quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

聖書史

ダニエルの七十週 全能者の描く巨大構造

ガブリエルから知らされた「七十週」に込められたもの
15000字超 <難易度 ☆☆☆☆☆ 高>
-予備知識-
「聖徒 聖霊が指し示す者」「アリヤーツィオンの残りの者」「エレミヤの七十年」「指名されたメシア キュロス」




◆序として

ヨハネ黙示録やダニエル書などの聖書中の黙示の諸書については、その謎が醸し出す、秘儀を解くことへのロマンがあってか、多くの人々が何事かを知ろうと挑戦してきたものである。その知識を得た人々は有利な将来を得ると思えるのかもしれない。 あるいは、自分に見識眼ありと誇りを覚えることもあろう。

だが、知識ある者だけを神が救うのであれば、そもそも「裁き」の必要があるのは何故か?「知らない」という事が人の「罪」なのだろうか?
「教理を信仰するもの」が救われるというなら、ただ救いの知識を得るばかりが、神の裁きで恵みを得ると言っていることになる。
そのようでは、どんなキリスト教であれ、どれほど高度な知識を誇ろうとも、畢竟、幼稚な動機に留まってはいないものか。

やはり、密儀の探求においても、人々は救いの機会を知ろうとばかりになって教訓を学ばず、何かの起こる時の予知に精力を傾けがちになるのだが、知識に頼り、規則に従い道徳的に振る舞い等、その人には周囲の人々との大きな違いに思えるのかもしれないが、秘儀を解いたという意味はそこに無い。まして何かを「言い当てただけ」なら、何の意味が残るのか。

当然ながら、黙示の探求にはより重要なことがある。
即ち「神の意向」をおぼろげながら垣間見ることであるのだが、宗教家らの解釈では、往々にしてこの世の終りが近いとして、人々に善行への脅迫観念と刹那的生き方を求めてしまう。

それは、人々が本能的に感じる人間存在の儚さ、将来に何が待受けているか分からない危うさにつけ込んだ騙りと脅しとなっており、実にカルト宗教は生活を変調させ、多くの家庭から自然な情愛さえ示すことを妨げる事態を惹き起こしている。

また、天災の予知のように、聖書中の黙示に無人格な世の終りの出来事をただ予告するかのようなアプローチをするなら、そこには聖書全巻の観点が希薄になってゆき、その関心は神の意向や精神には向かわない。
この世では、この手のオカルト的なまでの未来予測が人気を集めるが、それらに共通する事柄は、好奇心の惹起と神の意向への無頓着である。

しかし、ただ時や出来事の予知に傾いていってしまえば、これは高慢を誘う罠となり兼ねない人間叡智の賞揚に終わる。この手合いが自説の正しさを吹聴するばかりであれば、その意図は自らを恰も教祖のように高めようとするばかりではないか。

だが、自らを媒介者とし高めることのないダニエルという廉潔な智者に啓示された『七十週』の主な目的は、メシアの到来の時を知らせるものというだけでなく、更に重大な事柄が関わっており、時を言い当てる方向からばかり見ていれば、その主なる内容、神の成し遂げようとする事の意図が何かを見落とす危険がある。

その一方で、時の予告への「信仰」が人気を集めると、その予知者はその集団の中で高められ、或いは崇められさえし、こうして人に従う宗派が形成されてゆくのだが、それが巧妙であると、信者は恰も神に従うかのようにその予知者に従い、没人格的に大衆化して個人の尊厳を、また理性の判断をさえ委ねてしまうところにまで進んでゆく。

ここに黙示を解こうとする努力の難しさがあり、かつてユダヤの学者らがそうなったように、たとえ正解を得てすらその益に達しないということが起こり得るのであり、現代のキリスト教の諸宗派が同じ陥穽に落ちている姿を見るのは、まことに痛々しいものである。

それを加味して、以下に述べる事柄は試論であって、当然のことながら、神が秘めたものを人は知り得ないし、また聖書は神のすべての意図を語っているわけではない。裁かれる身の上にある人間に、どうしてすべてが語られようか。

であるから、これが間違いのない正解であるとは言わない。正解は常に神の御許にある以上、自分の知力や観察眼を用いて終末を言い当てる「予想屋」になろうとも筆者は思わない。

ただ、この本意は、神の悠久の歩みに於いて、遠い過去から我々の将来へと、その御旨が継続していることを聖書の言葉におぼろげながら見渡し、神の終末に於ける目的と行動計画の一端に理解を深め、その意義を把握し、ある程度に心を整えることにあるので、よろしければそのおつもりでお読み頂きたく思うところである。



◆神は捕囚期になお経綸を示される

さて、ユダからのバビロン捕囚民の中でも、預言者ダニエルは非常に知られた人物であった。
彼は帝王ネブカドネッツァルの夢を少なくとも二度解いてその預言的意味を教えている。

一度目は、ネブカドネッツァルの統治の第二年(前603年)のことであったという。
それがどのような夢であったかさえ大王自身も忘れてしまっていたのだが、気持ちに強い動揺が残り、その不吉さに怯えたのであろう。カルデアの職業占い師らが集められても夢解きもおろか、その夢をさえ指摘することも尽くできなかった。

そこでダニエルは若年ではあったが、王の夢がどうであったかさえも示したうえで、その解き明かしを行ったものであるから、ダニエルは以後王の信任を得て、宗教上の知恵に関する最高位を拝命することになった。解き明かした夢の内容は巨大な像であり、大王ネブカドネッツァルを驚かせるばかりか、この世の終末に至るまでが示され、人類史を俯瞰するという途方もないものであった。

それは、バビロニアの王国の後にどのような国々が次々に覇権を得るかを神が王に示したものであったが、それはダニエル書を介して、今日の我々にまで知らされており、その結末は神の国の全面的勝利となる。

これを解き明かしたダニエルは、若くしてネブカドネッツァルの信任厚いものとなり、帝王は布告を以ってダニエルを知らせ讃えたものであるから、帝国内でも流刑民の間でも、そしてユダヤ本国でも著名な人物となった。(エゼキエル14:20)

しばらくして、ネブカドネッツァルは再び不可思議な夢を見たが、それは切り倒される巨木の夢であった。
ダニエル書のその部分は王の布告という形でアラム語で記されている。だが、それがネブカドネッツァルの何時のことであるかは書かれていない。

しかし、既にダニエルが「祭司の長官」と呼ばれる高い地位にあることからして、一度目の夢の後、それから数年後に起こっていた事なのであろう。そこでネブカドネッツァルは一定期間王座から離れ、正気を失って過ごすことが記されているので、それは余程ゆるぎない王権が確立されていた絶頂期のことであったのだろう。


その後、ネブカドネッツァルが崩御し、やがて王統が代ってナボニドスの時代に入ると、ダニエルはしばらく忘れ去られ地位は低められたまま年老いたが、バビロンがメディアとペルシアに占領される正にその夜に、再び神に通じる知恵を晩年に至ってなおダニエルは見せることになる。

即ち、ベルシャッツァル王の宴会の最中に、忽然と手が現れて、壁に文字を記したがこれを誰も読めず、意味を教えることができなかったときに、ダニエルが呼び出されると、それがバビロン王の支配の終りを告げるものであったことを彼が明らかにしたのであった。
バビロニア帝国の後の彼は、メディア人の王ダレイオスの庇護を受け、異教マゴイ族の祭司らを退け、ペルシア帝国の中で再び高位に登る。

ユダからの捕囚民である彼は、故地のある西に向かって開かれた窓辺で祈ることを常としており、それはマゴイらの反対による命の危険があっても続けていたのであった。
その方向にエルサレムが在ったが、彼の祈るを向ける神の家も聖所もそこには当時存在していなかった。ソロモンの建立したエルサレムの神殿は、ネブガドネッツァルによって47年も前に破壊されており、シオン山上は荒涼としていたに違いない。

ダニエルの若き日、エホヤキム王の第三年(前605年)に、バビロンに捕え移されてからメディアとペルシアに占領されるまでが66年、神に任命されたメシアたるキュロス王に彼も顔を合わせたかもしれないその年には、ダニエルも齢八十の頃であったろう。

彼は晩年のこの時期になってから、エレミヤの書を通しエルサレムの荒廃する期間とされた『七十年』を知ったという。即ち、キュロスⅡ世によってバビロンの王朝が倒され、捕囚民の境遇に変化が期待できる事態が起きた紀元前539年の事であったという。

そのとき、西を向いた窓辺であろう場所で、ダニエルは身を低め、その魂を苦しめて真摯な悔いと熱烈な成就の願いを祈り求めた。

彼は、イスラエルの者らが尽く律法を踏み越え、そこに書かれた酬いを刈り取ったこと、神の声に従わず、預言者たちを退け続けてきたことを悔い、赦しを願う。
神に逆らったために離散させられた民が再び集められるとは、イザヤをはじめ多くの預言者の語るところであったが、バビロンが征服されたとはいえ、キュロスの統治前には解放される見通しもなかったのである。

ダニエルはエレミヤ書にある『七十年』を指して言ったのであろう。神に対して『御名のために遅らせないでください』とも願い出た。(ダニエル9:19)

祈りは長い時間をかけて行われたことであろう。
しかし、それに対する神の反応は非常に速いものであった。
神の御前からひとりの天使が遣わされたことをダニエルは次のように記している。

『こうしてわたしが祈りつつ語り、我が民イスラエルの咎を悔いて言い表し、聖なる山のために神YHWHの御前に伏し願っていたときに
 それは夕べの捧げ物の時刻であったが、我が祈りをいまだ申し述べているそのときに、初めの幻の中で見た人であるガブリエルが急いだ様子で飛んで来るやわたしに近づいた。
 
 そして彼は、わたしに悟らせるようにして、わたしに話してこう言った。
 「おお、ダニエルよ!あなたに知恵と悟りを与えようとしてわたしは来た」
 「あなたの嘆願の祈りが始められたときに、言葉が発せられたので、わたしはそれをあなたに伝えに来たのだ。あなたは大いに寵愛されている、この言葉を熟考し、それを悟れ。」』(ダニエル9:20-23)

 即ち、神はダニエルがまさに語っているときに答えていたというのである。(イザヤ65:24)
しかも、その内容は驚くべき事柄が含まれている。

では、天使ガブリエルの語るその言葉を聴こう。

『 「あなたの民と聖なる城市には七十の週が定められている。
 それは咎を止めさせ、罪に終わりをもたらし、邪悪さを償い、永遠の義を来たらせ、幻と預言を確定し、聖の聖なる処に油を灌ぐもの*となる。」』(9:24)*(至聖所の機能の付与)

これらはいずれも徒ならぬことであり、ガブリエルはダニエルに向かって、エレミヤの『七十年』を超える更に重要な預言を明らかに託しているといえる。

エレミヤの『七十年』はエルサレムに神殿をもたらし、その地に再建され再び存在するようになった至聖所にも油注がれ、律法祭祀を完全に機能回復させるものとなった。だが、その『七十年』の終わっていない時にダニエルに知らされたこの『七十週』は、エレミヤの『七十年』を超え、天界に成就する新たな目的を示す予告であったのだ。そこではエレミヤの『七十年』さえも、このダニエルの『七十週』の予型また前表するものであったに過ぎないほどである。




◆七十の安息年に関わった七十週年

まず、エレミヤの七十年と、このダニエルの七十週には深い関連がある。
その両者を結ぶものが、律法に定められていた『安息年』(ハ シュミタ)の条項であると云えよう。

この『安息年』とは、六年間耕作して七年目には休み、イスラエルに属するすべてがその一年の間に聖なる事柄に専ら携わることを求めたものである。

イスラエルが荒野に在った四十年間、毎週六日は奇跡の食物であるマナを降らせ、七日目にはそれは降らないものの、六日目に倍の量が与えられたように、イスラエルがパレスチナに定住した後にも、神は六年目には必ず倍の収穫をもたらすと約束していたのである。

だが、それはイスラエルの信仰を試みるものとなった。
安息日であれば、一日労働しないだけのことで済むが、安息年となれば丸一年仕事をしないのである。
その年の10月から翌年の10月まで何もせず、パレスチナの冬は雨季で氷雨や雪の日々となるので、当分種蒔きも難しい。 

そこで、律法をろくに守っていないという意識が加われば、第六年目の倍の収穫で安息年を全き心で信じ切ることは難しい。これは一年間の全面休耕で、無収入はもちろん家畜ない家では八年目以降に飢え死にする危険をさえ顧みずに行う必要があった。

イスラエルでは信仰を要する安息年は行われなくなってゆき、神の奇跡に属する六年目の倍の豊作の記録も聖書に記載が見当たらず、負の相乗効果もあって律法はますます守られなくなっていったのであろう。

本来、安息年は土地に対する休耕だけでなく、人に対しても安息をもたらすものであった。特に、イスラエル人でありながら困窮した為に、同朋に借財をしていた場合、安息年はその人への取り立ては免れ、また別に奴隷身分から七年の経過後は解放するべき時ともされるべきであった。

更に、安息年を七回重ねた次の「ヨベル」の年には、たとえ一度困苦の為に奴隷身分に落ちていたイスラエル人であっても、50年に一度の機会が巡って、家代々の財産を相続した状態に返還され、やり直すことができたのである。
これは弱者救済の優れた神の社会制度であり、この律法条項が機能しているならばイスラエルは貧富の差も少なく住みよい状態にあったであろうが、この時代のこの国民は、こうした神の弱者への憐れみを投げ捨てた。

そして神は、この安息についてユダ王国を糾弾していた。
エジプトから救い出された民でありながら法令に従わず安息の年が休まれなかったそれらの時代、また、同朋を違法に奴隷として酷使し続けたその期間について、その咎を責め、民の全体を異邦人の奴隷とすると神は宣告する。(エレミヤ34:14)

さらにエレミヤの預言では、当時には週毎の安息日さえ汚されていたことが再三糾弾されているのである。
こうして、イスラエルの律法不履行の罪科は重なり加わってゆき、遂に神は彼らをアッシリアとバビロニアの捕囚として渡したのであった。

こうして、七年に一度、土地を耕作せずに安息させることもなく多年を過ごしたので、神は民を捕囚とする一方で、約束の地には安息をまとめて七十年をもたらされた。(歴代第二36:21)

そこで、エレミヤの七十年がユダとエルサレムの安息を満たすものであったなら、ダニエルに示された七十週は、その安息年に関わった全期間に相当する。即ち糾弾された全期間を象徴する年数である。
 
したがい、七十は七倍されることになり、四百九十となり、それにエレミヤの七十年がハ シュミタに敷衍されるとこの数字は年を表すので、七十の安息年に関わる『七十週』、即ち、四百九十年となり、それは単なる七十週間に当たる四百九十日を意味しない。

キュロス大王の勅令による第二神殿の建立を以ってエレミヤの七十年が正確に成し遂げられた様は別の記事に書いたのだが、このダニエルに示された『七十週』は、エレミヤのものを規模でも内容でも上回っており、これは旧約と新約とを分かたずにひとつの理解を要し、オリエント文明期から我々の将来までの人類史上に亘る大構造を描き出すものである。その広大な期間に於いて神は何を成し遂げられるのだろうか。

しかも、これは起点と終点の年代を細かに特定する必要が「七十年」ほどには無く、新約の記述だけで目的とするところの内的な証拠が揃うのである。

では、この『七十週』の目的に注目してみよう。
エレミヤの七十年の終了によって、地上には再び聖所と至聖所が存在する事となり、それは帰還したイスラエルの民に律法による祭祀を滞りなく行わせることを可能としたのであった。神YHWHの祭祀の復興は前515年のニサンを以って成し遂げられ、それは前586年のソロモン神殿の破壊から71年後のことであったとされる。
 
そして、このダニエルの七十の週でも、将来メシア後に於いて『至聖所に油を灌ぐ』と述べているのである。
では、あの第二神殿以外に何か油注がれるべき別の『神殿』があるのだろうか?

ここに第二神殿の再建までに要した「七十年」と、更なる別の神殿の建立に関わる「七十週」との異なりが見て取れるではないか。 

実に、「エレミヤの七十年」が地上のシオン山上に至聖所をもたらしたのに対して、「ダニエルの七十週」は天界の至聖所に油を注ぐというのである。
この二つの預言は、地上とその対型となる天界のふたつの祭祀を可能ならしめるものなのである。

この観点から見るなら、「エレミヤの七十年」が「ユダヤ人のバビロンからの解放を画する時期」を表していたとすることは、まことに近視眼的な蒙昧でしかない。⇒ 「エレミヤの七十年の終点から起点を探る」



◆天界の至聖所

ある人々は、エゼキエルの幻に示された神殿が「第三神殿」であるかのように考えるかもしれない。
エゼキエルの神殿が何であるのかは、筆者には分からないが、それは律法体制によって運営されるような構造を持っていること、また、外周の壁を含めると巨大であるためにモリヤ山にもシオン山にも載らないことがよく知られている。

実際にゼルバベルによって再建された第二神殿は、ソロモンによる最初のものを知っている年寄りたちが涙するほどに規模が小さかったという。またハガイもそれを『無に等しい』とまで言っているのであるから、前572年にエゼキエルに示された神殿は、その啓示の下った56年後の前516年に再建された神殿を指してはいなかったというべきである。(エゼキエル40:1)

だが、それでもハガイは『この家の後の栄光は、先のものの栄光よりも勝るものとなる』というのである。(ハガイ2:9)
この言葉はメシアの近付く時代に、ヘロデ大王による改築によって成し遂げられたかというと、その考えを阻むのが更に勝ったエゼキエルの巨大神殿の幻となるのである。つまり、基礎工事から行い谷を埋め立て、巨大な岩石を積み上げた土留め壁を設けて丘を広げ、無数のアーチを設けて岩盤から50メートルの高さに境内を倍ほどに広げたというヘロデの大工事をもってしても、エゼキエルに示されたものにはなお及ばないのである。

そのうえ、エゼキエルの神殿の成し遂げる成果のひとつを表すであろう『水の流れ』は、水量を増して死海に流れ込み、そこを生ける海に変えているのであるから、これは律法制度によっては成し遂げられることの無かった、死にゆく人々への救済の意図が込められている。(ゼカリヤ書では、さらに大海にまで注ぎ込まれる)

そこで、イスラエルの神がエゼキエルに示した幻の神殿は、律法制度の祭祀的構造を持ちながらも、同時に律法祭祀の神殿よりも壮大な何かを教えるものということはできるであろう。

したがって、ハガイが言う第二神殿の勝った栄光とは、壮麗なヘロデ神殿のことをさえ預言していたわけではないと捉えるべきことになろう。エゼキエルの巨大神殿の幻がその捉え方を阻止するのである。
では、ソロモンの建立したものに勝る「神殿」とは何を指しているのであろうか?

そこで、キリスト教徒であれば、キリストを隅石となし、その上に『聖なる者ら』が『石』となって組み上げられ建てられるという『神殿』に思いを致すことができる。

使徒ペテロはこの神殿についてこう述べる。
『主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
あなたがたも、この主の御許に来てそれぞれが生ける石となり、霊の家に築き上げられて、イエス・キリストにより聖なる祭司となって、神の悦ばれる霊の犠牲を捧げよ。』(ペテロ第二2:4-5)

パウロはこう記している。
『あなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅の頭石である。
 このキリストによって建物全体は組み合わされ、主の聖なる家に成長し、そしてあなたがたも共に建てられて、霊を介して神の住まう処となるのである。』(エフェソス2:20-)

即ち、聖霊によって『新しい契約』に預かる者となった『聖なる者ら』は、キリスト・イエスを基礎の石とし、さらに使徒らや聖霊によるエクレシア内の預言者らの上に組み上げられる石となるというのであり、キリストが天にその犠牲を携え入れた以上、神殿の全体が天で造り上げることになると言うべきである。(ヘブライ9:11.24)

ダニエルに知らされたこの語『聖の聖なる』(ハコーデシュ ハコダーシム)は、「至聖所」とも「極めて聖なる者」とも、つまり場所とも人とも解釈できるとのことであるが、人が『生ける石となって・・(神の)家として築かれてゆく』という新約聖書の伝える概念からすれば、どちらであっても然して不都合にならない。(ペテロ第一2:4-6)

そしてダニエルに示された『七十週』は、そこに『油を注ぐ』、即ち、その新たな崇拝の場が機能を始める目的を持つことを教えている。

そのためには、神殿が築かれなくてはならず、当然、それを構成する石が存在し、且つ揃っている必要があるが、この『生ける石』となるのが誰であるかについては使徒ペテロは『それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ』る彼らを『あなたがた』と呼んだうえで、その書簡の受取人について次の様に明言しているのである。(ペテロ第一2:4-5)

『父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ』(ペテロ第一1:2)

これは、聖霊を受け選ばれた者たち、即ち『聖徒ら』に違いなく、パウロが血統上のイスラエル民族と対比して『神のイスラエル』と述べた人々であり、もちろん今日の「クリスチャン」方を意味しない。

また、この神殿があのペンテコステを以って建立されたと見ることにも無理がある。
もちろん、その段階では聖徒は集め始められたばかりで数が足りないだけでなく、石は試みを経てはいないのであり、まして『神の王国』という全人類救済の神殿祭祀の開始はまるで将来のことである。  

したがって、ダニエルに示された『七十週』は、キリストと共なる聖なる者らとが天に於いて『神の家』即ち神殿を築き上げ、それがいよいよ油注ぎを受けて機能を始めるという、聖書全巻を貫通する壮大な神の意図の実現を描き出していると云えるのである。それは第二神殿の建立をもたらしたエレミヤの七十年を踏襲しつつ、天界の神殿の建立という、より遠大な御旨の成就を目指すものといえる。




◆『咎を止めさせ・・永遠の義をもたらし』

さて、神殿の生ける石となる『聖なる者ら』については、使徒パウロがローマ人に宛てた手紙の第八章で強調するように、『聖なる者』となることは『神の子』となり、聖なる神に対して『アッバ』(父よ!)と親密に話しかけることが許される。
 
なぜならば、彼らはキリストを仲立ちに『新しい契約』に預かったので、キリストの犠牲の早い適用を受け、アダム由来の『罪』を許された状態に入ったからである。

そのため、エレミヤは彼らが神と新たな契約を結ぶときに、彼らが神YHWHを知るようになり、その咎について神は『思い出さない』と言われる。(エレミヤ31:34)

パウロはこう記している。
『今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにある命の御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。』(8:1-2)

そして、彼らに注がれた聖霊とその賜物が彼らが『罪』から放免されたことの証しであることをパウロは重ねて述べており『この聖霊は、わたしたちが神の国を継ぐことの保証であって、やがて神につける者が全く贖われ、神の栄光を褒め称えるに至るためである。』とエフェソス人の手紙にも書いている。

しかもこうも言うのである。『わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストに在って予め定められ、神の民として選ばれたのである。』(1:13.11)

そこで、天界の神殿の石となる人々が『聖である』ということは、大祭司キリストの犠牲の早い適用を受け、これら『聖なる者ら』は『祭司』として民に先立って贖罪される必要があったのであり、それは律法の『贖罪の日』の儀式に予表されていたばかりか、『初穂』と呼ばれることにおいても示されていたのである。(ヤコブ1:18)

『聖なる者ら』は人類からの最初に罪を赦された者として『初穂』であり、それゆえにも聖なる神を『父』と憚り無く呼ぶことができたのである。

もちろん、全人類もキリストの全面的な犠牲の適用を受けて神を父とする日が将来に訪れることになるが、それは大祭司キリストとこれら下位の祭司団となる人々の全体が機能して初めて可能となるのであり、その全世界の贖罪を成し遂げるのが『神の王国』なのである。それこそが天界の神殿の存在意義である。

したがって、『聖なる者ら』の受ける『義』はキリストの犠牲に基づくゆえに完全と成り得るものである。
そして、彼らは『神のイスラエル』であるから、血統上のイスラエルが律法に対して犯した諸々に罪と呪いから解かれたので、彼らは『救われた』のである。

それであるから、ナザレのイエスをメシアとして受け入れる信仰を示して水のバプテスマを受けた彼らは、次いで聖霊のバプテスマを施され、こうして『水と霊から』『神の子』として『新たに生まれた』状態に入り、アブラハムの子孫、エデンで語られた『女の裔』として史上初めて存在するようになったのである。

ここでダニエルに示された『咎を止めさせ・・永遠の義をもたらし』とは、メシアへの信仰によって律法契約に対する不履行の呪いを解かれ、神を父とするほどの『義』を得た『聖なる者ら』を描写するに相応しい言葉であることを、新約聖書はよくよく証しを立てていると言える。

だが、彼らはその時点で完全に『罪』から浄められていたのではない。もし、そうなら彼らは死なずに天に挙げられる日まで今日も生き続けていたであろう。律法の呪いから解かれたとはいえ、やはり、彼らも肉体にアダムの血を罪を持って、死に至る必要があることには他の人々と変わらない。(ローマ7:21)

先のエフェソス人への書簡の中に在ったように『やがて神につける者が全く贖われ、神の栄光を褒め称えるに至る』時が後から到来するのであり、彼らの『義』は、『新しい契約』による仮のものであり、彼らが真実の義を拝受するのは、死を経て契約を全うした後のことである。 そうして彼らは主の御許に集められるのであるから、確かに『キリストへの死のバプテスマ』を受ける必要が彼らにはある。 (ヘブライ3:6/ローマ6:3-4)

従って、『咎を止めさせ・・永遠の義をもたらし』とは、真実のイスラエルである『聖なる者ら』の受ける最終的な清い状態を指しており、これは彼らの試みが終了して天界に揃うときに完成されると言える。それが、同じ文脈でダニエルに告げられたように『聖の聖なるところに油注がれる』という最終段階を意味するのである。

最終的には、『聖なる者ら』の試みが『小さな角』また『腕』によって終了するときに、その咎は聖徒攻撃を使嗾するバビロンに移されることになることをゼカリヤ書が示唆している。(ダニエル7:25・8:24/ゼカリヤ5:6-11)

それは『大いなるバビロン』が『聖なる者らの血に酔いしれた』ことの酬いであり、終末に在って、聖徒を地上から殲滅させることを使嗾した咎により、『聖なる者ら』は『選択人の灰汁によるかのように白くされ』、一方で、迫害を唆した旧来の宗教界には、重罪が臨む。(黙示17:6/マラキ3:1-4)




◆メシアの到来の時期への啓示

それにしても、メシアの到来がこの『七十週』の目的の最重要な部分である。
まずメシアが地上に到来しなければ、天界の神殿の石である『聖なる者ら』が集まらず、揃わず、イスラエルから咎を終わらせたり、永遠の義をもたらしたりすることのいずれもが不可能となる。

ガブリエルは次のように言葉を続け、メシアの到来についてダニエルにこう語る。

『これを知って、理解せよ。
エルサレムを修復し建てよ、との勅令が下ってからメシアなる王子まで七週、六十二週がある。
困難な時期の内に、街路と城壁とが再建される。』

『七十週』全体の成し遂げる意義が示されて後、その要となるメシアの到来の時期が示される。
その起点となるのが、『エルサレムを修復し、建てよ、との勅令』であるという。

この勅令に関する証言者となるのがネヘミヤである。その名には慰め(ナハムー)が込められており、エルサレムの回復に関して彼の働きには、その名の通りにシオンにヤハの慰めを与えるものであったということができよう。(イザヤ40:1)

ネヘミヤはスーサでペルシア王アルタクセルクセスⅠ世に極めて信頼され、直近で献酌侍従として仕えていた。その役割は単に王の飲物の毒見をして差し出すばかりでなく、王の会話の相手であり、王の信任だけでなく寵愛も受ける立場である。

彼は「アルタクセルクセスの第二十年」と呼ばれる年にエルサレムを再建させるために自分を遣わすように願い出て、その勅令を受けたと記している。(ネヘミヤ2:1-8)

ダニエルに示された『七十週』の起点はここに当たると見てよいであろう。そうして聖書を眺めると、アブラハム契約から律法契約へ、そしてメシアによる『新しい契約』へと神の経綸の流れを追って展開されてゆくのが俯瞰できる。そうしてエデンで語られた『女の裔』に関わる預言の全体像がいよいよ成就に向かってその姿を現してくるのである。

ガブリエルの伝えるところでは、七週と六十二週とが分けられているのだが、はじめの七週、つまり49年で『困難な時期の内に、街路と城壁とが再建される。』との言葉が成就したという説明を見ることもあるが、ネヘミヤはユダ総督として初めに12年勤めてから一旦帰国しているが、その以前にエルサレムの城壁は補修を完了しているので、その『七週』を分けた理由ははっきりとはしていない。

だが、メシアの到来までが合計で69週、即ち483年の期間になることは分かるので、アルタクセルクセス王の第二十年から483年後にメシアの到来を見ると予告されたことに変わりはないのであろう。

そこで考古学の指す年代は前445年とされるのだが、ネヘミヤの述べる『アルタクセルクセス王の第二十年』というのは、その父王クセルクセスのように、その先代との共同統治期間を含めるのか否かにいまだはっきりとしないらしい。

だが、その69週の終点については新約聖書が証言してこう記している。
『 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティウス・ピラトゥスがユダヤ総督、ヘロデ(アンティパスⅠ)がガリラヤの四分封領主、その兄弟フィリッポスがイツリアとテラコニト地方の四分封領主、リュサニアスがアビレネの四分封領主であり、アンナスとカヤファとが(交代で)大祭司のときに、神の言葉が荒野のゼカリヤの子ヨハネに臨んだ』(ルカ3:1-2)

ここで語られるローマ皇帝ティベリウスの治世の第十五年とは、先代皇帝アウグストゥスが崩御し、ティベリウスが帝位に就いた西暦十四年秋から、数えて15年目の西暦二十八年秋から翌二十九年の秋までを指すのであれば、メシアであるエシュア(イエス)が生まれたのがユダヤ暦ティシュリの月*であることからすると、三十歳を迎えたメシアが、レヴィ族に属するゼカリヤの子エホハナン(ヨハネ)から水のバプテスマを受け、聖霊によって油注ぎを受け、より偉大な神殿の大祭司となるべく任命されたのはバプテストの活動の開始の半年後の時期であったろう。*(ゼカリヤの属するアビヤの祭司組の第8奉仕順からそのように言われている)

神の御傍に侍する天使ガブリエルは、福音書内でバプテストとメシアの双方の誕生を告知するためにゼカリヤとマリアのそれぞれ遣わされてもいるが、その『七十週』の成就のきっかけに関わる「時」に、この天使の深い関わりを感じさせる。

このダニエルの『七十週』の起点と終点が何時になるかという件については、エレミヤの『七十年』のように年代が主要な要素にはならないであろう。
なぜなら、この『七十週』には、メシアの到来が正確に何時かということよりもよほど重要な事柄があり、それがメシアの到来時期よりもその働きの方だからである。

聖書を探る人々にとって、この『七十週』の時については、『アルタクセルクセス王の第二十年』がオリエント学によってそれが何時かをより明確にされるのを待つ必要があるように思われる。というのも、前445年を起点にする場合、その終点は後39年となり、ルカの証言や史料の整合性の明かすところから十年ずれるのである。

しかし、アルタクセルクセス王の治世の始まりが当時の慣例に倣い、先代のクセルクセス王との共同統治も含むのであれば、そのずれの解消される余地は残っていることにはなる。

ではあるが、たとえそうであっても、メシアの現れの時期が何時かよりも重要なその働きの意義については、新約聖書を通じて知り得るところである。

もし、年代の正確性にばかりに拘っていれば、より重要な事柄を前にしても、それには関心は無いと言っていることにもなり兼ねない。そこでガブリエルもメシアの成し遂げる内容について語るのだが、ここに於いてこの『七十週』の重さはエレミヤの『七十年』を遥かに超えるものがある。




◆メシアの締結する契約

さて、ガブリエルの言葉はメシアの到来後の事柄に進むが、それはメシアの役割を含む重要な内容である。
この天使はこのように言葉を続ける。
 
『その六十二週の後でメシアは断たれる。しかし、それは彼自身のためではない。』

この後半の『彼自身のためではない』との本文[ לֹ֑ו וְהָעִ֨יר]については『彼自身には何もない』とも訳される。
つまり、メシアが断たれるときに、「彼は何ら得るべきものを持たない」のか、或いは「彼自身の理由で断たれたのではない」という意味かほどに違いが出るが、このヘブライ語がどちらともとれるので、ここを判断するのは訳者の持つ解釈に左右される。

だが、新約聖書を探ると、キリストは財産こそ得なかったが、『父』から地上で与えられたものを得ているのである。
それについてはキリスト自身がこう言われる、『わたしの父がわたしに下さったものは、すべてのものより偉大であり、誰も父の手から奪うことはできない。』(ヨハネ10:29)
キリストが得たものとは、この文脈が『わたしの羊』であることを明かしている。(10:27)

イエスはこれらの羊について別のところではこう言われる。
『おおよそ女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な人物は起らなかった。しかし、天の王国においては、その最も小さい者であっても彼よりは偉大だ』。(マタイ11:11)

ここでメシアは、その公生涯の間に付き従い、あのペンテコステにおいて油注ぎを受けた追随者のことを語っている。即ち、御父の業に信仰を持った人々、『聖なる者ら』を得たと言える。確かに、天でキリストと共になる『聖なる者ら』は全地を治め、人類の贖罪を為すのであるから、どんな人間にも勝る存在となると言える。
したがって、ガブリエルの言葉の当該の部分をどう捉えるかは、この理解を背景とするか否かで変わってくるであろう。
 
即ち、メシアに全地を治める大王の威光も無かったという意味で、その最期の姿の痛ましさを読むこともできるのかも知れないが、ここで、メシアがこれ以上ない偉大なものを得ていたとするなら、『断たれる』のも『彼自身のためではない』つまり、選ばれた弟子らの贖いのためという意味に読むことができるであろう。即ち、彼に罪はない。
そして、この読み方が、以下に見るようにガブリエルの語ったもうひとつの言葉と深く関連を持つことになる。

それが契約を扱うメシアという概念であり、ガブリエルはこう語っている。
 
『彼は一週の間、大いなる者たちとの契約を実効あるものとして結び(保持し)、その週の半ばで犠牲と供え物とを廃させる。』(ダニエル9:27)

この句の中にも意味をどう捉えるかによって違いの出る部分がある。
それが上記の『大いなる者たち』という言葉[לָרַבִּ֖ים]であるが、これは『多くの者ら』ともとれる。
だがこの点で、上記のように他ならぬキリストが、自らの追随者らを地上の何者にも勝って『偉大』と語られたことを念頭に置くなら、『契約』を『大いなる者ら』と結びつけて読むことに妥当性が生じることになる。

メシアは69週の後に現れ、その後に断たれるにしても、偉大な資産を得ていた。つまり、『偉大な者ら』と契約を結ぶことができたのであり、それこそはエレミヤの語っていた『新しい契約』であったと云うことができる。即ち、文字の律法を超えた霊の民である。(エレミヤ31:33/コリント第二3:6)

この契約は、キリストが『去ってゆくことで到来する』という『約束の聖霊』が実際に降ることを通し、あのペンテコステの日には発効し始めたことが後に示された。

それはそのシャブオートの祭りの日に、小麦の初物で酵母を入れて作られたふたつのパンの捧げ物に象徴された、アダムの罪という『酵母』を残しながらも、それを『新しい契約』により、キリストの犠牲の最初の適用によって仮に赦された状態に入った『聖なる者』、そのユダヤ人と諸国民のそれぞれの出自の人々を表していたであろう。(エフェソス2:15) あるいは、キリストに対してその『兄弟ら』となる人々が複数であることを指しているのかも知れない。(ヘブライ2:11)

そしてガブリエルの言葉では、メシアがこの契約を「大いなる者たちと契約を(保持・管理し)結ぶ」ための期間を『一週の間』としている。即ち、69週の後にメシアが現れ、彼は最後の「第七十週目」という最終の七年間に、その契約を偉大な者らと結ぶということになる。

メシアは初臨においても、まさしく旧約最後のマラキが預言したように、『契約の使者』となったと言えるのであるがそれだけではない。(マラキ3:1)




◆メシア後のユダヤの荒廃

更にガブリエルは、メシア後に起こることも含めてこのように告げていた。
 
『そのうちに、来るべき君主の民が街と聖所を破壊する。その終わりは洪水のように臨む。最後まで戦争が続き荒廃が定め置かれている。』

これは、他ならぬメシア自身が公生涯の間に重ねて預言していることであり、それはメシアを退けたユダヤ体制の行いへの明らかな酬いであった。
 
『もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら………しかし、それは今おまえの目に隠されている。いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神の査察の時を知らないでいたためである』(ルカ19:42-44)

『こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラクヤの子ゼカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう』(マタイ23:35)

そして実際、この成就をキリストを処刑させて退けたその世代の過ぎ去る前に、40年も経ずしてユダヤは迎えることとなった。ティトゥス率いるローマとその同盟軍六万のユダヤ攻略を受け、西暦七十年にエルサレム神殿も跡形なく破壊されるに至る。ガリラヤからユダヤまで諸都市が攻略されて無数の命が失われたが、そのような圧倒的な軍事的侵略を聖書は何度か『洪水』と形容している。

例えれば、イザヤは分立していた北のイスラエル王国がアッシリアの大軍に攻められて滅亡してしまう予告の中で『洪水』と形容し、その押し流す力の膨大さを表現しているが、メシア後のエルサレムの攻囲ではその破壊の徹底は『石の上に石を残さない』ほどのもので、倒壊を免れた建築物は意図的に残された三つの塔だけであったとヨセフスは言う。

それはあたかも文明までが押し流されて、故地から行方不明になってしまったかのような完膚無き滅びが描写されている。猛烈な飢餓と疫病が蔓延し、多数の捕虜は奴隷やガレー船、剣闘士や鉱山掘りの需要に当てられた。

その後も、ユダヤの愛国心の高まりを迎えることがあり、特にシモン・ベン・コスィバが自らメシアと称し、それをラビ・アキバが承認してメシアを意味する「バル・コホバ」(星の子)の名を与えたものであるから、勢いに乗ったユダヤ教徒はこのバル・コホバを頭目に担ぎ出し、ハドリアヌス帝期に更なる反抗を重ねて、ついにユダヤ人のエルサレム方面への入域さえ許されない事態となってゆく。

もちろん、ラビの認定したバル・コホバも偽メシアに過ぎなかったのであり、ユダヤは自ら更なる苦境を招き、いよいよ四散して本国を持たない流浪の民となっていったのであった。

そこでメシア後にも、『最後まで戦争が続き荒廃が定め置かれている』と天使ガブリエルの告げたように確かに事態は推移したと言える。
 
父ウェスパシアヌスから軍を委ねられたティトゥスは、当初からエルサレムも神殿も存続させるつもりであったものを、ユダヤの野盗らと熱心党が徒党を組んで聖所を拠点にローマに抗い、死ぬまで抵抗しようとして遂に神殿も街をも完膚無きまでの破壊される事態を招いてしまった。そのうえ後のバル・コホバの乱を経て、遂にユダヤという体制が『約束の地から吐き出され』、その文化までもが根こそぎ洗い流されてしまったかの観がある。(レヴィ18:25)

実際、ユダヤは流浪の民となって以来二千年を経てなお、エレミヤの七十年が意味するような『回復』は遂げられてはいない。

そこでは、待ちわびたはずのメシアを見分けず、神の聖霊の業を否定し、神の子を退けて極悪人の処刑法で除き去った不信仰なアブラハムの血統上の子孫に、もはや神の恩寵は無かったというべきであろう。




◆終わっていない第七十番目の週

しかし、ダニエルに語られた言葉はなお成就を待っている部分が残されている。
それが、ガブリエルの言葉の核心とも言えるメシアの働きについて述べる部分である。

メシアが現れて後、大いなる者らと契約を堅く結んだというところで、並んで述べられていることがある。

『彼は一週の間、大いなる者たちとの契約を大いなる者たちと契約を結び(保持・管理し)、その週の半ばで犠牲と供え物とを廃させる。』(ダニエル9:27)

この『その週の半ばで犠牲と供え物とを廃させる』とは、メシアが三年半の公生涯の終りに際して、それまでのモーセで求められた動物の犠牲に勝る自らの血による完全な犠牲を捧げたことで、律法祭祀の意義が終わったことを言い表しているとみてよいであろう。
それが第七十週目の三年半の後、つまりメシアの公生涯の終りであり、その『週の半ば』であったことにもなる。

そこでメシアは地上を去り、契約を結ぶ人々の範囲はディアスポラのユダヤ人、サマリア人、そして諸国民へとメシアの死後も拡げられてゆく。
しかし、それらの人々への契約の拡大は、主の業を委ねられた初代の弟子らによるものであったから、メシアが去って行ったことに変わりはない。

では、メシアが現れて後の第七十週という最後の七年は、メシアが去って後も継続し、イエスの刑死の後の三年半後に『七十週』の全体も終わりを迎えたと言えるのだろうか。

思い返せば、エレミヤの七十年が新たな聖所がもたらされるまでの空白期間であったように、ガブリエルも『聖の聖なる処に油を灌ぐ』期間についての預言であることを明言している。
そうであれば、ダニエルの七十週の終りには、新たな神殿が建立されるべき理由があるではないか。 

この点で、新約聖書が『七十週』の全体の目的であるところの至聖所の再建と準備の完了というような事も、『永遠の義をもたらし、幻と預言を確定』するような事態の発生も、キリスト帰天の三年半後にあったとは言い難い。

使徒ペテロが最晩年でも述べていたように、聖なる者らが天でキリストと共に神の家を構成するという定めの時には当時も至っていなかったのである。

パウロは象徴的な意味において、確かに地上に居る状態での聖なる者が『神の神殿である』とは言っている。だが、それは聖霊を宿す者としての自分たちの身体について述べているのであって、天界でキリストと共になることにおいて『神殿となる』ことを言うのではない。(コリント第一3:16-17)

それであるから、地上での身の上に汚れを招かないように勧告しているのである。(コリント第一6:19-20/コリント第二6:16-7:1)

むしろ、パウロは聖なる者が肉体を離れることを通してキリストと共になることを述べている。(フィリピ1:23)
また、聖なる者らは最後まで忠実を保って『神の家』となるとも書いている。(ヘブライ3:6)

それであるから、聖なる者らが神殿を構成し、天界にキリストを礎石として神殿が建てられるのはなお将来のことであることが分かり、『聖の聖なる処に油が注がれる』という輝かしい事柄の成し遂げられるについては、キリストの死後三年半を経過したところに何かを見出すことは出来ないであろう。

依然として聖なる者、真のイスラエルを集める業は始まったばかりであり、当時の複数の資料が知らせるように、聖徒らは第二世紀中葉まで聖霊の賜物を有して地上に存在し続けていたのである。

そこでこの『七十週』の最後の第七十週目の残りの一半に当たる三年半を、一続きの時間と見做すことから離れて見ると、それを知らせる部分を新約聖書中に見出すことになる。
即ち、ヨハネ黙示録の中の『42ヶ月』または『1260日』であり、これは一か月を陰暦30日として三年半に相当するのである。

そして、共観福音書は揃って、終末に於いて聖霊の言葉を語ることになる人々を為政者らとの対比、またこの世への宣明者として描いているのである。
もちろん、聖霊によって語る彼らは『聖なる者』であるに違いなく、キリストもそれが自らの臨在の期間に起こることを予告しているのである。(マタイ10:17-20/マルコ13:9-11/ルカ21:12-15)

そうなると第二世紀に一度は途絶えた『聖なる者』が、再び終末の主の臨在に於いて現れなくてはならない。しかも、彼らが『新しい契約』に預かる必要があることは明白ではないか。

そこで、ガブリエルの言葉のその部分をもう一度見ると『彼は一週の間、大いなる者たちと契約を結び(保持・管理し)、その週の半ばで犠牲と供え物とを廃させる。』となっている。
 また、メシアは地上の公生涯の終りに聖徒らと契約を締結し、それによってモーセによる律法の犠牲の意義を終わらせた。『新しい契約』が発効した以上、律法契約は終わらねばならない。そして、『聖なる者ら』とは新たな神殿を構成する『生ける石』でもある。

もし、『聖なる者ら』の残りが終末にも存在するのであれば、『大いなる者たちとの契約を堅く締結』する『一週の間』の一半は、終末にも存在しなければならないことになるではないか。そしてキリストが終末にパルーシアを為すのであれば、当然、それまでの期間はアプーシアであることになる。

更に、第七十週が二分割される理由のひとつには、終末が裁きの時であることが考えられる。
それゆえ、キリストと使徒らの最後の会話の中で、今このときにイスラエルを再興されるかと問われた主は『神が自らの管理される時について知ることは、あなたがたの預かるところではない』と切り捨てていることも関連しているのであろう。

即ち、終末こそが世界の裁きの時となるゆえに、それがいつであるのかは秘され、人々はそれぞれの性向のままに検分されるのであろう。それは『聖徒』であっても変わらない。そうであれば、神の時を探ることは何と虚しいことになろうか。ダニエルに知らされたこの『七十週』が一続きの時間でないとすれば、年代計算もまったく無意味である。

なぜなら、裁く事と警告を与える事とは正反対だからである。
この点ではキリストが現れた当時も、ユダヤ体制が『査察されている時を弁えなかった』とされていたことが類推される。終末も同様にならないものか。
また、七十週は全体が確かに490年ではあっても、天の至聖所を準備するというその役割を果たすのは『神の王国』の設立の時期と不可分の関係にあるに違いないのである。 

したがって、メシアは定まっていない将来にいつかに臨御するとされることは、地上への初臨となった公生涯に劣らないほどの、いや、それ以上の意義ある臨在(パルーシア)を意味することになろう。パウロは、肉を超える姿で再度来られるキリストを述べている。(ヘブライ9:28)

即ち、終末のキリストの臨在とは、単に人類世界に注意を向けるということに留まらず、ガブリエルの言葉の通りに『一週の間、大いなる者たちとの契約を堅く締結』するということに於いて、まさしく人類社会との重要な接点を再び持つことになり、それこそが残りの三年半『臨在』することの意義となる。

第七十週の二分割は、まさしく時の不明性のために他ならず、裁きを受ける人類の側からは、それがいつ始まるのかを知ることはまったく隠されるという恐るべき秘儀であろう。
 
その最後の半週は、『大いなる者たちとの契約を締結』することに於いて最終段階であり、神殿の石が集められ吟味され、揃えられる段階でもあり、天界にそのすべてが集められ神殿が建立される直前の時期ともなろう。

これらの過程を通して『聖の聖なる処に油を灌ぐものとなる』との言葉を解することに何か不都合があるだろうか?
黙示録では、第七のラッパの吹奏のときに、『神の奥義は終了する』という。

つまり、エデンで示された『女の裔』の全体像がそこに現れ、全人類の祝福に関わるアブラハムの子孫、聖なる国民、王なる祭司の国民、神のイスラエルの完成を見る事になり、そこで様々に隠されて来た奥義も終了することで『幻と預言を確定し』王国に関わる神の意図が成就を見ることになるのであろう。

第七十週の後半だけが未到来であるという、この解釈の場合、メシアの再臨に重い意味が加わることになる。
そこでは、使徒らがイエスに『あなたの臨在に際して、また世の終りについて』の印に何があるかを尋ねたことにも関連を有することになる。
その時は、メシアの『雲と共に来る』即ち、不可視の臨在と共に、『新しい契約』も関係することになり、『契約を堅く締結する』ことは、終末に残された三年半にも続行されることを意味することになり得るのである。

メシアの二度目の現れが何時かについては、ダニエルに示されたようには具体的に教えられず、使徒らも『父の権限に関わる時については、あなたがたの預かるところではない』と言われているので、残りの半週が何時到来するのかについては、使徒らでさえ秘儀になっていた。もちろん、我々が知れるわけもない。 

さて、エレミヤ七十年の七倍の規模をもつダニエルの七十週であるが、こうして最後の一週の半ばを終末に存在するものと理解することによって、その意義は今日の我々、そして将来へと関わるものとなり、それは旧約時代ばかりか、メシアの直弟子らの時代をも超えて、我々の未来にまで続く巨大な構造を神の経綸が持つことを知らせるのであり、その先にあるものは更なる啓示であるヨハネ黙示録の中に描き出されているのである。 

 エレミヤの『七十年』が導き出した神殿でのモーセの崇拝の回復という「ナハムー」に対して、ダニエルの『七十週』がもたらす「ナハムー」は七倍も偉大であるというべきであろうか。それこそは契約の再開によって「キリスト教の回復」が生じるという以外に何と言うべきか。
 



◆聖なる者からの脱落者の末路

『それから、荒廃させる者が憎むべきものの翼に現れる。そして遂に定まった終わりがその荒廃に横たわる者の上にも注ぎ出されることになる』
 
このガブリエルの最後の言葉が指し示すものは、先のユダヤのメシア拒絶の後果としてユダヤの体制が『洪水』によって押し流されたような、天界の神殿の建立において出てくることになる芥のようなものである。

即ち、西暦七十年で旧体制の地上神殿の破壊を呼び込んだならず者らと熱心党の野合のような存在が終末にも現れるのであろう。
『聖なる者』のすべてが『新しい契約』を全うするというわけではなく、契約という以上、履行が期待されるが不確定なものである。それが証拠に使徒のペテロもパウロもヨハネも、信仰を確固として保ち、聖なる者に相応しい清い行状の内に、迫害に面して忠節を尽くすことを力説するのである。(ペテロ第二3:11/テモテ第一6:11/ヨハネ第一3:23)

この点では、メシア自身が重い教訓として、こう言われていたのである。
『狭い戸口からはいるように努めなさい。実際、入ろうとしても、入れない者が多いのだ』(ルカ13:24)

それゆえ、契約からの脱落者が無いとは言えないのである。
むしろ、メシアの語った例えの多くは、集められていながら、除外されることの危険を教えるものとなっており、そのような例えには、引き網、相応しくない衣装で婚宴に出た者、ミナとタラント、などがある。

終末に聖なる者の全体が天のメシアの許に集められ『神の王国』が完成するときに、その裁きは明らかになることを教えるのが、終末預言の中の『ひとりは連れて行かれ、ひとりは残される』という訓話と言える。
『残される』とは、『聖霊』を受け、天への召しに預かるはずであった『聖なる者』にとって最悪の事態であり、魂の破滅の絶望を意味するのである。

しかし、どうやら、この「脱落聖徒」はそこで破れかぶれの行動に出るようだ。
ここからは、ヨハネ黙示録や新約聖書の領域に入るので、簡略に書き出すなら。

脱落聖徒らは、地上に残された自分たちは依然として神から任じられた者であると主張し続けるが、それを喜び助長する霊的存在者がいる。
それこそはサタンであり、彼らが失った霊の賜物が依然として彼らに有るかのように不思議を行わせる。
彼らは、世界を惑わし、聖徒に信仰を持った人々を一斉に攻撃させようと『ハルマゲドン』の戦いに駆り立てる。

彼らの中の特に尊大な者は、自らを神と称し、神の座に就く。これは究極の偶像であり『憎むべきもの』と言えよう。
だが、その神殿は偽りの座であり、彼らは世界を神との対立に引き込んでしまうことで、『荒廃させる者』となる。

それは、メシアの死後、エルサレムに起こった事柄の再現であり、熱心党とならず者らの集団が、勝ち目も無いのを知りながら不信仰なユダヤの体制に徹底的な破滅を招いた事態を、世界の規模で繰り返すことになるのであろう。

その『翼の先端』とは*、彼らの急速に進むべき末路を表しているように読め、更に『そして遂に定まった終わりがその荒廃に横たわる者の上にも注ぎ出されることになる』とのガブリエルの言葉も、不信仰な世界を籠絡する「脱落聖徒」諸共の滅びと消滅を語ると解釈することが妥当であるなら、終末というものは、何と壮絶なものとなることであろう。*(或いは、契約の箱の宥めの覆いの上のケルヴィムの翼を含意しているのかも知れない)

だが、神は『火の城壁となってシオンを守る』と言われるのである。(ゼカリヤ2:5)
『シオン』とは、神殿を頂く山を含意し、聖徒らによる聖霊の声に信仰を働かせるであろう、人類一半の人々のことになる。(イザヤ2:2-)




◆『七十週』の意義と目的

こうして全体を眺めると
ダニエルには、この期間が満ちるときに成し遂げられる事柄が何であるかが知らされている。

ここでは、この七十週の始まりと終わりが何時の年代であるかを探る意味は然してない。
69週の終わりをルカが福音書に記し、それが西暦29年であることを知らせているのだが、今日の我々にとってこの七十週の預言について重要な意義は、期間が何時始まり、何時終わるかと云うところにはない。

69週が終わったときにメシアが現れ、三年半後に自らのためでなく他者の罪を負って絶たれたのである。
それからはメシアと退けたユダヤは戦乱の時代を迎え、洪水の如く押し寄せたローマ帝国の軍団が約束の地を蹂躙していることを歴史は明らかにしているのである。

そこで、確かに預言が成就したことを確認できるが、それだけの事であれば、神の預言は信頼がおけると云う事だけが教訓となる。

だが、この七十週において今日の我々に重い意味を持つのは、その最後の七年、即ち「第七十週目」に起こることであり、それはこの七十週の全体が成し遂げる目的なのである。しかも、その第七十週目は未だ終了してはいないといえる理由がこのようにある。

というのも、この七十週を通して『咎を終わらせ、定めない時に至る義を携え、聖の聖なる処に油注ぐ』という事態はメシア後から今に至るまで完全な意味では起こったとは言えないからである。

そこにはガブリエルによって伝えられたこの『70週』が確かに成し遂げる目的があり、それは最終的に天界の神殿の建立に至ることにおいて、エレミヤの七十年を予型、また前表としつつも、より大規模な天界の成就という見事な対型を成しているであろう。

それが意味するところは、天界の至聖所の油注ぎにより、遂に全人類を贖罪する準備が整うことにある。即ち、『聖なる国民、王なる祭司の民』が集められ、いよいよ『神の王国』となって具現するのである。
そのとき、イスラエルの長きに亘る罪科のすべても全く洗い流され、神の選民として、清らかな姿を現すことになるのであろう。それこそが、アブラハムに約された偉大な経綸の実現を荷う裔の到来である。

以上の観点から聖書を見直すと、捕囚に処された民が神への祭祀を復興するというネイヴィームから始まって、エズラやネヘミヤに至る旧約聖書の後半を占める大事業について、神は壮大な対型的企図を有していたことが分かり、それに約束のメシアの到来を記す新約聖書が意義深く関わっている。

それに加えて、ガブリエルの告げるところは、ユダとエルサレムの終りと、この世の終りとを関連付けており、その示すところはヨハネ黙示録に受け継がれるべき内容を含んでいるのであって、それが即ち、この世の終局の有様である。

やはり、ダニエルの七十週には聖書の新旧を貫く巨大な構造が示されており、それは永遠に生ける神YHWHの悠久の足取りを人類史の中に俯瞰させるものと言えるのである。

そして我々の目は、いよいよ大詰めを迎えるヨハネ黙示録へと向かう。
そこには天使ガブリエルをも超える偉大な仲介者からの啓示が存在しているのである。 







  ©2016 林 義平



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 <難易度 ☆☆☆☆ 中> 予備知識⇒「アリヤー・ツィオンの残りの者」/「指名されたメシア キュロス」



その夜、バビロン市は収穫の徹夜祭で乱痴気騒ぎと祝いの酒に酔いしれていた。
それは西暦前539年の秋のことであったという。
 
だがその騒ぎの間にも、メディア・ペルシアとそれに連合する諸国の軍の兵士らは、夜の帳の下りた後、粛々と市を貫流するユーフラテスの川床から夜の闇に紛れて市内に入り込んでくる。全軍を率いるのは、新興ペルシアのキュロスⅡ世であった。

その大河の川幅は2スタディオン(約360m)あり、水深は兵士がもうひとりを肩に担いで立たせても水面に顔を出せないほどであったとクセノフォンが伝えている。
この膨大量の水によっても守られたバビロン城市ではあったが、もし、この水が干上がりでもすれば、城壁で強固に守られた大都の中枢に攻め上るための侵入路ともなり兼ねない。それは難攻不落を誇る城壁のほうはまったく相手にしないというトロイの木馬の戦法に比すべき大逆転の発想である。

連合軍を率いるペルシアのキュロス王はその夜、大河の水を掘削しておいた別の水路に流し込み、それは沼沢地に吸収されていったという。そこでバビロンの流域の水嵩は兵士の腿の低さにまで減っていった。
兵士らは、川に面する開かれた城門から祭りの騒ぎに乗じて侵入し、王宮を目指して進む。だが、市内は祭りの最中にあって何が起こりつつあるのかをまだ知らない。

その夜、バビロニアの共同統治の王ベルシャッツァルは、油断しきって宴会を催していたのだが、宮殿の門の外の騒がしさの理由を何事かと近衛兵に調べさせると、何と開かれた門から敵兵がなだれ込んできた。

紀元前539年秋のティシュリ月16日*のその夜、バビロンはメディア・ペルシアにまさかの攻略を受け、あっけなく征服されるのであった。*(グレゴリオ暦10月5日・日曜の夜)

それから陰暦一か月の後、キュロスは緑の小枝の敷き詰められた道を進んでバビロンに入城を果たし、それまでのバビロニアの習慣として占領した諸国の偶像と共に捕え置かれた民を、神々共々すべて故地に戻す政策を実施し始める。(バビロニア年代誌/H. Crawford)

旧約聖書のダニエル書によれば、このときバビロンの支配者となったのはペルシアのキュロスではなく宗主国メディアのダレイオスであった。
だがこの王は、既に62歳であって、寿命をすぐに迎えたのか、二年後の前537年にはキュロス王の治世の第一年とされている。

ユダの捕囚民にして預言者ダニエルは、かつてネブカドネッツァルへの夢解きによって高い地位にあったのだが、その年には血統の異なるナボニドスの治世になって忘れられていた。しかし、メディア・ペルシアの支配へと情勢の変化するに及び、ダニエルはダレイオス王の下でメディアの祭司であるマゴイ族らを退け、再び重んじらる地位に登るのであった。
そのダニエルもメディア・ペルシアの勝利と征服に変化を悟ったのであろう。その年、イスラエルの民のために悔悟と回復を願って真摯な祈りを捧げるのであった。

また彼は、その同じ年になってから同朋の預言者エレミヤのかつて残した預言書を読み、エルサレムの荒廃の期間が七十年となることを知ったと言っている。

エレミヤはユダの民を糾弾し、こう予告していたのである。
『この地は尽く滅ぼされ、驚愕の荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕えるであろう。
YHWHは言われる、七十年が終わるとわたしはバビロンの王と、その民と、カルデア人の土地を、その罪の故に罰して永遠の荒野とする。』(エレミヤ25:11-12)

だが、諸国の民と共に神々の偶像までをバビロンに捕え置いてきたバビロニア王朝は、ナボニドスとその皇太子ベルシャッツァルの統治により、城門の二重扉の奥に固く捕えて、一向に諸国民もその神々も解放する気配が無かった。
アッシリアやバビロニアでは、占領政策の一環として、被占領民の反乱や独立を妨げるために、居住地を変更させ、彼らの神々の偶像を囚われにして自分たちの元に置いていた。
これが解放されるには、コーカソイドの帝国、ペルシアの勃興を待たねばならなかったのである。

キュロスの連合軍がバビロン市を攻囲してもなお、この巨大城市には20年もの間は糧食に困らないと言われており、聳え立つ二重の城壁の上の通路は四頭立ての馬車が方向転換できるほどに広いと言われる分厚い守りに囲まれていた。しかも、市域の長さは20kmも越えていたとさえ言われる巨大さであったから、周囲を一度囲んでみたキュロス軍も蟻の行列のように薄い包囲網となってしまい、それはバビロニア兵の嘲笑するところでしかなかった。

しかし、いまやその鉄壁の守りも無意味なものとされて、ベルシャッツァルはペルシア兵の剣に倒れ、父王ナボニドスも囚われの身となった。
そして、その後キュロスの占領政策は、アッシリアやバビロニアのセム系帝国の施策とは正反対に、諸国の民を抑留地から解放し、それぞれの偶像の神々も在るべき神殿に戻して手厚く崇敬するところにあった。

ユダの神YHWHは偶像の神ではなかったが、エルサレム神殿の金の装飾は剥ぎ取られ、金銀銅で作られた聖なる器具や什器類がバビロンに留め置かれたままとなっていた。律法が規定した聖所での祭祀は中断したままであったが、祭祀に用いるための五千四百に上るほどの器具が保存されていたことは却って幸いな結果を呼ぶことになる。それらを運ぶ『街道』は預言されていたように神により守られ、貴金属の器具類は無事の帰還を果たすことになる。

そして、キュロスの征服によってバビロニアの王朝が過ぎ去ったその年に、ダニエルは自国民が示してきたYHWHへの多くの反抗と咎を言い表して祈り、その赦しを、加えてエルサレムの回復を願い求めたのであった。それは即ちメディア人ダレイオスの第一年のことで、ダニエルが捕囚としてバビロンに捕え移されたエホヤキン王の第三年(前605)から66年、エルサレムの神殿が破壊されてから47年が経過し、彼も齢八十には達していたことであろう。(ダニエル1:1/9:1)



◆エレミヤの七十年

ダニエルが青年期からバビロニアで祭司の長官を務めた時代、依然エルサレムには神殿が健在であったが、その喪失の危機は逼迫していた。その頃、エレミヤやエゼキエルらの預言者たちが、その危険が迫っていることを語り出していたのであるが、もはやその流れは変わらなかった。
その頃、旧約聖書中でも著名な預言者エレミヤは、即ち第一神殿の末期に、ユダ王国のただ中で不実な民の律法契約に対する不履行を生涯をかけて糾弾し続けていた。

このベニヤミン族の土地に属する城市アナトテの祭司エレミヤは、若いときから神YHWHに預言者として召され、その預言書を記したが、エルサレムとユダの荒廃する『七十年』については二か所で語っている。
まず最初は上にも記した第25章であり、そこではユダと近隣の国々が七十年バビロンの王に仕えること、また、七十年の後にバビロンの王と民を罰して、カルデアを永遠の荒野にするという。
もう一か所は、第29章であり、こちらでは『七十年が経るとき、あなたに我が心を向け、あなたへの良い言葉を実行し、あなたはこの地に戻ってくることになる』との神YHWHの言葉を知らせている。(29:10)

エレミヤ亡きあと、これらを読んだであろうバビロンにて老境に達していたダニエルはエルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、エレミヤの文書によって悟ったと記している。(9:2)

預言を総合すると、エレミヤの語った『七十年』の意味は、ユダの民がバビロンの圧制から解かれ、ユダとエルサレムに再び住むようになるときに、その荒廃の期間が終わることを述べていたことにはなる。

だが、エレミヤに語られたその『七十年』の真意はどうやらそれだけのことではなさそうなのである。

というのも、以下に書き出すように、当時のユダヤ人の語るところ記すところはそれぞれではあっても、彼らはある一つの共通認識を有しており、単に約束の地への帰還と定住の始まりによって『七十年』が終わったとは見做していないことを繰り返し示しているのである。

そこで今日の我々も、彼らと共通の認識からエレミヤの『七十年』を読まねば、その意味を悟ることはできないというべきことになる。

では、それら往時の記述を追って彼らが理解した『七十年』の意味を探ってみよう。


まず、ダニエルが深い悔恨を言い表し、神に謙って民の赦しと回復を願ってから二年後のキュロスの第一年に、イスラエルの民への帰還が許されたわけだが、その勅令の趣旨はイスラエルの帰還そのものではなく、ユダの神の崇拝の復興であった。

その年の内にユダの民の有志たちと随行する者ら五万人ほどが、第七の月の一日(ヨム テルア)にはエルサレムに到着し、スッコートの祭りを行っているし、仮のものながら早速に祭壇を組んで、焼燔の犠牲を再開したのではあるが、以下に見るように、それらを以って彼らはキュロス王の勅令を行ったとは見做していないのである。

そればかりか、翌年に神殿の基礎は据えたものの、その後は周辺の諸民族からの神殿再建の妨害に遭い、来る年々、建てる業は行われなくなってゆく。
しかし、キュロスの子カンビュセス二世王がシリアで崩御し、祭司系のマゴス族で王位簒奪者であったというガウマタ*を倒して、ひとりのサトラップの息子であったダレイオスが即位すると、この新王は大王キュロスの方針を採り、諸民族の崇拝再興を促進させてゆく。
*(実際には、正統な王位継承者のスメルディスであった可能性があるとも)



◆エズラの記録

エレミヤの『七十年』については、ダニエルより更に後の世代、それが成し遂げられた時代の証人として、聖典警護のソフェリームの中でも最も著名な人物、エズラの記録を聖書中に読むことができる。

『そこで主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め寄せさせたので、彼はその聖所の家で剣をもって民の若い者らを殺し、若者も、処女も、老人も、老いさらばえた者をも憐れみはしなかった。主は彼らを尽く彼の手に渡された。
 彼は神の家のもろもろの大小の器物、YHWHの家の貨財、王とその高官らの貨財など、すべてこれをバビロンに奪って行き、神の家を燃やし、エルサレムの城壁を崩し、宮殿を尽く火で焼き払い、そのうちにあった貴重な設備のすべてを破壊した。
 彼はまた、剣を逃れた者らをバビロンに捕え移し、彼とその子らの奴隷となし、ペルシアの王国の興るまでそうしておいた。
 これはエレミヤの口によって伝えられたYHWHの言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息を得た。即ち、その荒廃の間安息して、ついに七十年が満ちたのである。』(歴代誌第二36:17-21/レヴィ26:34)
 
 以上の記述では、民の不在によって国土が荒れたが、それも七十年の間であったと読むことができる。
 だが、そのあとに続けて、エズラはキュロスの勅令についてこう書くのである。
 
『ペルシアの王キュロスの第一年のことである。かつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、YHWHはペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神YHWHは、地上の国を尽くわたしに賜った。この方がユダのエルサレムにご自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたがたの中で主の民に属する者は誰であれ上って行くがよい。神YHWHがその者と共に在られるように。」』(歴代誌第二36:22-23)

また、この二世紀も以前に、イザヤの預言もキュロス大王の役割について神YHWHの言葉をこう記録していた。
『キュロスについて、「彼は我が牧者、我が喜びとするところを尽く為すであろう。」またエルサレムについては「彼女は再建される」、神殿については「彼はその礎を据えるであろう。」』(イザヤ44:28)

キュロスの意図は、彼に世界覇権をもたらした神々を奉り尊崇することであり、ユダについては明らかにエルサレムに神殿を再建することにあった。



◆帰還民の観点

キュロスの後代に、ガウマタが倒され王の系統が替わると、ユダの民には神殿再建もますます遠ざかったかに見えたであろう。
しかし、この時節にイスラエルの神YHWHは、預言者ハガイとゼカリヤのふたりを総督ゼルバベルと大祭司エシュアと帰還民に遣わして神殿再建の業に取り掛かるよう促すのであった。
では、この情況下でエレミヤの『七十年』が終わっていたと彼らは見做していたろうか?

当時の帰還民らの心情が如実に表れているのがゼカリヤ7章2節の民の問いかけである。
そこではベニヤミンの北のベテルの民衆*が上って来て、神殿で仕えるべき祭司らや預言者にこう尋ねた。
『「わたしは今まで、多年おこなってきたように、五月に泣き悲しみ、かつ断食すべきでしょうか」。』*(地域からすれば、彼らが北王国への帰還者であった可能性がある)

だが、その心の迷いそのものに、ゼルバベルらのような神の家に対する熱心は見られない。
彼らにはダニエルのように神に対する真摯で篤い気概も無かったというべきであろう。ただ、時はもう満ちたかと訊いているばかりである。捕囚を解かれてから既に20年になろうとしており、もう出来ることなら面倒な断食も終わりにしたかったようにも聞こえる言葉である。

そこで即座にゼカリヤにYHWHの言葉が臨み、こう言われる。
『あなたがたが七十年の間、五月と七月とに断食し、かつ泣き悲しんだ時、それは本当に、わたしのために断食したのか』

つまり、五月の断食とは、ユダヤ人にとって極めて悲しむべきアブの9日の神殿の破壊を記念して、今日までも続くティシャ ヴェ アヴの習慣であり、ここに書かれた七月のものは、それに続くエルサレムの荒廃に関わるものと推定されているという。

そこで民は、祭祀の一部が再開はしていても、いまだ神殿の落成を見ない状況で断食をどうするべきかを崇拝に関わる人々に問い尋ねてきたのである。
断食はそれぞれ七十回かその近くの数字に及んでいたことは、このことを記した預言書が神の霊感の言葉にある以上、動かしようもない。この民は『七十年』についておそらく聞き及んでおり、それが終わったと観てよいものかどうかを、祭司や預言者らのところに尋ねてきたのであろう。即ち、断食を終えるべき『七十年』が過ぎ去ったにしては、神殿の工事が中途にあることに戸惑いがあったというべきか。

そこで、神の更なる答えはこうである。
『「わたしはシオンに帰り、エルサレムの中に住む。エルサレムは忠信な町と称えられ、万軍のYHWHの山は聖なる山と称えられる」』
それだけではない
『エルサレムの街路には再び老いた男、老いた女が座するようになる。皆よい年寄で、おのおの杖を手に持つ。またその町には、男児、女児が満ち、街路に遊び戯れる』(8:3-4)

つまり、荒廃は終わってはいないという以外にこれは読みようが無い。これはダレイオスの第四年、即ち紀元前518年の9月キスリュウの事とされている。
そのうえ、この二年前のダレイオスの第二年11月シェバトにも、『万軍のYHWHよ、あなたは、いつまでエルサレムとユダの町々とを、あわれんで下さらないのですか。あなたはお怒りになって、すでに七十年になります』と天使が語っているのである。(1:12)

このように、ユダヤ人らの『七十年』には、帰還後の単なる時間経過だけでは解決することのない何事かが込められてはいないだろうか。

神殿はイスラエルの聖なる神が『その名を置く場所』であり、イザヤが語ったように寡婦であるシオンに夫たる神が戻られると云われ、『その時』にはシオンの子らも帰還していると預言されているのである。(イザヤ62:4/49:21)

だが、神殿再建以前の時代、ユダヤは街々に人が戻ってきたと言えるほどではなく、非常に閑散としていたことはさらに50年後のネヘミヤ記からさえ窺えるのである。

ダヴィドによる詩篇53番の最後にある『神が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜び祝うであろう。』の預言を含んだ句は、当時の帰還民の様子を描写するには大袈裟というべきであろう。

では、何を以ってエルサレムの荒廃が終わり、真の意味でエレミヤの『七十年』が満ちるのだろうか?



◆キュロスを右手を掴むYHWHからの観方

預言者イザヤは、その人物の起こる二世紀も前から「キュロス」と名指しでイスラエルの解放者としての働きを予告していた。つまり、キュロス大王はイスラエルの神YHWHの「メシア」、即ち「任命を受けた者」であった。
YHWHはキュロスの生まれる遥か以前にこう予告した。

『彼の右手を掴み、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする・・わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。わたしはYHWHである。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。』(イザヤ45:1-5)

イスラエルの神YHWHは、その民イスラエルを約束の地に戻す強い意志を表明されている。それはイザヤだけを通して予告されたことではない。エレミヤは荒廃と回復についてこう記している。
 
『まことにイスラエルの神YHWHは、塁と剣で引き倒されるこの町の家々と、ユダの王たちの家々について、こう仰せられる。
彼らはカルデア人と戦おうとして出て行くが、彼らはわたしの怒りと憤りによって打ち殺された屍をその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のために、わたしがこの町から顔を隠したからだ。

見よ。わたしはこの町の傷を癒して治し、彼らを回復させて彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルの繁栄を元どおりにし、初めのように彼らを建て直す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らを浄め、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。』(エレミヤ33:1-8)

バビロン捕囚後にイスラエルが帰国し繁栄するというこれらの預言は「回復」また「慰め」の預言と呼ばれる。
それらの内容を観ると、そこには単にイスラエル諸部族が約束の地に帰還して住まうという以上の内容が込められているのである。

それはキュロスの出した勅令の内容からもそう言える。
 
『「ペルシアの王キュロスはこのように言う、天の神、YHWHは地上の国々を尽くわたしに賜り、ご自分の家をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。
あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、YHWHの家を復興せよ。この方はエルサレムにいます神であらせられる。
すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その地の者は皆、金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにもエルサレムにある神の家のために真心より供え物を捧げるように」』(エズラ1:2-4)

イザヤにあるように、キュロス大王がYHWHのメシアであるなら、その働きに込められた神の意図はその勅令に反映されているに違いない。ましてエズラは『エレミヤにより告げられたYHWHの言葉を実現するために、YHWHはペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせたので、王は支配地域全体に勅令を出し、詔書にしてこう述べた。』としているのである。(エズラ1:1)

そうなると、ますますエレミヤの『七十年』の意味は単なる帰還を意味しないのである。

これについては、エレミヤの七十年をその書で知ったというダニエル自身もその認識を祈りの中で表しているが、次にそれを確認しよう。



◆ダニエルの観点

前述のように、ダニエルはメディア王統の方のクセルクセスの子であったというダレイオスのバビロン支配の第一年に、エレミヤの預言からエルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを知ったという。(ダニエル9:1)
キュロスによるバビロン征服がなされたことで、ユダ捕囚民にも状況も大きく変わり得るように見えたことであろう。
だが、この時にはパレスチナへの帰還を許す勅令はキュロスの第一年を待たねばならなかった。

高齢のダニエルは荒布をまとい、断食をして、頭には灰をかぶって魂を苦しめつつ、イスラエルの神YHWHに悔恨と赦しを乞う祈りをエルサレムに向かって申し述べる。
イスラエルが永きに亘り、律法を守らず、遣わされた預言者らを迫害し、神の勧告にも耳を傾けず、遂にモーセの警告した通りの酬いを刈り取ることになり、民はユダもイスラエルも他国に囚われとなり、その神殿は破壊され聖都エルサレムは人の住まない荒れ廃れたところとなり果て、人々のそしりともなったことについて、彼は神の処置の正しさを述べる。

しかし、そのエルサレムとその民との上には神の御名が称えられるので、ダニエルは神自らの名のゆえに再び御顔の光が照らすようにと願い出た。
そのとき彼は『あなたの御名のために遅らせないでください』とまで願い出ているのである。(ダニエル9:19)

これらの内容からすると、神自ら宣告された七十年が反故になってしまうことのないよう、ダニエルはバビロンからの解放が予告通りの時に起こり、捕囚民の帰還が実現するよう嘆願しているかに読めるかもしれない。

だが、ダニエルが念頭に置いていたのは、この祈りの言葉に示されているように、やはり民の帰還以上のもので、それは民を益することに勝る神の益であった。

彼は同じ祈りの中でこう願うのである。
『あなたの都、聖なる山エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください』『あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください。』(ダニエル9:16-17)

ここに言い表されているのは、聖なる山シオンと聖なる処である神殿への熱烈な願いというほかない。やはり、七十年が経過さえすれば民が赦されて帰還し、民らが平和にパレスチナでの生活をするというようなものとは言い難い。新バビロニア帝国が終わったと喜び、解放が近い、などという希望もダニエルはまったく語ってはいない。

これに加えて、勅令の後にもバビロンに留まっていたダニエルは、キュロスの第三年までの間に自著ダニエル書をバビロンで記しているのだが、書き終えるまでにエレミヤの『七十年』がどうなったかを一言さえ語っていない。
彼にエルサレムで仮の祭壇での祭祀が始まり、その翌年に神殿の礎石が置かれたという知らせが届いていないとはまず考えられない。もし、キュロスの第一年に民が帰還したことで、あれほど切実に祈ったことが叶えられたのであれば、大いに神を賛美しなかったろうか。

この点で傍証を与えているのが使徒時代の歴史家ヨセフスであり、その「アピオーンへの反駁」で『ネブカドネッツアルの統治十八年目[586]に我々の神殿は荒廃させられ、五十年の間、忘れ去られた状態に置かれた』と記しており、キュロスによるバビロン征服で、シオン山上への神殿の再建の道が拓かれた時点が、神殿破壊から50年としているので、そこでダニエルの祈りの時期であり、キュロスの勅令があった前537年が里程標となっていることに注意を引いて、更に20年を要する。(アピオーン反駁1:21)

しかし、ダニエルには、アリヤー開始の四年後『そなたの道を行け、ダニエルよ!』『終わりまでその道を行って休みに入り、定められた日の終りには立ち上って、自らの分を受けよ!』との言葉をもって終末の啓示が締め括られている。ダニエル書に『七十年』の件は、あの祈り以降は二度と出て来ない。『七十年』の終わりを語るのはより後代のエズラであり、むしろ、ダニエルには天使を介して『七十週』というより大規模な奥義が託されている。こうしてダニエル書が擱筆されているのであれば、キュロスの第三年の後、ほどなくしてダニエルの人生はバビロンで終わったであろう。(ダニエル12:9.13)

即ち、あの熱烈な祈りの四年後の彼の記述にその件が何も語られていないところには、『七十年』の終了が、やはり民の帰還だけを意味しないという観方を補強するのである。ダニエルの祈願の言葉は、確かにシオン山上の神殿の再建に関するものであったのだ。



◆アリヤーの実情

この祈りの二年後、王権はダレイオスからキュロスに移り、遂にユダとイスラエルの民に対して勅令が発せられることになる。それが前537年である。
なぜか、ダニエル書にはこのキュロスの勅令への言及がどこにもないのだが、前述のエズラ記、また同じくエズラの手になる歴代誌の最後の文章によってその内容を窺い知ることができる。

その勅令の趣旨に「民の解放」はない。つまり「お前たちの帰還を許す」ということではないのである。むしろメシアと予告されたキュロスの関心は更に高度であって、神YHWHの崇拝の復興にあり、そのための神殿再建なのである。
そうして、この勅令の発布により、大祭司エシュアと総督ゼルバベルの以後22年に亘る労苦が始まるのである。

シオンに上った有志の民は五万弱であり、大半のユダ捕囚民は住み慣れたバビロンに留まることを選んだ。移動しなかった民の中には高齢に達したダニエルも含まれる。ダニエルに与えられた啓示はキュロスの第三年を最後としているので、彼は神殿の再建までは生き長らえなかった。
それであるから、捕囚の民の皆がパレスチナを目指して帰還したわけではなく、イザヤが預言して言ったように『イスラエルが海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る』のであった。(イザヤ10:22)

実際に帰還した『残りの者』と預言されていた僅かな人々は、キュロスの第一年の勅令に応じてその年の秋のスッコートの祭りをエルサレムで祝うことができた。
すると、周囲の諸民族に不穏な気配があり、エシュアはその年の内に祭壇を築いて焼燔の犠牲を捧げ始めた。つまり、祭祀の一部である『常供の犠牲』は始めることができたのである。

しかし、聖所の香の祭壇や机での日毎、週毎、新月の捧げ物はできず、至聖所もないため年毎の贖罪を行うこともできないし行うべき年に三つの祭りも正しくは行えない。それでは律法の規定に従った祭祀を行ってはおらず、キュロスの命にも従えてはいないのである。

『残りの者』たちは、パレスチナ到着の翌春には神殿再建の手始めとして、定礎を行うことはできたのだが、周辺民族の反対運動が始まり、勅令から八年後にキュロス大王の崩御もあって、再建の業は頓挫し、やがて民も帰還本来の意義に無頓着となっていった。
祭祀再興のイニシアティヴはやはりキュロス大王にあったのであり、 アリヤーの途に就いたはずの帰還民団はこの点で受動的であったことがここに表れている。

預言者ハガイは往時の民の意識についてこう記している。
『この民はYHWHの家を建てる時はまだ来ない、と言っている』『この家が荒れ廃れているのに、あなたがたは鏡板を張った家に住んでいる時なのか。』(ハガイ1:2.4)

この預言が語られたのが、前522年にガウマタを退けて王となったヒュスペスタスの息子ダレイオスの治世第二年、即ち前520年の事とされている。(ハガイ1:1)従ってキュロス王の勅令から17年、第二神殿の定礎からも16年が経過しているにも関わらず、工事は途中で投げ出され、聖域は荒れるままに放置されていたことが暴露されている。
だが、二人の預言者の現れに動かされたゼルバベルとアリヤーの民は、諸国民に反対されながらも建てる業を再開しているが、それはやはりその年、ダレイオスの第二年であったことをエズラは記した。(エズラ4:24)

前述のベテルの民らが断食をいつまで続けたものかと受動的な態度で尋ねてきたのは、この二年後(前518年)のことであった。(ゼカリヤ7:1)

これらに鑑みるに、当時のアリヤーを行ったはずの帰還民にとって、『七十年』という期間の終りとは、神殿が再建されて祭祀が復興し、女シオンの『夫』たるYHWHが再びその聖なる御名をそこに置くことがその到達点であるという認識を有していたと云うことができるのである。

この観点から、エホヤキンら第二次捕囚となったユダの民へのエレミヤの、『YHWHはこう仰せられる。「バビロンでの七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』という預言の言葉は、 流刑民たちの将来がまるで見えず、動揺している彼らへの慰めであり、彼らが流刑地で増え、その城市のために祈れという、囚われの長期化に備えさせるものでもあり、それが『七十年』という期間に亘ることを知らせて、彼らを安堵させる目的があったことが分かる。(エレミヤ29:10)

その『バビロンでの七十年』という期間が、どのように経過したかは歴史に記されるものとなってはいったが、それは人が字面を追うように、単に捕囚から帰還までの期間を指していたわけではなかったのである。神の言葉である『七十年』の真意は、やはり神の意図に従って理解されなくてはなるまい。

 

◆七十年の終点と起点

ダレイオスの第四年(前518年)、ハガイとゼカリヤの預言に鼓舞され、再び神殿再建に積極的に着手していたゼルバベルは、キュロスの寛容政策を踏襲する新王ダレイオスから承認の書簡を受ける。それは周辺諸民族の反対を打ち破るものであった。
反対する諸族が宮廷に問い合わせると、メディアの都エクバタナから十九年前の勅令の記録が発見され、政権基盤の弱かったダレイオスは大王キュロスの勅令を継ぐことに国民への支持を求める意義を持つこともあってか、キュロスのようにエルサレム神殿の再建を認定する。(エズラ4:23-6:12)

ゼルバベルの前に立ちはだかった『山』のような諸国の反対も、ダレイオスの勅書によって『平坦にされる』。即ち、神殿再建がペルシアの王の旨となった以上、近隣諸民族の反論は許されなくなったのである。(ゼカリヤ4:7)

こうして、風に揺らいで弱り果て、芯にすがるばかりに消えかけていた燈火は、再びオリーヴ油を供給されてその炎を明るく燃え立たせ、豊かな輝きを取り戻したかのようになったといえよう。人々や状況を導いて神殿の再建に向かわせたのは、ここに於いて、もはや人間に功を帰するのは的外れである。

神YHWHは、ゼカリヤを通してこう言われる。
『此は、力によらず、勢いによらず、我が霊による也』
『ゼルバベルの手、この家の礎を据えたり、彼の手、是を成し終えん。』
(ゼカリヤ4:6・8)

その後、モリヤ山上の再建工事は順調に進んだらしく、ダレイオスの第六年のアダル3日*に遂に神殿は完成を見たとエズラは記す。工事の再開から4年目ということになる。
それはユダヤの陰暦であれば前516年の最後の月に相当することになるが、それならば、実にネブカドネッツァルによって第一の神殿を喪失した前586年から正しく70年目になる。*(グレゴリウス暦;前515年2月3日<水>)

明けて翌、紀元前515年の正月ニサンには神殿が献納され、次いで過越しが十四日に挙行され、続いて翌日から無酵母パンの祭りが七日間行われている。(出埃40:1-2/エズラ6:14-22)

こうして、律法に規定されたレヴィのすべての祭祀が復興をみる。ここにキュロスの勅令も遂に成し遂げられ、晴れがましくもダヴィドの血を引くシャルティエルの子にして総督のゼルバベルが、その半生を捧げた一大事業の重責をこうして果たすことができたのであった。ここに於いてこそ、キュロス大王はまさしく「メシア」であったというべきであろう。
 
そこにはかつてのように、聖所と至聖所が存在し、聖なる日毎、週毎、新月の捧げ物が可能となり、贖罪の日の儀式も行えるので、大祭司、祭司、民の贖罪の儀式も可能となった。年初の祭りの後、レヴィの祭司団24組がその相応しい順に従い担当に就いたことであろう。
まさに、その崇拝は70年の空白をもって預言の通りに再開されたのである。
ここに神YHWHの、その言葉を反故にせず万難を排して成し遂げる力を観ることができないだろうか。その律法祭儀の再開は、神殿の破壊から71年目のことであった。

ユダヤの繁栄は依然としてなお将来のことではあったが、こうしてシオンはイスラエルの聖なる神YHWHを再び迎えることができ、聖都として復興を遂げ、ダニエルが切に祈り求めてやまなかった昔日の輝けるイェルシャライムは聖なる光を取り戻したということができる。そこでは神殿の存在によりモーセの律法が民の生活から祭祀に至るまで施行可能となったのであり、イスラエルは神への正式な崇拝を七十年間、彼らの罪科のゆえに中断を余儀なくされたが、YHWHの言葉の通りに見事に契約として回復したのであった。(レヴィ26:44-45)

こうして彼らは仕えるべき本来の主人を再び見出すことができたのである。異邦の影響を脱することにおいて、彼らが膝を屈するのはもはやバビロンの王ではなくなったと言えるのはこの時なのであろう。

確かに、他ならぬエレミヤ自身が預言してこう述べているのである。
『あなたがたがわたしを捨てて、自分の地で異なる神々に仕えたように、あなたがたは自分のものでない地で異邦の人に仕えるようになる』 (エレミヤ5:19)
この言葉は、まさしくエレミヤの預言した『七十年の間バビロンの王に仕える』* との件の言葉を補足しており、単に政治上の支配と被支配の関係がエレミヤの七十年に込められていたのではないことを指し示しているのである。むしろ、神殿祭祀の復興によってこそ、バビロンからもたらされた障碍は初めて過去のものとなったのである。

ゆえに、エレミヤの預言にあるようなイスラエルの神が『バビロンの王に言い開きを求める』 とは、この再建と祭祀の再興を以って、成し遂げられたと観ることができよう。それは何もバビロンの王朝の瓦解がその時に起こることを必要とするわけではない。むしろ、バビロンの王が行った神殿破壊が、この復興によって責めを負い、著しい悪評に貶められることを示唆していたと預言を読むことができるであろう。*

エレミヤの預言の言葉の中に、この点を例証するものがある。
『バビロンの国を逃れ、脱出した人々の声がする。我々の神、YHWHの復讐を、その神殿への報復を彼らはシオンでふれ告げる。』(エレミヤ50:28)

即ち、バビロニア帝国が既に去っていたとは言え、真に神殿の破壊と蹂躙への責めは、その再建を以って問われるという意味が『神殿への報復』という言葉に見られ、その『報復』はエルサレム神殿が他ならぬシオン山上に於いて再び現れることにより、ネブカドネッツァルの咎がいよいよ責められると捉えることは充分に理に適ったことであろう。

こうしてエレミヤの七十年を見直すと、それは単にイスラエルが他国の王に支配されていた期間を指してはおらず、神殿の再建によって神YHWHを民の主人として再び迎え入れ、律法祭祀によってその前に跪拝するまでを描いていたことが見て取れるではないか。更に捕囚以前のレハベアムの時代に、預言者シェマヤを通して神はユダ民族がエジプトのファラオ、シシャクの覇権に屈することになることを予告し、『これは彼らがわたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを知るためである』と語らせている。(歴代第二12:8)
まして、独立を失い約束の地を追われた民であれば、その教訓は長く続く痛みとなって以後彼らを苛んだに違いない。

この点では、ユダ王国周辺の諸族についても同じように当てはまる。
なぜなら、七十年を告げたその同じエレミヤ書の中で、モアブの神ケモシュとアンモンの神マルコムもそれぞれに『流刑になる』と確かに記しているのであり、これら神々は偶像をバビロンに持ち去られてエルサレム神殿の什器類と同じようにバビロンに囚われていたのだが、共にキュロスの宗教政策の寛容さに与っていたであろう。彼は各国の神々をその在るべき場所に戻したことが知られているからである。(エレミヤ48:7/49:3)

預言の言葉の表面を近視眼的に字句通りに追っていれば、こうした事情は一向視野に入ってはこないであろう。 
ただイスラエルには、契約の箱とウリム ヴェ トンミムが戻らなかったが、エダーシェイムによると、至聖所には箱の場所に『礎石』と呼ばれ、神殿の礎石とは異なる岩が置かれていたとのことである。贖罪の日に、大祭司はこの岩の前に牛の血を捧げることになった。
契約の箱の消失は人事を超えることであり、誰であれ、もう一度作ることは憚られたことであろう。だが、その喪失は、ユダヤ人をしてエレミヤに予告された『新しい契約』への展望をもたらすことに向けられてもいった。 (エレミヤ3:16/31:31)⇒「契約の箱 アーロン ハ ヴェリート」

もちろん、人間による観察結果である考古学にまったく間違いがないとはいえないが、オリエント史のこの時代の資料は、それぞれの年毎のものが出土しており、ベロッソスやプトレマイオスなどは言うに及ばず、多数の粘土板が次々に共通の年代認識を明らかにする中で、更に動かし難い日月食の記録も添えられ、それはサロス周期の分析と合致するのであろう。この時代は、オリエント考古学の中でも相当に明解にされている時代であるという。

歴史資料が増えるに従い、裏付けが進む場合、それが「信仰」を形作るわけではないにしても、それらの強固な論拠を前にして誰であれ異論を唱える場合、その挙証責任が生じるのは当然のことである。もし、証拠の揃っている考古学に抗う理由が「信仰」だと云うなら、その人の「信仰」というものの根拠を初めから一つ一つ検証し直すことで、有無を言わせぬ盲信を避け、理性に基いた自己の判断を確認できるであろう。

そこでダレイオスの第6年、即ち前516年から七十年を逆算すると、やはり前586年という年代になるが、それがエルサレムと神殿が新バビロニア帝国によって破壊された年であると考古学は指し示す。即ち、聖書も証しするように、ネブカドネッザルⅡ世の治世の第19年目とされている五月の夏に神殿破壊の起こった年であったのだ。(列王第二25:8-10)

この正確な七十年の祭祀の空白は、『御名のために遅れないように』と願ったダニエルの祈りの誠実さ真摯さへの全能者YHWHの見事な回答ということなのであろう。それは確かに『七十年』であったことになる。時至って遣わされた二人の預言者ハガイとゼカリヤが、最後の再建の業を促したので『七十年』に間に合うことを助けている。 しかし、その真の功は、キュロスⅡ世を含めてどんな人に帰せられるものでもなく、神YHWHの御旨に導かれるものであったからこそ、その時をだれも導き規定することはできなかったと言える。

こうしてYHWHは『七十年』に則してあらゆる事を推し進め、ペルシアの勅命から22年後、ユダヤの民に神殿祭祀を復興させて、指名されたメシアとしてのキュロス大王の役割も成し遂げさせたとみることができる。
神YHWHは確かにキュロスの右手を執られ、神の民としてのイスラエルを名実ともに取り戻したと言えるのである。

従って、エレミヤの語った『七十年』をその語られた部分の言葉のままに、バビロン王の頸木を解かれた民の帰還と定住だけに当てはめようとすれば、その『七十年』というパズルのピースはどこにもぴったりと置く場所を見出さないことであろう。
 
ある宗派のように『七十年』の起点を、前607年であると言い張って強引に押し込めようとすれば、整然と収まっているほかのパズルのピースを押し退けて全体を混乱させるに違いないが、教導者の言いなりになって実際には神の言葉を深く省みて確認することもなく、その「信仰」によって無理に信じようと努める人々がいるのは心が痛む。しかも、その動機はどこにあるのだろうか。(ヨハネ7:16-18)

いずれにせよ、この件もひとつの予型であり、エレミヤの預言した『七十年』に於いては、エルサレムに聖所と至聖所が再建されることになったのだが、更にダニエルに新たに告げられた『七十週』では、その成就の場は人の及ばぬ天の領域となり、『聖の聖なる処』即ち天界の至聖所に『油を注ぐ』という、地上の至聖所について予告したエレミヤを超えて、謂わば七倍も重要な事柄を指し示している。

エレミヤとダニエルという、この両者の預言が揃うことで、神YHWHの終末に関わる偉大な奥義の概要、人類を贖罪する天界の祭司制度の開始をいよいよ悟る入口に我々は立つことになるのである。





   ©2015 林 義平



 ⇒ 「バビロン捕囚期の年表」 
 ⇒ 「指名されたメシア キュロス
 ⇒ 「アリヤー・ツィオンの残りの者
 ⇒ 「ダニエルの『七十週』 全能者の描く巨大構造


*確かに、エレミヤ25章にはユダだけでなく、周辺の『諸国の民も七十年の間バビロンの王に仕える』と預言しているのだが、これは『七十年の後、カルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする』と続くことからすると、この時代以降もバビロンは栄えを続けているので、これは終末の『大いなるバビロン』への二重の意味を含んでいるのであろう。『大いなるバビロン』から解かれるのは、聖徒だけでも信徒だけでもないと思われる。新たに『わたしの民』と神に呼び掛けれれる終末の人々であろう。

なお、天の神殿の建立に関わるダニエルの『七十週』は、新しい『契約の使者』であるキリストの再臨を待っており、依然として最後の半週が終了してはいない。キリストは律法契約の使者ではなく、終末に再び『新しい契約』に預かる聖徒が現れるからである。





「シオンの娘」の謎を解く

シオンの娘とは誰を指しているのか

 約1万字  <難易度 ☆☆☆☆☆ 高> 
予備知識⇒「聖徒 聖霊の指し示す者」 関連記事⇒「二度救われるシオンという女」




ダヴィデ王によってイスラエルの首都と定められたエルサレムは小山の上にある。 
「シオン」とは、この聖都の古い部分を戴せる小山の名である。

しかし、イスラエルの父祖アブラハムの時代に、そこは『サレム』とだけ呼ばれ、既にアブラハムの四百年前から存在していた証拠が出土しているという、創世記によれば、その城市では異邦人の祭司が王を務めていたことが記録されており、アブラハム当時の祭司なる王はメルキゼデクという人物であったと創世記は告げている。

アブラハムがいまだアブラムという名であった時分に、彼には子が無く、後のレヴィ族の祭司たちも存在さえしていなかったそのときに、このサレムの王にして祭司なる人物は、エラムの王たちに勝利して帰るアブラムを至高の神によって祝し、その後裔イスラエル民族もその父祖を通して益に預かるところとなっていた。即ち、メルキゼデクはアブラムの世代にあって、後代のモーセの律法祭司とは別に、シオン山上の王を兼ねる祭司であった。

そしてダヴィデの時代、彼がエルサレムを占領する以前には、そこはカナン系*エブス人の城市であった。
(エブス人はヒッタイト系であるとの研究もある) 

イスラエルが『約束の地』パレスティナに入植を始めてから数百年後のダヴィデの時代まで、この城市がヘブライ民族に占領されていなかった理由には、この城市の置かれた山『シオン』の地形がある。

そこは北側を除いて100mほどさらに高い峰々で囲まれていて発見され難く、東側のオリーヴ山は特に高く、その西側斜面に入ってはじめてエルサレムを眺望することができる。
またシオン山の周囲三方には深い谷が刻まれている。エルサレムは、それらの谷からの急斜面に守られた上、水源も幾つかが近くにあって、難攻不落の要害であった。

しかしダヴィデは、この水汲み用の井戸穴から市内に侵攻することに成功し、この城市を得ることができたのである。

やがて、ダヴィデ王はイスラエルの聖なる神YHWH*の崇拝の中心たるべきモーセ以来の『会見の天幕』を、このシオン山上のエルサレムに移し、息子ソロモンの時代に会見の天幕という崇拝の場も、新築されたエルサレム神殿へと移されるに及び、シオンに座する聖都はいよいよ不動のものとされた。 *(発音不明となっている神の至聖なる固有名)

こうして、十二部族の入植地の程よい中央地域に位置するエルサレムは、王の御座所であるばかりか、『神の家』の所在地ともなってイスラエル民族の祭政の中心地へと高められた。
十二の部族の緩やかな同盟で成り立っていた一国民イスラエルは、シオンの山の上に王権と祭祀権を荷う中心たる王都を持つ中央集権国家となったのである。

そこで、『シオン』また『シオンの山』はイスラエルにとって格別な意味を持つようになっていった。
殊に、バビロン捕囚を経験した後には、『シオン』とは単なる山や場所の呼び名を超えて、イスラエルのあるべき崇拝の姿を象徴する言葉となり、より深い意義がこの呼び名に加えられたのであった。

捕囚後の『回復の預言』の中では、特に意義ある名として『シオン』が度々言及されてきた。
また、キリスト後にエルサレム居住を妨げられ流浪の民となってきたユダヤ人にとっては、『シオン』という言葉は更に深い感情を伴うものとなっていった。
近代以降の所謂「シオニズム」は、神からの『約束の地』への帰還の悲願と、かつてシオンの小山に神殿が存在していた時代への憧憬が込められているであろう。

一方で、イザヤなどの「回復の預言」を紐解くユダヤ人らにとって、『シオン』についてはともかくも、聖なる書の中でもうひとつ腑に落ちない名称で呼ばれるものがあるという。
それこそが『シオンの子ら』または『シオンの娘』であり、『シオン』がエルサレムを象徴するとしても、これら「子」や「娘」が何を意味するのかがユダヤの謎の一つとされているという。

『シオンの娘』はイザヤ、エレミヤと哀歌においては、神から裁かれ、以前は美しく装ったものが、神の糾弾を受け零落するものとして描かれる。それらの子らがバビロン捕囚を受けるのである。

これらの言葉を、キリスト教側では、『シオンの子ら』や『シオンの娘』について、いとも単純に「エルサレムの住民を指す」として納得してしまっているような説明を目にするが、この程度のことであれば、何もユダヤ人が謎に思うほどのことがあるだろうか。

そこで、イザヤなどの「回復の預言」を検討してみると、やはり、『シオンの娘』は徒ならぬ扱いを受けている。 

それらの記述のように、王たちが『シオンの子らを懐に抱いて』集めてくるだろうか。そのために街道が造られたりするだろうか。
単なるエルサレムの住民が『諸国民を脱穀する脱穀ソリ』と変じるだろうか。(イザヤ41:15)
いったい誰が、『シオンの子ら』である『ユダを(弓として)張り、エフライムを(矢として)つがえ、ギリシアを攻める』だろうか。(ゼカリヤ9:13)
 
神の怒りを買っていたはずのシオンの娘にこうした描写の転換が起こる点でミカ書の第四章が特に際立っている。そこではバビロンに移されるために苦痛にうめく囚われの姿と『強大な国民となり』『その王国が到来する』こととが並んで記されているからである。 

これらは、何か容易ならぬ事態の発生に『シオンの子ら』が関わることを予告しているに違いない。しかも、それらのすべてが歴史上に成就を見たとも思えない。イスラエルといえば忍従の民として知られはしても、歴史上に世界に冠たる覇権を有する支配者となったとは言い難い。

歴史上のバビロンからの帰還も、イザヤの預言の述べるような輝かしいものとはならなかった、実際には神殿の再建も遅々として進まず、エルサレムが以前の繁栄を取り戻すには百年以上を要していた。帰還当初、シオンを目指す人々はわずかに五万弱、しかもエルサレムに住んだのはその一部である。

その後も万を超える帰還者の記録はネヘミヤの時代に至ってさえ見られない。エルサレムは人々が戻ってすら、廃墟のように閑散としており、ゼカリヤの予告した「公共広場に子らの歓声が響き、老人たちが腰を下ろす」ような回復が実現するのは、随分と時間を要したのであった。

帰還の当時、キュロス大王の肝いりはあったものの、「王たちがシオンの子らを懐にして運んだ」というには大げさに過ぎる。また、彼らのために「街道が造られ」たりしたろうか。これらが単にイザヤの預言が大げさであっただけというなら、聖書預言も高が知れたものになってしまう。
他方で、俗なユダヤ男に聞けば、今日での『シオンの娘』(バット ツィヨン)といえば、ただ「小町のことだ」と嬉しそうに言う。それなら預言されるほどの意味があるだろうか。

人間的な観点から、イザヤも只の人であり希望を言い表しただけである、あるいは、イザヤを騙る何者かによって、全ては事後に書かれた歴史に過ぎないと「高等批評」のように見做すのなら、それで納得できる人も居るかもしれない。だが、それは神を知らぬ者の推論であり、預言の超越性は聖書の随所で既に明らかではないか。

では、預言の『シオンの子ら』の意味するところは何であろうか。
これを検討するに当たり、『シオン』そのものも一人の女として預言が語っているところから観て行かねばならない。
何故なら、『シオン』という女は『シオンの子ら』の母であるからである。



◆不妊の女

エルサレムの町がその上に座するシオンの山は、しばしば擬人化されて語られてきた。
イザヤの預言の中で、イスラエルの聖なる神は「シオン」をひとりの女として呼び掛ける。

それは単に、偉大なダヴィデ王の御座所としての言及に留まるものではなく(列王第一8:1)、神殿の置かれる場所としての神YHWH*の『名を置くところ』であり(列王第二21:7)、また、象徴的に『神の住まわれる』崇拝の聖なる場所(詩編132:13-14)、加えてイスラエル民族の心の中心地を象徴して語られてもきた。(イザヤ30:19/エレミヤ51:10)*(発音不明となっている至聖の神名[יהוה]

『わたしは、あなたの神YHWHであって、海をかき立て、波を轟かせる。その名は万軍のYHWH。わたしは自らの言葉をあなたの口におき、我が手の陰にあなたを隠した。こうして、わたしが天を引き延ばし、地の基を据え、シオンに向かい、あなたは我が民であると言うためである。』(イザヤ51:15-16)

この擬人化された女「シオン」という呼び名の例を挙げれば、以下のようにバビロン捕囚によって、その民を失ったシオンの山、人の住まない廃墟となっていたその有り様を述べる。
加えて『シオン』は、子らを失った女であるばかりか、元々が石女であることさえ暗示されている。

そしてイザヤの預言は明確にこう言う。
『不妊の女よ、喜び歌え!子を産まなかった女よ。歓声をあげ、喜び歌え、産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは、夫ある女の子供らよりも数多くなるとYHWHは言われる。』(イザヤ54:1)

何が起こったのか?
これがシオン、即ち、エルサレムへのイスラエルの民の帰還を予告していたのであった。これは『回復』(ナハムー*)の預言と呼ばれ、旧約預言書にあってバビロン捕囚からの解放と帰還が起こることを指し示す予告であった。*(または「慰め」cf;使徒3:19

抽象的に言えば、ネブカドネッツァルの征服によって神殿を失うことになった『シオン』は、神YHWHという夫に捨てられた妻のようであり、ナハムーの預言には、子らにも恵まれずにひっそりと貧しく過ごしてきた寡婦として描かれている。

したがって、『シオン』はバビロン捕囚の間に子を持っていなかったのである。
その子らとは『アブラハムの裔』であり、律法契約は相続権ある『子』を遂に生み出すことがなかった。その相続物とは、アブラハムの子孫に約束された『地のすべての氏族が自ら祝福する』という『世の光』の立場に就くことである。(創世18:18)
この点で、今日のユダヤ教の目的をユダヤ人に尋ねても「『諸国民の光』となることだ」と答えることであろう。(イザヤ49:6)

それであるから、シオンは象徴としてアブラハムの妻サラを暗喩し、長い間に子を得なかったその憂いを、バビロン捕囚からの子らの帰還を以って喜びに代える理由を得るというのである。

その理由を預言はこう指摘する。
『シオンは産みの苦しみをなす前に産み、その苦しみの来ない前に男子を産んだ。
誰がこのような事を聞いたか、誰がこのような事などを見たか。
 一つの国は一日の苦しみで生れるだろうか。一つの国民はひと時に生れるだろうか。しかし、シオンは産みの苦しみをするや否や、すぐにその子らを産んだのだ。』(イザヤ66:7-8)

この出産は奇跡的である。
陣痛が起こるかどうかというあっという間にシオンは国民を生み出している。
これはイスラエルの短時間での回復、また境遇の大きな変化を指しているのであろう。
それは不妊の女としての境遇を忍んでいたアブラハムの正妻サラに例えられるべきものであるというのである。

『あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラとを思いみよ。わたしは彼をただひとりであったときに召し、彼を祝福してその子孫を増し加えた。

 YHWHはシオンを慰め、またそのすべて荒れた所を慰めて、その荒野をエデンのように、その砂漠を主の園のようにされる。こうして、その中に喜びと楽しみとがあり、感謝と歌の声とがある。

 わが民よ、わたしに聞け、わが国びとよ、わたしに耳を傾けよ。律法はわたしから出て、わが道は諸国民の光となるのである。』(イザヤ51:2-4)

確かに、イスラエルはモーセの日に契約を結ぶ民として現れていた。そして、その律法契約の目指すところはイスラエルを『祭司の王国、聖なる国民』とすることであり、その益は人類の全体に及ぶはずであった。(出埃19:5-6/創世記22:18)
しかし、今日でもユダヤ人が自ら成るべきものとして目指すという『諸国民の光』(オール ラゴイーム)となることが、これらの預言でもやはり未達成なものとして描かれているのである。

ここに女シオンについても不思議がある。
つまり、イザヤの預言では、恰もその子らの帰還によって初めて子らを得た、また、奇妙な出産をしたかのように描かれている。

これは即ち、律法契約下での『シオン』は、やはり不妊の女であったということであろう。
律法契約は世界を祝福する『祭司の王国、聖なる国民』を遂に生み出さなかった。
バビロン捕囚は契約不履行の酬いであり、預言が描く通りに、女シオンは夫も子らも失った寡婦となった。その原因はその民族の律法に対する不行跡である。

シオンが夫を失った理由をイザヤは紛うことなく次のように指摘している。
『YHWHはこう言われる。お前たちの母親を追い出したときのわたしの離縁状はどこか。お前たちを売り渡した時の債権者は誰か。お前たちの罪によってお前たちは売り渡され、お前たちの背きのために母親は追い出されたのだ。』(イザヤ50:1)

したがって、母親である『シオン』を寡婦としたのは、その『子ら』の罪科であり、それこそは、その民の律法契約への違反であった。エレミヤは彼らを『背信の子ら』と呼んでいる。(エレミヤ3:14)

イザヤでは、『シオンの娘ら』の傲慢が描写され、『シオンの娘らは高ぶり、首をのばしてあるき、目で媚をおくり、その行くときには気どって歩き、その足飾りをりんりんと鳴り響かす。』と不忠節な罪ある様が描かれる。

これらは、律法契約と神への忠節からの逸脱であり、異国の神々への恋慕の不忠誠を暴露する描写であるので、遂に神はこの傲慢さを戒める。
『芳香はかわって悪臭となり、帯はかわって縄となり、よく編んだ髪はかわって禿となり、華美な衣はかわって粗布の衣となり、美しい顔はかわって焼き印された顔*となる。』(イザヤ3:16.24)*<奴隷の刻印>

こうして、その民はバビロンに捕囚となって消え去り、神殿を失ったエルサレムとユダの土地は、住む民の悪行から逃れて安息に入る一方で、女シオンの許には夫である神も、子らである民もない零落の歳月が経過していった。諸国民は『あれがシオンだ』と言っては、晒し者のようにかつて繁栄を享受した跡地を侮蔑する。(エレミヤ30:17)

しかし、シオンの子らの『刑期が終わり』、神からの「回復の時期」が到来すると、それはまったく人の能力を超えた時代の潮流が起こるのであった。(イザヤ40:2/使徒3:19/エレミヤ30:17)
 
即ち、実際の世界史に登場する二世紀も前から「クルシュ」と神から名指しされたメシア(任命された者)、また『東からの人』とも語られた、新興ペルシアのキュロス大王によってバビロン捕囚も終わりを迎え、『イスラエルの残りの者が戻ってくる』という預言が成就する。(イザヤ10:21)⇒「アリヤーツィオンの残りの者」

そこに女シオンの『離縁状』はもはや無く、子らを売買した『権利証書』も存在しない。シオンにはいきなりに多くの子らが現れ出るというのである。それであるから、この『シオン』はやはり自ら子を産んではいないことになる。当時、シオンにもユダにも人は住まず、バビロンの流刑民において悔い改めの民が生じ、その『残りの者』が戻ってきたのである。それが、まともな生みの苦しみも無い出産に例えられたのであろう。

『その時あなたは心のうちに言う、「だれがわたしのためにこれらの者を産んだのか。わたしは子を失って、子をもたない。わたしは捕われ、かつ追いやられた。だれがこれらの者を育てたのか。見よ、わたしはひとり残された。これらの者はどこから来たのか」と。』(イザヤ49:21)

これは、諦めの寡婦の許に、恰も不意に戻ってきた悔い改めの子ら、即ち、捕囚後に帰還したイスラエルの民を得た女シオンを指している。
その子らは、やがて神殿も再建し祭祀を復興することになる。その家に夫たる神YHWHが再び『名を置き』戻るためである。

ここまでの内容であれば、ユダヤ人が然程の謎を感じることもないであろう。
それは、神のメシア=キュロス大王によってバビロンの『二重の扉が開かれ』悔い改めた民の帰還とシオンに起こる思いがけない回復の喜びを知らせていたのである。 

だが旧約預言は、実際のバビロン捕囚からの帰還を超えて、更なる将来にその子らを得る預言の成就を期待させている。ここに謎が生じる原因がある。
これは、どうしても新約聖書の領域に通じなければ、ユダヤ教徒にこれを理解することは不可能であろう。 だが、ユダヤ教はナザレ人イエスを21世紀の今に至るまでメシアと思わず受け容れず、当然に新約聖書もまったく認めない。



◆『シオンの娘』の特異性

確かに『シオンの娘』に関するネイヴィームの語るところには、バビロンからの帰還に収まり切らないところがあって、それがユダヤ人を悩ませてきた。歴史上の実際からすればシオン帰還ではとても実現したと言えないような「回復の預言」の記述が多いのである。
では、それは大げさな言葉を用いて預言を外したというだけのことだろうか?

例を挙げれば、ミカはこう預言する。
『シオンの娘よ、立って脱穀せよ。わたしはあなたの角を鉄となし、あなたのひずめを青銅としよう。あなたは多くの民を打ち砕き、彼らの分捕り物をYHWHに捧げ、彼らの富を全地の主にささげる。』(ミカ4:13)

また前述のように、イザヤは『虫のような』弱体のヤコブ、即ち『買い戻されるイスラエル』について、こう書いている。
『見よ、わたしはあなたを新しい鋭い刃を付けた打穀そりとする。あなたは山を磨り潰して粉々にし、岡も籾殻のようにしてしまう。』(イザヤ41:15)

これは、ひとつ間違えればイスラエル共和国の対外強硬主義を助長させ兼ねない記述というべきだろうか。
『山』や『岡』とは、地表から飛び出したところ、つまり、政治的な人間の権力や権威を表していよう。
これらの世俗の権力を『シオンの娘』が超克し粉砕するのだろうか?

この点で思い起こされるのは、新約聖書中で、当時のエクレシア内の人々について何度か指摘された事柄である。
使徒パウロはその書簡の中で、彼らが『いずれは王として支配することになる』とナザレ人イエスをメシア=キリストとして信奉するクリスティアノイに向けて書いている。(コリント第一4:8/テモテ第二2:12)

黙示録ではより明解に、『屠られた子羊』がその血によって『諸国から買い取った人々』を『彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったから。彼らは地上を統治』すると知らせている。(黙示録5:9-10)

旧約に翻ってミカの預言を見れば、確かに『シオンの娘に帰する王権』があることも記されている。(ミカ4:8)

これはダニエル書にも見出されるものであり、『国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』(ダニエル7:27)

また、ネブガドネッツァルの見た夢では歴代世界覇権の象徴たる巨大な像の足、即ち終末の部分を『人手によらず切り出された岩が打ち砕き』世界覇権を完膚なきまでに破壊し尽し、その岩そのものが『山となって全地に満ちる』という夢もまた、キリストと『聖なる者ら』の支配の開始を教えるものである。そこでこの人々が、終末に至って諸国を『脱穀する』ほどの王権を発揮するのである。(ダニエル2章/ゼカリヤ14:5) 

このように「全地を支配する者」となる者がイスラエルの聖なる民として現れることは、もとよりモーセの律法の授けられた目的でもあった。
太古にシナイ山麓でイスラエルと契約を結ぶに際し、神はこう言われたのである。
『もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の王国となり、また聖なる民となるであろう』(出埃19:5-6)

では、イスラエル民族が律法遵守によって、世界支配を行うこの『聖なる民』となったかといえば、律法契約の顛末はそれを表していない。
先にみたように『シオンの娘』は傲慢になり契約を守らなかったので、神はこれを最終的にバビロンに渡し、その後は律法契約を証しする奇跡的な『契約の箱』も、神の意志を測る聖籤「ウリム ヴェ  トンミム」もイスラエル民族の許には二度と戻らなかったのである。

帰還したユダヤ・イスラエルはその後の五百年ほどを契約については不安定な状況で過ごし、やがて荒野のバプテストとナザレ人イエスの到来を受けることになる。
即ち、最後の預言者マラキの語っていた『使者』と『契約の使者』の裁きを伴うユダヤ民族への査察であった。こうしてモーセの律法契約に勝る『新しい契約』がキリストの仲介の下で発効されるに至るのである。(エレミヤ31:31-33)

そこで、使徒ペテロは諸国民の信者が含まれる各地のエクレシアに宛て、モーセを引用してこのように書いている。
『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の王国、聖なる国民、神に属する民である。それは、暗闇から驚くべきみ光に招き入れて下さった方の御業を、あなたがたが語り伝えるためである。』(ペテロ第一2:9/出埃19:5-6)
即ち、ナザレのイエスにメシア信仰を見出した人々の上にかつてシナイ山で語られた律法契約の目的が成就しているというのである。 だが、それはユダヤの体制が自動的に『新しい契約』に移行されるものではなく『聖霊と火との』両極端の裁きをもたらした。

これについてはパウロがこう記す。
『イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならない』またイザヤ書を引用して『たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、戻るのは残りの者だけである』とも書く。(ローマ9:6/9:27)
 
したがって、律法契約によってはイスラエルが体制として聖なる民となることは遂になかったが、キリスト教の時代『新しい契約』に預かったエクレシアの中において、ユダヤ人の一部での『聖なる民』の登場が指摘されているのである。
では、血統に属するイスラエル民族と、ペテロが指摘したエクレシアの人々との違いはどこにあるだろうか。

それこそが、キリストの血の犠牲によって天から下賜された『聖霊』の有無であったと観ることはまず間違いがないであろう。(ヨハネ16:7)
 
即ち、恐るべき神YHWHの御璽とも言える奇跡の臨御光を放つ『契約の箱』と、やはり、神の意志を伝えるウリム ヴェ  トンミムがユダヤ律法体制から失われて後、あの五旬節の日を境に神は新たな「契約の証し」の奇跡を地上にもたらしたと言えるのである。(使徒4:30-31)

キリスト後の、あのシャヴオートの朝から注がれ始めた『約束の聖霊』は、イエスの弟子らへの紛うことのない奇跡の威力による神との関わりの証明であり、『契約の箱』や「聖なる籤」を超える働きを成したのである。
即ち、キリスト・イエスの行った奇跡の業をその弟子らに続行させて、さらに信仰を懐いて『聖霊』が注がれるべき人々を異邦諸国からも集め出したのであった。これは即ち、キリストの死を契機に、アブラハムの裔を集め出す神の計画は大きく諸国に向けて動き始めたというべきであろう。

それこそはアブラハムの裔をユダヤ・パレスチナを越えて異邦諸国からも集め出す一大事業であり、血統上の『肉のイスラエル』はメシアを拒絶して死に渡すほどの不信仰を示したことにより、神の選民への召しは異邦諸国を対象とする『神のイスラエル』へと移行したのであった。(ヨハネ14:12/ガラテア4:21-31)

使徒ペテロは、当時の非イスラエルの諸国民で成るキリスト教徒らに語り掛けてこう云う。
『あなたがたも、何事にも恐れることなく善を行えば、サラの娘たちとなるのだ』(ペテロ第一3:6)

では、血統上のイスラエルはどうなったかと言えば、キリスト後の西暦七十年のローマ軍によるエルサレム神殿の徹底的な破壊を経て、その後の神の座の不在は反駁しようもない目に見える証拠であろう。 (ルカ19:41-48)
メシアを退けた彼らの上に聖霊が降ることは遂に無く、むしろバプテストが予告した『火の浸礼』がユダヤ体制に臨んでいる。 これほど明確なことがあろうか?神の選民は血統のイスラエルを去り、古い契約の制度は廃れたと言う以外にない。(ヘブライ8:13)

この事態はバプテストばかりでなく、最後の預言者マラキも警告していたことである。
即ち、『見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍のYHWHが言われる。
だが、その来る日にだれが耐え得よう。その現れる時には、だれが立ち得よう。』(3.1-2)
これをラビの中には「メシアの害」と呼び、それを避けるまじないのようなミドラシュまで語っている。だが、やはりユダヤ教徒にとってのメシアの来臨は、まったく恐るべき結果をもたらしてしまったのである。(ルカ19:41-44)

一方で、聖霊の降ったキリストの弟子らで構成される『聖なる民』が、イスラエルばかりでなく諸国民からも採られることは、使徒パウロの「接木」の例えだけではなく、旧約の記述によっても予告されている。これが『憐れみの器』と『憤りの器』との分かれ目であったというべきなのであろう。

例えればイザヤはメシアについてこう書いている。
『見よ、あなたは知らない国民を招く、あなたを知らない国民があなたのもとに走ってくる。これはあなたの神YHWH、イスラエルの聖なる方のゆえであり、YHWHがあなたに光栄を与えられたからである。』(イザヤ55:5)

そしてイエス自身もこう言われた。
『多くの人が東から西からきて、天の王国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』(マタイ8:11-12)

これらイスラエルと諸国民の混成の『聖なる者ら』を使徒パウロは『ふたつの(民)』と呼んでおり、『肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。』とも語り、この混成の民全体を『神のイスラエル』と呼んでいる。(エフェソス2:15/ローマ9:8/ガラテア6:16)

『(肉の)イスラエル』の母が「地のエルサレム」なら、『神のイスラエル』の母は『上なるエルサレム』であるとも言うのである。(ガラテア4:21-31) 

このようにパウロが指摘するエクレシアに集め出された人々をペテロが『聖なる国民、王なる祭司』と呼んだように、『シオンの子ら』はキリスト以後になって、神に選別された格別の人々となった。それを生み出したのは、『上なるエルサレム』、これは天界のエルサレムではなく、天から降るという『新しいエルサレム』でもないであろう。

おそらくは『シオンの子ら』の母体となっている女『シオン』とは、即ち、ナザレのイエスにメシア信仰を抱いた信徒の集団ではないのだろうか。

それこそは『上なる』次元ではあっても、地上の女、黙示録で日と月と星の光を纏うとされる『妊娠した女』であることは、旧約の預言が暗示を加えていたところに見えている。(黙示録12:1-2)

イザヤもこう言っている。
『女よ覚めよ、光を放て! ・・・ 見よ!暗きは地を覆い、濃い闇は諸国民に臨まん、なれど、そなたの上にはYHWHが輝き出で給いて、その栄光輝きわたらん。』 (イザヤ60:1-2)

このメシア信仰を抱く『女』から聖霊を得て生み出された『シオンの子ら』とは、格別の存在である。
黙示録第12章の天界の光を着けた女の生む男児は、誕生するなり直ちに神の許へと預けられる。
 
他方、使徒ヨハネの福音では、『水と霊から生まれなければ神の王国には入らない』ことが知らされている。 
そして使徒パウロはローマ8章の全体を用いて指摘するように、生み出された彼らは、奇跡を行わせる『聖霊』によって『神の子』として受け入れられたのである。そのような『神の子』とされた人々は、創造の初め以来キリスト・イエスを除いては堕罪前のアダムとエヴァ以外に存在したことがない。

なぜなら、女が産んだ『子ら』には『新しい契約』を通し、キリストの血の犠牲によって、アダム由来の『罪』までもが仮赦免された状態に入っていたからである。(ローマ8:10)
この点をパウロは『今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからである。』と書いている。(ローマ8:1)(ローマ8:14/8:16)

そうでなければ、彼らが『アッバ!』と父なる神に憚ることなく呼びかけることは叶わない。(ローマ8:15)
神との深い親密さは、彼らが天に召される者である証拠であり、彼らこそが神とキリストに結びついているのであり、その葡萄のつるを成すものが『聖霊』の絆といえよう。 だが、それは『新しい契約』という条件付きのものであり、彼らにはキリストの掟を守ることが生涯にわたって要求されている。(エレミヤ31:33/ヨハネ14章/エゼキエル36:26-27)

この人々が、聖い行状を示して『新しい契約』を全うし、キリストがそうであったように『神の子』としての立場を得、『天の王国』を相続し、地上への人類支配を行うことになるのである。(コリント第一5:11-13)
ここに於いて『アブラハムの裔』また『諸国民の光』、そして『シオンの娘』という言葉の意味に見えるものがある。 

それゆえ、黙示録はこう言う。
『第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。』(黙示録20:6)
祭司となって人類を祝福し、千年支配を行う彼らは、諸世紀の大多数の死者に先立って今の世の終末に復活し、天界のキリストと共になるという。 ヘブライ書が彼らをキリストの『兄弟たち』と呼ぶのはそのためであり、やはりアブラハムの遺産への『共同相続者』なのである。(ヘブライ2:17/ローマ8:17)

これほどの高大な立場を得たからには、律法契約以上の『契約の証し』があって然るべきだが、まさしく、それが神の奇跡の威力たる『聖霊の賜物』であることをパウロはこう書いている。
『この聖霊は、わたしたちが王国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光を讃えることになる』(エフェソス1:14)

そして、確かにキリスト教初期には、奇跡を行い殉教に散った弟子たちの姿が「聖人」として伝承されている。彼らは、キリストの業を継承し、その道を同じくしたのであった。


◆子らの居ない『シオン』

さて、今日『聖なる者』がどこかに存在するだろうか?
キリスト教界のほとんどは、自分たちに聖霊が注がれていると考える。
だが、そこにキリストの奇跡の業を受け継いでいるような人々を見出すことはない。即ちアブラハムの裔を信仰を奮い起こさせて集め出すために、奇跡を確かな印とするキリストから受け継ぐ聖霊の業である。

ある宗派は『愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。』というコリント第一13章8節の言葉を援用して、奇跡的な聖霊の賜物は過去のものとなったと主張するかも知れない。

だが、この聖霊は『聖なる者』に注がれていなければならず、例え奇跡を起こさないとしても、『真理の霊』としてその人々にキリスト教の奥義をあまねく教えているはずであり、それは天からのものであるゆえに、真理であって、訂正の必要のない知識を携えているはずである。(ヨハネ16:13/イザヤ44:26)

つまり、そこではキリスト教の浄化が起こっており、様々な異教にまつわる誤謬から解かれ、しかもイザヤも言ったように『神の栄光』を顕わしているはずなのである。(イザヤ43:21)

福音書によれば、彼らは為政者らの前に引き出されながらも、誰も論駁できない聖霊の言葉を語ると予告されていたが、人類史はそのような誰かの姿を記録していたろうか。 やはり、それは将来の「終末」に起こることであろう。(ルカ21:12-15)

まして奇跡によって『聖霊の顕現』(ファネローシス)を持つような神から召された人、我々は、そのような人々を見てはいない。(コリント第一12:7-9)
そこで、キリスト教界の教師らが「クリスチャン」が『シオンの娘』なのです!と言い張ったにせよ、滑稽なばかりで、預言された事の重大さがそんな暢気を許しはしない。(イザヤ43:9)

キリスト教界は、相変わらず古代から中世にかけて取り込んだ異教という悪霊の汚れの中に耽溺して居り、幾らか原始キリスト教を目指した宗派が起こったからといって、あの五旬節のような明確て画期的な事態の発生と広がりを世界のどこにも見てはいないのである。もちろん、宗教改革も効果はなく、幾つかの教理を変更したばかりで、初代キリスト教の回復とはとても言い難い。 

このような状況は、聖書の歴史においてバビロン捕囚に比すべきものではないだろうか。
悪霊の教えのはびこるバビロンに囚われた契約の民は、崇拝する神殿を失い、もはや律法に定められた規定を行うことは不可能であった。いや、捕囚民は「契約の民」とも言うことも憚られる。律法条項の三分の一は『幕屋』乃至『神殿』を必須としていたからである。

捕囚の間、シオンの山には神殿は無く、城壁は崩され、人影も無かった。
これこそが、今日のキリスト教世界の実情ではないのだろうか。
イエスは『誰も働くことのできない夜が来る』と予告し、ペテロはイエスの再臨が『明けの明星として昇るまで預言の言葉を思いに留めよ』と言っている。(ヨハネ9:4/ペテロ第二1:19)

今日、キリストを親石として神殿となるべき人は絶えて無く、「クリスチャン」は「天国」や「地獄」などのカルデアの教理、異教バビロンの死後の世界を教えられている。
神とキリストの関係も贖いも、聖霊の意義深さも、単なる蒙昧主義でしかない「三位一体の玄義」に阻害され、十字架という刑具に向かって祈りを捧げさせられるというキリストの反対者サタンの喜ぶような崇拝を行ってはいないだろうか。



◆子らの帰還

だが、それは正されねばならない。
「回復の預言」の中でイザヤは言う。『YHWHは必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる。YHWHは、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。』(イザヤ4:4-5)

これは何を意味するだろうか?単にかつて起こったバビロン捕囚からの解放を言うのか?
いや、ここに述べるのは『聖なる者』の浄めであり、『聖霊』による回復であろう。その『聖霊』が注がれる人々が現れるとき、それは将来に於けるあのシャブオートの日の聖霊降下の再現であり、対型的バビロン捕囚からの久しく待たれた大いなる解放、『慰めの時』となろう。(使徒3:19)

そこで彼らは、バビロンの汚れを捨て去り、シオンに向かって歩を進めねばならない。その再び聖霊が降る日に、メシアは『新しい契約』を未だ残されている契約の子らと結ばれるために再臨を果たしているであろう。その期間とは、イエスの公生涯の三年半の残りの三年半を残すダニエルの『第七十週』であり、黙示録が告げる『42ヶ月』また『1260日』のことであろう。(ダニエル9:27/黙示11:2-3.7)

黙示録によれば、終末に聖霊を得たその人々は『この世』を糾弾し『荒布をまとって預言する』ので、『王や総督の前に引き出され』『聖霊によって語る』とされている。ヨハネの福音によれば『そのもの(約束の霊)が到来するとき、それはこの世を罪と義と裁きについて問い詰める』という。(ヨハネ16:8)
また、イザヤはメシアについて『それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。』と予告するのである。(イザヤ52:15)

ここに、聖霊は自分たちが既に持っていると唱えるキリスト教界に出番があるものだろうか? 信者だけの救いの「ご利益信仰」に凝り固まる「クリスチャン」に悠久の時に亘る偉大な神の経綸に預かる余地があるものだろうか?

キリスト教界は三位一体説を唱えることで、イスラエルの聖なる方YHWHを神の座から外したが、シオンに神YHWHも再び戻られるとき、それはシオン全体にとって、それ以上ない感動と歓喜をもたらすことであろう。 

イザヤはこう言う。
『聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、YHWHがシオンに帰られるのを、目のあたりに見るからだ。エルサレムの廃墟よ。共に大声をあげて喜び歌え。YHWHがその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。YHWHはすべての国々の目の前に、聖なる御腕(の働き)を現した。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。

去れよ。去れよ。そこを出よ。(バビロンの)汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。YHWHの器を荷う者たち。あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。YHWHがあなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。』(イザヤ52:8-12)

これは人間が計画するところのものではないし、その時をさえ知るところとはならない。
『主なる神はこう言われる。見よ、わたしが国々に向かって手を上げ、諸国の民に向かって旗を揚げると、彼らはあなたの息子たちをふところに抱き、あなたの娘たちを肩に背負って連れて来る。』(イザヤ49:22)

即ち、その時に至れば、神は自ら合図をすると言われるのである。
『わたしが、最初にシオンに、「見よ。これを見よ」と言い、わたしが、エルサレムに、良い知らせを伝える者を与えよう。』(イザヤ41:27)

これらの句に明らかなように、神自身が『シオンの子ら』の回復を主導されるのであり、そこでは神でなければできない事柄が起きなければならないのである。シオンに「これを見よ」というのは聖霊の奇跡に関わる事柄であろう。それが始まるときに、シオンには大きな喜びがあるに違いない。待ち望んだ神からの印である聖霊の働きを目撃することになるからである。そこではキリスト教は聖霊によって浄められ、真正なものに磨き上げられる。

そして、彼らのシオンへの清い街道がバビロンから整備され確立されるのである。
『そこに街道が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。』(イザヤ35:8-10)


このシオンへと向かう『街道』は、既に一度拓かれたことがある。
それを教えるのがエレミヤの預言の言葉である。
『 あなたは自分のために標柱を立て、道しるべを置き、あなたの歩んだ街道の大路に心を向けよ。 帰れ!あなたの町々に帰れ。イスラエルの処女らよ。』(エレミヤ31:21)

このエレミヤ31章は、これに続けて『新しい契約』について宣告するのである。
したがって、あのシャブオートの日に聖霊降下が起こったときに、一度イスラエルの処女らは、その街道を通って『帰った』ということができる。(イザヤ10:22/35:10/ローマ9:27)

まさしく、バプテストが自らを指して『道筋を直くせよ』と注意を促した「道筋」とは、この『街道』であり、彼はイザヤの言葉(40:3)に拠って、その『悔い改めのバプテスマ』をユダヤ人に呼びかけていたのであり、(ヨハネ1:23)このヨハネの活動が即ち、あの聖霊の降るシャブオートの日へとユダヤの『民を整え』たのであった。(ルカ1:17)

他方、律法契約は遂に不妊の女であった。それは『真実のアブラハムの子ら』、即ち『王なる祭司、聖なる国民』を生み出さなかったからである。それこそが律法契約の目的であったことはシナイ山麓でイスラエルの聴いた言葉から明らかである。(出埃19:5-6)

しかし、メシアの現れはエレミヤの予告した『新しい契約』を拓き、『イスラエルの残りの者ら』が聖霊降下と共に生み出され、律法の業によらず、メシア信仰によってサラの子らの誕生の始まりを見るに至った。それゆえ使徒ペテロも、当時の聖霊を受けた『聖徒』らに向かって『あなたがたはサラの子となった』と言っている。(ペテロ第一3:6/ダニエル9:27)

この聖霊降下の奇跡が、初代のキリストの弟子らだけでなく、更なる成就を終末に期待すべき理由は、上記のように、未だ成就を満たしてはいない数々の言葉が残されているからである。

まさしく『聖霊』を注がれた『シオンの子ら』が戻る擬人化された山『シオン』とは、終末において、その子らの帰還を待ちわびる人々を指していよう。それは子のない寡婦にいきなりに多くの子らが与えられ、そこに夫たる神も戻られるほどの栄光ある酬いを得ることになるのである。これがキリスト教の回復であり、シオンの山に聖徒が現れることを意味するに違いない。

そして、その子らを見るときの大きな喜びがこう描写されている。
『 それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。その日、「ここにわたしがいる」と告げる者がわたしであることを知るようになる。

良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は。
聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、YHWHがシオンに帰られるのを、目のあたりに見るからだ。』

シオンの神が王となることを知らせる者の足は、重い足取りではなく、『山々の上』を越えてゆくほどに、軽やかな印象を受ける。それは遅々として進まない物事ではなく、短期間に実現するものなのであろう。聖書中の黙示の内容からしても、「この世の終末」は世代に亘るほどに長いものではなく、数年で終わるものであるらしい。

そして『YHWHが帰られる』とは即ち、今日まで神はキリストと共に不在だからであり、世界のどこにも神の正統な崇拝が存在していないからである。⇒「ミナの例え」 
そのときこそ『YHWHはあなたがたの神となった』という知らせに意味がある。その日には、もはや神の名を「YHWH」と記す必要もなくなるのである。(イザヤ40:9/エレミヤ30:12)


だが、再び『聖霊』が注がれるとき、それを喜べる人々がいるだろうか。(ルカ18:8)
その人々こそが『シオン』であろう。その人々は、真理を自分たちが所有しているなどと慢心することなく、『求め続け、敲き続ける』人々であり、それゆえにも、その中の人々に『聖霊を与えられる』ことになろう。(ルカ11:9-13)

その人々は、神とキリストと聖霊への信仰を抱いており、『聖霊』が降る意義も弁えていなければ、それを相応しく喜ぶことはできないに違いない。即ち『シオンのゆえに嘆き悲しむ者ら』でなくてはならず、『彼らはとこしえの廃虚を建て直し、いにしえの荒廃の跡を興す。廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。』とイザヤは語る。(イザヤ61:3-5)

その女『シオン』には『子ら』や『娘ら』が戻ってくるばかりか、夫である神が、その家をその『シオン』の上に建てるであろう。そこには神YHWHの『御名が置かれる』ので、その人々は回復の時期に神の名を正しく知るに至るであろう。それは地上のエルサレムをもはや意味しない。キリストを隅石として『シオンの子ら』が積み上げられて建立される天界の神殿こそが、神の住まいであり、『彼らの中にわたしは住まう』と神自ら言われるのである。(コリント第二6:16)

詩篇も次のように言う。
神は『捕われ人の嘆きを聞き、死に定められた者を解き放たれる。人々がシオンでYHWHの御名を知らせ[לספר(レサフェル)*]、エルサレムでその誉れを言い表すために。』(詩篇120:20-21)*(「教える」「宣布する」)

その至聖の神名を唱えるものは失望に至ることはない。
神の御名が救いに関わることは、新旧の聖書の繰り返すところである。(詩篇79篇/使徒2:21)

終末について預言された、キリストの『兄弟に親切を示す』とはこのようなことであったのだ。(マタイ25:31-46)
即ち、聖霊を注がれる者らには、大祭司キリストの血の犠牲の価値が適用されて贖われるので、彼らはキリストの兄弟となる。その彼らの語る聖霊の言葉や、知らされる神の名に信仰を働かせる人々は、彼らに親切を施すような支持を与えるであろう。
その親切を『シオンの娘』に示すか否かが人々をキリストの左右に分けるものとなる。
それは即ち、『聖なる者』を迎え、その聖霊の宣教のゆえの苦難の日に『粗布をまとって預言する』彼らを支持することである。(黙示録11:3)

この事が起こる終末の「より大いなる帰還」の時には、特に『聖なる者たち』を生み出す母である『シオン』に栄光がもたらされる。
その『子ら』となる聖徒(ハギオス)は皆、世界の各地から象徴的に『シオン』という信徒(ピストス)の集団に集められて来るからである。この人々は流れのようにシオンの山を目指して進むと預言されている。

イザヤは終末のシオンに人々の集まる様を予告してこう言っている。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、諸々の山のかしらとして堅く立ち、諸々の峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れ、多くの民は来て言う、「さあ、われわれはYHWHの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ2:2-3)


そこは神の義によって唯一の正統な宗教の場となり、『シオンに救い、イスラエルには美が』与えられる 。(イザヤ46:13)つまり、神の『イスラエル』の聖なる者たちは試みに遭い練り浄められるが、その一方で信じる者たちの『シオン』は、『神の救いを見る』ことになるのである。

これによってイザヤ62章5節の観方も変わるであろう。(新共同訳のような手加減も意味を失う) 
『 若い者が処女をめとるように、あなたの子らはあなたを娶り』という、この近親相姦のような句も間違いではないことになる。
つまり、『神のイスラエル』である『シオンの子ら』は天からその母を支配するものとなるのであって、それは恰も婚姻を結んだかのように天から支配する『シオンの子ら』との強い結びつきをもつことを言うのであろう。(ヨハネ17:20:-22)

その時には『シオン』は地に於いてキリストとその聖なる者らとの支配の中核を成すことであろう。
そして神はこれを『新たな名で呼ばれる』ことになるという。(イザヤ62:2-3) 

そこではシオンそのものも、その子らとの関係により、地上で副次的な誉れに預かるようである。
『シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現すYHWHの植えたものと呼ばれる』(イザヤ61:3)

そして女『シオン』は、『光を放て』と呼びかけられる。(イザヤ60:1) この女は神の栄光をまとうことになり、もはや太陽の光も月の光も必要とはしない。『YHWHが永久に続く光となる』からである。(イザヤ60:20)

その輝きによって寡婦のシオンは『嘆きの日々を終える』ことになり、『子らを産む』ことで、このシオンは『暗きが地を覆う』とも『YHWHが照り輝き』始める。やはり、この女のことを黙示録は『太陽をまとい、月がその足の下にあり、十二の星々でできた冠がある』と述べているのであろう。それゆえ、その女は子を生み出し、その嬰児は神のものとなっている。(イザヤ60:1-3/60:19/黙示録12:1-5)

女『シオン』は黙示録12章に描かれるように、明らかに地上のものであるので地に落ちたサタンの攻撃対象となり、また『地の救助』も受けるのである。

そこで、この母の栄光は地の諸国民にも明らかになる。
『あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来る。あなたを侮った者らも尽く、あなたの足元にひれ伏し、あなたをYHWHの城市、イスラエルの聖なる方のシオンと呼ぶ。』 (イザヤ60:14)

したがって、『シオン』が単なる信者の集団であるというよりは、地上で千年支配を受ける人々の中でも非常に積極的な部分となるようであり、終わりの日に信仰を抱いた諸国民が流れのように向かう先が『シオン』であり、その多数の人々は『律法はシオンから・・出る』ことを認識しているに違いなく、その指導を受けようとする姿が描かれてもいるのである。(イザヤ2:3-) 

即ち、『シオン』の役割は、『娘』である『聖なる者ら』を生み出すだけではなく、聖徒らが天に去った後に、地を受け継ぐ無数の信仰の人々のよりどころとなるところまでもが、イザヤに予告されているかのようである。 (イザヤ2:2-3)
 

 
◆将来のシオンが子らを生む日に

以上のような理解を受け入れられる人は、個人のご利益を望むキリスト教界からは多くは出ないだろうが、それでも諸国民の富がシオンに集まってくるという。つまりは、キリスト教徒ではない人々の方に受け入れやすいものとなるのであろう。そこではユダヤ教徒の大半がメシアを受け入れなかった故事が彷彿とされる。(イザヤ60:5) 

しかし、そこで神の家はかつてないほどに美しくされ、王たちは資産を携えてくるというのである。(イザヤ60:11)
それは『シオンの子ら』が解放されることをきっかけとして、『大いなるバビロン』の水が枯れ、王たちがバビロンを征服する結末を表しているようにも読める。(黙示録16:12)

シオンに栄光が付与され、その女は『太陽と月の必要もない』ほどの輝きを得る。その女シオンが子を「生む」のである。それゆえ十四万四千人の『神のイスラエル』が子羊と共に『シオンの山の上に立つ』のであろう。(イザヤ60:14.19/黙示録12:1-2/14:1)

それはキリスト教が究極の宗教として高められる日であり、『神の義』の内に真理を語り、 どのような宗教も思想もそれを論駁することはできないであろう。新約聖書福音は揃ってシオンの子らが諸権力と対峙し、有罪の宣告を下すさまを描き出している。(イザヤ54:17/ルカ21:15)

そして『子ら』を生み出した『シオン』そのものは天に達しないものの、千年の新しい地の中核を成す部分として高められ、定めない時に至る誉れに預かことになる。(イザヤ60:15) 
 
かつて、ダヴィデが支配権を置いたシオン山は象徴的に再びダヴィデ王朝、即ち『神の王国』の権威の座所となるのであろう。そこは再び聖なる都エルサレムを戴くからである。だが、それは地上の一か所を占めるものではなく、天界のエルサレムの受け台としてのシオン山であるに違いない。(イザヤ60:13)

そこには聖霊によって磨き上げられた純良なキリスト教が存在し、それは神の栄光を繁栄する間違いのないものとなり、今日のどこにも存在していないものである。そこには世界にも明らかな神の栄光が見られることであろう。それがキリストの花嫁、聖なる乙女らで構成される『シオンの娘』なのである。

それこそは、歴史上にキリスト教の純化をもたらす回復を願った人々の理想の姿であり、それはけっして人からはもたらされないのである。

それゆえ、イザヤが呼びかける『シオンよ覚めよ!』の句は、今日に非常に重い意義をもっている。(イザヤ52:1-2)
聖霊によってその娘らを受け入れる前に、黎明の母シオンは薄明りの中、いち早く目覚めているからである。(ルカ11:10-13)

だが、そのように目覚めた人々が現れるのはいつのことだろうか?

それは即ち、聖霊についてキリスト教界が誤解し、それをご利益信仰の聖霊の内在などという惰弱な思い込みに置き換えている中から脱し、世の光として輝く子らの母と成る『シオン』に相当する人々、聖霊の再降下がどれほどの重い価値を持つのかを認識する人々の現れであろう。

この世も終末に入ると、「大いなるキュロス」はバビロン河畔から『シオンの娘』を解き放つことになろう。
その幾らかの人々は自由を得て後、直ちにシオンに向けて旅立ち、シオン山上に神殿の礎石を据え、神殿は無いまでも祭壇を跡地に興し、再び常供の犠牲を捧げ始めるに違いない。それはかつて、キュロスⅡ世の勅令によって実際に起こったことでもあったのだ。⇒ アリアー・ツィオンの残りの者


だが、それはいつか?(黙示録9:14-15)
キリスト・イエスは『つねに目覚めておれ、その時がいつかを知らないのであるから』と言われる。(マタイ25:13)


遠い過去からイザヤは不定の将来に向けてこう呼び掛けている
『シオンよ!醒めよ、醒めよ、そなたの力を衣としてまとえ』

また、こう言う
『囚われのエルサレムよ!その身から塵を掃い捨てよ
 立ち上がれ!囚われのシオンの娘よ、そなたの首の縄を振り捨てよ!』

 

 
           新十四日派   © 林 義平
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「天に建てられる神の王国」

「アブラハムの裔を集めるキリストの業」

「二度救われるシオンという女」

「神のシャファト 壊滅する巨万の軍勢」




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指名されたメシア キュロス


指名されたメシア キュロス
〈一万八千字超


キュロスⅡ世は古代のペルシア王国をオリエントの大帝国に押し上る偉業を成し遂げた傑出した王である。

現在のイラン高原の山がちな西の一部を領地とするだけの小国ペルシアから、メディア王国の首都エクバタナを制圧し、自国よりよほど大きく、現在のトルコのあるアナトリア半島の中部までをも版図としていた宗主国メディアの全域を併合し、やがて中近東の覇権を彼は手に入れる。

その版図を急激に広げる飛ぶ鳥を落とすような勢いに、オリエントの覇権を継承していた新バビロニアやナイルに抱かれた悠久のエジプト、またアナトリア半島の西部で繁栄を謳歌し始めた新興リュディア王国にも脅威となり、ペルシアといえば他国に精神的圧力を感じさせる新興の大勢力となっていった。

そしてキュロスⅡ世の人物像を追ってゆくと、そこには徒ならぬものがある。
彼の数奇な生まれと危機からの救い、その幼年時代、そして大国メディアを包摂するに有利であった血筋。そして驚くべき仕方で展開した様々な事の成り行きが挙げられる。

そして何よりも、イスラエルの聖なる神YHWHが、預言者イザヤを通して百五十年以上も前からこの人物の到来を名指しで予告していたという事が、そもそも彼を奇跡的な人生を送る存在として、初めから定めていたという理解に到達するのである。(イザヤ45:1-7)

つまり、彼は生まれるずっと以前から、神YHWHの目的を成し遂げるために「任命された者」、即ち神の民イスラエルを救う器として当時の「メシア」となるべく備えられ、またその救出とYHWHの祭祀の再興を成さしめたのである。

この頁では、神YHWHが与えたその役割を果たしてゆく彼の生涯を辿る。
そうすることで、彼の働きが21世紀という我々の時代を越えて、世界が終末を迎える時代に「もうひとりのメシア」、即ち世の終わりに臨御し、その時代の趨勢を左右する王なるイエス・キリストに委ねられる神からの務めを、その相似点から探る材料とする道も拓くであろう。

これが意味するところは、二人のメシアの単なる共通点を論うことでは終わらない。
なぜなら、そこには人の目に映らざる生ける神YHWHの不朽の意志と、それに抗おうとする目に見えぬ勢力との駆け引き、そして困難を排して遂に神の意図が実現されていったこの古代の例を通して、我々は「終末」という将来においても、反対者マゴグを排しメシア=キリストが必ず成し遂げるであろう業への期待を高め、それを信ずるに至るからである。

では、彼の生涯を俯瞰する前に、その出生の以前までのメディア王国と当時のオリエント諸国の趨勢を一瞥することにしよう。


◆覇権国アッシリアの終焉

メディア人とは、現在のイラン西北部の高原に定住する以前には、コーカサス山脈の北、現在のロシア方面いた遊牧民の一支族であったという。系統の近いペルシア人は、メディアの定住地より南方の山地パールサに棲んだところからペルシアの名を得た民族であるという。

この両種族はコーカソイド、つまりメソポタミアを広く占めていたセム系人種とは異なって、ノアの三人の息子のヤペテに発する、今日で云うところのインド=ヨーロッパ語族に含まれる。
メディアやペルシアの人々は、自らを「アーリア」つまり「高貴な者」と呼んでいたが、古代ギリシア系の人々もこの呼称で「アリアナ」と彼らを呼んでいたとされる。
 
この民族は、現在でもアーリアを名乗っており、「イラン」という国名には「アーリア人の国」 の意があるとのことである。
彼らの宗教は、古代においては、現在のイスラームとは異なり、善悪二元論のゾロアスター教を信奉していたのだが、この偶像を持たない拝火教はキュロス大王以降のペルシア帝国で非常な発展を遂げている。その神、アフラ・マツダの由来は古く、早くも古代ヒッタイトやミタンニでヴァルナ神として尊崇されていたという。

それでも、メディア王国の歴史は、ハム系のエジプトやセム系のアッシリアからすれば然程のものではなく、紀元前700年代からエクバタナに都して始められた王朝と云われる。
だが、この王国は当時の覇権国家アッシリアの威勢の前には色褪せ、何度も征服され、属国の地位に甘んじてきた。

強壮なアッシリアは、獰猛で残虐な軍隊を擁し、その主神アッシュールは造られた偶像ではなく、同名の首都の土地そのものであった。それは神道の神体のようでもある。
それゆえ、他の神々と異なり、偶像を毀損されることもなく、その神が永く命脈を保ったところでアッシリアの権力を強靭なものとしていたとも言われる。

この帝国アッシリアの覇権拡大には、青銅器に換えてヒッタイトから学んだ硬い鉄器に、驢馬から速度の速い馬に換えて戦車に用い、円盤状であった重い車輪をスポーク(輻「や」)状にして速度を格段に上げ、その戦車上から弓を射る戦法を用いたところにあると云われる。即ち、戦闘方法のイノヴェーションを起こして、周囲を屈服させていたということである。
 
アッシリアは、その発展の過程で首都をアッシュールからニネヴェに移していたが、この強みを維持し続け、覇権大国として周辺の諸国を征服しては、その地の反乱を防止する目的で、征服民を別の土地に移す強制移住を強要したのである。

その為、イスラエル十部族とされるイスラエル王国もアッシリア王サルゴンⅡ世によって前732年に侵攻されて滅ぼされ、その「十部族」も各地に散らされたが、その移住の割当地のひとつが属国メディアでもあった。
そしてイスラエル王国の領土であったパレスティナ北部にはバビロニアの地域から植民が行われ、当地に幾らか残っていたイスラエル人とやがて混血し、サマリア人と呼ばれるに至る。

アッシリアが占める北メソポタミアは、南に比べて降雨に恵まれ、バビロニアほど膨大な収穫量は獲られないにせよ、灌漑を行わなくても小麦などの収穫が出来、この帝国の繁栄に寄与していた。
他方で、南メソポタミアに位置するバビロニアは世界文明発祥の地であったが、アッシリアに圧迫されて独立を奪われ、属州の地位に貶められていたのだが、かつての文明の中心地としての威光を忘れずにおり、バビロニアのアッシリアに対する反抗が度々起こっていたので、アッシリアにとってバビロニア支配は常に懸念されるものであったという。
やがて、そのバビロニアの宿願も果たされる時が訪れることになる。

アッシュール・バニパル王の帝国の最盛期には、エジプトからエラムに至るまでがアッシリアの版図であり、周辺には多くの朝貢国が点在しており、メディアやペルシアもそれらの中に数えられた。
しかし、アッシリアの高圧的な支配は周辺国の反乱を度々招く原因を作っていたので、バビロニアに限らず領内の異民族や属州も周辺国もアッシリアが衰退するようなことがあればと、独立や攻撃の機会を虎視眈々と窺っていたのが実情であった。

アッシリア帝国はバビロニア南部のカルデアにも総督を置いていたのだが、その最後の総督はアッシリア人と同じセム系のアラム人で、その名をナボポラッサルといった。
この人物は、アッシリアからバビロニアを奪おうと目論んでいたのだが、自らが仕えるアッシリア王アッシュール・バニパルの治世の末期の混乱に乗じて、バビロンに入城し、自らバビロニア王を唱えてアッシリアからの独立を宣した。それは紀元前625年のことであったという。

そして、アッシリアの東方の高原に位置するメディア王国もその好機を逃さず、アッシリア攻撃を始めるのであった。この両国の連携があって覇権国アッシリアの打倒も可能性を高めたであろう。

その時のメディア王はキュアクサレースⅡ世といったが、彼の父フラオルテスの時にメディアは南の隣国ペルシアを支配下に置くことに成功している。
しかし、このフラオルテス王のときにメディアはアッシリアに抗って乾坤一擲の戦を起こしたのだが、やはり相手は強壮な大国、これには大敗北を喫し、王も殺されてしまった。 爾来28年間、メディアはアッシリアの同盟国スキタイの支配下に置かれ忍従を強いられるが、その間にメディアはスキタイの騎兵術を習得し、軍制を改革し歩兵と弓兵とを分離して、歩兵に長槍を、騎馬兵にも弓を持たせ、それぞれの長所を伸ばすなど、臥薪嘗胆を続けて軍事力の育成に此れ力を注いでいたのであった。

フラオルテスの息子であるキュアクサレースは父の意を継ぎ、アッシリアの衰退とバビロニアのクーデターに呼応して、東側の要衝ダルビッシュから攻略を着手し、北進してくるナボポラッサルのバビロニア軍と呼応して、アッシリアの首都ニネヴェに向かって西に進軍を続ける。しかし、北に位置するスキタイがアッシリアに加勢するに及んでメディア軍は一度ニネヴェ攻略を断念せざるを得なくなるが、キュアクサレースはスキタイの要人たちを酒宴に招いておいて謀殺し、スキタイに勝利する。

アッシリア討伐に際しては、メディアはバビロニアと同盟を結び、メディア王キュアクサレースは娘をバビロニア王ナボポラッサルの王子に娶らせたが、その王子こそネブカドネッツァルであった。
メディア育ちの娘はバビロンの平坦で変化の乏しい風景に、故郷の山々を恋しがるので、この王子が王となり多くの建造物をバビロンに建てるに当たり、あの七不思議に数えられた「空中庭園」が誕生することになったという。

かくて、双方の連合軍が遂にアッシリア王の籠るニネヴェを包囲するに及び、エジプトからエラムまでをも支配した空前の大帝国にも、その滅亡の時が迫る。
およそ二か月の攻城戦の後、西暦前612年の7月にニネヴェは陥落し、アッシリア王アッシュール・ウバリトⅡ世はハラン(現トルコ南東の端)に脱出する。

ナホムの預言では、アッシリアの戦車は焼かれ、彼らがニネヴェから逃げ出してゆく様が描かれている。さらには城壁は隣接する川の増水に耐えらなかった事が防備の決壊ともなったとも示唆されている。増水期と重なったことが、攻囲側に有利に働き、ニネヴェも予想外の短期戦で陥落したのであろう。(ナホム2:13/1:6-8)

さて、先代アッシュール・バニパルに擁立されていたエジプトのファラオ・ネコは、義理立てもあってかハランに逃れた最後のアッシリア王に加勢しようとエジプトを発ったのだが、その途中のメギドの近くでユダ王国のヨシヤ王の思わぬ挑戦を受けることになり、これはハランに赴く足手まといとなった。
結果、エジプト救援軍も甲斐なく、ハランもバビロニア軍に攻撃され、大帝国アッシリアも遂に終焉を迎えたのであった。

しかし、この歴史の大きな大渦の中でユダ王国も巻き込まれてゆく。
エジプトはユダ王国の挑戦を難なく退け、戦死したヨシヤ王に代り傀儡のエホヤキム王をユダに立てて貢納国として、さらに北進しバビロニア軍との雌雄を決する戦いに赴いていった。

やはりユダもイスラエルも小国であり、この時代の趨勢からして「全能者の主権が表明されていた」という見方をこれらの弱小国にしたのでは、却って神への非礼を免れないのではないだろうか。もちろん、イスラエルは神との契約関係にあったのだが、この関係はイスラエル民族の不実さや怠慢に左右され続けたのであり、そこに神が「主権を置いた」と現代的な評価を下すことは、やはり人間の愚劣によって全能者を卑しめ兼ねないことである。
むしろ、神YHWHは以下に見るように「王たちを教え」自在に動かす神々の神というべきである。(イザヤ41:2) 

さて、ユダ王国を処置して進軍してくるエジプト軍に対して、バビロニアのナボポラッサルは皇太子であったネブカドネッツァルに軍を託してユーフラテス上流に向かわせる。そして前606年のカルケミシュの戦いでエジプト軍は大敗を喫し、以後エジプトは西アジアの覇権も失い、母なるナイルに抱かれた自国に引き戻されていった。

こうして俯瞰すると、ヨシア王の無益に見えるファラオへの挑戦も、エジプト軍の進軍を遅らせることになっており、新バビロニア帝国という新たな覇権国家を登場させる役割の一端を担ったかの観がある。だが、その新帝国も、結果的にユダ王国の保護とはならないことになる。

預言者イザヤは、ユダ王国が律法を守らず、不信仰で多くの罪を重ねた国民への処罰として、バビロンへの捕囚を再三予告していたのだが、新バビロニア帝国がアッシリアとエジプトに勝利して世界覇権を手にすることにより、その神の企図が成就に向かい進んでゆくさまをそこに見るが、それは、誰がどのように行動しようとも、必ず神の企図に沿った方向に流れる時代の潮流であったということができる。


◆エルサレムの滅び

さて、バビロニアとの雌雄を決する戦いに挑んだエジプトのファラオ・ネコもカルケミシュで敗れると、勢いに乗ったバビロニアはシリアやヒッタイトを攻めてキリキアまでを得て、エルサレムも一度征服し、最初の捕虜を取るが、その中にダニエル書を著したダニエルと三人の友が含まれていたことであろう。しかし、ここに至って父ナボポラッサルの訃報を受けたので、歴戦の王子もひとたび王都バビロンに戻り、王位を継承してネブカドネッツァルⅡ世としての強大な新バビロニア帝国の建設に名乗りを上げることになる。この即位が前605年とされている。

ネブカドネッツァルという英傑王を得たバビロニア軍は、再び反乱を起こしていたシリア方面に軍を向け、そこから南に転じてフェニキアやパレスティナへと侵攻するのであった。

当時のユダ王国はエジプト軍に打って出て戦死したヨシヤ王の亡き後、前述のように、その子エリヤキムが名をエホヤキムと改められ、エジプト傀儡の王として弱々しく何とか国を保っている状態にあった。
エホヤキムはファラオ・ネコに課せられた重い貢納を支払うために自国民には重税を課す一方で、自分は豪勢な暮らしを望んで、民の生活を顧みず、国土は周囲の奪略に喘ぐ有様であった。

このエホヤキムの悪政を糾弾する預言、そして来るべきバビロニアによる滅びを生涯を懸けて宣告したのが、このころに、神YHWHから遣わされた預言者エレミヤである。

しかしエホヤキム王は、却って、自分を責めるエレミヤの預言の書を切り裂いて燃やしまでしたのであった。そのときにはバビロニアの勢力は未だパレスティナに臨んでいなかったため、この愚王にとってはエレミヤの預言に切迫感を持たなかったのであろう。

しかし、バビロニアが新王ネブカドネッツァルⅡ世と共に再びシリア・パレスティナ方面に遠征に乗り出す中、エホヤキムは没し、この悪政を成した王の遺体は、民の怨みを買っていて、まともに葬られることもなかったという。

バビロニア軍がエルサレムを包囲すると、ユダはこれに降り、ネブカドネッツァルはエホヤキムに代って王位にあったエホヤキンを捕虜としてバビロンに連れ帰ることとし、エホヤキンの叔父のマッタニヤをゼデキヤと改称させてユダに傀儡王として据えた。この時期にネブカドネッツァルはユダの有能な人材を集め、約一万人をバビロンに送るが、これが第一次のバビロン捕囚とされている。

その中には預言者エゼキエルが含まれていたであろう。(列王第二24:15)
こうしてユダ王国は再び命脈を保ったものの、エジプトの次にはバビロニアの貢納国として従属関係に入ったのであった。しかし、世界情勢は不安定であり、ユダ王室でもその後の対処についての意見は分かれていた。

その後、エレミヤは預言してゼデキヤにバビロンへの恭順を再三促すのだが、王の近臣たちはこれに異を唱えてエジプトを頼るようにと説得を続けた。
そうしてゼデキヤの治世の間にエジプトではファラオがネコⅡ世からプサムティコスⅡ世へと代替わりし、ユダとの仲が親密になってゆく。
しかし、ゼデキヤは治世の第八年に貢納品を携えてバビロンに赴き、服属を誓うのであった。

それにも関わらず、ゼデキヤの近臣はエレミヤを王から遠避けて、エジプトを頼ってバビロンの頸木から脱することを唱え続ける。
エジプトではファラオが更に代り、好戦的な姿勢を見せるアプリエスが即位した。このファラオはバビロニアへの挑戦を見せ、エドム、モアブ、アンモン、テュロス、シドンにバビロニアへの反抗を教唆する。
この影響も受けて、遂にゼデキヤはエレミヤの預言に反して近臣の意見に屈し、遂にバビロニアへの従属関係の破棄を宣言してしまった。

エレミヤの預言では、バビロンに服属している限りユダは国を保てたのであったが、ゼデキヤは越えてはならない一線を踏み越え自国を滅ぼす道を選び取ってしまったのである。
 
翌年、ネブカドネッツァルの軍はエルサレムを包囲し、市内には窮乏が襲い、更に翌年のタンムズの月の9日*には遂に城壁が破られ、バビロニア軍が続々と市内に侵攻し、ダヴィデ以来の王朝もここに途絶えることになる。

次いで翌アヴの月には、神YHWHの神殿も市街と共に破壊されるに至るのであった。こうしてモーセ以来の律法祭祀制度も一度終りを迎えるのであった。(列王第二25:3-4)

これは前586年の事とされており、このヨシア王以後の騒乱の時期から「契約の箱」が歴史資料から姿を消しているが、他国に捕われてさえ、周囲を動かし自力で戻る奇跡の箱がそれ以来二度と戻らなかったからには、そこに律法契約から後の『新しい契約』への神の意志を見るかのようである。

生き残ったユダ国民は多くがバビロンに捕え移され、結果的に僅かに残されたユダの農民らも、エレミアの預言に従わず、バビロニアに任命された同朋の総督を殺してしまい。その報復を恐れて、エジプトに去ってしまった。こうしてユダの地は人が住まず荒れるに任される。

だが、神YHWHは、再三にわたって預言者らを通し、ユダとイスラエルの民の『約束の地』パレスティナへの帰還を予告させていたのであった。

こうした人の目には到底起こり得ないようにみえるイスラエルの帰還とその神YHWHの祭祀の復興という大業を成し遂げる器として任命される者(メシア)を、神はイザヤを通し「キュロス」と名を挙げて指し示していたのであった。

イスラエルの聖なる神YHWHには、ユダ=イスラエルの父祖アブラハムへの約束を反故にすることなど、その全能性が許さなかったであろう。アブラハムの裔イスラエルは人類の祝福となる『諸国民の光』となることが神の意志であったからであり、この民族はこのまま終わってしまってはいけなかったのである。
 


◆小アジアのリュディアの勃興

この時代のオリエント諸国は躍動期に入っており、世界はその趨勢を大きく変えようとしていた。

そしてアナトリア半島西部地域でも、ギリシア系の諸都市を束ねる国家が成立していた。
それが、小アジアのサルディスを王都とするリュディア王国であるが、この国もキュロスの登場を語るに際して欠くことのできない要素を成している。

この地域のギリシア系諸都市は、イオニアやアイオリスなどの民族毎に緩やかな連合を結ぶものの、それぞれが独立した都市国家であった。
しかし、その中からサルディスを首都とするリュディア王国が頭角を現し、スミュルナを始め周辺のポリスを支配下に置き始めていた。

富裕なことでリュディア王クロイソスは有名となったが、その父王アリュアッテスのときには、それまではリュディアもメディアと同様に、アッシリアが強勢覇権国であった間は雌伏の貢納国であったものを、その衰亡に乗じてメディアがアナトリア半島東部まで勢力を伸ばしてきたところで、リュディア王アリュアッテスはメディア王キュアクサレースⅡ世を相手に、カッパドキアを争って五年も戦っていた。

打ち続く戦の日々が進み、カッパドキアからシノペ方面をに向かって黒海に注ぐハリュス川の近くで双方が激しく戦闘を行っていたところ、突然に昼が夜になってしまい、両軍はそれを不吉な兆しと見るなり、恐れをなして戦うのを止めたのであった。これは前585年5月28日に起こった皆既日食であろうと今日では想定されているものである。

ともあれ、この日蝕をきっかけにして、リュディアとメディアの両国は、バビロニア王となっていたネブカドネッツァルの仲介を得て和睦し、リュディア王アリュアッテスは娘のアリュエニスをメディア王子アステュアゲスに娶らせた。
こうしてメディア王家にはリュディアの血が流れることになるが、やがて、このアリュエニスは娘マンダネを産む。

他方で、リュディア王アリュアッテスが前561年に亡くなるとその王子クロイソスが35歳で即位し、リュディア王国は版図をカッパドキアとキリキアを除くアナトリア半島に広げ、同地からの砂金の産出も得て、いよいよ富と繁栄を極める。
こうして、覇権国家アッシリアの去った後には、メディア、バビロニア、エジプト、そしてこのリュディアの四強が現れた。

この時代についてはヘロドトスやクセノフォンが詳述しているが、それぞれに矛盾もあり、正確さには異議が唱えられているものの、それらを基にして当時の出来事を幾らか描き出してみると、そろそろ、この辺りからがイザヤの預言したキュロスの登場の場面に光が当たるかのように背景が見えて来る。


◆狙われた命

前述のように、ハリュス川での戦いが日蝕によって遮られ、リュディアの王女がメディアの王子アステュアゲスに嫁いだあと、マンダネという娘が生まれたのだが、王位を継いでいたアステュアゲスは不可解な夢を二度見たのであった。
一度目は、娘のマンダネが小水でエクバタナの都を水浸しにしてしまい、それがアジア全体に広がってしまう夢であった。

さて、メディアに知られる六部族の中にギリシア語で「マゴイ族」(アヴェスター語では「マグ」)と呼ばれる支族があり、この部族は他に無い生業によってメディアの民の中で過ごしてきたのであるが、その生業とは祭司であり、様々な卜占を行い王家にも少なからぬ専門家を置いて神々からの吉凶の知恵を与えていたという。(伝道10:14)

ギリシアのマトンなどが日蝕や月食の周期を唱えて、それが知られるようになる以前のこの時代の人々は、天文を読み、後に起こることの吉凶を知ろうとすることに敏感であったればこそ、戦争を仕掛けるにも神に覗いをたて、日蝕に怯えて軍を引き、また同盟を結んで血縁関係にも入ったのである。

その夢が気になったアステュアゲスはマゴイに夢解きを依頼したが、その答えというものはこうであった。
即ち、マンダネから生まれる男子が王となれば、メディアを滅ぼし、アジアの全体を手に入れるというのである。
アステュアゲスはマンダネがいずれは産む子供を怖れた。自分の王位を脅かしはしないかという専制君主には共通する恐れというべきであろう。しかもヘロドトスによればアステュアゲスには男子がなかったのである。

そこで、アステュアゲス王はマンダネを自国メディアの高貴な家柄に嫁がせることを避け、属国であった小国ペルシアの王カンビュセスに嫁がせたのであった。
しかし、はたしてマンダネがペルシアに嫁いだその年に、アステュアゲスは二度目にマンダネの夢を見た。やはりマンダネから葡萄の蔓が伸びてゆき、遂にアジアを覆い尽くしてしまうという夢であった。

王はマゴイを呼び、この夢も解かせるのだが、やはり、マンダネから生まれる子はアステュアゲスに代って王となると言うのである。
娘の妊娠を知ったアステュアゲスは、ペルシアからマンダネを呼び出し、厳重な監視下に娘を置いた上で、忠臣のメディア貴族ハルパゴスに命じて、子が生まれたなら直ちに自分の家に連れて行って殺すよう命じたのであった。

しかし、ハルパゴスは無慈悲な殺害を行う気にはなれず、自分に仕える牛飼いに委ねて、この嬰児を野獣の棲む北方の山地に放置して死ぬに任せるようにと命じた。
牛飼いは道々ハルパゴスの召使いから事情を打ち明けられ、その意味するところをすっかり知ってしまったのであった。

しかし、まことに偶然な事ながら、その牛飼いの妻も妊娠していたのが、男児を死産したばかりであったという。
そこで、この牛飼いのスパコと言う名の妻は夫に強くせがんで、その子を生かしてやって欲しい、その代わりに自分が死産した子の方をハルパゴス様にお見せして欲しいと言うのであった。
牛飼いも、それはもっともな事と思い、自分たちの嬰児の亡骸を山中に運び、ハルパゴスの使いにそれを見せておき、マンダネの産んだ王子の方は自分たちで引き取って育てたという。

こうしてこの嬰児は、牛飼い夫婦によって辛くも命の危機を脱することができた。
この嬰児こそ誰あろう、後の大王キュロス(古ペルシア語「クルシュ」)なのである。

この嬰児は生きなければならなかった。この二世紀前のイザヤの預言はこうなっている。

『YHWHが油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。わたしは彼の右の手を導き、国々を彼に従わせ、王たちの武装の帯を解かせる。彼の前に二重の扉は開かれ、どの城門も閉ざされることはない。
わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を粉砕し、鉄の閂をへし折り、わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。

それであなたは、わたしがYHWHであり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることを知ることになる。
わたしの僕ヤコブ、わたしの選んだイスラエルのために
あなたは知らなかったが、わたしがあなたの名を呼び、栄誉ある名を与えたのだ。』
(イザヤ45:1-5)

ここにはバビロン捕囚を経験することになるユダヤ人と既にアッシリアの各地に散らされているイスラエルを解放させ、パレスティナへの帰還を実現させるための器としての働きが予告されているのである。
それも、この予告が実現する150年以上も前に神YHWHは預言者イザヤによって語り、確かにキュロスを「リ マシホー、レ コレシュ」[לִמְשִׁיחֹו֮ לְכֹ֣ורֶשׁ] 即ち「メシア(任命された者)キュロス」とヘブライ語で名指ししたのであった。 彼自身はそれを意識しなかっただろうが、神はかつてダヴィデ王にそうしたように、生まれる前から彼を予見し、更に名指しで召していたのである。
しかも、上記のように歴史書を紐解くと、王に命を狙われ死にかけ、牛飼い夫婦に救われた嬰児がそのメシアであるというのである。

さて、ここまでくれば、キリスト教に通じた読者諸氏ならば、もう一人の王に命を狙われたメシアとなるべき嬰児が思い浮かぶことであろう。
それこそは、イエス・キリストに他ならない。


◆目に見えぬ世界の戦い

嬰児であったキュロスの上にもたらされた命を奪う策略と、幼子イエスの身の上にも生じた危機とには共通する介在者が居る。
それが卜占を生業とする者、メディアの一支族「マゴイ」(ギリシア語・複数)である。彼らは六百年も後の時代に依然存在していたことを新約聖書から我々は知る。

即ち、『ユダヤ人の王として生まれた方はどちらにおわしますか?』と、権力欲に溢れ、猜疑心と嫉妬心の塊であるかのような晩年のヘロデ大王の許をわざわざ訪れてメシアとなる赤子の所在に注意を向けさせた三人の占星術者らのことであり、マタイ2章では紛れもなく彼らをギリシア語で「マゴイ」[μάγοι]と呼んでいる。
彼らがヘロデを訪ねることが無ければ、幼子イエスは狙われず、ベツレヘム・エフラタの幼子たちの命も奪われなかったであろう。

それこそは、三人のマゴイが悪霊によって『星を観て』、つまり自らの占星術に導かれた結果なのである。
即ち、神のメシアの現れを除くべく、その生み出されるところで命を奪い、そうして神の御旨を阻止しようとする者とは、かの「反抗する者」サタンとその一党に違いない。

イエスの場合には、天使がヨセフに警告を与えて、エジプトに一家を逃れさせてメシアとなる幼児の命は守られたが、その約六百年前にも、やはりマゴイを介してメシアとなる嬰児の命が狙われ、それを牛飼い夫婦が救っていたのであった。
そこでは、人には見えない世界での神とサタンの闘争があることが示されている。

こうした見えない霊界の闘争があることは、ダニエル書中でも示唆されている。
ダニエルの祈りに対して、神から遣わされた有力な天使であってすら、『ペルシアの君』と呼ばれる何者かの霊者に行く手を阻まれて21日に及び、そこで天使長ミカエルの助けを必要としたのである。

その『ペルシアの君』とはおそらくは、サタンもしくは有力な悪霊のひとりなのであろう。ダニエルに現れた有力な天使は、『ペルシアの君』の他に『ギリシアの君』と呼ばれる何者かが居ることも明かしている。(ダニエル9章-10章)
こうしたサタンの霊の勢力に用いられて、メシアの誕生したところを殺してしまうために用いられていたのが、地上の卜占業者らであり、メディアの「マゴイ」であった。

他方、多くのキリスト教徒はマゴイを「マギ」と呼び、イエスの誕生を祝いに来た東方の三博士などとありがたがり、それもイエスが生まれた訳でもないクリスマスの時飾り付けているのだが、それは恐るべき無理解と云う他ない。この「マギ」が「マジック」つまりは「魔術」の語源となってもいる。
実に、マゴイはサタンに遣わされた刺客に等しかったのである。
しかし、その企図は二回とも挫かれ、神の御旨が成就するに至っていることの方がどれほど有り難いことであろう。

そしてキュロス大王となるべき嬰児も、マゴイとその背後に控える霊の勢力からの攻撃をかわして、質素で目立たぬ 牛飼いの家で成長を遂げてゆく。
その子には初めからキュロスの名が与えられたのではなく、キュロスと呼ばれるのは後にペルシアの宮廷に戻ってからのことである。 したがって、イザヤのヘブライ語の預言で「コレシュ」に相当する「ペルシア語「クルシュ」と名付けられるに至ったのは十歳を過ぎたころであったろう。

この点、後にキュロス大王が「犬に育てられていた」と噂されたのも、牛飼い夫婦にしてみれば自分たちが大王様の里であったとはまことに畏れ多いと思われたのであろう。
養母となった牛飼いの妻は名をスパコと云ったが、ペルシア語でスパカは犬を意味するところから来たものと謂われているそうである。

確かに、スパコなる女が文字通りの授かりものであるその子に、よくよく愛情を注いだことが窺える。カンビュセスとマンダネの宮廷に戻った少年キュロスは、養母を褒めちぎって憚らなかったとヘロドトスは書いている。しかし、それは宮廷には都合が宜しくもなかったことであろう。その件は表向きでは隠されていたようで、それゆえにも「犬に育てられた」とのローマの建国者ロルムスとレムスのような英雄伝説が語られもしたようである。


しかし、どのようにしてキュロスは王家に戻ることになったのだろうか。


◆頭角を現す少年

キュロスの少年時代からの成長ぶりについては、ギリシア人でペルシアの傭兵にもなっていたことのあるクセノフォンが「キュロスの教育」に詳しく書いている。
しかし、クセノフォンがこの書を記した目的は、歴史を忠実に追うことよりも、ペルシアの教育がどれほど廉直で優れているかをギリシア語を話す人々に知らしめるところにあったが為に、史実に忠実ではないとの批判はどうやらその通りらしい。

しかし、クセノフォンの経歴からして、すべてが間違いとは言えず、おそらくは、メディア・ペルシアでの年齢別にグループを作ってそれぞれに指導を受け、正義と困苦を学ぶというところはその通りであったように読める。つまりは、今日の学校、あるいはボーイスカウトや青年団のようなものだったのだろう。年若いキュロスもこの制度に従い、王室に籠って庶民の暮らしぶりも困苦のほども知らずに育ったような軟弱な王子とはならなかった。

またヘロドトスもキュロスの少年時代について述べている。そこでは特に、正義感や職務への忠実さについては、キュロスの素性が殺害を命じた当のメディア王アステュアゲスに明らかになる場面で、意味を持ってくる。

それは少年が10歳のときであったという。少年のグループに属して「王様ごっこ」をして遊んでいるときのこと、キュロスが(少年時代の名は分かっていないが)王様に選ばれたので、家臣役の子供が職務を怠ったのを咎め、鞭打ったのだが、それは名士の子であった。

そのアルテムバレスという名の貴族は、遊びの中で為された罰により、自分の息子が傷を負ったことを王に訴えた。
そこでアステュアゲス王は、牛飼いとその息子を呼んでその件を質したところ、牛飼いの息子らしからぬ臆さぬ話しぶりと、その正義を弁明するさまに何やら格別のものを感じたうえ、自分にも似た容貌が非常に気になった。もし、殺害を命じた孫が生きていればこのくらいの年齢にはなっているだろうと思うところもあって、気が動転するほどであったという。

事の真相を知ろうとして、訴えた親子は早々に帰し、牛飼いだけにさせて事の次第を尋ねるが、牛飼いは自分の子だと言う。そこで拷問の用意をさせると、遂に牛飼いも真実を話し出した。
アステュアゲスは、牛飼いはともかくも、忠臣と信じて必ず殺せと託した筈のハルパゴスの方に強い憤懣を抱く。

王はハルパゴスを呼びつけて真相を話したが、自分の懐く怒りは顔に出さずに、孫の生存を喜んでいると言う。
そして、ハルパゴスの息子を自分の孫のところに与えるように、その上で祝いの食事に来るようにとも命じた。
 
ハルパゴスには13歳の一人息子がいたのだが、これを王宮に送り、自分も王の饗宴に与るために喜んで王を訪れた。しかし、これは王の激怒の籠った策略であり、彼に供された料理は、その息子の肉であった。
宴会が終わり、肉のことが明かされてもハルパゴスは表情を変えずに、息子の残った遺体を携えて家に戻ったというが、もちろん、一人息子とその親をこのように過酷で無慈悲に扱ったからには、ハルパゴスの中に主君への怨念の宿ったことは想像するまでもない。そして、この復讐はやがて遂げられることになる。

次いで王は夢解きを行ったマゴイを呼びつけて、死んだと思っていた孫が生きていたがどうするべきかと問う。
すると、マゴイは自分たちへも災難の及ばぬように王の機嫌をとるかのようにして、その子が既に「王様ごっこ」で一度王になっていたのであれば、もう心配はないと言い訳を述べるのであった。
「夢とは他愛もない事の上に成就してしまうこともあるものだ」とも言い立てるマゴイは、ここで明らかに危険な劣勢に立っており、それはやがて訪れる決定的な断罪と彼らの刑死の前兆でもあった。

さて、孫が生きていたことをペルシア宮廷と娘のマンダネに知らせると、キュロスの両親は大いに喜んで少年を引き取った。キュロスの名を得たのはこのときのことであろう。
しかし、その後も少年キュロスは祖父アステュアゲスをメディアの宮廷に尋ね、賢くて活発な上、周囲の人々に身分の隔たりなく優しい性質を見せていた。これが、少年キュロスの培った正義と、身分を越えた親密の情などの誉めるべき特質が、メディア・ペルシアの年齢層別の訓練に由来するとクセノフォンが強調したかったところのひとつであろう。
 
そのように優れた彼の特質は無数の兵士を束ねる上でも、敵をさえ心服させる度量の大きさとなっていったことが窺える。だが、イザヤの預言を知る者からすれば、そこに将来の神YHWHに用いられるメシアとしての相応しい優れた資質を感じさせるものである。

彼は、山地が多く騎乗の難しいペルシア*よりは、高原平野のメディアで騎乗を存分に学ぶことを楽しみ、ほどなくして同年輩の誰にも負けない乗り手に成長したという。*(「パールサ」は「辺境」の意であるという)
また、自分の不得手な分野に一層の努力を傾け、あらゆる分野で優れた者に成長を遂げていったともクセノフォンは言う。
メディア・ペルシアでの教育は、正義を学びつつ身体を鍛えるばかりでなく節制も身に着ける、それは、飲食を少なくして困苦にも耐え、睡眠を削ってでも注意を払い続ける忍耐力を培うことであったという。

キュロスを自らの許に得たカンビュセスⅠ世は、さらにキュロスに軍を率いる者の資質について教え、狩りでの実習も積んでいたようであるし、クセノフォンはキュロスが青年期にバビロニア軍との会戦を経験したことを記している。
こうして、生き長らえた命は見事に成長し、その実を結ぶときが近付いていた。


◆キュロスの立つ日

さて、息子を料理されたメディア貴族ハルパゴスは復讐の機会を窺っていたが、アステュアゲス王の暴虐ぶりには、他の多くの貴族も憂慮させ、また恨みを抱かせていた。
そこでハルパゴスは、陰で仲間を増やしつつあったし、利発で活発な少年キュロスも寡黙で思慮深い青年に成長しておりアンシャン分封の王となっていたので、もはや気も熟したようであった。
彼は、キュロスに決起を促そうと、一匹のうさぎを贈った。その中には密書が仕込まれており、もしキュロスが立つなら、メディア貴族はこれを迎えると書き送ったのであった。

キュロスは祖父の悪政ぶりを勘案熟慮の上で、ペルシアの将兵を束ねるために各地に通達を発し、自分はアステュアゲス王からペルシア軍の司令官に任じられたと偽った。
その上で、将兵を集めるに当たり、一日目には鎌を持参させて、一面に刺ある茨の生えた野原を開墾させ、次の日には父カンビュセス王の家畜を集めて屠り、兵を饗応したのであった。
そして、昨日と今日とではどちらが良いか?と尋ねる。もちろん答えは辛い労働よりは肥えた肉を食らうことである。

そこでキュロスは『私の言う通りにすれば、今日のような目にいくらでも遭えるが、その気を起こさねば昨日のように辛い毎日が続くぞ・・自分は神意によってこの世に生を受けこの大業を任されたと思っている。そして皆は戦いでも他の事でもメディア人に引けを取らぬと思っている。・・いまこそアステュアゲスに謀反を起こすべきなのだ。』と将兵の心を掴み、決起を促したのであった。

軍は勇み立ちエクバタナに向かって進軍を始めた。
前552年、緒戦はヒルバという城市での戦いとなったが、キュロスの軍は数が少ないので、彼は父カンビュセスに数千の兵を嘆願し、なおそれがメディア王の指令であるかのように装うことも付け加えていた。そこでカンビュセスは可能な限りの兵を息子に託したという。

戦闘が始まると、ハルパゴスは王アステュアゲスを欺いてキュロスの反乱を過少評価させたが、ペルシア軍が迫ると王は、迎え撃つメディア軍をあのハルパゴスに委ねてしまったのであった。
ハルパゴスは軍を率いて進み、ペルシア軍と開戦はしたのだが、ハルパゴスを筆頭に謀反を起こそうとしていた貴族とその軍はペルシア側に寝返ったり、戦闘を放棄したりしてしまいメディアの軍は敵を前に崩壊してしまった。

これを聞いたアステュアゲス王は、「王様ごっこ」で一度王になっていたからもう安心で、「夢など他愛も無い成就もある」と言い訳していたマゴイどもを串刺しにして処刑するや、残りの兵を率いて自らキュロスの軍に立ち向かったが、人望のないメディア王ではもはやキュロスに抗うことは出来ず、敢無くアステュアゲスも囚われの身と相成ったのである。

アステュアゲスはハルパゴスを見て、王権をメディアに保たずペルシアに渡してしまったと罵ったが、キュロスの前に専制君主の陥りがちな暴君でしかないアステュアゲスは、もはや大国を導く器ではなく、この以前から親族やメディアの重臣の信任を得たキュロスに趨勢は決していたというべきであろう。しかし、キュロスは祖父アステュアゲスを殺すことも何の害も加えることもなく、死ぬまで養ったという。

こうしてマゴイの夢解きは実現し、キュロスはエクバタナに迎えられるように入城し、ふたつの国メディア・ペルシアの実質的な主となったのであった。メディアの貴族たちもキュロスを受け入れて従い、こうして双方の血を引くキュロスの下で、メディアとペルシアは断ちがたい二重国家となって更に強固な王国となっていった。これは西暦前550年のことであったと云う。(異説はあるが、このときアステュアゲスには定めた王位継承者がいたらしい。そのためキュロスがメディアとペルシアの名目上でも統治権を得るのは後のことになったらしい)

この結末はといえば、マゴイの裏で糸を引いていたサタンは、マンダネをわざわざペルシアに嫁がさせ、次いで、嬰児殺害にも失敗し、分け隔てなく人を扱う人徳をキュロスに与えてしまい、こうして却って神の預言を成就させることをしてしまったことになる。


◆日の出の勢いのペルシア

さて、アッシリア亡き後に現れた四強国家の中で、小アシアのリュディア王国は、前560年以後、優れた新王クロイソスを戴き、版図を広げつつ領内から産出する砂金もあって、富み栄え意気軒昂であった。
小アジアが手に入ると、クロイソスはメディア・ペルシアを攻めたものかと思案し、神託に伺いを立てようとしたが、その前に、どの神の託宣が信頼できるのかを試すことにした。
彼は、ギリシア諸国の神々の託宣所に自分が指定した日に何を行っているのかを言い当てさせたのであったが、その結果、特にアカイアのパルナッソス山近くにあるデルフォイのアポロン神殿の託宣の正確性を確認した。

そこで、デルフォイの巫女に伺いを立て、自分がメディアと戦端を開くべきかを問わせたところ、「メディアで騾馬が王になったならば・・ヘルモス川に沿って逃げろ」との託宣を得たが、彼はこれを喜んでしまった。なぜなら、騾馬が王になることなど有り得ないと思えたからであった。また、デルフォイとアンフィアラオスの双方が「クロイソスがペルシアに出兵すれば大国を滅ぼすことになる」と託宣を伝えてきたことも、その滅ぼされる国が自国ではなくペルシアの方だと思い込んで喜んで戦の用意にかかり、ギリシア最強の都市国家スパルタと同盟を結び、キュロスとの戦いに万全に備えたのであった。

クロイソスは、かつて先代が日蝕でメディアと和解した停戦ラインのハリュス川を渡河して侵攻し、カッパドキアのプテリアに着陣し、周囲を占領した。
一方で、キュロスも道々兵を集めて進軍しカッパドキアに入った。前547年秋の事であったという。

両軍はプテリアで激突し、非常に激しい戦いとなったが、一日では形勢は分かれず勝敗が付かなかった。
翌日、クロイソスはペルシア軍が一向に攻撃を仕掛けて来ないので、キュロスは戦意を失ったと解し、ならばカッパドキア侵攻は、精強なスパルタ軍などの到着を待ってから仕切り直しをしようと思い立ち、戦場を後にして自国に引き上げ、連合軍は各国に返し、サルディスの都でバビロニアにも使いを送り助勢を依頼し、翌年の侵攻の準備をし始めたのであった。

キュロスは、その行動を読んで、クロイソスが一度軍役を解くであろうことを悟り、そこを急襲する作戦を取り、リュディア軍を追うようにしてサルディスを目指したのであった。
やがてペルシア軍が近付いていることを知ったクロイソスは大いに狼狽したが、そこは覚悟を決めて果敢に打って出た。
しかし多勢に無勢。頼みの優秀な騎兵もペルシアの駱駝隊に蹴散らされ*、クロイソスは一族共々ペルシア軍に捕えられてしまった。*(馬は駱駝が大の苦手という)

当初、キュロスはクロイソスとその一族を処刑して神に初穂として捧げようと、薪を積み上げ着火したのだが、それまで黙っていたクロイソスが、富が人を幸福にはしないと彼の運命の不確かさを指摘したアテナイの哲人ソロンや、デルフォイの託宣を得たアポロン神の名を呼ばわり始めたので、キュロスが通訳を介してその意味を聞くと、自分と同じ人間でありながら富み栄えたもうひとりの人間を火刑に処すことの無常さに想い至り、急いで火を消すようにと命じたという。ましてクロイソスは、キュロスの母マンダネの兄弟の立場にあり、まるで他人ではない。

だが時遅く、火勢はすっかり強くなって人の手には負えない状態になってしまっていた。
しかし、そこに黒雲が現れ沛然たる雷雨が降り注ぐや、その火勢をも消してしまったとヘロドドスは伝えている。
この件もあって、クロイソスは衆人の尊敬されるところとなり、その後、彼は見事な一計を献じて、キュロスにペルシア兵からのサルディスの全き奪略を回避させ、クロイソスは以後、キュロスに参謀として従うことになる。

キュロスは、クロイソスを鄭重に扱い、どうしてペルシアと闘おうというつもりになったかを問うと、クロイソスはギリシアの神々がそうさせたと答え、「平和より戦争を選ぶ無分別な者がどこにあろうか」と言った。デルフォイの託宣の「王になる騾馬」とは、キュロスのことであり、彼の中にはペルシアだけでなく母を通してメディアとリュディアの血も流れている点で騾馬のような混合種ということであったのだろうが、ギリシアの神々はこのように人のどちらともとれる託宣を与える意地の悪さを見せてきたのであり、後世、デルフォイの神託所に入る前に巫女の述べた苦情「さてさて、あなたは負けないお方だ」の一言で十分だと引き上げてしまったアレクサンドロスは、ギリシアの神々に惑わされなかった点では賢かったのであろう。

その後、キュロスはハルパゴスを小アジアの総督に任じ、クロイソスを連れてその地を後にした。
こうして、キュロスはエクバタナ占領から三年という短期間のうちに四強のメディアとリュディアを加え、後には南にあるエラムも征して、その勢いは残るエジプトとバビロニアに大きな脅威を与えるまでになったのであった。


◆バビロンの衰退とペルシアの侵攻

新バビロニア帝国というものは、多くをネブカドネッツァルⅡ世に負っているということができる。
彼は皇太子の時期からエジプトを退散させ、ヒッタイトを支配下に収めた。

即位してからの権勢も目覚ましく、シリア方面からパレスティナに侵攻し、エルサレムを神殿諸共に破壊し、民をバビロンに捕囚に処した。
それに加えて、バビロンは遂にエジプトを占領し服属させるまでになった。これはかつてのアッシリアのような世界覇権国家となったことを意味している。
バビロンでは、市の領域を倍に増やし、空中庭園を始め美しく大きな建設を次々に行い、バビロンは当代随一の洗練された都会となったと言われている。

しかし、この大王の死後と言えば見るべき傑出した王を持たなかった。
ネブカドネッツァルⅡ世の王権を前562年に継承したアメル・マルドゥク(エヴィル・メロダク)は、治世僅か二年にして義理の弟のネルガル・シャレゼル(ネリグリッサル)に暗殺されてしまう。
そのネリグリッサルの四年の治世を持つのみで没し、余りにも幼いラバシ・マルドゥクが九か月王座にあったところで、やはり暗殺される。
こうなると、バビロニア王朝の凋落は目に見えている。その背後にはバビロニアの主神マルドゥクの神官らがこの混乱に関わっていたようである。

というのも、その混乱を鎮めて次の王となったナボニドゥスは、神官らを監督し、その人事を掌握してその勢力を削ぐところに注力したからである。そして自身はマルドゥクではなく、月の神シンを崇拝していた。
ナボニドゥスがバビロン王として即位したのは前555年、それはキュロスがエクバタナに迎えられてメディアの王権を手にする5年前のことであった。ナボニドゥスは西方の反乱を鎮めるためにシリアに赴き、バビロニアについては息子のベルシャッツァルに委ね、シリアに十年(ca前553-543)も長期滞在をしていたのであるが、その間にキュロスの方は、前述のようにリュディアを破り(前547)、更に7年後(前540)にはエラムを征服して、着々とバビロニア侵攻の機が熟しつつあった。

さてネブカドネッツァルⅡ世は同盟関係にあった時代からメディアへの備えを怠らず、大河の河口方面からオピス(現バクダッド北80km)まで続く長い壁を構築していた。
そのためキュロスは北方からバビロニアへの侵攻を始め、メディアとペルシアばかりか上下のフリュギア軍などアナトリアの兵までもを加え、チグリス上流のアルベラ方面から侵入したところ、同地ではバビロンへの反乱が起こり、ペルシア軍は戦わずそのまま南下し、オピスでナボニドゥス率いるバビロニア軍を会戦する。そこにはティグリス川に架かる橋があったとクセノフォンは云う。(前539年)

しかし、バビロニア軍は敗退しナボニドスはボルシッパに落ち延びたと「ナボニドス年代記」は記す。
キュロスの連合軍は遂にバビロン城市を攻めることとなるのであった。


◆バビロン攻城戦

キュロスが都市バビロンを目にしたのはこのときが初めてのことであったろう。
彼はバビロンの広大さ、隙無く高くて分厚い二重の城壁を眺め、「これを攻略する方策など思い浮かばぬ」と軍議でもらしたとクセノフォンは記している。
バビロン城市は方形でヘロドトスによれば各辺が120スタディオン(21.6km)*もあったという。その中央をユーフラテスが流れ、その両岸に城市が広がっていた。*(ヘロドトスの数字には時に誇張もあるという)

左岸には王宮やマルドゥク神殿の八層ジッグラトが聳える行政区があり、右岸側には広大な耕地があって、この土地の驚異的な小麦の収穫率からしても、兵糧攻めをしたところで攻守どちらが先に干上がるか知れたものではない。城内には20年分の食料の蓄えがあったと云われたが、どんな軍隊であれ、それほど長い攻囲を続けられないことは目に見えており、しかもキュロスの同盟軍の内のカッパドキア、フリュギア、リュディアなどのアナトリア勢が、攻囲が長引きペルシアが劣勢に立った場合には、自分たちに寝返ることも期待できたのであるから、敗退を続けたバビロニア軍と雖も、首都の防備にはけっして負けない自信があった。

しかし、イザヤ書はペルシア軍の採用することになる戦法をも数世代前から予告していたのであった。
『深い淵にむかって「乾け、わたしはあなたのすべての川を干す」。またキュロスについては、「彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる」と言い、エルサレムについては、「ふたたび建てられる」と言い、神殿については、『その基が据えられる」と言う」。』(イザヤ44:27-28)

クセノフォンによる軍議の様子では、キュロスは攻囲を続けることを提案したところ、臣下のペルシア貴族クリュサンタスと同盟メディア軍にいたグティウムのサトラップであったゴブリュアスは、バビロンが城壁よりも大河ユーフラテスに守られていると指摘する。
そこでキュロスは、ユーフラテス川の水流を別に造る水路に向けてしまい、市内に向かう水を枯らして、川床から侵入する策を思いついたのであった。それでなくても秋に水位は最も低くなっている。この作戦なら、城壁に妨げられることなく、内部にいきなりに侵攻できる。
キュロスに耳には、バビロニア人が徹夜で乱痴気騒ぎを行うという秋の祭りがあることが入っていたので、水流を別の水路に流してしまう時をその夜とする。

水路掘削の間にバビロニアの兵が出て来ないように、城市の周囲には監視の塔と支城が設けられ、ペルシア軍が何を画策しているかを秘密に保つ。

大河の上流で堰が切られた侵攻の晩、満月に近い月明かりの中、ペルシアの大隊は目立たぬよう二列縦隊で密かにバビロンに向かい、同盟軍もその後に続いた。
近衛兵に川の様子を確かめさせると、二人分の背丈以上あった水位も、腿の半ばまでの深さになっていると報告された。
キュロスは全軍の将を鼓舞し、猶予を置かずに態勢の整っていない敵を捕らえるように指示し、川床を進んでいった。
 
川に面する城壁の扉は、警戒心薄く開け放たれており、侵入したペルシア兵は祭りの騒ぎの中に紛れ込むかのようにして門衛を突き刺し、自分たちも祭りを祝っているかのような大声を上げつつ王宮に向かっていった。こうなると「祭り」もまったくバビロンの敵となってしまう。

キュロスは戸外で出会った者は殺害し、屋内にいる者には外に出ぬように言えとバビロニアの言語を話す騎兵たちに言い含めておいた。それはまさに、ユダの捕囚民の命を救うものとなったに違いない。

さて、この間に王宮で起こっていたことについては、ダニエル書から知ることができる。
その晩、ナボニドゥスの子でバビロンの統治を任されていたベルシャッツァルは、王宮で盛大な宴を催していた。そこに居並ぶ高官らは千人を数えるという、攻囲されている最中とは思えない程の規模の大宴会である。つまりは、まったく油断していたのであった。

ぶどう酒で酔いのまわったベルシャッツァルは、かつて父祖がエルサレム神殿から奪ってきた金銀の聖なる器を持ち出して飲食し、一興としようとした。
それらの器で飲み、自分たちの神々を讃えていたそのとき、空中に手だけが現れ、部屋の壁に文字を記していったのである。しかし、その文字が何を意味するかは分からなかった。

上機嫌のベルシャッツァルの心は一転し戦慄が走った。ダニエル書では『その膝は打ち合った』という。
すぐに卜占師やらが呼ばれるが、誰も書かれた文字を読むことも解き明かすことも出来ずにいた。そこへ妃(皇太后か)がそこに入ってきて、かつて父祖ネブカドネッツァルが宗教の長として立てたユダの捕囚民にベルテシャッツァルと呼ばれていた人物、即ち預言者ダニエルを召し出すようにと勧める。

ダニエルが召しに応じて宴会場に姿を現すと、それを読む、即ち『メネ、メネ、テケル、ウ パルシン』これをダニエルは更にこれらを解き明かして『メネとは、神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことを、テケルは、あなたが秤で量られて、その量の足りないことが示されたことを、そしてペレスは、あなたの国が分かたれて、メディアとペルシアの人々に与えられることを意味いたします」。』(ダニエル5:26-28)

ベルシャッツァルは、それを聞くとダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖をその首にかけるように命じ、王国を治める者のうち第三の位を彼に与えるという布告を出した。
しかし、その間にもペルシアの尖兵は王宮に迫っていたであろうから、今更ダニエルに地位を授けたところでベルシャッツァルには何の益も残っていなかった。

こうしてエレミヤの預言も成就する。
『バビロンの勇者らは戦うことをやめた。彼らは砦にただ座りつづけ、その強さは朽ちた。彼らは女になった。建物には火が放たれ、その閂は折られた。斥候は走って他の斥候に会い、伝令は別の伝令に会い、バビロンの王に告げる。「王の都市はあちこちで占拠され、 渡し場は奪い取られてパピルスの舟は燃やされ、兵士らは慄いておりますと」。』(エレミヤ51:30~32)

クセノフォンの記述に戻ると、キュロスの同盟軍のゴブリュアスは王宮の扉を見つけたがそれは閉じられており、その外側で王宮の門衛たちとの戦いになった。
門衛たちの打ち合う音を聞いたベルシャッツァルが何事かと、外の様子を見させに衛兵を遣わし扉が開いたところにゴブリュアスの手勢と、共にいたキュロス麾下のガダタスとその一隊が共に中になだれ込み、近衛兵をなぎ倒して王のところに迫ると、ベルシャッツァルは抜き身の剣を手に、護衛なくただひとりで立ちつくしていたという。
これがこの王の最期であった。前539年の秋のタシュリツの月16日の深夜*のことであったと云われる。*(ユダヤ人の「ティシュリの月16日」グレゴリオ暦10月5日とされている)

こうして、ペルシア王キュロスは、ユダとイスラエルを流刑に処してけっして手離すことの無かった覇権国バビロニアの首都を、大河ユーフラテスの水を引かせて破ったのであった。
(ダニエル書では、この時にバビロニアを得た王の名をダレイオスとしているが、この人物についてはよく分かっていない。一説にはアステュアゲスの王位継承者がいたが、高齢に達していたのですぐにキュロスに王権が移ったことをクセノフォンやベロッソスは伝えているのだがヘロドトスはそうしていない)

この事のあって後、ダニエルは自らの神YHWHに祈り、イスラエルの咎が許され、約束の地パレスティナに戻って、その崇拝が復興されることを切に願う。
エルサレムの神殿が破壊されてから、47年目となっていた。彼はエレミヤの預言から、エルサレムの荒廃が七十年続くことを知ったが、そのエレミヤ書には『バビロンで七十年が満ちるにつれ、わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して、わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する』とも述べており、70年間の途中で行動を起こすことを示唆している。(エレミヤ29:10)
即ち、キュロスのバビロン征服も、エルサレムの荒廃を終わらせるには未だ道半ばであったというべきであろう。

そして、キュロスは全王権を得た第一年に捕囚民に目を向け、諸民族の神々への崇拝に寛容な政策を施行した。
殊に、バビロニアに蹂躙されていたエルサレムの神殿の再建には、奪われていた聖なる什器類を返還し、ユダの地には、エホヤキン王の第四子のシャルティエルの更に子であるゼルバベルを総督に任命し、領域内の該当する民に神殿再建のための帰国を命じたのであった。⇒「アリヤー・ツィオンの残りの者」 


こうしてキュロスは、神YHWHのメシアとしての大事業を成し遂げることができた。
彼自身は、この十年後に北方の戦線で、有能な参謀クロイソスを戦場から下げていた隙を突かれたかのように戦死を遂げてしまったが、既に世界覇権国ペルシアは揺るぎないものとなっており、その寛容な支配の恩恵によってユダヤとその崇拝は復興を見ることができたのである。

まさしく、神YHWHはこの人物の出生と成長を見守り、その進路を揺るぎないものとして、遂にバビロンの支配を降し、囚われのイスラエルへの善意を表明させている。確かに神は、キュロスの『その右手を導き』 その御旨を成し遂げるに至ったのであった。

神YHWHは、メディアのマゴイやギリシアやバビロニアの神々のようではなく、 人を欺くような神託などは与えない。いや、神YHWHは邪悪な者らには預言を正しく理解できないようにさせることがある。
預言の言葉に固執するあまり、後のメシアがベツレヘムから来るものと解釈し、ベツレヘムで生まれたものの、ナザレから来たイエスを見誤ったことがそのひとつである。それは彼らの信仰を試すものとなった。

しかし、神YHWHの預言の言葉は真実であり虚しくはならず、悪霊らの妨害を排し、必ず実現に向かってゆくものである。
イザヤに示された預言はその通りに成就し、ユダとイスラエルとは再び故国を得ることになったのである。 

それであるから、このキュロスというメシア無くしては、神殿祭祀による律法体制は再興できず、後に到来するメシア、即ちキリスト・イエスの舞台も整うことはなかったであろう。したがって、キリスト教も多くをこのキュロスに負っているのである。

そして、キュロスの働きが、終末において繰り返し意味を持つことをヨハネ黙示録が記している。
それはキリスト教をはじめ、あらゆる宗教、宗派を震撼させるものとなるであろうし、「終末のマゴイ」らは、新たなメシアの来臨を表す聖徒らの登場を阻止しようと働くことにもなろう。(黙示録12:3-4)

そのうえ「終末のマゴイ」は、最後の『背教』となる究極的な偶像礼拝を興し、臨御するメシアに対しては諸国の権力を慫慂し、『偽預言者』となって神と人との戦いへと人類を誘うことにもなろう。その『偽預言者』とは、聖霊を受けながらも脱落する聖なる者たちを指しているのであろう。(黙示録16:13-14)

だが預言によれば、その最終的で究極的な「超宗教」が栄える前に、旧来の組織宗教で構成されるであろう「国連の宗教版」のような姿で登場してくる『大いなるバビロン』も倒されねばならず、その信者数を表す膨大な大河の水も引いてしまい、行く末は全き滅びとなると予告されている。それがあらゆる王にも神々にも超越する「イスラエルの聖なる神YHWH*」の御旨であるからである。(黙示録17章)*(「神名”シェム ハ メフォラーシュ”」)

終末のメシア、この世界に臨御するイエスは、再び聖霊を注ぎ出すことによって聖徒らを再び世に登場させ、その影響はまさしく世界全体に及び、世の終りには余りにも異例な事柄の起こることを人類は見ると、聖書が知らせているのである。その結果、今日まで栄えるそれぞれの宗教も神の奇跡の前にしてほとんどの信者を失い、遂に公権力の前に解体を余儀なくされるというシナリオが黙示録にある。(黙示録11:3-6・16:12)

即ち、キュロス大王を巡って起こった古代の事跡は、一度限りの歴史の一コマで終わることなく、更なる意義を以って将来に繰り返されることを聖書は予告しているのである。





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パサルダガエにあるキュロスⅡ世の陵墓



⇒ キュロスⅡ世当時に関する追加情報
   「キュロス大王の意義」 

⇒ キュロスの勅令によるユダヤの帰還事業のゆくえ 
   「アリヤー・ツィオンの残りの者

⇒ エレミヤの予告した七十年の終りが前537年ではない理由
   「エレミヤの七十年の終点から起点を探る




 

似て非なるサマリア人へのキリストの想い


似て非なるもの

中国古典の孟子、その著「盡心」(じんしん)の「下」に「悪似而非者」(似て非なるものは憎まれる)という知られた言葉がある。
これは元は孔子の述べたところであり、孔子はこれを解して「悪莠 恐其乱苗也」(莠〈ゆう〉と云う草が憎まれるのは、それが苗と混同され兼ねないから)であると言い添えている。

つまり、似てはいるが、実は異なるものは紛らわしくて厄介な存在である、ということから、そこには憎しみが生じる道理があると云うのである。

それはまるで、新約聖書の小麦と毒麦の例えに援用することこそが相応しそうではあるが、この「似たもの」に対するキリストの教えには、この中国古典の精神とは実に対照的で特異なところが見られるのである。

そこでこのたびは、世界標準的な格言をも超えてゆくイエスの教えに注目せんがために、むしろ様々な世界で共通する「似ているゆえに憎まれる」事柄の内でも激しい憎悪の原因となってきたもの、つまり似た宗派同士の異なりについてキリストの言葉から再考してみたい。この中心を成すのは「サマリア人」である。


善きサマリア人の譬え

マタイやマルコではイエスにパリサイ人が「どのおきてが第一か?」と尋ねており、そこでイエスは申命記第六章を引用して『聴け!イスラエルよ・・心をこめ、魂をこめ、思いをこめ、力をこめてあなたの神を愛さねばならない。』

そして、第二としてレヴィ記19章から『あなたの同朋を自分自身のように愛さねばならない』と答えているが、これは「善きサマリア人の例え」の語られるルカ10章よりは後の時期で、イエスの公生涯の終わり間近の一行が最後のエルサレム登城する時期のものである。

この神と人を愛せという、二つの掟は有名ではあるのだが、実際に行おうとするとそれはけっして生易しいものではない。
特に、隣人を愛する事が難しい状況をイエスはその譬えで示すことになるのであった。
それは単にユダヤの同朋を愛するばそれでよいという教条の単なる表層を、「山上の垂訓」のようにキリストらしく遥かに超えてゆく。


さて、ルカ書の善きサマリア人の例えに至る部分に目を向けると
ある律法に通じた人が立ち上がって「師よ!」とイエスに尋ねた。
「立ち上がる」という書き方からすると、これはユダヤ教の会堂の中でのことであったのだろう。
『わたしはどうしたら永遠の命を受け継げるのでしょうか?』これが、この例え話を紡ぎだすきっかけの問いであった。

神殿破壊以前のこの時代、ユダヤ人はいまだ神との関係を享受していたので、彼らは選ばれた選民の一人となる権限を有していたのであるから、彼らに与えられた律法にどう対処するかによっては祝福に預かり、「新しい契約」へと移行することができたであろう。
そうするなら、彼らはアブラハムの嫡流の裔として、そのまま「諸国民の光」である「王なる祭司の国民」に数えられ、真のイスラエルとして「神の王国」での永遠の命に入ることができるはずであった。(出埃19:5-6/ペテロ第一2:9-10)⇒「神の王国

しかし、イエスは彼の問いに直接的には答えずに、その律法に通じた人を試して、『あなたはどう読むか?』と尋ねられた。

すると、この人は『心をつくし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります。」と答える。
イエスはそれを肯定し『あなたの答は正しい。その通り行いなさい。そうすれば、命を得る。』と言われる。

しかし、ここで話は終わらなかった。
その人は自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、誰のことですか?」

この「律法に通じた人」(モニコス)[μονικός]また「律法学者」とは、当時活躍していたタナイームと呼ばれる律法からその当時の適用法を教える学識ある者、また口頭伝承(ミシュナー)の編纂の当たっていた「大ヒレル」からの流れを汲むヒレル派の学者か学徒のひとりであったのだろう。

この人々はモーセの掟の適用と遵守に熱心であり、ここで「師」と呼んだからには、イエスに一定の律法適用の権威を認めての問いであったことであろう。
彼はイエスを試そうというよりは、自分の何かを正当化する動機があったことをルカは伝えている。
それであるから、「わたしの隣人とはだれか?」という問いには、自分の正しさを示そうとした以上、彼なりに答えは出ていたに違いない。

即ち、律法そのものが述べるように、その「隣人」とはイスラエルの同朋であって、互いに「自分のように愛する」ことが神から求められたことである、と考えていたことであろう。
この人物はおそらく箴言27章10節の『あなたの友、あなたの父の友を捨てるな、あなたが悩みにあう日には兄弟の家に行くな、近い隣り人は遠くにいる兄弟にまさる。』を引き合いに出して、親族よりも近くにいる隣人が助け合うことの大切さを唱えたかったのかも知れない。だが、それもユダヤ同朋の中でのことである。

イエスの答えを得てから、彼がこれらについていよいよ述べようとしていたのであれば、続いて話されるイエスの例え話によって、彼はそのように自分の正しさを表明する機会を失なったばかりか、より重い訓戒を与えられてしまったことになる。

そこでここで語られることになる「サマリア人の例え」を非凡なものにしているもの、また、語られた状況で巧みに際立った教訓を引き出しているのが、これから話される親切を施した善良な人物が、実に「サマリア人であった」という設定にあることを見落とすわけにはゆかない。

サマリアの民族は、大半のユダヤ人の軽蔑の対象であり、彼らからは特に汚れたものと見做されていた。
そのサマリア人をメシアはユダヤ人への講話の中の主人公としたので、質問を投げかけた「律法に通じた」という当の人物の思惑は打ち砕かれ、話があまりに意外な方向に進んだことに当惑したに違いない。

ユダヤ人のサマリア嫌いは徹底したもので、まるで異邦人の宗教ならば却って割り切れたのか、サマリアの宗教にだけは猛烈な拒否反応があった。その理由といえば「似て非なる」からである。

そこで「善きサマリア人のたとえ」には、見知らぬ人への慈愛を説くばかりでない訓戒が込められている。
追剥ぎに遭って身包み盗られたうえ、殴打され傷を負った人の世話をするであろう人も、世に居ないわけではない。ごく自然にそうしようと心が動く人も存在することは人間社会で頻繁ではないとしても、まま見られることであろう。

例え話の中の慈愛ある人の場合には、その同情からくる親切は徹底したもので、自分の去った後の費用までも工面しているのだが、確かに、これはなかなか難しい。

だが、筆者自身、キリスト教徒でもない人がそのようにするのを見たことがある。
他人でありながら、急性疾患のその人に身寄りがないのを知って、病院側に保証人を引き受け、約二十日後の退院当日に現に大枚を持って来られたという奇特な御仁であられる。しかも、その方は患者の帰宅に際して社会的地位から忙しい身で在りながらも休暇をとって同行し、途中で買い物をして食物を整え、家に着いては細い体で重い荷物を二階まで運んでやったのであった。(これはまったくの実話である)

それであるから、ここでサマリア人が登場しなかったなら、このイエスの例え話はユダヤ人の良識の範囲内に留まり、彼らをユダヤ教の次元から引き上げるような内容にはならなかったに違いない。


サマリア人の由来

サマリア人とは、ソロモン王の後の世代、イスラエルが二つに分裂した北王国の主要な土地で、元来はマナセ族の相続領にあったひとつの山に由来し、所有者はシェメルであった。これをイスラエル王オムリが100万円ほどで買い取り、ここをシェメルの名を以てショムロン(サマリア)と呼んで、城市を建設したことに由来する。

以後は北の王国の首都となって繁栄し、エルサレムとは犬猿の仲となった。
イスラエルは北のシリアばかりでなく、同朋であるはずのユダヤとも何度も干戈を交え、互いに糧食や物資を奪い合う間柄となっていった。これは南北の深い敵対感情を醸造してゆくこととなる。

神YHWHはエリヤのような預言者たちを遣わし、何度も譴責を繰り返したが、異教を奉じることも含めて、遂にその罪は重なって、北のイスラエル王国の諸部族は獰猛な帝国アッシリアの手に渡されたのであった。

そうして独立を失って後、イスラエルの多くの民はアッシリアのユーフラテスの北やパルティアに強制移住させられ、アッシリア王エサル=ハドンの時からシナルの人々が入植を始めたと云われる。つまりは強制的「交換移住」である。(列王第二17:24/エズラ4:2)
しかし、その間に荒れてサバンナ化した土地に神がライオンを増やしたので、その獣害に困った入植者は、土地の宗教と見做したYHWHの宗教を取り入れて、この害悪を除こうとする。

それが発端となり、移住させられていたイスラエル流刑囚の中から一人の祭司の帰国が許され、この祭司を通してこの土地の以前の宗教を教えるようにとアッシリア王は取り計らった。
その宗教がどのようなものになったかの詳細は伝えられていないが、彼らはイスラエル同様に生後八日で割礼を施し、アラム語にされたトーラー(タルグム)を読んだ。彼らの過ぎ越しの祭りは21世紀の今でも行われている。

しかし、神殿を有するユダヤから見ると、この土地に残されたイスラエル人と入植者の雑婚もあってか、この崇拝は同じ神YHWHを奉じながらもメソポタミアの祭式が混じり合い、ユダヤ人からすれば異様であったようで、異教と混成したような宗教は特に嫌悪されたようである。(列王第二17章)
しかし、彼らの中にはイスラエル王国を失った北の部族の残留者の血統が多く含まれたことには違いなく、以前には同じくイスラエル民族であった彼らには不可抗力的事態であったというべきだろうか。

時代が幾らか降ると、ユダヤもバビロン捕囚を経験し、その後キュロス大王のバビロン征服を期に、神殿祭祀再興の為にユダヤ人の残りの者らがバビロンから上って来て、エルサレム跡地に神殿を再建しようとした。そのときサマリアの人々は、その中途半端な崇拝方式をユダヤ人の正統なものと合流できる機会とすることを目論んだ。(エズラ4:1-3)

だが、これは真正なYHWHの崇拝を汚しかねないことであり、ユダヤ側はこれを謝絶してきたのであった。
アッシリア帝国は既になく、キュロス大王の勅令はユーフラテスの北に強制移住された北のイスラエル王国の民にも届いたのであろう。彼らの中で帰還に応じた人々があったとすれば、その目的地はユダヤではなく、ガリラヤやサマリアなどであったろうから、神殿再興の業への協力を申し出た背景に、あるいは聖書には書かれていないものの、これら十部族の末裔の存在もあったのかも知れない。

しかし、ユダヤ側からの拒否の返答に遭い、サマリアは憤激し、エルサレム神殿再建の妨害を始めたのだが、これは再び両者の交流を阻害するものとなってしまうのであった。(エズラ4:8-10)⇒アリヤーツィオンの残りの者

以後、サマリア人はエルサレム神殿再興への関わりは叶わなくなったばかりか、ユダヤ人はサマリア人を嫌って神殿域への進入さえ拒絶するようになる。
それでも神YHWHへの崇拝を続けようと願うサマリアは、ヘレニズム期の前300年頃なると自分たちの神殿を建立する。

その場所は、更なる古にカナン入植を前にしたエホシュアの時代の全イスラエルが集合し、また更に古くは「約束の地」に入ったアブラハムが天幕を張ったというほど由来の深いエバルとゲリジムの山からゲリジムの峰を選び、ここに自分たちのYHWHに奉じる神殿を建てるのであった。

ここにおいて、ふたつの民族の崇拝の方式がひとりの神に捧げられていたことになる。

預言者たちの言葉によれば、神YHWH自身から観て、北も南も律法契約を踏み越えたことには変わりなく、どちらも罪無しというわけではない。第二神殿に契約の証しの箱は戻らず、その崇拝は昔日のものからは後退しており、律法契約は不安定で、エレミヤの伝えた「新しい契約」が何を意味するかもキリストの公生涯中であってさえ民には未だに謎であった。

しかし、サマリアといえば、北王国の処罰の後に登場してきた派生民族であるから、南北の律法の違反に直接関わってはいなかったし、神に直に処罰されたわけでもない。その後に現れ、律法を戴いてそれを自分たちなりに守ろうとしてきたのである。
その状況で、ユダヤ、サマリアの双方とも正統を主張して譲らず、それぞれの民は宗教的対抗心と敵意を持つようになる。

一方で、連れ去られた北の部族が大手を振ってユダヤに合流する場面を歴史は知らない。
おそらくは、ペルシア帝国期からヘレニズム化してゆく過程で徐々に北の諸部族からの帰還があったのだろう。

(余談ながら、北の部族が日本に渡来した可能性を云々する向きもあるが、確かに神道はエルサレム神殿祭祀に似ており、日本語とヘブライ語に共通するような単語の多さも異様ではあるが、この件を掘ってもそう価値のあることを見つけられそうもない)


さて、イスラエルの「回復の預言」は、どの十二支族も差別するものとはなっていないし、現にルカの福音書にはキリストの時代に北に属するアシェル族のパヌエルの娘アンナがエルサレム神殿から離れずに居たことを伝えている。これはアッシリアによって遠方に移住させられた人々の幾らかが戻っていることを示しており、それらの人々がこうしてイスラエルの一族、ユダヤの同朋として神殿崇拝に受け入れられているのを確認できる。(ルカ2:36)

他方、北の地域に残され混血したサマリア人の方はと云えば、かつてのゲリジム山の神殿での崇拝がどのようなものであったのかは分からないにせよ、今日も行われている彼らの「過ぎ越し」からすると、日付が異なったり、羊が燻製にされたりと「似て非なるもの」である。それは彼らが、ゲリジム山上でアブラハムがイサクを焼燔の犠牲として捧げようとしたと主張しているところからくるものだろうか。(それでもサマリアは伝承や律法の定式に従う点で現イスラエルより正確である部分も残っている)

しかし、彼らが第一次ユダヤ戦役でローマ軍の一部隊とゲリジムで戦闘を行ったことはあっても、西暦七十年のユダヤの破局を共にしなかったので、彼らのタルグムは生き残り、ヘブライ語ではないにせよ、それに近いセム系のアラム語でモーセ五書が保管されており、世界で最も古いこれは「サマリア五書」と呼ばれ、古さに於いてイスラエルに優るテキストとして研究されている次第であるが、ヘブライ語でないゆえにイスラエル側はこれを最も古いトーラーとは見做していない。

さて時代を遡る前2世紀のこと、ハスモン朝ユダヤ王国時代、サマリア人のゲリジム神殿は、セレウコス朝の弱体化に乗じて北に勢力を伸張してきたハスモン朝のユダス・マカバイオスの甥ヨハナーン・ヒュルカノスⅠ世率いるユダヤ軍によって破壊されてしまった。(B.C182)

ユダヤ人としては、これを間違った崇拝を覆す正しい行いと思ったことであろう。だが、神はこれをどう観たのであろうか。
その恨みは間違いなくサマリアに残っていた。それでもサマリア人は、廃墟とされた神殿跡地で変わらずにアブラハムの神への崇拝を続けていたのである。

それであるから、後にイエスがゲリジム山麓のシェカルの井戸で話しかけたサマリア女が、『わたしたちは父祖の代からこの山で崇拝してきたのに、あなたがた(ユダヤ人)は崇拝する場所はエルサレムだと言います』と語った言葉の背後には、この深い恨みが込められていたことであろう。

しかし、それに対してイエスは普通のユダヤ人なら到底言わないような返答をするのであった。
『あなたがたがこの山でもエルサレムでもないところで父を崇拝するときが来ようとしている・・真の崇拝者が霊と真実とを以って父を崇拝する時が来る。そうだ。今来ているのだ。』(ヨハネ4:21-23)

この言葉は西暦七十年のエルサレム神殿の亡失と、その以前に聖霊降下がイエスの弟子らの上に起こったことによって現実のものとなったのを我々は知っている。

この女との会話の数年後、福音宣明者フィリッポスによってキリストの信仰が再びサマリアに及ぶと、この地の人々がこの新たな教えにこぞって転向してきたことも使徒言行録の伝えるところであり、そこで使徒ペテロが派遣され、「神の王国の鍵」を用いたので、サマリアの人々も聖霊が注がれることにより『新しい契約』に招じ入れられ、こうして彼らもユダヤ人と共に聖霊が注がれ「アブラハムの遺産」に預ることになったのである。

キリストの契約の下では、今更エルサレムやらゲリジムやらの崇拝の中央を云々する意味もなく、天界のキリストの許に聖霊を通してひとつに結ばれる希望が双方の民のものになったのであるから、それは不和と敵意の収束されるべき時の到来となったに違いない。そこでは、聖霊によって生み出されるに及び、遂に両者の平和がもたらされることになったといえよう。



イエスを高揚させたもの

しかし、イエスの現れた時代のユダヤ人のサマリア人への蔑視にはかなりのものがある。
ユダヤ教徒は会堂や神殿で、公然とサマリアを呪い、永遠の命を与えぬよう神に祈ったともいう。
ユダヤ人はサマリア人を「クスィム」と蔑称で呼んだが、それは彼らが強制移住させられてサマリアに来る以前に住んでいたメソポタミアの「クタ」の地名によるそうであるが、それはサマリア居住であることさえ認めないという趣旨が込められているだろう。だが、ヘブライ人も元はといえばその近くのメソポタミアのウル近郊の出ではないだろうか。

それであるから、イエスと論争していたユダヤ人らがイエスを指して『あなたはサマリア人で悪霊に憑かれているというのが真相ではないか?』と言い放ったときには相当な侮蔑を込めていたことになる。(ヨハネ8:48)
つまりは、他ならぬメシアに向かって「怪しく似てはいるが間違った悪魔の教えを説いている」と云っていたことになるのである。

ではその一方で、キリストの想いの中で「サマリア人」はどんな位置を占めていたのだろうか。
確かに、公生涯中のイエスは確かにサマリアへの伝道を弟子らに禁じており、サマリアの女にも「救いはユダヤ人から起こる」と明言してもいる。イエスは公生涯においては、まず第一にイスラエルの失われた羊を集める業に着手していたからである。

しかし、新約聖書中では度々サマリア人が登場してくるが、悪い人物として表れるのは魔術師シモン*くらいのもので、イエスに癒された十人のらい病人の内で感謝を述べるために戻ってきたのはサマリア人だけであった、と正直に伝える福音書を書いたルカの精神は、やはりユダヤ人一般の見方を超えている。(ルカ17章) *(このシモンはサマリア人でない可能性も知られる)

また、イエスはサマリア人の女に「シェカルの井戸」で話しかけたとき、まずユダヤ人にはしないことであったが、その女には自分がメシアであることをはっきりと明かしたのである。

旅の食物を確保してその井戸に戻って来た弟子らは、主がサマリア人(ごとき)の女と話していることが解せなかった。
その傍らで、イエスの語る言葉に驚愕した女が、町の皆に知らせようと水瓶も忘れて走り去って行くと、イエスはこう言われる。
『収穫までまだ四か月あると言うだろうが、目を上げて見よ!土地は既に白く見え収穫を待っている』

そこでは、井戸端の一人の女を通してサマリアという畑がメシア信仰に色付き、もう刈り取られるのを待っているように広がる麦穂の波打つ予見の光景がイエスにはまことに喜ばしく見通せたのであろう。

それであるから、弟子らが「主よ、食べてください」と、しきりにパンを差し出しても、イエスの心は高揚し、旅に疲れ果ててシェカルの井戸端にどっしりと腰を下ろした先刻とはまるで様子が異なっていた。
サマリアの収穫、それは同行しているその弟子らが数年後に穫り入れることになるサマリアの人々である。

それは七百年もの遠い昔に神がライオンを送って以来の収穫であり、弟子らは自分たちの蒔いていないものを刈り取ることになる。まだ弟子らは何も知らないが、キリストであるイエスには数年後のサマリアが予見され、すっかり爽快になったのであろう。

『わたしにはあなたがたの知らない食物がある』と言われ弟子たちが訝ると、その食物が何であるかを主は明かして、『それは私を遣わした方のみ旨を行い、成し遂げること』がその食物であると言われるのであった。

ユダヤ人全般の見方をよそに、古代にサマリアに蒔かれた種はみごとに成育し、現れたメシアを信仰の内に受け入れる用意が整っていたのであった。それは思えばまことに長い道のりであった。
しかし今や、イエスは収穫を行う刈り取り手たちが既に賃金を受け取って作業を始めたとまで言われるのである。

あと数年。そうすればサマリアに福音が到達してペテロが鍵を開け、聖霊がこの地にも到達するであろう。
それは「アブラハムの裔」を小麦として倉に集める業であり、ユダヤがメシアに良い反応を一向に見せない中で、サマリア人にはその機会が差し伸べられたことを意味している。
そうして『蒔く者と刈り取る者とは共に喜ぶことになる』であろう。

弟子らは労せずにその収穫に預るが、かつて与えられた一人の祭司から蒔かれ始め、「似て非なるゆえに」ユダヤとは仲たがいの年月が久しく続いてきたのだが、今やメシアが現れたので、いずれ聖霊が到来するなら、すべての労苦の報われるときとなる。このヤコヴの井戸の一件は、イエスの内にあったサマリアへの喜びの大きさの伝わる場面である。

このとき、その町の住民たちはイエスをその通りにメシアとして受け容れ、一行に留まるように願うのであった。
そして一行は、メシアへの信仰を表したサマリアの町に二日留まったが、それは異邦人に対する扱いとしては異例であったろう。宿には更に多くのサマリア人が集まって来たとヨハネは記しているが、普段なら交友することのないイスラエルのイエスたちとサマリア人らの交歓の声が聞こえてきそうである。イエスは彼らの間に何かの奇跡を行ったとは書かれていないにも関わらず、このサマリア人たちは彼の言葉だけで信じたのであった。

イエスは確かにイスラエルの羊を尋ねるべくガリラヤとユダヤを往来し、サマリアといえば中間の「半異邦人地帯」で、通り掛かりという程度のものではあった。しかし、サマリアの特殊な事情をこれほどの共感を以ってイエスは見ていたのである。(マタイ10:5)

そして、この「善きサマリア人」の例え話がある。


誰が本当に隣人であるか?

では、メシアの語る「善きサマリア人の例え」に入ってゆこう。

さて、エリコに下る街道は岩のごろごろとする死角の多い通行人には危険地帯であった。
当時、追いはぎ強盗など出没しやすい道であったのだろう。

例えの中で、そこに倒れていた人はおそらく所持品も多かったのだろうが、いまや裸で殴打のため意識も無い。
そのような光景に出合ったなら、我々はどうしようか?

一人の祭司が通りかかった、当時には祭司の都市であったレヴィに属する町エリコに帰る途中であったように語られる。
すると、この祭司は半殺しの目に遭った同朋を見ると、道の反対端に寄ってその場面を避けて行ってしまった。

次に通りかかったのはレヴィ人で、やはり神殿祭祀の勤めを果たして帰るところであったようだ。
彼も倒れた人を見かける。するとやはり反対の端を通ってその人を避けて去っていった。

彼らは倒れている人が既に死んでいるなら、『死体に触れて汚れを身に受ける』という律法の定めを犯さないようにしなければならないと思ったのかも知れない。
そうであれば、自分の清さを保つことが同朋を救うことに優先されたのである。つまりは、宗教上の「清い勤め」が人間味ある振る舞いを差し止めたというところか。

あるいは、内心ではまったく他人事であったという、それ以下の理由であったのかも知れない。
確かに、身包み剥がれた被害者がどの人種であるかを特定するすべは無かったかも知れないが、それはこの例えの主旨に関わるものではない。(ユダヤとサマリアとは共に割礼の民である)


そして、三人目にサマリア人が通りかかる。
彼は、そこに半殺しの目に遭い、持ち物をすっかり剥がされた人を見た。

宗教的に対立し、軽蔑されているか否かに関わらず、このサマリア人は倒れている人を見ると『哀れに思う』。
そこで初めての、そして貴重な助け手として倒れたユダヤ人の傍らにサマリア人が近づいてゆく。

彼は傷口に油(オリーブか)を塗って(汚れを除き)、さらにブドウ酒を注いで(消毒した)。
それから包帯を巻いて(止血して)やったが、そのままにすることはとてもできないと思ったのであろう。自分の家畜(ロバか)にのせて(エリコの)宿屋まで運び、世話を続ける。

翌朝、自分は出立するものの、回復しておらず、おそらくまだ眠っている被害者のために二日分の日当に当たる額を宿屋の主人に差し出し、世話の継続を頼んだのであった。
それだけではない。その後いくらの費用が掛かろうとそれを自分が戻って払うとまでいうのである。

この例え話を聴いていた人々は、その内容に引き込まれていたであろう。
今日聖書で読む我々もそのようである。
だが、その場で聴いていたユダヤ人にとって、親切を示したのが実にサマリア人であったというところに大きな動揺があったことであろう。

そこでイエスは問う。
『さて、これら三人のうち誰が本当に隣人であることを示したか?』

これに答えるのはユダヤ人にはさぞや辛いことであったろう。
殊に、宗教に熱心であればこそ尋ねられたくない問いである。
聴衆の皆がイエスに問いかけられた者の答えに耳を欹てたことだろう。

先の「律法に通じた人」は、やはりイエスの問いに戸惑いがあったようだ。
それは「そのサマリア人です」とは答えなかったところに表れていよう。

彼の答えは「その人に親切にした者です」であった。
サマリアの名は出したくもなかったようだ。
彼にしてみれば、親切を施したのがサマリア人でなくユダヤ人であればどれほどよかったか。それならば、まだ格好もついたであろうに。
だが、それではこの例えも、窮した人への親切を奨励するだけの凡庸なものに終わったに違いない。

そしてイエスの言葉は結論に至る
『あなたも同じようにせよ』。

つまり彼にはいかがわしい宗教の徒であるサマリア人を範とせよということになる。

もし、サマリア人が困るようなことがあれば勿論のこと助けを差し伸べなくてはなるまい。これもまた大いに難題であったことだろう。

原因は、もちろん彼らの内に有る敵愾心や蔑視であり、イエスは隣人愛を示す前に、それらの差別意識が親切を阻害するものであることをサマリア人を通して教えられたのである。

「律法に通じた人」もこれにはぐうの音も出でず、自分の義も示せずに終わったに違いない。隣人愛を語る前提となる土台を突かれてしまったか、彼の返答は何も書かれていない。

それでも、まだ「サマリア人などは人ではない」などと暴言を吐かなかったところは、この問い掛けた人物に見るべきところがあったというべきか。


「崇拝方式」という「部分」

この例えは、単に深い親切を誰にでも示すようにとの教訓で終わるものではない。
イエスは隣人愛を示そうとするときに、宗教上の対立、偏見、差別、蔑視、敵意などを超えてゆくように求めていたのである。これこそは人間同士を隔てる心の壁ではないか。

それは、敷衍すれば宗教だけでなく民族や政治や思想の対立も含むであろう。

21世紀の今日、前世紀の二度の世界大戦が過ぎ去り、その激痛に学ぶところがまことに多かったにも関わらず、人類は民族主義や愛国心を衰えさせず、人を人種や国籍毎に判断する傾向は減ることなく、むしろ増えてさえいるようである。

人は確かに隣人とうまく生きてゆくのが難しい。
その原因は「罪」からくる「貪欲」にあることだろうし、そこから多くの敵対心や憎しみや怨みが連鎖的に湧いて出るものである。

しかし、その「罪」の相殺のためにこそキリストは世に来られ、その余りにも貴重な犠牲を捧げる必要があったのだ。

このキリストが贖いを捧げた自己犠牲の精神を以って世を眺めるなら、人々が争い憎む原因をわざわざ作り、それを煽って対立の火を燃やすのは何と愚かなことなのだろう。
それは政治然り、愛国心や民族の対立然り、そして宗教の宗派毎の正義感もその責めを逃れられないのである。

それらはキリストの愛の教えからすれば偏狭で、偏執的であろう。人はキリストの犠牲によってどれほど多額の負債を許されるのだろうか。

だが、一歩引いて眺める冷静さがなく、それぞれのドグマの近くに立てば立つほどその視野は近視眼となり、古代のユダヤ人のようになってしまう。

当時、確かにエルサレム神殿での祭祀が続けられており、イエスもまたその祭祀に従うユダヤ人であった。
しかし、その神のみ旨はその崇拝方式のそのものの厳格な履行にあったのではないことを度々イエスは語っている。

それは神の意志を成し遂げる過程の一部に過ぎず、崇拝の方式が永続する神の御旨の全てであるかのように見做していれば、却って神の意図するところから外れるという愚を犯す危険がある。

それは今日のキリスト教諸宗派とて何の変わるところがあるだろうか。
まるで異なる宗教よりも、同じキリスト教に拒否感が強いのも、やはり「似て非なるもの」だからではないか。

「どこの宗派はキリスト教とは言えない」また「彼らの用いているものは聖書とは言えない」、他方で、「古いキリスト教界は異教のもので悪霊崇拝である」など互いに異端視して軽蔑し合っているところは昔日のユダヤとサマリアのような対立の構図はそのままに見えるかのようである。 確かに我々は、隣人ばかりでなく近い宗教の人々を尊重し、うまく共に生きてゆくことも難しい。

しかし、ユダヤとサマリアという当事者たちからすれば決定的に見えた違いも、あのシャブオートの日以来、聖霊の降下によるキリスト教の出現して以降、両者が聖霊を受けるに従いその違いも正義も意味を失ったのであった。

ユダヤ教は過去のものとなり、「新しい契約」に属する崇拝の方式は、地上に崇拝の中央を必要とせず、聖霊を通してゲリジムでもエルサレムでもない天にその崇拝の中央を得たので、両者の軋轢も無用で的外れなものとなり、あまつさえ聖霊は更に進んで、まったくの異邦人に向かって拡げられて、世界をひとつキリストの下に結びつけ始めたのである。

では将来、再び聖霊が到来するときにはどうなるのであろうか?
つまり、真にキリスト教が回復されるであろう時に、現今の宗派の義が何の意義を保ち得るか。
いや、どのような宗派に属していようと、聖霊への信仰を通して再びキリストの下に合一すべきであるに違いない。

もちろん、邪悪を憎むゆえに義憤を覚えることは自然なことではある。
しかし、今日まで人間社会は、様々な主張の異なり、ドグマや教理の違い、そのうえ人種や民族性の差異に、憎しみの隔ての壁を打ち立て、容易に敵意を煽ってきたのだが、その原因と言えば、それぞれの持つ「自分の義」ではなかろうか。
キリストのような精神を反映しようとする以前に、これらの「余分な義」が邪魔をしていたのでは、その「キリスト教」に意味は無いであろう。キリストの名を騙る「宗派の義」などは特に厄介なものである。

イエスは使徒らにこう語ったものである。
『聖霊が到来するときにあなたがたは力を受け、ユダヤとサマリアのすべて、そして地の絶え果てるところまでもが、わたしを証しする者らとなるのである』(使徒1:8)

「終末」と呼ばれる将来に再び聖霊が注がれるとき、宗派という崇拝の方式に何の意味が残るだろうか。







             2014   © 林 義平    
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大いなるバビロンの滅び

前提記事⇒「誤解されてきたバベルの塔」




黙示録の中には『大いなるバビロン』という秘儀がある。
これは『大娼婦』であって、神に敵対する何者かであるが、栄華を極めたのち、終末に在って『一日の内に』滅ぼされてしまう。

古来、聖書を探求する人々によって、この『秘儀』が何を意味するかについて様々に論じられてきた。
ルネサンス期を経て、新教プロテスタントが現れる16世紀には、彼らが対抗するべきローマ教皇庁こそが『大いなるバビロン』であるとされ、敵意の表象とされてきた。

しかし、ローマ教皇もカトリックも今日まで大きな勢力を保ったまま続き、むしろ新旧の教派の融和さえ試みられる時代を迎えて、当時のこの『秘儀』への理解も今ではほとんど意味を持たない。

それでも、この『大いなるバビロン』が何であり、終末にどんな意味を持つのかとの問いは、依然として定説を持ってはいないままである。

この頁では、この『秘儀』について聖書の各所に記されるバビロンをたずね、黙示録に向かってそれらを集束させる試みを行ってみたい。それはどんな像を結ぶだろうか?


◆創造神に対抗するもの

「バビロン」という中東にかつて存在した城市の名は、聖書中では早くも創世記、それも大洪水後の世界を描く原初史から描き出され、聖書全巻では三百回近くその名が記されている。

殊に後代、イスラエルの神の崇拝を中断させ、その選民を襲って捕囚に処したこともあって、その城市「バビロン」の名は、その後は聖書にあって更にシンボリックな扱いを受ける。確かに、この城市バビロンは徒ならぬものとされている。


考古学が明かすように、最古の都市文明の黎明期から存在し、「頂を天に届かせよう」と意図された塔(ジッグラト)を併設する城市群の中心的存在でもあった。
大洪水後、全人類統治を画策し、それを成し遂げかけた軍人ニムロデとの関係もあってか、統治権についてもバビロンはダニエル書などでも聖書中に何度か顔を出す。
 

そして、この原初史から聖書中を貫流し、積み重ねられた諸々のアレゴリーが、遂に聖書巻末の書「ヨハネ黙示録」において、「バビロン」と呼ばれる存在の究極的な意味を表すことになり、そこではもはや単なる城市バビロンではなく「大いなるバビロン」として出現しているのである。だが、この『大娼婦』ともされる『大いなるバビロン』の秘儀を解くためには、まず、創世記の原初史から、その理解の土台を据えておく必要がある。


 

「バビロン」が、なぜ聖書中に敵対的に叙述されるかの原因と看做せるものは、「バビロン捕囚」を待つまでもなく、すでにこの城市の創建当初に存在しているのであり、それは城市に伴う宗教的な「塔」(ジッグラト)の建造に関わっている。
それは『その頂を天に届かせよう』という企図が神に対する挑戦であった、と云うことではなく、その建設を始めた住民の企図は、彼らが集まって定住することの許可を神から得るところにあったであろう。⇒「誤解されてきたバベルの塔」
 

では、そのように神との関係を求めた当時の人々が、なぜ却って神との関係を悪化させたかと云えば、それらのジッグラトの麓に設けられていた祠や社がその原因を物語っている。
即ち、彼らが定住許可を交渉した「神」とは、明らかに創造の神ではなかった。

それらの「神」とは、神を装うもの、即ちサタンというよりも、その誘惑によって堕落した天使らのことであり(黙示録12:4)、大洪水以前には人間男性の姿をまとって人間の女性を娶り、「神」と称して地上を自由に闊歩していたであろう記述がまさに創世記にある。(創世記6)

彼らと関係を持った多くの女性たちの話はギリシア神話にも多くの痕跡を残しており、また巨人族についても述べているが、ヘブライ人による聖書では、堕天使と人間との混血によって生まれた巨人たちを「ネフィリム」と呼んで、ギリシアとは別に存在を暴露している。発掘によって、その巨人族の一端が知られつつあるが、その恐竜のような余りの大きさには、骨だけでも恐怖を覚えるほどである。まったく創造者の意図しない世界と成り果てたであろう恐るべき太古の世を想像するに、「大洪水」も今日からすれば恵みの雨のようでさえある。(Nephilim)


ともあれ、創造の神は堕天使や巨人による地上の悪環境を、また、その影響に染まった人類の悪行を終わらせるべく「大洪水」を起こされ、ノアの家族八人を除いた人類を裁かれた。
堕天使らもその裁きを通して、その後は人間界に人間を装って自由に出入りすることはできなくなった。聖書は、その状態の彼らを『獄にある霊』と呼んでいる。(ユダ6/ペテロ第一3:20)


しかし、それでも彼らの影響力がまるで人間に届かなくなったわけではない。その後も多様で、しかも非常に曖昧な仕方で関わろうとしているのである。
その目的は、自分たちを通して人間により高い次元からの影響力が行使されているかのように装うこと、また、超自然の現象を起こして見せては驚かせ、怖れ奉らせるところにあるようだ。しかし、それらの現れは人の好奇心を刺激はしてもその価値は極めて低い。それでも卑しめられた堕天使が「神」を装うことは十分に考えられ、またそれに迎合する価値観の低い人々も世に絶えず、そのため堕天使らは俗な人々を動かす能力をいまだに残し持っている。


さて、メソポタミアのシナル平原に定住し城市を建設することが、創造の神の『地に広がるように』との下命にそぐわないことを知って怖れた人々は、神を宥める方法として各城市に「頂が天に届く」塔の建設を計画する。

それは本当に雲を突き抜けてゆくような塔である必要はない。建設している者らも東にあるザクロス山脈が遥かに高いことを知っていたであろうし、実際、発掘の結果からは高さ100mを超えるような規模のジッグラトの遺構は見出されていないという。
要は、神々の領域に通じればそれでよいのである。その領域とは創造の神に属するものではなく、彼らが「神々」として畏れ敬う者らの幾らか低い領域である。霊媒師たちのいう「霊界」とはこの世界を指すのだろうか。

すでに大洪水の後で、堕天使らは人間界を追われてはいたが、ジッグラトを介した招きに応じて、制限付きながらも再び人間たちに関わる機会をこうして得ることになる。
 

それであるから、人々が創造者の命令を無視して一箇所に定住し、灌漑農耕による都市革命の生活の便利さの享受することを神になり代わり許すことなどは、この霊者らにすれば願ったり叶ったりであったろう。
堕天使らが神の知識に疎い人間どもに幾らかの不思議を見せて「神」と崇めさせることなど難しいことでもあるまい。

そこでジッグラトは(必要不可欠ではないが)重要な役割を果たすことになる。それが大洪水の裁きで分かたれた人間と堕天使の出会う所、即ち「神の門」(バビル)となったといえるのである。
それは「神々」と称する者らの霊界と人間界との昇降口であり、それゆえにもジッグラトを降った麓に社が設けられ、やがてそこには「神々」が地上を自由に往来した大洪水以前には必要もなかったと思われる「偶像」が登場してきたであろう。
 

こうして両者は結託し、それぞれ欲望のままに邁進し始める。
人々は、神々を崇拝することで都市生活を良心の咎めなく謳歌したであろうし、気ままな願い事をそれぞれに聞いてくれる神の数を増やしていったであろう。
慶事や弔事などの人間が生活上で願う儀礼の背後で、その重要さの箔付けを担ってやり、その都度「神々」も高められる。

戦いには戦勝祈願を聞いてやり、幾らか介入することもあったかも知れない。⇒「指名されたメシア」
こうして堕天使らはそれぞれ「神」として崇められる心地よさに傲慢となり、供物や人身貢犠までを求めるようになってゆく。支配する者の愉悦は、人を規則で縛り付け、自分は叶う限り恣意的で理不尽に振る舞うところにある。
その宗教は人を支配するためにご利益と死後を説き、創造神を雑音でかき消し忘れさせるものとなる。

崇拝の儀式が大仰になればなるほど「神々」の権威も向上していったことも考えられる。実際のジッグラトの麓の社は、やがて規模を増してゆき神殿(神の家)へと発展してゆく様が発掘からも明らかにされている。その祭司らは、「神」の権威にあやかり地位を上げ、生計の糧を得るばかりか、人々の上に権勢を誇ったであろうことは、今日までどんな宗教にも普遍的に見られることである。シュメール時代の神官は王族に次ぐ地位を得ていたとされている。

こうしてメソポタミアの城市毎に造られたジッグラトの意味合いがフォーカスされてゆく。つまり、それは「神」への挑戦ではなく、まして大洪水回避の避難塔でもない。
これは交霊術のための巨大モニュメントであり、地上の一箇所に住み続けることへの宥めを求め、その「名を作る(上げる)」つまり大義名分を得て、全地に散らされるのを免じてもらうための方策であったと見做すことができるのである。⇒「誤解されてきたバベルの塔」

このように尊崇された「神々」にも実は頭目がいる。
それは、彼らを誘惑し、本来なら天使として『あるべき居所を捨て』るよう誘惑した親玉であり、つまり聖書が「サタン」と呼ぶ者である。(ユダ6/黙示録12:4)
実は、サタンは堕天使らを用いて主張させたい事があり、それは現在に至るまでそのようである。

それは、エデンの園でエヴァに『あなたがたはけっして死ぬようなことは無い』と語った偽りの上塗りである。

「善悪を知るの木」から採って食したことの結果と云えば、エヴァもアダムも死んで存在を終えることであった。
聖書の伝道の書が述べるように、人は死んでしまえば意識も無いし、まして罪を犯した者らがそのまま天に召される謂れも無いばかりか、死後の世界なども存在しない。人があると誤認するのは堕天使らの「霊界」ばかりであろう。

そこでモーセの律法は、『死者に問い尋ねる』ことを重罪に定め、心霊術や占いによってサタンとその配下の堕天使らとの交流を禁じている。その問う相手は死者などではなく『獄の霊』なのである。(申命記18:9-12)
もちろん、創造の神、イスラエルの聖なる神YHWH以外の崇拝は、即ち堕天使を崇めることに他ならない。(コリント第一10:20)

しかし、それが知れてはサタンの主張はまったく虚偽であり、死にゆく人間は騙されたことが明らかになってしまう。

そのうえ創造の神は、再び永遠の命を与えて人類を救うことを意図しているからには、そのことを知られたり、信じられたりしてはサタン自身が実際通りに悪の淵源で、すべての死に責任ある者であることが世に広く暴かれてしまう。
これを何としても防ぐために、「人は死んでも霊魂は生きる」と世の大多数に主張することがサタンには不可欠となっているし、人間も無に帰するという死の真相を避けたい願望もそこで一致する。


そこで、こうした「神々」の教えは、広く人間の死後について語るものであり、元々からして霊者である堕天使らにとって死んだ人間を装うことは難しいことでもない。
死者を装って幻視を見せ、意向を伝えたり、死後の世界の様子を語り、あるいは人の前世や転生を捏造するくらいのことはお手の物に違いない。そこで人間の浅はかな好奇心や信仰好きと相俟って、このサタンの企ては、バビロンの教えが世の宗教の趨勢となるほどに大成功を収めてきた。天国や地獄、霊界や輪廻など死後の世界を教えない宗教がどれほどあるだろうか。

それにしてもノアの日の大洪水も、彼らによって乱された当時の地上の極悪な事態を一掃するためのものであったほど、彼らの影響は人に良いものではないはずなのだが、人の好奇心は創造の聖なる神よりは、気ままで低次元の「神」を好むようだ。スピリチャルも流行するはずであろう。
大洪水の後には獄に繋がれ、もはや地上で自由に振舞うことのできなくなったこれらの堕天使は、聖書中で「悪霊」と呼ばれるようになる。

そこに、メソポタミアの南部シナルの平野に都市文明を興した人々がジッグラトを設けてこれらの悪霊らを呼び込んだものであるから、当地が創造の神からすっかり離れ、サタンという神への反抗者の思想を吹き込まれるのは当然の帰結であり、創造者に敵する死者の宗教や占いやまじない、オカルトの源泉であり中心地がバビロンとなったと言えるのである。
 

悪霊らは未だ死を経験しておらず、人間とは比べ物にならないほどの寿命を持ってはいるが、彼らの最期には神の裁きによる永遠の消滅が既に定められている。(ペテロ第二2:4)
したがって、神から離れてしまったその影響も本質的に健全なものとなろうはずもないので、一種独特の「暗さ」や有害な「憑依」が伴うのはそのためであろう。消え去るべき将来しか持たない彼らに比べれば、よほど人間の方に希望がある。キリストの犠牲は人々のためのものであるからである。

メソポタミアでは、大洪水説話が残ると共に、その後は「神々」が直接現われることが制限されたために「偶像」が登場し、人間が死後に行く地下の場所が語られるようになり、堕天使らが死者を装って語り、まじないや占いが盛んに用いられる。

人は死んで『地に帰る』という「死の真相」を偽る、大半を占める人類に普遍的な宗教の特徴は、このメソポタミアから始まり、その最初の都市文明を築いた人々が全能の神に『言語を分けられて』四散するに及び、世界に広まったという仮説の蓋然性も低いものではあるまい。

ともあれ、今日の人間社会にどこにでも見られる様々な宗教上の慣行や、心霊術や占いの絶えざる大衆流行は、多少の模様替えはあっても「あなたは死ぬことは無い」という最初の古代文明の相貌のままである。そこに創造の神の必要もないところは、双方に都合も良いであろう。

つまり人類というものは、この21世紀に至ってもなお宗教的にはメソポタミア文明の継承者であり、堕天使崇拝を連綿と続けてきたその子孫であると言って過言でない。



◆バビロンに敵する創造の神
 

しかし、世に広く見られるこれらの宗教観を持たない民族も存在してきたのであり、創造の神との交渉の歴史もメソポタミア文明に比べてもそう新しいものではない。現代からみれば、ほぼ同時にスタートしたかのようにさえ見える。
むしろ、上記のバビロン的な「死後霊界」の教えが人類に蔓延していることを考えれば、その対極的に異なる「復活」という宗教観が、今日まで存在していることさえ驚くべきことではないだろうか。(ヘブライ11:19/ヨハネ11:24)

「復活」とは、逆説的に人の「死」というものが生命はもちろん意識も存在も終わるとの宗教観を必要とするが、「死後の存在」などという命の代替物のまやかしを暴き、人が人であることこそに希望を与えるものである。その担い手がメソポタミア文明シュメール時代の一人の人物アブラハムを祖とするヘブライ民族となった。(伝道9:5)

アブラハムが未だアブラムと呼ばれていた頃から、彼はメソポタミアの偶像崇拝を避けて、自らに語りかける天地創造の神に専心する意向を固めており、それは「約束の地」へと向かう旅立ちの決意を為さしめた。

後に、この神は預言者モーセを召して自らの名「YHWH」を明らかにし、アブラハムの子孫であるイスラエル民族と律法契約を取り結ぶが、その律法には、偶像崇拝、交霊術、卜占などへの厳しい禁止項目が含まれており、そこではバベル以来普遍化してきた世界的なものとまったく異なる宗教観が展開されていたのである。

その教えの一部は、おそらく先にノアを通して十代後のアブラムにもたらされてもいたのであろう。後の「律法」の要求と相まって、イスラエル民族の生死観は異民族とは異なっており、死者の世界を本来的に持たない。
人の死後については世の終わりに「復活」があり、そこで裁かれてある者は永遠の命へ、ある者は永遠の切断に入る。まさに「復活」とは、生かすべき者を生かし、絶やすべき者を絶やすという創造者にしてこそ為し得ることであり、創造の企図を成し遂げる全能性を訴えるものでもある。

この違いは、単に教理が違うというに留まらず、崇拝の対象がまるで異なるのである。
創造の神は人間を創り、地上を委ねるものとして置いたのであり、天界に生きるようにということが初めからの企図であったわけではないし、まして地獄は、創造の神をして永遠に許さない残虐性の持ち主と誤解させるものである。

あるいは、この世の苦しみは人に与えられた試練であって、これを首尾よく通過するものが天に召されるということでもない。もしそうなら、この物質界を創造し終えた神は『甚だ良かりき』と言って満足の安息に入ったものだろうか。
 

したがって、イスラエル民族はバビロンに源を発する様々な宗教とは対極に当たる教えの担い手となってきた。また、そうなるはずであった。
だが、実際には「律法」は守られなくなり、偶像礼拝をはじめとして様々なバビロンの慣行がイスラエルに横行し、王から平民までが異教にどっぷりと浸かってしまうようになると、その神YHWHはイスラエルをアッシリアへ、ユダをバビロンへと捕囚に処すのであった。
 

こうして城市「バビロン」という名には、異教の源流であるに加えて、更に「神の民を攻めて囚われにする」というニュアンスが加わった。

それに対して、イスラエルの崇拝の中心を成した、神YHWHの神殿を戴いた城市「エルサレム」の名は、一度罪せされながらも悔い改め許されたユダヤ人の帰還を以って、再び「聖都」の位に就くことが旧約聖書に繰り返されており、それは「回復の預言」と呼ばれている。


しかし実際には、捕囚となっていたユダヤ人に新バビロニア帝国の覇権の喪失と、新興ペルシア帝国の庇護により帰郷の機会が訪れても、大多数のユダヤ人は美しく洗練された大都会バビロンとその周辺に住み続けることを選んだ。彼らにとってバビロンとはその後も同胞が多く住むディアスポラの一大中心地であり、エルサレムとバビロンの間の対照的な観点は無い。

一方で、聖書中ではエルサレムとバビロンは著しい対極に位置するものとして一貫して語られる。
その理由について聖書は、新バビロニア帝国のネブカドネッツァルによるユダ王国の征服、それに伴うエルサレムと神殿の破壊による神への祭祀の中断を挙げ、それ以前ではバビロンについてほとんど触れていない。

イザヤやエレミヤの預言では、律法を守らず異神を崇拝するようになったイスラエルを罰するものとしてのバビロンの役割を予告する一方で、神殿を擁するエルサレムを滅ぼしたことへの復讐をも述べている。

その復讐のひとつはメディアやペルシアの連合軍を率いたキュロス大王によるバビロン征服となって成就し、そこでは予告にしたがってユーフラテスの流れを迂回させる作戦が採られた。(エレミヤ50:38)⇒「指名されたメシア」
また、預言書はバビロンに逆境が突如として臨むが、彼女にはこれに効くまじないが無い(イザヤ47:11-)、荒れ廃れた処となり(イザヤ13:19-)、その名も子孫も残さず、『諸国の女主人』と呼ばれることも絶えて無く、ヤコブはこれに神の望むところを行い、その腕をその上に振り下ろす。(イザヤ47~48)
 

これらは実際の歴史に照らすと、西暦前539年に起こったキュロス軍によるバビロン征服そのものについては整合するが、それ以外の細かな事柄では預言書の述べるところは、オリエント史でも資料の豊富なこの時代の解明された史実とそう合致するものではない。むしろ、多くの点で一致せず、実際のユダヤ人らが預言書に記されたほどの敵意をバビロンに示したことは無かったと云ってよいであろう。
 

ユダヤ人の実際を別にした聖書に語られるバビロンへの猛烈な敵意には尋常ならざるものがある。エレミヤに繰り返し記されるその理由は、やはり『神殿の復讐』つまり、神の崇拝を中断させたことへの酬いである。
『「例え、バビロンが天に上り、高いやぐらの守りを固めても、わたしのもとから滅ぼす者が向かう」とYHWHは言われる。聞け!バビロンから叫び声が上がり、カルデア人の地から大いなる崩壊の音がする。・・バビロンの城壁は厚くとも無残に崩され、城門は高くともは火で焼かれる。今や、多くの民の労苦はむなしく消え、諸国民の辛苦は火中に帰し、人々は力尽きる。』(エレミヤ50-51)

しかし、これはキュロスのバビロン征服で起こったことではなく、大河の水を抜く作戦によってバビロン市内に入ったペルシア側の兵士は、城壁も市内も破壊することなく王宮を目指して進み、ほとんど抵抗を受けることなくその尖兵が、ただ剣を抜いて立ち尽くすばかりの敵王ベルシャッツァルを事も無げに倒しており、ナボニドス年代記は『キュロスは戦うことなくバビロンを落とした』と記している。
その覇権が一晩で過ぎ去ったことは、エレミヤが預言を記した書を石に括り付け、ユーフラテスに投げ込んだように、あっという間に沈んで二度と浮かんではこないとも表された通りながら、だからとてバビロン城市は荒廃しなかった。(エレミヤ51:63)


実際にはその後もバビロンは重要な城市であり続け、中世期にもその存在は確固たるものであった。
今日のバビロンはイラク政府が観光目的に一部を再建しかけてはいるが、確かに荒野に打ち捨てられた状態にある。しかし、その荒廃は『ヤコブ』つまりイスラエルの関わるところではなかったに違いない。この点では、考古学はバビロンが正確に何時、今日のように荒廃したのかを知らない。おそらくはユーフラテスの流れが自然に移動したのではないかとも言われるのだが。

では、聖書に記されるバビロンの徹底的な滅びは何を指し示すものなのであろうか。



◆黙示録の描く大いなるバビロン
 

黙示録によって語られる時代は『主の日』つまり終末へと移される。
そこでは実際のバビロンと異なり、その城市『大いなるバビロン』は健在であり、古代の最盛期のように『女主人』として座し、その強大な影響力を保持した状態にある。
したがって、それは現実に地上に存在する遺跡のバビロンはもちろん、もはや歴史の彼方に遠ざかったローマ帝国の権勢を表すものでもあり得ない。
 

この『大いなるバビロン』は娼婦らの母であり『大娼婦』とも呼ばれ、『地の王たちと淫行を犯す』。
それであるから、この女が政治的権力のそのものであるという理解は除外され、古代の預言者たちの語ったように『まじない』を行うその実体は「宗教」を示唆するものである。
 

諸国の人々はこの女の『淫行の怒りのぶどう酒で酔わされた』(黙示録17:2)のであるが、その意味は、宗教が権力に影響を及ぼすときに起こる人間社会の異常な行動、特に戦争を起こさせる影響力のことであろう。
預言者ナホムは『呪術の女王、その淫売によって諸国民を、そのまじないによって諸族を罠に掛ける者』について城市ニネベを指弾したが、その都の国家アッシリアは周辺諸国を蹂躙して暴れまわったその背後には、自らの凶暴な宗教への帰依と優越感があった。


今日まで、超古代のバビルに由来する宗教の特徴は、政治権力への影響、聖書が云うところの『淫売』である。
国家権力が自国の益を図って他国と争うだけであれば、人間お互いそこそこの悪党同士であるから、取り分の駆け引きも可能であり、ある程度の成果を得られる以上のことは望まずに済ますことで妥協も諮れるが、これが宗教絡みとなるとその妥協ない争いは俄然熾烈で無慈悲なものと変じる。

つまり、相手が間違っており、自分たちが正しいので、悪と決め付けた相手を殲滅することが正義となってしまう。しかし、その宗教が本当に正しいのかと云えば、それを客観的に判定することはまずできない。
こうして、バビルに由来する宗教は、歴史の上にその淫売の許多の結果を克明に残し続けてきたであろう。無数の人々が否応無く、その影響に呑まれ、命を散らしてきたのであり、テロの横行する今日も変わるところがない。その背後には「正義の戦いで死ねば、その功績で良い世界に行ける」との利己心をくすぐる殺人と破壊の欺瞞の教えが存在してきたであろう。


しかし、その黙示録の中の『大いなるバビロン』として具体的に特定されるものは、過去からずっと存在してきたものというよりは、終末に現れる象徴であるようだ。歴史上で、宗教は確かに『あらゆる国民を・・酔わせた』と言える。その教えによって人々が狂ったような行動をとってきた。

しかし、この女の淫売が最高潮を迎えることについては終末に起こる。それこそが黙示録において

 『この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれ』ているその姿に告発されている。(黙示録17:6)
 

その場面でこの女は、将来に現われる七つ頭の野獣の上に座しているからには、これは終末期における場面に違いなく、その上に座すとは、この権力の集合、強権の中の強権に対して『聖なる者ら』を亡き者とするよう慫慂なり使嗾なりを行い得る立場を表していよう。この女の最後にして最高の栄華の時である。

この女には前科も多く、許多の血の罪をも負っていることを黙示録はこうも暴露する。
『預言者らと聖なる者たちの血、また地の上で虐殺された*あらゆる者らの血がこの女に見出された(アオ)』というのである。*(エスファグメノーン:処刑を含意)(黙示録18:24)
宗教上の正義感が如何に人々に苛酷であったかを思い巡らせば、神の前にとても罪無しとは言い難い。

この女の乗る七つ頭の野獣は『聖なる者たち』を攻撃し、これを制圧することが許されており、この野獣が表すであろう十全な公権力が実際に聖徒たちに攻撃を加える。(黙示録13:7)

この『聖なる者たち』とは、『粗布を着て』つまり目出度くはない滅びの音信を『1260日の間』布告する者らであり、彼らにはモーセのように『地を何度でも打つ権威』が与えられている。これは格別な人々であるに違いなく、終末に為政者らと対峙することになり『聖霊が語らせる』という初代キリスト教徒に同じく『約束の聖霊』を注がれる少数の弟子を表しているであろう。

これについて福音書は、彼らの音信はキリストの臨在によって『神の王国』が近づいたこと、またキリストの支配に道を開けるべきことを知らせるものとなるであろうことを知らせている。この聖霊による彼らの発言が世界の注視するところとなると他ならぬキリストによって明言されているのである。(マタイ10:18)

だが、『雲と共に在る』キリストの姿を見ることがない為政者たちは、彼ら聖徒が如何に奇跡を見せ、反駁できない言葉を語ろうと、キリストの支配を肯じることはないようだ。まして支配への欲求を募らせ、権力の座への闘争を続けるような暴君であれば、聖霊で語る聖徒は目障りでしかないに違いない。
 

こうして、世俗権力と宗教組織には共通の焦眉の課題が生じることになる。それは即ち、聖霊を持つ『聖なる者ら』を亡き者とすることに他ならない。これがこの大娼婦とその娘らの淫売の総仕上げとなるであろう。
ダニエルなどの預言によれば、『聖なる者』はこうして公権力からの迫害のうちに多くが殉教するらしい。しかし、それは彼らを練り清め『精錬され、漂白される』ことを意味するのであり、まったく滅ばされてしまうわけではない。しかし、彼らを取り除いたことを喜ぶ俗なる者らは少なくないようだ。(ダニエル11:35/黙示録11:10)


『大いなるバビロン』の実体はここに於いて疑問の余地は残さない。つまり、終末に聖霊を注がれる『聖なる者』の存在を喜ばず、政治権力に影響力を行使してそれを取り除こうとする勢力であり、『まじない』を用い、それによって許多の人々を聖徒に反抗させる行動に駆り立てるのである。

それは超古代から悪霊らの影響の下に創造の神に対抗し、ほとんど世の趨勢を得てきたバベルの宗教的特徴を有するすべての宗教を包含することになるであろう。なぜなら、神の聖霊が注がれるとき、それを認めて神に服すか反抗するかのいずれかだからである。



◆大いなるバビロンの旅商人
 

王たちへの娼婦の淫売についてもうひとつの役者が居る。それについて黙示録はこう語っている。
『すべての国民は、彼女の姦淫の激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の旅商人たちは、彼女の豪奢な贅沢によって富を得たからである。』(黙示録18:3)

この新手の登場者、『地の旅商人』とは何か。

宗派によっては、文字通りに商業体制と解しているが、確かに宗教的慣行は商業の益に多大の貢献をしていることは間違いがない。

しかし、聖書中を探索してゆくと『地の旅商人』は単に「商業」を表すものではないようだ。まず、『王たち』に比べて述べられる内容が多いだけでなく詳細なのである。

黙示録が語るところでは『お前の旅商人たちが、地で高官となったからであり、また、お前の魔術によってすべての国の民が惑わされ』とある。(黙示録18:23)

また、黙示録18:11のように、単に「商人」とではなく『地の旅商人』(ホイ エンポロイ  テース ゲース[οἱ ἔμποροι τῆς γῆς ])としているコイネー・ギリシア語の辞書からすると、「エンポロイ」は個人商店主や小規模な商業と対比した意味での商人、つまり「豪商」を指すことがあり、それはつまり長大なキャラバンや船団を組むような大商人を指している。

ヘレニズム期の地中海都市の港湾の埠頭には、「エンポリウム」と呼ばれる交易市場があり、そこで活躍する商人が「エンポロイ」であり、彼らは対外貿易商である。一方、市内の一般客を相手にする小売市場は「アゴラ」であり、そこに居住する商人は「カペーロイ」と呼ばれた。
元来「ポエイア」[ποεια]には旅や移動の意味があった。これに「エン」[εν](「上に」の意)が付いて「エンポエイア」は旅の上に成り立つ商売、つまり交易を表すという。

更に『王たち』同様に、交易商人にも『地の』[τῆς γῆς]と付け加えられることで、この意味は強調されていると見てよいだろうから、『旅商人』と訳した翻訳はその意をよく表していよう。このような大商人といえば、聖書の歴史中であれば、ダヴィデとソロモンに寄り添って必要物を供したフェニキア豪商にして王のヒラムが思い起こされる。


しかも上記の句によれば、この『旅商人』は大娼婦に属しているばかりか、政治に手腕を振るう『高官』でもあるというのであるが、古代世界では実際に大商人が経済的権勢によって王宮で高官のように振舞うことは異例なことでなかったようだ。

中世でも、経済力満ちるヴェネツィア共和国のエンリコ・ダンドロのような半商人の宰相が、十字軍の行き先までを左右していることも財力の権力への影響力の大きさが侮れないことを例証していよう。その十字軍をヨーロッパ諸侯に要めたのはローマ教皇であった。そして人々は『酔った』ように殺戮に向かい、イスラームもこれを迎え撃ち、『あらゆる国民が犠牲にされる』ことになった。


『地の旅商人』が単なる商人を意味しないという理解に追認を与えるのが、バビロンの突然の滅びを予告する中でのイザヤの記述である。
『お前(バビロン)が勤めて行ったものと、お前が若い時から売買した者とは、ついにこのようになる。彼らはそれぞれ自分の場所にさまよい行き、誰もお前を救う者はない。』(イザヤ47:15)

この句の中で『売買した者』の語は「商人」の意であり、且つ、ヘブライ語の読みを変えると「まじない師」とも訳せ、そうしている聖書翻訳も存在し、この文章は「売買した者」と「まじないをした者」とを入れ替えても意味は通じるのである。(この単語の意味は確定されていない)


黙示録に目を戻すなら、大いなるバビロンの突然の滅びは『王たち』を嘆かせるだけでなく『地の旅商人』はバビロンの屍から遠く離れて嘆いている。つまり『それぞれ自分の場所にさまよい行き、誰もお前を救う者はない。』という言葉がしっくりとする。となれば、この商人とは、いくらでも一般の顧客が居て「さまよう」必要も無いような単なる小売業者だろうか。

こうして『地の旅商人』を見直すと、それは単に商業という要素を意味する以上のことを示唆しようとしていることに気付くであろう。それは黙示録の述べる通りに娼婦そのものの一部であり、権力者の傍らに位置する官僚のような者。キリスト教史であれば、自ら貴族であり権力者に影響力のあった大司教や枢機卿などが思い当たる。

これは即ち、娼婦の淫売を具体的に行う高位の僧職者、またはその影響を権力の傍にあって行使できる彼女の手先というべきではないか。

その数多の商品を、彼らは手を変え品を変え娼婦ではなく王たちに売りつけていたという理解が可能である。それは一般相手の小売業ではないのである。
そのために、大娼婦が滅ぼされた後に彼らの「商品を買ってくれる(ひとりの)者が(滅んで)居なくなった」とではなく『もはや彼らの商品を買う者が誰もいない』(ウーデイス アゴラゼーイ ウケティ)(18:11)とあり、商品を買い上げていたのは大娼婦ではなく王たちであって、その王たちですら『彼女の責め苦を恐れて遠くに立つ』という言葉に込められた、姦淫に関わることへの社会的責めがあり、『旅商人』も販路も行き場も失ったということであろう。


その仕入れた膨大な商品が売れなくなり、それを元手に富を得ることができなくなったとは、やはり娼婦に属していた以上『旅商人』の顧客は娼婦ではなく『王たち』であり、『王たちは富を得た』とは、その民を酔わせて自分の思いのままに操ることではなかったか。『旅商人』らの商品は多様な教理であり、まことに豊富な品揃えであったから、その国民に適ったものを何なりと権力者の下に取り揃えることができたであろう。そうして彼ら自身も幅を利かせ、文字通り富も得た。

それであれば、この『地の旅商人』とは僧職者らであり、それも末端の教師ではなく、権力への押し出しの強い宗教的政治家たちの実体を暴露するものであるだろう。
即ち、半ば、或いは外面は政治家であり、内面は宗教家か、深く帰依した信者のようなものではなかろうか。彼らが諸宗教組織の意向へと政治を導く、重要な役割を果たすとすれば、今日のように政教分離が定められている国の少なくない現状では、必要な媒介者と成り得る。

中世には教皇は十字軍で参加することに贖宥を与えて天国行きを請合ったが、その手先としてベルナール・ド・クレルヴォーのような僧職者が神憑りにさえなり、王侯に近づき「正戦」への参加を使嗾した。そして現代も多くの宗教が様々な仕方で政治に参加しており、これらの宗教的政治家らが娼婦に属すものであればこそ「聖徒」について黙っているとは思えない。将来の「豪商ら」も「聖徒」への「正戦」に諸政府を駆り立てないと言えるだろうか。

しかし、彼ら高官がバビロンの滅びを免れるのは権力への影響力からであろうか。だが、もはや身の安全のために仲間の「殉教」には目をつぶり、以後宗教との関わりからは『離れて立つ』必要が生じる。「聖徒」を攻撃させても娼婦が攻められると、手の平を返したように「自分はただの政治家である」と言い出すのであれば、見苦しいことではある。

それに対して海を行く『船乗りたち』は、その下請けであり、おそらくは末端の宗教教師らであろう。彼らも富の分け前に与ってきたのだが、大娼婦が焼かれて立ち上る煙を遠方から眺めて悲嘆にくれる。この者らは生計の方法を再考しなければならなくなるのだろうか。



◆大いなるバビロンの滅ぶとき
 

神の正式な代弁者である聖徒たちが聖霊を以って語るときに、神の声の前に宗教界は一気に色あせてしまう。『大娼婦』に属する許多の宗教が権力を利用して聖徒らを亡き者にできたとしても、宗教の褪色そのものはもう手遅れになるようだ。真実の神が聖霊によって聖徒らを通して優れた言葉を語られる以上、悪霊崇拝者らの低劣な発言に人々はさすがに背を向け始めるのであろう。

価値の高い言葉を聖霊によって語る『聖なる者ら』は象徴的に「神殿」となる者らであり、象徴の聖都エルサレムに座すことになるという。奇跡を起こす聖霊がシオンに、『見よ!ここを』と叫ぶかのようにして、神が彼らと共にあることを明らかにするであろう。(イザヤ41:27新改訳)

一方で大淫婦の都バビロンは清らかな処女のようなエルサレムの登場に猛烈な嫉妬を燃やす以外にない。自分たちの存在意義さえ否定されてしまうからである。その結果『それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣窟、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣窟となった』という言葉も成就することになろう。つまり、そこには神が居ないということがまったく明らかにされるからである。

そこで、娼婦バビロンは顧客であり情夫でもある王たちに働きかけて、清純なる処女エルサレムに猛攻を浴びせさせる。しかし、それはエルサレムをますます浄めることになってしまい、自分たちは決定的に断罪される穢れの淵へと堕ちてゆく。
これこそが大娼婦の最後の杯をもたらし、それは神から与えられると黙示録は言う。
その杯とは、キリストと共に神殿を構成する聖なる者らへの復讐、即ち『神殿への復讐』であり、この女の仕出かしたあらゆることの二倍がなみなみと注がれるのである。(エレミヤ50:28/黙示録18:6/19:2)

野獣の角で表される公権力は、このたびは神から影響され、各国同時に聖徒を亡き者とするよう唆した宗教の大集団バビロンに矛先を向けることになる。そこでは古代城市バビロンが一夜で『女主人』の地位から転落したように、石が海に沈み込む速さでこの宗教都市の没落が突然に起こるというのである。(黙示録17:15-18)

この大娼婦は世の宗教の全体を包含するであろう。それが単にバビロンではなく「大いなるバビロン」であることには、キリスト教はもちろん、メソポタミア文明の初めから創造者に逆らい悪霊を拝したその傾向を持つあらゆる宗教が、こぞって神の聖霊によって語る『聖なる者』にも対抗することを黙示していると見ることができよう。

したがって、この期に及んでバビルを淵源とし、永きに亘って人類の上に君臨してきた「旧来の宗教」という娼婦がいよいよ終滅を迎えることになる。それは『神の裁き』であり、自分が『聖なる者』を攻撃させた、その同じ世俗権力が『荒廃し、裸にし、その肉を食い、火で焼き尽く』ことをヨハネは黙示する。(17:16)


このような全世界的処置が本当に起こり得るというのは、今の時点から見れば奇異ではある。宗教に熱心な人は少なくなりつつあるとはいえ、そう易々と無くなるようにも見えない。
ならば、やはり、その以前に生じる聖徒の出現が、相当に世を揺さぶるようなことになるのだろうか。

それはおそらく、古代バビロンを保護していたユーフラテスの膨大量の水がバイパスされ、流れが変わってしまったように、非常な短期間にこの城市が表していた宗教の信者の大半を失うことを指しているのであろう。それこそは、「大いなるキュロス」であるキリストの聖霊を用いた驚異の業となろう。(黙示録16:12)
黙示録では、狙い澄ました一時にユーフラテスの四人の使いが解かれると、三分の一というおそらくはキリスト教界の断罪が起こることを記しているが、これも無関係ではないように読める。(黙示録9:14-15)

それであれば、その事象の成就とは、聖徒の現れと聖霊の発言により、膨大な数の人々がキリスト教やほかの多様な宗教に躓きを覚え、信仰を失って旧来の諸宗派から一気に離れてしまうことを云うのではないか。

大半の信者を失った宗教世界とはどんなものであろう?
その痩せ衰えた姿に公権力の実力行使を留める力が何か残っているだろうか。

そして「大いなるバビロン」の滅びは、王や旅商人、また船乗りらにとって不本意な結果とはなるが、世の大多数にとって、魅力も魔力も失ったかび臭い宗教など、結構な厄介払いとされるのだろう。

それが為政者や宗教家にとっては、有無を言わされぬほどの世論を形成されてしまうので、彼らは喪失感を隠さねばならず、「離れて立つ」以外にない。つまり、彼ら以外の大多数がバビロン的な「伝統宗教反対」を叫ぶような情勢変化が起こり、それは人類を揺るがし振り分ける作用を及ぼすのであろう。

即ち「裁きの日」の到来である。
であるから、宗教に反対する大多数の人々の皆が皆、聖徒による聖霊の声に信仰を持つとはまず限らない。何か別の「野獣崇拝」のようなムーヴメントに向かうのではなかろうか。(イザヤ14:12-14)
おそらく、多くの人々は宗教組織を無くしはしても、その信仰そのものをまったく無くすことは、その性質上できないことではなかろうか。

そこで、組織宗教は去っても、以前の信仰の概念を残しつつ、新たな信仰心の発露を求め、その必要を賄う者が現れるなら、一気にその新たな宗教は古い組織宗教の消滅で行き場を失った信仰心をかき集めることにならないものだろうか。
(それが具体化するならば、それこそは究極の偽宗教となり、最後に残る政祭一致的な恐るべき神への抗いの器となるのであろう)

だが黙示録は、大娼婦の滅尽を聖徒への復讐として喜ぶ一群の人々も居ることを描いている。
大群衆が『ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。その裁きは真実で正しいからである。淫行で地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、御自分の僕たちの流した血の復讐を、あの女になさったからだ。』という雷雨のような大声を聞いたとヨハネは言う。

これこそが、創造の神への信仰を持つ人々の反応であろう。
聖なるエルサレムを支持し、大娼婦バビロンに裁きの鉄槌が振り下ろされたことに歓呼の声を上げている。
この人々の救いは間近である。なぜなら、『聖なる民が打ち砕かれると、すべてのことは直ちに終局に至る』からであり、バビロンへの報復が為された今、『エルサレムの神殿』を構成する処女らが天に揃うからである。(ダニエル12:7)


それゆえ「大いなるバビロン」の滅びに際して、人はどのように振舞うことがよいのかについては神自身が黙示録の中でこう呼びかけている。『わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ』。(黙示録18:4)


さてさて事の結論はこうなるであろう。
「死後、人は天に召される」と云うのと「極楽往生を果たす」と云うのに決定的違いがあるだろうか。
キリスト教といえども、バベルに源を持つ教えに従っていれば、聖霊を注がれる『聖なる者』に逆らう側に立つことが避けられない状態にまず身を置いている。

加えて死後の世界を教えない宗教であっても、聖霊の声に心を開かず、信仰を懐かないのであれば、それは即ち『聖霊を冒涜する罪』となり兼ねず、それはけっして許されることのないという決定的な罪であり、いずれも裁かれるに違いない。
キリストの前に世の人々が左右に分けられるというマタイの終末預言の部分が、これに深く関わるとすれば、理解の視界も一気に開かれる。


それであるから、できうる限り早いうちに、人はこの世の宗教の大多数を占めるバビロン由来の教えを振り捨てるべきであろうし、聖霊の到来に心を向けない、特にキリスト教の教えを後にしなければ危ういことになろう。キリスト教界は最もキリスト教から隔たっているとさえ言うべきであるからである。宗教信条や慣行は恐ろしいもので、人を捕らえて易々とは放さない。⇒「聖霊によるキリスト教の回復」

しかし、人々が大娼婦と共に害を受けないばかりでなく、聖霊の声に従い、子羊と聖徒の婚宴に招かれる幸いを得るように。




            新十四日派    © 林 義平




さて、最後に、ひとこと付け加えておきたいことがある。
それは、この『大いなるバビロンの滅び』が一切の偽宗教の終わりを意味するのではないと考えられることであり、その後には、より醜く強力な究極的偶像崇拝の宗教が現れることになるように思われるのである。

それが地に残される「脱落聖徒」の起こす『背教』であり、それが背教である以上、キリスト教の変形らしい。その『背教』については使徒パウロの警告するところであった。(テサロニケ第二2:3) 宗教の教えとは人の心を容易に去るものではないのだが、最後の反抗宗教においても現在の諸教会員の基本的教理を引きずるものらしく、その旧来の教えがそのまま持続し、ある人物を神格化、偶像化させてしまうらしい。(テサロニケ第二2:4/イザヤ14:12-14)
これを招来させ兼ねない教理は既にキリスト教界に存在し、依然として強い作用を保持している。即ち、「キリストの地上再臨」と「三位一体説」である。これらは終末まで存在し続け、終末にあってはユダ・イスカリオテのように重要な悪役を司るのであろうか。
 (これについては改めて頁を設けたく思う⇒「不法の人」)

サタンも悪霊も、バビロンの去った時点であっても依然として活動を続けているからである。しかし、その存続期間は、キリストの臨御の顕現までの僅かな期間だけであろう。ダニエル書も黙示録も、聖徒が攻撃を受けた後の時が非常に短いことを告げている。それでも、その背教は国家規模の後押しを背景に強圧的なものになるらしい。(ダニエル12:7/黙示録12:12/13:11-18)




(関連⇒ 「小麦と毒麦の例え」 「マタイ福音書の終末預言と例え」)



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アリヤー・ツィオンの残りの者



『神は敵であるかのようにその弓を(弦を張る為に)踏み、右手(に矢)を構えた・・シオンの娘の天幕の中に火のように激しい怒りを放った。・・神は敵と変じてイスラエルを呑み込まれた。』(哀歌2:4)
エレミヤが、律法不履行のユダとエルサレムの滅びをこう嘆いてから50年を経る頃
捕囚の民に変化が訪れる。

『バビロンで七十年が満ちるに従いわたしはあなたがたに心を向ける。わたしはあなたがたをこの場所に連れ戻して、わたしの善い言葉(イスラエルの回復の預言)の証を立てる』(エレミヤ29:10)
そして、この預言を実現するための具体的な大変化が訪れた。

それがキュロス二世の攻撃による前539年のバビロン城市の陥落であった。
だが、ユダヤ人の帰還と神殿の再建は、新バビロニア帝国からの解放だけで自動的に進んだ訳ではけっしてない。イザヤやエレミヤに見られるような「回復の預言」、シオンへの街道が造られたり、諸国民がシオンの子らを懐に抱いて運んで来たり、というような言葉とは不釣り合いなほどに、それは栄光に溢れたものでも、順調に進んだものでもない。

その歴史上の現実と、預言の言葉の違いには、どんな理由があるのだろうか。
また、それは何の予告をしていたのだろうか。
それをここで幾らか探り出してみよう。


さて、ユダヤ人が捕囚となっていたバビロンが陥落して後、翌キュロスの第一年に、この新王は自らとペルシア帝国の安寧を願って、被占領民の神々を畏敬し、その崇拝を奨励したのであった。
殊に、ユダの地の神については、その神殿が先のバビロニア王朝によって破壊され、その祭祀を途絶えさせたことは、キュロスの王朝がその轍を踏んで短命な帝国に終わらせぬ為にも、ユダの神の祭祀を再興させることに価値を見たことであろう。確かに新バビロニア帝国が百年にも届かない寿命であったのに対し、アケメネス朝ペルシアは220年の間、オリエントの主人として君臨し続けたのであった。

キュロス大王はその統治の初めの年に、ユダの地にあったイスラエルの神YHWHの神殿を再建し、その祭祀を復興させるべく、その民に属する者らがパレスチナに戻り、これらの事業に従事するようにとの勅令を発した。
加えて、バビロンに保管されていた神殿の五千四百を数える大小の什器をすべて確認してユダヤ人側に返還する念の入れようであった。

こうしたペルシア側の動きは、先のバビロニアやアッシリアなどの諸国家がイスラエルの神に示した敵対的な行動の多くの中で際立った善意を見せる。
イザヤはこの事の起こる150年以上も前に、「油注がれた者キュロス」(リ マシホー  レ コレシュ[לִמְשִׁיחֹו֮ לְכֹ֣ורֶשׁ]について名指しで予告し、彼がバビロンの二重の城門を開いて神の民を解放する様を「王たちの帯を解き、彼の前に二枚扉を開いて閉じられることのないようにする」と記していたのであった。(イザヤ45:1)

バビロンは、ペルシア王キュロスと連合国という「陽の昇る方角から来る王たち」の前に滅亡したが、キュロスの戦法は正に「大河ユーフラテスを干上がらせる」バイパス水路構築によるものであった。(イザヤ44:27/クセノフォン「キュロスの教育」第七巻第五章)

即ちキュロスという人物は『「彼は我が牧者、我が目的を尽く成し遂げる」と言い、エルサレムについては、「再び建てられる」と言い、神殿については、「あなたを通して基礎が据えられる」と言う』神の言葉を実現させる者として指名された格別な存在であった。そこでの神の予知力行使は、それが必ず成し遂げられるものであることを強調していたのであろう。(イザヤ44:28)

ゆえにこれらの出来事すべてに関するユダヤ人の認識は、『キュロスの右手を導く』神YHWHの神殿祭祀復興の意図を実現するための神ご自身の起こした時代の潮流であり、律法契約の違犯の為に一度は神の激しい怒りに触れ、捕囚の憂き目を見たイスラエルも『その刑期を終えて』、『慰め』(ナハムー)の時を迎えたのである。(イザヤ40:1-2)

シオン山上の城市エルサレムをはじめ、ユダの諸都市が神の業として建てられることは、遠くダヴィデ王の詩篇にも予告されており、このようにある。
『神はシオンを救い、ユダの町々を建て直されるからである。その下僕らはそこに住んでこれを所有し、その下僕らの子孫はこれを継ぎ、み名を愛する者はその中に住むであろう。』詩篇69:35-36



-◆「残りの者だけが」


ユダの地にその民によって神YHWHの神殿を再建し、その祭祀を復興させるというキュロスの勅令に対し、ユダヤ人の有志はすぐに反応した。

しかし、これはバビロンに囚人のようにされていたユダヤ人らが「解放」されて、皆が皆よろこびの表情を浮かべて故郷への帰途に就いたとするなら大きな間違いである。

既に神殿の破壊から50年が経過し、最初の捕囚からは70年以上の年月が流れていたので、ユダヤ人はそれぞれにバビロンで生計を立てる術を学び、多くは生業を確立していたのである。

その一方で、故郷は荒れ果てた土地となっており、たとえ建物が幾らか残されていたとしても廃屋であるに違いなく、あらゆることを一から始めなければならなかった。それに加えて神殿祭祀復興という至上命令が帝国から課せられている。
この帰還事業では、そうしようとするユダヤ人の生活に見かけ上は何の保証も無い。ユダヤ人も捕囚二世、三世ともなれば、もはやバビロンは慣れ親しんだ故郷のようであり、かつてのユダの地を知る者は齢六十には達していたであろう。

つまり、シオンに帰還する(アリヤー「上る」)ということは、未開の地に向かう開拓民となる覚悟が必要であったし、ユダに到着するまでの道中の盗賊や野獣などの危険や長途旅程の困難さも当然忍ばねばならない。およそ1500kmの旅程は東京から鹿児島の鉄道距離にほぼ相当し、ユーフラテスに沿って北上するとしても、そこはやはり不毛な砂埃舞い立つ砂漠地帯であり、獰猛な砂漠の民や無理解な諸国民の狭間を抜けて家畜財産の他に、貴重な金銀の崇拝什器や寄付や下賜された資金を運ぶというのである。

これに対し、大多数のユダヤ人はバビロンに留まることを選ぶ。
資金や物資の援助を帰還の有志には与えても、生業のため、また女子供や老人のためか、あるいは熱意の不足か、自ら危険や困難に直面してまで自分たちの神に熱心を示すことに躊躇した。
大多数のユダヤ人にとって「バビロンを出る」とは、敢えて安住の地を去ることを意味し、決して容易なことではなかったのである。

そのためであろう、帰還を申し出たユダヤ人の多くが男性であったようで、これは後に雑婚という大きな問題の誘因となる。

ともあれ、ユダヤ人の中からまるで帰還者が出ないという事態には至らなかったが、その数は関係者を含めてようやくに五万というところであった。
有事には50万の兵力を集めることができた頃のユダ(及びシメオン)とベニヤミンの国家は、おそらくレヴィを含めて150~200万近い人口を擁していたのであろう。ユダヤ人の多くが留まったバビロンは、その後、東方ディアスポラの一大拠点となり、最盛期には百万ものユダヤ人がこの地域に暮らし、そのユダヤ教は中世期に「バビロニアン・タルムード」を生み出すことになる。

一方、帰還を志願した彼ら五万弱には、神への熱意とそれに伴う信仰や勇気が求められなかったろうか。
つまり、彼らはその意味において「篩にかけられ」「選ばれた者」ということができるであろう。即ち「イスラエルの残りの者」と呼ばれる集団である。

イザヤはこうも云っていたものである。
『あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。』(イザヤ10:22

したがって、国家を形成するには余りにも少ない帰還民はまったく「産み落とされた赤子」のように弱体であり、周辺諸民族が存在することすら大きな脅威であったし、それは後に、彼らの面前で山のように聳え立ち、越え難い実際の障碍となるのであった。
それに加えて前述のように、まずは家屋の確保や地を耕し種を撒き、放牧地を見つけて、農耕牧畜の生計を立てなくてはならない。

それでも、彼らには帝国からの法的後ろ盾と、同胞から寄せられた資金には恵まれていた。これらが無かったなら、この帰還復興事業も起こらず、仮に自発的に行われたにせよ、成功はとても覚束なかったに違いない。

まさにイスラエルの神YHWHはキュロス大王の右手を執り、事態を導いたのである。


-◆ 油注がれたふたりの者

この第一次帰還を現場で導く者となったふたりの特筆するべき人物がいる。
一人は、帝国からユダの地の総督の権を委ねられてもいたユダ族のゼルバベルである。その名「バビロンの胤」(ゼルブバベル)の意味するところからして、捕囚としての生まれが知れる。
福音書の系図は彼がユダ族でもダヴィデの王統に属するものであることを明らかにしている。彼は第一次捕囚でバビロンに来ていたエホヤキン王の第一子、あるいはその兄弟の子である可能性も指摘されているそうである。聖書中の系図によれば、彼はエホヤキンの第四子シャルティエルの子に当たる。
またおそらくは、ペルシアの宮廷ではセシバッツァルと呼ばれていたのであろう。このセシバッツァルがユダヤ人総督ゼルバベルである蓋然性は低くないらしい。このようにバビロンに囚われたユダヤ人に別名を与えられた例は聖書のあちこちにあり、それがごく当たり前の習慣であったことが窺える。

ペルシアの行政府からセシバッツァルと呼ばれていたのがゼルバベルであれば、バビロンに収奪されていた神殿の什器や食器をペルシア側から受け取ったのはこのユダヤ王エホヤキンの子シャルティエルの子ゼルバベルであり、彼はその血統のゆえにもユダヤ人の敬意に値したであろうから、キュロス大王の勅令を果たす総督の任を委ねるについては申し分なかったのであろう。
実際、彼が帰還事業において重要な判断を妥協なく適切に果たす場面を我々は聖書に見出すことになる。


そしてもうひとりは、大祭司アロンに連なるエレアザルの、そしてザドクの流れを汲んで堂々と大祭司の資格を主張できた、セラヤの子、イェホツァダクの子、イェシュア(イェホシュア)である。

このように申し分なくレヴィ族の中のレヴィ族である者が、帰還民の中に居ないとすれば、たとえソロモンの壮麗な神殿を凌ぐほどの建造物を奉献したところで、祭祀の再開はまったく不可能となってしまい、その努力は無に帰するのである。

もちろん、レヴィに属する下位の祭司団やレヴィ人、ネティニムに属する古来の外国人専任者をも神殿祭祀は必要としているが、大祭司なくしてはその集団も意味を成さない。

このふたりが居てはじめて帰還民団の目的、またキュロス王の勅令が果たされ得るのであり、彼らの正統な権威と指導は今やイスラエルの神の崇拝の復興とイスラエルの回復の預言の成就に欠かせないものとなっていたのである。

預言者ゼカリヤは、このふたりをそれぞれに取り上げて言及したのち、真の神の崇拝を支える者となることを預言して、燭台の上にある受け皿に油を供給し続ける『二本のオリーヴの木』に象徴し、彼らは『全地の主の傍らに立つ二人の油注がれた者である』との神の言葉を記している。(ゼカリヤ3-4章)
これらは神の崇拝の復興に必要な統治権と祭祀権を表しており、これは後にキリスト・イエスとその聖なる者らの立場を象徴するものとなってゆく。

だがその前に、この時代の帰還民に起こった事柄を一瞥しておく必要がある。
なぜなら、それはイザヤなどの「預言者たち」の語る回復の預言の第一の成就であり、その意義はけっして軽いものではない。殊に、民の帰還と神殿祭祀の復興は、黙示録が示唆する将来のキリスト教の回復をも指し示すのであり、それを待ち望む者にとっては重要な教訓を得る場面だからである。



-◆守られるべき純粋性


先に見た通り、キュロスの勅令に応じたユダヤ人は五万に満たなかった。彼らは秋の第七の月に到着したが、そこで仮庵の祭りを行ったことは彼らの必要にも適っていたかも知れない。それぞれの家族やグル-プは小屋(スカ)を作り、屋根を木々の枝葉で葺いて八日を過ごす。それから二か月の内に、季節が変わる前に雨漏りのしない住居を用意しなくてはならない。

一方、神殿の定礎の方は、その翌年になってしまった。そこでは悴むような冬の雨や雪、自らの生計を立てることへの煩いがあったことであろう。
しかし、十分な資金を用いて石工を雇い、準備を始めることはできていた。

彼らの脅威といえば、近隣の数の多い諸国民の反応であり、帰還民の耳には不穏な情報が入りつつあったので、イェシュアは神殿の再建も、定礎も待たずに銅の覆いもない自然石の祭壇を以前の跡地に築いて焼燔の犠牲や、常供の捧げものを始めたのであった。


神殿の礎石が据えられたのは到着の翌年(前536)、冬の雨の去った春爛漫の二月(イッヤール)の時期であった。
レヴィの祭司らは白い亜麻布で正装し、奪略から返還された輝く銀製の高音ラッパ(ハツォツェロット)を吹奏する。また、アサフの子孫らは小型のシンバル(メツィルタイム)をもってハレル詩編を詠唱し、新たな神殿の定礎を慶祝した。それはかつてダヴィデ王が命じて行った古式に則るものであったが、イッヤールの月の春郁のシオンの空に、長い年月を経て、再びその晴れやかな音が鳴り響く。

帰還民の多くは、その慶事に大きな喜びの叫びを上げたが、一方で年寄らも大声で泣いていた。それは感動の涙ではなかったのである。
老いた者らは、以前のソロモン神殿の壮麗さを知っていたが為に、自分たちの前に置かれた礎石の小さいことに意気を挫かれ落胆して涙していたのであった。失われたものは何と大きかったことか。その後、神殿が完成しても、契約の証しの箱も聖籤ウリム ヴェ  トンミムも遂に戻っては来なかった。

しかし、それでも神の崇拝の為の礎は確かにそこに置かれた以上は、この困難で労苦満ちるとはいえ成し遂げるに大いに価値ある業に彼らは着手したのである。

さてそこで、彼ら帰還した民が、神殿の再建を始めた事に気付いた周囲の民族、殊に割礼ある民モアブとサマリアはその神殿建立の業に預かることを望んで、ゼルバベルに作業への協力と参加を申し出てきた。

殊にサマリアの民は、アッシリア王エサル=ハドンの時代から、トーラーを受け入れ、その規定を守ってきたのであるから、イスラエルとの混血民族でもあり、神を同じくする者という意識が強くあって、その敬神の念が神殿再建に関わることで報われるばかりか、再興する神殿祭祀においても、一括りに「その他諸国民」に扱われる以上の立場を望んでいなかったわけではなさそうであった。

それが証拠に、神殿を再建する業から彼ら近隣の異邦人がはっきり除外されると、つぎには神殿建立を妨害する側に回ったのであった。

そこで彼らの「敬神の念」は篩いにかけられたと言えよう。
彼らからしてみれば、あのユダヤ人らは数も少ないのに不合理に狭量で、「神を独占」するかのような崇拝への閉鎖的独善性に納得がゆかなかったことであろう。

だが、神への崇拝に関して、これらの諸国民には「神からの観点」が欠けていた。つまり、彼らがどうかと云うことではなく、神は何を望んでいるのかという点に配慮が到るほどの敬虔さまでは持ち合わせていなかったのである。そこでは「契約の民」への知識も敬意も足りてはいないことを、神殿再建への反対者と変じたことそのものが暴露していよう。そうして彼らは「神を崇拝すると唱えながら、その実質において無益な者」であることを現してしまった。

神が人類の全体を救うために選んだ「諸国民の光」となる器はアブラハムの裔であるイスラエルであってほかにない。それは、後代キリストがサマリア人の女に語られた「救いはイスラエルから興る」の言葉の通りである。この混血の民には、およそ五百年後にメシアの使徒、ガリラヤの漁師シメオン・キーファを通して聖霊による神のイスラエルへの統合が起こるのであり、その救いの時はまだ来ていなかった。
これら聖なる崇拝に近い諸国民は、却って神の選びを混濁させることで神慮に逆らい兼ねなかった。その理由は崇拝意識において神よりも自分を優先させていたからである。

それゆえ、ゼルバベルが彼ら異邦人を神殿再建の業から遠ざけたことは、キュロス王の勅令に沿うものであったが、それ以上に「イスラエルの回復」の預言を正しくイスラエル民族の上に成就させる道を拓くものとなった。

確かに帰還したユダヤ人は僅かではあっても、彼らこそが選ばれた契約の民であり崇拝の再興は彼らを通して為されなくてはならない。神は『再びエルサレムを選びとられ』るのであり、そこには御名を置かれる『神の家』たる神殿がなければならないし、その祭祀はイスラエルから更に聖別されたレヴィ族のアロン=ザドク系大祭司を頂点に戴く祭司団によって執り行われるべきものであった。それを補佐するのは同族のレヴィに属する者たちと、ネティニムと呼ばれる専任の献身者らでなくてはならない。

神殿を再建し、その祭祀の復興を目指した帰還ユダヤ人にとって、こうした条件が満たされないなら、それは「イスラエルの回復」とは言い難い。この状況下ではむしろ、第一神殿建立のときに勝って異物の混入によほど注意深くする必要があったに違いない。

こうして帰還ユダヤ人が初期に遭遇した試練は、少数者であることもあって、諸国民から神殿祭祀の純粋性を守るものとなった。
他方、神殿再建の業から除外された近隣諸民族は、イスラエルの神への請け分がないと知るや、手のひらを返したようにユダヤ人による神殿再建立を妨害し始めたが、この異邦人らは、ゼルバベルと民が神殿再建の業を続行するのを見て嫉妬を覚えるようになり、中傷に走り「総督ゼルバベルには野心あり、王となることを望み、既に民にはそう呼ばせている」と吹聴する。
だが、これに効果がないと分かると、次に帝国に対し、「ユダの民の独立性の危険は歴史が証明している」と訴え、これがペルシア王の益を損ねると主張した。(この件についてのエズラ記の記述は、後代アルタクセルクセスの時期にものと共に述べられているが、同様の訴えが神殿再建の時期から継続していたのであろう。エズラ4:4-24)

こうした反対運動は早くもキュロス王の治世中(B.C 550-530)に始まり、その為か工事は一向に捗る様子も見せず、遂にカンビュセスの治世中(530-522)に、近隣の諸国民は帝国の威力をもって工事を中断させることに成功したのであった。

しかし、カンビュセス王がエジプト遠征の帰りに自傷(暗殺?)したことが原因で死去したあと、王位簒奪者とされるガウマタを倒した高官の子ダレイオスがペルシアの王として即位した。この新しい王は翌年から新都ペルセポリスの造営を始めるのだが、その頃までに、神殿再建工事は中断して以来すでに15年にもなっていた。しかし、イスラエルの神はこの期にゼルバベルとイェシュアに再建の業を再開させるべく、二人の預言者を遣わすのであった。ハガイとゼカリヤである。
 

ハガイは、神殿再建が中断していた間に、帰還民には十分な収穫がなく、糧秣に事欠いたことに注意を向ける。神の家が荒れているにも関わらず、民は鏡板を張った贅沢な住居を設え、それでいて生活に満足することは無かったと言う。
雇われ人も『穴の開いた財布(袋)の為に働く』かのようであると評する。

それらの原因は『わたしの家が荒れているためであり、あなた方がそれぞれ自分の家のために走り回っているからである』と指控する。(ハガイ1章)
つまり、帰還民はシオン山上に神殿を築くという最大の目的を諦めてしまい、いくらも心を向けなくなっていたのであり、それは神の喜ぶところであるわけもなく、天からの祝福は閉ざされていたのであった。

祭祀再興のイニシアティヴはキュロス大王にあったので、大王亡きあと アリヤーの途に就いたはずの帰還民団はこの点で試され、そのアリヤーも成り行き任せで受動的であったことがここに表れている。

しかし、機は熟しつつあった。
ペルシアの政変もダレイオスの登壇によって終息し、キュロス大王の意を継ぐ新王が即位していたのである。

ハガイが預言を終えて数か月の後に、もうひとりの年若い預言者ゼカリヤに神の霊が臨む。
ゼカリヤの預言はゼルバベルにこう言った。『「これは勢力によらず、能力によらず、我が霊による」と万軍のYHWHは仰せられる。「大いなる山よ、お前はいったい何者か。ゼルバベルの前にあっては平地となるであろう」。』*
これを聴いたゼルバベルとイェシュア、そしてすべての帰還民は神にその霊を奮い立たせられ主体性をもって本来の帰還の目的を果たすことに心を向けたのであった。

ゼルバベルはダレイオスの宮廷に書簡を送り、キュロスの勅令があったことを訴える。
すると、その勅書は旧都エクバタナから発見され、18年前に示された様々な善意は、今やダレイオスを通して再び履行され、必要物が供給され、反対者は覆されることが「速やかに為されるように」との命が下った。
こうしてゼルバベルの前に立ちはだかる「山」は「平地」となるのであった。

この神からの奮い起こしが生じたのは、神殿の基礎が置かれてなお17年の歳月が経過したダレイオスの治世の第二年(520)のことであったとゼカリヤが記している。(ゼカリヤ4:6-7)



-◆余りに現実離れした預言

『エルサレムは人と家畜で溢れ、開かれた(城壁の無い)街となるであろう』。(ゼカリヤ2:8)

これが希望をもたらす預言であったのは、五万ほどの帰還民が皆エルサレム市内に住んでいたわけではなく、ネゲブのベエルシェバからベニヤミンの領域までの南北60kmにも及ぶ範囲にそれぞれの相続地に戻って点々と住んでいたのであるから、エルサレムには一万もいたかどうかも疑われるほどで、非常に広い廃墟のようであったことは後代のネヘミヤの記述からさえ知られるところである。

一世紀後、首都が城壁を備えたネヘミヤの総督時代(B.C444-432)の帰還があっても、エルサレムに住もうとする者を祝し、都外に住む者らの十人に一人を籤で選び、またレヴィ族が畑を耕すことのないよう生活を保障し、エルサレムに住まわせるよう取り計らったが、それでも首都は閑散たるものであったようである。(ネヘミヤ7:4/11章/13:10)


では、エルサレムが以前のような活況を呈して、預言の通りになったのはいつのことであろうか。
だが、この時期のふたりの預言者の語る内容がいったい何時成就したのかと疑問に思わせるところは非常に多い、というよりは、ほとんど預言の全体がそのようである。

ハガイの預言の中で、神は『わたしはもう一度天地を激動させる。また、あらゆる国民をも激しく揺する。するとあらゆる国民の中から望ましい(貴重な)者(たち)が入ってきて、この家(神殿)を私は栄光で満たす』。


また『この家の栄光は先の家のものに勝る』とも言われるが、この言葉は何時成就を見ただろうか。

確かにヘロデ大王は、この時に再建された第二神殿を建て直し、大いに拡張してアテナイのアクロポリスにも、エフェソスのアルテミス神殿にも負けない規模にし、そこにイエス・キリストが現れることにもなったわけだが、天地や人類全体が激しく揺り動かされるというような事態をそこに見出すことはできず、却って、キリスト後ひと世代の内に、この美麗荘重な神の家も二度目に焼け落ち破壊され尽くして、21世紀の今日まで二千年も存在していないというのが地上の実情なのである。


それはゼカリヤの内容も同じく、黙示のように不思議な内容が続くのである。
エルサレムの「邪悪」は、エファ升の中にひとりの女として封じ込められ、シナルの方角へ、つまりバビロンという「相応しい場所」に運ばれてしまう。これはエルサレムの贖罪を表すのであろう。


また「新芽」という者がいる。
この者は、自ら新芽を出して神殿を築くというのである。
しかも、この「新芽」は『王座にあって祭司となる』という。加えて『遠く離れた者らが来て』神殿を築く、というのである。
そこで神は金銀を使った光輝ある王冠を造らせるが、それをゼルバベルの上には置かない。そんなことをすれば彼は大逆罪で死刑になるであろう。神はそれを大祭司エシュアの上に置き、以後はその家で保管されることになるが、これは明らかに「新芽」という「王なる祭司」に対する記念である。そしてそれがキリスト・イエスを指すことは、ユダヤ教徒でなくキリスト教徒であれば自明の理であろう。(ゼカリヤ6:12-15)

しかも、キリストが帰天の後に大祭司としての職務を始めて、聖徒らを『新しい契約』によって聖別し、その後の永い時を経てから王冠を受けることがそこに前表されてもいる。(詩篇110:1/ヘブライ8:1-2)


ゼカリヤ書の黙示的宣告はその後も留まるところがない。既に神殿の基礎が据えられて19年が経過している(当時ダレイオスの第4年)にも関わらず、神自らがその石に「七つの目の彫り込みを行い」「ゼルバベルが礎石を携えて来る」「それに対して、麗しいかな!との叫びが上がる」とも言っている。その時には(イスラエルの)その地の咎が一日のうちに取り去られるのである。(ゼカリヤ3:8-9)

これらは、もはや当時の実際の出来事を超越しており、当のゼルバベルやイェシュアでさえ、その全容を把握したとは考えられないほどのものである。

そして、ヘロデ大王の神殿の火災と破壊を以って、その時以来、神YHWHの神殿が存在していない以上、その成就はなお「将来の神殿」に関するものであるに違いない。

なぜなら、その「神殿が栄光に満ちる」前に、人類は神によって激しく揺り動かされるからである。

その神殿の礎石が「ゼルバベル」で予表される何者かによって置かれる日、歓呼の声が上がり、「イスラエル」の罪はすぐに除かれて浄められ、その邪悪さはバビロンに移される。
そして「新芽」と呼ばれる者が神殿を築き始め、彼はその王座にあって祭司となり、「平和の君」のような諭しを民に教える。そのようなことが歴史上一度でも起こったことがあるだろうか。

これらを、あのペンテコステの聖霊降臨による「新しい契約」の発効での「神のイスラエル」の贖罪に当てはめるにも無理がある。

確かに、キリストと共に神殿を構成するべき人々は現れたが、その後二千年が経過しても、諸国民が激動を経験したことを歴史上に挙げることが一度もできない。


この天地の激動がシナイ山麓でのイスラエルとの律法契約締結の際の山の恐るべき揺れを表していることを明かしたのはパウロであり、それはヘブライ人への手紙の12章の後半で述べられている。

そこでは、キリストと共に神殿を構成することになる「聖なる者たち」が近づいたのは天のシオン山であり、それは揺ぎ無いものであって激動によって消滅してしまうものではないともパウロは書いている。つまり「新しい契約」はシナイからシオンへと移り、その山は揺らぐことのないもので、贖罪された初子の集団に恐れを抱かせる必要もない。

しかし、この世の天地はそうではない。
「罪」あるそれは、神によって除き去られるべきものであることが暴露され、それを知らされる人類はその振動によって振るわれ、神の目に望ましい者と、そうでない者とが分けられ、望ましい者らはシオン山上の神の家に向かうということであろう。

なぜなら、イザヤはこう言っている。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、諸々の山の上に堅く立ち、諸々の峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに向かって流れ行き
 多くの民は来て言う、「さあ、我らは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼は我らにその道を教えられる、我らはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ2:2-3)

この神殿とは、もちろん地上に現実に存在するものではないに違いないが、だからと言って、既に天に存在しているとも言えない理由が「激動」の未経験にある。

その神殿の定礎で「叫びが上がる」のであれば、人の世にも明らかなものなのであろう。それは聖霊の再降下の始まりを画する出来事を表しているようにも思える。
そして、「神殿」の構成員となる「神のイスラエル」は聖霊によって更に明瞭にしめされ、『その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダヤ人の裾をつかんで言う。「あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ」。』と言い、『あらゆる国民の中から望ましい者が入ってきて、この家を私は栄光で満たす』の言葉に連なるであろう。(ゼカリヤ8:23/ハガイ2:7)

そのためには、「あらゆる言語を話す国々の民」が、この「ユダヤ人」が誰であるかを識別し、しかもそこに無上の価値を認めなくてはならない。
そこでは出エジプトの時に、十度示された神YHWHの奇跡の力の大きさに信仰を湧き起こし、イスラエルに同行して荒野に出るに至ったエジプトの異邦人のような帰依のきっかけも必要であろう。


-◆ふたりの油注がれた者

しかし、こうしたことの起こるその前に、『神は再びシオンを選び取る』ことが行われなくてはならない。(ゼカリヤ1:17)
つまり、人が住まず、荒れた廃墟を目指す者、「イスラエルの残りの者」が現れなくてはならない。将来の対型的ゼルバベルやイェシュアは何者となるのであろう。

黙示録はこれに答えて、それは『ふたりの証人』であるという。(黙示録11:4/ゼカリヤ4:12.14)

彼らは『粗布をまとって(キリストのように)1260日の間預言する』者たち、(モーセとアロンのように)「地を何度でも打ち」、その権威を示す者である。

正当な立場のゆえに任命されたのでなければ、誰がこのような預言をするだろうか。真に聖霊が注がれるのでなければ、誰が地を打つことなどできようか。


それでも、黙示録のこの段階でも依然、神殿は完成していないとみるべきように思える。

と言うのも、イェシュアは定礎に先立って常供の犠牲を捧げ始めていたことからすれば、聖徒らの登場が神殿の建立は勿論、定礎さえそれを示すのかは分からない。
聖霊を受けることで任命された人々がすべて集められて神殿の完成とみてよいならば、彼らは1260日の間に試練に遭わねばならず、彼らが地上にいる間は神殿の完成はないことになろう。つまり、「殉教する者の数が満ち」、聖なる死者が天に復活し、生き残った聖徒らが死を経ずに天に昇る時を待たねば神殿の完成はない。(テサロニケ第一4:15-17)

つまり、聖霊を受けた「聖なる者たち」がまったく地上から去ってしまうまで、神殿の完成を見ないということになる。

その後、天に出来上がった神殿、つまりその崇拝方式には、諸国の「貴重な者ら」が入ってきて、神YHWHの家は栄光で満たされるのであろう。この者らは黙示録7章に描かれる「数えきれない程の多くの群衆」であり、「大いなる患難を通過してきた者たち」であろう。神殿の完成はこれらの無数の「激動」から選別された者たちの幸福な受け皿となるであろう。そして、彼らが待ち望むのは、既に大祭司として活動している「新芽」が、いよいよ王権をもって顕現する時であり、そこでシオンは遂に救いの王を迎えることになろう。

それはエルサレムに対する世界連合軍の攻撃を退ける無敵の王、大いなるダヴィデの到来であり、それゆえにも、黙示録の「群衆」は手に手にナツメヤシの枝を持っているところは、イエスの王としてのエルサレム入場を讃えたあのニサン11日の出来事を彷彿とさせているのではないか。

こうしたことが起こるまでは、神殿は礎石が置かれたまま一定の期間、少なくとも1260日の間は、かつての第一次帰還民の遭遇した困難の時期となるのだろうか。

つまり、「帰って来る」「イスラエルの残りの者」で表されたゼルバベル一行の五万人という僅かな民が受けた、諸国民からの圧力、生活の困難さ、脅かされる純粋性といった障碍は、同じように将来に聖霊を受けるキリストに属する「聖なる者たち」を試すものとなるとも考えられる。


そこでは既に、常供の犠牲が捧げられていて、そこに礎石が据えられる。しかし、神殿の再建の計画、即ち、イエスが王権拝受の旅に出て以来の、真のキリスト教の再興が始められた噂を聞きつけた周囲の諸民族で表されるところの、おそらくはキリスト教諸派の干渉と反対、レヴィの純粋性で表される聖徒の聖霊による身分を保つための決然たる努力などを、この帰還民の上に起こったことから学ぶべきなのであろう。

それは想像するだけでもたいへんな困難である。
今日のキリスト教が如何に初代のものと異なってしまっていることだろうか。現状のキリスト教徒は、まず「バビロンから出る」ことさえ困難で、自分の救いを第一にするご利益信仰の安住の地から、誰が敢えてそこを後にしようか。

しかも、神に心が向いていないので、神殿を築く少数の「聖なる者たち」をも見くびり、利己心から聖霊にさえ逆らうであろうことは、現在この人々が見せている頑なさが十分に語ってはいないだろうか。神の正しさよりも、自分が正しいか否かがこの人々の主要な関心であるようにしか見えず、聖霊を下賜されもしない彼らがキリスト教の回復を手伝おうとしても、それ即ち、レヴィを汚す以外の何であろう。
このことの結末は果たしてどうなるのであろうか。

さて、古代に視点を戻せば、ゼルバベルと帰還民団の努力は実を結び、ハガイとゼカリヤの預言が始まってから4年目(ダレイオスの第6年B.C516)の終わりの月に、遂に神殿の完成を見ることができた。翌年正月には『過越し』と『除酵祭』が行われ、次いでレヴィの祭司は組に分かれ、その務めに就く。
それは、定礎から難儀を重ねて実に22年、第一神殿の破壊から70年の歳月を経たの後のことであった。


-◆血統のイスラエルから神のイスラエルへ


伝承ではゼルバベルは務めを果たしてペルシアの宮廷に戻り、イェシュアは大祭司の職を息子に残して生涯を終えたという。
だが、諸国民がこぞって流れのように向かう姿は西暦七十年の第二神殿の終焉まで遂に見られることはなかった。

また、この再建によってもイザヤやエレミヤの預言したような「イスラエルの回復」には程遠く、民は律法を忘れており、エルサレムは引き続き人口不足であったし、城壁は崩されたまま石はあちこちに転がっていた。
これらが正されるには、総督ネヘミヤと写字生エズラという次なる活躍の世代を更に七十年待たねばならなかった。

そして、最後の預言者マラキを以って神は四百年にも亘る長い沈黙の時代に入る。
それは恰も後の時代に、キリストが不在で、その聖霊を真に受けた際立った弟子の絶えて久しい現在までのような状態であり、パリサイのように、神を崇拝すると唱えながら、勝手な人間の命令を教える宗教家と、それに喜んで従う信者がキリスト教を唱えるという、異邦人主導の「夜の時代」であるかのようである。

我々はペテロの言う「明けの明星が上がるまで、暗い処で輝く灯火のように」、こうして預言の言葉に注意を払いつつ過ごすべきなのであろう。(ペテロ第二1:19)


イザヤ、エレミヤの預言したイスラエルの回復も、ハガイやゼカリヤの霊感の言葉も、第二神殿の時代中には成就しきれていないことは明らかに見える。(イザヤ51:11)
二十世紀に勃興を見たシオニズム、またパレスチナでのイスラエル共和国の建国で、何か預言に相応しい事柄があったろうか。
パレスチナに向かったユダヤ民族の帰還(アリヤー)は、イスラームの岩のドームが在るモリヤの地所に神YHWHの神殿をもたらしてはいないし、ゼルバベルは闘争をもって先住民を追い出したりしたろうか。
今日、誰がダヴィデの血統を証明し、誰がザドクの系統を証しすることができるだろうか。
大祭司であり、やがて王ともなる「新芽」とは自分だという者が地上から現れるだろうか。

西暦七十年に起こった第二神殿の炎上と破壊は、ユダヤ人から血統の記録など、民族の貴重な資料をもろともに奪い去った。それは恰もキリストと聖徒らのための封印のようでもある。
しかし、それまで続いたモーセの体制を実質的に終わらせたのはローマ軍であったと云うよりは、そのモーセが予告し、「その者の言葉を聴かねばならない」と警告していたメシアを、不信仰から退けてしまった当のユダヤ人の世代であったのだ。(申命記18:15)

キリストはいみじくもエルサレムについて、『敵が周囲に柵(カラクス)を設けて、四方から攻め』られる日がくること、城市の石は崩されてしまい、ひとつも残されない。
その原因は彼らが神と『和することから目から隠され』ていて、自分たちが『査察(エピスコネース)を受けている時期であることを悟らなかったからである』。と預言していたのであった。
また、三年世話しても実を結ばず、「もう二度と実をならせないように」と定められたいちじくの木によって、ユダヤ体制が捨てられたことが象徴されたのである。(ルカ13:6-9/マタイ21:18-19)

結果として、当時のイエスを除き去った者ら、『世の初めから流されてきたすべての預言者の血の責任が問われる世代』は、待望のメシアを拒絶したために、自らモーセ以来の体制に終止符を打ってしまったことを福音書は明かしているのである。それは神の敵意において一度目を上回っていないだろうか。(ルカ19:41-44/11:50)

では、イザヤ、エレミヤが語ったような「イスラエルの回復」や、ハガイやゼカリヤの「諸国民の激動」や「新芽」の預言はどこで成就するのか?
そこで思い出されるのは、キリストを基礎として積み上げられ「神殿となる人々」の存在である。(エフェソス2:20)
キリスト教徒であるなら、モーセの体制の終わりからキリストの「新しい契約」がイスラエルを救い出し、キリスト自身を礎石とする彼らの天の神殿によって、将来の定礎と再建の内にすべての預言が成就することを知るべきであろう。
それらの神殿の石となる人々は聖霊という身分の証しを持つ聖なる弟子らである。(エフェソス1:14)

こうして、かつて地上に存在した第二神殿の意味するところを一望すると、それは再建から五百年後に『神殿に突然に来る』メシアと「新しい契約」へとイスラエルを導くための場であり(マラキ3:1)、また、預言の言葉は更にそれを超えて、将来の「聖なる者たち」の現れ、つまりシオンに上ってくる選ばれた「イスラエルの残りの者」の困難や試練と向き合う活動を指し示しているように見える。黙示録はその期間を三年半、1260の苦難の日々であると記す。(黙示録11:3)

その期間に、キリストは『レヴィの末孫を浄め』、聖霊が無いにも関わらず自らを正しいとするあらゆる者らを退けるに違いないが、それは古代の第二神殿の定礎の後に近隣民族の参与を退けたようになるのであろう。どれほど「神を同じくする」と主張しようとも、彼らには正当な資格が無いのであり、それを定めたのは神ご自身である。(マラキ3:2-4)

この『レヴィの浄め』は聖霊を注がれないキリスト教界だけのことではなく、血統上のユダヤ人、メシアニック・ジューにも云えることである。

あのメシアを退けた世代と共に神の恩寵も契約も過ぎ去った肉のユダヤ民族の為に、今日キリスト教徒が特に祈りを捧げる必要があるものだろうか。聖霊降下という明白な証拠を以て神の歩みは律法契約から先に歩を進め、既に新しい契約に入ったというのに、どうしてキリスト教徒までがモーセの崇拝方式に何か意味が残っているかのように後戻りするべきだろうか。

血統上のイスラエルには既に神の契約も無く、ヒレル・パリサイ派ユダヤ教を今も信奉する民族に、神の言葉も恩寵も、まして地上でいまだ異邦人と血肉の戦いを為す体制に聖霊が臨むことがあるだろうか。
神の恩寵はキリストの仲介する「新しい契約」によって、血統によらず信仰による高次な『神のイスラエル』に移行しており、諸国民はこの『神の民と共に喜ぶ』必要があるのであって、彼ら真実の神の民を見分ける必要があるが、神は彼らに聖霊の賜物をはっきりと与えるので見紛うことはない。ただ聖霊に対する信仰が求められるばかりとなろう。(ガラテア6:15/ローマ15:10-12/コリント第二5:5)


その天の神殿の定礎も、『麗しき哉!と叫びが上がる』なお将来のことであり、それはキリストの帰還の臨在を印付けるであろう聖霊の再降下があってこそ世に示されることなのであろう。しかし、神殿の建立の時はまだ到来しない。


しかし、聖霊注がれるその時は、キリスト教の回復となり、聖霊の霊感のゆえにこそ、神の正義、また真に正しい教えの現れとなるに違いない。(ヨハネ16:13)
聖徒らの現れにより、まさにこの地上で象徴的な意味に於いて仮の祭壇が機能し、彼らが聖霊によって世に語ることにより常供の犠牲も捧げられ始めることになろう。それが象徴的定礎であり、『七つの目』で表された聖霊は、あまねく世を探り、また裁くものともなるのであろう。


我々は、「切なる期待をもって」この「シオンに上る残りの者たち」を待ち望む。(ローマ8:19)
真に聖霊によって油注がれる「聖なる者」、「アリアー・ツィオンの残りの者ら」の中に、対型のゼルバベルとエシュアが正統性をもってそこに現れるからである。







           新十四日派   © 林 義平
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神のシャファト 壊滅する巨万の軍勢

終末の『裁きの谷』に諸国民を集める神の予表





「神の裁き」と聞けば、そこには恐ろしい響きがある。

しかし、ほかの言語ではよく伝わらないながら、ヘブライ語の「裁き」[シャファト]は、ただ審理して人に罪を宣告するだけのものではない。

例えれば、アブラハムの妻サラは下女によって陥った自分の窮境について夫にこう言い迫っている。
『YHWHがわたしとあなたとの間を裁かれ[イ シュファト]ますように』(創世記16:5)
これは、サラがアブラハムの責任範囲の中で苦しんでおり、その問題が解決されることを夫に促しているのである。

また、イスラエルに王が居なかった時代には、士師(あるいは「裁き人」[ショフティーム])が必要に応じて任命され、苦境にある民族を救い、こうして神は問題の解決をはかったのである。
即ち、「裁き」とは、悪を打ち砕いて除き、苦しめられている者を解放することを含んだ「シャファト」なのであり、弱きものへの祝福をも意味していた。

これまでの最も大きな神のシャファトは、ノアの洪水によってカオスに陥っていた世を罰し、地上の生き物を八人の人間と共に救った事跡であろう。
また、紅海を分けてイスラエルを救い、追撃するエジプト軍を海の藻屑とした奇跡も際立ったシャファトであったと言えよう。

だが、将来にノアの日のものに匹敵するほどの壮大なシャファトが聖書中に度々予告されている。
例えれば、エレミヤの預言にはこのようにある。
『地の果てから騒音が起こる。YHWHには諸国民との論争があるからである。あらゆる肉なる者らを裁き、邪悪な者は剣に委ねる。とYHWHは宣う。』(エレミヤ25:31)

聖書には何度も、終末での神のシャファトは全地に及び、人類の裁きになると記されるが、その予型となる出来事が旧約聖書に語られており、以下の事例を通して我々は将来の偉大なる「シャファト」を垣間見ることができるのである。


-◆イェホシャファトの決定の谷

イェホシャファトはユダ王国の王である。
35歳のときに父王アサからユダ王国の王権を引き継いだ。それは前867年とされている。
彼は父と同様にアブラハム伝来の神YHWHを崇拝し、逸れるところがなかった。
その神を畏れるゆえの敬虔さは、エルサレム神殿の祭祀を重んじるばかりでなく、各地を巡回して民をYHWHの崇拝に戻るよう働きかけてもいたほどであった。
そして、父アサが拡大した領土はイェホシャファトの世代にあって安定し、域内に大した戦火も見ず、自らの繁栄に加え他国からの朝貢を受ける立場にあった。
問題と言えることを挙げれば、北のイスラエル王国に接近して縁戚関係まで結んだ為に、北の王国の戦いに関わらざるを得なかったことくらいであり、その生涯は神と共に歩ことにおいて安定したものであったと言えよう。

だが、このように比較的に繁栄を享受していたユダ王国に突然の危難が襲い掛かる
それは彼の治世中で最大の危機であり、それまでの繁栄を試し、この王の器量の真価が問われる事態となり、王も国民も存亡の危機を前にして神を仰ぐばかりとなった。

ユダ王国の東に位置するモアブとアンモンはアブラハムの甥ロトの末裔であり、イスラエルは彼らとの境を侵さず、カナン入植に際してもその領地には踏み込まず格別の配慮を払ってきたのであるが、この度は不当にもこの両国が連合し、それに南方のアラビアの支族までもが加わって一斉にユダに軍事行動を起こしたのである。
その雲霞のような軍勢は百万に達し、自らに倍する*敵を迎えるにユダの王にも民にも策は無かった。*(歴代第二18:14-18を単純に合算せず、ユダ30万、ベニヤミン20万として観る 歴代第二25:5では二部族で30万の歩兵が記録されている)

諸国の連合軍は死海の南端からユダ側に回りこみ、死海の西岸を北上してエルサレムに向かうのであった。
伝令はイェホシャファト王に敵軍が低地との境である死海の沿岸にあるエン・ゲディに迫ったことを伝える。それは直線でおよそ40km、もはや首都を窺う距離であり、エリコのような低地の諸城市は陥落を覚悟していたことであろう。

平素はYHWHを省みず、異神に香を捧げている民もこのときばかりは王と共に神を仰ぐ。YHWHを信奉するイェホシャファトであっても、ここにおいて大いに信仰の試みを受けるのであった。
彼は民に断食を宣告し、危急の迫りくるときに父祖の神を求めるようユダの人々に促した。
ユダ国内の民は慄きつつエルサレムに登り、危難に在ってはじめて王と父祖の神の下に保護を求めた。王はともかく民にしてみれば、苦しいときの神頼みである。
しかし、神YHWHは民が悔いる度に、それが何度目であろうと救いの手を差し伸べるのであった。(詩篇107:19)

神殿に属する広い中庭に民は集い、相共に伏して王の神への嘆願を聴く。
『私たちの父祖の神、YHWHよ。あなたは天におわす神であられ、また、あなたは諸国民の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。
ところが今、アンモン人とモアブ人、およびセイル山の群集をご覧ください。この者たちは、イスラエルがエジプトの地を出て来たとき、イスラエルがそこに侵入することをあなたがお許しにならなかった者たちです。事実、イスラエルは彼らから離れ去り、これを根絶やしにすることはしませんでした。
 ですが今、彼らが私たちにしようとしていることをご覧ください。彼らは、あなたが私たちに得させて下さったあなたの所有地から私たちを追い払おうとして出て来たのです。
私たちの神よ。あなたは彼らを裁いてはくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこの夥しい大軍に当たる力が私たちにはありません。私たちはどうしてよいか分かりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」』(歴代第二20:6-12)
 
そのとき、神はこの祈りに答え、託宣をその場に居たレヴィ族の一人に与えられた。その人には明らかに神の霊が臨み、預言を始めて話すのであった。これは後のイザヤのようなタイプの預言者(ナーヴィー)ではなく、憑依状態に入ることで周囲の聴く人々に神の霊による音信であることを確信させる先見者(ローエー)のスタイルの預言であったことだろう。
『「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびイェホシャファト王よ。よく聴くように。YHWHはあなたがたにこう仰せられる。『あなたがたはこの夥しい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。
明日、敵軍に攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエイエルの荒野の前の谷の入り口で彼らに相対す。
この戦いはあなたがたの戦いではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたと共にいるYHWHの救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。YHWHはあなたがたと共に行く。」』
 
このように誰にも明らかな憑依で神からの返答を賜ると、王も民も平伏してYHWHを拝した。すると深い感謝に心動かされたレヴィ祭司団のコハトとコラの支族の合唱隊が、彼らの仕える神YHWHへの格別な感謝と賛美を心からほとばしらせるかのように、あらん限りの大声と感動をもって『YHWHに感謝せよ』と歌い出すのであったが、それはかつてないほどの声量となって響き渡った。


翌朝、早く起きた民と王とは昨日の預言を確信しており、異例なことに軍隊の前面に昨日の見事な声を聞かせた合唱隊を置き前衛とするのであったが、それはこの戦いがもはや人のものであれば勝利のないもの、神に寄り頼むものとなることへの信仰の証でもあった。

そうして神への信頼こそを楯とも矛ともしたユダの軍勢は、エルサレムから南に下り、テコアの野に出て行ったのである。そこからは涸れ谷(ワジ)が死海に向かって下っており、その先はエン・ゲディに至る。
軍前衛の合唱隊が『YHWHに感謝せよ。その恵みは永久に及ぶ。』とハレルの詩篇歌の声をあげ始めるや、神のみ使いの伏兵は敵軍を掻き乱しはじめ、アンモン人とモアブ人はセイルの種族を攻撃し、これを殲滅すると次いでアンモンとモアブは互いを攻めはじめたのである。


ユダの軍がその広谷に到着してみると、荒ぶる敵軍の姿などはそこに無く、却って同士討ちによって預言に違わず壊滅していた無数の兵士の物言わぬ屍を見るのであった。
人々はただ、敵兵から物資を剥ぎ取って運ぶばかりであったが、その多さは一方ならず、民が総出で取り掛かっても三日を要するほどであった。
それはまさしく神の戦いであって、人には何の戦功もない。


そして四日目に、ユダの人々はその広谷に集まって神に感謝を捧げるのであった。
神YHWHは、ユダとエルサレムを守って怒涛の連合軍をまったく打ち破られ、却ってユダの人々を無数の戦利品で祝福したのである。
それゆえにこの場所は『ベラカ(祝福)の広谷』と呼ばれることになった。

これは不法な者らを砕き、神に頼る者たちを救う「YHWHの裁き」即ち「イェホシャファト」であり、こうしてイスラエルの聖なる神はシオンを守り、却ってこれを祝福されたのであった。



-◆イェホシャファトの谷への人類の集合

この事があって数十年後のこと、預言者ヨエルはこの事跡を用いて更に後の時代を預言しており、預言の内容は将来の世の国々を巻き込む、恐るべき成就が控えていることを窺わせている。


『見よ、ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日、その時、わたしは諸国の民を皆集めてイェホシャファトの谷に連れ行き、そこでわたしは彼らを裁く。わたしの民、わたしの所有であるイスラエルを彼らは諸国の民の中に散らし、わたしの土地を自分たちの間に分配したからだ。』(ヨエル3:1-2)

それは大王ネブカドネザルに一度滅ぼされ、バビロン捕囚の憂き目をみたユダヤ民族の没落を喜び、その混乱に乗じてこの民をよいように扱った諸国民の責を問う日のことである。
ヨエルの後に、ユダを亡ぼし流刑とした新バビロニア帝国も、ついにペルシアに屈し、神YHWHはその民イスラエルを流刑に散った各地から集めだして、かつての崇拝を再興しようとするとき、それまでの間に諸国民が為した神の民への悪行の数々が清算されるというのである。

だが、この成就に相当する事跡を歴史上に見い出すことができない。
それゆえ、このヨエルの預言は、なお我々の将来に成就を待っているに違いない。

「神の民が集め出される」ということは、単に古代の捕囚の終わりの時を印付るに留まるものではない。
これは使徒時代の最後に記されたヨハネ黙示録でも繰り返される出来事であり、即ち、聖なる者たちの天への招集を意味する。(黙示録7:4-8) 聖なる者たちとは、結論から言えば終末に神に選ばれ集められる『神のイスラエル』真実のアブラハムの子孫の事である。
やはり黙示録においてもイスラエルの十二部族が天界に集め出されており、彼らが揃うときには天において『神の王国』、真のイスラエルが実現することになるのである。これこそは、キリスト教界が「天国」と誤認してきた神の地上支配のための『天の王国』なのである。(黙示録20:6)

十二部族が天に揃うというこのことは、キリストを主要な王とする神の国家が現実の権力を振るう準備が整ったことをも意味するので、その後に行われる『征服』は、もはや聖なる者が殉教するということにはならないのである。

むしろ、それまでに聖なる者たちを貶め、殺害してきたこの世の勢力が打ち砕かれる復讐の時が遂に到来することになる。

では、どうして人類の勢力と神の王国が、将来これほどまでに対立しなければならないのだろうか。
その理解の鍵の第一は、「この世」は神の御旨にそぐわないものであり、その理由は神の創造の意図に反する世界となっているからである。

そこは、創造者を否認することにおいて倫理の基礎を損なっており、全人類はアダムからの遺伝によって倫理上の欠陥を受け継いでしまっているからである。後のキリストの使徒パウロは新約聖書に於いてこう指摘する。
『ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだ』(ローマ5:12)

アダムからの『罪』ある者が、もしその状態を愛しているなら、創造者の意図など眼中にない。だが、それでは神の御旨に従って創造本来の人間の素晴らしさに復帰したいと願う者らは、いつまでも世の隷属に置かれるばかりか、いよいよ神が人類の救済に乗りだそうというときに、却って妨害され、聖徒たちばかりか神に忠節を尽くそうとする多数の信仰者らまでが攻撃に曝されるのである。

しかし、神はこの状態を放置することはない。神は聖徒たちをして、反抗する諸国民を処理してしまう『脱穀橇』とされ、必ず偉大なる「シャファト」を執行される。
その時には、黙示録中での、祭壇の下に見いだされる殉教した魂がそれ以上に増える時が終わり、その聖徒らの殉教への復讐へと『神の王国』の権力がいよいよ乗り出すときを迎えるのである。(黙示録6:9-11)
その向かう先は黙示録では『怒りのぶどう搾り場』であり、ヨエルの言う『イェホシャファトの谷』また『裁定の谷』である。(黙示録19:13-15/ヨエル3:14)
ヨエルはこうも預言したのである。
『諸々の国民をふるい立たせ、ヨシャパテの谷に上らせよ。わたしはそこに座して周囲のあらゆる国民を裁く。鎌を入れよ、作物は熟した。来て踏め、搾り桶は満ち石瓶は溢れている。彼らの悪が大きいからだ。』(ヨエル3:12-13)


黙示録のぶどうの収穫については、その前に小麦の収穫が終えられている必要がある。それはパレスチナの農事習慣からしてそのようである。
春先の過越しが終わると小麦の収穫が始まり、シヴァンの月の五旬節に至って小麦の取り入れが収束すると、タンムズの月に夏が到来してぶどうの実りを集める時期を迎える。

同様に、聖徒たちがまず収穫された小麦として蔵に収められるように天に召され、その後に再び地上に目が向けられるとそこには「収穫され潰されるべき」ぶどうがすっかり熟しているのである。
これを黙示録は次のように描写している。
『 見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭い鎌を持っていた。

  すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者に向かって大声で叫んだ、「鎌を入れて収穫せよ!地は実り、刈り取るべき時がきたからだ」。
  雲の上に座す方は、その鎌を地に投げ入れた。すると、地の収穫物が刈り取られた。
 
また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭い鎌を持っていた。
 さらにひとりの御使で、火を支配する権威を持っている者が祭壇から出てきて、鋭い鎌を持つ御使にむかい、大声で言った、「その鋭い鎌を地に入れて、地のぶどうの房を採り集めよ。ぶどうの実がすでに熟しているからだ」。

 そこで、その御使は鎌を地に入れて、地のぶどうを採り集め、神の激しい怒りの大きな搾り桶に投げ込んだ。
 そして、その搾り桶は都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から溢れ出て、馬の轡に届く程になり、1600スタディオンにわたって広がった。』(黙示録14:14-20)


ここに二組四人の天使らが居る。
初めの一組には、『人の子のような者が雲の上に座している』というからには、キリストが聖徒を集めるという収穫を行うことを指している。
他方の組の鎌を持つ天使は、聖所ではなく祭壇から現れた使いの声に従うところは示唆的である。つまり邪悪な者の血の犠牲を求めているであろう。祭壇の基部は犠牲の血を注ぎ出す場所であるからである。

一組目の収穫物が倉に集められる小麦であったように、二組目の収穫物はぶどうであってこれは、踏まれ潰されるべきものであり、その赤い果汁は血潮であって、その犠牲の血は1600スタディオン、つまり296kmに広がるという。この1600の数字は「地の四隅」を示す4の倍数16が強調されており、おそらくは地上の各地に至る滅びを表しているのだろう。

この小麦とぶどうの異なりは、王キリストの下に集められる聖徒らと、それに続いて滅ぶべき者らの処置との対照そのものである。

黙示録だけでなく、やはりヨエルの預言もこれに呼応してこう言っていた。
『鎌を入れよ、作物は熟した。来て踏め、搾り桶は満ち石瓶は溢れている。彼らの悪が大きいからだ。群衆また群衆が決定の谷に群がる。YHWHの日が裁きの谷に臨んだからである。
 
日も月も暗くなり、星もその光を失うであろう。
YHWHはシオンから大声で叫び、エルサレムから号令を出される。天も地も激振する。しかしYHWHはその民の避け所、イスラエルの人々の要害である。

そこであなたがたは知るであろう、わたしはあなたがたの神YHWHであって、わが聖なる山シオンに住むことを。エルサレムは聖所となり、異邦人は重ねてその中を通ることがない。』(ヨエル3:13-17)

ヨエルと黙示録の間の関連性はもはや避け難いほどのものがある。

この『群がる大軍』とは諸国連合のもの、即ちイスラエルの聖なる神に挑戦する将来の人類連合軍であろう。

しかし、国家同士の絆などは互いの利己主義のために初めから綻んでいるであろう。
では、人類軍も古代のモアブやアンモンのように同士討ちを演じるのだろうか?


聖書中の預言はこれを否定しないばかりか、それを繰り返して語るのである。
エゼキエルはその38章で、終わりの日に北の最果てから呼び出される軍勢の頭、マゴグの地のゴグについて預言する中で、『御厳なる主は言われる、わたしはゴグに対し、すべての恐れを呼びよせる。すべての人の剣は、その兄弟に向けられる。
わたしは疫病と流血とをもって彼を裁く。わたしは漲る雨と、雹と、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共にいる多くの民の上に降らせる。』と語っている。(エゼキエル38:21-22)
しかも、その軍勢は諸国の軍勢を引き連れたもので、『地を覆う雲のようである』というのである。(38:1-9)
 
また、ゼカリヤもこう預言する。
 『YHWHは、エルサレムに対して軍役を行うあらゆる国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目は眼窩にあって腐り、彼らの舌は口の中で腐る。
その日、YHWHは、彼らの間に大恐慌を起こさせる。彼らは互いにつかみ合い、互いに殴る手を挙げる。
ユダもエルサレムで戦いをしかけ、周囲の諸国の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる。』(ゼカリヤ14:12-14)
 
エレミヤも終末に諸国民と神YHWHが戦わす論争があると言っている。
 『YHWHは高い所から呼ばわり、その聖なる住まいから声を出し、自分の住処に向かって大いに呼ばわり、地に住むすべての者に向かって、ぶどうを踏む者のように叫ばれる。
 叫びは地の果にまで響きわたる。YHWHが国々と争い、すべての肉なる者を裁き、悪人を剣に渡すからであると、YHWHは言われる。
見よ、国から国へと災いが出て行く。大嵐が地の果から巻き起こる。
その日、YHWHに殺される人々は、地のこの果から彼の果に及ぶ。彼らは悲しまれず、集められず、また葬られずに、地の表に肥やしとなる。』(エレミヤ25:30-33)

これら「預言者たち」の言葉はそれぞれに当時に成就した預言を語りつつも、なお終末に焦点を合わせているのは我々の注目に値することである。
これらに共通することは、雲霞の如き諸国の連合軍がエルサレムまたシオンを攻撃するために大集合することであり、一方で神YHWHはこれらの巨万の軍に決戦を挑み、エルサレムから指揮を執って彼らにまず同士討ちで打撃を与えられるとされていることである。
そして、それは裁き(シャファト)であるとも宣言しているのである。これらはあのイェホシャファトの谷の事跡に描き出されていたのであり、シオンの民は多くの戦利品によって祝福(ベラカ)をも受けるのであろう。



-◆シオンの王は完く勝利する

それにしても人類の連合軍はどんな理由あって、斯くも勝ち目のない戦いに進んで出向くのだろうか。
実は、これら束ねられた権力のそれぞれには共通することがある。
詩篇第2に語られる次の言葉がその動機を指し示している。

『 なにゆえ、諸々の国たみは騒ぎ立ち、諸々の民は空しい事を謀るのか。
 地の諸々の王は立ち構え、諸々の高官は相共に謀り、YHWHとその油そそがれた者とに逆らって言う
「我ら、彼らの枷を砕き、彼らの頚木を解き捨てるであろう」と。
 天に座する方が笑い、神が彼らを嘲る。
そして神は憤りをもって彼らに語り、激しい怒りをもって彼らを恐れ惑わせて言われる、「我、我が王を聖なる山シオンに立てたり」と。』(詩篇2:1-6)


ここに、諸国の為政者たちが神とその任命された者らの支配を望まず、これに逆らって、諸国の民が騒ぎ立つ様が描かれる。
しかし、神はシオンに王を立てるが、この結末はどうなるのだろうか。
神は王に宣う。

『汝は鉄の杖をもて彼らを打ち破り、陶器師の作る器のように彼らを打ち砕くであろう」と。
それゆえ、諸々の王よ、賢くあれ、地の高官らよ、戒めを受けよ。
恐れをもってYHWHに仕え、慄きをもって御子の足に口づけせよ。
然なくば神は怒り給い、汝らを道に滅ぼされるであろう、その憤りは速やかに燃え上がるからである。』(2:9-12)

これに先だって、王キリストの臨御の時節には、天からの聖霊が下る弟子らがあり、彼らは為政者の前に引き出され、『神の王国』の王の代理大使として世の支配権をキリストに委ねるよう勧告しているであろう。(マタイ10:17-20)⇒「子に口づけせよ
聖霊によって油注がれた『聖なる者たち』は、誰にも論駁できないほどの言葉が授けられるというからには、それに抗うことは誰にも内心では自己の不条理を承知するであろう。(ルカ21:15)
だが、キリストは天の雲に在って彼らからは見えないために、彼らはその性向を明らかにしてしまう。即ち、不信仰と不法である。

彼らは聖なる者たちを処刑し、更に神の王権を佩帯する『王の王、主の主』に対して実力を以ってその支配を除き去ろうと謀るが、キリストという天界の攻撃対象に手は届かず、また雲中のキリストの王なる『臨御』すらも信じない。
そこで、彼らの攻撃目標は地上のキリストの信徒たち、つまり聖なる者らからの聖霊の声に耳を傾け、神YHWHの名を呼び求める何億という大群衆に照準を合わせることになる。
これらの人々は、神の崇拝を求めて象徴的な『シオン』と呼ばれる地所に流れのように集まってきた人々であり、様々な背景や立場から象徴の神殿に崇拝に訪れた群衆であって、実際には聖徒を支持して世界各地に現れることになろう。

イザヤの良く知られた次の言葉こそ、聖霊の言葉に信仰を働かせ、シオンへと渦を巻いて集う人々の姿を描写したものに違いない。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、諸々の山のかしらとして堅く立ち、諸々の峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れ、多くの民は来て言う、「さあ、われわれはYHWHの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ2:2-3)


彼らは温順な人々であり、何の武器も持ってはいない。そこで、人類連合軍は間違いのない勝利を期待し、俄か仕立てのアマチュア戦闘員の民兵らまでもが強気になって気勢を上げる。

『諸々の国民の中に宣べ伝えよ。この戦いを正義のものとし、勇士を奮い立たせ、兵士を尽く近づかせ、登らせよ。
汝らの鋤は剣に、汝らの鎌は槍に打ちかえよ。
ひ弱な者にも「我は勇士なり」と言わせよ。
周囲のすべての国々よ。急ぎ来りて加勢せよ。』(ヨエル3:9-11)


その戦いが、彼らの思惑とは逆の意味で勝敗の決定的に分かれるという『ハルマゲドンの戦い』に入ってゆくことを意識せず、疑いさえしない。(黙示録16:16)
こうして、彼らの集合する場所は『イェホシャファトの広谷』となるのであろう。



-◆御名による救い

ここにおいて、神の許『シオン』に集ってきた大群衆に危機が迫る。
彼らはそれまで異教や様々なイデオロギーを信奉していたかも知れないが、イェホシャファトの時のように、為す術なく神殿で聖なる神を仰ぎ見たユダ国民のようであろう。
だが、神は必ずシオンを守られると書かれており、『この戦いは汝らの戦いに非ず。汝らと共にいるYHWHの救いを見よ。』とかつて語られた言葉に信仰を表す者らは、その期待を空しくされることはないだろう。

この裁きの救いにおいて不可欠な要素が「神の名」となることを、ヨエルの預言をはじめとして聖書は何度も繰り返している。
『すべてYHWHの名を呼ぶ者はみな救われる。YHWHが仰せられたように、シオンの山とエルサレムに、逃れる者が居るからだ。』(ヨエル2:32)

これは使徒ペテロやパウロの引用し繰り返すところでもあったが、今日のようにその名の発音が地上から失われている事態にあっては、この救いの要諦は依然隠されているのであり、それは真実に聖霊を受ける者たち『御名による民』が再び現れるまでは秘められることであろう。

しかし、時至れば『人々がシオンでYHWHの御名を、エルサレムでその誉を告げ知らせる*。諸々の民、諸々の国が共に集まって、YHWHに仕えるその時に。』と詩篇102:21-22が述べることが成就するのであろう。
*(原単語[לספר(レサフェル)*]「宣告し知らせる」) 


ゆえにエレミヤも語る。
『あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼び求めない諸国民の上に、あなたの憤りを注いでください。
彼らはヤコブを食らい、これを食らって、これを絶滅させ、その住まいを荒らしたからです。』(エレミヤ10:25)

その神名が聖徒らによって知らされる時には、もはや[YHWH]と記す必要もない。しかし、その名は信仰と引き換えに知らされることであろう。
救いは、どんな人間にも組織にも無い。ただ真実に神で在られるYHWHに信仰を働かせてその名に頼ることが人を救うというのである。それは、イェホシャファト王が合唱隊を前衛に据え、高らかな賛美を以って信仰の内に前進したようにするとき、信ずる者たちは軍勢の勢いによらず、信仰を前面に掲げて大いなる裁きと救いとを目撃することになるのだろう。

だが、将来のシオンは地上の一か所を指すわけではないに違いなく、信徒が集まって粗暴な大衆行動のようにデモ行進などするのでもないだろう。
むしろ神はこう云われる『「行け、我が民よ、汝の奥の間に入り、後ろ手に扉を閉じよ。憤激が過ぎ行くまで暫くの間身を隠せ。見よ、ご自分に対する地の住民の咎に関して言い開きを求めるためにYHWHはその場所から出て来られるからである。』(イザヤ26:20-21)

この『奥の間に入る』とは、やはり神の御名が関わるのであろう。確かに『YHWHの御名は強固な塔、義なる者は走り込み、高い処に匿われる』との言葉も空しくはなるまい。(箴言18:10)
それは「主」などという普通名詞で置き換えられるようなものでもない。知らされる神名を私心なく高揚する者が、神の側に立って忠節な支持を言い表すのであろう。

だがそれは、信じる者を救う義務を神が負うと云う訳では全くない。人は立場を弁えるべきで、本来、神が御名を揚げられることに人の救いが関わるだけである。
しかし、御名のゆえにこそ、信じる者らがたとえ散らばっていようと、保護の壁はまったく強靭であろう。
それは全能の神が、敢然と至聖の御名にかけて守られる場所、『至高者の秘す処』に匿われるだろうからである。

『 至高者の秘める処に住む者は、全能者の陰に宿る。
私はYHWHに申し上げよう。「わが避け所、わが砦、私の信頼するわが神」と。
神は狩人の罠から、恐ろしい疫病から、汝を救い出されるからである。
神は、ご自分の翼で、汝を覆う。汝はその翼の下に身を避ける。
例え千人が傍らに倒れ、万人が汝の右に伏せようとも、災いは汝に近付かず』(詩編91:1-16)

ゼカリヤも神の保護を預言する。
『おーい、バビロンの娘とともに住む者らよ、シオンに逃げて来い。
神の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍のYHWHはこう仰せられる。「あなたがたに触れる者は、わたしの眼球に触れているのである。
見よ。わたしはこの手を彼らの上に振り上げる。彼らは仕えさせた者たちに仕えることになる」と。』(ゼカリヤ2:7-9)

疑問の余地はないようだ。
聖なる者たちはキリストに倣い、迫害に殉教する覚悟が求められるとしても、他方シオンに集い御名を高める信徒らの人々に諸国が軍勢をどれほど糾合してもこれを害することはない。まったくできないのである。神ご自身が『火の防壁』となられるからである。


そして、イザヤの預言書はこう締め括られている。
『彼らは出て行って、わたしに背いた者たちの屍を見る。その蛆は死なず、その火も消されず、それはすべての者に忌み嫌われるものとなる。』(イザヤ66:24)


だが、神のシャファトは『ハルマゲドンの戦い』だけでは終わらない。






            新十四日派   © 林 義平  
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 二度救われるシオンという女

 示録の四騎士 時代の印か絶滅の使者か





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誤解されてきたバベルの塔



-◆「名を造って」地の表に散るを免れる----

現トルコ東部のアララト山に漂着した箱舟からノアの家族が出て、その付近で暮らし始めた後のこと
『人々』と呼ばれる集団が東に向かって旅を始めたという。(創世記11:2)

それが『地に満てよ』という神の命によるものかは創世記には書かれていない。

人数も増え始め、十分な食料を求める必要もあったのなら、当時、麦が自生していたというザクロス山脈の高地に沿って進んだのだろうか。
そこでは古代には野生のヤギや羊も確認されており、ときおり見かける渓流では魚も採れたことだろう。或いは、この人々が狩猟者であると共に、遊牧生活者であった可能性も高い。


だが、どちらにせよ非定住の生活は楽なものではない。不安定な食料確保を追ってあちこち移動を繰り返せば、持ち物は限定され、天候の寒暖や雨風雪の影響も受けやすい。
彼らが、麦と動物の自生していたという「レヴァント地方」と後に呼ばれる地域からザクロス山脈に沿って進んだとすれば、進路は高原砂漠を避けてしだいに南に向かい始め、やがてはメソポタミア平原を見ることになった蓋然性は低くないように思える。ザクロス山脈からメソポタミアにかけての気候風土は、文明黎明期もほぼ同様であったろうと考古学者は推測している。

彼らの眼前には、突然に見渡す限りの沖積平野が現れ、それは毎日に目にしてきた山岳の風景とはまったく対照的であっただろう。つまり『シナルの地に低地平原を見つけた』のである。(創世記11:2)
つまり、彼らはアララト方面からそのまま二本の大河を辿って移動してはいなかったからこそ、『低地平原を見つけた』と言えることになり、新たな光景を見る驚きがあっただろう。

この低地平野が、今日のように乾燥地帯であったとしても、二本の大河チグリスとユーフラテスの膨大な水量は、灌漑農業の大きな可能性を見せており、その水の中には豊富な魚という蛋白源も備えられている。
しかし、この地にはめぼしい産物は無い、樹木は少なく鉱石も採れない。だが、アスファルト(瀝青)と無尽蔵の良質の粘土だけはあった。

創世記は、この人々がこの土地『シナルの平野』に定着することを述べる。

考古学は、これらの土地で起こった「都市革命」について語るが、それは灌漑農耕がもたらした余剰食糧に起因するという。実に、南メソポタミアの穀物収穫率はアッシリア方面に数倍するという。
移動生活では、働き手のすべてが食料確保に従事し、常に周囲に気を配り、狩猟を行い、穀物や果物の自生しているのに目ざとくある必要があったろう。
だが、畑に種を撒き、収穫を待つ農耕は、定住することで家屋を大きくし、持ち物を増やすことができるし、子育てもずっと容易であろうから、人口の急激な増加による都市発生の要件ともなる。それも、河川から潤沢な水が供給されるなら灌漑農耕の効果は、ますます人口に十分な食料と備蓄をもたらす。

そうなると、すべてが農業従事者である必要は無い。余剰な麦からはビールの醸造も始まっており、人々の労働の後の大きな楽しみともなっていたであろう。この現代でも人気あるこの飲物を得るに移動生活はまず無理である。
手の器用な者は、生活上の便利品を作るゆとりが生まれ、それらの商品を食料と交換することで、人々は互いに益を広げることができる。シュメールは史上初めて文字と数字を使用し始めたが、そのため、当時の文学までもがこの21世紀に知られているほどである。そこには神話ばかりか、今日の生活と然程変わらない人々の様子も語られている。

ここまでくれば、人々はより快適で刺激的な交換社会のために互いを必要としており、もはや移動生活に魅力はなく、都市生活が実現することになる。そうして人間社会の二つの種類が明確に存在するようになった。即ち、狩猟・牧畜を主にする非定住生活社会と、農耕を主にする定住生活社会である。

後にギリシア人は城市(ポリス)を地中海世界の各地で発達させたが、かのアリストテレスは、人はポリスに住むことにより、その能力や才気を十二分に活かせるのであるから、人間はポリスで生きるように出来ている、と唱えたというが、闊達とした分業体制の機会を人類はメソポタミアで初めて得たのであろう。都市文明の黎明である。


最初の文明を通しても、人々の間での財やサーヴィスの交換には公平性が要請されるようになり、レートのような交換価値が必要とされ始めることは今日見る通り世の常である。
それは貨幣の登場前の麦のような普遍的流通性のある「通貨」という、人類史のごく初期から人間に寄り添ってきた交換価値の代替物の素地を生み出したであろう。前三千年紀にはメソポタミアで大麦の重さを表わしたであろう単位「シェケル」が登場しており、それは今日の共和国イスラエルの通貨の名称として依然残されている。

単位があったなら算数や帳簿も必要になってくる。そこで帳簿を書き付けるパピルス紙はないが、尖筆で記入するに良く、書き直しに適したきめ細かい粘土はいくらでもあったのである。
そのレートを保障するために、有無を言わさぬ公の権威や権力が存在しなければならない。権力の裾野の広さは、通貨やレートを行き渡らせるのに手っ取り早いに違いない。
 

「シュメール」と呼ばれる、ごく初期にメソポタミア南部で灌漑を始めた人々は、種族的にはっきりしないという。
自分たちのことを「入り混じった者ら」(ウンサンギガ)と呼び、頭骨はモンゴロイドのような短頭形であるのに、鼻や額は現極東人よりはっきり高い。
そして、このセムともハムともコーカソイドともつかない人々がどこから来て、どこに去ったかは考古学の謎となっているそうである。

ともあれ、この人々はシナルの平野に灌漑農耕をもたらし、家畜を飼い、轆轤を使った土器製作の家内工業からおそらく鍛冶冶金をも行ったのであろう。また運搬にはエジプトに先駆けて車輪を開発し、ロバの引く車両までも作っていたという。旧約聖書で彼らが来た方向とされるザクロス山脈からは、青銅など鉱石の採取がなされた証拠も挙がっている。

こうして、人々の創意工夫が集まり、最初期の都市文明を起こす条件は整ったのであった。

あるいは彼らが、アララト方面から『東に向かった』という創世記に描かれた人々であるとすれば、その後の記述にもいきおい関心が向く。
その創世記は、確かにこの人々が都市の建設を始め、そこに権力者が現れたことも記しているのである。それに調和するかのように、シュメール人は定着した土地を「君主らの地」(キエンギ)と呼ぶ。集合生活を送る彼らの権力の到達範囲を意味したのであろうが、同時に非定住社会との区別を指した背景も見える。集約的権力は各都市の王に委ねられてそれぞれに秩序を得たが、その一方で非定住の民族はその影響を受けながらも自治を有していたのであろう。古代から都市生活者と遊牧民の間に物資の交換があった痕跡が残されているが、双方の産物の違いが当然に交易をもたらしている。

 

ノアの大洪水の後に現れた都市圏の権力者の名は聖書では『ニムロデ』とされている。この人物について創世記は『クシュ』というノアの孫でエチオピアの先祖の子であると云う。
創世記はハムの子クシュがセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカの父となったことを告げ、それから改めて、ニムロデの父ともなったと語る。するとニムロデはクシュの末息子であっただろうか。(創世記10:7-9)

だが、このニムロデは、まずその通りの名ではなかったであろうと言われる。というもの、ユダヤ人の伝承はこの人物を善くは述べていないし、このニムロデというヘブライ語の意味は「反抗しよう」というものである。
民の頭たる権力者が反抗する必要があるとすれば、その相手は人間以上のもの、つまりは「神」であろう。つまり聖書によれば、超古代の権力者ニムロデとは神への反抗者であったことになる。

また、創世記は彼が猟師であったと明かす。それも神『YHWH*の前に力ある狩人ニムロデのようだ』という慣用句まであったというのである。*(発音不明の聖書の神名)
狩猟者は、農耕者のように季節に従い、共同作業に従事する必要はない。遊牧民のように草原の状態によって移動するでもなし、様々な事柄からの自由がある反面、生産的でなく従順さに遠く野放図なところもあろうし、奪うことが本質のところに野心の萌芽があったのかもしれない。この者らが都市権力を簒奪して王に君臨し、持ち前の暴力によって強力な秩序を都市に与えた蓋然性もあろう。

そのうえ、『力ある狩人』とは、単なる猟師以上の者「権力を持つ狩人」である。それは「人間をも狩る」すなわち武人であり、前六世紀の軍人でもあった史家クセノフォンは『戦争に有って、狩猟に無いものを見出すことは容易でない』と記している。
そのような相似は、ドイツ語で「歩兵」を「ヤーガー」(猟師)とも呼んだところにも見える。
こうして、ニムロデの政治の性質が見えてこよう。つまり軍事政権であり、まずは独裁的色彩があったものと想像されるところである。

メソポタミアの古文書には、「最初に王権はエリドゥにあった」と記されるが、あるいはニムロデは海辺に近かったそこの城市の出身だったろうか。やはり、ニムロデは元は狩猟の移動生活者であったのが、初めは豊かな都市エリドゥを襲撃し、僭主となったのかも知れない。

創世記の中で彼は、まずメソポタミア南部に都市を興す。『その王国の始まりはバベル、エレク、アッカド、カルネであり、彼はそこからアッシリアに出て、ニネベ、レホボト・イル、カラハ、そしてニネベとカラハとの間のレセンの建設に取りかかった。これは大きな都市である。』
これらの都市は城壁を持つ「城市」であり、当時までには水害対策だけでなく、人々の争いのゆえにそれぞれの集まりを防御する必要が生じていたことは、ニムロデ自身が軍人であったことからも明らかであろう。
出土する粘土の資料は、シュメールの人々が大盾と長槍で密集隊列を構成する戦法(後のファランクス)を既に会得していたことを示してもいるし、ロバの曳く戦車も描かれている。 人類はいつの時代にも権力なくして生きてゆけないのである。
都市定住生活の生み出した特徴のひとつには、この支配の強さというものがある。そこでは権力が強くなり、圧制が可能となるのである。 
ここに於いて、神の地に広がるようにという命令には、単なる生活圏の問題ではないニュアンスが加わる。 



-◆バベルの塔の誤解------------
 

絵画や映画での「バベルの塔」は魅力的な題材ではある。
『その頂を天まで届かせよう』という建設の目的は壮大で、しかもそれが超古代に行われていたという意外性も、人々の関心を捉えて離さない。
無数の労働者が群がり、建設途中ながら雲間に霞む程の高さにまで仕上がりつつある巨大な建造物がこれまでに何度画家の題材とされてきたことか。その傍らには、その大号令を下したとされる権力者ニムロデも描かれたものである。

そのようにロマンを追う方々には残念だが、これは聖書そのものの語るところからの脱線である。
実に、聖書中に「バベルの塔」なる言葉は一度も出てこない。
そこで、聖書記述に意義を見出そうとする向きは、もう一度創世記の当該部分を見直して整理する必要があるだろう。
 

まず、シナルの平原に住み着いた人々が塔を建てようとする場面を見よう。
『東に向かって旅をしているうちに、人々はやがてシナルの地に谷あいの平原を見つけて、そこに住むようになった。そして、彼らは各々互いにこう言いだした。
「さあ、れんがを造り、焼いてそれを焼き固めよう」。それで、彼らにとってはれんがが石の代わりとなり、歴青がモルタルの代わりとなった。
そうして彼らは言った、「さあ、我々のために都市を、そして塔を建てその頂を天に届かせよう。そして大いに我々の名を揚げて、地の全面に散らされることのないようにしよう」。
それからYHWHは、人の子らの建てた都市と塔とを見るために下って来られた。
その後YHWHは言われた「見よ、彼らは一つの民で、彼らのすべてにとって言語もただ一つである。そして、このようなことを彼らは行ない始めるのだ(これらはしようとする事の発端に過ぎないのだ)。
今や彼らが行なおうとすることでそのなし得ないものはないではないか。(何であれ彼らが企てることを妨げることができなくなる)』(創世記11:2-6)
 ここで人の子らが何事も、つまり永遠の生命さえ手に入れ兼ねないことを神が心配しているのではなく、人々が神に逆らってある目的を達成しかけていることを神は憂慮している。
それは、人々を地の全面に散って住まわせるということを直接には意味しているが、それには敷衍されるべきより重要な意味があろう。

また、ここに見る「塔」は「都市」とセットにされている。それは各都市にそれぞれ建てられる塔なのであり、聖書では超絶的なひとつの塔を描いてはいない。
もちろん、彼らが「塔」を建てる理由というのが『地の全面に散らされることのないように』ということであり、これは『地に満てよ』という神のノアの家族に対する命令とは反対である。

やはり都市集合生活の便利さ快適さ、個人の特技や個性の生かせる分業体制を一度味わった人々が、そこを離れて再び移動生活の困苦を忍ぶのを厭うのは自然な感情であったことだろう。
この時代のものと思われる多種多様な彩色土器、アクセサリーは都市生活の便利さ快適さ闊達さを現代の我々にも伝えるものとなっている。

幾らか時代も下ると、そこには今日の観点でも見事な金細工品や、宝石やラピスラズリを用いた装身具も出土しており、アブラムの頃のウルともなると簡単に調理できるインスタント食品まであったというのである。都市の住人は寝食もそこそこに、様々な魅力ある事柄に打ち込む楽しさを謳歌したのであろう。しかし、アブラムら遊牧民は異なった文化を有していたことは用いた食器の様式などの違いにも表れており、今日にまでもその差が偲ばれるという。アブラムの父テラハの家系が遊牧民であったことはほぼ間違いないとされているが、彼ら遊牧民の目に都市生活はどのように映っていたのであろうか。

だが、都市生活はともあれ、一箇所に留まる事は神の命に背くことである。

そこで彼らの思いついた対策は『塔を建て、その頂を天に届かせ、そして、大いに我々の名を揚げて』という方法であったと創世記は記す。
しかし、現代人にはこの言葉には首を傾げさせるようなところがある。即ち『大いに我々の名を揚げる』ことがどうして『地の全面に散らされること』を防ぐのか?ということである。

実に、この名を『揚げる』のヘブライ語[נעשה](ナーセー)にはもうひとつの意味も含まれており、そちらを追ってゆくとより現実的な理由が見えてくるのである。
つまり名を造る』の意味である。


これは『名を揚げる』が「有名になる」という概念を含むのに対して、さらに具体的な解釈への道を開くのである。
我々東洋人が『大義名分に適う』あるいは『大義名分を造る』という言葉によって慣れ親しんでいる概念をこの『大いに我々の名を揚げて、地の全面に散らされることのないように』の文章に当てはめて推論すると次のようになる。
都市を建ててそこに住むことは、神の「地に満てよ」の意に逆らうことであり、神はそれを肯じないだろう。それならば、都市を建てることを許されるように「名を造ろう」つまり大義名分を造ってしまおう。
そのためには、頂が天に届く塔を建て、神に会って宥め、その同意を取り付けよう。

この推論の場合、人間たちが一箇所に集まっているのに、いったい誰に対して名を挙げたり「有名になる」べき理由があるのか、という疑問をまず払拭することができる。確かに名を挙げたところで誰がそれを評価してくれるというのだろう?
次いで、都市を建てる度にそこに塔がセットされる理由が見えてくる、即ち神からの都市の存在許可と延いては都市守護神の登場である。

したがって、教会員が教えられてきたような「バベルの塔」、つまり、神に挑戦する都市文明という見方で、このジッグラトを捉えると的を外すことになる。 聖書ばかりでなく、当地から出土する粘土板にも記されたこの「頂きを天に届かせる」の句の意味は、神への挑戦ではなく、むしろ宥めと見ることができるのである。



-◆ジッグラトの構造と神----------------
 

メソポタミアでの都市遺跡と共に発見される塔「ジッグラト」には普遍的特徴があるという。
それには階段が設けられ、頂上まで人が昇降し易く作られていること、また麓に神を祀る「祠」または「社」が設けられていることである。
これは基本的に神格化されたファラオの墳墓であるエジプトのピラミッドと異なるものである。

メソポタミアからの出土品には、『その頂を天に』という文言が出、またジッグラトの内面は焼いたレンガが用いられている点も創世記記述に合致する。繋ぎ目の瀝青の使用もまたそうである。
そして、なぜ「頂を天に届かせるべきか」というこのことは、これまではノアのときのような大洪水への退避塔であるとか、天界に登りつめ、大洪水を起こした神に挑戦するためとするユダヤの歴史家ヨセフスのようにも解釈されてきた。
だが、麓に社が設けられるというこのことの意味はそこからは見えてこない。

ひとつ、理解し易い解答には
天の神を地に招き、人間の都市生活に安堵を見出してもらうという意図があったということがある。

麓に在ったその社の存在は小さいながら、そこから塔の全体の意味を見直すと見えて来るものがある。
ヘブライ語「バベル」(混乱「バラル」を含意)の本来のアッカド語「バブイリ」の意は「神(イリ)の門(バブ)」であり、本来のシュメール語では「カディンギルラ」と言ったが、これもやはり「ディンギル」(神)「カン」(門)であるから、アッカド語はそのままの意味に発音を変えていたことになり、ヘブライ語の「バベル」は、言語の混乱をもじっていたことになる。

ともあれ、神の領域である天まで届く塔が、その神をお迎えするためのものとすれば、「神の門」という名は塔の存在によって意義を得る。神がそこに降るからである。それは一種「神の階段」「昇降口」のようなものであり、宗教、それも相当に「神」との接近を含意しているモニュメントといえるのである。


神が「降る」という概念は、創世記からも見られるものであり、『YHWHが降りて来る』の句はヤハウェスト資料に度々現れる。(創世記18:21/出埃19:11等)
また、ヤハウェストでなくとも、神は人に語った後には『上って行った』とも記されている。(創世記17:21)
神は人と意思を通わせる場面でこのように昇降する概念を創世記そのものが有しており、それは古代人に共通の神観念であったと言えるであろう。

シュメールでは天から降り立ったものはアヌンナキと呼ばれ、神々の集団であり知恵を授けたという。彼らの宗教は多神教であった。
シュメール人は文字の発明と活用においてその以前の歴史を持たないので、真の意味で「文明」を発祥させた民族である。また暦を持ち、月の朔望に合わせ年間を12の月に分けたのも史上初のことであったうえ、信じ難いことながら天文に関する異常なまでに高度な知識は、近代文明に匹敵するほどに優れていたと言われる。また青銅の製造加工方法を最初に知ったのも彼らとされるが、おそらくシュメール人は、何らかの仕方で上からの知恵を得ていたと言うべきなのであろう。西暦前3500年の過去に文明が創始された背後にはプロメテウスのような存在があってのことであろう。


実にアッシリアなど後に続く文明はシュメールに学んで次の文明を起こしていることが発掘から明らかにされている。人類最初のシュメール文明の突然の現れには謎が多い。

今日の考古学によれば、前3300年頃からの千年以内に、文字を使い始めるだけでなく、暦に従って灌漑農法を始めて麦から酒を醸造し、度量衡を定めて計算を行って商取引や貿易を行い、さらに金属を溶かして加工するばかりか宝飾さえ楽しみ、車輪のある移動や搬送の機材を作り、武器を量産して軍隊を編成し戦法を考え出すなど、今日に見られる社会の有様が一度に噴出しているかのようであり、これは当時の人々よりも高度な知識を持つ何者かの存在を明らかに要請している。


人類文明とは、原始的断片から徐々に高度化したのではなく、最初からいきなりに現代社会に見られる原型が突如として現れているのである。即ち、『この世』の有様、貪欲が推動し機能する社会の諸要素が既に現れており、我々の時代にまで特に変わった事と言えば、その程度と規模だけである。

しかし、知恵を授けたというアヌンナキなる彼らの「神々」は、創造の神でもノアを救った神でもない。そうであればこそ、人々が地の全面に広がらない都市文明の知恵を授けたといえる。
当時の僧職者は単なる宗教家を超え、天文を読み人々が何を為すべき時期に来ているかを教えるなど、今日の科学者の役割も兼ねていた。
勿論、統治という領域にも「神々」は知恵を与えたことであろう。王は祭司を優遇することで、政治に宗教が関わった。そこで「神権制」を通して霊の領域が人間を支配することになり、宗教が法となる。それこそが霊の存在者の望むところであったに違いない。

それら都市文明の知恵の源こそは、唯一神をしてノアの洪水をもたらさせた張本人たちであるところの、本来あるべき天の場所を離れた堕天使らであると言うべき理由がある。(創世記6:4/ユダ6) 

箱舟の漂着地から東に向かった人々の神概念は早くも曖昧になっており、シナル定住のころにはすっかりノアの神を離れていたであろう。
彼らに『地に満てよ』と命じている創造神も、都市を作って人間が集合して一箇所に住むことに同意を与える「神」も、彼らには区別が付かなかったのであろう。
それは、後にバビロンがヘブライの宗教概念の正反対の異教の坩堝となった事からして蓋然性は低くない。

死後の地下世界、死者に問う習慣、偶像の使用、占星術などの故郷がここにある。
悪霊となった堕天使らが、この地を創造の神とは異なる宗教の中心地に据えたことには、多数のジッグラトを城市毎に建設したという、この地方での人々の大々的な「神々」の呼び込みあってのことではなかったか。
 

後に、ネブカドネッツァルの父王ナボポラッサルは、バビロンの巨大ジッグラトをも再建したが、八層に及ぶその頂上には何の偶像も祭壇もなく、ただ寝台があり、選ばれた美女がそこで一晩を過ごすだけであった*というからには、その神はまぎれも無くノアの大洪水前に女性目当てに持ち場を離れて地上に来たと創世記が暴露する堕天使らに違いない。(創世記6:1-2/*ヘロドトス「ヒストリア」Ⅰ:181)

一方、各都市の塔の麓では、社に供え物がなされたことが分かっており、後には偶像も登場することになる。崇拝の場であった社は、次第に神の住まいとしての神殿へと発展されてゆく過程が発掘されている。

その貢物に伴う祈りは、やがて『地の全面に散らされること』なども忘れ去られ、都市の繁栄や保護に変えられていったであろう。メソポタミアでは偶像の中に神が宿っていると信じられるので、その扱いには注意を要したという。扱いの次第によっては不興を買い、不作や疫病など、都市に不利益を被ることになるからである。



-◆真の神が妨げた企図------------
 

そして、ついに創造の神は『人の子らの建てた都市と塔とを見る』。
そしてこう言った。『見よ、彼らは一つの民で、彼らのすべてにとって言語もただ一つだ』『今や彼らが行なおうとすることでその為し得ないものはないではないか』

これはもちろん人間が全能になったと言うのではない。彼らにはその目的を遂げられることが明白だったということであろう。
彼らは創造の神の意志であるところの、人が地に広がってゆくべきことを実現させないことになり、且つ、彼らは悪霊、延いてはサタンの影響力の下にひとつに束ねられるのである。ニムロデはそれに用いられる器となろう。

だが、それは何を意味しようか。祭政一致という圧政ではないのか。
単に都市生活が俗的で神の不興を買っているという事柄では済まないものがそこにある。即ち「支配」と「崇拝」がそこに関わっている。
サタンの支配する人類支配の大帝国の萌芽がそこにあり、今や悪魔は『わたしは天に上る。わたしは神の星の上にわたしの王座を上げ、北の最果ての会見の山に座すのだ。わたしは雲の高き所の上に上り、自分を至高者に似せる』という、人類に対する最高主権を手にしようとしていたと言えるのである。(イザヤ14:13-14)

その『至高者に似せる』という言葉の通りに、サタンは人類を統べ治める地上の絶対主権者の座を手に入れることになろう。したがって、彼らが城市を建てることよりも問題であったのは、一に集合して住むことからくるところの人類統一主権の樹立であったと見做すことができる。これがサタンの野望が狙うところであることは聖書が再三記すところである。

その傍らで、創造の神と人類の間には「罪」による断絶があり、神は直接には全人類の権力者とはなり得ないのであり、もしそうなっていると云うならこの世の酷さは説明が付かないし、そもそも「塔」の問題も出てはこない。神は人類に罪ある間にあっては仲介者キリストに「神の王国」という条件下で人類支配の大権を委ねる筈であったのだ。そのキリストは、神が『この世の支配者』ではないことを明言しているのである。(ヨハネ16:11)

そこで、神に挑戦したのは、この人類統治の権限についてであって、神が許すことをしなかったのはバベルの塔の完成ではなく、悪霊らの頭たるサタン(「反抗者」の意)による全人類への支配権であったとみることができる。
もし、これを許すなら、イスラエルのような創造神による神権統治国家は邪魔され、存在も難しくなったであろう。つまり、神の経綸の道を遮るものである。
 

他方、サタンと人間は罪あるもの同士、サタンが主権を得れば直接統治を遮るものがあろうか。
だが、これを許すこ
せいきとは創造の神にはできないことである、そんな支配が生じれば、神を崇拝する民族の場は地上から失われ、聖書も書かれることは無かったほどになる。そのうえに思考の自由も無い圧制が人類全体を締め付けることになったであろう。
したがって、少なくとも地上支配の権威の頭を分割することで、この世界帝国の出現を押さえ込むことはできるだろう。
そこで神の採った手段は創造者に相応しいものであった。

ひとつであった人間の言語が、ここで幾つにも分けられ互いの理解を隔ててしまう。それは人類の諸言語発生の由来を語る単なる創世説話とはならない。
その効果と言えば、『彼らは全地に散って行き、都市を建てることから次第に離れていった』のであった。


ここで、彼らが建てることから離れたのは『都市』また「塔」であったとされるが、もちろん、都市文明は絶えることなく広がり継続しているので、神の原語分割の効果は、むしろ言語毎の人々の分離を意味しよう。
前述のように、ヘブライ語「バラル」は「乱れ」を意味するが、アッカド語訛りでの「バビル」(神の門)と掛けあわせて「バベル」という言葉が現れる創世記はこう記されている。
『それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。YHWHが全地のことばをそこで混乱(バラル)させたから、すなわち、YHWHが人々をそこから地の全面に散らしたからである。』(創世記11:9)

19世紀になって、ようやくシュメール語はアッカド語から解読が始められたが、この言語は他と異なり、どの言語とも関連をもっていない特殊な言語であることが分かってきたとのことであり、最も古い部類に属するセム系言語のアッカド語からも独自性を持っているとされる。
ただ、アッカド人は北からシュメール人の地域に入り、自分たちの文字を持たなかったので、シュメールの楔形文字をそのまま用いて、系統も文法も異なるアッカド語を記したという、以後、楔形文字は長く用いられ、アッシリアによっても、メディア・ペルシアに至るまでも併用されていたとのことである。

しかし、言語が分けられたからといって、シナルの地での都市建設が無くなったというわけでもなかった。
はっきりしているのは、シュメールと呼ばれる民族が一度退潮し、前2400年頃からアッカド語を話すセム族がこの地の主人となったことである。

では「入り混じった」民であったシュメールはどうしたのか。
百数十年の雌伏の後、再び勢力を盛り返し、当時は海に近かった都市ウルで第三の王朝を興したという。それはアブラムの頃であったのかも知れない。

やがて東隣りに位置するエラムが強勢となって南メソポタミアを征服すると、それからのシュメール人の足取りはつかめていないという。


シナルでの都市と塔を建てる習慣はその後しばらくは維持されたが、それはもはや創造の神の敗北ではなかったであろう。
なぜなら、人々は世界の各地に見られるようになっただけでなく、人類支配の統一の興る危険はその後、今日まで回避され続けたからである。実際、歴史が全人類を一つに統治した支配権を指摘することはない。⇒「オイコノミアと七つの頭」

そこでは、諸言語創出の神の目的が、単に人間の都市や塔の建設阻止ではなかったことも明らかである。それは人々を地の全面に広げ散らすことであり、人類統一支配をも分散させるところにあったと見ることができる。

確かに多くの主権国家が存在することで、国家間の戦争が勃発することは避けられない。それが悲惨な事態を招いたことは今日までの事実である。国家主権という「最強の我が儘」がどれほど世界を乱し、人々に苦難を与えるかは歴史の教える通りであり、現代に至っては、国際連合という機関がその調停を図る場となりつつも、やはり「最強の我が儘」によってしばしば機能不全に陥るほどである。

だが、サタンの支配する人類統一国家というものは、まったく逃げ場の無い、更に破壊的作用を及ぼすもので、殊に思想面での自由を恐ろしく奪ったであろう。そこでは唯一の政府を牽制する他の政府が存在しなくなり、その暴走を抑えるものは何もなくなってしまう。我々はヒトラーやスターリンの過酷で悲惨だった人間の独裁体制の例にその片鱗を窺うのみである。それ以上酷い人類統制下では律法契約下のイスラエルのような神権国家は信条的にも存在することさえ許されなかったことであろう。人類はむしろ、聖書が描くサタンの象徴である『龍』の頭が七つに分かたれたことに益をさえ見出すべきであろう。(黙示録12:3)

言語分割により主権は分散され、ニムロデに象徴される恐ろしいまでのサタンの世界統一権力は実現不可能となったばかりか、人類には文化や人種の多様性を得ることになったのである。
こうして、サタンの国家政治力の頭は分割され、この処置によって聖書巻末にある黙示録の中での国家権力の集合体を表す「七頭の獣」の『第一の頭は屠られたかのようにされた』であろう。(黙示録13:3)
即ち、世界覇権の試みの第一の部分、最初の覇王ニムロデの画策したシュメール帝国である。

では、聖書巻頭の創世記から、一足飛びに最終巻のヨハネ黙示録、人類社会の終末へと目を移すなら、そこにはどのような結論が待ち受けているだろうか。 



-◆第一の頭の癒えるとき------------
 
ダニエル書では、歴史上の様々な覇権国家を野獣に例えているのだが、黙示録では、堕天使の長であるサタンが七つの頭を持つ龍として描写されるように、ニムロデのような支配権を狙う終末の世界覇権を『七つの頭を持つ野獣』に象徴させて幻視している。(黙示13:1-4)
その頭のひとつは『その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。』とある。

この治癒は恐ろしい作用を覚悟せねばなるまい。
即ち、ニムロデ以来の世界圧制の恐怖であり、神を離れた「人間主義」という一種の宗教の押しつけとなろう。
『いったいだれがこれと戦いうるか』と言って全地が感服するのは、その頭が分かたれていながらも人間の権力を集中したその七つの頭をそろえた姿のゆえである。
第一の頭が癒されるからと言って、人々が英語なりの世界的言語を話すようになって言語分割が克服されるという意味よりも重いものがあろう。
それは、言語分割という神の一撃を受けて一度挫折した世界主権への野望が、言語分割をそのままにしつつ(頭は依然分かれていて)もその狙いにおいて復活することである。

かつて、「名を造る」ことで人々が神の御旨から離れようとしたように、将来、人々は人間主義思想、つまり神に頼らず、人間の能力によって将来を切り拓いてゆけるという尤もらしいが神の人類への意志もキリストの犠牲も無視した蛇の教えに従うだろうか。
その時点では『神の王国』を受け入れるかどうかが人類に喫緊の課題となっている。なぜなら、創造を行った真実の神に任命された全地を統べ治めるべき王キリストがいよいよ王権を佩びて人類に臨む裁きの時が到来するからである。

サタンは自分の時の残りが短いのを知って、猛烈に暴れまわり、ディアボロス(中傷者)の本性を最大限に発揮して人類を神から背かせ、今まで通り、人類に創造神への無頓着なこの世の態度を維持させようと全力をあげることになるのであろう。


そのための器が黙示録第十三章の「七つの頭を持つ野獣」と云える。その異様な獣は『今は居ないが、やがて底知れぬ深みから上ってくることになる』とも云われる、永い間忘れられ封印されてきた、あの世界支配の野望を遂げるためのサタンの武具であろう。それが七つすべての頭を備えて眼前に現れるときに、人類の驚きはどれほどのものになるのだろうか。(黙示録17:8)

それはニムロデの超古代、言語を分けるという神の一撃によって落下した奈落の果てから甦り、『あらゆる部族と民と国語と国民に対する権威がそれに与えられ』神の王国の聖なる者たち、つまり「聖なる国民、王なる祭司」、聖霊を注がれて語る人々を滅ぼして、徹頭徹尾人類を神の王国とその王に逆らわせるために造られる全人類的武具となって、現実の世界に這い上がって来る恐るべきものであり、ある意味で大王ニムロデの復活であろう。そのために、人々はその獣を見て怖れ、栄光を帰してしまうという。

これこそはサタンの『わたしは天に上る。わたしは神の星の上にわたしの王座を上げ、北の最果ての会見の山に座すのだ』という野望の極まるときであろう。
だが、その崩壊は天において始まっており、そのゆえにもサタンは既に地に落とされているのである。それは将来の天界における裁きによって権威を得た天使長ミカエルと戦い、そこで敗れ去ったからこそ彼は地に居るのではなかったか。⇒「黙示録の四騎士」

そのときにも、信仰持たぬ人々は便利な生活の為に『名を造る』ようなことをして悪霊を呼び込んだり、ニムロデのような強権を支持したりするのだろうか。
人類の能力によって神無くしても幸福な将来を築けると。
例えれば、人間は自らのあらゆる細胞を初期化できることが可能となり、人の意志によって永遠の命も視界に入るとしたら、何も人の倫理や罪を問う神など無くても良いと思うだろうか? それは世の大多数の人々にとって魅惑的な偽預言となり得るものではないだろうか。

そこで、あの『歳経た蛇』は相変わらず『蛇』ではないか?
「あなたがたは死ぬことはない」と言いつつ、次に狙うのは終末に生きる人類の全体である。
そこで論議は先鋭化する。即ち、創造者を創造者として敬うかという「エデンの問い」である。

新たな「善悪の知識の木の実」となるのは何であろうか?
それはおそらく、神からの独立した道を行かせようとする人間主義であろう。それはけっして目的を達することのない数字6を三回繰り返した粗悪な代替品であり、言い訳をして真実の王キリストを拒むことであろう。
そして『偽キリスト』たる新たな生ける偶像、『不法の人』の不吉な予告も忘れるわけにはゆかない。

偽預言者らの行う奇跡は、かつてモーセの日にエジプトの異神の祭司らがカエルを出すところまでで止まったように、付き従う者らをいずれは失望させよう。それゆえ、龍、野獣、偽預言者から出る霊感の言葉はカエルで留まるのである。それに釣られて付いて行けば、神と人との戦いに身を置くことになりかねない。(黙示録16:14)

飛ぶ鳥落とすようなサタンの全地を覆うニムロデの復活の如き大王の支配権に人は平和の到来を夢見るのだろうか? そして、古代都市の生活にも似た科学信仰からくる永生をすら約束するような理想社会テクニカル・ユートピアの将来像。人々はそこに留まることを願い、再び悪霊を味方につけるのだろうか?

だが、キリストの到来によりサタン支配に残される時は無い。
こうして、この世は大王に率いられて、神との戦い、ハルマゲドンの場、エホシャファトの谷へと向かうことになるのであろう。そこで人間たちが『一か所に集まって住む』という真の意味での目論見は最終的に打ち砕かれるであろう。

それらの偽りの預言への思い込みを人々に留まらせるものがあるとすれば、人類の贖罪と創造者との和解を成し遂げさせる「神の王国」の王キリストの言葉、その聖なる者たちが聖霊を通して語る言葉に対する信仰のみであり、創造主に感謝と誉れを帰するべしという倫理の基礎を堅く据えることである。(マタイ10:18)





           新十四日派   © 林 義平  
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 大いなるバビロンの滅び

 オイコノミアと七つの頭 






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二度救われる「シオン」という女



イスラエルの初代の王サウルが戦没し、その子イシボセテも王座を追われると、ユダ族から王として油注がれていたダヴィデに対して、十部族とベニヤミンが全イスラエルの王となるよう求めてきた。
こうして名実共にイスラエルを治めるものとなったダヴィデは、ベニヤミン領のユダとの境の山地にあるカナン系エブス人のひとつの城市を攻め取ろうとするのであった。

ユダの只中にあるヘブロンよりは30km北で、イスラエル中央に近いこの地から治めることをベツレヘム・エフラタ出身のエッサイの子は思い定めたのであろう。そこは古、エラムの王たちに勝利したアブラハムを祝福するために出て行った王なる祭司メルキゼデクがかつて治めた城市サレムであった。


急峻な崖を天然の要害とするこの土地はダヴィデたち攻め手を容易には近づけなかったが、それゆえにもダヴィデはこの場所を欲したであろう。

ここのエブス人は、かつてモーセの後継者のエホシュアが、アヤロンの平原の戦いで打ち破ったカナン五王同盟の盟主であった。この戦いでは、神が空から石を投下し、太陽を留めて丸一日ほども昼を長くしたことで知られるものである。
エホシュアに率いられるイスラエル軍はこの五王を打ち破った後、それぞれの城市を占領してゆくのだが、そのなかにあってエルサレムはシオン山上の要害にあったためか占領を免れており、ダヴィデの日まで存続していたのであった。(ヨシュア10:3/士師記1:21)

ダヴィデに向かってアモリ人たちは、『お前はここには来られない』とも「足萎えや盲目でさえ街からダヴィデを追い払う」と急峻な坂の高所から罵声を浴びせたのであった。
しかし、この小山は水利のために地下水道を引いており、ダヴィデらはこれを辿って城内に至りこれを易々と抜いた。そこでダヴィデは『エブス人を撃つ者は、誰もが地下水道の中で足萎えや盲人(のような敵兵)に出会うのだ』と言い返すのであった。


こうしてダヴィデはユダで王として七年を過ごしたヘブロンを後にして、家族、家臣、軍隊など同行する者らを率いてイスラエル国土の中心に近いシオン山上の城市、母なるエルサレム(女性名詞)に棲むのであった。
フェニキアのヒラムは直ちに建築資材を提供し、シオンの山は堅固な塚を、やがては城壁を持つゆるぎないイスラエルの首都として築き上げられてゆく。そこはまさしくダヴィデに由来する『ダヴィデの城市』となったのである。

ダヴィデ自身、この成り行きに神の助力を感じ取っていたという。王はこの地からフェリスティアを打ち砕き、北はダマスカスを越えて遂に神がアブラハムに約した全土を手中に収めるのであった。

やがて王宮が完成し、ダヴィデはいよいよイスラエルの王として整えられ、エルサレムは勢いに乗る権力の座としての首都の風格を備えていった。

だが、彼にはひとつの懸念があった。自分は首都にあってレバノン杉の王宮に住んでいながら、彼の崇敬するイスラエルの聖なる方YHWHは田舎で天幕暮らしを続けていたことである。

そこでダヴィデは、YHWHへ『神の家』である神殿を献納したいと申し出るのであった。
これに対して、神は天幕暮らしに一度として不満をもったことはないと応えはしたが、ダヴィデのこの申し出を悦納するのであった。

そこで神は、ダヴィデのために家を建てようというのである。もちろんそれは既に在る王宮を建てるというのではなく、王朝、つまりダヴィデから始まる王統を建て、それが『定めない時に及ぶ』ものとすると約束するのであった。
但し、ダヴィデ自身は多くの戦いで許多の血を流してきたので、神の家を建立するには相応しくなく、その息子がその建設に預かることが知らされる。


それでも、ダヴィデは失意も見せず、息子の建築事業のための資金や資材を集め始めるのであった。
こうしてダヴィデと神YHWHとは、ますます強い善意の絆で結ばれてゆく。
後にダヴィデは何度かの失敗を犯し、そのたびに神の不興を買うことになるが、それであっても人は誰も『アダムの懲らしめ』を免れない。YHWHにとってのダヴィデという人物の『我が心を完く行う者』という評価は変わらなかったのである。


神とイスラエルの契約の証である聖なる箱をエルサレムに迎えるときに、ダヴィデは全身でその喜びを表し、その前で跳ね踊ったことは、彼の中でYHWHがどれほどの座を占めていたかを物語っていよう。それは妃をしてあまりの醜態と見えたほどに尋常なものではなかったようだ。


契約の箱がエルサレムに入って以来、この城市は『神がその名を置く処』となり政祭の頂点に登った。イスラエルのすべての部族の詣でる聖都、そして強力な王の御座所となったのである。
それは将来の対型的、そして天からの『新しいエルサレム』が『王なる祭司ら』の政祭の首都となることを示しており、その強大な王の王は『大いなるダヴィデ』メシア=キリストとなる。その版図は全世界となるであろう。



-◆シオンの危機------------------
 

こうしてダヴィデによって華々しいスタートを切ったエルサレムは、ソロモンという賢い後継者の下で神殿が建立され、エルサレムとイスラエルの全体は空前の繁栄を謳歌するところとなった。
ふんだんなレバノンの杉材、遠い異国から流入する宝物、金は夥しく、銀はまるで石ほどにしか見なされなかったという。

砂漠の向こう側から遥かな旅路を厭わずに、ソロモンの富と知恵を見るためにシェバの女王はエルサレムに客となり、その栄華の輝きを賛嘆して帰途に就いたのであった。
しかし、その栄えも僅かな年月の事となってしまう。

ソロモンが崩御すると愚昧な皇太子が王座に就き、イスラエルはふたつの国家に分裂してしまい、あまつさえ、エジプトのファラオの侵略に耐えられず、ソロモン時代に蓄えた多くの宝物を失ってしまうのであった。
これは、繁栄が神からもたらされていたことを証しするものである。モーセが警告していたように、イスラエルはシナイ山麓で授与された律法に従うときに繁栄し、抗うときに窮境に陥るのである。


ダヴィデやソロモンがYHWHの是認の下にあるときに、エルサレムとイスラエルには安寧と栄えがあったが、神の不興を買うときには首都も民も苦しむのであった。

しかし、王や民が自らを省み、思いと行いを正そうとするなら窮地に立つ彼らをYHWHは速やかに助けたが、それはモーセの律法の約す通りであった。


そのように王と民が神の是認に入っているときのエルサレムであっても注目すべき二度の危機があったが、それはまさしくエルサレム存亡の危機である。

一度はエホシャファト王の時代にアンモン、モアブ、アラブという近隣諸国の雲霞のような大連合軍の攻撃に曝された時であり

もう一度は、大帝国に台頭してきたアッシリアの大王セナケリブの苛烈な侵略の前にヒゼキヤ王率いるユダ王国が風前の灯のようにされたことである。

ここではヒゼキヤ王のときにイスラエルの残された二部族の小国ユダとエルサレムがどのように飛ぶ鳥落とす勢いの強国アッシリアの腕から逃れたかを見てみよう。


ヒゼキヤ王は25歳で父王アハズの薨去によって王権を継承したが、彼は直ちに父祖ダヴィデのようにYHWHを求めて廃れていた神殿を修復し、レヴィ族を組織して神殿祭祀を再び機能させる。
神殿での管弦楽を伴う合唱隊の賛美は真に見事であったので、セナケリブがこれらの合唱隊を朝貢するよう所望するほどであったという。

彼は王位に就くなり、直ちに神殿を浄めたが過ぎ越しを行うべきアビブ14日を越えてしまったため、律法に則り月遅れの過ぎ越し(ペサハ・シェニー)を行い、これをユダ王国と分離していた北のイスラエル王国の民にも呼びかけまでしたのである。


その後、ヒゼキヤが王となって四年目に、分離していたイスラエル十部族でなる北の王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、その民は遠くユーフラテスの北に連れ去られていった。
これは残された南のユダ王国に恐ろしい圧力を与えるものとなったが、この侵略軍を率いたサルゴンⅡ世が没するとヒゼキヤはアッシリアへの朝貢を見合わせる。
 

だが、アッシリアの権勢は衰えることなく再び海沿いの地域に覇権を唱えていた。
そしてやはり、アッシリアの大軍はユダ王国への侵略を再開するのであった。時の王はセナケリブであり、その名はアッカド語で「シン・アヘ・エリバ」即ち「月の神は兄弟の代わりを下さった」というバビロニア=アッシリアの主要な神「シン」を讃える意味を持つ。その意からすれば、彼は嫡流ではなかったのであろう。

では、自らの神を心から奉じるヒゼキヤ(「YHWHは強めて下さる」の意)を、その神は異国の神の前に倒れるのを許すであろうか?それは西暦前701年の事とされている。




-◆脅す大王の一夜の失墜---------------
 

このヒゼキヤとユダ王国の危難に応じ、まずYHWHは王家の家令を整える。それまでの家令シェブナは欲得に目がくらみ、自分の飾り立てた墓までを用意していたのである。それは公の危難に相応しいものであるわけもない。
預言者イザヤはこの国難に当たって、この家令の交代を預言し、より相応しい人物エリヤキムをその職に就かせるのであった。

ヒゼキヤはシオンの山の麓にある水源に蓋をしたうえに、ギホンの泉からは城内に地下水道を敷設し、攻囲軍の水供給を断ちつつ、エルサレム城内の水源を確保する工事を行った。

そしてアッシリア軍は、アッコンからアゾルへとユダの諸都市を侵略して地中海沿いの「海の道」を南に進む。

そこに於いてエジプトのファラオは、ユダを救援し北からの脅威を除こうと、南から海の道を北上してアシュトド近くのエルテケで強力なアッシリア軍に立ち向ったのだが、日の出の勢いのアッシリアの敵ではなく、敢無く敗れ去ってしまった。


アッシリアの兵は獰猛であるだけでなく被占領民を過酷に扱い、『ライオンが獲物を噛み裂くように』捕虜をまったく哀れまずそれ以上ないほどの仕方で惨殺することで知られ、諸国を震え上がらせていたのであった。


エジプト軍を片付けたセナケリブは海岸沿いの低地からユダの山地を目指してその間に南北に広がるシェフェラと呼ばれる台地に上り、そこに全軍の陣容を整える。

シェフェラ台地にあるユダ王国の重要な要塞城市ラキシュは、大王セナケリブ自身の指揮するアッシリアと、それに追従する諸国の諸軍の厚い包囲に囲まれてしまう。城市の周囲には敵陣に無数の天幕が張られたであろう。

そこはエルサレムよりも南に位置しており、北から侵入したアッシリアの軍勢は既にエルサレムを孤立させ得る位置にまで侵攻してきていたのである。

城市ラキシュは近隣の城市アゼカと共にレハベアム王の時代に整備され難攻不落と見なされた城塞都市であった。

だが、アッシリアの攻城兵器と大楯を伴う弓兵、投石具の猛烈な攻撃があったことがアッシリアの首都ニネヴェ王宮のレリーフから知ることができる。

その間に、セナケリブはヘブライ語を使う使者ラブシャケをヒゼキヤ王の籠るエルサレムに派遣する。

もはや、ユダは滅んだに等しく抗いは無益である。アッシリアに屈服せよ、さすれば命は容赦しても良いと。

だが、この要求は単に支配下に入れと勧告するものではなかったのである。そこにこそ大きな争点があった。

ラブシャケがエルサレムの城壁の外に現れると、ヒゼキヤ王は家令エリヤキムと書記に降格したシェブナ、そして参議官ヨアフを相対させる。

彼らはラブシャケにアラム語で話すことを求めるが、却ってラブシャケは城壁の上で聞くユダの兵士らにも脅しが達するようにヘブライ語で話す。(当時は捕囚前でユダヤ人はアラム語に通じていなかったのであろう)

加えて、この敵軍の使節は城壁の兵士らに向けて彼らを意気阻喪させようと更に大声を出し、ヘブライ語を用いてこう呼ばわるのであった。
『ヒゼキヤが、「YHWHが救い出して下さる」と言ったからとて、お前たちは唆されないようにせよ。諸国の神々のいったい誰が自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。』
『ハマトやアルパドの神々は今どこにいるのか。セファルワイムの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。
 これらの国々のすべての神々のうち、いったい誰が自分たちの国を私の手から救い出したのか。YHWHがエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。』(イザヤ36:18-20)

これは単なる降伏勧告ではない、神を愚弄する言葉を聴いた家令エリヤキムと供の者は衣を裂いた。そしてこれを王に知らせたが、王は神の言葉を伺わせるために、預言者イザヤの許へと彼らを遣わすのであった。


ヒゼキヤとエルサレムの神を嘲弄したラブシャケが本陣に戻ろうとすると、既に戦いはラキシュからアゼカとの間に位置する城市リブナに移っていた。
既にラキシュの二重の城壁も破られ、セナケリブ大王の大いに自慢する戦果となってしまっていたのである。


だが、セナケリブにひとつの知らせが入る、それはエチオピアの王ティルハカがアッシリアをくい止めようと南から進軍してくるとのことであった。彼は南方の備えをフィリスティアの諸王に任せてユダ攻略戦を行っていたが、エチオピアはエジプトと共に大国であり、思わぬ強敵の出現に、南の防衛線が破られることでの挟み撃ちにされる危険を察知し、エルサレムを早く処置してしまうべき必要に迫られセナケリブの心はかき乱されたのであろう。
 

そこでセナケリブはヒゼキヤを屈服させるためにあらん限りの脅し文句を並べた書簡を書いてエルサレムに送りつけた。

それを受け取ったヒゼキヤ王はその内容の激烈さに驚き、悲嘆のうちに聖なる神殿に入ってその脅迫状をイスラエルの神YHWHの前に広げて祈るのであった。

『「YHWHよ! アッシリアの王たちは確かにすべての国々と、その国土とを廃墟としました。
 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神でもなく、ただの人の手の技、木や石に過ぎなかったので、滅ぼされたのです。
 我らの神YHWHよ! 今、彼の手より我らをお救いください。そうすれば、地のすべての王国は、あなたのみがYHWHであることを知るに至るのです。」』(イザヤ37:18-20)

真に神を畏れるヒゼキヤがこのように大きな窮境に陥って一心に祈った言葉はけっして無駄にはならなかった。

YHWHは預言者イザヤにヒゼキヤの祈りに対する返答として、イスラエルの聖なる神を嘲弄したセナケリブへの言葉を与えて遣わしたのであった。

『お前はいったい誰を罵り、何者を侮ったのか。いったいどんな者に向かって大声で叫び、その目を上げたのか。それはイスラエルの聖なる者に向かってではないか!』
『シオンの処女がお前を蔑み、彼女がお前を嘲笑った。お前の後ろでエルサレムの娘が(馬鹿にして)頭を振った』
『お前はわたしに向かっていきり立ち、お前の高ぶりは我が耳に達した。そこでわたしはお前の鼻に鉤を、口にはくつわをはめ、お前を来た道に連れ戻す。』(37:22-29)


預言者の語るYHWHから出た言葉が実現せずに虚しくなることはない。
世界強国の大王といえども、天地の創造者を相手に奢り高ぶって無傷で済むわけもない。
そして万軍のYHWHはその力の一端を見せることになるのであった。



-◆シオンのために立つひとりの天使---
 

YHWHはヒゼキヤのための言葉をも伝えさせる。
『(アッシリアの王は)この城市に入ることも、矢を射ることも、盾を持ってこちらに向き合うことも、攻囲の塚を築くことさえもない。』(イザヤ37:33)

『わたしは自らのために、そして我が僕ダヴィデのためにこの城市を必ず守ってこれを救う』(イザヤ37:35)

この言葉は一夜のうちに成就し、まったくあっけない幕切れとなるのであった。


それはリブラの郊外のことであったろうか。
夜にアッシリア帝国の全軍が宿営していたところをひとりの天使が通過したのである。
生きていて翌朝を迎えた者らが見たものは、累々と屍の広がる驚くべき光景であった。
これをイザヤはこのようにも預言していたのである。『鳥が翼を広げひなを守るように、万軍の主YHWHはエルサレムを守って救い、これを惜しんで助けられる」。』
『アッシリアは人間のものでない剣に倒れ、地の人のものではない剣が彼らを食い尽くす。アッシリアは剣の前から逃げ、若い男たちは奴隷の苦役につく。』(イザヤ31:5.8)


セナケリブ王は恥のうちに来た道を戻らざるを得なかった。それは恰も『鼻に鉤を掛けられ、口に轡を咬まされた』かのように強制的に帰らされたと言ってよいだろう。
この王は、諸国の偶像の神々とイスラエルの聖なる方、生ける御神YHWHを同列に看做したところが大きな仇となったのである。


もちろん尊大な彼はこの敗北を認めるような碑文を残してはいない。
セナケリブの角柱碑文に、『わたしはヒゼキヤをさながら籠の鳥のようにした。彼は貢物を贈ってきた』とは刻んだが、ラキシュを攻め取りながらエルサレムを無傷で残した理由をヒゼキヤの朝貢であるかのように記していながら、実際にはこの捧げものはパレスチナ攻撃に着手する前のものであった。
そこに書かれていないのは、周辺諸国を平らげユダ王国の首都もあと一歩のところでなぜそこを残したかの理由である。
きわめて尊大な文面を碑文にする習慣のあるオリエントの歴代の王のひとりが、「実は十八万を越える軍勢を一晩で失いました」と書くわけもない。

ニネヴェの王宮にはユダの王都エルサレムではなく、それより小さな城塞ラキシュの奪取をレリーフにするのがパレスチナ侵攻の自慢の精々であったろう。

しばらくすると、自分の神ニスロクを崇拝しているところを、セナケリブは王位継承に不満を宿した息子たちに暗殺されるという不名誉な最期を遂げるが、その神は彼の命を全うさせなかったのである。
一方で、ヒゼキヤはひとたび病気で命を落としかけているが、神YHWHは彼の寿命を十五年延ばすのであった。


こうしてダヴィデ王朝を戴くユダ王国は存亡の危機を脱した。
そこには至高の神を愚弄することの結果を、またYHWHのダヴィデに対する変わらぬ愛を、そして御自ら名を守ってシオンを助ける神の姿勢を確かに見出すことができるのである。

しかも、これは単なるユダヤの故事で終わることはない。
この事跡は、将来に成就する事柄の影であり、そのときに神YHWHはかつてのシオン、地上の一点を占めるエルサレムではなく、全地に関わる象徴的シオンを北から来る猛悪な王から保護されるであろう。



-◆終末に保護されるシオン---------

将来の「シオン」とは何かを、結論から言えば、キリストによる新しい契約に預かる者ら「聖徒」を産み出す母体となる信徒の集団であり、終末には聖なる者による聖霊の声に信仰を働かせる支持者の大群がそこに加わる。
イザヤとミカがその預言で述べるように、その大群は終末にあって聖霊の注がれる人々を産み出して迎え入れ、『共にYHWHの山に登ろう』と声を掛け合い、流れのように象徴的場所であるシオンに向かう人々を迎えることになろう。(イザヤ2:2-4/ミカ4:1-4)

終末の神の裁きに在って、その『シオン』と共に救いを得るために、人はこの『シオン』が何であるかを知る必要がある。 それは分け隔てなくそれが何かを見分ける人の過去に関わりなく、益を得ることができる。

神を理解する知識はかの人々を照らし、もはや蒙昧のうちにその崇拝を虚しくすることはない。世で『暗きは地を覆い、闇が諸々の国民に臨む』としても、この人々は太陽と月と星々という神の光明によって明さをまとう『女』となる。即ち、黙示録の『女』がイザヤの預言の終末の『シオン』であることが示唆されているのである。(黙示録12:1/イザヤ60:1-2)


この黙示録の『女』は幻では天に現れるが、地上の人間界に落とされた悪魔である龍が攻撃を加えるのであるから、天のものではない。
また、この『女』から産み出された聖なる者つまり「聖徒」たちによる世界への聖霊の言葉の代弁は『天地を激動させる』ものとなる。これら「聖徒」と生み出すことによって、この女『シオン』は神のものであることを示す。
悪魔である『龍』は現状の社会の保持者であるので、これに強く反対して『女』を攻撃しようとするが、これは『地』の防御に遭って成功しない。それはこの『女』に含まれる人々の数が多く、また人権に敏感な社会の分子の反論を受けることを表しているのであろうか。

この『女』の攻撃に失敗した『龍』は、攻撃目標を「聖徒」に絞り込む、そして攻撃のための武具を用意する段に進むことを黙示録は明かしている。

だが、このように黙示録の『女』が旧約の女『シオン』なら、その子らである「聖徒ら」への龍の攻撃は成功してしまい、おそらくは『大いなるバビロン』も滅ぼされた後の時点で、この女『シオン』も龍に教唆されたダニエル書の『北の王』の恫喝を受けることが考えられる。

それはダニエル書11章の終わり近くに予告されている『北の王が南の王を攻める』の後のことである。『北の王』は『戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼(南の王)を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。』そこでかの王は、遂に『飾りの地』にその圧力を加えはじめる。

『飾りの地』という表現はエレミヤ3章19節で用いられており、その意味するところは『望ましい土地』であり、エゼキエル20章6節では『乳と蜜の流れる地』つまりイスラエルに与えられたカナンの地を意味している。
そこで『北の王が南の王と戦う』に当たって『飾りの地にも入る』とは、象徴的な約束の地、その中心としての聖徒らが構成する象徴的『神殿』を戴く『シオンの山』に向かってその武力を誇示することを云うのであろう。従って『シオン』という語も、また『北』という語も、実際の地上を表しはしないといえる。

『北の王』には聖徒らを滅ぼすことが『許されて』おり(ダニエル8:42)、その攻撃は成功してしまい、いよいよシオンという信徒たちの集団にもその武力が迫ってくるのであろう。

これについては黙示録の第12章の『女』が『一時と二時と半時の間』荒野の場所で守られるという記述が、聖徒ではない信徒への安全を示唆しており、イエスの終末預言に於いても『戦争や争いの知らせを聞いても恐れるな、終局はまだなのだから』という言葉にこの場面の意義が語られているのであろう。


終末に於ける『北の王』のシオン攻撃については、アッシリア王との共通点が散見される。
まず、アッシリアはカナン攻略に際し、一度は海の民のシリア上陸によって妨げられており、それは終末を語るダニエル書の『キッテムの船が押し寄せ、失意させられる』事態として既に歴史の上で味わっている。
さらにセナケリブの『飾りの地』攻略では、「大海」(地中海)とユダの山地の間、まさしくシェフェラの台地を本陣としているのである。その理由からか将来を予告するダニエル書でも東に位置した『エドム、モアブ、アンモン』は地理上攻撃目標とならず逃れているし、南のエジプトは既にアッシリアの打ち砕いたところであった。(ダニエル11:41-42)

次にダニエルは、この王が『大海と聖なる(飾りの地の)麗しい山との間に、本営の天幕を張る』ことを知らせる。(11:45)これはエルサレムを前にしたシェフェラの城塞都市ラキシュに陣を構え、帝国の全軍をそこに集めたセナケリブの姿を彷彿とさせるものではないだろうか。

終末の『北の王』も諸国を平らげつつ、象徴の『シェフェラの台地』に登り、壮大な天幕を張るのであろう。そこは『麗しい』シオン山を窺う距離にある。
つまりダニエル書の『北の王』が、聖霊の声に信仰を抱いた人々の集団『シオン』を恐れさせ、圧力をかけ得る何らかの状況を表すのであろうか。


もし、このダニエル書の『北の王』がセナケリブの対型なら、同じ結果を身に受けるであろうが、まさしくダニエル書は次のように締め括っている。
『しかし、彼は遂にその終りに至り、彼を助ける者はない。』
この簡潔で、そっけないほどの描写は、『北の王』の終局のセナケリブがそうであったような忽然たる瓦解を示唆しているようにも感じられのである。

この王はダニエル書8章でも語られる『その顔は猛悪で、彼はなぞを解く』という悪に極まる者なのであろう。彼は聖徒である民を(おそらく間接的に)滅ぼす』、しかし『君の君たる者に敵するが、遂に彼は人手によらずに滅ぼされてしまう』のである。
即ち、人間の同士討ちとなる最終戦争『ハルマゲドン』の特徴をそこに見出すことはなく、その以前に起る別の出来事となることを示唆しているのである。


この王が実際に誰であるのかを知るには、歴史の進むのを待つ必要があるようだが、それを知ることはけっして喜ばしいことにはならないだろう。だが、我々は『北の王』の実体を既に目にしているのかも知れない。

では、この『北の王』もシオンに対して恫喝を行い、『シオンを守る』聖なる方を嘲弄するのであろうか? ヒゼキヤ王がこれに備えて家令をエリヤキムに交代したように、『アッシリアがこの地に入るとき・・七人の牧者、八人の君侯を興す』と神は、イザヤと同時代の預言者ミカを通して言われる。

それ『君侯』(ナスィーム「君子らi.e王子ら」)は、終末で聖霊の賜物によって語るであろう『聖徒』らを表しているのではないようだ。黙示録による預言の前後関係からすると、聖徒らは既に『北の王』または『野獣』の攻撃に遭って『死んで』おり、その僅か三日半の後に既に復活をしているようだ。

そうなれば、聖徒が去った『シオン』を誰が導くのだろうか。そこで、天界に聖徒の去ったあとを指導する者らを指して『君侯』と呼んでいると考えられよう。


また、ミカエルが立ち上がってから聖徒の復活と審判があるとのダニエルの記述からすると、この北王の脅迫の為される時は、聖徒攻撃と非常に近いことになろう。 そうなると、『北の王』または『野獣』が、聖徒らへ攻撃に成功して後、すぐに『シオン』に危機が襲うことになる。

しかし、この『野獣』の存続期間は『42ヶ月』であり、それは聖徒が迫害されながらも宣教を行う期間と同じである以上、その『野獣』の寿命はまさに尽きる寸前に至っていることになろう。


そして、そのときは突然に訪れる、それは黙示録も『野獣』について『去って滅びに至る』と述べ、ダニエルも北の王について、『人手によらずに砕かれる』と記される通りであろう。(黙示録17:11/ダニエル8:25)


やはり、神が新たに『君侯を興さねばならなくなる』(ミカ5:5)のであれば、聖徒ではなく、シオンを代表するような誰か別の者ら、将来に『諸国民の王たち』と呼ばれる者らを指している蓋然性の方が高いようだ。
『君侯を興す』というからには、エリヤキムに対するシェブナのような前任者 の存在があるかどうかは分からないが、いずれにせよ、『北の王』の生ける神への傲慢な高ぶりの無法さを、その場に姿を表さぬ王に知らせるのは、彼ら『君侯』の務めとなろう。


他方、聖霊の声を信じ、聖徒たちへの支持を表して神の山シオンに集まってきた許多の人々は、『ヒゼキヤ王』に励まされて後、セナケリブの使者『ラブシャケ』に相当する者の愚弄の言葉を聞くことを経験するのだろうか。それらの暴言に直接に対処するのは、そのために興された複数の『君侯』である。 

その脅しはすなわち、聖霊の言葉を信じて神を崇拝することも、キリストの王国であっても、強大な北の王の前に何の保護にもならないと宣し、見えないキリストの臨在を信ずる人々を揺さぶるだろうから、それは真に信仰の試される時となるだろう。

セナケリブのときと同様に、北の王もその使者も、真実に生ける神YHWHを知らず、その全能性を一顧だにしないのだろうか。『聖徒たち』も『大いなるバビロン』も既に過ぎ去っており、この軍勢の鼻息はさぞ荒かろう。

だが、この脅迫もこけおどしとなるに違いない。ひとりの天使が遣わされ、アッシリアの大軍が一夜にして壊滅したように、ダニエル書では『天使の頭ミカエル』が立ち上がる。
そこで『苦難の時』が始まり、『塵の中に眠っていた者たちの起こされる』ときとなり、殉教の聖徒たちの復活、そして天のキリストの許にすべての聖徒たちが招集されるときとなる。それによって偉大な王の『神の王国』が遂に実現する。

こうして『飾りの山』に向かって更なる第二の攻撃、全人類と神の王国との決戦『ハルマゲドン』が誘発されることとなるだろう。『シオンの娘』である聖徒らは『王の王』と共に『脱穀機』のように諸国民を打ち砕く復讐に臨む。(イザヤ41:15-)

この女シオンへの二度目の攻撃ハルマゲドンの戦いも神は許さない。それはセナケリブで表される第一の攻撃を遥かに勝る規模で行われる人類連合軍によるシオンへの総攻撃となるが、YHWHは言われる『シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのためにけっして黙り込まない。その義が朝日のように光を放ち、その救いがたいまつのように燃えあがるまでは。』 諸国の王や高官らが敵意を燃やす中にあってYHWHはシオンに不敗の王キリストを立てられ「征服せよ」との号令を下される。
こうして『シオン』はこのふたつの攻撃から守られ、イスラエルの聖なる神YHWHの名は全地にあっても至高の座に上げられる。

そのときにYHWHはシオンの民に言うであろう。『さあ、わが民よ、あなたの奥の間に入り、あなたの後ろので扉を閉じよ。憤りの過ぎ去るまで、しばし隠れよ。 見よ、YHWHはそのおわす所を出て、地に住む者の不義を罰せられる。地はその上に流された血を露にし、殺された者をもはや覆うことがない。』(イザヤ26:20-21)


こうして俯瞰すると、セナケリブとアッシリア軍のエルサレム攻撃の失敗は、ダニエル書中の猛悪な『北の王』の『シオン』攻撃の敗退という、人と神の『ハルマゲドン』の戦いの前哨戦を予告したものであったろう。

この戦いはミカエルの立つことを招来させ、おそらく時を置かずに神の王国が権力を得て神に敵する勢力が如何に大きくともこれを一掃することになるだろう。それはシオンを救い悪を砕く神の裁きとなる。

だが、その前の第一撃では、『北の王』の強大な権力を背景にした恫喝がなされ、信仰によって象徴的にシオンに住む人々の信仰は試される。
しかし、ヒゼキヤ王のように動じずに神を待つならば、大いなる救いを見るに違いない。YHWHが「火の城壁」となられエルサレムを守ると言われるのである。人はこれを信じるだろうか?(ゼカリヤ2:4-5/詩篇125)

保護を受ける者に求められるのは、自らを捨てて神を第一とし、人間の不確かな「正義」を捨てて「神の義」を求め、将来の聖霊の声に心を頑なにせず、それに信仰を働かせることであろう。

預言者ゼパニヤはこう言っている。『YHWHを求め、義を求め、謙遜(柔和)を求めよ、そうすれば、あるいは怒りの日に隠されるであろう』。
そのとき、今は伏せられ謎とされている神名、それを聖霊を通して知らされる発音のままに、生ける神の至聖の御名を信仰のうちに頼り求める者は、誰もその願いを虚しくはされない。

ヨエルはこう書いた。『すべてYHWHの名を呼ぶ者は救われる。それはYHWHが言われたように、シオンの山とエルサレムに、逃れる者がいるからである。』





            新十四日派     © 林 義平 
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サラとハガル その産み出したもの



この相続はけっしてお目出度いことではない。
新しい契約が終わって真のアブラハムの子孫を相続のために天に召集するまでに起こる事は精錬である。

それはキリストと共になる者たち、聖霊を注がれ神のイスラエルへと選ばれた者たちに襲い掛かる強烈な誘惑と試練を意味する。
これを予め覚悟するようにと、イエスは再三にわたって当時の弟子たちを訓戒したのであった。

『「誰でもわたしに付いて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の刑柱を背負って、日々わたしの後に従ってきなさい。』
この言葉に違わず十二使徒らのほとんど、そしてキリストに次いで死に就いたステファノスを初めとする忠節を尽くした多くの弟子たちがそれぞれに主に倣い、つぎつぎに殉教の死を遂げていった。

彼らの目指したものは、主と共になることの賞であり、神と人への偉大なる善を求めて死に至るまで信頼に足る者となることの栄冠(ステファノス)であった。

この厳しさこそは、その立場を授かることのこの上ない栄光と誉れを知らせるものでもある。
聖霊を注がれるというその事が意味したのは、アブラハムからの相続権の内定であり、その財産は『諸国民の光』となる『神の王国』の属する者となり、それを父なる神からキリストと共に受けることであった。(マタイ5:14/イザヤ42:6)

彼らの行う各種の奇跡の業は、彼らがキリストの業の後継者であり、義認においては仮のものとはいえ、キリストに同じく『有罪宣告のない』立場を許されていた。(ローマ8:1.33)
つまり、引き続きアダムの肉の命にあっても『水と霊とによって新たに産み出され』既に地上あってキリストの命に生きるという奇跡を通し、人類に先立って「罪」を贖われた『初穂』に数えられる者のひとりとなっていたのである。(ヤコブ1:18)

彼らが依然として肉体に在りながらも、霊者キリストと共なる義なる者に看做されたのは契約、即ち「新しい契約」に参与していたからである。だが、やはり契約であって果たすべき務めがそこにはあった。

それはキリストの如くに、終わりまで忠節を保って見せ、傷なくシミのない、恰も処女なる花嫁のように清さを保つことである。

そして、この立場は凡そ神の創造したものの中でも極めて稀なるものとなる。
それは御子が唯一のひとり子で在られるのと同じように、高く輝かしい新たな創造物である。(コリント第二5:17)


-◆ふたりの女 --------

本来、この稀なる特権は血統上のアブラハムの裔に対して開かれたものであった。
予告された裔は、モーセの時に民として神との契約にのぼり、神の選民イスラエルとして遂に歴史に現れ出たのある。

この契約は彼らをして『聖なる国民、王なる祭司』と成るに導き、人類全体が祝福を受ける謂れとならせるはずのもの、また全体の指導者メシアを彼らが受け入れるよう導くものであった。これが即ち「律法契約」である。

これは予備的段階を彼らに踏ませるものであり、律法によって人に巣食う宿痾であるアダムからの「罪」を糾弾し、メシアへの信仰による義と救いに導くという貴重な特権を彼らに与えることを目的としていた。(出埃19:5-6
/ペテロ第一2:9)

しかし、アブラハムや族長たちの血統に属する子孫らは必ずしもその父祖らのような優れた特質を見せることはなく、却って心を頑なにして律法に従わなかったので、契約の一方の当事者たる神は、この契約を終わらせ「新しい契約」を布告するのであった。(エレミヤ31:31-33) 

この契約は律法条項によらず、人を内面から変化させる「愛の掟」という著しい価値の上昇を伴う真に優れた教えを伴うものであり、これこそはメシアの教えるところとなったのである。(ヨハネ13:34)

にも関わらず、ユダヤ人たちは律法に従わないばかりか、遂にこのメシアまでをも退けて亡き者としてしまった。

メシアをそこに遣わされながら、既に廃されかけた律法契約に固執して自己の義に酔うこのユダヤ人たちが真に「アブラハムの裔」と呼べるだろうか。最後の旧約型の預言者としてのバプテストのヨハネから警告されたにも関わらず、彼らはメシアを殺害させるばかりか、イエスをメシアと信じた同胞ユダヤ人までをも迫害し、聖霊注がれたステファノスを初めとして弟子の命までをも次々に奪ってゆき、やがて異邦人にまで毒牙にかけ、ローマ国教化に至るに及んで、遂にユダヤ教の保護が帝国側から取り去られるまでの長きにわたり、繰り返し陰湿な迫害の手先となったことは少なくない歴史資料に刻まれている。

しかし一方で、メシア・イエスは刑死後、弟子たちに神からの聖霊が送られるよう天で取り計らい、イエスの奇跡の業はそれら聖霊の賜物を宿した弟子らに継承させたのであった。つまり、新しい契約への移行が為されたのである。
水のバプテスマを受けていた彼ら弟子らは、次いで「聖霊の賜物」を受け「新しい契約」に与り、真の「アブラハムの裔」として新たに歴史の舞台に産み出されたのであった。

彼らは聖餐においてイエスの体を表象する一枚の無酵母パンを食し、将来は彼と共に霊の体を受け継ぎ永生を得ることを、また一杯のぶどう酒に与って契約参入の許可となる血の注ぎを賜ったのである。


イスラエルの民の上に結ばれたこれら新旧のふたつの契約を二人の女に例えたのは使徒パウロであった。即ち、ガラテア書の中で描かれた不妊の妻サラとその若い女奴隷ハガルである。
ハガルはすぐに主人の子を産んだが、不妊のサラはようやくに神によって子を授かった。

さて、古いモーセの「律法契約」は多くの律法条項で人々を縛り、それに従う人々は外からの命令に従う『奴隷身分』の相貌を呈していた。

それに対して後に登場した「新しい契約」に基づく精神は、教条という外から命令を与えるのではなく、人の内面からの自発心によって己を規制するのであり、それを司るのは各人の「愛」であり、そこには闊達な『自由人』らしさがある。

時の経過が明らかにしたもの、それはモーセの律法契約は遂にアブラハムの裔を産み出すことがなかったのであり、ファリサイ派のように旧契約にどれほど固執しようとも、そのようなユダヤ人たちは遂にアブラハムの嫡子とはならなかった。

そこでパウロは、アブラハムの家の子を遂に産まなかった旧契約をハガルと呼び、聖霊を受けて義認され「神の子」と看做される人々を産み出すに至った新契約をサラと呼ぶ。
つまり、奴隷に生まれた奴隷の子イシュマエルが遂に相続者にならなかったように、律法に固執したユダヤ人はいつまでも隷属身分のままである。

そればかりか、ハガル母子がアブラハムの宿営から追い出されたように、メシアを拒絶し新しい契約に入らなかったユダヤ人は皆、神の経綸から除外されるに至ったのであり、それは西暦七十年のユダヤとエルサレムの滅び、そして続く二千年に及ぶ程の約束の地を離れた流浪生活が神の前での彼らの立場を表していよう。

パウロがガラテア書で指摘したように、血統上のイスラエル人、つまりハガルの子イシュマエルが現実的な肉の方法によって生まれながら、相続権を失い嫡出子を迫害して却って追い出されたように、地上の具象の城市エルサレムはメシアの弟子らを迫害し神の前から放逐されたのである。(創世記21:9-10/マタイ22:33-36)

他方、キリストを通し聖霊によって生まれたイスラエル人つまり、サラの子イサクが神の約束によって奇跡的に生まれたように、霊によって産み出されたキリストの弟子たちは、大いなるサラ、またの名を肉なる人間によらない象徴の城市『上なるエルサレム』、これが聖徒たちの母祖となったのであり、この次元の高い城市エルサレムは地上のどこか一地点を占めるものではない。また天に在るわけでもない。(ガラテア4:23/黙示録12:13)

したがって、中東に現実に残る城市イェルシャライムは、かつてを偲ばせ、また発掘する場所という以上のものではない。また、今日のイスラエル共和国を建てたユダヤ人に、今後将来の神の経綸に関わる何らかの意義を見出そうとする事も、人が真に注意するべきことから逸らさせることでしかないであろう。

今日、彼らから学べることには、その古来の言語の解釈や崇拝に関わる習慣の歴史などが残ってはいるが、畢竟そうしたことばかりであり、この民族が神の御旨の中に居た時代はメシア拒絶と共に二千年前に終わっていたのである。(ルカ11:49-51)

血統上のイスラエル民族の歴史の示すところは、出エジプト以来、神への信仰を保つことはなく常々心の頑なさを表し、律法を無視する時代の方がよほど長かったが、それはやがてバビロン捕囚という契約の破綻を刈り取ることなったのである。

つまり、モーセの律法契約という教条に従わせる崇拝方式は、イスラエルにアブラハムの嫡出子を産み出させることには遂に関わらなかった。これはまったく明白である。それゆえにもバプテストのヨハネが『神は、石からでもアブラハムの裔は興され得る』と、また『籾殻は焼き払われる』と警告していたのではなかったか。(マタイ3:9-12)

イザヤはそれを評してこのように言っている『女の出産の時が近づき、陣痛の重き苦しみに叫ぶ如く。YHWHよ、我らも同じく成りたり。我らも孕み陣痛を覚えたれど、恰も風を産むに似たり。我らはこの地に救いをもたらすことなく、この地に民の生まれ出ることも無し。』(イザヤ26:17-18)

そして後の世代のメシアの到来に際しても、イスラエルの体制は遂に真の意味での「アブラハムの裔」を産み出すことはなく、むしろユダヤ人のメシア拒絶は決定的にモーセの制度を終わらせた。(ルカ13:34)

しかし、ユダヤ人の少数の人々だけはイエスをメシアとして受け入れ『新しい契約』に与り、『水と霊から』新たな誕生を得て、キリストを通し『神の子』として遂に産み出されたのであった。彼らこそはアブラハムに約束された『諸国民の光』、『神の特別な所有に帰する民』となる人々であった。(ヨハネ3:5)

使徒パウロは、神の約束によりアブラハムの正妻サラの産んだひとり子イサクが真のアブラハムの裔であり、またローマ書では、これに相当する聖霊の賜物を受けたキリストの弟子ら、即ち『聖徒』たちもイサクのような隷属にない『家の子』となったと云うのである。まさに彼らの母はサラと言える。(ローマ8:14-15)

イエスは弟子たちにこう語ったものである。『奴隷はいつまでも家にいるわけではないが*。しかし、息子はいつまでも(家に)留まる。それでもし、(家の)息子があなたがたを(奴隷身分から請戻し)自由にするなら、あなたがたはまことに自由人となれるのだ。』(ヨハネ8:35-36)*(律法での奴隷の年季は最長七年)

つまり神から見て、人々は何時かは寿命を迎え去ってゆく奴隷状態のようである。しかし、神の御子は家の子であって奴隷のように去るべき理由をもたない。そのキリストが自身の血をもって彼らを奴隷状態から請け戻して解放し、自由人の身分を与えるなら、奴隷であった彼らも家の子の立場を得て『神の子』とされ、家から去る必要のない永生に入ることができる。

まさしく、キリストの犠牲によって買取られ、パンとぶどう酒に与る聖なる者たちは、神の選民となって人類の初穂として刈り取られ、人類に先立って『神の子』となるのである。(ローマ8章)

これは大きな転換であり、聖霊の賜物の下賜という奇跡の産みだした真のアブラハムの裔をパウロは『神のイスラエル』と呼ぶのであった。(ガラテア6:18)
こうして奴隷ではない家の女、象徴的正妻サラは多くの子らに恵まれることになる。それはアブラハムに約された星の数のように多いその裔の誕生である。

そこで使徒ペテロも、新しい契約を守る当時の『聖なる者』らに向かってこう言うのであった。
『あなたがたも、サラの子ら(テクナ)となるのである。何事にも恐れて怯えることなく善を行うならば。』(ペテロ第一3:6)



-◆終わりの日の聖霊--------
 

シュメール王朝期という人類史の初期からアブラハムとその裔に啓示され、神の力によって推し進められたきた偉大な経綸は何と息の永い生命力を持つものであろうか。
それはまさしく『とこしえからとこしえに亘る』という神の足取り、『死ぬことのない』神の息吹を感じさせる。

この神の御旨を蔑ろにしてよいわけもないし、神も新しい契約によって人々から『聖なる国民、王なる祭司』を買取り『神の王国』に入れる格別な民とすることには慎重であっても当然ではないか。

実際、血統上のイスラエル民族の多くはメシアに信仰を示さず、ユダヤ体制としてはイエスを刑死に追い込むことにおいて、はっきりとメシア拒絶を提示したのである。
一方、信仰を示してアブラハムの真の裔であることを示したユダヤ人は、イエスを紛うことないメシアとして信仰を示した僅かな数の弟子たちだけであり、神は彼らに聖霊を注いで信仰深いアブラハムに相応しい真の裔としたのである。(ローマ9:27-28)

これら『神のイスラエル』とも呼ばれるアブラハムの真の裔はメシア=キリストとの関係において、神から聖なる者となるよう選ばれた。したがって、それは神の選びであってもイエスがこれらの聖なる者たちを召し出すことにおいては、選ぶ権限を受けたことになるだろう。イエス自身が集めた者らについて『あなたが与えて下さった者ら』と呼んでいる。(ヨハネ10:27-29/エフェソス1:4/テサロニケ第一1:4)

帰天後の主イエスは、使徒らや初代の弟子たちに次々に神からの聖霊を注いで任命を施していった。
しかし、ひとつの世代が過ぎ行くほどの年月が経過すると、最後の使徒ヨハネも高齢に達して眠りに就き、初代の弟子たちもが墓に埋葬されるに従い、この初代の弟子らがまったく去ると、もはや地上に聖霊を注がれた者「聖なる者」は残されなかった。つまりキリスト自身が『王権を得るための旅に出立し』不在となった以上、そのとき以降、今日まで聖霊によるキリストの指導も中断されている。(ルカ19:12)


聖霊の奇跡の賜物を持つ者たちの数は、第二世紀の半ばにはほとんど絶え果てたように複数の資料が指し示している。また、第五世紀のアウグスティヌスすらもが、聖霊を持つ「聖人」とされる人々がこの時期に居なくなったことを認めている。

しかし、キリストが天から聖なる者たちを指導する聖霊の時代が終わる前に、イエスは使徒ヨハネに聖書巻末の預言の書「黙示録」の霊感を与え、永い不在の時代を一気に飛び越して終わりの日に関する啓示を記させた。それは十二使徒の中で最後に残ったヨハネに、自らの帰還に際して起こる事柄を伝えるという意義があり、再び聖霊を受ける弟子が現れることを知らせるものとなっている。

イエスは常々、ある者らが王や高官の前に引っ立てられるが、そこで彼らは聖霊によって語り、その言葉には誰も論駁ができないという事態が起こることを教えていた。それは為政者たちへの証しとなるだけでなく、広く諸国民もそれを聞いて同じく証しを得るためであるという。

キリストを罵倒する者でさえ許されるとイエスは言うのだが、他方で聖霊を冒涜する者にはけっして許しが無いと警告する。つまり聖霊を受けた「聖なる者」らによって世界に伝えられる聖霊の言葉にすら冒涜を加えるなら、それは永遠の裁きを被るのであり、その時は、即ち人類の「裁きの日」となるのである。

今の時点では、聖霊を注がれる者が誰なのかは分からない。しかしこれら聖霊を注がれた者らは、ひとりふたりと徐々に現れるのではなく、イエス刑死後の五旬節で弟子らに一期に聖霊が注がれ、エルサレムの街角に隠れ棲んでいた彼らが、一転して敢然とユダヤ人への宣教へと向かっていったように、将来も一時に聖なる民が現れるのであろう。

イザヤはこう言う。『地が一日のうちに陣痛と共に産み出されるだろうか。国民が一時に生まれるだろうか。というのもシオンに陣痛が起こって、子らを出産したのである。』(イザヤ66:8)

それゆえ、将来のそのときに至れば、聖霊が新しい契約を根拠に『聖なる国民、王なる祭司』の民を再び地上に産み出すことになり、その聖なる者たち即ち「聖徒」について、彼らを世が受け入れるか否かが次いで問われることになるだろう。
聖徒らの語る事柄は『神の王国』がその王となるべき方の臨在と共に到来していること、そこでこの王国に支配を明け渡すべく、為政者がその支配権を終えるように要求することになるだろう。つまり現実の支配権を争うことであるに相違ない。

それは、『神の王国』が人の心の中に在ると教えられてきた信者たち、また、信徒の努力によってこの世を改善して王国が達成されると考えてきた人々にとっては、衝撃を与えることになるだろうが、それでも聖霊の発言を信じて思いを改める機会は開かれている。誰でも謙虚に聖霊の声を聞き、心を頑なにせず、人の義を去って神を義を求め柔和になれるならけっして遅くはないであろう。

預言者ゼファニアはこう語っている。『神の定めを行うこの地のすべての謙遜なる者よ!YHWHを尋ね求め、義を求め、柔和を求めよ。そうすれば、あるいはYHWHの怒りの日に隠されるであろう。』(ゼファニア2:3)
また、使徒パウロは詩篇95篇から引用し『きょう、もしその方の御声を聞くなら、御怒りを惹き起こした時のように、心を頑なにしてはならない。』と言う。(ヘブル4:7)

将来に聖霊が語るとき、それを我々個人はどのように受け取るだろうか。イスラエル民族は神の言葉に逆らい続けたので神から『うなじの硬い民』と呼ばれたが、その心の頑なさは遂にメシアを拒絶するところまで進んでいったではないか。(出埃33:3)

そこには様々な動機があったろうが、イエスが多くの奇跡を行い、多くの抗弁不能の言葉を語るほどに、彼らは反発を強め敵意を募らせた。そこでは彼らの内心にあるものが焙り出されたと言ってよいであろう。つまり聖霊への態度によって裁かれたのである。イエスはこう語っている。

『わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。

誰も行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。』(ヨハネ 15:22-24)


同様にして、将来の裁きの日においてキリストの弟子の幾らかに注がれる聖霊が、人々を分かつ働きを為すであろう。その裁きは人の内心にあるものを焙り出し、かつてのように一人一人の行いによって自らの内面を明らかにするものとなるのだろう。



-◆将来のサラの出産-----
 

しかし、これらの事柄は本当に起こると言える理由があるだろうか。
「聖霊の賜物」を見ることが無くなって既に千九百年になろうとしている今日、ほとんどの人々は「聖徒」の概念すら霞んでしまっており、世を激震させるとまで云われる彼らの重要性はまず理解されていない。

キリスト教界は救世主としてキリストを看做すよりは、いつでも寄り添ってくれるコンパニオンのような慰め手、あるいはありがたい成功をもたらす個人の人生の導き主、また自分と親しい者の救いを確約してくれる神としていないだろうか。

このように自分に都合よく信じようとする如き、まるで公共善の大志を理解しない人々にとっては、聖書中に見られる人類救済の神の手段であるキリストとその王国の民「アブラハムの裔」は云わば余計なものとすら感じられるかもしれない。それもまた、信仰というその人の倫理上の決定であるから仕方のないことではある。

しかし、聖書を見るなら旧約の「預言者たち」、とくにイザヤには、自分たちの神に一心に聴かず、信仰を持たず、御旨を理解しないで心を頑なにしたイスラエルの民がバビロン捕囚という契約破局の結末に陥ることを警告していたのである。

そして、捕囚後には、その惨めな状態から神のみ力によって呼び出され、約束の地に戻って崇拝を回復するという事態の進展を預言され、それが女による出産と例えられてもいる。これは具体的には何を意味するのだろうか。

この件を預言者イザヤはこう語る。『「子を産まなかった不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らなかった女よ。歓喜の歌声をあげて喜び叫べ。夫なき女の子らは、夫ある女の子らより多いからだ」とYHWHは仰せられる。』(イザヤ54:1)

サラが不妊であったにも関わらず神の約束によって奇跡的にひとり子イサクを授かったが、天の星の数のようになってゆくと約束されていたが、実に象徴のサラの子らは聖霊の奇跡によって生み出されたのである。

そしてバビロン捕囚期にはエルサレム(女性名詞)は荒れ果て、神殿も失って恰も『夫のような所有者』を失ったかのようであった。これはキリストが不在となり聖霊の賜物も引き上げられた今日のキリスト教界に似てはいないだろうか。

しかし、新バビロニア帝国がペルシアに倒されると、荒れ果てたエルサレムのあるシオンの山は捕囚から帰還した人々を迎えて、ひと時に自分の民を得ることになった。

その回復の時についてイザヤは次のようにも語るのである
『その時あなた(シオン[女性名詞])は心のうちに言う、「誰がわたしのためにこれらの子らの父となってくれたのか。わたしは子を亡くした不妊の女。わたしは流刑にされ、捕われた者となった。誰がこれらの子らを育ててくれたのか。見よ、わたしはひとり残されていたのに。これらの子らはどこから来たのか」と。』(イザヤ49:21)

これは許された民の帰還であり、彼らは神殿を再建して崇拝を復興し、エルサレムの城壁を建て直してシオンの山上には再び神殿を戴く城市エルサレムが築かれることの預言であった。

この変化について神はこう述べている『「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その懲役は終わり、その咎は支払われた。彼女のすべての罪と引き替えに二倍(充分)のものをYHWHの手から受けたと。」』(イザヤ40:1-2)

『漲る怒りによって、しばらくの間はわたしの顔をあなたから覆い隠した。しかし、永遠に変わらぬ忠節をもって、あなたを慰める」とあなたを買い戻す方YHWHは仰せられる。』(イザヤ54:8)

また、このようにも告げられる『イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。わたしはあなたの違犯を霧によるかのように、あなたの罪を雲によるかのように洗い去る。わたしの許へ帰れ、わたしはあなたを買い戻すからである。』(イザヤ44:21)

こうしてバビロン捕囚という懲役を果たした神の民は、一転して神の祝福に入るというのである。
バビロンばかりではなく、地の四方に散らされた十二部族とレヴィ族がエルサレムまたシオンという地所に集まって来るのである。それは象徴的エルサレムを戴くシオン山『上なるエルサレム』であって、地上のどこかを意味しないであろう。

『御厳の主、大いなるYHWHはこう言われる、「見よ、わたしは手を諸々の国に向かって挙げ、旗印を諸々の民にむかって立てる。彼らはその懐にあなたの子らを携え、その肩にあなたの娘たちを載せて来る。』(49:22)

『恐れてはならない。わたしはあなた(シオン)と共に居る。わたしは日の昇る方角からあなたの裔を連れ登る。日の沈む方角からあなたを集める。北に向かって「引き渡せ!」と命じ、南に向かっては「留めるな!わたしの息子らを遠くから、娘らを地の果てから連れ登れ」と宣する。』

これらのシオンの息子や娘とは何者を指すのであろうか。
『わたしの選んだイスラエルよ!・・恐れてはならない・・わたしはあなたの裔にわたしの霊を、あなたの末孫にわたしの祝福を注ぎ出すからである。彼らは青草の中から出るかのように、用水路の畔にあるポプラのように生え出るからである』(イザヤ44:1-5)
神の霊により祝福を受ける者ら、それは聖霊を受けたキリストの弟子たち、つまり聖徒以外の誰に適用すべきだろう。

こうして、我々はバビロン捕囚からの帰還と崇拝の復興に関する預言が、単にその時代を一度限り予告したものではないことを知ることができる。

それは即ち、イエスの刑死後の五旬節の日に初めて聖霊を受け、神の子として義の内に受け入れられた弟子たちが、「新しい契約」によって水と霊から産み出されたその時をも含んでおり、更には我々の将来に起こる聖霊の再降下の日に生ずる「回復」をも指し示していると言えるのである。


今日のキリスト教界は「回復」を必要とはしていないだろうか。
初代と共に、聖霊の降下が終息して以降、キリストは王権拝受の旅に出立し、キリスト教は上からの指導のない状態に入っているが、教えは異教や哲学や無神論と混濁しており、信徒は信仰を要するこうした神の企図の大構造に関心も持たないように見える。

それは恰も神が『み顔を覆い隠した』かのようではないだろうか。

だが、こうしたキリスト教の現状に聖霊が再び注がれて聖徒たちが現れるなら、それはアブラハムの正妻サラに象徴される「新しい契約」が再び子を産み始めることであり、またその子らがこぞって捕囚から帰還するかのように一斉にエルサレムに姿を現すかのようになろう。「シオンの子ら」には奇跡の賜物が備わり、それが誰かを疑わせることはない。

もちろん、その聖なる子らがもはや汚れに塗れることはない。かつて捕囚から帰還するユダヤ人に神殿の祭具が返還され、バビロンから約束の地への帰途に就くときに関して預言された次の言葉は、未だに最終的な成就を待っていよう。
『去れ、去れ、そこを出よ、汚れた物に一切触れるな。その中を出よ、YHWHの聖具を担う者らよ、自らを清く保つべく留意せよ。』(イザヤ52:11)

聖霊を受ける者たちには神の教えの全体が啓示され、もはや異教的で蒙昧なキリスト教に留まる必要は何もないに違いない。そこには聖霊の教えがある以上、キリストを求める様々な者たちが一心に願ってきた神の是認の元にある間違いなく真実な教え、それが再び存在することになるであろう。

このキリスト教の「回復」またシオンの「慰め」(ナハムー)を主導するのは、エキュメニカル運動でもメシアニック・ジューでも、どんな人間の努力でもなく、聖霊を与えて諸国民にその合図の手を挙げ旗印を掲げる神ご自身である。

キリスト教徒は、誰もが利己心の芥の付着し、異教の汚れに塗れた「キリスト教界」を去って、捕囚の隷属から買い戻された民のように、新鮮な思いの下に浄められたこの崇拝に入ることを将来に期待できるのである。
サラの象徴である「上なるエルサレム」に向かっては街道が造られ、その道は平らにされ、そこを呼び戻されるシオンの子らが通ると云うのである。

彼ら真実な「聖なる者ら」『神のイスラエル』が聖霊によって生み出されて初めて、我ら諸国民が『神の民と共に喜ぶ』ことができるのである。 (申命記32:43)
それがもたらされるには、将来に聖霊を自在に与えるキリストの臨御を待つ必要がある。

これが具体的にどのように為されるかは未だ分からないが、イザヤ書などの「回復の預言」が既に充分にユダヤに起こったとは言い難い。
サラの子らの出産が、サラ自身にとっても意外な事態の進展であることが示唆されていることからすると、それを観察するすべての人にとっても驚くべき現れとなるのであろう。

この「子らの出産」また「回復」は、確かなアブラハムの裔である真のイスラエル、水と霊から産み出された象徴的正妻サラの子らを迎えることであり、遥かな歴史を越えて悠然と進む超越者の足取りを感じさせずにはおかない偉大にして絶えることのない生ける神の御旨である。






          新十四日派    © 林 義平
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賃金の例え話 後の者は先に、先の者は後に




イエスの「賃金」の例え話はマタイ福音書二十章のはじめから読むことができる。
以前にもぶどう園の悪い耕作人たちの例え話に触れたが、ここでもぶどう園のオーナーと作業する者たちが登場する。

初夏を迎え、ぶどうが取り入れの時期になったので、オーナーは収穫作業のために人々を一日一デナリウスの賃金で雇い入れる。しかし人手不足なので午前九時ころに公共広場に行き、その日に仕事がない男たちをも日雇いにして自分のぶどう園に追加の労働力として送り込んだ。

しかし、相当な豊作だったのか昼頃にも同じように人手を増強して、さらに二回、つまり合計四回人手を送込んだ。そのため、朝からの者らの労働は十二時間にも達していたが、最後にぶどう園に着いた者たちは、わずか一時間働いたのみであった。

こうして夕刻になると、オーナーは最後の者から始めてどの者にも同じく一デナリウスを支払った。そこで収まらないのが最初から働いた者たちである。オーナーに向かって『最後の者たちは一時間働いただけなのに、あなたは日がな一日の炎暑と労苦とを耐えたわたしたちを等しくした』。(マタイ20:12)もっともな主張ではある。

だが、これは適正な労働賃金について説明する話ではない。オーナーの答えは『同胞よ、わたしはあなたに不正をしていない。あなたはわたしと一デナリウスで合意したではないか。自分の分を取って行くがよい。わたしは、この最後の者にもあなたと同じに与えたいのだ。わたしが自分の物をしたいように使うのは当然ではないか。それとも、わたしの気前よさが、あなたの目には悪く見えるのか』。というものであった。

-◆足りない選民「イスラエル」への異邦人の補充---------------------

イスラエルの歴史は非常に長い。
我々は彼らの父祖アブラハムへの約束やモーセの律法が与えられてからのこの民族の歴史をかいつまんでみて来た。彼らの不従順が原因とはいえ、その歴史は苦難の連続であった。
彼らはまる一日の労苦と暑さを辛抱した最初からの労働者のようである。

対照的に、コルネリオのような割礼も受けず正しくユダヤ教に改宗もしていないまったくの異邦人はどうであろう。ユダヤ人がやっとの思いで辿り着いたメシアと聖霊に一足飛びに預かってしまった。いまや彼らは「諸国民の光」となるべきアブラハムの遺産を受け継ごうとまでしているのである。

しかし、ユダヤ人のイエス派信徒の大半はトーラーの教えから脱却するのに手間取り、異邦人信徒のように身軽にイエスの新しい教えに合わせることはできなかった。キリスト後も使徒たちは依然としてエルサレムの神殿を中心に活動しており、エルサレム倒壊以前に新たな見方をはっきりと培っていたのは、異邦人への鍵を開いたペテロと、新たな使徒パウロなどの少人数のように聖書は読める。

西暦60年代に入るころになっても、ユダヤのイエス派信徒は数万いたとあるが、それは全体からすれば僅かな数である。おそらくは十分の一以下はもちろん、ユダヤ人と名の付く人々の百分の一にもならなかったかも知れない。イエスをメシアと認めた少数派の彼らは敬虔なユダヤ教徒でもあった。だが、当時のイエス派ではペテロやパウロの活動に明らかなように、異邦人による選民への補充というイエスの意図は同時進行している最中であった。
しかし、「異邦人は汚れたもの」という律法的思考をユダヤ人はそう易々と変えることはできない。まして現状で律法の規定に従う生活をしていれば、それは無理といっても過言ではないだろう。

だが、こうして我々は、イエスがユダヤの律法体制の『囲い』にはいなかった『この囲いのものでない』羊を連れてくるということ(ヨハネ10章)に関して、この譬えの最後の言葉『後の者は先になり、先の者は後になる。』(マタイ20:16)という例え話を締め括るこの言葉が現実性を帯びるのを見る。

この「賃金の例え」は、直接にはイエスの言葉を聞く使徒たちへ向けた警告となり得た。彼らはユダヤ人であり、彼らがこの例え話を仲間のユダヤ人信徒に言い伝えることで、間接的に同胞のイエス派信徒たちにも遺産相続を異邦人にも許す覚悟を固めさせる効果もあったろう。

つまり、キリスト以後「異邦人の罪人」までもがアブラハムからの相続権を得たとしても、ユダヤ人たちが不公正に受け取ったり、嫉妬しないためである。

これが語られたのはイエスの刑死が近づいた春先で、主を含む一行がエルサレムへの最後の登城をする旅程の中にあった。

すでにユダヤでは、祭司長派によって体制としてナザレのイエスを退ける算段が進んでおり、メシアを信仰の内に捉えるのはユダヤ体制の全体ではなく、僅かな「イスラエルの残りの者」だけであることは確定的であったから、アブラハムの相続財産を受ける『王国』を構成するにはユダヤ人だけでは不足すること、そしてその補充のために異邦人でイエスをメシアとして信じる者らを、その血統によらず信仰によって真のアブラハムの胤として集め出し、『メシアの王国』「神のイスラエル」を実現させる必要はもはや動かしがたい現実として眼前に迫っていたのであった。

後に使徒パウロは、この補充について果樹園のオリーブの樹の接木の例えを用いて説明している。(ローマ11:13-)イスラエルというオリーブの樹に実を結ばせるために本来の枝は折り取られ、異邦人という野生ながら良好な枝が接木されて、イスラエルの樹全体が満たされ「数が揃う」と言っている。(一定数であり無制限ではない⇒「聖霊と聖徒」)

しかし、そこではユダヤ人と異邦人という二つの群れが生じる事態をすべての弟子は乗り越える必要があり、これは後にエルサレム使徒会議を要請し、イエスの弟ヤコブの寛容な裁可を以って、当時には律法に従い続けるユダヤ人イエス派と、律法の頚木を負わない異邦人イエス派とがそれぞれ共栄する道が開かれたのであった。(エルサレム会議のヤコブ

しかし、それでもユダヤ優等主義はエクレシアからは絶えず、使徒パウロは生涯を通してこれと戦い、これによって逮捕投獄され、これのためにローマに送られてもいるのである。

それで、このイエスの「賃金の例え」に見るように、ユダヤ人の永い歴史に亘る神の経綸との関わりが、遺産相続における代価の受け取りに反映されていない、また不公正であると、初めからの労働者たちに相当するユダヤ人らが見做されることは無理からぬものであろう。それゆえにも、イエスはこの例えを話しておくことにしたのであろう。

あのシャヴオートの日には、祭りに登っていたユダヤ人に「聖霊」を通して遺産相続が約束されたのだが、その日から遠からず使徒ペテロの活動を契機にサマレイア、そしてまったくの異邦人たるローマ人へとアブラハムからの相続権が聖霊の降下と共に広げられていったことは、ユダヤのイエス派信徒に少なからぬ動揺をもたらしたであろう。(使徒11:1-2)

ユダヤの優等性を図りたいユダヤ人が異邦人のイエス派信徒に向かって、ユダヤ教への改宗者のように割礼を受けるべきだと主張したとしても想像の難しいことではない。(使徒15:1)
彼らにとってメシアを受け容れるということはユダヤ教の完成を意味したのであり、実質的に「古いぶどう酒は旨い」と言っていたに等しい彼らは、後のキリスト教という世界宗教への脱皮を果たすことなどは概念すらも持たない。(ルカ5:39)

ただ、彼らとて神意である天からの聖霊の導くままに任せるより他無かったが、その聖霊は無割礼のままの異邦人にも向かっていったのである。確かに、賃金の支払い方としては公正とは言えないだろうが、そこでは神の選んだ国民(出埃19:6)の不足が、真のアブラハムの後裔「神のイスラエル」の数を満たす必要をして、ぶどう園のオーナーに「気前のよさ」をもって振舞わせたのである。つまりは、『働き人』の不足がもたらした事態なのである。

明らかに、キリストが去ろうとするこの段階で、ユダヤの不信仰による「人手不足」は深刻なほどであった。
それはつまり、『神の王国』『聖なる民』となるべき都市国家「聖なるエルサレム」を構成するべきユダヤ人が少な過ぎ、当時のユダヤ体制はメシアを拒絶し、招かれていたのに『結婚式には行けない』と言ったのであった。(マタイ22:1-10)

この件がはっきりとした段階での、「賃金の例え」を語っていたイエスの意志は、聖霊の活動によって「神のイスラエル」の信仰ある異邦人を採用しての補充へと動き、民族的国家教から世界宗教への方向性を明示し、それは誰も抗い得ない神の経綸となった。

こうしてアブラハムに語られた、人類全体を祝す手立て『神の王国』、キリストを主要な王また大祭司とする人類救済の『天の王国』が、ユダヤ人の不信仰と失敗を乗り越え実現へと向かう道を進み始めたのである。




                     新十四日派    © 林 義平
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以上は拙著「神YHWHの経綸」中巻からのダイジェスト

関連記事
ユダヤ人と異邦人のイエス派信徒を共栄を目指した
エルサレム会議のヤコブ


契約の箱 アーロン ハ ヴリート


 イスラエルがエジプトを出て二年目、彼らを奴隷状態から請け戻した神、YHWH*を崇拝するための取り決めがシナイ山麓の荒野で確立されようとしていた。
*(【יהוה】今日、誰もこの聖なる神名を読めないので相当英字YHWHで記す)

 それは民の罪を贖う祭祀を行うための祭壇や什器と天幕の製作であったが、最も聖なるものであったのが「契約の箱」
アーロン ハ ヴリート【 ארון  הברית  】であった。

 アカシア材で箱が作られ、それには金が被せられていた。
設置のためのアールが施された脚が四隅にあり、運搬のために二本の担ぎ棒が同じく金を被せられ、脚の上の金の輪を通すように作られた。箱の大きさは長さが1メートルと少し、幅と高さは70センチ足らずであり、そう大きなものではない。しかし、これが天幕での崇拝の中心を成したのである。

 これら聖なる物品を運ぶのを許されたのは、出エジプトの晩の子羊を以って神に買い取られたレヴィ族の祭司だけであった。(民数記3:45/4:4/8:16-19)
 移動の際、彼らは二本の棒を手に持つのではなく、神輿のように肩に担ぐよう命じられたが、衆人が見ることのないようにと、移動時には、安置された天幕部屋の仕切りの青幕をそのまま用いて箱が覆われ、そのうえにジュゴン(アザラシ?)の皮の覆いを重ねられたのである。

 こうして、この箱は移動するときも人目を避けたが、それは人間という罪あるものが神の栄光をうっかり目視して落命しない為である。

この聖なる箱は、安置されるときも人目はおろか祭司らの目にもつくこともなく、明かりも無い天幕の奥の部屋にあった。モ-セがこの神を「暗きに住む方」と呼んだ背景にはこれがあったのであろう。

それは「証しの箱」とも呼ばれる。
何の証しかといえば、イスラエル民族が、モーセを仲介者として神との律法契約を結んだ関係にあることの証拠である。

天地万物を創造した神がイスラエルという一民族に帯同する根拠は契約契約にあり、それを最も端的に証すのが律法の最初の十か条が刻まれた二枚の石板といえるだろう。
石の板は大きさにもよるが重さも軽くはなかったろうから、それを納める箱も頑丈なものであったに違いない。

加えて、荒野でイスラエルが神に日々養われた証しとして「マナ」を入れた金の壷、そして、神に近づき祭祀を行う特権がアロンの家系にあることを証すアーモンドの花が咲いた杖が箱に入れられた。

これらの証拠の品々が箱に入れられ、その箱は神YHWHに過越しの子羊を以って買い取られたレヴィ族の祭司らの肩に担がれて移動し、天幕が張られると奥の至聖所に律法の巻物と共にセットで安置され、それらは「律法と証し」とも呼ばれた。(申命記31:26/イザヤ8:20)
即ち、契約条文と御璽という役割である。

殊に、約束の地で最初に占領することになるエリコ城市に対しては、神がイスラエルに加勢することが明示されるかのように、契約の箱はショーファール(羊角笛)の吹奏される中、七日間その城壁の周囲をレヴィ族の祭司らの肩にあってイスラエルの将兵と伴に周回し、その後、堅固なエリコの城壁も人手によらず崩れ落ちている。(ヨシュア6章)


契約の箱がこのように扱われたのは、神がイスラエルと共にあって戦ったこと、そこに契約があることを印象付けたことであろう。これはモーセの時代にも示されていたことであった。彼は契約の箱が移動を始めるときには『YHWHよ、立ち上がり給え。御身の敵の散らされんため・・』と言い、至聖所に安置されるときには『帰り給え、イスラエルの千万(ちよろず)の元へ』と言った。(民数10:35-36)

しかし、イスラエルへの神の随伴は契約の履行あればこそのものであり、彼らといえど、神の前には罪ある死すべき人間であることには変わりはない。
 そのことを知らしめるのは、その箱を一瞬であっても見た者は死に至ると警告されていたことであろう。
 アダムの子らは神の聖さに到底達しないからである。人間は神との間に魂(血)の犠牲を挟んではじめて一定の交渉が許されるのみである。そのことを象徴するのが神の要求した動物の犠牲であったことは律法に見る通りである。

また、イスラエルが律法の履行を怠ったり、神YHWHの崇拝の聖さを損なったりしている間はそこに契約の違反があり、この箱を担ぎ出したからとて神は彼らに随伴することはなかったとしてもそこに神の側に責はない。(申命記28章)



-◆「証し」の誤用--------------------

その顕著な例が、士師時代の大祭司エリのときに起こった。
彼のふたりの息子は神の崇拝のための天幕での奉仕において、恣意的で貪欲であった。これを神が悦納されるはずもなく、このふたりの息子が死んで契約の箱も異邦人に奪われることが予告されていたのであるが、地中海の海沿いに住むフィリスティア民族との戦いに難渋していたイスラエルの軍は契約の箱を陣営に招きいれることでエリコのときのような勝利を得ようと考えたのであろう。

だが、「イスラエルの聖なる方」YHWH神の崇拝は大祭司の息子らによって既に汚されており、神の同行は望めない状況にあったのである。
それでも、大祭司の息子ふたりに伴われて契約の箱が陣中に入ると、イスラエル軍はあたかも既に勝利したかのように歓声をあげ、その騒ぎを聞きつけた敵軍は動揺し、却って決死の覚悟を固めたのであった。


 もちろん、神の神聖さを蔑ろにしている民族を契約の神が助けはしない。慢心するイスラエルはフィリスティアの前に打ち破られ、大祭司の息子はふたりとも死に、契約の箱すらも敵の手に渡ったのであった。

 しかし、神YHWHは自らの聖さについて譲ることなどはけっしてない。まことの神は神でなくてはならぬ。(イザヤ48:11)
契約の箱はこの神の臨御を表すものでもあったから、この箱の処遇に対してYHWHは行動する。


 フィリスティアはイスラエルからの分捕り物である箱を喜び、彼らの神ダゴンの神殿に奉納したが、これは大いに後悔することになる。
 朝になって見ると、ダゴン神の偶像はYHWH神の箱の前に倒れており、その翌朝もそうであった。しかも、二度目にはフィリスティアの主神ダゴンの首と手が外れてしまっていたのである。
 ここにおいて、「我が栄光を偶像に与えない」と宣言する神YHWHの優位性が示され、その名はエジプト以来、再び高く挙げられたのである。(イザヤ42:8)

 それだけではない、フィリスティア全土を痔の疾患が襲った。かつてイスラエルの神がエジプトで行ったことを恐れる彼らは、災厄の継続を恐れて契約の箱を返還することにする。
誰にも御されない二頭の牝牛の進むままに箱を載せた車はユダの山地に向かって進み、シェフェラの台地に登って、ついにベトシェメシュの街に着き、箱はそこに留まったが、こうして契約の箱は「自力で」イスラエルへと戻って来たのであった。
しかし、YHWHはその地のイスラエルの民を打って死に至らしめたのである。それは箱を直に見てはならぬという律法の戒めの違反が生じたからであった。戦闘での箱の扱いからすれば、不敬なこともしたのであろう。(以上サムエル第一16章)(ベトシェメシュの住民は、覆いを外して中を見聞したのだろうか?)

 この一連の出来事は、神YHWHの変わらぬひとつの姿勢を明らかにしている。
 即ち、至高の神の持つ聖性さの不可侵である。
 当時のイスラエルは神の臨御を勝利の護符のように利用しようとしたのだが、彼らは明らかに神からの観点を欠いていた。「イスラエルの聖なる方」を自分の益のために用いようと、その聖さを地に引き下ろそうとしたのである。



-◆奇跡のシェキーナー光--------------------

 時は過ぎ、ダヴィデ王朝の時代に契約の箱はモーセ以来の会見の天幕からソロモン建立のエルサレム神殿へと移った。
 神殿内の奥の部屋、「至聖所」(ハ コーデーシュ ハ コダーシム)に覆いを外して安置される。

 そこでは、天幕のときのように箱の上に雲が現われ、臨御を示す奇跡の光が宿り、明り取りの窓も燭台もないその部屋を照らしていたであろう。それゆえ神殿を建立したソロモンは、『YHWHは濃密な暗闇に住まう』と神殿奉献のときに述べている。(列王第一8:12)
 年に一度、贖罪の日(ヨム・キプル)の儀式のために至聖所に入る大祭司は、この臨御光の明かりによらなければ充分な祭祀を行うことはできなかったに違いない。その大祭司も、至聖所を香の煙で満たすことで神の前から生還する道筋をつける必要があった。そのときの大祭司の緊張はどれほどであったことか。(レヴィ16:2・12-13)

 大祭司は年に一度、契約の箱の前に携えた牛の血を指先ではね落とすが、それを以って自分自身と同族レヴィの祭司たち、そして最後にイスラエルの民の贖罪を行うのである。従って、『贖罪』つまり罪を赦されるために、この箱は至聖所と共にモーセの幕屋の時代から必要不可欠であった。 

 その臨御を表す奇跡の光(シェキーナー*)は、箱の蓋の上方に現われたというが、この箱の蓋については格別である。(*שכינה「臨御」を意味するアラム語でユダヤ人にはそう呼ばれたが聖書中には使用されていない)

 箱はアカシアの材木で作られ、金が被せられていたが、その蓋そのものはすべてが金そのもので作られた重いものである。その重さは箱を簡単に開けることのないよう守るものであったろう。

 その蓋が「宥めの蓋い」(ヘブライ語 כפרת 「カッポーレト」の「宥め」と「蓋い」との重なる意をかけた呼び名)と呼ばれたからには、原罪ある人間に対して至聖なる神が怒気を発し滅ぼすことのないよう防ぐ働きがあったであろう。年に一度のヨム・キプルの贖罪の血はこの「宥めの蓋い」の前に振りかけられた。それを以って神は宥めを受け入れたのであったが、後代、この宥めはキリストの血によってまったく満たされることになる。

 箱にはやはり金の翼天使ケルヴが打ち金細工で二体作られており、それぞれは向かい合い、且つ顔を下げて中央に向かって翼を広げていたが、その双方の差し伸べられた翼の先端上方に雲が現われるときは、その中に臨御の光が宿っていたという。


 箱やケルヴィムは人間の作ったものながら、この臨御の光は超自然の現象であり、確かに神YHWHは偶像の神のように背光の彫刻を人間に作ってもらう必要のない「生ける神」である。(レヴィ16:2)

 神YHWHはその雲の光から話しかけ、モーセや大祭司に応じた。(レヴィ7:89)
 ヒゼキヤ王が「ケルヴィムの上に座する方よ」とYHWHに呼びかけたときには、至聖所に入らなかったにせよ、おそらくこの箱に向かって国の危機を訴えていたのであろう。
神はそれに答えて、アッシリアの大軍を一晩で壊滅させている。(列王第二19章/イザヤ49:8)

 こうした全能神の一民族への帯同は、箱の中に在って「証を成す」石板に象徴される「契約」の上にはじめて成り立つ。それは至高の神が特定の民族や人に許した関係であり会見であった。(出エジプト24:11)



-◆「証し」の行方-------------------------

 しばらくして、アブラハムの嫡流は分裂し、北のイスラエルと南のユダの二国家となってしまい、ユダにおいても契約は軽んじられ、神の聖性についても顧みられることはなくなってゆく。

 旧約聖書で最後に箱が言及されるのはユダの最後の善良な王ヨシアの時代であった。
彼の先代の諸王がYHWHへの崇拝を意に介さないばかりか、異教の偶像をさえ神殿に持ち込んでいた時代の後に、このヨシア王が立ってユダ王国をYHWHの崇拝に戻そうと努力を始めたところ、箱と共にされていた筈のモーセの律法の巻物が発見されたのである。

 巻物の内容が明かされると、イスラエルの民が如何に律法を破ってきたかにヨシア王は愕然とする。彼は直ちに祭り(過越し)を国中に布告し、清めた神殿に箱を再び安置するのであった。これが聖書中で箱が地上にあることを確認できる最後となった。(歴代第二34章)

しかし、風雲は急を告げていた。
YHWHはイスラエル民族の律法不履行のゆえに、契約解消の決意はもはや翻ることはなかったのである。
押し寄せる「黒雲」である大王ネブカドネザルと新バビロニアの獰猛な兵士にユダとエルサレムを罰することを固く思い定めていた。だが、それは「イスラエル」と名の付く民をまったく捨て去るものではない。神YHWHはその「友」アブラハムへの約束を血統によらない「イスラエル」を通して果たすであろう。(ガラテア6:16)

 やがて、ユダとエルサレムは攻撃を受けて、聖都も神殿も破壊され、神聖な祭祀に用いられる什器類も民と共にバビロンに移されるのだが、その什器類のリストの中に箱が登場しない。
 バビロンの兵が神殿に張られた金まで剥がしたというなら、金で覆われたこの箱を見逃すはずもないであろう。

 そこで考えるのは、イスラエルに頼らず敵中からでも奇跡を起こしつつ自力で戻ってくるような神秘の箱であれば、人間のように身の処し方に困るようなことはない。
神が契約を潰えたものと見做したので、神殿の荒らされるに任せたとしても、自らの威光を汚させないために神が箱を取り去ったということだったのであろう。確かに、証しの箱は他のあらゆる什器にない神の臨御と栄光を表すという極めて特殊な役割を持っていたからである。

 この聖なる箱の行方について、外典によれば箱はエレミヤが洞窟に隠した*ともファラオ・シシャクが持ち去ったともいうが、どちらもその意義は薄い。(*マカバイ第二 2:4-8/また、以下にあるエレミヤ自身の預言3:16と矛盾する)



-◆「証し」のない時代-----------------------

 契約の箱が単なる人間の所有物であるとするなら、それを探すことに理由もあろう。しかし、YHWHが永遠から永遠に生きるという神であるならそうはならない。(詩篇90:2/ハバクク1:12)
イスラエル民族の律法不履行が神の目に決定的になったとき、人が証書を引き上げるように、神はその契約の証しを処分する権限を有したに違いないからである。

 バビロンから帰還した民が第二の神殿を建立して祭祀を復興させるにあたって、彼らは不思議なことに契約の箱の無いことを聖書中に一言も問題として語らない。エレミヤの予告した『民はもはや箱を造らず』の時代の到来を意識したのだろうか。(エレミヤ3:16)
 それは、最初のものに比べれば威光の劣る新しい神殿と共に、彼らの咎がそこに見え、契約の証しを取り上げられたことに何の異議も唱えることができなかったのであろうか?(エズラ3:12)

 ともあれ、エレミヤを通して「新しい契約」が知らされており、帰還以降の民はこれを待っていた。証しの無い時代は彼らに仲介者モーセの契約に代わるメシア=キリストによる契約の到来をより強く期待させることになったであろう。加えて、モーセのような預言者となるという謎の「メシア」へと思いを集中させる作用もあったことであろう。(申命記18:15)

 おそらくは、ヨシア王の死後から聖都陥落の以前のどこかで、神の意志により箱は人手によらずに移され、人の目からは行方不明となったのであろう。そうであればこの箱が地上で発見されることはない。
もし見つかったとなれば、人間はこれを偶像視したり揶揄したり、好奇心に任せて勝手放題なことをこれに行おうとするだろうが、人の手垢などは到底、至高の生ける神の許すところではないであろう。まして、戻そうとの神の意志があったなら第二神殿に帰ったに違いない。


 キリストの近づいた西暦前63年、ローマ軍を率いた将軍ポンペイウス自身が第二神殿の至聖所に騎乗で乗り込んだが、(汚れた)異教徒の将軍は神に打たれることもなく、そこには律法の巻物は見たものの、やはり証しの箱は見なかったという。もし、そこに聖なる箱と臨御の証しの光があったなら、おそらく彼は至聖所から生還しなかったのであろう。(ネヘミヤ6:11)

 イエスが登場した頃のユダヤ人は、証しの無い律法契約の不完全さに先祖の違反の影を見ていた人々も多かったであろう。そのような人々は祭司ゼカリヤの子ヨハネの施す「悔い改めの」バプテスマを受け入れる素地があったと思われるが、他方、「律法と証し」の内の「証し」に相当する「箱」が失われているにも関わらず律法条項の墨守に血道を上げようとする宗教家らの熱心は、イエスを受け入れる柔軟性を失っていた。



-◆新しい契約の証し------------------------

 さて、聖書中で箱が次に登場するのはヨハネ黙示録の一回のみであり、しかも箱は地上にないことが明かされる。
その場面は、神が人類の反対勢力に対して行動を起こすところ、つまり裁きの日に、天の神殿に箱が見えるのである。天の神殿とは、キリストとその共となる十四万四千の真のイスラエルたち全体のことを指すのであれば、その神殿が黙示録の指し示す将来に天で完成し、そこには契約の箱を収めるべき至聖所も存在していることを示す。(黙示録11:19)

 それはモーセの律法契約ではなく、キリストを仲介者とする「新しい契約」に属する「神のイスラエル」に対して生ける至高の神が帯同し、その勝利が間違いないことを証しする目的でも語られているのであろう。
 この戦いにおいて、新たな証したる「聖なる霊」に抵抗する人類の全軍はまったく敗北することになるので、その戦いは「勝敗の顕著な」という意味で「ハルマゲドンの戦い」とされている。それは古代に、箱がイスラエルにもたらした圧倒的な勝利をも上回るものとなるのだろう。(黙示録16:16)

 それゆえ新しい契約にとって箱の有無は問題ではない。
それは『契約の箱を思いに上らせず、惜しみもせず、作ることもない』イスラエルの回復の時代を述べたエレミヤの預言が示すように、それは過去のものとして黙示録に援用されるばかりとなった。(エレミヤ3:16)
しかし、律法が過去のものとなっても、その一点一画は滅びないとされたように、かつてそれに伴った「証し」としての立場を持つ「契約の箱」も、黙示録に現れるように永遠のものとされているのであろう。(マタイ5:18)

 モーセの仲介によってシナイ山麓で締結された律法契約が地的なものであったゆえに、「契約の箱」も地的なもの具象物であったが、新しい契約は天的なものであり、その証しも抽象物となる。それはキリストの弟子らにあって「聖霊」の降下であったと思われる。(使徒2章)

この点、「新しい契約」の証しは「聖餐」という儀式ではなく、明らかに生ける力たる「聖霊」である。
今日、仮に神の是認し帯同する宗派なり組織なりが存在するとしたら、そこには誰にも明らかな、いや圧倒的で驚嘆すべき「聖霊の賜物」が在り、それを以って神の証印が押されているであろう。 ⇒ 『聖霊の賜物』 パルーシアの標識

 その神からの霊の賜物は、彼らが『神のイスラエル』に選ばれ召されたことの仮の証し(約束手形)であったとパウロは書いている。(エフェソス1:13-14/コリント第二5:5)

 証明するものが存在するのは、未確定な事柄があるからであって、律法契約も新しい契約も、それが成就するまでは証明物の存在価値は大きいが、一度、契約が終了するなら、その証は破棄されても記念物とされてもよい。つまり存在は必ずしも要請されない物となる。

 したがって、我々にとって重要なものは「証し」よりもそれが証す契約の実体である。つまり、そこにどんな契約あったのかということであり、それはあらゆる契約においてもそうであろう。

 それでも、「契約の箱」は人々の好奇心を惹起する、ある人はそれを「歴史のロマン」ともいうかも知れない。
 だが、どれほどの人がこのエレメントが証していた神との契約の方に思いを致すのだろうか。

やがて、「契約の箱」に代わる「聖霊」という証しは「新しい契約」と「神のイスラエル」を指し示すことになろう。
その証しのゆえに、我々は神を神とするべき時期がくるだろう。
そこでは好奇心でもロマンでもない、そのとき神聖四文字から遂に明らかにされる聖なる神名への信仰こそが必要となる裁きの日となるであろう。(使徒2:21)



  ⇒ 神名浄化の至上命題 「シェム ハ メフォラーシュ」



                                                                         



             新十四日派  © 林 義平


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契約の箱

歴史書のように読める聖書要約本 



聖書理解の鍵は、まず全体の大枠を把握することに尽きる。


新旧の聖書を一渡りで見回せるよう目指した本!
簡潔ながらユダヤ教とキリストの深い関係性が浮き彫りにされる!


-◆上巻 「アブラハムからユダヤのイエス拒絶まで」 -------

この一冊でアブラハムから始めてキリストまでをコンパクトに収めた。
歴史の上ではエルサレム神殿の滅びまでを扱い、ユダヤ史を聖書全体の観点から俯瞰している。

書中では、読者が聖書をいちいち引かなくてもよいように、聖書中の言葉を出来る限り書き込むようにし、重要な部分や単語には原語や脚注を付した。

聖書の別の場所で関連する箇所や、ヨセフスやクセノフォンなど他の歴史資料を補いつつ、出来事の概要を複数の視点から見られるよう心がけたつもりである。それによって、立体的に聖書歴史を眺めることができるので単なる要約ではない。


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 電子版を発売中¥350 ⇒ amazon
(これらの注文において林義平は何ら個人情報を得ることはない)    

82頁と薄めながら、A5サイズを更に二段に組み、内容を倍程度にすることにより価格を下げるよう努めたつもりではある。

-◆聖書の述べるままに捉えた内容----------------------------

キリスト教の入門書といえば、聖書の陳述に対して「学術的」な説明がなされるものが多いようだ。
現代生活において我々は、確かに専門家の科学的知恵のお世話になるのがごく当然の、そして間違いの無いアプローチとされている。

だが、事が宗教となると、どこまで科学的な物差しが役立つだろう?

科学に掛かれば、聖書中の奇跡はそのように見えただけの錯覚か、象徴的意味があると教えられ、預言の成就も後代の書き加えと語られる。

それは「そんなばかなことが起きるはずは無い」という聖書記述に対する「現代的で洗練されたものの見方」
かも知れず、それらの書物は、こうした「親切」を施して現代人の読者がありのままの聖書記述につまずかぬよう配慮しているかのように見受けられる。そのような「科学的信仰」をどうこう言うセリフもない。

しかし、それでは聖書そのものの言葉に静かに耳を傾けたい人々には、傍らで間断なく鳴り続けるサイレンを聞かされる思いであろう。

そうした人々の数は世の中に少ないのかもしれないが、預言も奇跡も稀釈されずに聖書の語られるままを味わいたいと思う読者にこそ、この「神"YHWH"の経綸」をお読み頂けるなら真に幸いである。

聖書の述べることをそのままに捉えてはじめて、パズルを組み上げるように聖書全巻を貫く企図を汲んでゆくことができ、悠久の時代を貫通する強力な意志が姿を現してくる。

実際、聖書とはこのように只ならぬ本であり、その通りに聖書を単に人の著作とはしない入門書があってもよいであろう。

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「中巻」では、イエス後の使徒の時代にキリスト教が如何に築かれてゆくかを理解する基礎が据えられる。以後キリスト教史を辿って今日の趨勢にまで至る。
(中巻はこちらを)

本書を通して聖書の初心者の方々はもとより、すでにキリスト教徒である方々にも、今一度、聖書全巻からのキリストへの視点を得て頂きたく衷心より願ってやまない。


 



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書中の見出しは以下の通り。

第一章「聖なる国民、王なる祭司」

10 諸国民の父祖           

11 アブラハムの胤          

14 イスラエルの民族移動      

17 律法契約の締結       

18 長男の権による祭司職     

19 律法契約の行方       

20 ダヴィデへの王朝契約    

21 ダヴィデの王都         

22 ソロモンの繁栄        

23 分裂と衰弱           

24 ユダとエルサレムの滅び   

26 イスラエルの回復      

27 巨大城塞都市の油断     

28 神殿と崇拝の復興        

29 苦しみのメシア       

30 新しい契約          

31 最後の預言書         

32 ヘレニズムへ         

35 メシアを待つ民       

 

 

第二章「メシアとエルサレム」

38 長い沈黙の後に        

40 キリストの活動         

40 ユダヤの宗教事情      

42 「ラビ」我が偉大なる師    

43 罪多きもの多くを愛す     

44 宣教の主題         

45 イエスの訓話         

47 キリストの戦い         

48 人々を選り分ける      

50 安息日の奇跡          

52 富者とラザロ         

52 勝利の入城         

54 イスカリオテのユダ      

55 浄められた夜          

56 定められた時に至る    

58 神の子を不法な者が裁く     

59 神の子羊の死         

61 ユダの末路         

61 「大安息日」         

63 イエスとは何者か         

64 エルサレムの二度目の滅び       

66 ウェスパシアヌスとティトゥスの進軍  

67 城下の内乱              

68 ローマ軍の二度目の攻囲       

69 完全なる破壊             

71 失われた祭祀             

71 現れることのないメシア        

 

74 脚 註

 

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「神"YHWH"の経綸」 ⇒ 中巻  ⇒ 下巻

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主の晩餐とは何か



それはキリストの「最後の晩餐」としても知られる。
だが、単なる食事を意味しているのではない。

「主の晩餐」は記念の儀式であっても祝いや慶事ではない。
その主要な意義は「キリストの死を宣布」することにあると使徒パウロは言う。
(コリント第一11:26)

しかし、これがどのような事を将来に惹起させるのかについては未だ謎がある。
というのも、この儀礼は『新しい契約』に関わるものであり、聖霊注がれた格別な弟子らが、キリストの体を象徴する無酵母パンと、血を表す赤葡萄酒に与り、その『兄弟』となって共に『アブラハムの遺産』、即ち『神の王国』を継承する『キリストと共なる相続人となる』ことを意味しているからである。
しかも、最初の食事儀礼を共にした十二使徒らは、殊に格別の立場に在り、天界での二回目の聖餐をキリストと共にすることも示唆されているのである。

その夜、最後にエルサレムに上ったキリストは、自らの死が近づいたことを知り、弟子たち、それも十二人の使徒たちとの別れに際し、きわめて意義深い最後のひと時を過ごしたのである。(ルカ22:15)

春先のその晩は満月が出ていたであろう。
というのは、その夜がユダヤ教の律法で「過ぎ越し」(ペサハ)と呼ばれる祭りの日に入ったからである。(出エジプト13:3-)



-◆主の晩餐の原形である過越し

その日から遡ること千二百年以上も前のこと、イスラエル民族はエジプトでの奴隷状態からモーセの指導の下に、自分たちの父祖アブラハム、イサク、ヤコブの神によって受け戻され、「約束の地」を目指してエジプトを発つ。

エジプトを出発する晩は、ことに記念すべき夜となった。
イスラエルの神YHWHは、預言者モーセを通してエジプトを治める「神」ファラオに自分の民を連れ出すように勧告し十度に及んでいた。

神YHWHによってその頑なさが助長されていたファラオが否む間、エジプトには九度も次々に災いが降り掛かり、その都度神YHWHの力が示され、それによってエジプト人にもイスラエルにもYHWHがどのような神であるかが次第にはっきりと知らされていった。実際に事を成し遂げる力を持つ「生ける神」としてである。(出埃9:16)

そして満月の晩。イスラエルはYHWHからその夜がエジプトにおける最後の時となることを知らされる。(出埃12章)
イスラエルはそれぞれの家庭で、旅仕度のままエジプトでの最後の食事をする。だが、その食事は特別な儀礼を伴うものであった。

まず、一歳のオスの子羊(あるいはヤギ)を夕刻に屠り、その血を家の入り口の戸柱と鴨居につける。
そうして赤く染まった戸口の中にいるなら、その家族の長男、家畜の長子は死ぬことはない。
しかし、そうしていない家には十度目の災いが臨み、すべての長男の命が奪われるのである。


屠った羊は家庭に集うすべての者によって食され、残していけない。肉や内臓が残るようなら火にくべて燃やし尽くさねばならないが、骨だけは折ることもしてはならない。その焼肉に酵母を入れない急ごしらえのパン(マッツォート)に苦菜(メロリーム)を添えて食する。

この夜、ついに皇太子を失ったファラオから出国許可が下り、夜が明けると全イスラエルとそれに加えてYHWHに信仰をもったエジプト人がナイルデルタ地帯のゴシェンから出発を始めた。

陰暦は日没から始まるが、その特別な食事の晩から始まる日はアビブ(「緑穂」)*の月の十四日であったことが記されている。(レヴィ23:4)*(捕囚後にカルデアの「ニサン」に呼称が変更された)


この奴隷状態から出る民の大行進は、ギゼーのピラミッドに近い「ノフ」から始まったとの伝承を歴史家ヨセフスが伝えている。三大ピラミッドは建造されて既に千年ほどが経過していたであろう。エジプトを発つ人々の目にその三角の陰が印象的に映ったのかも知れない。行進は翌15日にラメセスを発ち、以降二度とピラミッドを見ることはなかったであろう。(民数記33:3)


それから二カ月して、イスラエルはシナイ山麓に集結し、ここでモーセを仲介者に神YHWHと律法契約を取り結ぶ。
その律法の中で、出エジプトの月を一年の始まりとし、その十四日に過ぎ越しの食事儀礼を行い、これを世々記念するように神は定められた。(出埃12:24)
これは、後にセデルと呼ばれる定式の食事となりパレスチナ定住後はぶどう酒も含まれるようになり、時代が下るとより儀式化されていった。



-◆セデルから主の晩餐へ------

それから千五百余という永い歳月が経過し、その満月の夜、ニサンの月の十四日に入ったキリストは、地上における最後の夜、古来の律法の規定に則り十二人とセデルの会食を共にしていたのである。

しかし、この最後のセデルの食事を機会に、イエスは新たな儀式を始める。
まず、感謝の祈りを捧げて一枚の薄い無酵母パン「マッツァ」を割り裂くとそれぞれ使徒たちに与え、それは「自分の体である」と食べさせる。

次いで、ひとつの杯のぶどう酒をやはり祈ってから同じように十二人*に回し、自分の血による「新しい契約」を表していると飲ませた。*(「イスカリオテのユダ、その価値観の変化」)

イエスは、これらによってセデルを改め、「自らの記念(アナムネーシス)」として世々行ってゆくように、そしてご自分はぶどうの産物を天で弟子らと共にするまでは口にしないと述べられた*。そしてこれは、後代「主の晩餐」(キュリアコン・デイプノン)と呼ばれるようになったのである。(コリント第一11:26)*(ナジル人の誓約を思わせる⇒「忘れられた二つの意義」)


こうして、十二使徒は象徴的ながら「イエスの肉を食し、その血を飲んだ」のであり、それは彼らが「新しい契約」によってイエスと結ばれ、人類全体に先立って「神の子」となり、仮の贖罪による義と永生を得たことを表すであろう。(ヨハネ6:54/ローマ8:1)

パウロによれば、主イエスはこの最後の晩餐で、使徒たちに自分の「死」を記念せよ、と命じたのであって、けっして復活や誕生を祝うように言ってはいない。

神においては「イエスの死」こそ際立って輝かしい栄光を放つ一事であり、「復活」が如何に奇蹟であっても、崇高さにおいてその「死」にはとても及ばない。(ヘブライ2:14)



-◆主の晩餐を巡る時のせめぎ合い

さて、ユダ・イスカリオテを通して、イエスを処刑する算段はこの間も進行している。すでにイエスは銀三十枚という大したものでない報酬で、イエスに好意を持つ群集の邪魔の入らない場所で祭司長派に引き渡されることになっていた。

しかし、イエスは使徒らと最後の晩餐をニサン14日に行うことを数年心待ちにしていたのである。
そのためユダが予定より早く行動を起こし、この大切な晩餐に捕縛隊を乱入させないため、セデルの行われる場所が直前までユダには分からぬよう、慎重に彼以外のふたりの弟子に「水甕を運ぶ男」を探させる。(マルコ14:14-)

しかし、それが晩餐が終わる頃になると、一転して「あなたのしようとしていることを早く果たせ」とイエスはユダを促すのであった。こうして神の子羊は定められた時を進んで行く。(ヨハネ13:7)


他方、永いイスラエル=ユダヤの歴史が経巡る間に、セデルをいつ行うかについて混乱をきたしていた。ユダヤ人の間でも内地では14日、外地居留民は15日に分かれた時期もあり、ユダヤの暦も統一が乱されてさえいたのであり、イエスの当時のユダヤ体制派については、現代のユダヤ人に同じく、「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」を一緒くたに「過越しの祭り」と称して、セデルをニサン15日に入った夜に行っていたのであろう。(今日のユダヤ教はヒレル・パリサイ派を基礎にしている)

このようなユダヤの混乱は、キリスト・イエスが出エジプトの子羊と同じ「世々記念すべき日」に屠られることを神によって諮られたように見える。この日付の一日の差によって、ユダヤの祭司長派は『神の子羊』をニサン14日に屠る者と相成り、出エジプトの時に違わずにキリストは自らの『定めの時』を粛々と進まれたと観ることができる。 ⇒ 「過ぎ越しの日付にみられるユダヤの混乱

もし、子羊イエスを屠る側の祭司長派が、イエスに同じくニサン14日の晩にセデルを記念していれば、その晩から祭りに入ってしまっており、イエスを裁判にかけたり処刑を実行させたりすることはユダヤの儀礼上まったく不可能となっていたであろう。

それに加えて祭司長派はこうも言い合っていたことが記録されている。
『祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない。』(ルカ14:2)
やはり、今日でもパリサイ派であるユダヤ教徒は、二千年前に同じくニサン15日に過越しの食事をとって祭りを始めるので、イエスが捕縛されたのニサン15日ではなくその前の晩ということは動かし難い。

そうであれば、やはりヨハネ福音書がイエスの刑死の日を、祭りの第一日の安息日前の『準備の日』としているように、祭司長派の一日の認識のズレが「世々記念すべき日」におけるキリストの死を可能にしたのである。(出埃12:1-14)
このように、人間の知恵の不完全さを以って、神が目的の達成に用いられることは聖書中に度々見られることである。

エレメントに無酵母パンが含まれ、また、キリストの犠牲がユダヤ人の祭りと深く関わって捧げられた以上、その日付けは、ユダヤ人が「ニサン14日」と呼んでいる日に行われるべきものであることに変わりはない。



-◆王なる祭司となる人々

そしてイエスは、そのニサン14日に入った夜に幾らかの時間を取り分けて弟子たちと過ごし、パンによって彼らが自らと同じ霊の体となり永生を得ること、ぶどう酒によって「新しい契約」の当事者となり「アブラハムの遺産」(神の王国)を受け継ぐことを象徴的に示した。

しかも、この儀礼が繰り返される度に、それを行う者らは「主の死をふれ告げる」ことになるという。
つまり、イエスは「神の子羊」として肉も血も捧げられなければならなかったのであり、主の死があってこそ神の意志は前進したのであり、これは出エジプトのセデルの食事以上に記念に値する。これが主の晩餐の意義である。

つまり、十二使徒を初めとしてふたつのエレメントに与る人々は、キリストと共に霊の体を持って天から全人類を治める王、全人類の贖罪を為す祭司となるべく特に「選ばれた」また「召された」者たちとなる。 (ローマ8:30)


出エジプトの「子羊の血」が、その家の初子を救ったが、それら救われた全イスラエルの初子たちの総数の命を代価にして、神はイスラエルの十三の支族の中からレヴィ族だけをそっくり買取り、自らに仕えさせる祭司の種族としたのであった。(民数3:40-)
同様に、新しい契約での「初子たち」とは、律法制度のイスラエルを超えて、全人類の祭司となるべく神に買い取られる人々である。⇒ 「聖霊と聖徒

「神の子羊」イエスの血は、まず「全人類の初子」と看做される人々に犠牲を仮適用させ(義と永世を備えさせて)初めに救った。

それゆえ「新しい契約」に入る彼らは、人類に対して「初子」また「初穂」とされるので、パウロは自分たち初代のキリスト教徒を指して「我々、霊の初穂である者」と呼んでいる。(ヘブル12:23/ローマ8:23)


出エジプトの子羊の血で祭司らが神に買取られたように、キリストの血はイスラエルの祭司職に勝る、全人類の祭司職に「初穂」たる人々を買取るのである。(ペテロ第一2:4-5)


この新しい祭司職については、キリストが天に去って十日目のシャヴオートの祭り(五旬節)に約百二十人の弟子に聖霊が降ったが、それが神の買取りのはじめであった。

こうして新しい祭司となるこの人々に対してキリストの血の犠牲が承認され、「律法契約」に代わる「新しい契約」が効力を発揮し始めたことが五旬節以来明らかになったのである。(使徒2章/ヨエル2:28-)

百二十人のうち使徒だけが「主の晩餐」に与っていたのだが、新しい契約へ買取られる者は、この日から聖霊の賜物を持つ人々の増加と共に広げられてゆくことになる。



-◆選ばれた一部の者のための主の晩餐

後にパウロは、この聖霊の賜物は「相続財産(≒新契約)への事前の保証(手形)である」と述べている。(エフェソス1:13-14/コリント第二1:22.5:5/ペテロ第一1:4/コロサイ1:12)

このように「主の晩餐」はユダヤ教のセデルの食事とは一線を画するべきものであった。

しかし、キリスト教徒において、この点が曖昧な事例のあったことをパウロの記述が知らせている。
それはコリントス市のエクレシア(集会)であり、ある人々(ユダヤ主義的な)は既に「晩餐」(セデルであろう)を済ませてから「主の死の記念」に与ろうと満腹で酔った状態であり、別の(非ユダヤ的な)者たちは敢えて何も「食事」をして来ず、まったくの空腹で集まるのであった*。(コリント第一11:20-)
*(コリントスのエクレシアではアレクサンドレイアからエフェソス経由で来たイエスを知らなかったユダヤ人アポロスの影響とパウロスの教えとが拮抗していた様子があり〈1Cor1:11/3:4-7〉、このことがユダヤと異邦人の派閥となってしまった蓋然性がある)

パウロは、これでは彼らの分裂的集まりは悪い結果になるだけであり、そのような「裁きのために集まる」ようなことしてはならないと書いている。(同11:17/11:34)
これについてパウロは、教派の対立を止め、皆が家で適度な食事をした上で「主の晩餐」を行うように指導した。場合によっては互いに待ち設けて和やかに事前の食事をするようにも奨めている。(同11:33-34)
そのようにして派閥的な両極端を避けるべきことを教えていたのである

また、その同じ章でパウロは、主の晩餐の表象物(エレメント)に与るか否かは自分の「体」をよく吟味しなければ「裁き」を食し且つ飲むことになるだろう、と警告している。(コリント第一11:27-32)

これは、過ぎ越しの食事にもセデルにも無割礼の異邦人の与ることが許されなかったことが敷衍されているように思われる。(出埃19:43/レヴィ22:10)

彼は「霊をもたない者はキリストに与る*ものでない」とも書いており、この点は注意を要する。(ローマ8:9)*(字義「彼に属す」)

つまり、聖霊の奇跡である「聖霊の賜物」を有しない「信徒」は「聖徒」ではなく、キリストと体を共にせず、新しい契約の当事者でもない

使徒パウロは、当時のコリントスのエクレシアの人々がその無分別の危険を犯しており、この点で「病みがち」であり相当数は更に進んで「眠りについて」(死を含意)しまっているほど(無感覚)であると指弾している。(コリント第一11:29-30)

したがって、西暦第二世紀半ばに聖霊の降下が終わって久しい今日、この晩餐を食する資格を持つ人は誰もいないであろう。
「主の晩餐」でエレメントの無酵母パンとぶどう酒に与る人々は聖霊の印を持っており、それは自他共に明瞭に認めうるものであった。(コリント第一12:7)


-◆十二使徒の先立ちを教える主の晩餐

さて、新しい契約で「契約に与る者」の中でも、キリストの十二使徒については更に別格である。
当時の時間の経過を考慮すると、十二使徒以外には聖霊の灌がれる以前に「主の晩餐」に与った者はないことになる。(ユダ・イスカリオテは落伍し、後に別の人物により補充された)
彼らだけは聖霊の証印を押される以前に、早くも「主の晩餐」に与るという稀なる立場にあったが、なぜだろう?

つまり、彼らはイエスに従い続け、親密で信頼の置ける者らであると既にイエスに認められていた。(ヨハネ15:16.27)そこでイエスは彼らと「王国の契約」*を特別に結び、それを通してイエスと十二人の関係は天でも格別なものにされたのである。(ルカ22:28*本文中「契約を結ぶ」との意で適切であろう

それはイエスの「あなたがたは天で十二の座に就き、イスラエルの十二部族を裁く」という言葉に表されているように読める。(マタイ19:28)

したがって、この(より早い復活を遂げる)十二の座から、残りの「新しい契約」に加入する者たちが吟味され最終的に立場を承認されるというように捉えることはけっして不自然ではないだろう。そうであれば、主に寄り添って来た十二使徒の「義」は、一人を除いてその後の聖霊注がれた他の聖徒に優って確定的だったことになろう。後にその一人の座は別の者の占めるものとなっている。(フィリピ3:11/黙示録21:14)(これは極めて稀なる高い権威ということができる)



-◆今日と将来の意義-----

ともあれ、ニサン14日の「主の晩餐」においてエレメントに与る理由があるとすれば、それは自分が「新しい契約」に与っているという誰にも明らかな証拠を伴っているべきであろう。彼らは天に召される者である。(ヘブル3:1)その証拠がないなら晩餐に与るものにはならぬ方がよほど良い。
パウロは『「裁き」を飲みまた食さないためである』と言っている。


つまり、聖霊の賜物の有無がそれを分けるのであって、イエスと一体になるという稀なる立場を弁えず、単に「天国に行きたい」であるとか、権威を身につけるための政治的方便であってもならないし、神の定めた救いの段階や、自分の身の程をわきまえぬ高慢や甘えが誘因であるとすれば、何を言うべきであろうか。(ヘブル5:4)

しかし、誰も食事に与らないからと言って「主の晩餐」を行わない理由も見出せない。
挙行することによって我々は「初穂」となる人々を忠節に待ち望むからである。
それはパウロが『創造物は切なる期待を抱いて神の子らが表し示されるのを待ち焦がれている』と書いたようにである。(ローマ8:19)


今日、参加者が誰も食べたり飲んだりしないとしても、「主の晩餐」の儀式のみをニサン14日に入ったとされる夜に挙行することによって、我々はその聖霊を持つ「聖徒」の到来に無関心でないばかりか、聖霊の再降下と彼らの現れを心底願っていることを神の前に示すという意義がある。
まさしく『求め続け、探し続けるなら』『父は聖霊を与えられる』と主は言われているのである。(ルカ11:9-13)

しかし、いつの日にか、真に聖霊を持つ人々が現れてエレメントに与るときに、それを喜べる一人となるなら真に幸いなことと思う。そこに人間によらない真の正義が到来することになり、我々は神の正義に信仰を示してそれを支持できるからである。(マタイ25:40/ゼカリヤ8:23)

今日、人類は誰が正義を持っているかを巡って政治や宗教の分野で争っているが、将来、聖霊を通し「神の正義」が現われることで、むなしい論争はひとつの論点に収束され、神か人の選択となるだろう。

そのときに主の晩餐がどのような働きをするのかは分からない。だが、古代エジプトでのペサハとキリストの最後の晩餐とのふたつを結ぶこの食事儀礼が徒ならぬものとなることは予感できる。
このふたつは共に民に隷属*からの開放をもたらす転換点であったし、祭司となる長子を贖っている。
*(エジプトの苦役と律法[罪]の頚木)

おそらく、将来においても「この世」への隷属の「虚無」からの民の開放へとつながるものとなるだろう。(創世記12:3/ローマ8:19)

キリストの流した罪のない血の中の魂は、まず聖なる者たち、それから人類全体の罪を贖い、神と人を結ぶ絆となって永遠に至る。それを理解する人々にとってニサン月14日は、今後もこの神の悠久の企図に深く思い致すべき、取り分けられ浄められた夜となろう。



                 新十四日派   © 林 義平


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その後の歴史
使徒ヨハネの晩年、小アジアにおいて年に一度、ニサン14日の晩餐は守られていたが*、周囲(特にシリア)はこれに異議を唱えた。それは反ユダヤ感情からくる非難であったが、ローマ教皇ウィクトルの時には小アジアの全体が排斥されるところまで進んだ。これはエイレナイオスの仲裁を得て和睦したが、後年のローマ国教化の後に姿を消してしまった。
(使徒ヨハネに従う小アジアのこれらの人々は十四日派「クアルトデキマーニ」と称された) ⇒ ウィクトルとポリュカルポス

今日、復活祭やイースターの聖餐の名で主日とされた日曜日に移動されたが、これは本来のものではない。
また、普遍教会において、ミサの秘蹟として平素パンのみの「聖体拝領」となったが、こちらも万人聖徒の謬見による不都合からのものである。 ⇒ コンスタンティヌスの裁定

日付の根拠
小アジアのポリュクラテスは、人々(ユダヤ人)が酵母を除くときを我々は守ってきた、と述べており、それはユダヤ人が「ハグ・ハマッツォート」(除酵祭)に入るニサン月の14日ブディーカト・ハメツの焼却を表していたと思われる。 ⇒ ポリュクラテスの反論


マッツォの作り方 -----
無酵母パンは全粒粉の小麦を用い、水を少しずつ含ませて捏ねてから数ミリの厚さに延ばすが、薄い方が焼きやすい。それから僅かのオリーヴ油をひいた鉄板で焦げない程度に焼く。ピザ生地のような小さい孔をあちこちに付ければ気泡で脹らむのを避けることもできる。⇒画像付き(エイレナイオスのブログ)

ぶどう酒はできるだけ混ぜたものでないものがよいだろうが、防腐剤の無いものも市販されている。

だが、それを食したり飲んだりすることは勧めない。
キリストの死を観想し一定の時を過ごしたら、エレメントの働きは象徴的に終わるので、パンは処分し、ぶどう酒は地に注ぐのがよいと思われる。

試食、試飲なさりたくば、晩餐を挙行する動機の純粋性のために、別のものを別の時に試されるがよろしかろう。
無酵母パンの味は「苦悩のパン」と呼ばれただけあって、けっして美味ではない。


ポリュカルポスとアニケトゥス
ディダケーに描かれる主の晩餐 
主の晩餐で忘れられてきた二つの意義
血の禁令を超える「主の晩餐」
無酵母パンから生じるエクレシア
据えられた隅の親石の完全さ


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