quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

主の晩餐

『忠実で思慮深い家令』夜を徹して主人を待つ

2019年4月18日の日没後のパスカを期し


ΑΓΙΑ ΔΕΙΠΝΟΝ
"Primo mense, quartadecima die mensis ad vesperam"
「最初の月、その月の十四日の晩に」 
 HagiaDeipnon

Do the Lord's Supper in a primitive Christian way.
⇒2019 ”On the night of April 18” (English)
※当派の趣旨に沿い、ニサン月14日夜に『主の晩餐』を挙行の方々は
 都道府県名および人数のお知らせを乞う。

 quartodecimani(a)hotmail.co.jp  林 宛にて

4月28日現在
・青森県 一カ所 一名
・茨城県 一カ所 一名
・埼玉県 一カ所 二名
・兵庫県 一カ所 一名
    以上の通知あり


◆主の晩餐によってダヴィドの荒れ塚を興す

モーセを仲介に、神とイスラエルとの間に結ばれた律法契約は、ユダ王国の滅亡と共に神殿が破壊され、モーセ以来の律法に規定され永く行われていた祭祀は中断し、律法契約の履行は一度不可能となった。ユダの民の多くはバビロンに捕え移され、五千にも上る神殿の什器類も敵兵に奪われ、遥かな帝国バビロニアの厚い城壁の内側に留め置かれてしまった。

しかし、ユダの神への崇拝はそのまま潰えるものとはならなかった。
神殿破壊から47年後のティシュレイ16日に行われていたバビロンの異教の徹夜祭で、ユダの神殿の器を持ち出して宴会を祝うバビロン王は、一夜の内に新興のメディア=ペルシアに攻められ、あっけなくその世界覇権も一夜にして葬り去られた。
その後、ペルシアのキュロス大王は、占領した諸国家の民と偶像の神々を解放する政策を採り、特にユダの神については、本来の在るべき場所に神殿を再建する勅令を出し、その民イスラエルに呼びかけ、その事業を任せたのであった。

早くもはその勅令の出た西暦前537年の内に、民の中の有志らがそれに応じ、血統上大祭司職に任じられるべきザドク系のレヴィ族のエシュアと、ダヴィド王統の血を引きこの事業の総督に任命されたゼルバベルの下に、西の彼方、ユーフラテスの川向うへの旅に参じた。その多くはゼルバベル同様に約束の地パレスチナを見たこともない世代ではあったが、暑い千五百キロの旅路を承知の上で、かつてアブラハムが進んだ行程を辿り、その先祖たちが代々にわたって暮らし、神を崇めていた「約束の地」を目指したのであった。

それは余程に神YHWHとの契約に深い価値を認める者、即ち『シオンを憂う者』でなくてはならなかったことであろう。実際に集まったのは五万人弱のみであり、その他多くのユダの民は、住み慣れたバビロンに留まることを選んでいる。

留まったユダヤ人の中には、今や八十代の高齢で、且つ王府の務めを持っていたダニエルがいた。彼はバビロンでキュロスの第三年まで神からの啓示を受けていたが、ダニエル書のその終りには『終りまでそなたの道を行け。そなたは休みに入り、定められた日の終りに立ち上って自らの分を受けるであろう。』と語られており、再建された神殿での復興した神の祭祀を見ることなく永い眠りに就いたことであろう。

そのほかにも、当時極めて洗練された城市であったバビロンでの五十年にもなる暮らしにより、すっかり根を下ろして生業に勤しんでいたであろう若い世代のユダの民も、ダニエルに同じくエルサレムでの崇拝の復興をほとんどが見ることなく過ごしたことであろう。

他方、シオンを目指した一行は、その年の初秋ティシュレイの1日にはエルサレムに到着していたので、そのまま仮庵の祭り「スッコート」の祝いを再開することができた。
彼らは、シオン山上の荒れ跡を起こして祭壇を据え、日毎の犠牲も再開させ、翌年の春には神殿の定礎をも行うことができたのであった。

だが、その礎石はかつてソロモンが据えたものには及ばず、その小さい基礎を見て、壮麗なソロモン神殿を知っていた老人たちは声を上げて泣いたと、後の書士エズラは記している。
それでも、民の多くはシオン山上に神殿の基礎が再び据えられたことを歓呼して祝ったのである。その声は近隣四方に響き渡ったという。

こうしてダニエルが『あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山から、あなたの怒りと憤りとを取り去ってください』とシオンを憂いて祈った言葉は、その時報われようとしていたかに思えたことであろう。

だが、エルサレムでの崇拝の再興の知らせを聞いた周囲の割礼の民、特にサマリア人が、この復興の業に共に預かることを願い、建設を共にすることを申し出てきた。
確かに、ソロモン神殿の資材を届けたのはフェニキア人であったし、石を切って整形したのはアンモン人であった。

だが、この度はイスラエル人がキュロスに任じられたのであり、そのうえ彼らでさえ律法に沿った祭祀にも生活にも慣れていなかった。彼らが如何に律法を忘れていたかは、後代のネヘミヤ記も伝えるところであり、そこにユダヤを通して律法を知る民であるとは云え、イスラエルとは祭祀も習慣も何かと異なるサマリア人が神殿再建に加わり、その後も祭祀に関わりを持つとなれば、モーセとの契約関係にあるイスラエルに影響が及んで、その純粋性をどこまで保てるかに危うさがあったに違いない。ネヘミヤ記では異邦人の影響力に曝されているイスラエルに、律法を再教育を施すことがどれほど難しかったかを描く記述に度々出くわすのである。

そこでゼルバベルは、サマリアの申し出を断っているが、これは適切な判断であったことであろう。だが、サマリアはその判断に怒り、業に与れないと知るや、他の民族と組んで神殿の再建の妨害を始めたのであった。

周囲の諸国民は、イスラエルの民が歴史上どれほど頑なで反抗的であったかにペルシア皇帝の注意を喚起し、ゼルバベルはイスラエルの王となる野心を隠し持っているとも唱えて、キュロス大王を継いだカンビュセスⅡ世とその廷臣らを動かすことに成功する。

以後、神殿の再建事業は滞り、やがてユダの民も再建を忘れて、その跡地は顧みられることなく空虚に打ち捨てられたままに年月を重ねていったのであった。

だが、祭司団やネティニムをまとめる立場に在ったエシュアは、前述のように周辺諸民族の不穏な動きを警戒し、定礎の以前から祭壇だけは組み上げて、日毎の捧げ物『常供の犠牲』は始められていた。

そうしている内に、カンビュセスⅡ世が世を去り、ペルシアに変化の兆しが出て来た。
そこで神は、二人の預言者を帰還民に遣わし、神殿再建の業を促す。それがハガイとゼカリヤの二人であった。

ハガイは、帰還民たちが、当初の熱意をすっかり失って生業に専心している姿を責めている。
『これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事ばかりに忙しくしている。』『それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。』
『あなたがたは多く撒いても取入れは少なく、食べても飽きることはない。飲んでも満たされない。着ても暖まらない。賃銀を得てもこれを破れた財布に入れているようなものである。』

神は自分の儲け仕事に没頭する彼らを祝さず、却ってその実入りを少なくしていたのであり、彼らの崇拝心の無さを『この家がこのように荒れはてているのに、あなたがたは板で張った(内装の)家に住んでいる時であろうか。』と訴える。『それで今、万軍のYHWHはこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。』

二月ほどすると、もう一人の預言者ゼカリヤが神からの言葉をこの民に語りはじめた。
『ゼルバベルの手がこの家の礎を据えた。そして彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍のYHWHがわたしをあなたがたに遣わされたことを知るようになるのである。』『これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。』『大いなる山よ、おまえはいったい何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となるであろう。彼は「恵みあれ、これに恵みあれ」と呼ばわりながら、礎石を取り出すであろう。』

これらの預言の言葉に動かされた帰還民団の新たな霊を以って再建工事は再開され、新しい皇帝ダレイオスⅠ世の下で、反対運動も勢いを失ってしまい、遂に神殿は建立され、翌年ニサン月に献堂され、直ちに十四日の過越しと続く無酵母パンの祭りを以って祭司団による奉仕が再開されたのであった。その時まで、キュロス大王の勅令から22年が経っていたが、その西暦前515年はバビロニア軍による神殿喪失から71年目のことであり、エレミヤが預言していた七十年がこうして明けたのである。


◆ユーフラテス河畔から解かれる者ら

さて、神への聖なる崇拝は、今日どこに存在しているであろうか。
今、筆者がこれを言うのは、キリスト後の西暦七十年に第二神殿さえもが失われ、以来日毎の犠牲さえ捧げられていないことを指すのではなく、ただ一度限り捧げられたキリストの完全な犠牲による、モーセによらない祭祀でさえも、第二世紀以降から今日までの永きにわたり、キリストが不在(アプーシア)で聖霊が降っておらず、『霊と真理によって崇拝される』祭祀も絶えていることに読者諸氏の注意を促すためである。

キリスト教はありふれたご利益信仰と化し、個人が死後に行く天国と地獄などというバビロンの教理の汚濁にまみれたものである。しかも、死刑執行の刑具であった十字架にうなだれる『王の王、主の主』を有難がって眺めるという悪魔の悦ぶような「崇拝」に堕しているのであり、再来するキリストが「クリスチャン」方に祝福だけを与える温厚なナザレのイエスではなく、ご自身を含めた『神殿』への復讐に燃えあがる畏怖すべき御陵厳の大王であるなど到底知られていない。

そこでキリスト教の持つ偉大な意義がどう理解されているというのであろうか。
聖なる弟子らに奇跡を行わせる聖霊が失なわれて以来、キリストは確かに不在であるというべきであり、キリスト教は今日まで『誰も働くことのできない夜』の時期を過ごしているのではないか。

なぜならば、初代の聖霊注がれた人々が去ってから、人が計り知れぬ終末までの不定の時に至るまで、主イエスの臨在は不要であったからであり、神の右に在って待たれるべきであったからである。その間、真の崇拝はバビロンの厚い城壁の内側に閉ざされたところに留め置かれていたとは言えないだろうか。象徴的に囚われたものが『霊』であり『真理』であれば、それらが留め置かれていた間のキリスト教の真実の崇拝もできない道理もあろう。

だが、エレミヤの七十年が近付くにつれ、バビロニアはメディア=ペルシアの前に屈し、メシアとなったキュロス大王を介して神殿祭祀の復興の勅令が下ったように、「大いなるキュロス」であるキリスト・イエスがキリスト教のバビロン捕囚を終わらせる時を見計らうはずではないだろうか。

黙示録9章には、『大河ユーフラテスの畔に繫がれている四人の使いを解く』よう第六のラッパの奏者である天使に命が下されているのだが、それは『その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の使い』であると記されている。即ち、細心の注意を払った絶妙の時にその解放が為されるということではないか。

かつてゼルバベルのエルサレム赴任は、前537年の事であり、様々な事情生じて、神殿祭祀の復興まで22年の時を要したが、結果的にエレミヤの七十年は、神殿の破壊から再建までの祭祀中断の期間としてそこに預言に違わず収まった。
これは、今日という考古学が進展した環境からの視座、また判断の有利な時代の下流から見て分かることではあるが、当時の人々にはいつ何が起り、神の経綸がどう進むのか何も見通せなかった。それは神の業であり、それでなくとも知恵者ソロモンも認めるように、元々人には将来を幾らか予想することはできても、何が起こるかを確実に知る術もない。

同じく、終末がいつになるのか、天界の神殿である聖徒たちが、何時イエスを隅の親石として組み上げられるのかも、また何時キリスト教がバビロンの囚われから解かれるのかを今日の我々も知ることができない。ダニエル書第九章の七十週がエレミヤの七十年と決定的に異なるものは、第七十週目の残りの三年半が何時再開されるのかが不明なことである。それが即ち黙示される1260日のことである。

それでも、かつての第二神殿の建立に至ったまでの古代の経過は、終末に天界で神殿が建立されるまでに辿るであろう幾つかの事象に光を当てていることについて、黙示録の示唆が見えるではないか。

それが、ユーフラテス河畔からシオンに上った民らに、それだけの認識と熱意とが必要であったこと、また、神殿域の祭壇だけが先に据えられ、常供の犠牲だけは捧げられるようになったこと、その後に定礎があり、再建事業は始動した。しかし、そこで周辺の民からの反対が起り、神殿再建までに当分の労苦の期間を要したことなどである。
無論、内容が「黙示」とも云われる以上、「終末が古代の捕囚解放の対型である」と筆者のヨハネが明言しているわけでなく、そこは『読む者が悟る』べきものであるに違いない。

しかし、聖書を通して神の経綸を凡そにでも俯瞰できる者にとって、ヨハネの黙示と雖も、ほとんど明示されているに等しく、それこそ「黙示録」本来の書名「アポリュプシス」即ち「開示」と云われる通りなのである。これが霊感に拠らない書であるわけもなく、黙示録を「暗黒の書だ」というのは、本人の理解が暗黒なだけである。

もちろん、各時代の個別性も有ろうから、すべての予型と対型がぴったりと同じになることはないにせよ、旧約に書かれた事柄が終末に深い意味を持って再び語るということは、全能の神であれば有り得ることであり、それによって人を超える神の超絶性がいよいよ開示されることによって、信仰を呼び起こす圧倒的な神の証しともなり得ることである。それが二重の預言の意義深さといえる。即ち、予型と対型(ティポトロジー)の妙であり、聖書に確言ないものは信じないという「硬直的な信仰の持ち主」にはどうにも理解の進まないことである。
まさしく、そのようにアレゴリカルに開示される終末までの間、キリストは神の右に座して待たれ、神は余計なことをなさらない。

だが、終末の聖霊再降下による崇拝の復興が近付く時にはそうではないと云える。
何故なら、エレミヤの七十年の満了の近付いた時に、バビロニア帝国の没落とキュロス王の勅令があったように、黙示録の四人の使いはユーフラテスから解かれるという事象が起きるであろうからである。それはダニエルの七十週の最後の三年半が近付く時期にはますます起り得ることではないだろうか。

そして天界の神殿の建立が近付く時期、即ち、我々の将来にキリストの臨在を迎える前後で起こるべき事柄が、福音書でもイエスの語られた言葉の中で予告されているのである。
もし、これらの秘儀が起らないのであれば、『この世』は変わらずに苦悩満ちる場であり続け、人々の人生に意味を与えないかのような永遠の空しさも拭い去られることもない。
世間一般が思うように、「終末」などという神の裁きの時など来ないのであるから、人類は『この世』を「過ぎ越す」ことも叶わない。死への恐れと、奴隷労働の空しい境涯のままに過ごすよりほかない。神の経綸とはまことに偉大なものである。


◆シオンを嘆く者

前六世紀の出来事であるユダの帰還と神殿祭祀の再興が、キリスト以降、特に終末の時期に関わった予表であるのなら。いや、それはダニエル書やヨハネ黙示録をはじめ、ハガイ書、ゼカリヤ書、そしてイザヤ書やエレミヤ書にも示唆されているところからすれば、まず古代のアリヤーが終末近付く時代に対型を出現させることに間違いはない。

終末とは聖書中で『終わりの日』として旧約から度々現れる語であり、聖書の全巻を通して注目されるべき徒ならぬ時期であることが再三語られている。
それは第一世紀に世を一度去ったキリストが再び世に関わりを持つ臨在が起る時期でもあり、再び聖霊が活動し、世界がそれに瞠目することにもなるという。これはミカが『エジプトを出た日のように、わたし(神)は彼に(敵対者)に驚くべきことを見させる』と言われる「終末」の時期のことであるが、ミカはその時を『あなたが石垣を積み上げる日』と記す。(ミカ7:11-15)

しかし、聖書の記述を総合すると、聖霊の価値も知らない普通の人にいきなりに聖霊が注がれるという事態は起こらないであろうし、確かにそれでは初代の聖徒らの油注がれた状況とも一致しないだけでなく、パウロが言うように、聖徒らが『信仰によって義と宣せられた』のであれば、油注がれた彼らには、メシアへの信仰が有ったからこそキリストと同じく任命される理由もあったのである。

これはイザヤ書をはじめ何人ものネイヴィームも、聖徒である『シオンの子ら』を生み出す『女』シオンが、母として先に存在するものと語っている通りである。
しかも、この母親がバビロン捕囚で子らを失い、神殿が無い間に夫たる神YHWHの不在をも永らく忍んでいた姿も描かれている。

かつての栄光とは裏腹に『「追い出された女」と呼ばれ、「相手にされないシオン」』とさらし者にされる零落の日々は、バビロンからの帰還民の現れによって喜びの終りを迎え、やがては神殿も再建され、神YHWHも帰還してシオンに『名を置かれる』に至ったのである。

これらは神の側からの働きかけなく起ったことではない。神が『その右手を導かれた』キュロス大王の征服と勅令によって実現の端緒を掴んだ時代の潮流であったのだ。
しかし、それでもまるで人間の側が何もしなかったわけではない。
捕囚民の中からシオンの栄光の回復の祈願が捧げられていたのであり、その代表例はダニエルであろう。

彼はバビロンに在っても、西に向いた窓からシオンの方角に向けて祈りを続け、命の危険を冒してさえそれを止めなかった。
その祈りでは、イスラエルの不忠を悔い、『われわれの罪と、われわれの先祖の不義のために、エルサレムとあなたの民が、周囲の者の物笑い』となっていることを恥じ入り
もはや『われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなる憐れみ』にだけ頼るほかないゆえに、神に『あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください。』と熱烈な請願を捧げていたのである。

イザヤは『シオンを嘆く者』が『いにしえの荒れた所を建てなおし、既に荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々廃れた所を再び建てる』ことを預言している。(イザヤ61:3)
ゼルバベルに従った帰還民らは、ダニエル自身が言い表したシオンへの願いを持っていたと言えよう。彼らは実際に人の住まなくなったユダの町々に到着し、その荒れ跡を復興している。その労苦は華々しい回復をもたらしはしなかったが、仮の祭壇での常供の犠牲は再開され、翌年には神殿の定礎も行われている。

その後の反対運動で神殿祭祀の復興という、当時のメシアであったキュロス大王の命を直ちに実現することはなかったものの、神の定めた70年はその間に満了を見ている。
では『至聖所に油を注ぐ』という結末を迎えるべきダニエルの七十週はどうなるであろうか。というのも、まさにダニエルがエレミヤの七十年を察知してシオン再興を祈っていたときに、七十週の啓示が与えられているではないか。

エレミヤの七十年の顛末と同様に、キリストの新しい契約が導く、聖徒らによる天界の神殿の建立までに、終末の時期に於いても、地上で仮の崇拝が興されて、常供の犠牲に相当する祭祀が開始することはダニエル書や黙示録も示しており、古代のアリヤーがその予型となっていることは明らかである。即ち、聖なる者らが『粗布をまとって1260日の間預言する』ことであり、彼らには反対がつきまとうのである。

そこでキリストの臨在の以前に、ダニエルの精紳を懐くような『シオンを嘆く者』が現れ、また、そこに聖徒である『シオンの子ら』を迎えることになるのであろう。
この母親たるシオンに相当する人々の現れを終末にも予期することはネイヴィームの語るところからして間違いではない。

「シオンを嘆く」とは、第二世紀まで聖霊の注ぎが実際に有り、神の崇拝、確かなキリスト教が存在していたのに、キリストが不在となり聖霊の絶えたキリスト教界が、今日見るように異教と混融して別の宗教のように汚れ果て、地上のどこにも神への真実な崇拝の無い状態を憂い嘆くことであろう。

それはキリスト・イエスが『誰も働けない』とした『夜』の長く続いた時期であるが、聖徒らの母シオンは、黎明から目ざめていて朝には子らを迎えることになる。(箴言31:15)
イザヤはこう書いている。
『シオンよ、醒めよ、醒めよ、力をまとえ。聖都エルサレムよ、美しい衣を着けよ。割礼を受けない者や汚れた者は、もはやあなたのところに入ることはないからだ。』(イザヤ52:1)

では、荒れ果てたシオンを嘆き、また、その地に赴いて荒廃したいにしえの街を建て起こす者たちは、終末の近付く中でどのように現れるとされているだろうか。


◆忠実で思慮深い家令

それぞれの福音書は、キリストの初臨の以前にバプテストのヨハネの活動が有ったことを記している。
この祭司ゼカリヤの子ヨハネの活動に対していち早く反応していた平民に、ガリラヤ湖の二人の漁師が名を挙げられている。アンデレとヨハネである。

彼らは祭司でもレヴィ族でもないし、後のパウロのように当時のユダヤ教学院(イェシィヴァー)で学んでいたわけでもない、イスラエルのどの部族の者であるのかさえ聖書からは分からない。
だが、神に関わる事柄には鋭い関心を持っていたからこそ、荒野のバプテストの下で弟子となっていたのである。モーセの祭祀が行われる神殿から離れたバプテストは、律法の体制以前のヘブライの原点であるユダの荒野に現れたが、自身が『主の道をまっすぐにせよ』と叫ぶ声でもあった。イスラエルは聖霊と火とを、即ち、是認と糾弾とをもたらすメシアの到来を前に、その心を整えるべき時を迎えていたのである。

そのバプテストが『神の子羊』としてナザレ人イエスを示したときに、アンデレは自分の兄弟シメオンに『わたしたちはメシアを見つけ出した』と言っており、それはこの兄弟が漁師であるにも関わらず、普段から約束のメシアを捜し求めていたことを物語っている。しかし、彼らがメシアの主要な弟子、十二使徒も中心的メンバーになると思いもしなかったであろう。サンヘドリンは彼らを見て『無学な一般人』と思いつつ、神の経綸を大胆に語る姿に驚いているのである。

そしてメシアが再臨なさる終末の手前で、類似のことが起らないと言えようか。
いや、イエスは予告して語っているのである。
それが『忠実で思慮深い奴隷』または『家令』であり、マタイ24章45節とルカ12章42節に記載されている。またマルコ13章に類似の記述もある。

これらの句が示すのは、真夜中の主人の帰還であり、その際に家の奴隷たちの世話をして主人を待つ家令または奴隷たちの頭のことである。
婚宴に出掛けた主人が華燭の宴をすっかり堪能してから家に戻るのに、その刻限が定まっていると考えるのは随分と野暮なことである。この時の不定性は、契約に関わるダニエルの七十週の最後の半週が何時始まるのかが不明であることにも関わっているのであろう。

ルカ福音書にあるように、主人の帰宅が、午後9時から真夜中までの第二夜警時になるのか、また更に遅く午前3時までの第三夜警時、或いは明け方近くになるとしても、それは主人の都合であり、家令も奴隷も何か言えたものではない。彼らが待ち続けるのは当然の務めである。
ゆえに、『忠実』とは時について示されるのであり、マタイでもルカでも夜盗を例えて、もし、その時を知っていたなら盗人に押し入られるようなことなどしないと主イエスは語られる場面が隣接しているのであるから、家の奴隷たちが待つべき時の不定性はますます強調されている。

そこで奴隷たちに求められる『忠実』とは、主人の帰宅がどんな時刻になろうとも『帯を締め』『篝火を焚いて』待ち、『主人が扉を敲いたら、すぐさま開けることができるように』していることであると、その主人であるイエス自身が言われる。(ルカ12:35-36)

ところが、たとえその家令が賢くて、他の奴隷たちに定時の食事を提供できていたにせよ、主人の時について忠実でないとすれば、それは致命的なことであることもイエスは語られている。『最も厳しく罰する』『数多く鞭打たれる』と言われるのであり、奴隷たちの頭、また家計管理に関わる家令(オイコノモス)だけが懲罰を受けるのではなく、他の奴隷たちにも責が問われることは、『知らなかった者は少なく打たれる』との言葉に込められているのであろう。

他方、例えの中の家の主人が帰ってきたときに、奴隷たちがその帰りを準備して待っているなら、その主人は異例なことに、その家令のために自ら給仕するとルカは記し、マタイでは、その奴隷に『すべての持ち物を委ねる』ともしている。

だが、主人を待たずに他の奴隷たちを叩いて強制し、勝手に宴会を始めてしまうなら、それはたいへんな酬いを受けることになる。
マタイもルカもその結果は一致しており、厳罰に処せられだけでなく、元々の不忠実な者どもと同じ目に遭うことになるとも語られたのである。

では、どうして主人を待たなかったのか。
二つの福音書共にこう言う、『主人の帰りが遅いと心の中で思う』のである。
これは主人の都合を無視した奴隷の思い上がりであり、自分の思うような都合に主人の帰宅時刻を決めてしまうという、家の奴隷にしては有り得ない横暴である。
それは、自分の中に時刻の予想や願望が有ったればこそやらかした悪行であり、このように強調されているからには、キリストの臨在の時を予想するなど許される事ではないのである。

この点で、英米で19世紀から流行した年代計算による時の予想、特にキリストの再臨の時を算定しようとした覚醒運動とそれに連なる企ては、とても誉められたものではなく、むしろ主人への不忠と言うべき愚行ではないか。そこには主人の帰還の間違いようもない神の聖霊の印を人間の推論に置き換えるという、自分本位な願望が作用していたのであろう。
そのうえ、キリストの地上支配が自分たちの上に始まっているなどと唱えようものなら、キリストの真実の来臨をどう迎えるつもりなのであろうか。

やはり、家の奴隷たちは『思いがけぬ時』という不定の時刻を決め付けることなく、夜を徹して待ち続け、主人の帰宅に良い準備を以って迎え入れることが第一の務めである、それがこのイエスの語られた例えの重要な本旨であることは読んで明らかな通りではないか。
そこで、奴隷たちは主人の帰還するときに示されるその意向に従って仕えるべきであり、自らの判断するところを行っていては、待っているべき奴隷の立場を踏み越えた不遜でしかない。

それゆえ、キリスト帰還の年代への信仰が覚醒運動の「大失望」を刈り、その後も様々な分派でハルマゲドンやら携挙やらの起こる時を予告しては毎度外す度に誤魔化してきたことは、度重なる警告とされるべき明らかな例であったと言える。まさしく福音書が『主人は彼らが予期しないときに来る』と揃って書かれている通りではないか。その不忠を終末まで続け、勝手なメシア支配の宴会などをしていれば、どれほどの厳罰を受けることになろうか。


◆主人を待つ者は誰か

さてそこで、明け方になろうとも帯を締め、篝火を絶やさずに待ち続け、仲間への定時の食事の世話を続けるとは何を意味するだろうか。
イエスはそのような者は『誰であろうか』と語って、それが不定な何者かであることを示唆されている。事前に任命されているならこのようには語られなかったであろう。

確かにイエスは例えで定時の食事を奴隷たちに供する者を『家の僕たちの上に立てた』と言われるのだが、これを終末の近付く時分に「キリストが直に任命した」と捉える理由はない。これは一家に居る何人かの奴隷たちを束ねて、主人の不在の間の切り盛りをする家令が居るという当時の富裕な家に普通に見られる様子を描写し、この例えを成立させるための場面設定と観る方がよほどに現実的である。

即ち、終末に於いては『新しい契約』の『使者』であり、ダニエルの言うように『契約を固く保つ』メシアの姿からすれば、この例えの家令や奴隷たちが活動するのは、聖霊の再降下の以前に相当するからである。

それに整合するものとして、ルカ福音書ではその例え話の直前にペテロが一言質問を挟んでいる。
『主よ、この例えはわたしたちに話しておられるのですか。それとも皆のためですか?』
だが、主はそれに直接には答えずに『主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったい誰であろうか。』と語るのであった。

ペテロの質問は、十二人と群衆との異なりを問うものであるが、それを敷衍すると聖霊で油注がれることになる聖徒らと、そこまでは至らないものの、メシア信仰に達する信徒との違いを問うものであったと見るのは的外れではないであろう。

そこでイエスが、ペテロの問いに構わず『忠実で思慮深い家令』について話しを続けて、『誰であろうか』と言って留めたところには期待が込められており、また、その『家令』が主人の到着の以前に活動するのであれば、聖霊の再降下は起こっていない時期のことを述べているのであるから、聖徒か信徒かをペテロが問う意味もないのであり、それゆえイエスはペテロに答えず、例え話を続けていると観るべきであろう。

このように、終末が近付いている段階での、聖霊の再降下以前の段階が示唆されていると見るなら、新約聖書の幾つかのテーゼに整合性が出て来るだけでなく、ネイヴィームにも見るべきものがある。

イザヤ書ばかりでなく、エレミヤの預言にもエルサレム再建の場面が語られ、『見よ、わたしはヤコブの天幕の繁栄を回復し、その住む所を憐れむ。都は廃虚の丘の上に建てられ、城郭はあるべき姿に再建される』と語るところで『その高貴な者は彼らの中から、その支配者はその只中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。心に誓ってわたしに近づくこの者はいったい誰なのか』とある。『高貴な』『支配者』とはキリストとその兄弟らを指すとすれば、その者らが現れる母体である『彼ら』とは何者なのか。(エレミヤ30:18・21)

『高貴な者』とは『その最も小さな者も彼(バプテスト)より偉大である』という『天の王国』の者、即ち聖徒であり、聖徒が「彼らの中から出る」とは、あのシャヴオートの日にエルサレムの片隅で隠棲していたガリラヤの120人の弟子のように、なお聖霊の油注ぎを受けていなかったがメシア信仰に達していた人々と同じ者らを指しているのであり、時代を遥かに離れた終末の主の再臨を前にした時点でも同様の人々が居ることを教えていると見ることは理に適ったことである。

しかも、『忠実で思慮深い奴隷』に同じく、廃墟を立て直すその何者かは預言された時点で不明とされている。これは自発的な行動を促していると読む者に感じさせる記述ではなかろうか。神に任命されたからそうするのではなく、自らそう願うのである。そのような自発心によってこそ神の経綸に美が備わるではないか。聖書は神と人の交渉の記録でもあり、神との善的な関わりこそが、人間に残された僅かな真なる美でもある。

そのように、崩れたダヴィドの荒れ塚を興そうとする者は、契約の中にいる者ではないし、聖霊が後から注がれ、高貴な支配者がそこから現れるのであればそれは有り得ない。
したがって、ペテロの問いに答えなかったイエスは、やはり聖徒と信徒の区別のない段階について語っていたのであり、ネイヴィームによれば、それらの者らは荒れ跡を興す者らであり、大河ユーフラテスの河畔の囚われから解かれ、シオン山上の神殿跡地に立つことになる数の多くない『イスラエルの残りの者』なのであり、しかも、終末前には異邦人がその業に携わることがこう預言もされているのである。

『わたしは、わたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしの名を呼ばなかった国民にわたしは言った、「わたしはここにいる、わたしはここにいる」と。』
神は、それまでの崇拝者でない者たちへ招きの言葉をかけている。

だが、元から神に仕えていた者らといえば『良からぬ道に歩み、自分の思いに従う背く民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。この民は目のあたり常にわたしを怒らせ、園の中で犠牲を捧げ、かわらの上で香をたき、墓場にすわり、ひそかな所にやどり、豚の肉を食らい、憎むべき物の、あつものをその器に盛って、言う、「あなたはそこに立って、わたしに近づいてはならない。わたしはあなたと区別されたものだから」と。これらはわが鼻の煙、ひねもす燃える火である。』(イザヤ65:1-5)
この背教のイスラエルの姿は、今日までキリスト教界が自ら清いつもりで、異教との汚れによって曝してきた醜態とも重なるものがある。

その一方で、バビロンを出立する者らには正反対のことが語られている。
『エルサレムの荒れ廃れた所よ、声を放って共に歌え。YHWHはその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。YHWHはその聖なる御腕を諸国民の前に示された。地のすべての果ては、われらの神の救いを見る。
立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ、汚れた物には触れるな。その中を出よ、YHWHの器を荷なう者よ、自らを清く保て。
あなたがたは急いで出るに及ばない、また、飛ぶように行くにも及ばない。YHWHはあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたの後衛となられるからだ。』(イザヤ52:9-12)

バビロン捕囚を解かれた者たちは、契約にあったユダの者らではあったが、この時点で律法は神殿破壊と共に潰えており、さらにシオンの荒れ跡を興すのに終末が近付く段階では血統に拘る理由はもはや存在しない。まさしく、シオンの惨状を嘆く者でなくてはならず、それは血統はもちろん、何にも区別され妨げられるべきものではないであろう。


◆主人の帰還により栄光を受けるシオン

今日のキリスト教界に見られるものは、荒れ廃れたシオン、再建されないばかりか、定礎さえされていない以上、神殿祭祀は当然のこと、常供のための祭壇も無い、無人の廃墟と言うべきであろう。
それゆえ、シオンを憂う者はバビロンを去り、その汚れを拭い去り、神殿の什器をシオン山上まで運ぶ務めがあると言えるのである。

キリストが定めた唯一の定期儀礼である『主の晩餐』は、バビロンに囚われたかのように大仰な「ミサ」の儀礼と変じ、ホスチア(ウエハース)だけの聖体拝領の儀式とされ、或いは異教の神に由来するイースターの名を冠して復活祭に歪曲され、また、過越し(ペサハ)との関連が種入りパンとして否定され、初代キリスト教徒に守られたニサン14日は、天文学に依拠する日付けともされ、驚嘆すべき出エジプトの神の事跡は軽視、また汚されてきたのである。

もちろん、儀式を正確に守ることが、必ずしもバビロンを脱し汚れを去る意義があるとは言えないが、キリストの犠牲に基く聖徒の立場に関わる『主の晩餐』、このキリストの教えに於いて最も重要な儀礼をなおざりにしていては、そのキリスト教にどんな意義が残るだろうか。

イエスは、真夜中であれ明け方であれ、目を覚ましていて主人を待てと命じられたのであるから、その臨在の近付く中で扉を敲かれたときに『主の晩餐』をその意義に従って用意していないとすれば、その奴隷としては失態であり、仕える者としての役割は果たせていないのである。その奴隷たちは、主人の居ない間でこそ忠実であることにより確かな信頼性を示し、それゆえにも主人は却って彼らに給仕まですると言われるに違いない。

しかも、それは明らかに油注がれた聖徒ではないのである。
イザヤ書40章以降の預言を読んでゆくと、聖徒らを生み出す者について非常に多くの情報が含まれていることに気付かされるであろう。
その聖徒の母『シオン』は、聖徒とは別に、地上に於いて相当に高められることが何度も知らされているのであり、それは聖徒とは別の栄光なのである。その栄光は聖徒を別にして地にあって神の民となることであり、終局では神YHWHはシオンから号令を下し、シオンの中に神が居るというのである。(ゼカリヤ2:11/詩篇110:2/ゼパニヤ3:16-17/エレミヤ30:22)

永い間、子を持たなかったシオンには、バビロンからの帰還民を迎え、やがて神殿の再建を経て贖われたシオンの子らを迎えることになり、諸国の王や民たちが各地からシオンの子らを運んで来ることになる。では、それで聖徒を生み出したシオンは役割を終わるのだろうか。イザヤの預言にはこのようにある。

『シオンの義が朝日の輝きのように現れ出で、エルサレムの救いが燃える松明のようになるまで、わたしはシオンのために黙さず、エルサレムのために休まない。
 もろもろの国はあなたの義を見、もろもろの王は皆あなたの栄えを見る。そして、あなたはYHWHの口が定められる新しい名をもって称えられる。

また、あなたはYHWHの手にある麗しい冠となり、あなたの神の手にある王の冠となる。
あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。YHWHはあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである。』(イザヤ62:1-4)

『門を通って行け、通って行け。民の道を備えよ。土を盛り、土を盛って大路を設けよ。石を取りのけ。もろもろの民の上に旗をあげよ。
見よ、YHWHは地の果にまで告げて言われた、「シオンの娘に言え、「見よ、あなたの救いは来る。見よ、その報いは主と共にあり、その働きの報いは、その前にある」と。
彼らは『聖なる民、YHWHに贖われた者』と称えられ、あなたは「人に尋ね求められる者、捨てられない町」と称えられる」。』(イザヤ62:10-12)

こうしてシオンが聖徒らを生み出すことにより、その後にはシオンそのものも諸国民からの敬意を得て、終末の人々が流れのようにその許に参集してくる様はイザヤとミカによって記され良く知られたところとなっている。
しかし、それに加えて聖徒らが天界に揃って後も、地の中核を構成することがシオンに関する各所の預言に見えている。

終末を俯瞰するに、キリストの臨在の前から働くのが覚醒するシオンであり、臨在に際してそこから聖徒らが生み出され、シオンは栄光に包まれる女となる。油注がれた者らが聖霊による世界宣教に携わる間は悪魔の攻撃から守られ、やがて、全地からの膨大な人々が集まる中心を成すことになろう。そうしてシオンは地の中核となり、神の王国のキリストの支配に入る人々、それも膨大な数の人々の流れを迎え入れる側となろう。

『忠実で思慮深い奴隷』は、その第一の段階であり、まずはユーフラテス河畔を発ち、シオンに向かう者らとして現れねばならない。
それが『シオンを憂う者ら』であり、彼らが『ダヴィドの荒れ塚を興す』からには、大いなるキュロスの勅命が発せられたということになろう。

それはキリストの臨在が近付いたからこそ現れるべき人々なのであり、神は余計な業を行わないであろう。
もちろん、天界での神殿の建立が何時になるのかは、誰にも分かることではないが、キリストの臨在なく、聖霊の再降下もないゆえに『誰も働くことのできない夜』であってさえ、『シオンを憂う者ら』には行えることはある。

やはりイザヤの預言にはこうある。
『エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張をおいた。一日中また夜を徹して彼らは黙してはならない。YHWHを知らせる者よ、あなたがたは自ら休んではならない。
YHWHがエルサレムを堅く立てて、全地に向けて誉を得させるまでは、あなたがたは休んではならない。』(イザヤ62:6-7)

それはイエスの語られた、主人を待って夜を徹して篝火を焚き、自らは帯を締めてその帰還を待つ奴隷たちのようでもある。
彼らへの報いとして、家のあらゆる物が任されるというのは、上記のようにイザヤ書と照合すれば、聖徒らを指してはいないのであり、それこそは『新しい名で呼ばれる』という栄光を受けたシオンの姿なのであろう。彼らの役割は、主人の帰還によって評価され、待ち続ける『忠実で思慮深い奴隷』の役割はその時には栄光を受けつつ終了することになる。

今日の『主の晩餐』に於いて、二つのエレメントに与るべき『シオンの娘』は、キリストの臨在なく聖霊が再降下していないため、未だ生み出されてはいないので、聖餐はその準備で終わるのではあるが、主人の帰還に備えて『すぐに扉を開ける』ことのできる状態にあることは誰にせよ行うことによって示せるであろう。

即ち、初代と同様に無酵母パンと赤葡萄酒を用いて、ユダヤ人が過越しと無酵母パンの祭りを合体させてニサン15日にセデルの食事を摂る前の晩を取り分けて、最後の使徒ヨハネの伝えた時に執り行い続けることである。




さて、読者諸氏はこの件をどう思われるだろうか。もちろん、筆者の述べることがまったく正しいと言うのではない。それでも、或いは大まかにでもご賛同いただけるのであれば
本年(2019)の4月18日の日没後にユダヤ教徒がニサン14日と呼ぶ日が始まる時に、二つのエレメントをご用意の上、しばらくの間、キリストの臨在と聖霊の注ぎを観想し、主人を待って夜を徹して篝火を焚き、自らは帯を締めてその帰還を待つ姿勢を神の前に示されることをお勧めしたい。これは主人の帰還に至るまで、可能な限り止めてはならないことではないだろうか。

また、各地の方々も、もし可能であれば、同志共にお集まりいただいても宜しいように思われる。二つのエレメントを用意し、それらが嘉されるよう祈りつつ、種入れぬパンを割って皿に置き、葡萄酒を盃に注ぐことが最低限求められる。

無酵母パンの製法は、手の込んだものではなく、材料は小麦の全粒粉と水だけであり、捏ねる鉢と延べ台に延べ棒、フライパンに焼くための器具は必要ではあるが、一般家庭であればまず備わっているものであるし、買い揃えても然程高価にもならない。
(製法はこちらを

加えて、ヨハネ福音書の13-17章のどこかを朗読するのは初回の『主の晩餐』を観想するのに相応しいように思われるが、細かな次第は決められていない。だが、キリストの死に関わることである以上、ラフにはなさらぬ方が良い。

一定の時間を過ごした後に、祈りを以って閉じ、散会後、エレメントを片付け、儀礼で使用されたものはできるなら飲食せずに処分される方が、『新しい契約』への敬意に相応しいのであろう。

こうして『主の晩餐』を年毎に行うことにより、我々は『シオンの山』を憂い、バビロンを後にして『ダヴィドの荒れ塚を興す』者、また、夜を徹して主人の帰還を待ち続ける者が地上に居ることを神の御前に表す姿勢を見せることになろう。
これが即ち、エデン以来の神の経綸に協働しようと願い、今それに応じる信仰を表す意義を持つ。

即ち『シオンよ、醒めよ!』と呼びかけられているのは、『主の晩餐』の価値を弁えて行う人を指すということになるであろう。
筆者も含めて各地の方々の挙式が、神の御前に覚えられるものとなるよう、祈念しつつ



 林 義平









ruin_HP



 

主の晩餐とは何か



それはキリストの「最後の晩餐」としても知られる。
だが、単なる食事を意味しているのではない。

「主の晩餐」は記念の儀式であっても祝いや慶事ではない。
その主要な意義は「キリストの死を宣布」することにあると使徒パウロは言う。
(コリント第一11:26)

しかし、これがどのような事を将来に惹起させるのかについては未だ謎がある。
というのも、この儀礼は『新しい契約』に関わるものであり、聖霊注がれた格別な弟子らが、キリストの体を象徴する無酵母パンと、血を表す赤葡萄酒に与り、その『兄弟』となって共に『アブラハムの遺産』、即ち『神の王国』を継承する『キリストと共なる相続人となる』ことを意味しているからである。
しかも、最初の食事儀礼を共にした十二使徒らは、殊に格別の立場に在り、天界での二回目の聖餐をキリストと共にすることも示唆されているのである。

その夜、最後にエルサレムに上ったキリストは、自らの死が近づいたことを知り、弟子たち、それも十二人の使徒たちとの別れに際し、きわめて意義深い最後のひと時を過ごしたのである。(ルカ22:15)

春先のその晩は満月が出ていたであろう。
というのは、その夜がユダヤ教の律法で「過ぎ越し」(ペサハ)と呼ばれる祭りの日に入ったからである。(出エジプト13:3-)



-◆主の晩餐の原形である過越し

その日から遡ること千二百年以上も前のこと、イスラエル民族はエジプトでの奴隷状態からモーセの指導の下に、自分たちの父祖アブラハム、イサク、ヤコブの神によって受け戻され、「約束の地」を目指してエジプトを発つ。

エジプトを出発する晩は、ことに記念すべき夜となった。
イスラエルの神YHWHは、預言者モーセを通してエジプトを治める「神」ファラオに自分の民を連れ出すように勧告し十度に及んでいた。

神YHWHによってその頑なさが助長されていたファラオが否む間、エジプトには九度も次々に災いが降り掛かり、その都度神YHWHの力が示され、それによってエジプト人にもイスラエルにもYHWHがどのような神であるかが次第にはっきりと知らされていった。実際に事を成し遂げる力を持つ「生ける神」としてである。(出埃9:16)

そして満月の晩。イスラエルはYHWHからその夜がエジプトにおける最後の時となることを知らされる。(出埃12章)
イスラエルはそれぞれの家庭で、旅仕度のままエジプトでの最後の食事をする。だが、その食事は特別な儀礼を伴うものであった。

まず、一歳のオスの子羊(あるいはヤギ)を夕刻に屠り、その血を家の入り口の戸柱と鴨居につける。
そうして赤く染まった戸口の中にいるなら、その家族の長男、家畜の長子は死ぬことはない。
しかし、そうしていない家には十度目の災いが臨み、すべての長男の命が奪われるのである。


屠った羊は家庭に集うすべての者によって食され、残していけない。肉や内臓が残るようなら火にくべて燃やし尽くさねばならないが、骨だけは折ることもしてはならない。その焼肉に酵母を入れない急ごしらえのパン(マッツォート)に苦菜(メロリーム)を添えて食する。

この夜、ついに皇太子を失ったファラオから出国許可が下り、夜が明けると全イスラエルとそれに加えてYHWHに信仰をもったエジプト人がナイルデルタ地帯のゴシェンから出発を始めた。

陰暦は日没から始まるが、その特別な食事の晩から始まる日はアビブ(「緑穂」)*の月の十四日であったことが記されている。(レヴィ23:4)*(捕囚後にカルデアの「ニサン」に呼称が変更された)


この奴隷状態から出る民の大行進は、ギゼーのピラミッドに近い「ノフ」から始まったとの伝承を歴史家ヨセフスが伝えている。三大ピラミッドは建造されて既に千年ほどが経過していたであろう。エジプトを発つ人々の目にその三角の陰が印象的に映ったのかも知れない。行進は翌15日にラメセスを発ち、以降二度とピラミッドを見ることはなかったであろう。(民数記33:3)


それから二カ月して、イスラエルはシナイ山麓に集結し、ここでモーセを仲介者に神YHWHと律法契約を取り結ぶ。
その律法の中で、出エジプトの月を一年の始まりとし、その十四日に過ぎ越しの食事儀礼を行い、これを世々記念するように神は定められた。(出埃12:24)
これは、後にセデルと呼ばれる定式の食事となりパレスチナ定住後はぶどう酒も含まれるようになり、時代が下るとより儀式化されていった。



-◆セデルから主の晩餐へ------

それから千五百余という永い歳月が経過し、その満月の夜、ニサンの月の十四日に入ったキリストは、地上における最後の夜、古来の律法の規定に則り十二人とセデルの会食を共にしていたのである。

しかし、この最後のセデルの食事を機会に、イエスは新たな儀式を始める。
まず、感謝の祈りを捧げて一枚の薄い無酵母パン「マッツァ」を割り裂くとそれぞれ使徒たちに与え、それは「自分の体である」と食べさせる。

次いで、ひとつの杯のぶどう酒をやはり祈ってから同じように十二人*に回し、自分の血による「新しい契約」を表していると飲ませた。*(「イスカリオテのユダ、その価値観の変化」)

イエスは、これらによってセデルを改め、「自らの記念(アナムネーシス)」として世々行ってゆくように、そしてご自分はぶどうの産物を天で弟子らと共にするまでは口にしないと述べられた*。そしてこれは、後代「主の晩餐」(キュリアコン・デイプノン)と呼ばれるようになったのである。(コリント第一11:26)*(ナジル人の誓約を思わせる⇒「忘れられた二つの意義」)


こうして、十二使徒は象徴的ながら「イエスの肉を食し、その血を飲んだ」のであり、それは彼らが「新しい契約」によってイエスと結ばれ、人類全体に先立って「神の子」となり、仮の贖罪による義と永生を得たことを表すであろう。(ヨハネ6:54/ローマ8:1)

パウロによれば、主イエスはこの最後の晩餐で、使徒たちに自分の「死」を記念せよ、と命じたのであって、けっして復活や誕生を祝うように言ってはいない。

神においては「イエスの死」こそ際立って輝かしい栄光を放つ一事であり、「復活」が如何に奇蹟であっても、崇高さにおいてその「死」にはとても及ばない。(ヘブライ2:14)



-◆主の晩餐を巡る時のせめぎ合い

さて、ユダ・イスカリオテを通して、イエスを処刑する算段はこの間も進行している。すでにイエスは銀三十枚という大したものでない報酬で、イエスに好意を持つ群集の邪魔の入らない場所で祭司長派に引き渡されることになっていた。

しかし、イエスは使徒らと最後の晩餐をニサン14日に行うことを数年心待ちにしていたのである。
そのためユダが予定より早く行動を起こし、この大切な晩餐に捕縛隊を乱入させないため、セデルの行われる場所が直前までユダには分からぬよう、慎重に彼以外のふたりの弟子に「水甕を運ぶ男」を探させる。(マルコ14:14-)

しかし、それが晩餐が終わる頃になると、一転して「あなたのしようとしていることを早く果たせ」とイエスはユダを促すのであった。こうして神の子羊は定められた時を進んで行く。(ヨハネ13:7)


他方、永いイスラエル=ユダヤの歴史が経巡る間に、セデルをいつ行うかについて混乱をきたしていた。ユダヤ人の間でも内地では14日、外地居留民は15日に分かれた時期もあり、ユダヤの暦も統一が乱されてさえいたのであり、イエスの当時のユダヤ体制派については、現代のユダヤ人に同じく、「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」を一緒くたに「過越しの祭り」と称して、セデルをニサン15日に入った夜に行っていたのであろう。(今日のユダヤ教はヒレル・パリサイ派を基礎にしている)

このようなユダヤの混乱は、キリスト・イエスが出エジプトの子羊と同じ「世々記念すべき日」に屠られることを神によって諮られたように見える。この日付の一日の差によって、ユダヤの祭司長派は『神の子羊』をニサン14日に屠る者と相成り、出エジプトの時に違わずにキリストは自らの『定めの時』を粛々と進まれたと観ることができる。 ⇒ 「過ぎ越しの日付にみられるユダヤの混乱

もし、子羊イエスを屠る側の祭司長派が、イエスに同じくニサン14日の晩にセデルを記念していれば、その晩から祭りに入ってしまっており、イエスを裁判にかけたり処刑を実行させたりすることはユダヤの儀礼上まったく不可能となっていたであろう。

それに加えて祭司長派はこうも言い合っていたことが記録されている。
『祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない。』(ルカ14:2)
やはり、今日でもパリサイ派であるユダヤ教徒は、二千年前に同じくニサン15日に過越しの食事をとって祭りを始めるので、イエスが捕縛されたのニサン15日ではなくその前の晩ということは動かし難い。

そうであれば、やはりヨハネ福音書がイエスの刑死の日を、祭りの第一日の安息日前の『準備の日』としているように、祭司長派の一日の認識のズレが「世々記念すべき日」におけるキリストの死を可能にしたのである。(出埃12:1-14)
このように、人間の知恵の不完全さを以って、神が目的の達成に用いられることは聖書中に度々見られることである。

エレメントに無酵母パンが含まれ、また、キリストの犠牲がユダヤ人の祭りと深く関わって捧げられた以上、その日付けは、ユダヤ人が「ニサン14日」と呼んでいる日に行われるべきものであることに変わりはない。



-◆王なる祭司となる人々

そしてイエスは、そのニサン14日に入った夜に幾らかの時間を取り分けて弟子たちと過ごし、パンによって彼らが自らと同じ霊の体となり永生を得ること、ぶどう酒によって「新しい契約」の当事者となり「アブラハムの遺産」(神の王国)を受け継ぐことを象徴的に示した。

しかも、この儀礼が繰り返される度に、それを行う者らは「主の死をふれ告げる」ことになるという。
つまり、イエスは「神の子羊」として肉も血も捧げられなければならなかったのであり、主の死があってこそ神の意志は前進したのであり、これは出エジプトのセデルの食事以上に記念に値する。これが主の晩餐の意義である。

つまり、十二使徒を初めとしてふたつのエレメントに与る人々は、キリストと共に霊の体を持って天から全人類を治める王、全人類の贖罪を為す祭司となるべく特に「選ばれた」また「召された」者たちとなる。 (ローマ8:30)


出エジプトの「子羊の血」が、その家の初子を救ったが、それら救われた全イスラエルの初子たちの総数の命を代価にして、神はイスラエルの十三の支族の中からレヴィ族だけをそっくり買取り、自らに仕えさせる祭司の種族としたのであった。(民数3:40-)
同様に、新しい契約での「初子たち」とは、律法制度のイスラエルを超えて、全人類の祭司となるべく神に買い取られる人々である。⇒ 「聖霊と聖徒

「神の子羊」イエスの血は、まず「全人類の初子」と看做される人々に犠牲を仮適用させ(義と永世を備えさせて)初めに救った。

それゆえ「新しい契約」に入る彼らは、人類に対して「初子」また「初穂」とされるので、パウロは自分たち初代のキリスト教徒を指して「我々、霊の初穂である者」と呼んでいる。(ヘブル12:23/ローマ8:23)


出エジプトの子羊の血で祭司らが神に買取られたように、キリストの血はイスラエルの祭司職に勝る、全人類の祭司職に「初穂」たる人々を買取るのである。(ペテロ第一2:4-5)


この新しい祭司職については、キリストが天に去って十日目のシャヴオートの祭り(五旬節)に約百二十人の弟子に聖霊が降ったが、それが神の買取りのはじめであった。

こうして新しい祭司となるこの人々に対してキリストの血の犠牲が承認され、「律法契約」に代わる「新しい契約」が効力を発揮し始めたことが五旬節以来明らかになったのである。(使徒2章/ヨエル2:28-)

百二十人のうち使徒だけが「主の晩餐」に与っていたのだが、新しい契約へ買取られる者は、この日から聖霊の賜物を持つ人々の増加と共に広げられてゆくことになる。



-◆選ばれた一部の者のための主の晩餐

後にパウロは、この聖霊の賜物は「相続財産(≒新契約)への事前の保証(手形)である」と述べている。(エフェソス1:13-14/コリント第二1:22.5:5/ペテロ第一1:4/コロサイ1:12)

このように「主の晩餐」はユダヤ教のセデルの食事とは一線を画するべきものであった。

しかし、キリスト教徒において、この点が曖昧な事例のあったことをパウロの記述が知らせている。
それはコリントス市のエクレシア(集会)であり、ある人々(ユダヤ主義的な)は既に「晩餐」(セデルであろう)を済ませてから「主の死の記念」に与ろうと満腹で酔った状態であり、別の(非ユダヤ的な)者たちは敢えて何も「食事」をして来ず、まったくの空腹で集まるのであった*。(コリント第一11:20-)
*(コリントスのエクレシアではアレクサンドレイアからエフェソス経由で来たイエスを知らなかったユダヤ人アポロスの影響とパウロスの教えとが拮抗していた様子があり〈1Cor1:11/3:4-7〉、このことがユダヤと異邦人の派閥となってしまった蓋然性がある)

パウロは、これでは彼らの分裂的集まりは悪い結果になるだけであり、そのような「裁きのために集まる」ようなことしてはならないと書いている。(同11:17/11:34)
これについてパウロは、教派の対立を止め、皆が家で適度な食事をした上で「主の晩餐」を行うように指導した。場合によっては互いに待ち設けて和やかに事前の食事をするようにも奨めている。(同11:33-34)
そのようにして派閥的な両極端を避けるべきことを教えていたのである

また、その同じ章でパウロは、主の晩餐の表象物(エレメント)に与るか否かは自分の「体」をよく吟味しなければ「裁き」を食し且つ飲むことになるだろう、と警告している。(コリント第一11:27-32)

これは、過ぎ越しの食事にもセデルにも無割礼の異邦人の与ることが許されなかったことが敷衍されているように思われる。(出埃19:43/レヴィ22:10)

彼は「霊をもたない者はキリストに与る*ものでない」とも書いており、この点は注意を要する。(ローマ8:9)*(字義「彼に属す」)

つまり、聖霊の奇跡である「聖霊の賜物」を有しない「信徒」は「聖徒」ではなく、キリストと体を共にせず、新しい契約の当事者でもない

使徒パウロは、当時のコリントスのエクレシアの人々がその無分別の危険を犯しており、この点で「病みがち」であり相当数は更に進んで「眠りについて」(死を含意)しまっているほど(無感覚)であると指弾している。(コリント第一11:29-30)

したがって、西暦第二世紀半ばに聖霊の降下が終わって久しい今日、この晩餐を食する資格を持つ人は誰もいないであろう。
「主の晩餐」でエレメントの無酵母パンとぶどう酒に与る人々は聖霊の印を持っており、それは自他共に明瞭に認めうるものであった。(コリント第一12:7)


-◆十二使徒の先立ちを教える主の晩餐

さて、新しい契約で「契約に与る者」の中でも、キリストの十二使徒については更に別格である。
当時の時間の経過を考慮すると、十二使徒以外には聖霊の灌がれる以前に「主の晩餐」に与った者はないことになる。(ユダ・イスカリオテは落伍し、後に別の人物により補充された)
彼らだけは聖霊の証印を押される以前に、早くも「主の晩餐」に与るという稀なる立場にあったが、なぜだろう?

つまり、彼らはイエスに従い続け、親密で信頼の置ける者らであると既にイエスに認められていた。(ヨハネ15:16.27)そこでイエスは彼らと「王国の契約」*を特別に結び、それを通してイエスと十二人の関係は天でも格別なものにされたのである。(ルカ22:28*本文中「契約を結ぶ」との意で適切であろう

それはイエスの「あなたがたは天で十二の座に就き、イスラエルの十二部族を裁く」という言葉に表されているように読める。(マタイ19:28)

したがって、この(より早い復活を遂げる)十二の座から、残りの「新しい契約」に加入する者たちが吟味され最終的に立場を承認されるというように捉えることはけっして不自然ではないだろう。そうであれば、主に寄り添って来た十二使徒の「義」は、一人を除いてその後の聖霊注がれた他の聖徒に優って確定的だったことになろう。後にその一人の座は別の者の占めるものとなっている。(フィリピ3:11/黙示録21:14)(これは極めて稀なる高い権威ということができる)



-◆今日と将来の意義-----

ともあれ、ニサン14日の「主の晩餐」においてエレメントに与る理由があるとすれば、それは自分が「新しい契約」に与っているという誰にも明らかな証拠を伴っているべきであろう。彼らは天に召される者である。(ヘブル3:1)その証拠がないなら晩餐に与るものにはならぬ方がよほど良い。
パウロは『「裁き」を飲みまた食さないためである』と言っている。


つまり、聖霊の賜物の有無がそれを分けるのであって、イエスと一体になるという稀なる立場を弁えず、単に「天国に行きたい」であるとか、権威を身につけるための政治的方便であってもならないし、神の定めた救いの段階や、自分の身の程をわきまえぬ高慢や甘えが誘因であるとすれば、何を言うべきであろうか。(ヘブル5:4)

しかし、誰も食事に与らないからと言って「主の晩餐」を行わない理由も見出せない。
挙行することによって我々は「初穂」となる人々を忠節に待ち望むからである。
それはパウロが『創造物は切なる期待を抱いて神の子らが表し示されるのを待ち焦がれている』と書いたようにである。(ローマ8:19)


今日、参加者が誰も食べたり飲んだりしないとしても、「主の晩餐」の儀式のみをニサン14日に入ったとされる夜に挙行することによって、我々はその聖霊を持つ「聖徒」の到来に無関心でないばかりか、聖霊の再降下と彼らの現れを心底願っていることを神の前に示すという意義がある。
まさしく『求め続け、探し続けるなら』『父は聖霊を与えられる』と主は言われているのである。(ルカ11:9-13)

しかし、いつの日にか、真に聖霊を持つ人々が現れてエレメントに与るときに、それを喜べる一人となるなら真に幸いなことと思う。そこに人間によらない真の正義が到来することになり、我々は神の正義に信仰を示してそれを支持できるからである。(マタイ25:40/ゼカリヤ8:23)

今日、人類は誰が正義を持っているかを巡って政治や宗教の分野で争っているが、将来、聖霊を通し「神の正義」が現われることで、むなしい論争はひとつの論点に収束され、神か人の選択となるだろう。

そのときに主の晩餐がどのような働きをするのかは分からない。だが、古代エジプトでのペサハとキリストの最後の晩餐とのふたつを結ぶこの食事儀礼が徒ならぬものとなることは予感できる。
このふたつは共に民に隷属*からの開放をもたらす転換点であったし、祭司となる長子を贖っている。
*(エジプトの苦役と律法[罪]の頚木)

おそらく、将来においても「この世」への隷属の「虚無」からの民の開放へとつながるものとなるだろう。(創世記12:3/ローマ8:19)

キリストの流した罪のない血の中の魂は、まず聖なる者たち、それから人類全体の罪を贖い、神と人を結ぶ絆となって永遠に至る。それを理解する人々にとってニサン月14日は、今後もこの神の悠久の企図に深く思い致すべき、取り分けられ浄められた夜となろう。



                 新十四日派   © 林 義平


-------------------------------------
その後の歴史
使徒ヨハネの晩年、小アジアにおいて年に一度、ニサン14日の晩餐は守られていたが*、周囲(特にシリア)はこれに異議を唱えた。それは反ユダヤ感情からくる非難であったが、ローマ教皇ウィクトルの時には小アジアの全体が排斥されるところまで進んだ。これはエイレナイオスの仲裁を得て和睦したが、後年のローマ国教化の後に姿を消してしまった。
(使徒ヨハネに従う小アジアのこれらの人々は十四日派「クアルトデキマーニ」と称された) ⇒ ウィクトルとポリュカルポス

今日、復活祭やイースターの聖餐の名で主日とされた日曜日に移動されたが、これは本来のものではない。
また、普遍教会において、ミサの秘蹟として平素パンのみの「聖体拝領」となったが、こちらも万人聖徒の謬見による不都合からのものである。 ⇒ コンスタンティヌスの裁定

日付の根拠
小アジアのポリュクラテスは、人々(ユダヤ人)が酵母を除くときを我々は守ってきた、と述べており、それはユダヤ人が「ハグ・ハマッツォート」(除酵祭)に入るニサン月の14日ブディーカト・ハメツの焼却を表していたと思われる。 ⇒ ポリュクラテスの反論


マッツォの作り方 -----
無酵母パンは全粒粉の小麦を用い、水を少しずつ含ませて捏ねてから数ミリの厚さに延ばすが、薄い方が焼きやすい。それから僅かのオリーヴ油をひいた鉄板で焦げない程度に焼く。ピザ生地のような小さい孔をあちこちに付ければ気泡で脹らむのを避けることもできる。⇒画像付き(エイレナイオスのブログ)

ぶどう酒はできるだけ混ぜたものでないものがよいだろうが、防腐剤の無いものも市販されている。

だが、それを食したり飲んだりすることは勧めない。
キリストの死を観想し一定の時を過ごしたら、エレメントの働きは象徴的に終わるので、パンは処分し、ぶどう酒は地に注ぐのがよいと思われる。

試食、試飲なさりたくば、晩餐を挙行する動機の純粋性のために、別のものを別の時に試されるがよろしかろう。
無酵母パンの味は「苦悩のパン」と呼ばれただけあって、けっして美味ではない。


ポリュカルポスとアニケトゥス
ディダケーに描かれる主の晩餐 
主の晩餐で忘れられてきた二つの意義
血の禁令を超える「主の晩餐」
無酵母パンから生じるエクレシア
据えられた隅の親石の完全さ


 ◆本ブログの記事一覧











主の記念 

続きを読む
プロフィール

林 義平

タグクラウド
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード