時は否応なく進み、状況は刻々と変化を遂げるものである。
西暦60年代に入り、今までにない迫害にキリストの弟子らは直面していた。
その原因を作っていたのは、キリスト教とは相容れないユダヤ民族主義の各地での高まりであった。

そこでは使徒ペテロまでが、パウロのように手紙を介して、ポントス、ガラティア、カッパドキア、アシア、ビュチュニアとアナトリア半島北部方面の聖徒たちに励ましを送る必要を感じ取っていた。
 

ペテロは、迫害によって動揺し兼ねない人々に『あなたがたが召されたのはこのためだ。つまり、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからである。』と記して窮境に陥った弟子らを励ます必要を察知していたことを示す。(ペテロ第一2:21)

それゆえ『あなたがたの間に降りかかっている火は試練として臨んでいるので、何か予想外の事態に面したかのように動揺し怪しむべきではない。』『キリストの名にゆえに謗られるのであれば、あなたがたは幸いだ。栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿っているからである。』(ペテロ第一4:12.14)

迫害の困難な状況の中で、彼らには守るべき清さがあった。
即ち、『悪を行って苦しみに遭うよりは、善を行って苦しみ』『肉体の欲望を避け』『王や総督に従い』上位者を敬い、キリスト教徒の自由を『悪の覆いとはせぬよう、むしろ自らを神の奴隷の身分に置き続けるように』することで、彼らの主に倣う歩みを続ける必要があった。
そうするなら『諸国民の間にあって、常に見事な行状を示し、あなたがたを悪行者とする彼らが、来臨の日には却って神を崇めるようになる』ともペテロは言う。(ペテロ第一2:12)

彼らに約束されたのは『朽ちず汚れず、褪せない資産を受け継ぐ』ことであり、その彼らは『“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血の注ぎのために選ばれた』者たちであることが明記されており、ペテロは彼らがモーセによって律法契約が目指しながらも、それが遂に生み出さなかった『選ばれた支族、王なる祭司、聖なる国民、神の格別な所有に帰する民』となったことを宣しており、これ以上ない仕方で彼ら弟子たちが霊を受けた『聖なる者たち』であることを云い表している。(ペテロ第一1:2-4)


まさしく、彼らは中にはユダヤ人ではない者も多かったが、いまや『新しい契約』に共に預かる者らであり、生涯を通してその契約を守ることで、神の御前に信用貸しされた「義」の立場を聖なる行状によって守る務めがあった。(ペテロ第一2:10/ローマ8:1/コリント第一6:20)
彼らは、聖霊が注がれることで任命された『聖徒』であり、キリストと共に『神殿』即ちヘブライ語においては『神の家』を構成することになる格別な弟子であった。即ち、裁きの始まる場としての『神の家』である。 (ペテロ第一4:14/コリント第一3:16/エゼキエル9章)

そして今や、あのペンテコステの聖霊降下から30年が経過し、キリストの初代の弟子たちには新たな時代環境の変化が臨もうとしていた。

西暦40~50年代の『順調な時期』は去りつつあり、弟子たちは厳しい現実に直面し始めていた。

しかし、聖霊の降下が止んでしまったわけではない。では「聖霊の賜物」というこれ以上ないほどの恵みの最中にあって、なにゆえ当時のキリストの弟子たちには多くの困難が臨んだのか。

ペテロは新たに直面することになった時代をこう呼んだのであった。
『今や、裁きが神の家から始まる時が到来したのだ。』(ペテロ第一4:17)

キリスト・イエスと同世代の弟子らが齢六十を越える老境に達しつつある西暦60年代に入ると、彼らの周囲は目まぐるしいほどに変化を始めていた。それは初代の聖なる者らに臨む試練の時であり、彼らは『新しい契約』をその生涯を通して守り通すか否かの裁きに面したのであった。


◆老齢に達した初代の聖徒

西暦60年に入ると、パウロは難船を経ながらもローマに送られ、その後の二年間の軟禁生活に入る。
そして弟子たちの中心と目されていたエルサレムではエクレシアの第一の柱である「義人ヤコブ」、即ちキリストの弟を62年に殉教で失う。
そして、64年にはローマ大火が起きている。火災の下手人とされたキリスト教徒への迫害が始まったともされているが、その以前にユダヤ教徒によるキリスト教排撃の火の手が各地に上がっていたのである。

かつては、激しい迫害に敢然と立ち向かった者らが徐々に去り、「義人ヤコブ」の仲裁を得て比較的平穏に過ごせてきたキリストの同世代にも、はっきりと試みとなる時節が近づいてくる。

それはユダヤ民族の愛国的メシア願望による、思想の先鋭化であり、歴史の記録も教えるように、それまでは律法に従うことが宗教的責務であったものが、民族社会的義務の様相を帯びてきたのである。パレスチナばかりか、各地の居留民の間でもユダヤ愛国主義は異様な高まりを見せていた。彼らにとって、イエス派は「悪しきユダヤ人」にほかならず、そのころのシカリオイと呼ばれる集団は、国粋主義者でない要人を暗殺するようになってゆく。

他方、ローマ側から観る場合、ユダヤ教徒とユダヤ・キリスト教徒の違いは判然とはしない。そこで彼らはユダヤ人とだけ見做される。そうしてキリスト教徒は、ユダヤ教徒からも、諸国民を含む帝国側からも圧力を受ける難しい立場に立たされることとなる。 


神殿の石の床に跪いてイスラエルと神との執り成しの祈願を日々捧げ続けていた為に、その膝の皮膚がラクダのようになっていたという「義人ヤコブ」の願いも空しく、ユダヤの体制は彼の兄ナザレ人イエスをまったく顧みることなく、「ユダヤ人の良心」とも言われたこの義人までを除き去ってしまった。それは巻き起こりつつあった動かし難く強まる時代の渦潮の影響であり、ユダヤ民族を中心に巻き込んでやがてその体制をもろとも沈めてしまうことになる。それを媒介していたひとつに、帝国が差し向ける総督の質の低下が関わっており、ヤコブの死後着任したアルビノスは横暴な支配を行い、少なからずユダヤ人の義憤を買っていたのだが、続いて赴任したフローロスに至っては、ユダヤを挑発しているとさえ云われるほどの圧制を行ったとされる。
 

使徒パウロは、このヤコブ殉教の報をローマで受けたことであろう。
おそらく翌63年に一度釈放されたパウロは、『自分もアブラハムの後裔にしてベニヤミン部族の者であり』『わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されても厭わない。』とまで云うほどに同朋ユダヤ人を深く気遣い「ヘブライ人への手紙」を認ためたのであろう。(ローマ11:1 /9:3)
そこで、新約聖書中にパウロらしからぬひとつの書簡が残ったのは、ヤコブの殉教がきっかけであったように思われる。

パウロは自分の評判がユダヤ人の間で頗る悪いことを考慮したようで、その書簡は頭書に自分の名を出さない唯一のものとなっている。
「ヘブライ人への手紙」と呼ばれるそれは、パウロによってヘブライ語で書かれたのであろう。ユダヤ人に向けて書かれたそれが、後になってからおそらくはギリシア語を話す諸国民の信徒らの依頼で、ルカやマルコのようなヘレニストである誰かによってギリシア語に訳されたため、文体がパウロらしくないかも知れないが、これほどの認識を以ってこの画期的内容を記せる人物が、この「奥義の家令」を除いて誰か他に居ただろうか。

この書簡ではキリストのモーセに勝ることが強調される、その祭司権の優越性、様々な旧約の事柄がキリストにあって成就したことを教え、『律法は来るべき事柄の影であったが実体そのものではない』と古参のヘブライ人の知覚力を刺激する。(ヘブル10:1)
イエスこそが、繰り返されることの無いひとつの永遠の犠牲を捧げたことを多くの章を費やして語るパウロの言葉は、実にあと三年で勃発することになるユダヤ騒乱と、その結末としてローマの攻囲の下に七年後に歴史上からまったく消え去ってしまう神殿祭祀について、今日の我々のように時代の下流から見る場合、この教訓がまったく重要で危急に培うべき認識であったことが分かる。

このヘブライ書簡で、パウロはキリストについてこう述べている。
『キリストは、時代の終わりに*、ただ一度限り、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために来られた』(ヘブライ9:26)*(シュンテレイア アイオノーン)
この『時代の終り』(あるいは世代)というのは、何の時代の終りであるかといえば、それはモーセの律法の時代の終りを指して、彼がユダヤ教のものの考え方から離れるようヘブライストらに語りかけていたというところが順当な捉え方であろうし、もし『世代』と解釈するにしても、キリストを退けた『世代』への『火のバプテスマ』による、ユダヤ体制の崩壊を含意して注意を促していたのかも知れない。(マタイ3:12/ルカ19:41-44)


動物の犠牲によるユダヤ律法体制と、イエスの犠牲によるキリスト教とは、元来、両立し得ないものであり、その対立が愛国主義の先鋭化と共に動かし難い相違として浮かび上がり、メシアを退けたうえヤコブにまで殉教の死を与えたユダヤは、悲惨な終局に向かって更にその行き止まりへの道を猛然と突き進んでいた。


それゆえ、パウロが後半生を捧げて教えてきた「業」に対する「信仰」の優位を、今やこれらのヘブライの初期キリスト教徒がしっかりと把握し、来るべきユダヤ体制の終焉を切り抜ける重大性は強調し過ぎることが無いほどであったことであろう。

こうして、パウロは本来ヤコブのテリトリーであったユダヤ人らに、態々その危急のゆえに憎まれ顔を出してまで同族に語らずにはいられなかった。その理由はヤコブ殉教によるそのヘブライストたちの中心的「柱」と目された「義人」の不在であったろう。(ガラテア2:9)

使徒たちをはじめとする初代の弟子たちは、自分たちの世代のうちにキリストの帰還が為されると考えていたことは聖書中に見られる通りである。使徒パウロも『生きながらえて主の来臨の時まで残る』と自らのことを西暦50年頃に記している。(テサロニケ第一4:15)

だが、彼らの期待通りにキリストの臨在は起こらなかった。そしてパウロの認識も後に変化を見せる。それから十五年を経た最晩年の西暦65年頃には、二度目の逮捕を受け『わたしが世を去るべき時は来た』と言っている。(テモテ第二4:6-8)

その後、パウロはペテロとほぼ同じ時期に処刑される。パウロはローマ市民であったためか斬首となり、磔刑を宣告されたペテロは、主と同じ様で死ぬことを憚り、自ら望んで逆さに磔されたと伝承に伝わっている。
「聖なる者」(ハギオス)は、生涯を通して忠節を保ち、主に倣った死を遂げるべき「新しい契約」に聖霊によって預かっている。

この初代の弟子らに臨んだ試みの時期に、使徒のペテロも警告の書簡を各地へ送る。
まさしく、これは律法体制の「終わりの日」であるばかりでなく、初代の「聖なる者たち」が生涯の終わりの時期を迎え、彼らの全体が試みられ裁かれる「使徒時代の終わりの日」ともいうべき時節に入っていったからである。

だが、ペテロは聖霊の霊感を受け、当時を越えて更なる将来に目を向け預言して続ける。
『終りの時には、嘲る者たちが嘲りながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。』

『しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、清く信心深い行いをしていなければならない。』(ペテロ第一3:3-)

理知があり神を認識できる創造物には、押しなべて創造者への見方が問われるのであり、その為にサタンという存在は、神が初めから彼を反逆者として創造したのではないにせよ、その不忠節を教唆する歩みを通して、他の理知ある創造物を試し、その結果として意図せずに創造物の自由意思を担保する役回りを負ったのである。
それゆえ、地に来た御子にあってさえ、四十日の試練の後にサタンからの試みを受けることを神はよしとされたのであった。

では、その御子キリストに連なるべき聖徒たちはどうか。
その「聖霊の賜物」に表される「召し」に相応しい生涯を通すことができるだろうか。即ち、イエスへの忠誠の歩みを主の来られるまで、あるいは死に至るまで行い遂げるか否かは、彼らの「救い」に関わるところであり、ひとつ間違えればユダヤ体制と共に滅びに巻き込まれ、そのうえに『神の王国』のひとりと数えられず、真のアブラハムの裔とされることからも退けられてしまうのである。それを狙って猛り狂うサタンは獅子のように獲物を求めて歩き回るかのようであることをペテロは警告する。(ペテロ第一5:8)

それは聖徒であればユダヤ人も異邦人も変わるところはない。残された生涯の間に『清い行状と崇敬の思いを以って主の日を待つことを十分に心に留める』ことは彼らの最大の務めであった。(ペテロ第一3:11)

聖徒であれば、彼らの死後は天に迎え挙げられ、キリストと伴なる聖なる民の一員と成り得るが、もし、地上の歩みを相応しく終えていないなら、彼らの目覚めたときに灯火の油は足りず、『愚かな処女』に例えられるとしても仕方のないことであるが、それはもはや花婿と宴席を共にはできず、外の闇に残されるばかりである。なぜなら、天に召集されてからでは、サタンは放逐された後で、既に天におらず、試みの受けようもなく、彼らは地上の歩みであってこそ、主に忠誠を示せたはずであった。(マタイ25:1-12)

そして、このような聖徒にとっての試練の時代は、ユダヤ体制の崩壊の後も引き続いていったことは、その後の書簡も知らせる通りである。彼ら契約に属する者たちの間での分離は依然として厄介な問題を引き起こしてゆくのである。


◆使徒たちの終わりの日

西暦67年頃にペテロとパウロが相次いで世を去ると、第二世代ともいうべき聖徒らも含め、なお残された者たちがいた。
既にイエスの弟ヤコブの亡き後、そしてペテロとパウロも去った後に、トランスヨルダン方面の山地にエルサレムの荒廃を逃れたユダヤ人の弟子らの中から、引き続き警戒を緩めることのないようにとの声が上がる。

イエスの末の弟ユダが、『一度限り伝えられた信仰を守って厳しい戦いをするように』と書簡に記して兄ヤコブ亡き後にその声を上げた。
仲間たちは既に一通りのことを学んだが、その聖なる民にもう一度注意を喚起したいと彼は言う。(ユダ3)

『愛する人たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出せ。 彼らはあなたがたにこう語った。「終わりの時には、嘲る者どもが現れ、不信仰な欲望のままに振る舞う」と。 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊*を持っていない者なのだ。』(ユダ18-19)*(プネウマ「聖霊」を含意)

ここに『終わりの時』の言葉が現れており、そこでは仲間内からの異分子の出現について容赦なく描写する。
『これらの者は、無遠慮にもあなたがたと愛餐を共にしても私腹を肥やすばかりで、風に吹かれて行き惑う水無き雲、実を結ぶことなく枯れ果て、晩秋に根扱ぎにされた樹木、その身の恥を泡のように吹き出す海の荒波、永遠の下界の闇と暗さが定め置かれている迷える(軌道を外れた)星辰』。(ユダ12-13)

これらの者らは聖徒の交わりにあって意味なく、その欲望のままに過ごすばかりで、神の聖霊の祝福にも実は与ってはいないことが暴露される。この輩には聖徒としての印である聖霊があるように装うとしても、実はそれを持ってはいないとも警鐘を打ち鳴らしている。

この『終わりの時』が先に逝った使徒たちの予告した時代であり、ここでユダはペテロの言葉を引用しているが、パウロも、荒野のイスラエル人たちの不行跡について触れた後に、このように語っていたのである。
『これらの事が彼らに起ったのは、他の者に対する警告としてであって、それが書かれたのは、時代*の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。』(コリント第一10:11)*(アイオノーン「世代」とも)

これは西暦七十年のユダヤ体制の「終わり」に近づいたペテロやパウロの世代の「終わり」だけを意味したのだろうか。

しかし、それから30年ほど後の、第一世代のその最後を飾る使徒ヨハネはユダに続いてこう記している。
『子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたが以前から反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知るのである。』(ヨハネ第一2:18)

これらの書簡の内容を時代に沿って追ってゆくと次のような結論に至る。
即ち、聖徒たちの第一世代が老齢に達し始める頃から、彼らへの試練が強まり、その後もその状況が続き、それは第二世代以降まで続き、遂に聖霊で油注がれた聖徒のすべてが地から消え去るに至るまで続いていたという事になろう。その間に聖徒らは試され分離が生じていった。

これについて使徒ヨハネは『反キリスト』を挙げており、それは『キリストが肉体で来たことを証ししない者』であることも知らせている。

しかも『彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒に留まっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが明らかにされるためである。』とも語る、即ち、『反キリスト』と呼ばれる者らは、以前には彼らと共に居た者らであることも教えている。

では『反キリスト』は聖徒であったのだろうか。
ここでイエス自身が語っていたことで留意する価値のある言葉をマタイの福音書に見出す。
曰く『その日には、多くの者が、わたしにむかって「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力ある業を行ったではありませんか」と言うであろう』。(マタイ7:22)

『悪霊を追い出す』権威を持ち、多くの力ある業を行う者が奇跡の聖霊を賜った聖徒でなくして誰であろうか。しかし、聖徒の身分は不動のものではない。
それゆえに『新しい契約』が取り結ばれたのであり、契約とは不確定な事柄があるところで必要とされるものではないか。

これについてパウロはこう言っている。
『最初の確信を最後までしっかりと持ち続けてこそ、我らはキリストに連なる者となれるのだ。』(ヘブル3:14)

ここで我々は、キリスト自身の言葉も思い起こすであろう。
『狭い門から入るようにせよ。滅びに至る門は広く、その道は広く、そこから入って行く者は多い。』(マタイ7:13)


したがって、聖霊を灌がれた者と雖も、『キリストの掟』を全うせず、その清い立場を敢えて汚すならば、キリストは決して彼らを是認はしない。マタイの例えの結末はこうなっている。
『そのとき、わたしは彼らにはっきりと、こう言おう、「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」。』(マタイ7:23)

主イエスは、これに類する例えを多く残されていて、他にも「小麦と毒麦」「引き網」「結婚式」などが思い浮かべられるところである。

これらの離れる者たちは、単に「罪」の傾向が彼らの忠誠の邪魔をしたということにはならない。ヘブライ書でパウロが言うように、そこでは『一たび、光に受けて天からの賜物を味わい、聖霊に預かるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後なお堕落した者は、再び悔い改めに立ち帰らせることはできない。神の子を自分の手で改めて磔刑に付し侮辱する』とされる者となるのであり、『故意に罪を習わしにするのであれば、もはや何の犠牲も残されてはいない。』(ヘブル6:4-6/同10:26)
これが即ち、キリストが『けっして赦されることの無い罪』と呼んだものである。(マタイ12:31)

では初期聖徒たちの終わりの日の試練に際して、『新しい契約』を離れてしまい、聖霊によって油注がれた立場を汚してしまった者たちが出たのだろうか?
使徒ヨハネの言葉、『反キリスト』が彼らから出てきたという指摘には、そうではないという反論の余地が無いようである。


キリストの仮現説、つまり『キリストが肉体で来たことを証ししない者』としてのグノーシス主義というユダヤ教とキリスト教の中間派生的宗教の台頭をヨハネは強く懸念していたであろう。
その教えには、ユダヤ体制の崩壊によってユダヤ人が感じたに違いない失望が込められており、すべての造物主は不完全な劣った神(デーミウルゴス)であったので、この世の有り様もすべては虚しいとする。
それらの「デーミウルゴス」の一人には何とYHWHまでが、「ヤルダオバート」という別名ながら悪しき神に含まれているという、根深い神への失望と恐るべき誤謬の入り混じったものとなっていった。

グノーシス派の創唱者の一人と目されるケリントスなるユダヤ人を使徒ヨハネは個人的に知っていたと古代資料が語っている。
ヨハネはキリストが間違いなく肉体で来られたという『この教えを携えずにあなたがたの許に来る者を迎え入れても、挨拶の言葉をかけてもならない』と命じていたが、ヨハネがエフェソスの浴場にケリントスの姿を認めると、そこから出て行ってしまったとさえ伝えられている。
このような偽教師の存在は、確かにしっかりと使徒に追随しないような聖徒らには紛らわしいものであったことであろう。グノーシスではキリストの教えとまったく異なる教理と伴に、キリスト教の自由さとは不釣合いな禁欲の道徳も教えられていた。

この使徒時代の終わり以降に現れた様々な派はケリントス派だけでなく、イエスは予告された預言者ではあっても普通のユダヤ人であったと見做したエビオン派は、あのエルサレムの滅びをトランス・ヨルダン地方に逃れた人々から派生したと言われる。
また、自分たちの教祖が天啓を受けたと主張するエルカサイ派は、使徒ヨハネの最晩年頃に東方パルティアに出現したらしいが、旧態依然として全信徒に割礼を強制していた。そこからマニ教が興されるのは時間の問題となっていた。
これらはユダヤ・キリスト教からの変形であり、ユダヤ教を引きずった人々の好感と支持を得て、神秘主義と結婚禁止と禁酒などの律法化に再傾斜していった。

これらの人々も、初めはヤコブの指導の下にあったのであろうが、エルサレムの柱が抜けてしまった後に、分派は分派を産んで広がってゆく。その中にあってキリストの末弟ユダは、かつての使徒たちの言葉に注意を喚起し、残された使徒らも迫り来る背教の侮り難い勢力との日々の戦いを余儀なくされていった。


◆終末の聖徒の試練

この時代の試みの時期に離れ去った者らがあったということから、我々の関心が「世の終末」の聖徒たちに向けられて不思議はない。即ち、将来に再び現れるであろう、聖霊を受ける人々と、そこからの異分子の出現についてである。

初期の聖徒たちに試練の「終わりの日」が臨んだように、将来の聖徒らも地上で試されなくてはならないに違いない。『あなたがたは王や高官の前に引き出され、それは証しをする機会となる』と予告された主の言葉は終末に関わるものである。(ルカ21:12-15)
したがって、終末の聖徒らは、聖霊の言葉を賜って世の為政者たちと対峙しなければならず、そこで迫害は当然覚悟されるべきものである。(マタイ10:17-42)
そして、初期と同様に、聖霊を受けていながらも試みに篩われ、契約から脱落する者があるとしても驚くべきことではない。

まさしく、終末への示唆に富むダニエル書の記述にそれを見出すのである。
『キッテムの船が、彼に立ち向かって来るので、彼は脅かされて帰り、聖なる契約に対して憤り、事を行うだろう。彼は戻って行き、聖なる契約を捨てる者を顧み用いる』

この部分は、ダニエル書の記述の終わりも押し迫った11章30節に在り、いよいよ世界の終わる時が近づいた場面での『北の王』と呼ばれる政治勢力の、対抗する『南の王』との『押し合い』の過程で生じることとされている。

ここで、『北の王』は『聖なる契約を捨てる者を顧み用いる』と明瞭に書かれていることは注目に値する。
これこそは、聖霊で油注がれ、その奇跡の賜物を一度は得た者らが、『新しい契約』から離れてしまうが、それを『北の王』は『用いる』というのである。
加えて、この続く部分も衝撃的である。
『彼から腕(軍勢)が起って、神殿と城郭を汚し、常供の燔祭を取り除き、荒す憎むべきものを立てる』

こうして、この謎の言葉『荒す憎むべきもの』の姿について我々は幾らか進んだ理解に入ることができる。
即ち、『荒す憎むべきもの』は『神殿と城郭』また『常供の燔祭を取り除く』という言葉によって、聖なる者らの捧げる崇拝を中止に追い込むものであり、それは『腕』とよばれる権力つまりは軍事的強制を用いてそれを成し遂げるということであろう。
これこそは、黙示録に在る『七つ頭の野獣』の行うところでもある。
そして、そこには『聖なる契約を捨てる』元聖徒らが関わると云う。

ここで思い起こされるのが、パウロがテサロニケの聖徒らに書き送っていた、『キリストの臨御』の起こる終末に関する次の記述である。
『だれがどんな手段を用いるにしても、それに騙されてはならない。まず背教が起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れてからでなければ終わりは来ない。』(テサロニケ第二2:3)

ここで『背教』という言葉が挙げられている。これについてパウロは、彼の当時もその『不法の秘事が働いているが、それは今のところ抑制しているものが無くなるまでのことであり、その後に「不法の人」が姿を現す』と言って、「背教」と「不法の人」とに注意を向けさせている。(同7-8節)

その『不法の人』にはサタンの働きが在って『あらゆる偽りの力と、徴と、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行う』と言う。

背教への抑制力であった聖霊が地上を去った後に、つまり西暦第二世紀以降の古代からパウロに語っていた「背教」と「不法の人」が現れたかと云えば、そのように考えねばならないわけでもない。

なぜなら、この書簡を記していた時分のパウロ自身の認識では、キリストの臨在は自分の生きている間に起こることを想定していたが、実際には後に自分の死を悟るように変化しているでのあるから、『今のところ抑制しているものが無くなるまでの』時代の終りとは、パウロ死後の古代を必ずしも想定する必要はない。


むしろ、『不法の人』とは、聖霊の賜物のような力ある業を行う偽預言者となるのであろうから、それは単に異なった教理を説く指導者では役不足なのであり、プロテスタントが16世紀に唱えたような『不法の人』をローマ教皇と観ることさえも、器としては不十分と言えるほどである。

なぜなら、教皇と雖も、『聖徒』のような奇跡の賜物も、あるいはそれに匹敵するものも何ら持たなかったからである。終末に勃興する『背教』に比べれば、今日のキリスト教界の逸脱など取るに足りないほどであり、一たび聖霊を受けた者らの背教は究極的な神への抗いとなり、この世に最後をもたらす最悪の宗教となろう。
だが、実際の『不法の人』が不思議な力を持って聖徒に対抗し、また聖徒を征服しようとも、彼らの霊が神の聖霊の価値に勝ることはない。

それはパウロが『ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。』としているように、モーセの奇跡に立ち向かったエジプトの祭司らの限界と同じくなろう。(テモテ第二3:8)
というのも、黙示録がこの点を語っているからである。

『また見ると、龍の口から、獣の口から、偽預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、徴を行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に戦いをするためであった。』(黙示録16:13-14)

こうして我々は『新しい契約』から堕ちた元聖徒の偽りの栄えとその末路を眺める視座に就くのである。即ち、彼らはモーセに逆らった異教祭司の対型となり、ある程度の不思議な力を発揮はするが、それは『かえる』止まりである。なぜなら、エジプトの祭司が行えたモーセの真似事は『かえる』を出すところで留まってしまったように、必ず限界を迎え、ハルマゲドンの決戦を用意し、シオンに対して全人類軍を整えても、その行く先には『火の湖』が定め置かれているのである。(出埃8:7・8:18-19/黙示録20:10)


◆背教の行方

だが、それでも『不法の人』の行うところによって世の相当数の人々が聖徒を支持するところから離れることは、上記の引用文にも示される通りなのであろう。
このような『不法』の働きは初期聖徒の時代にも働いており、それはやがて聖霊の油注ぎを受ける者らが絶えて、キリスト教界がキリストの教えから離れ、他の宗教と本質的に変わるところのないご利益宗教に堕した以上の『背教』となることであろう。

『不法の人』は『彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の神殿に座して、自分は神だと宣言する。』ともパウロは書いている。(テサロニケ第二2:4)
これを推進するのが『北の王』であろう。『この王は、その心のままに事をおこない、すべての神を越えて、自分を高くし、自分を大いにし、神々の神たる者にむかって、驚くべき事を語り、憤りのやむ時まで栄える』(ダニエル11:36)
そして、この王は旧来の宗教を顧みることをしないとも預言されている。
『彼はその先祖の神々を顧みず、また婦人の好む者も、いかなる神をも顧みない。彼はすべてに優って、自分を大いなる者とする』(同37節)

それゆえ『北の王』が新しく自分を崇拝させる宗教を興したとしても不思議はないようだ。また、旧来のすべての宗教『大いなるバビロン』を何ら顧みず、却ってこれを破滅に至らせることにも躊躇はないのであろう。そこには自分への崇拝が既に存在しているからである。

それを支えるのが元聖徒の『偽預言者』らであり、彼らの教唆はまず聖徒を攻撃させて地上から一掃し、次いで諸宗教「大いなるバビロン」も亡きものとする。こうして『北の王』を至高の賛美へと高め讃えさせるが、それも長くは続かない。
なぜなら、聖霊の声に信仰を働かせる人々の集団である『シオン』を『北の王』が軍事力を誇示して恫喝したところで、この王は天使長ミカエルの手に掛かり、あっという間に『人手に拠らず』歴史の舞台から消え去ってしまうからである。(ダニエル11:45/8:23-25) ⇒「二度救われるシオンという名の女」

だが、聖徒らを亡き者とし、『大いなるバビロン』をも滅亡させたところの、この新たな崇拝は過ぎ去ることなく、偽預言者と共に、まだひと時の間は存続することになる。
そこで、黙示録は『子羊のような二本の角を持った』別の野獣に、その傲慢な崇拝を継続させ、これは広い範囲の人々に強制を施すことに成功するようだ。(黙示録13:15)

こうして、人類は神の聖霊の声や徴に信仰を懐く人々と、それに頑強に抵抗する背教に組する無数の人々とに二分されることであろう。ここに終末の裁きが成し遂げられ、いよいよキリストの王権領受の瞬間が近付くことになる。即ち、『神の怒りの葡萄搾り場を踏む』という「戦うキリストの日」である。⇒ 「黙示録の四騎士」
我々はここに、聖霊に信仰を懐くことが簡単ではないことを悟らねばならない。

かつてパウロはこう語っていたものである。
『不法の者が来るのはサタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と徴と、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救いとなるべき真理に対する愛を受け入れなかった報いである。
そこで神は、彼らが偽りを信じるように惑わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くのである。』(テサロニケ第二2:9-12)

ここで重要なことは、信仰を懐きさえすれば、あるいは神に関わる進んだ知識を取り入れさえすれば、自分は安泰であるなどと思うべきでないことである。まして、特定の宗教組織への所属など何の保証にもなりはしない。



◆アナニアとサフィラを見よ

この夫婦は自分の畑地を売った金額をごまかしてまで、バルナバのように人々から讃えられることを望んだ。そこで悪巧みを仕組んで裁かれ死に至ったが、彼らはまるで信仰の無い者らであったろうか?
いや、まず聖霊の働きに信仰を働かせ、使徒たちと行動を共にする決意を固めたのであろう。
しかし、メシアに信仰を持った彼らであっても、貪欲に誘われた試みによってその内奥の姿が焙り出されてしまった。(ヤコブ1:13-15) あるいは聖霊をさえ受けていたかもしれない。おそらくはそうであろう、ならば咎は一層重い。
この夫婦は、バルナバのように純粋な内面を持ってはいなかったので、隣人愛の外見をした誉れを得ることだけを願った行動をとったが、人々を欺くその動機は利己心であったろう。

これを単なる献金の動機がどうのと捉えるなら、それはこの世の人間の観点であって、聖霊が注がれ『新しい契約』に与っている状況下では様相が異なるのである。それが如何に違うかをこの夫婦の受けた処罰が物語っている。このような宗教組織内の動機の悪い献金が今日なされたとしても、然程のことは無い。なぜなら、今日はどこにも聖霊が無いからである。

しかし、この夫婦が欺こうとしたのは単なる人間ではなかったので、ペテロは彼らが『聖霊に対して偽りを働いた』と断罪し、この二人は共に救いには至らず死に絶えたのである。

これを裁いたペテロがまるで「罪」の無い人間であったのではない。ペテロは主の奇跡の豊漁を見るなり、『わたしは罪深い男です』と叫んでいる。また、キリストを三度否認したのもペテロであったのだ。
だが、罪を認めるペテロと、隠し遂せると思ったアナニアとサッピラとは動機では正反対であったに違いないし、今や聖霊によって『聖なる者』とされ、その聖さを守る務めが契約によって課せられていたのである。

この夫婦には、聖霊というものの重さを弁えるところがまるで無かったのであろう。それが単なる人を騙すように思えたところにそれが曝け出されている。

もちろん「アブラハムの裔」にこの二人が含まれることは無くなった。彼らは人々を欺いたつもりでも、実は『聖霊を試した』以上、聖霊を保持するに値しなかったのである。
ならば、信仰にある仲間であったにも関わらず、『聖霊への許されざる罪』で、この夫婦は裁かれたのである。何と厳しい教訓であることか!


パウロはこう言っている。
『キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者は皆が迫害を受ける。しかし、悪人や詐欺師たちは、騙し騙されしながら、いよいよ悪に堕ち込んで行く。』(テモテ第二3:12-13)
これが「終わりの日」の実相なのであろう。即ち、ここで言う『悪人や詐欺師』とは一度は浄められた者である。

それゆえ、『終わりの時には困難な時期が来ることを知れ』として『人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる者となる』という事柄は、単に世相を云い表しているのではない

これらの言葉は、聖霊ある者らの失態を描き出している。
この者らは、聖なる『新しい契約』に価せず、それから『離れる』ことになるのだろう。

ヘブライ人に宛てた時期より後の、このテモテへの書簡が書かれた時期にあたる、ローマ大火後のパウロが二度目に逮捕された最晩年に、ここで彼はなお将来の「終わりの日」のことを含めて警告しているのである。
これがもし、ユダヤ体制の滅びの時期についてを述べていたのなら、それはなお将来のことではなく、もうそこに到来していた危機の時代であったはずであるから、このように『終わりの日には・・を知れ』とは言わなかったことであろう。


この『困難な時代』とは、まさしくエクレシア内の試練の時期なのである。さもなければ、『こうした人々からは離れよ』とは命じられず、また、『常に学びながらも神の真理に達しない』とされる者らも関連付けされなかったであろう。(テモテ第二3:1-7)

この世というものは、常に苦難の状態にあるもので、俗世の人の性向が善くもないのはノアの日から変わるところが一向に無いし、それは所謂「クリスチャン」であっても然して変わらない。(創世記8:21)

この『困難な時代』は、まずパウロ後の主要な使徒らが去った時代にまず一度成就し、なお「終末」の聖徒らの試みの上に二度目の成就を見るのであろう。

そこで、キリストに従おうと決意固める者には内奥の純粋性が求められるに違いない。
それはキリストに関する知識を取り入れて信仰を働かせ、バプテスマに浴したとしても、一途に求めるべきところは一向に変わるものとはならないのである。殊に、聖霊を注がれた者については、その重責を問われるであろう。

これらの事柄の結論として、ペテロが警告した『神の家から裁きの始まる定められた日』の到来が臨むときに聖徒らの心すべきこと、またその聖霊に信仰を働かせるすべての者らにとって自らを省みるべきことは何であるか?
イエスはこの重要性を端的な言葉で次のように語られた。
『目は体の灯火である。ゆえに、あなたの目が澄んでいれば、全身も明るいだろう。
だがもし、あなたの目が暗ければ、全身も暗いだろう。もしあなたの内なる光が実は闇であれば、あなたの暗さとはどんなに酷いであろうか。』(マタイ6:22-23)

このことでキリストに従おうとする者には僅かな油断も大敵となろう。
ベオルのバラムの貪欲は、神YHWHの祭司という自らの貴重な立場を幾らも誉れとはさせなかった。
コラとダタンとアビラムらの自分本位な正義感を見よ。それが何か彼らを益しただろうか。

そして、ユダ・イスカリオテがいる。
パウロは『不法の人』を『滅びの子』とも言い換えているが、聖書中でこの言葉が当てはめられているのはユダひとりであり、それは聖徒の背教が如何なるものか、また、どのような結末を迎えるのか、そして、十二使徒というこれ以上ない優れた環境からでさえ、『滅びの子』が現れたことが、警鐘を音高に打ち鳴らしているのである。

我々の前に置かれたこれらの例を眺め、自己の内面を探る人々は、神に正面から向き合う覚悟が必要であろう。

それであるから、救いに至るほどの「信仰」が、正確な知識を取り入れるだけで出来上がると思うなら、それは大きな見込み違いである。その人の内面にあるものこそが真実に益ある「信仰」を産み出すのであり、「知識」は助産婦のようでしかない。まして行状や活動の『業』は、『裁き』に影響を微塵にも与えないことであろう。

そして、もちろんすべての人に皆「罪」がある。
我々には間違いがどうにも避けられない。
しかし、それから逃れたいと願い続けるのと、「罪」に凝り固まってしまったり、自分は恩寵を得て「罪」から逃れたと思い込んでしまうのとでは正反対に違うのである。

ユダヤ体制の滅びの端緒となるユダヤ騒乱を、およそ三年後に控えたヘブライ人にパウロはこう戒める。
『あなたがたの誰も、生ける神を離れて不信仰で邪悪な心を育てることがないように』また『罪の力のために頑なになることのないように』とも記した。

使徒ヨハネも後の聖徒らに向けてこう言っている。
『自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にはない。しかし、自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方であり、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださる』(ヨハネ第一1:8-9)

我々には皆「罪」があり、日常しばしば倫理上の間違いを犯す。
それゆえ、神に対して頭を垂れて謙る姿勢は誰もが是非とも持つべきであろう。
だが、ある人々には、あるいは状況によっては、神に謙虚さを示すのが難しくなることもあろう。試み手としてのサタンの手腕が発揮されるのは、こうした人をその固有の弱さや特定の状況に追い込むことに違いない。
この観点から見ると、『わたしたちを試みに陥らせないでください』との主の祈りにある言葉もやはり疎かにはできないものである。

そして、聖徒に在っても「神と人を愛する掟」は違えることのできないものである。
『「彼を知っている」と言いながら、その掟を守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。しかし、彼の言葉を守る者は、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼に在ることを知るのである。「彼の内に在る」と言う者は、彼が歩まれたように、その人自身も歩むべきである。』(ヨハネ第一2:4-6)

このように歩む聖徒らに倣い、聖霊無い者であるなら増々全能者の前に膝を屈める思いを強め、自分を高めず、罪の清められるのを一心に願いつつ待ち望む必要があろう。

初期聖徒たちの「終わりの日」に生じた試練は、「エデンの問い」に臨んだ『初穂』の人々の情報を伝えており、世の終末を将来に控えたすべての者にとっても、「自己の内面を問う」という、真に重い教訓を含んでいるのである。

使徒ペテロもこのように言う。
『「義人がかろうじて救われるとすれば、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどこに出るのだろうか」云われる通りである。』(ペテロ第一4:18)
これは一般人悪行を言うのではなく、聖なる者らが一般的犯罪者としての苦しみに遭うことのないようにとの訓戒であり、またアナニヤやサフィラのような者が出ることを警告しているのである。(箴言11:31<口語訳>)
それはキリストが再三警告していた「新しい契約」からの脱落となるからである。(エゼキエル9章)




              
   © 林 義平
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 二度救われる『シオン』という女  消え去る「北の王」

 黙示録の四騎士 時代の印か絶滅の使者か キリストの王権領受の時

 エルサレム会議にみるキリストの弟ヤコブの寛容さ ヤコブとパウロ







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