難易度 前半☆☆☆☆
双子の兄弟エサウとヤコブはアブラハムの裔としての究極的な選びをもたらしたが、それはただ二人の対照的な価値観の違いに終わるものでない。「イスラエル」の名に相応しい真のアブラハムの裔がどのようにメシアの伴として同じ磔刑の木を荷い精錬されてゆくかを教える重い意義を未だに有している。その教訓は神の業に対する価値をどこまで認めるのかという普遍的な命題を含み、その精神は神の聖なる民だけのものに収まらない。
やはり似ていないところは結婚にまで及ぶ。エサウはヤコブより早くに妻を娶ったのだが、当時の遊牧民の習慣に従ってか二人の妻を娶った。だがその相手というのはヒッタイト人とヒビ人、つまりは近所に居たであろうカナン人であった。
アブラハムは息子イサクの嫁取りのために、わざわざ家令の頭を実家のあるハラン(クァラン)に遣わし、弟ナホルの孫娘を息子に嫁がせたのも、カナン人の宗教や価値観や風習を避けてのことであり、ましてカナンの地を与えると神が約束されたからには、いずれはカナン人との対立が避けられない道理もあった。ただ、当時のアブラハムとその家族には、力ある神の預言者として周囲からの尊敬が有って、それが本来よそ者であるこのセム系一家の保護となっていた。
そして実際にエサウがその地の娘らを妻にしてみると、それはその両親、特にリベカにとっては『生きていても良いことがない』と言わしめるほどの辛さの元となった。その原因にはカナン人の俗な価値観や偶像崇拝的な風習もあったことであろう。
双子の母たるリベカはアブラハムからの家督を継がせるにはヤコブが相応わしいとしていたことは間違いなく、それは後の相続の儀式で全く明らかになる。そこでカナンとの通婚を戒めたアブラハムの家訓はまさに正しかったのである。エサウは家督を軽んじるところがあるばかりか、カナン人とアブラハムの精神との違いに気付かないほど放漫で、後のパウロは、それを指して淫らで低俗な者と言うのであろう。加えて、相続が生まれに拠らず神の選びに拠ると述べ、血統のイスラエルがその道を踏み外したところで、信仰に拠るイスラエルの民の相続を教えている。(ヘブライ12:16)
とはいえ、エサウが一度の食事で家督を弟に譲り渡したつもりはないことが、後になって実際に父イサクからの家督譲渡の儀礼の際に明らかであって、母親のリベカとヤコブの仕組んだ偽りによってすっかり老いて視力のないイサクを騙し、その儀礼を兄に代わってヤコブが受けることに成功したのだが、これを烈火の如くに怒ったエサウはヤコブ殺害を決意する。やはり正当な相続人はエサウにあり、ヤコブはそれを奪う他それを得る方法がない。
危機を悟ったリベカは下の息子の安全のため、ハランの実家に逃れるように命じ、ヤコブもそれに従ってアブラハムが二度と戻らぬ覚悟を胸に渡った大河ユーフラテスの東を目指して慌ただしく逃避行に旅立った。それは父祖に神が約束されたカナンの地から追い出されるようであり、見たこともない新天地に親戚とはいえ住み込みの仕事が待っていた。
しかし、神は旅路のヤコブが一晩休むために石を枕に横になったところで幻を見せ、天使たちが階梯を上り下りする様を彼は見る。そして神は曰く『わたしはこの地を与える・・わたしは話したことを成し遂げるまであなたを離れない』と言われるのであった。(創世記28:13-15)
その言葉に違わず、ヤコブは実家の主人となっていた伯父ラバンの許にあって神の善意を受け、恵まれて過ごすことになり、その家のレアとラケルを妻に迎え多くの子らと多くの財産をも得る。
こうした経緯があって後、ヤコブはやがて約束の地に戻りエサウと再会することになるのだが、ヤコブの方はエサウを大いに恐れていた。だが、意外にもエサウはヤコブを許しており、ヤコブからの多くの贈り物も受け取ろうとせず、自分は既に多くを持っていると言っている。ふたりは首を抱き涙を流して泣いた。そこは家督を争ったとはいえ、やはり共に生まれ育った仲である。ふたりの離別に二十年の年月が過ぎていた。
だが、この再会の直前にもヤコブは再び神の祝福への強烈な願望を示すことがあった。
彼は天使がいることに気付き、誰かを祝福するために歩いていたのだが、そこで近くにいるエサウの方に行ってしまわないようにと、『まず、わたしを祝福するのでなければ行かせません』と言い出して、天使と格闘を始めてしまったというのである。
しかも、その格闘は夜明かしで数時間続き、遂に天使はヤコブの腰の関節を外して彼を動けなくしてこう言った。『あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったから』。(創世記32:28)
そうしてヤコブは片足を引きずりながらエサウに遭うのであった。
そこで、やはりエサウ子孫で成るエドム民族が根絶やしにされ、その住む土地までが荒廃に帰するというのは少々厳しすぎる印象は拭えない。出エジプトの時に、アマレクという一部の過激派によりイスラエルから落伍しかけていた末尾が冷酷に攻撃されたとはいえ、イスラエルはエドム人全体を身内扱いにして、その地をわざわざ苦労して大きく迂回しているのであるから、エドムの全体が殲滅されなければならないとはどういうことか。まして、エドムと言えばモアブやアンモンのようなロトの裔でもなく、同じアブラハムの子民ではないか。加えてエドムはヨブ記の主人公であるヨバブを排出している。あの世に並ぶ者なき道徳者のヨブである。
◆オバデヤ預言の秘儀
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