quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

主の晩餐

主の晩餐とは何か



それはキリストの「最後の晩餐」としても知られる。
だが、単なる食事を意味していない。

「主の晩餐」は記念の儀式であっても祝いや慶事ではない。
その主要な意義は「キリストの死を宣布」することにあると使徒パウロは言う。
(コリント第一11:26)

しかし、これがどのような事を将来に惹起させるのかについては未だ謎がある。
というのも、この儀礼は『新しい契約』に関わるものであり、聖霊注がれた格別な弟子らが、キリストの体を象徴する無酵母パンと、血を表す赤葡萄酒に与り、その『兄弟』となって共に『アブラハムの遺産』、即ち『神の王国』を継承する『キリストと共なる相続人となる』ことを意味しているからである。
しかも、最初の食事儀礼を共にした十二使徒らは、殊に格別の立場に在り、天界での二回目の聖餐をキリストと共にすることも示唆されているのである。

その夜、最後にエルサレムに上ったキリストは、自らの死が近づいたことを知り、弟子たち、それも十二人の使徒たちとの別れに際し、きわめて意義深い最後のひと時を過ごしたのである。(ルカ22:15)

春先のその晩は満月が出ていたであろう。
というのは、その夜がユダヤ教の律法で「過ぎ越し」(ペサハ)と呼ばれる祭りの日に入ったからである。(出エジプト13:3-)



-◆主の晩餐の原形である過越し

その日から遡ること千二百年以上も前のこと、イスラエル民族はエジプトでの奴隷状態からモーセの指導の下に、自分たちの父祖アブラハム、イサク、ヤコブの神によって受け戻され、「約束の地」を目指してエジプトを発つ。

エジプトを出発する晩は、ことに記念すべき夜となった。
イスラエルの神YHWHは、預言者モーセを通してエジプトを治める「神」ファラオに自分の民を連れ出すように勧告し十度に及んでいた。

神YHWHによってその頑なさが助長されていたファラオが否む間、エジプトには九度も次々に災いが降り掛かり、その都度神YHWHの力が示され、それによってエジプト人にもイスラエルにもYHWHがどのような神であるかが次第にはっきりと知らされていった。実際に事を成し遂げる力を持つ「生ける神」としてである。(出埃9:16)

そして満月の晩。イスラエルはYHWHからその夜がエジプトにおける最後の時となることを知らされる。(出埃12章)
イスラエルはそれぞれの家庭で、旅仕度のままエジプトでの最後の食事をする。だが、その食事は特別な儀礼を伴うものであった。

まず、一歳のオスの子羊(あるいはヤギ)を夕刻に屠り、その血を家の入り口の戸柱と鴨居につける。
そうして赤く染まった戸口の中にいるなら、その家族の長男、家畜の長子は死ぬことはない。
しかし、そうしていない家には十度目の災いが臨み、すべての長男の命が奪われるのである。


屠った羊は家庭に集うすべての者によって食され、残していけない。肉や内臓が残るようなら火にくべて燃やし尽くさねばならないが、骨だけは折ることもしてはならない。その焼肉に酵母を入れない急ごしらえのパン(マッツォート)に苦菜(メロリーム)を添えて食する。

この夜、ついに皇太子を失ったファラオから出国許可が下り、夜が明けると全イスラエルとそれに加えてYHWHに信仰をもったエジプト人がナイルデルタ地帯のゴシェンから出発を始めた。

陰暦は日没から始まるが、その特別な食事の晩から始まる日はアビブ(「緑穂」)*の月の十四日であったことが記されている。(レヴィ23:4)*(捕囚後にカルデアの「ニサン」に呼称が変更された)


この奴隷状態から出る民の大行進は、ギゼーのピラミッドに近い「ノフ」から始まったとの伝承を歴史家ヨセフスが伝えている。三大ピラミッドは建造されて既に千年ほどが経過していたであろう。エジプトを発つ人々の目にその三角の陰が印象的に映ったのかも知れない。行進は翌15日にラメセスを発ち、以降二度とピラミッドを見ることはなかったであろう。(民数記33:3)


それから二カ月して、イスラエルはシナイ山麓に集結し、ここでモーセを仲介者に神YHWHと律法契約を取り結ぶ。
その律法の中で、出エジプトの月を一年の始まりとし、その十四日に過ぎ越しの食事儀礼を行い、これを世々記念するように神は定められた。(出埃12:24)
これは、後にセデルと呼ばれる定式の食事となりパレスチナ定住後はぶどう酒も含まれるようになり、時代が下るとより儀式化されていった。



-◆セデルから主の晩餐へ------

それから千五百余という永い歳月が経過し、その満月の夜、ニサンの月の十四日に入ったキリストは、地上における最後の夜、古来の律法の規定に則り十二人とセデルの会食を共にしていたのである。

しかし、この最後のセデルの食事を機会に、イエスは新たな儀式を創始する。
まず、感謝の祈りを捧げて一枚の薄い無酵母パン「マッツァ」を割り裂くとそれぞれ使徒たちに与え、それは「自分の体である」と食べさせる。

次いで、ひとつの杯のぶどう酒をやはり祈ってから同じように十二人*に回し、自分の血による「新しい契約」を表していると飲ませた。*(「イスカリオテのユダ、その価値観の変化」)

イエスは、これらによってセデルを改め、自らの「記念(アナムネーシス)」として世々行ってゆくように、そしてご自分はぶどうの産物を天で使徒らと共にするまでは口にしないと述べられた*。そしてこれは、後代「主の晩餐」(キュリアコン・デイプノン)と呼ばれるようになったのである。(コリント第一11:26)*(ナジル人の誓約を思わせる⇒「忘れられた二つの意義」)


こうして、十二使徒は象徴的ながら「イエスの肉を食し、その血を飲んだ」のであり、それは彼らが「新しい契約」によってイエスと結ばれ、人類全体に先立って「神の子」となり、仮の贖罪による義と永生を得たことを表すであろう。(ヨハネ6:54/ローマ8:1)

パウロによれば、主イエスはこの最後の晩餐で、使徒たちに自分の「死」を記念せよ、と命じたのであって、けっして復活や誕生を祝うように言ってはいない。

神においては「イエスの死」こそ際立って輝かしい栄光を放つ一事であり、「復活」が如何に奇蹟であっても、崇高さにおいてその「死」にはとても及ばない。(ヘブライ2:14)



-◆主の晩餐を巡る時のせめぎ合い

さて、ユダ・イスカリオテを通して、イエスを処刑する算段はこの間も進行している。すでにイエスは銀三十枚という大したものでない報酬で、イエスに好意を持つ群集の邪魔の入らない場所で祭司長派に引き渡されることになっていた。

しかし、イエスは使徒らと最後の晩餐をニサン14日に行うことを数年心待ちにしていたのである。
そのためユダが予定より早く行動を起こし、この大切な晩餐に捕縛隊を乱入させないため、セデルの行われる場所が直前までユダには分からぬよう、慎重に彼以外のふたりの弟子に「水甕を運ぶ男」を探させる。(マルコ14:14-)

しかし、それが晩餐が終わる頃になると、一転して「あなたのしようとしていることを早く果たせ」とイエスはユダを促すのであった。こうして神の子羊は定められた時を進んで行く。(ヨハネ13:7)


他方、永いイスラエル=ユダヤの歴史が経巡る間に、セデルをいつ行うかについて混乱をきたしていた。ユダヤ人の間でも内地では14日、外地居留民は15日に分かれた時期もあり、ユダヤの暦も統一が乱されてさえいたのであり、イエスの当時のユダヤ体制派については、現代のユダヤ人に同じく、「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」を一緒くたに「過越しの祭り」と称して、セデルをニサン15日に入った夜に行っていたのであろう。(今日のユダヤ教は依然ヒレル・パリサイ派を基礎にしている)

このようなユダヤの混乱は、キリスト・イエスが出エジプトの子羊と同じ「世々記念すべき日」に屠られることを神によって諮られたように見える。この日付の一日の差によって、ユダヤの祭司長派は『神の子羊』をニサン14日に屠る者と相成り、出エジプトの時に違わずにキリストは自らの『定めの時』を粛々と進まれたと観ることができる。 ⇒ 「過ぎ越しの日付にみられるユダヤの混乱

もし、子羊イエスを屠る側の祭司長派が、イエスに同じくニサン14日の晩にセデルを記念していれば、その晩から祭りに入ってしまっており、イエスを裁判にかけたり処刑を実行させたりすることはユダヤの儀礼上まったく不可能となっていたであろう。

それに加えて祭司長派はこうも言い合っていたことが記録されている。
『祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない。』(ルカ14:2)
やはり、今日でもパリサイ派であるユダヤ教徒は、二千年前に同じくニサン15日に過越しの食事をとって祭りを始めるので、イエスが捕縛されたのはニサン15日ではなくその前の晩ということは動かし難い。

そうであれば、やはりヨハネ福音書がイエスの刑死の日を、祭りの第一日の安息日前の『準備の日』としているように、祭司長派の一日の認識のズレが「世々記念すべき日」におけるキリストの死を可能にしたのである。(出埃12:1-14)
このように、人間の知恵の不完全さ思い違いを以って、神が目的の達成に用いられることは聖書中に度々見られることである。

エレメントに無酵母パンが含まれ、また、キリストの犠牲がユダヤ人の祭りと深く関わって捧げられた以上、その日付けは、ユダヤ人が「ニサン14日」と呼んでいる日に行われるべきものであることに変わりはない。



-◆王なる祭司となる人々

そしてイエスは、そのニサン14日に入った夜に幾らかの時間を取り分けて弟子たちと過ごし、パンによって彼らが自らと同じ霊の体となり永生を得ること、ぶどう酒によって「新しい契約」の当事者となり「アブラハムの遺産」(神の王国)を受け継ぐことを象徴的に示した。

しかも、この儀礼が繰り返される度に、それを行う者らは「主の死をふれ告げる」ことになるという。
つまり、イエスは「神の子羊」として肉も血も捧げられなければならなかったのであり、主の死があってこそ神の意志は前進したのであり、これは出エジプトのセデルの食事以上に記念に値する。これが主の晩餐の意義である。

つまり、十二使徒を初めとしてふたつのエレメントに与る人々が、キリストと共に霊の体を持って天から全人類を治める王、全人類の贖罪を為す祭司となるべく特に「選ばれた」また「召された」者たちとなる。 (ローマ8:30)


出エジプトの「子羊の血」が、その家の初子を救ったが、それら救われた全イスラエルの初子たちの総数の命を代価にして、神はイスラエルの十三の支族の中からレヴィ族だけをそっくり買取り、自らに仕えさせる祭司の種族としたのであった。(民数3:40-)
同様に、新しい契約での「初子たち」とは、律法制度のイスラエルを超えて、全人類の祭司となるべく神に買い取られる人々である。⇒ 「聖霊と聖徒

「神の子羊」イエスの血は、まず「全人類の初子」と看做される人々に犠牲を仮適用させ(義と永世を備えさせて)初めに救った。

それゆえ「新しい契約」に入る彼らは、人類に対して「初子」また「初穂」とされるので、パウロは自分たち初代のキリスト教徒を指して「我々、霊の初穂である者」と呼んでいる。(ヘブル12:23/ローマ8:23)


出エジプトの子羊の血で祭司らが神に買取られたように、キリストの血はイスラエルの祭司職に勝る、全人類の祭司職に「初穂」たる人々を買取るのである。(ペテロ第一2:4-5)


この新しい祭司職については、キリストが天に去って十日目のシャヴオートの祭り(五旬節)に約百二十人の弟子に聖霊が降ったが、それが神の買取りのはじめであった。

こうして新しい祭司となるこの人々に対してキリストの血の犠牲が承認され、「律法契約」に代わる「新しい契約」が効力を発揮し始めたことが五旬節以来明らかになったのである。(使徒2章/ヨエル2:28-)

百二十人のうち使徒だけが「主の晩餐」に与っていたのだが、新しい契約へ買取られる者は、この日から聖霊の賜物を持つ人々の増加と共に広げられてゆくことになる。



-◆選ばれた一部の者のための主の晩餐

後にパウロは、この聖霊の賜物は「相続財産(≒新契約)への事前の保証(手形)である」と述べている。(エフェソス1:13-14/コリント第二1:22.5:5/ペテロ第一1:4/コロサイ1:12)

このように「主の晩餐」はユダヤ教のセデルの食事とは一線を画するべきものであった。

しかし、キリスト教徒において、この点が曖昧な事例のあったことをパウロの記述が知らせている。
それはコリントス市のエクレシア(集会)であり、ある人々(ユダヤ主義的な)は既に「晩餐」(セデルであろう)を済ませてから「主の死の記念」に与ろうと満腹で酔った状態であり、別の(非ユダヤ的な)者たちは敢えて何も「食事」をして来ず、まったくの空腹で集まるのであった*。(コリント第一11:20-)
*(コリントスのエクレシアではアレクサンドレイアからエフェソス経由で来たイエスを知らなかったユダヤ人アポロスの影響とパウロスの教えとが拮抗していた様子があり〈1Cor1:11/3:4-7〉、このことがユダヤと異邦人の派閥となってしまった蓋然性がある)

パウロは、これでは彼らの分裂的集まりは悪い結果になるだけであり、そのような「裁きのために集まる」ようなことしてはならないと書いている。(同11:17/11:34)
これについてパウロは、教派の対立を止め、皆が家で適度な食事をした上で「主の晩餐」を行うように指導した。場合によっては互いに待ち設けて和やかに事前の食事をするようにも奨めている。(同11:33-34)
そのようにして派閥的な両極端を避けるべきことを教えていたのである

また、その同じ章でパウロは、主の晩餐の表象物(エレメント)に与るか否かは自分の「体」をよく吟味しなければ「裁き」を食し且つ飲むことになるだろう、と警告している。(コリント第一11:27-32)

これは、過ぎ越しの食事にもセデルにも無割礼の異邦人の与ることが許されなかったことが敷衍されているように思われる。(出埃12:43-48)

彼は「霊をもたない者はキリストに与る*ものでない」とも書いており、この点は注意を要する。(ローマ8:9)*(字義「彼に属す」)

つまり、聖霊の奇跡である「聖霊の賜物」を有しない「信徒」は「聖徒」ではなく、キリストと体を共にせず、新しい契約の当事者でもない

使徒パウロは、当時のコリントスのエクレシアの人々がその無分別の危険を犯しており、この点で「病みがち」であり相当数は更に進んで「眠りについて」(死を含意)しまっているほど(無感覚)であると指弾している。(コリント第一11:29-30)

したがって、西暦第二世紀半ばに聖霊の降下が終わって久しい今日、この晩餐を食する資格を持つ人は誰もいないであろう。
「主の晩餐」でエレメントの無酵母パンとぶどう酒に与る人々は聖霊の印を持っており、それは自他共に明瞭に認めうるものであった。(コリント第一12:7)


-◆十二使徒の先立ちを教える主の晩餐

さて、新しい契約で「契約に与る者」の中でも、キリストの十二使徒については更に別格である。
当時の時間の経過を考慮すると、十二使徒以外には聖霊の灌がれる以前に「主の晩餐」に与った者はないことになる。(ユダ・イスカリオテは落伍し、後に別の人物により補充された)
彼らだけは聖霊の証印を押される以前に、早くも「主の晩餐」に与るという稀なる立場にあったが、なぜだろう?

つまり、彼らはイエスに従い続け、親密で信頼の置ける者らであると既にイエスに認められていた。(ヨハネ15:16.27)そこでイエスは彼らと「王国の契約」*を特別に結び、それを通してイエスと十二人の関係は天でも格別なものにされたのである。(ルカ22:28*本文中「契約を結ぶ」との意で適切であろう

それはイエスの「あなたがたは天で十二の座に就き、イスラエルの十二部族を裁く」という言葉に表されているように読める。(マタイ19:28)

したがって、この(より早い復活を遂げる)十二の座から、残りの「新しい契約」に加入する者たちが吟味され最終的に立場を承認されるというように捉えることはけっして不自然ではないだろう。そうであれば、主に寄り添って来た十二使徒の「義」は、一人を除いてその後の聖霊注がれた他の聖徒に優って確定的だったことになろう。後にその一人の座は別の者の占めるものとなっている。(フィリピ3:11/黙示録21:14)(これは極めて稀なる高い権威ということができる)



-◆今日と将来の意義-----

ともあれ、ニサン14日の「主の晩餐」においてエレメントに与る理由があるとすれば、それは自分が「新しい契約」に与っているという誰にも明らかな証拠を伴っているべきであろう。彼らは天に召される者である。(ヘブル3:1)その証拠がないなら晩餐に与るものにはならぬ方がよほど良い。
パウロは『「裁き」を飲みまた食さないためである』と言っている。


つまり、聖霊の賜物の有無がそれを分けるのであって、イエスと一体になるという稀なる立場を弁えず、単に「天国に行きたい」であるとか、権威を身につけるための政治的方便であってもならないし、神の定めた救いの段階や、自分の身の程をわきまえぬ高慢や甘えが誘因であるとすれば、何を言うべきであろうか。(ヘブル5:4)

しかし、誰も食事に与らないからと言って「主の晩餐」を行わない理由も見出せない。
挙行することによって我々は「初穂」となる人々を忠節に待ち望むからである。
それはパウロが『創造物は切なる期待を抱いて神の子らが表し示されるのを待ち焦がれている』と書いたようにである。(ローマ8:19)


今日、参加者が誰も食べたり飲んだりしないとしても、「主の晩餐」の儀式のみをニサン14日に入ったとされる夜に挙行することによって、我々はその聖霊を持つ「聖徒」の到来に無関心でないばかりか、聖霊の再降下と彼らの現れを心底願っていることを神の前に示すという意義がある。
まさしく『求め続け、探し続けるなら』『父は聖霊を与えられる』と主は言われているのである。(ルカ11:9-13)

しかし、いつの日にか、真に聖霊を持つ人々が現れてエレメントに与るときに、それを喜べる一人となるなら真に幸いなことと思う。そこに人間によらない真の正義が到来することになり、我々は神の正義に信仰を示してそれを支持できるからである。(マタイ25:40/ゼカリヤ8:23)

今日、人類は誰が正義を持っているかを巡って政治や宗教の分野で争っているが、将来、聖霊を通し「神の正義」が現われることで、むなしい論争はひとつの論点に収束され、神か人の選択となるだろう。

そのときに主の晩餐がどのような働きをするのかは分からない。だが、古代エジプトでのペサハとキリストの最後の晩餐とのふたつを結ぶこの食事儀礼が徒ならぬものとなることは予感できる。
このふたつは共に民に隷属*からの開放をもたらす転換点であったし、祭司となる長子を贖っている。
*(エジプトの苦役と律法[罪]の頚木)

おそらく、将来においても「この世」への隷属の「虚無」からの民の開放へとつながるものとなるだろう。(創世記12:3/ローマ8:19)

キリストの流した罪のない血の中の魂は、まず聖なる者たち、それから人類全体の罪を贖い、神と人を結ぶ絆となって永遠に至る。それを理解する人々にとってニサン月14日は、今後もこの神の悠久の企図に深く思い致すべき、取り分けられ浄められた夜となろう。



                 新十四日派   © 林 義平


-------------------------------------
その後の歴史
使徒ヨハネの晩年、小アジアにおいて年に一度、ニサン14日の晩餐は守られていたが*、周囲(特にシリア)はこれに異議を唱えた。それは反ユダヤ感情からくる非難であったが、ローマ教皇ウィクトルの時には小アジアの全体が排斥されるところまで進んだ。これはエイレナイオスの仲裁を得て和睦したが、後年のローマ国教化の後に姿を消してしまった。
(使徒ヨハネに従う小アジアのこれらの人々は十四日派「クアルトデキマーニ」と称された) ⇒ ウィクトルとポリュカルポス

今日、復活祭やイースターの聖餐の名で主日とされた日曜日に移動されたが、これは本来のものではない。
また、普遍教会において、ミサの秘蹟として平素パンのみの「聖体拝領」となったが、こちらも万人聖徒の謬見による不都合からのものである。 ⇒ コンスタンティヌスの裁定

日付の根拠
小アジアのポリュクラテスは、人々(ユダヤ人)が酵母を除くときを我々は守ってきた、と述べており、それはユダヤ人が「ハグ・ハマッツォート」(除酵祭)に入るニサン月の14日ブディーカト・ハメツの焼却を表していたと思われる。 ⇒ ポリュクラテスの反論


マッツォの作り方 -----
無酵母パンは全粒粉の小麦を用い、水を少しずつ含ませて捏ねてから数ミリの厚さに延ばすが、薄い方が焼きやすい。それから僅かのオリーヴ油をひいた鉄板で焦げない程度に焼く。ピザ生地のような小さい孔をあちこちに付ければ気泡で脹らむのを避けることもできる。⇒画像付き(エイレナイオスのブログ)

ぶどう酒はできるだけ混ぜたものでないものがよいだろうが、防腐剤の無いものも市販されている。

だが、それを食したり飲んだりすることは勧めない。
キリストの死を観想し一定の時を過ごしたら、エレメントの働きは象徴的に終わるので、パンは処分し、ぶどう酒は地に注ぐのがよいと思われる。

試食、試飲なさりたくば、晩餐を挙行する動機の純粋性のために、別のものを別の時に試されるがよろしかろう。
無酵母パンの味は「苦悩のパン」と呼ばれただけあって、けっして美味ではない。


聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中




ポリュカルポスとアニケトゥス
ディダケーに描かれる主の晩餐 
主の晩餐で忘れられてきた二つの意義
血の禁令を超える「主の晩餐」
無酵母パンから生じるエクレシア
据えられた隅の親石の完全さ


 ◆本ブログの記事一覧












主の記念 

続きを読む

2012年 「主の晩餐」の挙行の案内


2012年4月5日の日、その日没後はユダヤ陰暦のニサン月14日に入り、キリストが磔刑で死を迎える直前の最後の晩に相当する夜となった。

キリストの命じたところに従い、その死を記念し、かつ宣らるべきところの、無酵母パンとぶどう酒を用いた儀式がこの晩に行われた。

それは、多くの教派で「復活祭」(イースター)とされ、日曜日に行われている行事に当たるが、これに対して最後の使徒ヨハネを擁した小アジアでは、西暦第二世紀までユダヤ人の「無酵母パンの祭り」の始まる前日であるニサン月14日の夜にキリストの最後の晩餐を記念するこの儀式「主の晩餐」(パスカとも)を行っていたことが知られている。 ⇒ パスカ日付について

そのため、小アジア地方のキリスト教徒は「十四日派」と呼ばれていたが、その名称そのものが、既に別の地方にあっては、パスカがその日に行われなくなっていたことを知らせるものとなっている。
それでも、「十四日派」は初代キリスト教の完成者と目される最後の使徒ヨハネの伝統を残すものであったといえる。

第二世紀の日々が彼方に過ぎ去った第四世紀以降ともなると、以前から犬猿の仲であったユダヤ教徒とキリスト教徒の不和はローマ帝国国教化で動かし難いものとなってしまい、今日広く見られる「復活祭」を行わせようとする国教側の圧力によって、小アジアの「十四日派」は周囲のキリスト教派からユダヤ的であると批難され追いやられ、ついには姿を消してゆく。


使徒ヨハネについて云えば、イエスの最後の晩餐において、まさに主のふところで過しており、十二使徒の中ではおそらく最年少であるとこからか、イエスから特に「愛された弟子」であったと自分について書いている。

彼にとってイエスこそ、その肌で感じるほど御傍で仕えた主であり、第二世紀に入ろうかという老齢に至ってなお、65年以上前のキリストと過したニサン14日の晩を心に深く刻んでいたことは、その名を冠する福音書が五つの章にも渉ってその時のイエスの言葉を収録している事が示していよう。

かつて、彼は主の帰天後の日々、使徒ペテロや主の弟ヤコヴと共にエルサレムの「柱と思える」主要な立場にあって、ユダヤ人への宣教と世話に従事していたであろう。

しかし、ユダヤ体制の処罰の滅びが降るに以前に、おそらくはデカポリス方面に移住して難を逃れ、磔刑の場で主イエスから依託された主の母マリアの扶養をしつつ、後に小アジアの主要都市エフェソスに腰を落ち着けたと伝えられている。

使徒ヨハネはこの地方のキリスト教徒を指導しつつ、黙示録や福音書などを記して新約聖書を封じることになった。
それは黙示録で「七つのエクレシア」として象徴もされた、往時の小アジアの人々によって「純粋な時代」と呼ばれた初代キリスト教の完成期といってよいであろう。そのときに主は依然、聖霊を介して彼らに監臨を続けていたであろう。  ⇒ 「純粋な時代」 ⇒ 小アジアのキリスト教


その使徒ヨハネの弟子たちが築いた小アジアのキリスト教の特徴のひとつに、ユダヤ人が「パン酵母を除く日」すなわちニサン14日に「主の晩餐」を挙行する伝統があったのである。


そして近代以降、「純粋な時代」の伝統に沿うかのように「主の記念式」と銘打って、ニサン月14日の晩(またはその前後)にパスカを行おうとする宗派も現れてきているのは喜ばしい事と言ってよいだろう。

この状況で筆者も、使徒ヨハネの伝統に密接に従うことを目指し、「十四日派」の再興を期して「主の晩餐」を挙行した。これは原点回帰を目指す意義を持つだろう。

パン種を入れないパンを食すことは、それに与る「聖徒」らが、罪なく汚れないキリストの体を共にして義と永生を得ることを、赤ぶどう酒の杯を共にすることは、アブラハムの遺産を相続するキリストの血(血統)に彼ら「聖徒」が共に連なって「神のイスラエル」を構成し、且つその遺産たる諸国民の光、「神の王国」を受領すべき「新しい契約」に参与し、またキリストの犠牲を以って契約が発効することを象徴するものとなる。(Joh6:58/Rom8:1/Eph2:13)

これらの意義は、人類最大の問題点の解決を意味するだけでなく、神の神たることの立証に関わる事柄である。(ヨハネ13:31)  ⇒ キリスト教の究極の目的

これらの表象のエレメントを前にして、できることなら有志が集まって、ヨハネ福音書の13章から17章を朗読なさるのが良いと思われる。
その箇所を通して、天に戻るイエスが地上に残す弟子たちへ深い愛のうちに与えた訓戒と、励ましの優れた言葉とを、その晩への様々な観想を伴って、またキリスト帰天後の聖霊の役割の重さも含めて深く再認識できるものと思う。


筆者は、今年は東京都内(神田)で場所を借りてこれを行った。
予想外の反響を呼んだことにいくらか驚かされた。


 ⇒ 2013年「主の晩餐」 小アジアの使徒伝統                                


                 新十四日派   林 義平
---------------------------------------------------------
以下のリンク先では、この儀式に関してより丁寧に説明しておいた。
 ⇒ 「主の晩餐とは何か」


 
   「主の晩餐」とは何か

   ポリュカルポスとアニケトゥス

   ディダケーの描く「主の晩餐」

   主の晩餐で忘れられてきた二つの意義

   血の禁令を超える『主の晩餐』







主の記念式2012年

ディダケーの描く「主の晩餐」



◆ディダケー「十二使徒の遺訓」

「ディダケー」は、古代のキリスト教文書の中で言及され、その存在が知られながら、19世紀になるまで姿を現すことのなかった初期キリスト教の文書である。
だが、近代になって歴史の淵から引き上げられたこの古写本の述べるところに中世期の蒙昧は感じられず、驚くほど教理上に優れた認識を垣間見せる。

1873年、日本では明治政府が不承不承に耶蘇教禁令の高札を取り下げた明治六年のことであった
東方正教会、ニコポリス府主教フィロテオス・ブリェンニオス(Philotheos Bryennios)がコンスタンティノープルの修道院図書館で非常に古い写本を見出した。この中から、あのエウセビオスが第四世紀にヒストリア・エクリジアスティカ(「教会史」)で言及していたものの、世に知られていなかった幻の書物が忽然とその姿を現したのであった。

「十二使徒たちの教え」([Διδαχὴ τῶν δώδεκα ἀποστόλων]*)と題するそれは、非常に古い由来を持つもので、第一世紀から第二世紀初めにかけてのキリスト教第二世代(使徒教父期)のものと識者らに考えられている。*(Act2:42)

キリスト教第一世代の終わりといえば、イエスの弟ヤコヴ、使徒ペテロとパウロが西暦六十年代に相次いで殉教に消え、キリストの同世代が大きな区切りを経験した西暦七十年までと見るなら、第二世代をそれ以後の四十年ほどの間と見做すことに妥当性もあろう。新約聖書は未だ全体が綴じられておらず、使徒ヨハネの著作が残されつつある時期ではなかったろうか。

ディダケーの写本については、次いで1900年にヨーゼフ・シューリヒト博士によってラテン語版の一部が発見されるに及び、これが西方教会にも伝播していたことも確定的となった。しかし、その内容に幾分かの相違あり、ギリシア語原文にも幾つかの異文があったと想定されている。

アレクサンドレイアのクレメンスが、これを聖書の一部として言及しているところから、ハルナックのような学者は、この書の成立を165年以前と観るが、エルサレム陥落の情報がなく、その終末観がテサロニケ第二書に近似し、しかも文章が平易明快であることから、これを西暦70年以前の初代と看做す識者もある。

だが結局のところ、これを何処で誰が、正確に何時書かれたかは分からず、今のところそれを知ることはまず無理のようである。しかし、後代のものと異なるその非哲学的内容からは、新約聖書の編纂される以前の弟子らへの必要を満たすための簡潔な情報源と思われ、且つ、福音書のイエスの言葉、また、使徒たちの手紙にあるような訓示の言葉がそこに在る。

書中、今日的キリスト教と異なって聖餐と愛餐が分けられて記述されところからも、明らかに原始キリスト教のものであり、当時の教理の姿も垣間見ることができるものであるが、そこでは当時のエクレシアの指針が述べられ、使徒の教えが反芻されているので、初期の人々の息吹を今日の我々に感じさせるほどのものである。
この書名「ディダケー トーン ドーデカ アポストローン」を約めて、単に「ディダケー」と呼ばれるので、以下この名称で述べたい。

このディダケーでは、まず、『神と人を愛すること』から説かれ始めるが、これはまさに「愛の掟」を中心に据える使徒らの声を彷彿とさせる。それからこの中心的教訓の適用としてイエスの垂訓を回想しつつ幾つかに触れている。

また、エクレシアの秩序を守るために必要な教訓が簡潔に述べられるが、それは教条の多岐にわたる律法のようでも、まして膨大量の規則集であるタルムードのようなものではない。むしろ、このディダケーそのものも大変短く、「信徒便覧(ハンドブック)」のようなものでしかない。おそらくは、新約聖書成立以前の人々の必要を満たすべく、初代に近い時期の誰かが編纂したとも言われている。


◆「主の晩餐」への記述

そして注目すべきはディダケーの「主の晩餐」(別称「感謝」〈エウカリスティア〉)[Περὶ δὲ τῆς εὐχαριστίας]に関する記述であり、そこには第二世紀までのキリスト教徒の行う聖餐の次第が記されている。
第十章の第三節以降は以下のように書かれている。

『3 「全能の神よ。あなたはあなたの名のゆえに万物をお造りになられました。また人々があなたに感謝を捧げるように、彼らの飲食のために食物と飲み物とをお与えになられました。

他方、わたしたちには、霊的な食物と飲み物と永遠の命とを、あなたの僕イエスを通して賜りました。


4 あらゆること先立って、わたしたちはあなたが力強い方であられることを感謝します。あなたに栄光が永遠にありますように。


5 主よ、あなたのエクレシアを覚え、それをすべての悪から解放し、あなたの愛によって完全なものとしてください。また聖なるものとして、四方からあなたが準備されたあなたの王国へと導き集めてください。威力と栄光とは永遠にあなたに属するからです。


6 恵みが到来しますように。この世が過ぎ去りますように。ダヴィデの神にホザンナ。

聖なる者は来るように、そうでない者は悔い改めなさい。マラナスァ。アーメン。」


7 預言者の欲するだけ感謝を捧げるように』
                                                 


これが聖書に匹敵するなどと云うのではない。
しかし、初代キリスト教徒の教えの中心がどこに在ったかについて証しされている。つまり、「神の王国」が聖餐に預る聖なる者らによって構成されること、また彼らが各地に散っているが、「四方の風」によって〈マタイ24:31〉(アブラハムの裔として)集められること、また、終末待望は「千年期説」との関連を要請している。

神はその「名のゆえに」万物を創造されたというヘブライ古来の要点を記し、またイエスを神の「僕」と呼んでおり、これは使徒ペテロの用いた語法*であって、かつて旧約では、ダヴィデ王について『わたしの僕』として多用された呼称であり、イエスとダヴィデの王権の司る姿を重ねるものである。そこには、後の第四世紀にやっと現れる「三位一体」の影も形も無いことはもちろんである。*(使徒3:13/4:27.30)

今日的キリスト教の「主日の聖体拝領」と、このディダケーが示すものの間に大きな乖離があることは広く認められているのだが、こうしてタイムカプセルが1700年の間のキリスト教に起こったあらゆる事象を一気に飛び越え、近代に出現したことに衝撃を受けた人々も少なくは無いであろう。『この世が過ぎ去りますように』との文言などは、使徒ヨハネの文書を彷彿とさせ、キリスト教が皇帝の宗教とされ、世の宗教となったニケーア以降ではとても許されるようなものではない。これが宗教の圧制が強い中世期であれば、オリゲネスのような初期教父の著作のように異端宣告を受け焚書に葬られていたのではあるまいか。

しかも、この文面にも聖霊の賜物のひとつであり、分けても重んじられるべき『預言者』が依然として存在しており(10:7)、聖霊降下が継続していたこともはっきりと語られている。(11:7) それは識者らがこの書の由来を第一世紀後半から第二世紀頃と認識していることにも符合する。おそらく、この当時のエクレシアは依然「聖徒」が大半を占めていたのであろう。(使徒21:9-10)


◆これが意味するもの

さて、今日のキリスト教界の趨勢となっているカルケドン派、またギリシア=ローマ型のキリスト教の「主の晩餐」の捉え方は、上記の近世に突然に現れた初期文書の伝えるところとは随分と違うところに在るので、おそらくは以上の文面の意義の大きさを教会員が悟るに難しいとしても不思議はないし、何か異物を見る想いであろう。しかし、それはキリスト教徒個人の責に帰せられるものでもない。

なぜなら、ディダケーが書かれて後、おそらくは百数十年を経る頃にキリスト教界の様相は一変し、ヘブライ的な原始キリスト教から変質し、ヘレニズム的な異教の混じったものが伝承されてきており、それが中世欧州を介しそのまま今日まで「キリスト教」と称されて広まったからである。


原始のキリスト教界を一変させた原因は、まず「聖霊の賜物」の喪失というべきであろう。
例えれば、上記ディダケーのように聖霊によって教えを与える『預言者』のような人々の存在を、今日のキリスト教界は正しく見てはいない。つまりパウロがコリント人への書簡で明らかにしているような、憑依状態にならずに本人の制御できる奇跡の賜物を持つ人々である。(コリント第一14:26-33)

パウロはコリントの人々が「聖霊の賜物」に富み、あらゆる種類の聖霊の働きがその地のエクレシアにあることを褒めている。
また、パウロ自身の賜物はたいへんなもので、彼はエフェソスで奇跡の業をこれ以上ないほどに見せたと、医師でもあるルカが直に見聞した事柄を使徒言行録に記している。これは聖徒らがキリストから業を託されたこと、またパレスチナから世界へと「神の業」の活動の場が広げられたことを意味する。(コリント第一1:7/使徒19:11/ヨハネ15:26-27.14:12)

また、聖霊は知識を与え、当時のエクレシアを真理へと導き、エクレシアの聖徒たちを介して神聖な知識が伝えられていたので、教理を統括する地上の中央無くとも、キリスト教徒の一致が保たれ得たのである。

それがため、パウロは自分と異なる考え方をしている者がいても『神が啓示してくださるだろう』と泰然と構えることができたのであり、彼が戦うべき誤謬といえば、聖霊を注がれず、新たなキリストの教えから遠く取り残されてしまったユダヤ主義者の嫉妬であった。(ヨハネ16:13/フィリピ3:15/ヘブライ2:4)

聖霊による神からの知識はまことに貴重なもので、パウロは聖霊によるこの知識の伝授について『それは今や、天上にある諸々の支配や権威までがエクレシアを通して、神の多種多様な知恵を知るに至るのであって、わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的に沿うものである。』と記してその価値の大きさの程を知らしめる一方、ペテロも預言への聖霊の啓示について『天使たちもそれを知ろうとして覗き込む』と述べている。(エフェソス3:10/ペテロ第一1:12)

上記ディダケーの引用の最後にある『預言者の欲するだけ感謝を捧げるように』という句には、聖霊によって語る聖なる者の感謝の言葉を妨げることなく、聖霊の語らせるままにすべてを話させるための指示とみるのが自然であろう。聖なる者らには仮のものであったとはいえ贖罪が既に行われていたのであり、聖霊の賜物はその証しであった以上、彼らには多くの感謝の理由があったに違いない。

それは、パウロがコリントのエクレシアに対して、皆が一斉に聖霊で語るのでは混乱して学ぶことができないからと、異言ばかりでなく『預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを味わうように』としたことを思い起こさせる。(コリント第一14:26-32)
即ち、聖霊によるキリストの監臨の続いていた時代に見られたエクレシアの姿がディダケーにも映し出されているのである。


従って、「聖霊時代」のキリスト教とそれ以後、即ちキリストが王権を得る旅に出立した後に、預言者たちのような聖霊の賜物をもつ人々がいなくなって以降のキリスト教とでは非常に大きな違いがあって当然と言える。(ルカ19:11-12)

聖霊の賜物の去ったキリスト教界は、その結果として「主の晩餐」の理解を変えていったとしても然程の不思議はない。殊に、賜物が失われたということを直視しないことによって、既に「無い」聖霊を「有る」ことにするのであれば、そこで本来のものから逸脱の起こらないわけがない。


◆パウロの述べたミュステーリオン

これは即ち英語のミステリーの語源であるが、ギリシア語では「隠されたもの」の意である。
パウロがこのギリシア語を用いている例としてエフェソス第一章を見ると

『神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、御旨の奥義(ミュステーリオン)を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。

 それは、時の満ちるに及んで実現される(全体)管理である。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとくキリストにあって一つに帰せしめようとされているのである。

 わたしたちは、御旨の欲するままにあらゆる事をなさる方の目的(経綸)の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

 それは、キリストに望みをおく最初のものであるわたしたちが、神の栄光を讃える者となる為である。
 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。

 この聖霊が、わたしたちが遺産を継ぐことの約束手形であって、やがて神の所有となる者が全く贖われ、神の栄光を讃えるに至るためである。』
(エフェソス1:8-14)

ここでの『奥義』とされる教義には、聖霊を受けた者たちについての内容が関わっている。
彼らが聖霊を通して知った事とは、聖霊を受ける彼らが『遺産を継ぐ』即ち、アブラハムの遺産である『神の王国』をキリストと共に相続することであり、その約束手形として『聖霊の証印を押された』と明かしている。

それはエデンの園で神が予告された『女の裔』に属するひとりとなることであり、その目的はサタンとその悪影響とを亡きものとし、神を高め讃え至高の座に就くことを求めることである。(創世記3:15)
それはまた、アブラハムに約束された『あなたの裔によって地上のあらゆる家族が自らを祝福する』という遺産であり(同22:18)

また、モーセの律法契約で、もし契約を守るならアブラハムの嫡流イスラエルが『聖なる国民、祭司の王国』となることを示されたこと(出埃19:5-6)

この「裔」がキリスト後に更に進んで実体を現したので、使徒ペテロは聖なる者らで成る当時のエクレシアの人々を指して
『あなたがたは選ばれた民、祭司の王国、聖なる国民、神の特別な所有に帰する民』と呼んだのである。(ペテロ第一2:9)

この人類を祝福するというこの格別の「選民」に召されるには、メシアがイエスであることへの信仰を必要としたが、ユダヤはそれを十分には示さず、その数を満たさなかったので、この『聖なる国民』には異邦人からも補充のために選ばれるに及んだ。

そこではアブラハムの実際の「血統」ではなく、アブラハムのような「信仰」を示す人々で構成される『神のイスラエル』と呼ばれる真の選民と補充された異邦人を『接木した』混成の民が出現したのである。

しかし、どの国民であれ、選ばれた人々を印付けたのが『約束の聖霊』であった。そこでパウロはユダヤと異国の聖なる者を『ふたつの民』と呼んでいる。(エフェソス2:14)

それはエデンの園に始まり、爾来悠久の時を経て、遂にキリストの弟子らの上に聖霊の賜物を介して成就し、遂にエデンで語られた『女の裔』が、キリストの犠牲に基づいて現実に姿を現し始めたのである。

その聖なる人々の働きは神の卓越性を賛美し、それを宣告することにあり、それこそは神の聖霊を通した世界宣教の業となる。
この聖霊による宣告を通して世界は裁かれ、信仰懐く人々の一半は遂に「自らを祝福」し「罪」を許され「救い」に至ることになるのである。(マタイ10:18/ヨハネ3:36)

『神の王国』を構成する聖霊を受ける『聖なる者』は、人類救済を司るために、天界の「祭司」と成るべく人類に先立って贖罪され、大祭司キリストと同じ霊の様、同じ栄光を得ることを目指し『新しい契約』に参与して、忠節の内に聖さを全うするよう努める責を負う。(ローマ8:29/コリント第一15:50-53)

人類救済を目的とする悠久の時に亘る神の意志に基づく計画、パウロはこれを指してこそ『奥義』(ミュステーリオン)と呼んだのである。
それは『目も見ず、耳も聞かず、人の心に上ることもない』ものであり、聖霊がこれを教えるのであるが、その聖霊は『世が受けることのなく、知ることもない』ものであると聖書は語る。(コリント第一2:9/ヨハネ14:17)

イエスはその教えを大衆に向かっては譬えで語らずにはいなかったのも、まさしくその内容がミュステーリオンであったからに他ならない。(マタイ13:11-15.34-35) 俗な関心を専らに抱く人々にこのことは理解できず、そうしようとも思わないであろう。(コリント第一2:14)


◆「主の晩餐」はミュステ-リオンに非ず


パウロが言うように、『奥義』とは神の「経綸」(或いは「目的」プロテシス)に対する理解であって、それは『聖徒』の『神の王国』への集め出しに関わるものである。ディダケーには、この認識が表れており、これが書かれたとされるキリスト教第二世代には依然ミュステーリオンが「神の目的」である事が知られていたであろう。

しかし、その同じギリシア語「ミュステーリオン」が、やがてキリスト教徒の間でさえ諸国民が語るままの異教儀式の『密議』の意に入れ替わり、「主の晩餐」のエレメントに与る人をキリストに結びつける「秘跡」(ミュステーリオン)ということにしてしまったのは、「原始キリスト教」ではなく、迷信的「原始的宗教」の精霊崇拝への堕落という他ない。

今日「ミサ」と呼ばれる儀式(東方の「聖体礼儀」)、その中心を成す「聖体拝受」の原型が「主の晩餐」のパンではあったが、これを第四世紀の政治家から俄か仕立てに司教となった人物、アンブロジウスがミュステーリオンと思い込み、ネメシェギも指摘するようにラテン語の「ミステリウム」はもちろんのこと「サクラメントゥム」(聖なる秘跡)とも区別せずに置き換えていた。(「秘跡論」1/同9)

司式者が「これは私の体である」と言った瞬間に聖体のパンはまさしくキリストの肉になり、司式者が「これは私の血である」と言った瞬間から、それは本当にイエスの血に変化し、その都度キリストの血が流されるというのである*。この教えはもちろん聖書の根本的理解を逸脱したヘレニズム的古代の蒙昧である。(ヘブライ10:11-14)
*(トレント以後の「カトリック」は毎回の流血を否定している)

アンブロジウスは、これを「秘跡」でありミュステーリオンであると称するばかりか、『それがどれほど偉大なサクラメントゥムであるかを悟りなさい』とまで命じている。(「秘跡についての講話」第四講話:6)
しかし、それが引き続き変わらずパンとぶどう酒のように「見える」のは、それを食し飲む人々が気持ち悪く思わないための恩恵のようにも云うのである。(「秘跡についての講話」第四講話:4)

これにどうしてアーメンと言えようか。ならば、キリストが最期を遂げるその前の夜に、磔される前にその血が既に流されたと云うのか?犠牲になる前のイエスの体をそこに見ていながら弟子らがキリストの肉を食らったのか?いや、やはりパンと葡萄酒は表象である。
そのひどい思い込みは「やはりパンも葡萄酒もそのままだ」と言って子供が正しく指摘するような「裸の王様」さながらではないか。儀式は儀式であって、エレメントは表象であり、けっして実体に成ろう筈も理由も無い。これらは「ミュステーリオン」を理解できないことへの代替物、呪術の産物と云うべきだろう。

この「教え」が「聖体拝受」の「秘跡」(サクラメントゥム)とされてキリスト教会に伝承され、今日まで東方もカトリックもプロテスタントまでもが、つまり大半のキリスト教会がそのように「聖体変化」と称する古代異教如き「秘跡」を教えられ続け、宗教改革期を、また近代以降の科学時代をさせ潜り抜け、人間理性をここまで侮り、見事に欺いてきたのはまったく驚くべきことではないだろうか。

そこでは秘跡を通して、与る者にはキリストと合一させ、罪が許されて救われるというのだが、これが『奥義の家令』パウロの意図した「ミュステーリオン」であると教えられ信じ込むのがキリスト教信仰とされてきたのである。

もちろん、儀式や表象物がその人を救うわけでも聖たらせるわけでもないのだが、それらが人に何かを与えると教えるところでは、あの真なる「ミュステーリオン」即ち、聖書全巻を貫流し、人の思いを遥かに超える全人類救済の「神の目的」たる「聖なる者」も「神の王国」も無視され、キリスト教でなくても良いような、個人にとっての「ありがたい宗教」とされ、本来「ミュステーリオン」が持っていた力強さは見る影もなく削がれてしまった。

これはヘレニズム異教神秘主義の秘密儀式と混同されたというよりほかなく、これはもうヘレニズムの素材で造られたギリシア=ローマの別宗教であって、キリストの直弟子らのものとは異質なものである。

第二世紀のディダケーから第四世紀のアンブロジウスを眺めると、そこには進歩ではなく、明らかな後退が見られるではないか。この時代にキリスト教はエントロピーともいうべき秩序解体が進み、高度な教理からアニミズム的迷信に下っているのであり、その原因は聖霊時代から急速に遠ざかっていたことであろう。


やがてキリスト教は、「イエスさまを自分にお迎えする」という個人を益するご利益崇拝と堕した。「聖体拝受」や「聖体礼儀」がどれほど荘厳に行われようと今日「スピリチャル」と呼ばれる類いの軽宗教と変わりなく、好奇心を刺激し個人に役立つ占いのような低い価値レベル、また絶対者との合一を唱えるところは交霊術的であって、本来のキリスト教とは程遠いものと言わざるを得ない。

他方、パウロの語った意味での「ミュステーリオン」とは『奥義』であって、実体は「理解されるべき教理」ということである。それは「隠されたもの」であるがゆえにも、これまで世に対してばかりでなく、キリスト教界に対してさえも隠されてきたようだ。原因は聖霊が無いからであり、真剣な探求が人類救済の「大志」無き人々の政治的意図によって踏み躙られてもきたのであろう。

さて「主の晩餐」のふたつの表象物の意味は
即ち無酵母のパンは、キリストの罪なき体を分け合うものとなって天界で共になるべく、キリストと同じく霊の体に新たに生まれることを表象し、葡萄酒は、キリストの流された血によって発効する『新しい契約』に与り、古代律法の祭司職のように、大祭司キリストによって人類に先立った仮の贖罪を受け、また、キリストの血を通して相続財産である『神の王国』を選ばれた聖なる者らが受け継ぐことを表すものである。
(Rev16/Joh3:5-6/Tit3:5-6/1Cor10:16/Rom5:9/Eph2:13)

これらの表象された事柄についてイエスが群衆に向かって『わたしの肉を食し、血を飲む』ことを語ったときに、十二使徒を残して群衆はみな理解せずに去っていったことからすると、その理解そのものが『奥義』であったと言い得る。
しかし、この表象や儀式そのものが『奥義』ではけっしてない。(コリント第一2:10)

その表象や儀式が彼らにその立場をもたらすのではなく、聖霊が証印を与えているのであり、「主の晩餐」はそれを年に一度、主の死を記念しつつ、それをふれ告げ、聖なる者らがその類い稀な立場を再確認する意義があった。(コリント第一11:23-26)

彼らがイエスの死に想いを馳せることは、契約による聖霊を介しての神や主との絆の価値の高さを再認識し、自分たちに与えられた主と同様の自己犠牲の使命について決意を新たにするものとなったことであろう。

したがって、その場で表象物に与った者が聖霊を受けた者とされるのではなくて、『証印』たる聖霊を受けている者がキリストの表象物に与るのである。その人は既に賜物によって自他共に『聖なる者』として知られているのでなければ偽物と見分けもできない。(ローマ8:9-10/8:1-2)

「主の晩餐」のエレメントに与る者は、本来『神の王国』という人類祝福の礎となる高尚な目的を理解し、キリストと同じく、その体を捧げ、主の血によって人々に先立って贖罪される「新しい契約」に参与して、その犠牲の精神をも共にする覚悟が要るのである。(マタイ10:28/ヨハネ15:20)

イエスが広く大衆に講話しつつも譬えを以ってこれを秘め、パウロが家令を務めつつエクレシアに明かした『奥義』ミュステーリオンの実体である神の目的に込められたもの、即ち人類救済の神の悠久の意志という畏怖すべきまでの内実の素晴らしさに、今日でもある人々は心動かされるであろう。(エフェソス3:1-4)

「秘跡」「復活の祝い」「赦しと救い」など様々に誤解されてきた「主の晩餐」であるが、キリスト教の神髄に適った「主の死の宣布」と「聖霊と聖徒待望」の仕方で挙行することは、今日の聖霊を持たない我々にもできることである。
もちろん、エレメントに与る者は居ないが、その本来の姿、原始キリスト教が持っていたその理解を目指し、ディダケーにあるような仕方を尊重して、この21世紀にこれを甦らせることは現に可能なのである。そこではパウロが述べていたように、聖霊の再降下と聖なる者の現れを願うという意義が残されている。(ローマ8:19)


筆者はここ数年、小アジア原始キリスト教の古式に則り、年に一度の「主の晩餐」を行ってきた。また、遠隔地のこの信仰と神の意志に従おうとの大志ある方々にも無酵母パンとぶどう酒を用いた「パスカ」を同日の同時刻に行われることをお勧めしてきた次第である。

そして本年は四月十四日の日没後がその機会となった。

各地で「主の晩餐」を行われた方々からのお知らせをお待ちしている。
人数は一向少ないが、これも大多数の人々には「譬え」や「奥義」で終わるということだろうか?
筆者は東京で行い二名の出席であった
埼玉県内でも二名あり
富山県内で一名
海外で一件の知らせあり

他にも行われた方があれば、お知らせを頂ければ、こちらで把握できた分だけでも公表したく思う。
それは、僅かといえ価値を見出し万難を排して式を行った少数者を励ますものとなろう。


 quartodecimani(a)hotmail.co.jp   (a)を@に入れ替え 林 義平 宛てまで


(「主の晩餐」の基本的理解についてはこちらを

(「ディダケー」については一例として「使徒教父文書」荒井献 編 佐竹明 訳で講談社学術文庫にも含まれている。但し、この文庫本に含まれる他の教父文書に同様の価値があるというわけではない) ⇒ ディダケーについてのメモ

なお、2015年のパスカはユダヤ人の習慣から考慮して4月5日(日)の夜を予定している。

© 林 義平



聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中








.

主の晩餐で忘れられてきた二つの意義

 <難易度 ☆☆☆☆ 中> 参考記事「主の晩餐とは何か」


◆忘れられた『神の王国』との関連


キリスト教界は本来的に、「主の晩餐」を「復活祭」において、主イエスの死と復活に着目しこれを記念してきたのであるが、福音者、特にルカ福音書に明らかにされてきた以下の観点は等閑に付されてきたというべきであろう。

即ち、「主の晩餐」についてルカに書かれた事柄の特にふたつについて、これは考慮の外に置かれてきた。
そのひとつは、十二使徒という陪餐者らについてである。この十二人が「主の晩餐」を通して『神の王国』の設立と深く関係していると言えるのである。

ルカ福音書では、『(あなたがたを)わたしの王国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族を裁かせるであろう。』と記されている。(ルカ22:30)
ここに、「主の晩餐」の儀礼が指し示す重要な成就と向かうべき目的が示されている。

即ち、十二使徒が将来に得るであろう聖なる者の選任という、異例なほどに高められた立場であり、それはセデルの食事で一頭の子羊を食するのに足る人数(十人)を満たすということを遥かに超えた意義がそこにあったことを意味している。(ユダヤ戦記Ⅵ3:425)

ルカの記述によれば、イスカリオテのユダもその場に居り、この格別な食事儀礼を済ませてから、不義な役割を果たすべく外出していることになる。それは後にマッテヤによって代えられることになる十二の座のひとつを満たすためであったろう。(ルカ22:20-21) 

彼らは、それまでの三年ほどを主と共に過ごし、当夜には『わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた』と、この晩餐の場で他ならぬ主からの言葉を賜っているが、その言葉には使徒らへの慰労と、次なる段階へと進む用意の整ったことが暗示されている。
 
即ち、ひとりを除いて十二使徒らの忠節はイエスに証しを立てられるまでに達していたと言って良いであろう。
もちろん、イエス後のこれらの者たちに引き続き試練となる艱難辛苦は臨んだのではあるが、イエスがゼベダイの子らに『確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むだろう』と言い得たように、他の使徒らの生涯についてもはや疑念を残さないところまで彼らの忠節は到達していたのであろう。(ルカ22:28/マタイ20:23)

そこで、彼らだけがペンテコステの聖霊を注がれるに先立って「主の晩餐」に与る謂われを持っていたと観ることができる。
そのうえ、この晩餐には天での対型があり、十二の座に就いて再び飲食を共にし、彼らは『イスラエルの十二部族を裁く』権限をも委ねられるというのである。

これはもちろん、血統上のユダヤ人を裁くというような然して意義の無い事柄を意味しない。
彼らが裁くのは『神のイスラエル』である『王なる祭司、聖なる国民』となり、天のキリストと共になり、『神の王国』また『神殿』となるべき『アブラハムの裔』であるに違いない。

その天界での二度目の晩餐は『新しい契約』の終点であり、それが成就することによって、遂にエデンで語られた、サタンの頭を砕く『女の裔』の全容が『神の王国』となって整えられるに至る時である。
その時に十二使徒は、『十二部族』の構成員の選別という類い稀な権威をキリストと共にするのであり、地上の最後の晩餐はこの天界の会食において遂にその成就を見るのであろう。

この点から、古来キリスト教界から忘れられてきたもうひとつの「主の晩餐」の事柄が立ち現われてくる。



◆忘れられた二度目の晩餐

ルカ福音書から、主の晩餐について忘れられてきたもうひとつの点は
即ち、キリストと使徒らの陪餐する宴会が二度目に天界で行われるということにある。
契約に宴席が伴うのは、主の晩餐が初めてではない。

モーセの仲介の下で。イスラエルが律法契約に入ったときに、民の中の主だった者七十人はシナイ山上で神の宴席に与っている。 (出埃24:9-)
そこで彼らは、足元に天そのもののようなサファイアのような輝きを、そして神の幻影を眺めつつ、御前で食事をしたのであり、これが詩篇とエフェソスの『虜を連れ去った』の句を理解するポイントとなっているであろう。(詩篇68:13/エフェソス4:8)

出埃には、YHWHはこの長老たちに『手を下さなかった』とあり、聖くない者らを神は御前に容認されている。しかも詩篇では『人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる』とまで歌われる。この『背く者』とは、即ち、いずれは荒野で不信仰のゆえに屍を晒すことになる年長者らであっても、契約の初めには御傍に近付くことが許されたことを云うのであろう。(出埃24:11/詩篇68:18)

それは『神のイスラエル』と呼ばれることになる、『新しい契約』に与る『聖なる者ら』への天への召命の予型と観ることができるであろう。
女の裔とは『神の子』としての『初穂』であり、それはアブラハムの子孫から現れるからであり、そのように地上から『虜を連れ去る』ことが神の意志である秘儀の主要な事柄であったからである。
しかも、『新しい契約』もモーセの契約のときと同様に、その約定を逸する者らが出、しかも、その者らが、荒野で倒れた世代、またユダ・イスカリオテと類似した役回りを演じることも含んでのことであることが記されている。

他方、シナイ山上で会食した者らは、後にモーセと同様に聖霊に与り、一度限り預言を語ったが、従者イェホシュアはこれを嫉妬してモーセにそれを止めるようにと願っている。しかし、モーセは皆が自分のようになってくれることをさえ望んだのであった。(民数11)

この故事をパウロは詩篇第68を通して暗示し、類似してエクレシア内の聖なる者たちが聖霊を得ていることから、神が『虜を連れ去り、人々に賜物を与えた』との句を引用して、様々な人々の霊の賜物がエクレシア全体を益すことを例証していたのであり、その与え主がキリストであることを知らせている。(エフェソス4:7-13)


さらには、先だって『新しい契約』に参与することが定まったと見做された十二使徒も、地上で「主の晩餐」の第一回目の儀礼を主と共にするばかりでなく、キリストの再臨の際に「早い復活」を得て、再び天界の会食に参与するのであろう。そこで吟味を受け聖徒たちから選ばれるのが黙示録にある『十四万四千人』の残りということになるのであり、その土台石となって支えるのが十二の使徒の座となるのであろう。(黙示録7:4/21:14)

それゆえ、イエスは彼らにこう言明している。
『あなたがたに言って置くが、神の王国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない』(ルカ22:16)
また、葡萄酒についても
『今からのち神の王国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲むことはない』(ルカ22:18)

これは明らかに、「主の晩餐」には使徒たちと主による二度目があり、その場所は、彼らが霊体に復活する以上、地上では有り得ず、ましてイエスの御許に彼らも神の十二部族も集められるのであれば、二度目の「主の晩餐」の場所は天界以外にない。しかも、その食事は『過越し』であって、「主の晩餐」はその間の儀礼なのである。
(但し、地上で行われる最後の「主の晩餐」は格別のものとなるのかも知れない)

キリスト公生涯で最後のセデルを迎える準備について、弟子らが『過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか』と主に尋ねているので、メシアの公生涯中、使徒らと毎年セデルを行ってこなかったとは考え難い。彼らは皆、神への崇拝に熱心なユダヤ教徒であったからである。だが、以前にセデルを共にしていたにせよ、この最後のものは「主の晩餐」において別格となったであろう。

殊に、葡萄の樹からの実を天界の会食までとらないと言われる主は、ナジル人の誓約に入ったかのようである。
即ち、何かの目的を追い求め、自らに禁令を課すのであり、父の御許に戻られる主の場合には、天界の会食の際に成し遂げられる事柄、即ち『神の王国』の完成を指しているのであろう。そこで12部族が吟味され、真のイスラエルが集められるからである。王国の設立、それこそは「アブラハムの裔」を集め、また使徒らにもその集める業を続行させたメシアの代々に亘る企図に相違ない。

この観点から、年毎の「主の晩餐」を振り返って観ると、それはキリストの臨席する一回目と二回目の間に挟まれた記念行事ということになり、その間にキリストは不在であるので、『わたしの記念としてこれを行う』べき必要が生じるであろう。そこでサクラメントゥム(秘跡)と称する理由は失われ、そこにキリストの血が流され肉が現存するべき理由も霧散する。天界での実体としての使徒と主の宴席が、地上の聖質変化を無用の長物と化してしまう。 

然りとて、地上での主の晩餐の儀礼が空しいものとなるとは言えない。
それは、出エジプトの子羊と神の子羊の双方が祭司の民を出現させたのであれば、聖霊が再降下するときに、この主の晩餐の儀礼がどのように関わることになるのかは依然として予断を許さない。地上の満月の晩は、どちらも「最後の夜」となったからである。 

ともあれ、天での二回目の主と使徒らの晩餐のときには、『新しい契約』は役割を果たし、『神のイスラエル』のすべてが試練を乗り越えて天に挙げられ、こうして『レヴィの浄め』が果たされるのであろうから、これは祝宴というべきである。神の秘儀なる経綸はこうして『神の王国』を招来させて成就に至る。黙示録によれば、その時に奥義は終了し、福音書によれば、キリストはパンと葡萄酒を再び楽しまれるというのである。

しかし、ユダ・イスカリオテのような人物にとっては、この経綸は関わりのないことになろう。一度、高い立場を与えられ、或いは聖霊を注がれ、その来るべき世の力に与っていながら、なお否認する者を悔い改めに導くことは不可能であり、契約から堕ちる彼らは最終的に天に召され『連れて行かれる』ことなく、地上に『残される』ことになろう。

ルカ書の記述順によれば、ユダも「主の晩餐」に与っているが、それはこの時の儀礼に十二の座を満たす必要があったに違いない。マルコとマタイからはユダの外出が「主の晩餐」の前後のいずれかであるのかをはっきりさせることができない。(ルカ22:20-21)
もちろん、ユダが儀礼の場に欠けていたなら、主が『あなたがたが十二の座に就き』と言ったときに、他の使徒から反論が出たであろう。
 
ユダが既に心変わりをしていたことは、この一年ほど前からイエスの指摘するところであったので、本来なら、その時点から十二使徒としては相応しくなかったことになる。(ヨハネ6:70-71)

しかし、主はイスカリオテのユダの背信に気付きつつも、彼を避ける風情さえ見せず、裏切るその日に至るまで、彼をそのままにしておき、聖餐が済むと『あなたのしようとしていることを早く済ませなさい』と言われた。
即ち、セデルの聖なる食事が一日ずれる祭司長派が守備隊を遣わして、その邪魔の入るべきでなかった儀礼の制定も無事に終わり、今やメシアは捕縛され犠牲となるための祭壇への道に向かうのみとなったことが、ユダに対するこの命令の言葉に深く込められている。

こうしてキリストはその進むべき道に足を踏み入れ、また、周到に用意された時を進まれたのである。
それは、出エジプトのとき以来、代々守られるべき満月の夜の出来事となった。それはニサン14日の晩の他に考えようがない。(出埃12:42)

後に、イスカリオテのユダの脱落によって欠けた席は新たにマッティアスによって補充され、ペンテコステの日には再び十二使徒として聖霊を受けるに及んでいる。以後の補充はなく、他の使徒らのようにこのマッティアスも石打に遭ったうえ、斬首されて忠節のうちに殉教の死を遂げたと不詳ながら伝承には語られている。



◆「主の晩餐」を記念儀礼として観る


この二度目の晩餐が天で行われることを念頭に置くと、一度目と二度目に挟まれたすべての「主の晩餐」の意義は過大評価されるべきものでないことが見えて来る。
「主の晩餐」は『神の王国』の成就のときには、天での十二使徒との二度目のものが行われることによって、その最終的な意味をもってこの食事儀礼も終わりを迎えるものであろう。
なぜなら、これを以って「新しい契約」が機能を果たし終え、聖なる民を天に揃えるからである。

従って、主の晩餐を地上で行っている間は、けっして『神の王国』は到来していないに違いない。
その民イスラエル、アブラハムの裔は未だに集められてはいないからである。

この観点から見ると、キリスト教界で長らく、また一部は現在も、「聖体変化」がエレメントに起こるとされるという秘跡は、上記の『神の王国』との関連や、天界での晩餐の意義の前に一気に色褪せる。
また、王国の実現後の地上の「主の晩餐」は行われる必要をもたないので、その後のこの儀礼はどうするかを問うことも愚問となろう。 
(但し、聖なる者らが天界に去り、『神の王国』が実現して後も、ニサン14日の晩に関わる何らかの別の儀礼が開始されることは充分に考えられるところである) 

この儀礼が使徒たちから聖徒たちを含んで伝えられ、年毎のそれは一度目とは異なる意味合いを帯びて来た。そこに主の姿はなく、パウロも言うように『それは彼が到来するときまで』行う記念儀礼となったのであり、その実体は一度目と将来の二度目にあり、その間のすべての儀礼は、聖霊の再降下の始まりを除いては、思い起こすための途中経過という副次的な意義をもつのみである。

主の言葉にあるように、それは『王国の到来』、また『神の王国で過越が成就する時』を依然待つものであり、この儀礼そのものが成就を表すものとはなり得ない。
従って、「主の晩餐」の無酵母パンと葡萄酒というふたつのエレメントそのものが、それらに与る者を『聖なる者』とすることはなく、既に「聖霊の賜物」を受けている者が与るのである。(ヘブライ5:4)
使徒パウロははっきりと、『約束の聖霊を以って、我々は証印を押された。それは相続財産に与る約束手形である』と述べるところである。(エフェソス1:13-14)

それであるから「主の晩餐」の毎回の儀礼によって何かが新たに成し遂げられるという理由は無いであろう。 
そこで表象物に与る者に聖霊が注がれたり、その者が聖なる者である証しを立てることもない。聖霊を持つ証しは「聖霊の賜物」という『手形』が示すのであって、人間の側から自分がそうだと主張することは誰にでも出来ることであって偽物を留める力は無く、個人の主張を『神からの証印』というには無理がある。(コリント第二5:5)

まして、キリストとのありがたい絆に与るという程度の認識で頻繁にこの儀礼を行う教会のクリスチャンはどういうことになるのだろうか。 その願う自己救済のご利益信仰に対して、世を救うキリストの自己犠牲の精紳との乖離は、それを行う度に顕著なものとなるばかりではないのだろうか。

「主の晩餐」はキリストの犠牲の死に感謝することも目的ではない。
その感謝する、という文言に既にご利益信仰が現れている。なぜなら、神の裁きが未だ将来であるのに、自分はその犠牲に与るつもりでいるからであり、その意識の中では自分の救いを既成事実化しており、終末の裁きを勝手に乗り越えてしまっているのだが、これほど厚顔で感謝とは裏腹な態度もないであろう。

キリストの自己犠牲の精紳に倣うということは、自分を未だキリストの贖いの受け手とはしない。毎年のキリストの犠牲の死を記念しつつ、自分には永遠の命が手に入ったと感謝しているべきだろうか?
もし、そうならその人はキリストを自らの下僕としているのではないのか。それは御子の上に胡坐をかくほどに傲慢なことで、この上ないご利益信仰であり、そのような意識の人々の間には慶事のような雰囲気を伴うであろう。それでは復活祭と同じことである。

真にキリストの犠牲の意義を悟れるなら、その自己犠牲にひたすら倣うのであって、感謝して受けている 場合ではない。
パウロはこう言って、実際にこの言葉に則して生きたのである。
『彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。』(コリント第二5:15)

そこで「主の晩餐」はキリストを『記念』することにおいて、またその『死を宣明する』ことにおいて厳粛なものとなるはずである。そこでキリスト教徒の認識は試され篩われることになろう。
まして、復活を祝うというなら、キリストの死に至るまでの忠節を軽んじることになり、まったく「主の晩餐」とは異質なもので、誰も行うよう命じたものでなく、目出度い諸国民の祭礼とローマ国教化の悪影響でしかない。

確かに、主の身体と血が「聖化」をもたらすという、しかしそれは象徴の意義であって、エレメントが実体に変化することも、その物質が聖霊をもたらすことは有り得ない。なぜなら、その教理はキリストの貴重な犠牲を単なる物質に置き換えるという魔術的な愚行であり、キリスト教をアニミズムに格下げする価値観の転倒だからである。

これらの事柄を省みるに「主の晩餐」は的外れに行われてきたものである。
そこには聖霊も聖化も実際には起こってはいないにも関わらず、「主の晩餐」そのものがありがたい呪文のように、あるいは身分保障の証しのようにされてしまってきたのである。
 
確かにキリスト教界は、キリストの死を悼むように見せ、一方で復活を慶祝するところ、また、キリストと共になるという願望によって「主の晩餐」を行ってきたのではある。

だが、今日依然として、王国もメシアも到来あるいはパルーシアにさえ至っていない。
そこで、この観点を念頭に置き「主の晩餐」を行うことは我々にとって可能なのである。

「主の晩餐」は、『新しい契約』の仲介者であるキリストと 『聖なる者ら』との聖霊を介した深い関係、またそれが人類の贖罪を成し遂げる『神の王国』を将来に存立させるものであることを深い価値観をもって記念するものである。その両者が一体となって天界の神殿が建立され、そうして初めて人々は神との関係に復帰することができるのである。 

それは聖なる者でないとしても、自己の願望はともかく、こうして「主の晩餐」は、キリストが世に来られた意義を見出し、それぞれの信仰を吟味し、自らの信仰が『神の王国』と関わりをもっていたかを問い直す良い機会となろう。
つまり、自らのキリスト教信仰をその度に見直し、キリストの犠牲の意義や精神に向き合い、自らの姿勢を省みる機会とするのである。




そこで各地の閲読者諸氏に、この夜が意義深いものとなるよう祈念する次第である。

あるいは、それぞれの宗派の縛りがあるかも知れないが、キリスト以来原初のキリスト教においては、厳格な作法や次第が存在した訳では無いので、仕方をどうこう論ずるよりは、その意義を理解し、まず行うことがキリストの意を汲むことになろう。むしろ、伝統の細々した言伝えに従おうとしている最中に、キリストの想いを汲むことからは遠ざかってしまう危険がよほど大きいであろう。

準備はといえば、無酵母パンを作成することであり、次いで、純粋な赤ぶどう酒を用意することになる。
当日は、日没後、これらのエレメントを卓上に置き、キリストの犠牲と王国の到来に想いを馳せ、聖霊が再降下し、聖なる者らが現れることを願うことができよう。

聖霊ない信仰者が行う「主の晩餐」であっても、消極的に見做す理由はない。
何故なら、「神の王国」が人類唯一の救いである以上、それを待ち望む信仰ある者が現に地上に存在していることを神の前に示すことができ、契約の子らの母たる『シオン』の一員となる重要な役割が将来にあるからである。

ルカ福音書の中でイエスは、繰り返し願い出る寡婦を例え、それに関連してこう言われる『人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』 これは執拗に願うものに神が与えることを教えているのであり、漫然と旧来の「信仰」に安住することを正統だと唱えることを是認してはいない。(ルカ18:8)


来年2016年のニサン14日の始まりは4月21日*の木曜夜となる。この日の日没後に主の晩餐を予定している。

*(2016年については、ものみの塔の「主の記念式」と一か月近い差が出るが、これは2015年に相当するユダヤ暦に閏月<ヴェ アダル>が挿入される結果、天文に従うものみの塔と大きな差が生じるためである。新十四日派はエフェソスのポリュクラテスの言葉に従いユダヤ人の習慣に寄り添うものとする。)


南関東方面の方には、2016年の主の晩餐を共にすることをお勧めしたい。
 ご連絡は林義平宛てに以下のアドレスにメールを頂戴したい。
 場所と時間をお伝えする。

 quartodecimani(a)hotmail.co.jp    ←(a)をアットマークに入れ替え
 

この四年間では毎年6名の各地の方々について、ニサン14日の「主の晩餐」参加を把握させていただいている。



  新十四日派   林 義平


聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中




血の禁令を超える『主の晩餐』




キリストの最後の晩餐の席は、モーセに規定された『過越し』であり、ユダヤ人のセデルの食事であったことは福音書の記述の明らかにするところである。一行はユダヤ教徒として相応しく毎年にセデルを行っていたであろう。

だが、主が十二人と最後に行った過越しの食事において『主の晩餐』が新たに始められる。
それはユダヤ教の儀式をキリスト教の儀式へと更新させるものであり、双方をつなぐものは『子羊』の犠牲であった。それが実際の肉に代えて無酵母パンと、その血を象徴する赤葡萄酒によって、契約に入る者らによって摂られる新たな食事儀礼へとその夜に替えられた。

その子羊の犠牲は、荒野でモーセの祭司職を創始させる代価を提供するものとなったように、イエスの犠牲はキリストを大祭司とする天界の祭司職を創始する代価となった。

元来の出エジプトの故事においては、各家庭で屠られた一歳の雄の羊で、その肉はエジプトを発つ用意を整えた旅装のイスラエルの民とそれに付き添う人々によって食された。(出埃12:1-13・44)
屠られた羊の血は家々の門口の柱と鴨井に塗られ、それが印となってエジプト全土を襲った第十の災いである初子の急死からその家を守ったのであった。

それは春先の陰暦アビブの月の十四日に入った晩のことであった。
羊の血の印の無いエジプトの家々を初子の急死が襲い、これ以上の災難を望まぬエジプト人は厄介払いに彼らが旅立つことを願って、イスラエルが望む物をせっせと与えても良いと思えるほどであった。(出埃11:3/12:33-36)

災いはファラオの家も例外とならず、皇太子を失う衝撃は、九度に及ぶ災厄がエジプトを覆ってさえ頑迷を助長され奴隷イスラエルを手放さなかったファラオをも動かし、この十度目の災いを以って遂にその民の解放を許させるものとなった。

したがって、神の指示によりアビブの十四日に屠られた一歳の雄の子羊は、イスラエルの旅立ちに際して、その初子、過越しを行った諸家族の長男を守る身代わりとなったと捉えることができる。


さて、ナザレのイエスがバプテストのヨハネを介してイスラエルに紹介されたとき、彼はイエスを指して『見よ!神の子羊』と宣したことをヨハネ福音書は記す。(ヨハネ1:36)

若き日に、自らバプテストの傍らに在ってその声を聞いたであろう使徒ヨハネの著作には「過越しの子羊」を『神の子羊』と重ねる記述が多く、ナザレの人イエスが神の子羊であるとの言葉だけでなく、また双方の子羊共に骨が折られなかったことが予型と対型として示されている。(出埃12:46/ヨハネ19:33.36/) また、黙示録に於ては、勝利を得たメシア、またキリスト教の象徴として子羊が多出する。(黙示5:6-14/6:16/7:9.14/12:11/14:1-5/17:14/19:7/21:9-13/22:3)
 
使徒ヨハネが示すように、この子羊がエジプト出発に際して屠られた子羊を敷衍するものであれば、やはりキリスト・イエスも『初子』に相当する人々の救いとなったであろう。

というのも、イスラエルがエジプトを発って二年目に神YHWHはモーセを介し民にこう言われているのである。
『すべての初子はわたしのものだからである。エジプトの国ですべての初子を打ったとき、わたしはイスラエルの初子を人間から家畜に至るまでことごとく聖別してわたしのものとした。彼らはわたしのものとなるであろう。』(民数記3:13)

この言葉からすれば、死んだはずのその初子らの神の買い取りの代価が、子羊の魂(命)であったことになり、その支払が為されたことを家々の戸口に塗られたその血が証しとなったということができる。『肉の魂は血にあり』『血が魂によって贖罪を為す』からである。(レヴィ17:11)

したがって、出エジプトの子羊たちは、その血の犠牲によってイスラエルの初子らの身代わりとなった。
そして、その身代わりを得て生きているイスラエルの初子は、イスラエル民族の中から祭司の部族を登場させることとなる。
『レヴィ人をイスラエルの人々のすべての長子の代わりに、またレヴィ人の家畜をイスラエルの家畜の代わりに取るように。レヴィ人はわたしのものとなる。わたしはYHWHである。』(民数記3:45)

こうして大祭司に任命されたアロンを補佐する一部族が取分けられた。それが預言者モーセやその兄アロンの属するレヴィの部族で登録された男子の総数は当時二万二千人であった。(民数記3:6-7)

さて、後代の『神の子羊』であるキリストにあっては、やはりその犠牲の血で人類の『初子』を買い取っている。(ヤコブ1:18)
その血によって買い取られた『初子』とは、『天に登録されている初子たちのエクレシア』とパウロが述べた初期キリスト教徒の集まりに召し出された『聖なる者ら』を意味している。(ヘブライ12:23)

当時の『聖なる者ら』について使徒ペテロは、『イエス・キリストに従い、且つ、その血の注ぎを受けるべく、父なる神の予知されたところによって、選ばれ霊の浄めに預かっている人たち』と呼びかけたうえで、『あなたがたは選ばれた種族、王なる祭司、聖なる国民、神の所有に帰する民』と呼んでいる。(ペテロ第一1:2・2:9)
 
それこそは、かつてモーセがシナイ山麓で律法契約によってイスラエルが到達すべき目標として示した事柄であったが、イスラエルの律法の不履行は覆うべくもないバビロン捕囚の結末を招いていた。
こうして律法契約はその『聖なる民』を生み出すことに至らなかったが、預言者エレミヤを通して神は『新しい契約』を締結する日が来ることを知らせ、その『契約の使者』である『メシア』を指し示したのであった。(エレミヤ31:31-33/マラキ3:1/ダニエル9:27)

一方で、ペテロも言うように律法契約は『負い切れぬ頸木』であり、それをパウロは『律法は違反を明らかにするために付け加えられたもので、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのもの』と述べ、また、『もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかった』とも言っている。(出埃19:5-6/ヘブライ8:7)

即ち、『新しい契約』によってキリストが血を以って買い取ったのは、遂に神の正当な選民とされて現れた、より偉大な「対型的なレヴィ族」であり、彼らがキリストと共に行う贖罪が全人類に及び、その用いられる器となるものがキリストと聖なる者らで構成される『神の王国』である。

キリストの『聖なる者ら』はレヴィ族が水の浄めを受けたように(レヴィ8:6)『霊の浄めに預かって』おり、レヴィの祭司職が民全体の贖罪の儀式に関わったように、『聖なる者ら』は大祭司キリストの下で人類の贖罪に関わることになる。(ヘブライ10:22)
 
それゆえペテロは彼らを『祭司』また『聖なる国民』と呼んだのであり、それこそは遠い過去にアブラハムに約された『地のあらゆる部族はあなたの子孫によって自らを祝福する』(創世記22:18)の言葉の実現がいよいよ近付いたことを知らせるものであった。

全人類を祝福するこの偉大な贖罪制度『神の王国』をもたらすために、キリスト・イエスが如何に主要な務めを果たすかについてパウロは『神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされた』と書いている。それが、この王国のもたらす最終的な目的であり、エデンに入り込んだ天地の無秩序を取り除く経綸である。(エフェソス1:10/フィリピ2:10)

即ち、『神の王国』の成し遂げるところは「神と人の和解」であって、そうして創造の業の完成し、創造されたすべてが創造者の御許に集うことであり、そのためには人は『罪』を去らねばならない。しかし、人類の宿痾であるアダム由来の『罪』を捨てることは人間の努力の及ばないことである。

もし、人間が自らを浄められるものであれば、キリストの犠牲は要らず、人類はこの世を改善できたであろうが、今日見る通りにこの世は悪や不義で一向変わらずに住み難く、人の寿命は苦しみの内に尽きてゆく定めを免れず、その生涯はまことに虚しいものとなっている。

そこで『罪』は人間以上のものが行う「浄め」を必要とする。それを成し遂げるのがキリストの犠牲を介する『贖罪』であり、その祭祀を執り行うのが、天界のイエスとそれに寄り添う『聖なる者ら』による『神の王国』であり、彼らこそが真実の『アブラハムの子孫』であり、パウロは彼らを血統上の肉のイスラエルと対照して『神のイスラエル』と呼んでいるのである。(ガラテア6:16)

本来の過越しの翌々日から数え始めて五十日目はシャヴオート(五旬節)であるが、その日には過越しの無酵母パンに代って酵母の入った二つのパンが捧げられる。(レヴィ23:15-17)*数得る「安息日」はユダヤ教の解釈に従う
それは小麦の収穫の始まりでもあり、畑から最初に収穫された小麦から作られていた。

その四十九日前のキリストが復活を果たしたニサン16日は、ハグ ハ マツォート(無酵母パンの祭り)の二日目であり、小麦より早く実る大麦の初穂の束が神の御前に捧げられるよう律法に規定されていた。イスラエルはこの行事より以前に初物を食すことが許されていなかった。従って過越のパンは大麦ではない。またそれは肉体を持ったキリストがこのニサン16日に人類の初穂として始めて霊体への永生の復活を果たす予型であったとみることができる。小麦の無酵母パンは『罪』の無いキリストの御体を表していたことであろう。

一方で、シャヴオートでは酵母を含ませたパンが焼かれて御前に捧げられるが、それは相変わらずアダムの罪を宿してはいるものの、『新しい契約』によりキリストの犠牲の仮の適用を受けて『義』を承認され、キリストの復活後四十九日を経た後『聖霊の油注ぎ』を受けて再生して現れ出でた『聖なる者たち』を予表していたと見るのが自然な捉え方であろう。(ローマ8:1・ヨハネ3:5)



◆キリストの血の意義

もちろん、キリストの血の犠牲はやがて全人類を益するものとなるにしても、神はまず大祭司キリスト(ヘブライ3:1)とそれに従う祭司たちを事前に召し出すことを企図されたが、それはモーセの律法の祭祀制度によって予告されていたのであり、モーセの崇拝制度に於いても、イエスのそれに於いても、双方共に祭司らを任命せしめたものは『子羊の血』の犠牲であった。

やはりイエスは、使徒らに差し出した葡萄酒の盃について、『これは、多くの(偉大な)人のために流すわたしの契約の血である』と述べて、それを使徒らに飲むようにとも言われる。それは象徴とはいえ律法が飲血を強く避けるように命じている掟を踏み越えることである。ユダヤ教徒はこのセデルの食事に四杯の葡萄酒を儀礼に飲むようになっていたが、それを血と意識することはなく、むしろそのような意味なら嫌気すべきものになり、飲めたものではない。

最後の晩餐のおよそ一年前、イエスが自宅を持たれたカペルナウムにおいて、群衆に『わたしの肉はまさしく食物であり、わたしの血はまさしく飲物である』また、それらを取り入れる者は『わたしと結びついて、わたしもその者と結びつく』と言われたときに、律法に教育されてきたユダヤ人の群衆は『いったい誰がこんな話を聴いていられよう』と言ってはイエスと使徒らから離れていったことがあった。(ヨハネ6:53-66)

古来、律法では、飲血をする者は重罪を負うのであり、血抜きされていない肉を食することも同罪であった。(レヴィ17:10-12)
それゆえ今日のユダヤ教徒もこの禁令を守って食事に注意するのであり、ユダヤ教から更に後退した「エホバの証人」に至っては輸血も拒否することが知られている。だが、律法にも明記された血の禁令の意義は、何が何でも血を体内に取入れないことを固守するところにあるのだろうか。具体的な飲血への禁令が指し示す、より高度な意義は存在しないものだろうか。

血の禁令は律法から更に遡って、大洪水後のノアへの指示にも見られるものであったが、人類の再出発に当たり、神はこのように言われている。
『すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その生ける魂である血のままで、食べてはならない。』(創世記 9:3-4 )

確かに律法も飲血も血抜きされない肉を食することも禁じている。
『イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者の誰であっても、血を食べるなら、わたしはその血を食べる者に敵してわたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。』(レヴィ17:10)

これは今日のユダヤ教に至るまでの律法に従う場合に強い禁止条項である。だが、異神崇拝や御名の侮蔑、また著しい悪行のように民がこれを処刑するように命じてはいない。侵す者は断たれるべきであったにせよ、神自らが処置を下すと述べられた。そこで、イスラエルの歴史では血を食してしまったものの、命を長らえている例を見出す。しかし、それで赦されたということにならないであろう。(サムエル第一14:31-35)

しかし、律法中の飲血の禁令が目指した対型的な意味は、物質的な血液をただ体内に取入れてはならないというところにあるわけではない。
レヴィ記には神の語るところとしてこのように記されている。
『 肉の魂は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、贖いをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は魂であるゆえに、贖うことができるからである。』(レヴィ17:11)

この言葉のゆえに、動物の血が贖罪のためにイスラエルに与えられたと捉えることもできるであろう。
即ち、動物の肉が祭壇で焼かれる一方、血は祭壇の下に注ぎ出されて*その魂がイスラエルの罪を贖うために彼らに一度与えられたが、それでも『魂』の所有権は終始神のものである。(エゼキエル18:4)ゆえに、神のものを贖罪に用いたとしても、その用法を誤るべきではない。*(血も肉と共に焼かれる規定もあったが、これは滅ぼされる魂があることを示すのであろう)

レヴィ族の祭司たちが動物の血を扱ったのも、彼らが抽象物としての『魂』(ネフェシュ)を直接に手で扱うことが出来なかったからに相違なく、そこで血という具象物を儀式に於いて取り扱うよう命じられたというべきであろう。人が魂という抽象物の神の所有権を尊重するためには具象物の儀式的扱いを行う以外にない。これが血の禁令の意義を成している。

然るに、魂とは血液だと神が語っていたのではなく、血液の成分の中に『魂』に相当する部分があるということにもけっしてならない。血は魂の表象であるに違いなく、そうなれば、神はこの禁令を通して何かを教えようとしていたに違いない。

したがって、飲血がまったくの罪を犯すか否か、もちろん輸血が良いか悪いかを含めて、その禁令の外面をひたすらに守ろうとすることは、そこに込められた象徴的意義を学ばないばかりか、まるで的外れなことになる。それはキリストの当時のパリサイ人が申命記の「シェマ、イスラエル」にある『その言葉を目の間に置き、手に結え』との命令を言葉のままに経札を額に括り付け、手に巻いた行動が表わしたように、自己義認のために事の本質を悟れなかったことの繰り返しである。

逸脱を加えて、禁令に含まれるのは血の全成分か、血清は対象外かなどと論じ始めるなら、それはまったく即物的にだけこの禁令を捉えることに於いて、ユダヤ教に増して律法的であり、肉的な蒙昧というほかない。象徴的意義に目が開かれず、専ら具体的禁令に注意が向くからである。そこにキリスト教での次元上昇は起こっておらず、律法が意味した事柄を悟り、それを完成するに至らないばかりか、ユダヤ教よりも後退しているのである。

エホバの証人のように、輸血を含めて血を飲まない潔癖さばかりに神の御旨があると考えるなら、その人は血の禁令に込められた真意を見出すことなく、自己義認への関心に終始することであろう。その関心の対象は神の御旨でなく自分の義による救いの達成であって、それこそは律法的服従の恐怖の宗教というべきである。


では、血そのものが象徴する意味は何であろうか。 
これは神の観点から見る必要があろう。 

先に見た創世記のノアへの血の禁令に、神自らが次のように補足している。
『あなたがたの魂の血を流す者には、わたしが必ず代償を求めるであろう。いかなる獣の手からも代償を求める。兄弟(同士)である人にも、わたしは人の魂のために代償を求めるであろう。人の血を流すものは、人に血を流される、神が自らの象りに人を造られたのであるから。』(創世記 9:5-6)

ここでは、キリストのペテロへの戒めの言葉である『剣を執る者は剣によって滅ぶ』の句が思い起こされる。
殺人に込められた精紳は、身勝手に創造物を消去する願望であり、これには人ばかりか他ならぬ創造者であらせられる神が代償を求めると言われる。神は『全ての魂はわたしのものである』として、命を以って動くあらゆる創造物の所有権を明確にしているのである。殊に人は神の象りである。(エゼキエル18:4)

また、最初の殺人となったカインとアベルの事例をも彷彿とさせる。
カインがアベルを憎んで自分の耕地に連れ出して謀殺した後、『お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる』と神はカインに言われている。(創世記4:10)

この最初の殺人により、農耕者であったカインは弟の血で土地を汚して放浪者に身を窶すこととなった。象徴的にアベルの血は代償を求めていたが、その意味するところを言えば、神の創造物、それも『神の象り』に創られたひとりの失われた『魂』アベルという存在に対する神の所有権が荒らされていることの言い開きが『血の叫び』によってカインに求められていたと言える。

そしてこの最初の殺人に於ける神の求める血の代償を引き合いに、後代の使徒パウロはキリストの血を敷衍して『アベルに勝って声を発する注ぎかけの血』と記しているのである。(ヘブライ12:24)

やはり、血の禁令が教えるものは、創造物に対する創造者の所有権であることが示唆されている。⇒「命に優る魂」
人々に動物の肉を食するのを神が許すにせよ、それらの創造物の所有権を人に許したことにはならない。創造者は創造者なのであり、そこには何者も侵すべきでない所有権が存在するのはまったく理に適ったことである。

イエスは『体を殺しても魂を滅ぼせない者を恐れるな』と言われる。聖書中に『死んだ魂』なる語はあるが、死んでも『魂』は神の内には滅んではいない。そうでなければ、キリストの魂はどのようにして『墓に捨て置かれず』復活に達したのか。

やはり『魂』は抽象物であって、 本来、人がこれが『魂』であると示せるものでない。
ゆえにアドヴェンティスト派が主張するような「その人そのものが魂である」ということもまず成り立たない。そうでなければ、動物なりの身体が死んで後に、その『血は魂であるゆえに』地に注ぎ出すようにと神が命じた意味もないことになる。何故なら、その動物にせよ人にせよ、そのものが死を迎えたときに魂も滅んでしまっていることになるからである。

したがって、肉は焼かれ食されても、飲まれない血の処置は、肉の滅びを超える「魂」という抽象存在を人に明らかにしている。創造神の記憶の中で、死んだ人々さえ魂によって『神にあっては生きている』と自らの死を目前にしたイエスが言われている。。(ルカ20:38)

したがって、血の処置をしようとしまいと、魂は常に神のものであり、『魂』の存在を人に明示することが血の処置の目的というべきであり、重要なことは血の扱い方ではなく、創造物に対する神の所有権への畏敬であることになる。

それであるから、魂が肉体の死をも乗り越えるとはいえ、死に面しても医療上の理由からではなく、輸血を謝絶することで神への忠節を全うできると思うなら、その決死の自己義認も、自ら死を早め、また早めさせる事によって、むしろ神の所有権への正反対の行動をとっていることになるがそれで良いのだろうか?

この点では、神の『魂』への権利を侵す者、それはまずサタンである。サタンは『そのはじまりに於いて殺人者であり』、そのうえキリストの殺害を望んでいたユダヤの体制派の者らは『その裔』であった。(ヨハネ8:44)

その祭司長派らがどれほど血の禁令を守っていたとしても、それはまったく無駄である。なぜなら、血を飲まず食さない外面を守って、実にその教えに真っ向から逆らい、キリストというこれ以上ない創造物の魂に対して殺意を懐き、その神の所有権を奪おうと目論んでいたからである。(民数記35:33)

キリストの流された血には、当然にその魂の代償が求められる。そこで求められるのは奪った者の血である魂となるであろう。律法では、殺された者の身内が『その血の復讐をする者』(ゴーエール ハ ダーム)となって殺人者に正当に殺害することが許されていた。(民数記35:27)

そうなると、遂に罪を犯さなかったキリストが磔刑で死亡したそのときに、イエスの血の表す魂の報復としてサタンの魂(血ではなく)が求められる道理が生じたと言い得ることになる。まして、神ご自身がキリストの近親者ではないか。ここでも血は魂の表象であり、実体ではない。

キリストの魂をしてサタンの魂を求めることが意味するものは、『死の権力を持つ者、即ち悪魔をご自身の死によって無に帰せしめ』たというパウロの言葉に表れているというべきであろう。即ち『魂には魂』であり、『魂』が常に神の所有するところであったにせよ、生きている魂を死に至らしめたその悪意ある魂に対する咎は、神の所有を勝手に侵すものである。故に、神は必ずやキリストの血という一度肉体により死を経た『魂』への報復をサタンに為すことであろう。(申命記19:21/ヘブライ2:14/レヴィ24:17-18)

そしてキリストの魂は墓に捨て置かれず、イエスが霊に復したときには、 その魂は再び生きるものとなった。
『「最初の人アダムは生きた魂*となった」・・・・しかし最後のアダムは命を与える霊となった。』ともパウロ言う。(コリント第一15:45)*(アダムの魂はこのときに生じた)

キリストの魂が保存され復活を遂げたことは、その殺害を為したサタンの魂への報復が将来に求められることを必須とする。加えてイエスの体はアダムの失った肉体に代替されるがゆえに、アダムの子孫はイエスという『とこしえの父』を得ることになるのである。
したがってキリストの肉体が永久に消滅したと言い得る理由もあることになる。イエスは魂と共なる肉体を犠牲として捧げ、復活を受け霊者としての命に入ったからであり、化肉はあったとしても、復活後は人間ではないからである。(使徒2:31/ローマ5:12/イザヤ9:5/ヨハネ20:15/出埃12:10/ヨハネ第二7) 

加えて、キリストの流された血の意義は、以上の魂の贖いに留まらず、更に成し遂げるものがあった。
それが契約の発効である。


◆血の浄め

律法の規定する祭祀の施設と什器には、『罪の捧げ物』とされた雄牛の血が付けれ、そうしてはじめてそれらが正式に使用された。それが浄めの儀式となったからである。(ヘブライ9:20-21)
また、その以前の律法契約の締結の日には、モーセがやはり雄牛の血をヒソプの小枝を用いて民に振り掛け『これは神があなた方に求めた契約の血である』と言っている。(出埃24:8)

この儀式では、聖なる神の関わる事柄に罪の汚れがあってはならないことが知らされている。
聖なる神が罪ある人間と契約を結ぶことには、初めから無理があったので、そこで罪という障碍をどうするかの問題は避けられない。

そこで神と人との間には罪の相殺が必要となるのだが、それを果たすものが「犠牲」であり、人の罪に対する応報を別の罪無き者が受けることによって、罪ある人も初めて聖なる神と交渉でき、契約を結ぶことも可能となり得るということになる。その手順のなかで血が犠牲を表す象徴物として用いられていたのであり、血というそのものが実体であったのでもないので、キリストも液体の血のそのものを携えて天に行ったわけではない。(ヘブライ9:12)

例えれば、律法契約においては、雄牛が犠牲となっていたのだが、贖罪のために24組の祭司らが全員で民が捧げる無数の犠牲に血まみれになって一斉に祭礼を行っていても、パウロも言うようにそれが真に人の罪を赦すには至ってはいない。あるいはモーセが血の犠牲となったとしても、もとよりアダムからの命に生きたモーセに有効な犠牲を捧げることはできないし、神もそれを求めていない。(ヘブライ10:4)

それであるから、シナイ山麓でイスラエルの民に注がれた雄牛の血も、祭祀の設備に塗り付けられた血も、それらはすべて仮のもの、即ち血の使用は儀式であり、まさしく完全なキリストの魂の象徴としての使用であったことになる。

イスラエルの中で為された旧約の預言の数々に加え、律法契約そのものも後代にもたらされることになっていた真正に価値あるキリストの犠牲の血があってこそ意義をもったであろう。それは動物を二つに切り裂いたアブラハムとの契約にしても同様であろう。(コリント第二1:20/創世記15:19-20)

それゆえヘブライ人への手紙は、その第九章十五節で『契約*のあるところには、契約*した者についての死が求められる』としているのも、この神と人との罪の隔ての溝を埋めるものを指摘していると言えるのである。*(この”ディアスェーケー”をわざわざ「遺言」と訳すのは容易に理解させるためであろうが逆効果ではないか)

そしてキリストの死がもたらしたものは、これらの契約すべてに関わる犠牲の血であったゆえにパウロはこう言うのであろう。
『神の約束は、この方において何事であれ「然り」となった』(コリント第二1:20)

キリストの血の働きのひとつに、アブラハムの裔となる人々と『新しい契約』を締結され、彼らに早い贖罪をもたらして『初穂』とし、聖霊を与えてその証しを印すという重要な意義も含まれていた。


こうして幾らか見渡すだけでも、キリストの死とその流された「血」の意義の大きさ多様さに驚かされる。古代からの神の人との関わり、そして契約や約束を過去に遡って真実なものとし、創造界に悪と死をもたらした元凶であるサタンとその裔を無に帰せしめ、神の経綸を揺るぎなく推し進めるものとなったのがキリストの血の犠牲であった。

しかし、キリストの「血」の働きもこれらは前段であり、その後により壮大な神の経綸を成し遂げ、遂に創造の意図を完結させることになる。
その「血」が、滅びゆくアダムの子孫すべてに命をもたらすという、言語に絶する偉業の原資となるのであり、イエス・キリストはまさしく『命』であられ、またその意味に於いて『命の創始者』であり、まず聖なる者らが『復活したキリストの命にあって共に生きる』ことを可能ならしめたが、やがて人類にその命が広げられることになる。(ヘブライ2:9/ヨハネ14:6)

そこでイエスが自らの血を象徴する杯を取って『この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である』と言われたことをルカがその福音書に記すが、マルコやマタイが『多くの(偉大な)人々のために』とされているからと言って、主の晩餐に於けるこの杯がアダムの子孫全体に罪の赦しをもたらすものと捉えることを阻むのは、共観福音書が揃ってこの杯について『契約の血である』と明言していることである。(ルカ22:20/マルコ14:24/マタイ26:28)

即ち、その血は『新しい契約』に罪ある人々が入るために必要なキリストの死の犠牲が捧げられたことを示す具象物であり、飲血の禁令を乗り越えてその杯から葡萄酒を飲むということは、契約のための犠牲に預かることを象徴しているのである。それが異例な価値を持っていることを血の禁令が指し示してもいたことになる。

もし、飲血が日常習慣になっていたとするなら、その人々にとって血を飲むということに特に意味の無く、創造物の命の由来者である創造の神に対する畏れも、創られた方への魂の所有権に対する敬意も感じさせはしないに違いない。(詩篇36:9/エゼキエル18:4)

エルサレムの使徒会議で主の弟ヤコブの出した議決に、諸国民からの転向者に偶像や淫行と共に『血と絞殺された物を避けるよう』にとあるのは、『新しい契約』に預かる『聖なる者ら』で満ちるエクレシアイにとって極めて適切な指示であったということができる。(使徒15:29) 

それはモーセの律法がどの街に於いても『安息日ごとに会堂で読まれているから』というユダヤ人イエス派信徒を躓かせないというヤコブ自身の配慮以上の働きをすることになったと言えるであろう。

また、これを以って律法のこの条項が継続したとは言えない。これらの規定はヤコブが独自に考えたものでもなく、コルネリウスのような無割礼の異邦人がシュナゴーグでユダヤ教の会衆に交わるに際しての、当時の会堂の最低条件であったものを列挙したのであった。ヘレニズム世界では各地で、神殿での偶像礼拝や会食また売春や同性愛、さらには血を飲むばかりか、祭礼として全身に浴びるなどの慣行が当時広く存在していたからである。(使徒15:21) ⇒ 「エルサレム会議に見るキリストの弟ヤコブの寛容」

そこで、血の禁令を続けるユダヤ教イエス派の者らと、無割礼の異邦人らとの間にも一定の規定を残す必要が生じていた。双方の常識は余りにも異なっていたからである。ヤコブは依然として会堂でモーセの朗読を聴くであろう両者が分裂しないための方策として、血の禁令を含むユダヤ人が躓かずに異邦人と集まれるよう、無割礼を許しつつ幾つかの条件を残したのであり、ヤコブ率いるユダヤ教イエス派は依然として『律法に熱心』であって、パウロにはナジル人の習慣行事に参加するように促しているところからも、ヘブライストの信者らがどれほど後のキリスト教と異なっていたかを顕している。(使徒21:20-26)

だが、これがキリスト教の根幹を成す規定ではないことは、新約聖書にヤコブの発言として出るのみで終わっていることからも明らかである。ヤコブの裁定により、初期異邦人キリスト教徒に中にも血の禁令を守る習慣がしばらく残っていたにせよ、今日のように、ユダヤ教イエス派が消滅している現状に在っては、大きく意識の異なる『二つの民』へのヤコブの配慮も過ぎ去ったものとなっている。(エフェソス2:15)

律法に従うユダヤ人にとっては『血が魂』であったにせよ、キリストの血の犠牲の価値を知ったキリスト教徒にとっての実際の血は、儀式において『魂』を象徴するべきものであったが、それはやはり赤葡萄酒という代替物に代えられており、血のそのものが神聖なのではなく、『魂』こそが創造神の所有に帰するものとして神聖視されるべきなのである。創造神に於いて『魂』とは、肉体や命に優るその人の真の存在だからである。⇒「命に優る魂」

他方、一途に血の禁令を守って来たユダヤ教徒やイスラームからすれば、神が律法を通して強く戒めていたゆえに、依然として飲血は考えられない悪行である。そこでは神の創造物に関する権利という概念をわきに置いて、とにかく血を飲まないということに意識が集中していたであろうことは、『人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』との主の言葉を聞いたときの失望と群衆の霧散によく表されている。その言葉を聞いても残ったのは、一年後に『主の晩餐』に預かることになる十二使徒だけであった。(ヨハネ6:66-70)
 
主の帰天後のユダヤ人イエス派は、年毎の『主の晩餐』に於いて象徴的ながら血を飲むことになる。それも神の最も愛される御子の魂を自らのものとする儀式を行うのであるから、固い血の禁令にあったればこそ、そこにある種の躊躇さえ感じられるほどに、その犠牲を尊んだことであろう。

この『主の晩餐』にユダヤ教徒はイエス派を攻撃する口実を見つけさえしたようである。
というのも、ユダヤ教徒が異邦人の間にイエス派は子供の肉を食し、血を飲んでいるとの噂を流されていた為、その誤解からキリスト教徒はしばしば迫害を被っている姿が資料に残されているからである。

ユダヤ教徒からすれば、ただただ飲血の儀式は忌まわしい行為であり、他方で異邦人はその犠牲者が子供だと聞けば不気味さと義憤とを禁じ得なかったに違いない。
ゆえに、ユダヤ人イエス派は『主の晩餐』に於ける象徴的飲血によってもユダヤ教徒と袂を分かつことになったと言えるほどである。それはもはやセデルの祝杯ではなく、決然と杯をあおって飲むべき主の血を表した。ここに於いてキリスト教の葡萄酒の表象は、既にユダヤ教の血の表象を成就し、且つ超えていたのである。そこでユダヤ教の肉と血による崇拝方式が過去のものとなり、キリスト教に於いては、実際の肉と血を扱う機会は皆無となった(コリント第一10:16)
 
それでも弟子らは、血を飲まずに注ぎ出すユダヤの祭祀を超越し、年毎に主の血の杯から象徴的に飲み、他の聖霊を受けた人々と共に『新しい契約』に入ったことに感謝を捧げていった。
ゆえにディダケーも『主の晩餐』を「エウカリスティア」(感謝)と呼んでいる。

彼らにとって主の死によって得られたものは、罪からの浄めであり、ほかの何者からもけっして得られることのない異例に高い価値ある立場、キリストの兄弟、共なる相続者、神の子であった。(ローマ8章)
殊に、異邦人信徒の場合、キリストの血に飲むことは『キリストの血によって近い者とされる』ことを意味し、血統の『隔ての壁を取り除いた』のであり、そうして『神のイスラエル』へと導かれることになったことをパウロが書いている。 (エフェソス2:13-14)

それゆえ、聖霊の降下のない今日、キリストの魂に関わる神の所有権を尊重し、誰も血を表す葡萄酒にも、またキリストの肉体を表象する無酵母パンにも与らない『主の晩餐』ではあるが、そこに込められている意義には極めて深いものがある。
 
象徴にせよ、血の禁令を超えてキリストの血を飲むことを神に許された聖霊を受ける者が現れるなら、その者こそはキリストの魂の価値を自らのものとする。象徴的飲血を経て初めて彼らはキリストに近しい者、「キリストの兄弟たち」となるのである。(エフェソス2:13/マタイ25:40)
異邦人であっても彼らは、象徴的飲血によって『聖なる者らと同じ市民であり、神の家族である』ともパウロは言う。(エフェソス2:19)

以上の論理からすれば、これは即ち、神の所有に帰するべき、それも飲血を介して独り子の魂を自らのものとすることを神に許されるということになろう。もちろん、それでもキリストの魂は依然神のものであるが、聖なる者らには共有が許され、最終的に『キリストに預かる*者となる』のである。(ヘブライ3:14)*[ギノーマイ]「渡される」

従って、葡萄酒の杯から飲む者はその契約に入るゆえに驚異的なまでに恵まれているというべきである。


◆儀式の価値

しかし、『主の晩餐』で葡萄酒をただ飲もうとするなら、それは簡単なことであり、その儀式がその人に何らの変化をもたらすこともない。また、キリスト教が実際の飲血を勧めているわけでもなく、むしろ逆である。だが、医療としての輸血や血液製剤、果ては人工透析の是非を、旧契約である律法の規定から捉える意味もない。尤も医療手法の選択としてであれば別であるが。
(エホバの証人の輸血謝絶は、自己義認のための他宗教との差別化がその目的となっており*、タルムードのような多くの規定の細目を作るばかりで、その決然たる意志も神の前に然したる意味も無く、却って魂への畏敬からすれば、命の軽視につながることに於いて有害である)
*以前には種痘を拒絶していた。迫害下の地域では教団を摘発から保護するため信者であることを隠し輸血を習慣的に拒否しない。
 
一方で、キリスト教に於けるパンも葡萄酒も、なおキリストの肉と血の実体には成り得ないし、たとえその実体がそこにあったとしてもなお、それらが象徴するもの、即ち、キリストの霊体と魂こそがパンと葡萄酒の実体なのであり、それらは共に神の許に納められている。出エジプトの子羊が残さずに焼却されたように、キリストの肉体もニサン16日には『エルサレムの城外』即ち『宿営の外』で捧げられて消滅しており、神による魂の保存によってキリストは霊体に復活を遂げられている。

そこで重要なことは、ふたつのエレメントを実際に飲み食いするか否かではなく、パウロが言うように『自分を吟味し』それに預かるか否かという認識の方であり、その認識をもたらすものはその人に聖霊の顕在がなくてはならないに違いない。(コリント第一11:27-29/ローマ8:9)

まるで知識なく『主の体を弁えない』で飲食するならまだしも、知識を持ちつつ敢えて誤った仕方でそうするなら、それに咎めが臨むことをパウロは『裁きを飲み食することになる』と警告する。

この会食儀式であっても実体ではなく、彼らとの主の会食は、天界で十二使徒と共に再び行われるときに成就するのではあるが、その王国の設立の時となる『新しい契約』が成果を収めるとき、それが如何ほどの重さを持つのかに列席する者の認識を培う機会とすることは誰にもできることであり、また、そうするべきであろう。




本年2016年のニサン14日は、4月21日(木)の晩から始まった。
全国的に雨がちの天候ではあったが、それぞれに挙行の連絡を頂いている。

本年の把握しているところは以下の通り
東京、埼玉、北海道(道南)、北海道(道央)、富山



ユダヤ人はペサハの後、シャヴオートまでの四十九日の間は恰も服喪のように慶事を避けるとのことである。(33日目だけは例外とするが)
それは無酵母パンの祭りの持つ厳粛さの影響とも言われる。

主はニサン十四日の晩を、明らかに特別な仕方で過ごされた。
それは出立を前に、十二使徒と彼らを通して聖なる者らに契約と訓戒とを教えるという「キリストの過越し」となった。

それから使徒らガリラヤ人の集団はエルサレムで服喪の如くひっそりと過ごし、遂にシャヴオートの朝を迎えた。それはキリストの犠牲が神の御前に受け容れられたことの証しとなり、キリストの業は弟子らに受け継がれ、異言を語る彼らには世界へ向けた業の拡大が託されたのである。その日に聖霊を受けた百二十人は、ペテロを先頭に諸国へ向けた宣教の第一歩を踏み出していった。

彼らを自らの血によって贖った主イエスの自己犠牲を鑑みるに、罪深い人類と、悟りの遅い弟子らへの慈愛、また、父である神ヤハへの忠節な愛の偉大さに感じ入り、また自らの矮小な有様を恥じ入る次第である。

その死と復活が成し遂げられてから50日後の初穂に相当する聖なる者らの現れは、何と言う価値ある酬いであったことか。
象徴的サラが史上初めてアブラハムに真の子らを生み始めたのである。(ペテロ第一3:6)

終末のパルーシアに於いて、再び彼らが現れ、その全体が揃うときに、その深い意義を悟る者がひとりでも多く在り、『人の子が来る時、地に信仰を見い出すだろうか』の主の懸念に対して、ご利益信仰でなく、聖霊に信を置ける人々が聖徒らの主の臨御に答えられる日を是非とも見たいものである。いや、そうなるのであろう。

御同志の諸氏の見識の高さに敬意を表しつつ、共にその日を見ることを念願する次第である。



 林 義平



聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中


 
関連記事
 「ネフェシュ 命に優る魂
 「エルサレム会議に見るキリストの弟ヤコブの寛容さ
 「後の者が先になる 二つの民





無酵母パンから生じるエクレシア




『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日に生き返えらせるであろう。』(ヨハネ6:54)

こう言われたキリスト・イエスは、ここで諸世紀の一般の人々、つまり『義者も不義者も』また『大なる者も小なる者も』誰でも皆が生き返るという千年期後の地上への大いなる復活のことを言う訳では無い。(使徒24:15/黙示20:12)

千年王国の設立のために、それに先立ってキリストの『声を聞き』『命の復活』を受けて墓から出て来るのは、キリストの弟子らであり聖霊注がれた聖なる者らを指している。(ヨハネ5:26-29)
神自らが全ての人の魂を裁き尽くす「最終的裁き」と、このキリストによる人を天上に迎えるための「聖徒の裁き」には大きな違いがある。

キリストの裁きの下に起る復活は『格別な』または『早い』復活であり、千年期を挟んでふたつの復活があることは使徒ヨハネの教えを継承した初期教父エイレナイオスも指摘するところである。黙示録にあるように、イエスの裁きによる復活、即ち、千年期を招く『第一の復活を受けるのは、聖なる者である』。彼らは天に霊なる者となって集められるので、それを肉眼で見届ける者はない。(フィリピ3:11/A.H5:31-35/黙示20:6)

人類の『初穂』となる彼らは、かつて地上に居た間からキリストの犠牲の最初の適用を受け、『新しい契約』に預かり『罪』からの仮赦免を受けて『神の子』の立場を得ていたことをパウロはその書簡に何度か記している。(ローマ8:1・33)

聖なる者らは、キリストの血を飲んでその無辜の魂を分け合うだけでなく、アブラハム、またダヴィドの血統に入り、『キリストに近しい者』ともされている。(エフェソス2:13)



◆天からのパン

加えて、彼らはキリストの肉を食することで永遠に生きるとも語られている。即ち御子は『天からのパン』である。(ヨハネ6:31-40)
このパンは荒野のマナに勝り、『それを食する者は永久に生きる』。(ヨハネ6:58)
だが、同時にイエスは『命を与えるの霊であり、肉は役に立たない』とも言われた。(ヨハネ6:63)

従って、『わたしの肉を食し』との言葉はキリスト・イエスの肉を実際に食することを意味せず、その体を食するとは、抽象的な「肉」の食事を指していたことになる。しかも、イエスは「マナ」の例えから説明を始め、自身が「命を支えるパン」であることに話を進めている。そして最後に「わたしの肉を食し、血を飲む者は、永遠の命を持っている」と続けるが、これはユダヤ人が躓くことを想定してのものであり、集まってきた群衆は奇跡のパンで給食されたことに欲望が向いてしまっていたが、キリストを巡る群衆と僅かな弟子らには動機の違いが大きく異なりつつあった。(ヨハネ6:26)

ユダヤ人群衆の目先の欲得とは関わりなく、キリストをパンとして食すること、キリストの体に預かるとは、人が食事で自分の生涯を長らえることでもなく、また、キリストの血を飲む事とも別の意味を持っているに違いない。
本来ユダヤ人はアブラハムの血統にあり『契約の子ら』である。かつて荒野でイスラエルにマナが与えられたように、彼らこそがそのパンの益に預かる者らであったのだが、当時のユダヤ人の大半はマナの対型としてのイエスの体の意味を悟らないでいた。

結果として、ユダヤ人は遣わされたメシアを刑死させてしまう。 
翌日は、それこそ安息すべき無酵母パンの祭りの初日(聖会日)であったが、イエスの遺体[σωμα](ソーマ)は墓に終日入っており、その御体はニサン十四日の終りに葬られ、翌十五日の大安息日に相応しく墓の中に安置されてのち、十六日の朝に復活を遂げられた。

それでも、キリストの肉体については、復活が起こったのだから、ただ体(ソーマ)が墓から出て行ったという単純な事にはならない。「消えた」とみるべきであろう。

なぜなら、その復活は肉体への復活ではなかったからであり、使徒パウロは『最後のアダムは命を与える霊となった』と記す。(コリント第一15:45)
聖なる弟子らが象徴的に食するキリストの体とは、この霊体であって肉体にはならないであろう。 
また、過ぎ越しの羊はまったく焼却され、残されてはならなかった。

それゆえイエスが最後の晩餐の席で語った『あなたがたはわたしを捜すようになるだろう』とは、使徒らとイエスの親しい見解は以前のようではなく、イエスが肉体ではなくなることを指しているのであろう。実際、復活の主は限定的に出没されたので、使徒らは錯綜する情報にしばらく翻弄されている。

即ち、彼らには『付いて行くことができない』領域にイエスが入るからであり、その後の主の現れも霊者の化肉としての現れであったから、閂を下ろした室内にも主は現れている。(ヨハネ20:19)確かに化肉の主は食事をしているが、アブラハムやロトに現れた化肉の天使らも備えられた食事を摂っている。この天使らは女から生まれはしなかった。

神はキリストの体ではなく『その魂を墓には捨て置かれず』、その魂によって霊の体を与えたのであれば、当然にその肉体は永遠に消え去ったであろう。確かに「肉体を墓に捨て置かず復活させた」とするなら、その後の聖書記述は様々な点が理解できない。魂(プシュケー)は死を超えるもので、明らかに死の影響を受ける体(ソーマ)とは異なっている。
むしろ肉体は、出エジプトの子羊のように、骨は折らずとも体は残さず焼き尽くすべきであったことが予型しているのであろう。(出埃12:10/ヨハネ19:36)

また、モーセの遺体が偶像視されることを避け、人々から隠されたらしきことがユダ書に仄めかされているが、キリスト・イエスの遺体が残されるなら、弟子らはどう行動したであろうか?モーセ以上に偶像化される危険があったに違いない。(ユダ9/申命34:6)
もし、イエスの遺骸が地上に残されていたなら、人間が陥りかねないモラルリスクは計り知れず、サタンへの恰好な崇拝に利用されたことであろう。モーセの遺骸についてさえ許さなかったことを、神がキリストに許すだろうか。

この点は、ヘブライ書の中の論議によっても補強される。
『わたしたちには一つの祭壇がある。幕屋で仕えている者たちは、その祭壇の食物をたべる権利はない。なぜなら、大祭司によって罪のためにささげられるけものの血は、聖所のなかに携えて行かれるが、そのからだは宿営の外で焼かれてしまうからである。』(ヘブライ13:10-11)
これは大祭司を清める罪の捧げ物について述べており、その牛の肉などは祭壇から離れた民の宿営の外で焼き尽くされるよう命じられている。(出埃29:14)

その上でヘブライ書はこう続ける。
『ゆえに、イエスもまたご自分の血で民を浄めるために、門の外で苦難を受けられた。そこでわたしたちも、彼の辱めを身に負い、宿営の外に出てその御許に行こうではないか。』(ヘブライ13:12-13)

そうであれば、キリストの弟子らが食する『キリストの体』とは永遠に消えた肉体を意味する理由はますますない。ユダヤ人らには、イエスの復活後も依然として無酵母パンを食することを通してその体に預かる道は開かれており『善意の年』は残されていた。(イザヤ61:2/ルカ4:19/コリント第二6:2)
彼らが主の血を飲んで、その血統に預かり、また、契約により『罪の赦し』に入ったなら、その体を食することを通して、不死の霊体を共にすることを象徴したのであろう。(ヨハネ14:19)

ゆえに、使徒ヨハネは書簡にこう述べている。
『彼が現れる時、わたしたちは自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。』(ヨハネ第一3:2)(ヨハネ16:19) 
これは単に『罪』が贖われることだけによって可能となるものではない。

『罪の贖い』であれば、最終的にすべての人に向けられるものであり、地での永生をもたらすのである。だが、地の人々がキリストを見ることはもはや無い。(テモテ第一6:16)
しかし、使徒らにイエスはこう言われた。
『もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。』(ヨハネ14:19)

ゆえに、聖徒らの身に大きな回復の変化(パリンゲネア*)が起こり、肉から霊へと創り変えられなくては霊の主を見ることはない。*(Mt19:28<パリング「再び」ゲネア「創る」>=Jh3:5-7)
そこでキリストの体という『このパンを食する者は永久に生きる』とは、主の霊体に預かり、天界の霊者となって復活することを特に意味するものとなる。

そのパンは無酵母のものであり、エジプトを出立する前夜には旅支度のうちにゆっくりと酵母を使った柔らかいパンを作る時間が無かったための「急ぎのパン」であったが、後の過越しのセデルの食事では『罪』という「酵母」の無い聖く稀なるキリストの体を象徴するものとなった。

他方、主の晩餐でこのパンを食する者は、自らの復活に於ける体の更新(パリンゲネア)を受け容れなければならない。
その復活は千年期前の『初穂』となる『早い復活』*(エクスアスタシス)に違いない。なぜなら到来するべき千年王国を構成するのが他ならぬ彼らだからである。*(i.e「格別な復活」Ph3:11)

その復活が何時起こるかについては、ダニエルがその書で天使長ミカエルの登場と『北の王』の突然の権力喪失の時について語ってからこう書いている。
『地の塵の中に眠っている者のうち、多くの者は目を覚ます。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱を受ける者もある』(ダニエル12:2)

キリストは『聖なる者ら』の裁きについて様々な譬えを用いて何度も語っており、その裁きに弟子らを備えさせている。
その訓戒の重さは、生きている聖徒であれば、『ひとりは連れて行かれ、ひとりは残される』という程に峻厳なものとなるので『狭い戸口から入るよう努め』ないと『入ろうとしながら、入れない者』となり兼ねないところにある。(ルカ17:34/13:24)

他方、死せる聖徒の場合、『初穂』としての『第一の復活』に預かるか、それとも千年期後の地への大いなる復活、一般の(第二の)復活に残されるかの二択になるように思われる。だが、本来、第一のものに与るべきであった元聖徒らの遅い復活は、
栄えあるものとは言えまい。(黙示20:5)
『灯火の油』の用意の足りなかった処女らは、主人の宴席を共にできず、外の闇に置かれるということになろう。その生涯を忠節の内に終えないなら、目覚めたときには既に千年期も終わっていよう。(マタイ25) <終末の脱落聖徒に復活はないであろう 黙示19:20>



◆イエスと共に死に、共に生きる聖徒

さて、使徒パウロはその書簡の中で再三、「キリストの死と復活」が聖なる者らと深い関係にあることを述べている。
『もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。』(テモテ第二2:11-12)

イエスと共に死ぬことについては
『もし私たちがキリストと共に死んだのであれば、キリストと共に生きることにもなると私たちは信じている。』
『このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認めるべきである。』(ローマ6:8-11)

これは即ち、キリスト・イエスは『一度は死んだが』既に復活を遂げ、『終わることの無い命』に入っているので、バプテスマを受け象徴的に死んだ地上に残る『聖なる者ら』にとって、生きているのは、復活を遂げたキリストの命によるというのである。そうでなければ聖徒らは我々と変わらずアダムの命の中に生きていることになり、彼らに義認も聖化も有り得ない。(黙示1:18/テモテ第一6:16/ローマ5:21)
 
『もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様に等しくなるなら、さらに、彼の復活の様にも等しくなるであろう。』(ローマ6:5)
即ち、キリストのような殉教の死を含意するだけでなく、肉体の消滅と霊体の獲得を経て、天でキリストと共になるということである。それゆえにも、キリストの再臨は『雲と共に』有って見えないものとなろう。霊者としての到来である。(マタイ24:30/ダニエル7:13)

ここに、最後まで生き残り、そのまま天に召されることになる将来の『聖なる者ら』のソーマも、イエスのソーマのように永遠に消失することが知らせれている。
そして、彼らの全くの所在不明が世人を震撼させるであろうことも黙示録は知らせている。(黙示11:13/出埃29:34/テサロニケ第一4:16-17) ⇒「携挙と誤解される聖徒の召し」

また、パウロは彼らのバプテスマを『キリストの死へのバプテスマ』と呼んでいる。
つまり、聖なる者らが一度は肉体の死を経る必要があることを知らせ、『あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中から復活させた神の力を信じる信仰によって、彼と共に復活された』とも述べている。(ローマ6:3-4/コロサイ2:12)

象徴的にせよ、水に沈んで一度死んだ彼らは、キリストの体であるパンに預かり、肉体では終わってしまう命を霊体となって生き返ることが意味付けられている。 彼らの地上の生涯はキリストの命に在って先取りされ、なお続いているのである。

もはや彼らには、アダムに在って生きる謂われはない。もし、イエスの命に生きなければ、ただ肉体の終りを虚しく迎えるだけの只の人である。 だが、主キリストと結ばれた聖なる者らは、復活した『命の導き手』によって生きているのであり、仮の贖罪を受けて『神の子』であり、天界での栄光を前に『生きるも死ぬも主(イエス*)のもの』となっていた。(使徒3:15/ローマ14:8)*キリストは救いと命の『導き手』(君)である。この称号は神を意味しない Heb2:10

それゆえ、『今、生きているのは、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって生きている』。(ガラテア2:20)

使徒ヨハネも、この『命』についてこう記している。
『神を信じない者は、神が御子についてなさった証しを信じず、神を偽り者としてしまっている。その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えた*こと、そして、その命が御子の内にあるということである。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人に、この命はない。』(ヨハネ第一5:10-12)*<アオ>

即ち、聖なる者らは、水のバプテスマによってキリストの体の死を象徴的に共にして既に葬られており、現実の肉の命にはあるけれども、イエスの復活の命によって今を生きているというのである。
そうして彼らは、主イエスの死と復活を象徴的に共にしているのである。

それゆえに、パウロのような『キリストの兄弟ら』のためにイエスが『ご自身をささげられた』と言い得るのであり、ただの人が「自分のためにキリストは死んだ」などと言うべき理由はまったく無い。
ただの人にはイエスの犠牲は未だ幾らかも適用されてはいないうえ、信仰による裁きは将来の聖徒らを通さなければならず、犠牲の適用による贖罪は「千年王国」を待たねばならないからである。 
むしろ、偉大な神の経綸に畏み、聖徒らへの神の配慮と、イエスと共に非常に高められた立場を尊重しなければならない。 

そこで多くを委ねられる聖なる者らには大きな責務が生じているので、使徒ペテロもこう言うのである。
『キリストは肉(サルクス)において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。・・それは、肉における残りの生涯を、もはや人の欲によらず、神の御旨によって過ごすためである。』(ペテロ第一4:1-2)

バプテスマの水に浸された時に彼らはキリストと共に死に、引き上げられた時に共に復活し、こうしてキリストの生涯に伴うことを事前に象徴する。『彼らは、もはや自分のために生きず、死んで生き返った方のために生きる』という気構えが求められている。(コリント第二5:15)
そこに証しとして加わる聖霊は、彼らがキリストの道に召されたことをその本人と周囲とに知らせ、更なる信仰を惹き起こすものとなった。 

それゆえに、彼らは無酵母であるかのように『罪の奴隷となってはならない』のであり、それゆえ新約聖書には聖徒らの守るべき道徳律が随所に書かれている。
 
例えれば使徒ペテロの言葉
『聖なる者に相応しく、不品行といろいろな汚れや貪欲などが口にのぼることさえあってはならない』とはキリストと死と復活を共にする者にこそ求められる聖さであり、使徒ペテロも律法の祭司らに命じられた『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』のレヴィ記20章26節を引き合いに出して『あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。』と命じているのである。(ペテロ第一1:15-16)

さらにペテロは、『世にいるあなたがたの兄弟らの中で成し遂げられている』事があるとも言う。それは彼ら『聖なる者ら』が悪魔の誘惑に立ち向かい、忠節を全うして主に続いている事であった。即ち、聖徒と選ばれた者らが契約を守って、天への召しを確実にしてゆく姿がそこにあった事を言うのである。これは即ち、神の王国の設立に向けてキリストの兄弟たちの中に着々と前進があるということである。(ペテロ第一5:9)

このように、主の晩餐の無酵母パンを食するとは、実に大きく重い責務を受け入れることである。
『招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない』と主は言われ、実際、彼らの一人一人が天で神の王国を構成しなければ、聖霊を注がれた意味も何もない。 
しかし、聖徒ではない者らからすれば、彼らの成功なくして何の希望も無いのであるから、何とか選ばれて、天への召しを受けてもらいたく、一途に願うほかない。 


◆無酵母パンの共同体

さて、一枚の無酵母パンを分け合った十二使徒を象徴し、聖なる者らの全体も「ひとつの体」に召されていると使徒らは言っている。
やはりパウロも『パンは一つであるから、わたしたち多くの者も一つの体なのである。なぜなら、わたしたち皆が一つのパンに与るからなのだ。この点で肉のイスラエルを見よ。犠牲の供え物に与る人々は、犠牲の祭壇を共にするではないか。』というのである。(コリント第一10:17-18)
 
更にパウロはこうも云う。
『わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分である。』(ローマ12:5)

これは即ち、協働し助け合うべき身体の各部のように、聖霊を注がれた人々の姿を有意義に語っているだけでなく、無酵母パンに預かる事のもう一つの面を表している。(コロサイ3:15)

パウロは書簡の中で『すべての聖なる者』[πάντας τοὺς ἁγίους]という言い回しを度々に用いている。
これは「キリストの肢体を構成する全体」を意味しており、この『共同体・交わり』[κοινωνία](コイノア)とは無酵母パンの食事を介するもの、つまりキリストの体に預かる者の意であるから、『わたしたちが裂くパンは、キリストの体に預かることではないか。』(直訳「我らの分けるパンはキリストの体の共同体(コイノア)ではないか」)とパウロは確かに言っている。(コリント第一10:16)

『共同体・交わり』[κοινωνία](コイノア)とは、ギリシアのポリス(都市国家)についての在り方やその民会(議会*)を指して、多くの哲学者の論じるところであり、パウロの当時まで、その政体の如何が論じらて来ていた。*(エクレシア「市民評議委員会」の意)
従って、パウロの語るコイノニアでは、『聖徒全体』の在り方を方向付けているのである。確かに、彼らはいずれは十四万四千人からなる都市国家『神の王国』、『新しいエルサレム』というポリスを構成することになろう。

おそらくは第一世紀中に使用され始めていたであろう冊子「ディダケー」の主の晩餐の祈りの言葉には、『このパンが山々の上に撒き散らされていたのが、集められてひとつになるように、あなたのエクレシアが地の果てからあなたのエクレシアに集められますように』とあり、これはパンによる共同体(コイノニア)が認識されていることを物語っている。(Did9:4)

従って、キリストの体を表す無酵母パンを会食することが、『聖なる者らの交わり』の共同体、即ち「エクレシア」(召し出された者ら)を生じさせたと言い得る理由がある。それは「教会」でもなければ「会衆」でもない。より高次な聖徒の交わりの共同体(コイノニア)であり、聖霊がその証しを成して導き集めたもの、それがエクレシアである。これは人が作ったものでもない。(ヘブライ12:22-24)

この無酵母パンは、こうして聖徒をキリストの体に一致して在らしめ、その天界への望みをもたらし、個々の聖徒を繋ぎ、キリストとの一体化を与えるばかりか、聖にして超越する神自身とも結びつけて、その『子』として共同体ごと迎え入れるものである。

無酵母パンのひとつの体で結ばれた聖なる者らには、様々に異なった教理や儀礼で分裂するようなキリスト教界の有り様を呈することは在り得ない。地の果からであろうと聖霊がこれらのパンを集め、キリストの身体の全体が組み上げられ、神のポリス『新しいエルサレム』となって、地上にその姿を象徴的に現す時が必ず来よう。それが「エクレシア」(召し出された者ら)であり、キリストの体である「無酵母パンのもたらすコイノニア(共同体)」なのである。

パスカで無酵母パンを食し、キリストの霊体に連なる者らが地の四方から集められ、遂にキリストの体が組み上げられ、神殿が建てられること、これが無酵母パンの奥義というべきであろう。





--------------------

このような理解は、「主の晩餐」において無酵母パンという表象物の意義を把握する助けとなる。
それを食す者はキリストの身体に預かり、霊体への復活または昇華を予期する。

また、地上に生きる間にも、キリストの一部として、その復活した命の内を歩んでいることになる。

加えて、それぞれがキリストの肢体の一部を構成し、多くの兄弟らと一致したエクレシアを構成するのである。

これは『新しい契約』によってはじめられたことであり、キリストの死を通してその身体が捧げられ「天からのパン」となったからこそ、聖徒らが受けることのできた神からの格別の賜物である。

弟子らすべてにとって、キリストの御体はまったく「奇跡のパン」という以外にない。
それは聖なる者らに霊に生きる命をもたらし、千年期を越えてはすべての肉なる者にも永生を与えるものとなるのであるから。



 「キリストと共に復活し生きる」



聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中



2017年のニサン14日は4月9日の日没と共に始まり10日の夕刻に終わった。

筆者は東京板橋区内にて「主の晩餐」を行った。
ほかに「十四日派」に倣い行われた方は以下に連絡を乞う。

 quartodecimani(a)hotmail.co.jp

 林 義平 宛て 


お知らせを頂戴した結果は以下の通り
 (在4/26)

北海道:2か所(道央/道南)
青森県:1か所
埼玉県:1か所
東京都:1か所
富山県:1か所

合計人数:8人


なお、来年2018年のニサン14日は3月29日(木)の日没を以って始まる。







.

据えられた隅の親石の完全さ

試みを経たキリストが「完全」を得たことに基礎を置く創造物の統合について
-カトリックの修道とルターの万人祭司を比較-
1万3千文字超

---------------------------


◆キリストが栄光を受けた晩

カトリックには「完徳」という言葉がある。
「公教要理」によれば、「完徳」はキリストが山上の垂訓の中で語られた『あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』との句に由来するという。(マタイ5:48)
聖書のここでの『完全』(テレロス)には、「完成された、それ以上に望まれぬ状態、十分に成熟した」などの意味がある。
パウロは、「成熟した大人となれ」、また『キリストはあなががたが完全な者となることを望んでいる』と、この語を用いて弟子らを訓戒している。(コリント第一14:20/コロサイ4:12)

イエスは山上の垂訓ばかりでなく、この『完全』(テレロス)という事に言及している。そこで公教要理はマタイ第19章21節を挙げている。
『「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい』(マタイ19:21)
それは地方を治めるユダヤ人の富んだ者が、十戒の教えは守ってきたと語ったところに応えたキリストの言葉であった。また、『すべての持ち物に別れを告げなければ、わたしの弟子にはなれない』ともイエスは言われている。(ルカ14:33)

そこで、カトリックに於いては、まず自分の一切の所有権を放棄させ、次いで清貧、貞潔、従順を以って修道生活の要求とする。
即ち、真に「完全」であるためには、俗世を捨て修道僧となることが求められ、「キリストの丈の高さを目指して」修行に励むが、それは一部の者らだけが出来ることとされる。

確かに、新約聖書でのキリストの示す規準は非常に高く、山上の垂訓の中には生身の人間には到達不能なものが多い。
そこで、カトリックは弟子の中から聖俗を分離することでキリストの規準に対応を試みてきたのであり、カトリックでは、イエスの徳に達することが俗人には不可能であることを認めていたのである。それゆえにも『キリストの丈の高さを目指す』ための「修道」なのであろう。

かつて、若きアウグスティヌスはキリスト教に理想の生活を求めて、数人の友らと聖い自給自足の夢幻的で神秘的な印象の善なる生活を始め、そのグループは周囲から尊敬を受けたという。

だが、修道生活に入ったからとて、アダムの罪を逃れることはできない道理があり、現実にに激しい葛藤を覚えたアウグスティノ托鉢修道会の修道士のひとりにマルティン・ルターがいた。
自らに真摯に向き合った彼は、自らの内に聖からぬものを感じ、上長に自らの内心の悩みを告白したが、修道を続けるよう宥められるばかりであったという。

ルター研究者のフランツ・ラウ教授はこのルターの精神的状況を次のように分析している。
『彼が感じていたのは、自分は内的に完全なものではないということであった。というのは神のみまえに根本的な罪とみなしていたもの、すなわち、神のみまえにおける自己主張、高慢、僭越、自己自身のゆがみを自己の内部に感じており、それどころか修道士の生活は、かえってこれらのものを増長させることを知った』 (「ルター論」渡辺茂訳 聖文社刊 p55 )


しかし、やがて彼はローマ書第一章十七節の『信仰によって義人は生きる』との言葉を見出し、それによって想いを転換することができた。

これは即ち、行いによって義とされるというそれまでのユダヤ教の律法遵守の業が、キリストの前に在って相殺され、以後は一重に『信仰によって人は義を得る』ことの発見であった。(ガラテア2:16)
彼は「良心が静められ、開かれた扉から楽園に入ったように感じた。」と卓上語録に書くのであった。所謂「塔の経験」である。
彼は自らの謹厳な修道生活の後にこう書いている『司祭や聖職者が着ているような聖衣を着たところで、それがたましいにとって何の飾りにもならない。』(キリスト者の自由)

そうなると、キリストが弟子らに求めた『完全』(テレロス)とは何であろうか?
修道の清貧、貞潔、従順を以ってしてそれは得られるものなのか?それともルターの鋭敏な良心が彼自身を苛んだように、それはどんな人間にも達成できないものであるのだろうか?
ルターは、何者も完全な徳に達することはないことを見出している。
だが、それでもルターは、聖書の文字に書かれたそのままに、実態に関わらず信徒らの皆が神の前に『義』とされたものと信じていたのである。

それゆえ、新教派はカトリックの聖俗分離に反対し、逆に、全ての信徒が祭司であるという「万人祭司説」を以って修道制に対抗していった。

だがそれでも、聖書の云う『完全』とは、信仰して洗礼を受ければもたらされるような簡単なものなのだろうか。

ではそこで、キリストの弟子らに命じられた『完全』の真意はどこにあったのだろうか?
新約聖書では、イエス・キリスト自身についてこの『完全』という語が用いられているのだが、そこに「完徳」という事を含めての全体を解きほぐす糸口が見えている。
何故なら、他のどんな者の例を見るよりも、まずキリストの示した『完全』というものを知ることが、何よりの範例と成り得るに違いないからである。



◆完全にされたキリスト

まず、フィリピ書簡では、キリストが優越性を得た次第が次のように語られている。
『キリストは、神の象りであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、己を虚しくして僕の形をとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、己を低くして、死に至るまで、しかも木に掛けられ死に至るまで従順であられた。
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名に優る名を彼に賜わった。
それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が「イエス・キリストは主である」と唱えて、栄光を父なる神に帰するためである。』(フィリピ2:6-11)

天界での神に次ぐ高い地位を離れて、ナザレ村の大工の子として育ち、メシアの任命を受けてからは試みを受ける毎日であり、人々の苦しみ、貧しさ、病苦を親しく知り、質素に過ごして下層民と共にあり、宗教家らの傲慢さに立ち向かい、弟子を繰り返し丹念に教えて、遂に、命までをも邪悪な者共の身勝手の内に差し出した、奇跡を行う人としての生涯は、終始一貫、『父を崇める』ものであった。これこそ『忠節な愛』であり、民には慈愛(アガペー)を体現されたが、それも山上の垂訓のような、律法の精紳の高みに在ってのことであった。
他に誰を類いすることができるだろうか。

高められたキリストについては、ヘブライ書簡の中に次のようにある。
『彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、完全な者とされた*ので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救いの源となり、神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、称えられたのである。』(ヘブライ5:8-10)*[テレイオスェイス]アオ受主男単 

これは即ち、アロンの子孫による律法祭祀の大祭司を超えるメルキゼデクの様に世代交代のない永遠不変の大祭司職をキリストが受けたこと、また、その任命には、地上での従順な歩みが関わる『全き者とされ』る必要があったことが語られている。

またこのヘブライ書簡はこうも言っている。
『このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、諸々の天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって相応しい方である。
彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々犠牲を捧げる必要はない。なぜなら、自分を捧げて、一度だけそれを行われたからである。律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に完全にされた*御子を立てて大祭司としたのである。』(ヘブライ7:26-28)*[テテレイオメーノン]完了受対男単 


以上の句から、キリストが地上での歩みを通して『完全にされ』、そのうえで天に挙げられ『大祭司』となったことは明らかであろう。
そして、その大祭司の務めが成し遂げる働きについては
『 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。』(ヘブライ7:25)

これは即ち、まずキリストが聖められ大祭司職に就いたことにより、神に近付こうとする者を全く救うことができる点で、地上の大祭司とは次元が異なるということである。
律法で規定された『贖罪の日』の手順では、大祭司自らの罪を浄めるために雄牛の血を携えて、神殿の幕の内側に入り、契約の箱の宥めの覆いの前に血を振り掛ける必要があった。
自らの浄めを終えると、次に自分の家に属する下位の祭司たちの贖罪のために、大祭司は再び至聖所に入った。そうして崇拝を捧げる役職を浄めた後に、民の贖罪が行われたのである。

キリストは、まず、地上で自らの死に至るまでもの従順な歩みを通し、その血を携えて神の御前に進み出、自らを『完全なる者』、真に聖なる者とし、その一度限りの犠牲は、神の神たる地位を不動のものとしたことに於いて神にこのうえない栄光を帰し、その後は神の右に座し、神は彼を『 唯一の不滅性*を持ち、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方』となった。(テモテ第一6:16)*[アスァナシア]不滅性、永遠性、不死(この句の文脈は、神自身について述べるのではなく、キリストの称号『王の王、主の主』と共に語られ、「神」の主語を持っていない)

つまり、地上での死に至るまでの従順は、被造物の一切が従うべきは創造者であることを立証して、神から完全に信頼される者、永遠に存在すべき者とされた最初の存在者となったと見ることができるのである。
試みの苦しみを経て、倫理という、他者とどう生きるべきかを『愛』によって完全に会得した最初の存在となり、そうして「御子」は被造物のすべてに永生の命をもたらすことの出来る『救いの創始者』ともなり、他の被造物に対して『一粒の小麦』となった。その一粒が死んで、そこから多くの穂が生え出、多くの穀粒を結ぶことになったからである。(ヘブライ2:10/ヨハネ12:24)

それであれば、キリストがアダムの子孫ではないというだけで、単にアダムの贖いとなったという事柄を超える次元の、超絶的な倫理を達成する最高善の義なる行為、『完全』への栄光ある到達がそこにあったと云えるのである。

そこで、ヘブライ書の次の記述が深い意味を帯びてくることになる。
『ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。』(ヘブライ2:9)

またエフェソス書はこうも言っている。
『神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれた。』

それだけではない。
『それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、尽くキリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさる方の目的の下に、キリストにあって予め定められ、神の民として選ばれたのである。』(エフェソス1:10-11)

このエフェソス書は、ヘブライ書と正反対に異邦人に向けてすべてが書かれている(エフェソス2:19)
従って、ここに云う『神の民』となった『わたしたち』とは血統のイスラエルを意味していない。
では、これはパウロの当時のエクレシアに集う『聖なる者ら』が、大祭司に従う祭司団として選ばれたということを伝えているのだろうか?

その句の続きはこうなっている。
『それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光を誉め讃える者となるためである。あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。』(1:12-13)

これはもはや疑いようが無い。
キリストは天界の大祭司となり、至聖所に入られて自らの血の犠牲を神の前に注ぎ出し、こうして後、聖霊の注ぎを以って従属の祭司団を浄め始めたということである。(使徒2:33/ペテロ第一1:2)

そこで、ヘブライ書に目を戻すとこうもある。
『なぜなら、万物の帰すべき方、万物を造られた方が、多くの子ら、彼らの救いの君を、苦難を通して完全にされたのは、彼に相応しいことであったからである。
実に、聖くしている方も、聖められる者たちも、皆ひとりの方から出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。』(ヘブライ2:10-11)

万物の創造者であられる神が、『多くの子らを栄光に導くのに』まず、イエス自身を完全にされたのであり、浄めるキリストも、浄められる者らも、共に神から出ているのであるから、キリストの浄めた者は『キリストの兄弟たち』となるのである。

また、ヘブライ書にはこうもある。
『かの方が、神聖にされつつある者らを永久に完全にしたのは、ひとつの捧げ物によるのである』(ヘブライ10:14)
これは、毎年に捧げられる牛の犠牲の血など、無数の動物の捧げ物では達成されることのなかった浄めにキリストの追随者が預かっていることを指している。

これは、イエス自身が祈りの中で述べられたことからすれば、ますます疑いようがない。
『わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。』(ヨハネ17:19)

こうして、様々な聖句の意味が繋がってゆくことになる。
なぜ、聖霊を注がれエクレシアに集められた者らが『キリストと共同の相続人』と呼ばれるのか。
どうして、聖霊を注がれた者たちが『神の子』とされ、神に親しく『アッバ』と呼びかけることが許されるのか。
なぜエクレシアは『キリストの肢体』なのか。
だれが、終末のキリストの前に人々を左右に分ける媒介となる、親切を施すべき『兄弟たち』なのか。


そのすべては、キリストという大祭司が、地上の苦難を通して到達した『完全さ』に負っているということに他ならない。
キリストの完全な聖さは、まず、彼自身に不滅性をもたらし、他の被造物に対して『初穂となった』のであり、それはキリストに復活によって既に実現したことである。(コリント第一15:22-23)

それであるから、パウロが仲間の兄弟らに向かって『もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを知っているからである。』と言った意味は、キリストと同じ『完全』への道を歩むべき『新しい契約』に在ったことを指している。(ローマ6:8-9)

この意味に於いて、キリスト・イエスは『キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれた。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、 神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれた』また『万物を造られた方が、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救いの君を、苦難をとおして完全にされたのは、彼にふさわしいことであった』とも書かれているのである。(ヘブライ5:8-10・2:10)

これらの意味するところは、キリストは苦難を経て栄光を放つまでに磨かれた完全性によって、人々の『永遠の救いの源』また、まさしく『救いの君』となり、多くの聖徒らを先頭に立って『栄光に導く』立場に就かれ、聖霊を与えてそれを何遂げたということである。

こうして概観すると、カトリックが言うように、イエスが『わたしはこの岩の上に、エクレシアを築こう』と言われた『岩』とは使徒ペテロである、という主張には相当な無理と価値観の転倒がある。(マタイ16:18)
しかし、カトリックはこの言葉を根拠にペテロの首位権を唱え、その後継としてのローマ教皇権を主張してきたのである。その座は使徒ペテロの継承を超え、ときに三位一体も手伝って「神の代理者」とまで言い放ったのであり、それを認めない東方教会はさておき、ローマこそがキリスト教の総本山とされてきた。

しかし、キリストの『完全さ』は、誰かが清い行状を誇ったところで到底得られるものではない『完全さ』であり、清貧、貞潔、従順の修道生活がその前にどんな意味を持てるだろうか。被造物の『完全さ』とはキリストの許にだけあるのであり、『聖霊』を注がれて『新しい契約』に関わり、その規準を全うしてなお、キリストの完全性を分かち与えられることを聖霊注がれた者らでさえなお待たねばならないのである。
『完全さ』とは、修道士がどれほど行いを謹んで聖人を装うとしても、けっして得られるようなものではないし、まして、信者になっただけでそのまま「義」とされるわけもない。

それでも新教派の「万人祭司説」も、キリストの聖さを一般信徒たちの聖さに認めてしまうところで、キリストの到達した次元を余りに卑近なものとしてしまっていることになる。
やはり、初期のエクレシアと、今日のキリスト教徒とには、キリストに共なる証しである『聖霊の注ぎ』が有るか無いかという決定的な違いが見えている。

新旧両派のキリスト教徒に共に欠けていた概念は、キリストの『完全』であり、原始キリスト教時代には存在した、聖霊を注がれ契約に入った『聖なる者たち』についての認識であったのだ。



◆キリストという隅の親石

さて、イザヤの時代のユダの民は、既に捕囚に至る悪の道筋を歩んでいた。
王たちは必ずしも善を為さず、例え善い王に恵まれたときでも民は岡の「高き処」で異神への祭壇を築いて悪霊を賛美して淫行をなし、また嬰児を生きたまま火で焼きすらしていた。

神殿祭祀を荷う祭司らも、律法の真意に気を配らずに神殿を汚し、崇拝方式を恣意的に変更し、偶像を持ち込むまでに堕落していたことを預言者らに指摘されている。

だが、イザヤは将来の新たな神殿の建設を含意してこう預言している。
『わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。わたしは正義を測り縄とし、恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし、水は隠れ家を押し流す。』 (イザヤ28:16-17)

この『シオンに据える』『一つの石』がキリストを表すことは、イエス自身がそこを引用して語った言葉から異論の出ようがない。その言葉をルカが福音書でこう記している。

『そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が、隅の親石になった』と書いてあるのは、どういうことか。
すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人は粉微塵にされるであろう」。
このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。いまの譬えが自分たちに当てて語られたのだと悟ったからである。』(ルカ20:17-19)

さらにこれはキリストの使徒らの言葉からも重ねて知らされるところであり、使徒パウロもやはりイザヤの同じ預言を引用してこう書簡に書いている。
『しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。なぜか。
 信仰によらないで、行いによって得られるかのように追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。
「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」と書いてあるとおりに』(ローマ9:31-33)

まさしく、そこではイスラエルの不信仰の結末がその『つまずき』であったことは覆すことができない。
『預言者に石を投げる』ことだけでなく、遣わされたキリストを処刑させることで、その不信仰の総仕上げを行い、こうしてシオンに神が据えた石に躓いて彼らは粉々に砕け飛んだ。その後果は西暦七十年に『火のバプテスマ』の惨禍となって臨み、以後、イスラエルは神殿を失い、祭祀の不可能な流浪の民となって今日に及んだのである。今や、血統の民は契約になく、恩寵では諸国民と変わらない。(ルカ2:34-35・19:42-44)

また、イザヤ書のその部分を引用しながら使徒ペテロもイエスという石の価値に弟子たちの注意を向けている。
『主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
この主の御許に来て、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神に喜ばれる霊の犠牲を捧げなさい。』(ペテロ第一2:4-5)

この神によって据えられる『隅の親石』という概念は、明らかに神殿(神の家)を建てるに当たり、建築全体の礎石となる意味を含んでいる。
確かに、ナザレ人イエスは当時の宗教家らによって『捨てられた』のであり、やはりペテロも上記のイザヤ書を引用して更にこう続ける。
『この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造らの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、
また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実はそうなるように定められていたのである。』(ペテロ第一2:7-8)



◆神殿の再建

ソロモン王によって建立され壮麗であったとされる神殿も、度重なる諸国の干渉と、自国民の無関心によって荒れていることが多く、遂には新バビロニア帝国の大王ネブカドネッツァルによってエルサレム共々破壊され、その後七十年の間は再建されず、祭祀制度が戻ることが無かった。

しかし、イスラエルの神YHWHは、七十年が過ぎるに従い、ペルシア帝国のキュロス大王を用いてシオンに神殿を再建することを命じさせる。
イスラエルの民に対するその勅令が出されたのが『キュロスの第一年』、西暦前537年のこととされている。
その年の内に、ペルシア総督となったユダ王家の血を引くゼルバベルと大祭司エシュアを中心に、有志ら五万弱の人々がシオンを目指して旅立った。
彼らは秋に到着し、祭りを祝うだけでなく、神殿を再建するべく翌年の春にはその定礎までは行えたのである。

その時、民は大いに喜び、祭祀の復興の始りを期待した。しかし、その礎石は以前のものよりずっと小さかったので、ソロモンの神殿を知っていた年寄りらは、それを見て泣いたという。
しかし、その後に遣わされた預言者ハガイは『この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍のYHWHは言われる。』との神の言葉を伝えているのである。
だがそれは、後にヘロデ大王によって、恰もキリストの到来に備えるかのように美しくされ、アテナイのパルテノンやエフェソスのアルテミス神殿に優る規模にまで拡張されたことを意味するわけではない。

一方で、神殿の建築については、単に実際の建造物を造る以上の意味が旧約聖書の後半に語られることがある。
神が、自らの民イスラエルを裁く様を、建築用の「下げ振り」(アナカ)を持つ神の姿としてアモスの預言書は描いている。
『見よ、わたしはわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、(罪を)見過ごしにすることはできない。』(アモス7:7)

下げ振りの使用によって、建築物に垂直性が与えられ、しっかりと石が積み上げられるように、神は歪んだ家の構造を正されるということである。
この道具を用いているもうひとりの人物が旧約聖書にいるが、それがゼルバベルである。
『ゼルバベルの手がこの家の礎石を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。・・だれでも小さい事の日を卑しめた者は、ゼルバベルの手に下げ振りのあるのを見て喜ぶことになる。これらの七つのもの(燭台の灯火皿)は、あまねく全地を行き来するYHWHの目である』(ゼカリヤ4:9-10)

礎石を置いたゼルバベルは、そのまま神に家を完成させるのであり、その石組みを真っ直ぐにするための下げ振りを手にしているというのである。
確かにゼルバベルの据えた基礎は第一神殿には及ばなかった。だが、それを嘆いた者らもゼルバベルが下げ振りを持って神殿の再建に取り掛かる姿に喜びを見出すことになる。付け加えて『七つの灯火皿』を持つ燭台の秘儀を解いて『神の目』であるとも告げられている。
これは、対型的な天界の神殿の定礎が行われ、建設が始まることと『聖霊』の監臨が結び付けられていると見るべきであろう。

やはりゼカリヤはこう預言している。
『万軍のYHWHは言われる、見よ、エシュアの前にわたしが置いた石の上に、即ち七つの目を持つこの一つの石の上に、わたしは自ら文字を彫り込む。そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。』(ゼカリヤ3:9)

もちろん、これはゼルバベルとエシュアの当時に起ったことではない。なぜなら、この預言が語られたのは『ダレイオスの第二年』(前520年)と記されており、実際の第二神殿の定礎から既に16年が経過してしまっている。
従って、神自らが彫り込みを行うこの「礎石」とは、更なる将来の神殿の基礎を言うのであり、第二神殿を指すわけではないし、イエスが登場したときに既に存在していたヘロデ神殿も対象外である。そうでなければローマ軍に破壊されるようなことは無かったに違いないからである。

では、神が御自ら彫り込みを行う礎石を置くのは何時のことか
以上の論旨を踏まえると、まず、キリストが『試みを経た石』となった後に違いない。
即ち、死に至るまで神への従順を通し、神への被造物の在るべき姿が彼によってすべてに明らかにされた後のことである。

復活の後、四十日目に天界に戻るキリストの姿を眺めた使徒らは、それから十日後のペンテコステの日に聖霊を受けている。即ち『わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け手は来ない』、また『わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助けを送って、いつまでもあなたがたと共に在るようにして下さるであろう。』と言われた『助け手』が聖霊であったことは言を待たない。(ヨハネ16:7・14:16)

聖霊を受けた者らはパウロが言うように『今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはない』のであり、ゼカリヤの預言にあった『地の罪を、一日の内に取り除く』の言葉がこうして成就しているのであろう。アダムの罪から浄められた『キリストの兄弟ら』『共同相続者ら』の出現である。(ローマ8:1)

そしてゼカリヤに言われた『七つの目』について二度目に語るのは黙示録であり、七つの目を持つ『屠られたような小羊』についてこう明かしている。
『小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。』(黙示5:6)
これがキリストに与えられた聖霊を表さないとしたらいったい何であろうか。
聖霊は、世に対してキリストを証し、またそれに対する人々の反応を完全に測り見るものでもあると云える。

聖霊が注がれた出した日に、使徒ペテロはこう宣言している。
『イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。今、あなたがたは、このことを見聞きしているのです。』(使徒2:33)

また、使徒ヨハネはイエスの死の以前についてこう記して、聖霊降下がキリストの試みの後であったことを知らせている。
『わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ降っていなかったからである。』(ヨハネ7:38-39)

そしてモーセの故事は、岩から流れ出し渇く民らを潤した水の奇跡を語り、まさしくパウロは、荒野のイスラエルが飲んだ水の源の岩がキリストであると書いている。(コリント第一10:1-4)

従って、その対型的な神殿の礎石として『試みを経た石』『石工の退けた隅の親石』キリストが置かれたのは、あのキリストが復活を遂げてから、遅くとも聖霊が与えられたペンテコステの日であったと云える理由がこのようにある。

聖霊は、聖徒らを監臨し、建築資材としての石として吟味する。
それだけでなく、聖徒らの計測が終わった後には、全地の人々をも測ることになるのであろう。聖霊への信仰が試されるからである。



◆測られるべき数々の石

旧約聖書中の預言者マラキは、神殿に突然に現れる『契約の使者』についてこう語っていた。
『彼の来る日に誰が耐えうるか。彼の現れるとき誰が立ちうるか。彼は金を吹き分けて精錬する者の火のようであり、布を洗う者の灰汁のようだ。
彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レヴィの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らがYHWHに献げ物を正しく献じる者となるためである。』(マラキ3:3-4)

このような契約が何かについて、挙げられるものがあるとすれば、エレミヤの預言した『新しい契約』の他に何を挙げることが出来るだろうか。
それはもはや律法契約のような『律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っている』ユダヤという『契約の子ら』ではないところの、『律法を彼らのうちに置き、その心に記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』というこの新たな契約のことであり、使徒パウロが『もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。』と指摘した『契約』であり、また、『 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。』とも記していた通りに、律法祭祀の体制はキリストの世代の内に神殿を破壊されて消え去っていった。(ヘブライ8:7・13)

ダニエルはメシアと契約についてこう啓示されていた。
『彼は一週の間、大いなる者らと契約を堅持し、半週でいけにえと献げ物を廃止する。』(ダニエル9:27)
この『多くの者』とも訳される『大いなる者ら』(ララビーム)については、イエス自身のこのような言葉が注意を引く。
『およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である』(マタイ11:11)
また、このようにも言われている。
『わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。』(ヨハネ10:29)

こうして聖書を精密に辿り出して行くと、この『新しい契約』が『キリストの兄弟ら』を生み出すものである様が見えてくる。
それは、神の初子の兄弟、キリストと共同の相続人となるほどの高い立場である。

そのゆえに、聖霊によって『油注がれた』これらの『聖なる者ら』には、『新しい契約』を守るべき重い責務があることになる。なぜなら、契約というものは不確定な事柄を前もって約定することだからである。

ゆえに、彼らには『狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、入ろうとしても、入れない者が多いのだから。』というキリストの言葉がその通りに厳しく臨むことになる。(ルカ13:24)
最終的には『ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される』という結末によって、キリストは従属の祭司と成るべき『レヴィの子らを清める』ことになろう。(マタイ24:40)

この『清め』という選びについて、あの「信仰による義認」の論議によってルターを解き放った使徒パウロでさえ『聖なる行状』を強調し『キリストの律法』との言辞を用い、また、イエスの弟ヤコブも、モーセではない『自由をもたらす完全な律法』について行動を促している。
加えて、使徒ペテロも『召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。』と行状の清さを以って、キリストに相応しい者であるべきことを教える。(ヤコブ2:8/ガラテア6:2/ペテロ第一1:15)

他方ルターは、ヤコブ書簡を評価せず、律法の業をキリスト教徒に求める『わらの書』だとまで言った。だが、ヤコブ書にはモーセの割礼はもとより安息日をさえ守れとは言わず、ただ『隣人を自分自身のように愛せ』というレヴィ記の条項を『王たる律法』と呼んでいる。
明らかにこれはモーセを超えたもの、『新しい契約』に属する、キリストの精神の業を語っているのであり、これこそは、パウロがガラテア書簡で『キリストの律法』と呼んだその同じものではないか!そこにヤコブとパウロの不一致は見られない。
もともと「万人祭司説」は、カトリックと戦うルター自身の修道に対する個人的反発が色濃く、聖書全体を見誤る背景が余りにも強すぎたのであろう。



◆求められる世への勝利

そして、これらに使徒ヨハネが付け加えて強調するのは『この世に対する勝利』である。
黙示録を含め、新約聖書中にある五つの使徒ヨハネ文書にはっきりと共通する概念は『勝利』であり、キリストと共に『この世』に『信仰によって』打ち勝つべきであるという。
即ち、キリストが自らの死に至るまでの従順な歩みを経て後の最後の晩に、『この世の支配者が裁かれた』と宣言できるほどにこの世を断罪したように、キリストと共なる者らには同じように歩む務めがあるというのである。(ヨハネ16:8)

パウロは、キリストの共同の相続人である以上『キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける』と聖霊を受けた者らに告げている。(ローマ8:17)
ペテロも迫害に遭うことについて『キリストの苦しみに与れば与かるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。』また、『キリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださる』と励ましている。(ペテロ第一4:13-14)

これらの苦しみはどうして生じるものだろうか?
世の征服を強調するヨハネはこのように断言する。
『世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。』(ヨハネ第一2:15)
ヤコブの世への見方も手厳しい。
『 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。』(ヤコブ4:4)

このような世との対峙があることは、キリストに伴う『聖なる者ら』に、同じく苦しみを通した栄光をもたらされることも、パウロの次のキリストの死の価値についての言葉によっても明らかである。
『(神は)諸々の支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、晒しものとされたのである。』(コロサイ2:15)

そこで『新しい契約』とは、キリストと共に『世を征服する』という、死に至るほどの試練を通過して初めて守ることができるものということができる。

天界の神殿を構成する彼らも『新しい契約』を守ることを通してキリストのように『完全なもの』とされ、礎石となったキリストという岩に相応しく切り出されることになろう。
もし、相応しくない石材を用いるなら、その神殿は歪んでしまうことであろうから、それは許されないことである。
まして、天界の神殿は地上のものに遥かに勝っているに違いない。

地上のエルサレムに在った神殿が、永く続いた律法祭祀体制と共に過ぎ去る時が近付いた西暦六十年代に、ユダヤ教徒とイエス派との緊張が非常に高まっていた。
ローマに反抗しようとする熱狂的な律法主義者と国粋主義者らの結託はいよいよ強まって、イエス派は迫害の対象とされてゆく。

その渦中に在って、使徒ペテロは書簡を書き、各地の聖徒らに『今は、神の家(神殿)から裁きの始まる時期が来た』として、質の試される試みに聖徒らが直面していることに注意を向け、『愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむこと』ばないように、むしろ、キリストと同じ苦しみに与ることを喜べとさえ言う。(ペテロ第一4:17・12-13)

使徒ペテロの時代と同じように聖徒らの質の試される時が来るとしても不思議はない。
黙示録には、終末の啓示に入ったヨハネに、長尺の葦が手渡され神殿を測る場面がある。
だが、彼が測るよう求められたのは、神殿の大きさばかりではなく『そこで崇拝している者たち』なのである。(黙示録11:1)
これは、キリストという親石の上に組み上げられる石の数々について、それが設計に準拠したものであるかどうかを判断することのように捉えることは的外れではないであろう。

それを裏付けるのは、黙示録でこれに続いて『荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言する』ふたりの証人について述べ、それはモーセとアロン、エリヤとエリシャ、ゼルバベルとエシュアの三組の二人組が投影されていることであり、そればかりか、迫害を受けて殺される姿までがそこに予告されているのである。それはまさしく試練という他ない。(黙示11章)



◆「新しいエルサレム」の土台石


さて、地上に於けるキリスト最後の夜、イエス自身が栄光の死を遂げるのは夜が明けて後の時間ではあったが、聖餐を済ませユダ・イスカリオテを祭司長派の許に送り出してから、残りの使徒らにこう言われる。
『今や、人の子は栄光を受けた*。神も人の子によって栄光をお受けになった*。』(ヨハネ13:31)*[エドクサスェー]「輝かせた」 アオ

即ち、イエスはユダ・イスカリオテを去らせ、殉教へのスイッチを入れた上で、『今や』(ニュン)と述べ、早くもこの捕縛の前の時点において、神によって初子の犠牲は確定したものと見做されており、キリストが栄光を受けているというのである。これは『主の晩餐』が初めて行われ、続く例年の儀式の型が示されたときに、キリストは刑死に先立って完全化されていたと見てよいのであろう。

そして、その完全さは被造物の間に広げられてゆくべきものであったと云える理由がある。
なぜなら、エフェソス書にこうあるからである。
『神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。』(エフェソス1:10)
キリストの被造物としての完全の意義は、即ち、義なる永遠性の内にあらゆる被造物を集め、創造の目的通りに永生を与えて神のオイコノミア(家計)に含め、すべてを『子』とすることである。

次いで、特に十二使徒には、後の聖徒らを吟味する権威が授けられることを、イエス自ら最後の晩餐で語っているのである。
『あなたがたは、わたしの試錬の間、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。それで、わたしの父が国の王権をわたしに委ねてくださったように、わたしも王権をあなたがたに委ね、わたしの国でわたしの食卓に就いて飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族を裁かせるであろう。』(ルカ22:28-30)

即ち、この晩の内にキリストの受ける王権の委任は確定しており、十二使徒の内の十一人に、まず、その栄光が分けられ、後から『新しい契約』に参与する残りの人々を吟味すると言われるのである。

もちろん、その後、彼らもキリストと共に患難の一日を過ごすことになったことを言うのであろう。主はシモン・ペテロにこう言われた。
『シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
 しかし、わたしはあなたの信仰が尽きないようにと、あなたのために祈った。それだから、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。』(ルカ22:31-32)

王権の栄光の分け前を約束された十一人ではあっても、『今夜、あなたがたは皆がわたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるから』というゼカリヤの預言に基いて、死を覚悟して剣を振るったペテロでさえ自分の主を否認することになった。他の使徒らも逃げ散ってしまい。キリストは独り屠り場に向かうことになってゆく。(マタイ26:31/ゼカリヤ13:7)

しかし、それであっても彼らの信仰は、彼らの主の祈りによって保護されたのであろう。ユダ・イスカリオテの道を行く者は他に出なかった。

ペテロが独りで剣をふるうほどに主と共に死ぬ気でいたとしても、それは神もキリストも意図するつころではなかった。
彼には生きて行うべき多くの業があり、あのペンテコステの朝には聖霊降下を受けて使徒たちの先頭に立って、ディアスポラの民にキリストとしてのナザレ人イエスを宣言し、世界宣教の第一歩が踏み出されることになる。
その前途には、地の四方から『アブラハムの裔』『神のイスラエル』を集める出すという一大事業があった。

即ち、キリストの分与する栄光に与る人々『聖なる者ら』の聖霊による召し出しであり、ペテロをはじめとして使徒たちは神殿の祭祀制度が終わりに近付くにつれ、世界各地にその足を向けて行くことになる。(使徒1:8)

その最終的な目的は、天界の神殿の建立であり、集められる石のすべても吟味されなくてはならない。(ヨハネ15:20)
十二使徒が、ほかの石の審査をキリストと共に行うからには、彼らはキリストの兄弟たちである『12部族』の土台というべきであろう。

黙示録の終り近くで、天から降る『新しいエルサレム』は城市であり、そこに神殿は無く、神と子羊とが神殿であるとされる。(黙示21:22)
その城壁には十二の土台石が在り、それぞれに『子羊の十二使徒の十二の名があった』。(黙示21:14)

この城市『新しいエルサレム』そのものは、地上を治める新しい支配であり、新しい祭祀による贖罪の制度を指しているのであろう。即ち「千年王国」であり、エデンで語られ、後に聖霊を以って明かされる『奥義』となってきたものである。

ヘブライ書簡でパウロが言うところの、ニムロデが始めたような、この世に属する城市ではないところの、アブラハムのように天幕に住むイブリート、即ち「この世の寄留者」である者らのために備えられる城市、『真の土台を持つ城市』であり、『その城市の建設者は神である』。(ヘブライ11:10-16)
まさしく、キリストの完全性は『隅の親石』として申し分なく、十二使徒もキリストと共に礎石として試みを経た石と云える。そこに十四万四千の石組がされるのであれば、それは確かに『真の土台を持つ城市』ではないか。

こうして、祭祀のための神殿と、支配のためのダヴィドの王座との融合が起る。神殿でもなく、王宮でもない、金銀宝石に輝く巨大な六面体の「城市」であり、これは終末の背教によってもけっして真似のできないものとなろう。
そこで十二の土台の上に建つ城壁は、方正にして汚れた者の侵入を許さない。(黙示22:15)


◆ひとつの完全がもたらす罪なき世界

そして、イエスは地上での最後の夜の祈りの中で、聖なる者らから益を受ける者らについても祈願を捧げて下さった。
『また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世はあなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになります。』(ヨハネ17:20-21)

それであるから、『キリストの兄弟ら』の聖霊の証しに信を置くことになる人々、即ち、この聖なる城市の支配と贖罪に与ることになるであろう地上の無数の人々についても、『聖なる者ら』と同じように神と子の内に住まうという恩寵がキリストによって祈られていたのである。

そのことを通して『世はあなたがわたしをお遣わしになったことを信じる』と言われた。
これは、『キリストの兄弟ら』ではなくとも、彼らを信じて援助を行う人々からも、アダム以来、倫理不全に陥ったこの世が、神からの義の回復を受けるという福音の知らせを聞くと捉えることは間違いではない。
なぜなら、黙示録はこのように結論を述べているからである。

『霊も花嫁も共に言った、「来たれ」。また、聞く者も「来たれ」と言うように。渇いている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。』(黙示22:17)

エデンで『女の裔』が語られて以来、その目的はすべての人のための祝福であったのであり、聖書全巻を通して語られてきたことは、その祝福の進展を知らせるところにあったのである。
それであるから、この秘儀がもたらす幸福はあらゆる人に及ぶものである。
そこに真に価値を見出すなら、誰もが知るだけで済ませず、知らせる側に立とうと思えるのではないか。

キリストが直面した苦難も、聖徒らが受ける試みの妥協の無い非常な厳しさも、共に創造界から悪を除き、人類を救出するために味わうべき激しい痛みである。

では、その益を受ける者が、その恩恵のうえに当然のようにしてどっかりと腰を下ろすだけでよいだろうか?
キリストの自己犠牲の精神に感化される者は、『死んで生き返った方のために生きる』謂われが生じるであろう。そこに真なる価値を見出し、利己心を去ろうとするからである。(コリント第二5:15)

終末の再来についてキリスト・イエスはこう言われた。
『 主人が婚礼から帰って来て戸を敲いたなら、すぐに扉を開けようと主人の帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。』(ルカ12:36)
パウロは『主の晩餐』を行うことが『主の死を知らせる』ことになると書いている。(コリント第一11:26)

キリスト教界がするように的外れな「復活祭」を行うのではなく、キリストの最大の偉業であり、自らばかりか父なる神にも栄光をもたらした『その死を宣べ伝える』ことになるのが『主の晩餐』である。

これを初期の使徒伝承に倣った仕方でこの現代に行うこと、それはキリストが語った『しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』との疑問に答えることになろう。(ルカ18:8)
それはまた、聖霊が再び降下するキリストの臨在を待ち『すぐに扉を開け』られるように備えることでもある。


そして、ヨハネは黙示録において聖書巻末に『アーメン、来たりませ、主イエスよ』の言葉を書いている。

それゆえ神の偉大な経綸の達せられる前に、心を整え、聖霊によるイエスの帰還を待つことは、今の時代に於いて、何ものにも勝った最大の意義をもつことであるに違いない。

そこで問題となるのは、個人がそれぞれどのように関わるかである。
人は本来、この余りにも貴重な犠牲で成り立つ『真の土台』を持つ城市を願い求めるべきだからなのである。




   2018 © 林 義平




3月29日の日没からユダヤ人のニサン月14日が始まろうとしており
今年も動機や価値観を同じくする方々と、『主の晩餐』の機会を共にしたく、無酵母パンと赤葡萄酒の儀礼を各地で行われるようお勧めしたい。

『主の晩餐』の意義についてはこちらを⇒「主の晩餐とは何か
無酵母パンの製法についてはこちらを⇒ 「マッツァの作り方



聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中









.

『忠実で思慮深い家令』夜を徹して主人を待つ

2019年4月18日の日没後のパスカを期し


ΑΓΙΑ ΔΕΙΠΝΟΝ
"Primo mense, quartadecima die mensis ad vesperam"
「最初の月、その月の十四日の晩に」 
 HagiaDeipnon

Do the Lord's Supper in a primitive Christian way.
⇒2019 ”On the night of April 18” (English)


◆主の晩餐によってダヴィドの荒れ塚を興す

モーセを仲介に、神とイスラエルとの間に結ばれた律法契約は、ユダ王国の滅亡と共に神殿が破壊され、モーセ以来の律法に規定され永く行われていた祭祀は中断し、律法契約の履行は一度不可能となった。ユダの民の多くはバビロンに捕え移され、五千にも上る神殿の什器類も敵兵に奪われ、遥かな帝国バビロニアの厚い城壁の内側に留め置かれてしまった。

しかし、ユダの神への崇拝はそのまま潰えるものとはならなかった。
神殿破壊から47年後のティシュレイ16日に行われていたバビロンの異教の徹夜祭で、ユダの神殿の器を持ち出して宴会を祝うバビロン王は、一夜の内に新興のメディア=ペルシアに攻められ、あっけなくその世界覇権も一夜にして葬り去られた。
その後、ペルシアのキュロス大王は、占領した諸国家の民と偶像の神々を解放する政策を採り、特にユダの神については本来の在るべき場所に神殿を再建するよう勅令を出し、その民イスラエルに命じ、また呼びかけ、その事業を任せたのであった。

早くもはその勅令の出た西暦前537年の内に、民の中の有志らがそれに応じ、血統上大祭司職に任じられるべきザドク系のレヴィ族のエシュアと、ダヴィド王統の血を引きこの事業の総督に任命されたゼルバベルの下に、西の彼方、ユーフラテスの川向うへの旅に参じた。その多くはゼルバベル同様に約束の地パレスチナを見たこともない世代ではあったが、暑い千五百キロの旅路を承知の上で、かつてアブラハムが進んだ行程を辿り、その先祖たちが代々にわたって暮らし、神を崇めていた「約束の地」を目指したのであった。

それは余程に神YHWHとの契約に深い価値を認める者、即ち『シオンを憂う者』であったことであろう。実際に集まったのは五万人弱のみであり、その他大半のユダの民は、住み慣れたバビロンに留まることを選んでいる。

留まったユダヤ人の中には、今や齢八十程の高齢で、なお王府の務めを荷っていたダニエルがいた。彼はバビロンでキュロスの第三年まで神からの啓示を受けていたが、ダニエル書のその終りには『終りまでそなたの道を行け。そなたは休みに入り、定められた日の終りに立ち上って自らの分を受けるであろう』と語られており、再建された神殿での復興した神の祭祀を見ることなく永い眠りに就いたことであろう。

そのほかのユダの民も、当時極めて洗練された城市であったバビロンでの五十年にもなる暮らしにより、すっかりその地に根を下ろして生業に勤しんでいたであろう者らもダニエルに同じくエルサレムでの崇拝の復興をほとんどが見ることなく過ごしたに違いない。

他方、シオンを目指した一行は、キュロス第三年の初秋ティシュレイの1日にはエルサレムに到着していたので、そのまま仮庵の祭り「スッコート」の祝いを再開することができた。
彼らは、まずシオン山上の荒れ跡を起こして祭壇を据え、日毎の犠牲を再開させ、翌年の春には神殿の定礎をも行うことができた。但し、聖所も至聖所もないこの段階では『贖罪の日』の行事は行うことができなかったに違いなく、祭司団が浄められるには神殿の竣工を待つ必要があったはずである。


だが、新たな神殿の礎石はかつてソロモンが据えたものには及ばず、その小さい基礎を見て、壮麗なソロモン神殿を知っていた老人たちは声を上げて泣いたと、後の書士エズラは記している。彼ら民族の失ったものがどれほどのものかを老人たちは悟って悲しんだのであろう。
それでも若い民はシオン山上に神殿の基礎が再び据えられたことを歓呼して祝ったのである。その入り混じった叫び声は近隣四方に響き渡ったという。

こうしてダニエルが『あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山から、あなたの怒りと憤りとを取り去ってください』とシオンを憂いて祈った言葉は、その時報われようとしていたかに思えたことであろう。

だが、エルサレムでの崇拝の再興の知らせを聞いた周囲の割礼の民、特にサマリア人が、この復興の業に共に預かることを願い、建設を共にすることを申し出てきた。
確かに、かつてソロモン神殿の資材を届けたのはフェニキア人であったし、石を切って整形したのはアンモン人であった。

だが、この度はイスラエル人がキュロスに任じられたのであり、そのうえ彼らでさえ律法に沿った祭祀にも生活にも慣れていなかった。彼らが如何に律法を忘れていたかは、後代のネヘミヤ記も伝えるところであり、そこに行き掛かり上、祭司を通して律法を知ったユダの民であるとは云え、イスラエルとは祭祀も習慣も何かと異なるサマリア人が神殿再建に加わり、その後も祭祀に関わりを持つとなれば、モーセとの契約関係にあるイスラエルに影響が及んで、その純粋性をどこまで保てるかに危うさがあったに違いない。ネヘミヤ記では異邦人の影響力に曝されているイスラエルに対して律法を再教育を施すことがどれほど難しかったかを描く記述に度々出くわすのである。

そこでゼルバベルはきっぱりとサマリアの申し出を断っているが、これは適切な判断であったことであろう。だが、サマリアはその判断に怒り、業に与れないと知るや、他の民族と組んで神殿の再建の妨害を始めたのであった。この反対は後のネヘミヤの時代までも続くことになる。

周囲の諸国民は、イスラエルの民が歴史上どれほど頑なで反抗的であったかにペルシア皇帝の注意を喚起し、ゼルバベルはイスラエルの王となる野心を隠し持っているとも唱え、キュロス大王を継いだカンビュセスⅡ世とその廷臣らを動かすことに成功する。

以後、神殿の再建事業は滞り、やがてユダの民も再建を忘れて、その跡地は顧みられることなく空虚に打ち捨てられたままに年月を重ねていったのであった。

だが、祭司団やネティニムをまとめる立場に在ったエシュアは、前述のように周辺諸民族の不穏な動きを察知し、定礎の以前から祭壇だけは組み上げて、日毎の捧げ物『常供の犠牲』は始められていた。

そうしている内に、カンビュセスⅡ世が世を去り、ペルシアに変化の兆しが出て来た。
そこで神は、二人の預言者を帰還民に遣わし、神殿再建の業を促す。
それがハガイとゼカリヤの二人であった。

ハガイは、帰還民たちが、当初の熱意をすっかり失って生業に専心している姿を責めている。
『これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事ばかりに忙しくしている』。『それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた』。
『あなたがたは多く撒いても穫り入れは少なく、食べても飽きることはない。飲んでも満たされない。着ても暖まらない。賃銀を得てもこれを破れた財布に入れているようなものである』。

神は自分の儲け仕事に没頭する彼らを祝さず、却ってその実入りを少なくしていたのであり、彼らの崇拝心の無さを『この家がこのように荒れはてているのに、あなたがたは板で張った(内装の)家に住んでいる時であろうか』と訴える。『それで今、万軍のYHWHはこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい』。

二ヶ月ほどすると、もう一人の預言者ゼカリヤが神からの言葉をこの民に語りはじめた。
『ゼルバベルの手がこの家の礎を据えた。そして彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍のYHWHがわたしをあなたがたに遣わされたことを知るようになるのである』。『これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである』。『大いなる山よ、おまえはいったい何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となるであろう。彼は「恵みあれ、これに恵みあれ」と呼ばわりながら、礎石を取り出すであろう』。

これらの預言の言葉に動かされた帰還民団の新たな霊を以って再建工事は再開され、新しい皇帝ダレイオスⅠ世の新たな勅令と庇護の下で反対運動も勢いを失ってしまい、やがてダレイオスの第六年アダル3日に神殿は建立され、明けてニサン月に献堂され、直ちに十四日の過越しと続く無酵母パンの祭りを以って祭司団による奉仕が再開されたのであった。その時まで、キュロス大王の勅令から22年が経っていたが、その西暦前515年はバビロニア軍による神殿喪失から71年目のことであり、エレミヤが預言していた七十年がこうして明けたのである。


◆ユーフラテス河畔から解かれる者ら

さて今日、神への聖なる崇拝はどこに存在しているであろうか。
今、筆者がこれを言うのは、キリスト後の西暦七十年に第二神殿さえもが失われ、以来日毎の犠牲さえ捧げられていないことを指すのではなく、ただ一度限り捧げられたキリストの完全な犠牲による、モーセによらない祭祀でさえも、聖霊が降下していた第二世紀以降から今日までの永きにわたりキリストが不在(アプーシア)で聖霊が降っておらず、『霊と真理によって崇拝される』祭祀も絶えていることに読者諸氏の注意を促すためである。

キリスト教はありふれたご利益信仰と化し、個人が死後に行く天国と地獄などというバビロンの教理の汚濁にまみれたものである。しかも、死刑執行の刑具であった十字架にうなだれる『王の王、主の主』を有難がって眺めるという悪魔の悦ぶような「崇拝」に堕しているのであり、再来するキリストが「クリスチャン」方に祝福だけを与える温厚でありがたいナザレのイエスではなく、再臨のイエスはご自身を含めた『神殿』への復讐に燃え上がる畏怖すべき御陵威の大王であるなどまるで知られていない。

そこでキリスト教の持つ偉大な意義がどう理解されているというのであろうか。
聖なる弟子らに奇跡を行わせる聖霊が失なわれて以来、キリストは確かに不在であるというべきであり、キリスト教は今日まで『誰も働くことのできない夜』の時期を過ごしているのではないか。

なぜならば、初代の聖霊注がれた人々が去ってから、人が計り知れぬ終末までの不定の時に至るまで、彼らの主イエスの臨在は不要であったからであり、神の右に在って待たれるべきであったからである。その間、真の崇拝はバビロンの厚い城壁の内側に閉ざされたところに留め置かれていたとは言えないだろうか。象徴的に囚われたものが『霊』であり『真理』であれば、それらが留め置かれていた間のキリスト教の真実の崇拝もできない道理もあろう。

だが、エレミヤの七十年が近付くにつれ、バビロニアはメディア=ペルシアの前に屈し、メシアとなったキュロス大王を介して神殿祭祀の復興の勅令が下ったように、「大いなるキュロス」であるキリスト・イエスがキリスト教のバビロン捕囚を終わらせる時を見計らうはずではないだろうか。

黙示録9章には、『大河ユーフラテスの畔に繫がれている四人の使いを解く』よう第六のラッパの奏者である天使に命が下されているのだが、それは『その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の使い』であると記されている。即ち、細心の注意を払った絶妙の時にその解放が為されるということではないか。 

かつてゼルバベルのエルサレム赴任は、前537年の事であり、様々な事情生じて、神殿祭祀の復興まで22年の時を要したが、結果的に「エレミヤの七十年」は、前586年の神殿の破壊から同516年の末の再建までが祭祀中断の期間としてそこに預言に違わず収まった。
これは、今日という考古学が進展した環境からの視座、また判断の有利な時代の下流から見て分かることではあるが、当時の人々にはいつ何が起り、神の経綸がどう進むのか何も見通せなかった。それは人知を超えた神の業であり、それでなくとも知恵者ソロモンも認めるように、元々人には将来を幾らか予想することはできても、何が起こるかを確実に知る術はない。

同じく、終末がいつになるのか、天界の神殿とされるべき聖徒たちが、何時イエスを隅の親石として組み上げられるのかも、また何時キリスト教がバビロンの囚われから解かれるのかも今日の我々であっても知ることができない。ダニエル書第九章の七十週がエレミヤの七十年と決定的に異なるものは、第七十週目の残りの三年半が何時再開されるのかが不明なことである。それが即ち黙示される1260日のことであろう。

それでも、かつての第二神殿の完成に至ったまでの古代の経過は、終末に天界で神殿が建立されるまでに辿るであろう幾つかの事象に光を当てていることについて、黙示録の示唆が見えるではないか。

それが、ユーフラテス河畔からシオンに上った民らに、それだけの認識と熱意とが必要であったこと、また、神殿跡地に祭壇だけが先に据えられ、常供の犠牲だけは捧げられるようになったこと、その後に定礎を迎え、再建事業は始動した。しかし、そこで周辺の民からの反対が起り、神殿再建までに当分の労苦の期間を要したことなども含んでの予型としてである。
無論、内容が「黙示」とも云われる以上「終末が古代の捕囚解放の対型である」と筆者のヨハネが明言しているわけでなく、そこは『読む者が悟る』べきものであるに違いない。つまりは信仰を要する事柄である。

しかし、聖書を通して神の経綸を凡そにでも俯瞰できる者にとって、ヨハネの黙示と雖も、ほとんどこれらの予型と対型とが明示されているに等しく、それこそ「黙示録」本来の書名「アポリュプシス」即ち「開示」と云われる通りなのである。これが霊感に拠らない書であるわけもなく、黙示録を「暗黒の書だ」というのは、本人の理解が暗黒なだけである。

もちろん、各時代の個別性も有ろうから、すべての予型と対型がぴったりと同じになることはないにせよ、旧約に書かれた事柄が終末に深い意味を持って再び語るということは、全能の神であれば有り得ることであり、それによって人を超える神の超絶性がいよいよ開示されることによって、信仰を呼び起こす圧倒的な神の証しともなり得ることである。
即ち、それが二重の預言の意義深さといえる。即ち、予型と対型(ティポトロジー)の妙であり、聖書に確言ないものは信じないという「硬直的な信仰の持ち主」にはどうにも理解の進まないことである。
まさしく、そのようにアレゴリカルに開示される終末までの間、キリストは神の右に座して待たれ、神は余計なことをなさらない。

だが、終末の聖霊再降下による崇拝の復興が近付く時にはそうではないと云える。
何故なら、エレミヤの七十年の満了の近付いた時に、バビロニア帝国の没落とキュロス王の勅令があったように、黙示録の四人の使いはユーフラテスから解かれるという事象が起きるであろうからである。それはダニエルの七十週の最後の三年半が近付く時期にはますます起り得ることではないだろうか。

そして天界の神殿の建立が近付く時期、即ち、我々の将来にキリストの臨在を迎える前後で起こるべき事柄が、福音書でもイエスの語られた言葉の中で予告されているのである。
もし、これらの秘儀が起らないのであれば、『この世』は変わらずに苦悩満ちる場であり続け、人々の人生に意味を与えないかのような永遠の空しさも拭い去られることもない。
こうした理解を世間一般が理解しないように、世人にとっては「終末」などという神の裁きの時など来ないのであるから、当然『この世』を「過ぎ越す」ことも叶わない。『この世』を容認する人々にとっては死への恐れと、奴隷労働の空しい境涯のままに過ごすよりほかない。だが『この世』を終わらせてしまう神の経綸とはまことに偉大なものである。


◆シオンを嘆く者

前六世紀の出来事であるユダの帰還と神殿祭祀の再興が、キリスト以降、特に終末の時期が関わった予表であるのなら。いや、それはダニエル書やヨハネ黙示録をはじめ、ハガイ書、ゼカリヤ書、そしてイザヤ書やエレミヤ書にも示唆されているところからすれば、まず古代のアリヤーが終末近付く時代に対型を出現させることに間違いはない。

終末とは聖書中で『終わりの日』として旧約から度々現れる語であり、聖書の全巻を通して注目されるべき徒ならぬ時期であることが再三語られている。
それは第一世紀に世を一度去ったキリストが再び世に関わりを持つ臨在が起る時期でもあり、再び聖霊が活動し、福音書が語るように世界がその言葉に瞠目することになるという。これをミカは『エジプトを出た日のように、わたし(神)は彼に(敵対者)に驚くべきことを見させる』と言われる「終末」の時期のことであるが、ミカはその時を『あなたが石垣を積み上げる日』と記す。(ミカ7:11-15)

しかし、聖書の記述を総合すると、聖霊の価値も何も知らない普通の人にいきなりに聖霊が注がれるという事態はまず起こらないであろうし、確かにそれではイエス自ら聖霊の降下を予告された初代の聖徒らの油注がれた状況とも一致しないだけでなく、パウロが言うように、聖徒らが『信仰によって義と宣せられた』のであれば、油注がれた彼らには、メシアへの信仰が有ったからこそキリストを先頭に共に任命される理由もあったのである。

これはイザヤ書をはじめ何人ものネヴィイームも、聖徒である『シオンの子ら』を生み出す『女』シオンが、母として先に存在するものと語っている通りである。
しかも、この母親がバビロン捕囚で子らを失い、神殿が無い間に夫たる神YHWHの不在をも永らく忍んでいた姿も描かれている。

かつての栄光とは裏腹に『「追い出された女」と呼ばれ、「相手にされないシオン」』とさらし者にされる零落の日々は、バビロンからの帰還民の現れによって喜びの終りを迎え、やがては神殿も再建され、神YHWHも帰還してシオンに『名を置かれる』に至ったのである。これは『癒しと回復の時期の到来』であった。

これらは神の側からの働きかけなく起ったことではない。神が『その右手を導かれた』キュロス大王の征服と勅令によって実現の端緒を掴んだ時代の潮流であったのだ。
しかし、それでもまるで人間の側が何もしなかったわけではない。
捕囚民の中からシオンの栄光の回復の祈願が捧げられていたのであり、その代表例はダニエルであろう。

彼はバビロンに在っても、西に向いた窓からシオンの方角に向けて祈りを続け、命の危険を冒してさえそれを止めなかった。
その祈りで彼はイスラエルの不忠を悔い、『われらの罪と、われらの先祖の不義のために、エルサレムとあなたの民が、周囲の者の物笑い』となっていることを恥じ入り
もはや『われらの義によるのではなく、ただあなたの大いなる憐れみ』にだけ頼るほかないゆえに、神に『あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください』と熱烈な請願を捧げていたのであった。

イザヤは『シオンを嘆く者』が『いにしえの荒れた所を建て修し、既に荒れ廃れた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々寂れた所を再び建てる』ことを預言している。(イザヤ61:3)
ゼルバベルに従った帰還民らは、ダニエル自身が言い表したシオンへの願いを持っていたと言えよう。彼らは実際に人の住まなくなったユダの町々に到着し、その荒れ跡を復興している。その労苦は華々しい回復をもたらしはしなかったが、仮の祭壇での常供の犠牲は再開され、翌年には神殿の定礎も行われているのである。

その後の反対運動のために神殿祭祀の復興という、当時のメシアであったキュロス大王の命を直ちに実現することはなかったものの、神の定めた70年はその間に満了を見ている。
では『至聖所に油を注ぐ』という結末に結実するダニエルの七十週はどうなるであろうか。というのも、まさにダニエルがエレミヤの七十年を察知してシオン再興を祈っていたときに、新たな七十週の啓示が与えられているからである。

エレミヤの七十年の顛末と同様に、キリストの新しい契約が導く聖徒らによる天界の神殿の建立までに、終末の時期に於いても、地上で仮の崇拝が興されて、常供の犠牲に相当する祭祀が開始することはダニエル書や黙示録も示しており、古代のアリヤーがその予型となっていることは明らかである。即ち、聖なる者らが『粗布をまとって1260日の間預言する』ことであり、彼らにはその月日は絶え間なく反対がつきまとうのである。聖霊注がれた者らの目的は天界の神殿の建立であり、その聖なる者らはキリストという隅の親石のうえに置かれる石の一つ一つとなる。

これらの予型が示すように、キリストの臨在の以前に、ダニエルの精紳を懐くような『シオンを嘆く者』が現れ、また、そこに聖徒である『シオンの子ら』を迎えることになるのであろう。
この母親たるシオンに相当する人々の現れを終末に予期することはネヴィイームの語るところからして間違いとはいえない。だが、その前段階として、終末の前に象徴のシオンに向かう人々が居て、その荒れ跡に到着する必要があろう。

「シオンを嘆く」とは、あのシャブオートの祭りの朝から第二世紀までの間に聖霊の注ぎが実際に有り、神の崇拝、確かなキリスト教が存在していたのに、キリストが不在となり聖霊の絶えたキリスト教界が、今日見るように異教と混融して別の宗教のように汚れ果て、地上のどこにも神への真実な崇拝の無い状態を憂い嘆くことであろう。

それはキリスト・イエスが『誰も働けない』とした『夜』の長く続いた時期であるが、聖徒らの母シオンは、黎明から目ざめていて朝には子らを迎えることになる。(箴言31:15)
イザヤはこう書いている。
『シオンよ、醒めよ、醒めよ、力をまとえ。聖都エルサレムよ、美しい衣を着けよ。割礼を受けない者や汚れた者は、もはやあなたのところに入ることはないからだ。』(イザヤ52:1)

では、荒れ果てたシオンを嘆き、また、その地に赴いて荒廃したいにしえの街を建て起こす者たちは、終末の近付く中でどのように現れるとされているだろうか。


◆忠実で思慮深い家令

それぞれの福音書は、キリストの初臨の以前にバプテストのヨハネの活動が有ったことを記している。
この祭司ゼカリヤの子ヨハネの活動に対していち早く反応していた平民に、ガリラヤ湖の二人の漁師が名を挙げられている。アンデレとヨハネである。

彼らは祭司でもレヴィ族でもないし、シャウルつまり後のパウロのように当時の「イェシュヴァー」と呼ばれるようになったユダヤ教学院で律法学者から学んでいたわけでもない、イスラエルのどの部族の者であるのかさえ聖書からは分からない。
だが、神に関わる事柄には鋭い関心を持っていたからこそ、荒野のバプテストの下で弟子となっていたのである。モーセの祭祀が行われる神殿から離れたバプテストは、律法の体制以前のヘブライの原点であるユダの荒野に現れたが、自身が『主の道をまっすぐにせよ』と叫ぶ声でもあった。イスラエルは聖霊と火とを、即ち、是認と糾弾とをもたらすメシアの到来を前に、その心を整えるべき時を迎えていたのである。

そのバプテストが『神の子羊』としてナザレ人イエスを示したときに、アンデレは自分の兄弟シメオンに『わたしたちはメシアを見つけ出した』と言っており、それはこの兄弟が漁師であるにも関わらず、普段から約束のメシアを捜し求めていたことを物語っている。しかし、彼らがメシアの主要な弟子、十二使徒も中心的メンバーになると思いもしなかったであろう。サンヘドリンは彼らを見て『無学な一般人』と思いつつ、神の経綸を大胆に語る姿に驚いているのである。

そしてメシアが再臨なさる終末の手前で、類似のことが起らないと言えようか。
いや、イエスは予告して語っているのである。
それが『忠実で思慮深い奴隷』または『家令』であり、マタイ24章45節とルカ12章42節に記載されている。またマルコ13章に類似の記述もある。

これらの句が示すのは、真夜中の主人の帰宅であり、その時まで家の奴隷たちの世話をして主人を待つ家令または家内奴隷たちの頭、「オイコノモス」即ち家計を任された出納奴隷のことである。
婚宴に招かれた主人が華燭の宴をすっかり堪能してから家に戻るのに、その刻限が定まっていると考えるのは随分と野暮なことである。この時の不定性は、契約に関わるダニエルの七十週の最後の半週が何時始まるのかが不明であることにも関わっているのであろう。

ルカ福音書にあるように、主人の帰宅が、午後9時から真夜中までの第二夜警時になるのか、また更に遅く午前3時までの第三夜警時、或いは明け方近くになるとしても、それは主人の都合であり、家令も奴隷も何か言えたものではない。彼らが待ち続けるのは当然の務めである。
ゆえに、『忠実』とは時について示されるのであり、マタイでもルカでも夜盗を例えて、もし、その時を知っていたなら盗人に押し入られるようなことなどしないとイエスは語られる場面が隣接しているのであるから、家の奴隷たちが待つべき時の不定性はますます強調されている。

そこで奴隷たちに求められる『忠実』とは、主人の帰宅がどんな時刻になろうとも『帯を締め』『篝火を焚いて』待ち、『主人が扉を敲いたら、すぐさま開門することができるように』していることであると、その主人であるイエス自身が言われる。(ルカ12:35-36)

ところが、たとえその家令が賢くて、他の奴隷たちに定時の食事を提供できていたにせよ、主人帰宅の時について忠実でないとすれば、それは致命的なことであることもイエスは語られている。『最も厳しく罰する』『数多く鞭打たれる』と言われるのであり、奴隷たちの頭、また家を任された出納家令(オイコノモス)だけが懲罰を受けるのではなく、他の奴隷たちにも責が問われることは、『知らなかった者は少なく打たれる』との言葉に込められているのであろう。

他方、例えの中の家の主人が帰ってきたときに、奴隷たちがその帰りを準備して待っているなら、その主人は異例なことに、その家令のために帰宅した主人自ら給仕するとルカは記し、マタイでは、その奴隷に『すべての持ち物を委ねる』ともしている。

だが、主人を待たずに他の奴隷たちを叩いて強制し、勝手に宴会を始めてしまうなら、それはたいへんな酬いを受けることになる。
マタイもルカもその結果は一致しており、厳罰に処せられだけでなく、元々の不忠実な者どもと同じ目に遭うことになるとも語られたのである。

では、どうして主人を待たなかったのか。
二つの福音書共にこう言う、『主人の帰りが遅いと心の中で思う』のである。
これは主人の都合を無視した奴隷の思い上がりであり、自分の思うような都合に主人の帰宅時刻を決めてしまうという、家の奴隷にしては有り得ない横暴である。どうして家の主人がサラリーマンの出勤のように定刻を守るのが。ましてイエスは『あなたがたはその時を知らないのだから、見張っているように』と命じ、終末預言では神のみ知り給う時となることを明言されたのではないか。
それは奴隷自身の中に時刻の予想や願望が有ったればこそやらかした悪行であり、このように強調されているからには、キリストの臨在の時を予定するなど許される事ではないのである。

この点で、英米で19世紀から流行した年代計算による時の予想、特にキリストの再臨の時を算定しようとした覚醒運動とそれに連なる企てはとても誉められたものではなく、むしろ主人への不忠と言うべき愚行ではないか。そこには主人の帰還の間違いようもない神の聖霊の印を人間の推論に置き換えるという、自分本位な願望が作用していたのであろう。
そのうえ、神の王国を構成する者らが天界に揃っていないことを表す『主の晩餐』が依然として終わっていないにも関わらず、『神の王国』の地上支配が自分たちの中で始まっているなどと唱えようものなら、キリストの真実の来臨をどう迎えるつもりなのであろうか。
奴隷連中で勝手に始めた宴会のために、主人帰宅の前にすでに自分たちの腹を満たし、酔ってもいる下僕が真摯に給仕できるものか。

やはり、家の奴隷たちには『思いがけぬ時』という不定の時刻を決め付けることなく、夜を徹して待ち続け、主人の帰宅に良い準備を以って迎え入れることが第一の務めである、それがこのイエスの語られた例えの重要な本旨であることは読んで明らかな通りではないか。
そこで、奴隷たちは主人の帰還するときに示されるその意向に従って仕えるべきであり、自らの判断するところを行っていては、待っているべき奴隷の立場を踏み越えた不遜でしかない。

今日まで『主の晩餐』を行うべき務めが継続されている以上は、聖徒が天に揃っていないに違いなく、明らかに主人であるキリストの祭司の王国のその地上支配も未到来の筈であるにも関わらず、恰も主人であるキリストの権威が到来しているかのように出納家令がほかの奴隷たちを叩いて支配し、祝いの宴会を始めてしまって良いものだろうか。だが、この奴隷に関するキリストの話は、明らかに主人の帰還をひたすら待つべきことを説いている。

その再臨の時には契約再開の印が伴っているに違いない。即ち、奇跡の聖霊の注ぎであり、それこそ紛うことのないキリスト帰還の動かぬ証拠と言える。そこにキリストと共になるべき者らの『新しい契約』が存在しているに違いないからであり、しかも聖なる者らはかつて聖霊を注がれていた時期と同様に、契約に対して終末の迫害に試されるべき未確定な立場に再び入るのである。
そうであれば、自分が聖徒であるからと人々の上に王のような支配を行うには時期尚早であり、不適切であり、本来彼らこそ忠実に主人を待つべき身分である。

それゆえ、19世紀英米でのキリスト帰還の年代への信仰が覚醒運動が「大失望」を刈り獲り、その後も様々な分派でハルマゲドンやら携挙やらの起こる時を予告しては毎度外す度に誤魔化してきたことは、度重なる警告とされるべき明らかな例であったと言える。まさしく福音書が『主人は彼らが予期しないときに来る』と揃って書かれている通りではないか。その不忠を終末まで続け、勝手なメシア支配の宴会などをしていれば、どれほどの厳罰を受けることになろうか。



◆主人を待つ者は誰か

さてそこで、明け方になろうとも帯を締め、篝火を絶やさずに待ち続け、仲間への定時の食事の世話を続けるとは何を意味するだろうか。
イエスはそのような者は『誰であろうか』と語って、それが不定な何者かであることを示唆されている。事前に任命されているならこのようには語られなかったであろう。

確かにイエスは例えで定時の食事を奴隷たちに供する者を『家の僕たちの上に立てた』と言われるのだが、これを終末の近付く時分に「キリストが直に任命した」と捉える理由はない。キリストは再臨していない時期のことで聖霊の注ぎも無いなら、その前段階でキリストからの任命を期待することに矛盾が生じるであろう。
これは一家に居る何人かの奴隷たちを束ねて、主人の不在の間の切り盛りをする家令が居るという当時の富裕な家に普通に見られる様子を描写し、この例えを成立させるための場面設定と観る方がよほどに現実的である。

即ち、終末に於いては『新しい契約』の『使者』であり、ダニエルの言うように『一週の間は契約を固く保つ』メシアの姿からすれば、この例えの家令や奴隷たちが活動する期間は、聖霊の再降下の以前に相当するからであり、それは第七十週の最後に残された三年半に当たる『1260日』の始りを待つ聖徒の居ない時期である。即ち、そこに聖霊を持たない者らによる自発的活動を指している蓋然性がある。

それに整合するものとして、ルカ福音書ではこの「家令の例え話」をイエスが語る直前にペテロが一言質問を挟んでいる。
『主よ、この例えはわたしたちに話しておられるのですか。それとも皆のためですか?』
だが、主はそれに直接には答えずに『主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったい誰であろうか』と語るのであった。

この時のペテロの質問は、十二人と群衆との異なりを問うものであるが、それを敷衍すると聖霊で油注がれることになる聖徒らと、そこまでは至らないものの、メシア信仰に達する信徒との違いを問うものであったと見るのは的外れではないであろう。

そこでイエスが、ペテロの問いに構わず『忠実で思慮深い家令』について話しを続けて、『誰であろうか』と言って留めたところには期待が込められており、また、その『家令』が主人の到着の以前に活動するのであれば、聖霊の再降下は起こっていない時期のことを述べているのであるから、誰が聖徒か信徒かをペテロが問う意味もないのであり、それゆえイエスはペテロに答えず、例え話を続けていると観るべきであろう。

このように、終末が近付いている段階での聖霊の再降下以前の段階が示唆されていると見るなら、新約聖書の幾つかのテーゼと整合性が出て来るだけでなく、ネヴィイームとの関連にも見るべきものがある。

イザヤ書ばかりでなく、エレミヤの預言にもエルサレム再建の場面が語られ、『見よ、わたしはヤコブの天幕の繁栄を回復し、その住む所を憐れむ。都は廃虚の丘の上に建てられ、城郭はあるべき姿に再建される』と語るところで『その高貴な者は彼らの中から、その支配者がその只中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。心に誓ってわたしに近づくこの者はいったい誰なのか』とある。
『高貴な』『支配者』とはキリストとその兄弟らを指すとすれば、その者らが現れる母体である『彼ら』とは何者なのか。(エレミヤ30:18・21)

『高貴な者』とは『その最も小さな者も彼(バプテスト)より偉大である』という『天の王国』の者、即ち聖徒であり、聖徒が「彼らの中から出る」とは、あのシャヴオートの日にエルサレムの片隅で隠棲していたガリラヤの120人の弟子のように、なお聖霊の油注ぎを受けていなかったがメシア信仰に達していた人々と同じ者らを指しているのであり、時代を遥かに離れた終末の主の再臨を前にした時点でも同様の人々が居ることを教えていると見ることは理に適ったことである。(マタイ11:11)

しかも、『忠実で思慮深い奴隷』に同じく、廃墟を立て修すその何者かは預言された時点で不明とされている。これは自発的な行動を促していると読む者に感じさせる記述ではなかろうか。神に任命されたからそうするのではなく、自らそう願うのである。そのような自発心によってこそ神の経綸に美が備わるではないか。聖書は神と人の交渉の記録でもあり、神との善的な関わりこそが、人間の側に残された僅かな真なる美でもある。

そのように、崩れたダヴィドの荒れ塚を興そうとする者は、契約の中にいる者ではないし、聖霊が後から注がれ、高貴な支配者がそこから現れるのであればそれは有り得ない。
したがって、ペテロの問いに答えなかったイエスは、やはり聖徒と信徒の区別のない段階について語っていたのであり、ネヴィイームによれば、それらの者らは荒れ跡を興す者らであり、大河ユーフラテスの河畔の囚われから解かれ、シオン山上の神殿跡地に立つことになる数の多くない『イスラエルの残りの者』の対型なのである。

しかも、終末前には異邦人がその業に携わることがこう預言もされているのである。
『わたしは、わたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしの名を呼ばなかった国民にわたしは言った、「わたしはここにいる、わたしはここにいる」と』。
神は、それまでの崇拝者でない者たちへ招きの言葉をかけているのである。

だが、元から神に仕えていた者らといえば『良からぬ道に歩み、自分の思いに従う背く民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。この民は目のあたり常にわたしを怒らせ、園の中で犠牲を捧げ、瓦の上で香をたき、墓場に座り、隠所に宿り、豚の肉を食らい、憎むべき物の羹をその器に盛って、言う「あなたはそこに立って、わたしに近づいてはならない。わたしはあなたと区別されたものだから」と。これらはわが鼻の煙、ひねもす燃える火である』。(イザヤ65:1-5)
この背教のイスラエルの姿は、今日までキリスト教界が自ら清いつもりで異教との汚れによって曝してきた醜態とも重なるものがある。

その一方で、バビロンを出立する者らには正反対のことが語られている。
『エルサレムの荒れ廃れた所よ、声を放って共に歌え。YHWHはその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。YHWHはその聖なる御腕を諸国民の前に示された。地のすべての果てはわれらの神の救いを見る。
立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ、汚れた物には触れるな。その中を出よ、YHWHの器を荷なう者よ、自らを清く保て。
あなたがたは急いで出るに及ばない、また、飛ぶように行くにも及ばない。YHWHはあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたの後衛となられるからだ』。(イザヤ52:9-12)

バビロン捕囚を解かれた者たちは、本来は契約にあったユダの者らではあったが、この時点で律法は神殿破壊と共に潰えており、さらにシオンの荒れ跡を興すのに終末が近付く段階では実際のイスラエルの血統に拘る理由はもはや存在しない。むしろシオンの惨状を嘆く者でなくてはならず、それは血統はもちろん、何にも区別され妨げられるべきものではないであろう。


◆主人の帰還により栄光を受けるシオン

今日のキリスト教界に見られるものは、荒れ廃れたシオン、再建されないばかりか、定礎さえされていない以上、神殿祭祀は当然のこと、常供のための祭壇も無い荒涼たる無人の跡地と言うべきであろう。
それゆえ、シオンを憂う者はバビロンを去り、その汚れを拭い去り、神殿の什器をシオン山上まで運ぶ務めがあると言えるのである。

キリストが定めた唯一の定期儀礼である『主の晩餐』は、バビロンに囚われたかのように大仰な「ミサ」の儀礼と変じ、ホスチア(ウエハース)だけの聖体拝領の儀式とされ、或いは異教の神に由来するイースターの名を冠して復活祭に歪曲され、また、過越し(ペサハ)との関連が種入りパンに否定され、初代キリスト教徒に守られたニサン14日は、天文学に依拠する日付けともされ、驚嘆すべき出エジプトの神の事跡は軽視、また汚されてきたのである。

もちろん、儀式を正確に守ることが、必ずしもバビロンを脱し汚れを去る意義があるとは言えないが、キリストの犠牲に基く聖徒の立場に関わる『主の晩餐』、このキリストの教えに於いて最も重要な儀礼をなおざりにしていては、そのキリスト教にどんな意味が残るだろうか。

イエスは、真夜中であれ明け方であれ、目を覚ましていて主人を待てと命じられたのであるから、その臨在の近付く中で扉を敲かれたときに『主の晩餐』をその意義に従って用意していないとすれば、その奴隷としては失態であり、仕える者としての役割は果たせていないのである。その奴隷たちは、主人の居ない間でこそ忠実であることにより確かな信頼性を示し、それゆえにも主人は却って彼らに給仕まですると言われるに違いない。まさに主人が扉を敲いた後に準備をするのでは遅いのである。

しかも、それは明らかに油注がれた聖徒ではないのである。
イザヤ書40章以降の預言を読んでゆくと、聖徒らを生み出す者について非常に多くの情報が含まれていることに気付かされるであろう。
その聖徒の母『シオン』は、聖徒とは別に、地上に於いて相当な光輝に高められることが何度も知らされているのであり、それは聖徒とは別の栄光なのである。その栄光は聖徒を別にして地にあって神の民となることであり、終局では神YHWHはシオンから号令を下し、シオンの中に神が居るというのである。(ゼカリヤ2:11/詩篇110:2/ゼパニヤ3:16-17/エレミヤ30:22)

永い間、子を持たなかったシオンには、バビロンからの帰還民を迎え、やがて神殿の再建を経て贖われたシオンの子らを迎えることになり、諸国の王や民たちが各地からシオンの子らを運んで来ることになる。では、それで聖徒を生み出したシオンは役割を終わるのだろうか。イザヤの預言にはこのようにある。

『シオンの義が朝日の輝きのように現れ出で、エルサレムの救いが燃える松明のようになるまで、わたしはシオンのために黙さず、エルサレムのために休まない。
 もろもろの国はあなたの義を見、もろもろの王は皆あなたの栄えを見る。そして、あなたはYHWHの口が定められる新しい名をもって称えられる。

また、あなたはYHWHの手にある麗しい冠となり、あなたの神の手にある王の冠となる。
あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れ果てた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。YHWHはあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである』。(イザヤ62:1-4)

『門を通って行け、通って行け。民の道を備えよ。土を盛り、土を盛って大路を設けよ。石を取りのけ。もろもろの民の上に旗をあげよ。
見よ、YHWHは地の果にまで告げて言われた、「シオンの娘に言え、「見よ、あなたの救いは来る。見よ、その報いは主と共にあり、その働きの報いは、その前にある」と。
彼らは『聖なる民、YHWHに贖われた者』と称えられ、あなたは「人に尋ね求められる者、捨てられない町」と称えられる」』。(イザヤ62:10-12)

こうしてシオンが聖徒らを生み出すことにより、その後にはシオンそのものも諸国民からの敬意を得て、終末の人々が流れのようにその許に参集してくる様はイザヤとミカによって記され良く知られたところとなっている。
しかし、それに加えて聖徒らが天界に揃って後も、地の中核を構成することがシオンに関する各所の預言に見えている。

終末を俯瞰するに、キリストの臨在の前から働くのが覚醒する女シオンであり、臨在に際してそこから聖徒らが生み出され、シオンは栄光に包まれる女となる。油注がれた者らが聖霊による世界宣教に携わる間は悪魔の攻撃から守られ、やがて、全地からの膨大な人々が集まる中心を成すことになろう。そうしてシオンは地の中核となり、神の王国のキリストの支配に入る人々、それも億を超える人々の流れを迎え入れる側となろう。

『忠実で思慮深い奴隷』は、その第一の段階であり、まずはユーフラテス河畔を発ち、シオンに向かう者らとして現れねばならない。
それが『シオンを憂う者ら』であり、彼らが『ダヴィドの荒れ塚を興す』からには、大いなるキュロスの勅命は終末の近づく中に発せられたということになろう。

それはキリストの臨在が近付いたからこそ現れるべき人々なのであり、神は余計な業を行わないであろう。もちろん、天界での神殿の建立が何時になるのかは、誰にも分かることではないが、キリストの臨在なく、聖霊の再降下もないゆえに『誰も働くことのできない夜』であってさえ、『シオンを憂う者ら』には取り掛かるべきことはある。

やはりイザヤの預言にはこうある。
『エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張をおいた。一日中また夜を徹して彼らは黙してはならない。YHWHを知らせる者よ、あなたがたは自ら休んではならない。
YHWHがエルサレムを堅く立てて、全地に向けて誉を得させるまでは、あなたがたは休んではならない』。(イザヤ62:6-7)

それはイエスの語られた、主人を待って夜を徹して篝火を焚き、自らは帯を締めてその帰還を待つ奴隷たちのようでもある。
彼らへの報いとして、家のあらゆる物が任されるというのは、上記のようにイザヤ書と照合すれば、聖徒らを指してはいないのであり、それこそは『新しい名で呼ばれる』という栄光を受けたシオンの姿なのであろう。その者らの役割は、主人の帰還によって評価され、待ち続ける『忠実で思慮深い奴隷』の役割はその時には報いの栄光を受けつつ一度終了することになる。

今日の『主の晩餐』に於いて、二つのエレメントに与るべき『シオンの娘』は、キリストの臨在なく聖霊が再降下していないため、未だ生み出されてはいないので、年毎の聖餐はその準備で終わるのではあるが、主人の帰還に備えて『すぐに扉を開ける』ことのできる状態にあることは誰にせよ行うことによって示せるであろう。

即ち、初代と同様に無酵母パンと赤葡萄酒を用いて、ユダヤ人が過越しと無酵母パンの祭りを合体させてニサン15日にセデルの食事を摂るのとは異なり、その前の晩である14日を取り分け、最後の使徒ヨハネの伝えたその夜に執り行い続けることである。




さて、読者諸氏はこの件をどう思われるだろうか。もちろん、筆者の述べることがまったく正しいと言うのではない。それでも、或いは大まかにでもご賛同いただけるのであれば
本年(2019)の4月18日の日没後にユダヤ教徒がニサン14日と呼ぶ日が始まる時に、二つのエレメントをご用意の上、しばらくの間、キリストの臨在と聖霊の注ぎを観想し、主人を待って夜を徹して篝火を焚き、自らは帯を締めてその帰還を待つ姿勢を神の前に示されることをお勧めしたい。これは主人の帰還に至るまで、可能な限り止めてはならないことではないだろうか。

また、各地の方々も、もし可能であれば、同志共にお集まりいただいても宜しいように思われる。二つのエレメントを用意し、それらが嘉されるよう祈りつつ、種入れぬパンを割って皿に置き、葡萄酒を盃に注ぐことが最低限求められる。

無酵母パンの製法は、手の込んだものではなく、材料は小麦の全粒粉と水だけであり、捏ねる鉢と延べ台に延べ棒、フライパンに焼くための器具は必要ではあるが、一般家庭であればまず備わっているものであるし、買い揃えても然程高価にもならない。
(製法はこちらを

加えて、ヨハネ福音書の13-17章のどこかを朗読するのは初回の『主の晩餐』を観想するのに相応しいように思われるが、細かな次第は決められていない。だが、キリストの死に関わることである以上、ラフにはなさらぬ方が良い。

一定の時間を過ごした後に、祈りを以って閉じ、散会後、エレメントを片付け、儀礼で使用されたものはできるなら飲食せずに処分される方が、『新しい契約』への敬意に相応しいのであろう。

こうして『主の晩餐』を年毎に行うことにより、我々は『シオンの山』を憂い、バビロンを後にして『ダヴィドの荒れ塚を興す』者、また、夜を徹して主人の帰還を待ち続ける者が地上に居ることを神の御前に表す姿勢を見せることになろう。
これが即ち、エデン以来の神の経綸に協働しようと願い、今それに応じる信仰を表す意義を持つ。

即ち『シオンよ、醒めよ!』と呼びかけられているのは、『主の晩餐』の価値を弁えて行う人を指すということになるであろう。
世の暗闇が濃くなる中で、女シオンは輝き始めるとイザヤは予告し、黙示録は天界の光をまとった女が聖徒である男児を出産している。では、シオンはどのように輝きを放ち始めるのであろうか。

筆者も含めて各地の方々の挙式が、神の御前に覚えられるものとなるよう、祈念しつつ



 林 義平









ruin_HP


※当派の趣旨に沿い、ニサン月14日夜に『主の晩餐』を挙行の方々は
 都道府県名および人数のお知らせを乞う。

 quartodecimani(a)hotmail.co.jp  林 宛にて

4月28日現在
・青森県 一カ所 一名
・茨城県 一カ所 一名
・埼玉県 一カ所 二名
・兵庫県 一カ所 一名
    以上の通知あり
 

聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中





舉行“主的晚餐”的今年的日子 尼散月十四日臨近


 尼散月十四日 就是猶太的陰暦上、要挙行記念耶蘇的犧牲死亡的晩餐、名叫"主之晩餐"。
這是耶穌所命令的唯一常規儀式。這不是''複活節"、也不同於教會的“聖餐”和“聖体拝領”。

 當晚應舉行摩西的法律規定的“逾越節”。西暦33年的那天晚上,耶穌還以猶太人的身份服從逾越節。
在最後的晚餐中、基督耶穌預見了他的死亡、並開始了一項新的儀式、以紀念基督從出埃及之当夜的晚餐儀式中自己也離開耶路撒冷到天上。

 今天仍是法利賽派的猶太人將於“尼散月15日”晚上吃“逾越節餐”。為什麼這裡有一天的差別呢?
因為那時,猶太人中在逾越節決策方法上有混亂。所以,在當時的猶太體系中、從公元前2至3世紀以来、猶太體系法利賽人們挙行“逾越節餐”(seder)在尼散月15日的晩上的習慣。
這意味到、這證明他們在14日殺死了耶穌。

 的確、根據馬可福音、他們說要抓耶穌"不可在節期下手、免得引起民衆騒乱"。(馬可14:2)
也就是說,他們將從尼散月15日進入節日期間的理由、他們需要在唯有尼散月14日結束才能逮捕耶穌。
但是聖經反复説明逾越節餐應該在尼散月十四日。(以斯拉6:19)
即使這樣,《出埃及記》本身也說從尼散月14日到21日有“七日”,但這實際上是八天。(出埃12:18-19)
 好像法利賽人一様、如果您嚴格遵守這個詞、吃無酵母餅的總時間必須為7天。
因此,他們通過將節日定為尼散月15日至21日來解決了這個問題。然後,逾越節從無酵母餅節中失去了獨立性。
但是,在《出埃及記》的背景下,很明顯,摩西所說的七天是關於無酵母麵包節的。
因此,法利賽人的固執為殺害耶穌提供了機會在尼散月14日。

這尼散月14日本来是、以色列離開埃及的前夜,當晚在每個家庭中宰殺了一隻羔羊,羔羊的血被塗抹在房屋大門的橫樑和柱子上。
那天晚上,一個穿過埃及各地的天使看到了塗抹的羔羊的血,那様的房子經過了,但進入不流血的房子裏面,殺死了那家庭的長子。法老的房子也不例外、所以、終于法老批准了以色列的解放。全都是尼散月14日所発生的事件。

 關于這件事、表明"除掉世人的罪的羔羊"耶穌基督的角色。(约翰1:29)
出埃及的羔羊的血可以保護以色列的長子、以後上帝要求以色列的各部族当中"利未族"為祭司。(民数3:1-13)
同様地、耶穌基督的血會带来"除掉世人的罪的祭司的部族"這是"上帝的以色列"而不是"血統上的以色列"的。(羅馬9:6/加拉太6:16)
就是"蒙選擇"或着"被聖靈来聖化的人們"又説的"聖徒"(hagios)。(彼得前1:2)
所以、使徒彼得叫基督教徒的他們"是一族蒙選擇的人、是有王権的祭司、是聖潔的国族、是上帝擁有的子民"。(彼得前2:9=出埃19:5-6)
正是基督的寶血才使聖潔的他們的出現成為可能了。這件事可以説的"一種奇跡"。

 所以、相信這一點的每個人都有理由在尼散月14日舉行“主的晚餐”。而不是像法利賽派的猶太教徒一様。
自使徒時代以來,現在沒有人倒灌出聖靈。因為聖靈使人行奇跡好像耶蘇做的。(約翰14:12)
実際上、耶蘇去天上後、第一世紀的有聖霊的門徒們做奇跡了。這是受到聖霊之後的。(使徒5:15-16・19:11)

此外、耶蘇預言關于世界末日的時候、就是還未来到的時代中、一些門徒們、"為耶蘇的縁故會被押到総督和君侯面前、向他們和列国的人們作見証"(馬太10:18)
耶蘇又説"因為、我必賜給你們口才和智慧、使所有反対你們的人加起来擋不住、駁不倒"(路加21:15)
這清楚地表明,聖靈將在世界盡頭再次灌下来、是耶蘇的再臨之期間。
同時、全世界都會為這句話驚嘆不已。
有關這件事、舊約聖経中的哈該的預言表明這様、『萬軍之主YHWH説、不久、我要再一次震動天地、海洋和陸地。我要震動萬邦、萬邦的珍宝必都前来、我要使這座聖殿充満荣耀』。(哈該2:6-7)
這意味到、末日来到時、受聖霊的一些門徒説出聖霊来的語言、就引起聴見的世界一般的很多人們的信仰。

 所以、世界末日還未来到的現在、我們懐有信仰的、必須待候耶蘇的再臨。
耶蘇説"我你們説的話、也所有人説的 要時刻守望"。(馬可13:32-37)
又説"像奴隷等候主人参加婚礼回来一様、主人来到敲門、他們馬上給主人開門"。(路加12:35-37)

 如果沒人為耶穌建立的主的晚餐席位,那會是什麼?而且,這是唯一的常規儀式。
耶蘇又説"只是人子来到的時候、在地上能找着信心嗎?"(路加18:8)
那麼、世界怎麼解答呢?
現代的基督教世界會可以回答呢?絶不會!

 猶太教徒也不服従耶蘇、不承認新約聖経、當然他們不挙行主之晩餐。還有、他們遵守尼散月十五日開始為無酵餅節、不是十四日為逾越節。
基督教會的話、慶祝基督的復活於星期天。而不是主之死亡的記念。

 所以、這裏有尼散月十四日挙行"主之晩餐"的重要性。
這様行的話、我們正式地回答耶蘇、”阿們!主耶蘇啊、来吧!”(黙示録22:20)
還是、我們回復在古代的小亜細亜的原始基督教"十四日派"的習慣、就是十二使徒當中活到最後的使徒約翰所指導的門徒們。

 従安条克會議以来(341)、那些教派門徒們被天主教徒擠壓,到中世紀消失了。相反地、天主教改変"主之晩餐"為"復活祭"。

 那麼、譲我們尼散月十四日挙行正式的"主之晩餐"!
今年的話、4月21日(星期天)的日落之後可以開始儀式。
沒有傳達詳細的禮節規則。只需要準備無酵餅和紅葡萄酒,並花費一些時間。
 無酵母餅⇒食譜
但、現在,沒有聖靈可以做奇蹟的縁故、吃和喝人絶没有的!
我們的角色是、準備主的桌子来、等候主人的回来和聖霊降下。

 
 如果你、挙行正式的"主之晩餐"那4月21日的日落之後的話
請通知我、從此博客上的評論或從下面的電子郵件地址来、、你挙行時的參加人數以及國家,州、縣、城市等。詳細的地址和你 的名子不必要的。
這樣大家就可以互相鼓勵。


                   21世紀的依勒內
                    住在 日本的筑波市

我們叫"新十四日派"
quartodecimani(a)hotmail.com
- 写中文也可以的 -
如果您同意我們旨意的話,請與我們聯繫。
我待候你來的信。
謝謝。





Nisan14th is approaching! (April 21 Tue After sunset 2024)


 What is "Nisan 14th"?

 
It is the day when the "Lord's Supper" should be held.

"Lord's Supper" refers to the only regular ritual that Jesus commanded in the last night's meal that Christ spent on earth. It is different from the "Easter" and the "Eucharist " and "Communion" of the church.

 

Since this ritual should be held on the 14th day of the Jewish calendar, it has the origin of calling itself the "New Quartodecimanism", and is intended to revive the primitive Christian "Quartodecimanism" under the guidance of the apostle John. It is the most important ritual in.

 

That night is the night when the "Passover Festival" stipulated in the Law(Torah) should be held, which is the 14th day of Nisan's month in the Jewish calendar, and where in the modern calendar from March to April every year. At the Last Supper that night, Christ Jesus foresaw his death and started a new ritual to commemorate Christ's departure from Jerusalem from a meal commemorating the night of Exodus.

 Jews who are Pharisees until today will have a "Passover" meal on the night of  "Nisan 15th".

If we had a “Lord's Supper” on the night of April 14, just as Christ and the apostles did a "passage" the night before.

At the same time, as Jesus did, we will commemorate Nisan 14th, one day ahead of the Jewish regime.

 

This one-day difference created a connection between the Exodus lamb and Christ Jesus, the "Lamb of God who takes away the sins of the world," when the Jewish regime slaughtered the Messiah-Christ on the same day as Exodus. This gap must have been divine, and it can be said that it was an open path because there was confusion among the Jews on the Passover date by that time.

 

In that way, the Messiah was protected from the place to start this ritual in the midst of intense hostility from the Jewish regime, and when he asked the two apostles to find a "man carrying a water bottle", he and the high priests It shows the confidentiality of Iscariot, who was his minion, to Judas. Jesus was especially eager for this opportunity, and all but one of the Twelve Apostles endured the trials of the Messiah together, and the next dinner in heaven was promised. Meanwhile, the process of slaughtering Jesus, the "Lamb of God", was underway outside.

         

Therefore, the date on which the Lord's Supper" should be held cannot always be calculated according to astronomical reasons, as there is a reason to always keep one day before the Passover meal of Pharisee Jews.

It must be the "Lamb-slaughtering night of Exodus" that the Jews should protect. Seeking the same day of the solar year is a bad habit from the Council of Nikea, breaking the link between old and new biblical miracles.

         

If a leap month is inserted into the Jewish calendar that year, it will be a month away from astronomical calculations.Jesus was judged by the Supreme Council of Jerusalem and suffered on the last "Preparation Day" to avoid their festival starting on the 15th, otherwise earl Christianity would say "Quartodecimanism". There was no reason for it to exist.

 

 

The original "Passover Festival" is that the Israelites, who had been enslaved in ancient Egypt, finally left Egypt after Moses and his brother Aaron negotiated with Pharaoh through a number of miracles of God. It was an annual festival commemorating the tenth miracle and Exodus that took place the night before.


That night, a lamb was slaughtered in each household and suppered with yeast-free bread and bitter vegetables, but God commanded that the blood be smeared on the duck and pillars of the doorway of the house.


That night, when the angel saw the blood in the doorway, he passed over without harming the house, and the harm came to the non-ritual houses, and the Pharaoh's palace was no exception, the crown prince. The life of the palace was lost, and Pharaoh was finally forced to admit the departure of Israel.

         

It is clear to those of faith that the blood of the lamb at that time implied the blood of the sacrifice of the later "Lamb of God" Christ. For such a person, Exodus and Christ's last meal are deeply linked.

At that supper, as a Jew, Jesus held the "Passover Festival" and at the same time started a new ritual.Through the apostles Jesus commanded him to continue to commemorate his death, which was later called the "Supper of the Lord".(1Co 11:20)

         

John, the last remaining twelve apostles, did what the early Christians did on the night of the 14th of the month of Nisan, in time for the Jews to "Passover" (Pesaha). It is reported by the disciples of Asia Minor who were instructed by.

In this regard, a letter from Polycrates, the leader of Ephesus in the second century, states that they were conducting the "Lord's Supper"(Pasca) in accordance with the day of the Jewish Passover. (Historia Ecclesiastica V:24)

         

This "Lord's Supper" is the only regular ritual that Jesus commanded.Something like Christmas didn't even exist until it became the state religion of the Roman Empire. December 25th of the solar calendar was widely protected by the common people as the resurrection of the sun god, which was celebrated in the Roman Empire, and the holiday of the agricultural god Saturnus. It was adopted as it was when the Roman people converted to Christianity.

         

The solemn "Lord's Supper" with the purpose of "notifying the Lord's death" has been replaced with a happy "Easter". It was enacted in the Roman Empire after the 4th century, and came from the practice of nationalist Christians who disliked Judaism and festivals at the same time.

         

The reason why Christianity, which was originally based on Judaism, gradually lost Jews and became a European religion, is that the teachings of Christ and the apostles take root in most of the Jews. There is a cause where it was not.

The Gentiles who accepted the apostles intensified their dislike of Judaism when they saw the stubbornness of the Jews who adhered to the law and often participated in the persecution of Christians, and Christianity was a religion completely different from Judaism.

         

As Europe converted from various pagans to Christianity, the pagan customs and festivals up to that point were mixed with “Christianity”, especially after the 4th century AD, when Christianity became the national religion of the Roman Empire. In, the Hebrew culture that belongs to the Old Testament hides in the shadows, and instead the Helenistic culture that was popular at that time is the foundation of Christianity.

Hellenistic is a civilization in which ancient Greek culture was mixed with Asian culture in the Middle East as a result of Alexander the Great's eastern expedition. Hellenistic has a strong pagan mystery.

         

As a result, Christianity abandoned the precious teachings of Judaism on which it should be based and relaunched as a different religion, building on pagan mysticism. Therefore, the festival of the Roman Empire, which was the birthday of the sun god at that time on December 25, was regarded as the birthday of Christ as it was, and the influence of the three-faced gods often seen in Helenism was the "trinity" of Christ and The Holy Spirit also allowed God to celebrate. In other words, even the worshiping god has been replaced.

         

The Old Testament and the New Testament were in close agreement, as Christianity changed to a European religion, while Judaism remained in the Mosaic Law, but the teachings were divided. , Christians are less interested in the Old Testament, and Jews are ignoring the New Testament, which unravels the meaning of the Old Testament. Neither studying in a Christian church nor asking in a Jewish synagogue is in an environment of consistent knowledge of the entire Bible, and in most cases it is still the case today.

         

Even with regard to the "Lord's Supper",which Christ founded at the last banquet, the Jews were still Pharisees, and according to their tradition, instead of the Jewish cryptic Nisan 14th night in the Old Testament. The next day, on the evening of the 15th, we are having a "Passover" meal Seder.

Because of the difference in the day, Jesus was correctly slaughtered as the "Lamb of God" on the 14th, which is the day of Exodus.

The modern Pharisees have inherited the gap of the day and continue to prove that they executed Jesus on the 14th of Nisan by starting the festival on the 15th until now21st century.

         

Christians are unaware that Christ in The Lord's Supper pointed to a lamb slaughtered in Exodus.

Also, because they hated Judaism, they turned Jesus' loyal "death memorial" along with "Passover" into an "Easter" associated with the resurrection of Christ, making it a happy festival.

Thus, the people who performed the "Lord's Supper" to commemorate the death of Christ as Jesus commanded on the evening of Nisan 14 were completely gone.

         

In other words, even Christianity has moved away from the consistent teachings of the New and Old Bibles. But what is revealed in the Bible, which connects the Exodus Supper with the Last Supper of Christ, is not something that humans can devise in a profound, meaningful and clear way. The "Lord's Supper" is a miracle in itself.

One should show there fear of God's greatness and respect for Christ, who has decided to sacrifice to bear the sins of mankind.

         

         

In that ritual, those who eat and drink yeast-free bread and red wine have already received the Atonement of Christ, and the Bible teaches that they are the saints who are included in the "new covenant" and are poured with the Holy Spirit. (Lk22:20)

         

The covenant has the extremely heavy meaning of summoning Christ's "brothers", the true "Abraham's seeds",who inherit the "Kingdom of Heaven"with Christ.The hope of all mankind lies there. It is not just a "congratulations" such as "believers are united with Christ". It also renews the solemn self-sacrificing spirit of those who follow the path of being with Christ.

On the other hand, we who are not Israel, descendants of Abraham, are "Gentiles".But, we believers have the task of preparing the place of the important ritual and waiting for the Second Coming of Christ to occur at any time.

        

The first coming Christ was commanded "I say to you, I say to all:Watch"(Mr13:37)

"to all" is a person who believes, whether or not he is a saint.

So, if a person does not even obey the only regular ritual that Christ himself commanded, does it have a Christian faith?

         

So, about 1,800 years after the Holy Spirit's death after the apostolic era, we ate yeast-free bread and red wine, which symbolize the flesh and blood of Christ. No one drinks, but it still has a heavy meaning to show that this ritual is ready.

         

Jesus himself repeatedly told that when the "end" when Christ came again, that is, the "world," the Holy Spirit would be poured again and the disciples who spoke miraculous words and preached the world, that is, the "saints", would appear. (Mt10:18/Mr13:9-11/Lu21:12-15)

         

In addition, the Bible says that "the Lord's Supper" should be done "until the time the Lord arrives."

Therefore, it is also a clear proof that the "Kingdom of God" has not arrived while performing this ritual on earth. This is because the "Kingdom of Heaven" will not be founded unless the saints are called to the forgiveness of Christ in heaven. Before that, the saints must complete the "new covenant" on earth and undergo an attempt to "walk the way of Christ."(1Co 11:26)

         

Jesus said, commanding the disciples to prepare for the uncertain Second Coming, saying, "you yourselves be like men who wait for their master, when he will return from the wedding, that when he comes and knocks they may open to him immediately." (Lu12:36)

It will bring about the infusion of the Holy Spirit, as it was in the first arrival of Christ, and will recreate those who have been tentatively approved for righteousness.

         

But if no one on earth would follow even the only non-difficult ritua commanded, Is human being so worthy of God's good intentions? It is shameful before Abraham's faith. What did he try to offer?

By his deeds he showed that God had enough on earth to sacrifice his Son.

         

Has the Christian world so far shown that it is so ready?Immediate acceptance when the master returns would mean that Christianity in the apostolic age would have to be restored to some extent. Isn't the seat of The Lord's Supper at least arranged as Christ intended?

The current state of Christendom is not so much.

         

If a person finds something in the Bible that goes far beyond what he can do, realizing the word from God and the unique will, and if the person exercises faith in God, the Son, and the Holy Spirit, is it possible to avoid preparing the annual Lord's Supper

         

Today, even though the Holy Spirit is still in the descent and no one should eat or drink bread and wine, it is the one who sits down for the meal and waits for the return of his master, Christ. It is the duty of those who share the same faith in primitive Christianity.

         

If there is no one in Judaism, Christianity, or looking around the world who waits for his master like that, what a modern man is worth no salvation.

No one is responding to the only helping hand in the world.

An unbelieving person is neither blamed nor guilty of being destroyed fo not arranging a seat for the Lord's Supper. But if a person who exercises faith in his heart can do it, but does not, does that indifference humble the great will of God and the noble sacrifice of Christ?

         

Neither God nor Christ force faith, nor do they dominate like cult gurus, but do people do nothing and just wait for salvation? It will discourage God's side.

Jesus asked, Nevertheless, when the Son of Man comes, will He really find faith on the earth? What kind of answer will the world give to the one word asked? (Lu18:8)

         

The last night of Christ, the day before the Jewish festival, was “Preparation Day”. If you have faith in salvation, you have to be careful about how you spend the night of the coming April 21th 2024.

         

If we do a “Lord's Supper”, it also means that the former Quartodecimanism, which received the scent of the last Twelve Apostles John, will be restored in the 21st century. It also shows that those who commemorate the “death of the Lord” are resurrected to the present day on the night of Exodus as commanded by Christ.

         

It calls to heaven, “Come, Lord Jesus”. It also represents a desire for the arrival of the “Kingdom of God” from a world full of suffering.

If we set aside a certain time in front of our yeast-free bread and red wine without eating or drinking them, it means that there is someone waiting in the earth before God.

The details of the ritual are not in the Bible, Break the bread (preferably into 12 slices), pour the wine (preferably into the goblet), we will be able to read one of the 14th to 17th chapters of the Gospel of John in the Bible, petition God for the Second Coming of Christ, pray, and spend some holy time.

But eventually the day will come when the Holy Spirit will eat and drink them.

         

We hope that all of you who have the faith of returning to the original Primitive Christianity will be able to commemorate the same night together.

         

 

                                                 Yoshihira Hayashi
                                                               Tukuba-City Japan

         

If you performed this ceremony on the day, please let us know the number of participants, the country name, and the city name.

         

      quartodesimani(a)hotmail.co.jp

 

 

 
We look forward to hearing from those who are attuned to us.

   Our official site

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

キリストのエクソドス


山中での変貌が終末に意味するところは何か
キリスト最大の証『ヨナの印』に相当する終末に起こる聖徒らのエクソドス
全体2万5千字、後半9700字は別記事




◆使徒らに受難を告げる
翌春の殉教まであと半年となった西暦三十二年の初秋のころ、イエスと使徒らの一行はガリラヤから北を旅し、当時にはカエサレイア・テース・フィリッポーと呼ばれる新しく改築された高原都市に入っている。シリアのダマスコスまで50kmほどの場所にあるゴラン高原への旅行については共観福音書がそれぞれ記しているので、使徒らにとって印象深い宣教旅行となっていたことであろう。確かにその機会にイエスは使徒らに重要な幾つかの教えを授けている。(マタイ16:13/マルコ8:27/ルカ9:18)

メシアとしての任命のバプテスマから三年が経過したこの時期、奇跡を行う人としてのナザレ人イエスは広く知られ、当時のイスラエルの領域の北の境の地域でもその噂は届いていたことがやはり福音書から窺える。三年の活動の結果として、イスラエルの民の間でどれほどの人々がメシア信仰に至ったのか。
今イエスがその収穫に思いを向ける一つの節目に達していたことであろう。
だが、噂の広まりに反してそれは芳しいものとは言えなかった。実を結ばない無花果の例えにも示されたことで、三年世話しても反応のない無花果の木を主人は切り倒してしまえと言うのだが、耕作人はもう半年容赦してもらうことを申し出、周りを掘って肥しを与えてみたいと願い出ている。

さて、このフーラの低地盆地を南に見下ろすアンチ・レバノン山脈の麓に在る高原の町カエサレイア・フィリッポーは、ヘロデ大王の息子の一人であるヘロデ・フィリッポスが、ローマ皇帝からユダエア州北部の四分封太守に任じられたことへの感謝の印にこの都市をカエサレイアと命名し、父王が建設した海岸にある同名の都市と区別するために太守の名を続けて称したところからのものであった。
一行がこの真新しい都市の周辺に滞在していたとき、イエスは使徒らにそこの住民が自身について何と見做しているのかを尋ねると、エリヤの再来であるとか、復活したバプテストのヨハネ、または預言者の誰かであると噂されているとの報告である。

そこでイエスは他ならぬ使徒ら自身はどうなのかと尋ねると、即座にペテロが反応し『あなたはメシア、生ける神の子であられます』と答えるのであった。使徒は確かに実を結んでいたのである。
イエスはそのことでペテロを褒め、それは単にペテロ個人からのものではなく、上からの啓示に発出したものであると言われた。それは紛れもないメシア信仰の表明であり、それこそ聖霊注がれ、人をして驚嘆を誘うほどの奇跡を行う類なき方、ナザレのイエスへの神の証に適った見方である。この段階ではっきりと信仰を表明できたペテロの反応は、当時のイスラエル人の趨勢からしても見事であったというべきであろう。

続けてイエスは、そのペテロに対し『天の王国の鍵』を与えると言われる。それは『あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる』とされるものであり、後にペテロによって聖霊の注ぎの機会がディアスポラのユダヤ同胞、律法を守るサマリアの民、そしてコリネリウスを初めとする無割礼の異邦人へと広げられていったところに、その抽象的な『鍵』の使用が明瞭に見て取れることになってゆく。

だが、それに続けてイエスは自らの受難があることをも彼らに話すのであった。
この受難についての訓話は既に彼らも何度か暗示されて語られたことではあったが、使徒らはその重大さを少しも悟ってはおらず、むしろ自分たちの主がイスラエルの王となる日を未だに期待し続けていたことをイエスが復活した後の言葉にさえ現れている。(使徒1:6)

メシアとはモーセのように偉大な預言者で有り、またその父祖ダヴィドの王座に就き、世界を統べ治める大王となることがユダヤ教徒の旧約聖書によって培われた常識となっていた以上は、その時の使徒らの無理解も不自然なことではない。

彼らの内では、誰が偉くてイエスに次ぐ者となるかで何度か争いを起こしており、それは平民に過ぎない彼らが王座に近侍する大臣へと異例な出世を果たすものと捉えていたであろう。またその点では使徒の中でもイエスと母方を通して肉の血縁にあるヤコブとヨハネは、イエスの叔母に当たる自分たちの母親サロメを使って、イエスの王座の次席の左右の座を得ようとし、他の使徒らの猛烈な反感を買ったこともあった。

そのような認識を持つ使徒らに、イエスが自らの殉教を幾度か告げたときに、彼らにはそれに正面から向き合う心の素地がなかったことであろう。



◆栄光と悲哀のメシアの謎
それは使徒ばかりでなく、旧約預言にある「栄光のメシア」とイザヤ書に存在する「哀しみのメシア」との落差を理解し兼ねていた当時の律法学者らの状況からも類推できる。ユダヤ宗教体制は預言者らの相反するメシア像についての謎を抱えたまま、ナザレのイエスを迎えたのであった。

そして、その謎は彼らの知識を超えた信仰を試すものとなり、ユダヤ人はメシアを巡って大きな試練と裁きに直面していたのである。
旧約聖書の最後を締めくくる預言者マラキは、メシアの到来が祝福にも呪いの元にもなり得ることを記しこう書いている。
『見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来る。だが、その来る日に誰が耐え得よう。その現れの時に誰が立ち得よう。彼は金を吹き分け(て純化す)る者の火のようであり、洗濯屋の洗剤のようだ』。(マラキ3:1-2)

この警告に違わず、ユダヤ社会はバプテスト・ヨハネの先駆けを見たうえであっても、ナザレ人イエスの到来に不意を突かれたかのように行うべきでない道に進み、思いもよらぬメシア殺害という神との対立を招き、西暦七十年のローマ軍による滅ぼしの劫火に焼かれる酬いを被った。それが即ちバプテストの警告した『火のバプテスマ』であり、ヨハネの現れた時、やはり『斧は木の根元に置かれていた』という処断の時期がユダヤに到来していたのである。(マタイ3:11-12)

しかし、そのユダヤのただ中に在ってイエスをメシアと信じた者らも居たのであり、その人々は自ら懐いたメシア信仰によって律法不履行のユダヤ体制から赦されて救われ、あの五旬節の日には奇跡を行わせる聖霊の注ぎに与る『聖霊のバプテスマ』により、キリストの仲介する『新しい契約』に参与し、『アブラハムの相続財産』である『神の王国』をイエスと共に受け継ぐ者の栄光に達することになる。

だが、メシアの受難がまだ半年先である時点での使徒らは、それほどに重要な事柄を理解するには至っておらず、むしろ、その無理解の中でメシアと行動を共にしつつ、彼らも練り浄められていた。
イエスは最後の晩餐の席で彼らについてこう言われる。
『あなたがたはわたしと共に試錬の間、最後まで忍んでくれた。
そこで・・わたしも国の支配をあなたがたに委ね、わたしの王国で食卓で共に飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族を裁かせるであろう』とイエスは最後の晩餐の席で彼らに告げた。(ルカ22:28-30)

メシアの公生涯の三年半の間に招かれた十二人は、一人の脱落者を除いてイエスと共に歩んだその道のりを通して、神にもイエスにも忠節な者と見做されていたからこそ、イスラエルという神の選民を選び分ける大役を委ねるとの宣言が使徒らに下ったというべきである。(マタイ19:27-28)

それは即ち、キリストと共なる『祭司の王国、聖なる国民』となるべき『十四万四千』の祭司また王と成る者らが『新しい契約』を忠節を尽くして順守したか否かの裁定を下すという格別な役職を意味する。その天界の祭司職にはレヴィ族だけでなくアブラハムの裔であるところのイスラエル全体が与るものである。だが、その「十二部族」が血統上のものでないことは黙示録に予告された部族名の不自然さに表されている通りであり、それは現実のユダヤ人には受け入れ難い部族名の一覧となっている。(黙示7:4)

ともあれ、この天界に召される十二部族について、イエスは使徒らとその吟味の約定を結び、イエスと十二使徒が将来の何時の日か、再び宴席を共にし、『新しい契約』に属した聖徒らの裁定を行うことが明かされる。イエスはその日に至るまで、ナジル人のように葡萄酒を飲むことは無いとも言われるのであった。それは待望される日であり、『神の王国』成就の時である。

そして、使徒らのこの極めて高い立場については、最後の晩餐の場面だけでなく、その最後のエルサレムに上る道程の終わりころのエリコの近辺でもイエスは教えられていた。
それは、富んだ者が王国に入るのは駱駝が針の穴を通るようなものだという一言で有名な場面であり、「優れた師よ」と敬意を示しつつ近づいてきた政治家である青年が、永遠の命を確実に捉えるにはどうすべきかを尋ねてきたのではあったが、その人物には富が多くて使徒らのように所有物を後にしてまでイエスに従う生活に入ることが出来なかった。

そこでペテロが『わたしたちは一切を捨ててあなたさまに従いました。ついては何がいただけるでしょうか』と尋ねたとき、イエスはこう答えられたのである。
『世が改まって*人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた十二の位に座してイスラエルの十二の部族を裁くであろう。
おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受け継ぐであろう。』(マタイ19:28-29) *[パリンゲネシア]

ここで使徒らは『イスラエルの十二の部族を裁く』との言葉をどのように受け取ったのかは書かれてはいないのだが、それが聖霊注がれて選ばれる者、『新しい契約』に属することになる者らを吟味するという天界でも言語に絶するほど高い立場に就くということを悟ったようには見えない。
彼らの意識では、地上の王国での王の側近としてイスラエルに裁きを下す立場が与えられるものと捉えたことであろう。

しかし、その主要な王であるキリストも地上ではなく、天界の王となるのであり、地上では受難が待っているのであったが、使徒らはそこが理解できてはいなかった。
それは彼らに自らの受難を告げる主の言葉に次いでペテロの発した言葉に如実に表された。
ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、諫め始めてこう言う。
『主よ、とんでもないことです。そんなことは起こらないのです。』

ペテロとしては、敬愛してやまない主イエスの身を心底から案じてのことであったに違いないのだが、その見方は人間的また肉的なものであり、『世の罪を除く神の子羊』としての使命を負ったメシアとは相容れないものである。
ペテロは、その直前にイエスに褒められ『天の王国の鍵』を賜っていたところで、自分の主への深い愛情に絆されていたことであろう。だが、視野の狭い人の感情を超えるべきものがあり、それが人の領域を遥かに超えた神の意志である。

そこで受難はメシアにとっての絶対的命題であり、地上に来た目的そのものである。その犠牲の死が無ければ使徒らの栄光ある天界での立場も、アブラハムの裔の十二部族も、延いては全人類の贖罪も叶わないのであり、それこそは悪魔の望むところにしか成りはしない。

そこでイエスは、深い愛顧に燃えるペテロの言葉に対し、彼らには見えない悪魔を相手に『我が後ろに退け、お前はわたしを妨げるもので、神の思いではなく人間の思いを懐かせる』と叱りつけてから、使徒らにこう言われるのであった。
『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の[十字架の]木を負いつつ、わたしに従ってきなさい。自分の魂を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の魂を失う者は、それを見いだす。』(マタイ16:24-25)

これは彼らの意識に大きな転換を迫るものであり、メシアの受難ばかりか、使徒らをもその道に引き込むもので、イエスの王座の脇に場所を取るということは、偉ぶることなぞ無縁なことで、むしろ滅私の覚悟を要するものであったのだ。そこに「誰が偉いか」と居丈高に争う余地はなかった。
即ち、『わたしの王国はこの世のものではない』と言われるイエスは、この世での王国を求めることなく、地上の栄光とは無縁の、世の汚れに塗れたこの世の王国ではなく、天に王国を設立することに邁進し、その過程で地上に受難が控えていたのであった。天界での栄光こそキリストが受ける誉れであり、使徒らが与る栄光もやはり地上の権威とはならない。

だが、使徒らはそこまでを悟るに至っておらず、ダヴィド王の座に就くイエスの王国を地上に想定していたことは福音書の随所に表れている。
彼らは事の進展により自らの考えを変えていったのであり、特に彼らの主の死と復活という大きな奇跡に関わる出来事と、それに続く聖霊の降下によってはじめてユダヤ教を超えたキリスト教という彼岸に到達したのであり、その功は決してアダムの罪ある人間に属すものとはならなかった。

しかし、受難を半年ほど後に控えたこの時期から、イエスは弟子たちに自らの最期について明確に語るようになってゆくので、ユダヤ教徒が「栄光のメシア」と「哀しみのメシア」との違いに謎を深めるばかりであったような状態に使徒らを放置するままには置いてはいかなかった。

このカエサレイア・フィリッポーで『長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に生き返る』という一連の受難について語ると、いずれは使徒らにも試みが臨むことを明かして、『 自分の魂を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の魂を失う者は、それを見いだす』とまで言われるのであった。即ち、彼らもまた主イエスの受難の道をゆくことになるのであり、それは共に『神の王国』という相続財産を受け継ぎ、キリストと共なる栄光に入るためである。

イエスは続けてこの地上の試みの後の天界での栄光の件に関するかのように、使徒らに『人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる』と言及されるのであった。




◆高大な山の中での変貌
肉体を超えたイエスの姿を目撃したというこの「変貌の幻」については共感福音書のどれもが記してはいるのだが、実際にそれを目撃したのは十二人の中でもペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人に限られた。

律法では重大な裁定での証言者として二人か三人を要したが、ここに僅かな証人だけに絞ったからには、それを誰にでも、他の使徒らにも証しする意図がなかったことが分かる。この半年ほど前にユダ・イスカリオテの不信仰について彼らの主は語っており、その受難に裏切りの役回りを負うこの者にこの将来を教える異兆を見せるわけもない。

それが幻とはいえ、メシアの天界の御姿の顕現であれば、もはや異論を許さない絶対性がそこに生じ、それは信仰という領域から動かし難い現実の実体験へと、罪ある生身の人間を強制的に移してしまうであろう。それを目撃する事が許されるとすれば、その人は既に神からの相当な信頼性を得ているに違いない。

彼ら三人を伴ったイエスは、カエサレイア・フィリッポーの町の北側に聳えるアンチレバノン山脈の斜面に足を踏み入れたことであろう。その最高峰はヘルモン山と呼ばれ2814mの標高があるが、四人は登頂を目指したわけではないらしく、使徒らには『この中に、まず人の子が自らの王国を伴って来るのも目撃する』と明かされていたのであり、そのための三使徒との格別の場を設けるために山脈へと分け入ったであろう。
その登山は受難について語った後のこと、マタイとマルコの書は『六日後に』主は三使徒を連れて祈りのためということで山に登り、おそらくはルカが『八日後』と記すように、その山中での二日目のことであったのかも知れない。

その山中で夜となり、三人の使徒らが眠気を覚えていたところに主はひとり祈りを捧げていたが、その姿が輝き出したことをそれぞれ共観福音書が記している。
マタイによれば『御顔は太陽のようになり、その服も光のように輝いた』と書き、マルコは『その衣は真白く輝き、どんな布さらし人でもそれほどに白くすることはできないくらいになった』とおそらくは目撃者ペテロからの具体的な表現を見せる。

栄光の御姿に変えられた主の幻の中には、主の両脇にモーセとエリヤが立って栄光の主と会話していたというのである。
これを見たペテロはどう反応してよいやら分からずに『先生*、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために』と言ったことがそれぞれの福音書にあり、この一言はペテロがそこに居たという証となっただけでなく、その幻にモーセとエリヤが間違いなく伴っていたことを明かしするものともなった。*(Lk[エピスタータ];Mt「主よ」;Mr「ラビ」)

だが、ペテロ自身はこの発言について自分でもわけもわからず言ったことであると周囲に漏らしていたらしく、後年ペテロの通訳や秘書役を果たしたマルコがその言葉の無意味さに触れており、ルカもそのように書いている。『天幕を建てる』と言ったペテロは、自分たちがそこに居て、奇跡の変貌を目撃したことに相当な興奮があり、その場を記念する意味で、或いは宿もない山中の夜でもあり、アブラハムが天使らを天幕に招いたほどの価値を咄嗟に感じたのかも知れないが、この天幕の件はペテロ自身が分けも分からず叫んだと言っているのであれば、どう解釈しようとも然して意味を成すものになりそうもない。

そこで聖書読者としては、このモーセとエリヤが幻視に登場した意味に思いが向くのは自然なことである。天界の栄光の中で何のためにこの二人の偉人が現れ、また使徒らの主を挟んで会話していたのであろうか。



◆モーセとエリヤの意味
この変貌の場面を目撃した三使徒が三人の立ち合い証人であれば、証した側の証人も三人となることに意義があったのだろうか。イエスがメシアであることをモーセが指し示す律法と、エリヤが代表するであろう預言書がそれぞれ証しを立てていたという解釈は中世の致命証者マクシモス(580-662)から説かれてきたことである。確かに「律法」と「預言者ら」がメシアの到来を予告し、そこで何が起るかを指し示していたことでは、「ナザレからの人イエス」をメシアに特定するものとなっている。

だが、この三人が語り合っていた内容についてルカだけが一言教えてこう書いていた。
『栄光のうちに現れた者たちは、イエスが間もなくエルサレムで成就することになるその旅立ちについて話していた』(ルカ9:31 岩波委員訳)

ここでの『旅立ち』とはギリシア語でいう「エクソドン」、即ち出エジプト記のギリシア語書名の「エクソドス」[ΕΞΟΔΟΣ]に他ならない。
即ち、イエスがやがてエルサレムからの脱出を含意する旅立ちを経ることについて変貌の幻での三人の会話があったとルカは書いているのであり、それはイスラエルが隷属の環境であったエジプトから脱出した故事に示唆を与えていたとも云えるが、それならばモーセだけでなくエリヤもがその会話に加わったところがしっくりこない。

それであるから、このエリヤの存在は単に出エジプトの脱出だけでない何かを伝えるものであることを示していると捉えることができるであろう。
そこでキリストがエルサレムから発つという事柄で思い当たるのは、死と復活を伴う「肉から霊への出立」である。その点を考えるにモーセとエリヤの死には共通するものがある。即ち、その死体がどこにあるのかを遂に誰も知らなかったのだ。

モーセについては、率いて来たイスラエル民族が『約束の地』に入る直前に、モアブの山地のピスガの頂きからその南北を眺めることを許された後、その近くの谷で百二十年の生涯を閉じたが、その身を神自らが葬ったとされ、その墓を知る者は当時から誰一人いなかった。(申命34:6)
モーセの遺骸について天使長ミカエルと悪魔が論争したとの外典からの情報を記したのは新約聖書のユダ書であるが、今日では不完全に伝えられている「モーセの昇天」とされる書物から、モーセの埋葬に任じられたミカエルに対し、悪魔がモーセにはマッサの件など幾つかの重罪があるのだから、格別な墓を与えるべきでないことを反論したとの今日では僅かな断片だけになった書物からの想像を含んで語られてはいる。(ユダ9)

ユダ書のこの情報からすれば、モーセの遺骸そのものについて論争があったことになり、その埋葬について神の意志と悪魔の意向とが相反するものであったことが示唆されている。天使長ミカエルがその処置を司っていたのであれば、悪魔の抵抗を排してモーセの亡骸が処理され、ミカエルは『YHWHがお前を裁かれるように』と言い、悪魔の企みを退けたと捉えることもできよう。
従って、あるいはモーセの埋葬方法により、後代に現れるメシアの復活に関わる予型が備えられていたともとれる。

エリヤについては、前後の詳しい事情が知らされていないながら、預言者の職を受け継ぐエリシャを伴うようになって後、ヨルダン川を渡った東側に至ると、エリシャの見守る中で中天を飛ぶ炎の兵車が現れるや、エリヤはそれに乗って空へと去って行った。
その前に、近くのエリコの町の別の預言者たちは、エリシャに向かって近々彼の師であるエリヤが神に取り去られて去ってゆくことにエリシャの注意を促していたのだが、それが成就して後、エリシャが一人でヨルダン川を渡って戻ってくると、五十人の者らを各地に遣わしてエリヤを捜すことを申し出る。これをエリシャは無駄な事と肯んじないが、その五十人は各地を巡って三日を費やしたが、どこにもエリヤの姿を見出だすことがなかった。(列王第二2:11-17)

しかし、これを以ってエリヤが天に召されたとすることはできない。
この後になってエリヤは姿を現すことなく、ユダの王エホラムに譴責の書簡を送っていることが歴代誌に記録されており、その先王エホシャファトの生前からエリシャは預言者の職をエリヤから継承していることを列王記が伝えているので、あの炎の兵車に乗って去ったエリヤは、その後もどこかで生存していたことを聖書は知らせているのである。
エリヤがいつどこで亡くなり、墓がどこにあるかも知られていないことでは、その弟子エリシャとも大いに異なっている。(歴代第二21:12)

極め付けは、キリスト自身が『人の子のほかには誰も天に上ったことがない』と語ったことであり、ヨハネ福音書で明らかなように、このエリヤにしてもモーセにしても天に上げられたとは言えない理由はキリストの発言を得て動かし難いものである。

ともあれ、モーセとエリヤにはそれぞれの遺骸の位置が分からないように神が取り計らったと言える。この二人については、アダムの子孫としての死を同じように経ているに違いなく、そこはどのような人とも変わらない。しかし、遺骸についてはそうではなく、明らかに神の格別の顧慮を受けている。



◆贖罪の順と犠牲の動物の処置
さてそこで、変貌の奇跡の主人たるイエス・キリストの埋葬については何と言えるだろうか。
この点を考慮する前に、キリストについてはモーセにもエリヤにもない死の意義があったことを思い起こすべきであろう。

まず、律法には祭儀の規定があり、それは律法の三分の一を占める分量を持っていた。
それら祭儀にはイスラエルの罪を贖う動物の犠牲の規定も含まれており、律法契約の順守に一度失敗したと見做されて後、律法契約に代わる『新しい契約』が取り結ばれることを預言者エレミヤが告げている。

しかし、それで律法というものがまるで価値を喪失したわけではなく、モーセを通して告げられたように『祭司の王国、聖なる国民』を生み出すという目的はまったく空しくされたわけではない。
実に、律法のすべてを尽く順守して成就し『王なる祭司』の職に到達することのできた一人の人を輩出したのであり、それがメシア、ナザレ人イエスであった。

その究極的『義』に到達したのは、イエス・キリストの地上の生涯という人間としての試みを介してのことであり、それを通してキリストは『完全にされた』のであった。
完全にされたキリストの義は、その最初の贖いとして『新しい契約』に属する弟子らの罪の赦しを達成し、彼らに聖霊を注ぎをもたらしたのであった。それが『自ら神聖にしている者と神聖にされる者』との異なりを指している。(ヘブライ2:10-11)

こうして、キリストを大祭司としつつ、従属する祭司団となるべき者らが契約により『罪』を仮に贖われて地上に初めて現れた。その過程は律法に定められた『贖罪の日』の祭儀の手順に明らかであり、年に一日だけ大祭司は至聖所に入ることが許されてそこを香の煙で満たして自ら落命することのないようにし、次いで再び至聖所に入り契約の箱の前に牡牛の血を七度振りかける。
こうして、まず自らと同族祭繰り返して祭司の職の清めを受けるための贖罪を行う。

次いで、二頭の山羊が用いられ、一頭は神のものとあれて屠られ、大祭司はその血を至聖所に携えてゆき、先に祭司職のための犠牲の牡牛の血を以って行ったことをイスラエルの民についても行い、民全体の贖罪を行うことになる。
これらの贖罪の祭儀で用いられた牡牛と牡羊の死骸の残り、即ち、贖罪に不要であった体のほかの部分のすべては、イスラエルの宿営の外に持ち出され、そこで焼却されるべきことも定められていた。(レヴィ16:27)

大祭司の贖罪の日の働きの最後には、イスラエルの民全体の贖罪を行って後、聖なる職服を自分の服に着替え、民の集まるところに出て来て、その年のすべての贖罪が行われたことを宣言し、神の名を三度唱えつつ民に祝福を告げることになる。(民数6:24-26)

その都度、動物の犠牲が捧げられるのだが、モーセの律法の祭儀が指し示していた罪の贖いとなる動物の犠牲は、明らかにメシアの受難と死の預言性を伴った象徴であった。特に贖罪の日に屠られた牡牛と牡羊との遺骸の残りは宿営の外に持ち出され、そこで焼却されることの預言的な意味があり、それは大祭司、祭司らコハト系の者らの任職の犠牲についても同様の処置が求められていた。(出埃29:1・14)

この聖なる役職のために贖罪のための犠牲となった動物の死骸の処理法の預言的意義を指摘したのは使徒パウロであり、こう述べている。
『罪のためにささげられる動物の血は、大祭司によって聖所の中に携えて行かれるが、その体については営所の外で焼かれる。そのためイエスもまたご自分の血で民を浄めるために、(エルサレムの)門の外での苦難を受けられたのである』。(ヘブライ13:11-12)

こうして律法祭儀の中で贖罪に供された動物の処置の中に、遥か後代に現れるメシアの遺骸の処置について旧約から新約の聖書に示唆されるところは、モーセやエリヤの墓の在処が不明にされ、恰も宿営の外で動物の死骸が焼却されたように、メシアがエルサレムの門を出た庭園に埋葬されたものの、三日目の復活を遂げるとその遺骸はどこにも存在しないものとされたことを指し示している。

肉体の消滅は、やはりパウロが述べるようにアダムが生ける魂となったように、最後のアダムであるキリストは命を与える霊となったことの証となっている。(コリント第一15:45)
即ち、アダムが『罪』に堕ちて以来、永遠の命から遠ざけられた人類のために、アダムに代わって『とこしえの父』となるためにも、神はメシアの魂を墓に捨て置かれず、霊体への復活を果たされたのである。
その義の完成をもたらした死と、それに続く霊への復活は、神の経綸を成し遂げるための礎石を据えるという極めて重要な意義を有したのであり、使徒のペテロにせよパウロにせよ「キリストの死と復活」をその宣教のテーマとしてユダヤ人にも諸国民にも証を立てたのであった。

また、キリストの死は律法契約からイスラエルを解き放つものでもあった。
メシアが『犠牲と供物を絶えさせる』とダニエルが記したように、使徒パウロは『キリストは律法の終わり』と述べている。
律法によれば、その不履行からしてイスラエルは罪無しとは言えない。だが、ナザレ人イエスはその律法をただ一人成就して終わらせ、イスラエルへの赦しをもたらす立場にも就いた。であるから、当時の人々がイエスにメシア信仰を懐いたなら、『その呪い』から逃れて、『新しい契約』へと移され『神の子』と認知され永遠の命の道へ進んだはずであった。

それはイスラエルの新たな旅立ちともなったはずである。その出立の契機となったのが子羊になぞられられるメシアの犠牲であり、ニサン14日に屠られた子羊の血は、イスラエルの中からレヴィ族の祭司職を生み出したように、今やキリストの犠牲によって天界の祭司団が生み出されようとしていたのであり、エジプトでの子羊がイスラエルの各家庭で食された後に、その体の残った部分の全てが火で焼かれ、灰にされるべきものとされたのも、後のイエスの肉体の消滅と霊体への移行を予示していたと言える。



◆エルサレムからのエクソドス
こうして変貌の幻の場面を見直すならキリストの死と復活は、物質からの昇華、天界の栄光へのエクソドスであり、使徒ヨハネが唱えるように、それは出エジプトの晩に屠られた子羊の対型であることも表している。なぜなら、その子羊の犠牲はシナイの荒野での祭司職をはじめとするレヴィ族の神の買い取りの代価となったからであり、キリストの犠牲の血は天界の祭司職、王権をも兼ねる『聖なる国民』を聖霊の注ぎによってあの五旬節から史上初めてその候補者らを生み出したからである。

山中での変貌の幻はその先駆けとして、エルサレムでの受難と死が義務付けられていたキリストの死と復活による『エルサレムからの出立』、即ちニサン14日の死を経た、大麦の初穂が神の前に祓われるべきニサン16日のイエスの復活による栄光の姿を予め三使徒に示したのであり、彼らは確かに肉の命にある間に『神の王国が権力を伴って来るのを見た』と言える。

当時の彼らはメシアの受難を訝しく思い、地上の王権を思い描くことで実体を捉え損なっていたのだが、変貌の幻を通して彼らの主の王権が如何なる地上のものにも勝るもので、霊体への変換を遂げて天界の栄光に至るものであることを後に悟ることになった。

目撃者の使徒ペテロは後になってこの件に手紙で言及してこう述べる。
『 わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とをあなたがたに知らせた時、わたしたちは巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちがその御威光の目撃者なのだからである。
イエスは父なる神から誉れと栄光とをお受けになったが、その時、厳かな栄光の中から次のようなみ声があった。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」。
わたしたちもイエスと共に聖なる山に居て、天から出たこの声を聞いたのである』。(ペテロ第二1:16-18)

ナザレの人イエスの死と復活を通して、メシアの来臨を知らせた使徒たちは、その場で栄光を目撃した三人に加え、皆が神の承認をその証に信仰を得て世界に宣布したのであり、それは実体のない言葉の上だけの虚偽ではなかったと言える。神は自ら御子についてこの幻を通して証を立て、ナザレの人イエスがメシアであると言うことを越え、死と復活に関わる事柄をモーセとエリヤの対型として、そして祭司の民を生み出す犠牲の死と、その肉体を消滅させて行うエクソドスまでもその幻の中で示唆していたと言える。

一般的教会から反論があるとすれば、キリストが復活の際に肉体が墓に無く、弟子たちに現れ四十日に及んだのだから、やはりキリストは肉の体に復活したのであり、終末の再臨もその肉体を以って来られるだろうというかも知れない。
だが、肉体となったキリストを『天使より低くされた』と聖書が言うのであれば、『 卑しいもので播かれ、栄光あるものに生き返り、弱いもので播かれ、強いものに生き返る、肉の体で播かれ、霊の体に生き返る』という聖徒らの復活のようであるに違いなく、キリストが『二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待望している人たちに救いをもたらすために来られる』のであれば、どうして二度も肉体を備えて来られるだろうか。しかも、一度捧げたアダムの贖いとしての犠牲は捧げられたのではなかったか。
その反論の背後には自分を安んじてくれる柔和なイエスを願望するところもあろう。しかし、再臨のイエスは信徒を救出されるだけでなく、同時に裁きの執行者として自らと聖徒らに対する復讐に両眼が赤々と燃え上がる御陵威の大王でもあられる。それはもはや人間の域を遥かに超え、悪魔をも捕縛する強大な存在者の到来でもあることは忘れるべき理由がない。

キリストの死は出エジプトに際して屠られ、ニサン14日の夜に食された子羊の死の対型であり、足掛け三か月後にイスラエルにレヴィ族の祭司団を生み出したように、大麦の初穂を捧げるニサン16日から50日目の小麦の初穂の日、即ちペンテコステとも呼ばれる『週の祭り』の日に、聖霊の注ぎによって聖なる祭司の民が契約によって現れた事柄を指し示していたのであった。彼らはキリストと共に『初穂なる者』であり、『アダムの罪』から最初に仮放免された者でもある。
その者たちは、第一にアブラハムの血統に在り、『契約の子ら』であったユダヤ人をその契約不履行の罪と、律法への隷属から解き放ち、自由人となって『約束の地』を目指す新たな旅へと導いたのがキリストによるエクソドスと言うことも出来る。かつての出エジプトに信仰を懐いた異邦人が同行したように、律法契約からの脱出には使徒時代の諸国民の聖徒も伴った通りである。

しかし、キリストにとってのエクソドスとは、自身に関するエルサレムからの旅立ちであるに違いなく、それは肉体を纏ったホクマー(知恵)の魂が、ナザレ人イエスから再び『創造の初子』の様である霊体への復活を遂げ、肉体で示した義の完全性を帯びて『唯一人、近寄り難いまばゆい光の中に住む』栄光へのエクソドス指していたからこそ、遺骸の所在の知れないモーセとエリヤの先達と共に『旅立ち』を話し合っていたのはまことに相応しい幻であった。
三使徒が目撃したのはその栄光に在る自分たちの主、栄光のメシアであり、受難の死を乗り越えて到達する先の姿を証されたのであり、それは一度低められるにしても、むしろそのことによって実現する地上の事物を超越した新次元の存在の証でもあった。



◆唯一のヨナの印
さて、メシアという大麦の初穂が捧げられたニサン16日の早朝、祭司長派は神殿警護隊にイエスの遺骸を置いた墓を見張らせていた。その朝まだ暗い内から弟子の女たちはイエスの遺体に香油を塗ろうと、園の中の墓に急いでいたが、蓋をどけて墓の中に入る手段はなかったので、それをどうしようかと話し合いつつ現場に急いだ。
墓の入口に立てかけた岩板は鎖と金属の溶接で封印されていたはずではあったが、その朝になると封印も解かれ、岩は動かされていたのを女たちは見た。彼女らが驚いたのはそれ以上の事、栄光の輝きを放つ二人の天使がそこに居ることであり、彼らはイエスが復活してそこに居ないことを告げるのであった。

他方で、神殿警護隊の兵士らは起こった真実を目撃してしまっていた。
聖書にはそれがどれほどのものであったかは書かれていないのだが、よほど恐ろしく常ならぬものを見てしまったに違いなく、死んだように真っ青になっていたという。

警護隊の兵士らは顛末を祭司長派にそのままを報告することになったのだが、そこで注目すべきはイエスの処刑に最大の責を負うはずの宗教家らの反応である。それを聞いた彼らは「それではあの人は本当に神の子であったのだ」などと処刑を担当したあの百卒長のような反応を見せたであろうか。
体制派の指導者らは警護隊の報告を否定はしていない。兵士らには十分な口止料を与えて、『弟子らが来て死体を持ち去ったと言え』と命じたこと、また死体を奪われた失態が総督ピラトゥスの耳に入っても兵士らが咎められないようにしておく処置をとったことがマタイ福音に記録され、今日まで暴かれている。ユダヤの指導者らは神からの奇跡を知りながら紛れもなくここで罪を犯した。

ここに於いてイエスが事前に予告された『ヨナの印』が成就した。かつてサドカイ派とパリサイ派とが相謀ってイエスに近づき、天からの兆を見せるように求めたことがあった。彼らは自分たちでさえもイエスをメシアと認めざるを得ないほどの天に現れる奇跡を起こせるなら信じようとしたのであった。それに対してイエス曰く『この邪悪な世代にはヨナの兆のほかには何も与えられない』と言い残して彼らから去って行った。

この意味は『ヨナが三日三晩大魚の腹に居たように人の子も地の中に居る』という兆であって、足掛け三日の間イエスは墓に横たえられるが、そこから出て来るという死と復活の奇跡の印であり、『この神殿を壊すなら三日で建て直す』という神殿を暴利を貪る汚れた場所にしていた祭司長派が、それを暴かれた腹いせもあってイエスを除き去ろうと画策することを言い当てつつ墓からの生き返りを予告していた言葉と合致するものである。

彼らは『邪悪で姦淫の世代』とイエスに指摘されたように印を求める動機にもとより信仰はなく、既にナザレ人イエスの上に数多くの神の奇跡の印が見えていたにも関わらず、『彼らの目は塗料に塗れ、耳も塞がれて』いたのであり、強制を促すほどの決定的な神からの奇跡を以ってしてもメシア信仰を拒絶したのであった。

彼らは自分たちの内面がどうかを問われることは望まず、ただ圧倒的に神を示してくれるのならそれには従おうという姿勢でいたはずであった。彼らは民衆に対して居丈高に振舞いながら、神に対しては隷属を望んだのであり、その二つの態度は共に奴隷制度のように神を頂点としたピラミッド構造を思い描いたのであり、後にパウロが律法体制を評して奴隷女ハガルに準え『奴隷の身分にある』としてように、その強い律法順守からの隷属の正当化は、信仰による『自由人サラ』に達することを阻んでいた。彼らの偉ぶった精神そのものが、そもそも「奴隷制の礎石」だったのである。

これはまたメシアの到来が同時にユダヤを益することをも望まず、自分たちは律法の業によって既に神の前に義であると思い込んだので、神が強権発動してくれるなら平身低頭して服従することを望んでいたのである。それが「彼らの正義」であり、「確実に正しいもの」を望んだ結果である。
そのような精神を懐くなら、もとよりキリスト教の精神に辿り着きようもない。
宗教指導者らが、その自ら高めた立場になかったなら、まだ頑なさを悔いることが出来たかも知れない。だが、今や自らの正しさや清さを誇っていたがために自ら悔いる道を絶ってしまっていた。彼らは奇跡を認められなかったのではなく、自分の都合で受け容れることが出来なかったのであり、根底にはアダムのように神に対する利己心がある。(ヨブ9:4)

やはり、神の意志は人に正しさを求めるところになく、彼らの望むような強制をもたらす奇跡の印といえば、ただ一つの決定的で彼らを強制するほどの印だけが彼らに与えられたものとなった。それが『ヨナの印』であった。



------------ 後半は以下へ -----------------
内容に鑑み、まったくの公開が憚られるため
少額ながら有料記事とした。
悪しからずご了承を乞う。

  残り約9700字





聖なる晩餐: 主の到来までの定期儀礼

「主の晩餐」の今日の意義を多角的に解説

アマゾンから刊行中






ベタニヤのマリア -2024年 主の晩餐によせて-




小さき村からの大いなる印
エルサレムの価値はシオンの小高い山の上に在って要害を成しているところにある。周囲にも幾つかの峰があって、市街の東にはキデロンの谷が刻まれており、その先は再び上り坂となってエルサレムを見下ろせるほどのオリーヴ山が更に高い頂を見せる。
その山の尾根を越えて行くと下り坂となり、エルサレムは尾根の向こう側に見えなくなる。さらに裾野を行くと、今日の「エル・エイザリエ」つまり「ラザロの地所」とアラブ人に呼ばれた村がある。これが死んで葬られ四日目にイエスによって生き返されたラザロ、即ちヘブライ人エレアザロスがイエスに呼ばれて墓から自力で出てきたという場所とされている。

今ではこの村がイエスがエルサレムに上るときの宿をとっていたベタニヤ村とされ、ラザロ復活の現場としても教会が建てられた観光名所となっている。当地のアラブ人伝承が正しければ、エルサレムの端から3kmに満たない距離のこの村にラザロの家が在ったことになる。確かにヨハネはベタニヤはエルサレムから15スタディオンの距離にあるとその通りに記している。

イエスの一行がヨルダンの向こう側に居るときに、ベタニヤのラザロが重い病気に罹っているとの知らせが入った。ラザロの二人の姉が『あなたの愛する者が病気です』と伝えてきたのである。
イエスはエルサレムに上るとこのベタニヤ村に投宿されたことは福音書が揃って語るところであり、ラザロの家と一行とはかなり親しくしていたことが窺える。それは思ったままを口にし易い使徒トマスの『我々も行って一緒に死のう!』との感情ほとばしる発言そのままに記したヨハネ福音からも窺い知れる。使徒たちにとってもラザロの家族には深い親愛の情があったのだ。(ヨハネ11:16)

しかし、イエスは『この病気は死に至るほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子が栄光を受けるためのものだ』と言われ、なお二日の間その場に留まられていた。(ヨハネ11:6)
その後、ユダヤに行くことを弟子らに告げると、『先生、ユダヤ人らがつい先頃にもあなたを石打ちで殺そうとしていましたのに、またそこにおいでになるのですか』との反応が返ってきた。
同じ冬の再献納の祭り(ハヌカー)で一行がエルサレムに上った時に、またしても論争となった宗教家らは、いよいよ怒り狂ってイエスを石打ちにしようと集団で手を出そうとしたところを、からくも逃げ延びていたのであった。(ヨハネ10:22-39)

その言葉に対して『一日には十二時間あるではないか。人は昼間に歩けば躓くことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜に歩けば躓く。その人のうちに光がないからだ』とイエスは答えられる。

この『昼』が何を意味するかについて福音書は何度か言及しており、『誰も働くことのできない夜』という時期が到来しようとしていること、また、ユダ・イスカリオテが裏切って大祭司カイヤファの前に立たれたときには『あなたがたと日々共に神殿に居た時にあなたがたはわたしに手をかけなかった。だが、今はあなたたちの闇の支配の時なのだ』と言われる。(ヨハネ9:4/ルカ22:53)

これは即ち、『わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を昼の間にしなければならない』と言われたように、キリストとして神から与えられた期間の間は、それを妨げなく行えることが定められているが、その期間はいつかは閉じられ、悪魔の勢力が優勢となって入れ替わることを指している。

この肌寒く雨がちな時期、キリストとしての春先の受難まで未だ三ヵ月ほどを残す真冬ではあったが、活動できる期間ではあったということを弟子らに言われたのであろう。しかも、このユダヤ行きはキリストとして神の栄光を表す大きな業となると言われる。

そうしてユダヤに入り、ベタニヤ村に近づいたのはラザロの死から四日目となっていた。
その墓は村の外側にあり、一行が近づくとそこにラザロの姉のマルタが居て出迎えることになった。

このマルタは、この以前の場面でルカ福音の中にも登場しており、イエス一行をもてなそうと一心に馳走する健気な姿が描かれていた。
エルサレムに近いこの村は、近隣の村々と共に祭りの時期には多くの来客を迎えていたことであろう。
イエスはこのマルタとラザロ、そしてもう一人の姉妹であるマリアの居る家に投宿する度に親しみ浅からぬ仲となっていたに違いなく、『あなたの愛する者が病気です』との知らせにもそれはよく表れている。

死者をも生かす奇跡を行う人イエスの到着が遅れたことはマルタに『主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう』と無念さを滲ませる。
その言葉にイエスは『あなたの兄弟は生き返る』と言われる。するとマルタは『終りの日の時生き返ることは、存じております』とユダヤ教徒として認識を表すが、その言葉には諦めの響きも感じ取れる。

しかし、イエスは念を押すかのように『わたしは復活であり命である。わたしを信じる者はたとえ死のうとも生きる。また、生きていてわたしを信じる者はいつまでも死なない。あなたはこれを信じるか』と言われるのであった。(ヨハネ11:25-26)
マルタは『はい、主よ。あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております』と答え、妹のマリアを呼びにやる。

マルタの家には多くの弔問客が詰め掛けており、マルタからのイエス到着の小声の知らせを聞いてマリアがすぐに出て行くと、訪れていた皆もマリアが墓に行きラザロの近くで泣くのであろうとその後をついてゆく。そうして人々はイエスの周囲に集められていった。
マリアもイエスを見ると足下にひれ伏して、やはり『主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう』と言うのであった。イエスは、辺りの人々の嘆き悲しみに心を動かされ、『彼をどこに安置したのか』と尋ねられ、その場に案内されると、イエスも人々と共に他ならぬ友人の死にむせび泣かれるのであった。
聖書は人の死を『敵』と描写し、その痛撃がどれほどのものか、メシアはそれを友人の死として感じ入ったことであろう。それは翌春にはご自身に及ぶものでもあった。

イエスの涙を見た人々は、『おお、なんと彼を愛しておられたことだろうか』、また『盲人の目を開いたほどの方がラザロの死を防げられなかったのだろうか』と静かに話し合っている。

イエスは墓の入口に立てかけた岩を取りのけるように命じる。すかさず、マルタが死後四日の遺体が腐っていると止めに入る言葉にイエスは『信じるなら神の栄光を見ると言わなかったろうか』と答え、

それから天に向かって『父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します』また『わたしがこう言いますのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを彼らに信じさせるためです』と祈ると『ラザロよ、出てきなさい』と墓の中に向かって命じられる。すると、ラザロは埋葬されたときのままに頭も手足も布に巻かれた姿で現れた。人々がどっと驚嘆する中でイエスはラザロの布を解くようにと言われる。

然もあろう、多くの弔い客がイエスに信仰を持ったとヨハネは記している。
これはキリストとしての宣教の三年が経過した公生涯の終わり近くに示された際立った神の御業の印であり、奇跡を行う人ナザレ人イエスの集大成となる業となった。
そのため、三ヵ月ほど後にイエスが最後にエルサレムに上ったときには、多くの人々がイエスばかりでなく生き返ったラザロをも見ようとベテニヤに押し寄せたこともヨハネは記す。

その際には、ベタニヤの近くの村から未だ誰も乗ったことのない驢馬を引いて来させ、ソロモン王の古式に則り、イエスは王としてのエルサレム入場を果たされたのだが、ラザロの生き返りに居合わせた人々も祭りに集まる人々の間でその生き返りの奇跡の証を続けたので、過ぎ越しに上って来た群衆はイエスを歓呼して迎え、その行く手には自分たちの外衣を敷き詰め、棕櫚の葉を手に手に振って讃えたのであった。子らは『救い給まえ、ダヴィドの子を!』と叫んでいた。宗教家らはこれに不平を鳴らし、『見よ!、どうしようもない。世をあげてあの男について行ってしまった』と言い合うのであった。(ヨハネ12:19)

しかし、これほどの偉業が成し遂げられたというのにラザロの生き返りについては福音書の中で記しているのはヨハネだけである。
これほどの奇跡についてヨハネ以外の福音書が揃って沈黙している不自然さがあるのだが、その理由が何であったかについてもヨハネは示唆してこう記す。
『祭司長たちはラザロをも殺そうと相談した。それは、ラザロのことで多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである』。(ヨハネ12:10-11)

このように以後はベタニヤ村の三姉弟には殺意ある危険が付きまとったことを示唆しているのである。
使徒ヨハネの福音書は書かれた時期が最も遅く、黙示録をパトモスで著した後、エフェソスに戻ってからの著作であるとの伝承もあり、ヨハネは、先に書かれていた共観福音書を見ては「これらにはバプテスマのヨハネの投獄以前の事が書かれていない」と言ったとも伝えられている。確かにカナの婚宴やパリサイ派議員ニコデモスの来訪、サマリアのシェカルの件などを記すのはヨハネだけである。

そしてヨハネ福音書には、もう一つ共観福音書からずっと後に書かれたゆえの内容を含んでいると言えるところがあり、それがラザロの生き返りとマリアについての香油の件である。
それはエルサレムの荒廃の後、使徒たちの最後まで生き残ったヨハネであるからこそ記述できたことであり、それ以前の福音書の登場人物が書かれた当時には登場人物が存命であったり、未だユダヤ教が強勢であったりして、その名や動静を伝えることが憚られたのに対し、既にエルサレム神殿も過去のものとなり、帝国内ではユダヤ人であるだけで税まで課せられユダヤ教は勢いを失っていたヨハネの時代、それもパレスチナから遠く離れたエフェソスで時代を一つ違えていたからこそ、極秘文書の機密解除のようなことが可能であったろう。


◆遂に知らされたマリアの名
ヨハネ福音書はベタニヤの三姉弟について憚ることなく明かしており、特にマルタの妹マリアについてこう明かす。
『このマリアが、あの主に香油を注ぎ、主の足を自分の髪の毛で拭った女である。その兄弟ラザロが病気であったのだ』。(ヨハネ12:2)

ここでヨハネがルカ福音に現れるパリサイ人シモンの家に現れて、涙でイエスの足を洗い、また香油を注いで自らの髪で拭ったとされる『罪深い女』のことを明かしているのではないかとの議論もあるのだが、ルカはイエスが最後にエルサレムの上った際に香油を注がれたことの記述そのものを省いているので余計にそう思われるかも知れない。まして、ベタニヤでイエスが香油を注がれた家もまた『シモンの家』ではある。
そこでヨハネ福音書の中でラザロの生き返りとマリアが香油を注いだ女としての紹介の前後が逆になるからと、ヨハネで『埋葬を見越した』という油注ぎを、わざわざルカ書のパリサイ人の家の場面まで遡らせる必要はない。
これら二つの香油注ぎが異なるのは、ルカはパリサイ人シモンのところが『街』と記し、一方でマルタの場所は『村』としており、それに福音書中の時の経過を見ると、双方の記述は一年程ずれているところにある。

より重要な点は、マルコとマタイの福音書が揃って『その女』というばかりで、ベタニヤのマリアの名を知らせていないにしては『この福音が宣べ伝えられる所では世界のどこであれ、この女の行った事も記念として語られるだろう』とのイエスの言葉は不吊り合いであり、なぜ個人名を出さなかったかついてはこれら初期の福音書に特有の事情が窺える。
マルコとマタイでは、ベタニヤ村で特にイエスに親しい人物の名を出すことを避け、生き返ったラザロについては、その際立った奇跡のエピソードすべてを除外する徹底ぶりがそこにある。

そこで聖霊の働きも恐れぬユダヤの体制からの危険が当時の三姉弟に及んでいたので、ラザロに関しての生き返りの情報すべて、その家族の個人名を挙げてマルタとマリアにも危害が向かないための配慮がマルコとマタイの福音書にはこのように込められている。

既に、危険は考えられる段階に達しており、ラザロの生き返りでベタニヤを知る人々は数多く、体制派がその家を突き止めるのは容易いことに違いない。
伝承によれば、殺害の危険に在ったラザロは移住を助けられ、あのバルナバによって彼の故郷キプロスに逃れたともされる。他の伝承からもバルナバの故郷がサラミスであり、福音書著者となった甥のマルコによってその地にバルナバが埋葬されたとも伝えられる。
真偽はともあれ、このラザロの後日談は、あの『慰めの子』という通名に相応しく、地所を売って困窮者のための資金を与え、またパウロのために異国の各地を探し回わるほどに世話を惜しまなかったバルナバらしい逸話であろう。
しかし、他の二人の姉妹のその後についてはどうなのか。

使徒ヨハネが、他の使徒らと共にベタニヤの三姉弟に親密であったことは福音書の内容から見て間違いない。それは単に祭りの度に一行が宿をとったというばかりの顧客との親しさではなかった。
当然ながら、福音書筆者らもその親密に敬意を払えばなおのこと、これら三人に不利益になるような記録はしないに違いなく、ユダヤの荒廃の前に書かれた福音書の時期はヨハネが福音書を著した頃とは時の経過により事情が異なっていたので、むしろヨハネはベタニヤの親しい人々、分けてもイエスの御身に大きな善を施したマリアへの賛辞を込め、その名を憚ることなく記したであろう。こうして今日の我々には使徒ヨハネの長命を通してベタニヤのマリアに関して真相を知る機会が開かれたのである。


◆一心に聴いたマリア
使徒ヨハネは、ベタニヤについてはラザロの生き返りとマリアの香油注ぎに記述を集中させているのだが、ルカ福音書はその以前、おそらくは西暦32年の秋の祭りの頃に『一行がある村に入る』と『マルタという名のある女が迎えた』と書き始め、聖句としては僅か五節を伝えている。(ルカ10:38-42)
しかし僅か五節とはいえその中でマリアも登場し、我々は香油を注いだ彼女の心を推し量るよう強く促されるのである。

この頃、イエスの宣教は実を結びつつあり、人々の中からイエスへの敬愛を懐く人々が増える中で、このマルタもイエスに信仰を働かせ是非にも歓待したく思ったのであろう。マルタは懸命にもてなしに奔走を始めるが、妹のマリアの方はというと、イエスの前に腰を下ろしたままでその話に聴き入っている。
その余りの違いに姉はとうとう手伝わないマリアとそれを放置したままのイエスにこう言い立てる。
『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください』。
一般的な考えからすれば、これはもっともな意見ではあるのだが、五千人に奇跡で食事を与えたのは32年の過ぎ越しの時期であったなら、このときマルタもその奇跡を聞き及んでいた可能性はある。どちらにしても、客はメシアであり山上の垂訓でも平地の垂訓でも、人々はその話を聴くことに大いに価値を感じていたに違いない。彼らが目撃した奇跡の数々はイエスが神からの人であることを示しているので、その話される内容が難解であったとしても、人々はそれが傾聴に値する価値ある言葉と信じたのであろう。そうでなければ、三日もその許に留まって話を聴き続けることがあるだろうか。そこには群衆を引き留めるだけの何かが有ったであろう。

ベタニヤのマリアもイエスの言葉に引き寄せられるところが有り、そのとき何が語られていたのかは書かれていないが、イエスの言葉が彼女をマルタの手伝いに立ち上がらせるのを阻んでいたのであろう。
イエスのマルタへの返答はそのようなマリアを擁護するもので『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み心を乱している。
だが、必要なことはただ一つだけである。マリアはその良い方を選んだ。それは彼女から取り去ってはならないものなのだ』と言われた。

イエスの話の意味をより深く教えられた使徒らの一行をもてなす宿がこの三姉弟の家であったなら、この家の人々もその教えに与ったと見てよいであろう。それはイエスの愛する友としてラザロが生き返りを経験したところにも表れている。

人々を教えるために遣わされたメシアをもてなすのに必要なことを一つ挙げれば、それはその話に耳を傾けることであろう。
マリアが姉の手伝いを敢えてしなかったのではなく、イエスの語られる言葉に重い価値を感じて動けなくなったということもあるかも知れないが、結果として彼女は『良い方を選んだ』と評価されている。
これはマリアの価値観が働いてこその選択であり、メシアを崇敬する最善の仕方であろう。

この時期の前に、イエスの一行はヘルモン山麓に位置するカエサレイア・フィリッポ方面に旅しており、そこで自らの受難と死を使徒たちに話し始めている。
もし、マリアにもメシアに関わるこれほどの内容が話されていたとすれば、確かに語られている前から中座することはまず不可能である。

やはり、話の内容のゆえにマリアが動けなかったという事は有り得ないことではなさそうだ。マリアが一心に耳を傾け、砂が水を吸うようにイエスの言葉を心に収めていったであろうことは、イエスが最後にエルサレムに上ったときにその結果を示したように見える。


◆ラザロの奇跡がもたらした反響
ヨハネによればラザロの奇跡の後、イエスは『エフライム』と呼ばれる荒野に近い街に退いていた。
それは、祭司長派がラザロの生き返りの奇跡にいよいよ危機感を強め、イエスを殺害する意向を固めたためであった。
ラザロの奇跡に応じた祭司長派の会議についてヨハネはこう暴露している。
『あの者が多くの印を行っているのだが、我々はどうすればよいか。
このままにしておけば皆があの者を信じるようになる。そうすればローマ人が来て我々の土地も国民も奪ってしまうだろう』。(ヨハネ11:47-48)

この言葉の意味は、もし民衆があのナザレ人イエスをユダヤの王に担ぎ出すことにでもなれば、現にユダヤを支配しているローマが黙って見ていないだろうということである。即ち、ソロモンが王位を得た際の驢馬騎乗のイエスが民衆の支持を得て王となる現実性を感じていたのは使徒のような弟子ばかりでなく、体制派の宗教家らまでもがイエスのエルサレム入城に強い恐れを感じたのである。

そこで、この時代の大祭司であったカイヤファがついに『ひとりの人が民に代って死んで、全国民が滅びないようになる方がわたしたちにとって得だということをあなたがたは考えないのか』とイエス殺害の策を大胆に言い放った。

だが、著者ヨハネは大祭司のこの一言に驚くべき認識を込めた注解を次のように述べている。
『これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言い、国民のためばかりでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである』。(ヨハネ11:51-52)

これは神に犠牲を屠って捧げる祭司の長である大祭司の職にあるカイヤファが、その務めを全うして『世を救う神の子羊』を屠り、そうして血肉によらない『神のイスラエル』の十二部族を集め出すメシアの業を完遂させるための悪役を引き受けたことを、本人も意識せずに認めたということになる。
そうしてモーセ以来の律法体制は、繰り返される必要のない完全な犠牲を捧げて、自らの役割を果たし終える道に入っていった。しかし、その屠殺の役割を担う彼らにその意識はない。ここが神の経綸の真に恐るべきところである。

西暦33年の春、ユダヤの暦も新年となって正月過ぎ越しの六日前にイエスの一行はベタニヤに到着したとヨハネは記す。おそらくそれはニサンの月の九日、週の初めの日であったろう。
それから後、イエスは三姉弟の家ではなく『癩病人シモンの家』で歓待を受けていた。このシモンの癩病は既に治癒していたに違いなく、イエスが癒した数々の病人の一人であったのではなかろうか。
他方で律法の癩病に関する規定には厳しいものがあり、病の本人の隔離だけでなくその家についても祭司の検査が入るよう取り決められていた。
一旦癩病に罹患すると一般の生活圏から遠ざけられ、場合によっては近づかないようにと石を投げられることもあったという。
そのため、この家に留まっていることで身に汚れを受けることを神経質に恐れる祭司長派を遠ざける効果があり、それもあって治癒した人の住まいをわざわざ『癩病人シモンの家』と呼んでいたことも考えられる。

このシモンの家でイエスの一行がもてなしを受けており、奇跡の生き返りに与ったラザロもその宴席を共にしていたことをヨハネは伝えている。このラザロの参加を知らせることはヨハネが福音書を書く時代に在って可能なことであり、生き返ったラザロとその姉妹マルタやマリアを共に記録することは、その以前の他の福音書が努めて避けてきたことである。そこにイエスを処刑した祭司長派からのラザロへの殺意も有り、その姉たちに危害が及ぶことも警戒されねばならない。その相手はあの不正を尽くしてメシアを殺めた祭司長派なのである。

しかし、祭司長派優勢の状況はいつまでもは続かなかった。
イエスの受難から37年後に、エルサレムはローマ軍による徹底的な破壊を受け、神殿とそこで行われていた祭祀制度も諸共に失うことになったのである。これがバプテストの警告していたユダヤの裁き『火のバプテスマ』となって、『籾殻は焼かれる』に至った。それがメシア殺害の後果である。
ユダヤで生き残った人々は各地に奴隷や鉱山労働、また見世物の犠牲にされ、居留する各地で反ユダヤ運動が起こり、帝国内でユダヤ人税が課されるという大きな変化が起きていた。

一方で「ナザレ派」と呼ばれたイエスの帰依者らは、エルサレムが何度か軍勢に取り囲まれるのを見て、エルサレム脱出を始めていたらしく、北東デカポリスの一つであったペッラに逃れていたとの史料が残されている。それこそはイエス自身が『エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたと悟れ。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、田舎にいる者は市内に入ってはいけない』との預言の言葉に従う機会であった。(ルカ21:20-21)

その最終的な攻囲は西暦七十年に実際に起こることになった。攻めるローマ軍は満を持して四つの軍団を各地から集め、そのほかにもヘロデ・アグリッパスの軍やアラビアの勢力などが加わり、おおよそ六万の軍勢でエルサレムを囲い、エルサレムは篭の鳥となってしまった。この時代に何度か軍隊の攻囲を受けながらもエルサレムは事無きを得ていたのであるが、それはキリストの警告の言葉に従う機会であったのだが、この度はいよいよエルサレム滅亡の危機である。ベタニヤの三姉弟もこの時までにはユダヤから去っていたに違いない。

エルサレムの危機によって宗教家らのイエスに関する論議はまったく無意味となり、むしろ、彼らの宗教の優越感と勝気な独立志向がローマの属領であることに終止符を打とうとしたのだが、却ってモーセの律法祭儀とユダヤ体制の滅びの原因となってしまった。
この西暦七十年にユダヤに臨んだ災いにより、神殿を中心とした律法体制は終焉を迎え、以後、今日まで回復していない。まさしく、生前のパウロが律法体制は『近く消えて行く』と予告した通りであった。

祭司長派が心配した『ローマ人が来て我々の土地も国民も奪ってしまう』という事態は、イエスの業の結果としてではなく、まさしくパリサイ派を中心とした国粋主義と独立志向の高まりからの度重なるテロが原因であり、イエスについてはピラトゥスが認めたように、宗教家らが訴えるような民を誤導して騒擾を起こすような罪状は何一つなかったのである。

他方、ユダヤの土地や人々を奪う結末をもたらしたのは、ほかならぬ宗教指導者らであったのだ。この大きな変化により、ユダヤ宗教体制の力は一度地に落ち、攻囲の厳しいエルサレムから棺桶に入って死人を装い脱出したラビ、ヨハナン ベン ザッカイなる老人がパリサイ派を立て直しに奔走するその後の当分の間、宗教家はローマ当局の厳しい監視により勢力を失っている。

この動乱の最中にユダヤとその周辺の先見の明ある人々はイエス帰依者のように疎開や移住を行い、使徒ヨハネは主の母マリアを伴って小アジアのエフェソスに居を構える。そしてエルサレムの滅びを生き延びたヨハネは六十年も前、かつてベタニヤのマリアが行ったことを何に憚ることなく描き出すのであった。


◆埋葬を見越したマリア
さて、ヨハネの語るキリスト最後のベタニヤの夜に何が起こっていたろうか。
その夜、同じ村の癩病人シモンの家でもてなしを受けていたイエスに、マリアは容器に入れたとっておきの香油を携えて近づく。
それはインド産の本物のナルドで、三百グラムほどでも三百デナリウスとされるほどの値の非常に高価なものであった。今日であればセダンの新車が買えるほどの金額である。

ヨハネの福音によれば、マリアはイエスの足に香油を注ぎ、それを自分の髪で拭き取っている。だが、マルコとマタイではマリアはイエスの頭にも香油を注ぎ、ヨハネはその場は馥郁たる香りでいっぱいになったと、その場に居合わせた者らしい描写を加えた。その香りはその後もイエスに残ったことであろう。

最上級の香料の香りとはどのようなものであっただろうか。使徒ヨハネにとって六十年も以前のことであったとしても忘れがたいものであったことが伝わってくるようである。それは、あのマリアによってこそ得られたものであったのだ。


マリアがこれをどう入手したのか、彼女の家がユダヤの祭りの度に宿屋も営んでいた収益を貯めていたのか、それは語られていないが、それを見た使徒らには非常に意外なことであったらしく、『どうしてこんな無駄遣いをしたのか!これほどの香油なら三百デナリオンで売れたろうから、その大金で貧しい者らに施すことができたのに』と言いつつ、マリアに不快感を示したとマルコとマタイ福音書は記している。(マタイ26:8/マルコ14:4)

他方、ヨハネ福音書は、この一年ほど前からユダ・イスカリオテの変節に注目して書かれており、ベタニヤのこの場面で香油を注いだマリアを責めた首謀者として暴露している。
『彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていてその中身をごまかしていたからであった』。(ヨハネ12:6)

これらの言葉から使徒ら、またユダ・イスカリオテそれぞれの内心に見えるものがある。
使徒らにはイエスがこの旅で受難の最期を遂げることが意識になかった。
それは、ソロモンのようなエルサレム入場を果たした自分たちの主には無数の群衆の支持があり、この度の道中でもイエスが決然と彼らの先頭に立って進むほどにエルサレムを目指していたことによる。実際彼らはそのときのイエスの歩む姿に驚いていたのである。(マルコ10:32)

もう半年以上前からイエスは使徒らに、祭司長派、長老ら、書士らによる自らの受難と死を教えてきたが、やはり使徒らはそれが信じられなかった。(ルカ9:22)
むしろ、ダヴィドの王国の到来が近いと思い込み、仲間内で誰が偉いかで言い争うような状態にあった。特にゼベダイの子らは、母親がイエスの母マリアの姉妹であることを利用してイエスに取り入り、王の左右の座に就くという具体的な要求を母を通して訴えたのだが、これは他の使徒らからすれば血縁を利用した卑怯な抜け駆けであり、大いに怒りを買うのであった。(マタイ20:21-24)

このように使徒らの心には王国設立の時期が来ているとのバイアスが心にかかっており、すでに自分の処遇の方に思いが進んでしまっていたので、マリアの高価な香油の件がまるで理解できなかった。
そこで彼らはマリアを責めては彼女を困らせていたのだが、イエスはそれを制してこう言われる。
『なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
この女がわたしの体にこの香油を注いだのは、わたしの埋葬の用意をするためである。
まさしく、福音が宣べ伝えられる所では全世界のどこででも、この女のした事も記念として語られることになる』。(マタイ26:10-13)

このイエスのマリアへの弁護の言葉の中に窺えるもの、それはまずイエスの孤独であろう。
親しく接し、深く教えを授けて来た十二人はイエスが臨もうとしている危難について余りにも無理解であった。それがマリアへの批判を始めたイスカリオテのユダに同調して彼らも共に苦言を呈したところに見えている。彼らは最後の晩餐の席ですら、自分たちの順位を言い争い、イエスは彼らの足を洗って行いを以って教える必要があった。

彼らは王となるべきイエスを高める余りに、却って、自分たちの主が一度は重罪人として処刑され、最も低い地位にまで卑しめられることを意識しなかった。その晩餐の席でも、使徒らはイエスが別れてゆくことをなかなか理解できず、ペテロさえ『どちらに行かれるのですか、主よ』とのよく知られた言葉を残している。

だが、その思い違いがあってこそ、ユダの裏切りも成し遂げられたのであり、もし、それに使徒らが気づいてしまったなら、イエスを捕縛しようとして近づく一隊に決死の覚悟で剣を振るったペテロなどは決してその目論見を許さなかったに違いない。そこで彼らの心にはヴェールが掛けられていたのであろう。神の目的が成し遂げられるため、ユダ・イスカリオテに意志の自由を与えなくてはならない。

一方のマリアは、この香油に込めた相当な思いがあったであろう。
弟ラザロの埋葬のために買ったとすれば死後四日目になるまで塗っていなかったようであり、彼女が入手したのはその後かも知れない。イエスの言葉では『彼女はそれを取って置いた』とあり、あるいはラザロのためであったのかも知れないが、いずれにしても、彼女はその貴重な品をイエスのために用いることを心に決めた。ラザロの生還を味わったマリアは、メシアの受難の死を解するばかりでなく、復活をも疑わず、あるいは天への旅立ちまでも予期していたかも知れない。

このようにイエスの受難を察知し、それに寄り添う仕方で最高級の香油をイエスに注いだマリアには、その時にまさしくイエスの理解者であったと言える。あるいは唯一の理解者であったかも知れない。
彼女はイエスの言葉をその通りに聴いたからこそ、その香油を注ぐ理由があったのであり、男たちのようにイエスの王権の栄光の樹立を目の当たりにしつつあるとの強いバイアスも掛ってはいなかった。イエスの死と復活への信仰に到達していた彼女からすれば、おそらくメシアへの香油の注ぎが使徒らに『無駄遣い』と咎められたことがマリアには意外で、戸惑いもしたであろう。

それはルカ福音書で、イエスの許で一心にその話に聴き入ったあのマリアの姿を思い起こさせる。
ここに我々は教訓を学ばされるほかない。弟を死者の中から受けるという大事は、彼女の内面に大きな変化を起こしたに違いない。それは信仰の急速な深化であり、信仰とは単に頭で理解することを超え、神との関わりで成長するものである。
最高級の香油を注いだ時のマリアの想いは、ただ主を離別で失うという意識を超えたものでなければできまい。神の経綸を味わい知ったと言えよう。
そこでマリアが香油を注いだほどの信仰に到達し、それも行動に移した者は聖書中ほかに登場しなかった。そのとき彼女だけはイエスが只ならぬキリストとして迎えるべき事への想いを理解していたのである。しかも、その香油を注ぐ機会はいつでも開かれているわけではなかった。

このような思いを持てるか否かは神の言葉に対する各人の聴き方、また心の状態に左右されるということであろう。この度の使徒らの思い違いは神から出たことであっても、いずれは彼らもマリアの真意に気づいたに違いなく、そこでマリアはゲッセマネに遣わされたたった一人の天使のようにその時のイエスに寄り添う一人となったのである。
もし、彼女がそうしなかったなら人間は誰一人、受難の死に向かう以前のキリストに寄り添えなかったのである。
では、我々はどうであろうか?


◆ユダ・イスカリオテの最期
使徒らの中でマリアへの反論の口火を切ったであろうユダ・イスカリオテについては、また違った思いがあったのであり、それも最後に書かれたヨハネ福音書に暴露されている。
この使徒が目論んだ事は、一行の預かり金が自分の扱うところであり、そこからくすねて自分の利得にすることであったのだ。
彼にとって異常なまでに高価な香油を費やすマリアの行いは、ユダの心を他の使徒以上に激しく苛立たせたらしい。

マルコとマタイは、この出来事の直後にユダは祭司長派のところに行き、自分の主を引き渡すことで銀三十枚の報酬の約束を得たとしている。やはりマルコとマタイによれば、それは過ぎ越しの二日前であったとしている。そうであればユダヤの習慣からするとニサン13日に入った夜ということになり、彼はマリアの香油の件のすぐ後でエルサレムの祭司長派を訪ねたであろう。
夜の間に行動した彼は、明けてニサン13日の昼間、イエスがベタニヤからエルサレムに出ず、珍しく夕刻まで留まったことに焦りを感じたのではないだろうか。祭司長派はイエスを逮捕するのは民衆の反対を恐れて白昼堂々とはできず、しかも、清さを求める無酵母パンの祭りが『聖なる日』を以って始まってしまってからでは、殺害するには余りにも都合が悪い。

そうなると、残されたのはニサン14日の夜を置いてほかにない。体制派に属する彼らの過ぎ越しは15日であり、モーセの律法の指示からずれた伝統となっている。彼らにとってその前日の14日は『準備の日』であり、祭りを控えて俗事を済ませてしまうべき日とされていた。そして、彼らの「俗事」の中にはナザレ人イエスの処刑も含まれることになる。

イスカリオテのユダは、これがイエス最後の過ぎ越しになるとは思いもよらず、イエスはいつものように、つまり『昼の十二時間』が続いているように、難なく迫害をすり抜けて無事に過ごし、自分は逮捕の手助けをして祭司長派から銀三十枚を騙し取り、マリアから受け取りそびれた三百デナリオンのせめてもの慰めにするつもりであったろう。マリアの深い信仰の籠った善意の行動はユダの邪悪さを焙り出すことになっている。これも恐るべきことである。

だが、事は彼の思うようには進まず、イエスは一向に自由にならず、むしろ不正な裁きに身を委ねてゆかれるところで、やっと受難がイエスの意志であることを察知するに至ったのであろう。
『わたしは義の血を売り渡してしまった』と祭司長派に言うのだが、もとよりそれが狙いの相手に何の意味も無い。『我々の知ったことか』がその返答であった。

ユダは受け取った銀子のすべてを神殿に投げ込んで、首を吊ろうとして出て行ったのだが、その綱は切れてしまい、断崖から落ちてその身は切り裂かれてしまった。
その代償となった銀子三十枚は、人の命の代価であるので神殿側からも受け入れられず、見知らぬ者らのための墓所として一つの畑が買い上げられ、そこは『血の地所』と呼ばれたという。



さて、人はこうもそれぞれ異なるものである。
ユダ・イスカリオテ、祭司長派、使徒ら、ベタニヤのマリア。
それぞれにイエスを巡って想い、行動しているのであるが、我々はそれぞれどうなのであろうか?

ベタニヤのマリアが傑出して一心にイエスに聴いたように、言葉が心に真っ直ぐに届くか否か、それは各個人の大きな問題であろう。
人の心に様々な曇りがあるのは避け難い、我々にはそれぞれ思惑があり、それぞれに何かとバイアスが掛るものである。自分の都合や正義感を神の言葉に優先することは如何にも簡単なことになってしまう。
自分の救いや願うことの成就に想いがすっかり向かっていれば、どうして神の意志に注意を集中できようか。自分が「天国」なる安楽な死後を受けられるかなどと自己中心で居て神の意志を知るには無理がある。
だからこそ、それぞれ自らの内心の曇りに不断の注意を向け神の真意を探るべきではないか。
イエスは『どのように聴くかに注意せよ』と言われる。なぜなら『あなたがたが量り出しているその升であなたがたも量り出されるからである』。その違いは如何にも大きなものとなった。

ベタニヤ村のマリアという寡黙な一女性が、後の使徒ヨハネを動かして福音書にその晩の一事を書かせたことの価値は、一心に聴いて主の語られた言葉の真意を悟ったところにあろう。

ルカは福音書最後の場面でイエスの帰天がベタニヤで起こり、この村が弟子たちの最後にイエスを見る場所となったことを記している。あるいはメシアとの別れをベタニヤのマリアを含めた人々も見た可能性を残しており、復活後のイエスは、一度に五百人もの人々に目撃されたとも伝えられているが、マリアもその一人であったなら、天に上る主の姿に信仰を込めた万感の思いをもって見たことであろう。

それまでイエスは地に在って多くの人々との邂逅をし、また様々な反応を得、そして自ら人としての生と死を経て、メシアは公生涯を見事に締めくくられた。
今や、慣れ親しんだベテニヤ村の一帯から上へ上へと昇られるイエスの視界には何が映り、どのような想いを懐いていらしたのだろうか。




------------
さて、本年のパスカはユダヤ歴が閏年に当たるため、4月21日(日)と遅く到来する。
年毎にユダヤ教徒の祭礼に合わせ『主の晩餐』を行うのは、ニケーア会議で否定されてキリスト教界が独自の道を歩み出したところとは別に、メシアと祭司長派との時の確執の中に、女の裔と蛇の裔とのせめぎ合いを見るからであり、イエス一行のニサン14日とユダヤ体制派の15日とのセデルの日付の異なりは、おそらく終末にも意味を持つことであろう。

もちろん、律法契約はキリストに成就して過ぎ去ったものの破棄されたわけではなく、その文言のすべてはキリストに在って不滅とされている。
そこでニサン14日に『主の晩餐』を守ることは、律法を尊ぶことでもあり、同時にメシアの犠牲の記念となっている。

神の意志を探求し続けようと願う方々には、イエス自ら命じられた唯一の定期儀礼である無酵母パンと赤葡萄酒による『主の晩餐』を本年4月21日の夜に行われることをお勧めしたい。

それは律法契約に代わる『新しい契約』によって、律法契約が達成できなかった真実のイスラエルが終末に生み出されることを待望するものであり、アブラハム以来悠久の年月に亘る神の経綸『神の王国』が数年の後に実現することを期するものである。

生きるために生きるという隷属の『この世』の空虚はいまや尽きつつあり、今後、世界は終末に向かっていよいよ変化を始めることであろう。

その中に在って、神の意志だけが光明であり、その言葉は今日までひどく誤解されてきたものである。
その原因は、人々の利己心にあり、人々は神を尊崇してすら自分本位に神を決めつけてきたものである。

しかし、この記事の筆者やその仲間が無謬であるわけもないのだが、それでも求め続け、叩き続けることはできるのであり、一つの解釈や集団に浸ることなど人の満足に過ぎず、それも詰まるところ、自分だけは救われたいとの我欲で神の正義を決めつけているに過ぎない。

人というものは、自分に目先の実利の無いものにはまず反応しない。
そのような大半の人間が『この世』を形造っており、『この世』と『神の王国』とが対立関係にある以上、神の知識を得てさえも俗世を愛し、現状に留まろうとする人々がそうでない人よりも圧倒的に多いことはユダヤの体制がキリストに示したところにも示されている。
それだけ人は自分を愛して大切にしながら、自らの命運を神に逆らう方向に進めるものである。
真に大切なものを投げ出しておいて、自分を大切にしていると思うのだろうか。

アダムの罪を逃れる者など誰もいないというのに自分は関係ないとでも思うとすれば、それはキリストの犠牲の否定であり、聖霊の働きも価値も認めないに等しいことになる。

その態度はこの世のあらゆるところに蔓延しており、宗教、特にキリスト教に於いてはまったく自己保身のつもりで自らを危険に曝すばかりではないか?
本当にそれで良いのだろうか?
無反応を決め込めば、神もまた無反応を返すであろう。その人にはそれですべてが終わるのではないだろうか。いや、神の経綸の中では多くの人々がそれを選んでしまう事も、永遠にわたる悪い例として必要なのかも知らない。やはりアダムの罪とは世の大勢を占めるものであろう。

だが、神の意志を探ろうと思うなら、人の解釈や決めつけに留まっていてはならず、各個人の良心に価値観が働くところを指針とするべきであるに違いない。

そう同意なさる方々には、本年4月21日の夜を互いに清い時間として取り分け、キリストの唯一命じる儀礼は果たすことで、その信仰を共にできれば幸いである。これがイエスの命じた聖徒のための唯一の定期儀礼であり、我々は聖徒の到来、即ちキリストの再臨の印を待ち望んでいることをそこに示す。
それは主人の到着を待つ奴隷としての本分であり、用意のできていることを示し、地上に相応しい信仰があることを表す意義を持っている。それはいつでも出来ることではない。

その信仰とは、神への信仰だけでは足りず、キリストへの信仰を加えてもなお足りず、聖霊への信仰を重ねてこそ成就するものであり、聖霊への信仰がすべてを裁き、また救うものとなる。聖霊の奇跡の言葉無くして救いをもたらす信仰もない。

各人のその信仰が、聖霊の再降下と聖徒の再出現という、人事を超えた神の次なる一歩を求める各人の信仰の表明となることを願いつつ。




 ◆ 2024年 4月 21日 夜 のニサン14日に
当「新十四日派」は各地でそれぞれに『主の晩餐』を執り行う
 東京開催に関する情報については以下の記事の末尾に連絡方法を記す。

 ⇒ 「飲まず、食さない『主の晩餐』」



 








 
プロフィール

林 義平

タグクラウド
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード