quartodecimani blog

原点回帰の観点からキリスト教を見る・・ 「神と人を愛せよ」この一言に発し、この一言に終わる

血の禁令

血の禁令を超える『主の晩餐』




キリストの最後の晩餐の席は、モーセに規定された『過越し』であり、ユダヤ人のセデルの食事であったことは福音書の記述の明らかにするところである。一行はユダヤ教徒として相応しく毎年にセデルを行っていたであろう。

だが、主が十二人と最後に行った過越しの食事において『主の晩餐』が新たに始められる。
それはユダヤ教の儀式をキリスト教の儀式へと更新させるものであり、双方をつなぐものは『子羊』の犠牲であった。それが実際の肉に代えて無酵母パンと、その血を象徴する赤葡萄酒によって、契約に入る者らによって摂られる新たな食事儀礼へとその夜に替えられた。

元来の出エジプトの故事においては、各家庭で屠られた一歳の雄の羊で、その肉はエジプトを発つ用意を整えた旅装のイスラエルの民とそれに付き添う人々によって食された。(出埃12:1-13・44)
屠られた羊の血は家々の門口の柱と鴨井に塗られ、それが印となってエジプト全土を襲った第十の災いである初子の急死からその家を守ったのであった。

それは春先の陰暦アビブの月の十四日に入った晩のことであった。
羊の血の印の無いエジプトの家々を初子の急死が襲い、エジプト人は彼らが旅立つことを願って、イスラエルが望む物をせっせと与えても良いと思えるほどであった。(出埃11:3/12:33-36)

災いはファラオの家も例外とならず、皇太子を失う衝撃は、九度に及ぶ災厄がエジプトを覆ってさえ頑迷を助長され奴隷イスラエルを手放さなかったファラオを動かし、この十度目の災いを以って遂にその民の解放を許させるものとなった。

したがって、神の指示によりアビブの十四日に屠られた一歳の雄の子羊は、イスラエルの旅立ちに際して、その初子、過越しを行った諸家族の長男を守る身代わりとなったと捉えることができる。


さて、ナザレのイエスがバプテストのヨハネを介してイスラエルに紹介されたとき、彼はイエスを指して『見よ!神の子羊』と宣したことをヨハネ福音書は記す。(ヨハネ1:36)

若き日に、自らバプテストの傍らに在ってその声を聞いたであろう使徒ヨハネの著作には「過越しの子羊」を『神の子羊』と重ねる記述が多く、ナザレの人イエスが神の子羊であるとの言葉だけでなく、また双方の子羊共に骨が折られなかったことが予型と対型として示されている。(出埃12:46/ヨハネ19:33.36/) また、黙示録に於ては、勝利を得たメシア、またキリスト教の象徴として子羊が多出する。(黙示5:6-14/6:16/7:9.14/12:11/14:1-5/17:14/19:7/21:9-13/22:3)
 
使徒ヨハネが示すように、この子羊がエジプト出発に際して屠られた子羊を敷衍するものであれば、やはりキリスト・イエスも『初子』に相当する人々の救いとなったであろう。

というのも、イスラエルがエジプトを発って二年目に神YHWHはモーセを介し民にこう言われているのである。
『すべての初子はわたしのものだからである。エジプトの国ですべての初子を打ったとき、わたしはイスラエルの初子を人間から家畜に至るまでことごとく聖別してわたしのものとした。彼らはわたしのものとなるであろう。』(民数記3:13)

この言葉からすれば、死んだはずのその初子らの神の買い取りの代価が、子羊の魂(命)であったことになり、その支払が為されたことを家々の戸口に塗られたその血が証しとなったということができる。『肉の魂は血にあり』『血が魂によって贖罪を為す』からである。(レヴィ17:11)

したがって、出エジプトの子羊たちは、その血の犠牲によってイスラエルの初子らの身代わりとなった。
そして、その身代わりを得て生きているイスラエルの初子は、イスラエル民族の中から祭司の部族を登場させることとなる。
『レヴィ人をイスラエルの人々のすべての長子の代わりに、またレヴィ人の家畜をイスラエルの家畜の代わりに取るように。レヴィ人はわたしのものとなる。わたしはYHWHである。』(民数記3:45)

こうして大祭司に任命されていたアロンを補佐する一部族が取分けられた。それが預言者モーセやその兄アロンの属するレヴィの部族で登録された男子の総数は当時二万二千人であった。(民数記3:6-7)

さて、後代の『神の子羊』であるキリストにあっては、やはりその犠牲の血で人類の『初子』を買い取っている。(ヤコブ1:18)
その血によって買い取られた『初子』とは、『天に登録されている初子たちのエクレシア』とパウロが述べた初期キリスト教徒の集まりに召し出された『聖なる者ら』を意味している。(ヘブライ12:23)

当時の『聖なる者ら』について使徒ペテロは、『イエス・キリストに従い、且つ、その血の注ぎを受けるべく、父なる神の予知されたところによって、選ばれ霊の浄めに預かっている人たち』と呼びかけたうえで、『あなたがたは選ばれた種族、王なる祭司、聖なる国民、神の所有に帰する民』と呼んでいる。(ペテロ第一1:2・2:9)
 
それこそは、かつてモーセがシナイ山麓で律法契約によってイスラエルが到達すべき目標として示した事柄であったが、イスラエルの律法の不履行は覆うべくもないバビロン捕囚の結末を招いていた。
こうして律法契約はその『聖なる民』を生み出すことに至らなかったが、預言者エレミヤを通して神は『新しい契約』を締結する日が来ることを知らせ、その『契約の使者』である『メシア』を指し示したのであった。(エレミヤ31:31-33/マラキ3:1/ダニエル9:27)

一方で、ペテロも言うように律法契約は『負い切れぬ頸木』であり、それをパウロは『律法は違反を明らかにするために付け加えられたもので、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのもの』と述べ、また、『もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかった』とも言っている。(出埃19:5-6/ヘブライ8:7)

即ち、『新しい契約』によってキリストが血を以って買い取ったのは、遂に神の正当な選民とされて現れた、より偉大な「対型的なレヴィ族」であり、彼らがキリストと共に行う贖罪が全人類に及び、その用いられる器となるものがキリストと聖なる者らで構成される『神の王国』である。

キリストの『聖なる者ら』はレヴィ族が水の浄めを受けたように(レヴィ8:6)『霊の浄めに預かって』おり、レヴィの祭司職が民全体の贖罪の儀式に関わったように、『聖なる者ら』は大祭司キリストの下で人類の贖罪に関わることになる。(ヘブライ10:22)
 
それゆえペテロは彼らを『祭司』また『聖なる国民』と呼んだのであり、それこそは遠い過去にアブラハムに約された『地のあらゆる部族はあなたの子孫によって自らを祝福する』(創世記22:18)の言葉の実現がいよいよ近付いたことを知らせるものであった。

全人類を祝福するこの偉大な贖罪制度『神の王国』をもたらすために、キリスト・イエスが如何に主要な務めを果たすかについてパウロは『神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされた』と書いている。それが、この王国のもたらす最終的な目的であり、エデンに入り込んだ天地の無秩序を取り除く経綸である。(エフェソス1:10/フィリピ2:10)

即ち、『神の王国』の成し遂げるところは「神と人の和解」であって、そうして創造の業の完成し、創造されたすべてが創造者の御許に集うことであり、そのためには人は『罪』を去らねばならない。しかし、人類の宿痾であるアダム由来の『罪』を捨てることは人間の努力の及ばないことである。

もし、人間が自らを浄められるものであれば、キリストの犠牲は要らず、人類はこの世を改善できたであろうが、今日見る通りにこの世は悪や不義で一向変わらずに住み難く、人の寿命は苦しみの内に尽きてゆく定めを免れず、その生涯はまことに虚しいものとなっている。

そこで『罪』は人間以上のものが行う「浄め」を必要とする。それを成し遂げるのがキリストの犠牲を介する『贖罪』であり、その祭祀を執り行うのが、天界のイエスとそれに寄り添う『聖なる者ら』による『神の王国』であり、彼らこそが真実の『アブラハムの子孫』であり、パウロは彼らを血統上の肉のイスラエルと対照して『神のイスラエル』と呼んでいるのである。(ガラテア6:16)

本来の過越しの翌々日から数え始めて五十日目はシャヴオート(五旬節)であるが、その日には過越しの無酵母パンに代って酵母の入った二つのパンが捧げられる。(レヴィ23:15-17)
それは小麦の収穫の始まりでもあり、畑から最初に収穫された小麦から作られていた。

その四十九日前のキリストが復活を果たしたニサン16日は、ハグ ハ マツォート(無酵母パンの祭り)の二日目であり、小麦より早く実る大麦の初穂の束が神の御前に捧げられるよう律法に規定されていた。イスラエルはこの行事より以前に初物を食すことが許されていなかった。それは即ち、キリストはこのニサン16日に人類の初穂として始めて永生への復活を果たす予型であったとみることができる。無酵母のパンは『罪』の無いキリストの御体を表していたことであろう。

一方で、シャヴオートでは酵母を含ませたパンが焼かれて御前に捧げられるが、それは相変わらずアダムの罪を宿してはいるものの、『新しい契約』によりキリストの犠牲の仮の適用を受けて『義』を承認され、キリストの復活後四十九日を経て『聖霊の油注ぎ』を受けて再生して現れ出でた『聖なる者たち』を予表していたと見るのが自然な捉え方であろう。(ローマ8:1・ヨハネ3:5)



◆キリストの血の意義

もちろん、キリストの血の犠牲はやがて全人類を益するものとなるにしても、神はまず大祭司キリスト(ヘブライ3:1)とそれに従う祭司たちを事前に召し出すことを企図されたが、それはモーセの律法の祭祀制度によって予告されていたのであり、モーセの崇拝制度に於いても、イエスのそれに於いても、双方共に祭司らを任命せしめたものは『子羊の血』の犠牲であった。

やはりイエスは、使徒らに差し出した葡萄酒の盃について、『これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である』と述べて、それを使徒らに飲むようにとも言われる。それは象徴とはいえ律法が飲血を強く避けるように命じている掟を踏み越えることである。

最後の晩餐のおよそ一年前、主が自宅を持たれたカペルナウムにおいて、群衆に『わたしの肉はまさしく食物であり、わたしの血はまさしく飲物である』また、それらを取り入れる者は『わたしと結びついて、わたしもその者と結びつく』と言われたときに、律法に教育されてきたユダヤ人の群衆は『いったい誰がこんな話を聴いていられよう』と言ってはイエスと使徒らから離れていったことがあった。(ヨハネ6:53-66)

古来、律法では、飲血をする者は重罪を負うのであり、血抜きされていない肉を食することも同罪であった。(レヴィ17:10-12)
それゆえ今日のユダヤ教徒もこの禁令を守って食事に注意するのであり、ユダヤ教から更に後退した「エホバの証人」に至っては輸血も拒否することが知られている。だが、律法にも明記された血の禁令の意義は、何が何でも血を体内に取入れないことを固守するところにあるのだろうか。具体的な飲血への禁令が指し示す、より高度な意義は存在しないものだろうか。

血の禁令は律法から更に遡って、大洪水後のノアへの指示にも見られるものであったが、人類の再出発に当たり、神はこのように言われている。
『すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その生ける魂である血のままで、食べてはならない。』(創世記 9:3-4 )

確かに律法も飲血も血抜きされない肉を食することも禁じている。
『イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者の誰であっても、血を食べるなら、わたしはその血を食べる者に敵してわたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。』(レヴィ17:10)

これは今日のユダヤ教に至るまでの律法に従う場合に強い禁止条項である。だが、異神崇拝や御名の侮蔑、また著しい悪行のように民がこれを処刑するように命じてはいない。侵す者は断たれるべきであったにせよ、神自らが処置を下すと述べられた。そこで、イスラエルの歴史では血を食してしまったものの、命を長らえている例を見出す。しかし、それで赦されたということにならないであろう。(サムエル第一14:31-35)

しかし、律法中の飲血の禁令が目指した対型的な意味は、物質的な血液をただ体内に取入れてはならないというところにあるわけではない。
レヴィ記には神の語るところとしてこのように記されている。
『 肉の魂は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、贖いをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は魂であるゆえに、贖うことができるからである。』(レヴィ17:11)

この言葉のゆえに、動物の血が贖罪のためにイスラエルに与えられたと捉えることもできるであろう。
即ち、動物の肉が祭壇で焼かれる一方、血は祭壇の下に注ぎ出されて*その魂がイスラエルの罪を贖うために彼らに一度与えられたが、それでも『魂』の所有権は終始神のものである。(エゼキエル18:4)ゆえに、神のものを贖罪に用いたとしても、その用法を誤るべきではない。*(血も肉と共に焼かれる規定もあったが、これは滅ぼされる魂があることを示すのであろう)

レヴィ族の祭司たちが動物の血を扱ったのも、彼らが抽象物としての『魂』(ネフェシュ)を直接に手で扱うことが出来なかったからに相違なく、そこで血という具象物を儀式に於いて取り扱うよう命じられたというべきであろう。人が魂という抽象物の神の所有権を尊重するためには具象物の儀式的扱いを行う以外にない。これが血の禁令の意義を成している。

然るに、魂とは血液だと神が語っていたのではなく、血液の成分の中に『魂』に相当する部分があるということにもけっしてならない。血は魂の表象であるに違いなく、そうなれば、神はこの禁令を通して何かを教えようとしていたに違いない。

したがって、飲血がまったくの罪を犯すか否か、もちろん輸血が良いか悪いかを含めて、その禁令の外面をひたすらに守ろうとすることは、そこに込められた象徴的意義を学ばないばかりか、まるで的外れなことになる。

逸脱を加えて、禁令に含まれるのは血の全成分か、血清は対象外かなどと論じ始めるなら、それはまったく即物的にだけこの禁令を捉えることに於いて、ユダヤ教に増して律法的であり、肉的な蒙昧というほかない。象徴的意義に目が開かれず、専ら具体的禁令に注意が向くからである。

エホバの証人のように、輸血を含めて血を飲まない潔癖さばかりに神の御旨があると考えるなら、その人は血の禁令に込められた真意を見出すことなく、自己義認への関心に終始することであろう。その関心の対象は神の御旨でなく自分の義による救いの達成であって、それこそは律法的服従の恐怖の宗教というべきである。


では、血そのものが象徴する意味は何であろうか。 
これは神の観点から見る必要があろう。 

先に見た創世記のノアへの血の禁令に、神自らが次のように補足している。
『あなたがたの魂の血を流す者には、わたしが必ず代償を求めるであろう。いかなる獣の手からも代償を求める。兄弟(同士)である人にも、わたしは人の魂のために代償を求めるであろう。人の血を流すものは、人に血を流される、神が自らの象りに人を造られたのであるから。』(創世記 9:5-6)

ここでは、キリストのペテロへの戒めの言葉である『剣を執る者は剣によって滅ぶ』の句が思い起こされる。
殺人に込められた精紳は、身勝手に創造物を消去する願望であり、これには人ばかりか他ならぬ創造者であらせられる神が代償を求めると言われる。神は『全ての魂はわたしのものである』として、命を以って動くあらゆる創造物の所有権を明確にしているのである。殊に人は神の象りである。(エゼキエル18:4)

また、最初の殺人となったカインとアベルの事例をも彷彿とさせる。
カインがアベルを憎んで自分の耕地に連れ出して謀殺した後、『お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる』と神はカインに言われている。(創世記4:10)

そして農耕者であったカインは放浪者に身を窶すこととなった。象徴的にアベルの血は代償を求めていたが、その意味するところを言えば、神の創造物、それも『神の象り』に創られたひとりの失われた『魂』アベルという存在に対する神の所有権が荒らされていることの言い開きが『血の叫び』によってカインに求められていたと言える。

そしてこの最初の殺人に於ける神の求める血の代償を引き合いに、後代の使徒パウロはキリストの血を敷衍して『アベルに勝って声を発する注ぎかけの血』と記しているのである。(ヘブライ12:24)

やはり、血の禁令が教えるものは、創造物に対する創造者の所有権であることが示唆されている。⇒「命に優る魂」
人々に動物の肉を食するのを神が許すにせよ、それらの創造物の所有権を人に許したことにはならない。創造者は創造者なのであり、そこには何者も侵すべきでない所有権が存在するのはまったく理に適ったことである。

イエスは『体を殺しても魂を滅ぼせない者を恐れるな』と言われる。聖書中に『死んだ魂』なる語はあるが、死んでも『魂』は神の内には滅んではいない。そうでなければ、キリストの魂はどのようにして『墓に捨て置かれず』復活に達したのか。

やはり『魂』は抽象物であって、 本来、人がこれが『魂』であると示せるものでない。
ゆえにアドヴェンティスト派が主張するような「その人そのものが魂である」ということもまず成り立たない。そうでなければ、動物なりの身体が死んで後に、その『血は魂であるゆえに』地に注ぎ出すようにと神が命じた意味もないことになる。何故なら、その動物にせよ人にせよ、そのものが死を迎えたときに魂も滅んでしまっていることになるからである。

したがって、肉は焼かれ食されても、飲まれない血の処置は、肉の滅びを超える「魂」という抽象存在を人に明らかにしている。創造神の記憶の中で、死んだ人々さえ魂によって『神にあっては生きている』と自らの死を目前にしたイエスが言われている。。(ルカ20:38)

したがって、血の処置をしようとしまいと、魂は常に神のものであり、『魂』の存在を人に明示することが血の処置の目的というべきであり、重要なことは血の扱い方ではなく、創造物に対する神の所有権への畏敬であることになる。

それであるから、魂が肉体の死をも乗り越えるとはいえ、死に面しても医療上の理由からではなく、輸血を謝絶することで神への忠節を全うできると思うなら、その決死の自己義認も、自ら死を早め、また早めさせる事によって、むしろ神の所有権への正反対の行動をとっていることになるがそれで良いのだろうか?

この点では、神の『魂』への権利を侵す者、それはまずサタンである。サタンは『そのはじまりに於いて殺人者であり』、そのうえキリストの殺害を望んでいたユダヤの体制派の者らは『その裔』であった。(ヨハネ8:44)

その祭司長派らがどれほど血の禁令を守っていたとしても、それはまったく無駄である。なぜなら、血を飲まず食さない外面を守って、実にその教えに真っ向から逆らい、キリストというこれ以上ない創造物の魂に対して殺意を懐き、その神の所有権を奪おうと目論んでいたからである。(民数記35:33)

キリストの流された血には、当然にその魂の代償が求められる。そこで求められるのは奪った者の血である魂となるであろう。律法では、殺された者の身内が『その血の復讐をする者』(ゴーエール ハ ダーム)となって殺人者に正当に殺害することが許されていた。(民数記35:27)

そうなると、遂に罪を犯さなかったキリストが磔刑で死亡したそのときに、イエスの血の表す魂の報復としてサタンの魂(血ではなく)が求められる道理が生じたと言い得ることになる。まして、神ご自身がキリストの近親者ではないか。ここでも血は魂の表象であり、実体ではない。

キリストの魂をしてサタンの魂を求めることが意味するものは、『死の権力を持つ者、即ち悪魔をご自身の死によって無に帰せしめ』たというパウロの言葉に表れているというべきであろう。即ち『魂には魂』であり、『魂』が常に神の所有するところであったにせよ、生きている魂を死に至らしめたその悪意ある魂に対する咎は、神の所有を勝手に侵すものである。故に、神は必ずやキリストの血の報復をサタンに為すことであろう。(申命記19:21/ヘブライ2:14/レヴィ24:17-18)

そしてキリストの魂は墓に捨て置かれず、イエスが霊に復したときには、 その魂は再び生きるものとなった。
『「最初の人アダムは生きた魂*となった」・・・・しかし最後のアダムは命を与える霊となった。』ともパウロ言う。(コリント第一15:45)*(アダムの魂はこのときに生じた)

キリストの魂が保存され復活を遂げたことは、その殺害を為したサタンの魂への報復が将来に求められることを必須とする。加えてイエスの霊体はアダムの失った肉体に代替されるがゆえに、アダムの子孫はイエスという『とこしえの父』を得ることになるのである。
したがってキリストの肉体が永久に消滅したと言い得る理由もあることになる。キリスト・イエスは霊者としての命に入ったからであり、化肉はあったとしても、復活後は人間ではないからである。(使徒2:31/ローマ5:12/イザヤ9:5/ヨハネ20:15/出埃12:10/ヨハネ第二7) 

加えて、キリストの流された血の意義は、以上の魂の贖いに留まらず、更に成し遂げるものがあった。
それが契約の発効である。


◆血の浄め

律法の規定する祭祀の施設と什器には、『罪の捧げ物』とされた雄牛の血が付けれ、そうしてはじめてそれらが正式に使用された。それが浄めの儀式となったからである。(ヘブライ9:20-21)
また、その以前の律法契約の締結の日には、モーセがやはり雄牛の血をヒソプの小枝を用いて民に振り掛け『これは神があなた方に求めた契約の血である』と言っている。(出埃24:8)

この儀式では、聖なる神の関わる事柄に罪の汚れがあってはならないことが知らされている。
聖なる神が罪ある人間と契約を結ぶことには、初めから無理があったので、そこで罪という障碍をどうするかの問題は避けられない。

そこで神と人との間には罪の相殺が必要となるのだが、それを果たすものが「犠牲」であり、人の罪に対する応報を別の罪無き者が受けることによって、罪ある人も初めて聖なる神と交渉でき、契約を結ぶことも可能となり得るということになる。その手順のなかで血が犠牲を表す象徴物として用いられていたのであり、血というそのものが実体であったのでもないので、キリストも液体の血のそのものを携えて天に行ったわけではない。(ヘブライ9:12)

例えれば、律法契約においては、雄牛が犠牲となっていたのだが、贖罪のために24組の祭司らが全員で民が捧げる無数の犠牲に血まみれになって一斉に祭礼を行っていても、パウロも言うようにそれが真に人の罪を赦すには至ってはいない。あるいはモーセが血の犠牲となったとしても、もとよりアダムからの命に生きたモーセに有効な犠牲を捧げることはできないし、神もそれを求めていない。(ヘブライ10:4)

それであるから、シナイ山麓でイスラエルの民に注がれた雄牛の血も、祭祀の設備に塗り付けられた血も、それらはすべて仮のもの、即ち血の使用は儀式であり、まさしく完全なキリストの魂の象徴としての使用であったことになる。

イスラエルの中で為された旧約の預言の数々に加え、律法契約そのものも後代にもたらされることになっていた真正に価値あるキリストの犠牲の血があってこそ意義をもったであろう。それは動物を二つに切り裂いたアブラハムとの契約にしても同様であろう。(コリント第二1:20/創世記15:19-20)

それゆえヘブライ人への手紙は、その第九章十五節で『契約*のあるところには、契約*した者についての死が求められる』としているのも、この神と人との罪の隔ての溝を埋めるものを指摘していると言えるのである。*(この”ディアスェーケー”をわざわざ「遺言」と訳すのは容易に理解させるためであろうが逆効果ではないか)

そしてキリストの死がもたらしたものは、これらの契約すべてに関わる犠牲の血であったゆえにパウロはこう言うのであろう。
『神の約束は、この方において何事であれ「然り」となった』(コリント第二1:20)

キリストの血の働きのひとつに、アブラハムの裔となる人々と『新しい契約』を締結され、彼らに早い贖罪をもたらして『初穂』とし、聖霊を与えてその証しを印すという重要な意義も含まれていた。


こうして幾らか見渡すだけでも、キリストの死とその流された「血」の意義の大きさ多様さに驚かされる。古代からの神の人との関わり、そして契約や約束を過去に遡って真実なものとし、創造界に悪と死をもたらした元凶であるサタンとその裔を無に帰せしめ、神の経綸を揺るぎなく推し進めるものとなったのがキリストの血の犠牲であった。

しかし、主の「血」の働きもこれらは前段であり、その後により壮大な神の経綸を成し遂げ、遂に創造の意図を完結させることになる。
その「血」が、滅びゆくアダムの子孫すべてに命をもたらすという、言語に絶する偉業の原資となるのであり、イエス・キリストはまさしく『命』であられる。(ヘブライ2:9/ヨハネ14:6)

そこで主が自らの血を象徴する杯を取って『この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である』と言われたことをルカがその福音書に記すが、マルコやマタイが『多くの人のために』とされているからと言って、主の晩餐に於けるこの杯がアダムの子孫全体に罪の赦しをもたらすものと捉えることを阻むのは、共観福音書が揃ってこの杯について『契約の血である』と明言していることである。(ルカ22:20/マルコ14:24/マタイ26:28)

即ち、その血は『新しい契約』に罪ある人々が入るために必要なキリストの死の犠牲が捧げられたことを示す具象物であり、飲血の禁令を乗り越えてその杯から葡萄酒を飲むということは、契約のための犠牲に預かることを象徴しているのである。それが異例な価値を持っていることを血の禁令が指し示してもいたことになる。

もし、飲血が日常習慣になっていたとするなら、その人々にとって血を飲むということに特に意味の無く、創造物の命の由来者である創造の神に対する畏れも、創られた方への魂の所有権に対する敬意も感じさせはしないに違いない。(詩篇36:9/エゼキエル18:4)

エルサレムの使徒会議で主の弟ヤコブの出した議決に、諸国民からの転向者に偶像や淫行と共に『血と絞殺された物を避けるよう』にとあるのは、『新しい契約』に預かる『聖なる者ら』で満ちるエクレシアイにとって極めて適切な指示であったということができる。(使徒15:29) 

それはモーセの律法がどの街に於いても『安息日ごとに会堂で読まれているから』というユダヤ人イエス派信徒を躓かせないというヤコブ自身の配慮以上の働きをすることになったと言えるであろう。

また、これを以って律法のこの条項が継続したとは言えない。これらの規定はヤコブが独自に考えたものでもなく、コルネリウスのような無割礼の異邦人がシュナゴーグでユダヤ教の会衆に交わるに際しての、当時の会堂の最低条件であったものを列挙したのであった。ヘレニズム世界では各地で、神殿での偶像礼拝や会食また売春や同性愛、さらには血を飲むばかりか、全身に浴びるなどの慣行が当時広く存在していたからである。(使徒15:21) ⇒ 「エルサレム会議に見るキリストの弟ヤコブの寛容」

そこで、血の禁令を続けるユダヤ教イエス派の者らと、無割礼の異邦人らとの間にも一定の規定を残す必要が生じていた。双方の常識は余りにも異なっていたからである。ヤコブは依然として会堂でモーセの朗読を聴くであろう両者が分裂しないための方策として、血の禁令を含むユダヤ人が躓かずに異邦人と集まれるよう、無割礼を許しつつ幾つかの条件を残したのであり、ヤコブ率いるユダヤ教イエス派は依然として『律法に熱心』であって、パウロにはナジル人の習慣行事に参加するように促しているところからも、ヘブライストの信者らがどれほど後のキリスト教と異なっていたかを顕している。(使徒21:20-26)

だが、これがキリスト教の根幹を成す規定ではないことは、新約聖書にヤコブの発言として出るのみで終わっていることからも明らかである。ヤコブの裁定により、初期異邦人キリスト教徒に中にも血の禁令を守る習慣がしばらく残っていたにせよ、今日のように、ユダヤ教イエス派が消滅している現状に在っては、大きく意識の異なる『二つの民』へのヤコブの配慮も過ぎ去ったものとなっている。(エフェソス2:15)

律法に従うユダヤ人にとっては『血が魂』であったにせよ、キリストの血の犠牲の価値を知ったキリスト教徒にとっての実際の血は、儀式において『魂』を象徴するべきものであったが、それはやはり赤葡萄酒という代替物に代えられており、血のそのものが神聖なのではなく、『魂』こそが創造神の所有に帰するものとして神聖視されるべきなのである。創造神に於いて『魂』とは、肉体や命に優るその人の真の存在だからである。⇒「命に優る魂」

他方、一途に血の禁令を守って来たユダヤ教徒やイスラームからすれば、神が律法を通して強く戒めていたゆえに、依然として飲血は考えられない悪行である。そこでは神の創造物に関する権利という概念をわきに置いて、とにかく血を飲まないということに意識が集中していたであろうことは、『人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』との主の言葉を聞いたときの失望と群衆の霧散によく表されている。その言葉を聞いても残ったのは、一年後に『主の晩餐』に預かることになる十二使徒だけであった。(ヨハネ6:66-70)
 
主の帰天後のユダヤ人イエス派は、年毎の『主の晩餐』に於いて象徴的ながら血を飲むことになる。それも神の最も愛される御子の魂を自らのものとする儀式を行うのであるから、固い血の禁令にあったればこそ、そこにある種の躊躇さえ感じられるほどに、その犠牲を尊んだことであろう。

この『主の晩餐』にユダヤ教徒はイエス派を攻撃する口実を見つけさえしたようである。
というのも、ユダヤ教徒が異邦人の間にイエス派は子供の肉を食し、血を飲んでいるとの噂を流されていた為、その誤解からキリスト教徒はしばしば迫害を被っている姿が資料に残されているからである。

ユダヤ教徒からすれば、ただただ飲血の儀式は忌まわしい行為であり、他方で異邦人はその犠牲者が子供だと聞けば不気味さと義憤とを禁じ得なかったに違いない。
ゆえに、ユダヤ人イエス派は『主の晩餐』に於ける象徴的飲血によってもユダヤ教徒と袂を分かつことになったと言えるほどである。それはもはやセデルの祝杯ではなく、決然と杯をあおって飲むべき主の血を表した。ここに於いてキリスト教の葡萄酒の表象は、既にユダヤ教の血の表象を成就し、且つ超えていたのである。そこでユダヤ教の肉と血による崇拝方式が過去のものとなり、キリスト教に於いては、実際の肉と血を扱う機会は皆無となった(コリント第一10:16)
 
それでも弟子らは、血を飲まずに注ぎ出すユダヤの祭祀を超越し、年毎に主の血の杯から象徴的に飲み、他の聖霊を受けた人々と共に『新しい契約』に入ったことに感謝を捧げていった。
ゆえにディダケーも『主の晩餐』を「エウカリスティア」(感謝)と呼んでいる。

彼らにとって主の死によって得られたものは、罪からの浄めであり、ほかの何者からもけっして得られることのない異例に高い価値ある立場、キリストの兄弟、共なる相続者、神の子であった。(ローマ8章)
殊に、異邦人信徒の場合、キリストの血に飲むことは『キリストの血によって近い者とされる』ことを意味し、血統の『隔ての壁を取り除いた』のであり、そうして『神のイスラエル』へと導かれることになったことをパウロが書いている。 (エフェソス2:13-14)

それゆえ、聖霊の降下のない今日、キリストの魂に関わる神の所有権を尊重し、誰も血を表す葡萄酒にも、またキリストの肉体を表象する無酵母パンにも与らない『主の晩餐』ではあるが、そこに込められている意義には極めて深いものがある。
 
象徴にせよ、血の禁令を超えてキリストの血を飲むことを神に許された聖霊を受ける者が現れるなら、その者こそはキリストの魂の価値を自らのものとする。象徴的飲血を経て初めて彼らはキリストに近しい者、「キリストの兄弟たち」となるのである。(エフェソス2:13/マタイ25:40)
異邦人であっても彼らは、象徴的飲血によって『聖なる者らと同じ市民であり、神の家族である』ともパウロは言う。(エフェソス2:19)

以上の論理からすれば、これは即ち、神の所有に帰するべき、それも飲血を介して独り子の魂を自らのものとすることを神に許されるということになろう。もちろん、それでもキリストの魂は依然神のものであるが、聖なる者らには共有が許され、最終的に『キリストに預かる*者となる』のである。(ヘブライ3:14)*[ギノーマイ]「渡される」

従って、葡萄酒の杯から飲む者はその契約に入るゆえに驚異的なまでに恵まれているというべきである。


◆儀式の価値

しかし、『主の晩餐』で葡萄酒をただ飲もうとするなら、それは簡単なことであり、その儀式がその人に何らの変化をもたらすこともない。また、キリスト教が実際の飲血を勧めているわけでもなく、むしろ逆である。だが、医療としての輸血や血液製剤、果ては人工透析の是非を、旧契約である律法の規定から捉える意味もない。尤も医療手法の選択としてであれば別であるが。
(エホバの証人の輸血謝絶は、自己義認のための他宗教との差別化がその目的となっており*、タルムードのような多くの規定の細目を作るばかりで、その決然たる意志も神の前に然したる意味も無く、却って魂への畏敬からすれば、命の軽視につながることに於いて有害である)
*以前には種痘を拒絶していた。迫害下では信者であることを隠すために輸血を習慣的に拒否しない。
 
一方で、キリスト教に於けるパンも葡萄酒も、なおキリストの肉と血の実体には成り得ないし、たとえその実体がそこにあったとしてもなお、それらが象徴するもの、即ち、キリストの霊体と魂こそがパンと葡萄酒の実体なのであり、それらは共に神の許に納められている。出エジプトの子羊が残さずに焼却されたように、キリストの肉体もニサン16日には捧げられて消滅しており、神による魂の保存によってキリストは霊体に復活を遂げられている。

そこで重要なことは、ふたつのエレメントを実際に飲み食いするか否かではなく、パウロが言うように『自分を吟味し』それに預かるか否かという認識の方であり、その認識をもたらすものはその人に聖霊の顕在がなくてはならないに違いない。(コリント第一11:27-29/ローマ8:9)

まるで知識なく『主の体を弁えない』で飲食するならまだしも、知識を持ちつつ敢えて誤った仕方でそうするなら、それに咎めが臨むことをパウロは『裁きを飲み食することになる』と警告する。

この会食儀式であっても実体ではなく、この主との会食は、天界で十二使徒と共に再び行われるときに成就するのではあるが、その王国の設立の時となる『新しい契約』が成果を収めるとき、それが如何ほどの重さを持つのかに列席する者の認識を培う機会とすることは誰にもできることであり、また、そうするべきであろう。




本年2016年のニサン14日は、4月21日(木)の晩から始まった。
全国的に雨がちの天候ではあったが、それぞれに挙行の連絡を頂いている。

本年の把握しているところは以下の通り
東京、埼玉、北海道(道南)、北海道(道央)、富山



ユダヤ人はペサハの後、シャヴオートまでを恰も服喪のように慶事を避けるとのことである。(33日目だけは例外とするが)
それは無酵母パンの祭りの持つ厳粛さの影響とも言われる。

主はニサン十四日の晩を、明らかに特別な仕方で過ごされた。
それは出立を前に、十二使徒と彼らを通して聖なる者らに契約と訓戒とを教えるという「キリストの過越し」となった。

それから使徒らガリラヤ人の集団はエルサレムで服喪の如くひっそりと過ごし、遂にシャヴオートの朝を迎えた。それはキリストの犠牲が神の御前に受け容れられたことの証しとなり、キリストの業は弟子らに受け継がれ、異言を語る彼らには世界へ向けた業の拡大が託されたのである。その日に聖霊を受けた百二十人は、ペテロを先頭に諸国へ向けた宣教の第一歩を踏み出していった。

彼らを自らの血によって贖った主イエスの自己犠牲を鑑みるに、罪深い人類と、悟りの遅い弟子らへの慈愛、また、父である神ヤハへの忠節な愛の偉大さに感じ入り、また自らの矮小な有様を恥じ入る次第である。

その死が成し遂げてから51日後の初穂に相当する聖なる者らの現れは、何と言う価値ある酬いであったことか。
象徴的サラが史上初めてアブラハムに真の子らを生み始めたのである。(ペテロ第一3:6)

終末のパルーシアに於いて、再び彼らが現れ、その全体が揃うときに、その深い意義を悟る者がひとりでも多く在り、『人の子が来る時、地に信仰を見い出すだろうか』の主の問いに対して、ご利益信仰でなく、聖霊に信を置ける人々が主の臨御に答えられる日を是非とも見たいものである。いや、そうなるのであろう。

御同志の諸氏の見識の高さに敬意を表しつつ、共にその日を見ることを念願する次第である。



 林 義平


 
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果たしてイエス・キリストに弟などがいたろうか?


確かにマタイの福音書には書かれている。イエスがヨルダン川でキリストの任命を受けてから、ナザレ村に帰省した場面でその弟たちのことが次のように記されている。

『これは大工の息子ではないか。その母親はマリアと云い、そして兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。 姉妹たちも皆、我々と一緒にいるではないか。』(マタイ13:55-)

イエスの兄弟たちとは、マリアがイエスをした後に夫ヨセフとの間に設けた子らである。
しかし、これらイエスの兄弟たちの存在はマリアを永遠の処女に崇めたい人々にとって、そのまま読むことのできない記述である。


そこで、カトリックなどは、ヨセフには前妻が居たということにして、これらの子供らはヨセフの連れ子である、という主張も普遍教会の中で始まった。

ではあるが、ここではマリアが処女神のように崇められるべきか否かに関わることなく、その息子のひとり、ヤコブに注目したい。


彼ヤコブは、他の兄弟に先んじて名を挙げられるところからすれば、イエスを除いた兄弟の筆頭であったようだ。世間向きには、イエスに次いでヨセフの次男の立場にあったろう。

しかし、おそらく二十歳代の彼は、兄イエスが家を出て宣教の生活に入ったことを理解しかね、気が狂ってしまったとすら思っていたようである。

聖書中では、そのおかしな兄を気遣って宣教の現場にまで母を伴い出向いた場面も語られているが、そこには、余りに類稀な人物を輩出した家族の苦労が見える。(マルコ3:21)

イエスは父ヨセフの家に在っては、自分のことをほとんど明らかにはしていなかったようである。
ヘブライ語ではエシュアと呼ばれた長男が、単なる息子のひとりでないことを知っていていたのは両親、殊に母親のマリアであったことは、カナの婚宴での奇跡が語る通りであるが、それも随分と抑制された観がある。その奇跡に何人が気付いたのだろう。

おそらくは親戚、つまりイエスの従兄弟にあたるであろうゼベダイの子ヨハネ(十二使徒)は、その福音書でこの奇跡を記しているが、これを晩年にエフェソスで著したときに、当地に共に来た主の母からかつて聞いた情報を含めたのであろう。それに加えてイエスの兄弟たちがイエスに信仰を持っていなかったと、はっきり書いている。(ヨハネ7:5)



-◆兄に帰依し、義人と呼ばれる--------------------------------

しかし、それも変化するときが来る。
パウロの言葉によれば、イエスは刑死を遂げて三日目に生き返らされると、弟のヤコブに現れたというのである。(コリント第一15:3)
どうやら、これがヤコブが信仰を持つ決定的なきっかけになったようである。
彼はその後、他の弟たちと共にあのシャヴオートつまりペンテコステの日に聖霊が灌がれたおよそ百二十人の中の一人に含まれていたのであろう。(使徒1:14)


しばらくすると、ゼベダイの息子でヨハネの兄弟でもある十二使徒の方のヤコブがヘロデ・アグリッパス王(Ⅰ世)によって処刑されると、次は使徒筆頭のペテロが狙われ、ペテロは投獄されてしまう。
しかし、天使の介入によって獄から開放されると、この使徒筆頭であり地方を回ることの多かったペテロは、以後更に遠くエルサレムを離れるようになってゆく。(使徒12章)


その後、どのようにエルサレムのエクレシアがイエスの弟ヤコブを自分たちの代表としたのかについて聖書は何も伝えていない。
あるいは、ペテロが依頼したのか、それともイエスが任じたのか、またはユダヤ的相続の習慣にしたがって次男として指導の任を受けたのだろうか。父ヨセフも母マリアの家系*も共にダヴィデ王家に連なることはふたつの福音者が記しており、使徒たちの間で知られたことであったことは明らかである。(ヘブライ7:14)


あるいはヤコブ自身に傑出性があったのかもしれない。というのも、ヤコブは後年「義人ヤコブ」と呼ばれ、イエス派への所属を問わずユダヤ人の多くから敬愛されていたというのである。その状況からすると、ヤコブは先鋭的にイエス派を推進していたというよりは、周囲のユダヤ人から尊敬を勝ち得るほど、ユダヤ教徒の務めをよく果たし、神とイスラエルを執り成し、兄とユダヤの間に立って「律法契約」から「新しい契約」への橋渡しに努めていた姿が浮かびあがる。(ヨハネ7:6-7)

いや、橋渡しというよりは防波堤であったというべきだろうか。ヤコブへのユダヤ人一般の尊敬は、彼がイエス派であるか、またその弟であるか否かよりも、如何に神への崇敬の念の厚いかに集められていたのであれば、そこでユダヤ人によるイエス派への迫害も彼の中立性のゆえに躊躇されたことであろう。

この「義人」(ツァデーク)というのは完徳者を意味するわけではないが、一種の称号であり、ユダヤの民のために取り成しの祈りを日々神殿で捧げ続けたというヤコブは、人々からの賞賛によってユダヤの宗教的良心を代表するような立場を民衆の間に得ていた。
ヤコブとしては、ユダヤの民の多くが、未だ兄をメシアとして認めようとしないその頑なさを去って、神との平和を得るよう願い続けたのであろう。(ルカ19:41-42)


この弟ヤコブは十二使徒でもなく、ヘレニストの世話役となった「七人」にも、イエスの宣教を委ねられた「七十人」にも加わっていないのは明らかであり、その点、イエス運動の表舞台に上がったことがないので、標的にされ難かったこともあろう。

あのシャヴオート以来、イエスの弟子らはユダヤ教の中で人数を増していたが、ヘロデ大王の建立した神YHWHの壮麗な神殿は依然そこにあり、モーセの律法は日毎の祭祀においても機能していて、ヤコブもその崇拝方式に従っていたのであり、ヤコブたちも依然として「ユダヤ教イエス派」であった。そのためか、次第に数を増しつつも律法の習慣を守るイエス派に対して、祭司たちも温和に振舞うようになってゆく。(使徒6:7)


当然ながら、ユダヤ人の宗教的良心は神殿祭祀や生活でのトーラーとミツヴァの遵守にあり、それはイエス派ユダヤ人においても変わるところは無かった。ヤコブはそのようなイエス派の良心を代表するようなところを見せたのであろう。このヤコブの姿勢によって引き続きユダヤ教徒がイエスに帰依する道が開かれていたと言える。彼の晩年にはユダヤに数万の『律法に熱心な』イエス派が居たことが記されている通りである。(使徒21:20)


しかし、ペテロは外遊しつつ神の王国の「鍵」を用いてサマレイア、そしてローマ人にすらその門戸を開いたことによって状況が変化してゆくことになる。(使徒8:14~/10章)



-◆ユダヤと異邦人のふたつの群れ--------------------------------

そして迫害の急先鋒であったシャウル、つまり後の使徒パウロまでがイエス派の戦列に加わり、聖霊に取り分けられてバルナバと共にセレウケイア港から地中海に乗り出すことで、その状況の変化はさらに大きなものとなっていった。(使徒13章)

エルサレムのエクレシアとしては、イエスの教えが世界に向けて次第に異邦人の中に拡大してゆくことが何かと気になっていたに違いない。
その証拠に、ペテロがカエサレアに行って、ローマ人コルネリウスの家に入り、その一族や友人と交友して汚れたと彼を譴責しているのである。

実に、これこそペテロの主イエスから賜った「鍵」の使用であったのだが、イエス派の誰もそのことに気づいた様子はない。(マタイ16:19)
ともあれ、「それでは神は(汚れた)異邦人にも聖霊をお与えになったのだ」と黙りこむよりほか無かったのである。(使徒11章)

一方、エルサレムから直線で600kmほど北上したシリアのアンティオケイア市は、ローマ帝国第三の人口を誇る闊達な都市である。
東方ユーフラテス河畔方面、あるいはアディアベネ、ペルシアにつながる要衝であり、様々な人種の行き交う自由な気風がその都市にはあった。
 

ユダヤ人はヘレニズム期に入ってこのかた、この都市で特権を得ており、割礼を受けた異邦人改宗者(プロセーリュトイ)やその他の無割礼ながら「神を恐れる異邦の人々」(フォボメノイ)もシュナゴーグに集まる会衆の中に比率は少なくは無かった。ユダヤ人も人種の違いを然程気にせず過ごすことができたであろうから、そこには様々な人種が共に神を同じくする爽快さがあったろう。(使徒6:5/11:19/13:1)

その点、間近で神殿祭祀が行われ、ユダヤ優越性の色彩濃く保守的なエルサレムとは様子が随分と異なっていたようだ。

パウロはこのシリアのアンティオケイアを基地にして三回の長途伝道旅行を行っている。パウロやバルナバたち「諸国民への選びの器」にとってこの自由な気風溢れる都市は精神的な母体に相応しいものであったに違いない。
そして、彼らが旅行から戻るたびに、この地のイエス派はより一層ユダヤ教の色彩を薄めていったことであろう。


しかし、これはイスラエル=ユダヤ中心主義からすれば何か釈然としないものがあったとしても仕方が無い。
ユダヤ人の宗教的良心は、国教であるユダヤ教から簡単に離れることができないし、パウロの著作が未整備なうえ、パウロを迫害者、次いで異端者として避けていたユダヤのイエス派にとって、イエスの教えがモーセとどう異なるのかさえ不明瞭で、キリスト教の真髄を知るには至っていなかったというべきなのであろう。


現に十二使徒ら、またヤコブら中心的「柱」の人々はエルサレムの神殿でユダヤ教の崇拝を捧げることで、さらに多くのユダヤ人イエス派信徒を獲得していたのである。

だが、彼らの意識の外ではイスラエル民族は宗教上の大きな転換点に差し掛かっていたのであり、異邦人イエス派(クリスティアノイ)と、イエスをメシアと認めて「ユダヤ教の完成」を標榜するヘブライスト・イエス派との間には、意識のズレが生じうる事態が進行していたのであった。



-◆そして、起こるべくして事件は起こった--------------------

それが起こったのは西暦49年頃とされている。

エルサレムのエクレシアからアンティオケイアに向かった一群の人々が「メシアの弟子であっても異邦人なら割礼を受けなければ救われぬ」と主張しだしたのである。確かにユダヤ教の古い観点からメシア信仰を考えるなら、割礼を受けて改宗者になる必要があるというのは、常識的で穏当な判断であったと言えよう。(創世記17:12)
だが、キリスト後の神意は旧約的な判断を超えていた。

「割礼を受ける」とは、キリスト教徒もイスラエル=ユダヤの血統の優越を認め、イエス派にも祭日や服装や食事などのユダヤ的生活習慣を行う必要が生じ、延長線上には神殿祭祀やモーセの遵守がある。従って一つ「割礼」の問題は、イエスの弟子ら、特に諸国民からの信仰者らの信仰生活やユダヤ人との間の立場を左右する重大な問題となっていた。

では、イエスの教えは「より優れたモーセの弟子(ユダヤ教徒)」とさせるべきものだったのか?それとも、メシアの到来はより革新的なものをもたらしたのか?
この点で、ユダヤ人の弟子らには、律法を遵守する旧来の信仰生活を守るべきであるという、生まれながらの習慣と、それに伴う良心がある。イエスも祭礼に参加していたエルサレム神殿は依然として機能しており、無割礼の異邦人は聖域に入れなかった。

しかも「割礼」は、律法以前もアブラハムの家と異邦人の下僕にまで命じられたアブラハム契約以来のもので、それはアブラハムの『後裔が受けるべき契約の印』であり、その契約は『代々にわたる・・契約』とされていた。(創世記17:9-14)
それであるから、ユダヤの弟子らが「モーセの教えの延長線上にキリストを加える」というスタイルでいたことは、永い存続してきた律法体制の中から見るなら、それが正統的に見えていたことは無理もない。

しかし、無割礼の異邦人らが次々に信仰を表して参入していた外地のエクレシアでは、コルネリウスのように無割礼でありながら聖霊を注がれる例が増えてゆくとなると、そこで起っている事象は、聖典に書かれたところを信仰する旧来の観念を超える神の意図を感じさせるものである。
そこで使徒言行録は、アンティオケイアで「少なからぬ争論が起こった」としている。(使徒15章)

確かに神殿の犠牲はキリストの犠牲によって完うされたと唱えるパウロたちがそこにいれば、これは確かに大きな問題にならないわけがない。
 しかし、現代の我々の知るようなパウロの先端的理解を記した書簡群も未だ存在していない時期である。
さて、弟子らはこの事態にどう向き合うだろうか。

そこでアンティオケイアのエクレシアとしては、この問題に決着をつけずにはいられないと結論し、いまだ神殿を擁して中央と目されていたエルサレムのエクレシアと話し合うことにする。
この問題に適任なのは、何といってもパウロとバルナバであろう。
ペテロもエルサレムにおり、こうして、エルサレム会議の舞台は整った。


エルサレム会議は「使徒会議」とも「第一エルサレム会議」とも呼ばれるが、ある人々が「第一」と呼ぶ背景には、後代の1672年のものをも最初のものの延長線上に置こうという企図がある。
だが、初代キリスト教徒による最初の会議に比肩しうるものが他にあるだろうか?

以後、ニカイア会議に続く普遍教会による公会議と、このエルサレム会議には大きな違いがあったのである。

初代のエルサレム会議がキリストの使徒らの参加があったことを除いても、その意味するところは大きく異なっている。

例えれば、テオドシウスⅠ世がコンスタンティノポリスで主催した第一の会議では、キリストと神が「相似なのか同質なのか」を巡って争論がされ、結果として、僅かに見えるこの認識の差を以って、あるいは正統とされ勝ち誇り、あるいは「異端」と裁かれアナテマ(呪詛)が宣告され排斥されている。しかも、この会議は反対派を排除した政治的なものであったのだ。
 

しかし、使徒らの会議は決してそのようではない。
それはずっと大きな教理の違いの容認なのである


会議ではやはり、ユダヤ人の中には律法遵守、すなわち、イエス派であってもまず割礼を受けユダヤ教への帰依を示すことを条件とする人々がいた。
これは、ユダヤから出ず、ユダヤ教のもとに順当に育った人なら至極当然と思えるところだったに違いない。(出埃12:44)
 

しかし、自らイエスから授かった『鍵』を使用して異邦人に向かって「神の国」を開け広げたペテロは違っていた。
多くの議論が出た後のペテロの発言が転換点となったようである。
彼はコルネリウス以降の無割礼の異邦人にも「約束の聖霊」が降下した事実を説いてこう言った。

『神は異邦人にも聖霊を与えたのですから、この上、我々も父祖も守れなかった頚木をどうして彼らにかけられましょう』。
これはユダヤ教からみれば、恐ろしく革新的な考え方である。律法は『守れない』と言っているのである。

しかし、こうして「聖霊」の業績が列席者の争論を決定的に収める働きを成してゆく。

これに加えて、パウロたちが異邦人に臨んだ神の業の実例の数々を話して聞かせるのであった。

そうしてから、論議を聴いていたイエスの弟ヤコブが総括をする。
「私の決定は、即ち神に立ち返ろうとする異邦人を悩ますべきではない。
但し、偶像に捧げられた物(食物)と淫行と絞め殺されたものと血*を避けるようにとだけは、彼らに書き送るのがよい。」
 

これは、ユダヤ人の決定とは思えないほどの驚くべき転換であろう。
自分たちが心底信じるユダヤ教崇拝に関して、異邦人を律法の規定外に置きながらも仲間として認めたのである。こうして諸国民に中に出て行ったペテロやパウロのような人々を介して、イエス派の中央は聖霊の巻き起こす新たな流れを受け入れたのであった。

しかし、ユダヤ人側からすれば、異邦人信徒は中心から遠ざかった一ランク下の格付けに看做す誘惑はあったろう。
律法を知らない異邦人を汚れた者と看做す千年以上続いた習慣は、そう易々と意識から排除できるものではないに違いないし、偶像に捧げられた物と淫行と絞め殺されたものと血を避けよという指示も、律法の部分的延長という説明は無く、もし、そんな主張をすればパウロが黙ってはいなかったであろうし、ヤコブ書も律法が切り売りできないことを記している。即ち、『律法のひとつでも踏み外す者は、律法の全体への違反者なのである』(ヤコブ2:10)


これらを踏まえてみると、それらの指示は、むしろユダヤ・イエス派を躓かせないための最低範囲の線引きのようである。

議決を述べた後に続くヤコブの言葉はそれを裏付けている。

『 モーセの律法は、古来どの町にも告げ知らせる人がいて、安息日毎に会堂で朗読されているのだから』

この一言に示されていることからすれば、キリスト教徒にも血に関する律法規定が延長されたということに捉えることはできない。また、ここでヤコブ自身がキリスト教の規則を新たに制定をしているわけでもない。

むしろ、無割礼の異邦人であってもユダヤ教のシュナゴーグの集いに「神を畏れる諸国の人々」(フォボメノイ)として受け容れることを許すには『偶像に捧げられた物(食物)と淫行と絞め殺されたものと血*を避ける』というのが以前からの最低条件であった。そこでヤコブも、まったく無割礼の異邦人を信仰の仲間と認めるための条件として、ユダヤ教の会堂への参入の条件であったものをイエス派でも用ることで、律法に熱心なユダヤ人イエス派信徒と異邦人信徒の融和を図っているのである。(レヴィ17:12.15)


即ち、律法の朗読が各地のユダヤ人社会を通じて行われ、その価値観は依然として神の規準として知らされていたのであるから、割礼を求めないにせよ、異邦人でメシアを信じて転向してくる者たちも一定のユダヤ的道徳観に基づいて振る舞い、ユダヤ人からの拒絶に遭わないようにするためである。
現にコルネリウスのようなフォボメノイが、この規準によって無割礼でありながらユダヤ人と共にシュナゴーグに出入りを許されていたからであろう。

 

まさしくこのヤコブの裁定は、ユダヤ教の会堂であっても、異邦人中心の集まりであっても、『双方の民』が躓きを覚えずに交流することを促進する賢い選択であった。(エフェソス2:11-18)


もちろん、崇拝に慎重なヤコブが大胆にもキリスト教の掟を新設して命じたわけでもないし、道徳的であることは望ましいながら、今日のキリスト教の信徒にこの古いユダヤ教の慣行を課する謂われはもはやない。モーセを引きずったユダヤ教イエス派は第二世紀を過ぎた早い時期に消滅したからである。今や自由に属するキリスト教信徒には「愛の掟」があるばかりではないか。(ガラテア4:24-31/ローマ13:8)


ともあれ、こうして、この会議はその議決を書簡に記し、彼らに「聖霊と使徒らの決定」を知らせ、さらに複数の証人を付けてパウロたちと共に送り返すことにした。
その書簡はシリアとキリキア(トルコ半島の付け根)のイエス派信徒に宛てたもので、受け取った人々は大いに喜び励まされ、さらに数を増していゆくこととなった。


だが、この議決を以ってユダヤ教イエス派と、パウロがイエスの霊に従って推し進めていた異邦人イエス派との間に何の問題も起こらなくなったわけではなかったし、その後もユダヤ優等主義はエクレシアから消えはしなかった。

実に、キリストの異邦人の弟子らから割礼を必須のものとしないという裁定によって、生殖重視の観点が失われ、その後の『アブラハムの裔』が血統に依拠しないという大転換が込められていたのだが、この点については誰にも気付きがなかったかのようである。だが、それは使徒パウロの言行によって次第に明白にされてゆくことになるのであった。
そのため、使徒パウロはエクレシア内外のユダヤ主義と生涯戦ってゆくことになる。(ガラテア5:12/フィリピ3:2/ローマ2:25)


やはり、人の信念というものは、易々と変えられるものではないし、宗教信条では特にそうであろう。
その発言が議決へと導くことになった使徒ペテロであってさえ、この会議の後のアンティオケイアで、エルサレムからの仲間が到着すると、異邦人と交友するのを避けたことをパウロから激しく咎められている。(ガラテア2:11-14)

これについては、その逆の事態も起こっており、パウロは宣教に訪れた各地のユダヤ教徒らからの強烈な反対を受けねばならなかった。一度はユダヤ人に石打で死刑にまで処せられたのを何とか生き延びてさえいるのである。
ユダヤ人と異邦人の間では、エルサレム神殿が機能している間のイエス派が、純然たるキリスト教となって、ユダヤ教から脱皮を遂げるまではバランスをとることの難しさが新約聖書のあちこちに見える。

更に後年になって、ヤコブは異邦人派の先頭に立つパウロの評判が、ユダヤ教の中心であるエルサレムでは頗る悪いことを慮り、彼に神殿での浄めの儀式の世話をするよう求めているが、そこでこう云っている。

『そうすれば、あなたについて言われていることが根も葉もないことで、あなたは律法を守り正しい生活をしていることが、人々にも分かるであろう。

 異邦人で信者になった人たちには既に手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてあるのだから」』(使徒 21:24-25)

そこには、明らかに偶像、飲血、不品行を異邦人派に求めた動機が記されている。即ち、両派の衝突を避け会堂でメシア信仰者が一緒に集ることにある。やはりヤコブはここでも「執り成しをする義人」の姿を見せている。

また、血を避けるという律法に基づくユダヤの常識を異邦人が受け入れることにより、キリストの血の犠牲の価値の大きさを認識する助けが異邦人にも与えられたことになる。
なぜなら、血の禁忌をもたない民族であれば、主の晩餐において葡萄酒の表象を飲むときに、飲血の禁令を超えてゆく意義を悟れないからである。 

だが、ヤコブの配慮もむなしく、パウロは彼をアジアで知るユダヤ人に見咎められ、神殿域で捕縛されてしまうことになってしまうが、これはパウロをローマという大舞台に立たせることになる。





-◆ユダヤ人らしからぬ寛容さ -----------------------

さて、この議決で注目すべきは、その大いなる寛容さである。
ユダヤのイエス派信徒は従来の律法遵守を続け、一方で異邦人は律法から解かれているのである。これは二重の基準、ダブルスタンダードに他ならない。


それは、崇拝方式ばかりか生活の様々な面、食事や衛生、祭日まで異にするという意味であり、モーセの下にひとつにまとめられていた宗教が諸国の多様性を受け入れるのというのである。
こうしてユダヤ教イエス派と、異邦人のクリスティアノイとの難しい共存が図られた。

果たしてそこに偏狭さがあるだろうか?
むしろ、僅かな言葉の認識の違いで呪詛されたり、排斥されたりはしていない点で後代の公会議とは大いに異なるものである。


そして、イエスの弟ヤコブの会議における振る舞いに、ヒエラルキアの頂点に立つ者が往々にして陥りやすい専横な独断や強欲さや教理の無理強いは見られないし、人を威嚇するようなところも仄めかされてもいない。まして、エルサレムのやり方に「合わせろ」などと見解の一本化を諮ることさえしてはいない。

むしろ、多様な議論の出るのを見守ってから、自らの周囲で起こる様々な事柄に注意を払って人々の間に働いている聖霊の示す方向を窺い、全体の意見を集約して結論に至っている。
そこでは、聖霊を内に得ていてもなお、自己を制して兄イエスの意志を探るようなところを見せているのである。


ヤコブの名を冠した聖書にある書簡には「人は聞くに早く、語るに遅くあるべきである」とあり、「人の憤りは神の義を行うことにはならない」とも述べているが、それはまさにエルサレム会議を仕切ったキリストの弟ヤコブの姿を彷彿とさせる。

この「ヤコブの手紙」は後代のルターらによって、信仰よりも律法の業を強調するユダヤ的なものであると、価値を低く見積もられ「わらの福音」とまで貶されたが、しかし、内容を見る限り「業」の強調はともかくモーセの律法の条項のひとつをすらを挙げて遵守するように求めていない。

その中に「王たる律法」「自由の民の律法」の記述があるとしても、それはキリスト教の「愛の掟」に通ずるものであって、この著者を律法主義者と断ずることは出来そうに無い。
確かに彼は『人は業によって義と宣せられるのであり、単に信仰によるわけではない』と書いている。(ヤコブ2:24)
だからと言って、ヤコブが律法主義者と断じることはできない。
文脈を見れば『業の無い信仰は死んだもの』と言っているのであり、『業のない信仰を見せるように、そうすれば、わたしは業によって信仰を見せよう』というのであるから、ここで問題にしているのは、『信仰』がどのようなものかというところに焦点が合わされているのであって、『業』それも律法を行うことを論題にはしていないのである。

ヤコブの手紙にあるのは、律法の業の続行ではなく、信仰の業を求めているのであり、実際、「自分は信仰を持っている」と言いながら、何をするでもなかった不信仰の事例は旧約聖書にもみられる通りであり、それを彼は『死んだもの』というのであろう。(列王第一18:21-)
当時の同僚パウロの業、その苛烈とも言うべき宣教の労苦を思えば、決してパウロの教えと衝突はしないであろう。(ヤコブ2:26/コリント第二11:23)

むしろ、『割礼を受けるなら律法をすべて守る務めがある』というパウロの如く『律法のひとつでも踏み外す者は、律法の全体への違反者なのである』とさえ言うのである。これは、律法主義者であるパリサイ人の平衡的律法の適用方法の枠に留まるものではなく、キリストの『完全な自由に属する律法』を指し示すものである。(ヤコブ2:9.10/ガラテア5:3/ヤコブ1:25)
更に、この手紙の驚くほど優れた点は、双方の民のいずれが読んでも益を得られる事にある。

ここにキリスト教徒にとって学ぶべきことはないだろうか?
キリスト教の各派が正統を巡って争い、ヤコブのような寛容を表せないのは何故だろう?なぜに聖書の言葉一つや文法を巡って正義を立てようとするのだろう?キリスト教を信じようとする人々は、宗派という互いに敵視し排除しあう鉄条網の枠に強制収容されているかのようではないか。

けっして神はそのようにはしていなかった、むしろ当時のユダヤ人にその宗教的良心の働き方をすぐに変更させることは無理を強いることであるので、聖霊の印と一定の判断期間をユダヤ人に与えたのである。
一方で、今日までキリスト教を称える様々な宗派の示してきた他者排撃による義の確立、その偏狭さは、こうした神の精神とはまるで別のものを感じさせるものであろう。つまり敵意を醸造するディアボロス(中傷者)の精神である。

ヤコブの手紙は『ねたみや闘争心のあるところにはあらゆる無秩序がある』と警告する。(3:13~)
僅かな見解の相違を争ったり、自分たち以外をサタンの側に断じたり、神の真実性を脇に押しやり自分の正しさの立証に血道を上げるようなことはヤコブが努めて避けたことではないだろうか?当時の弟子たちには聖霊があり、それこそが神の真実を教えるものであったから、人間の教理の正当化などは思いも付かないことであったろう。

そして、彼の寛容さは様々な実を結び、パウロの活動の支えともなった。
ヤコブ及び「柱」と思えるエルサレムの主要メンバーにパウロが持論を開陳したとき、ヤコブらはパウロに黙って手を差し伸べ、自分たちは割礼を受けた者の方に、そしてパウロたちが異邦人に向かうことを認めたのである。そこではパウロに働く聖霊への敬意があったに相違ない。(ガラテア2章)

そして、自ら律法の下にいないと再三主張してきたパウロではあったが、後年エルサレムにあっては、ユダヤ人としての習慣に従うようにというヤコブらの勧告を唯々諾々と受け入れているのである。しかもそれは『ナジル人の誓約』に関わることであり、極めて律法主義の色濃いユダヤ的行為への勧告であった。しかし、これを肯んじることはけっしてパウロの敗北などではなかったことであろう。むしろ、ヤコブの示すパウロへの気遣いと寛容への丁重な返礼のようにさえ見えないだろうか。(コリント第一9:20/ローマ6:15/使徒21:20~/レヴィ6:13~)


歴史上、キリスト教において論争や敵意が普遍的に見られてきたのだが、その多くは言葉を巡る教義上の争いが多かろう。しかし、パウロは後になって、信徒同士が「言葉の事で争うことのないよう、「厳粛に」([ディアマルチュロマイ]あるいは「厳格に」)申渡すよう」助手のテモテに命じてもいるのである。(テモテ第二2:14)
この厳正さは、まさしく偏狭への戒めであって、言葉の小異を巡る厳格さではない。これは自らに厳しくも、同時に謙虚で協調性豊かなヤコブと共に働いた経験を持つ使徒ならではの戒めとは言えないだろうか。


こうして、寛容さを以ってヤコブは初期の問題を乗り越えた。
それは彼に働くイエスの霊の特質でもあり、ヤコブは兄イエスの意を汲むことにおいてまことに見事であった。
これが後代の「キリスト教」諸派の教師らのような自己義認者であったなら、自分の方式に固執して、敵意と闘争の坩堝に人々を投げ込むようなことになっていたであろう。

しかし、ヤコブは聖霊の特質を発揮し、ユダヤ人と異邦人という分裂しかねない「ふたつの群れ」をそれぞれに平和に保つ役割を果たしたのである。(ヨハネ10:16)⇒「羊の囲いの例え

現状のキリスト教徒の独善の実態に鑑みるに、これは誰にでもできるようなことではない。

しかし、その一方で偏狭で独りよがりなユダヤの崇拝が終わりを迎える日、つまりユダヤとエルサレムの荒廃が刻々と近づいていた。それは神殿喪失による祭祀の不能と、律法遵守の内向きな正義の意味を失う時代の到来である。(ルカ23:28)⇒似て非なるサマリアへのキリストの想い

つまり、時代の過ぎ去った後から見ると、異邦人を許したはずの「優秀な」ユダヤ・イエス派も、実に自分たちの後進性の存続を許していたのである。
こうして、「最初のものは最後になった」。(マタイ20:16)


-◆殉教の死 --------------------------------

会議の後十三年、民に尊敬されたヤコブは、より多くのユダヤ人をイエスに導いていったが、他方でユダヤ体制はますます愛国的になってゆき、やがてその愛国心が崇拝心を超えてしまう事態が発生しようとしていた。⇒ 「キリストの語った終末預言

西暦60年代に入ると物事は急速に動き始め、パウロは獄からローマに護送され、エルサレムではローマ総督の交代の留守を衝いて権威欲の深い大祭司アンナスⅡ世が暗躍し、遂にイエスの弟ヤコブに死をもたらす。
祭りの日に神殿の胸壁に立たされて、民にイエスはメシアではないと説得するよう要求されたところ、逆のことを行ったために祭司長派に突き落とされ、最期は撲殺されたと伝えられている。

この「処刑」の名目として、表向きは「律法の不履行」の罪状が挙げられたが、キリスト教徒ではないヨセフスですらヤコブの死刑が不正なものであったと糾弾する。それについてはアグリッパスⅡ世も、また、しばらくして着任した新総督アルビノスもアンナスⅡ世の大柄さに激怒したので、総督の留守に闇討ちのようにして民に尊敬されていた「義人」を亡き者にしたアンアスⅡ世は、僅か三ヶ月の在任で職を解かれたのであった。

こうして無慈悲な暴力によってヤコブは世を去った。
彼を除き去ったのは(ユダヤの)宗教上の偏狭さであり嫉妬であり対抗心であり、よほどに注意していても誰もが陥りやすい「人間の正義感」であった。それは彼の兄を葬った精神でもある。義人ヤコブの精紳は大祭司アンナスⅡ世ら体制派が示したものとは正反対であった。さて、キリスト教界の相克の歴史は、どちらであったろうか。


ヤコブはイスラエルの民のために神殿で祈りを捧げ続けたので、その膝はらくだの皮膚のようになっていたという。彼は兄に次ぐものとしての立場に於いて、実に堂々と平和を訴え続けてその責を全うする人生を歩み通した。平和を保つためのそのバランス感覚の良さは、クリスティアノイにもヘブライストにもまさしく宝のような特質であったに違いない。

このような人物のゆえに彼は尊敬も集めていたのだが、彼の兄に対するメシア信仰はやはり体制派ユダヤ教とは根本的に異なるものである。それが遂に表出するときが来たというべきか。
彼の祈る言葉はユダヤ人の頑なさに阻まれ、ヨセフスも述べたように、この「義人」の殺害に至って、遂にユダヤの命運は決したかの観がある。

こうしてヤコブの働きを概観すると、ユダヤ体制への神の最後の善意を保つ役割を負っていたように見える。彼のイスラエルへの執り成しの祈りは、「善意の年」を活用し「救われてゆく」ユダヤ人を「神の国」に受入れることを可能にしていたと言えよう。

だが、イエスに敵対し、その弟にまでも牙をむいたユダヤ優越主義は、ユダヤとエルサレムの壊滅に向かって、ますます引き返すことの出来ない岐途に分け入ってしまったのだが、その「清算の世代」にあってヤコブの率いたユダヤ・イエス派の人々はユダヤ破滅の危機を乗り越えることができただろうか?

西暦66年のユダヤ反乱まで、あと僅かに数年を残すのみ。

居丈高なユダヤ優越主義も、エルサレム神殿の消滅と共に大いなる失望を迎える時が刻々と迫っていた。
ヤコブの死から時を経ずに、ユダヤにはいよいよ神の審判が下ろうとしていたのであった。



                 新十四日派   ©林 義平

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*(マリアとエリザベツが親戚関係にあり、マリアの家系はレヴィ系であるが、ソロモンの世代にダヴィデ王家からレヴィ系祭司に移った系統が記録されており(サム二8:18)、ルカの系図はそれを追ったものであるように思われる(ルカ3:31/歴代一14:4)それゆえマリアの姉妹とされるゼベダイの妻サロメを通し使徒ヤコブとヨハネもレヴィに近いと言える)


*「血」を避けるとは、「ヤコブの手紙」の言葉に基けば(ヤコブ2:10)律法の同種の規定(レヴィ17章など)がキリスト教においても延長されたとみるべき理由はない。⇒「山上の垂訓における律法の成就」

むしろ、この項目をも用いて相互の民が良心的につまずかないための最低ラインを引いたように見える。

あるいは、「虹の契約」の延長とも看做せなくもないが、ヤコブらはその由来を明言してはいない。むしろ、ユダヤ教シュナゴーグの習慣を敷衍したとみるべきであろう。
いずれにせよ、絞め殺された動物には血液が滞留しているので、続けて記述されたこの「血」の禁忌は血を食することを意味するのであろう。この禁令は「魂」(ネフェシュ)の在り方に深く関わっている。⇒「ネフェシュ」とは何か

但し、このときの双方の民の存続を保つべき状況で、この会議の決定が必要であったとしても、これを金科玉条のように現在のキリスト教徒に戒律としてあてはめようとすれば、ヤコブの示した寛容さに逆行することになり、エルサレム会議の精神を理解するのではなく、却って律法主義的とはならないだろうか?⇒「血の禁令を超える主の晩餐

たとえ、誰かがその規定を守るとしても、それは決して他者に強制されるべきでないと思えてならない。


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