバビロンに来ていたエホヤキン王の第一子、あるいはその兄弟の子である可能性も指摘されているそうである。聖書中の系図によれば、彼はエホヤキンの第四子シャルティエルの子に当たる。
またおそらくは、ペルシアの宮廷ではセシバッツァルと呼ばれていたのであろう。このセシバッツァルがユダヤ人総督ゼルバベルである蓋然性は低くないらしい。このようにバビロンに囚われたユダヤ人に別名を与えられた例は聖書のあちこちにあり、それがごく当たり前の習慣であったことが窺える。

ペルシアの行政府からセシバッツァルと呼ばれていたのがゼルバベルであれば、バビロンに収奪されていた神殿の什器や食器をペルシア側から受け取ったのはこのユダヤ王エホヤキンの子シャルティエルの子ゼルバベルであり、彼はその血統のゆえにもユダヤ人の敬意に値したであろうから、キュロス大王の勅令を果たす総督の任を委ねるについては申し分なかったのであろう。
実際、彼が帰還事業において重要な判断を妥協なく適切に果たす場面を我々は聖書に見出すことになる。


そしてもうひとりは、大祭司アロンに連なるエレアザルの、そしてザドクの流れを汲んで堂々と大祭司の資格を主張できた、セラヤの子、イェホツァダクの子、イェシュア(イェホシュア)である。

このように申し分なくレヴィ族の中のレヴィ族である者が、帰還民の中に居ないとすれば、たとえソロモンの壮麗な神殿を凌ぐほどの建造物を奉献したところで、祭祀の再開はまったく不可能となってしまい、その努力は無に帰するのである。

もちろん、レヴィに属する下位の祭司団やレヴィ人、ネティニムに属する古来の外国人専任者をも神殿祭祀は必要としているが、大祭司なくしてはその集団も意味を成さない。

このふたりが居てはじめて帰還民団の目的、またキュロス王の勅令が果たされ得るのであり、彼らの正統な権威と指導は今やイスラエルの神の崇拝の復興とイスラエルの回復の預言の成就に欠かせないものとなっていたのである。

預言者ゼカリヤは、このふたりをそれぞれに取り上げて言及したのち、真の神の崇拝を支える者となることを預言して、燭台の上にある受け皿に油を供給し続ける『二本のオリーヴの木』に象徴し、彼らは『全地の主の傍らに立つ二人の油注がれた者である』との神の言葉を記している。(ゼカリヤ3-4章)
これらは神の崇拝の復興に必要な統治権と祭祀権を表しており、これは後にキリスト・イエスとその聖なる者らの立場を象徴するものとなってゆく。

だがその前に、この時代の帰還民に起こった事柄を一瞥しておく必要がある。
なぜなら、それはイザヤなどの「預言者たち」の語る回復の預言の第一の成就であり、その意義はけっして軽いものではない。殊に、民の帰還と神殿祭祀の復興は、黙示録が示唆する将来のキリスト教の回復をも指し示すのであり、それを待ち望む者にとっては重要な教訓を得る場面だからである。



-◆守られるべき純粋性


先に見た通り、キュロスの勅令に応じたユダヤ人は五万に満たなかった。彼らは秋の第七の月に到着したが、そこで仮庵の祭りを行ったことは彼らの必要にも適っていたかも知れない。それぞれの家族やグル-プは小屋(スカ)を作り、屋根を木々の枝葉で葺いて七日を過ごす。それから二か月の内に、季節が変わる前に雨漏りのしない住居を用意しなくてはならない。

一方、神殿の定礎の方は、その翌年になってしまった。そこでは悴むような冬の雨や雪、自らの生計を立てることへの煩いがあったことであろう。
しかし、十分な資金を用いて石工を雇い、準備を始めることはできていた。

彼らの脅威といえば、近隣の数の多い諸国民の反応であり、帰還民の耳には不穏な情報が入りつつあったので、イェシュアは神殿の再建も、定礎も待たずに銅の覆いもない自然石の祭壇を以前の跡地に築いて焼燔の犠牲や、常供の捧げものを始めたのであった。


神殿の礎石が据えられたのは到着の翌年(前536)、冬の雨の去った春爛漫の二月(イッヤール)の時期であった。
レヴィの祭司らは白い亜麻布で正装し、奪略から返還された輝く銀製の高音ラッパ(ハツォツェロット)を吹奏する。また、アサフの子孫らは小型のシンバル(メツィルタイム)をもってハレル詩編を詠唱し、新たな神殿の定礎を慶祝した。それはかつてダヴィデ王が命じて行った古式に則るものであったが、イッヤールの月の春郁のシオンの空に、長い年月を経て、再びその晴れやかな音が鳴り響く。

帰還民の多くは、その慶事に大きな喜びの叫びを上げたが、一方で年寄らも大声で泣いていた。それは感動の涙ではなかったのである。
老いた者らは、以前のソロモン神殿の壮麗さを知っていたが為に、自分たちの前に置かれた礎石の小さいことに意気を挫かれ落胆して涙していたのであった。失われたものは何と大きかったことか。その後、神殿が完成しても、契約の証しの箱も聖籤ウリム ヴェ  トンミムも遂に戻っては来なかった。

しかし、それでも神の崇拝の為の礎は確かにそこに置かれた以上は、この困難で労苦満ちるとはいえ成し遂げるに大いに価値ある業に彼らは着手したのである。

さてそこで、彼ら帰還した民が、神殿の再建を始めた事に気付いた周囲の民族、殊に割礼ある民モアブとサマリアはその神殿建立の業に預かることを望んで、ゼルバベルに作業への協力と参加を申し出てきた。

殊にサマリアの民は、アッシリア王エサル=ハドンの時代から、トーラーを受け入れ、その規定を守ってきたのであるから、イスラエルとの混血民族でもあり、神を同じくする者という意識が強くあって、その敬神の念が神殿再建に関わることで報われるばかりか、再興する神殿祭祀においても、一括りに「その他諸国民」に扱われる以上の立場を望んでいなかったわけではなさそうであった。

それが証拠に、神殿を再建する業から彼ら近隣の異邦人がはっきり除外されると、つぎには神殿建立を妨害する側に回ったのであった。

そこで彼らの「敬神の念」は篩いにかけられたと言えよう。
彼らからしてみれば、あのユダヤ人らは数も少ないのに不合理に狭量で、「神を独占」するかのような崇拝への閉鎖的独善性に納得がゆかなかったことであろう。

だが、神への崇拝に関して、これらの諸国民には「神からの観点」が欠けていた。つまり、彼らがどうかと云うことではなく、神は何を望んでいるのかという点に配慮が到るほどの敬虔さまでは持ち合わせていなかったのである。そこでは「契約の民」への知識も敬意も足りてはいないことを、神殿再建への反対者と変じたことそのものが暴露していよう。そうして彼らは「神を崇拝すると唱えながら、その実質において無益な者」であることを現してしまった。

神が人類の全体を救うために選んだ「諸国民の光」となる器はアブラハムの裔であるイスラエルであってほかにない。それは、後代キリストがサマリア人の女に語られた「救いはイスラエルから興る」の言葉の通りである。この混血の民には、およそ五百年後にメシアの使徒、ガリラヤの漁師シメオン・キーファを通して聖霊による神のイスラエルへの統合が起こるのであり、その救いの時はまだ来ていなかった。
これら聖なる崇拝に近い諸国民は、却って神の選びを混濁させることで神慮に逆らい兼ねなかった。その理由は崇拝意識において神よりも自分を優先させていたからである。

それゆえ、ゼルバベルが彼ら異邦人を神殿再建の業から遠ざけたことは、キュロス王の勅令に沿うものであったが、それ以上に「イスラエルの回復」の預言を正しくイスラエル民族の上に成就させる道を拓くものとなった。

確かに帰還したユダヤ人は僅かではあっても、彼らこそが選ばれた契約の民であり崇拝の再興は彼らを通して為されなくてはならない。神は『再びエルサレムを選びとられ』るのであり、そこには御名を置かれる『神の家』たる神殿がなければならないし、その祭祀はイスラエルから更に聖別されたレヴィ族のアロン=ザドク系大祭司を頂点に戴く祭司団によって執り行われるべきものであった。それを補佐するのは同族のレヴィに属する者たちと、ネティニムと呼ばれる専任の献身者らでなくてはならない。

神殿を再建し、その祭祀の復興を目指した帰還ユダヤ人にとって、こうした条件が満たされないなら、それは「イスラエルの回復」とは言い難い。この状況下ではむしろ、第一神殿建立のときに勝って異物の混入によほど注意深くする必要があったに違いない。

こうして帰還ユダヤ人が初期に遭遇した試練は、少数者であることもあって、諸国民から神殿祭祀の純粋性を守るものとなった。
他方、神殿再建の業から除外された近隣諸民族は、イスラエルの神への請け分がないと知るや、手のひらを返したようにユダヤ人による神殿再建立を妨害し始めたが、この異邦人らは、ゼルバベルと民が神殿再建の業を続行するのを見て嫉妬を覚えるようになり、中傷に走り「総督ゼルバベルには野心あり、王となることを望み、既に民にはそう呼ばせている」と吹聴する。
だが、これに効果がないと分かると、次に帝国に対し、「ユダの民の独立性の危険は歴史が証明している」と訴え、これがペルシア王の益を損ねると主張した。(この件についてのエズラ記の記述は、後代アルタクセルクセスの時期のものと共に述べられているが、同様の訴えが神殿再建の時期から継続していたのであろう。エズラ4:4-24)

こうした反対運動は早くもキュロス王の治世中(B.C 550-530)に始まり、その為か工事は一向に捗る様子も見せず、遂にカンビュセスの治世中(530-522)に、近隣の諸国民は帝国の威力をもって工事を中断させることに成功したのであった。

しかし、カンビュセス王がエジプト遠征の帰りに自傷(暗殺?)したことが原因で死去したあと、王位簒奪者とされるガウマタを倒した高官の子ダレイオスがペルシアの王として即位した。この新しい王は翌年から新都ペルセポリスの造営を始めるのだが、その頃までに、神殿再建工事は中断して以来すでに15年にもなっていた。しかし、イスラエルの神はこの期にゼルバベルとイェシュアに再建の業を再開させるべく、二人の預言者を遣わすのであった。ハガイとゼカリヤである。
 

ハガイは、神殿再建が中断していた間に、帰還民には十分な収穫がなく、糧秣に事欠いたことに注意を向ける。神の家が荒れているにも関わらず、民は鏡板を張った贅沢な住居を設え、それでいて生活に満足することは無かったと言う。
雇われ人も『穴の開いた財布(袋)の為に働く』かのようであると評する。

それらの原因は『わたしの家が荒れているためであり、あなた方がそれぞれ自分の家のために走り回っているからである』と指控する。(ハガイ1章)
つまり、帰還民はシオン山上に神殿を築くという最大の目的を諦めてしまい、いくらも心を向けなくなっていたのであり、それは神の喜ぶところであるわけもなく、天からの祝福は閉ざされていたのであった。

祭祀再興のイニシアティヴはキュロス大王にあったので、大王亡きあと アリヤーの途に就いたはずの帰還民団はこの点で試され、そのアリヤーも成り行き任せで受動的であったことがここに表れている。

しかし、機は熟しつつあった。
ペルシアの政変もダレイオスの登壇によって終息し、キュロス大王の意を継ぐ新王が即位していたのである。

ハガイが預言を終えて数か月の後に、もうひとりの年若い預言者ゼカリヤに神の霊が臨む。
ゼカリヤの預言はゼルバベルにこう言った。『「これは勢力によらず、能力によらず、我が霊による」と万軍のYHWHは仰せられる。「大いなる山よ、お前はいったい何者か。ゼルバベルの前にあっては平地となるであろう」。』*
これを聴いたゼルバベルとイェシュア、そしてすべての帰還民は神にその霊を奮い立たせられ主体性をもって本来の帰還の目的を果たすことに心を向けたのであった。

ゼルバベルはダレイオスの宮廷に書簡を送り、キュロスの勅令があったことを訴える。
すると、その勅書は旧都エクバタナから発見され、18年前に示された様々な善意は、今やダレイオスを通して再び履行され、必要物が供給され、反対者は覆されることが「速やかに為されるように」との命が下った。
こうしてゼルバベルの前に立ちはだかる「山」は「平地」となるのであった。

この神からの奮い起こしが生じたのは、神殿の基礎が置かれてなお17年の歳月が経過したダレイオスの治世の第二年(520)のことであったとゼカリヤが記している。(ゼカリヤ4:6-7)



-◆余りに現実離れした預言

『エルサレムは人と家畜で溢れ、開かれた(城壁の無い)街となるであろう』。(ゼカリヤ2:8)

これが希望をもたらす預言であったのは、五万ほどの帰還民が皆エルサレム市内に住んでいたわけではなく、ネゲブのベエルシェバからベニヤミンの領域までの南北60kmにも及ぶ範囲にそれぞれの相続地に戻って点々と住んでいたのであるから、エルサレムには一万もいたかどうかも疑われるほどで、非常に広い廃墟のようであったことは後代のネヘミヤの記述からさえ知られるところである。

一世紀後、首都が城壁を備えたネヘミヤの総督時代(B.C444-432)の帰還があっても、エルサレムに住もうとする者を祝し、都外に住む者らの十人に一人を籤で選び、またレヴィ族が畑を耕すことのないよう生活を保障し、エルサレムに住まわせるよう取り計らったが、それでも首都は閑散たるものであったようである。(ネヘミヤ7:4/11章/13:10)


では、エルサレムが以前のような活況を呈して、預言の通りになったのはいつのことであろうか。
だが、この時期のふたりの預言者の語る内容がいったい何時成就したのかと疑問に思わせるところは非常に多い、というよりは、ほとんど預言の全体がそのようである。

ハガイの預言の中で、神は『わたしはもう一度天地を激動させる。また、あらゆる国民をも激しく揺する。するとあらゆる国民の中から望ましい(貴重な)者(たち)が入ってきて、この家(神殿)を私は栄光で満たす』。


また『この家の栄光は先の家のものに勝る』とも言われるが、この言葉は何時成就を見ただろうか。

確かにヘロデ大王は、この時に再建された第二神殿を建て直し、大いに拡張してアテナイのアクロポリスにも、エフェソスのアルテミス神殿にも負けない規模にし、そこにイエス・キリストが現れることにもなったわけだが、天地や人類全体が激しく揺り動かされるというような事態をそこに見出すことはできず、却って、キリスト後ひと世代の内に、この美麗荘重な神の家も二度目に焼け落ち破壊され尽くして、21世紀の今日まで二千年も存在していないというのが地上の実情なのである。


それはゼカリヤの内容も同じく、黙示のように不思議な内容が続くのである。
エルサレムの「邪悪」は、エファ升の中にひとりの女として封じ込められ、シナルの方角へ、つまりバビロンという「相応しい場所」に運ばれてしまう。これはエルサレムの贖罪を表すのであろう。


また「新芽」という者がいる。
この者は、自ら新芽を出して神殿を築くというのである。
しかも、この「新芽」は『王座にあって祭司となる』という。加えて『遠く離れた者らが来て』神殿を築く、というのである。
そこで神は金銀を使った光輝ある王冠を造らせるが、それをゼルバベルの上には置かない。そんなことをすれば彼は大逆罪で死刑になるであろう。神はそれを大祭司エシュアの上に置き、以後はその家で保管されることになるが、これは明らかに「新芽」という「王なる祭司」に対する記念である。そしてそれがキリスト・イエスを指すことは、ユダヤ教徒でなくキリスト教徒であれば自明の理であろう。(ゼカリヤ6:12-15)

しかも、キリストが帰天の後に大祭司としての職務を始めて、聖徒らを『新しい契約』によって聖別し、その後の永い時を経てから王冠を受けることがそこに前表されてもいる。(詩篇110:1/ヘブライ8:1-2)


ゼカリヤ書の黙示的宣告はその後も留まるところがない。既に神殿の基礎が据えられて19年が経過している(当時ダレイオスの第4年)にも関わらず、神自らがその石に「七つの目の彫り込みを行い」「ゼルバベルが礎石を携えて来る」「それに対して、麗しいかな!との叫びが上がる」とも言っている。その時には(イスラエルの)その地の咎が一日のうちに取り去られるのである。(ゼカリヤ3:8-9)

これらは、もはや当時の実際の出来事を超越しており、当のゼルバベルやイェシュアでさえ、その全容を把握したとは考えられないほどのものである。

そして、ヘロデ大王の神殿の火災と破壊を以って、その時以来、神YHWHの神殿が存在していない以上、その成就はなお「将来の神殿」に関するものであるに違いない。

なぜなら、その「神殿が栄光に満ちる」前に、人類は神によって激しく揺り動かされるからである。

その神殿の礎石が「ゼルバベル」で予表される何者かによって置かれる日、歓呼の声が上がり、「イスラエル」の罪はすぐに除かれて浄められ、その邪悪さはバビロンに移される。
そして「新芽」と呼ばれる者が神殿を築き始め、彼はその王座にあって祭司となり、「平和の君」のような諭しを民に教える。そのようなことが歴史上一度でも起こったことがあるだろうか。

これらを、あのペンテコステの聖霊降臨による「新しい契約」の発効での「神のイスラエル」の贖罪に当てはめるにも無理がある。

確かに、キリストと共に神殿を構成するべき人々は現れたが、その後二千年が経過しても、諸国民が激動を経験したことを歴史上に挙げることが一度もできない。


この天地の激動がシナイ山麓でのイスラエルとの律法契約締結の際の山の恐るべき揺れを表していることを明かしたのはパウロであり、それはヘブライ人への手紙の12章の後半で述べられている。

そこでは、キリストと共に神殿を構成することになる「聖なる者たち」が近づいたのは天のシオン山であり、それは揺ぎ無いものであって激動によって消滅してしまうものではないともパウロは書いている。つまり「新しい契約」はシナイからシオンへと移り、その山は揺らぐことのないもので、贖罪された初子の集団に恐れを抱かせる必要もない。

しかし、この世の天地はそうではない。
「罪」あるそれは、神によって除き去られるべきものであることが暴露され、それを知らされる人類はその振動によって振るわれ、神の目に望ましい者と、そうでない者とが分けられ、望ましい者らはシオン山上の神の家に向かうということであろう。

なぜなら、イザヤはこう言っている。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、諸々の山の上に堅く立ち、諸々の峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに向かって流れ行き
 多くの民は来て言う、「さあ、我らは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼は我らにその道を教えられる、我らはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ2:2-3)

この神殿とは、もちろん地上に現実に存在するものではないに違いないが、だからと言って、既に天に存在しているとも言えない理由が「激動」の未経験にある。

その神殿の定礎で「叫びが上がる」のであれば、人の世にも明らかなものなのであろう。それは聖霊の再降下の始まりを画する出来事を表しているようにも思える。
そして、「神殿」の構成員となる「神のイスラエル」は聖霊によって更に明瞭にしめされ、『その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダヤ人の裾をつかんで言う。「あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ」。』と言い、『あらゆる国民の中から望ましい者が入ってきて、この家を私は栄光で満たす』の言葉に連なるであろう。(ゼカリヤ8:23/ハガイ2:7)

そのためには、「あらゆる言語を話す国々の民」が、この「ユダヤ人」が誰であるかを識別し、しかもそこに無上の価値を認めなくてはならない。
そこでは出エジプトの時に、十度示された神YHWHの奇跡の力の大きさに信仰を湧き起こし、イスラエルに同行して荒野に出るに至ったエジプトの異邦人のような帰依のきっかけも必要であろう。


-◆ふたりの油注がれた者

しかし、こうしたことの起こるその前に、『神は再びシオンを選び取る』ことが行われなくてはならない。(ゼカリヤ1:17)
つまり、人が住まず、荒れた廃墟を目指す者、「イスラエルの残りの者」が現れなくてはならない。将来の対型的ゼルバベルやイェシュアは何者となるのであろう。

黙示録はこれに答えて、それは『ふたりの証人』であるという。(黙示録11:4/ゼカリヤ4:12.14)

彼らは『粗布をまとって(キリストのように)1260日の間預言する』者たち、(モーセとアロンのように)「地を何度でも打ち」、その権威を示す者である。

正当な立場のゆえに任命されたのでなければ、誰がこのような預言をするだろうか。真に聖霊が注がれるのでなければ、誰が地を打つことなどできようか。


それでも、黙示録のこの段階でも依然、神殿は完成していないとみるべきように思える。

と言うのも、イェシュアは定礎に先立って常供の犠牲を捧げ始めていたことからすれば、聖徒らの登場が神殿の建立は勿論、定礎さえそれを示すのかは分からない。
聖霊を受けることで任命された人々がすべて集められて神殿の完成とみてよいならば、彼らは1260日の間に試練に遭わねばならず、彼らが地上にいる間は神殿の完成はないことになろう。つまり、「殉教する者の数が満ち」、聖なる死者が天に復活し、生き残った聖徒らが死を経ずに天に昇る時を待たねば神殿の完成はない。(テサロニケ第一4:15-17)

つまり、聖霊を受けた「聖なる者たち」がまったく地上から去ってしまうまで、神殿の完成を見ないということになる。

その後、天に出来上がった神殿、つまりその崇拝方式には、諸国の「貴重な者ら」が入ってきて、神YHWHの家は栄光で満たされるのであろう。この者らは黙示録7章に描かれる「数えきれない程の多くの群衆」であり、「大いなる患難を通過してきた者たち」であろう。神殿の完成はこれらの無数の「激動」から選別された者たちの幸福な受け皿となるであろう。そして、彼らが待ち望むのは、既に大祭司として活動している「新芽」が、いよいよ王権をもって顕現する時であり、そこでシオンは遂に救いの王を迎えることになろう。

それはエルサレムに対する世界連合軍の攻撃を退ける無敵の王、大いなるダヴィデの到来であり、それゆえにも、黙示録の「群衆」は手に手にナツメヤシの枝を持っているところは、イエスの王としてのエルサレム入場を讃えたあのニサン11日の出来事を彷彿とさせているのではないか。

こうしたことが起こるまでは、神殿は礎石が置かれたまま一定の期間、少なくとも1260日の間は、かつての第一次帰還民の遭遇した困難の時期となるのだろうか。

つまり、「帰って来る」「イスラエルの残りの者」で表されたゼルバベル一行の五万人という僅かな民が受けた、諸国民からの圧力、生活の困難さ、脅かされる純粋性といった障碍は、同じように将来に聖霊を受けるキリストに属する「聖なる者たち」を試すものとなるとも考えられる。


そこでは既に、常供の犠牲が捧げられていて、そこに礎石が据えられる。しかし、神殿の再建の計画、即ち、イエスが王権拝受の旅に出て以来の、真のキリスト教の再興が始められた噂を聞きつけた周囲の諸民族で表されるところの、おそらくはキリスト教諸派の干渉と反対、レヴィの純粋性で表される聖徒の聖霊による身分を保つための決然たる努力などを、この帰還民の上に起こったことから学ぶべきなのであろう。

それは想像するだけでもたいへんな困難である。
今日のキリスト教が如何に初代のものと異なってしまっていることだろうか。現状のキリスト教徒は、まず「バビロンから出る」ことさえ困難で、自分の救いを第一にするご利益信仰の安住の地から、誰が敢えてそこを後にしようか。

しかも、神に心が向いていないので、神殿を築く少数の「聖なる者たち」をも見くびり、利己心から聖霊にさえ逆らうであろうことは、現在この人々が見せている頑なさが十分に語ってはいないだろうか。神の正しさよりも、自分が正しいか否かがこの人々の主要な関心であるようにしか見えず、聖霊を下賜されもしない彼らがキリスト教の回復を手伝おうとしても、それ即ち、レヴィを汚す以外の何であろう。
このことの結末は果たしてどうなるのであろうか。

さて、古代に視点を戻せば、ゼルバベルと帰還民団の努力は実を結び、ハガイとゼカリヤの預言が始まってから4年目(ダレイオスの第6年B.C516陰暦年)の終わりの月に、遂に神殿の完成を見ることができた。翌年正月には『過越し』と『除酵祭』が行われ、次いでレヴィの祭司は組に分かれ、その務めに就く。
それは、定礎から難儀を重ねて実に22年、第一神殿の破壊から70年の歳月を経たの後のことであった。


-◆血統のイスラエルから神のイスラエルへ


伝承ではゼルバベルは務めを果たしてペルシアの宮廷に戻り、イェシュアは大祭司の職を息子に残して生涯を終えたという。
だが、諸国民がこぞって流れのように向かう姿は西暦七十年の第二神殿の終焉まで遂に見られることはなかった。

また、この再建によってもイザヤやエレミヤの預言したような「イスラエルの回復」には程遠く、民は律法を忘れており、エルサレムは引き続き人口不足であったし、城壁は崩されたまま石はあちこちに転がっていた。
これらが正されるには、総督ネヘミヤと写字生エズラという次なる活躍の世代を更に七十年待たねばならなかった。

そして、最後の預言者マラキを以って神は四百年にも亘る長い沈黙の時代に入る。
それは恰も後の時代に、キリストが不在で、その聖霊を真に受けた際立った弟子の絶えて久しい現在までのような状態であり、パリサイのように、神を崇拝すると唱えながら、勝手な人間の命令を教える宗教家と、それに喜んで従う信者がキリスト教を唱えるという、異邦人主導の「夜の時代」であるかのようである。

我々はペテロの言う「明けの明星が上がるまで、暗い処で輝く灯火のように」、こうして預言の言葉に注意を払いつつ過ごすべきなのであろう。(ペテロ第二1:19)


イザヤ、エレミヤの預言したイスラエルの回復も、ハガイやゼカリヤの霊感の言葉も、第二神殿の時代中には成就しきれていないことは明らかに見える。(イザヤ51:11)
二十世紀に勃興を見たシオニズム、またパレスチナでのイスラエル共和国の建国で、何か預言に相応しい事柄があったろうか。
パレスチナに向かったユダヤ民族の帰還(アリヤー)は、イスラームの岩のドームが在るモリヤの地所に神YHWHの神殿をもたらしてはいないし、ゼルバベルは闘争をもって先住民を追い出したりしたろうか。
今日、誰がダヴィデの血統を証明し、誰がザドクの系統を証しすることができるだろうか。
大祭司であり、やがて王ともなる「新芽」とは自分だという者が地上から現れるだろうか。

西暦七十年に起こった第二神殿の炎上と破壊は、ユダヤ人から血統の記録など、民族の貴重な資料をもろともに奪い去った。それは恰もキリストと聖徒らのための封印のようでもある。
しかし、それまで続いたモーセの体制を実質的に終わらせたのはローマ軍であったと云うよりは、そのモーセが予告し、「その者の言葉を聴かねばならない」と警告していたメシアを、不信仰から退けてしまった当のユダヤ人の世代であったのだ。(申命記18:15)

キリストはいみじくもエルサレムについて、『敵が周囲に柵(カラクス)を設けて、四方から攻め』られる日がくること、城市の石は崩されてしまい、ひとつも残されない。
その原因は彼らが神と『和することから目から隠され』ていて、自分たちが『査察(エピスコネース)を受けている時期であることを悟らなかったからである』。と預言していたのであった。
また、三年世話しても実を結ばず、「もう二度と実をならせないように」と定められたいちじくの木によって、ユダヤ体制が捨てられたことが象徴されたのである。(ルカ13:6-9/マタイ21:18-19)

結果として、当時のイエスを除き去った者ら、『世の初めから流されてきたすべての預言者の血の責任が問われる世代』は、待望のメシアを拒絶したために、自らモーセ以来の体制に終止符を打ってしまったことを福音書は明かしているのである。それは神の敵意において一度目を上回っていないだろうか。(ルカ19:41-44/11:50)

では、イザヤ、エレミヤが語ったような「イスラエルの回復」や、ハガイやゼカリヤの「諸国民の激動」や「新芽」の預言はどこで成就するのか?
そこで思い出されるのは、キリストを基礎として積み上げられ「神殿となる人々」の存在である。(エフェソス2:20)
キリスト教徒であるなら、モーセの体制の終わりからキリストの「新しい契約」がイスラエルを救い出し、キリスト自身を礎石とする彼らの天の神殿によって、将来の定礎と再建の内にすべての預言が成就することを知るべきであろう。
それらの神殿の石となる人々は聖霊という身分の証しを持つ聖なる弟子らである。(エフェソス1:14)

こうして、かつて地上に存在した第二神殿の意味するところを一望すると、それは再建から五百年後に『神殿に突然に来る』メシアと「新しい契約」へとイスラエルを導くための場であり(マラキ3:1)、また、預言の言葉は更にそれを超えて、将来の「聖なる者たち」の現れ、つまりシオンに上ってくる選ばれた「イスラエルの残りの者」の困難や試練と向き合う活動を指し示しているように見える。黙示録はその期間を三年半、1260の苦難の日々であると記す。(黙示録11:3)

その期間に、キリストは『レヴィの末孫を浄め』、聖霊が無いにも関わらず自らを正しいとするあらゆる者らを退けるに違いないが、それは古代の第二神殿の定礎の後に近隣民族の参与を退けたようになるのであろう。どれほど「神を同じくする」と主張しようとも、彼らには正当な資格が無いのであり、それを定めたのは神ご自身である。(マラキ3:2-4)

この『レヴィの浄め』は聖霊を注がれないキリスト教界だけのことではなく、血統上のユダヤ人、メシアニック・ジューにも云えることである。

あのメシアを退けた世代と共に神の恩寵も契約も過ぎ去った肉のユダヤ民族の為に、今日キリスト教徒が特に祈りを捧げる必要があるものだろうか。聖霊降下という明白な証拠を以て神の歩みは律法契約から先に歩を進め、既に新しい契約に入ったというのに、どうしてキリスト教徒までがモーセの崇拝方式に何か意味が残っているかのように後戻りするべきだろうか。

血統上のイスラエルには既に神の契約も無く、ヒレル・パリサイ派ユダヤ教を今も信奉する民族に、神の言葉も恩寵も、まして地上でいまだ異邦人と血肉の戦いを為す体制に聖霊が臨むことがあるだろうか。
神の恩寵はキリストの仲介する「新しい契約」によって、血統によらず信仰による高次な『神のイスラエル』に移行しており、諸国民はこの『神の民と共に喜ぶ』必要があるのであって、彼ら真実の神の民を見分ける必要があるが、神は彼らに聖霊の賜物をはっきりと与えるので見紛うことはない。ただ聖霊に対する信仰が求められるばかりとなろう。(ガラテア6:15/ローマ15:10-12/コリント第二5:5)


その天の神殿の定礎も、『麗しき哉!と叫びが上がる』なお将来のことであり、それはキリストの帰還の臨在を印付けるであろう聖霊の再降下があってこそ世に示されることなのであろう。しかし、神殿の建立の時はまだ到来しない。


しかし、聖霊注がれるその時は、キリスト教の回復となり、聖霊の霊感のゆえにこそ、神の正義、また真に正しい教えの現れとなるに違いない。(ヨハネ16:13)
聖徒らの現れにより、まさにこの地上で象徴的な意味に於いて仮の祭壇が機能し、彼らが聖霊によって世に語ることにより常供の犠牲も捧げられ始めることになろう。それが『新芽』による象徴的定礎であり、『七つの目』で表された聖霊は、あまねく世を探り、また裁くものともなるのであろう。


我々は、「切なる期待をもって」この「シオンに上る残りの者たち」を待ち望む。(ローマ8:19)
真に聖霊によって油注がれる「聖なる者」、「アリアー・ツィオンの残りの者ら」の中に『二人の証人』、対型のゼルバベルとエシュアが正統性をもってそこに現れるからである。







           新十四日派   © 林 義平
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ネフェシュ 命に優る魂



人は必ず死ぬ。この冷厳な現実に動揺するのが人である。

そこで、死というものをすべての人は考えねばならない。
やはり、人が死を楽観的に受け容れることは本来は難しい。

古来、人は死を嫌って様々な宗教を作ってきたとも言える。
ひとつには死後の世界があって、人の意識はそこで存続するものともされた。
また、輪廻転生という方法で生命は絶たれずに新たな生涯に連なってゆくともされる。

これらのいずれの教えもが、人の存在が失われ、その意識や人格、思考や感情などが消滅してしまうことを何とか回避する願いからきたものなのだろう。
葬儀を行い、故人をどれほどの人数や盛大さで偲ぶかは、その故人の価値のメーターのように捉えられるような風潮も、人としての存在の重さを感じてのことに違いない。
人は多くを語りたがらないにせよ、それぞれ死についてどう向き合っているのだろうか。

恒常的に死と直面する病院や救急隊、また警察や消防のようなところでは人間の死という冷厳な事象に数多く向き合わねばならない。
老人施設、そして寺院や火葬場もまた、日常に人の死を目にしてゆかねばならない社会の一角である。
そこで人の死んでゆくことがどれほど常態化しようとも、人々は故人を重んじ、丁重に扱おうと努めるものである。

一方で、戦場のように死が量産されてしまう過酷な環境では、人の死は目的のための犠牲という必要悪とされ、多数の死者はその目的の重さを表すかのようにもされる。その死にゆく現場で戦闘が続いていれば、死者を悼む余裕もないことであろう。戦場に赴くからには初めからその死も覚悟の上であろう。だが、その目的というものがそれらの死に価したかどうかは、政治というぐらぐらとした価値の不安定さの上に成り立つものであるから、いきおい戦死者には余程の戦争犯罪でもない限り、その犠牲に人々は尊厳と慰めを添えようとするものである。

また、一般の生活の中では病気や衰弱ばかりでなく、突然の死を免れないことがある。事故現場には花が手向けられ、そこで亡くなった人が思い起こされる。
死は万人にいづれは避けられぬものであるので、社会では常に一定数の死の到来が起こっており、訃報は絶えることがない。

人の死に接する仕方を見ると、凡そ人は互いの存在を重視しているということが改めて理解されてくる。
そのつながりが求められ、その人の死は生ける者の損失と受け止められるのである。
だが、死んだ人を取り返すことはできないので、生き残った人々は抽象的な故人に言葉をかけ、儀式を行い、花を手向ける。

人間は科学の知識と高度に発達させた技術で、いつの日か故人を取り戻すことが可能となるのだろうか。
だが、この自力本願の仮定には倫理問題が含まれ、場合によっては恐るべき結果をもたらし兼ねないものである。
倫理をまるで持たない極悪人が人為的に再生され、ヒトラーやスターリンのような暴君がその狂信的支持者によって死から呼び戻され再び権力を掌握するような危険も無いとは言えなくなるだろう。
その前に、神が定めた人の寿命と必ず迎える死という壁を破壊して乗り越えることができるほど、人類は倫理的に賢いのだろうかという問題も考えられる。科学や技術が本当に神の定めを超えてよいものだろうか?それは科学の壁というよりは倫理という人間にはより根源的な問いの壁となる。

死者の復活の可能性についての推論を読んだことがあるが、そこでは人ゲノムに記された遺伝情報を活用し、故人の残された細胞のひとつからクローンを造り、その脳に故人の記憶を植えつければそれで同じ人ができるという。
だが、この説明に納得できる人がどれほどいるだろう。

ゲノムにその人の情報が記されているからと、胚細胞を用いるなどして複製し、仮に生前の記憶をそっくり脳に移せたとしても、それはやはり「その人」ではなく別人である。
故人は、死によって「何か」が途切れており、遺伝情報を再生したところで、「その故人」を呼び戻したことにはならないのである。
これは、一卵性双生児によっても容易に想像がつくことであろう。ゲノム情報が同じであってさえ、まったく同じ人は存在しない。

では、あなたがわたしではなく、わたしがあなたではないとも言えるような、決定的個人とは何だろうか?
そして、まさしく「復活」と呼ぶべき、その決定的個人を呼び戻すために必要な何らかの「途切れたもの」とは何だろうか?



霊魂不滅にまつわる誤解

アブラハム以来、ユダヤ人は復活を信じてきた。
その宗教思想には本来、死後に霊魂だけが行く「霊界」にようなものはない。
王ソロモンの著したとされる「伝道の書」には次のようにある。

『生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
その愛も、憎しみも、妬みも、すでに消えうせ、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、定めない時に至るまで関わることはない。』(伝道の書9:5-6)

さて、聖書には「地獄」と訳すべきものが存在していないことをご存じだろうか。
古代のエルサレムでは、南西側の谷がゴミ焼却場となっていた時代、そこには重罪人の死体も捨てられた。
一般の人々が復活を期して、丁寧に墓に土葬されたことと比べたら、これは大きな違いである。その場所がゴミ捨て場とされたのは、かつてそこが幼児を火炎の中に投じる異教の崇拝の場所であったのをヨシヤ王が忌み嫌ったからと云われる。


この「ヒンノムの谷」と呼ばれる、硫黄が撒き散らされ火が絶えないゴミ処理場には、投棄される罪人に対するイスラエル人の思いが重なる、即ち、そのような罪人には復活もして欲しくはないという評価であったろう。
そこはエルサレム市の城壁の外で、「ヒンノムの谷」(ゲーヒンノム)と呼ばれ、新約聖書では「ゲヘナ」という名で登場しているが、これもやはりゴミ処理場の意であって「地獄」と訳されるべきものではない。(cf.新改訳のマタイ5:22と口語訳や新共同訳の同箇所を参照/直訳「ゲエンナ[γέεννα]の火に向かうことが免れない」)

一方で、ヘブライ人には他の民族に見られない霊魂への捉え方があり、それは彼らがモーセの律法を通し永らく交渉を持ち指導を受けた父祖伝来の神YHWHの影響の下に醸成され厳格に保たれてきたものである。
この点では、周囲の諸国民一般と彼らヘブライ人の大きくふたつの概念があるだけのようにさえ見える。

人類諸族の霊魂の概念といえば、肉体の死後に遊離する「意識」であり、それが天国であろうと地獄であろうと環境の差を問わず「霊界」のようなところで生き続けるということであろう。
人々は自然と、どこかしら霊界のようなものを信じて故人に語りかけ、儀式を行う。もちろんユダヤ人が弔いも故人の記念も行わないわけではなく盛大なほどだが、この民族の伝統的な死後のヴィジョンというものは「霊界」にはなく古来、別のところにある。

それをイエスの当時の一般的な人物が語っている場面をヨハネ福音書に読むことができる。そこで兄弟を亡くした一女性はその墓の前でこう言っている。
『マルタは彼(イエス)に言った、「終わりの日の復活の時に彼(兄弟ラザロ)が復活することは存じております」。』(ヨハネ11:24)
この前後の文章に、故人が冥界に行ったようなニュアンスも汲み取ることもできない。
しかも、この後でキリストは、この女の亡くなったラザロという兄弟を生き返らせているが、この人物が冥府に居たというようなこともほのめかされてもいない。
ただ、イエスは彼の亡くなっている状態を『眠っている』と表現しただけである。(ヨハネ11:11)

つまり、人が眠っているように死者には意識なく、目覚めるとその間の意識が無かったので、生ける世界に関わることも、霊界に行っていたということもない。
むしろ、キリストがこの死者を生き返らせる奇跡を通して、墓から呼び戻され、永生をも受けるであろう将来の「復活」を指し示したと云えよう。これこそが聖書の死後のヴィジョンなのである。

その「復活」では『義者も不義者も』生き返るとパウロは言っている。(使徒24:15)
黙示録では『死もハデスも死人を出し』『大なる者も小なる者も』生き返る。(黙示録20:12-)
つまり、人は死んで後、意識を持たず、復活する「終末」と呼ばれる将来の時をひたすら待つことになる。しかし、待つと云っても意識が無いのであるから、死んで後、人は復活の時には恰も時間経過が無かったかのように意識を回復することになるのであろう。


諸国民に広く行き渡った概念では「霊魂は不滅」で、肉体は滅んでもその人の意識を代表するかのような「霊魂」はどこかに存在し、生ける者の言葉や行動に喜んだり悲しんだりするものとされてはいる。
しかし、本気でそれを具体的に信じているかと云えば、大半の人々はそうでもないようだ。
それでも、聖書が述べるように人の死後には何の意識も無いと言われれば、実際に即した見方と評価もされ、また他方では味気のない教えとも云われることと思われる。
これはふたつしてある真実を含んでいるのではあるまいか。
つまり、実際に即した見方とは、人は死後に意識など残りはしない、という現実を直視した合理性を感じつつ、しかしそれでは余りにも即物的で感情や価値観のやり場に困るのである。
そこで復活という聖書が示す死後の希望は、これらふたつの事柄を収めるにこれ以上ない解決となるであろう。

では、本来ユダヤ=ヘブライの「霊魂」とはどんなものなのだろうか?
これが実は、「霊」と「魂」とはまるで別の物なのである。

まず「霊」は「ルーアハ」と呼ばれ、それは諸国民が考えているような人間の死後に残る意識ではない。
創世記の第一章で、人間が創られるずっと以前から『神の霊』が創造に関わっている。(創世記1:2)

そして「霊」は人体の内部で働いてその肉体を生かしているという。
それゆえに「霊」は、人が死ぬと肉体から抜けてしまう。そればかりか、その霊は神の許に象徴的に『戻る』という。(ヨブ記34:14/伝道12:7)
ヨブ記はこう述べている『その人の霊と息をご自分に集められるなら、すべての肉なるものは共々に息絶え、地の人(ヴェ アーダーム)も塵に返る。』

しかも、その場合の「霊」というのものに個人そのもの要素が与えられているような記述は聖書に見当たらない。
強いて挙げれば、「霊がはやる」や「砕かれた霊」、また、その人(たち)の精神的傾向について『あなたがたの霊』という言い方がなされてはいる。つまり、人々の示す一般的な精神の動き、また想いの傾向のことである。(フィリピ4:23)
このように「霊」は人というものの中で働き、その身体を生かしている電流のようなものと言えるだろう。その働き方に傾向があるとしても、普遍的にその霊の持ち主である個人に従うものである。そしていつの日にか、その「霊」も神の許に戻ってゆくことになる。

しかし、「魂」(ネフェシュ)はそうではなく、その持ち主に固有のものとして述べられる。

創世記のアダムの創造の場面で「霊」と「魂」の関係が次のように書かれている。
『神は地の塵で人を作り、命の息(ルーアハ「霊」)を、鼻孔から吹き込んだ。そうすると人は生きた魂(ネフェシュ)となった』。(創世記2:7)

つまり、「霊」を吹き込まれた人型が命あるものとなったのである。「霊」は生命の媒介として語られるが、それを受けた人は『魂』となったのである。
即ち、「アダム」という主体(魂)の創造である。
「アダム」という人物について「生きた個体」また「個人」とも言えるが、それだけでは言い尽くせないニュアンスがアダムと呼ばれた「生きた魂」にあると云える。
この場合、『魂』の語を一般人に理解し易くするために「命」に入れ替え「生きた命になった」とすれば、これはトートロジーで文が無意味化するように、聖書中で「魂」を「命」と置き換えることには本来無理がある。

この点、多くの翻訳聖書がヘブライ語の魂「ネフェシュ」[נפש]やギリシア語のプシュケー[ψυχή]を、ほとんどの箇所で「命」と意訳していることは驚愕するほどである。これは読者を考慮してのことであろうけれども、それでは聖書独自の深い理解に人々を誘うことにはならない。

一方で、魂「ネフェシュ」とは、「その人の体そのもののこと」であるとするアドヴェンティスト派の解釈については、旧約聖書をヘブライ語以外の言語感覚で探ってゆくと確かにそうなるようには見える。だが、これはヘブライ語の特殊な用法に原因があり、そのような見かけ上の解釈を生み出してしまうところがある。

例えれば、『(祭司の)足が立つ』[מַצַּב֙ רַגְלֵ֣י הַכֹּהֲנִ֔ים]や『足が踏む』[דָּרְכָ֤ה רַגְלְךָ֙]という言い回しは足を主語にしているが、こうしたヘブライ語独特の擬人表現から魂「ネフェシュ」の用法を勘案する必要がどうしても生じている。(ヨシュア4:9・14:9)

そこで、『魂が肉を食することを望む』[נַפְשְׁ ךָ֖לֶאֱכֹ֣ל בָּשָׂ֑ר]も魂が主語とされているが、上記の「足」がその人の一部とはいえ、言葉の上では別ものであるように、「魂」も擬人化されていることを考慮に入れなくてはならない。(申命12:20)まして、「ネフェシュ」は本来「喉」の意があるので、『魂が食べる』などを読むときには、このヘブライ語の擬人化を注意する必要がある。そうしないと、確かに「ネフェシュ」とは「その人そのもの」という解釈に至り兼ねない。
そうなると、魂「ネフェシュ」は人と共に死んで消滅することになるが、他ならぬキリストが、『体を殺しても、魂を滅ぼすことのできない人間を恐れるな』と、肉体の死と魂の滅びとを分けて語っているのである。(出埃12:16/マタイ10:28)

この点では、旧来のキリスト教界の持つ、所謂「霊魂不滅説」との混乱を避けるために、アドヴェンティスト派が敢えて「魂は体と共に死ぬ」と主張したかったように思える。
確かに、聖書全体を眺めると「霊魂不滅説」は余りに単純過ぎて、死後の霊界を含意するその捉え方で、聖書の指し示す「魂」概念を掴むことは無理である。前述のようにヘブライ概念での死後には「復活」があり、その間の意識は存在しない。(伝道9:5-6)そこにヘブライ語の擬人化が加わると、「魂」の実体を探るには相当な慎重さを要するものとなってくるのである。

そこで、『魂は死ぬ』また『魂を死に至るまで注ぎ出す』というような表現に対しても、即断することを控える理由が生じているのである。やはり聖書中で『魂は死ぬ』からと言っても『魂が滅ぼされる』とは異なる扱いを受けている。その背景には『復活』という概念が見えるのである。(詩篇22:29/ヨブ27:7-9)
また、そこには文学的象徴表現という要素を無視することができない。例えればキリストの『魂は墓に捨て置かれない』とも記されていた。(エゼキエル18:4/イザヤ53:12/詩篇16:10)



さて、西暦前の数世紀、聖書のギリシア語への聖書訳本「セプチュアギンタ」を監修したユダヤ人が「ネフェシュ」の存在する箇所に注意深く逐一「プシュケー」を置いた以上、そこには常に「魂」の語が在るべきではないか。この点で、今日の翻訳聖書には大いに問題がある。

ヘブライの死生観に調和して聖書の理解を辿ると、「魂」は「命」に優り、命の有無を乗り越えるほどの価値を持って異なるのである。

では、「死んだ魂」もあるのか、といえば、それが聖書中に何度も登場するのである。
だが、「生きた魂」となる以前の人型を「死んだ魂」ということはできない。それは生まれる以前には一度も存在しなかったからである。それは人間に皆共通することであろう。誰も胎内に生まれる前に別の場所に「魂」があったのではない。誕生はその人のはじまりであり、個人の創造でもある。

そして、ヘブライの教えでは死後の意識が無いのであれば、「死んだ魂」といえども死後の意識は持ち得ないし、実際聖書中では象徴表現としてだけ意識者として出てくるのみで(黙示録6:9-11)、具体的な事例としては、おおよそ「死んだ魂」は、人の死体とほぼ同義語の扱いで書かれている。

例外のように読めるのが、サムエル記での霊媒が呼び出したところの死んだはずの預言者サムエルである。
しかし、モーセの律法は心霊術や霊媒との接触を禁じ、これを死罪に値するものとしているのであり、死んだ人間が意識を持たないのなら、これは「人の霊」ではなく「別の霊」なのであり、また「魂」とは呼ばれていない。実に心霊術や占いの世界は人のものでないこの種の「霊」の発現で満ちている。
即ち、堕天使らであって、ノアの洪水後に人との直接的な接触を禁じられ「拘束」されたかのようになっている『獄にある霊たち』のことである。(ペテロ第二2:4)

この者らは、今日でも曖昧な仕方で人に接触しようとし、はっきりしない方法で様々な影響を及ぼしている。その主な目的は人間の死の真相を覆い隠すことにあるようだ。(創世記3:4)
つまり、人は死後も意識を持ち続けるかのように、霊媒が呼び出したり、生きている者に影響を与えたりするかのように振る舞っているのであるが、元々が亡くなった本人を装っているだけのことである。それゆえ聖書はこれら『悪霊』と接することを戒めている。⇒「誤解されてきたバベルの塔」


さて、聖書に『死んだ魂』という言葉は確かにあるのだが、それが「魂」という漢字の作りの部分である「鬼」の意味のように「死体」を意味するのかというとそうではない。
「魂」(ネフェシュ)は『血の中に在る』とも書かれているのである。しかも、「魂」は人間だけのものではなく、血の通う動物たちにも「魂」があるという。

それでは、血を抜いた動物の死体は『死んだ魂』ではなくなるのかと云えば、そうらしいのである。聖書中で、血抜きされた後の動物が「魂」と呼ばれている箇所を見つけることができない。

このことは、モーセの律法が指示した神へ捧げる動物の犠牲について血を抜くことが求められており、残った体は祭壇上で焼かれ、祭司らに食されても、血液だけは祭壇の下に注ぎ出されねばならなかったところに表れている。

それは、日常の食事にも及び、肉を食すにはその血を地面に注ぎ出して後、許された。
血抜き処置されれば、その動物は「死んだ魂」ではなく食用肉である。
なぜならば、聖書は血の中の「魂」(ネフェシュ)は『神のものである』からという。
どんな動物も人間もその血の中に「魂」があり、それは「神の所有するもの」であるから、地面に注ぐことで神に返さねばならない。

そればかりか、その『魂は血の中に在って、贖罪をする』とまで書かれている。(レヴィ記17:11口語訳)

「贖罪」となれば、人類のために犠牲を捧げたキリストの贖罪も、その『血の中の魂』によるのかと云えば、その通りであると聖書は言う。
『人の子が来たのも、仕えてもらうためではなく、むしろ仕えるためであり、また多くの人の贖いとして自分の魂(ギリシア語本文「プシュケー」)を与えるために来たことのようにである」。』(マタイ20:28)

このように、イエス・キリストが人々に「魂」を与える贖罪の理由というものを、使徒パウロは、『ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされる』。としたうえで
『それは、罪が死によって(人々を)支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠の生命を得させるため』であるという。(ローマ5:19.21)

つまりキリストの魂による贖罪は、人々に永遠の生命をもたらすというのである。
それでは『血の中の魂』とは何を表しているのだろうか。


ネフェシュの唯一性

聖書の「魂」の用法を追ってゆくと、「魂」は生きる上での様々な渇望を持つものとして描かれている。
本来「ネフェシュ」が「喉」を意味する言葉であるといわれるように、「魂」は飢えや渇きを覚え、愛や憎しみを抱くし、感情を持つとされる。
したがって「魂」は、人が生きている間には、その人と共にあって意識を持つものであるようだ。
それは、その人そのものの意識であり、他の人の意識とは異なるものであろう。

我々の意識というものは、脳内のシナプスという具象物の連携によって生じる抽象存在と言われるが、では「魂」は意識そのものか、といえばそうでもない。
その場合、死者に意識が無いのであれば「魂」は死後に無くなってしまうはずだが、聖書の用法を探ると必ずしもそうではないのである。

マタイ10章28節でイエスが『体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、体も魂もゲヘナで滅ぼす力のあるかたを恐れよ』と弟子らの注意を促したとき、そこで肉体の死と魂の死を分けている。
この意味は、迫害者が弟子らの命を奪うことはできても、「魂」を滅ぼすには至らないの意であり、「魂」に対する力を持つのは人ではなく神ということになる。

これは次の句の深い理解を誘うものとなる。

『見よ、すべての魂(ネフェシュ)はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯せる魂は必ず死ぬ。』(エゼキエル18:4[cf.口語訳と新改訳、新共同訳])
誰かが、人の体から命を奪うことができるとしても、ネフェシュを奪うには至らない。神がネフェシュに関する生殺与奪の権限を持ち、罪を犯すネフェシュについては存続を許さないということになろう。

他方で「霊」ルーアハはそうではない。
それが体から出て行ってしまうと、人は生きる力を失い、体は生命を無くしてしまう。
霊は、体の命を支えているもののようであり、「命の息」ネシャマーとも関連が深い。(ヨブ記34:14-15)
しかし、「魂を失うと死ぬ」というように聖書は語らないのである。

他方で聖書には、人を殺めることを指して『魂を滅ぼす』というように書かれている箇所もあるが、これは「その存在をまったく絶やそうとする」という意味で用いられているのであろう。
そのように解するとカナン入植に際して、イスラエルが信仰を示さないカナン人をまったく殲滅するに当たり、『それらの魂を滅びのために捧げた』という繰り返される言い回しの背景が見えるのである。それは後代の、ゲヘナに罪人を投げ捨てるような「非埋葬」の意味であろう。(ヨシュア10:28~/エレミヤ40:14[ヘブライ語本文])

『魂』についてのこうした言葉の用法は、創造者が存在させたあらゆる血の流れる動物についても同様であることが律法による祭儀で屠られる犠牲の動物の扱いからも明らかである。
人にせよ、動物にせよ、その魂(ネフェシュ)はその血にあり、魂が贖罪を為す価値ゆえに血を地面に注ぎ出すことで「魂を神に返した」ということができるだろう。

『血を食してはならない』という律法の規制が、肉食が最初に認められたというノアの時以来のものであることも、ひとつの結論を導くものとなる。

それは、創造において、元々食物として与えられていなかった動物を食するときに、そこに創造者の創造物に対する権利を尊重するべきことが示されたのであろう。

肉を食するときに血を抜き去ることによって、人は神のこの権利を尊重するのであり、それは「魂」や「贖罪」について人を教化するものでもあるだろう。けっして血液の何かの成分が「魂」であるというわけではない。全血が「魂」か、あるいはどの要素が「魂」かと問うなら、それは果てしのない無意味な議論をすることになろう。

自然界に吸血生物が存在することからすれば、これは神と意思を通わせ得る高度な理知を持った人間にのみ求められる倫理上の儀礼である。その重要な意味は、おおよそ魂と呼ばれる生物を殺して食用にするとしても、血は食さないことによって、その創造物の「魂」(≒「本質的生命存在」)という重さ、創造者以外の何者も犯してはならない創造物への所有権を尊重することであろう。

『血はわたしのものである』と言われ、人に『血は食してはならない』と命じ、『血が贖罪をする』ともされた神は、自らの創造物への所有権を尊重するよう人に促したであろう。なぜなら、人は『魂』というその実体そのものを扱うことができない、そこで『血』という具体物をどう扱うかによって『魂』という実体である神の所有権を尊重したと言える。

こうして旧約に規定された血の扱いを通し、人はキリストの贖いの価値を悟るよう促されていたであろう。罪を負った人は罪のない人の代価によってのみ赦され、再び神の創造物の立場に戻る道が拓かれるからである。液体の血は、この『贖い』の道理を明かし、敬うための媒介物とされたのである。



魂の存続性

総じて「魂」(ネフェシュ)とは、血の通う個体が生命を持っている状態では、その体と共にあるが、死んで体も血も朽ちるときに、それは創造者の権利の許に象徴的に置かれるのであろう。
一度生を受けた『魂』の存在がけっして肉体の死によって抹消されてしまうほど不確かなものではないことは、死を数日後に控えたイエスがイスラエルの父祖らの名を挙げて『神は死んだ者の神ではない、神の観点では彼らは生きている』(ルカ20:38)とはっきり言い切ったところに表れている。
即ち、復活を行うことの神の全き確かさを通して死者でさえ恰も『生きている』のである。

それはゲノム情報云々というレベルを遥かに凌駕する「ネフェシュ」を介した命の回復であり、天地生命の創造者のみが主張し得る個々の創造物に関する権利であって、神は『御手の業を慕われる』のであり、我々ひとりひとりもそのようにされるのであろう。(ヨブ14:15)

所謂「霊魂不滅」ではないが、上記の意味からすると「魂」が死後も存続するということは間違いとは言えないし、象徴的に神の完全なる記憶と創造力による再生の可能性の許に置かれるとも言える。
だが、死によって意識は途絶え、体から命を支える霊は抜けてしまい、生命個体の維持はひとたびそこで終わってしまう。

死では意識が無いために、その人は「眠り」に例えられる状態に入るが、しかし、神はその人の根本的存在である「魂」を保持して、その『魂を捨て置かれず』キリストに行なわれたように、体を与え、息を再開させ「霊」の通う生きたものとされる。

その過程についてパウロは『種』に例えて語っている。
そこでは復活というものを信じない人々が、死んだ人間がいったいどのように現れるのかとの問いに答えて、キリストが自らの『魂を投げ打った』事を『一粒の小麦』に例えたように

『愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ[再び]命を得ないではないか』と言い。
『 あなたが蒔くものは、後で与えられるような体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒だ。それに神は御心のままに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになる』と述べている。

これは即ち、人は死んでも『種』のように再生の機会を保持し、時が至れば神がそれに体をまとわせることを言うのであり、その点でこの記述のあるコリント第一の第15章の残る記述を読めば、そこには『霊の体』を与えられる『聖徒』と、『肉の体』を与えられる『信徒』の異なりについても説いているパウロの言葉を見出すのである。(コリント第一15:35-41/ヨハネ第一3:2)


このように「魂」を元に行われる「復活」は、人が眠りから覚めるように復活させ同じ意識を取り戻せるのである。そこでは時間経過の感覚も無いであろう。
それはけっしてクローンではなく、まさに「一続きの意識」である「その人そのもの」の再生であって、わたしとあなたを決定的に異ならせる「魂」によるものであろう。それは神だけが取り扱う権利と能力を有するに違いない。なぜなら創造者だからである。

そこでイエス・キリストが人類のために犠牲として差し出した「魂」が意味を持つ。アダムが恒久的に失なった「罪のない魂」に、「魂」を扱う権限をもつ創造者がキリストの魂を代わるものとされたのである。

もし、アダムが「罪なき魂」を失うことにならなければ、その代替として、地上でイエスが人としての「罪なき魂」を犠牲とする必要はなかったに違いない。
この「贖い」によって、アダムの「罪ある」魂を通して人類に流れ込んだ汚れは、アダムの座に就くキリストの魂によって全体が浄められ、メシアは実質的に人類の『とこしえの父』となる。(イザヤ9:6)
人類は『罪を犯している魂』ではなくなり、神が創造の当初に企図したそのものの人間の姿を得る道が拓かれるだろう。



ネフェシュがもたらす死


こうしてネフェシュと呼ばれる「魂」を考え直すと、我々の死生観も影響を受けることになる。

頭書のように、今日では人は必ず死ぬものであり、それは現実として受け入れなければならない。だが、それが永遠の消滅であるとすることには、我々のどこかが受け入れようとしないのである。
人は故人を偲び、死別を惜しむ。また、自分の名を残そうとして功績を上げ、子孫を繁栄させようとする。

それでも、人は苦悩満ちる世界に産み落とされ、様々な困難と戦いつつ、やがて老化に衰えを感じつつ一生を終えなければならない。それがアダムが堕罪によって子孫に与えた定めであり、『顔に汗してパンを食べ、遂に地面に帰る』という宣告は、冷厳な現実以外の何ものでもない。
一方で、人間の頭脳の能力の多くが使われることもなく死を迎えるためか、人は老境に至ってもなお進歩するところが残されてさえいるという。例えれば、理論家や芸術家たちがそうだろう。彼らがさらに健康を保ってゆけるとしたら、どれほどの高みに昇り続けることだろうか。

現在の寿命に関するこの理不尽とも言えるようなこの短さ、儚さにだれも抗うことはできないが、それは奴隷の一生のようであり、パウロはそれを『滅びへの隷属』と呼んでいる。

しかし、同じ文脈でこうも言っている。
『被造物自身に、滅びへの隷属から解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されている。』(ローマ8:21)
それこそが、キリストの魂による贖いである。

したがって、ヘブライ語の「魂」(ネフェシュ)には諸国語と同じ「たましい」という言葉の概念では計り知れないほどの意味の重みがあり、それは創造者と我々個人を結ぶ、死をも乗り越える強力な絆ということができるのである。

我々個々の人間は、「魂」として神の存在させたものとして覚えられるばかりでなく、存在させた神の不可侵の権利の内に存在し続けるのであり、まさに「魂」は生きていようと死んでいようと問題ではないのである。創造の全能者にとっては、これまで存在した皆が「魂」であり、生きているのに等しいのである。
復活を信じぬ者らを前にしたキリスト・イエスの『神は死んだ者の神ではない、神によれば彼ら(父祖たち)は皆生きている』との言葉、ご自分の死を直前にしてさえ、このことを高らかに宣された言葉の何と力強く頼もしいことか!(ルカ20:38)


「終わりの日」の復活において人は皆『義者も不義者も』復活を遂げ、創造者との関係を愛の内に認めるのであれば、神はその魂を「慕われる」のであろう。まさしく神は「愛」であり、生きる理由を与えて下さる。
誰とも詠み手の分からぬ詩篇119篇の中にはこのようにある。
『あなたの御手がわたしを造りました』73節
また、キリストはこう言われた。
『あなたがたの髪の毛までが数えられている』と

そして、このことは「なぜ人が生きるのか」そして「なぜ人が死ぬのか」という難問に答えをもたらすものともなるであろう。それは究極的に、神の創造の企図を無視しては答えに至らない。

我々は死んでも「魂」は滅ばない。これは我々の死生観を存在の原因者にまで辿らせ、それゆえにも、死のもたらす害を一時的なものとさせるのである。

我々は『神の子』となるべく存在し、アダムの命にあってさえ、依然『神の象り』を幾らか宿している。

それゆえ親が子にするように、偉大な創造者の揺るぎ無い愛と権利の内に、どんな人も常に「魂」として保たれているのであるから、たとえ死んでも、その「魂」が命の霊を再び受けて復活されることは、キリストの犠牲の死、そして人々の『罪』を清める大祭司となっての復活を既に果たした今、間違いのなく全能者の為されるところとなっているのである。


ゆえに、ある人がどれほどこの世で悲惨な生涯を送ったとしても、それではけっして終わらない、神がそのような人をその空しさのままに終わらせることはない。
栄光と祝福、絶えざる生命とこのうえない健康、そして罪無きアガペーの世界を受ける希望は、キリストの仲介を通し神と愛で結ばれる限り、必ずや成し遂げられる全能の創造者の強固な意志と反駁の余地のない権利の中に存在し続けているのである。


それゆえ、その人の価値とは、人間自身ではなく神の所有権のなかに全うされている。




        新十四日派  © 林 義平
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誤解されてきたバベルの塔



-◆「名を造って」地の表に散るを免れる----

現トルコ東部のアララト山に漂着した箱舟からノアの家族が出て、その付近で暮らし始めた後のこと
『人々』と呼ばれる集団が東に向かって旅を始めたという。(創世記11:2)

それが『地に満てよ』という神の命によるものかは創世記には書かれていない。

人数も増え始め、十分な食料を求める必要もあったのなら、当時、麦が自生していたというザクロス山脈の高地に沿って進んだのだろうか。
そこでは古代には野生のヤギや羊も確認されており、ときおり見かける渓流では魚も採れたことだろう。或いは、この人々が狩猟者であると共に、遊牧生活者であった可能性も高い。


だが、どちらにせよ非定住の生活は楽なものではない。不安定な食料確保を追ってあちこち移動を繰り返せば、持ち物は限定され、天候の寒暖や雨風雪の影響も受けやすい。
彼らが、麦と動物の自生していたという「レヴァント地方」と後に呼ばれる地域からザクロス山脈に沿って進んだとすれば、進路は高原砂漠を避けてしだいに南に向かい始め、やがてはメソポタミア平原を見ることになった蓋然性は低くないように思える。ザクロス山脈からメソポタミアにかけての気候風土は、文明黎明期もほぼ同様であったろうと考古学者は推測している。

彼らの眼前には、突然に見渡す限りの沖積平野が現れ、それは毎日に目にしてきた山岳の風景とはまったく対照的であっただろう。つまり『シナルの地に低地平原を見つけた』のである。(創世記11:2)
つまり、彼らはアララト方面からそのまま二本の大河を辿って移動してはいなかったからこそ、『低地平原を見つけた』と言えることになり、新たな光景を見る驚きがあっただろう。

この低地平野が、今日のように乾燥地帯であったとしても、二本の大河チグリスとユーフラテスの膨大な水量は、灌漑農業の大きな可能性を見せており、その水の中には豊富な魚という蛋白源も備えられている。
しかし、この地にはめぼしい産物は無い、樹木は少なく鉱石も採れない。だが、アスファルト(瀝青)と無尽蔵の良質の粘土だけはあった。

創世記は、この人々がこの土地『シナルの平野』に定着することを述べる。

考古学は、これらの土地で起こった「都市革命」について語るが、それは灌漑農耕がもたらした余剰食糧に起因するという。実に、南メソポタミアの穀物収穫率はアッシリア方面に数倍するという。
移動生活では、働き手のすべてが食料確保に従事し、常に周囲に気を配り、狩猟を行い、穀物や果物の自生しているのに目ざとくある必要があったろう。
だが、畑に種を撒き、収穫を待つ農耕は、定住することで家屋を大きくし、持ち物を増やすことができるし、子育てもずっと容易であろうから、人口の急激な増加による都市発生の要件ともなる。それも、河川から潤沢な水が供給されるなら灌漑農耕の効果は、ますます人口に十分な食料と備蓄をもたらす。

そうなると、すべてが農業従事者である必要は無い。余剰な麦からはビールの醸造も始まっており、人々の労働の後の大きな楽しみともなっていたであろう。この現代でも人気あるこの飲物を得るに移動生活はまず無理である。
手の器用な者は、生活上の便利品を作るゆとりが生まれ、それらの商品を食料と交換することで、人々は互いに益を広げることができる。シュメールは史上初めて文字と数字を使用し始めたが、そのため、当時の文学までもがこの21世紀に知られているほどである。そこには神話や文学ばかりか、今日の生活と然程変わらない商業の記録や人々の様子も語られている。

ここまでくれば、人々はより快適で刺激的な交換社会のために互いを必要としており、もはや移動生活に魅力はなく、都市生活が実現することになる。そうして人間社会の二つの種類が明確に存在するようになった。即ち、狩猟・牧畜を主にする非定住生活社会と、農耕を主にする定住生活社会である。

後にギリシア人は城市(ポリス)を地中海世界の各地で発達させたが、かのアリストテレスは、人はポリスに住むことにより、その能力や才気を十二分に活かせるのであるから、人間はポリスで生きるように出来ている、と唱えたというが、闊達とした分業体制の機会を人類はメソポタミアで初めて得たのであろう。都市文明の黎明である。


最初の文明を通しても、人々の間での財やサーヴィスの交換には公平性が要請されるようになり、レートのような交換価値が必要とされ始めることは今日見る通り世の常である。
それは貨幣の登場前の麦のような普遍的流通性のある「通貨」という、人類史のごく初期から人間に寄り添ってきた交換価値の代替物の素地を生み出したであろう。前三千年紀にはメソポタミアで大麦の重さを表わしたであろう単位「シェケル」が登場しており、それは今日の共和国イスラエルの通貨の名称として依然残されている。

単位があったなら算数や帳簿も必要になってくる。そこで帳簿を書き付けるパピルス紙はまだないが、尖筆で記入するに良く、書き直しに適したきめ細かい粘土はいくらでもあったのである。
その物品の交換レートを保障するために、有無を言わさぬ公の権威や権力が存在しなければならない。権力の裾野の広さは、通貨やレートを行き渡らせるのに手っ取り早いに違いない。
 

「シュメール」と呼ばれる、ごく初期にメソポタミア南部で灌漑を始めた人々は、種族的にはっきりしないという。
自分たちのことを「入り混じった者ら」(ウンサンギガ)と呼び、頭骨はモンゴロイドのような短頭形であるのに、鼻や額は現極東人よりはっきり高い。
そして、このセムともハムともコーカソイドともつかない人々がどこから来て、どこに去ったかは考古学の謎となっているそうである。

ともあれ、この人々はシナルの平野に灌漑農耕をもたらし、家畜を飼い、轆轤を使った土器製作の家内工業から鍛冶冶金をも行っている。また運搬にはエジプトに先駆けて車輪を開発し、ロバの引く車両までも作っていたという。旧約聖書で彼らが来た方向とされるザクロス山脈からは、青銅など鉱石の採取がなされた証拠も挙がっている。

こうして、人々の創意工夫が集まり、最初期の都市文明を起こす条件は整ったのであった。

あるいは彼らが、アララト方面から『東に向かった』という創世記に描かれた人々であるとすれば、その後の記述にもいきおい関心が向く。
その創世記は、確かにこの人々が都市の建設を始め、そこに権力者が現れたことも記しているのである。それに調和するかのように、シュメール人は定着した土地を「君主らの地」(キエンギ)と呼ぶ。集合生活を送る彼らの権力の到達範囲を意味したのであろうが、同時に非定住社会との区別を指した背景も見える。集約的権力は各都市の王に委ねられてそれぞれに秩序を得たが、その一方で非定住の民族はその影響を受けながらも自治を有していたのであろう。古代から都市生活者と遊牧民の間に物資の交換があった痕跡が残されているが、双方の産物の違いが当然に交易をもたらしている。

 

ノアの大洪水の後に現れた都市圏の権力者の名は聖書では『ニムロデ』とされている。この人物について創世記は『クシュ』というノアの孫でエチオピアの先祖の子であると云う。
創世記はハムの子クシュがセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカの父となったことを告げ、それから改めて、ニムロデの父ともなったと語る。するとニムロデはクシュの末息子であっただろうか。(創世記10:7-9)

だが、このニムロデは、まずその通りの名ではなかったであろうと言われる。というもの、ユダヤ人の伝承はこの人物を善くは述べていないし、このニムロデというヘブライ語の意味は「反抗しよう」というものである。
民の頭たる権力者が反抗する必要があるとすれば、その相手は人間以上のもの、つまりは「神」であろう。つまり聖書によれば、超古代の権力者ニムロデとは神への反抗者であったことになる。

また、創世記は彼が猟師であったと明かす。それも神『YHWH*の前に力ある狩人ニムロデのようだ』という慣用句まであったというのである。*(発音不明の聖書の神名)
狩猟者は、農耕者のように季節に従い、共同作業に従事する必要はない。遊牧民のように草原の状態によって移動するでもなし、様々な事柄からの自由がある反面、生産的でなく勤勉さや従順さに欠け、野放図なところもあろうし、奪うことが本質のところに野心の萌芽があったのかもしれない。この者らが都市権力を簒奪して王に君臨し、持ち前の暴力によって強力な秩序を都市に与えた蓋然性もあろう。

そのうえ、『力ある狩人』とは、単なる猟師以上の者「権力を持つ狩人」である。それは「人間をも狩る」すなわち武人であり、前六世紀の軍人でもあった史家クセノフォンは『戦争に有って、狩猟に無いものを見出すことは容易でない』と記している。
そのような相似は、ドイツ語で「歩兵」を「ヤーガー」(猟師)とも呼んだところにも見える。
こうして、ニムロデの政治の性質が見えてこよう。つまり軍事政権であり、まずは独裁的色彩があったものと想像されるところである。

メソポタミアの古文書には、「最初に王権はエリドゥにあった」と記されるが、あるいはニムロデは海辺に近かったそこの城市の出身だったろうか。やはり、ニムロデは元は狩猟の移動生活者であったのが、初めは豊かな都市エリドゥを襲撃し、僭主となったのかも知れない。

創世記の中で彼は、まずメソポタミア南部に都市を興す。『その王国の始まりはバベル、エレク、アッカド、カルネであり、彼はそこからアッシリアに出て、ニネベ、レホボト・イル、カラハ、そしてニネベとカラハとの間のレセンの建設に取りかかった。これは大きな都市である。』
これらの都市は城壁を持つ「城市」であり、当時までには大河の氾濫に対する水害対策だけでなく、人々の争いのゆえにそれぞれの集まりを防御する必要が生じていたことは、ニムロデ自身が軍人であったことからも明らかであろう。
出土する粘土の資料は、シュメールの人々が大盾と長槍で密集隊列を構成する戦法(後のファランクス)を既に会得していたことを示してもいるし、ロバの曳く戦車も描かれている。 人類はいつの時代にも権力なくして生きてゆけない。これが即ち「アダムの罪」の所以である。
都市定住生活の生み出した特徴のひとつには、この支配の強さというものがある。そこでは権力が強くなり、圧制が可能となるのである。 
ここに於いて、地に広がるようにという神の命令には、単に生活圏を拡大させるという問題ではないニュアンスが加わる。 



-◆バベルの塔の誤解------------
 

絵画や映画での「バベルの塔」は魅力的な題材ではある。
『その頂を天まで届かせよう』という建設の目的は壮大で、しかもそれが超古代に行われていたという意外性も、人々の関心を捉えて離さない。
無数の労働者が群がり、建設途中ながら雲間に霞む程の高さにまで仕上がりつつある巨大な建造物がこれまでに何度画家の題材とされてきたことか。その傍らには、その大号令を下したとされる権力者ニムロデも描かれたものである。

そのようにロマンを追う方々には残念だが、これは聖書そのものの語るところからの脱線である。
実に、聖書中に「バベルの塔」なる言葉は一度も出てこない。
そこで、聖書記述に意義を見出そうとする向きは、もう一度創世記の当該部分を見直して整理する必要があるだろう。
 

まず、シナルの平原に住み着いた人々が塔を建てようとする場面を見よう。
『東に向かって旅をしているうちに、人々はやがてシナルの地に谷あいの平原を見つけて、そこに住むようになった。そして、彼らは各々互いにこう言いだした。
「さあ、れんがを造り、焼いてそれを焼き固めよう」。それで、彼らにとってはれんがが石の代わりとなり、歴青がモルタルの代わりとなった。
そうして彼らは言った、「さあ、我々のために都市を、そして塔を建てその頂を天に届かせよう。そして大いに我々の名を揚げて、地の全面に散らされることのないようにしよう」。
それからYHWHは、人の子らの建てた都市と塔とを見るために下って来られた。
その後YHWHは言われた「見よ、彼らは一つの民で、彼らのすべてにとって言語もただ一つである。そして、このようなことを彼らは行ない始めるのだ(これらはしようとする事の発端に過ぎないのだ)。
今や彼らが行なおうとすることでそのなし得ないものはないではないか。(何であれ彼らが企てることを妨げることができなくなる)』(創世記11:2-6)
 ここで人の子らが何事も、つまり永遠の生命さえ手に入れ兼ねないことを神が心配しているのではなく、人々が神に逆らってある目的を達成しかけていることを神は憂慮している。
それは、人々を地の全面に散って住まわせるということを直接には意味しているが、それには敷衍されるべきより重要な意味があろう。

また、ここに見る「塔」は「都市」とセットにされている。それは各都市にそれぞれ建てられる塔なのであり、聖書では超絶的なひとつの塔を描いてはいない。
もちろん、彼らが「塔」を建てる理由というのが『地の全面に散らされることのないように』ということであり、これは『地に満てよ』という神のノアの家族に対する命令とは反対である。

やはり都市集合生活の便利さ快適さ、個人の特技や個性の生かせる分業体制を一度味わった人々が、そこを離れて再び移動生活の困苦を忍ぶのを厭うのは自然な感情であったことだろう。
この時代のものと思われる多種多様な彩色土器、アクセサリーは都市生活の便利さ快適さ闊達さを現代の我々にも伝えるものとなっている。

幾らか時代も下ると、そこには今日の観点でも見事な金細工品や、宝石やラピスラズリを用いた装身具も出土しており、アブラムの頃のウルともなると簡単に調理できるインスタント食品まであったというのである。都市の住人は寝食もそこそこに、様々な魅力ある事柄に打ち込む楽しさを謳歌したのであろう。しかし、アブラムら遊牧民は異なった文化を有していたことは用いた食器の様式などの違いにも表れており、今日にまでもその差が偲ばれるという。アブラムの父テラハの家系が遊牧民であったことはほぼ間違いないとされているが、彼ら遊牧民の目に都市生活はどのように映っていたのであろうか。

だが、都市生活はともあれ、一箇所に留まる事は神の命に背くことである。

そこで彼らの思いついた対策は『塔を建て、その頂を天に届かせ、そして、大いに我々の名を揚げて』という方法であったと創世記は記す。
しかし、現代人にはこの言葉には首を傾げさせるようなところがある。即ち『大いに我々の名を揚げる』ことがどうして『地の全面に散らされること』を防ぐのか?ということである。

実に、この名を『揚げる』のヘブライ語[נעשה](ナーセー)にはもうひとつの意味も含まれており、そちらを追ってゆくとより現実的な理由が見えてくるのである。
つまり名を造る』の意味である。


これは『名を揚げる』が「有名になる」という概念を含むのに対して、さらに具体的な解釈への道を開くのである。
我々東洋人が『大義名分に適う』あるいは『大義名分を造る』という言葉によって慣れ親しんでいる概念をこの『大いに我々の名を揚げて、地の全面に散らされることのないように』の文章に当てはめて推論すると次のようになる。
都市を建ててそこに住むことは、神の「地に満てよ」の意に逆らうことであり、神はそれを肯じないだろう。それならば、都市を建てることを許されるように「名を造ろう」つまり大義名分を造ってしまおう。
そのためには、頂が天に届く塔を建て、神に会って宥め、その同意を取り付けよう。

この推論の場合、人間たちが一箇所に集まっているのに、いったい誰に対して名を挙げたり「有名になる」べき理由があるのか、という疑問をまず払拭することができる。確かに名を挙げたところで誰がそれを評価してくれるというのだろう?
次いで、都市を建てる度にそこに塔がセットされる理由が見えてくる、即ち神からの都市の存在許可と延いては都市守護神の登場である。

したがって、教会員が教えられてきたような「バベルの塔」、つまり、神に挑戦する都市文明という見方で、このジッグラトを捉えると的を外すことになる。 聖書ばかりでなく、当地から出土する粘土板にも記されたこの「頂きを天に届かせる」の句の意味は、神への挑戦ではなく、むしろ宥めと見ることができるのである。



-◆ジッグラトの構造と神----------------
 

メソポタミアでの都市遺跡と共に発見される塔「ジッグラト」には普遍的特徴があるという。
それには階段が設けられ、頂上まで人が昇降し易く作られていること、また麓に神を祀る「祠」または「社」が設けられていることである。
これは基本的に神格化されたファラオの墳墓であるエジプトのピラミッドと異なるものである。

メソポタミアからの出土品には、『その頂を天に』という文言が出、またジッグラトの内面は焼いたレンガが用いられている点も創世記記述に合致する。繋ぎ目の瀝青の使用もまたそうである。
そして、なぜ「頂を天に届かせるべきか」というこのことは、これまではノアのときのような大洪水への退避塔であるとか、天界に登りつめ、大洪水を起こした神に挑戦するためとするユダヤの歴史家ヨセフスのようにも解釈されてきた。
だが、麓に社が設けられるというこのことの意味はそこからは見えてこない。

ひとつ、理解し易い解答には
天の神を地に招き、人間の都市生活に安堵を見出してもらうという意図があったということがある。

麓に在ったその社の存在は小さいながら、そこから塔の全体の意味を見直すと見えて来るものがある。
ヘブライ語「バベル」(混乱「バラル」を含意)の本来のアッカド語「バブイリ」の意は「神(イリ)の門(バブ)」であり、本来のシュメール語では「カディンギルラ」と言ったが、これもやはり「ディンギル」(神)「カン」(門)であるから、アッカド語はそのままの意味に発音を変えていたことになり、ヘブライ語の「バベル」は、言語の混乱をもじっていたことになる。これについては、「ニムロデ」が本名でないように、「混乱」ともじるところで「バベル」も本来の名ではないことは明白である。ヘブライ文化はバビロンについて徹頭徹尾侮蔑的なのである。

ともあれ、神の領域である天まで届く塔が、その神をお迎えするためのものとすれば、「神の門」という名は塔の存在によって意義を得る。神がそこに降るからである。それは一種「神の階段」「昇降口」のようなものであり、宗教、それも相当に「神」との接近を含意しているモニュメントといえるのである。


神が「降る」という概念は、創世記からも見られるものであり、『YHWHが降りて来る』の句はヤハウェスト資料に度々現れる。(創世記18:21/出埃19:11等)
また、ヤハウェストでなくとも、神は人に語った後には『上って行った』とも記されている。(創世記17:21)
神は人と意思を通わせる場面でこのように昇降する概念を創世記そのものが有しており、それは古代人に共通の神観念であったと言えるであろう。

シュメールでは天から降り立ったものはアヌンナキと呼ばれ、神々の集団であり知恵を授けたという。彼らの宗教は多神教であった。
シュメール人は文字の体系化と普遍的活用においてそれ以前の歴史に例を持たないので、真の意味で「文明」を発祥させた民族とされている。また暦を持ち、月の朔望に合わせ年間を12の月に分けたのも史上初のことであったうえ、円を360に分割した功績は太陰暦法からきたとはいえ驚異的な数学や幾何への造詣を示している。さらに信じ難いことながら天文に関する異常なまでに高度な知識は、近代文明に匹敵するほどに優れていたと言われる。また青銅の製造加工方法を最初に知ったのも彼らとされるが、おそらくシュメール人は、何らかの仕方で上からの知恵を得ていたと言うべきなのであろう。西暦前3500年の過去に文明が創始された背後にはプロメテウスのような存在があってのことであろう。


実にアッシリアなど後に続く文明はシュメールに学んで次の文明を起こしていることが発掘から明らかにされている。しかし、人類最初のシュメール文明の突然の現れには謎が多い。

今日の考古学によれば、前3300年頃からの千年以内に、文字を使い始めるだけでなく、暦に従って灌漑農法を始めて麦から酒を醸造し、度量衡を定めて計算を行って商取引や貿易を行い、さらに金属を溶かして加工するばかりか宝飾さえ楽しみ、車輪のある移動や搬送の機材を作り、武器を量産して軍隊を編成し戦法を考え出すなど、今日に見られる社会の有様が一度に噴出しているかのようであり、これは当時の人々よりも高度な知識を持つ何者かの存在を明らかに要請している。


人類文明とは、原始的断片から徐々に高度化したのではなく、最初からいきなりに現代社会に見られる原型が突如として現れているのである。即ち、『この世』の有様、貪欲が推動し機能する社会の諸要素が既に現れており、我々の時代にまで特に変わった事と言えば、その程度と規模だけである。

しかし、知恵を授けたというアヌンナキなる彼らの「神々」は、創造の神でもノアを救った神でもない。そうであればこそ、人々が地の全面に広がらない都市文明の知恵を授けたといえる。
当時の僧職者は単なる宗教家を超え、天文を読み人々が何を為すべき時期に来ているかを教えるなど、今日の科学者の役割も兼ねていた。
勿論、統治という領域にも「神々」は知恵を与えたことであろう。王は祭司を優遇することで、政治に宗教が関わった。そこで「神権制」を通して霊の領域が人間を支配することになり、宗教が法となる。それこそが霊の存在者の望むところであったに違いない。

それら都市文明の知恵の源こそは、唯一神をしてノアの洪水をもたらさせた張本人たちであるところの、本来あるべき天の場所を離れた堕天使らであると言うべき理由がある。(創世記6:4/ユダ6) 

箱舟の漂着地から東に向かった人々の神概念は早くも曖昧になっており、シナル定住のころにはすっかりノアの神を離れていたであろう。
彼らに『地に満てよ』と命じている創造神も、都市を作って人間が集合して一箇所に住むことに同意を与える「神」も、彼らには区別が付かなかったのであろう。
それは、後にバビロンがヘブライの宗教概念の正反対の異教の坩堝となった事からして蓋然性は低くない。

死後の地下世界、死者に問う習慣、偶像の使用、占星術などの故郷がここにある。
悪霊となった堕天使らが、この地を創造の神とは異なる宗教の中心地に据えたことには、多数のジッグラトを城市毎に建設したという、この地方での人々の大々的な「神々」の呼び込みあってのことではなかったか。
 

後に、ネブカドネッツァルの父王ナボポラッサルは、バビロンの巨大ジッグラトをも再建したが、八層に及ぶその頂上には何の偶像も祭壇もなく、ただ寝台があり、選ばれた美女がそこで一晩を過ごすだけであった*というからには、その神はまぎれも無くノアの大洪水前に女性目当てに持ち場を離れて地上に来たと創世記が暴露する堕天使らに違いない。(創世記6:1-2/*ヘロドトス「ヒストリア」Ⅰ:181)

一方、各都市の塔の麓では、社に供え物がなされたことが分かっており、後には偶像も登場することになる。崇拝の場であった社は、次第に神の住まいとしての神殿へと発展されてゆく過程が発掘されている。

その貢物に伴う祈りは、やがて『地の全面に散らされること』なども忘れ去られ、都市の繁栄や保護に変えられていったであろう。メソポタミアでは偶像の中に神が宿っていると信じられるので、その扱いには注意を要したという。扱いの次第によっては不興を買い、不作や疫病など、都市に不利益を被ることになるからである。



-◆真の神が妨げた企図------------
 

そして、ついに創造の神は『人の子らの建てた都市と塔とを見る』。
そしてこう言った。『見よ、彼らは一つの民で、彼らのすべてにとって言語もただ一つだ』『今や彼らが行なおうとすることでその為し得ないものはないではないか』

これはもちろん人間が全能になったと言うのではない。彼らにはその目的を遂げられることが明白だったということであろう。
彼らは創造の神の意志であるところの、人が地に広がってゆくべきことを実現させないことになり、且つ、彼らは悪霊、延いてはサタンの影響力の下にひとつに束ねられるのである。ニムロデはそれに用いられる器となろう。

だが、それは何を意味しようか。祭政一致という圧政ではないのか。
単に都市生活が俗的で神の不興を買っているという事柄では済まないものがそこにある。即ち「支配」と「崇拝」がそこに関わっている。
サタンの支配する人類支配の大帝国の萌芽がそこにあり、今や悪魔は『わたしは天に上る。わたしは神の星の上にわたしの王座を上げ、北の最果ての会見の山に座すのだ。わたしは雲の高き所の上に上り、自分を至高者に似せる』という、人類に対する最高主権を手にしようとしていたと言えるのである。(イザヤ14:13-14)

その『至高者に似せる』という言葉の通りに、サタンは人類を統べ治める地上の絶対主権者の座を手に入れることになろう。したがって、彼らが城市を建てることよりも問題であったのは、一に集合して住むことからくるところの人類統一主権の樹立であったと見做すことができる。これがサタンの野望が狙うところであることは聖書が再三記すところである。

その傍らで、創造の神と人類の間には「罪」による断絶があり、神は直接には全人類の権力者とはなり得ないのであり、もしそうなっていると云うならこの世の酷さは説明が付かないし、そもそも「塔」の問題も出てはこない。神は人類に罪ある間にあっては仲介者キリストに「神の王国」という条件下で人類支配の大権を委ねる筈であったのだ。そのキリストは、神が『この世の支配者』ではないことを明言しているのである。(ヨハネ16:11)

そこで、神に挑戦したのは、この人類統治の権限についてであって、神が許すことをしなかったのはバベルの塔の完成ではなく、悪霊らの頭たるサタン(「反抗者」の意)による全人類への支配権であったとみることができる。
もし、これを許すなら、イスラエルのような創造神による神権統治国家は邪魔され、存在も難しくなったであろう。つまり、神の経綸の道を遮るものである。
 

他方、サタンと人間は罪あるもの同士、サタンが主権を得れば直接統治を遮るものがあろうか。
だが、これを許すこ
せいきとは創造の神にはできないことである、そんな支配が生じれば、神を崇拝する民族の場は地上から失われ、聖書も書かれることは無かったほどになる。そのうえに思考の自由も無い圧制が人類全体を締め付けることになったであろう。
したがって、少なくとも地上支配の権威の頭を分割することで、この世界帝国の出現を押さえ込むことはできるだろう。
そこで神の採った手段は創造者に相応しいものであった。

ひとつであった人間の言語が、ここで幾つにも分けられ互いの理解を隔ててしまう。それは人類の諸言語発生の由来を語る単なる創世説話とはならない。
その効果と言えば、『彼らは全地に散って行き、都市を建てることから次第に離れていった』のであった。


ここで、彼らが建てることから離れたのは『都市』また「塔」であったとされるが、もちろん、都市文明は絶えることなく広がり継続しているので、神の原語分割の効果は、むしろ言語毎の人々の分離を意味しよう。
前述のように、ヘブライ語「バラル」は「乱れ」を意味するが、アッカド語訛りでの「バビル」(神の門)と掛けあわせて「バベル」という言葉が現れる創世記はこう記されている。
『それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。YHWHが全地のことばをそこで混乱(バラル)させたから、すなわち、YHWHが人々をそこから地の全面に散らしたからである。』(創世記11:9)

19世紀になって、ようやくシュメール語はアッカド語から解読が始められたが、この言語は他と異なり、どの言語とも関連をもっていない特殊な言語であることが分かってきたとのことであり、最も古い部類に属するセム系言語のアッカド語からも独自性を持っているとされる。
ただ、アッカド人は北からシュメール人の地域に入り、自分たちの文字を持たなかったので、シュメールの楔形文字をそのまま用いて、系統も文法も異なるアッカド語を記したという、以後、楔形文字は長く用いられ、アッシリアによっても、メディア・ペルシアに至るまでも併用されていたとのことである。

しかし、言語が分けられたからといって、シナルの地での都市建設が無くなったというわけでもなかった。
はっきりしているのは、シュメールと呼ばれる民族が一度退潮し、前2400年頃からアッカド語を話すセム族がこの地の主人となったことである。

では「入り混じった」民であったシュメールはどうしたのか。
百数十年の雌伏の後、再び勢力を盛り返し、当時は海に近かった都市ウルで第三の王朝を興したという。それはアブラムの頃であったのかも知れない。

やがて東隣りに位置するエラムが強勢となって南メソポタミアを征服すると、それからのシュメール人の足取りはつかめていないという。


シナルでの都市と塔を建てる習慣はその後しばらくは維持されたが、それはもはや創造の神の敗北ではなかったであろう。
なぜなら、人々は世界の各地に見られるようになっただけでなく、人類支配の統一の興る危険はその後、今日まで回避され続けたからである。実際、歴史が全人類を一つに統治した支配権を指摘することはない。⇒「オイコノミアと七つの頭」

そこでは、諸言語創出の神の目的が、単に人間の都市や塔の建設阻止ではなかったことも明らかである。それは人々を地の全面に広げ散らすことであり、人類統一支配をも分散させるところにあったと見ることができる。

確かに多くの主権国家が存在することで、国家間の戦争が勃発することは避けられない。それが悲惨な事態を招いたことは今日までの事実である。国家主権という「最強の我が儘」がどれほど世界を乱し、人々に苦難を与えるかは歴史の教える通りであり、現代に至っては、国際連合という機関がその調停を図る場となりつつも、やはり「最強の我が儘」によってしばしば機能不全に陥るほどである。

だが、サタンの支配する人類統一国家というものは、まったく逃げ場の無い、更に破壊的作用を及ぼすもので、殊に思想面での自由を恐ろしく奪ったであろう。そこでは唯一の政府を牽制する他の政府が存在しなくなり、その暴走を抑えるものは何もなくなってしまう。我々はヒトラーやスターリンの過酷で悲惨だった人間の独裁体制の例にその片鱗を窺うのみである。それ以上酷い人類統制下では律法契約下のイスラエルのような神権国家は信条的にも存在することさえ許されなかったことであろう。人類はむしろ、聖書が描くサタンの象徴である『龍』の頭が七つに分かたれたことに益をさえ見出すべきであろう。(黙示録12:3)

言語分割により主権は分散され、ニムロデに象徴される恐ろしいまでのサタンの世界統一権力は実現不可能となったばかりか、人類には文化や人種の多様性を得ることになったのである。
こうして、サタンの国家政治力の頭は分割され、この処置によって聖書巻末にある黙示録の中での国家権力の集合体を表す「七頭の獣」の『第一の頭は屠られたかのようにされた』であろう。(黙示録13:3)
即ち、世界覇権の試みの第一の部分、最初の覇王ニムロデの画策したシュメール帝国である。

では、聖書巻頭の創世記から、一足飛びに最終巻のヨハネ黙示録、人類社会の終末へと目を移すなら、そこにはどのような結論が待ち受けているだろうか。 



-◆第一の頭の癒えるとき------------
 
ダニエル書では、歴史上の様々な覇権国家を野獣に例えているのだが、黙示録では、堕天使の長であるサタンが七つの頭を持つ龍として描写されるように、ニムロデのような支配権を狙う終末の世界覇権を『七つの頭を持つ野獣』に象徴させて幻視している。(黙示13:1-4)
その頭のひとつは『その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。』とある。

この治癒は恐ろしい作用を覚悟せねばなるまい。
即ち、ニムロデ以来の世界圧制の恐怖であり、神を離れた「人間主義」という一種の宗教の押しつけとなろう。
『いったいだれがこれと戦いうるか』と言って全地が感服するのは、その頭が分かたれていながらも人間の権力を集中したその七つの頭をそろえた姿のゆえである。
第一の頭が癒されるからと言って、人々が英語なりの世界的言語を話すようになって言語分割が克服されるという意味よりも重いものがあろう。
それは、言語分割という神の一撃を受けて一度挫折した世界主権への野望が、言語分割をそのままにしつつ(頭は依然分かれていて)もその狙いにおいて復活することである。

かつて、「名を造る」ことで人々が神の御旨から離れようとしたように、将来、人々は人間主義思想、つまり神に頼らず、人間の能力によって将来を切り拓いてゆけるという尤もらしいが神の人類への意志もキリストの犠牲も無視した蛇の教えに従うだろうか。
その時点では『神の王国』を受け入れるかどうかが人類に喫緊の課題となっている。なぜなら、創造を行った真実の神に任命された全地を統べ治めるべき王キリストがいよいよ王権を佩びて人類に臨む裁きの時が到来するからである。

サタンは自分の時の残りが短いのを知って、猛烈に暴れまわり、ディアボロス(中傷者)の本性を最大限に発揮して人類を神から背かせ、今まで通り、人類に創造神への無頓着なこの世の態度を維持させようと全力をあげることになるのであろう。


そのための器が黙示録第十三章の「七つの頭を持つ野獣」と云える。その異様な獣は『今は居ないが、やがて底知れぬ深みから上ってくることになる』とも云われる、永い間忘れられ封印されてきた、あの世界支配の野望を遂げるためのサタンの武具であろう。それが七つすべての頭を備えて眼前に現れるときに、人類の驚きはどれほどのものになるのだろうか。(黙示録17:8)

それはニムロデの超古代、言語を分けるという神の一撃によって落下した奈落の果てから甦り、『あらゆる部族と民と国語と国民に対する権威がそれに与えられ』神の王国の聖なる者たち、つまり「聖なる国民、王なる祭司」、聖霊を注がれて語る人々を滅ぼして、徹頭徹尾人類を神の王国とその王に逆らわせるために造られる全人類的武具となって、現実の世界に這い上がって来る恐るべきものであり、ある意味で大王ニムロデの復活であろう。そのために、人々はその獣を見て怖れ、栄光を帰してしまうという。

これこそはサタンの『わたしは天に上る。わたしは神の星の上にわたしの王座を上げ、北の最果ての会見の山に座すのだ』という野望の極まるときであろう。
だが、その崩壊は天において始まっており、そのゆえにもサタンは既に地に落とされているのである。それは将来の天界における裁きによって権威を得た天使長ミカエルと戦い、そこで敗れ去ったからこそ彼は地に居るのではなかったか。⇒「黙示録の四騎士」

そのときにも、信仰持たぬ人々は便利な生活の為に『名を造る』ようなことをして悪霊を呼び込んだり、ニムロデのような強権を支持したりするのだろうか。
人類の能力によって神無くしても幸福な将来を築けると。
例えれば、人間は自らのあらゆる細胞を初期化できることが可能となり、人の意志によって永遠の命も視界に入るとしたら、何も人の倫理や罪を問う神など無くても良いと思うだろうか? それは世の大多数の人々にとって魅惑的な偽預言となり得るものではないだろうか。

そこで、あの『歳経た蛇』は相変わらず『蛇』ではないか?
「あなたがたは死ぬことはない」と言いつつ、次に狙うのは終末に生きる人類の全体である。
そこで論議は先鋭化する。即ち、創造者を創造者として敬うかという「エデンの問い」である。

新たな「善悪の知識の木の実」となるのは何であろうか?
それはおそらく、神からの独立した道を行かせようとする人間主義であろう。それはけっして目的を達することのない数字6を三回繰り返した粗悪な代替品であり、言い訳をして真実の王キリストを拒むことであろう。
そして『偽キリスト』たる新たな生ける偶像、『不法の人』の不吉な予告も忘れるわけにはゆかない。

偽預言者らの行う奇跡は、かつてモーセの日にエジプトの異神の祭司らがカエルを出すところまでで止まったように、付き従う者らをいずれは失望させよう。それゆえ、龍、野獣、偽預言者から出る霊感の言葉はカエルで留まるのである。それに釣られて付いて行けば、神と人との戦いに身を置くことになりかねない。(黙示録16:14)

飛ぶ鳥落とすようなサタンの全地を覆うニムロデの復活の如き大王の支配権に人は平和の到来を夢見るのだろうか? そして、古代都市の生活にも似た科学信仰からくる永生をすら約束するような理想社会テクニカル・ユートピアの将来像。人々はそこに留まることを願い、再び悪霊を味方につけるのだろうか?

だが、キリストの到来によりサタン支配に残される時は無い。
こうして、この世は大王に率いられて、神との戦い、ハルマゲドンの場、エホシャファトの谷へと向かうことになるのであろう。そこで人間たちが『一か所に集まって住む』という真の意味での目論見は最終的に打ち砕かれるであろう。

それらの偽りの預言への思い込みを人々に留まらせるものがあるとすれば、人類の贖罪と創造者との和解を成し遂げさせる「神の王国」の王キリストの言葉、その聖なる者たちが聖霊を通して語る言葉に対する信仰のみであり、創造主に感謝と誉れを帰するべしという倫理の基礎を堅く据えることである。(マタイ10:18)





           新十四日派   © 林 義平  
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 大いなるバビロンの滅び

 オイコノミアと七つの頭 






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サラとハガル その産み出したもの



この相続はけっしてお目出度いことではない。
新しい契約が終わって真のアブラハムの子孫をキリストの共なる相続のために天に召集するまでに起こる事と云えば、精錬に次ぐ精錬なのである。

それはキリストと共になる者たち、聖霊を注がれ神のイスラエルへと選ばれた者たちに襲い掛かる強烈な誘惑と試練を意味する。
これを予め覚悟するようにと、イエスは再三にわたって当時の弟子たちを訓戒したのであった。

『「誰でもわたしに付いて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の刑柱を背負って、日々わたしの後に従ってきなさい。』
この言葉に違わず十二使徒らのほとんど、そしてキリストに次いで死に就いたステファノスを初めとする忠節を尽くした多くの弟子たちがそれぞれに主に倣い、つぎつぎに殉教の死を遂げていった。

彼らの目指したものは、主と共になることの光輝ある偉大な賞であり、神と人への偉大なる善を求めて死に至るまで信頼に足る者となることの栄冠(ステファノス)であった。

この厳しさこそは、その立場を授かることのこの上ない栄光と誉れを知らせるものでもある。彼らはそらまで誰も得たことのない天使たちに勝る地位にキリストと共に就くのである。
聖霊を注がれるというその事が意味したのは、アブラハムからの相続権の内定であり、その財産は『諸国民の光』となる『神の王国』の属する者となり、それを父なる神からキリストと共に受けることであった。(マタイ5:14/イザヤ42:6)

彼らの行う各種の奇跡の業は、彼らがキリストの業の後継者であり、義認においては仮のものとはいえ、キリストに同じく『有罪宣告のない』立場を許されていた。(ローマ8:1.33)
つまり、引き続きアダムの肉の命にあっても『水と霊とによって新たに産み出され』既に地上あってキリストの命に生きるという奇跡を通し、人類に先立って「罪」を贖われた『初穂』に数えられる者のひとりとなっていたのである。(ヤコブ1:18)

彼らが依然として肉体に在りながらも、霊者キリストと共なる義なる者に看做されたのは契約、即ち「新しい契約」に参与していたからである。だが、やはり契約であって果たすべき務めがそこにはあった。

それはキリストの如くに、終わりまで忠節を保って見せ、傷なくシミのない、恰も処女なる花嫁のように清さを保つことである。

そして、この立場は凡そ神の創造したものの中でも極めて稀なるものとなる。
それは御子が唯一のひとり子で在られるのと同じように、高く輝かしい新たな創造物である。(コリント第二5:17)


-◆ふたりの女 --------

本来、この稀なる特権は血統上のアブラハムの裔に対して開かれたものであった。
予告された裔は、モーセの時に民として神との契約にのぼり、神の選民イスラエルとして遂に歴史に現れ出たのある。

この契約は彼らをして『聖なる国民、王なる祭司』と成るに導き、人類全体が祝福を受ける謂れとならせるはずのもの、また全体の指導者メシアを彼らが受け入れるよう導くものであった。これが即ち「律法契約」である。

これは予備的段階を彼らに踏ませるものであり、律法によって人に巣食う宿痾であるアダムからの「罪」を糾弾し、メシアへの信仰による義と救いに導くという貴重な特権を彼らに与えることを目的としていた。(出埃19:5-6
/ペテロ第一2:9)

しかし、アブラハムや族長たちの血統に属する子孫らは必ずしもその父祖らのような優れた特質を見せることはなく、却って心を頑なにして律法に従わなかったので、契約の一方の当事者たる神は、この契約を終わらせ「新しい契約」を布告するのであった。(エレミヤ31:31-33) 

この契約は律法条項によらず、人を内面から変化させる「愛の掟」という著しい価値の上昇を伴う真に優れた教えを伴うものであり、これこそはメシアの教えるところとなったのである。(ヨハネ13:34)

にも関わらず、ユダヤ人たちは律法に従わないばかりか、遂にこのメシアまでをも退けて亡き者としてしまった。

メシアをそこに遣わされながら、既に廃されかけた律法契約に固執して自己の義に酔うこのユダヤ人たちが真に「アブラハムの裔」と呼べるだろうか。最後の旧約型の預言者としてのバプテストのヨハネから警告されたにも関わらず、彼らはメシアを殺害させるばかりか、イエスをメシアと信じた同胞ユダヤ人までをも迫害し、聖霊注がれたステファノスを初めとして弟子の命までをも次々に奪ってゆき、やがて異邦人にまで毒牙にかけ、ローマ国教化に至るに及んで、遂にユダヤ教の保護が帝国側から取り去られるまでの長きにわたり、繰り返し陰湿な迫害の手先となったことは少なくない歴史資料に刻まれている。

しかし一方で、メシア・イエスは刑死後、弟子たちに神からの聖霊が送られるよう天で取り計らい、イエスの奇跡の業はそれら聖霊の賜物を宿した弟子らに継承させたのであった。つまり、新しい契約への移行が為されたのである。
水のバプテスマを受けていた彼ら弟子らは、次いで「聖霊の賜物」を受け「新しい契約」に与り、真の「アブラハムの裔」として新たに歴史の舞台に産み出されたのであった。

彼らは聖餐においてイエスの体を表象する一枚の無酵母パンを食し、将来は彼と共に霊の体を受け継ぎ永生を得ることを、また一杯のぶどう酒に与って契約参入の許可となる血の注ぎを賜ったのである。


イスラエルの民の上に結ばれたこれら新旧のふたつの契約を二人の女に例えたのは使徒パウロであった。即ち、ガラテア書の中で描かれた不妊の妻サラとその若い女奴隷ハガルである。
ハガルはすぐに主人の子を産んだが、不妊のサラはようやくに神によって子を授かった。

さて、古いモーセの「律法契約」は多くの律法条項で人々を縛り、それに従う人々は外からの命令に従う『奴隷身分』の相貌を呈していた。

それに対して後に登場した「新しい契約」に基づく精神は、教条という外から命令を与えるのではなく、人の内面からの自発心によって己を規制するのであり、それを司るのは各人の「愛」であり、そこには闊達な『自由人』らしさがある。

時の経過が明らかにしたもの、それはモーセの律法契約は遂にアブラハムの裔を産み出すことがなかったのであり、ファリサイ派のように旧契約にどれほど固執しようとも、そのようなユダヤ人たちは遂にアブラハムの嫡子とはならなかった。

そこでパウロは、アブラハムの家の子を遂に産まなかった旧契約をハガルと呼び、聖霊を受けて義認され「神の子」と看做される人々を産み出すに至った新契約をサラと呼ぶ。
つまり、奴隷に生まれた奴隷の子イシュマエルが遂に相続者にならなかったように、律法に固執したユダヤ人はいつまでも隷属身分のままである。

そればかりか、ハガル母子がアブラハムの宿営から追い出されたように、メシアを拒絶し新しい契約に入らなかったユダヤ人は皆、神の経綸から除外されるに至ったのであり、それは西暦七十年のユダヤとエルサレムの滅び、そして続く二千年に及ぶ程の約束の地を離れた流浪生活が神の前での彼らの立場を表していよう。

パウロがガラテア書で指摘したように、血統上のイスラエル人、つまりハガルの子イシュマエルが現実的な肉の方法によって生まれながら、相続権を失い嫡出子を迫害して却って追い出されたように、地上の具象の城市エルサレムはメシアの弟子らを迫害し神の前から放逐されたのである。(創世記21:9-10/マタイ22:33-36)

他方、キリストを通し聖霊によって生まれたイスラエル人つまり、サラの子イサクが神の約束によって奇跡的に生まれたように、霊によって産み出されたキリストの弟子たちは、大いなるサラ、またの名を肉なる人間によらない象徴の城市『上なるエルサレム』、これが聖徒たちの母祖となったのであり、この次元の高い城市エルサレムは地上のどこか一地点を占めるものではない。また天に在るわけでもない。(ガラテア4:23/黙示録12:13)

したがって、中東に現実に残る城市イェルシャライムは、かつてを偲ばせ、また発掘する場所という以上のものではない。また、今日のイスラエル共和国を建てたユダヤ人に、今後将来の神の経綸に関わる何らかの意義を見出そうとする事も、人が真に注意するべきことから逸らさせることでしかないであろう。

今日、彼らから学べることには、その古来の言語の解釈や崇拝に関わる習慣の歴史などが残ってはいるが、畢竟そうしたことばかりであり、この民族が神の御旨の中に居た時代はメシア拒絶と共に二千年前に終わっていたのである。(ルカ11:49-51)

血統上のイスラエル民族の歴史の示すところは、出エジプト以来、神への信仰を保つことはなく常々心の頑なさを表し、律法を無視する時代の方がよほど長かったが、それはやがてバビロン捕囚という契約の破綻を刈り取ることなったのである。

つまり、モーセの律法契約という教条に従わせる崇拝方式は、イスラエルにアブラハムの嫡出子を産み出させることには遂に関わらなかった。これはまったく明白である。それゆえにもバプテストのヨハネが『神は、石からでもアブラハムの裔は興され得る』と、また『籾殻は焼き払われる』と警告していたのではなかったか。(マタイ3:9-12)

イザヤはそれを評してこのように言っている『女の出産の時が近づき、陣痛の重き苦しみに叫ぶ如く。YHWHよ、我らも同じく成りたり。我らも孕み陣痛を覚えたれど、恰も風を産むに似たり。我らはこの地に救いをもたらすことなく、この地に民の生まれ出ることも無し。』(イザヤ26:17-18)

そして後の世代のメシアの到来に際しても、イスラエルの体制は遂に真の意味での「アブラハムの裔」を産み出すことはなく、むしろユダヤ人のメシア拒絶は決定的にモーセの制度を終わらせた。(ルカ13:34)

しかし、ユダヤ人の少数の人々だけはイエスをメシアとして受け入れ『新しい契約』に与り、『水と霊から』新たな誕生を得て、キリストを通し『神の子』として遂に産み出されたのであった。彼らこそはアブラハムに約束された『諸国民の光』、『神の特別な所有に帰する民』となる人々であった。(ヨハネ3:5)

使徒パウロは、神の約束によりアブラハムの正妻サラの産んだひとり子イサクが真のアブラハムの裔であり、またローマ書では、これに相当する聖霊の賜物を受けたキリストの弟子ら、即ち『聖徒』たちもイサクのような隷属にない『家の子』となったと云うのである。まさに彼らの母はサラと言える。(ローマ8:14-15)

イエスは弟子たちにこう語ったものである。『奴隷はいつまでも家にいるわけではないが*。しかし、息子はいつまでも(家に)留まる。それでもし、(家の)息子があなたがたを(奴隷身分から請戻し)自由にするなら、あなたがたはまことに自由人となれるのだ。』(ヨハネ8:35-36)*(律法での奴隷の年季は最長七年)

つまり神から見て、人々は何時かは寿命を迎え去ってゆく奴隷状態のようである。しかし、神の御子は家の子であって奴隷のように去るべき理由をもたない。そのキリストが自身の血をもって彼らを奴隷状態から請け戻して解放し、自由人の身分を与えるなら、奴隷であった彼らも家の子の立場を得て『神の子』とされ、家から去る必要のない永生に入ることができる。

まさしく、キリストの犠牲によって買取られ、パンとぶどう酒に与る聖なる者たちは、神の選民となって人類の初穂として刈り取られ、人類に先立って『神の子』となるのである。(ローマ8章)

これは大きな転換であり、聖霊の賜物の下賜という奇跡の産みだした真のアブラハムの裔をパウロは『神のイスラエル』と呼ぶのであった。(ガラテア6:18)
こうして奴隷ではない家の女、象徴的正妻サラは多くの子らに恵まれることになる。それはアブラハムに約された星の数のように多いその裔の誕生である。

そこで使徒ペテロも、新しい契約を守る当時の『聖なる者』らに向かってこう言うのであった。
『あなたがたも、サラの子ら(テクナ)となるのである。何事にも恐れて怯えることなく善を行うならば。』(ペテロ第一3:6)



-◆終わりの日の聖霊--------
 

シュメール王朝期という人類史の初期からアブラハムとその裔に啓示され、神の力によって推し進められたきた偉大な経綸は何と息の永い生命力を持つものであろうか。
それはまさしく『とこしえからとこしえに亘る』という神の足取り、『死ぬことのない』神の息吹を感じさせる。

この神の御旨を蔑ろにしてよいわけもないし、神も新しい契約によって人々から『聖なる国民、王なる祭司』を買取り『神の王国』に入れる格別な民とすることには慎重であっても当然ではないか。

実際、血統上のイスラエル民族の多くはメシアに信仰を示さず、ユダヤ体制としてはイエスを刑死に追い込むことにおいて、はっきりとメシア拒絶を提示したのである。
一方、信仰を示してアブラハムの真の裔であることを示したユダヤ人は、イエスを紛うことないメシアとして信仰を示した僅かな数の弟子たちだけであり、神は彼らに聖霊を注いで信仰深いアブラハムに相応しい真の裔としたのである。(ローマ9:27-28)

これら『神のイスラエル』とも呼ばれるアブラハムの真の裔はメシア=キリストとの関係において、神から聖なる者となるよう選ばれた。したがって、それは神の選びであってもイエスがこれらの聖なる者たちを召し出すことにおいては、選ぶ権限を受けたことになるだろう。イエス自身が集めた者らについて『あなたが与えて下さった者ら』と呼んでいる。(ヨハネ10:27-29/エフェソス1:4/テサロニケ第一1:4)

帰天後の主イエスは、使徒らや初代の弟子たちに次々に神からの聖霊を注いで任命を施していった。
しかし、ひとつの世代が過ぎ行くほどの年月が経過すると、最後の使徒ヨハネも高齢に達して眠りに就き、初代の弟子たちもが墓に埋葬されるに従い、この初代の弟子らがまったく去ると、もはや地上に聖霊を注がれた者「聖なる者」は残されなかった。つまりキリスト自身が『王権を得るための旅に出立し』不在となった以上、そのとき以降、今日まで聖霊によるキリストの指導も中断されている。(ルカ19:12)


聖霊の奇跡の賜物を持つ者たちの数は、第二世紀の半ばにはほとんど絶え果てたように複数の資料が指し示している。また、第五世紀のアウグスティヌスすらもが、聖霊を持つ「聖人」とされる人々がこの時期に居なくなったことを認めている。

しかし、キリストが天から聖なる者たちを指導する聖霊の時代が終わる前に、イエスは使徒ヨハネに聖書巻末の預言の書「黙示録」の霊感を与え、永い不在の時代を一気に飛び越して終わりの日に関する啓示を記させた。それは十二使徒の中で最後に残ったヨハネに、自らの帰還に際して起こる事柄を伝えるという意義があり、再び聖霊を受ける弟子が現れることを知らせるものとなっている。

イエスは常々、ある者らが王や高官の前に引っ立てられるが、そこで彼らは聖霊によって語り、その言葉には誰も論駁ができないという事態が起こることを教えていた。それは為政者たちへの証しとなるだけでなく、広く諸国民もそれを聞いて同じく証しを得るためであるという。

キリストを罵倒する者でさえ許されるとイエスは言うのだが、他方で聖霊を冒涜する者にはけっして許しが無いと警告する。つまり聖霊を受けた「聖なる者」らによって世界に伝えられる聖霊の言葉にすら冒涜を加えるなら、それは永遠の裁きを被るのであり、その時は、即ち人類の「裁きの日」となるのである。

今の時点では、聖霊を注がれる者が誰なのかは分からない。しかしこれら聖霊を注がれた者らは、ひとりふたりと徐々に現れるのではなく、イエス刑死後の五旬節で弟子らに一期に聖霊が注がれ、エルサレムの街角に隠れ棲んでいた彼らが、一転して敢然とユダヤ人への宣教へと向かっていったように、将来も一時に聖なる民が現れるのであろう。

イザヤはこう言う。『地が一日のうちに陣痛と共に産み出されるだろうか。国民が一時に生まれるだろうか。というのもシオンに陣痛が起こって、子らを出産したのである。』(イザヤ66:8)

それゆえ、将来のそのときに至れば、聖霊が新しい契約を根拠に『聖なる国民、王なる祭司』の民を再び地上に産み出すことになり、その聖なる者たち即ち「聖徒」について、彼らを世が受け入れるか否かが次いで問われることになるだろう。
聖徒らの語る事柄は『神の王国』がその王となるべき方の臨在と共に到来していること、そこでこの王国に支配を明け渡すべく、為政者がその支配権を終えるように要求することになるだろう。つまり現実の支配権を争うことであるに相違ない。

それは、『神の王国』が人の心の中に在ると教えられてきた信者たち、また、信徒の努力によってこの世を改善して王国が達成されると考えてきた人々にとっては、衝撃を与えることになるだろうが、それでも聖霊の発言を信じて思いを改める機会は開かれている。誰でも謙虚に聖霊の声を聞き、心を頑なにせず、人の義を去って神を義を求め柔和になれるならけっして遅くはないであろう。

預言者ゼファニアはこう語っている。『神の定めを行うこの地のすべての謙遜なる者よ!YHWHを尋ね求め、義を求め、柔和を求めよ。そうすれば、あるいはYHWHの怒りの日に隠されるであろう。』(ゼファニア2:3)
また、使徒パウロは詩篇95篇から引用し『きょう、もしその方の御声を聞くなら、御怒りを惹き起こした時のように、心を頑なにしてはならない。』と言う。(ヘブル4:7)

将来に聖霊が語るとき、それを我々個人はどのように受け取るだろうか。イスラエル民族は神の言葉に逆らい続けたので神から『うなじの硬い民』と呼ばれたが、その心の頑なさは遂にメシアを拒絶するところまで進んでいったではないか。(出埃33:3)

そこには様々な動機があったろうが、イエスが多くの奇跡を行い、多くの抗弁不能の言葉を語るほどに、彼らは反発を強め敵意を募らせた。そこでは彼らの内心にあるものが焙り出されたと言ってよいであろう。つまり聖霊への態度によって裁かれたのである。イエスはこう語っている。

『わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。

誰も行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。』(ヨハネ 15:22-24)


同様にして、将来の裁きの日においてキリストの弟子の幾らかに注がれる聖霊が、人々を分かつ働きを為すであろう。その裁きは人の内心にあるものを焙り出し、かつてのように一人一人の行いによって自らの内面を明らかにするものとなるのだろう。



-◆将来のサラの出産-----
 

しかし、これらの事柄は本当に起こると言える理由があるだろうか。
「聖霊の賜物」を見ることが無くなって既に千九百年になろうとしている今日、ほとんどの人々は「聖徒」の概念すら霞んでしまっており、世を激震させるとまで云われる彼らの重要性はまず理解されていない。

キリスト教界は救世主としてキリストを看做すよりは、いつでも寄り添ってくれるコンパニオンのような慰め手、あるいはありがたい成功をもたらす個人の人生の導き主、また自分と親しい者の救いを確約してくれる神としていないだろうか。

このように自分に都合よく信じようとする如き、まるで公共善の大志を理解しない人々にとっては、聖書中に見られる人類救済の神の手段であるキリストとその王国の民「アブラハムの裔」は云わば余計なものとすら感じられるかもしれない。それもまた、信仰というその人の倫理上の決定であるから仕方のないことではある。

しかし、聖書を見るなら旧約の「預言者たち」、とくにイザヤには、自分たちの神に一心に聴かず、信仰を持たず、御旨を理解しないで心を頑なにしたイスラエルの民がバビロン捕囚という契約破局の結末に陥ることを警告していたのである。

そして、捕囚後には、その惨めな状態から神のみ力によって呼び出され、約束の地に戻って崇拝を回復するという事態の進展を預言され、それが女による出産と例えられてもいる。これは具体的には何を意味するのだろうか。

この件を預言者イザヤはこう語る。『「子を産まなかった不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らなかった女よ。歓喜の歌声をあげて喜び叫べ。夫なき女の子らは、夫ある女の子らより多いからだ」とYHWHは仰せられる。』(イザヤ54:1)

サラが不妊であったにも関わらず神の約束によって奇跡的にひとり子イサクを授かったが、天の星の数のようになってゆくと約束されていたが、実に象徴のサラの子らは聖霊の奇跡によって生み出されたのである。

そしてバビロン捕囚期にはエルサレム(女性名詞)は荒れ果て、神殿も失って恰も『夫のような所有者』を失ったかのようであった。これはキリストが不在となり聖霊の賜物も引き上げられた今日のキリスト教界に似てはいないだろうか。

しかし、新バビロニア帝国がペルシアに倒されると、荒れ果てたエルサレムのあるシオンの山は捕囚から帰還した人々を迎えて、ひと時に自分の民を得ることになった。

その回復の時についてイザヤは次のようにも語るのである
『その時あなた(シオン[女性名詞])は心のうちに言う、「誰がわたしのためにこれらの子らの父となってくれたのか。わたしは子を亡くした不妊の女。わたしは流刑にされ、捕われた者となった。誰がこれらの子らを育ててくれたのか。見よ、わたしはひとり残されていたのに。これらの子らはどこから来たのか」と。』(イザヤ49:21)

これは許された民の帰還であり、彼らは神殿を再建して崇拝を復興し、エルサレムの城壁を建て直してシオンの山上には再び神殿を戴く城市エルサレムが築かれることの預言であった。

この変化について神はこう述べている『「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その懲役は終わり、その咎は支払われた。彼女のすべての罪と引き替えに二倍(充分)のものをYHWHの手から受けたと。」』(イザヤ40:1-2)

『漲る怒りによって、しばらくの間はわたしの顔をあなたから覆い隠した。しかし、永遠に変わらぬ忠節をもって、あなたを慰める」とあなたを買い戻す方YHWHは仰せられる。』(イザヤ54:8)

また、このようにも告げられる『イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。わたしはあなたの違犯を霧によるかのように、あなたの罪を雲によるかのように洗い去る。わたしの許へ帰れ、わたしはあなたを買い戻すからである。』(イザヤ44:21)

こうしてバビロン捕囚という懲役を果たした神の民は、一転して神の祝福に入るというのである。
バビロンばかりではなく、地の四方に散らされた十二部族とレヴィ族がエルサレムまたシオンという地所に集まって来るのである。それは象徴的エルサレムを戴くシオン山『上なるエルサレム』であって、地上のどこかを意味しないであろう。

『御厳の主、大いなるYHWHはこう言われる、「見よ、わたしは手を諸々の国に向かって挙げ、旗印を諸々の民にむかって立てる。彼らはその懐にあなたの子らを携え、その肩にあなたの娘たちを載せて来る。』(49:22)

『恐れてはならない。わたしはあなた(シオン)と共に居る。わたしは日の昇る方角からあなたの裔を連れ登る。日の沈む方角からあなたを集める。北に向かって「引き渡せ!」と命じ、南に向かっては「留めるな!わたしの息子らを遠くから、娘らを地の果てから連れ登れ」と宣する。』

これらのシオンの息子や娘とは何者を指すのであろうか。
『わたしの選んだイスラエルよ!・・恐れてはならない・・わたしはあなたの裔にわたしの霊を、あなたの末孫にわたしの祝福を注ぎ出すからである。彼らは青草の中から出るかのように、用水路の畔にあるポプラのように生え出るからである』(イザヤ44:1-5)
神の霊により祝福を受ける者ら、それは聖霊を受けたキリストの弟子たち、つまり聖徒以外の誰に適用すべきだろう。

こうして、我々はバビロン捕囚からの帰還と崇拝の復興に関する預言が、単にその時代を一度限り予告したものではないことを知ることができる。

それは即ち、イエスの刑死後の五旬節の日に初めて聖霊を受け、神の子として義の内に受け入れられた弟子たちが、「新しい契約」によって水と霊から産み出されたその時をも含んでおり、更には我々の将来に起こる聖霊の再降下の日に生ずる「回復」をも指し示していると言えるのである。


今日のキリスト教界は「回復」を必要とはしていないだろうか。
初代と共に、聖霊の降下が終息して以降、キリストは王権拝受の旅に出立し、キリスト教は上からの指導のない状態に入っているが、教えは異教や哲学や無神論と混濁しており、信徒は信仰を要するこうした神の企図の大構造に関心も持たないように見える。

それは恰も神が『み顔を覆い隠した』かのようではないだろうか。

だが、こうしたキリスト教の現状に聖霊が再び注がれて聖徒たちが現れるなら、それはアブラハムの正妻サラに象徴される「新しい契約」が再び子を産み始めることであり、またその子らがこぞって捕囚から帰還するかのように一斉にエルサレムに姿を現すかのようになろう。「シオンの子ら」には奇跡の賜物が備わり、それが誰かを疑わせることはない。

もちろん、その聖なる子らがもはや汚れに塗れることはない。かつて捕囚から帰還するユダヤ人に神殿の祭具が返還され、バビロンから約束の地への帰途に就くときに関して預言された次の言葉は、未だに最終的な成就を待っていよう。
『去れ、去れ、そこを出よ、汚れた物に一切触れるな。その中を出よ、YHWHの聖具を担う者らよ、自らを清く保つべく留意せよ。』(イザヤ52:11)

聖霊を受ける者たちには神の教えの全体が啓示され、もはや異教的で蒙昧なキリスト教に留まる必要は何もないに違いない。そこには聖霊の教えがある以上、キリストを求める様々な者たちが一心に願ってきた神の是認の元にある間違いなく真実な教え、それが再び存在することになるであろう。

このキリスト教の「回復」またシオンの「慰め」(ナハムー)を主導するのは、エキュメニカル運動でもメシアニック・ジューでも、どんな人間の努力でもなく、聖霊を与えて諸国民にその合図の手を挙げ旗印を掲げる神ご自身である。

キリスト教徒は、誰もが利己心の芥の付着し、異教の汚れに塗れた「キリスト教界」を去って、捕囚の隷属から買い戻された民のように、新鮮な思いの下に浄められたこの崇拝に入ることを将来に期待できるのである。
サラの象徴である「上なるエルサレム」に向かっては街道が造られ、その道は平らにされ、そこを呼び戻されるシオンの子らが通ると云うのである。

彼ら真実な「聖なる者ら」『神のイスラエル』が聖霊によって生み出されて初めて、我ら諸国民が『神の民と共に喜ぶ』ことができるのである。 (申命記32:43)
それがもたらされるには、将来に聖霊を自在に与えるキリストの臨御を待つ必要がある。

これが具体的にどのように為されるかは未だ分からないが、イザヤ書などの「回復の預言」が既に充分にユダヤに起こったとは言い難い。
サラの子らの出産が、サラ自身にとっても意外な事態の進展であることが示唆されていることからすると、それを観察するすべての人にとっても驚くべき現れとなるのであろう。

この「子らの出産」また「回復」は、確かなアブラハムの裔である真のイスラエル、水と霊から産み出された象徴的正妻サラの子らを迎えることであり、遥かな歴史を越えて悠然と進む超越者の足取りを感じさせずにはおかない偉大にして絶えることのない生ける神の御旨である。






          新十四日派    © 林 義平
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ヨブ記の結論 唯一正しい宗派があるのか?


人は間違った宗教にわざわざ帰依したいなどとは思わない。
正しいと思えなければ、それを心底信奉することなどできるはずもない。

それだから単に風習化した宗教でもなければ、宗教に教え手として奉職する者は、自分たちを「正しい」として信者を得なければならない。それもできれば「唯一の」と差別化するなら、信者の獲得競争でより有利になることはまず間違いない。「唯一正統」の宗教がこうして乱立することになる。そもそも、宗教の正しさを証明する客観的方法が無いのでそれも可能であり、そのゆえにも社会が特定の宗教や宗派に肩入れする事が単なる不公平になると判断されるようになってきた歴史の進歩がある。
しかし、宗派なり教団なりが唯一正統であると主張されればこそ、信仰しようとする人の当然の欲求をくすぐり、正しい教えを奉じ宗派団体に所属することの満足感も与える。

しかし、宗教はひとつではない。
今日、世界に存在するあらゆる宗教や宗派はまことに多岐にわたり、それぞれに異なる信条を持っている。そこで「宗教の正しさ」には実は確証がない。死んでみないことには分からない教理も多く、「政治の正しさ」と同じように、宗教には科学や数学のように普遍的な正解は無い。それは人間個々の内面の最も不安定で扱い難い特質、「倫理」に関わるものだからであり、正解が無いからこそ多様な宗教や宗派が併立していられる道理もある。絶対がないことでは政治団体も変わらない。何を正しいと思うかは、人それぞれになるのが自然の道理であり、その人の価値観が尊重されなくては、人間らしい内面での多様な判断を奪うことになってしまう。

だがしかし、一神教らしい捉え方でゆくと、唯一の神が異なる信条で崇拝されるのを、ある人々は容認することができず、どちらが正しいかの白黒を必ず付けねばどうにも収まらない。
自分が見出した崇拝こそが唯一正しいとされているのだから、その人にとってはもっともな事ではある。

そこで対抗する派の存在そのものが、殊にそれが似ていたり優れていたりする場合、それは自らが信じる宗派を脅かし、延いては自己の確信の内に安住させてきた「自分の救い」のような最高利益までが不安定になってしまい、その人が信仰することで封じてきた疑念や将来の不安が再び顔を出してしまうから、それは一大事である。そのうえ、長年積極的に宗教活動して来たとすれば、真剣に費やした犠牲であればこそ、空しく消えるという冷酷な現実を認めたくもないに違いない。もはや、それは何が真実なのかを超えた損得勘定の問題となってゆく。

即ち利害問題、それもこの世の物差しで計れぬほどの大きく深刻な問題を心に起こさせるのである。

キリスト教では第三世紀の半ばのカルタゴの指導者キプリアヌスが、正しいキリスト教は唯一の伝統に属する教会だけであり、そのほかは異端としていたが、やはりその頃からキリスト教も多様な教えが有ったことになる。今日では使徒伝承ばかりでなく、聖書の字句に厳密に従うこと、また、不思議な業を行う事に神の是認があるとするなど、「正しいクリスチャン」の方々の言い分はそれぞれであるのに、『主はひとつ、信仰はひとつ』であるから、ふたつ以上の教えがあるなら、どれか一つが正しくて、それ以外はみな間違っている、ということになるようだ。こうして、その人々は、その「どれかひとつ」を見出してそれを守り通す必要に迫られる。(エフェソス4:5)

ある宗派は、唯一の正しい宗派を見出す方法というのを広報誌の記事にしており、山と積まれた藁の中から針の如きものを磁石を用いて探すことに例えている。

その磁石とは「聖書」であって、藁の如き無価値な数多の宗派があったとしても、正しい宗派は聖書に引き寄せられるというわけである。つまり、聖書という神の言葉と一致するものこそが、正しい宗派であると言いたいのであろう。

この例えを考え付いた人は、なかなか良く出来た類比だと思ったろうか。
だが、この例えの良く整った機知ある文面とは裏腹に、実は重大な欠陥が隠れている。

つまり、山と積まれた藁の如き雑多な宗派の集積の中に、本当に「正しい」あるいは「唯一の」宗派が必ずそこに存在しているのか否か、という仮定の是非は論じられていないのである。

別の言い方をするなら、「比較」というものは、幾ら行っても「絶対」のものを提供するという保証はないのである。

例えれば、許多の宗派を絶対を求めて消去法で選別してゆくとする。
聖書の内容に合致しないところのあると思われる宗派をバサバサと捨ててゆく、そうすると自分たちも含めて「何も残らない」ということも起こり得るのであり、その公算も小さくもない。何となれば、人間の不倫理性はどうにも拭えないからである。神の前に裁かれるべき罪人如きが、果たして「自分は神の真理を会得している」と誇れるのだろうか。

もし、少しくらいの自分たちの欠点は例外だとするなら、あるいは神が自分たちをいずれは糺されるだろうと思うなら、その身勝手で他人事のような言い訳はどこの宗教でも言えることではないか。つまり、自分たちは不完全で間違っているところもあるかも知れないが、「神に是認されているので正しい」というような論法で、その「証拠」を自分たちの敬虔さやら、道徳性やらを優れた教理の結果として挙げつらうとしても、そこには甘い身びいきと政治的配慮が無いとは言い切れまい。それらの「言い訳」が果たして真実に正統なものを提出できる態度だろうか。
神殿で崇拝された至聖の神YHWHが少しくらいの不正は見逃してくれるとユダヤ人が期待したろうか。彼らの悪行については、いずれは神に糺され清められると暢気に構えている場合ではなく、イスラエルは預言者を通してその悪を激しく糾弾され、契約中断のバビロン捕囚にまで至ってはいなかったろうか。

しかし、今日に神からの啓示も言葉も無いなら、人は「比較」によって「比較的良い」宗派を見出すのが精々である。聖書という神の御言葉があるといえども、多種多様な解釈ができる文章に対しては数式の解を求めるようにはゆかない。
もし、自分の宗派を選ぶのにおいて「比較法でも良い」というなら、諸宗派が五十歩百歩である現実を受け入れることを意味するのであり、「唯一正統」という看板はどうしても降ろさねばなるまいし、他の宗派をまったくの誤謬であるとか、まして自分たちは神のもので他は皆サタンのものであるとまで主張することは誇大広告の欺きと中傷の責めを免れまい。

より聖書に適った教えを追及することはたいへん結構なのだが、比較消去法で宗派を選別しようとすることは、所謂「ネガティヴ・キャンペーン」に成り兼ねないものである。
これは相手の弱点を突き合う抗争であり、他人を批判ばかりして自分の株を上げるような人物を世間一般でさえ尊敬するだろうか?

そのような「比較正統者」は、その正統の立場を維持するのに自分より劣ったと思える比較対象を必要とするので、外に攻撃すべき敵を常に作っていなければ「正統」を立証できなくなる。まして、より正しそうな相手でも登場しようものなら、そこから何かを学ぶなどの進歩の余裕もない、只々自派の存亡に関わるばかりであるから、何としても自分たち以上のものを存在させまいと情報を閉ざしたり、また欠点捜しの攻撃をする。

そこで、あちらの宗派はああだ、こちらの宗派はこうだ、とやっていないと自派の正当性が危うくなり、信徒が疑念を持ちかねない。けっして、神こそが正しく、人は皆等しく真理がない、などと「悠長な事」を教導者は言えず、そんなことを認めて「唯一正統」の看板を下ろそうものなら信徒が四散し兼ねないと思うであろう。

たとえ、神こそ正しいと認めても、そこに至るには絶対に自分たちを通さねばならない、とでもしなくては信徒喪失の心配がどうにも収まらない。だが、今の時代に「インターネットは嘘ばかりだから、検索だけはしないように」などと言うとすれば、それは一体どのような素性の人なのだろうか?詰まる所、気にかけているのは神の義や真理を探る事でもなく、ただ自分の正当性の方である。しかもその人々は「比較正統論」で絶対を主張し続けているのだから唖然とさせられる。
その誤謬の元は、現に存在もしない「唯一正統」という看板で不当に人集めをしてきたからである。

そのような美しくもない中傷闘争の勝利者が「唯一正統」の宗派であるのなら、その「正統」とはいったいどんなものなのだろう。
収税人とパリサイの祈りの例えのようなことになりはしないだろうか。

だが、「唯一正統」との主張と、「大まかに正しいと思える」こととでは決定的な違いがあり、前者では凝り固まった絶対の正しさのために、却って正しくもないことが暴露され、砕け散る危険を孕んでいるのである。


-◆懐古的憧憬-------------------------

それでも、いにしえのイスラエルのように、信ずる者は不完全であっても神の是認のもとにある集団や組織が、今も同じように存在すると食い下がるかも知れない。

では、そのような集団が存在するなら、人の宗教上の倫理性や救いは、その集団に占有されているのだろうか。つまり、神のみ前にその人々も不完全であるのにどこかが突出して素晴らしいのか?
ご本人はどうもそう思うらしい。パウロは『知識は高慢にならせる』と警告したが、教理というものは人を変えてしまうところが怖ろしい。そこには差別の罠が潜んでおり、たいていの信仰者がパリサイの傲慢に落ちてゆく。

だが、古代のイスラエルの場合も、神の民として「諸国民の光」となるべき神の目的に差し招かれたのであって彼らの功績でもなく、しかも、その益は「地上のあらゆる家族」つまり人類の全てに及ぶべきものであった。つまり、最終的に、他の人々の祝福のために存在した選びの民である。

しかし、その選民のように数えられて、神に是認されることだけが信仰における成功だと言うなら、その選民のところで神の善意は終わってしまい、人類祝福の観点は消えてしまわないだろうか。
それは神の人類への愛の広さを人間が狭く限定し、妨げようとすることにならないだろうか。

そのうえ、契約に選ばれたはずのイスラエルの歴史を見れば、彼らの大半が示した相応しくない振る舞いは苦難という応報となってゆき、是認されているとの期待に反して、やがて神からまったく退けられてしまった。彼らは他の民と比べて優れるどころか、律法の『呪い』を背負い込んだのである。果たして、その集団に所属することがその人々を救ったろうか?神はむしろ性質の良い部外者である異邦人に手を差し伸べなかったろうか?

却って、彼らは神との契約関係にあったことを誇れず、むしろ、その「正しい宗教」の失態から後の世代も諸国民も学んでゆかねばならない。イスラエル民族に懐古的憧憬を懐く気持が強いと、彼らの行動の真相に目を瞑ってしまうことがあり、学ぶところを間違える。彼らの失敗こそが教訓だからである。聖書に書かれた祝福よりも悪への戒めの方がどれほど多いことか。

しかも、イスラエルは諸国民全体を祝福する神の選民であったので、そこには人類全体を覆う神の善意があり、どこかひとつの集団に属する優れた者だけに神の是認があると言うなら、やはりそこには大きな見当違いがあり、関心の向かう対象がまるで違うのである。

その善意の延長線にキリストによる「新しい契約」があり、それも「神の王国」という人類救済の手段を体現するものであった。したがって、各キリスト宗派が小異を争う事態は神の意志からは逸脱しているというほかなかろう。 それとも、神がその宗派と専属契約を結んだとでも言うのだろうか?

広く人類の救いの達成を計画してきた神は、結んだ契約のそれぞれに自らの証しをはっきりと置いてきたのである。つまり神と人々との専属契約の認証印といえるものである。いや、実印というべきか。

モーセの律法契約にあっては「証しの箱」であり、その上には雲と火が存在し、それは民を導くもので誰もが見ることができたし、至聖所の箱の蓋の上にも奇蹟の臨御光もあったという。その箱そのものも「契約の証し」となっており、ひとたび契約を結んだゆえにイスラエル人が人類共通の罪ある者であっても、神が特別にこれに同行し、肩入れすることを奇跡の力を以って異邦人にも公示したのであった。しかし、その目的と云えば、人類全体を救うためであったのだ。その点「選ばれた者ら」は人類の公僕のように利他的でなくてはなるまい。

そして後の「新しい契約」には「聖霊の賜物」という証しがあり、その超自然の能力は神の是認がイエス派に移ったことを示し、同時にそれを得た者たちの義なる身分を証したのである。(エフェソス1:13-14)

これらは見紛うことのない神の後ろ盾であって、もしこれが藁の山の一角に存在していると言うなら、その藁山は神の圧倒的な証しのために燃え上がってしまうであろう。(ゼカリヤ10:3)


それでも、「聖霊の賜物は廃されたのだ」とパウロを引用して、抗弁するだろうか。

その箇所はパウロが愛アガペーを強調している文脈であるが、殊更に賜物の廃される時がいつかを説明してはいないだろう。(コリント第一13:8)
むしろ、福音書は一致して終わりの日に聖霊を受ける者らが、その奇蹟の発言を為政者と全世界に向けて宣告することを再三述べてはいないだろうか。(マタイ10:17-20)

しかし、そのような奇跡など起こって欲しくないというのが、聖霊を持たない現代宗教家の正直な本音ではないだろうか。「信じた者に聖霊は降る」というのは使徒の世代が去るまでのことであり、コリント第一書簡の十四章にあるような奇跡の崇拝は、エウセビオスの「教会史」が書かれた四世紀には既に過去のものであったことは証されている。聖霊は為政者らの前に引き出された弟子らに降る終末まで意味を持たず、「聖書に書いてあるから、信者に聖霊がある」というのは『聖霊』の冒涜に等しい余りの無理解ではないか。薄弱な心理作用と神の力の顕現を同じにして良いものか。
将来このようなキリスト教指導者が、実際に聖霊の降下するときに自分の義にこだわって聖霊の言葉に逆い、神に敵対するものとはならないことを願いたい。

それとも「真のクリスチャンは愛によって見分けられる」とでも言うだろうか。それが『よい木の実』であると。
しかし、キリストは『愛によって人々はわたしの弟子であることを知る』とは語ったが「弟子の真偽を見分ける」などとは言っていない。もし、見分けられるようなら、皆が罪あることでは同じ程度の諸宗派がこぞって愛の業を競い始めるだろうが、その暑苦しい争いに初めから愛などはない。

また、福音書で「優れた木の実」を生み出せないのは腐った『偽預言者』とされているのであって、本来キリスト教徒同士が真偽を争い互いに断罪し、皆が皆『食い合う』ための比喩ではないだろう。そんなことをすれば、キリスト教は優越感と蔑視の屈折した教えを説いていると外から見做されないだろうか。(ヨハネ13:35/マタイ7:15-20/ガラテア5:15)

あるいは、兵役の拒否などの実績を誇って、「真のクリスチャン」の証しとするなら、それは業を誇って自己を高める以外の何であろうか。敢えて、自分たちの教えが正しいからこれをなし遂げられた、などとするなら、他の人々が同じようにするときにはとても喜べたものではない、却って「正義の危機」であるから更に一層の「善行」を必要とし、それはつまらぬ「正義を造る」競争に人を駆り立てるであろう。
キリスト教で真に学ぶところは、誰かが善良に見えても『人は業によって義とはされない』ということであったはずである。(ガラテア2:16)

さて、キリスト教徒とはそのように業を誇って争う人たちであったろうか。むしろ、それではパリサイ派ではないのか?(ガラテア5:26)


-◆キリストの不在-------------------------

多くの「唯一正統」のキリスト教を望む信者であっても特に肯じることが難しいのが、今日の「キリストの不在」という概念であろう。自らの救いを求めてやまない彼らは、現状でキリストの間違いの無い指導に下に何としても居たいからである。(ヨハネ16:7/ルカ19:12)

しかし、世に居ない者を居ることにはできない。
世にキリストが居ると主張するにしても、いったいどんな証拠を提出するのだろうか?根拠の薄弱で少女趣味的な「内在」か、あるいは自己満足的思い込みの見せる心理作用か、人間の起こす世界情勢の印なのか、

他方で「聖霊」とは、紛うことの無い神の威力であり、キリストが帰還するときには、聖霊を受ける弟子らが存在し、先に述べたような為政者との聖霊の発言を巡る命がけの対峙があると述べているのである。それは明瞭で客観的証拠となる『真理の霊』である。(ヨハネ14:14)

それが政治家たちと諸国民への広範な「証し」になると主は云われる。
この神の力による世界宣教の時ともなれば、キリストが不在であろうはずもない。そこには聖霊の奇蹟の力がはっきりと神の経路として立ち現れている。そこには人類全体に及ぶ偉大な公共善の大志がある。

それにも関わらず個人やグループの「狭い救い」を願っていてよいのか。それは所謂「ご利益信仰」ではないのか?
「いや、それゆえ世界に向けた伝道に邁進している」と言うかも知れない。
では、神が聖霊を通して偉大な宣教の業を為そうとされる意志も予告も聖書記述から知ってなお、「直接には人間の世界伝道でそれを成し遂げてゆく必要がある」とするとしたら、それは聖霊を侮ってはいないか、「神の手は短い」というようなことにはならないものか。

神は、やがて『天地を激動させる・・するとあらゆる望ましい者たちが(神殿に)入って来る』と予告している。(ハガイ2:7-9)
まさか、聖霊もない人間の伝道活動で『天地が激動する』とは、さすがに言えないとは思うが、このように偉大な神の行動を前に、人間の造った宗派の業や唯一の正統を称え、些細な教理の根拠をあれやこれやと掲げて、正義の占有を主張するとなれば、まことに滑稽なことではないか。

それは、イエスが安息日を守らないからと自分たちの細かな義の基準に近視眼的に固執して、メシアの価値を見誤って退けたパリサイ派に似てもいるだろう。(ヨハネ9:16)

唯一正統を唱える宗派の現時点にあっては、主人が不在であるのを良いことに、その意志を汲まずに自分が正しいから従えと命じる『仲間をたたく奴隷』に彼らは似てはいないだろうか。そのようにして聖霊もないのに主人が帰って来ていることにして、その権威を横取りし、仲間を奴隷化してはいないものか。その劫罰はさぞや重いものになることだろう。(マタイ24:48-51)

しかし、もし神の聖霊の発言を前にしてさえ、なおも彼らが、「神もキリストも自分たちの側に立っており、正しい自分たちを通してでなければ誰も救いに至らない」と言い続けるのであれば、これは神と人間という価値の倒錯であり、何と恐ろしく危険なことであろう。

使徒パウロは、『たとえ、人間がことごとく偽りであっても、神こそが真実であるように!』と、真理の在り処をはっきりと示した。(ローマ3:4/詩篇51:4)
山上の垂訓でキリストが『王国と神の義を第一に求めよ』と命じたように、キリスト教徒の求めるべき正義は『神の義』であることは明白であり、それを前にして「人間の義」にどんな意味があるだろうか。(マタイ6:33)

人が信仰を持つに当たり、一心に神の意志を探るのではなく、自分の救いや願いを優先させていながら果たして『神の義』を見出すことができるものだろうか?
そのような願いのなかには。「自分の宗派だけは正しくあって欲しい」という人の意志も含まれるだろう。そこで神意は無視されるのである。


-◆優越感という罠----------------------------

キリスト教徒は、人類は皆が神の前にキリストの犠牲の贖いを必要とする「罪人」であるということを認める必要があるだろう。

他方、聖霊を注がれた聖徒については、その聖霊の下賜そのものがキリストの贖いなくしては与えられないものであるゆえに、神はまず、彼ら聖徒たちだけを地上に居る状態から贖ったので、彼らには『有罪宣告はない』とパウロは言うのである。(ローマ8:1)

しかし、彼らの立場は不確定であるゆえに「契約」が求められ、キリストを仲介に『新しい契約』が取り結ばれたのであり、それは彼らがいまだ罪ある肉体でいる内から、仮の義認を貸し出された状態にあることを示している。

契約によって先に贖われた彼ら聖徒は、人類の『初穂』であり、その立場が格別なものであることを「聖霊の賜物」が証ししたのであり、パウロは「聖霊の賜物」が、天でキリストと共になることへの『事前の約束手形』であるとも書いている。(ヤコブ1:18/ローマ8:19/エフェソス1:14)

彼ら聖徒は、肉体にある生涯の中でキリストへの忠誠を全うし、生死に関わらず汚れない処女のようにキリストの帰還に際して自らを捧げられなければならない。それが彼らの試練となり、裁きをもたらすものともなるのである。(コリント第二11:2)

こうした聖書の言葉を、闇雲に自分に語られたと思い込み、「聖霊の賜物」がないのに自分が信仰によって義認されており、救いは確実などと思うだろうか。偉大なるキリストの自己犠牲を前にした利己心とは滑稽の窮みである。

そのような「信仰」なら、信じる者にに幸福感を与えるかも知れないが、同時に他の人々に対して優越感をもたらすことは避けられない。

自分にあると思う救いや是認が、それの無いと思える人々に対しては憐憫を感じさせ、再び自分の立場に感謝を懐くのである。これでは、イエスの例えにある「パリサイ人の祈り」そのものではないだろうか。(ルカ18:11-14)
この点、「唯一正統」を唱えるなら、この優越感から逃れる術はまず無い。

その優越感の淵源はどこにあるかと問えば、パリサイ派と同じく「自分たちが正しい」という「人間の義」以外のどこにあるだろう。

このような信者が世人に向かって伝道を行うとしても、その宣教を受ける側の人々は、その「クリスチャン」方の優越感と「憐れみを垂れる」姿勢とを非常に敏感に捕えられ嫌悪されるのだが、それが分からぬ伝道者に成功はまず無い。いや、同じ「優越感」に魅力を感じたいと思う「仲間」だけは幾らか得られるだろうか。

一方で、真実の「神の義」は人間を不公平に扱うことはなく、同じように「罪」ある誰をも優越感に浸らせるものとはなり得ない。「神の義」は人ではなく、神の真実性を証しするからである。

ただ、聖霊が注がれる聖徒にあってのみ、真正な教えが与えられるにせよ、聖徒らには人類の救いのための命がけの行動が求められ、けっして自分の救いに安閑となどしていられようわけもない。そこにはキリストのような神と人類全体への熱意と製錬の過程が求められるが、一宗派が正しいか否かなど、まるで無関係ではないか。(マタイ10:38-39)

それでも、凝り固まって自分たちの宗派の正義感や道徳基準の良好さから、神の是認や救いが自分たちにあると断じてしまうだろうか。

まだそう主張するのなら、ヨブ記が教えてくれるだろう。


-◆ヨブ記最大の教訓------

ヨブ記の冒頭では、神とサタンによってヨブの善良さを巡る論争が起こされる。
サタンは二度、ヨブの幸福な境遇を激変させて彼を試みるが、ヨブは災いの理由を知らされなくとも、けっして神を呪うようなことをしなかった。彼の善良さは真実のものであった。

また、ヨブの三人の友が、神は義なる者を悪くは扱わないに違いないから、ヨブには知られていない悪があるに違いないと彼を検閲するのであったが、それは彼の苦悩を増すことにしかならず、却ってヨブは彼らの審問にも打ち勝ってしまう。

ここで話が終わるなら、サタンは神に忠節な道徳者を試みるから、それに負けてはならないという結論も可能ではあろう。まさに、ヨブこそは偉大な模範者であり、彼に倣えとばかりに、信ずる者らはその後塵を拝するだろうか。

だが、サタンの試みも、友人らの検閲もヨブ記全体からすれば前座に過ぎず、実は、本論に入るための舞台装置でしかない。

これらふたつの試みは、共にヨブという人物を際立たせる役回りを負っている。サタンと神の論争では『彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない』とヨブが描写され、三人の長老らの延々と続く審理でも、最終的に「ヨブの義」は友らをまったく沈黙させる。

こうしてヨブという人物が余すところ無く描かれ尽くし、本論に進む準備は整った。
ヨブのような者は、地上には他に居ないと神が豪語するほどの義なる者であり、そして実際、見事にサタンの試練に打ち勝って見せた。そのうえ友らの執拗な審査にも堪える道徳的模範者である。こうして「ヨブの義」は確立され、もはやゆるぎないように見えた。

しかし、ヨブ記の真骨頂が発揮されるのはここからである。
この書の分水嶺まで来ると、新手の登場者エリフがそれまでにないことを滔々とヨブに語り始めるのである。

『神が答えないからといって、あなたはどうして神と争ったのか』。(33:13)
『神がそのみ顔を隠されるときに、いったい誰がそれを見られるだろう』(34:29)
『あなたは言った、「わたしの義は神に勝る」と』(35:2)

エリフは、ヨブが三人の友の審問に弁明するうちに、自分を正しいとする余りに神の義を押しのけてしまったと言うのである。(32:2)
つまり、神不在の中、ヨブが苦難や中傷と戦う間に自分の正しさを強調し続け、神からの視点を失い、自分はこれほど正しいのに神は不公正に扱ったと、自分の義に固執していたのである。それは正しさの仮面をかぶっていながら神の前には少しも正しくはない。

エリフは言う。
『あなたが罪を犯したとしても、神に対していったい何ができよう。
 あなたが叛きの罪を多くしても、あなたは神に害をなし得ようか。
 
また、あなたが正しくても、あなたは神にいったい何を与え得よう。
 神は、あなたの手から何か善を受けられるだろうか。

 あなたの悪は、ただ、あなたのような人間へのもの。
 あなたの正しさは、ただ、人の子らに関わりを持つだけのものに過ぎないではないか。』
 (ヨブ35:6-8)

やがて、神ご自身もこの論争の場に大風に乗って臨御なさり、ヨブを諭すことになる。
『あなたはわたしの裁きを無効にするつもりか。
 自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。』(40:8)

これには、さしもの最高道徳者も返す言葉が無い。
『私は自分の言葉を撤回し、塵と灰の中で悔い改めます。』(42:6)

この悔いの言葉が限りなく重いのは、かのヨブの発言であるからに他ならない。
ヨブを巡る神と悪魔の論争の決着などはもはや語られてもおらず、「わたしが間違っておりました」と認めたのはサタンではなく、ヨブ自身であったのであり、そのラストが描く如く、ヨブ記の論点は彼自身の『義』の問題であって、人間の道徳性の限界を知らしめることにあったことは明白である。

さて、「唯一正統」の宗派を自認なさる方々は、その道徳性においてヨブに勝れるものだろうか?

「我々が正しいので、必ず神は我々の願うようにしてくださる」などと言えたものだろうか?
ならば、その派の義は神を縛るほど強いことになり、ヨブから何も学んでいない。

むしろ、自分たちが「正しい」と主張することにおいて、ヨブ以上に神を差し置いて、関心を専ら自分に向けて舞台の主役となってはいないだろうか?

この点、エリフの指弾は自論に固執したヨブの友らにも及ぶ、『それにしても、誰も語らなかった「わたしの偉大な創造者はどこにおわすか」とは』(35:10)『「わたしが語りたい」などと神に向かって言われるべきか』(37:20)


では、試みの窮みの後にヨブの得た教訓から何を学ぶべきだろうか?

実にそれは『あなたは、ひたすら神を待つべきである』というエリフの言葉に要約されているだろう。(35:14)
この諭しはきわめてシンプルかつ強烈である。
即ち、罪ある人は誰も(ヨブでさえ)真理も正義を持ち得ない、それゆえ神を待つべきである、と言っている。

人は神の裁きに法則性を見出そうとするものである。自分は裁かれずに天国や楽園に入りたいからであろう。そこで神の道徳規準を自分で定めて、そうすれば是認を受けられると唱えることがあり、また年代計算をしては神の行動を予知しようとする。だが、どうして神がそれに従わなくてはならないのか?
その動機は、自分が安心したいのかもしれない。だが、どんな人も裁きを前にした『罪人』であることに変わりはないのが現実ではないか。

ヨブ記の中で、他ならぬ神ご自身がこう言われる。
『だれが先にわたしに与えたので、わたしはこれに報いるべきか。天が下にあるものは、ことごとくわたしのものなのだ。』(41:11)
奥義の家令たる使徒パウロがこれを引用して『ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。』というのである。どうして人が神の裁きの定めをどうこう言えようか?(ローマ11:33)

神の沈黙をよいことに、神を待たずして自己の義を立てるなら、神が到来するときに悔い改めねばならず、大いに恥をかくであろう。それでも、まだ悔いるなら道も開けよう。振り上げた拳を下ろすだけの潔さがあるならば、神は『死すべき人間にご自分の義を取り戻してくださる』。(33:26)
しかし、聖霊の発言による「神の義」を前にしてまで、人の義を立て続けるときには、それは恐ろしいことになるだろう。


こうして見えてくる結論は何か?
即ち、キリスト教徒の行うべきは、「唯一の正しい宗派」を探すことでも、他の人々に優越感を懐くことでもない。

ひたすら『神の義を第一に』求め続けることであり、人間が持つわけもない「真理」に安住せず、それを『求め続け、敲き続ける』ことにある。
もし「唯一正統の宗派」への所属に安心を見出しているなら、それはこの点、まったく危うい状態にあるだろう。

その人の関心は結局のところ自分に向かっているのであって、神を求めその意志を探ろうとする気概に欠けるからである。
やはり、絶対的宗派を求める動機には利己心があり、ひたすら神を待つよりは、自分の救いを先に何とか確定したいということではないのか。

対して、キリスト・イエスは『わたしは何事も自分からはできない』と宣い、この「大能の神」で在られるみ子であっても『すべて父から聴く通りに行う』とも言われる。
我らの師の求めることは、命を賭しても『父を尊ぶこと』であったのだ。
この違いは何と言うべきか。

もちろん、人にはそれぞれにより信じられる事があり、今はそれを信じるより外ないが、それも人間の観点からのことであり、それを神の真理にも正義にも仕立て上げるなど、罪ある人間の限界を超えたことで、けっして出来ようはずもない。「唯一正統」の看板は是非とも降ろされなくては、ヨブに遠く及ばぬ亜流と成り果てるであろう。

そこで人に必要な事は、常に「神の義」に対して心を開き、自分に固執しないニュートラルな謙虚さである。
自分が「唯一正統」のような立場に立ったと信じ込むという、そのことが、既にヨブの踏み込んだ岐途に立っており、それが無益な歩みになってしまうことを、ヨブを最たる例として、我々はモーセ以前の古代から教えられていたのである。何とも畏れ入るばかりではないか。是非とも神の前に頭を低くしようではないか。


ヨブの教訓に従い、心の閂を引き抜いて『求め続け、敲き続け』ているところに『聖霊が渡される』のであろう。(ルカ11:9-13)
聖霊を持つ者こそに真理は知らされ、聖徒として贖われた彼らこそ神の義の代弁者となる。
そうで無いのなら、皆が人の正義で五十歩百歩の無益な言い争いの中に居るだけでしかない。

キリスト教徒にとって重要なことは、如何なる宗派に属し、如何なる教理を信奉しているか、という処にはなく、その人の心が神と己のいずれの方を向いているのか、ということにあるだろう。

人ではなく神を求める姿勢があるなら、神の語るときに心柔らかに一心に聴くので、それまでにどんな宗派に属し、どんな教理を信奉していたかは幾らも問題とはならないであろう。そのこころは羅針盤のようにどこに在っても神の方向を示すのであり、その道は人の欲にも宗派の独善にも惑わされることはないに違いない。

この精神態度は、どんな教派に属していようとも、今この瞬間からでも培い得るものに違いあるまい。
人間の持てる正しさの上限は、神にこそ正しさがあるというキリストに倣った認識の中にある。(ローマ3:4)

宗派の枠にとらわれずに、この認識を持てる人々がいることを願ってやまない。
誰もが、「正統」を詐称する死すべき教師の奴隷となっている必要などはない。

たとえ今現在、「唯一正統」を唱える組織に居るとしても、その人の見方をこのような謙虚なものに変化させることを留めることは誰にもできない。
『真理が自由にする』とはこのようなことではないのか?(ヨハネ8:32/コリント第二11:20)



    新十四日派   林 義平   jst
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 ヨブ記の舞台裏と意義

 善きサマリア人の譬え

    教理控制

 アンブロジウス 俗世との岐路に立った男





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 ヨブ記

神名浄化の至上命題「シェム ハ メフォラーシュ」


エルサレム神殿の破壊のために
その後の世代で謎となった神の御名
聖なる四文字”YHWH”
ShM3stl

上に掲げたこれらの四つの文字が
ユダヤ人によって「ハ シェム ハ メフォラーシュ」[השֵׁם המְפֹרָשׁ](以下ShM)と呼ばれるところの、聖書に刻まれたイスラエルの神の聖なる名を表している。
(上から、フェニキア式、北セム式、アラム式)
右から左に読み、それぞれの文字名は「ヨド・ヘー・ヴァヴ・ヘー」であり、すべて子音字であり母音は読み手によって補われる必要がある。

それは四文字で構成されるのでギリシア語式に「テトラグラマトン」とも呼ばれる。
だが不思議なことに、この四つの子音字にそれぞれどんな母音が補われ、何と発音されるかを知る者はキリストの世代までは間違いなく居たのだが、今となってはこの世に誰ひとり読める者がいなくなってしまった。

古、旧約聖書においてモーセに示され、十戒の初めに自らを明かすこの名を有する対象こそ、アブラハム、イサク、ヤコヴの神として交渉を持った「エル・シャッダイ」であるとされ、シナイのホレブの山麓で燃える柴の中からモーセに語り、以後の恒久的な名を יהוה[YHWH]とされた。後には律法契約の当事者としても特定されてきた神の名である。
モーセは自分の身近な者にはその神名に由来する呼び名に変更し、母をヨケベトと呼び、同族レヴィ族の族長ホシュアをヨシュアと呼び改めている。以後、名前の先頭に「エホ」や「ヨ」を、また末尾には「ヤ」を付けた多くの名が生み出されることになる。

神名は新約においても畏敬されており、「主の祈り」の冒頭で「御名が崇められますように」と祈りの初めに掲げられ、この名はキリスト教徒にも第一の関心事となるべき祈りの場所を占めてきたのではある。

しかし、このイエスの教えた祈りの筆頭を成す「御名が崇められますように」の意味するところを、どれほどの人が意義ある認識を以って祈っているかとなれば、薄ら寒いものを感じる。

クリスチャンが、「ハレルヤー」[הללו־ יה]と歓呼の声を上げるときの最後の「ヤー」 [יה] という発音が何を意味しているかといえば、YHWHの略称*「ヤハ」であり、実にその名を「ハッレル」(賛美せよ)と叫んでいることになる。(*この音が本来の神名に含まれるものかは不明)

しかし、神名がキリスト教徒の意識に上がらない理由は、ローマ国教化と共に嫌ユダヤ的に変質した教理にあり、既に変わってしまったものが古来、政治的権力を後ろ盾に「正統」の地位を占めてきたからであるので個々のクリスチャンに責はない。また、新興の宗派がこの代替名を強調してあまりに頻繁に使用することが、逆に忌避させるものとなってしまっているようだ。

キリスト教の指導者の中には、聖書に散見される「神名」とは「神の特質」のことであると教える方もあると聞く。
だが、イザヤ42章8節でこの神は『我はYHWHなり。是は我が名なり。我は、我が栄光をほかの者に与えず』。と宣言する。
この神自身の言葉に不明瞭なところがあろうか?
[יהוה]"YHWH"こそが聖書の神の固有名であり、創造の神が自らの名乗りをしたというイスラエル民族に明示された事実は、何を以っても覆すことはできないほど聖書に刻み込まれているのである。もちろん、これほどの回数ほど現れる名も他にない。

しかも、それは単なる名称というに留まらず、このシェム ハ メフォラーシュに神の恐るべき至上命題が孕まれているというのは、以下に述べるようにけっして誇張ではない。

旧約聖書の詩篇には
神に向かって『あなたを知らない異邦人と、あなたの名を呼ばない国々の上にあなたの怒りを注ぎ給え。』と願う祈りがある。(詩篇第79:6)

また、新約聖書には
『主(YHWH)の名を呼び求める者は、皆救われるであろう。』と旧約の預言を引用して更に語っている以上、これは未だ成就しておらず、『この世』の終りに向けた予告であろうことはまず間違いがない。(使徒2:21)
これらは、共に人々の裁きに関わっている。

この聖なる名に込められたもの、それは神の啓示された目的の中で最も優越されるべきものであり、人間の救いに勝り、キリストの王国が成就する事柄をも超えるもので、創造神の『生けるものと死したるもの』のすべての生殺与奪の権限が込められたものである。即ち、その名に「裁き」と「救い」、「死」と「命」がある。
しかも、この選別は最終的にこの名の持ち主である神自らが成し遂げるというのである。(創世26:3/黙示20:11-15)

この記事では、神名が今日どのような状態にあるか、そのいと聖なる御名の由来と、そこに込められた至上の目的を書き出すことにしよう。



-◆失われた音--------------------

これは聖書の神の名、つまりアブラハムら父祖に現われた神であり、モーセの時以来の創造の根源者の固有名とされてきた*。(出埃6:3)
また、律法契約などの旧契約とキリストを仲介者とする「新しい契約」でも当事者を特定する名でもある。(エレミヤ31:31)*(創世記にもShMが存在するのは、モーセ以降の後代に再編纂されたためである)

この神名を表すその四文字は、ヘブライ語の聖書古写本に七千回近く用いられ保存されている。そのSHMは、英字で”YHWH”と置き換えられることが多い。

モーセのとき以来、イスラエル民族に示され発音されてきたこの神名であったが、今日では、これを古のように読むことは誰にもできなくなってしまった。あろうことか、忘れ去られたのである。

その具体的な原因は、捕囚帰還後のユダヤ人が神の御名を神聖視して、その名を神殿以外の場所での発音を禁じ、それも年に一度の『贖罪の日』に限定したことが挙げられるが、この禁令が無かったなら、神の御名が今日まで知られたのかも知れない。
加えて、この捕囚に至る時期にイスラエル民族は契約の箱『アーロン ハ ヴリート』と聖籤『ウリム ヴェ  トンミム』も失って以後戻っていない。これらが示すところは、捕囚以後のシナイ契約の不確かさともいえよう。


パレスチナ帰還後のSHMの神聖視は聖書翻訳にも及び、ヘブライ語から離れて外地で暮らすギリシア語を話したイスラエル人や異邦人の改宗者のために作られた「セプチュアギンタ」と呼ばれるギリシア語聖書のごく初期写本の中で、神の名を音訳はせず、そこだけヘブライ語で記したので、外地のユダヤ教徒はそこを発音せず「主」や「神」と読むよう促され、すぐにSHMも記されなくなっていた。原因はヘブライ語を読めないディアスポラの民が、そこをギリシア文字に似ているという理由で「ピピ」と読む体たらくで、これには至聖の御名を崇めるユダヤ教徒の激しい怒りを買うところにあったとされる。

こうして御名を神聖視する過程で、YHWHは「シェム・ハ メフォラーシュ」、つまり「あるがまま(固有)の名前」と呼ばれ、他方「アドナーイ」(「主」[複])や「エロヒーム」(「神」[複])は「シェモート」(〈仮の〉「名」[複])とされ、神名はシェム[単]とシェモート[複]に分けられるに至った。

セプチュアギンタの殆どがシェモートで記される聖書写本によれば、紀元前3~2世紀のごく初期にこの分離が現れ、また迅速に完成されたようである。

 

だが、YHWHの痕跡はイスラエル内外の各地から出土する碑文にも刻まれており、より古代にはヘブライ人ばかりでなく、周辺の諸民族の間でも平素一般に会話の中で発音されたイスラエルの神の名であったことが覗える。

しかし、今やこれがユダヤ教やキリスト教の聖なる神の固有名であるのに、これを何と発音すべきか分からない事態に陥っているのである。 


しかもこの事態をもたらした発音制限の掟は、捕囚後の特定の期間に至って始められたものであり、メシアの現れが近付くまでに完了していたという事ができる。以後、ユダヤ人にとってYHWHを神殿聖域以外でそのままに発音することが『恐るべき』冒涜を意味するまでになっていたことはヨセフスの著作からも覗い知れる。(ユダヤ戦記V:X:3)

即ち、キリストが現れる頃までに、当時伝承されてきたと主張されていた口頭伝承の収集名目の乱造に努めた「タンナー」と呼ばれる律法学者らの教えが「ミシュナー」として仕立て上げられるに従って、この聖域以外での発音の禁令はユダヤにすっかり浸透していたのである。
その習慣の背後には、単にユダヤ人が神名を至聖のものとして崇め奉るばかりでなく、帰還後のユダヤのYHWH崇拝に関わろうとした割礼の民サマリアやモアブに対するユダヤの優勢を誇ろうとの意図があったのかも知れない。即ち、神名を知らないために神からの怒りを被る異邦人に類別するためであり、この時期のユダヤ人のサマリア人排撃には強硬なものがあったことが知られているからである。⇒「アリヤー・ツィオンの残りの者」

サマリア人は聖域に入ることをユダヤ人に阻止されていたので、無割礼の諸国民と共に数百年間神名を聴く機会から遠ざけられており、ヘロデ神殿の消滅後ユダヤ人が失った神名の発音を保存することは、やはりサマリアも出来なかったのである。

対して、メソポタミアのシュメルの神々の名は、マルドゥク、その妻のザルパニトゥ、その子ナブー。また、聖書の神に対抗したカナンの神の名バアル、その妹にして妻であるアナト。時代が下ると、モアブ人の神ケモシュ、アンモン人の神モロク、フィリスティア人の神ダゴンなども我々は知っている。しかし、いずれも考古学上の神々であり、信仰の対象であった時代はとうに過ぎ去った歴史の遺物である。

そこで今日までも広く崇拝されるヘブライの神YHWHに関しては、特別な経緯を辿ったことになる。
つまり、多くの古代神は名を知られながら崇拝されていないが、YHWHは名も知られずに崇拝されているのである。

やはり、母音字を持たなかったエジプト人の神々の元の名は失われたが、それでも今日ではオシリスやイシスなどギリシア名で通用しているではないか。

では、数千年の経綸を聖書に教え続け、今なお世界に信者を無数に持っているイスラエルの聖なる神はこれら異神に劣るのだろうか?

無神論的な人々は、そのことを以って聖書の神など所詮そのようなものだ、あるいは初めから居ないのだと揶揄する材料とするかも知れない。


しかし、碑文ばかりかヘブライ語の旧約聖書(以下「タナハ」[TANAKH])には今日までもこの四文字がそれぞれの文中に保存され確かに伝承しているのである。

では、現代ユダヤ人はSHMをどう扱うかというと、その至聖なる四文字を畏れかしこんで読まず、また今日は実際読めないので、SHMの場所にくると「アードナーイ」(主)や「エロヒーム」(神)とシェモートに読み替える。

だが、ユダヤ人はその四文字が神の個有名であることは認識しているので、彼らはこれを「特有のその名」(ハ シェム  ハ メフォラシュ )と呼んでこの上なく神聖視しているのである。


だが、それは奇観ではないか!
あのように聖典を委ねられ、トーラー(律法五書)だけでもヘブライ文字七万九千八百五十六字を、数千年後の今日まで、気の遠くなるような長期間に亘って見事に警護し、ただの一字も漏らさず保存してきた、かのユダヤ人たちが、一方で自分たちの神の名は読めぬというのである。

あれほど古代から、何かと周囲に影響を与え続けてきたイスラエルの神が、その信仰を続けながらも名前は知られていないとは、いったいどうしたことか? 

果たして全能の神に、自らの名の発音を人々の間に保存させることが出来なかったということがあるのだろうか?
 



-◆神は自らの名に栄光を付す---------------

 現TANAKH(申命記第5章)Jewish Publication Society:筆者SHM位置に下線
  SHMにはマソラに基づいてか以下アドナーイと読ませるためのニクード(ルビ)が付され[יְהֹוָה]「イェフーワー」とも読めるがそれは誤読で、ユダヤ人はけっしてそうは読まない

  
Shema_redほかならぬ神は自身の名についてどう見做しているのか?
それについてはタナハ中で実に多く言及されており、しかも重大な意味があることを伝えているのである。

モーセによって神名が知らされ、律法の最初の十ヶ条である「十戒」が授けられたとき、早くも第一戒で『汝らYHWHの名を徒に扱うべからず』とある。

レヴィ族による祭儀が示されるレヴィ記の中では、神は再三神名を汚すことを戒令しており、それを罵った者が処刑される事態も発生している。(Lev24:16)

加えて、イスラエルが異教の神に自分たちの子らを犠牲とするなら、それは神名を汚すことであるとも書かれているが、この点で、後年背いたイスラエルはカナン土着の神「バアルと姦淫を犯した」と預言者に糾弾された。

それは『バアルの名によって我(YHWH)を忘れようとすることである』とも告げられている。(Jer23:25)

したがって、神名はイスラエルにおいてまったく聖なるものとなされるべきであるとされてきた。

そして更に進んだ将来、最終的に神名は世界中で永遠に賛美されるものとなると預言されている。(Mal1:11)

ではあるが現在のところ、この名を発音することは恰も封印により禁じられたかのようですらある。
それゆえ、神名が世界で崇められるには、人類に対して著しい仕方で開示される時が間違いなく必要である。
そのときに至れば、この神名は輝かしい栄光と共に知らされることになろう。

というのも、神はその名の誉れを人に求めるだけでなく、自らその栄光を顧慮し行動してきた記録がタナハ中に再三にわたって見られるからである。


まず、神はモーセに自ら『YHWH』を名乗り、出エジプトの際には神はファラオの傲慢な心を助長して更に頑なにし、イスラエルの去ることを認めさせず事を見守るあらゆる人々に対して、自らの力を明示し、モーセに知らせたYHWHとの名を高めたのであった。

出エジプト記に、『わたしがもし、手をさし伸べ、疫病をもって、あなたと、あなたの民を打っていたならば、あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう。しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見させるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない。』と記されているように、出エジプトに偉業そのものに神名の高揚が意図されていたのであり、これは将来に繰り返されるということになる。(Ex9:15-16)


これはエジプトの地を十度打った災厄による神名の高揚であって、エジプトの神々はこれに対抗することができず、YHWHの優越性が見るものすべてに明らかにされている。
その結果、イスラエル人の信仰を呼び起こしたに留まらず、エジプト人の中にもYHWHの名が高められ、イスラエルと行動を共にしようとする者たちまでが現れている。
こうした反響はそれに留まらず、紅海での救出を含め、周辺の異邦諸国民までがその噂を聞きYHWHに畏れを抱いたことも伝えられている。(Jos2:10)


また、背いたイスラエル民族を度々救い、彼らをバビロン捕囚からすらも解放した神ではあったが、それを彼らの為に行ったとはけっして言っていない。

エゼキエルの捕囚解放の預言では『いまこそヤコブの囚われ人を連れ戻し、イスラエルの家を憐れむ、そうして、わたしは自らの聖なる名を専らに顧みる』(Ez39:25)


また、イスラエルの聖なる神は、その民の反逆に対しても自らの栄光のために自らを制したとさえ言うのである。
『我は汝が全く不信実なること、母の胎より反逆者なることを知れり。然れど、我は我が名のゆえに、我は自らを制す。我が賛美のゆえに我は怒りを抑え、汝を断ち滅ぼすことをせず』。(Isa48:8-9)


こうして、律法で神名を汚さぬよう要求した神は、自らもその名を汚す行動を避けてこられ、その栄光を深く顧慮されていることは明白である。



一方、イスラエルに敵対した異邦人はこの神名をどう扱っただろうか。
イスラエルが囚われた状態についてイザヤ書にはこう記されている。

『YHWHは云われる「我が民は徒に捕われた」。YHWHは云われる、「彼らを使役する者らはわめき散らし、終日我が名はあしざまに侮られる。」(Isa52:5)

敵らは確かに神名を『誹り、不敬に扱う』のであり、『敵意ある者どもはその名を徒に取り上げる』のであった。(Ps74:10/139:20)


しかし、自らの名の栄誉を顧みる神が、このような状況をいつまでも容認するとはけっして思えない。
そして確かにイスラエルの聖なる神が将来、諸国民に対して立ち上がるとき自らを高めると宣しているのであるが、それは恐るべき日となるのだろう。(Isa33:10)



-◆信仰を呼び起こす神名 ---------------

今後、その名が提示されるとすれば、それは神が聖霊を以って聖なる者らを介して語る日であり、世の裁かれるときであろう。すなわち、メシア=キリストの帰還と臨在(パルーシア)のときである。
かつてはイスラエル人ばかりか、近隣の異邦諸国民もが口にした神名ではあったが、そのような時代が過去のものとなって既に二千年に近い。
それでもこの世が終末を迎えるときに、その名の発音は非常に重い意味を持つのであり、御名は至高の座に就く時を迎えるのであるから、 今や神名を発音できないという事態に陥っているところにこそ、人間を遥かに超える企図が込められていると見做す方が、無理に発音を試み卑近化するよりも、よほどその御名を恐れ畏むことになろう。(Isa29:23/52:6)


出エジプトのときから推して、人類史のクライマックスとなる終末の於いて、当然ながら神名の通知が重要な要素となる。つまり人類が固有名によってその神を特定する必要があるのは言うまでもない。(Ex3:13)

また、出エジプトのとき、その名に信仰を抱いたエジプト人までもがイスラエルに加わったように、将来にも夥しい諸国民が神の名に信仰を抱くであろう。ゼカリヤの預言は、ひとりのイスラエル(聖徒の予型)の袖を十人の異邦人が引き、「我らも共に行く」と言う回復の日の様を伝えている。(Zec8:23)

詩篇やヨエルの預言には『YHWHの名を呼び求める者は皆、安全に逃れ出る』とあり、これをペテロが使徒言行録の中の聖霊降下の場面で再び預言的に語っているので、それは更なる将来に成就されることを表していよう。(Act2:21)

神が聖霊を通して人類に自らの存在をその名と共に証すとき、キリスト教を含む現存している宗教は一気に色あせ、存在理由をも失ってしまうだろう。それらはエジプトの万神がそうなったように神YHWHの前に無力であることがさらけ出され大半の信者を失ってしまうが、そうしてYHWHに帰依し『その名を呼び求める者は救われる』。


このように、神名の至高位への登壇は人類の救いに関わるものであり、一方でそれが聖霊を通して知らされるのなら、この名を無視する者や冒涜する者には許されざる「聖霊に対する罪」に抵触することになり、それは公生涯中にイエスが行った聖霊に業を誹謗したユダヤ指導者層と同様な傾向をしめして断罪されるべきものとなるに違いない。

それゆえ神名の明かされる時代は裁きの日ともなろう。
終末に御名が至聖とされ、高く挙げられるゆえにこそ、今日まで神名は隠されていると見ることは間違いだろうか?

すなわち、イエスを葬ったのと同じ精神を示す者ら、つまり政治家と宗教家の連合が、将来に聖霊を受けて神名を担う大使となる聖徒らを葬り去ろうとするその行動が、モーセから神名を聞かされたファラオの時代と同じの意味をもつのである。
諸国の為政者らは、聖霊で語る聖徒らから神名を聞くが、神は彼らの反抗を容認され、その間にその名に信仰を働かせる人々の到来を待つことになろう。その結果、出エジプトの古代に同じく、どのような神の追随も許さぬほどに神名は挙げられ、反抗者らの努力は尽く無に帰する。そうなれば、最終的な「紅海の奇跡」の再現とは神と人との戦いである『ハルマゲドン』に結実すると観ることができる。そこでは、どちらも信仰懐く人々の救出が関わっている。


キリストが地を裁くために顕現するときには、邪悪な者らがイエスへの仕打ちを神名を慕う者らに繰り返すその手を止め、起こる意外な事態の中にイエスの報復の予兆を見るであろう。
こうした意味でイエスを「刺し通した者」も不可視の「雲に乗った」イエスを恰も見ざるを得なくなるだろう。

それは世にあって神名の高く挙げられる日となり、世に臨在(パルーシア)するイエスは、父に「対抗するものを何一つ容認せず」(Ex20:5 [エルカナ])、世界を裁いて神名の浄めを全うする。




-◆天に去った神名の音------------

このように神自身とキリストが神名の誉れの顧慮するゆえにこそ、現在人類が神名の発音を失った理由があるようだ。

すなわち、神殿がエルサレムに存在している間、ユダヤ人は聖域でその名を聞くことができた。神殿は神が『その名を置く場所』(Deu12:5)であり、少なくとも『贖罪の日』には、贖罪を終え、聖なる職服を脱いだ大祭司が聖所のイスラエルの中庭に出て来て、イスラエルの男子に現れ、最低限三回はShMを唱えることが律法から動かし難く求められる。(Nub6:22-27)
だが、神名ShMを発音することは、当時の地方の如何なる会堂でも固く禁じられたことであった。(Nashim:Sotar:Mishnar6)

そこで新約聖書を書いたキリストの初代の弟子らは、使徒のマタイやトマスのようではない敬虔なユダヤ教徒であれば神名の発音を聞く機会があり、また口にしないまでも、知ってはいたに違いない。

しかし、メシアを騙るエシュア(イエス)というナザレ人を処刑させて後37年後、即ち、その『世代の内に』、律法体制のユダヤ人の予想もしない出来事が勃発したのであった。当時地上で唯一SHMの音を聞けた場所であった神殿は、西暦七十年にローマ軍の攻撃を受けて、エルサレム共々、まったく破壊されるに至った。こうして、その発音を許された場所を失ったユダヤ教徒は、その極端なまでの忠実さによって、二度とSHMを語れず聞けず、やがて神名の発音は地上を去ってしまった。

キリスト教もこの事情は変わらない。
イスラエルに属するキリストの使徒や初期の弟子らも、当時のユダヤ人の習慣に倣い、会堂でも公けにSHMの発音はしなかったことは明白である。もしそうでなければ、神名発音の問題で周囲のユダヤ教徒と激しい争いを起こしていたに違いないのだが、新約聖書中にそのような場面を一つも見ることはなく、どんな新約聖書写本にもSHMが登場したケースが一つも無いこともそれを物語っている。

例え、マタイが福音書をヘブライ語で書いたとしても、メシアを知らせようとしている相手が受け入れ難いことを敢えてしただろうか。その原本にSHMが在ったか否かを問題にすることは不毛な議論であろう。たとえそこに例外的にSHMが在ったにせよ、ギリシア語に訳されたときには当時のセプチュアギンタに倣って神名を扱ったに違いないからである。新約の筆者らが旧約をギリシア語で引用するときには必ずセプチュアギンタを用い自分で直訳はしなかったからである。

仮にマタイが旧約を引用した箇所でShMを記したにせよ、それを発音しなかった蓋然性はほとんど否定のしようが無い。周囲のユダヤ人がそれを許さないに違いなく、初期ナザレ派としてユダヤ教に従ったマタイ本人であってさえ御名に対して同じ良心を抱いていたからこそ使徒らもこの件でユダヤ教徒と論争を起こした記録が見当たらないに違いない。

新約の筆者が旧約中のSHMを引用の際に記載したかどうかという議論は、当時のセプチュアギンタの趨勢から原本においても記載していなかったと見るのがまったく順当である。
なぜなら、彼らが宣明するべき名はナザレ村の大工の息子エシュアであり、今日でこそ、その名イエスは世界で最も有名であるが、その基礎を据えたのも初期の弟子らの努力の賜物であり、その間、神YHWHは御子の名を上げるために自らを制した観さえある。(Act10:42/Rom10:9/1Cor1:2)

イスラエル人である使徒らも、ShMを発音していなかった様は、ヘブライ語への還訳された新約聖書においても現れている。例えれば、ギンズブルクによるヘブライ語訳の新約聖書では、旧約聖書からの引用箇所だけでなく、独自の判断によってShMが在ったと想定した箇所に神名を「復元した」にも関わらず、パウロがアテナイの評議所に連れ出され『知られていない神に』というところから宣教を始めていながら、神名を挙げていないところにも、またリュカオニアでのゼウスやヘルメスと自分たちが混同された場面でも『神』というだけで、その固有名を用いていないところにも表れている。汚れにあると見做す全く無割礼の異邦人に神名を発音することさえユダヤ人の習慣や良心からすれば常識外れであったに違いない。ShMはユダヤ教徒同士によって保たれるべきものであったからであり、フィロンもヘレニズムの読者にShMの発音は明かしていないばかりか、超越性に満ちる神に固有名は付けられないと諸国民に言うのである。(Act14:17/17:31)

やがて時代を経て、聖霊によるイエスの監臨も地上を去って聖霊も引き上げられ、聖徒らが地上から姿を消した西暦第二世紀以後になっても、神名だけが諸国民の誹謗中傷の汚れに渡されるような状態に残り置かれるようなことは、上記に見た神の見地からして考えられないであろう。

発音喪失に様々な現実要因が重なったにせよ、結果的に人類はその名を発音して神名を口汚く罵ることは不可能となったのである。

真の名の発音を避ける習慣は、漢字文化圏では「諱」(いみな)として存在していたが、その真の名を発音することは親や君主のみに許されたことであり、それ以外の者がそれを発音して呼ぶ事は非常な無礼であるとされていた。
同様の習慣が古代世界の各地に存在していたことが突き止められていると言われる。⇒「実名敬避俗」
ユダヤ人の御名を至聖のものとして尊ぶことを望んで生じた実名(SHM)不発音の習慣も、人類史から見ればそう特異なことでもないとも言える。これは以下のように単なる迷信として片付けられない面がある。

さて、SHMはモーセのとき知らされて以来、常に契約と共に在った。(Num6:24-27)
契約を証しする聖なる箱の上にはYHWHの臨御が在り、奇跡のシェキーナー光が宿ったという。
その箱の置かれる場所は『「御名」を置く処』と呼ばれており、神殿も『(神の)名のために』建てられたとされている。(Deu12:11/2Sam7:13)

その神殿といえば、イエス後にエルサレムと共に破壊されて以後、今日に至るまで再建されていない。
つまり、「御名を置く処」は今日地上に存在していないのである。

それゆえ、地にSHMの音が聞かれないこと、そして聖霊を受け「生ける神殿」となる人々が到来するときに再び神名が発音されると信じる整合性があると言える。(1Pet2:4-5)

詩篇は「捕囚の回復」を予見してこう書かれている
『(神は)捕われ人の嘆きを聞き、死に定められた者を解き放たれる。
人々がシオンでYHWHの御名を知らせ[לספר(レサフェル)*]、エルサレムでその誉れを言い表すために』。(Ps 102:20-21)*[to tell ] KJV[To declare]
もちろん、帰還民がSHMを知らなかった筈もないので、これは更なる将来を予告したものに違いない。
即ち、対型的な「回復」であり、それが終末での聖霊の再降下ではないと誰が言い切れよう。 (Mt10:19-20)

 エゼキエルは、ゴグとマゴグに関連して、紛うことなく終末への預言の中でこう記している。
『わたしは、わたしの聖なる名をわたしの民イスラエルの中に知らせ、二度とわたしの聖なる名を汚させない。諸国民は、わたしがYHWHであり、イスラエルの聖なる者であることを知ることになる。』 (Ezc39:7)

終末に神名が知らされるとは、それまでは知られていないと云う以外にない。
では、なぜ神名は地上を去ったのであろうか。 


人間であってすら、自らの恥となるようなものをわざわざ公にするようなことはしない。
神自身『いったい誰が自分を汚させることなどするだろうか』とイザヤ書48章11節で明快に語る通り、我々人間さえ、自分の誉れを不必要に下げるべき理由はどこにもあるまい。まして、全能者が大切に栄光を保ってきた自らの名をわざわざ汚れさせることなどあるだろうか。

もし、それを残そうとの御旨があったなら、全能の神が自らの威光ある名の発音を地上に残せないわけもない。
そこで考えられることはひとつ。むしろ神自ら顧慮して止まない神聖な名の発音を地上から取り去ることで、それを栄光のうちに保ったのではないだろうか。

イスラエルですら聖なるものとそうでないものとの区別を失い譴責されたことがあるが、果たして罪ある人類が、律法の保護も無しに神名を汚さずにいるだろうか?(Ps139:20)
それがまず無理であることは、誹謗中傷満ちる世相を幾らか思い起こすだけで明らかではないか。

そして、聖書の神は必要のないことを行わないことを我々は知っている。況や、自らの栄光を汚してまでそうするわけもない。(Ezk22:26)

ゆえに、名の栄光の保持が神の意志であって、イエス不在の今日、神名を口に出来ないようにしたところに神の御力を感じとることができるではないか。
 




-◆イエスは弟子たちに神名を知らせる -----------

したがって、今日それをヨーロッパ古式の「エホヴァ」1と読もうと、近代ドイツからの「ヤハウェ」2と読もうと、神名はおそらくどちらでもあるまい。(1.マソラのニクードは元々アドナーイと読ませる為のものであり、そこからイェホワーが派生した。2.チュービンゲン学派が19世紀に案出)

このように至聖の事柄で、死すべき人が「見よ、わたしは知っていた」と誇ることが許されるものだろうか。(Isa48:7/Rom3:27)

ただ、それらのように何らかの発音することに幾らかの益があるかも知れない。つまり固有名を持つ神であることを認識し、且つ身近に感じる助けにはなるだろう。あるいは、わずかに残された省略形の音「ヤハ」を用いるなら祈るときには負担も少ない。だが、それとて神名が何なのかを人は誰もが等しく知らないという現実は変わらない。

しかし、一度付いてしまった口癖を治すのは至難の業であるから、将来、新たに神名が明かされるとき、その発音を直ちに習慣とできるようにするため、現時点で中立的に「YHWH」と敢えて読み慣わすのも良いのではないだろうか。

更にこのYHWHの利点は、単に「主」と一般名詞に置き換えるようにではなく、恰もユダヤ人のように、その都度そこに確かにSHMが在るという徒ならぬ事情を意識するので畏敬を保つことができ、また、これをあまりに頻繁に、あるいはいたずらに取り上げるような気をも削ぐであろう。

そうすれば、我々は聖霊によってその神名の顕されるのを待つ態度を示すことができ、同時に『神の子たちの顕されることを切に待ち望んでいる』ことをも表すことができる。(Rom8:19)

すなわち、彼ら「神の子たち」とは聖霊を受ける「聖徒」たちであり、彼らこそ神名の通知を担うであろうから、彼らこそがまさしく『御名の民』『YHWHの証人』と云える。(Act15:14/Isa43:10)
イエスの受難を予告している詩篇22篇に、『わたしは兄弟らに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美する。』とあるように、イエスは自らの兄弟たちである『養子縁組の霊』を受けた『聖なる者ら』に御名を知らせると信じる理由は十分にあると言える。


前述のように、ユダヤ人は西暦起源が近付くに従い、神名を発音することを神聖視して神殿内に限定するようになっていったのだが、聖霊を注がれる聖なる者らは、キリストと共に生ける石の神殿となる人々であるゆえに、そこに「御名」が置かれることには整合性があり、且つ、モーセ以来の律法契約にSHMが伴ったように「新しい契約」にも「御名」が随伴するであろう。(Deu12:11/2Chr2:1)

それゆえイエスが、当時のユダヤの習慣によらず『彼らに御名を知らせた』のはまことに納得がゆく。それはイエスの父である『あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるため』であるという。つまり、聖徒たちは「新しい契約」の一方の当事者でもあるので、律法契約に入った民族がモーセを介して神名を知らされたように、『新しい契約』に与る聖徒らも、契約の相手である神の個有名を知っているべき理由があり、「約束の聖霊」を注がれた彼らは神と仲介者キリストによって深く結ばれているからであり、少なくともマタイが「収税人の罪人」であれば、聖域への出入りを禁じられていた可能性性があり、その名を聞けない一人であったかもしれない。そのような弟子らにイエスが父の名を知らせたことは考えられることである。(Joh17:26)


キリストの去って後、神の『名を置く処』である神殿が無くなってユダヤ人から発音の機会が奪われ、初期にはユダヤ教からの弟子らも含まれたキリスト教においても聖霊を受けた聖徒が絶えるにしたがい、ユダヤ教からの習慣と新約聖書がギリシア語で書かれたために、SHMの発音はキリスト教界をも去ったであろう。即ち「契約の民」がユダヤ人にも異邦人にも不在の時代が始ったのである。
その後、キリスト教はまったく異邦人の所有に帰して今日に及んでおり、神名を畏敬するような趨勢には到底無い。

今日、こうして地上に発音がないことは、また神名を知らせるべき「新しい契約」の当事者がやはり絶えて存在していないことも明示していよう。しかし、神名の知らせが再びあることを述べる言葉は詩編ばかりではなく、イエス自身も『わたしはあなたの御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます*。』と、その日に刑死するにも関わらず祈りの中で語っているのだが、『これからも』とはいつのことだろうか?*(未来形「グノーリソー」)

イエスが天に去った後、聖霊の賜物は無割礼で神殿に入らなかった異邦人の弟子らにも御名を示したのかも知れない。だが、実際に発音したかについてはその痕跡を見ない。エジプトのユスティノスなど初期の教父らが神名の発音を細々と書いてはいたが、それらの発音は一致していないのである。

やがて霊の賜物ある人々が去って後、今日まで御名の発音がユダヤ教徒もキリスト教徒も含めて地上に無いということが示している現実に対して、イエスが『これからも知らせる』という未来形動詞を繰り返したところで、御名の告知が我々の更なる将来に関わるものであることを教えていないだろうか。

この句での同じイエスの続く言葉が、『わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。』として、神とイエスとの格別な関係ある者たちに父の名をイエスは知らせることも明らかにしている通りである。(Joh17:26)

この点で、キリストの御身に成就した詩篇22番を見れば、疑いを残さない。
『わたしは兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。』(Ps22:22)
そして、終末にも現れるキリストの『兄弟たち』については、マタイにある終末預言にも存在が確認できる。即ち、パウロが言うところの『キリストと共同の相続者たち』のことである。(Mt25:40/Rm8:17)


やはり詩篇102番の『YHWHの名は、シオンで告げ知らされる』の句は、このキリストの『これからも知らせる』という言葉と共に、再び成就の時を迎えることを指しているに違いない。

シオンが目覚めるときについて、イザヤもこのように述べている。
『わたしの民はわたしの名を知るであろう。それゆえその日には、わたしが神であることを、「見よ、ここにいる」と言う者であることを知るようになる。』 (Isa52:6)





-◆普通名詞への置き換えの危険-----------

他方で、ユダヤ人のように「主」と置き換えることには様々な支障が出ている。
ユダヤ人はアドナーイがシェモートであり、そこにSHMがあると文字を通して意識するが、翻訳された聖書を読むキリスト教徒にとっては、まず理解が妨げられる。

例として、"Dixit Dominus"として教会音楽でよく知られるところの、『主はわが主に言われる』などと訳される詩篇110編の冒頭を比較してみよう。

ここのヘブライ語は"  נאם יהוה לאגנ  "となっており、そこにはSHM が確かに存在しているので、ここは『YHWHは我が主に仰せになる』とされるなら、神とメシアの関係が明瞭で意味もよく理解できるだろう。
しかし、『主はわが主に言われる』では、読者を理解の蚊帳の外に置くことになりはしないだろうか。

このようにSHMが旧約聖書中で七千回近くも存在するとなれば、固有名詞を一般的普通名詞に置き換えることが、読者の理解に及ぼす影響はけっして小さくはないだろう。

古代イスラエルの中からは『バアルの名を以って神を忘れようとする』不埒な輩への警告があったことが聖書に記録されているが、カナン人の神「バアル」が意味するところは「主」であったという。(Jer23:25-)

そして、『もし、我ら(イスラエル)がその神の名を忘れるなら、あるいは異教の神に手を差し出す(崇拝の所作)なら、神はそれを探り知る』(Ps44:20)とも言う。

それであれば、聖なる固有の神名を「主」と一般名詞に置き換えて『唯一の神YHWH』の理解を曖昧にし、異質な神に変質させかねないことが、聖書の神に是認されると果たして言えようか?
それは神名に関して、古代イスラエルが陥ったバアル崇拝と同じ不利益をもたらさないだろうか。





-◆YHWHの聖なる名をもつ方こそが神である ------------


神名はその神自身が語るように、世界の果てまでも高められ、永遠に及ぶ。(Ps113:3/Ps135:13/Mal1:11)

その名を呼び求める者は皆、救い出され、その名を求めない諸国民には怒りが臨む。(Act2:21/Ps79)

人々は神がYHWHであることを知らなければならなくなる。(Jer16:21)

神自身、その名の栄光を誰にも与えないと断言する。(Isa42:8)

イエス(イェホシュア)・キリストにさえその名が「置かれて」おり、彼は父の神性を擁護して止まない姿勢を公生涯において見せ続けたものであるが、そのイエスによって『神たるものは誰か』が明らかにされ、『神でないのに神のようになろうとする者』すべては沈黙に降ることになる。
この聖化はキリストの犠牲に密接に関わりながらも人類の救済に勝り、他のどんな目的も従属する最重要命題である。

神名浄化は出エジプトのときを遥かに優る世界的注目の中において、将来、誰の目にも明らかな聖霊の奇跡的働きを通して神の名への諸国民の信仰が湧き起こされる。(Mic7:15)
まさに先に挙げた詩編の句の続きはこれを告げている。世の終末に至れば、『その名YHWHはシオンで布告され、エルサレムで賛美される。そのとき諸国民がその王国に向かって集められ、YHWHに仕えようとする。』というのである。(Ps102:21-22)

一方で、聖霊を認めぬ敵たちには、神が否認できぬ程の圧倒的な力を示して勝利を納めることにより、YHWHの固有名を持つ「神の神たること」が立証されるのである。それは「ハルマゲドン」も「千年王国」さえも超えた先にある最終目的、至上命題となっている。

人類は依然として神に敬意も顧慮も払わずにいるが、やがてすべての裁きを迎えるときにはアダムがエデンで直面した最重要の問題が先鋭化し神名が至高の座を占める時、エデン以来の不調和は終わりを迎えるのである。

自由意志を保ちつつ、生殺与奪の裁きを以って最終的に神の名が至上の立場に昇るなら、すべての争いは収束し、全創造界に創造者の意志が行き届き、すべてが「神の子」としての安寧を享受する。

だが、神名が至高の座に就くという至上命題には、究極的でかつてない怖るべき力の行使の必要がある。
すなわち裁き、神を離れたサタンをはじめとする幾多の創造物の処置であり、それらの「魂」(ネフェシュ)の消滅、永遠の死を伴わなくてはならない。

千年王国後の裁きは、あらゆる「魂」を存在させた創造者ゆえの生殺与奪の権限行使であり最終審判となるだろう。
消え去る「罪を犯す魂」のすべては、神名浄化に伴い流れ出る穢れとなって処理場(ゲヘナ)の象徴たる「火の湖」に投げ込まれるのである。

なればこそ、人が望むべきは自己の保身や願望であってよいわけもない。
それこそ自愛というサタンの岐途ではないだろうか。
「裁き」とは、自分の命運を一度は脇に置き、一心に至聖の御名を高め讃える機会となるだろう。それこそが真実の賛美だろうからである。


御名についての以上のような事情があったとはいえ、極めて重大な意義が込められたSHMを、キリスト教界をはじめ人間は何と疎かにしてきたものであろう。


だが、いま我々が神名を発音できないとしても、それを畏れ敬うことに不自由することはない。
世界の激動の起こるその以前から、神が神とされることを願う人々は幸いであろう。(Isa64:2/Hag2:6-7/Zep2:3)


即ち、シェム ハ メフォラーシュ*「その固有*の名」の包含する命題は「YHWHは神であるか否か」この究極の問いである。 *(メフォラーシュ[מְפֹרָשׁ]="explicit" これに「隠された」の意があるというのはカバラの敷衍された解釈によるらしい)

あなたはこれにどう答えるだろうか?

今現在、その答えに窮するとしても、いずれはYHWHが自らその全能性を行動によって余すところ無く示すので、そのときには何の疑問もなく答えることができるに違いなく、もし否むとすれば、どのような動機があるにせよ、それは自己の非を確信しつつそうしなければならなくなるのだろう。その分かれ目が人類の裁きとなろう。

人類すべてが直面するであろうこの「エデンの問い」の裁きの中に、創造界全体の安定と幸福が依存しているばかりか、神名の浄化こそがすべての存在に理由を与えるものであり、創造の企図が遂に完遂するという究極の命題となっているのである。

末の日に、すべての創造物は創造者との決定的な異なりを味わい知るであろう。
創造者が如何に偉大であるかを弁え知るとき、神の御名が高く挙げられるに至るのである。






                              新十四日派    © 林 義平
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 神名に関する雑考
 新約聖書における御名の扱い












神の名

イエスとは何者か 「ホクマの謎」


さて、過越しの子羊の対型がキリストであることは別にしても「お前はいったいどこから来ているのか?」と訊ねたローマ人ピラトゥスの質問への答えが残っている。イエスとは何者か?(ヨハネ19:9)

ガリラヤ地方のナザレ村で大工をしていたヨセフが、ダヴィデ王族の血を引く者であったことは既に述べた。
このヨセフがどのようにして長男を得たかについては、これはあまりにも知られたことではあるので、ここでは、むしろイエスが普通の人ではないことが異国人にさえも知られる様子を聖書中の記述から明らかにしておこう。

ヨセフは元々ユダ族のエッサイつまりダヴィデ王の家系に属する地域のベツレヘム・エフラタの出身であったが、エホシュア(エシュア=イエスース)と名付けた長男をヘロデ大王の手から保護するため、エジプトに逃避し、大王の死後になっても相続地の故郷に戻ることなく、大王の後継となったアルケラオスの野心を恐れてガリラヤ州、田舎のナザレに移り住んで大工の仕事に精を出す。


そこはユダヤ性が薄く、古来「諸国民のガリラヤ」とさえ呼ばれ、ヨセフの当時の住民からギリシア語さえ聞かれるような土地であった。ガリラヤとは、まさしく「異教徒の土地」を意味するのであるから、ユダヤ人は当地の出身者を見下す傾向を助長していたことであろう。
そこで育ったヨセフの長男は「ナザレのイエス」と呼ばれる。

しかし、信じるものにとって彼はイスラエルに約束されたダヴィデ王統のメシアであった。
預言者イザヤはそのメシアを次のように描いている。

『ひとりの嬰児がわれらのために生まれ、ひとりの男子が我らに与えられたからである。支配者としての統治がその肩に置かれる。そしてその名は、驚くべき導き手、大能の神*1 、永遠の父、平和の王、と唱えられる。

ダヴィデの王座に着いてその王国に君臨し、支配者としての豊かな統治は増し加わり、その平和に終わりはない。それは、今より定めのない時に至るまで、公正と正義とによってこれを強固にうち立て、支えるためである。実に万軍のYHWHの熱意がこれを行なう。』(イザヤ9:6~7)

キリスト教徒にとってイエスがメシア=キリストであることはまったく明白である。
ではユダヤ人にとってはどうだったのだろう。



-◆「ホクマ」の謎------------

神の創造の手助けをしたという何者かが存在したことについてはユダヤ人も旧約聖書から知ってはいた。
それが箴言の八章一節で自らを『知恵』(ホクマהכמהと名乗る何者かであった。しかし、それが何をまた誰を意味するのかは箴言に十分には語られていないので、それはユダヤ教徒には謎となった。

箴言では『知恵』(ホクマ)は自分について次のように言う。
『YHWH*が昔その道の初めのときに生み出した。その偉業の初めとして、わたしを造られた』。(箴言8:22~)(*現在発音不明の創造神の至聖なる固有名)

この箴言の句の続きによれば、ホクマは神と共に様々な創造に関り、神の傍らにあって『名匠』([口語訳])となり、創造の日々を愉しんだという。したがって、ホクマは神による他の創造物に先立って存在していたことになる。しかも、これを見出す者は命を見出し、これを憎む者は死を愛するとまで云うのであるが、このホクマが何者であるのかは箴言の書が編纂されて以降、ユダヤ人の謎であり続けていたのである。

では、このホクマがイエスとなったのだろうか?

使徒ヨハネはこの大権を持つことになるメシアを「ことば」と関連付ける。
『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神*2であった。それは初めに神と共にあった。すべてのものは、それ(「言葉」ギリシア語“ロゴス”)によって生じた。それを離れて生じたものは一つとしてなかった。』(ヨハネ1:1~3)

使徒に召されたパウロは、この件について更に疑いようのない証言を加えている。
『彼(イエス)は、見えない神の像であって、全創造物の初子である。すべての物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、みな彼によって造られた。すべての物は彼を通じて、彼のために創造されたのである。』(コロサイ1:15・16)
このように記したとき、元は優れたパリサイ人であったパウロの脳裏に、ソロモンの箴言に記されたあのホクマがあったに違いあるまい。

だが、このように神の創造を助ける存在があるからといって、神の至高性が損なわれるわけではない。却ってその第二位の存在者が根源者たる第一者を尊崇するならば、彼より下に在るところの第三位以下の被造物一切が至高者に栄光を帰すべき道理が生じ、ホクマは至高神たるものが崇められるべき要となる。

そうしてホクマの従順の死を通して、神の神たることが疑いなく打ち立てられ、サタンはまったく敗北するのである。(ヘブライ2:14)

そのために「ホクマ」(知恵)は地上に来たのであるが、それを言葉「ロゴス」に明かした使徒ヨハネは、「ホクマ」の先在性を示し、更に続けてこう述べる。
『こうして言葉は肉体となって我らの間に宿った。我らはその栄光を目にした。それは父のひとり子の栄光であり、まさに慈愛と真実とに満ちていた。』(ヨハネ1:14)

こうして、ユダヤ人の「ホクマの謎」はキリストの使徒たちによって解き明かされたのである。
キリストが人々の罪を浄めるなら、キリスト自身は人の罪をもたない者でなくてはならぬゆえに、アダムの血を受け継いではいないという前提が必要になる。そうでなければ、イエスも我々と変わらない罪ある人でしかない。
したがって、そのことが奇蹟か否かという前に、処女からの誕生、天界からの魂の移動を要請するのである。

古代説話に特別な妊娠がいろいろあったとしても、イエスの場合の、この贖罪の必要から導き出される処女懐胎は意義で際立っており、単に誕生してくる者の特殊性、また偉大さや侵し難さを外面的に印象付けるものでなく、人間の罪からの救済に関わる重要な論理に裏付けられるものである。

そしてメシアの優越性と特殊性は、イエスが地上にあったときに謙虚な人々には明らかであったと同時に、認めようとしない者たちには逃げ道を設けるような素朴な姿もなくてはいけなかった。そうでなければメシアへの「信仰」が試されないからである。


-◆ユダヤ人はホクマを認めず-----------

イエスが神殿の宝物庫の近辺でユダヤ人らと緊迫した論議を展開した場面がヨハネ八章に記されているが、その終わりの方で、いきり立ったユダヤ人らがイエスに「お前は五十にもなっていないのにアブラハムを見たというのか?」と詰め寄ると、イエスは「アブラハムの前からわたしは存在していた」と答えたのだが、三十歳ほどのナザレのイエスを前に激昂しているユダヤ人にホクマを推論することなど到底できぬことであったろう。彼らはその場でイエスを処刑すべく石を拾った。

また、「もし、お前がメシアならはっきりそう言え!」(ヨハネ10:24)と迫ったときのユダヤ人に、パリサイの仰々しい服装にテフィリンに房の長いタリットを身に付けた恰幅の良い姿でベツレヘムから来たうえで、ダヴィデの家系図と幾らかの奇跡(これは形ばかりでよかろう)を見せてから「我こそはホクマなり」と厳かに言い放ったのなら、それらのユダヤ人もイエス様様と崇め奉ったであろう。

しかし、それではユダヤ人の信仰の有無も、内奥にある心の傾向もさらけ出すことにはならなかったであろう。

しかし、逆に質素な身なりをしたイエスは廉潔に「わたしは自分のために栄光を求めず」と言い「父を尊んでいる」とも言われる。これに違わず、聖書中に示されるイエスの「父」に対する尊崇の熱意は極めて厚い。(ヨハネ8:49-50)

祭りでエルサレムの神殿に上ったときなど、父YHWHの神殿で暴利を貪る者たちの商売を覆して追い出し、聖域を近道の通路にして畜獣を通行させる認識の薄い者らを縄の鞭をもって駆逐する勢いには弟子らも息を飲むほどであったようだ。
イエスにとって神殿は「父の家」であり、清くあるべき「諸国民の祈りの家」を汚すことなどけっして許さず、父に対する敬愛の情熱に燃え上がったのである。
弟子らは「父の家に対する熱心がわたしを食らい尽くす」の詩篇の句を、そこで目の当たりにしたのであった。(ヨハネ2:17/詩篇69)

イエスが、これほどまでに激しい「実力行使」に及んだのも、神殿での義憤に満ちたこの浄めの業だけであろう。
しかし、自分自身については「わたしを信じずとも、父がわたしに行わせる業は信じよ」、また「人の子を罵倒する者も許される」という。(ヨハネ10:38/ルカ12:10)
すなわち、自らを捨て置いても「父」の名誉を高め、その意志を遂行する熱意を感じないわけにはゆかない。

そこには創造者と創造物という究極の父子の絆が見える。
子は父を愛して、その父性と神性を熱烈に擁護してやまないのである。

イエスは自らの「父」について事ある毎に言及したうえで「子は自分からは何事も行うことはできず、父のなさることを見て行う以外にない。父のなさることすべてを、子もその通りに行うのである。」という。(ヨハネ5:19)

これは父から委ねられたという裁きについても同様である。
「わたしは、自分から(独自に)は何事もすることができない。ただ聞いた通りに裁くのである。そして、わたしの裁きは正しい(公正である)。わたし自身の考え(意向)でするのではなく、わたしを遣わした方のみ旨を求め(探し出し)ているからである。」(ヨハネ5:30)

このように父を高めるイエスの意志は非常に強固である。
他方、今日では大半の人間が神を擁護せず「父」ともしない理由は至って簡単であって「子」ではないからである。アダムの時以来、自ら人間は神の「子」ではなくなり、神も認知していない。(ヨハネ1:12)

しかし、イエスはまさしく「子」であり人間となったゆえに自ら「人の子」を称した。
この長子は「父」の神性を立証してすべての上に高め、神から離れた人間たちを再び神の「子」に復帰させようとする強い意志を持っている。そうでなければ、罪の贖いの犠牲の死を自ら遂げたりするだろうか。(フィリピ2:10-11)

すなわち、神と人の両者に対しての仲介者であり、双方への深く熱烈な無私の愛情に満ちている。(テモテ第二2:5)
我々はこのような人物を他に知ることがあるだろうか?
そしてイエスは明言する「父はわたしより偉大である」と。(ヨハネ14:28)

しかし、こうしたイエスの廉直な熱意は、近視眼的で事の全体を見通せない「敬虔な」ユダヤ人にとっては大きなつまずきとなってゆく。
その理由とは、父への熱意に燃えるイエスの意向とは正反対の「神を父と呼んで、自分と神を同等にした」というものである。それはこの人物の望む筈もないことではないか。(ヨハネ5:18)

それはイエスの審判での罪状ともなった。
時の大祭司カヤファはイエスを詰問して言った「お前は神の子キリストか?」
そして、イエスはここで敵意を抱くユダヤ人に対して初めて明言する「然り!」と。

それは本来恐るべき一言であるにも関わらず、カヤファはこれ見よがしに上衣を裂いて「これは冒涜だ!」と叫んだ。「諸君は今、その冒涜の言葉を聞いたのだ!このうえ証人の必要もない!」とたたみ掛ける語勢には何かをかき消そうとするかの響きがないだろうか。(マタイ26:63-65)

こうしてイエスは神YHWHの「子」であると認めたために断罪されたのだが、イエスがホクマという別名を有する神の初子であることはまさしく覆しようのない真実である。その事はイエスの行う業そのものが充分に証していたのだが、ユダヤの宗教領袖たちはそこに奇跡の歓びを見出さず、却って「悪魔の仕業」と言って蔑みさえした。

その一方で、民から尊敬されるこれら宗教家らが、総督ピラトゥスに対して訴え易くするために税金の件を本来の罪状とすり変えることまでやってのけたが、これは手段を選ばぬ卑怯な不正の上塗りである。

使徒ヨハネは後にこう語る。
『神を信じない者は神を偽り者としている。神が御子について証しせられたその証拠を信じないからだ』。(ヨハネ第一5:10)

加えて、宗教家らがあらゆる努力を尽くして守ろうとしていたモーセの律法には、このようにも書かれていたのであった。
『わたしは彼らの同胞の中からあなた(モーセ)のような預言者を立て、その口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じるあらゆることを彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、これに聞き従わない者がいるなら、わたしはその者に言い開きを求めることになる』。(申命記18:18-19)

さらに旧約聖書での最後の預言者マラキに至っては、ユダヤに到来するメシアが彼らの幸いにはならない警告を次のように告げていた。
『彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れる時に誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ』。(マラキ4:2)

まさしく、ユダヤの宗教体制はその懐いていた邪悪を表してナザレ人イエスの現れから身に裁きを受け、メシアを『つまずきの石』としてしまったのであった。(ローマ9:32)



さて、ローマ総督という当然に「ホクマ」を知らないユダヤ教の外の異邦人である第三者の視座からナザレのイエスを審査すると、ピラトゥスには、この奇跡を行う人への嫉妬に狂ったユダヤの宗教領袖らの主張とは異なるものが観えていた。

それは、何度も釈放しようと繰り返し努めたピラトゥスの姿に現れている。
だが、それはユダヤの宗教家らに属する群衆によって釈放の意図は毎回尽く退けられてゆく。この群衆は確かにこう言った『この輩の血の罪は、我々と子らに降り掛かっても良いのだ!』。その後この言葉はその通りになってゆく。

ピラトゥスは、祭りのときに決まって恩赦を与えることを思いつき、イエスをそうしようとしたが、これは却って凶悪な強盗を解放することになってしまう。
次いで、イエスがガリラヤの出と知って、そこを治めるヘロデ・アンティパス王の許に護送させたが、罪に裁かれるでもなく送り返されたのであった。


やがてピラトゥスも、ますますイエスの罪状がはっきりせず、自分が何やらとてつもない審判に首を突っ込んだことに気付いてゆくのだが、その潮流の大きな渦の中心へと次第に巻き込まれ、抗うことはできなくなってゆく。

総督の妻はわざわざ彼に使いをよこしてまで、夢見が悪いので「その義人に関わらないでください」と言ってきた。

古代人にあった神への迷信的畏怖も働いていたとはいえ、ローマ人ピラトゥスは神というものへの畏敬において、この時ユダヤの宗教領袖らに勝るものがあったというべきであろう。
「この男は死に処されるべきなのだ、自分を神の子だと言ったのだから。」
というユダヤ人の発言を耳にしたときのピラトゥスの動揺する心境は、もはや質問の意味も成さないイエスへの一言に表れていよう。

「お前はいったいどこから来ているのだ!」








          新十四日派    林 義平

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*1『大能の神』(エル・ギッボール):『全能の神』(エル・シャダイ)と区別されるが、イエスも従属的ながら「神」である
*2ヨハネもイエスについて、冠詞を付けない「神」と書いてイザヤ書と一致する扱いをしている

この事件をローマの元老院議員にして歴史家のタキトゥスはその「年代記」でこう記している。
『その名称の起こりとなったクリストゥスは、ティベリウスの治世中に我々の行政長官の一人、ポンティウス・ピラトゥスの手で、極刑に処せられた』

その後ユダヤ人が編纂した「タルムード」はナザレのイエスについて述べ「ガリラヤの私生児で魔術を行い民を惑わした」という。



 以上は、
「神YHWHの経綸」上巻からのダイジェスト


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契約の箱 アーロン ハ ヴリート


 イスラエルがエジプトを出て二年目、彼らを奴隷状態から請け戻した神、YHWH*を崇拝するための取り決めがシナイ山麓の荒野で確立されようとしていた。
*(【יהוה】今日、この聖なる神名の発音は失われているので相当英字YHWHで記す)

 それは民の罪を贖う祭祀を行うための祭壇や什器と天幕の製作であったが、最も聖なるものであったのが「契約の箱」
アーロン ハ ヴリート【 ארון  הברית  】であった。

 その箱は乾燥地でも生育するアカシアの材木で作られ、それには金が被せられていた。
設置のためのアールが施された脚が四隅にあり、運搬のために二本の担ぎ棒が同じく金を被せられ、脚の上の金の輪を通すように作られた。箱の大きさは長さが1メートルと少し、幅と高さは70センチ足らずであり、そう大きなものではない。しかし、これが天幕での崇拝の中心を成したのである。

 これら聖なる物品を運ぶのを許されたのは、出エジプトの晩の子羊を以って神に買い取られたレヴィ族、それもコハト系の者らだけが祭司とされその任にあった。(民数記3:45/4:4/8:16-19)
 移動の際、彼らは二本の棒を手に持つのではなく、神輿のように肩に担ぐよう命じられたが、衆人が見ることのないようにと、移動時には、安置された天幕部屋の仕切りの青幕をそのまま用いて箱が覆われ、そのうえにジュゴン(アザラシ?)の皮の覆いを重ねられたのである。

 こうして、この箱は移動するときも人目を避けたが、それは人間という罪あるものが神の栄光をうっかり目視して落命しない為である。

この聖なる箱は、安置されるときも人目はおろか祭司らの目にもつくこともなく、明かりも無い天幕の奥の部屋にあった。モ-セがこの神を「暗きに住む方」と呼んだ背景にはこれがあったのであろう。

それは「証しの箱」とも呼ばれる。
何の証しかといえば、イスラエル民族が、モーセを仲介者として神との律法契約を結んだ関係にあることの証拠である。

天地万物を創造した神がイスラエルという一民族に帯同する根拠は契約契約にあり、それを最も端的に証すのが律法の最初の十か条が刻まれた二枚の石板といえるだろう。
石の板は大きさにもよるが重さも軽くはなかったろうから、それを納める箱も頑丈なものであったに違いない。

加えて、荒野でイスラエルが神に日々養われた証しとして「マナ」を入れた金の壷、そして、神に近づき祭祀を行う特権がアロンの家系にあることを証すアーモンドの花が咲いた杖が箱に入れられた。

これらの証拠の品々が箱に入れられ、その箱は神YHWHに過越しの子羊を以って買い取られたレヴィ族の祭司らの肩に担がれて移動し、天幕が張られると奥の至聖所に律法の巻物と共にセットで安置され、それらは「律法と証し」とも呼ばれた。(申命記31:26/イザヤ8:20)
即ち、契約条文と御璽という役割である。

殊に、約束の地で最初に占領することになるエリコ城市に対しては、神がイスラエルに加勢することが明示されるかのように、契約の箱はショーファール(羊角笛)の吹奏される中、七日間その城壁の周囲をレヴィ族の祭司らの肩にあってイスラエルの将兵と伴に周回し、その後、堅固なエリコの城壁も人手によらず崩れ落ちている。(ヨシュア6章)


契約の箱がこのように扱われたのは、神がイスラエルと共にあって戦ったこと、そこに契約があることを印象付けたことであろう。これはモーセの時代にも示されていたことであった。彼は契約の箱が移動を始めるときには『YHWHよ、立ち上がり給え。御身の敵の散らされんため・・』と言い、至聖所に安置されるときには『帰り給え、イスラエルの千万(ちよろず)の元へ』と言った。(民数10:35-36)

しかし、イスラエルへの神の随伴は契約の履行あればこそのものであり、彼らといえど、神の前には罪ある死すべき人間であることには変わりはない。
 そのことを知らしめるのは、その箱を一瞬であっても見た者は死に至ると警告されていたことであろう。例外はモーセであり、従者ヨシュアを帯同して会見の天幕に入り、モーセは箱の前で神と『顔と顔を合わせて話す』のであった。これはシナイ山の結界に入域したモーセという契約の仲介者の役割の偉大さを物語っており、後のメシアに通じるものがある。

 アダムの子らは神の聖さに到底達しないので、人間は神との間に魂(血)の犠牲を挟んではじめて一定の交渉が許されるのみである。そのことを象徴するのが神の要求した動物の犠牲であったことは律法に見る通りである。

また、イスラエルが律法の履行を怠ったり、神YHWHの崇拝の聖さを損なったりしている間はそこに契約の違反があり、この箱を担ぎ出したからとて神は彼らに随伴することはなかったとしてもそこに神の側に責はない。(申命記28章)



-◆「証し」の誤用--------------------

その顕著な例が、士師時代の大祭司エリのときに起こった。
彼のふたりの息子は神の崇拝のための天幕での奉仕において、恣意的で貪欲であった。これを神が悦納されるはずもなく、このふたりの息子が死んで契約の箱も異邦人に奪われることが予告されていたのであるが、地中海の海沿いに住むフィリスティア民族との戦いに難渋していたイスラエルの軍は契約の箱を陣営に招きいれることでエリコのときのような勝利を得ようと考えたのであろう。

だが、「イスラエルの聖なる方」YHWH神の崇拝は大祭司の息子らによって既に汚されており、神の同行は望めない状況にあったのである。
それでも、大祭司の息子ふたりに伴われて契約の箱が陣中に入ると、イスラエル軍はあたかも既に勝利したかのように歓声をあげ、その騒ぎを聞きつけた敵軍は動揺し、却って決死の覚悟を固めたのであった。


 もちろん、神の神聖さを蔑ろにしている民族を契約の神が助けはしない。慢心するイスラエルはフィリスティアの前に打ち破られ、大祭司の息子はふたりとも死に、契約の箱すらも敵の手に渡ったのであった。

 しかし、神YHWHは自らの聖さについて譲ることなどはけっしてない。まことの神は神でなくてはならぬ。(イザヤ48:11)
契約の箱はこの神の臨御を表すものでもあったから、この箱の処遇に対してYHWHは行動する。


 フィリスティアはイスラエルからの分捕り物である箱を喜び、彼らの神ダゴンの神殿に奉納したが、これは大いに後悔することになる。
 朝になって見ると、ダゴン神の偶像はYHWH神の箱の前に倒れており、その翌朝もそうであった。しかも、二度目にはフィリスティアの主神ダゴンの首と手が外れてしまっていたのである。
 ここにおいて、「我が栄光を偶像に与えない」と宣言する神YHWHの優位性が示され、その名はエジプト以来、再び高く挙げられたのである。(イザヤ42:8)

 それだけではない、フィリスティア全土を痔の疾患が襲った。かつてイスラエルの神がエジプトで行ったことを恐れる彼らは、災厄の継続を恐れて契約の箱を返還することにする。
誰にも御されない二頭の牝牛の進むままに箱を載せた車はユダの山地に向かって進み、シェフェラの台地に登って、ついにベトシェメシュの街に着き、箱はそこに留まったが、こうして契約の箱は「自力で」イスラエルへと戻って来たのであった。
しかし、YHWHはその地のイスラエルの民を打って死に至らしめたのである。それは箱を直に見てはならぬという律法の戒めの違反が生じたからであった。戦闘での箱の扱いからすれば、不敬なこともしたのであろう。(以上サムエル第一16章)(ベトシェメシュの住民は、覆いを外して中を見聞したのだろうか?)

 この一連の出来事は、神YHWHの変わらぬひとつの姿勢を明らかにしている。
 即ち、至高の神の持つ聖性さの不可侵である。
 当時のイスラエルは神の臨御を勝利の護符のように利用しようとしたのだが、彼らは明らかに神からの観点を欠いていた。「イスラエルの聖なる方」を自分の益のために用いようと、その聖さを地に引き下ろそうとしたのである。



-◆奇跡のシェキーナー光--------------------

 時は過ぎ、ダヴィデ王朝の時代に契約の箱はモーセ以来の会見の天幕からソロモン建立のエルサレム神殿へと移った。
 神殿内の奥の部屋、「至聖所」(ハ コーデーシュ ハ コダーシム)に覆いを外して安置される。

 そこでは、天幕のときのように箱の上に雲が現われ、臨御を示す奇跡の光が宿り、明り取りの窓も燭台もないその部屋を照らしていたであろう。それゆえ神殿を建立したソロモンは、『YHWHは濃密な暗闇に住まう』と神殿奉献のときに述べている。(列王第一8:12)
 年に一度、贖罪の日(ヨム・キプル)の儀式のために至聖所に入る大祭司は、この臨御光の明かりによらなければ充分な祭祀を行うことはできなかったに違いない。その大祭司も、至聖所を香の煙で満たすことで神の前から生還する道筋をつける必要があった。そのときの大祭司の緊張はどれほどであったことか。(レヴィ16:2・12-13)

 大祭司は年に一度、契約の箱の前に携えた牛の血を指先ではね落とすが、それを以って自分自身と同族レヴィの祭司たち、そして最後にイスラエルの民の贖罪を行うのである。従って、『贖罪』つまり罪を赦されるために、この箱は至聖所と共にモーセの幕屋の時代から必要不可欠であった。 

 その臨御を表す奇跡の光(シェキーナー*)は、箱の蓋の上方に現われたというが、この箱の蓋については格別である。(*שכינה「臨御」を意味するアラム語でユダヤ人にはそう呼ばれたが聖書中には使用されていない)

 箱はアカシアの材木で作られ、金が被せられていたが、その蓋そのものはすべてが金そのもので作られた重いものである。その重さは箱を簡単に開けることのないよう守るものであったろう。

 その蓋が「宥めの蓋い」(ヘブライ語 כפרת 「カッポーレト」の「宥め」と「蓋い」との重なる意をかけた呼び名)と呼ばれたからには、原罪ある人間に対して至聖なる神が怒気を発し滅ぼすことのないよう防ぐ働きがあったであろう。年に一度のヨム・キプルの贖罪の血はこの「宥めの蓋い」の前に振りかけられた。それを以って神は宥めを受け入れたのであったが、後代、この宥めはキリストの血によってまったく満たされることになる。

 箱にはやはり金の翼天使ケルヴが打ち金細工で二体作られており、それぞれは向かい合い、且つ顔を下げて中央に向かって翼を広げていたが、その双方の差し伸べられた翼の先端上方に雲が現われるときは、その中に臨御の光が宿っていたという。


 箱やケルヴィムは人間の作ったものながら、この臨御の光は超自然の現象であり、確かに神YHWHは偶像の神のように背光の彫刻を人間に作ってもらう必要のない「生ける神」である。(レヴィ16:2)

 神YHWHはその雲の光から話しかけ、モーセや大祭司に応じた。(レヴィ7:89)
 ヒゼキヤ王が「ケルヴィムの上に座する方よ」とYHWHに呼びかけたときには、至聖所に入らなかったにせよ、おそらくこの箱に向かって国の危機を訴えていたのであろう。
神はそれに答えて、アッシリアの大軍を一晩で壊滅させている。(列王第二19章/イザヤ49:8)

 こうした全能神の一民族への帯同は、箱の中に在って「証を成す」石板に象徴される「契約」の上にはじめて成り立つ。それは至高の神が特定の民族や人に許した関係であり会見であった。(出エジプト24:11)



-◆「証し」の行方-------------------------

 しばらくして、アブラハムの嫡流は分裂し、北のイスラエルと南のユダの二国家となってしまい、ユダにおいても契約は軽んじられ、神の聖性についても顧みられることはなくなってゆく。

 旧約聖書で最後に箱が言及されるのはユダの最後の善良な王ヨシアの時代であった。
彼の先代の諸王がYHWHへの崇拝を意に介さないばかりか、異教の偶像をさえ神殿に持ち込んでいた時代の後に、このヨシア王が立ってユダ王国をYHWHの崇拝に戻そうと努力を始めたところ、箱と共にされていた筈のモーセの律法の巻物が発見されたのである。

 巻物の内容が明かされると、イスラエルの民が如何に律法を破ってきたかにヨシア王は愕然とする。彼は直ちに祭り(過越し)を国中に布告し、清めた神殿に箱を再び安置するのであった。これが聖書中で箱が地上にあることを確認できる最後となった。(歴代第二34章)

しかし、風雲は急を告げていた。
YHWHはイスラエル民族の律法不履行のゆえに、契約解消の決意はもはや翻ることはなかったのである。
押し寄せる「黒雲」である大王ネブカドネザルと新バビロニアの獰猛な兵士にユダとエルサレムを罰することを固く思い定めていた。だが、それは「イスラエル」と名の付く民をまったく捨て去るものではない。神YHWHはその「友」アブラハムへの約束を血統によらない「イスラエル」を通して果たすであろう。(ガラテア6:16)

 やがて、ユダとエルサレムは攻撃を受けて、聖都も神殿も破壊され、神聖な祭祀に用いられる什器類も民と共にバビロンに移されるのだが、その什器類のリストの中に箱が登場しない。
 バビロンの兵が神殿に張られた金まで剥がしたというなら、金で覆われたこの箱を見逃すはずもないであろう。

 そこで考えるのは、イスラエルに頼らず敵中からでも奇跡を起こしつつ自力で戻ってくるような神秘の箱であれば、人間のように身の処し方に困るようなことはない。
神が契約を潰えたものと見做したので、神殿の荒らされるに任せたとしても、自らの威光を汚させないために神が箱を取り去ったということだったのであろう。確かに、証しの箱は他のあらゆる什器にない神の臨御と栄光を表すという極めて特殊な役割を持っていたからである。

 この聖なる箱の行方について、外典によれば箱はエレミヤが洞窟に隠した*ともファラオ・シシャクが持ち去ったともいうが、どちらもその意義は薄い。(*マカバイ第二 2:4-8/また、以下にあるエレミヤ自身の預言3:16と矛盾する)



-◆「証し」のない時代-----------------------

 契約の箱が単なる人間の所有物であるとするなら、それを探すことに理由もあろう。しかし、YHWHが永遠から永遠に生きるという神であるならそうはならない。(詩篇90:2/ハバクク1:12)
イスラエル民族の律法不履行が神の目に決定的になったとき、人が証書を引き上げるように、神はその契約の証しを処分する権限を有したに違いないからである。

 バビロンから帰還した民が第二の神殿を建立して祭祀を復興させるにあたって、彼らは不思議なことに契約の箱の無いことを聖書中に一言も問題として語らない。エレミヤの予告した『民はもはや箱を造らず』の時代の到来を意識したのだろうか。(エレミヤ3:16)
 それは、最初のものに比べれば威光の劣る新しい神殿と共に、彼らの咎がそこに見え、契約の証しを取り上げられたことに何の異議も唱えることができなかったのであろうか?(エズラ3:12)

 ともあれ、エレミヤを通して「新しい契約」が知らされており、帰還以降の民はこれを待っていた。証しの無い時代は彼らに仲介者モーセの契約に代わるメシア=キリストによる契約の到来をより強く期待させることになったであろう。加えて、モーセのような預言者となるという謎の「メシア」へと思いを集中させる作用もあったことであろう。(申命記18:15)

 おそらくは、ヨシア王の死後から聖都陥落の以前のどこかで、神の意志により箱は人手によらずに移され、人の目からは行方不明となったのであろう。そうであればこの箱が地上で発見されることはない。
もし見つかったとなれば、人間はこれを偶像視したり揶揄したり、好奇心に任せて勝手放題なことをこれに行おうとするだろうが、人の手垢などは到底、至高の生ける神の許すところではないであろう。まして、戻そうとの神の意志があったなら第二神殿に帰ったに違いない。


 キリストの近づいた西暦前63年、ローマ軍を率いた将軍ポンペイウス自身が第二神殿の至聖所に騎乗で乗り込んだが、(汚れた)異教徒の将軍は神に打たれることもなく、そこには律法の巻物は見たものの、やはり証しの箱は見なかったという。もし、そこに聖なる箱と臨御の証しの光があったなら、おそらく彼は至聖所から生還しなかったのであろう。(ネヘミヤ6:11)

 イエスが登場した頃のユダヤ人は、証しの無い律法契約の不完全さに先祖の違反の影を見ていた人々も多かったであろう。そのような人々は祭司ゼカリヤの子ヨハネの施す「悔い改めの」バプテスマを受け入れる素地があったと思われるが、他方、「律法と証し」の内の「証し」に相当する「箱」が失われているにも関わらず律法条項の墨守に血道を上げようとする宗教家らの熱心は、イエスを受け入れる柔軟性を失っていた。



-◆新しい契約の証し------------------------

 さて、聖書中で箱が次に登場するのはヨハネ黙示録の一回のみであり、しかも箱は地上にないことが明かされる。
その場面は、神が人類の反対勢力に対して行動を起こすところ、つまり裁きの日に、天の神殿に箱が見えるのである。天の神殿とは、キリストとその共となる十四万四千の真のイスラエルたち全体のことを指すのであれば、その神殿が黙示録の指し示す将来に天で完成し、そこには契約の箱を収めるべき至聖所も存在していることを示す。(黙示録11:19)

 それはモーセの律法契約ではなく、キリストを仲介者とする「新しい契約」に属する「神のイスラエル」に対して生ける至高の神が帯同し、その勝利が間違いないことを証しする目的でも語られているのであろう。
 この戦いにおいて、新たな証したる「聖なる霊」に抵抗する人類の全軍はまったく敗北することになるので、その戦いは「勝敗の顕著な」という意味で「ハルマゲドンの戦い」とされている。それは古代に、箱がイスラエルにもたらした圧倒的な勝利をも上回るものとなるのだろう。(黙示録16:16)

 それゆえ新しい契約にとって箱の有無は問題ではない。
それは『契約の箱を思いに上らせず、惜しみもせず、作ることもない』イスラエルの回復の時代を述べたエレミヤの預言が示すように、それは過去のものとして黙示録に援用されるばかりとなった。(エレミヤ3:16)
しかし、律法が過去のものとなっても、その一点一画は滅びないとされたように、かつてそれに伴った「証し」としての立場を持つ「契約の箱」も、黙示録に現れるように永遠のものとされているのであろう。(マタイ5:18)

 モーセの仲介によってシナイ山麓で締結された律法契約が地的なものであったゆえに、「契約の箱」も地的なもの具象物であったが、新しい契約は天的なものであり、その証しも抽象物となる。それはキリストの弟子らにあって「聖霊」の降下であったと思われる。(使徒2章)

この点、「新しい契約」の証しは「聖餐」という儀式ではなく、明らかに生ける力たる「聖霊」である。
今日、仮に神の是認し帯同する宗派なり組織なりが存在するとしたら、そこには誰にも明らかな、いや圧倒的で驚嘆すべき「聖霊の賜物」が在り、それを以って神の証印が押されているであろう。 ⇒ 『聖霊の賜物』 パルーシアの標識

 その神からの霊の賜物は、彼らが『神のイスラエル』に選ばれ召されたことの仮の証し(約束手形)であったとパウロは書いている。(エフェソス1:13-14/コリント第二5:5)

 証明するものが存在するのは、未確定な事柄があるからであって、律法契約も新しい契約も、それが成就するまでは証明物の存在価値は大きいが、一度、契約が終了するなら、その証は破棄されても記念物とされてもよい。つまり存在は必ずしも要請されない物となる。

 したがって、我々にとって重要なものは「証し」よりもそれが証す契約の実体である。つまり、そこにどんな契約あったのかということであり、それはあらゆる契約においてもそうであろう。

 それでも、「契約の箱」は人々の好奇心を惹起する、ある人はそれを「歴史のロマン」ともいうかも知れない。
 だが、どれほどの人がこのエレメントが証していた神との契約の方に思いを致すのだろうか。

やがて、「契約の箱」に代わる「聖霊」という証しは「新しい契約」と「神のイスラエル」を指し示すことになろう。
その証しのゆえに、我々は神を神とするべき時期がくるだろう。
そこでは好奇心でもロマンでもない、そのとき神聖四文字から遂に明らかにされる聖なる神名への信仰こそが必要となる裁きの日となるであろう。(使徒2:21)



  ⇒ 神名浄化の至上命題 「シェム ハ メフォラーシュ」



                                                                         



             新十四日派  © 林 義平


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