イスラエルがエジプトを出て二年目、彼らを奴隷状態から請け戻した神、YHWH*を崇拝するための取り決めがシナイ山麓の荒野で確立されようとしていた。
*(【יהוה】今日、この聖なる神名の発音は失われているので相当英字YHWHで記す)
それは民の罪を贖う祭祀を行うための祭壇や什器と天幕の製作であったが、最も聖なるものであったのが「契約の箱」
アーロン ハ ヴリート【 ארון הברית 】であった。
その箱は乾燥地でも生育するアカシアの材木で作られ、それには金が被せられていた。
設置のためのアールが施された脚が四隅にあり、運搬のために二本の担ぎ棒が同じく金を被せられ、脚の上の金の輪を通すように作られた。箱の大きさは長さが1メートルと少し、幅と高さは70センチ足らずであり、そう大きなものではない。しかし、これが天幕での崇拝の中心を成したのである。
これら聖なる物品を運ぶのを許されたのは、出エジプトの晩の子羊を以って神に買い取られたレヴィ族、それもコハト系の者らだけが祭司とされその任にあった。(民数記3:45/4:4/8:16-19)
移動の際、彼らは二本の棒を手に持つのではなく、神輿のように肩に担ぐよう命じられたが、衆人が見ることのないようにと、移動時には、安置された天幕部屋の仕切りの青幕をそのまま用いて箱が覆われ、そのうえにジュゴン(アザラシ?)の皮の覆いを重ねられたのである。
こうして、この箱は移動するときも人目を避けたが、それは人間という罪あるものが神の栄光をうっかり目視して落命しない為である。
この聖なる箱は、安置されるときも人目はおろか祭司らの目にもつくこともなく、明かりも無い天幕の奥の部屋にあった。モ-セがこの神を「暗きに住む方」と呼んだ背景にはこれがあったのであろう。
それは「証しの箱」とも呼ばれる。
何の証しかといえば、イスラエル民族が、モーセを仲介者として神との律法契約を結んだ関係にあることの証拠である。
天地万物を創造した神がイスラエルという一民族に帯同する根拠は契約契約にあり、それを最も端的に証すのが律法の最初の十か条が刻まれた二枚の石板といえるだろう。
石の板は大きさにもよるが重さも軽くはなかったろうから、それを納める箱も頑丈なものであったに違いない。
加えて、荒野でイスラエルが神に日々養われた証しとして「マナ」を入れた金の壷、そして、神に近づき祭祀を行う特権がアロンの家系にあることを証すアーモンドの花が咲いた杖が箱に入れられた。
これらの証拠の品々が箱に入れられ、その箱は神YHWHに過越しの子羊を以って買い取られたレヴィ族の祭司らの肩に担がれて移動し、天幕が張られると奥の至聖所に律法の巻物と共にセットで安置され、それらは「律法と証し」とも呼ばれた。(申命記31:26/イザヤ8:20)
即ち、契約条文と御璽という役割である。
殊に、約束の地で最初に占領することになるエリコ城市に対しては、神がイスラエルに加勢することが明示されるかのように、契約の箱はショーファール(羊角笛)の吹奏される中、七日間その城壁の周囲をレヴィ族の祭司らの肩にあってイスラエルの将兵と伴に周回し、その後、堅固なエリコの城壁も人手によらず崩れ落ちている。(ヨシュア6章)
契約の箱がこのように扱われたのは、神がイスラエルと共にあって戦ったこと、そこに契約があることを印象付けたことであろう。これはモーセの時代にも示されていたことであった。彼は契約の箱が移動を始めるときには『YHWHよ、立ち上がり給え。御身の敵の散らされんため・・』と言い、至聖所に安置されるときには『帰り給え、イスラエルの千万(ちよろず)の元へ』と言った。(民数10:35-36)
しかし、イスラエルへの神の随伴は契約の履行あればこそのものであり、彼らといえど、神の前には罪ある死すべき人間であることには変わりはない。
そのことを知らしめるのは、その箱を一瞬であっても見た者は死に至ると警告されていたことであろう。例外はモーセであり、従者ヨシュアを帯同して会見の天幕に入り、モーセは箱の前で神と『顔と顔を合わせて話す』のであった。これはシナイ山の結界に入域したモーセという契約の仲介者の役割の偉大さを物語っており、後のメシアに通じるものがある。
アダムの子らは神の聖さに到底達しないので、人間は神との間に魂(血)の犠牲を挟んではじめて一定の交渉が許されるのみである。そのことを象徴するのが神の要求した動物の犠牲であったことは律法に見る通りである。
また、イスラエルが律法の履行を怠ったり、神YHWHの崇拝の聖さを損なったりしている間はそこに契約の違反があり、この箱を担ぎ出したからとて神は彼らに随伴することはなかったとしてもそこに神の側に責はない。(申命記28章)
-◆「証し」の誤用--------------------
その顕著な例が、士師時代の大祭司エリのときに起こった。
彼のふたりの息子は神の崇拝のための天幕での奉仕において、恣意的で貪欲であった。これを神が悦納されるはずもなく、このふたりの息子が死んで契約の箱も異邦人に奪われることが予告されていたのであるが、地中海の海沿いに住むフィリスティア民族との戦いに難渋していたイスラエルの軍は契約の箱を陣営に招きいれることでエリコのときのような勝利を得ようと考えたのであろう。
だが、「イスラエルの聖なる方」YHWH神の崇拝は大祭司の息子らによって既に汚されており、神の同行は望めない状況にあったのである。
それでも、大祭司の息子ふたりに伴われて契約の箱が陣中に入ると、イスラエル軍はあたかも既に勝利したかのように歓声をあげ、その騒ぎを聞きつけた敵軍は動揺し、却って決死の覚悟を固めたのであった。
もちろん、神の神聖さを蔑ろにしている民族を契約の神が助けはしない。慢心するイスラエルはフィリスティアの前に打ち破られ、大祭司の息子はふたりとも死に、契約の箱すらも敵の手に渡ったのであった。
しかし、神YHWHは自らの聖さについて譲ることなどはけっしてない。まことの神は神でなくてはならぬ。(イザヤ48:11)
契約の箱はこの神の臨御を表すものでもあったから、この箱の処遇に対してYHWHは行動する。
フィリスティアはイスラエルからの分捕り物である箱を喜び、彼らの神ダゴンの神殿に奉納したが、これは大いに後悔することになる。
朝になって見ると、ダゴン神の偶像はYHWH神の箱の前に倒れており、その翌朝もそうであった。しかも、二度目にはフィリスティアの主神ダゴンの首と手が外れてしまっていたのである。
ここにおいて、「我が栄光を偶像に与えない」と宣言する神YHWHの優位性が示され、その名はエジプト以来、再び高く挙げられたのである。(イザヤ42:8)
それだけではない、フィリスティア全土を痔の疾患が襲った。かつてイスラエルの神がエジプトで行ったことを恐れる彼らは、災厄の継続を恐れて契約の箱を返還することにする。
誰にも御されない二頭の牝牛の進むままに箱を載せた車はユダの山地に向かって進み、シェフェラの台地に登って、ついにベトシェメシュの街に着き、箱はそこに留まったが、こうして契約の箱は「自力で」イスラエルへと戻って来たのであった。
しかし、YHWHはその地のイスラエルの民を打って死に至らしめたのである。それは箱を直に見てはならぬという律法の戒めの違反が生じたからであった。戦闘での箱の扱いからすれば、不敬なこともしたのであろう。(以上サムエル第一16章)(ベトシェメシュの住民は、覆いを外して中を見聞したのだろうか?)
この一連の出来事は、神YHWHの変わらぬひとつの姿勢を明らかにしている。
即ち、至高の神の持つ聖性さの不可侵である。
当時のイスラエルは神の臨御を勝利の護符のように利用しようとしたのだが、彼らは明らかに神からの観点を欠いていた。「イスラエルの聖なる方」を自分の益のために用いようと、その聖さを地に引き下ろそうとしたのである。
-◆奇跡のシェキーナー光--------------------
時は過ぎ、ダヴィデ王朝の時代に契約の箱はモーセ以来の会見の天幕からソロモン建立のエルサレム神殿へと移った。
神殿内の奥の部屋、「至聖所」(ハ コーデーシュ ハ コダーシム)に覆いを外して安置される。
そこでは、天幕のときのように箱の上に雲が現われ、臨御を示す奇跡の光が宿り、明り取りの窓も燭台もないその部屋を照らしていたであろう。それゆえ神殿を建立したソロモンは、『YHWHは濃密な暗闇に住まう』と神殿奉献のときに述べている。(列王第一8:12)
年に一度、贖罪の日(ヨム・キプル)の儀式のために至聖所に入る大祭司は、この臨御光の明かりによらなければ充分な祭祀を行うことはできなかったに違いない。その大祭司も、至聖所を香の煙で満たすことで神の前から生還する道筋をつける必要があった。そのときの大祭司の緊張はどれほどであったことか。(レヴィ16:2・12-13)
大祭司は年に一度、契約の箱の前に携えた牛の血を指先ではね落とすが、それを以って自分自身と同族レヴィの祭司たち、そして最後にイスラエルの民の贖罪を行うのである。従って、『贖罪』つまり罪を赦されるために、この箱は至聖所と共にモーセの幕屋の時代から必要不可欠であった。
その臨御を表す奇跡の光(シェキーナー*)は、箱の蓋の上方に現われたというが、この箱の蓋については格別である。(*שכינה「臨御」を意味するアラム語でユダヤ人にはそう呼ばれたが聖書中には使用されていない)
箱はアカシアの材木で作られ、金が被せられていたが、その蓋そのものはすべてが金そのもので作られた重いものである。その重さは箱を簡単に開けることのないよう守るものであったろう。
その蓋が「宥めの蓋い」(ヘブライ語 כפרת 「カッポーレト」の「宥め」と「蓋い」との重なる意をかけた呼び名)と呼ばれたからには、原罪ある人間に対して至聖なる神が怒気を発し滅ぼすことのないよう防ぐ働きがあったであろう。年に一度のヨム・キプルの贖罪の血はこの「宥めの蓋い」の前に振りかけられた。それを以って神は宥めを受け入れたのであったが、後代、この宥めはキリストの血によってまったく満たされることになる。
箱にはやはり金の翼天使ケルヴが打ち金細工で二体作られており、それぞれは向かい合い、且つ顔を下げて中央に向かって翼を広げていたが、その双方の差し伸べられた翼の先端上方に雲が現われるときは、その中に臨御の光が宿っていたという。
箱やケルヴィムは人間の作ったものながら、この臨御の光は超自然の現象であり、確かに神YHWHは偶像の神のように背光の彫刻を人間に作ってもらう必要のない「生ける神」である。(レヴィ16:2)
神YHWHはその雲の光から話しかけ、モーセや大祭司に応じた。(レヴィ7:89)
ヒゼキヤ王が「ケルヴィムの上に座する方よ」とYHWHに呼びかけたときには、至聖所に入らなかったにせよ、おそらくこの箱に向かって国の危機を訴えていたのであろう。
神はそれに答えて、アッシリアの大軍を一晩で壊滅させている。(列王第二19章/イザヤ49:8)
こうした全能神の一民族への帯同は、箱の中に在って「証を成す」石板に象徴される「契約」の上にはじめて成り立つ。それは至高の神が特定の民族や人に許した関係であり会見であった。(出エジプト24:11)
-◆「証し」の行方-------------------------
しばらくして、アブラハムの嫡流は分裂し、北のイスラエルと南のユダの二国家となってしまい、ユダにおいても契約は軽んじられ、神の聖性についても顧みられることはなくなってゆく。
旧約聖書で最後に箱が言及されるのはユダの最後の善良な王ヨシアの時代であった。
彼の先代の諸王がYHWHへの崇拝を意に介さないばかりか、異教の偶像をさえ神殿に持ち込んでいた時代の後に、このヨシア王が立ってユダ王国をYHWHの崇拝に戻そうと努力を始めたところ、箱と共にされていた筈のモーセの律法の巻物が発見されたのである。
巻物の内容が明かされると、イスラエルの民が如何に律法を破ってきたかにヨシア王は愕然とする。彼は直ちに祭り(過越し)を国中に布告し、清めた神殿に箱を再び安置するのであった。これが聖書中で箱が地上にあることを確認できる最後となった。(歴代第二34章)
しかし、風雲は急を告げていた。
YHWHはイスラエル民族の律法不履行のゆえに、契約解消の決意はもはや翻ることはなかったのである。
押し寄せる「黒雲」である大王ネブカドネザルと新バビロニアの獰猛な兵士にユダとエルサレムを罰することを固く思い定めていた。だが、それは「イスラエル」と名の付く民をまったく捨て去るものではない。神YHWHはその「友」アブラハムへの約束を血統によらない「イスラエル」を通して果たすであろう。(ガラテア6:16)
やがて、ユダとエルサレムは攻撃を受けて、聖都も神殿も破壊され、神聖な祭祀に用いられる什器類も民と共にバビロンに移されるのだが、その什器類のリストの中に箱が登場しない。
バビロンの兵が神殿に張られた金まで剥がしたというなら、金で覆われたこの箱を見逃すはずもないであろう。
そこで考えるのは、イスラエルに頼らず敵中からでも奇跡を起こしつつ自力で戻ってくるような神秘の箱であれば、人間のように身の処し方に困るようなことはない。
神が契約を潰えたものと見做したので、神殿の荒らされるに任せたとしても、自らの威光を汚させないために神が箱を取り去ったということだったのであろう。確かに、証しの箱は他のあらゆる什器にない神の臨御と栄光を表すという極めて特殊な役割を持っていたからである。
この聖なる箱の行方について、外典によれば箱はエレミヤが洞窟に隠した*ともファラオ・シシャクが持ち去ったともいうが、どちらもその意義は薄い。(*マカバイ第二 2:4-8/また、以下にあるエレミヤ自身の預言3:16と矛盾する)
-◆「証し」のない時代-----------------------
契約の箱が単なる人間の所有物であるとするなら、それを探すことに理由もあろう。しかし、YHWHが永遠から永遠に生きるという神であるならそうはならない。(詩篇90:2/ハバクク1:12)
イスラエル民族の律法不履行が神の目に決定的になったとき、人が証書を引き上げるように、神はその契約の証しを処分する権限を有したに違いないからである。
バビロンから帰還した民が第二の神殿を建立して祭祀を復興させるにあたって、彼らは不思議なことに契約の箱の無いことを聖書中に一言も問題として語らない。エレミヤの予告した『民はもはや箱を造らず』の時代の到来を意識したのだろうか。(エレミヤ3:16)
それは、最初のものに比べれば威光の劣る新しい神殿と共に、彼らの咎がそこに見え、契約の証しを取り上げられたことに何の異議も唱えることができなかったのであろうか?(エズラ3:12)
ともあれ、エレミヤを通して「新しい契約」が知らされており、帰還以降の民はこれを待っていた。証しの無い時代は彼らに仲介者モーセの契約に代わるメシア=キリストによる契約の到来をより強く期待させることになったであろう。加えて、モーセのような預言者となるという謎の「メシア」へと思いを集中させる作用もあったことであろう。(申命記18:15)
おそらくは、ヨシア王の死後から聖都陥落の以前のどこかで、神の意志により箱は人手によらずに移され、人の目からは行方不明となったのであろう。そうであればこの箱が地上で発見されることはない。
もし見つかったとなれば、人間はこれを偶像視したり揶揄したり、好奇心に任せて勝手放題なことをこれに行おうとするだろうが、人の手垢などは到底、至高の生ける神の許すところではないであろう。まして、戻そうとの神の意志があったなら第二神殿に帰ったに違いない。
キリストの近づいた西暦前63年、ローマ軍を率いた将軍ポンペイウス自身が第二神殿の至聖所に騎乗で乗り込んだが、(汚れた)異教徒の将軍は神に打たれることもなく、そこには律法の巻物は見たものの、やはり証しの箱は見なかったという。もし、そこに聖なる箱と臨御の証しの光があったなら、おそらく彼は至聖所から生還しなかったのであろう。(ネヘミヤ6:11)
イエスが登場した頃のユダヤ人は、証しの無い律法契約の不完全さに先祖の違反の影を見ていた人々も多かったであろう。そのような人々は祭司ゼカリヤの子ヨハネの施す「悔い改めの」バプテスマを受け入れる素地があったと思われるが、他方、「律法と証し」の内の「証し」に相当する「箱」が失われているにも関わらず律法条項の墨守に血道を上げようとする宗教家らの熱心は、イエスを受け入れる柔軟性を失っていた。
-◆新しい契約の証し------------------------
さて、聖書中で箱が次に登場するのはヨハネ黙示録の一回のみであり、しかも箱は地上にないことが明かされる。
その場面は、神が人類の反対勢力に対して行動を起こすところ、つまり裁きの日に、天の神殿に箱が見えるのである。天の神殿とは、キリストとその共となる十四万四千の真のイスラエルたち全体のことを指すのであれば、その神殿が黙示録の指し示す将来に天で完成し、そこには契約の箱を収めるべき至聖所も存在していることを示す。(黙示録11:19)
それはモーセの律法契約ではなく、キリストを仲介者とする「新しい契約」に属する「神のイスラエル」に対して生ける至高の神が帯同し、その勝利が間違いないことを証しする目的でも語られているのであろう。
この戦いにおいて、新たな証したる「聖なる霊」に抵抗する人類の全軍はまったく敗北することになるので、その戦いは「勝敗の顕著な」という意味で「ハルマゲドンの戦い」とされている。それは古代に、箱がイスラエルにもたらした圧倒的な勝利をも上回るものとなるのだろう。(黙示録16:16)
それゆえ新しい契約にとって箱の有無は問題ではない。
それは『契約の箱を思いに上らせず、惜しみもせず、作ることもない』イスラエルの回復の時代を述べたエレミヤの預言が示すように、それは過去のものとして黙示録に援用されるばかりとなった。(エレミヤ3:16)
しかし、律法が過去のものとなっても、その一点一画は滅びないとされたように、かつてそれに伴った「証し」としての立場を持つ「契約の箱」も、黙示録に現れるように永遠のものとされているのであろう。(マタイ5:18)
モーセの仲介によってシナイ山麓で締結された律法契約が地的なものであったゆえに、「契約の箱」も地的なもの具象物であったが、新しい契約は天的なものであり、その証しも抽象物となる。それはキリストの弟子らにあって「聖霊」の降下であったと思われる。(使徒2章)
この点、「新しい契約」の証しは「聖餐」という儀式ではなく、明らかに生ける力たる「聖霊」である。
今日、仮に神の是認し帯同する宗派なり組織なりが存在するとしたら、そこには誰にも明らかな、いや圧倒的で驚嘆すべき「聖霊の賜物」が在り、それを以って神の証印が押されているであろう。 ⇒ 『聖霊の賜物』 パルーシアの標識
その神からの霊の賜物は、彼らが『神のイスラエル』に選ばれ召されたことの仮の証し(約束手形)であったとパウロは書いている。(エフェソス1:13-14/コリント第二5:5)
証明するものが存在するのは、未確定な事柄があるからであって、律法契約も新しい契約も、それが成就するまでは証明物の存在価値は大きいが、一度、契約が終了するなら、その証は破棄されても記念物とされてもよい。つまり存在は必ずしも要請されない物となる。
したがって、我々にとって重要なものは「証し」よりもそれが証す契約の実体である。つまり、そこにどんな契約あったのかということであり、それはあらゆる契約においてもそうであろう。
それでも、「契約の箱」は人々の好奇心を惹起する、ある人はそれを「歴史のロマン」ともいうかも知れない。
だが、どれほどの人がこのエレメントが証していた神との契約の方に思いを致すのだろうか。
やがて、「契約の箱」に代わる「聖霊」という証しは「新しい契約」と「神のイスラエル」を指し示すことになろう。
その証しのゆえに、我々は神を神とするべき時期がくるだろう。
そこでは好奇心でもロマンでもない、そのとき神聖四文字から遂に明らかにされる聖なる神名への信仰こそが必要となる裁きの日となるであろう。(使徒2:21)
⇒ 神名浄化の至上命題 「シェム ハ メフォラーシュ」
新十四日派 © 林 義平
------------------------------------------------
ブログ内の記事一覧
契約の箱