マタイ福音書が記す終末預言と例え
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この世が終わるという、その緊張感ある警告の言葉の数々は、あと三日で公生涯を終えるイエスが、別れの迫った使徒らと過越しの祭りの近付くエルサレムを歩きつつ、ヘロデ神殿の石組みの壮麗さに使徒らが感嘆して師に声をかけた場面から始まっている。
イスラエルの聖なる神YHWHの第二神殿はヘロデ大王によって拡張されており、基礎の上に多くのアーチと壮大な土留め壁を用いて岩盤から50mの高さに整地された境内と新たな回廊と聖所は、規模においても内容においてもローマ世界に名所となっていた。46年以上の工期をかけたというこの偉大な建造物はユダヤ人にとっての誇りであり、皇帝も代理者を通して犠牲を捧げつつ、異邦人として隔ての壁を越えることなくその崇拝を尊重していたので、ユダヤ人側も帝国においてユダヤ教が保護されていることに一定の謝意をもっていた。

しかし、イエスはその殉教の死が三日後に迫る中、実はその死に関係して、壮麗な神殿建築の『石が石の上に残らない』という完膚なきまでの破壊を使徒らに予告したのだが、それは彼らユダヤ人にとっては信じ難く、またそのアイデンティティに関わる重大な危機を感じさせるものであったに違いない。

キリストの使徒とされていた、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネというガリラヤの漁師たちがイエスに近寄って『どうぞお話しください。いつ、そのようなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか』と四人だけで尋ねる。

ユダヤの危機と自身がエルサレムから旅立つことについてのイエスの発言が以前からなされていたことを共観福音書はそれぞれに記している。そうでなければ、師に向かって『あなたがまたおいでになる時』とは言わなかったであろう。
 
しかし、マタイによれば、この度イエスはエルサレムからの『脱出』を前に、神殿の東側のオリーヴ山上で長い講話をしていたことになる。その講話の場面はマタイ24章から始まり25章全体を経て26章の初めにまで至っている。しかもそこには『その時』に関わる幾多の情報と七つの例えを含んで、山上の垂訓の三分の二ほどの分量に達しているのである。

その内容を列挙すると以下のようになる。
24:4〜偽キリストの予告 
24:6〜戦争と苦難の時節の到来
24:9〜弟子らの苦難と審問と宣明
24:15〜ユダヤとエルサレムからの逃避すべき時 
24:23〜偽キリストへの警告
24:29〜雲に乗って来る 
24:32〜イチジクの例え
24:36〜ノアの日の例え
24:40〜二人のうちの一人が選ばれる例え
24:43〜忠実で賢い奴隷 の例え
25:1〜十人の乙女 の例え
25:14〜タラント の例え
25:31〜羊と山羊 の例え
そして26章の2節を以ってこの場面が終わることが分かる。

こうして概観すると、神殿の倒壊する時について質問を受け、その答えは単にエルサレムと神殿の滅びの時代の様相を予告するだけに留まらなかったが、殊に強調されているのが、「あなたがた」とされる使徒また弟子らに起こる事柄と教訓なのである。残された弟子たちに、これらの言葉が強い印象を残すものとなったことは、共観福音書が揃って記録しているところに表れているように読める。

それゆえ、終末が臨むであろう後のその時代に生きる人々が、このマタイの終末預言を考慮するためには、所々の断片的理解を持つだけで果たしてその益を受けられるものだろうか。
もちろん、この預言が語られた当時の使徒らが、ここに述べられたすべてを理解してエルサレムの終わりの時期に起こることの全容を把握したということにはならないだろうし、これらの言葉を聴いた四人のうちのヤコブとペテロは西暦七十年を迎える以前に殉教を遂げている。*

それでも晩年のペテロは『神の家から裁きの始まる定めの時』が来ていることを指摘し、『それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない(ユダヤの)人々の終わりは、どんなであろうか。』とも述べた。ペテロがここで言う『終わり(テロス)』は、彼がこれを記述した時には未だ到来していなかったことは明らかで、それは西暦七十年に福音に従わなかったユダヤ人の上にはっきりと成就したであろう。

また、ペテロは同じ第一の手紙の中で聖霊を受けた者らが『それぞれ生ける石となって、霊の家(神殿)に築き上げられ』ることを記している。つまりペテロの言う『わたしたち』という『神の家』を構成する『生ける石』が、吟味され裁かれることを述べているのである。⇒「神の家から始まる裁き」

即ち、それは実際の石でできた地上の神殿に代る天界の神殿であり、エルサレム神殿の喪失と続くユダヤとエルサレムの荒廃を前にしたその時期には、聖霊を注がれた天の神殿の「石」が試されていたことを伝えるものとなっている。
天界の神殿を構成する程の者たちでさえ吟味されるのであれば、キリストをさえ退けたユダヤの人々の結末は如何に恐ろしいことになるのであろう。西暦七十年、その酬いは彼らと神殿祭祀に対し『その世代』の内に遅滞なく襲い掛かった。
 
ペテロもイエスから直接に終末預言を聴いたひとりであれば、殊にその預言にキリストの伴となる『聖なる者ら』への警告が含まれていたことを意識していたであろうし、その手紙にもその背景が見て取れる。(ペテロ第一3:6)

地上の神殿が去って後も、天界の神殿がすぐに建立されたわけでもなく、それは我々のなお将来のことであるが、キリストを親石として、天の神殿を構成する石のひとつひとつとなる『聖なる者』は、その石としての質を問われていたのであり、終末の『聖なる者』も同じように確固たる神殿を構成出来るほどの確かな石であるか否かが測定され、また試されることであろう。

そして、ユダヤとエルサレムの荒廃を歴史から観察できる後代の我々には、この預言の成就からの観点が加わるのであるから、時代の下流から物事を観るという、より良い視座が確保されているのである。 



◆偽キリストの予告と戦争と苦難の時代の到来

さて、使徒らの質問に答えて、イエスはまず第一に『多くの者がわたしの名を騙って現れ、自分がキリストだと言っては多くを惑わすであろう。』と教え始められた。それは小さな問題とはならないようで、イエスはこの件を終末預言の随所で繰り返している。
 
しかし、この偽キリストが大勢現れる事態はこれまでの歴史からすると少々大袈裟な印象を受ける。
確かにこの手の「メシア」は何人か現れては尽く撃退されていた。目立つものと言えば、神殿喪失後の第二次ユダヤ戦役にバルコクバが現れラビ・アキバのメシア承認と助勢もあって、結果としてユダヤは却って徹底的に荒廃することになったことがある。当時のユダヤ人らには、救国のメシアが立ち上り、マカベア戦争後のハスモン朝のようなユダヤ教国家の復興が実現するものと期待されたに違いない。だが、西暦二世紀までの自称メシアらは、皆が尽く退けられ、王国が到来するどころか、却ってユダヤ人の境遇を悪くするばかりで、やがてはエルサレムに近づくことさえ禁じられ、自称メシアの登場が重なる毎に、ユダヤは祖国の地を追われて亡民とされていったのである。

確かに、この件についてはマタイ24章で再度現れる『見よ、ここにとか、そこにとか言われてもついて行ってはならない』との句がそのままに当てはまるかのようには見える。しかし、頑迷なユダヤ教徒らにしてみれば、イエスの弟子らの言うことなぞ耳を傾ける価値もないし、その意味どころか言葉さえ思いにとめもしなかったであろう。しかし、それらの本旨は、終末に臨在するイエスにだけ起こることではないのであり、まさにメシアの到来によって試されていたその人々に臨むものとなる。

やはり、ユダヤ体制の終焉に至る当時には、バプテストやナザレ人イエスの到来と共に変革の抗し難い潮流が臨みつつあった。それは最後の預言者マラキが警告していたユダヤの体制に臨む裁きであり、バプテストが語った籾殻として燃やされる日の到来であった。
西暦前50年代から続いたローマの二世紀に亘る支配の下で、国民と国民の衝突するような大きな戦争をパレスチナは免れて来たが、神殿とエルサレムに危機が迫る西暦60年代に入ると、ユダヤ反乱の環境が醸造され、特にマサダ要塞攻撃後の西暦66年以降はユダヤ体制の終焉を知らせる『戦争とその噂』が聞かれるようになってゆく。ローマが撃退されたままにはしないに違いないことは誰もの共通認識となっていた。そこで救国のメシアが要請された。

しかし、その時期に偽キリストの異常な程の脅威が押し寄せるようには歴史の資料は読めない。やはり、これはキリストの終末預言に通して言える事であると思えるが、この件もユダヤ体制の終わりの時代だけに当てはまらず、幾分の余地を残しているかのようである。

その「余地」とは、更なる「終末」、即ち「この世の終わり」の時期に起こる出来事なのであろう。確かにキリストが『雲に乗って来る』、またそれを見る『地のすべての民族は嘆く』ことなど、未だ起こったわけもない。いや、「余地」というよりは、これらの言葉の全体が、終末に焦点を合わせているという以外ない。それは深刻な脅威となる偽メシアを指し示しており、それは終末に現れる『背教』と関連することを後の使徒パウロが示唆している通りであろう。(テサロニケ第二2:3-4)

だが、二度の戦役を含むユダヤ体制の終焉の時代に目を戻して、この預言に語られた戦争と苦難の時代の到来は、やはり当時の世代にも顕著に成就している。
『戦争と戦争の噂』は西暦66年のユダヤ反乱以来パレスチナを覆って、最後にはエルサレムはローマとその同盟軍の六万の軍勢に囲まれ、遂に滅ぼされるに至った。それはバビロニアのときの破壊をも超えるまさに滅尽ともいうべき徹底的な破壊を被らせることになったので、ユダヤ人にとっては『起ったことのない大患難』と形容されるほどの苦難の日の到来となったであろう。

では、将来の世の「終末」に於いても「戦争」が時の印となるのであろうか。
確かに『シオン』と語られる象徴のエルサレムに危難が及ぶことは旧約の預言者たちが語るところであり、ダニエルも終わりの日に二大勢力の押し合いのあることを知らせており、これとは別に、世が終局を迎える際には、世界的勢力が『シオン』を囲むそのときにそれらの軍勢が同士討ちを起こすことも預言者らによって繰り返し語られているところである。
これらを総合すると、確かに終末の一時期は相当に不穏な情勢となることが示唆されている。⇒「黙示録の四騎士」「二度救われるシオンという女」

さてイエス後のかつてのユダヤでは、その後もメシア自称者バルコクバの処刑後の苛烈なユダヤ人への処置に及ぶことになる。以後、ユダヤ人はエルサレムの在った土地に入ることも許されなかった。そればかりか『約束の地』から『吐き出され』、遂に流浪の民となったうえ、ユダヤ教徒であるだけで余分の税も取り立てられるようにもなった。(レヴィ20:22)

この偽メシアによる似た惨禍が、おそらくはこの世の終末に再びもたらされるのであろう。 




◆ユダヤとエルサレムからの逃避すべき時

しかし、偽メシアの惨禍はメシア=キリストを信仰を懐いて受入れたユダヤの弟子らが受けるべきものではけっしてなかったことをイエスはその終末預言でも明らかにしている。
 
つまりルカが『エルサレムが野営する軍隊に攻囲されるのを見たなら滅びが近付いたことを悟れ・・ユダヤに居る者は山に逃れよ』と書いた部分である。ユダヤ人の文化と律法体制の中心であり、民族のアイデンティティの象徴、また誇りであるエルサレムと神殿に見切りをつけてそこを後にせよと、なんとメシアがモーセを守るユダヤ人に警告なさったのである。(ルカ21:20-)

そのときに至るや、聖なる神殿には不吉な兆候が現れることが預言される。 
即ち、マルコとマタイでは『荒らす憎むべきもの(ト ブデログマ テース エレーモーセオース)が聖なる所に立っているのを見るなら・・ユダヤに居る者は山に逃れよ』としているのである。

それまで律法の崇拝の場所、イエス派の「義人」ヤコブも日毎に祈りを捧げていたユダヤの良心を代表するような聖なる所もいつの間にやら変質し、もはやそこは神の棲まう家ではなくなってしまい、破滅を招く嫌悪すべきものの立つところと変じてしまうというのである。
それはユダヤ=イスラエルという血統と共に在った神との絆が、信仰による新たなイスラエル、つまり『神のイスラエル』 へと聖霊によって移される大きな節目を刻むことにもなるのである。

そこでルカの記述のままに、マルコ・マタイが同じものを指していると見ると、『荒らす憎むべきもの』とはエルサレムを囲む軍隊であることにはなる。そこから『荒らす憎むべきもの』のダニエル書の言葉から偶像に相当するものを当てはめようとしてローマ軍旗(ラバルム)を『荒らす憎むべきもの』と特定する向きもあるが、ダニエル書では『荒らす憎むべきもの』の『その翼の先端には滅びがある』(直訳)とあり、またこれとは別に『ひとりの指導者を持つ民がその城市と聖なる場所を滅びに至らせる』(9:26-27)とあるので、聖書としては、この軍または旗を必ずしも『荒らす憎むべきもの』と同定することを強いてはいない。

加えて、もし 『荒らす憎むべきもの』がローマ軍旗であるなら、それが神殿の中庭に掲げられたときにはエルサレムは既に陥落した後で、その時になってから脱出せよと命じる意味もない。まして、ヨセフスの伝えるような歴史の実際では、戦闘で焼け落ちてしまった神殿にティトスはもはや未練も残さず破壊を命じたとされるが、それならば誇らしくラバルムがその焼け落ち破壊された後の神殿跡地に掲げられることには、ローマの征服の完了を表す以外に何の意味もなかったと見るべきであろう。それを見てからどんな行動がとれたものだろうか。(ユダヤ戦記Ⅵ1:1)

しかし、さらにユダヤ戦記を繙いてゆくと、エルサレムの滅亡を呼び込んだローマ軍以外の者らを見出すことになる。(戦記Ⅴ1:1・3)
それが熱心党やギスカラのヨハネなどの野盗集団であり、彼らは確かに聖所を汚したと言うべきである。それは、ローマ軍の到着の以前からのことであった。大祭司を先頭に市民らはこのならず者らを追い出そうと戦ったが敗れてしまい、却って正規の大祭司が除き去られ、寄進物を我が物とされたうえ、聖なる処は血で汚され、エルサレムは彼らの圧制と強奪にむせ返った情況が伝えられている。(戦記Ⅴ1:5/Ⅵ2:3)

ローマ軍の攻囲が始まると、ならず者らは抵抗して聖所を拠点としてしまう。神殿を残そうと努めたティトゥスの再三の投降勧告をこの悪党らは勝ち目もないのに尽くはねのけたために、この輩らが遂に神殿の炎上を呼び込んだのであり、同じ民族の中から現れたこの最悪のユダヤ人らこそが、神殿と聖都の飢餓と滅びに最も重い責を負ってはいないだろうか。
物資の欠乏から常供の犠牲も絶えたのも、彼らが聖所を占拠している間のことであり、これにはローマ軍は直接に関わっていない。遂に常供の犠牲が取り去られた日にエルサレムには街中に落胆が覆ったことをヨセフスは記している。(戦記Ⅵ2:1/Ⅴ13:6)⇒不法の人の現れる時

エルサレムへの印としては、この者らで構成される軍隊も西暦70年春のローマ軍の到着前からエルサレムに対して野営を張って囲むことがあったが、66年のローマ軍の最初の攻撃以後にこのならず者集団の攻囲を見たイエス派の人々は、イエスの終末預言の警告をそれ以前に起こったイドマヤ軍の攻囲に加えて思い起こす機会を得ていたであろう。即ち、66年以後70年までエルサレムは何度も攻囲を経験するのである。
そこでイエス派の人々は、当時のデカポリスに属したヘレニズム色の強い北東部のペッラ市に逃れたことがエウセビオスが教会史に記したように知られているところである。

そして西暦70年の過越し以降はエルサレム脱出はいよいよ困難となり、殊にルカ福音書に予告されたように、ローマ軍がエルサレムの周囲に柵を巡らしてからは生きて出られる保証はまずなくなっていた。
それゆえイエスがエルサレムが囲まれる事態を見たなら急いで山に逃れるようにとの警告は、まさしくイエスをメシアとして受入れたユダヤ人の生死を分けるものとなったというべきであろう。

『その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。』とは、後のエルサレム攻囲の様子を伝えるヨセフスの記録からすれば、不法集団の殺戮と非常な飢餓が臨んだエルサレムの状況からしてまったく真実であったというほかない。新しい命を祝福で迎えることのできない母親たちの苦悩や嘆きは想像するに余りある。

また、パレスチナの冬は氷雨が降り続き、移動は困難であるからイエスは『あなたがたの逃避するのが冬季にならぬよう』また、律法とその附則により移動する距離に制限が課せられた『安息日にならぬよう祈れ』とあるが、これは急いで逃げ出す必要と、その訓戒を受けている人々がユダヤ人の弟子らであることを思い起こさせるものである。⇒「キリストの語った終末預言」

西暦66年のローマによる最初の攻囲は、秋の仮庵の祭りの時期であったから、確かにユダヤから逃れるには急がないと冬の雨に追いつかれる恐れがあった。だが、軍隊や武装集団による攻囲をエルサレムはその後三年半の間に何度か経験することになり、それが醸し出す無秩序な不気味さは、聖都の終わりを予感させ『山へ』逃れるようイエス派の人々をその都度促すことになっていったであろう。

加えて、モーセの体制の終焉の時が、その当時の世代に内に到来することをイエスは使徒たちに告げている。
それは使徒らの『そのようなことはいつ起こるのでしょうか』という時を尋ねる不安の篭った質問に対する答えでもある。

それが『これらの事柄のすべてが起こるまで、この世代は終わらない』というキリストの言葉である。
それらの予告が、キリストのこの予告から四十年を経ない西暦70年、ローマ軍によるエルサレムと神殿の徹底的な破壊を以って現実のものとなったとき、遣わされたメシアを信じずイエスを処刑させた『曲がった世代』はまさにその裁きの災禍を被ることになった。(使徒2:40)

これら終末預言を聴いた使徒らにとって、ユダヤの終わりを描く主の驚くべき言葉の数々が、彼らの生涯の内に生じるものであることを覚悟させるものとなったに違いない。しかも、そこにはユダヤという永く続いたモーセ以来の体制が終わることだけを意味するものではなく、彼ら弟子らに降りかかる厄介な事態をも含んでいたのである。



◆弟子らの苦難と審問

さて、イエスは続けてこの苦しみも始まりに過ぎず、弟子らが受ける憎しみと迫害があることについて告げてゆく。
『そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うであろう。』(マタイ 24:9-10 )

やはりイエスが使徒らに注意を向けたその時期は危急の事態をもたらすものである。
ユダヤに愛国主義が沸騰していた66年以後には、ローマに処刑されたナザレのイエスをメシアであると主張することも困難に面したに違いない。却ってユダヤ独自の貨幣が鋳造され、ローマの反撃に備えて武器も量産され、軍事教練が若者に施される中、イエス派にとってユダヤは居心地もよいはずもなかったであろう。その愛国心の高まりは、イエス派をユダヤ教から排除する促進剤として作用したと、歴史書も指摘する通りである。
 
だが、これは世界の終末に於いても弟子らがこの世から受ける迫害があることを示しているに違いない。
そして、その圧力の高まりの渦中にあって仲間内でも分裂が起こることを知らせてはいないだろうか。

それは迫害の中での思想対立と密告の危険であり、これはこの終末預言ばかりでなく共観福音書が揃って語るところである。次のようなフレーズは新約聖書に幾らか親しんだ人には知られたものである。

『地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むために来たのである。
 わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。』(マタイ10:34-36)
  
こうした内容はキリスト教らしからぬ敵意の応酬を感じさせるのだが、だからと云ってこれをキリストは語らなかったとするには同じ内容の場所が散見されて無理がある。
しかし、これは常に世からの迫害とセットで語られており、弟子らを巡る状況が厳しさを増す中で、その圧力から『裏切り』が出ることを含んでいると見做すのが理に適う。

だが、このような事態が使徒時代の終わりころにどのように臨んだかは新約聖書の空白期に相当するために確かな事は詳らかではない。
使徒のペテロやパウロが失われた67年頃から使徒ヨハネの著作群が現れる90年代の終わり頃までに書かれたであろう聖書に残る書簡はユダの手紙だけのようである。
その手紙もペテロやパウロの晩年の文書のように迫害と裏切りを思わせる緊迫感があり、およそ20年ほどのこの空白の時代が容易ならぬものであったことを窺わせる。殊に自らを神とするドミティアヌス帝の81年以降の15年間の治世中は、さぞや苦しみの多い時期であったことであろう。⇒ 「神の家から始まる裁き」

しかし、これは当時にしても将来のこの世の終末の時代にしてものことであろうが、そのような迫害が弟子たちの活動によって惹起されるものであることも共観福音書の共通項でもある。
マタイはこのキリストの終末預言の部分では記していないのだが、マルコとルカに記された終末預言では、彼らの次のような活動があることを知らせているのである。

例えればマルコはキリストの終末預言の中で次の内容を記している。
『 あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引き出され、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対して証言をさせられるであろう。

 こうして、福音はまずあらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
そして、人々があなたがたを連れて行って引き渡すとき、何を言おうかと前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて聖霊なのである。』(マルコ13:9-11)

これは終末における弟子らの主要な証しの業となるであろうことは旧約預言にもあちこちで示唆されている。
例を挙げればハガイがそうである。
『わたしはしばらくして、もう一度天と地を、海と陸地を揺り動かす。
諸国の民を激震させて諸国のすべての民の望ましいものをもたらし、この家(神殿)を栄光で満たす、と万軍のYHWHは言われる。』(ハガイ 2:6-7 )

ヘブライ人への書簡は、このハガイの句について、『語る方を拒むことのないように』また『地上で神の警告を伝えた者を拒絶した者らが逃れられなかった』ことについて適用している。(ヘブライ12:25-29) 

では、神がどのようにして諸国民を尽く激震させるのだろうか。その結果として諸国民からの望ましいものが神殿に入ってくるというのであれば、それは金銀財宝なのであろうか。
ハガイで『金も銀もわたしのものである』という神は実際の金銀を求めているのだろうか?それは実際の神殿の飾りにはなるであろうけれども、天の神殿についてはそうは思えない。
 
むしろ、イザヤの預言の言葉の成就は、神殿に入ってくるその貴重なものについて示唆しているであろう。
『終りの日に次のことが起る。YHWHの家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてゆき、多くの民は来て言う、「さあ、われわれはYHWHの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、YHWHの言葉はエルサレムから出るからである。』(イザヤ 2:2-3 )

このような世界の人々に大きな変化をもたらすものは何であろうか。
それが単なるキリスト教各宗派による宣教運動によって成し遂げられるのだろうか。

諸国民が激震されるふるい分けとされるからには、やはり人間を超える力と知恵の表明なくしては起こらないのではないだろうか。即ち、神ご自身による世界宣教であり、用いられるのは聖霊を受ける弟子らであろう。
しかも、それが激震であるからには、非常なショックを伴うものであるに違いない。

すべての人に受け入れやすい音信などで収まるものではなく、そこかしこで激しい論争や葛藤が起き、為政者らはその立場を失うまいとし、人々は信じる者と信じない体制派に分かれこの世を二分する焦眉の問題となり得るものではないか。その圧力から『裏切り』や『憎み合う』事態が発生しても不思議はない。

それはイエスの奇跡を見たユダヤ人の間に生じた分離でもあった。
終末においてマタイが、『王国の福音はあらゆる国民への証しとして、人が住むあらゆる処で語られる』と記すのであれば、聖霊による人々の篩い分けが世界に広げられるとみてよいのであろう。

ハガイの預言した激震について言及しつつパウロはこう語っている。
『あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。』(ヘブライ12:25)

イザヤはこの件と深い関わりを示すかのように、メシアについてこうも預言している。
『彼も多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつむぐ。それは彼らがまだ伝えられていなかったことを見ることになり、まだ聞かなかったことを知ることになるからだ。』(イザヤ52:15)

こうした、この世とメシアとの対立の構図をイエス自身はこう語っている。
『その者(霊)が来れば、世に対し、罪について、義について、また、裁きについてその誤りを糾弾することになる。
 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。』(ヨハネ16:8-11)

即ち、聖霊を受ける者らが、その言葉によって為政者らに語り、神の国の到来を告げるとき、それは徒ならぬ事態を招き、地を揺るがすことになることは、新旧の聖書の告げるところなのである。

勿論それは、既存のキリスト教徒による伝道で成し遂げられるところではなく、人の能力を凌駕する、聖霊を介した神による世界宣教と云うべきものであって、鋭い世との対立により、鮮烈な音信の伝播となるに違いない。



◆繰り返される偽キリストへの警告

使徒らの質問に答え始めるに当たって、既に偽キリストの件から話されているので、こうして偽キリストの現れが二度目に、しかもここで更に詳しく語られるからには、これは相当に重要な問題であるに違いない。
それは『聖なる者たちをさえ惑わそうとする』策謀であり、その言葉からは一般人を含めて広範に影響を及ぼすことが示唆されている。しかし、人の子の臨在は稲妻のような天界の事象であって、地上の何処かに起こるものではないことをイエスは付け加えているのである。 だが、聖霊を注がれる聖なる者たちさえもが惑わされ兼ねない偽キリストとはいったいどんな実体なのであろうか。

偽キリストと共に『偽預言者』は『大きな印や不思議を行う』とあり、聖霊を注がれる『聖なる者』のように振る舞うところが非常に厄介なところとなるのであろう。
『偽預言者』についてはヨハネ黙示録も述べており、その印や不思議の力の出所を示唆している。
『龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。』(黙示録16:12-13)
 
この「蛙のような」(ホース バトラコイ)という表現に思い当たるものと言えば、出エジプトの際にモーセがファラオに示して行った奇跡の二番目であり、エジプトに無数の蛙が充満したことである。だが、エジプトの祭司らにも蛙を出すことは出来ないことでは無かったのである。もちろんそれはモーセの神による奇跡を行っていたわけではなく、別の源、即ち悪霊らに由来する奇跡の霊力であったに違いない。それゆえ黙示録も言うようにそれは『汚れた霊』のしるしであり、聖なるものではない。

だが、それは出エジプトの当時の神の奇跡に似て対抗するものであったなら、終末の時期においても人を惑わすものとなり、あるいは聖なる者であっても、似た奇跡に仲間を見てしまうこともあるかも知れない。だが、それは偽物であり偽りであるからその奇跡を見ても信じることがあってはならない。(列王第一13章)
 
終末のこの時点で既に『大いなるバビロン』も去っているからといって、宗教の誤謬がなくなる訳では無く、より強力な宗教上の偽り、究極的で最後のサタン崇拝が起こされるように黙示録は読める。 ⇒「大いなるバビロンの滅び」
大いなる『背教』が起こって『不法の人』が顕在するのが『大いなるバビロン』の滅びの時期になるということは、使徒ヨハネの教えを継承するエイレナイオスのような初期教父も示すところであり、これは何も現代の新しい解釈というわけでもない。

大いなる『背教』とは即ち、全聖徒の召集と王国の実現を妨げようとするサタンの側の最後にして猛烈な反対運動ということであろう。
 即ち、パウロはテサロニケへの手紙で『聖なる者ら』が集められる終わりの日について書いており、そこでは更に『背教』との関連が説かれている。

『だれがどんな事をしても、それに騙されてはならない。まず背教が起り、不法の者、つまり滅びの子が現れるにちがいない。
 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神殿に座して、自分は神だと宣言する。』(テサロニケ第一4:3-4)

また、パウロはこうも言うのである。
『 (不法の者)が在るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議とまた、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。』(テサロニケ第一4:9-10)

そのときには、誰が終末における『荒らす憎むべきもの』であるかは明らかになるのであろう。その者こそは、この世の全体の滅びを招き入れることになるのではないだろうか。この終わりの日の『不法』(アノミア)についてはマタイ24章の中でも『偽預言者』(プソユドプロフェテス)の影響としてこう語られる。
『また多くの偽預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの者の愛が冷える。』(24:11-12)

そこでマタイが記した『はびこる不法のゆえに愛が冷える』とは一般社会で犯罪が増えて人心が荒廃するという意味ではない。
この『不法』とは聖なる者たちから現れる背教に関わるものであって、それは聖徒への最も苛烈な反対を惹き起こす邪悪な不法であり、人々を互いに敵対させるものであるから、人間関係に異状な緊張感をもたらすことをマタイは次のように示唆している。

『人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
・・・
  そして家の者が、その人の敵となるであろう。
  わたしよりも父または母を愛する者は、わたしに相応しくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしに相応しくない。
  また自分の磔の杭をとってわたしに従って来ない者はわたしに相応しくない。
  自分の魂を得ようとする者はそれを失い、わたしのために自分の魂を失う者は、それを得るであろう。』(10:32-39)

このような『多くの者の愛が冷える』状況を生じさせるものは、終末の「脱落聖徒」、即ち、聖なる者らの親しい仲間の中からの異分子の現れであろう。家族の中からも反対者が生じ、それは告発の圧力の前で神を否む行いを誘うと云っている。
 
ならばパウロがテサロニケへの手紙で、終わりの日に起こると語る『背教』がこの迫害という『剣を投じる』と呼ばれる状況を惹き起こす引き金となるであろう。即ち『互いに裏切り、憎み合う』という彼らを巡る状況の変化であり、単に世相を表すことをここでわざわざ言うだろうか。

この情況で『終わりまで耐え忍ぶ』ことが求められているが、これは聖なる者らの練り浄め精錬され『救われる者』となる過程であることが福音書に繰り返されているように、この圧力は聖なる者を二分することになる。

聖なる者らから分かれ出る背教の傾向はパウロの当時にも、『不法の秘密の力が既に働いている。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである』とあるように現れつつあったという。
しかし、『あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。』その「阻止しているもの」とは当時彼らに注がれていた聖霊であり、それを受けていた聖徒たちが『阻止している者』であったことであろう。だが、本当に終末には背教が起こり聖なる者らから分離が起こるのであろうか。⇒「小麦と雑草の例え 不法の人の現れる時」

この点は、キリストの終末預言が語られるところの、使徒らを通して聖なる者らへの警告が続いてゆく中で更に明らかになってゆくのである。



◆タラントの例え

聖霊を受ける『聖なる者ら』の中から分離が生じることを示す例えが、マタイ福音書のキリストの終末預言の中でタラントの例えとして際立っている。
マタイ福音書では10章にも、彼らが試練となる状況に置かれることが克明に描かれていたが、そのような圧力下にあっては召された聖徒と雖も、主を否認する誘惑に曝されることはまず考えられることである。

1タラントを受けた奴隷は、その委ねられた財産を銀行に預けることさえせずに、地中に埋めたというのである。これは何らの努力もおろか、自分では何もせずに済むことさえしていない。
そこでこの奴隷は主人を『手厳しい』と非難までする。つまり『撒いていない所から刈り、散らしていない所から集める酷な方』と言うのであった。

聖なる者らが聖霊を注がれて為政者やこの世に立ち向かう事、また終末に直面することになる迫害を考え合わせると、この怠惰な奴隷の動機が見えてくる。
つまり、自らの聖霊の働きを封じてしまい、恰も『地中に隠して』この世からの圧力の矢面に立つことを避けようとしたのであろう。このマタイの例えの中で、 まさしく彼が『恐怖』に捕われたゆえにタラントを隠したことを主人に自白しているのである。

つまり、この世に対して恐れてしまい、敢然と裁きを告げる聖霊を働かせるどころか、却って、終末というイエス自身が撒かず散らさなかった場所で刈り集めることに『酷な方』と不満を言うのである。主人のタラントを殖やすとは、聖霊の賜物を運用して得る様々な益、聖霊を注がれる仲間を得ることも、為政者らと対峙して王国の王の威光を知らしめること、また、勇気をふるってこの世を断罪することも含まれていよう。(ヨハネ16:8-11)
 
そこで、聖なる者らに求められる事柄には命にかかわるほどの覚悟であり『 自分の魂を得ようとする者はそれを失い、わたしのために自分の魂を失う者は、それを得る』ことになるのであろう。(マタイ10)
これ求める主人について、1タラントを受けた僕は『酷な方』 と言っている。

終末において、迫害を恐れて竦み上がり、世から隠れてしまい、聖霊の声を人々に聞かせることを怠る者が現れることは十分に予期すべきことではないか。確かにパウロは聖霊の賜物がその人の制御できるものであって、霊が暴走するような単なる憑依状態に陥るものではないことを記して『神は無秩序ではない』ともいう。(コリント第一14章)

だが、タラントを『地中に埋め』てしまい、神の発言を封じるようでは、キリストと共に王として治める者となるには到底相応しくはない。しかも、それぞれの奴隷の能力に応じて賜物は与えられたのであり、その点で主人が過大な要求をしていないことも表されている。
 
その結果、この奴隷からは聖霊は取り上げられてしまい、他のタラントを増やした奴隷たちが、それぞれの働きに応じて支配地域を得る中で、この奴隷は外の闇に投げ出され泣き叫び歯噛みする。
即ち、神の王国と何の関係もない滅びゆく者のひとりとされるのであろう。⇒「キリストの不在 ミナの例え」

したがって、マタイが記したこの一連の終末預言に在って、このタラントの例えも含まれたのは、特に世との敵対の戦線に立つことになる終末に現れる聖なる者らへの警告があったということができる。



◆ひとりは連れて行かれ、ひとりは残される

聖なる者の中からの分離が生じることについては、最終的な召しのときに地上で選別が起こることを、やはり主はマタイの終末預言の中で告げている。
それが『ひとりは連れて行かれ、ひとりは残される』という言葉で二度語られている。(24:40-41)

これは『あなたがた』と話しかけられた四使徒を介して聖徒の全体への警告であり、人の子が『大いなるラッパの音と共に御使たちを遣わして、天の果てから果てに至るまで、四方からその選民を呼び集める。』その決定的な時のことである。(24:31)

これはパウロがテサロニケ第一の手紙でいうところの『生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいることになる』というその時のことである。

ここではやはりパウロもラッパの音について語り『主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響く中に、合図の声で、天から下ってこられる。その時』であり、聖なる者らが『新しい契約』を守り通し、遂に『神のイスラエル』に数えられる一員として承認されることになるのである。その総数はヨハネ黙示録からすれば十四万四千人なのであろう。

だが、聖霊を注がれる人数は更に多く、その中から選別が起こり脱落者が出ることをこうして終末預言は繰り返し警告するのである。⇒「アブラハムの裔を集めるキリストの業」

ルカ17章では同じようなイエスの言葉が採録されているのだが、そこでは『ひとりは連れて行かれ、ひとりは残される』のように聖徒らの中から落伍者が出ることについて弟子らが『どこで(そうなるの)ですか』とイエスに問うと『死体のある所には、またハゲワシが集まるものだ』との答えがあった。

マタイでは、このハゲワシは偽キリストの警告の後に、臨在が地上的なものにならない事と共に並置されている。
従って、ルカと比較することによってこのハゲワシの件に見えるものがある。
それはつまり、『ひとりは残される』原因に偽キリストが関わり、捨てられた者らの周りに肉をついばむようにそれが居るということであろう。

見える人間に従うことは、見えないイエスに信を置き聖霊を通して従うことより安易なことなのであろう。
これは人間の弱点であり、信仰の難しさなのであると思うが、聖徒に於けるその代償はあまりにも大きなものがある。

マタイの終末預言に戻れば、彼らは『その時を知らない』のであるから『だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなたがたには分からないからである』ということが結論であり、共に天への召しを得損なうことがないようにとの警告がその主旨である。

この趣旨についてイエスは、夜盗を引き合いに出して更に踏み込んで強調してゆく。
家の主人がいつ盗人が来るかを知っているだろうか。もし知っているなら、その時間には起きていて盗みを許しはしないと言う。

この言葉は、彼らが一晩中起きていることを求めているのであり、やはり、どの時期にイエスが到来するか、つまり臨在また顕現を開始するかについて予測を立てることの無益さを教えるものとなっている。注意を払うべきは時ではなく、自分自身なのである。



◆十人の処女の例え

その一方で、既に死んでしまった古代の聖なる者らにも選別は当然ながら起こることになる。

彼らの場合には、死後にもう一度自らの主への忠節が試されることはない。
生前にその機会を得ていたであろうから、以前の聖なる者らにとって『新しい契約』を守るか否かは、その生涯をどう過ごしたかで既に定まっていよう。彼らには生きている間に『狭い門を通って入るよう努める』必要が課せられていた。

パウロが、『わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならない』と言うのはこの聖徒の裁きについてであり、『 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来る』というイエスの言葉は、『義しい者も義しくない者も生き返る』という一般人の復活ではなく、これら死せる聖なる者らの裁きを言うとすれば非常に納得できるものとなる。(コリント第二5:10/使徒24:15/ヨハネ5:27)

つまり、古代の聖なる者らは、天に復活する段階でかつて地上で行ったことにより選別されるということであろう。その天では、彼らが終末には地に落とされるサタンの試みに遭うことはもはや無いのであれば当然のことである。
この件でパウロの生涯に於ける発言内容には注目されるべきものがある。

西暦五十年代半ばに書かれたとされているテサロニケへの書簡の中で、パウロは自分を『キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ』としていて、主の来臨のときにパウロ自らは『生き残っている』つもりであったのだ。(テサロニケ第一4:16-17)

だが、最晩年に至ってネロ帝による二度目の逮捕と審問の内に死を悟ると、『わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。』と言っている。(テモテ第二 4:6-8)

これは『第三の天に昇った』というパウロほどに聖霊の賜物に預かった聖なる者であってすら、主の来臨の時期を知らず、その時は予想外に延びたということになろう。

それであるから、聖なる者らはその生涯をどう送り、またどう終わるのか、ということが選びに関わることになる。
死を迎えるまでに『新しい契約』を守って忠節であれば、その復活は喜ばしいものとなり、そうでなければ無意味なものになってしまう。即ち『裁きの復活』となる。

聖なる者がその生涯をどう送るかについて重大な警告となっているのが、マタイ終末預言の中でも十人の処女の例えということができる。
眠りに就いてしまってからでは、油を補充しておくことはできないからである。 

十人は花婿が婚礼から帰宅するのを祝福の明りを灯して待つうちに、その時刻が予想外に遅くなって皆が眠りについてしまった。
しかし、そのうちの五人は予め油を用意しておき、遅い到着にも備えていたのだが、残りの五人はそうしてはいなかった。

相当に遅れて花婿が帰宅したときに、祝いの席に入れたのは予備の油を準備していた五人だけであった。
眠りから覚めた後では何を行おうにも、もはや間に合わないのである。 

これは、自分の思う時期のうちに主の臨在が起きないとしても辛抱強くその生き方で忠節を尽くした聖なる者らを表してはいないだろうか。
その場合、十人のすべてが眠りについてしまったが、その一半は祝福に入り、残りはそれを逸しているのは、主の来臨が自分たちの思うよりも遅くなり、その途中で忠節な歩みを離れてしまうことへの強い警告となっていると見ることができるのである。⇒「十人の乙女」「盛大な婚宴」の例え



◆羊と山羊の裁き

オリーヴ山でのイエスの終末預言の最後を締め括るのは、この「羊と山羊の裁き」である。
これは『人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう』時であり、そして『すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分ける』裁きとされている。(25:32)

この裁きに於いて重要な要素は『人の子の兄弟ら』であり、すべての諸国民はこの『わたしの兄弟たち』に親切を示すか否かで祝福か呪いかを受けることになるのである。

では、『わたしの兄弟たち』とは何者を指すのかといえば、これは新約聖書に明らかなことで、例えればパウロはこう書いている。
『神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さった』(ローマ8:29-30/ヘブライ2:10-17)

これはつまり、霊者である御子と共になる人々のことであり、『養子縁組の霊』を受け『神の子』の地位を得たアブラハムの裔、新しい契約によって『王なる祭司、聖なる国民』とされる人々のことである。(ペテロ第一2:9)

彼らがいずれは天に召され御子の様になることについては使徒ヨハネもこう言っている。
『愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。』(ヨハネ第一3:2)

そこでこの「羊と山羊の裁き」を眺めると、これがこの世の裁きというそれまでの聖徒の選別を超える地球規模のものであることが見えてくる。
イエスの終末預言は、この最後の部分に至って人類をふたつに分ける業を告げているのである。

聖なる者らへの親切を示すということは、単にその知り合いであったというようなことにはなるまい。
終末では、聖なる者らには世との対立があり、敵意がある。その状況下でさえ聖なる者らに親切を示し、獄をさえ訪れて世話をしようとするからには、この対立に於いて聖なる者の側を支持しているという事になろう。

それは即ち、聖徒たちが聖霊の語らせる論駁不能な言葉を聞いて、その声に心を柔らかくする諸国民を指しているであろうし、それこそはイザヤがこぞってシオンを目指して流れの様に神の神殿に向かう人々の群れと描写していた預言の成就なのであろう。

これについては、ヨハネが福音書に記したイエスの祈りの言葉が思い起こされる。
『彼らのために、わたしは自分自身を捧げます。彼らも、真理によって捧げられた者となるためです。
また、彼らのためばかりでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる者らのためにもお願いします。・・・彼らがみな一つとなるためです。』 (ヨハネ 17:19-21)

だが、このように聖なる者らと信仰によって結ばれる者たちが現れると同時に、頑なになる諸国民も想定しなければならない。
その人々は山羊として御子の左に分けられ『永遠の罰に入る』という。それが永遠の消滅であるにせよ、永遠に亘って誤りであったと糾弾され続ける立場を表していよう。

他方で、『人の子の兄弟ら』に親切を行い、その側に立った人々は『王国を受け継ぎ、永遠の生命に入る』。
マタイは別の箇所で、主の言葉をこうも記している。
『わたしの弟子だという理由で、これら小さな者の一人に、冷たい水をたった一杯でも飲ませてくれる者は、けっしてその報いを受けないことはない。』(マタイ10:42)



◆雲に乗って来る

人類の全体に関わる諸国民の裁きに際して、キリストが人々に見える姿で顕現することがあるなら、それは人々の心の中にあるものを焙り出すような裁きには至らないことであろう。
なぜなら、余りに明瞭な御子の姿を見るなら人々は慄いてしまい、自由な意思を表さないからである。

そこで御子は、終末には裁きのゆえに『雲に乗って来る』必要性があると言える。
その『雲』とは不可視性の象徴であり、臨在(パルーシア)の始まりはもちろんのこと、最終的な顕現(エピファネイア)の段階に至ってもなお主は見えないことをマタイはこう記す。
『地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって人の子が天の雲に乗って来るのを人々は見る』(マタイ24:30)

即ち、御子の臨在の印が世界に明らかになり、諸国民が身を打ち叩いて嘆かねばならない段階に入ってすら、御子は依然として雲に乗っており不可視なのである。

これは、同時に『ハルマゲドン』でこの世が終わるのではなく、その後の時期があることをも知らせるものとなっている。
即ちルカでの『人々は地に臨もうとすることへの予想から気を失う』という、マタイで云うところの『太陽と月と星が光を失う』という時期である。
人々を照らす光は失われ、将来へと導くものは何も無くなる事態の発生、即ちキリストの臨在を紛うことなく知ることになる顕現(エピファネイア)への事態の進展である。それは人類史上、最も恐るべき期間となるのであろう。もはや『この世』には何の希望もなく、始まりつつある全ての秩序の瓦解への予想だけが人々を卒倒させるものとなる。⇒「黙示録の四騎士」

それでもなお、キリストの姿はなお見えない。「顕現」においても人々は『人の子が天の雲に乗って来るのを見る』からである。 
これは所謂「再臨」を待望する「クリスチャン」方には残念なことではあろうが、肉眼で見えるキリストの来臨を期待しているなら、却って『雲』を降りてしまった地上の『偽キリスト』また『不法の者』を信じる誘因を自ら作ってしまうことにならないだろうか。そこに三位一体説が加わるとすれば、更に恐ろしいことにならないものだろうか?⇒「小麦と毒麦の例え 不法の人の現れるとき」
 
また、そこでは「裁き」という要素が欠落してしまい、実に聖霊の働きが示されてもそれを無視することにもなり兼ねないであろう。⇒「黙示録の四騎士」 
バプテスマを受けさえすれば救われると、安直に使徒2章38節を契約に無い自分に都合よく適用した酬いと云うことになるのであろう。

実に、裁きは将来の終末に起こることであり、そこに不公平は無い。
主イエスのときのユダヤ教徒のように、終末に「クリスチャン」であるということは、むしろ裁かれる危険度が低くはないと云わざるを得ない。




◆ノアの日の例え

キリストの不可視性を補足するのがこの大洪水を前にしたノアの日の人々の無関心である。
ノアの一族が箱舟に入ってしまうまで、人々は自分たちの置かれた状況に配慮することなく、そのまま洪水に飲まれているが、終末もそのようになるという。

これは聖徒らの発言が世界を揺さぶるものとなってさえ、注意を払わない人々がいることを知らせているのであろう。ノアの箱舟建造がひとつの印であったが、古代にはすべての人々がそれに無頓着でいて、その後果を刈り取ったが、終末も聖霊の発言が如何に衝撃的であろうと、まるで関心も払わない人々は少なくないのであろう。

だが、これは生き残るための熱狂や異例な生活を勧めているのではない。
『天の使いたちも子も知らない』『その日と時刻』という言葉を補うべく付け加えられた古代の教訓であり、ノアもその時を明示されたわけでなく、ルカが記したように飲食や煩い事のために『その日が罠のように臨まない』よう『目覚めている』べきことを言うのであり、そこでは何が真に重要であるのかを見極める冷静さが求められ、自分が安心できることに安住していては却ってノアの日の教訓を生かすことにはならない。

教会堂の信徒席を箱舟に例えるようなことでは、むしろ欺きの安心に浸り、本当には無関心であることを容認してしまう危険がある。「ここは安全です」というこの種のまやかしに人は弱いものではないか。人を救うのは場所でも立場でもなく信仰であることを聖書は教えてはいないだろうか。
だが、自分たちの安全よりも考えるべきことがある。
何が神の意志であり、何故「裁き」があるのかを知ることであろう。⇒「終末の裁きで何が問われるか」



◆忠実で賢い僕 

伝道の書でソロモンは『人はだれも後に起ることを知らない』と書いているが、イエスも語り掛ける相手である『あなたがたに』『けっしてその時を知らない』ことを盗人の例えを用いたりしつつ何度か繰り返し語っている。この夜盗の比喩は福音書中によく用いられており、他にペテロ、パウロ、ヨハネも記している。そこで強調されるのは弟子らが主の時を知らないということである。

そのうえでマタイが、『主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕』に言及しているのであるから、この『時に応じて』(トーン トロフェーン エン カイロー)とは、もちろん終末が何時かということとは関わりが無い、なぜならイエスも繰り返したように、『あなたがたはその時をけっして知らない』からであり、この『思慮深い僕』が備える「時に応じた食物」とは、毎日の定時(カイローイ)の食事を表している。

この僕の給食の時期については、この例えの後半に知る手掛かりが残されている。
そこでは、このような僕が『もしそれが悪い僕で、自分の主人は帰りが遅いと心の中で思い、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせる。』というのである。( 24:48-51)

したがって、その給食の時期が主の来臨に先立つと分かる。つまり、キリストがこの世に臨在している証拠の無い時期のことになろう。 ⇒ 「アンデレのように
これについて示唆を与えるのが、ルカ12章に記されている似た記述であり、そこではマタイのこの部分には先立つ部分があったことを知らせているのである。

『腰に帯をしめ、灯火をともしていなさい。主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
 主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは幸いである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。』(ルカ12:35-37)
 
 これは同じくルカ17章に語られるイエスの言葉からしても異例な厚遇である。
 『あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐ来て、食卓につきなさい』と言うだろうか。
かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちは不束な僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。』(ルカ 17:7-10)

そこで、来臨する主に給仕されるというその僕は、破格の待遇を受けていることは明白である。

では、そのような厚遇に今日与っている者が地上に居ると言えるだろうか。
つまり、主人から給仕され、すべてを委ねられているような立場の者をであるが、もとより聖霊の降下が待たれる現状で、それと見分けられるような事が皆無であることは議論の余地もない。
ただ、イエスはルカにあるように、主の帰還のときに「お帰りなさいませ」とばかりにすばやく扉を開けられるように主人の意向を知った僕、あるいはマタイに記されたように、他の者らに糧食を供給している僕が主の来臨に先立つことは知ることができるのである。

その時期が主人の帰還の前であるなら、これは聖霊の再降下が始まるイエスの監臨の再開の以前の時期を指しているのであろうから、この部分は契約に与る聖なる者に適用される言葉ではないことになろう。そうなら、それは聖霊を見る前の自発的な行動を指している可能性がある。

その僕は主人の来臨によって主人に見出され、厚遇を受けるという事柄には、その僕が聖霊を受け『聖なる者』、イエスを兄弟とする養子縁組に与ることになると考えるのも的外れではないように思える。
しかし、ルカ12章によると、この『忠実な思慮深い僕』 についてイエスが語り出すきっかけをペテロが作っており、彼は扉をすぐに開けられるように備えよとして盗人の例えを主が語っているところでイエスにこう問いかけた『主よ、この例えを話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、すべての者のためなのですか』。

この『すべての者』 というのは、マタイ13章などでも繰り返し示されたように、使徒らと群衆という区分でペテロは考えていたのかも知れない。つまり、奥義の意味を知ることのできる選ばれた僅かな者らと、付き従って来たユダヤ人群衆との区別である。

だが、イエスはそれに答えずにこの『僕』の話を続けているので、この答えはペテロと同様に我々も得られていないことになる。つまり、それは然して問題ではなく、聖徒であるか信徒であるかも含めて誰であろうと、仲間を定期的に養おうとしている者の事を指しているのであろう。

これが以上の推察の通りに、聖霊による監臨の前の段階を指しているのであれば、確かに聖徒か信徒かを問う理由はなくなってしまう。聖霊の注ぎの起こる以前だからである。 


だが、マタイの終末預言でも警告されているように、その僕が『自分の主人は帰りが遅いと思い、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりすれば』これは厳罰に処され偽善者たちと同じ目に遭わされることになる。この者らは聖霊の注がれる事の重さも、その時を待つ重要性も等閑に付すことであろう。

これは、本来なら主人を迎えて食事を行うべきところを、勝手に自分たちの宴会を始めてしまっていることを意味しているのである。そこに主人が来られるならどういうことになるだろうか。そこにもちろん聖霊は無く、主人も居ない不正な浪費の宴会であるが、そこでは時を勝手に定めるという傲慢もある。主人の帰還時刻も都合も無視したその横暴は、仲間の奴隷にも不利益を被らせ、自らにも偽善者らと同じ結末をもたらすだけのことになることが強い言葉で警告されている。

このどちらの結末を刈り取るかは、主人の帰還の始まる聖霊降下の時期には判明するのであろう。そこでは待つ間の姿勢が問われているのである。
そしてこれは主人が帰還するまでは誰が賢い僕であるかの判断はできず、その評価も主人から行われるのであり、その厚遇もまたそのようである。

従って、現段階でこれを誰かに断じることはけっしてできないのであろうし、もし、誰かがその「僕」であると言うなら、既にその評価を主人から受けているはずであり、地上には明らかな聖霊とその賜物が見られることであろう。聖霊の再降下無くしてキリスト教の真の回復も起こるまい。

従って、この句の今日的意味は、それが誰であるかではなく、主人を待つ間に目覚め、一重に仲間に日毎の定時の食糧を配し、主人が到着したときに相応しく宴を張れるような準備を努めるところにあるのであって、主人を抜きにして自分がその「僕」であるから、皆は自分に従えとはけっして言えない。また、他ならぬ主人が評価を下す以上その必要もないに違いない。

あのペンテコステで使徒や聖徒らを高みに引き上げた主自ら給仕を勤めるというのであれば、そのうえ人からの賞賛や畏敬を求める必要もなく、その栄誉は人々に明らかにならないものだろうか。その誉れは人からのものではないのであり、使徒の時のようであるなら人々から敬意を強いる必要がなかった。(ヨハネ5:41-44)

恰もそうする必要があるかのように、「自分がその者だ」と人々に言って回るのであれば、まさしく主の評価も後ろ盾も得ていないゆえに人からの敬意を求めていることが明らかであり、その『僕』を自称することは詐称に過ぎず、主に給仕されるのではなく、人々からそうされることを願っているのであって、聖霊も待たずに時を勝手に定めて『仲間を打ちたたいて』不正な宴会を始めてしまうという『邪悪な奴隷』というべきであろう。



◆いちじくを見る

終末預言に描かれた事柄が起こり始めるなら、イエスは、人の子が『近付いて戸口に居ることを知れ』とも言っている。(24:33)
つまり、いちじくの『その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる』ようにであるという。

『そのように、すべてこれらのことを見たならば』御子は家の戸口に立っていることを知れというのである。
この句は24章に在って、その以前に語られていることには、弟子らへの迫害、偽キリストによる惑わし、荒らす憎むべきものが神殿に立つことを見てユダを去るべきことなども含んでいる。

これらの預言の言葉はひとつの世代の上に成就すると付け加えられたように、メシア拒絶の後果は37年後にユダヤを襲った。
エルサレムと神殿の滅びは確かに彼らの世代の内に臨み、ユダヤの律法による崇拝体制は拠って立つ神殿を失い、地上から神の御名の発音までもが失われる事態に至った。

この預言を直に聴いたうちのヤコブとペテロはその最後を知らずに世を去っているので、やはりこの一連の預言の言葉は使徒らにだけ向けて語られたものではあるまい。殊に聖なる者らを介してその背後にいる無数の人々がいるのであり、それは我々にも及んでいるに違いない。

ユダヤのイエス派の人々はユダヤを後にしてデカポリスのひとつに数えられたペッラ方面に実際に逃れている記録があることからすれば、この預言の言葉は確実に益を生み出していたと言える。その人々は『いちじく』の様子を観察して『夏』が近いことを悟ったであろう。

それが何故『夏』かといえば、ティシャ ヴェ アブの断食を含意していたのかもしれない。即ち、ネブカドネッツァルによるエルサレム陥落と神殿の喪失を憂う記念行事であり、それはユダヤ人の心に深く刻まれた『夏』であったとも言えよう。

そして西暦七十年の『夏』、ローマ軍によって同じ月にエルサレムと神殿は二度目の破壊を被ることになる。従って、この例えについてイエスが『扉を開けて入る』のは、パルーシアではなく、エピファネイアの時を言うのであろう。聖徒らには天への召しの時である。

加えて、その時期を見分ける仕方としてこの「いちじくを見る」 とすれば、それは誰もが知り得る自然の営みのようであり、格別な人々によって教え説かれる必要のあるような印ではないように思われる。
キリストの臨在、またこの世の終局の有様は、いちじくが葉を出すように、キリストの言葉の戦争や疫病や飢饉の部分のところばかりでなく、弟子らへの迫害や為政者への聖霊の言葉の宣告などを含んで、多くの人々に聖書記述を思い起こさせるものとなるのであろう。 

そこから判断すると、このいちじくを通して判断できるという、主が『戸口に居る』段階というのは、臨在の開始というよりは、聖なる者らとの会食のために戸口に立っている状態を言うのであろう。
そこでは、臨在は既に進行しており、使徒らにも知らされていなかったイエスの臨在の開始ではなく、このいちじくの例えるところは、主人を待ち受ける弟子らが天の召集に預かる時の近付いたことを知らせるもののように読める。 (黙示録3:20-21)

やはり、イエスはこの一連の預言に当時のユダヤの世代に成就すること以上の事柄を含めていることは、未だ実現していない幾つかの事柄の存在からも明らかである。
例えれば、聖なる者の召集はなお将来のことであるに違いないし、諸国民が右と左に分けられるようなことも起こってはいなかった。
今日、聖霊によって話す人々を世は未だ見ても聞いてもいないのは確かなことである。

では、我々はこれらの言葉に何を知り、何を学ぶべきか?

この日にオリーヴ山上で語られた終末預言は、当時のユダヤ体制の終局と、遥かな将来であった「終末」とに起こる事柄とを同時に語る「複合預言」であったことは明らかである。
こうしてマタイ24章から26章の初めまでの全体を見回すと、語られていたことは偽キリストにせよ、戦争と苦難の時代の到来にせよ、タラントや処女たちの例えにせよ、その中心は常に『聖なる者たち』であったことが明瞭に見て取れる。

この一連の預言は、使徒らの『あなたがまた来られる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか』という質問にあるように、エルサレムのヘロデ神殿とユダヤ体制の行く末を超えて、世の終末での神の経綸の全体、殊に聖なる者たちに極めて重要な教訓を含んでいるのであり、単に終末の時代の印を列挙したものなどではない。即ち、この一連の預言に含まれる主の回答の内容は、「時代の特徴」がどうこうという見分けの問題ではなく、起きることへの聖徒らの対処についてなのである。 

人類は、いつの日にか聖徒らに起こる事態を観察してイエスが予告されていたことを知るのであろうが、信ずる者であれば、それがいつであろうと主の帰還を予期しているべきであり、具体的には聖霊の再降下を待ち望むべきであろう。
第一に、世の終末に於いて聖霊とそれを授かる聖なる者らがどれほど大きく重い意義を持ち得るかをまず知らなければ、戸口に立つ主人をすぐに扉を開いて迎えることはおろか、主人が戸口に居る事さえ知ることができないであろう。

キリスト教界は、一向にご利益信仰に終始しているのだが、それが改善されることは最後に至るまで無いように思われる。 ⇒ 「小麦と毒麦の例え 不法の人の現れるとき」
他方で、終末とその裁きは長い年月に亘るものではなく、数年で終わることが預言者らにも黙示録にも語られている。
帰還する主人の意向を汲み、聖霊の降下を以って始まる臨在を強く願い求める姿勢が、いま地上に問われているというべきであろう。




     ©2015  林 義平




*(使徒アンデレもAD69年11月30日に殉教したとの迷信的内容を含む伝承もあるが、一方で使徒ヨハネが福音書を書く時点でエフェソスでの生存を伝える資料があるのでそちらに従う) 

* 新世界訳聖書 日本語訳の意訳箇所