イエス自身が死を三日前にした週の第三日にその預言は語られた。

最後にエルサレムに上ったイエスと弟子たちは、この日に神殿を見て周り、弟子がこのヘロデ大王の建立した神殿の見事さを感嘆したことが、その預言が語られるきっかけを作った。

イエスは言った。「あなたがたはこれらのものをよく見極められないのか」「これらの(石組み)の石ひとつとして石の上に残らないだろう」。

この発言に対して弟子らはすぐには反応しなかった。民族の誇りとなっている見事な神殿がまったく崩れ去るという内容は彼らユダヤ人からすれば衝撃が大き過ぎたのかも知れない。

一行は神殿から東の谷を渡って、春先の日差しのなかであったろうか、聖域を見下ろすオリーヴ山を登ってゆく。
その間に使徒の四人が申し合わせたのか、彼らだけがイエスに密かに近づいて、先刻の神殿の石に関する発言の意味をそっと尋ねた。

「どうぞ、お話ください。そのような(すべての)ことは何時起こるのでしょうか?」「〔あなたの臨御とこの世("アイオーン"「時代」)の終わる[以上マタイのみ]  その徴しとしてどんな事があるのですか?」


これに答えてイエスの終末の預言が語り始められる。

では以下に、共観福音書を組み上げてイエスの発言をまとめてみよう
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誰からも惑わされぬように自分に注意せよ。わたしの名を騙って来るものは多い

自分自身に心せよ。あなたがたは王や高官の前に引き出されるが、そのとき何を語るべきか気を揉んだり、練習しようとするな、そのとき聖霊があなたがたにあって証しのために誰も論駁できないことを語らせるからである。そのようにして、王国の福音はあらゆる人々に宣明されるであろう」。

あなたがたは諸国民の憎しみの的となり、家族によってもわたされるだろう」。「多くの者がつまずき、倒れるだろうが、最後まで忍耐したものが救われる」。

あなたがたは戦争や無秩序とその噂を耳にするだろう。国民は国民に敵して決起し、食糧不足と疫病が蔓延し、あちこちで地震が起こるだろうが、これらは苦難のはじまりにすぎない」。

エルサレムが野営する軍勢に囲まれるを見たなら、都に居る者はそこを出よ、外にいる者は都に入ってはならぬ」。「荒廃させる憎むべきものが立ってはならぬ場所(聖所)に立つを見るなら、ユダヤに居る者は山に逃れよ」。「二階に居る者は何かを持ち出そうとして階下におりてはならず、野にいる者は外衣をとろうとして戻るな」。

そのとき、世の初めから今に至るまで起きたことがなく、その後も起きないような大患難がある」。「その日に妊娠している女と赤子に乳を飲ませる女にとっては災いとなる」。「実に、その日が短くされないなら、肉なる者は誰も救われないだろう。しかし、選ばれた者たちのゆえに、その日は短くされる」。

そのとき、自分がキリストだと言って惑わすものがあり、選ばれた者すらにも惑わされる者が出る」。

太陽と月と星に徴しがあり、諸国民は海の動揺から逃れようの無い苦悶がある(ルカ)」。「太陽は闇に月は血に星は天から落ち森羅万象は震い動く」。

そのとき、人の子が雲に乗って(と共に/の内にあって)到来し、すべての者は(刺し通した者も)それを見る」。

彼は、天の四方の風から自分の選んだ者たちを集めるだろう」。


-◆メシア拒絶の代償----------------------------------------

本来はエルサレムの神殿の破壊に関する言葉からの質問であったが、ここでイエスはユダヤの体制の終わりを述べつつ、事はそれだけで済まないことをも言葉の端々に表しているのが分かる。


しかし、ここではまずユダヤ体制の壊滅についてみてみよう。

イエスは刑場に曳かれる際に「エルサレムの娘たちよ、わたしのためではなく、自分のために泣け、孕まなかった胎と含ませなかった乳は幸いだというときが来る」。と言っている。(ルカ23:28)

それは、メシアを退けた後果をユダヤが刈り取らなければならないことを述べたのだろうか?

イエスはその数日前に次のようにも言っている。
エルサレムよ、お前(女性名詞)を取り囲んで先を尖らせた杭をめぐらし攻める日がくる。それは自分の査察されているときを見分けなかったためだ」。(ルカ19:43)

この国民の罪と言えば、神に属する者たちへの殺害であることを示してイエスはこうも言う。
アベルの血から祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この世代がその責任を問われるのだ。そうだ、真にあなたがたに言う、この世代がその責任を問われるであろう。」(ルカ11:50-51)

ユダヤは、キリストが水を与え、周りを掘って肥やしをやりして三年世話をしても実を生らせないイチジクであり、「お前からはもう二度と実がならぬように」と宣言されてもいる。(ルカ13:6-9/マタイ11:19)

こうしてみると、ユダヤ体制の終わりはイエス拒絶の代償であることはゆるぎないようである。*
ユダヤは体制として、ナザレ人イエスに信仰を置かず、その聖霊の奇跡の力と、神からの廉直な言葉を遂に認めなかった。そればかりかローマ総督にわたして処刑させたのである。
*(ヘゲシッポスや史家エウセビオスも同様の見解だが、彼らの言を待たずとも福音書そのものが雄弁に語っている。)

それでなくとも、ユダヤは以前からモーセの律法契約にも違反しており、メシアを退けることにおいて二重の過ちを犯そうとしていたのである。

ユダヤ体制派の策謀によりイエスの処刑が三日後に迫っていたこのときにおいて、神殿というユダヤの崇拝の要をまったく捨て去る神の決意はもはや翻らなかったが、イエスはそれを語っていたのであった。

では、その言葉はどう成就したか?
それを、以下に「ユダヤ戦記」を基に関連性を辿ってみよう。


-◆ その世代における成就 --------------------

イエスを除き去ったユダヤの体制は、その後、ますます愛国心を高めていった。
その先鋒となったのは、パリサイ人のシャンマイ派由来のシカリオイという集団であったという。
そのシカリオイの名は匕首(ナイフ)に由来し、彼らは匕首を忍ばせて雑踏に紛れ込み、自分たちの意に染まない要人を暗殺していたのである。

彼らの主張は、ユダヤをかつてのようにローマや異邦人の頚木から解放し、偉大なメシアの統治によって世界を治める地上の王国とすることにあったという。

確かに、旧約聖書を読むなら、メシアの統治は世々限りなく、神の熱心がそれを行わせるとある。(イザヤ9章)

そして、ユダヤ全体も歴代ローマ総督の悪政のためにむせ返り、とくにギリシア人総督フローロスが敢えてユダヤを煽るかのように振舞ったとき、独立への願望が堰を切らんばかりになっていたユダヤは、遂に引き返すことのない岐途に踏み込んだ。

西暦66年、ユダヤの過激派は死海沿岸のマサダ要塞に詰めるローマ兵を殲滅させ、神殿での皇帝の犠牲を妨害したのであった。これらは、宣戦布告に等しい暴挙となった。
そこで、大祭司アンナス(ハナニヤ)はヘロデ・アグリッパスⅡに暴徒の鎮圧を依頼するが、この王の軍も返り討ちに遭ったうえ、神殿直近のアントニア要塞まで陥落してしまったのである。

ここにイエスの予告に傾聴すべき部分が現われる。
即ち「あなたがたは戦争や無秩序とその噂を耳にするだろう」の言葉である。

現実は、まさに「国民は国民に敵」する事態となってゆく。
帝国各地のディアスポラの民が蜂起し、また、ギリシア人もユダヤ人を攻撃し始めた。
実にアレクサンドレイアのような都市までもが民族対立の危険な都市と化したのである。


ローマのシリア総督ガッルスは、ここにおいてユダヤ体制は反乱したと見做さざるを得ず、ダマスカス駐屯の第十二軍団と共にユダヤに向かって進軍を始める。だが、ユダヤ人の諸都市は抵抗らしいこともせずに制圧されていった。
なぜなら、その時期はユダヤの秋の仮小屋の祭りの最中であって、ほとんどの住民はエルサレムに上っていたからである。

ローマ軍が地中海方面からユダヤの山地を登り、いよいよ祭りを祝うエルサレムに近づくと、ユダヤ人は数を頼んでいっせいにローマ軍にかかっていった。しかもそれは安息日であって、40年ほど前のイエスのときにはあれほど固執し、その以前のセレウコス朝との戦いでは安息日に攻められて敗戦までしたユダヤ人が、安息日を踏みつけて攻めかかったのである。

だが、ローマ軍は秩序だった攻撃によってエルサレムの城壁を崩し始め、大方の住民は降伏するよりほかなしと思っていたのだが、しかし、そこでいったい何が起こったのかは今もって分からない理由のために、ガッルスは一目散に撤退を始めたのである。総督自身も軍を見捨てるようにして逃走し、這う這うの体でカイサレイアにたどりつく。
ローマにとって非常に不名誉なものであったのだろうか。撤退というよりは敗走と云うべき体たらくの真実の理由は歴史から削除されてしまったようだ。

しかし、これはローマ軍の殿軍を追撃し、大いに気勢を上げたユダヤ人に高慢に振舞わせる罠となった。

それからは、各所で若者たちに軍事教練が施され、武器が量産されたが、事を冷静に見ていた人々は、崇拝をないがしろにしながら神頼みの勝利を当てにするユダヤの異常さを察知した。ペルシアのような国ならいざ知らず、小国ユダヤが超大国ローマに抗ったところでどうなるかは見えている。

そして、イエスの言葉「エルサレムが野営する軍勢に囲まれるを見たなら、都に居る者はそこを出よ」の句はイエスの弟子らに意味を持ち始める。

そこで、ローマ軍がいったん退いたあとで、イエスの弟子らや他の賢明な人々は愛国心が崇拝心を上回ってしまったユダヤを見限り去って行った。弟子らはイエスの言葉に従い東方の山地デカポリス地方に身を潜めるが、これは彼らを救うものとなる。(教会史Ⅲ5)

その後、エルサレムは数度ローマ以外の軍勢に囲まれるが、次第に都から脱出することは困難となっていった。

そして遂に、ローマ軍の二度目の攻囲が始まると、父ウェスパシアヌスと共に皇帝と呼ばれた全軍司令官ティトゥスは、エルサレム周辺の木々を伐採し、ユダヤの都を柵で取り巻く作戦をとったのである。

こうしてイエスの「先のとがった杭」の預言が成就し、聖都の周囲はかつての木々の緑成す美しい佇まいを失い、乾いて荒れた土がすっかりむき出しにされてしまったとヨセフスは記す。

もはや、ユダヤ人に逃れる術は無い。慈悲あるティトゥスは都から出ようとするものを許すつもりであったが、粗暴なアラビア兵などが、ユダヤ人が宝石などを呑み込んでいるものと決め付け、貪欲から次々に人を切り裂き腸を調べたのである。しかし、そのような財産を呑み込んだ脱走者はごく少数であったという。

城壁の外でこのように凄惨なことが起こる間に、市内ではシカリオイからゼーロータイ(熱心党)へと発展した過激派と、ユダヤの強盗集団が神殿の聖所を自分たちの要塞としてしまい、血で汚し、奉納物を私物化したのであった。
これは「立ってはならぬところに憎むべき何者かが立った」と見ることができるだろう。彼らはユダヤ史上最悪の役者というほかない。預言者ダニエルが記したようにこの不法な者らの「行く先(翼端)には滅びがある」。(ダニエル9:27)

実際、彼らはエルサレムの荒廃を呼び込んだ。
総勢六万に上る大軍を率い、既に皇帝と呼ばれたティトゥスではあったが、懐深くも神殿と聖都を残すべく再三再四熱心党と強盗集団への説得を繰り返したのである。


だが、ユダヤのならず者らは、まるで勝ち目がないにも関わらず投降を拒み続けたので、市内は物資に窮し、遂に常供の犠牲も絶えてしまい、美麗を讃えられた聖都と神殿も徹底的な破壊に至るのであった。


その過程で、無数の命が塵芥のように掃き捨てられた。
攻囲が始まったときには春先の「過越しの祭り」の時期と重なり、エルサレムはユダヤ人で溢れ、人口が何倍にも増えていた関係で、城内では食糧不足が速やかに進行し、僅かな食料を巡って奪い合いがあちこちで起こり、やがて若者ですら栄養不足から手足は萎え腹部は突出したという。
そして遂にネブガドネザルの攻囲のときと同じく、母親が子供を食らうという事態にまで致る。街路に散乱する死体からは疫病が発生し、それは体力の落ちた人々を容赦なく襲う。

こうして「食糧不足と疫病」を予告したイエスの言葉が重みを増す。
そのような状況下では、確かに「孕まなかった胎と含ませなかった乳は幸いだ」と言われるだろう。

聖都の壊滅、そしてその凄惨さは古代バビロニア軍による攻囲の比ではなかった。
ヨセフスによれば神殿の焼失は、カルデア軍のときと同じ夏のアヴの月の9日となったという。ヨセフスの挙げる数字には相当な誇張があるとされるものの、110万の死者というのは、未曽有のユダヤ人殺害がなされたという表現として読むことができよう。(ティベリウス期の帝国内のユダヤ人の総数が400~450万人と推定する現代の資料がある。そのほとんどがディアスポラであった)

エルサレムの破壊の程度も徹底的なものとなった。城壁を調査できたネヘミヤのときと異なり、此の度はあたかも絨緞爆撃の跡のようにエルサレムは地下施設と路条を残して更地のようにされ、ティトゥスが命じて地上に残ったのはほんの三つの建築物だけであった。そのため、イエスの時代の遺構も不明瞭で、現代でも大祭司の館や総督館、ゴルゴタの位置など不明なものが多い。

やがて帝国は、反乱を繰り返すユダヤ人の当地への定住を禁止するに及び、ローマ属州ユダエアの名称はついに地図から失われる。その後、この地域はパレスティナの名を以って呼ばれるようになり、それが現代に及んでいるのである。

ユダヤの民は、奴隷や剣闘士の需要をまかなわされて帝国の各地に散って行き、大半は流浪の民となった。ユダヤ人には特別な税金が課されるようになり、残った民も135年のバルコクバの乱の終りを経て、エルサレム地区への入域さえ叶わなくなってしまう。

かつて、バビロニアによる神殿の破壊からは百年かからず復興したユダヤ=イスラエルも、ローマ軍攻囲の後は二千年が経過しようとする今なお神殿祭祀の再興を見ず、「彼らのメシア」は依然現われていない。

それを思えば、ユダヤ人にとって「世の初めから今に至るまで起きたことがなく、その後も起きないような大患難」がエルサレムに臨んだと言ってよいであろう。これらすべての患難は、メシアを退けたユダヤ民族の結末となる「邪悪な世代」への処罰として臨んだ。つまりそれは、モーセから千数百年の代々続いたユダヤという偉大な体制の歴史を閉じる「終結」であった。(マルコ13:19/ルカ3:17)

一方ではその以前に、神はキリストを通して「新しい契約」に聖なる人々を招き、「神のイスラエル」を発足させていたのであった。それこそが血統上のユダヤに替わって、律法によらずにアブラハムの約束を受け継ぐ新しい体制の誕生であった。(ガラテア6:16)


-◆その世代に起こらなかった事柄-------------------------

さて、このように神殿の石についての弟子らの質問の答えが、現実となってユダヤ人とエルサレムに降りかかったのだが、イエスの預言にはそのときに当てはまらない部分が残っている。

弟子らは、為政者の前に際立った仕方で立たされておらず、聖霊が反駁のしようもない語りを行うのを誰が聴いただろうか。(マタイ10:17-/マルコ13:11-)
明らかに『雲と共に来る人の子』の姿を世界はまだ見ていない。(マルコ13:26/ルカ21:27)


では、それらの残された部分はどうなるのか?
それはなお将来に成就を控えているのだろうか?

第一世紀に成就した預言の最終的な実現を見るのはまだこれからと言える。
イエスがユダヤの体制の終焉を預言する中に、『起きたこともないような大いなる患難がある』と『この世』の終わりの預言を含んだように、ローマ軍によるエルサレムの滅びは、将来のユダヤ一国の出来事を遥かに超える出来事の予型であったことを教えている。(マタイ24:21)

エルサレムの聖所を汚して、ユダヤの体制の終わりを招じ入れた熱心党や盗賊集団が居たのだが、来るべき時代にも何者か「荒廃をもたらす憎むべきもの」がいるが、未だ確定していない。(マルコ13:14)

将来のそのものは、同様の行動をもって象徴的「聖所」に現われるであろう。その聖所とはキリストと共に神殿を構成する『聖なる者ら』を蹂躙することを意味するのであろう。

だが、その蹂躙とは『二度死んだ木』のように神からまったく打ち捨てられた地上に残るエルサレム市は何ら関わらないものである。

それでも、先の成就と同じく、その象徴的「聖所」は、その者が立つときに神の目には聖所ではなくなり、打ち捨てられた汚れた場所となるとしても、それら『荒廃をもたらす憎むべき者』が原因して諸国民は象徴的「聖所」または「エルサレム」を踏みにじるのであろう。(ダニエル8:13)

我々はそのまったく強情な悪党らの正体を見るのだろうか。
しかし、その前に『聖所』に相当する『聖なる者たち』が、真に聖霊を注がれ、奇跡の賜物をもって現れなくてはならない。(黙示録11:1-3)

だがしかし、将来の悪党どもに相当する者らは、間違いなく地上に関わるであろう。即ち、『一人は連れてゆかれ、一人は残される』というキリストの警告にあるように、地に残されるユダ・イスカリオテのような『滅びの子』であり、『聖なる者たち』の内からの脱落者らが、地上のエルサレム、またはその近郊に関わり、『背教』に関わる何事か不善を為すことは予期されるべきである。(ルカ17:33-35/テサロニケ第二2:1-10)



こうして、共観福音書の後に記され、エルサレムの荒廃を経てなお終末預言を繰り返す預言の書、旧約への許多のリンクを孕んだ聖書全巻の封印にして最も不可解とされる最終巻、「ヨハネ黙示録」へと我々の目は向かう。
その成就するときは、第一世紀の預言のみならず、聖書中の預言がそこに集中する世代となるだろう。




   新十四日派  ©2011  林 義平
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新旧の聖書の記述を精査総合し
この世の終りに進行する事柄の数々をおおよそに時間の流れに沿って説く
(研究対象が宗教であるため主観による考察)


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