結論から言えば、キリストの水のバプテスマとは、それを望んで受ける人が、ナザレ人イエスをキリスト=メシアとして認め、そこに救いがあることに信仰を働かせたことの表象である。
だが、この気位の高い層は比較的に富裕であり、そうでなければ保てない清めの水準に居ることに慢心があった。
パウロはこの対比について『文字は人を殺し、霊は人を生かす』、また、律法に従う者を『奴隷』とまで言っている。(コリント第二3:6/ガラテア4:25)
(但し、ペンテコステ以前にイエスの水の浸礼を受けた人々にも自動的に聖霊が降るようになったとは思えない)
当時には、未だヘロデ神殿はそこに在り、「エレミヤの七十年」を導いた第一のメシア、キュロス大王によって、今日の考古学からも正しく70年間の至聖所の不在の後に再興されたレヴィ族祭司らによる神殿祭祀は、イエス後の西暦36年にも継続していたままであり、そこでどう『至聖所に油を注ぐ』必要があったろうか。
しかし、イエスのバプテスマは始まっていたものの、そこで聖霊は注がれていない。未だキリストは神の御許に上らず、『栄光を受けていなかったからである』(ヨハネ7:39)
だが、キリストが帰天して十日後の五旬節の日には、聖霊がはっきりと公示されつつ弟子らに降り、契約が発効した証しが与えられている。
したがって、キリストの臨在に先立つ者は、任命されたからではなく、自発的に行動を起こしていると言い得る理由があり、それは象徴的糧食を定時に供給することに加え、水のバプテスマを施すことも含まれ得ると見做すのは的外れではないであろう。