◆ディダケー「十二使徒の遺訓」

「ディダケー」は、古代のキリスト教文書の中で言及され、その存在が知られながら、19世紀になるまで姿を現すことのなかった初期キリスト教の文書である。
だが、近代になって歴史の淵から引き上げられたこの古写本の述べるところに中世期の蒙昧は感じられず、驚くほど教理上に優れた認識を垣間見せる。

1873年、日本では明治政府が不承不承に耶蘇教禁令の高札を取り下げた明治六年のことであった
東方正教会、ニコポリス府主教フィロテオス・ブリェンニオス(Philotheos Bryennios)がコンスタンティノープルの修道院図書館で非常に古い写本を見出した。この中から、あのエウセビオスが第四世紀にヒストリア・エクリジアスティカ(「教会史」)で言及していたものの、世に知られていなかった幻の書物が忽然とその姿を現したのであった。

「十二使徒たちの教え」([Διδαχὴ τῶν δώδεκα ἀποστόλων]*)と題するそれは、非常に古い由来を持つもので、第一世紀から第二世紀初めにかけてのキリスト教第二世代(使徒教父期)のものと識者らに考えられている。*(Act2:42)

キリスト教第一世代の終わりといえば、イエスの弟ヤコヴ、使徒ペテロとパウロが西暦六十年代に相次いで殉教に消え、キリストの同世代が大きな区切りを経験した西暦七十年までと見るなら、第二世代をそれ以後の四十年ほどの間と見做すことに妥当性もあろう。新約聖書は未だ全体が綴じられておらず、使徒ヨハネの著作が残されつつある時期ではなかったろうか。

ディダケーの写本については、次いで1900年にヨーゼフ・シューリヒト博士によってラテン語版の一部が発見されるに及び、これが西方教会にも伝播していたことも確定的となった。しかし、その内容に幾分かの相違あり、ギリシア語原文にも幾つかの異文があったと想定されている。

アレクサンドレイアのクレメンスが、これを聖書の一部として言及しているところから、ハルナックのような学者は、この書の成立を165年以前と観るが、エルサレム陥落の情報がなく、その終末観がテサロニケ第二書に近似し、しかも文章が平易明快であることから、これを西暦70年以前の初代と看做す識者もある。

だが結局のところ、これを何処で誰が、正確に何時書かれたかは分からず、今のところそれを知ることはまず無理のようである。しかし、後代のものと異なるその非哲学的内容からは、新約聖書の編纂される以前の弟子らへの必要を満たすための簡潔な情報源と思われ、且つ、福音書のイエスの言葉、また、使徒たちの手紙にあるような訓示の言葉がそこに在る。

書中、今日的キリスト教と異なって聖餐と愛餐が分けられて記述されところからも、明らかに原始キリスト教のものであり、当時の教理の姿も垣間見ることができるものであるが、そこでは当時のエクレシアの指針が述べられ、使徒の教えが反芻されているので、初期の人々の息吹を今日の我々に感じさせるほどのものである。
この書名「ディダケー トーン ドーデカ アポストローン」を約めて、単に「ディダケー」と呼ばれるので、以下この名称で述べたい。

このディダケーでは、まず、『神と人を愛すること』から説かれ始めるが、これはまさに「愛の掟」を中心に据える使徒らの声を彷彿とさせる。それからこの中心的教訓の適用としてイエスの垂訓を回想しつつ幾つかに触れている。

また、エクレシアの秩序を守るために必要な教訓が簡潔に述べられるが、それは教条の多岐にわたる律法のようでも、まして膨大量の規則集であるタルムードのようなものではない。むしろ、このディダケーそのものも大変短く、「信徒便覧(ハンドブック)」のようなものでしかない。おそらくは、新約聖書成立以前の人々の必要を満たすべく、初代に近い時期の誰かが編纂したとも言われている。


◆「主の晩餐」への記述

そして注目すべきはディダケーの「主の晩餐」(別称「感謝」〈エウカリスティア〉)[Περὶ δὲ τῆς εὐχαριστίας]に関する記述であり、そこには第二世紀までのキリスト教徒の行う聖餐の次第が記されている。
第十章の第三節以降は以下のように書かれている。

『3 「全能の神よ。あなたはあなたの名のゆえに万物をお造りになられました。また人々があなたに感謝を捧げるように、彼らの飲食のために食物と飲み物とをお与えになられました。

他方、わたしたちには、霊的な食物と飲み物と永遠の命とを、あなたの僕イエスを通して賜りました。


4 あらゆること先立って、わたしたちはあなたが力強い方であられることを感謝します。あなたに栄光が永遠にありますように。


5 主よ、あなたのエクレシアを覚え、それをすべての悪から解放し、あなたの愛によって完全なものとしてください。また聖なるものとして、四方からあなたが準備されたあなたの王国へと導き集めてください。威力と栄光とは永遠にあなたに属するからです。


6 恵みが到来しますように。この世が過ぎ去りますように。ダヴィデの神にホザンナ。

聖なる者は来るように、そうでない者は悔い改めなさい。マラナスァ。アーメン。」


7 預言者の欲するだけ感謝を捧げるように』
                                                 


これが聖書に匹敵するなどと云うのではない。
しかし、初代キリスト教徒の教えの中心がどこに在ったかについて証しされている。つまり、「神の王国」が聖餐に預る聖なる者らによって構成されること、また彼らが各地に散っているが、「四方の風」によって〈マタイ24:31〉(アブラハムの裔として)集められること、また、終末待望は「千年期説」との関連を要請している。

神はその「名のゆえに」万物を創造されたというヘブライ古来の要点を記し、またイエスを神の「僕」と呼んでおり、これは使徒ペテロの用いた語法*であって、かつて旧約では、ダヴィデ王について『わたしの僕』として多用された呼称であり、イエスとダヴィデの王権の司る姿を重ねるものである。そこには、後の第四世紀にやっと現れる「三位一体」の影も形も無いことはもちろんである。*(使徒3:13/4:27.30)

今日的キリスト教の「主日の聖体拝領」と、このディダケーが示すものの間に大きな乖離があることは広く認められているのだが、こうしてタイムカプセルが1700年の間のキリスト教に起こったあらゆる事象を一気に飛び越え、近代に出現したことに衝撃を受けた人々も少なくは無いであろう。『この世が過ぎ去りますように』との文言などは、使徒ヨハネの文書を彷彿とさせ、キリスト教が皇帝の宗教とされ、世の宗教となったニケーア以降ではとても許されるようなものではない。これが宗教の圧制が強い中世期であれば、オリゲネスのような初期教父の著作のように異端宣告を受け焚書に葬られていたのではあるまいか。

しかも、この文面にも聖霊の賜物のひとつであり、分けても重んじられるべき『預言者』が依然として存在しており(10:7)、聖霊降下が継続していたこともはっきりと語られている。(11:7) それは識者らがこの書の由来を第一世紀後半から第二世紀頃と認識していることにも符合する。おそらく、この当時のエクレシアは依然「聖徒」が大半を占めていたのであろう。(使徒21:9-10)


◆これが意味するもの

さて、今日のキリスト教界の趨勢となっているカルケドン派、またギリシア=ローマ型のキリスト教の「主の晩餐」の捉え方は、上記の近世に突然に現れた初期文書の伝えるところとは随分と違うところに在るので、おそらくは以上の文面の意義の大きさを教会員が悟るに難しいとしても不思議はないし、何か異物を見る想いであろう。しかし、それはキリスト教徒個人の責に帰せられるものでもない。

なぜなら、ディダケーが書かれて後、おそらくは百数十年を経る頃にキリスト教界の様相は一変し、ヘブライ的な原始キリスト教から変質し、ヘレニズム的な異教の混じったものが伝承されてきており、それが中世欧州を介しそのまま今日まで「キリスト教」と称されて広まったからである。


原始のキリスト教界を一変させた原因は、まず「聖霊の賜物」の喪失というべきであろう。
例えれば、上記ディダケーのように聖霊によって教えを与える『預言者』のような人々の存在を、今日のキリスト教界は正しく見てはいない。つまりパウロがコリント人への書簡で明らかにしているような、憑依状態にならずに本人の制御できる奇跡の賜物を持つ人々である。(コリント第一14:26-33)

パウロはコリントの人々が「聖霊の賜物」に富み、あらゆる種類の聖霊の働きがその地のエクレシアにあることを褒めている。
また、パウロ自身の賜物はたいへんなもので、彼はエフェソスで奇跡の業をこれ以上ないほどに見せたと、医師でもあるルカが直に見聞した事柄を使徒言行録に記している。これは聖徒らがキリストから業を託されたこと、またパレスチナから世界へと「神の業」の活動の場が広げられたことを意味する。(コリント第一1:7/使徒19:11/ヨハネ15:26-27.14:12)

また、聖霊は知識を与え、当時のエクレシアを真理へと導き、エクレシアの聖徒たちを介して神聖な知識が伝えられていたので、教理を統括する地上の中央無くとも、キリスト教徒の一致が保たれ得たのである。

それがため、パウロは自分と異なる考え方をしている者がいても『神が啓示してくださるだろう』と泰然と構えることができたのであり、彼が戦うべき誤謬といえば、聖霊を注がれず、新たなキリストの教えから遠く取り残されてしまったユダヤ主義者の嫉妬であった。(ヨハネ16:13/フィリピ3:15/ヘブライ2:4)

聖霊による神からの知識はまことに貴重なもので、パウロは聖霊によるこの知識の伝授について『それは今や、天上にある諸々の支配や権威までがエクレシアを通して、神の多種多様な知恵を知るに至るのであって、わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的に沿うものである。』と記してその価値の大きさの程を知らしめる一方、ペテロも預言への聖霊の啓示について『天使たちもそれを知ろうとして覗き込む』と述べている。(エフェソス3:10/ペテロ第一1:12)

上記ディダケーの引用の最後にある『預言者の欲するだけ感謝を捧げるように』という句には、聖霊によって語る聖なる者の感謝の言葉を妨げることなく、聖霊の語らせるままにすべてを話させるための指示とみるのが自然であろう。聖なる者らには仮のものであったとはいえ贖罪が既に行われていたのであり、聖霊の賜物はその証しであった以上、彼らには多くの感謝の理由があったに違いない。

それは、パウロがコリントのエクレシアに対して、皆が一斉に聖霊で語るのでは混乱して学ぶことができないからと、異言ばかりでなく『預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを味わうように』としたことを思い起こさせる。(コリント第一14:26-32)
即ち、聖霊によるキリストの監臨の続いていた時代に見られたエクレシアの姿がディダケーにも映し出されているのである。


従って、「聖霊時代」のキリスト教とそれ以後、即ちキリストが王権を得る旅に出立した後に、預言者たちのような聖霊の賜物をもつ人々がいなくなって以降のキリスト教とでは非常に大きな違いがあって当然と言える。(ルカ19:11-12)

聖霊の賜物の去ったキリスト教界は、その結果として「主の晩餐」の理解を変えていったとしても然程の不思議はない。殊に、賜物が失われたということを直視しないことによって、既に「無い」聖霊を「有る」ことにするのであれば、そこで本来のものから逸脱の起こらないわけがない。


◆パウロの述べたミュステーリオン

これは即ち英語のミステリーの語源であるが、ギリシア語では「隠されたもの」の意である。
パウロがこのギリシア語を用いている例としてエフェソス第一章を見ると

『神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、御旨の奥義(ミュステーリオン)を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。

 それは、時の満ちるに及んで実現される(全体)管理である。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとくキリストにあって一つに帰せしめようとされているのである。

 わたしたちは、御旨の欲するままにあらゆる事をなさる方の目的(経綸)の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

 それは、キリストに望みをおく最初のものであるわたしたちが、神の栄光を讃える者となる為である。
 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。

 この聖霊が、わたしたちが遺産を継ぐことの約束手形であって、やがて神の所有となる者が全く贖われ、神の栄光を讃えるに至るためである。』
(エフェソス1:8-14)

ここでの『奥義』とされる教義には、聖霊を受けた者たちについての内容が関わっている。
彼らが聖霊を通して知った事とは、聖霊を受ける彼らが『遺産を継ぐ』即ち、アブラハムの遺産である『神の王国』をキリストと共に相続することであり、その約束手形として『聖霊の証印を押された』と明かしている。

それはエデンの園で神が予告された『女の裔』に属するひとりとなることであり、その目的はサタンとその悪影響とを亡きものとし、神を高め讃え至高の座に就くことを求めることである。(創世記3:15)
それはまた、アブラハムに約束された『あなたの裔によって地上のあらゆる家族が自らを祝福する』という遺産であり(同22:18)

また、モーセの律法契約で、もし契約を守るならアブラハムの嫡流イスラエルが『聖なる国民、祭司の王国』となることを示されたこと(出埃19:5-6)

この「裔」がキリスト後に更に進んで実体を現したので、使徒ペテロは聖なる者らで成る当時のエクレシアの人々を指して
『あなたがたは選ばれた民、祭司の王国、聖なる国民、神の特別な所有に帰する民』と呼んだのである。(ペテロ第一2:9)

この人類を祝福するというこの格別の「選民」に召されるには、メシアがイエスであることへの信仰を必要としたが、ユダヤはそれを十分には示さず、その数を満たさなかったので、この『聖なる国民』には異邦人からも補充のために選ばれるに及んだ。

そこではアブラハムの実際の「血統」ではなく、アブラハムのような「信仰」を示す人々で構成される『神のイスラエル』と呼ばれる真の選民と補充された異邦人を『接木した』混成の民が出現したのである。

しかし、どの国民であれ、選ばれた人々を印付けたのが『約束の聖霊』であった。そこでパウロはユダヤと異国の聖なる者を『ふたつの民』と呼んでいる。(エフェソス2:14)

それはエデンの園に始まり、爾来悠久の時を経て、遂にキリストの弟子らの上に聖霊の賜物を介して成就し、遂にエデンで語られた『女の裔』が、キリストの犠牲に基づいて現実に姿を現し始めたのである。

その聖なる人々の働きは神の卓越性を賛美し、それを宣告することにあり、それこそは神の聖霊を通した世界宣教の業となる。
この聖霊による宣告を通して世界は裁かれ、信仰懐く人々の一半は遂に「自らを祝福」し「罪」を許され「救い」に至ることになるのである。(マタイ10:18/ヨハネ3:36)

『神の王国』を構成する聖霊を受ける『聖なる者』は、人類救済を司るために、天界の「祭司」と成るべく人類に先立って贖罪され、大祭司キリストと同じ霊の様、同じ栄光を得ることを目指し『新しい契約』に参与して、忠節の内に聖さを全うするよう努める責を負う。(ローマ8:29/コリント第一15:50-53)

人類救済を目的とする悠久の時に亘る神の意志に基づく計画、パウロはこれを指してこそ『奥義』(ミュステーリオン)と呼んだのである。
それは『目も見ず、耳も聞かず、人の心に上ることもない』ものであり、聖霊がこれを教えるのであるが、その聖霊は『世が受けることのなく、知ることもない』ものであると聖書は語る。(コリント第一2:9/ヨハネ14:17)

イエスはその教えを大衆に向かっては譬えで語らずにはいなかったのも、まさしくその内容がミュステーリオンであったからに他ならない。(マタイ13:11-15.34-35) 俗な関心を専らに抱く人々にこのことは理解できず、そうしようとも思わないであろう。(コリント第一2:14)


◆「主の晩餐」はミュステ-リオンに非ず


パウロが言うように、『奥義』とは神の「経綸」(或いは「目的」プロテシス)に対する理解であって、それは『聖徒』の『神の王国』への集め出しに関わるものである。ディダケーには、この認識が表れており、これが書かれたとされるキリスト教第二世代には依然ミュステーリオンが「神の目的」である事が知られていたであろう。

しかし、その同じギリシア語「ミュステーリオン」が、やがてキリスト教徒の間でさえ諸国民が語るままの異教儀式の『密議』の意に入れ替わり、「主の晩餐」のエレメントに与る人をキリストに結びつける「秘跡」(ミュステーリオン)ということにしてしまったのは、「原始キリスト教」ではなく、迷信的「原始的宗教」の精霊崇拝への堕落という他ない。

今日「ミサ」と呼ばれる儀式(東方の「聖体礼儀」)、その中心を成す「聖体拝受」の原型が「主の晩餐」のパンではあったが、これを第四世紀の政治家から俄か仕立てに司教となった人物、アンブロジウスがミュステーリオンと思い込み、ネメシェギも指摘するようにラテン語の「ミステリウム」はもちろんのこと「サクラメントゥム」(聖なる秘跡)とも区別せずに置き換えていた。(「秘跡論」1/同9)

司式者が「これは私の体である」と言った瞬間に聖体のパンはまさしくキリストの肉になり、司式者が「これは私の血である」と言った瞬間から、それは本当にイエスの血に変化し、その都度キリストの血が流されるというのである*。この教えはもちろん聖書の根本的理解を逸脱したヘレニズム的古代の蒙昧である。(ヘブライ10:11-14)
*(トレント以後の「カトリック」は毎回の流血を否定している)

アンブロジウスは、これを「秘跡」でありミュステーリオンであると称するばかりか、『それがどれほど偉大なサクラメントゥムであるかを悟りなさい』とまで命じている。(「秘跡についての講話」第四講話:6)
しかし、それが引き続き変わらずパンとぶどう酒のように「見える」のは、それを食し飲む人々が気持ち悪く思わないための恩恵のようにも云うのである。(「秘跡についての講話」第四講話:4)

これにどうしてアーメンと言えようか。ならば、キリストが最期を遂げるその前の夜に、磔される前にその血が既に流されたと云うのか?犠牲になる前のイエスの体をそこに見ていながら弟子らがキリストの肉を食らったのか?いや、やはりパンと葡萄酒は表象である。
そのひどい思い込みは「やはりパンも葡萄酒もそのままだ」と言って子供が正しく指摘するような「裸の王様」さながらではないか。儀式は儀式であって、エレメントは表象であり、けっして実体に成ろう筈も理由も無い。これらは「ミュステーリオン」を理解できないことへの代替物、呪術の産物と云うべきだろう。

この「教え」が「聖体拝受」の「秘跡」(サクラメントゥム)とされてキリスト教会に伝承され、今日まで東方もカトリックもプロテスタントまでもが、つまり大半のキリスト教会がそのように「聖体変化」と称する古代異教如き「秘跡」を教えられ続け、宗教改革期を、また近代以降の科学時代をさせ潜り抜け、人間理性をここまで侮り、見事に欺いてきたのはまったく驚くべきことではないだろうか。

そこでは秘跡を通して、与る者にはキリストと合一させ、罪が許されて救われるというのだが、これが『奥義の家令』パウロの意図した「ミュステーリオン」であると教えられ信じ込むのがキリスト教信仰とされてきたのである。

もちろん、儀式や表象物がその人を救うわけでも聖たらせるわけでもないのだが、それらが人に何かを与えると教えるところでは、あの真なる「ミュステーリオン」即ち、聖書全巻を貫流し、人の思いを遥かに超える全人類救済の「神の目的」たる「聖なる者」も「神の王国」も無視され、キリスト教でなくても良いような、個人にとっての「ありがたい宗教」とされ、本来「ミュステーリオン」が持っていた力強さは見る影もなく削がれてしまった。

これはヘレニズム異教神秘主義の秘密儀式と混同されたというよりほかなく、これはもうヘレニズムの素材で造られたギリシア=ローマの別宗教であって、キリストの直弟子らのものとは異質なものである。

第二世紀のディダケーから第四世紀のアンブロジウスを眺めると、そこには進歩ではなく、明らかな後退が見られるではないか。この時代にキリスト教はエントロピーともいうべき秩序解体が進み、高度な教理からアニミズム的迷信に下っているのであり、その原因は聖霊時代から急速に遠ざかっていたことであろう。


やがてキリスト教は、「イエスさまを自分にお迎えする」という個人を益するご利益崇拝と堕した。「聖体拝受」や「聖体礼儀」がどれほど荘厳に行われようと今日「スピリチャル」と呼ばれる類いの軽宗教と変わりなく、好奇心を刺激し個人に役立つ占いのような低い価値レベル、また絶対者との合一を唱えるところは交霊術的であって、本来のキリスト教とは程遠いものと言わざるを得ない。

他方、パウロの語った意味での「ミュステーリオン」とは『奥義』であって、実体は「理解されるべき教理」ということである。それは「隠されたもの」であるがゆえにも、これまで世に対してばかりでなく、キリスト教界に対してさえも隠されてきたようだ。原因は聖霊が無いからであり、真剣な探求が人類救済の「大志」無き人々の政治的意図によって踏み躙られてもきたのであろう。

さて「主の晩餐」のふたつの表象物の意味は
即ち無酵母のパンは、キリストの罪なき体を分け合うものとなって天界で共になるべく、キリストと同じく霊の体に新たに生まれることを表象し、葡萄酒は、キリストの流された血によって発効する『新しい契約』に与り、古代律法の祭司職のように、大祭司キリストによって人類に先立った仮の贖罪を受け、また、キリストの血を通して相続財産である『神の王国』を選ばれた聖なる者らが受け継ぐことを表すものである。
(Rev16/Joh3:5-6/Tit3:5-6/1Cor10:16/Rom5:9/Eph2:13)

これらの表象された事柄についてイエスが群衆に向かって『わたしの肉を食し、血を飲む』ことを語ったときに、十二使徒を残して群衆はみな理解せずに去っていったことからすると、その理解そのものが『奥義』であったと言い得る。
しかし、この表象や儀式そのものが『奥義』ではけっしてない。(コリント第一2:10)

その表象や儀式が彼らにその立場をもたらすのではなく、聖霊が証印を与えているのであり、「主の晩餐」はそれを年に一度、主の死を記念しつつ、それをふれ告げ、聖なる者らがその類い稀な立場を再確認する意義があった。(コリント第一11:23-26)

彼らがイエスの死に想いを馳せることは、契約による聖霊を介しての神や主との絆の価値の高さを再認識し、自分たちに与えられた主と同様の自己犠牲の使命について決意を新たにするものとなったことであろう。

したがって、その場で表象物に与った者が聖霊を受けた者とされるのではなくて、『証印』たる聖霊を受けている者がキリストの表象物に与るのである。その人は既に賜物によって自他共に『聖なる者』として知られているのでなければ偽物と見分けもできない。(ローマ8:9-10/8:1-2)

「主の晩餐」のエレメントに与る者は、本来『神の王国』という人類祝福の礎となる高尚な目的を理解し、キリストと同じく、その体を捧げ、主の血によって人々に先立って贖罪される「新しい契約」に参与して、その犠牲の精神をも共にする覚悟が要るのである。(マタイ10:28/ヨハネ15:20)

イエスが広く大衆に講話しつつも譬えを以ってこれを秘め、パウロが家令を務めつつエクレシアに明かした『奥義』ミュステーリオンの実体である神の目的に込められたもの、即ち人類救済の神の悠久の意志という畏怖すべきまでの内実の素晴らしさに、今日でもある人々は心動かされるであろう。(エフェソス3:1-4)

「秘跡」「復活の祝い」「赦しと救い」など様々に誤解されてきた「主の晩餐」であるが、キリスト教の神髄に適った「主の死の宣布」と「聖霊と聖徒待望」の仕方で挙行することは、今日の聖霊を持たない我々にもできることである。
もちろん、エレメントに与る者は居ないが、その本来の姿、原始キリスト教が持っていたその理解を目指し、ディダケーにあるような仕方を尊重して、この21世紀にこれを甦らせることは現に可能なのである。そこではパウロが述べていたように、聖霊の再降下と聖なる者の現れを願うという意義が残されている。(ローマ8:19)


筆者はここ数年、小アジア原始キリスト教の古式に則り、年に一度の「主の晩餐」を行ってきた。また、遠隔地のこの信仰と神の意志に従おうとの大志ある方々にも無酵母パンとぶどう酒を用いた「パスカ」を同日の同時刻に行われることをお勧めしてきた次第である。

そして本年は四月十四日の日没後がその機会となった。

各地で「主の晩餐」を行われた方々からのお知らせをお待ちしている。
人数は一向少ないが、これも大多数の人々には「譬え」や「奥義」で終わるということだろうか?
筆者は東京で行い二名の出席であった
埼玉県内でも二名あり
富山県内で一名
海外で一件の知らせあり

他にも行われた方があれば、お知らせを頂ければ、こちらで把握できた分だけでも公表したく思う。
それは、僅かといえ価値を見出し万難を排して式を行った少数者を励ますものとなろう。


 quartodecimani(a)hotmail.co.jp   (a)を@に入れ替え 林 義平 宛てまで


(「主の晩餐」の基本的理解についてはこちらを

(「ディダケー」については一例として「使徒教父文書」荒井献 編 佐竹明 訳で講談社学術文庫にも含まれている。但し、この文庫本に含まれる他の教父文書に同様の価値があるというわけではない) ⇒ ディダケーについてのメモ

なお、2015年のパスカはユダヤ人の習慣から考慮して4月5日(日)の夜を予定している。

© 林 義平



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